No.210646

真・恋姫†無双~恋と共に~ 外伝:最初の出会い

一郎太さん

外伝

2011-04-08 19:43:16 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:11640   閲覧ユーザー数:7750

 

最初の出会い

 

 

 

俺と彼女の出会いは高校2年生の夏休みだった。物心ついた時からずっと剣術を続けていたが、師である祖父以外とも仕合をする為に、大会に出ない事を祖父からの条件として中学高校と剣道部に所属していた俺は、その日も1日部活に精を出していた。

 

「それにしても、相変わらず北郷は強いな。どんな修行をすればそんなに強くなれるんだ?」

 

部活の休憩中、水飲み場で涼んでいると部長をしている不動先輩が声をかけてくる。自分で言うのも厭味な話だが、俺の相手を出来る人間はこの学校の剣道部にはいなかった。顧問の先生ですら倒してしまった俺は、ひたすら指導する側にまわっている。午前中も1年生とそれぞれ試合をし、改善点を指摘していく。そんな日々だった。祖父以外に実力を拮抗させるような相手もいないのに部活を続けていたのは、言ってしまえば惰性以外の何ものでもなかった。そんな俺の心情を知ってか知らずか、不動先輩はこうしてよく話しかけてくれる。

 

「特別な事はしてませんよ。ただ俺が他の皆よりも長く剣道を続けている、それだけの話です」

「君のは剣道ではなく、剣術だろう?」

「………まぁ」

 

道着姿のままタオルをスポーツタオルを首にかけ、俺の隣に腰掛けてくる。彼女も他の部員たちと同じくらい動いている筈なのに、不思議と汗の匂いは感じない。

 

「ちなみに北郷流ではどんな稽古をしてるのかい?」

「特別な事はしていませんよ。ただひたすら祖父と仕合をし続けるだけですね。力が拮抗していた時は最長で半日続けていたこともありますけど」

「………それだけ剣を振るえるだけで君の凄さがわかってくるな」

「ただの慣れですけどね………」

 

俺は自嘲気味に呟くが、彼女はそんな事は意にも介さずに立ち上がると、練習を再開しようと剣道場へと戻っていった。

 

「………さて、次は3年だっけか」

 

これから仕合をする先輩たちの力量を思い出しながら俺も道場へと戻る。部活終了までには、しばらく時間があった。

 

 

 

 

 

 

部活も終わり、夕暮れのなか俺は一人家路を歩く。他の部員は別方向だったり電車通学だったりと、俺と同じ方向に帰る人はいなかった。そして、いつも通りに川沿いの土手を歩いていると、フランチェスカの制服を身に纏った姿を土手の下に見つけた。いつもならそのまま通り過ぎて家に帰るのだが、その日の俺はそれをしなかった。どうにもその背が、とても儚げに見えたからだ。

土手に設置された土と木の階段を降り、その影に近づく。その後ろ姿に見覚えはない。近づくにつれて、その姿が露わになっていく。真っ赤な髪に、褐色の肌。夏服の袖から見える腕は細く、いまにも折れてしまいそうだ。

 

「………何してるんだ?」

「………」

 

俺はその2メートルほど後ろに立ち、声をかける。その子は答えない。

 

「部活帰りか?」

「………(こく)」

 

無視される事を前提でかけたその問いに、意外にも少女は頷いた。

 

「隣…いいか?」

 

首肯。許可を得た俺は、道着の入った袋を地面に置き、彼女の隣に腰掛ける。横を見れば、美少女と言っても差し支えのないその顔は、光の加減以上に、とても暗い。

 

「帰らないのか?」

 

首肯。彼女が何を考えているのかはわからないが、どうやら帰りたくないらしい。

 

「何かいやな事でもあるのか?」

 

逡巡。彼女は肯定も否定もしない。俺にはそのまま彼女とのコミュニケーションを諦めて帰るという選択肢もあった。しかし、何故だか俺は、その場に残るという選択をする。

 

「悩みがあるなら聞くぞ?」

「………お腹、すいた」

 

この時、俺はようやく彼女の声を耳にした。その姿と変わらず細く、そして頼りない声。

 

「家でご飯は食べないのか?」

 

否定。だが、首を振るまでにいくらかの時間。

 

「………朝は何を食べた?」

「…パン」

「だけか?」

「…ん」

「昼は?」

「………(ふるふる)」

 

そりゃお腹も空くわけだ。

 

「部活は?」

「…陸上部」

「お弁当とかはなかったのか?」

「………」

 

彼女は答えない。頷く事も首を振ることもせずに、そのまま膝を抱いている。その後もいくつか質問をしてみたが、それ以降彼女が答える事はなかった。

 

 

 

 

 

 

翌日。俺は部活の休憩中に、グラウンドを訪れた。俺のいる反対側ではサッカー部が練習をし、その向こうにはテニスコートも見える。俺は、陸上部を遠巻きに眺めながら目的の姿を探した。

 

「………いた」

 

そこにいたのは、体操服を身に着けてストレッチをする昨日の娘。スカート以上に丈の短いハーフパンツから伸びる脚は、腕と同様に細すぎた。どうやら彼女は短距離の選手であるらしい。タイムを測るのか、数人でトラックに並ぶと、笛の合図と共に走り出した。

 

「速い…」

 

その走る姿は、美しく、そしてその身体の細さからは想像もできないほどに、そして昨日の姿が嘘のように力強かった。だが―――。

 

「………?」

 

ゴール直前で減速してしまう。それでも他の選手よりもはるかに速いのだが、その姿はやはり顧問の目にとまり、呼び寄せられた。叱られているようだ。

 

「………やっぱ、昨日の事が関係してるのかな」

 

色々と気になる事はあったが、俺も練習を再開する時間が迫っていた為、その場を後にする。それからも俺は部員の相手をしていたが、グラウンドで見たあの姿が頭を離れる事はなかった。

 

 

 

 

 

そして帰り道。

 

「………いた」

 

やっぱりか。陸上部の彼女は、昨日の様に河原に座って、ただぼうっと水の流れを眺めていた。

 

「よっ、隣いいか?」

 

問いかけておきながら、俺は彼女の返事を待つ事なくその隣に腰掛ける。

 

「…昨日も、会った」

「あぁ。練習しているとこ見たぞ。脚、速いんだな」

「………」

「気になったんだが、どうして最後で減速したんだ?」

 

不躾かもしれないが、俺は単刀直入に切り出す。この娘に遠回しな言い方は通じないと昨日の時点で分かっていたからだ。

 

「………」

「調子が悪いのか?」

「………おなかが、すいてたから」

 

そして出てきたのは、昨日と同じ様な返答。

 

「………もしかして、今日も昼飯を食べてないのか?」

「……ん」

 

そして出てくるのは、肯定。なんだか嫌な予感がする。

 

「………昨日の夕飯は?」

「………(ふるふる)」

「今朝の朝食は?」

「…パン」

 

何て事だ。この娘は運動部でありながら、まともに食事もとっていないらしい。

 

「そんなんで部活は大丈夫なのか?」

「………」

「親御さんは食事の準備もできないほど忙しいのか?」

「………(ふるふる)」

「じゃぁ、なんで食事をとらない?」

「………」

 

少女は答えない。いや、答えたくても答えられないのかもしれない。その身体が、ほんの僅かに震えている。俺が感じたいや予感は、いつの間にか確信めいたものになっていた。

 

 

 

 

 

 

翌日も、俺は部活の休憩中にグラウンドに赴いていた。見れば、あの娘は今日も部活に出ている。昨日と同じようにストレッチをし、昨日と同じようにタイムを測る。そして、昨日と同じような走り。

 

「………」

 

俺は彼女が顧問に叱られる姿を最後に、部活へと戻って行った。

 

そしてその帰り道。昨日、一昨日のように、河原には彼女が膝を抱えて座っている。だが、俺は声をかける事をしなかった。しばらくの間そうしてその後ろ姿を眺めつづけていると、彼女は立ち上がる。俺は彼女に気づかれないように一度身を隠し、彼女が土手まで上がってくるのを待った。彼女は俺に気づかないまま斜面を登り切ると、そのままとぼとぼと歩き出す。俺は、周囲に誰もいない事を確認すると、彼女のあとをつけた。

 

歩くこと数十分。すでに数駅分は歩いているが、彼女は歩みを止めない。まさか、駅で通学する距離を徒歩で移動しているのか?そんな驚きとも心配ともとれる思考の最中、彼女は一軒の家に入って行った。見たところごく普通の住宅である。近づいてみれば、換気扇から夕食のいい匂いがしてくる。普段であればどこか安心させるようなその匂いも、今の俺にとっては不安を掻き立てるものでしかない。俺は人気が無い事を確認し、そっと庭に忍び込んだ。そしてこっそりと窓を覗き込む。そこには―――。

 

「………なんでだよ」

 

食卓には美味しそうな料理が並び、それを挟むように2人の人物が座っている。彼女の両親だろう。だが、そこにあるべき姿はない。あの娘はその場におらず、そしてテーブルの上にも2人分の料理しか準備されていなかった。それなのに、食事中の2人はそれを気にする事もなく、楽しげに会話をしている。何が起きている?まったく理解できない。なんでそんなに普通に過ごしているんだよ。なんであの娘がいないんだよ。

その理不尽な光景に、俺は拳を握りしめる。だが、どうする?ここで押し入って問い詰めるのか?そんな事をすれば不法侵入で俺は捕まり、下手をすれば彼女への待遇が悪化するおそれもある。

 

結局、俺は何もできずに、2人の食事が終わるまでそこに隠れていた。

 

 

 

 

 

 

翌日の部活帰り、俺は土手の斜面を降りていた。視線の先にはいつもの少女。その背はいつものように頼りない。

 

「………」

 

俺は何も言わずに、彼女の隣に腰を降ろした。

 

「………どう、したの?」

「………」

「…哀しい事、あった?」

「っ!」

 

その言葉に、幾つも言葉を考えていた俺の頭は真っ白になる。この娘は、どうして他人を心配できるのだろう。俺の想像が確かなら、彼女は虐待を受けている。暴力はなさそうだが、それでも彼女が辛い目に遭っている事に変わりはない。そんな彼女は、自分ではなく、こうして俺の心配をしている。その優しさが、今の俺には何よりも辛い。

 

「…くっ、ぅぅ………」

「……泣かないで」

 

彼女と同じようにして膝を抱え、嗚咽をこらえる俺の頭を彼女は優しく撫でる。その温もりに、俺はとうとう声を上げて泣き出してしまうのだった。

 

 

 

ようやく落ち着いた俺は、意を決して彼女に問いかける。

 

「………あの2人は、何なんだ?」

「………」

「悪いとは思ったが、昨日後をつけさせてもらった。電車で通学するべき距離を歩き、家に帰れば食事もない。なんで君はそんな家に帰ってるんだ?あの2人は本当に君の親なのか?」

「………見た?」

「あぁ。俺には君が虐待を受けているとしか思えない。なんで君はそうやって大人しくしているんだ?」

 

なんと無責任な言葉。確かに俺も両親とは別々に暮らしてはいるが、それでも祖父母の庇護下にあり、安穏とした生活を送っている。年に1、2回会う彼らも、俺に愛情を向けてくれている事は理解している。ひとり安全な場所にいながらかけている言葉は、彼女にとってどれほど残酷なのだろう。それでも、俺は問いかけずにはいられなかった。

 

「………あの人たちは、恋の親じゃ、ない」

 

俺の必死な声色に諦めたのか、彼女はぽつりと零す。初めてこの娘の名前を聞いた。

 

「…恋のおとうさんとおかあさんは、去年の秋に、事故で死んだ」

「………」

「親戚か?」

「…ん」

「なんで、あんな待遇を受けているんだ?」

「………あの人たちは、お父さんたちと仲が悪かった。だから、恋の事も嫌い」

「恋は…それでいいのか?」

「………」

 

初めて呼ぶ彼女の名。彼女はそんな事を気にする様子もなくしばし考え込み、再び口を開く。

 

「あの人たち、言ってた…他に身寄りがない恋を引き取ってやっただけで、ありがたいと思え、って。学校に行かせてやってるんだから、感謝しろ、って………」

「そんな………」

「部活も、恋が大会でいい成績を出してたから、続けさせてやる、って………だから、大会で1番をとれなかったら、やめろ、って………」

「………」

「恋は、ひとりだと生きてけない…あの人たちにお世話になってるから、我がままは言わない………」

 

お腹がすいた、って言うのがわがままな訳があるか。そんな事を思うが、俺は口に出せないでいる。いつだか聞いた事がある。いや、本か何かで読んだか、他人の家庭に口を出すなら、それ相応の覚悟が必要だと。今ならはっきりと言える。俺は彼女を救いたいと。だが、その覚悟が俺にはあるのか。自問するもそれに答える声はない。

 

「………」

 

恋はそれ以上話してはくれなかった。暗くなるまで2人でずっとそうしていた後、恋が去っていくのを見送り、俺も家路につく。やりきれない想いを抱きながら。

 

 

 

 

 

 

「どうした、一刀。今日はやけにやる気がないな」

 

夕食後、爺ちゃんと稽古をしているなか、そんな事を言われる。今日の俺は負け続けていた。

 

「何か悩みでもあるのか?」

「………」

「女か?」

「っ…」

 

爺ちゃんの言葉に、思わずドキリとさせられる。それを見た爺ちゃんは勘違いをしたのか、豪快に笑い出した。

 

「かっかっかっ!一刀もようやく色恋を覚えるようになったか。相談なら乗ってやるぞ?昔から儂はモテモテじゃったからな!……ま、今は婆さん一筋じゃが」

「………ちげぇよ」

「…どうした?いつものツッコミは入れんのか?」

 

爺ちゃんなりの励まし方だったのかもしれない。しかし反応しない俺に、爺ちゃんも表情を真面目に戻して木刀を下げる。

 

「なんじゃ、よほど深刻なのか?ほれ、さっさと口を割らんかい」

「………人を助けるって、難しいんだな」

「は?」

 

思わず漏らしてしまったが、俺は何でもないと誤魔化すと、道場を出て行こうとした。

 

「待て」

 

だが、爺ちゃんは肩を掴んで俺を引き止める。

 

「…なんだよ」

「………お前が阿呆な事を抜かしておるからな」

「アホなことって……俺は真剣なんだよ!」

 

軽く言ってのける祖父に、俺は声を荒げてしまう。爺ちゃんは何も悪くはないのにな。自分の弱さが嫌になる。だが、祖父はそれ以上ふざける様子はなく、俺の手を引っ張って道場を出た。そのまま居間へと入って俺を座らせると、婆ちゃんにお茶を頼む。

 

「一刀よ」

「なんだよ…」

「お前がそれほど思いつめておるという事は、それだけ厄介な事に首を突っ込もうとしているらしいな」

「………」

「言え」

「いや、爺ちゃんに相談しても解決しないよ」

「解決するかどうかは別じゃ。言え」

 

いつになく真剣に見つめてくる爺ちゃんに、俺は硬直してしまう。剣術では勝っていても、こういったところはやはり経験なのだろうか。

 

「お茶が入りましたよ」

 

と、ここで婆ちゃんがお盆にお茶を乗せて戻ってきた。

 

「それで、一刀ちゃんの悩みって何なのかしら?」

 

だが、婆ちゃんは助けになるどころか、2対1で俺を見つめてくる。爺ちゃんに対しては強情になる俺でも、婆ちゃんには勝てない。昔からずっとそうだ。

 

「言えないような悩みなのかしら?」

「………そういう、訳じゃない」

「だったら聞かせて欲しいな。解決できないかも知れないけど、何かヒントくらいは出してあげられるかもしれないわよ?」

「………わかった」

 

優しげで、それでいて有無を言わせない瞳に俺は屈する。俺は、この4日間の事を2人に話し始めた。

 

 

 

 

 

「―――という訳なんだ」

「………」

「俺は恋を助けたい。あの娘に笑顔を取り戻して欲しいんだ。でも…俺に何かできる事はないか、って考えても、俺には分からないんだよ………」

 

説明を終える。爺ちゃんも婆ちゃんも、口を開かない。やっぱり解決策なんてそう簡単には思いつかないのだろうか。そう思っていると、爺ちゃんが口を開いた。

 

「一刀。5日…いや、3日だけ時間を寄越せ」

「……え?」

「ちょっくら儂のツテを当たってみる」

「いや……え?」

「そうね、一刀ちゃんはこれまで通り、その娘の話し相手をしてあげなさい」

「えと、その……」

「よし、これで話は終わりじゃ。明日も部活があるのじゃろう?さっさと風呂入って寝ろ」

 

それだけ告げると、爺ちゃんは居間を出て行った。ついで、廊下から話し声が聞こえてくる。どこかに電話をしているらしい。

 

「一刀ちゃんもまだまだ子供ね」

「………なんだよ、いきなり」

「自分ひとりで抱え込もうとするから駄目なのよ。まだ子供なんだから、何か困った事があれば大人に相談すればいいの………いまみたいにね」

 

そう言って、婆ちゃんも湯呑を下げて台所へと向かう。この2人が何を考えているのかは分からない。しかし、爺ちゃんの自信たっぷりな様子といつも通り優しげな婆ちゃんに、少しだけ胸のつかえが和らいだ気がした。

 

 

 

 

 

 

そして3日後の夕方。これまで通り短い時間を恋と過ごして家に戻った俺は、爺ちゃんと婆ちゃんに連れ出されてとある料亭の一室に座っていた。

 

「なんで今日は外食なんだ?」

「今日は人と会うからな。そいつも色々と手伝ってくれたし、お礼も兼ねてこの店で報告を聞く」

 

爺ちゃんの大雑把な説明に俺は疑問符を浮かべるが、それ以上爺ちゃんは口を開かなかった。

そうしてしばらく待っていると、入り口の襖がすっと開く。そこに現れたのは、初老の男性2人。片方はくたびれたスーツを着て無精ひげを生やし、もう片方はきっちりとしたスーツに身を包んで髪形も整え、知的な雰囲気を醸し出していた。

 

「お、ようやく来おったか。待ちくたびれて腹ペコじゃ」

「相変わらず北郷さんは人使いが荒いですね」

「いいじゃないか。こうして美味い飯を食えるんだから。っと、縁さんも久しぶりだな」

「えぇ。2人とも来てくれてありがとうね」

 

どうやら婆ちゃんとも既知の仲らしい。爺ちゃんは2人を座らせて部屋に設置されていた内線電話を手に取ると、食事の手配を始めた。

 

 

 

 

 

俺を放って4人は昔話に話を咲かせる。出る幕もなく、俺はもそもそと料理を口に運んでいた。そして食事もひと段落ついたところで、爺ちゃんが切り出す。

 

「それじゃ、紹介するぞ。2人とも儂の友人じゃ。こっちの怪しいやつは興信所を経営しとって、こっちの生真面目そうなやつは弁護士事務所の所長をしている。どっちも動かなくてもいい立場におるが、今回は儂が依頼したからの。しっかり働いてくれおる。使える男たちじゃ」

「ったく、相変わらずひでぇ言い草だぜ」

「間違ってはいないのが、また性質が悪いがな」

 

爺ちゃんの紹介に、男2人はそれぞれ名刺を出してくれる。見れば、それぞれが所属する事務所の名前も書いてあった。

 

「で、こっちが儂の孫の一刀じゃ。剣術ばかりやっておってこういった事には疎いし、まだまだ子供じゃから今回は仕事を依頼したんじゃよ」

「へぇ…昔のアンタに似ているな。この顔は女たらしになるぞ?」

「かっかっかっ!儂の孫じゃからな。ま、今回はその女の事で悩んでおるがのぅ」

 

豪快に笑い飛ばす爺ちゃんが促すと、興信所の男が鞄から封筒を取り出した。

 

「そいつが今回の報告書だ。確認してくれ」

 

テーブル越しにそれを受け取って封を開ける。何枚かの書類が入っており、目を通せば恋の姓名や学校名だけでなく、これまでの経歴や、両親の詳しい死因なども書かれていた。次の書類には、その両親の経歴。そしてさらにその次には、恋の保護者の経歴も事細かに記されている。

 

「………3日でこんなに調べられるものなんですか?」

「ま、本来ならもう少し時間を貰うものなんだが、他でもない北郷さんの依頼だからな。暇な奴の手全部借りて調べ上げた」

 

その言葉に、爺ちゃんが反応する。

 

「待て。もしや、その分の人件費も請求する気か?」

「言っただろうが。アンタの依頼だからこれだけやったって。請求書は後日送らせて貰うが、人件費は俺一人分だよ。他の奴らには俺のポケットマネーから出すから安心しろ」

「そう言って貰えて何よりじゃ。やはり持つべきは旧知の友じゃな」

「ったく、相変わらず調子のいい事言いやがる。直接会うのは何年ぶりだよ」

「細かい事は気にするな。じゃからお主はいまだ独身なんじゃよ」

「うるせぇよ」

 

悪態をつきながらも酒を酌み交わす2人は、爺ちゃんの言葉どおりに旧知の仲らしい。言葉とは裏腹に、その雰囲気は侵し難いものだった。

 

「ま、俺の出番はここまでだ。後はこいつに任せるぜ」

 

そう言って、隣に座る男を顎でしゃくる。弁護士をしているという男だ。

 

「あぁ。これからは私の仕事だ。事務所では色々と扱っているが、私は主に家族間の問題に携わっている。今回のような虐待に関しても何度も関わっているから、安心して欲しい」

「………はぁ」

 

確かにその堂々と自信に満ちた言い方は、安心できるものである。だが―――。

 

「って、ちょっと待ってください。もしかして、裁判でも起こすのか、爺ちゃん?」

「んなメンドクサイ事やってられるか。直談判に行くだけじゃ」

「直談判って………」

「そうだよ。こいつから話も聞いたし、その報告書にも目を通した。聞いたところでは、彼女の保護者の2人はそうとうに世間体を気にする性格なのだろう。あんな風にその娘を扱っているくせに、成績を鑑みて部活を続けさせている事からも、それは推測できる。そして、そうした人間は総じて権力に弱いものだよ。取引に応じなければ然るべき部署に報告するとでも言えば、さっさと署名でも捺印でもするだろう」

「でも、貴方が出ていったからといって、恋への待遇が変わるとは限らないのでは………」

「その点は安心しなさい。彼女さえ望めば、彼女が安心して暮らせる場所は既に用意してある」

「…施設、ですか?」

「いや、君がよく知っている場所さ」

 

俺がよく知っている場所?そんな場所なんて限らている。学校や公営の施設、あとは………。と、そこまで思い浮かべて、俺はある考えに至り、隣で酒を飲んでいる爺ちゃんを振り返った。

 

「………まさか」

「おう!儂らで引き取るぞ」

 

その口から出てきたのは、まったく想定外の言葉。うちで引き取る?そんな馬鹿な事できるのか?爺ちゃんは北郷流以外にいくつも剣道会の師範を依頼されているし、うちが財政難だとは思わないが、それでも女の子ひとり養うだけでも相当の負担がかかる事くらいはわかる。俺のそんな不安や疑問が顔に出ていたのか、婆ちゃんが口を開いた。

 

「お婆ちゃん達はね、嬉しいのよ、一刀ちゃん」

「………え?」

「だって、一刀ちゃんは全然我がままなんて言わないし、学校でもちゃんとやってまったく手のかからない子なの。そんな一刀ちゃんが、初めて相談事をしてくれたんだもの。お爺ちゃんもお婆ちゃんも、全力でそれを手伝ってあげるんだから」

「そういう事じゃ。まったくガキの癖に変に大人ぶるからのぅ、一刀は。なに、一人増えたからと言って、別にうちがいきなり貧乏になるわけでもない。それに、お前の親父たちから送られている生活費に手をつけるまでもないくらい、お前は金を使おうとせんからな。かかっているのは学費くらいなもんじゃ」

「でも……」

「だからいいのよ、一刀ちゃん。貴方は貴方が正しいと思う事をしなさい。それが間違っていない限り、お婆ちゃん達も全力で応援してあげるから」

「………」

 

そこまで言われてしまい、俺は閉口する。なんて馬鹿な人たちなんだ。剣術以外に取り柄のない俺の為に、こうして負担を背負ってくれて、そして助けてくれる。言葉の代わりに出てくるのは嗚咽と、両眼から溢れてくる涙だけであった。

 

 

 

 

 

 

料亭で報告を受けた翌日。俺は部活を終えて、いつもの河原に来ていた。そこに座るのはこの1週間ずっとそこにいた恋。いや、この1週間だけではなく、両親が亡くなってからずっとこうしていたのかもしれない。

 

『儂らが手伝えるのはここまでじゃ。あとはお主が直接その娘の願いを確かめて来い』

 

爺ちゃんから言われた言葉を胸に、俺は恋の隣に腰掛けた。

 

「よっ」

「……ん」

 

いつも通りの短い挨拶。俺が何も言わなければ、彼女も口を開かない。俺は考える。俺は恋の事をどう思っているのだろうか、と。恋人な訳でも、友達と言えるほどの関係でもない。出会ってからたったの一週間だ。だが、気になる存在。俺が抱えているのは同情だと言われるかもしれない。実際に、俺はずっと自問していた。彼女に抱いているこの想いは同情なのだろうかと。

最初は、その頼りない姿が気がかりだった。こうして隣に座って話しかけても、返ってくるのは短い返事ばかり。2人でいる時間が楽しいかと言われれば、答えに詰まらなくもない。でも、それでも、俺はどうしても見たかった。この娘がどんな風に笑ってくれるのかを。そして、俺は確信とも言える予感を抱いていた。この娘の笑顔を見れば、俺はきっとこの娘に惚れてしまうだろうと。

 

俺は、意を決して口を開く。

 

「………恋」

「…」

「家に、帰りたくないと思った事はないか?」

「………」

「帰ってもご飯はない。誰も話しかけてはくれない。そんな家に、帰りたくないと思った事はないか?」

 

俺の真剣な想いを察したのか、恋は眼を伏せる。その瞳の奥で考えるのは肯定か、あるいは否定か。いや、肯定に決まっている。だって、恋はいつもここに座っているのだから。

 

「………ない」

「……」

「……帰りたく、ない」

「………やっと言ってくれたか」

「でも…あの家以外に、住むところも、ご飯もない。恋には、何もない………」

 

きっと俺は酷い事を言っているのだろう。閉じこもった彼女の心を無理矢理押し広げ、こうしてその隠していた筈の想いを引き出しているのだから。それでも俺は言わずにはいられない。

 

「……ある」

「…?」

「恋が望めば、ある」

「………そんなの、どこにも、ない」

「ある!恋が一言助けてと言ってくれれば、俺はそれを叶えてやる事ができるんだ!………恋、うちに来ないか?」

「………え?」

 

そして、この日初めて恋が俺の眼を見た。一瞬の視線の邂逅であっても、俺は読み取る。そこにあるのは不安と悲しみと、そしてほんの少しの期待。

 

「俺、爺ちゃん達に相談したんだ。恋を助けたい、って。俺ひとりじゃ何もできないから、恋を助けてくれ、ってお願いしたんだ」

「………」

「だから、恋が俺と一緒に暮らしたい、って望んでくれれば、俺と一緒に暮らす事ができるんだ。婆ちゃんが朝夕食事を作ってくれるし、部活の時は弁当も作ってくれる。爺ちゃんはなんだかんだで楽しく話しかけてくれるし、俺だって恋と遊ぶ事ができる」

「………」

「いまみたいに此処でこうして時間を潰さなくても、帰りたい、って言いたくなるような家が待ってるんだ。恋が望めば、その暮らしを手に入れる事が出来るんだよ」

「…なん、で?………なんで、恋なんかに、優しくしてくれるの?」

「恋なんか、って言うな。俺がそうしたいんだ。俺は、恋に笑って欲しい。恋と一緒に朝起きて、ご飯を食べたい。恋と一緒に学校に行って、恋と一緒に同じ家に帰りたい。休みの日は恋と一緒に遊んで、恋と同じ時間を過ごしたいんだ。俺は……恋に笑って欲しいんだよ………」

「………なんで、そこまで」

 

恋の瞳に涙が溢れ、零れ落ちる。ここまで来れば言うしかない。彼女の笑顔を見たら、なんて考えていたが、もうそんな事は関係ない。俺はとっくに――――――。

 

「………恋が、好きだから」

「…恋、友達いない………恋と話すと、みんな、つまんない、って離れていく。恋は、頭も悪いし、喋るのも苦手………恋なんか好きになる人、おとうさんとおかあさん以外に、もういない………」

「ここにいる。俺だけじゃない。爺ちゃんも婆ちゃんも、きっと恋の事を好きになる。俺は恋と話していて楽しかったよ。恋が返事をしてくれて嬉しかった。俺は恋が凄く優しい事も知ってる。もっと恋の事が知りたい。恋にも、俺の事を知って欲しい」

「………恋のこと、虐めない?」

 

恋が、俺の事を見上げてくる。

 

「当り前だ。悪い事をすれば叱ってやるが、それ以外はずっと優しくしてやる」

「………ご飯、いっぱい食べても怒らない?」

「あぁ。むしろ、婆ちゃんなんか喜んで作ってくれるよ」

「………恋が、話しかけても、無視しない?」

「当り前だ。家族が話しかけるのに、なんで無視する必要があるんだ?むしろ、爺ちゃんなんか率先して話しかけて来るぞ」

「………恋は、一緒にいても、いいの?」

「………一緒にいて欲しいんだ」

 

とうとう、その堰が決壊する。彼女は双眸に涙を溢れさせたまま俺に抱き着いてきた。

 

「……もう、いや………話しかけても、無視されるのも………ご飯がないのも…誰も、優しくしてくれないのも…もう、いや………」

 

恋の独白。俺は弱り切った少女を思い切り抱きしめる。

 

「寂しい部屋も、嫌い……おなかがすいて、思いっきり走れないのも、哀しい………もっと、優しくして欲しい」

「あぁ…」

 

気付けば、頬が濡れる感触。俺の眼からも涙が流れている。

 

「………恋を、助けて」

「あぁ」

 

ようやく聞くことが出来たその一言。俺は、太陽が沈むまで、ずっと恋を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃい。貴女が恋ちゃんね」

「……ん、お邪魔します」

 

あの後俺は、恋を連れて家へと帰ってきた。あの家の2人が恋を心配するとは思えないし、仮に誘拐だと騒ぎ立てても、友達の家で食事を御馳走になったと言えば捕まってしまう訳でもない。

案の定、俺の隣に立つ恋に、婆ちゃんは優しく話しかけてくれる。だが、やはりまだ緊張するのか、恋は俺の手をずっと握ったままだ。

 

「あらあら、仲がいいのね」

 

しかしそんな様子を気にすることもなくからかってくる婆ちゃんに、俺は心の中で頭を下げる。やっぱり婆ちゃんには勝てない。

 

「お、一刀。そいつが例の娘か」

「あぁ。今日は婆ちゃんのご飯を食べさせに連れてきた」

「そうかそうか!恋と言ったな。婆さんの飯は美味いぞ?好きなだけ食っていけ」

「………(こく)」

 

爺ちゃんの遠慮ない問いかけが、いまは何よりもありがたい。戸惑う恋の手をぎゅっと握ると、恋もおずおずと頷いた。

 

「それにしても、こりゃまたべっぴんさんだな。ようやく一刀にも彼女ができたか」

「ちょっ―――」

「…ん………恋も、一刀のこと、好き」

「―――と待って…く、れ………」

 

まさかの恋の自発的な発言に、俺は動きを止める。いや、確かに俺も恋が好きだとは言ったが、こうも早くに………って、これってもしかして弱みに付け込んでいる事になるのか?それはそれで申し訳ない気が………いや、言っても仕方がない。結果だけ見れば、恋も俺の事を好いてくれたんだ。過程を振り返れば、俺はきっと自分の恥ずかしい発言に閉じ籠ってしまうからな。

 

「かっかっかっ!恋よ、一刀も彼女が出来るのは初めてじゃ。ゆっくり愛を育んでいけばよい」

「何言ってんだ、このクソジジイ!」

 

恥ずかしい台詞に殴りかかる俺と、それを軽々と躱す爺ちゃん。俺も本気で怒っているわけではなく、逆にこんな状況が俺にとってはありがたい。俺たちが馬鹿な事をすればするほど、恋の緊張も解けていくだろう。そう祈りながら、俺は拳を振るっていた。

 

 

 

 

 

爺ちゃんの計らいで今日は稽古もなく、俺と恋はテレビを見ながら婆ちゃんの料理が出来上がるのを待っていた。その間も恋は俺から離れることはなく、ずっと手を握っている。刷り込みが完了してしまったらしい。爺ちゃんもテレビのニュースにツッコミを入れながら、恋に何かと話しかけてくれる。普段ならうざったらしい事この上ないその発言も、この時ばかりはありがたかった。

 

「はい、できましたよ。一刀ちゃん、テーブルの上、片づけてちょうだい」

「あいよー」

 

婆ちゃんがお盆に料理を乗せて居間へと入ってくる。俺は爺ちゃんが投げ出した新聞をラックに戻し、テレビのリモコンを動かす。その都度恋は俺について立ち上がったり歩いたりしたが、そんな少しばかり邪魔な行動も今は気にならない。

煮物に焼き魚、和え物にご飯と味噌汁―――。いつもより一人分多いその食事は、いつものように食欲をそそる。と、隣からきゅるるると可愛らしい腹の虫。

 

「…いい匂い……おなか、すいた」

「あぁ。今日はお腹いっぱい食べていいからな」

「そうじゃぞ。これからここで暮らすのじゃから、婆さんの味に慣れておけ。まぁ、慣れこそはすれ、飽きることなどありえないからのぅ」

「あらあら、お爺さんったら」

 

食卓の準備も完了し、4人揃って手を合わせていただきますをする。爺ちゃんはがつがつといつものように食べ始め、俺も箸を手にとる。

 

「ほら、恋も一緒に食べよう」

「……ん、いただきます」

 

俺の言葉に、恋も箸をとって味噌汁のお椀を傾ける。

 

「どう?美味しいかしら?」

「………」

「婆さんが作ったんじゃ。上手くないわけがなかろう」

「………」

「ほら、恋。味噌汁だけじゃなくて、他にもいっぱいあるぞ」

「おいしぃ………」

 

今日二度目の恋の涙。恋は涙を流しながら、おいしい、おいしいと繰り返す。爺ちゃんも婆ちゃんも何も言わない。俺が恋の涙を拭ってやるが、いくら拭ってもそれが途切れる事はない。食事が終わるその最後まで、恋の瞳が渇く事はなかった。

 

 

 

 


 
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