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虚界の叙事詩 Ep#.17「極北の真実」-2

北の大地で明かされる、主人公達の過去とそこに隠された陰謀が明らかになり、また戦いが展開します。

2011-03-06 17:39:23 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:357   閲覧ユーザー数:320

 

 調査が進むにつれ、近藤大次郎が具体的にどのような研究を続けてきたのか、明るみにな

りつつあった。だが、調査員はリアンだけ。そして、『SVO』の4人が手伝うだけでは、気休め程

度の調査しかできない。

 

 残された記録の閲覧、何の機器が稼動しているか、それを知るのみで、徹底的な調査は、

『タレス公国』からの調査団を待つ以外無い。

 

 だがそうであっても、近藤大次郎は、専門的知識が無くてもはっきりと分かる多くの記録を残

していた。彼は几帳面な性格であったようで、マメに記録を残している。

 

 リアンが持ち込んだ機材だけでも、大分調査は進んでいた。

 

「それで、コンドウの記録には、そう、何度も『人間の進化』とか、『進化の先』とか、そう言う言

葉が出て来るわけですか?」

 

 地下から登ってきたリアンは、日誌を読んだ一博からその内容を尋ねていた。

 

「ああ、ほぼ毎日にように出て来ている。『ゼロ』というのは、人間の進化の先にある存在だと

かな」

 

「、もしそうだとしたら、彼は、自然淘汰などではなく、自分で人間を進化させたと思っている。そ

れが、『ゼロ』であり、あなた達だった」

 

 リアンは考える素振りを見せ、言った。

 

「よ、良く分からないけど」

 

 香奈は、白い息を吐きながら戸惑う。だが、今では周りの寒さが気になら無い程、研究記録

の方が重要だった。

 

「進化、進化って、あれは、どう見ても、突然変異だと思うが」

 

 登が呟いた。彼は床に座り、コンピュータデッキに向かっている。彼の目の前を光学画面が

流れて行っている。それは、近藤大次郎が残したデータを、解析ソフトにかけたものだ。

 

「生物が進化するのならば、それは突然変異が起こる時です。他の生き物からは突然変異に

しか見えなくても、その生命にして見れば、立派な進化なわけです。環境の変化が、生体の形

態を変化させるという事です」

 

 と、リアン。

 

「近藤大次郎は、意図的にそれを引き起こした?それも、人間にって事?」

 

 沙恵が身を震わせるような表情で言っていた。

 

「そう言う事になりますね。その対象が『ゼロ』であり、あなた達だったという事になります」

 

「じゃ、じゃあ、あたし達も、突然変異体という事に、なるの?」

 

 恐る恐る香奈が言った。

 

「厳密には、そうなるのかもな。おれ達の持っている『能力』は、やっぱり普通の人間からして見

れば、異常な存在だ」

 

 一博が言う。

 

「『ゼロ』だけ、あれほどの変貌を遂げたのはなぜだろう?彼は、『力』そのものだけじゃあなく、

外見も凄まじい変化を遂げているし」

 

 流れていく画面を見ている登。彼らの調査は続いている。

 

「日誌にあったぜ、『ゼロ』が唯一の成功例だった、とな」

 

 一博は手元に持っている日誌を指し示した。

 

「あんなのを造るのが、実験の目的だったって言うの?たとえ人間の進化だったとしても、あん

なのが?」

 

 沙恵が声を上げた。

 

「日誌を見る限り、近藤大次郎は、あんなのでも、造り出した事に相当満足していたようだぜ」

 

 皮肉めいた声の一博。

 

「じゃあ、あたし達は、実験としては、失敗だったのかな?」

 

 香奈が呟いた。

 

「『ゼロ』のような存在を造りだすのが実験の目的であったのならば、そうなりますね」

 

 リアンが答えた。

 

「しかし、これを見て欲しい」

 

 突然、登が言い、彼は画面を指し示した。彼の前に現れているは、他の皆が画面を覗き込

む必要は無く、拡大され、反対側にも映し出される。

 

「どう言う事?」

 

 現れた画面は、『NK』の人間が使う紅来語で書かれていたが、ざっと見ただけでは表に書か

れた字と数字の羅列だ。沙恵は、拡大された画面の前に立って登に尋ねる。

 

「これは、身体のデータですね。身長と体重はもちろん、血液型から何から何まで記録されてい

る」

 

 リアンは並んでいる数字を読み取った。

 

「こんなデータが、数百もあったんだ。まだ全てを見てはいないんだが、中には『ゼロ』や僕らの

記録もあると思う」

 

 登はそう言い、他の記録もスライドショーとして画面に表示させた。

 

「これは、実験体の記録というわけですね。興味深いものを発見しましたね」

 

 落ち着いた声で言ったリアンだが、

 

「ちょ、ちょっと待てよ登。こんな記録が、数百もあった、だって?」

 

 一博はうろたえた声を出した。

 

「ああ、近藤大次郎の残したデータのフォルダーに沢山残っていた」

 

 冷静に言った登。しかし、

 

「じゃあ、もしかしって、『ゼロ』やあたし達みたいに、実験された人が、他にもまだ、沢山いるっ

て言うの?」

 

 香奈は声を上げて驚くばかりだった。

 

「ええ!つまり」

 

 沙恵は言葉にならない声を上げていたが、

 

「つまり、こういうことだと思う。

 

 この『ゼロ』についての実験を受けた者は、数百人いたんだろう。そして、『ゼロ』だけが成功

を収めた。近藤大次郎にとっては、それだけで良かったんだ。後の者達は保管こそされていた

が、何十年も地下で眠り、発見された生き残った8人、それが僕らだったんだと思う」

 

 登は、落ち着いた口調で分析したが、

 

「あたし達が、何百人もの中の、生き残り?」

 

 香奈はうろたえていた。

 

「このフォルダーの中を探していけば、あなた方の情報があるかもしれません。そうすれば、あ

なた方は自分達を知る事ができますね」

 

 リアンは画面に映し出されているデータを眺めて言った。

 

「やれやれ、どう言ったら、良いのやらで」

 

「何て言うか、実感、沸かない」

 

 一博と香奈はそう言うばかりだ。

 

「とにかくだ。これは、『ゼロ』に関する情報ではあるが、彼に関しての重要な情報じゃあない

な。僕らは、『ゼロ』についての弱点、みたいなものを捜しにここに来たようなものだ。それが、

あれば、と思ったんだが」

 

 登は画面の、数百人のデータと共にフォルダーも閉じた。

 

「日誌では随分と『ゼロ』のことを称えている。数百人の中の唯一の成功例だから、なるほど、

そう言う事か」

 

 一博は手に持っていた日記帳を再び開く。

 

「数百人も人体実験をして、唯一生き残ったのが数人、だなんて」

 

 香奈が言った。

 

「ああ、近藤大次郎も随分な事をしていたな。

 

 そういう訳だ、リアンさん。おれ達は、ますますこの実験の事について知りたくなった。地下に

潜って調査を続行するとしよう」

 

 一博は、そう言い、その腰を上げようとした。

 

 しかし、リアンは急に、何かを考えているかのように、彼とは目線を合わせず、あらぬ方向を

向いている。

 

「リアンさん?」

 

 様子のおかしい彼女に、一博は再び問いかけた。すると彼女ははっとしたかのように振り返

り、

 

「す、すいません。ちょっと空気が悪くて、外で新鮮な空気を吸ってきても良いですか?」

 

 と、少し慌てたように言ってきた。

 

「あ、ああ、もちろん、良いぜ」

 

 そう一博が答えると、リアンは足早に近藤大次郎の研究室から出て行った。

 

「二人とも、見ていてくれ」

 

 リアンが出て行った後で、登は、香奈と沙恵にそう指示していた。

 

 

「ええ、そうです。ですから、コンドウ・ダイジロウが研究していたのは、『ゼロ』と彼らだけじゃあ

なかったんです!他にも数百人の被験者が、あの実験を受けていた記録がありました」

 

 生理学研究施設から外へと出たリアンは、距離を取った所で衛星通信を行っていた。

 

(そんな事よりも私が聞きたい事は、もうすぐ、ドレイク大統領の命令で動く特殊部隊がそちら

へと到着する。だから、それまでに君に彼らを拘束できるかという事だ)

 

 通信先の男はそう言って来た。

 

「ええ、必要あらば、すぐにも捕えたいと思います」

 

 リアンは凛々しくそう答えた。

 

(別働隊に連絡しておく。10分後にはそちらに到着するだろう。頼むぞ、我が国の国益が君に

かかっている)

 

 無線の先の男はそう言って来るばかりだ。

 

「はい。分かりました」

 

(では今度からは、もっと頻繁に連絡を入れたまえ)

 

 そしてそれだけを言い残すと、無線は向こうの方から勝手に切れてしまった。

 

 リアンはそれにたじろぎもせず、手に持った無線機をただ握っている。そして考えを巡らせる

様に眼を閉じた。

 

 再び眼を開いた時、その顔は普通の女の顔をしていなかった。眼鏡の中の鋭い眼は、獲物

を狙う鷹の眼。それには感情が篭っていない。表情は氷のように冷たかった。

 

 だが、無線の連絡を受け、本性を明らかにしようとしたリアンの元へ、気配が迫った。

 

 自分の背後に立つ気配に、リアンは振り向く。彼女はそれを感覚だけで読み取ったのか。

 

 そこに立っていたのは、香奈と沙恵だった。

 

「カナさん、サエさん。どうかなさいましたか?」

 

 リアンは平然とした態度を装った。眼つきも幾分か押える。しかし、

 

「今の無線は一体誰から?」

 

 香奈は攻撃的な口調で言っていた。

 

「何の事です?」

 

 リアンは再び、知らないという風を装う。

 

「まさか、でもないけれども、あなたもスパイの一員だったんでしょ?あたし達が疑っていないと

でも思った?」

 

 と、沙恵。今度はリアンは何も答えない。

 

「それは、無線機?一人でこっそりと、誰に連絡を?」

 

 香奈は、リアンが手に持っていた無線機を、自分達が奪い取ろうと近付く。だが彼女は、そん

な香奈の体を払いのけた。

 

「私は命令に従っているだけ、それだけです」

 

「あなたの命令なんて、今はどうでもいいから、その無線機を貸してもらうよ」

 

 香奈は更にリアンに迫った。しかしリアンは、先程までとは違う表情で香奈の方を睨み返す。

 

「そう言うわけにはいきませんね。あなた方は私の上司の命令で、大統領との取り引きの為に

捕えさせてもらいます」

 

 リアンは強い口調でそう言った。

 

「まだ、あなたも、何も分かっちゃあいないねえ!今は、そんな事を言っている場合じゃあない

って事は、嫌でも分かっているでしょうに!」

 

 沙恵は言い返した。

 

「私は命令に従っているだけ。あなた方もそうでしょう?」

 

「昔はね。でも今は自分達の意思で動いている!」

 

 きっぱりと言う香奈。鋭い鷹のような眼で見つめてくるリアンを、彼女は毅然とした強い態度

で返す。

 

「どっちにしろ、私は命令に従うだけ。あなた達を捕えます」

 

「いい度胸じゃあない!あなた一人で一体何ができるって言うの!」

 

 沙恵は強気に言い放った。

 

 だが同時に、リアンの手から淡く白い光のようなものが放たれる。それは、まるで刃のように

鋭い形状を現した。

 

 それに気付いた香奈は思わず身構えた。

 

 リアンは両手の掌を手刀の形に取り、それを香奈達の方に向かって振るう。

 

 二人はとっさに飛びのいた。リアンが放った手刀からは、刃のような形状の光が放たれ、そ

れは空気を切り裂き、雪の上にはっきりとしたラインを描く。

 

「あなたも、あのシークレットサービスの連中と同じだよ!」

 

 起き上がりながら、香奈は呟いた。

 

「いいえ、違いますね」

 

 そう言い、リアンは近付いてきた。手には白い光を湛え、その眼は暗殺者のように鋭い。

 

 彼女は、今度はそれを突きの形に構え、香奈達の方へと突き出して来る。

 

 リアンの動きは素早かった。彼女の姿は、すでにさっきまでの科学者としての姿は無い。動き

は洗練された『能力者』の動きだ。

 

 香奈と沙恵は、突き出されてきた突き、そして彼女の手先から放たれた光を何とかかわす。

リアンの放った光は、向かいにある建物の窓ガラスを割った。そこまでの距離、およそ20メー

トル。

 

「あなたも『力』を使う事ができるのね?どうりで。あの飛行機の中で襲ってきた人達が、何の

『力』も使う事ができないみたいで、あたし達を狙うにしてはおかしいとは思っていたけれども」

 

 地面に転がりながら沙恵が言った。

 

「『高能力者』には、『力』を使う者でしか対抗できない。『NK』のクリフト島では失敗したのでね」

 

 と、リアン。

 

「何ですって?あれは『ユリウスユリウス帝国』の差し金じゃあないの?」

 

 驚いたように香奈は言った。

 

「幾ら何でも、外国のスパイがそう簡単にシークレットサービスに潜入できるわけが無いでしょ

う?我々は、『ユリウス帝国』という存在と付き合って行かなければならない。それには、彼らを

刺激せず、従う事が最も重要です。今の大統領のやり方は危険すぎ、下手をすれば戦争沙汰

にも成り得ない」

 

 淡々と話すリアン。しかし、立ち上がった香奈は、暗殺者の眼にも動じる事無く言い放った。

 

「やっぱり、あなたも一緒。誰も、皆、何も分かっちゃあいない。今、起こっている事が、そんな

事なんかよりも、もっと切迫しているという事が。『ゼロ』だよ!あなたもあの研究記録を見たん

だったら分かっているでしょう!あの存在がどれだけ危険なものか!そんな存在が今、誰の眼

にもかからないまま野放しになっている!これがどういう事か分からないの?」

 

 香奈はリアンに訴えた。彼女が、まるで感情の篭っていない表情をしていても構わない。あり

ったけの不満を彼女に訴える。

 

 しかしリアンは、香奈の言葉を聞いても、全く揺らぎが無いようだった。

 

「我々は、命令に従っておりますので」

 

 そう言い、再び手に光を篭らせた。

 

「また同じ事を!やっぱりあんたも、皆同じだよ!」

 

 今度は沙恵が言った。

 

「いいえ、違います。なぜなら、答えはこれだからです」

 

 リアンはそう言い放ち、構えた手の指先を、ナイフを振るようにして、香奈と沙恵の方へと振

って来た。

 

 光は、衝撃波と共に彼女の指先から解き放たれ、空を切り裂く。一瞬にして、その破壊は向

かいの建物へと走り、窓ガラスは割れ、地面に積もっている雪も舞い上がった。

 

 香奈と沙恵は、それぞれ反対側の方向へと飛び退き、その衝撃をかわす。

 

 続いて、リアンは構えを変え、今度は両方の手先へと、光を溜め込んだ。そして今度はそれ

を次々と突き出しながら、まるで弾丸のように二人の方へと放って行く。

 

「どうです?これでもまだ、あの者達と同じだと言えますか!」

 

 まるで機銃で撃っているかのように、地面の雪は次々と舞い上がり、リアンの放つ弾丸のよう

な衝撃は、二人の方へと撃ち込まれて来ていた。

 

 香奈と沙恵は、その衝撃をかわしていく。

 

「沙恵!」

 

 香奈は、声を上げて呼びかけた。一方、弾丸のように撃ちこまれる衝撃を避け続ける沙恵

は、香奈の方をちらりと見る。

 

 二人はうなずき合った。声で指示しなくても、二人は暗黙の了解をし、その意思相通を図る。

 

 リアンの放ってくる衝撃をかわしつつ、香奈と沙恵の二人は、それぞれ反対の方向へと飛び

退った。

 

 リアンは、その鋭い表情のまま微笑し、

 

「二手に分かれて、私を翻弄するつもりですか? 無駄な事を!」

 

 そう言い放ち、彼女は二人の跡を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 《綱道大学》の構内は、ただそこに空間が広がっているだけ、そこには備品も何も無く、壁だ

けを残して全てが取り払われてしまっていた。埃っぽい、冷えた空気の流れる、そしてがらんと

した空間を、香奈は駆け抜けていく。

 

 あの、リアンという女はどこから迫ってくるのか。捜すまでもなかった。

 

「どうしたんです? 建物の中に逃げ込んだのは、むしろ不利というものです。私にとっては狭

い場所の方が戦いやすいんですから」

 

 先程までは、科学者の顔をしていたこの女。彼女のかける眼鏡の先の目つきが、さっきと今

では明らかに違う。

 

 それに戸惑いつつも、香奈はゆっくりと、自分の武器である、長い鉄製のステッキを取り出し

た。こんな視線など、もはや慣れている。戸惑ったのは、この女の顔つきがさっきとは明らかに

違っていたからだ。

 

 リアンは、香奈を視線で威嚇し、距離を詰める事無く、指先から弾丸のような衝撃を放って来

た。

 

 リアンの放った衝撃は、さながら弾丸のようなスピードと威力を持ち、通路を走って行く。

 

 それが彼女の『力』。身体的な能力の向上も顕著だが、尖らせた手先から放つ衝撃は、ナイ

フのような鋭利さを持っている。

 

 香奈はそれをかわし、ステッキを振るう。空気中を駆け抜けた鉄の棒は、分子の高速摩擦を

引き起こし、同時に炎を振り撒いた。

 

 香奈の放った炎が、床を走るようにしてリアンへと襲い掛かる。その火力は、燃料の上に火

を点火した時と同じ程の爆発力がある。

 

 しかしリアンは、床から壁へと飛び移る。そして、まるでそこさえも床であるかのように彼女は

壁を走り、再び、手先から放たれる衝撃を放って来た。

 

 空気を切り裂き、壁を走る鋭利な衝撃が香奈へと襲い掛かった。ステッキを使い、防御しよう

としたが、防寒具ごと、両腕が切り裂かれる。

 

 衝撃に香奈は呻いた。腕が切れただけでなく、衝撃も強い。思わず後ろに倒れそうになる。

衝撃が走った壁の軌跡には、はっきりと切断のラインが走っている。

 

 リアンは容赦しなかった。手先を使い、次々と弾丸のような衝撃を香奈に向かって撃ち込ん

で来る。

 

 何発かが体を切り裂く。香奈は呻く。

 

「仲間はどこへ行ったんですか?あなたはどんどん追い詰められていますよ」

 

 リアンは言って来る。

 

「香奈!」

 

 すると、リアンの向こう側に現れる沙恵の姿。

 

「わたしを挟み撃ちにでもしたつもりですか?そんな事をした所で無駄ですよ」

 

 と彼女は言うが、沙恵の方は構わずに、

 

「あたし達が行方不明になった事で、『タレス公国』はあたし達の事を捜している。軍がここに来

たら、あんたもおしまいだよ!」

 

「ですが、その軍が来るのは一体いつです?2時間後?3時間後?それよりも早く、私の仲間

が、ここにやって来て、あなた達を捕えるでしょうね」

 

 リアンは淡々と言っていた。

 

「そして、『ゼロ』の研究記録も奪い去ってしまうと言うの?」

 

 リアンが放った衝撃を食らい、ふらついている香奈が言った。

 

「あれは、格好の交渉材料になりますからねえ。是非とも、わたしの上司は欲しがるでしょう」

 

 彼女がそう言うか言わないか、静かな構内の通路に、金属の留め金が外れ、滑る音が響き

渡った。

 

 沙恵は、円盤状の棘が付いた武器を取り出している。

 

「あたし達が追っているものは、交渉材料とか、そんな次元の話なんかじゃあないッ!」

 

 彼女はそのように叫ぶと、リアンの方に向かって駆け出した。

 

 沙恵は、リアンに向かって武器を振るう。しかし、リアンの方は、まるで全ての動きを見切って

いるかのように、その攻撃を避けた。

 

 代わりに彼女はしなやかな動きで、沙恵の攻撃をかわしつつ、手の先に篭められた衝撃を

彼女の方へと突き出そうとする。

 

 だが、背後から迫った香奈。彼女はリアンに向かってステッキを振るっていた。その狙いは

肩。鉄の棒が彼女の肩を激しく撃つ。

 

 衝撃の軌道がそれた。そこへ飛び込んで行く沙恵。

 

 しかし、体制を崩したリアンは、蹴りを、沙恵に飛び込ませていた。

 

 突き出された蹴りを、思い切り腹に食らった沙恵は、息ができないまま、背後によろめく。

 

 リアンは、彼女に向かって手刀を振り下ろしていた。

 

 空気が切り裂かれると同時に、彼女の左腕さえも切り裂かれる。

 

 沙恵は、尻餅をついていた。腹を蹴られ、意識が飛びそうなくらいに呼吸が困難だし、左腕を

裂かれた事で、かなりの出血をする。

 

 リアンは、沙恵の前に立ち塞がる。彼女の後ろからは、香奈が近付いていたが、リアンが沙

恵に向けて手の先を向けると、彼女も脚を止めなくてはならなかった。

 

「人質というのは、こういう事です」

 

 沙恵の喉元に指先が突きつけられた。手袋をしていない彼女の指先は、まるで氷のように白

く、冷たい。

 

「あたし達を、一体、どうしようって言うの」

 

 困難な呼吸のまま、沙恵は尋ねた。

 

「このまま本国まで連行して、人質になってもらいます。ドレイク大統領や『ユリウス帝国』と、対

等に渡り合う為にね」

 

「あたし達が、いなければ、『ゼロ』は発見できないよ」

 

 沙恵は、搾り出すような声と共に言った。

 

「もちろん。それも分かっています。だから、交渉材料になるんじゃあないですか。何としてで

も、大統領はあなた方を取り戻したがる」

 

「本当に、何も分かっちゃあいないのね」

 

 香奈が、背後からリアンに言い放った。沙恵の喉元に突きつけられる左手の指先が、今にも

動きそうで気が気でない。

 

「私は、上司の命令に従っているのみです」

 

「あなたの言う上司って言うのは、一体誰なの?」

 

 沙恵はリアンの顔を見上げる。

 

「何の事でしょうね?」

 

「そんなに、その上司って言うのがあなたにとって重要な存在なの?」

 

 沙恵は更に尋ねる。

 

「あなたなんかに言う必要があると思いますか?」

 

 リアンはきっぱりと答えた。

 

「十分に。だって、連れて行かれるんならば、その上司とも顔を合わせる事になるでしょ」

 

「もういい!時間稼ぎをしようって言うのなら、それは無駄なあがきです。このまま軍が来る2時

間近くも、あなた方をこのままにしておくと思いますか?」

 

 リアンが香奈の声に、痺れを切らせたようにそう言った時、

 

「いいえ、無駄なあがきはしないわ。ただ、2時間も待つ必要なんて無い」

 

 香奈が半ば、自信を持ったような声でそう言った。そして、呟くように話す。

 

「コード988実行。繰り返す、コード988実行」

 

 それは香奈が言った、まるで独り言のような声。しかし、リアンは警戒し、彼女の方を振り向

く。

 

「今、何を言いました?」

 

 香奈の方を振り向き、リアンは強い口調で尋ねる。

 

「さあ?何の事かしらね?」

 

「何をしたと聞いているの!答えなさい!」

 

 香奈がしらばっくれ、リアンが問いただそうとしたその時、彼女の視界に、何かが飛び込む。

その光景に、リアンは突然、眼を丸くした。

 

「どうやって、どうやって連絡したんです!」

 

「超小型無線機よ。あたしの耳の中に入っている。これで通信しただけの話」

 

 香奈は自分の耳を指し示した。

 

「そ、そんなものでは本国に連絡なんてできないはず!」

 

 リアンは驚いたような声のままそう言った。

 

 しかし、次の瞬間、彼女の視界の中に入ってくる存在。それは、大学跡の構内へと乗り込ん

で来る、ヘリであり、大型のジープであったりした。

 

「『タレス公国軍』?!何故、こんなに早く!馬鹿な!」

 

 リアンは驚く、しかし、沙恵の喉元には指先を突きつけたままだ。

 

「本国、本国って。あたし達、スパイがいるって事をすでに原長官から聞かされていたの。だか

ら、あえてそのスパイを泳がさせて、正体も同時に判明した所で、一気に軍に捕えさせる。それ

が目的だよ。ハメていたのはあなたじゃあなくって、あたし達の方。これでも、あたし達は諜報

部隊なんだから!

 

 だから、あたし達から離れた所には、ずっと『タレス公国軍』が待機していた。あたしが小型無

線機で連絡を取ったのも、あなたの言う本国じゃあなくって、すぐ側にいる軍の部隊となの」

 

「私を、はめたのか!」

 

 と、リアン。そう言っている間にも、大学構内は次々とやって来る軍の部隊に包囲されていく。

 

「潜入捜査って、ところよ」

 

「お、おのれぇ!」

 

 リアンは声を上げ、沙恵に襲い掛かろうとする。だがその瞬間、構内の扉を破って、軍の部

隊が突入してきた。

 

 沙恵に向かって手を向けているリアン。彼女の腕を、一発の銃弾が撃ち抜いた。

 

 リアンは怯む。そんな彼女に、次々と向けられる銃口。防寒タイプの戦闘服に身を包んだ『タ

レス公国軍』の兵士が、彼女の周りに迫った。

 

「殺さないで!命令は生け捕りのはずだよ!」

 

 沙恵は、タレス語を使い、部隊の隊員に命じた。リアンは、突き付けられている銃の銃口の

前に、全く何もする事ができない。

 

 彼女は、香奈と沙恵を、睨みつけてくる。憎悪に満ちた睨みだった。自らの任務を遂行してい

る時は、感情の篭っていない、暗殺者の眼をしていた彼女だが、今は違う。

 

 任務を失敗し、それも、おとり捜査ではめられ、彼女は、その不満を怒りに変えていた。

 

 そのまま、リアンは軍の隊員に連れられていく。手の指先から、ナイフのように鋭利な衝撃波

を飛ばせる彼女でも、銃を突き付けられていてはまるで何も抵抗できない様子だった。

 

「ねえ、沙恵、大丈夫?」

 

 少しふらつく沙恵に、香奈が駆け寄った。

 

「あんなの、慣れっこだよ」

 

 沙恵は、憮然とした声でそう答えるのだった。

「おおい、大丈夫か?」

 

 『タレス公国軍』の隊員に囲まれていた香奈と沙恵の元に、一博と登が駆け寄ってくる。彼ら

は、まだ近藤大次郎の研究室にいたわけだが、軍の部隊が押しかけてきて、大慌てで外へと

飛び出してきた。

 

「一博君達。見ての通り、大丈夫」

 

 と、香奈は全身を示してそう言った。

 

「やはり、あの人はスパイだったか。いや、今更確認を取るまでも無い。しかし、黒幕の方は分

かったのか?」

 

 登が尋ねた。

 

「ううん。駄目だった。あの人、上司、上司って言うだけで、名前までは言おうとしなかった。せ

めて、そこまでは聞き出すべきだった。でも、状況的にまずい事になったもんだから」

 

 沙恵は、首を振りつつそう答える。リアンは拘束できたが、成果を上げられなかった事に、彼

女は憤りを感じている。

 

「まあ、それに関しては、後に尋問というやつが、あるだろう。それに、ここは軍の調査部隊が

引き継ぐ。おれ達は手に入れた情報だけ持って、戻るとしよう」

 

 一博は、うなだれている沙恵にそう言った。それは、彼にとっては慰めの言葉だったのかもし

れない。

 

 そんなやりとりをしていると、彼らの背後から、一人の軍の隊員がやって来る。

 

「『タレス公国』からの衛星通信です。ハラ長官からの連絡です」

 

 そんな彼が持ってきたのは、衛星を介して無線連絡を取れる通信機だった。一博はそれを

受け取る。

 

「ああ、ありがとう」

 

 と彼が言うと、皆の視線が彼の方へと向けられた。

 

「原長官か。こっちが報告を入れようと思っていたが。もうこっちのカタがついた事に気がつい

たのか?やけに早い連絡だな」

 

 そう呟きつつも、一博は無線機を耳にした。

 

「原長官。おれです。井原です」

 

 一博がそう言うと、すぐに返事が返って来た。

 

「ああ、一博か。無事だったか? おとり捜査の方はご苦労だった。黒幕の正体は分かった

か?」

 

「い、いえ。スパイは全員逮捕する事ができましたが、皆、口が堅く、上司上司としか自分達に

命令を下した者の名前を言おうとしませんでした」

 

 原長官にそう答える一博に、皆の視線が向く。すると、彼は緊張したようだった。

 

「そうか、だが、ドレイク大統領の方も、すでに調査を始めている。近く、その上司という人物を

摘発できるだろうと言う事だ。

 

それよりも一博」

 

原長官は突然、話を変えた。

 

「は、はい、何でしょうか?」

 

「大変なのだ。君達が《綱道》に行っている間。世間は激しく動行しているぞ」

 

「えッ?それは、もしかして?『ゼロ』が?」

 

 『ゼロ』と発した一博の言葉に、皆の注意が向いた。

 

「いいや、違う。しかし、それに関連しての事なんだがな。

 

 『ユリウス帝国』だ。混乱に乗じて、軍がクーデターを起こしたらしい。今、首都は、軍によって

占拠されかかっている」

 

「何ですって?クーデター?『ユリウス帝国』で?」

 

「ああ、今朝起きたばかりだ。軍部を指揮しているのは、浅香舞国防長官だ」

 

『タレス公国』 『ゼロ』対策緊急本部

 

11月30日 5:43 P.M.(『タレス公国』東部時間)

 

 

 

 

 

 

 

 本来、『ゼロ』の対策の為に動いていた、『タレス公国』の対策本部は、その一部が『ユリウス

ユリウス帝国』の動向へと向けられた。

 

 大きなホールの吹き抜け中央部に広げられた巨大な地図は、《ユリウス帝国首都》の地図と

なって移り変わる。そこに何本ものラインと、アイコンが現れた。

 

「『ユリウスユリウス帝国軍』が《セントラルタワービル》への攻撃を開始して、すでに6時間が経

過しました。首都内での交戦による被害は悪化する一方。現在、軍同士による交戦が続いて

おります」

 

 オペレーターの一人が、『ユリウス帝国』の地図を前に言葉を発した。その背後にいるのは、

『タレス公国』のベンジャミン・ドレイク大統領と、原長官だ。

 

「軍同士による交戦?」

 

 原長官が疑問符を擲った。

 

「『ユリウス帝国軍』には元々、政府よりの考えを持つ高官と、国防長官よりの考えをもつ高官

との派閥に別れる傾向があったらしい。元々が勢力が大きく他国への活動を広げていた軍だ

からな。規模に比例して分裂傾向にあった。今回それが露呈したな?」

 

 ドレイク大統領は、相変わらず無機質な声で言った。

 

「軍同士による交戦は、『皇帝』ロバート・フォードや、その他、与党議員を保護する為に動いて

いる部隊。そして、元々首都の戒厳令中の警備を行っていた、アサカ・マイの指揮する部隊と

に二分され、デモ隊を巻き込んで衝突しています」

 

 騒がしくなっている対策本部の中で、オペレーターは再びそう言った。本部内の大型モニター

に『ユリウス帝国』で流れているニュース映像が流される。

 

 そこには、とても緊張した面持ちで、TVのナレーターの男が現れた。彼は外にいたが、画面

に映る《ユリウス帝国首都》の光景は様変わりしていた。災害でも起ったかのように、崩れた瓦

礫が道路に散乱し、煙が昇っている。燃え上がっている車も映っていた。

 

 “ここ、《ユリウス帝国首都》はさながら戦場のようです。軍の戦車や武器を持った兵士達が、

都市内部を駆け抜け、空には戦闘機も飛び交っています。ご覧下さい”

 

 そこで画面には、激しく炎を上げている建物が映される。元々は何かの商店だったのだろう

か、破壊され、地面に落ちた看板。そして割れたショーウィンドウ。

 

“この店の前では、ほんの30分前、軍同士による交戦がありました。死者も多数出た模様で、

軍同士の銃撃戦にも関わらず、民間にも被害が出ています。こういった被害は、首都内部の

あちらこちらで確認されており、こうして、外に出ているだけでも危険な状態です。中でも”

 

 カメラは燃え上がる商店の方からそれ、首都の中心部を映し出す。

 

“中でも、最も交戦が激しく行われていると見られるのが、あの《セントラルタワービル》付近で

す。煙が昇っているのがご覧になられるでしょうか? 《セントラルタワービル》は、中央省庁が

ひしめくエリアです。政府への被害が懸念されます。

 

 この事に関して、政府からは全く報告が無い状態です。6時間ほど前、《セントラルタワービ

ル》で銃撃戦が開始されてからというもの、軍同士による衝突は続いております。何故、このよ

うな事が起こったのか、政府や、軍からの説明も発表も何もありません。

 

 《ユリウス帝国首都》は数日前、『NK』で起きた壊滅的被害の直後から、首都内で戒厳令が

敷かれ、政府が『NK』への攻撃を行ったと噂され、反戦を訴えるデモ隊が活動を開始し“

 

「アサカ国防長官は、事を穏便に進めたかったのだろうが、これでは逆に悪化してしまったな」

 

 ニュース映像を見たドレイク大統領は呟いた。

 

「と、申し上げますと?」

 

 尋ねる原長官。

 

「彼女は、『ゼロ』を発見しようとするあまり、自らの軍を把握する事がし切れなかった。自分で

はなく、政府に依存していた者達が予想以上に多くいたのが、クーデターが大規模化した原因

だろう。このままでは、『ゼロ』を発見するどころか、首都内の鎮圧で精一杯になる」

 

 淡々とドレイク大統領は呟く。彼は、感情を篭めないかのような眼で、大画面のニュース映像

を見ていた。

 

 だが、その時、突然、警報が地下の対策本部全域に鳴り響いた。

 

 その警報と共に、施設内の照明は赤い色の点滅となって染め上げられ、突然の緊迫度を高

める。

 

 “非常事態発生。非常事態発生。『ゼロ』と思われる姿が、衛星映像によって確認された。繰

り返す”

 

 流れて来たそのアナウンスに、施設内の人間は一時騒然となる。

 

「何ですと! 『ゼロ』」

 

 原長官は驚きも露にそう言った。

 

「どこだ? ここに向かって来ているのか? そうなのか?」

 

 ドレイク大統領は、最も近くにいた情報分析官に尋ねた。

 

 その分析官は、手元のコンピュータの画面に緊急配信された、衛星の画像を映し出す。画像

は、どこかの海上を写しているらしい。画面全体が海だったが、そこにははっきりと写る光があ

った。

 

「これは、別の光じゃあないのかね?」

 

 原長官はそう言ったが、

 

「船からの光では、こんなに眩しい事はありません。解像度を上げて再度確認しますが、中心

付近に、影のようなものを確認しています」

 

「ここに向かって来ているのかね?」

 

 再度尋ねる大統領。

 

「いえ、ここに向かって来ているものではありません。これは赤道付近の衛星画像です。写した

のはほんの我が国の偵察衛星で2,3分前。ノーム海海上で、ここから2,000キロメートルは

離れています」

 

「そうか」

 

 その答えに、原長官は思わず胸を撫で下ろした。

 

「だが、待て、この『ゼロ』はどこかへ向かっているのではないか?」

 

 そんな原長官の安心など知らないかのように、ドレイク大統領は続いて分析官に尋ねた。す

るど分析官は、次々と画面に連続した映像を映し出す。

 

「こちらは15秒置きの衛星の画像です。『ゼロ』と思われる光は、だんだんと南へと向かってい

る事が分かります」

 

 そのように分析官が言った時だった。

 

「大統領!」

 

 側にいた別の分析官が声を上げた。

 

「何だ? どうした?」

 

「衛星写真の動きの座標を地図に重ね合わせた所、『ゼロ』の向かっている方向が判明しまし

た」

 

「それで、それは一体、どこなんだ?」

 

「《ユリウス帝国首都》です」

 

 

Next Episode

―Ep#.18 『戒厳令』―


 
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