No.265351

Grave Dive!

ひのさん

過去発行同人誌より、フレレイギャグでレイヴンがひたすら不憫なだけのどうしようもないバカ話。再販予定がないのでアップしました。

2011-08-08 21:07:32 投稿 / 全15ページ    総閲覧数:1110   閲覧ユーザー数:1105

「結婚を前提に、お付き合いさせて下さい」

 

 相手は真正面。こちらの眼を微動だにせず直視。それだけでも異様な気迫を感じる。将来に関わるような試験前、もしくは長年対峙し続けた宿敵を前にした、かのような鬼気迫る表情といっても過言じゃあない。

 これで花でも差し出していたのならばまだ可愛らしい方だったろうか。否、だとしてもこれは流石に、ない。この表情、態度とちぐはぐなことこの上ないしそもそもそりゃあってはならないことだ。

 というか、ありえない。

 なにせ相手はどこをどう見ても頑張っても、たとえ年齢の割に童顔だとか柔らかそうな金髪と清廉な印象を与えてやまぬ空色の瞳の組み合わせな上に美形というおまけつきであろうと、男だ。

 野郎である。

 男性とも言う。何かの間違いで実は女性でしたとかいうなら話は別なのだが、男だ。そして自分も男である。なので少なくとも色々おかしい。いや、少なくともではない、ふつうに色々おかしい。

 第一何だ結婚って。けっこん、てのは、王侯貴族はおいといて庶民の間においてはだいたい相思相愛の男女が成すべき人生における契約の一つであって、まあたまにそうじゃなかったりもするが一般的には男女でするものである。例外はあまりお目にかかったことはない。ないとは言わない。繰り返すが、単にあまり一般的ではないのだ。

 何時の間に帝都ザーフィアスの法律は同性婚を認めるようになったんだのか。俺の記憶にはない。

 少なくとも自分が騎士団に曲がりなりにも在籍していて、一応こないだまでは現役であったから最低限の法的知識はあるつもりだ。

 というか騎士団に所属してるのだから、法律を最低限は理解しているのは当然である、法律の取り扱い自体は評議会のお仕事だが、だからといって同じ帝国の、政に関わる組織で「知りませんわかりません」は通用しない。何せ騎士団といえば、それこそ皇帝陛下の意志と法規に従うことを絶対として行動するものであるからして。

 そういうワケなので、現在も片足を騎士団にもう片足をユニオンに突っ込んでかつ左右の足を交互に動かしているような状況の俺が帝国の法律の改正を全く知らない、ということは要するにありえないのだ。

 

 て、散々もったいぶってみたけどよーするに細かい理屈はどうでもいいんです。とりあえずおかしいんです。

 目の前のきらきら太陽光だけを寄せ集めたかのような青年の発言は、兎に角どこからどう考えてみてもおかしいんです。非常識なんです。そのスペックと相まって流石歩く規格外(おっさん語録)。

 

 結婚を前提に、もだがお付き合いさせて、も言わずもがな。

 つまり何だこれはあれかファンタジーか。そうか。ならしょうがない……なんて明らかにおかしな納得するわけがない。誰が何を言おうと、たとえ背後でドンの亡霊がにらみを聞かせていようと何であろうとそこは譲れない。

「レイヴンさん、あの、どこか具合でも…悪いのでしょうか?顔色が変わりすぎです」

「え、ええと……フレンちゃん?」なんとなく名前を呼ぶにも躊躇う。正直に吐くと恐怖のあまり声が上擦った。

「はい!」この反応である。

なんか、すごく、期待されているのだろうか。見えない尻尾がぶんぶん振られてる錯角まで見えてきた。あぁ幻覚まで見えてきた、そのうち過去の風景が次々と思い出されてくるに違いない。ならば臨終は近い。俺は死ぬ。死んだほうがマシである。

だいたい何を、どのように期待されているのか。俺はいわゆる同性愛嗜好を持つ類だと思われているのか、それはひどい、酷い誤解だ、今すぐそんな恐ろしい誤解は解かねばなるまい。

「わっ、ないよ!それはないからねおっさんこんなきもい中年だけど断じてそんなことはないからね!」

「いえそんな事はありません!」恐ろしいことに即断言された。すごい勢いだ。一体何を根拠に。そんなことはありえない、と頭から信じ込んでいる顔だ。これが可愛い女の子だったらな、だなんて非現実的かつ非生産的な上に惨めな妄想をしたら鼻の奥がツンと痛んで鼻水が目から垂れ流れてきた。

「あるよ!マジで!あるから!だからちょっとまって!顔近いよ!」見るも無慈悲な至近距離。こてんと回転するように傾げられた顔も空と海をそのまま映しこんだみたいな大き目の双眸も、鼻先と鼻先がごっつんことかそういう距離。うひゃあおっさん、固まりそう。思わず息止めちゃうゾ☆

「気にしないで下さい!」

「……ぷはっ、てっ、気にしますよ常識的に考えて」気にするというか気にせざるを得ないというか。しかし間近で見ると本当に冗談みたいにキレイな顔で些か童顔であることもその造形を損なうことはなく。

 睫なげー。ちくしょーおなじ生き物と思えねー。思わず呪いの言葉を四方八方に無差別に撒き散らしたい衝動に駆られる。ギリギリ。

 世の中の理不尽さを再認識。その世の中の理不尽さと悪意と暴威と恨みつらみと許されざる罪の集合体がこちらをガン見されている。すごく真剣に、目を逸らすには殺される覚悟がないといけない、という程の恐ろしき目力で睨まれている。睨んでいるつもりないのかもしれんが睨まれてるように感じるのは、この場合致し方あるまい。一方的な暴力に対する精神的な正当防衛であるからして、情状酌量の余地、大いにあり。

「あ、あのねぇ……とりあえず、冗談はそのへんにしよ、ようか…?」

 ごめんなさい、とキッパリ言えないのは何ゆえか。

話は単純。恐怖、の二文字が先ほどからがらんどうの頭の中で警鐘をひっきりなしに鳴らし続けているというだけの話だ。何がコワイのか、というような具体的な物は一切ないのだがとにかくコワイのである。

キレたユーリもコワイからキレたフレンは単純にもっとコワイ。

あの「俺が大陸最強」みたいな態度を隠しもせずまあ実際強い部類の青年が、この、親友とかいう名の化け物宇宙人にボッコボコにされているところを偶然不幸にも目撃してしまったのだ。俺の中でユーリよりも更に強いフレン、ってな構図が確立した瞬間であると同時に、いろいろ非常識ハイスペック化け物がこの世には何人も存在しているのだなぁという己の無知と世の中の不条理さの同時に実感した輝かしくはない瞬間でもあった。

今を生きる俺レイヴンとしては常識の範疇の人間でありたいので、過去の云々とかそういうことはおいて置くべき。であるので非常に見辛い位置にこっそりと置いておいてそのまま忘れても構わないくらい。むしろ大いに忘れるべきである。

「レイヴンさん…?」きょとんとしている、というのが多分本来ソレには相応しい表現であるがなにせ目の前のフレン・シーフォはこの俺の(脳内で一方的に決め付けている)天敵であり、つまり、圧倒的存在といっても過言ではない。そうした圧倒的存在に対し矮小極まりない存在はえてして怯え震えるしか取るべき手段などは、ないのである。

「いえ、あの、レイヴンさん、……冗談では、ないのですが……」

 なぜかものすごくしょげている。圧倒的存在感を誇り、この世の悪意と不条理と以下略の集合体であり忌々しさとともに一抹の羨望すら抱かせる、このレイヴン35歳(と数ヶ月)にとっていわば残り全人生を賭けて戦ったら間違いなく数秒でボロ屑のように消し去られその後には草すら生えないであろう、このフレン・シーフォ(21)が。

 そもそもフレン、先述のように存在そのものが怖い。理由も先述の通り。最早本能的なレベルで。或いは前世の因果か。前世じゃ俺とフレンはそれこそ地で地を争い途切れることのない因縁の果てに憎しみ合い、何時果てるともない戦いでも繰り広げていたのかもしれない。

「見てりゃわかるよっ!」その目力(ぢから)といい、悪意の片鱗もなさそう(実際に恐らくないのだろう)でかつ真剣極まりない勝負時だと理解している男の顔だの、本気か冗談くらいかは判別はつく。だが恐怖は恐怖。例え何故かしょげていようが、俺の本能的なこの直感は決して揺らぐことはない。

「あぁ、それはよかった…てっきり本気ではないのだと思われたのかと…」にこりと微笑む様、或いは花の微笑とかでもいうのか。女性であるならば。

 つまり目の前にいるのが男ではなく女性であれば恐怖感じなかったかもしれないと考えたら想像を絶するその組み合わせに顔の筋肉が自ずと緩みへらへらと笑えてきた。

「できればそうねがいたいおっさんのライフはもうゼロです」

「そんなことはないです!僕は、真剣です…!」

「言葉通じてない……」むしろコミュニケーションがとれてない。

「えっそうなのですか?」

「いや、そ、そういうことじゃなくてさ………」

 この人外生命体或いは未知の小宇宙からの客人とでは言葉のキャッチボールは不可能だった。

 否。

 彼が理解の範疇から逸脱し、かつ、本能的に恐怖を感じる天敵であるということは事実なので撤回はしないが、圧倒的恐怖感は何も彼だけに起因するものではないことぐらいは、理解している。

 恐怖のあまりきっぱり断れない、ゆえに話がこじれにこじれているだけなのだ。自覚ぐらいはある。恐怖のあまりという理由とどうしても駄目と言い出せないクソ根性は、関連付けて考えてもまあ間違いではないのだが、どちらが先なのかと問われると割と回答に悩むのだ。

 なにせ、俺は筋金入りの根性なしであるからして。

 この場合「ごめんなさい!」と叫びざま目を合わせないように頭を下げてケツまくって全速力でこの場から逃げ出すことは、不可能ではなかった。

逃げ足には自身がある。なにせ何度死に掛けたかわからない、潜り抜けてきた修羅場の数だって両手じゃあ数え切れない、その修羅場の数の内に男女の以下略が含まれていることはここだけの秘密だとして凡そ三回くらい死んでいる中年の窮鼠猫を噛むに始まるいざというときの底力はハンパではないという自負もある。

 が、では何ゆえに不可能であるか。

 

 単純なる恐怖心が、その潜り抜けてきた数々の修羅場を思い起こすと同時に、恐らく今俺が直面しているそれは、これまでのそれらに匹敵、いや、軽く凌駕しているという事実を、認識せざるをえないからである。

 その恐怖、まさに恐怖と絶望を振りまく死の天使、繰り返すが、要するに俺はフレンが怖いのだ。それもハンパなく。

 

  

 箒星という下町の風情に非常に調和した食堂兼酒場。既に相当出来上がり胡散臭いおっさんと胡散臭い青年が二人、店のカウンターで額がくっつくほどに身を寄せ合いながらぶつぶつと深刻な顔をしてささやき合う様は客観的に見たらたいそうお可哀相に見えることだろう。いや、現在進行形で俺は可哀相な部類に入ると思う。身の上話を聞かせたら十中八九同情される自身もある。ただしそれは自分でも泣けてくるというリスクを負うことを余儀なくされる諸刃の刃、或いは玉砕戦法というやつなのだが。

「はぁ?それで、結局押し切られたのか?」

「………いやあ、どうなんだろう……おっさんがもだもだしてたらサァ、フレンちゃん何勘違いしたんだか、わかりました、ってなんか捨てられた子犬みたいな目ぇして打ちひしがれて去ってったからねえ……」

 正直なことを、言えば。ほんの少しだけはかわいそうなことをもしかしたらしたのかもしれない、という気持ちが心の中に存在しないわけではなかった。あからさまにふわふわの髪の毛がズブ濡れ子犬のようにぺしゃんこにへたれていたような気もする。それでも圧倒的恐怖の存在であることには変わらないのだが、そのあたりの心理に関しては些か複雑なものがあることはある。ないこともある。その場その場で変化する乙女心と秋の空。に、非常に良く似ているかもしれない。

「甘いな」青年の声のトーンがあからさまに一段くらい下がった。

「へっ?」

「甘い、っつってんだ。おおあま、だな。あんみつに蜂蜜ぶっかけて生クリームにこれでもかと砂糖ぶち込んでキャラメルソースかけたくらいの甘さだな」

「………うぷっ…」想像して気持ち悪くなるような例えは止めていただきたいが、それを主張するとこの青年は調子に乗るので、その考えと飛び出しかけていた言葉は喉から逆流させて腹の中にこっそりと仕舞いこんだ。

 おまけに妙に喉が渇いて仕方がなく、加熱する人生相談劇場の傍ら、半ば放置されかけていたジョッキに残ってた既に生ぬるくてその価値を殆ど失った麦酒をあおってこくりと喉を潤す。それでも、やはり喉がイライラしてるような気がする。多分この無駄に重苦しい空気が原因か。相手は常に黒尽くめ胡散臭さ帝都イチを自称はしてないけど容認しているような野郎相手であるからして、仕方ないのかもしれない。何故そんな相手に相談をしていたのか、という根本的な疑問に関しては消去法、とだけ答えておく。

「いいか、あいつと長年どころかケツの青いガキの頃から付き合ってきたオレから、ひとつ忠告しておく」

「……はいぃ……」

「あいつに同情したら、負けだ。いいか、ものすごくへこんでいるように見えても翌日満面の笑みで『ユーリ、勝負しよう!』とか『ユーリ、今日はどっちが強いか決着を付けよう!』だの言って人のことこてんぱんに叩きのめして『また勝負しようねっ』とかちょう爽やかに言い放ちながら手を差し伸べて全く悪びれないようなやつだ」

 それはいわゆるただのコンプレックス的な話で、今回の件と関連性は薄いように思えるのは、気のせいだろうか。

「いやあの青年、なんか話ズレてね?だいたいへこんでた、とその翌日の言動のどこに因果関係が…」

「だいたいな!」突然乱暴な様でテーブルの上に手のひら叩き付けながら立ち上がり、見事なあおり構図へと持ってゆく様のなんと自然なことよ。右手をしっかと握り締め、きつと虚空を睨みつけるその顔の角度からして完全に衆人に対する演説モード。

 その瞬間に、ある程度予感はしていたことであるが俺は実感し認めざるを得なかった。この男、人の話の趣旨を理解していない。しようともしていない。

「オレは、だ、なんで幼少の頃からあいつに負け続けていたかというとだな!あの童顔だろ、でっかいあの目だろ、ふわっふわの金髪だろ、下町じゃすげえ珍しくってキレイでキラキラしてて……くそっ、だから幼少の頃のままで、あいつが幼少の頃のまま成長してくれていたらそのまんまあいつを嫁にしていたのに」

「おいちょっとまてにじゅういっさい」話の方向がズレたどころではなく豪快に脱線しかつ捻じ曲がってらせん状に脱線して果てしなく別方向へ向かっていやしないだろうか。

「それが!!ありえるか?」身振り手振りジェスチャーで、いかにそれが悔しく、苦々しく、絶望的だったかを熱弁する男それはユーリ・ローウェルにじゅういっさい。

 本気である。

 本気も、本気である。ただし、本気になりどころは明らかに間違えている。

「昔から密やかに心ときめかせていてかわいいなあ、だなんて懸想していた相手が男だったとか!」

 背後に重々しく荒々しい効果音が入って思わず劇画調になりそうな空気に思わず同化され侵蝕され意識の集合体へと導かれかねない、この空気よ。格好をつけているのか、はたまた全身で笑いをとりにきているのか。難しい判断を求められる。

 とはいえ彼の言動はその悲しさを含めて理解できない代物、というわけでもない。だいたい想像が付く。なにせこの男の言う幼馴染、二十歳過ぎてもあの童顔、あの表情、元々顔立ちも整っていて、かつては大変愛らしく存在するだけで愛を享受出来る無垢な天使のような存在であったのであろう。今は悪鬼そのものだが。

「…………やっぱり」

「やっぱり?やっぱりだと?」

 俺としては心からの同意であったのだが、彼の元から何か危なっかしかった目がすうっとすわり、テーブル越しに胸倉を、唐突に掴まれる。

「やめ、やめ、やめやめやめーー」

「おい、おっさん、まるでこのオレの傷心っぷりがわかってるかのような態度じゃねえかおい…わかるのか!」掴まれた上に引き寄せられて首が絞められているような感覚になる、眼を見れば殺気でぶすぶすと穴だらけになってしまいそうな程、明確な殺意。これでは殺人未遂になるのだが。冷静になっているのは冷静ではない証拠だった。

「俺のあの絶望が!孤独感が!情けなさが!!!悲しさに打ちひしがれその日一日何も手が付かず食欲もわかずひたすら、ひたすらに後悔の念が押し寄せてきてどうにもならない……」そこで、がくりとうな垂れて肩を落とし締め上げてた手の力が抜けた。これ幸いと青年の拘束から逃げ出すことが出来てようやく息をつけばゴホゴホと咽てしまうのは、致し方あるまい。「ゲホッ、ちょっとっ、ったく乱暴なんだから…」

「己の過去全てを呪いたくなる…」なにやら、そのまま地面にずぶずぶ沈んでいって泥のようになり仕舞いには肥料か何かに変化しかねない雰囲気になっている。これはもしかしたらあれかもしれないそうあれである。ままあること、ではある。つまり、彼のような些か特殊かもしれない環境化の青少年にしては、ありがちなささやかで居たたまれなく絶望的な事故である。

「あ、もしかして、青年、勘違いしたまま迸る本能に抗いきれず?」

 思わず聞いてしまったのは、この男でもそういう側面があるのだと思えた、所謂多少の精神的余裕による判断ミス。ただでさえ視界良好になりそうもない前髪の間からギロリと覗く目玉二つ。青年が自分で自分を呪い過ぎた挙句その余剰分でこっちまで呪われそうな程の、忌々しき悪鬼そのものたる恨みの権化のごとし。

 

「………どうしてそれがわかった……」

「い、いや、ちょ、っとしたジョークだったんだけど、……マジだったの……」

 

「うっせオレだって別に女なんざその気になりゃあより取り見取り、昨日はあっちの淑女今日はあっちの後家さん明後日はお隣さん、てな具合にとっかえひっかえできるんだよ!やろうと思えば!」うわそれ童貞のこってこての言い訳…とおもったけど今日は賢さ一割増しのおっさんは黙っているよ。

「けど、それでも、昔の記憶とか美化された思い出とかモロモロでそりゃあキレーに育っているんだろうなと思い描いたオレの幼心から来るちょっとした勘違いの上に築かれたかけがえのない妄想ぶちこわされた絶望感がわかるかーーッ!!」両手で頭抱えてぐるぐる暴れてる青年を止める手段も言葉の、今の俺の中には存在はしていなかった……ゆえに、それ何年前の話ですかとかは流石につっこめなかった。

 そして意外ともいえるその純情さに、自ずとこみ上げてくる熱いものがあった。相手がどうかということはひとまず置いておいておく。

「ちくしょう!わかるもんか!わかるわけがない!」

「青年キャラ変わってるよ。そもそもそれ、単にあれっしょ、昔のフレンが可愛らしかったから青年が一方的に勘違いしてたっていうオチでしょ」

「…………別にいいじゃねえか……乳がなくなってチンコついてたって……オレの妄想は正義なんだ……オレはただしい…オレは間違えてない……だいじょうぶだ……化粧させてドレス着せれば多分大丈夫だ……」

 

 突如其処に、この世の悪の権化が出現した。まさに今、その薄くぼんやりとした酒場の灯すら届かぬような暗がり、別世界から召還されし七つの罪を背負う堕天使が死神の鎌を持ち出現した。

 項垂れたたま未だ顔を上げずくつくつと低い笑いを零しながらゆらりとゆれる様など、まさに冥界の使者に相応しく、見ている者の魂を虜にしてその後ゆっくりと喰らうつもりなのか。

 が、堕天使というよりはゴキブリという表現の方が全体的に正しいのが彼の悲しさである。

「…いやだからちょっと妄想ストップしようか、おっさん青年の頭の中身が今凄く心配よ…」

 堕天使基黒光りする例の生物は唐突にその細長く間接の目立つ脚をテーブルの上に乗せて、ぐいと上体を反らし拳を作り、ガッツポーズをキめた。鼻息が無駄に荒い。まるで戦場から帰還したばかりの兵士のような、異様な高揚感がそこには垣間見える。表情は無駄に自信満々なのだが残念なことに大悪党顔であった。

「………イケる!!!」

 

 堕天使基黒光りする例の生物はとうとう己の生態系に異論を唱え始めた。彼はこの持論を、これからおそらくは帝都ザーフィアス内において日々主張してゆくつもりか。そして、いつしかこのテルカ・リュミレースの中心都市帝都ザーフィアスは己の生態系に異論を唱える男女で満たされ、混乱を極めてしまうのか。殊更そうした特殊嗜好を否定するわけではないのだが、やはり自分が巻き込まれるとなるとどこか二の足を踏む、というのが俺の立場である。というか、そもそもこの話の趣旨はそうした、特殊嗜好に巻き込まれてしまった場合の対処法を相談していたわけなのだが。

「ちょっと、ユーリ!何遊んでんだい!ちゃんと片付けるんだよ!」店の女将の至極常識的な突っ込みもよくわからないポーズで片目をつむり「ああ、わかってるさ、当然だろ?」と、謎の返答。

「ったく、何時までたってもしょーがない子だよ…」ふむ、女将の台詞から考えると、どうやらこれがこの青年の日常的な性格なのだろうか。そうかもしれない、と、決して短くは無く波乱万丈かつ何度か死にかけた彼らとの珍道中を振り返って、考えたりした。

 そのように、(こうした場合他人の振りをしてしまうのは、常識的な判断力をもつ人間ならば当然のことである)悦に浸っている青年と周囲を交互に見る分には非常に居心地が悪く、かつ、いたたまれない心地であったのだが、俺とその周囲以外は、通常の夜半過ぎのそこそこの賑わいのある酒場の雰囲気であった。考えすぎなのか。

 盛大な溜息をついて麦酒のおかわりを注文すると、なにやらただならぬ疲労感に襲われる。アルコールが良い具合に回ってきているのかもしれない。上体を起こしているのも億劫で机につっぷしていると、ようやく満足したのか彼はテーブルから脚をおろし、椅子に腰を掛けた。

「いや、悪かったなおっさん。まあ、あれだよ人には色々とあるんだよ。色々と、な」

「………んだね…」

「で、要約するとおっさんがフレンを振ったからフレンがドン底まで落ち込んでザーフィアス城限定で暗雲が立ち込めてるからどうにかして欲しい、ってのが依頼の内容だな。まあ、あいつなら機嫌で嵐くらいは召還するからなあ」

「いや半分くらい違う、しれっと捏造しない、意味の分からない事言うのも禁止ね!」

「悪い悪い、冗談な、冗談。実は前々から下心があってフレンを付けねらって深夜寝室に忍び込んであられもな」「ちっがーーーーーう!!!青年っ、自分の妄想及び願望を当たり前みたいに押し付けないッ!」

「何だ、結婚を前提に付き合ってんだろ?なら当然じゃないか?」

「違うっつてんだろっていうかなんか前提がすげ代わってるしだいたいおっさんフレンちゃんと付き合ってないし付き合うつもりもないしふっつーに女の子大好きですから!」

「なん……だと……おい、胡散臭くて加齢臭が気になるよーなおっさんの分際でフレンを振る、だ、と……?何抜かしてんだコラ、場合によっちゃあ…」

「腰のもの抜くなッこんな公共の場で刀傷沙汰は勘弁!ってだから仰ってる意味が良くわかりませんんん!あと加齢臭って年齢じゃないからーー!」

「いや、勘弁ならねえな…俺はな…俺はあいつに相応しくないっていう自覚はあんだよ、だからこそ、な…あいつには、人並みに幸せになってもらいたくて……」まあそれはわからんでもない。が、どちらかといえばこの場合、フレンがユーリに抱く感情としてなら納得が行くような気がするのだが(ニートと国家公務員)、むしろ人並みにまともな生活をして欲しいというような内容のボヤきを、その言葉を微妙に選びながらもフレンは何度か零していた気がする。確かにこのままだとこの青年はただの前科つきニートである。俺も人の事はいえないのであまりとやかく言いたくはないが、まだ騎士団に(強制的に)在籍出来ている分社会的にマシである。というような、内心がバレたのか、青年の目つきが更に悪化した。殺意もなお増した。

「………で、隠れてごにょごにょやってたわけだ」

「おっさん……」

「あ、冗談です、いちいち剣を抜いていただかなくても間に合ってます、はい」

「奇遇だな、オレのコイツも全部冗談だ」

 が、その顔はお世辞にも笑顔といえるような類のものではない。確かに、表情は笑顔らしきものを作ろうとしている、その努力は認めよう。が、眼に殺意はしりすぎである。ついでにそろりと腰の剣に手をかけてそろそろと抜く様なぞ、まったく冗談には見えない。

「好きにすりゃあいいんじゃねえの。おっさんが嫌なら嫌だって言いえばいいだろ。あいつはオレと違って人を呪ったり背後三メートル圏内を一ヶ月以上ストーカーして相手に命の危機を感じさせて精神的に追い詰めたりするような趣味もヒマも特殊能力もないからな。多少は落ち込んだりするだろうが、大の男がそんなことでいつまでもくよくよなんてしてねぇだろ」

「………おっさん、たまに青年がよくわからない……粘着質なのかサバサバしてんのか、マジわかんない…」

 そんなことは通常の思考回路の持ち主ならばしない。発想すらしない。

「おっさんさぁ……本当に、フレンが嫌いなのか?」

 ふむ、実に良い質問である。むしろ待ってましたと喜び踊り、祝杯でもあげたい気分である。ようやく本題に入れる、というものだ。

「いや、別に嫌いとかじゃないよ、ちょいと苦手かなぁってとこはあるけどねぇ…」

「じゃあ何だ」

「一緒に仕事してみて分かったけどねえ、ありゃあ大将やドンとは違う意味で規格外だわ。大将はいかにも貴族の規格外だったし、ドンは無法者の規格外だろうけど、フレンはそういう規格外とはちょっと違うんだよねえ」

「ふうん、何だ、なんだかんだって買ってんだな」

「そりゃあね、あの若さで騎士団長なんてのやっちゃうような若人だもの。ま、青年にも同じくらいおっさんは期待もしてるんだけどねえ」

「年寄りの説教はごめんだぜ。つか、何だ、別に嫌いだとか信仰上の理由で駄目だとか生理的に無理とか死んでも嫌だとか、そういうわけじゃあねえんじゃねえか」

「……あいやその、嫌いじゃあないけど」嫌いではないが嫌いの表現がそれは極端すぎやしないか?怪我にもただの切り傷から命に関わるような大怪我まであるように、嫌いにも幅が在る。今、彼が提示したそれは怪我で言えば致命傷、とか、もう無理だと医師や治癒士が匙を投げるレベルじゃないんだよな、と言っているようなものである。んなわきゃあない。

「はっきりしねーおっさんだな!だから、そこまで嫌じゃないんだろ?だいたい、きっちり断れなかったって時点でおかしいんだよ。オレにこうやって相談してきてるってことは実際は腹ァだいたい決まってんだろ?」うむ、筋が通っているような通ってないような?

「それはどうだろうねぇ…嫌いじゃなあいよ、まあ、ああやってさ、例のプロポーズまがいの脅迫はおいといてもワンコみたいに慕ってくれんのは可愛いと思うし」

「はい、ダウト」

 尻尾掴んだり。まさに、獲物を捕らえた瞬間の猟師の顔。或いは犯罪を犯しそれが完全犯罪たりえた瞬間の犯人の顔。わが野望成就せり!と調子ぶっこいた大将とまるで同じ顔を、このユーリ・ローウェルはしている。大将はその後実にお間抜けな結末を迎えたわけだが(流石に俺もあれをこうして半ばネタまじりに半ば自嘲気味に酒の肴に出来るようにはなっていた)、彼もそうなるのだろうか。できればなって欲しいなどと願ってしまった俺も適度に駄目人間だが、どっちにしても駄目人間同士の会話なのであまり気にしてはいない。

 或いは、ドン・ホワイトホース。彼こそ生まれながらの規格外、人外、想定外と三拍子揃った非常識人間である。さらに悪党でありながら同時に義理人情に堅く、味方であればこの上なく頼もく敵なら最低最悪、まさにキングオブザ外道、死して尚その偉大さは語り継がれ畏怖され続ける伝説の男。そのドンが笑うと、こんな顔をしていた。

「ちょっとまって!今の話の流れおかしくね?だいたい青年、色々なかったことにしたりしてんでしょー!」

 色々、例えばそもそも男同士でどうやって結婚するんだとか。そもそも、俺は同性愛嗜好者ではないとか。だから、例え、フレンが非常に好青年で誰でも魅了してしまうような超人格でイケメンで愛の天使でため息は薔薇の香りとかでも野郎であるというだけで男というだけで御免こうむりたいわけである、何が悲しくて男相手にうふふあははしなければならないのだ。

「おっさん、いいトシなんだし腹ァ括れよ」

 が、にたぁっとそれはそれは人の悪い笑みを浮かべ俺の肩に手を置くその顔が、初めはドン・ホワイトホースのそれ、次は大将のものになり俺のか細い神経をギリギリと追い詰めてくる。ついでにあまり調子のよろしくない胃がビミョウに痛んでいる。括れるような腹がそもそもない。

 蛇に睨まれた蛙の心地とは、まさに、このような心境を言うのか。蛙の知り合いも親戚も友人も恋人もいやしないのだが、今後の参考に少しばかり留めておくとどこかで役に立つかもしれない。一生役に立たないかもしれない。そんな、場違いかつどうでもいい思考で気を紛らわせていなければ、とっくの昔に気絶していたことだろう。

 

 

 

 朝。爽やかな朝日が窓からびりびり瞼を焼いて起床せざるをえないような、一部人種にとっては、その陽光こそ苦々しさをかみ締めつつも心地良さを約束してくれる永遠の安住の地から世知辛く遣る瀬無い現実への一歩なのだ。出来る事ならば、嗚呼、出来ることならば!一日中このまままどろみの中で過ごしむにゃむちゃと窓の外、日が暮れゆくさまを眺めつつ小腹が空いたかなというような時刻に愛らしいボインのおねーちゃん(ジュディスちゃん可)がお手製料理をご馳走してくれたりすると大層有難い。

 出来ればそうありたい。それが理想。レイヴン35歳理想の自堕落生活。

 が、現実は容赦なく頭を揺さぶり中身をシェイクしたあげくお腹のあたりにまでお土産を気前良く残して下さった。一言で言うと胃が痛い。

 ついでに、昨日あの後青年とよくわからない、まったくかみ合わない会話を延々としながら暴飲暴食をした結果、こめかみの辺りがズキズキビリビリと大変しんどい。全身が重だるい。動きたくない。何をするにも億劫であったが、唐突にもよおされた胃袋の反逆にがばと飛び起き、慌てて便所に駆け込む。

 

 げぇげぇと大変なさけない有様で半分くらいは反逆者どもを懲らしめたわけだが、残る半数は未だ撃退ならず。先鋒は撃退したものの、続く第二陣の波は未だ押し寄せては来ない。が、その前兆はおおよそ食道のあたりまで侵略してきており、そろそろ口の中に偵察隊が飛び込んでくるような頃合だろうか……

「レイヴンさん!!」

「うごげごぼほぼぼぼっ!」

 不覚。

 まったくの不覚。第三勢力の登場だ。その、あまりに予期せぬ伏兵に俺は驚き士気は霧散し、戦場は惨憺たる様相を呈している。即ち胃袋の反逆は収まるべきところのみに留まらず、床一面プラスアルファを容赦なく侵略し、その勢力を空調にまで広げんと尚もその手を緩めぬのだ。

「フレン・シーフォォォオオオオオ………」とりあえず、第三勢力をこれ以上介入させぬ行動に入る。見れば、まだ目標は扉付近で立ち往生だ。哨戒任務(要するに見回り)の途中であったのか騎士団長自ら正装でお出ましときた。ならば、それ以上の進入は断固として許されない。絶対防衛ラインはその玄関だ。

「だっ大丈夫ですかレイヴンさん!!」

「大丈夫ですかレイヴンさん!じゃねーーーよっおっさんもう大惨事よってウワッこらっ、入って来んじゃないのぉぉおってああぁああっ!」

 

 

 絶対防衛ラインをあっさりと突破され、気が動転した俺は数々の効果的な対処法を脳裏に描きながらもその何れも実行に移すことはなく、その上胃の反逆による戦火に塗れ、盛大に天井を仰ぎ、視界には素晴らしい火花が散った。

 

 

 ゲロに塗れた上に滑ってコケて頭打って気絶して介抱されてるときの気持ちってどんな気持ち? 

「……ぁあ……ぶざま……」

 気付けば見慣れた天井がやたらと白んで見える。まさに、燃え尽きた、と言うのか。全てが真っ白に、灰になってしまった世界とはこんなにも味気なく、さらさらと全てが流れてゆくものなのか。いっそ記憶も流れてしまえ。ほんの数分前の出来事ですら灰にできるのだというならば、この魂もこの命も灰に捧げて悔いなどなし。

「レイヴンさん!気がつかれましたか!」

 諸悪の根源。

 この世の悪意の集合体。

 愛の天使、冥界の死者、或いは若き騎士団長。合わせる顔がないとはこういうことを言うのである。まったく馬鹿げた話である。

 そもそも、俺がどの程度の時間気絶していたのかはわからないが、衣服は清潔なものに着替えさせられており、体はベッドの上に逆戻りしており、反逆者と壮絶なる戦いを繰り広げた戦場は今やその戦禍はきれいさっぱりと消失し元通りになっている所を見ると、割と長いことトンでいたのかもしれない。いや、重要なのはそんなところではない。つまり、それは、俺が間抜けにも被弾し戦線離脱している間に、その俺に代わり俺を介抱し着替えさせ寝かせて掃除までしてくれたというのか。

 

 この。

 フレン・シーフォが。

 

 嗚呼わかってはいたけれど。

この世に夢も希望も、そんなあまやかなものはないのだ。

 

「あぁ…悪かったね、ヘンなトコ見せて」

「いえ、そんな。もし体調が宜しくないのでしたら、今日一日は休んでいて下さい」今日は特に予定はないはずですからときっぱり言われてしまい、うっかりそのまま頷きそうになってしまうのが、このフレンの恐ろしさだ。本人にその気がなくとも何故かわからぬが意識が捻じ曲げられ、ついつい言うことを信じてしまう、或いは承諾してしまう。これがあるので直接対決は避けたかったのだが……戦争というものは、まったく予期せぬ時に唐突に始まるのだ。

「んー、いや、おっさんのはタダの二日酔いだからさァ…大丈夫よ、そんな気遣わなくても」

「ですが、もうレイヴンさんは公休という事にしてありますので」

「えっなにそれ」

「あ、すみません、何時もの時間になっても登城もされないので、理由もなく遅刻をされる方ではないだろうから、とルブラン達に押し切られてしまいまして…それに、今日は人員にも余裕がありますし、何よりお疲れの様子に見えましたので」まずかったでしょうか?と苦笑されてしまうとこちらとしては言葉に詰まるのだ。

 体調が思わしくないのは自業自得とはいえ事実であるし、疲れているのも事実。とはいえ、その程度が休みをとるに十分な理由であるとは思えない。が、フレンは現在帝国騎士団の頂点に立つ人物であり、俺の数少ない上官でもある――というよりも、俺とその部下数十名を含む部隊はどの指揮系統にも属さぬ特殊部隊であり、要するに騎士団長或いは皇帝陛下が直々に指令を授け動かす、いわばちょっとした独立部隊なのだ。

 その騎士団長が直々に「休め」と言ってきているのであれば、休まなければならない。

「それに、こうでもしないと休んでいただけませんからね」

「……へ?」

「バレないとでも思っていたのですか?」眉毛ハの字にして溜息をつくものだから子供染みた童顔がますます子供じみている。が、これもまたこの男の対全人類に対する天然の策略の一つであり、このような無防備な表情を一瞬垣間見せることで相手の油断を誘い、一網打尽に仕留める魂胆なのだ。ご婦人方相手ならばその撃墜率は更に上がる。ほぼ百パーといえよう。なにせ野郎でも七割はひっかかる。いや、八割かもしれない。兎に角、こうして相対している間は一瞬一秒たりとも気が抜けぬ相手であり敵対すると非常に厄介な人物といえる。

「はぁ…え?何を?」

 所在無げな右手で後頭部を掻いているのは、緊張感をほぐすためである。

 非常にやる気がなさげな応答になっているのは、緊張しすぎて緊張感が鼻から抜けて後に残ったひたすら弛緩し堕落した態度になってしまっただけである。

 対する騎士団長殿は非常にご立腹、というのともまた違うが怒っているのか困っているのか、その中間のような表情でこちらを直視していた。うむ、本日も実に怖い。再三言ってきているが、俺はフレンが嫌いなのではなく怖いのである。

「レイヴンさんは、確かに騎士団にとってもユニオンにとっても大切な人です。あなたがそうして身を粉にして働く理由も、知っているつもりです。ですが、だったら尚のこと、休息はきっちり取るべきですよ。あなたの代わりはいないんですから」

 怖いので失礼だとはわかっていたのだが布団の中からその仰りざまに耳を傾けていたがその件に関しては一切咎められないのでそのままの姿勢で聞いていた。、そうでなければ恐らくこの場からとっとと逃げ出し部屋の片隅でがたがたぶるぶる震えていたに違いない。布団とは人類にすべからく安楽の地を約束する天上の敷布であり最早人体の一部であり、時にこうして自然界の暴威から身を守る役割も果たしてくれるのだ。全く素晴らしい。

 その恐怖のフレンの言い様にしても、真剣極まる様で、真摯な口調で、が押し付けがましさなどは一切なく、言葉の端々には思いやりが込めらておりこれで心が弱い人間相手ならばこの時点で涙腺崩壊であろう。が、こちとらフレン相手に百戦錬磨は伊達ではない。目線を決して合わせることなく、決してその言葉に耳を傾けながらも真剣に感情移入せず、敢えて別のことを考え口笛などを吹いて見る。するとどうだ、その人類皆言うことを聞いちゃえオーラの威力が半減する。ただし、これは俺のように常にその脅威に晒され続けその都度致命傷を負いながらもなんとか生き延びた人間にしか習得できぬ荒業であり、素人が生半可にマネをしてよいものではない。安易に真似ようとすればえてして地獄を彷徨い続ける羽目になろう。

「……真面目に聞いて下さい…」

「あ、ごめんごめん、いや、まあ、でもねぇ、言いたいこたわかるけど、フレンちゃんが仮にそう考えていて、まあ騎士団連中の一部もそう考えてる、って仮定しましょ」

 こんなだが、一応話は聞いている。ちらっと、一瞬だけ(ずっと見ているとフレンオーラにやられてないことないことべらべら喋ってごめんなさいしてしまう)伺いながら、一応それなりに聞いてたよアピールである。

「けどさー、おっさんがレイヴンでシュヴァーンだったってことはもう公にしちゃったワケだし?で、納得いかない連中だって世の中には一杯いるわけさ。今は帝国とユニオンにとって大事な時期だってのもおっさんだって分かるわよ。それにさぁ…」

 おっと、起死回生の策が嵌ったのか。目標は大分様子が変わってきた。眉間に皺を寄せ、呻ってはいないがそれに等しい表情である。これは、或いは一発逆転の最後の機会か。ならばと追撃の手を緩めず二手、三手である。

「フレンちゃん、騎士団長だって同じこってしょ?違うかい?俺よりも無茶してるのはバレバレだし、おっさんソディアちゃんから何度も相談されてるんだよー団長は全く休んでくださらない、って、ね?」

「それは…僕こそ、成り上がりで利用されていた騎士団長ですから、人一倍働かなければ示しがつきませんし…」

「なら団長付なおっさんだって同じことだよねえ」

「え、は……え?」

「ありゃ、気づいてなかった?シュヴァーンを死なせてレイヴンを強制的に騎士団内部に拘束するような無茶苦茶な人事を評議会に納得させて、あげくユニオンと帝国の間でテキトウにブラブラ出来る便宜図ったのが誰かくらい、おっさんわかってるんだけどなー」

 うむ、実に見事に形勢逆転也。少しばかり愉快な気持ちになっていた俺は、ここで、とんでもない過ちを犯した――といっても、その事に気づいたのはすっかり事が済んでからであったが。

 むう、と黙りこくった目標、フレン・シーフォの鼻っ柱を思い切り指先で押してしまったのだ。

 いや、それは殆ど条件反射といってよいものである。飼い犬の鼻を思わず押してしまった経験のある人間には、たぶん理解してもらえるのではないかと思う。この時の俺の心理状況を説明するにはそれが最も的確なのだ。

 つまり、好奇心という最も抗い難い衝動と必死に戦い続けたあげく、最後の最後で敗北を喫してしまったのだ。

「……レイヴンさん、痛いです」

「あはは、ちょっと面白くて調子に乗っちゃった~」

「い、いえ、その、別に、構わない、のですけど…」ボソボソっと呟きながらぷいっと今度はフレンが目を逸らした。その瞬間、俺は思わず心の中でガッツポーズをしていた。実際に、しそうになった。完全勝利だ。この俺が、不倶戴天、同じ釜の飯を食うなどとんでもない、一方的に回避し続け恐怖を細々と心の中で熟成させ続けてきたこの最大最強の敵であり同時に決して越えられぬ壁であり人生のラスボスであったフレン・シーフォに完全勝利したのだ。

 これが完全勝利と言わずしてなんと言おう。目を逸らし、なにやら未だにボソボソと呟きながら頬を染め…そ…め…?

 ………なにやらそのリアクションは少しばかり想定外であるのだが。が、そのような些細なことなどは、この偉大なる完全勝利の前には微々たるものだ。

「ま、兎も角今日はお言葉に甘えさせてもらうとするわ。自業自得とはいえ、しんどいのは事実だしね」

 勝利したからには勝利の美酒を味わいたい。というわけで、さっさと自分の領域(布団の中)に戻ることにした。迅速なる撤退もまた重要である。必要以上の疲労は、今のコンディションには好ましくはないのだ。

 ゆえに、決して忘れてはならぬ一言を付け加えておかねばならなかった。

「あっ、か、看病とかはしなくてもけっこーだからねっ、おっさん、別にお腹とか空いてないっていうか食う気起きねーっていうか」

 フレン作スペシャル料理の破壊力は身体が覚えこんでおりそれがまた恐怖感に繋がる一つの理由であった経験から思わずそんな言葉が飛び出てきたのは当然と言えよう。

 あれは最早毒物である。自然界に存在してよい代物ではない。むしろまずい。帝国評議会は早々にアレを台一級指定毒物に認定し、あらゆる人間がアレに近づかぬ便宜をはかるべきである。それは、人類が生きながらえる為には必須であろう。

 が、毒物はおいておいて少し待て。

 そもそも看病ではない。たまたま、様子を見に来ただけなのだ。多分。いや、そうであってもらわなくては精神衛生上好ましくはない。昨日のあの出来事を思い出すと甚だ不用意な発言であったか、などと、少しばかり肝が冷えてきた時既に遅し。

「そうしたいのは山々なんですが…いえ、レイヴンさんがそのようにどうしてもと言われるのでしたら、頑張って仕事を早めに切り上げてきます!」

 やはりフレンはフレンであった。

 この話の通じなさである。こちらの都合をきっちり汲み取って頂きたい。来なくてよいということはイコール来なくてよいのだ。他意はない。これっぽっちも、ない。別に看病して欲しさにそんな言葉を述べたわけではない。むしろして欲しくない。というか看病という体調を崩し不調に苦しむ病人或いは怪我人が十分に休息できるようにとあれこれ世話を焼き気を遣い時には心細くならぬようにお喋りなどに花を咲かせてくれる相手を望む心理を巧みに利用した罠であるとしか思えず、つまるところ俺がそのような不本意な発言をしてしまった事が間違いであった。

 断じて、俺は、看病を望んではいない。

 いや、これが例えばかの魅惑的な肢体を持ち同時に淑女然とした槍遣いのクリティア娘であったりすればまた話は変わる。むしろ、大いに看病して下さいとこちらから頭を下げにいってもいい。少しばかり世間ズレしたお姫様でも、同じことをしたであろう。魔導少女はそもそもそのような無駄な労働を好まず、心臓魔導器の不調だと断定しメンテナンスを開始しそうなので論外。海賊少女は想像を絶するので省略。

 何れにせよ、この、まさに天使の笑みで死神の鎌を惜しげもなく振るう人生のラスボスには、あまりやって欲しくはない行為であった。

 

「あ、それから果物買ってきてありますから、もし食べられるようでしたらお腹に何かは入れて下さいね」

 が、フレンはそんな俺の胸中にさっぱり興味なく気にした様子もなく、惜しげもなく老若男女を魅了し魅了しすぎて失血死或いは高血圧が悪化しそうな満面の笑みを振りまく。

「では、今日一日、ゆっくり休んで下さい」

 一瞬怪訝そうに眉を潜め、心の底から労わるような、その、人類平等愛に溢れすぎる決して直視してはならぬと死んだ祖父から常々言い聞かされてきていた、その、顔を、俺は、どうしたことか、目にしてしまった。

 正面から、布団の隙間から、己のまなこに、焼き付けて、しまった。

 ぽきん、と、心の中で何かが可愛らしい音を立てて壊れた。

 或いは、俺の最後の矜持が死神の鎌により刈取られた瞬間か。

 ぺこりと礼儀良くお仕儀をして立ち去る(なんで上官がまるで部下みたいな態度なのかというとこれは色々な理由があるのだがそれを説明している精神的余裕は今の俺には皆無である)背中をぼーっと、布団の隙間から眺めていても、ぽっきりと折れてしまった矜持は元には戻らない。そう、例えば十七歳の夏が決して戻らぬ輝かしくも切ない残滓であるのと同じように、決して元には戻らない。

 例えばこれがジュディスちゃんなら。

 例えばこれが嬢ちゃんだったら。リタっちなら。パティちゃんなら。

 はたまたカロル少年であったなら。

 俺は、ここまで精根尽き果てて真っ白になってはいなかっただろう。

 これがユーリだったなら、恐らく何事も無かったかのようにその好意に甘えるだけ甘えて釘をさされていたことだろう。

 が。

 そうではない。現実は決して容赦せず、攻めの手を緩めることを知らぬ、冷徹非道の輩である。

 にも関わらず、考えてしまったのだ。嗚呼、確かにこんな状況でたった一人こんな場所に取り残されるのはひどく心細い、などと。

 だから、誰でもいい、そう今まさに立ち去ったフレンでもいいから、少しばかり、本当にもう少しばかり、そこにいて欲しかった、などと。

 数日前、否、数分前の俺ならば、決して考えなかったであろうなんとも無様でみじめでどうしようもない考えを、今の俺は諦観とともに抱いていた。折れてしまったものは、決して元には戻らない。

立ち去ろうとする瞬間のあの表情、決して見てはいけなかったもの或いは関心を抱いてはいけなかったものに、不可抗力で、逆らえず、見てしまった結果。

俺の心の中には大嵐と大雪と砂嵐がいっぺんに吹き荒れた。

「フレンちゃん…あんたなんで男なんだよぉおおお……これで……これで女の子だったらおっさんちょうハッピー万事オッケーフルスロットル全快お仕事しゃかりき百万馬力でばりばり頑張る気になるのに……ッ!」

 悔しさのあまりベットの上でがばっと起きて二日酔い中年らしからぬ気合で喉がびりびりとしびれるまで絶叫した。

 余韻に歯軋りするほどに、絶叫した。

 もがいた。布団を両手で掴みばたんばたんと乱雑に扱いながら呪いの言葉を吐き続けた。

 と、次の瞬間頭を鈍器でがっつり殴られたみたいな痛みに襲われ、結局、その後暫く布団につっぷす羽目になったのだ。

 

 

 腹は痛い頭痛は痛い、心臓(ないけど)も痛い。わけのわからん暴れ方してもうなんか布団周辺もぐちゃぐちゃでなにもする気にいならない。

 何よりも何だかありとあらゆる事象現象怪奇現象がぐるぐるととぐろを巻いている。鼻から入った空気が頭の中でごちゃごちゃになって耳から抜けてゆく。俺の人生がどんどん空気に溶けてゆく。反逆者どもがどんどんと空調を占領し思考へ侵入し意識をのっとりぐるぐる、ぐるぐると螺旋階段を昇る。そのままいったいどこへ行くのか、昇っていたと思ったそれは実は奈落の底へと続く階段か。

 ふと何の変哲もない使い古しのテーブルを見てみてば、おそらくは下町の朝市あたりで買ってきたような不揃い林檎がごろんと幾つか転がっていた。

 食べて下さいね、だなどと爽やかに言い残しておいてこれである。せめて剥いていけ、いつでも食べられるように。今ここにはいない相手に些か自分本位の不満を心の中だけでぶつけ、食物を目の当たりにしたことでいささか調子を取り戻したであろう腹が切なげになってきたものだから、なんとなく手にとって袖でちょいと拭ってみると、ふわっと香る甘酸っぱい匂い。

 同時に腹は唐突に、精一杯に限界を告げるように敗北を宣言した。同時に、食欲という生物が絶対に逃れられぬ因果が俺の意識を奪い、目の前のそのまま食すには多少の問題はあるがかといって食えないわけでもないものを、口に含んだ。

「ん、ウマイね」

 鮮度もよく歯ごたえも良いから恐らく今朝早くに収穫し市場に並べたものであろう。

 その上貴族街で出回るような甘さが強調されたような改良品種ではないので酸味が結構残っており、個人的にはこの、安く出回ってる真っ赤で小さい品種を俺は好んでいる。

 彼にそんな話はしたこともなかったし、単に顔なじみの店で買ってきた、程度の事なのだろうが。

 時間は、昼を少しばかり過ぎたあたり。昨晩の食い物は全て反逆者に刈取られ、朝食は食べる気力なく、ゆえに俺の腹はすっかりがらんどうで詰め込まれるものを待ちわびていたのだ。

林檎を齧りながらなんとなくベッドにごろんと転がり、見慣れた天井見ながらシャクシャク小気味良い音と口の中に広がる甘酸っぱさをかみ締める。

 たまにはこういうのも、よいものだ。

 最近はこうして何気なくぼんやりと過ごしたためしは、そういえばなかったかもしれない。ゆえにできれば日向でごろりと寝転びたかったのだが、体調不良を理由に休んでいるのに流石にそれはマズイだろう。

 気づけば頭痛その他は大分良くなっていたし腹も落ち着いてきている。

「いい子なんだけどねえ……たまに話聞いてないけど」

 林檎はきっちり芯を残して食べてしまった。

「嫌いじゃないってのもウソじゃあないし」

 なんとなく手持ち無沙汰なので指をしゃぶってみてる。

「……段階五段階くらいぶっとばしちゃてるからなあ」

 いや、そもそも段階がどうとかそういうものではない。

 が、あの唐突すぎる意思表示、あれは本人は結構いろいろ考えた結果ではないのだろうか。ふと、そんな事を考え出した。

 立場とか、そうしたものに関しては人一倍理解しているだろう。

ゆえに、余計に理解出来ないのだ。何ゆえにこの、自分で言うのもなんだがぱっとしない、決して格好良くもない、さえない中年の俺なのだろうか。惚れるのに理由などはないなどと言われてしまえばそれでおしまいの話かもしれないが、疑問は疑問である。まして、俺はあまり人様に好かれるような立派なことをしてきていない、むしろ逆の人間であるからして。

 そして困ったことに、彼を説得するような言葉が、出来るようなご立派な理論が、俺の頭の中にはこれっぽっちもないのである

 

 それからフレンが尋ねてきたのは結局夜も大分更けてからだった。晩飯を作ると言い出したから慌てて止めようとしたのだが、シンプルに塩と鶏出汁と卵を加えただけのおじやで食しても全く問題はなかった。

 

 そして数日、約一ヶ月程は通常通りであった。

 

 例のアレに関しても、あれから騎士団長が何か言ってきたなどというようなこともなく。

 実に平和に忙殺される日々であった、わけなのだが。

 

 そうは問屋が卸さない、と誰かが言う。その誰かとは誰なのか。あの世からこっそりと様子を伺ってにやにやしている大将やドンあたりが有力候補なのだが、仮に違っていた場合天罰を喰らいかねないので心の中で考えるだけに留めておこう。断定はすまい。

 

 その日も、いつも通りの時間に起きていつも通りの時間に城門をくぐり、いつも通りルブラン達にてきぱき指示を与えていつも通りにブラついていた。これがレイヴンの仕事パターンその一、である。

 なにやらぱたぱたと駆けてくる音が背後からする。すわ刺客か!と周囲の柱に身を寄せようにも生憎それに適したような作りの場所ではなく、せめて背中からばっさり、だけは免れんと振り向きざま―――

「あ、レイヴン!よかった、こんな所に居たんですね」

「あ、あれっ?嬢ちゃん?」

「はい?あの、レイヴンどうかしたんです?そんなにコワイ顔をして…」

 普段の行いその他が祟ってつい刺客が奇襲してきたのかと勘違いしちゃいましたぁ☆と誤魔化すには相手が悪い。辞退はしたもののかつての皇帝候補様にそのような勘違いをカマしたとばれたらどうなるか。お縄頂戴である。牢屋である。クサイ飯である。その程度で済めば御の字である。

「あ、いや、ちょっとね、…て、どしたの?今日はお仕事じゃ…」

「これもお仕事の一環なんです?…ん?あ、と、兎に角、今すぐこっち来て下さい、大切なお話あるんです…!」言いながら既に俺の手をがっちり握り締め、引っ張ってゆかれる。あまりに唐突でかつ謎のその行動に俺は逆らえない。逆らえるわけがない。何せ相手は以下略であるからして。「嬢ちゃんちょっと待った待った!ど、どゆことなの?」

 問いただすと彼女ははて?といわんばかりに首傾げてこっちを眺め、何度かの瞬きの後一人で納得したようにぽん、と両手を合わせて指先を唇に当てて屈んだポーズをして一言。

「それは、秘密、です」

 見ているこちら側がその場に思わず軟体動物みたいにヘタレてしまいそうになる、弱体化電波でも発信しているのではないかというほどの愛らしく無垢な笑み。

が。

そこはかとなく不穏な空気がそこからかしているような気がするのは、気のせい、であれば、よかった。

 

「こっち、こっちですよレイヴン!」

 そして連れて行かれた場所こそが、俺の人生はまさに戦場と豪語して然るべきような、まさにドンパチ真っ只中であったのだ。

 

 

 状況を説明しよう。

 戦場は、帝都ザーフィアス城内にぽっかりと存在している中庭。中央部分には噴水と花壇が配置され、敷き詰められた白い石畳ときっちりと刈取られた芝生の調和は見事といえる。さり気なく咲き乱れる花々は城内に勤める全ての人間の張り詰めた空気を和らげるべく甘く柔らかな香りを精一杯に振りまき、周囲の回廊に午後の日差しとともにおだやかな空間を提供してくれる。

 敵は、ただ一人であった。

 単身、この戦場に乗り込んでいた。

 正確には第三勢力が敵の周囲を取り囲み、彼らは無言のうちに結託しこちらの行動を監視、妨害しようとしているようだ。

 敵は、まだこちらを認識してはいない。これは都合通い。仕掛ける、というよりこの場合は逃亡すべきところである。触らぬ神に祟りなしという言い回しを何かの書物で見たことがある。神、とは何を指し示すかいまいち理解に苦しむのだが、大将やドンクラスで恐ろしい存在であろうと俺は解釈した。即ち、触らぬフレンに祟りなし。

 が、すぐさまその浅はかな考えを撤回せざるを得ない状況になってしまった。敵の攻撃の第一波が、既に放たれたのだ。

「好きなんですレイヴンさんっ」

 容赦のない、慈悲のない、これっぽっちもない、非常な一撃が俺の心臓(のあったところ)を抉る。あまりに唐突なその一撃に、俺はその場に固まってしまった。足が床と同化現象を起こし始めたのである。

 ふと見れば、俺を戦場へと導いた戦女神が微笑んでいた。

「ふふっ、フレンが大分悩んでいたみたいなので、私、アドバイスしたんです」にっこり笑いながら手を叩く、それはそれは楽しげなその少女の、背後には。

「よおぉ、おっさん」

 ところ構わず出現するアレがいた。

「なんだかフレンの奴がな」「ああもう聞こえなーい」俺がそんなふうに半ば強制的に戦線離脱せざるをえない(というよりも参戦出来ない)状況であるのをよい事に、レンジ外からさらに追撃が来る。

 避けられるわけがない。耳を塞ごうにも、体は既に床と同化しかけており動くこともままならず、この場にいる二名は味方のようで味方ではない、ゆえに、無慈悲で容赦のない全力攻撃に晒される羽目になったのだ。

「好きだーーっ!愛してるんですレイヴンさーんっ!」

 嗚呼、それはいったいどこへ向かう叫びであろうか。

 周囲に人垣を作る第三勢力は、その攻撃を防ぐわけでもなく、拡散するわけでもなく、いったいこれからこの若き帝国騎士団長が何を仕出かすのか、何を目的にこのような茶番劇を開始したのかを固唾を呑んで見守るのみ。最初からアテには出来ないと思っていたが、まさかここまでとは。

「シュヴァーン隊長の頃から好きでした!いえ、好きなんていうものではありません…レイヴンさんの事はもっと知りたいんです!レイヴンさんの事はみんな、全部、知っておきたいんですっ!」

 ひどい攻撃だ。

 まったく、ひどい攻撃である。俺はただひたすら、耐えるしかないなどとは。既に全身は傷らだけであり、疲労も出始めている。が、この程度のダメージでは済まなかった。

「レイヴンさんを抱き締めたいんだ!潰してしまうくらい、抱き締めたーい!雑踏の声なんか、ざわめきなんてもの、心の叫びでかき消してやるっレイヴンさんッ、好きだ!好きです!」

 

「レイヴンさーーーん!愛しているんです!僕のこの心のうちの叫びを、聞いてくださいー!レイヴンさーん!

 騎士団に入ってから、シュヴァーン隊長、レイヴンさんを知ってから、僕は貴方の虜になってしまったんだ!愛してるってこと!好きだってこと!僕に振り向いて下さい!」

 

「レイヴンさんが僕に振り向いてくれれば、僕はこんなに苦しまなくってすむんです。適当でデタラメだけれど本当は優しい貴方なら、僕の心のうちを知ってくれて、僕に応えてくれるでしょう僕は貴方を僕のものにしたいんだ!その気高い心と美しいすべてを!」

 

「誰が邪魔をしようとも、奪ってみせる!たとえそれがユーリであったとしても恋敵がいるなら、今すぐ出てこい!この騎士団長フレン・シーフォが相手になってやる!」

 

 そろそろ戦術的撤退を考えねば、部隊は全滅である。

 が、如何せん、この足はすっかり竦み心はすっかり萎え、床と誓いのキスを何時までも続け抱擁を止めぬ足の裏はびくともしない。

 

「でもレイヴンさんが僕の愛に応えてくれれば戦いません、僕はレイヴンさんを抱きしめるだけです!貴方の心の奥底にまでキスをします!力一杯のキスをどこにでもここにもしてみせます!」

 

「キスだけじゃない!心から貴方に尽くします!それが僕の悦びなんだから、喜びを分かち合えるのなら、もっと深いキスを、どこまでも、どこまでも、させてもらいます!」

 

「レイヴンさん!貴方がゾフェル氷刃海の中に素っ裸で出ろというのなら、やってもみせる!」「どっからもってきたんだそんなとんっでもねぇせりふぁあああああ!」

 

 文字通り乾坤一擲の一撃を放ち、そして、俺は、その場にべしゃりと崩れ落ちた。

 

「レイヴンさん!!会いたかったんです!」

 嗚呼最早どうにでもなれ。俺は既に灰になった。俺という存在はもうここにはない。ここにあるのはレイヴンという名のぬけが…いや、レイヴンはレイヴンだ。シュヴァーンでもダミュロンでもなくレイヴンである。そのレイヴンが灰になったということは、では俺はいったい何か。何だろう。ふむう、我が事ながら実に興味深い。

「知ってるよっおっさんは会いたくなかったわよっ少なくともこんな状況でっ」

 とりあえず無駄とはわかりつつも抗議の姿勢を見せるが、既に勢いづいた敵勢力を覆せるはずも無く。

「レイヴンさんっ!」

「ぐへっ」ぎゅううううっと鎧と篭手でついに篭絡される。

「え、で、では、その、二人きりなら…」距離数センチのところでぽっと頬を染められてへにょっとした顔でそういうこと言われたところで、元レイヴンの灰としては今すぐ正真正銘の灰になってしまいたい。そして二度と復活しなくてもよい。

「もっと良くねぇえええええええ!!だいたいおっさ」「レイヴンさん!あの!実は順番を間違えていたなと思いまして、本当は先に、告白をきちんとすべきだったんですよね、なので。その…」

「だからってこんな衆人環境でこっぱずかしいせりふ絶叫する人がおりますかっ!」

「でも僕はレイヴンさんの事が好きで好きでたまらないんです!三十路だとかフケが汚いとか年齢の割に親父臭いとかそんな他人の評価なんか関係ないんです!好きで好きで、本当にたまらな」流石に、これ以上死人に鞭打つマネをして欲しくはなかったというか聞いていると憤死しかねないので、まさに火事場の馬鹿力窮鼠猫を噛む、その恐怖の口を押さえつけ、強引にひっぱり、戦場から強制的に撤収である。

 全く被害は甚大だ。

 我が軍勢は壊滅的打撃を蒙った。

 苦渋の表情のまま、対照的にきらきらした騎士団長殿を引きずってく光景の異様さも相まってか、すれ違う連中は皆こちらを見てささやき笑い、若いメイドはわざとらしく頬染めてチラチラ見てくる。

 

 完璧に終わった。完敗。その、無慈悲な文字が絶望とともに脳裏をずぶずぶと占領してゆく。

 

 敗北感と羞恥と憤怒と諦観がごちゃごちゃと混ざったものが体中をくまなく巡回していながらも、俺はなんとか最後の砦、己の執務室へと完全勝利を成し遂げたソレと共に帰還した。これが捕虜にとったというのならばそれは心地よいのだが殆ど逆である。敵は抵抗はせず、大人しく連れ込まれた。それはそうだろう、何せこの上なく完璧に勝利したのだから。

「フ、レ、ン、シー、フォ!そこに気をつけ!」

「はいっシュヴァーン隊長!…じゃなくてレイヴン隊長!」

 些か冗談交じりに、腹いせに、シュヴァーン時代を灰の記憶からひっぱりだして再現してみると面白いようにひっかかった。……それがまたいっそうこの敗北感を増長させ、いたたまれなさが加速する。

「…あいや、そのボケはもういいよ……じゃなくってさ……ったくどういうつもりよ、あんな…何?ありゃ、どういう意図なんだい?」

「は、いえ、ですから、順番が間違えていたかなぁと」

 ちらちらと目線をそらしつつも申し訳なさそうにする様はなるほどご婦人方が騒ぐのも納得である。完全敗北を認めた俺は、少しばかり冷静に向き合う心の準備が出来ていた。死刑執行台を目の前にした死刑囚も多分同じような気持ちだろう。覚悟を決めた後というのは、何故か無駄に心が広くなったりするものだ。

「うんそりゃ聞いたわ。で、なんだってあんな衆人環境で絶叫大会してたのかっつー話。それとも、騎士団内部では告白大会でも流行ってんの?」

「流行っていると言いますか…とりあえず、僕は半ば公認騎士団長ですから」少しばかり補足、この半ば公認というのは、評議会一部連中が未だ大変くだらなく無意味で無益で無駄な政権争いを水面下でチャンチャンばらばら繰り広げている結果、新任騎士団長に下町出身の馬の骨をあてがうとは何事かなどとまた前時代的な、大将が既になくした過去の遺物に縋りぎゃあぎゃあと喚いているからである。「やはり、騎士たるもの惚れた相手にはどうどうと想いを、まず、伝えるべきだと思いまして!」

 この、空気感。空気が圧迫されて上下左右からどんどんと濃度と重さを増して押し潰しにかかってくる感覚。きっと理解などはしておるまい。頬を染めてきらきらと輝くような愛の天使に、無様な敗北者の気持ちなどは。

「…いや、だからって別に、……直接俺に言えばよくね?」

「それは一度考えたのですけど、意外性もないし至って常識的なので止めました」

「いやそこはちがうだろーーー騎士団長的に!立場考えて!わきまえて!常識を考慮して!ねっおねがいだから、法の遵守を何より尊びながらも帝国の腐敗と横暴に毅然と立ち向かう、苦悩の若き騎士フレン・シーフォはどこいったのおおおおお!!!」

「え、はい、ここにいますけど」

「ちっがーーーう!」

「じゃあなくて……えっと、何だっけ、あー…いや、理由はわかったよ理由は。でもさ、肝心なこと忘れてやしないかい?」

「肝心なこと、と仰られますと?」

「……わからない?」

「はあ」

「ほんとにほんとーーーに、ぜんぜんわからな……」そこで唐突に妙な、しかしただならぬ違和感を感じて、ふと窓の外(フレンが突っ立っている後ろ)に目やり危うく失神しかけるところだった。

 いや、心臓魔導器は確実に一瞬止まった。絶対止まった。意外と柔軟にできてるのだ、これは。

 ではなく。…やばい、ゴキブ青年があそこで監視しているということ即ちここでフレンにごめんなさいしたら俺は多分死ぬ。死にたい死にたい連呼してたがあれは本気で殺害してほしいと望んだ心の声というものではなく程度、例え、というような類の表現でありだが確かにあの瞬間は死んだほうがマシだった。

「わから…あぁ、あのさ、普通に考えてみて、フレンちゃん。結婚ってのは、そもそも男女の間でして然るべきよね?」

「はい、そうですね。そうじゃなくても問題はないようですけど」

 ここで戸惑ったら負けだ。恐らくこれは罠だ。

「で、結婚を前提にしたお付き合い、てなったら、やっぱ男女の間で成り立つべき事柄ね?」

「まあ、凡その場合はそうなると思います」

「でしょう。なら答えは簡単。フレンちゃんは男。おっさんも男。男同士。同性同士で結婚だのお付き合いだのってのはねーでしょーが」

「法律上は問題ありませんよ」

「………はぁ?」

 

「同性婚を禁じることを明記した文章は、今の帝国の法律にはないんですよ」

 

「………あのそれもしかして、明確に禁止するとかかいてないからいいよねっていうナナメ上理論…」

「でも、書いてないんですから禁止されているわけじゃないんですよね」

 さりげに同意を求められているが頷けるわけがない。 

「そいつは屁理屈でしょうがっ!法律に書いてなくとも生物的な常識!むしろ仕様!」

「でも、しょうがないんですよ。僕が心の底からこの人と一緒になりたい、共に在りたいと願った人が、たまたま男性だったんですから」

「いやそこはもうちょい葛藤しようよ断言しちゃだめよ」

 敗北者の心に更に追撃を加えるこの無慈悲さその手腕たるや、流石帝国騎士団長というところなのか。大将がその後任になどと吹いていたのはあれは要するにフレンのこういうところを実は理解していたからなのだ。今、わかった。どちらも、徹底して敵を滅ぼす。完膚なきまでに叩き潰す。容赦などはしないのだ。そこに妥協は許されないのだ。 

「……会話が通じないもどかしさとか、言ってる意味がわからないとか、頭痛が痛いとか胸の奥が常にずきずきと針でつきさされているように痛むとかフレンちゃんのこと考えるととんでもなく落ち込んで地面の中に首から下全部埋まってるような心地とかこりゃあなんだ病気か……胃がねじくれて中身をぶちまけそうになるとか、どんな病気だよまじで……」

「それはきっと恋ですよ」

「ぎゃひっ!」

「……調子はどうですか、レイヴン?」

「ひっ、はっ、すっ、すこぶるわるっ、いやっ、あ、多少問題はありますがだいたい問題はありませんですはいぃっ!」

 何ゆえ、この国の皇族という皇族は(該当者は今の所二名だけ)気配を殺して忍び寄るという間諜必須の特技を身に着けているのか、疑問である。或いは暗殺者の企みから逃れるため、毒を喰らわば皿まで、いやそれは少し違う、目には目を、歯には歯を…、というやつか。

 一体、何時侵入していたのかもわからぬ、気配をその直前まできれいさっぱり殺していたかのヨーデル皇帝陛下が悪魔の笑みを浮かべてそこにおられる。

 完全敗北どころでは済まないのではないか。不安を通り越したもう負の感情全てが、どっと、押し寄せてきた。

「そうですか。それはよかった」

「はひぃ……」

「皇帝陛下!どうしたのですか?」

「ああ、いえ、少しばかり疲れてしまったので、気晴らしです」

「そうでしたか…でしたら、予め仰っていただければ」

「それでは、皆を驚かせたり何時もの様子が伺えないじゃないですか」

 

 それは、恐怖であった。

 或いは、絶望かもしれなかった。

 というか、もう、どうでもよかった。

 ………男レイヴン35歳。このときほど、無様に涙と鼻水とその他を垂れ流したことはなかった。

「レイヴン……何を壁相手にすがり付いて泣いているんですか。折角フレンとの交際を認めようと思っているのに」

「は」

「へ」

 何故かここに来て俺とフレンと、見事に息を合わせたハーモニーが一瞬、奏でられる。好敵手は最大の友であるという言葉通り、いざとなれば驚くほどに息が合う。そんな間柄に、いつの間にかなっていたとでもいうのだろうか。

 ヨーデル皇帝陛下はにこにこと、それは楽しげに微笑んでいたかと思えば、急に姿勢を正してじっとこちらを見詰めてくる。その瞬間確かにこの、いやヨーデル皇帝陛下は帝国を統べるべき人間なのだというようなそ空気を纏っており、二人ともそんな空気に呑まれてか思わずぴしっと背筋を正していた。

「確かに同性同士というのは、多くの一般的な場合と異なり、その分障害や苦悩も多かろうと思います。それでも、恋し想いを交し合うもの同士の心を、ただ一般的ではない、などという先入観や偏見だけで否定するような人間に、私はなりたくはないのです」

 

 ここに既にたいそう悲劇的が誤解が生じていた。

 

「皇帝陛下……」

「フレン、それからレイヴン。二人とも、頑張って下さい」

 

 

 

 こうして、現帝国において最高権力たるヨーデル皇帝陛下のお墨付きやら青年の無言の圧力やらなにやらがあり、俺とフレンは事実は兎も角社会的に結ばれちゃいましたとさ。めでたしめでたし。

 

 

「ってぜんぜんめでたくねーーーーーっ!おっさん認めないっ認めないからねっおっさんは女の子が好きなんだよーーーーーっ!」

「大丈夫ですレイヴンさん、もしレイヴンさんがお望みでしたら僕、コスプレでも何でもしますから!」

「そういう問題じゃねーでしょっ涌いてるのはこの頭かこの頭の中身かちくしょう!!」

「レイヴンさん乱暴にしないで下さい!痛い、痛いです!」

「痛くもするわドチクショー!なんだっておっさんが野郎と結婚を前提にお付き合いしなきゃならないんだよー!そりゃ確かにフレンちゃん見ようによっちゃ可愛いとこもあるし黙ってれば美形だし性格…はいいや出世頭だし結婚相手としちゃあ理想的だけどさっ」

「レイヴンさん……!僕を、僕のことを認めてくれるんですね……!」

「ちっがーう!認めてなぁああい!」

 

 


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