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真・恋姫無双『日天の御遣い』 第十八章

リバーさん

真・恋姫無双の魏ルートです。 ちなみに我らが一刀君は登場しますが、主人公ではありません。オリキャラが主人公になっています。

今回は第十八章。
それぞれの、胸中は…

2010-11-06 23:02:15 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:7437   閲覧ユーザー数:5896

 

 はじめに

 

 

 真・恋姫無双『日天の御遣い』はオリジナルキャラクターが主人公になっています。

 オリ主に不快を感じる方。

 恋姫作品の主人公は北郷一刀以外は許せないという方。

 書き手がこういうことを言うのもおかしな話ですが……読まないことを奨めます。

 それでも構わないと仰ってくださる方はどうぞ、頁を進めてください。

 

 

 

 

【第十八章 夜陰】

 

 

 そして、戦は終わった。

 援軍の到着により、劉備軍は撤退。実に見事な、まるで援軍の到着を予想していたかのように、見事な退却戦となったおかげか、双方の被害は最小限の被害で抑えられた。

 最小限――しかしそれは、けして犠牲が出なかったというわけではない。

 あちらとこちら。

 立っている場所も歩んでいる道も違う者が刃を交え、矢を交わした以上、人は傷つけ、人は傷つく。

 どんなに最小限であろうと、あちらもこちらも犠牲は払った。

 彼もまた――その中の一人だ。

 

「っ……もはや、手の施しようがありません…………」

 

 夜。

 深く深く彼が眠っている部屋の前。

 沈痛な面持ちで部屋から出てきた医者が、悲痛な面持ちで待っていた華琳達に向けて呟いた言葉。それに華琳よりも早く、烈火のごとく反応したのは春蘭だ。ぐいっと医者の胸倉を片手で掴み上げ、怒りに任せた加減のない勢いのまま、強く壁に押し付ける。

 

「曹魏の軍医が、言うに事欠いて……――っ貴様!」

「……その手を離しなさい、春蘭」

「華琳さま! ですが……!」

「私の言うことが聞けないのかっ、夏侯元譲!」

「………………っ!?」

 

 華琳が覇気の滲んだ怒声を響かせたところで、苦渋に表情を歪めつつもようやく医者を解放する春蘭。

 沈痛に、悲痛に、手の施しようがないと言う他なかった――医の道を歩む身で、患者を救えない己に対する不甲斐なさで一杯の顔を見ればわかる。この者はこの者なりに、出来うる限りの全てを尽くしたのだ。責めたところで意味はないし、責められる非もない。

 非があるのは自分で。

 責められるべきも――自分だ。

 

「……そんなに。そんなにも、九曜の容態は、良くないのか?」

「っげほ…………わ、わかりません」

「わからない?」

 

 祈るような秋蘭の問いかけに、咳き込みながらも医者は答える。

 

「どうして生きているのか、どうしてまだ弱々しくも確かに、生を繋ぎ留めていられるのか、わからないほどに、酷い、状態です。右手の傷も相当に深いですが、それ以上に内部の、内側の損傷が激しく……」

「………………」

「どんな風に肉体を酷使すれば、こうなるのでしょう……長らく医に携わってきた自分でも、わかりません。……まるで何年分もの痛苦、疲労の塊を受けたかのごとく衰弱しております。尽きかけた、終わり尽きかけた生命力が戻れば、あるいは、万に一つの可能性で、しかし………………っ自分では、どうすることも!」

「……もう、良い。聞きたくもない」

 

 僅かも希望の窺えない嘆きの言葉が、ここにいる全ての者の目を伏せさせる。

 劉備の軍が撤退を始めてすぐ――旭日は気を失って、氣を失って、意識を失った。

 清々しく。

 晴れ晴れしい。

 日を思わせる笑顔を、浮かべて。

 いつもは安心するはずの、温かなその笑顔はひどく儚く、不安を生むばかりで――生じた不安は残酷なことに、現実のものとなってしまった。

 随分と夜も更けたというのに、未だ旭日は眠り続けている。

 深く、深く。

 朝陽とは程遠い、夕闇の底へと――落ち続けて、いる。

 

「………………っ」

 

 自分の窮地を救ってくれた彼が救われない。

 そんな理不尽な結末を、誰が認められるというのだろう。

 何もできない自分が悔しくて、恨めしい。

 

「……旭日の容態はわかった。しかし、どんなに施しようがなくとも、諦めることは許さないわ。足掻けるだけの全てを、尽くせるだけの全てを、尽くして頂戴」

「は、はい……」

 

 溢れてくる自責の感情を押し殺し、華琳は言う。

 

「それから皆は部屋に戻って休みなさい。戦と強行軍で疲れているでしょう」

「あっあの、華琳様! 旭日さんの傍に付き添わせては……」

「これは命令よ、琴里。……そんな顔で傍にいられても、あいつは喜んだりしないわ」

「っ………………わかり、ました」

 

 眠り続ける彼の為に何もできなかったとしても、彼の護った明日の為に何もしないわけにはいかない。

 青褪めた顔(もっともそれは彼女に限ってではないが)の琴里を諫めてから、その夜は皆、解散となった。

 それぞれの想いを――胸に、抱えて。

 

 

 

 

「………………さて」

 

 あてもなく、意味もなく、秋蘭は城の中庭へふらりと足を運んでいた。

 主には休めと言われたものの、こんな気分ではどうやっても休めはしない。部屋でじっとしていては、嫌な想像ばかり頭に浮かんでくる。なので、鬱屈している心を少しでも晴らそうとここまで歩いてみたのだけれど――

 

「晴れるどころか紛れもせん……か」

 

 ――不安は消えず、絶えず胸を締め付ける。

 わかっていたことだ。

 晴れてくれる、わけがない。

 空は暗く冷たい夜に色を変えて。

 明るく温かい日は空のどこにもなく、沈んでいるのだから――と。

 

「……うん?」

「む………………秋蘭」

 

 仕方なく部屋に戻ろうと踵を返した秋蘭の前に見えたのは、どういうわけか軍装に身を包んだ姉の姿だった。肩には自慢の大剣まで担ぎ上げ、今から戦にでも行くかのように、身体に収まらないほど高まった気を発していて。

 

「あ、姉者? そんな格好で、一体何を……」

「……ここより少し南へ行った村に、氣の扱いに長けた凄腕の名医が滞在していると聞いた。氣は、生命力と同じようなものなのだろう? ならば、あやつを……助けられるかもしれん」

 

 もしや彼の仇討ちに行くつもりなのだろうかと、嫌な考えが頭をよぎったが――長い長い沈黙の後、返ってきた答えは予想外な、あるいは真っ直ぐな姉らしいもので。

 驚きと納得に、ぱちりと目を瞬かせる秋蘭。

 

「その医者を……連れてくると?」

「ああ。寝ているのなら叩き起こし、同行を渋るのなら縛ってでも連れてくるまでだ」

「……華琳さまは、部屋で休めと命じていたが」

「罰は後でいかようにも受ける。華琳さまにもそう、伝えてくれ」

 

 そう言って、不意に春蘭は顔を俯かせた。

 まるで何かに耐えるように。

 まるで何かを堪えるように。

 そして、それはきっと。

 

「わたしは…………弱い………………!」

「姉者……」

「あやつに頼れと言ったのに、っ……わたしは! わたしはあやつに何も返せず、頼ってばかりで! 肝心な時に役に立たぬ大剣など、なんの意味もないではないか……っ!」

 

 震えた声が胸に――響く。

 響いて、思い知らせる。

 もっと早く着いていれば、共にいれば、こんなことにはならかったのではないか?

 ああも彼が傷ついたりはしなかったのではないか?

 心を暗くしていたのは不安などではなかった。これは、この重みは――後悔、だ。間に合わなかったことへの、助けられなかったことへの、気付かない内に直視するのを避けていた、悔しさ。

 

「だからっ! 万に一つでも億に一つでも、あやつを助けられる可能性があるのなら! わたしは――」

「――……走らぬわけにはいかない、か」

「っああ………………止めてくれるなよ、秋蘭」

「……止めないさ」

 

 自分もまた、同じ気持ちだから。

 

「いや、私だけでない。おそらくは華琳さまも、皆も、そうだろう」

「秋蘭……」

「ただし、くれぐれも問題は起こさぬようにな」

 

 万に一つでも億に一つでも。

 助けられる可能性があるのなら。

 姉は走らないわけにはいかないし。

 自分はそれを、止めるわけにはいかない。

 

「………………やれやれだ」

 

 祈るように目を瞑り。

 秋蘭はなんとはなしに、彼の口癖を夜へと落とした。

 

 

 

 

「………………っふん」

 

 不愉快そうに鼻を鳴らし、桂花は宛がわれた自分の部屋へと向かって歩を進める。

 あの男が死にかけてしまったせいで出来ずにいたが……戦いが仕事の武将と違って、軍師の仕事は戦が終わった後も山積みだ。今の今まで放置していただけでもありえないことなのに、これ以上、積み上げたままにしておくことは許せない

 琴里と、おそらくは風も使い物にならないだろうし。

 稟だって満足に働けるかどうか、微妙なところだ。

 ならばせめて、自分だけでも、すべきことをしなければ。

 

「……たった一人の、しかも男なんかが死にかけてるくらいで」

 

 情けない、と思うけれど――どうしてか、どうしても、それを言葉にすることはできなかった。

 

「戦には勝って、被害も予想より遥かに下回った。いいことづくめじゃない」

 

 そうでしょう?

 言い聞かせるように、桂花は呟く。

 劉備の軍を退けて。

 払った犠牲は少なくて。

 主の目指す先にまた一歩、前進して。

 軍師にとって喜ぶべきことばかりじゃないか。

 なのに。

 なんで。

 

「……あいつの、せいよ…………!」

 

 苛立ちを隠しもせず、感情のまま地面をげしりと蹴りつける。

 むかつく。

 むかつく。

 むかつく。

 もやもやして。

 いらいらする。

 それもこれも全部あの男の――九曜旭日のせいだ。

 たった一人で戦場に立つ背中が。

 ゆっくりと倒れていった姿が。

 目に焼き付いてはなれない。

 護られなくたって、絶対になんとかしてみせたけど。

 護られたのは、紛れもない事実だから。

 

「そんなところが…………………………嫌い、なのよ」

 

 こちらのことなどお構いなしに、勝手に護って、勝手に背負って、勝手に死にかけて。

 身勝手で、自分勝手で――そのくせ、自分自身を蔑ろにしては人を優先してばかりで。

 そんなところが嫌いだった。

 大嫌いだったし――嫌だった。

 

「(……あんな奴、死んじゃえばいいわ)」

 

 そうは思ってもやはり、言葉という形にすることは――結局。

 

「っ………………私は、信じない」

 

 大嫌いな男のことなんて、何一つ信じたりはしない。

 今は深い闇の中で眠っていても、どうせ、すぐにでも目を覚ますに決まっている。

 目を覚まして、いつものようにへらりと笑うに決まっている。

 

「そうに、決まってるわ」

 

 

 

 

 妹扱いしてくれるのが嬉しかった。

 兄と呼ばせてくれるのが喜ばしかった。

 家族についての自慢話を、のろけ話をたまに聞かせてもらい――彼にとって家族がどんなに大切なものなのか、知っていたから。

 あくまで兄貴分と妹分の枠の中のものだったとしても、妹扱いしてくれるのは嬉しくて、兄と呼ばせてくれるのは喜ばしくて――少し、怖かった。

 もしかしたら。

 もしかしたら自分達は、彼の家族の代わりなだけなのかもしれない。そういう風に扱われ、そういう風に大事にされてるだけかもしれない。そんな馬鹿みたいな、彼が耳にしたらきっと悲しい表情を浮かべる嫌な考えをしてしまって、怖くて――でも、今は。

 本当の妹だったならよかったと。

 本当の兄だったならよかったと。

 訪れたもっと怖い現実を否定するように――そう。

 流琉は、思うのだ。

 

「………………る、る」

 

 普段からは想像もできないほどか細い季衣の、自分を呼ぶ声に俯かせていた顔を上げる流琉。

 

「季衣……?」

「……っ流琉…………兄、ちゃん。兄ちゃん、大丈夫、だよね?」

 

 部屋に戻って、今まで。

 まるで何も見たくないように。

 何も聞きたくないように。

 ぎゅっと深く布団を被っていた季衣が顔を出して、言う。

 

「起きる、よね? ちゃんと、だって、兄ちゃんは《日天の御遣い》、なんだから……」

「………………っ」

「このままっ、このままなんて…………ないよね……? そんなの、あるわけ」

 

 赤く腫れた目から堪えられない雫が溢れ、彼女の顔を濡らしていく。

 弱々しくて。

 痛々しくて。

 けれどそれは――季衣だけのものじゃない。

 弱さも。

 痛みも。

 全部、自分のものでもある。

 

「……っやだ。ボク、やだよぅっ!」

「き、い……なか、泣かないでよ、季衣が泣いたら、私も………………っ」

 

 抱きしめ、抱きしめられて。

 抱き合って――泣き合って。

 そうしていなければ、ぽきんと折れてしまいそうで。

 支え合って。

 

「――……だいじょうぶ、大丈夫に決まってるよ、季衣。だって、兄様……だもん」

 

 そう、思うのに――どうして、なのだろう。

 何故だか彼の部屋の有様を思い出す。

 書簡が積まれた机。

 起きてそのままの寝台。

 来客用の円卓。

 その程度しか物らしい物が全く存在しない、もしもきちんと机の上を片付けて、布団をちゃんと整えれば空き部屋に変わってしまうぐらい薄く――寂しい生活感。

 いついなくなってもいいような。

 こうなることを予期していたような、そんな部屋。

 それが正しいとしたら――悲しかった。

 悲しくて、寂しくて。

 本当の妹だったならよかった。

 本当の兄だったならよかった。 

 家族についての自慢話を、のろけ話をたまに聞かせてもらい――彼にとって家族がどんなに大切なものなのか、知っていたから。

 自分達が本当に彼の妹だったなら、彼は彼自身をぞんざいにせず、大事したんじゃないだろうか、って。

 ぽつり、と。

 大切にされるだけの辛さと悔しさが視界を滲ませる。

 親友と共に堪え切れず、流琉は泣く。

 兄を想う――妹のように。

 

 

 

 

 初めて出会い。

 初めて共に戦い。

 初めて彼の強さを目の当たりにした時。

 黄巾党の大軍を相手に、あんな非道な連中の命さえも請け負うと叫んだ彼の姿を見て、涙を一つ零しながら、凪は思ったのだ。

 まるで、天に浮かぶ日のようだと。

 鳥も飛べないほどの高きで、雲も触れないほどの遠きで、何にも寄りかからず浮かぶ日のようだと。

 ああ――この人は己以外の誰かの為に涙を流して。

 己以外の誰かの為に、涙を流しはしないのだろう。

 泣くことを許せない強さ。

 それはなんて、不器用な強さなのか。

 自分も大概不器用なほうだけど……彼には到底、敵わない。

 弱味を見せず。

 弱音を吐かず。

 傷ついても、血を流しても――彼はきっと。

 誰にも迷惑かけまいと、笑うことしか、できないから。

 だから、凪は誓ったのだ。

 九曜隊へ正式に配属された時。

 彼と同じ景色を見て。

 彼と同じ荷物を担ぎ。

 彼と同じ痛みに耐えようと。

 日色の背中と、自分の――心に。

 

「凪……」

「凪ちゃん……」

「……大丈夫。私は……大丈夫だ」

 

 心配そうに声をかけてきた真桜と沙和の二人へ、繰り返し大丈夫だと凪は言う。それは多分に強がりが含まれていたものの、本当のことでもある。

 自分は、傷ついてはいない。

 血を流してだっていない。

 少なくとも――身体は。

 

「二人こそ、大丈夫なのか?」

 

 心配を返して、彼女達にそう問いかける。

 素直じゃない自分とは違って、真桜も沙和も感情を隠さず表に出す。そんな二人が瞳を潤ませてもいないというのは、逆に不安だった。

 けれど。

 

「んー……大丈夫、ではないんやけど」

「だからって、泣いちゃうわけにはいかないの」

「そうか………………私も、同じ気持ちだ」

 

 それは、その気持ちは、信頼と呼ぶだろう感情。

 真桜も沙和も、自分も信じてる。

 彼の背中を傍で見続けてきたからこそ――わかる。

 いつだって彼は。

 

「――隊長は、いつだって人の笑顔の為に戦ってきた」

 

 涙を晴らし――笑顔にする為に何もかもを背負って、護ってきた。

 ならば、自分達が泣くわけにはいかない。

 彼は未だ夕闇の底で、戦い、続けているのだから。

 

「………………っ」

 

 ただ、それでも。

 ぎゅっと歯を食い縛って、拳を握り締める凪。

 そうしていなければ、溢れてしまいそうだった。

 ここに二人がいなかったら、我慢できなかったかもしれない。

 これほどの痛みを。

 彼は、たった一人で。

 ずっと。

 

「(隊長…………隊長はずっと一人で、これに耐えてきたのですか……?)」

 

 泣かない強さ。

 それは今まで負ったどの傷よりも痛くて――苦しかった。

 

 

 

 

 霞は自他共に認める生粋の武人だ。

 戦いにこそ生き甲斐を感じ、戦場こそが居場所だとも感じることがある。

 勿論、戦が好きというわけではないけれど――それでも、自分は好き好んで戦ってきた。

 ならば、どうして。

 どうして彼は戦うのだろう?

 どうして彼は戦ってきたのだろう?

 霞が見る限り、けして彼は好んで戦っているわけではない。自分のように生き甲斐を感じることもなければ居場所と感じることもなく、どころかむしろ、武器を振るうことを嫌ってさえいる。彼が別の世界の人間であるのなら、天の御遣いという肩書きが勝手に与えられたものであるのなら、わざわざ戦場に立つ必要はないはずだ。

 それにそもそも、どうして彼はあれほどまでに強くなったのか。

 天の世界は平和なものだったと、いつかの昼下がりに二人だけで酒宴を催した際、彼は言っていたのに。

 なのに何故、強くならなければいけなかったのか。

 どうして――なんの為に。

 

「……あんたはそれも、自分の為やって言うんやろな」

 

 月明かりだけが淡く照らす部屋の中、自嘲するように笑って呟く霞。

 ああ、本当に、彼なら言いそうだ。

 それが己以外の為であろうと、それで己が不幸になろうとも。

 今回だって、絶対。

 間違っていてほしいけれど、間違いなく。

 

「自分の為……自分の為、か…………」

 

 かたん、と。

 手の内で遊ばせていた盃が滑り落ちる。

 構わない、酒を呑もうとして――でも結局、気分が乗らなくて、一滴も注いでないのだから。落ちたところで床は汚れず、乾いたまま、冷たい静けさを主張するだけだ。

 

「なあ……旭日。あんたが自分の為って繰り返すんは、誰に何も背負わせたくないから、なんやろ……?」

 

 誰かの為にしたことが必ず誰かの為になるわけじゃない。

 逆に妨げになるかもしれないし、重荷になることだってあるだろう。それらが生む責任を誰にも負わせたくないから、背負わせたくないから――彼は、きっと。

 

「良かったらそいつの功で、悪かったらあんたの非になる。……上手い言い方もあったもんやな。せやけど」

 

 強く強く拳を握り締め、霞は。

 

「それでウチらが喜ぶ思ってるんなら………………っ大間違いや」

 

 一方的に背負い。

 一方的に背負われ。

 そんな関係のどこが仲間だと言うのか。

 助けて、時に助けられて。

 支えて、時に支えられて。

 そういう風に共にあれなかったら、そんなの、一緒にいたっていないのと変わらないじゃないか。

 

「本当の意味での仲間になりたい――……ウチはあんたに、そう言ったよな? それは今でも、変わっとらん」

 

 休みたい時は背を預けてほしい。

 眠りたい時は頭を預けてほしい。

 泣きたい時は心を預けてほしい。

 

「また、ほっぺ抓ったるから、さっさと起き………………あほぅ」

 

 何もかもを全部、一人で背負わないでほしい。

 自分達は――仲間、なのだから。

 

 

 

 

 不安な気持ちは確かにあるし、心配だってしているけれど。

 それ以上に、現実味がない――というのが、稟の本音だった。

 現実味がなく。

 夢にも、思えない。

 旅をしている道すがら彼についての噂を耳にして、琴里から彼についての話を聞かされて、仲間になって。わかったのは彼が噂通りの、話通りの人物ということ。

 日天の御遣い――まさに彼は日天の御遣いだった。

 日のようにそこにあり、日のように笑い、日のように温かく――日のように強く、何もかもを照らし。振るう強さがどこか危うい、触れれば壊れそうな脆さを滲ませていても、いつだって彼は向けられた不安も心配も杞憂にして生きて帰って来た。、

 だから――思う。

 彼にとって不安は無縁のもので。

 彼にとって心配は無駄なものだと。

 思って、しまう。

 死と生の狭間をさまよっていると知っても――未だ、変わらずに。

 

「……身体が冷えますよ、風。部屋に戻りましょう」

 

 ふっと息を吐き出し、隣りで佇む風へ声をかけてみたが、返ってきたのは沈黙。

 部屋へ戻る途中で不意に立ち止まってからずっと、風は夜空を見つめたまま動こうとしない。

 付き合いの長い稟でさえ、普段は何を考えているのかわからないことのある彼女だけど……今は何を考え、何を思っているのか手に取るようにわかる。

 共に日向ぼっこしている姿を、何度か目にした。

 彼と絶影が戯れている様子を眺め、微笑んでいることもあった。

 それくらい風は、彼にとても懐いていた。

 不安を抱かないわけがない。

 心配を抱えないわけがない。

 傍で見ているこちらのほうが、辛くなるほどに。

 

「(けれど………………きっと)」

 

 そんな風の不安や心配すらも彼はまた、杞憂にしてしまうのだろう。

 今日が終わっても明日になれば再び昇る――朝陽のように。

 

「――………………夜」

「……えっ?」

 

 ぽつりと、呟かれた声。

 

「ねえ稟ちゃん、稟ちゃんは夜が訪れる理由を考えたことありますか?」

「そ、そんなこと……考えたところで、答えなど出ませんよ」

「かもしれませんねー。……でも、風は思うのです。夜が訪れるのは、朝から世を照らしっぱなしのお日様を休ませる為なんじゃないかと、そう風は思うのですよー」

 

 瞳に夜空を映したまま、風は言う。

 

「では一体、人に日と喩えられるお兄さんはいつ休むのですかねー?」

「っそれは……」

「いつ、休めるんでしょうね。頑張り屋さんのお日様は」

「………………」

「お兄さんが起きたら、休んでもいいのですよって、言ってあげなきゃですねー」

 

 ざくり――と。

 彼女の言葉が胸に突き刺さる。

 

「(……私は、一度でも風のように、旭日殿を見たことがあったでしょうか)」

 

 当然のように天を照らす日が落ちるかもしれないと、果たして誰が不安がるだろう?

 当然のように人を照らす日が消えるかもしれないと、果たして誰が心配するだろう?

 決まってる。

 誰も不安がらないし、心配もしない。

 何故ならそれは当然のこと、だから――でも。

 違う。

 違うのだ、本当は。

 何もわかってなんかいなかった。

 強さばかりに目を向けて、そこから先を知ろうともしなかった。

 胡散臭い占い師に押し付けられた、重い肩書きを平気な顔で担ぎ上げ、寄せられてくる勝手な期待をしかと引き受け請け負って。それが平気なはず、当然であるはずなんて、そんなこと。

 天の御遣いと呼ばれても。

 日に喩えられても。

 傷つけば血が流れるし、そこには痛みだってある、人なのに。

 自分達と変わらない――人なのに。

 

「…………………………ああ。苦しいものなのですね。知らない、ということは」

 

 知りたいと思う。

 今になって、やっと。

 日天の御遣いでない――彼自身を。

 その為にも。

 

「目覚めてくれなければ困りますよ………………旭日殿」

 

 

 

 

 城壁に建てられた、物見やぐらの屋根の上。

 天と距離の近いそこで琴里はじっと、夜空を仰いでいた。

 

「……あの後、すぐ母に見つかって、一緒に叱られてしまいましたね」

 

 それはいつかの、こんな風に屋根へ上った時の、思い出すまでもなく鮮明に覚えている、大切な想い出。

 二人だけの秘密だと笑い合い、母に見つかり叱られても「短い秘密だった」と悪戯がばれた時の子どもみたいに笑い合った――現在の自分を形作る、かけがえのない大事な大事な過去の一つ。

 ふふっ、と。

 笑みを零そうとするも――笑みは結局、零れてはくれず。

 

「え……? あ、れ…………?」

 

 代わりに目から、はらりと、散る花弁のように雫が零れ落ちて。

 止まらない。

 止めれない。

 ついには幼い子のように、膝を抱えて、ただただ、声を殺すことも――できずに。

 

『何も返せないって? 何もできないって? そう思うんなら笑えよ、琴里。返せない分だけ、できない分だけ、笑顔を浮かべろよ。可愛い嬢ちゃんの可愛い笑顔が、俺にとっちゃ何よりも最高の報酬だ』

 

 想い出の中で彼は言う。

 あの夜はそれを耳に受け、彼の優しさに笑うことができた。

 けれど、今は――

 

「っ……笑えるわけ! ないじゃ、ないですか………………!」

 

 ――はらりと。

 涙ばかりが溢れて――零れる。

 強くなった、つもりだった。

 枷にならないよう、重荷にならないよう、強くなった気でいた。

 馬鹿、みたいだ。

 勘違いにもほどがある。

 彼が隣りにいてくれなければ――笑うことも、涙を止めることもできないくせに。

 

「いつだって……自分、は…………っ」

 

 彼に助けられて。

 彼に支えられて。

 彼に護られて。

 彼に救われて。 

 なのに――それなのに。

 

「どうしてっ! なんで……自分は、こんなにも!」

 

 こんなにも、無力なのだろう。

 彼を助けることも支えることも護ることも――救うこともできなくて、ただ、泣くことしかできないのだろう。

 

「…………くや、しい……」

 

 悔しい。

 自分の無力さが。不甲斐なさが、情けなさが、取るに足らなさが。弱さが、悔しくて、悔しくて、悔しい。

 

「っ旭日、さん……――旭日さん! 旭日さんっ、旭日さん、旭日さん………………っ!」

 

 不安で胸が裂けそうになりながら。

 恐怖で心が潰れそうになりながら。

 それはまるで祈るように、求めるように、琴里は彼の名を呼ぶ。

 どうか、どうか届いてほしい。

 この夜の向こう。

 今は隠れてしまっている日へ向けて。

 涙に乗せた想いを――零す。

 

 

 

 

「……好き勝手なことを言って、自分勝手に眠って…………本当、良い身分ね」

 

 温もりがひどく薄くなった彼の頬をそっと撫で、語りかけるように華琳は独白する。

 皆に休めと命じた手前、一度は部屋に戻ったものの眠ることはできなくて、再びここに来てしまった。彼はおそらくきっと、否定するだろうけれど……こんな目に遭わせたのは自分だから。あの時、自分が籠城を選択してさえいれば、こんなことにはならなかったから。

 休むことなんて――到底。

 

「………………」

 

 微かな、幽かな寝息。

 日を思わせる瞳は重く閉じた瞼で見えず。

 朝焼けの色の髪もどこか、褪せているようで。

 初めて目にする、弱々しい彼の姿。

 

「……旭日。貴方はどうして………………」

 

 帰れる場所があっても帰ろうとしないで。

 そこが温かければ温かいほど、拒絶して。

 寂しそうに、笑うのだろう。

 まるで自分自身がそこにいることを許せないように、許したくないように。

 眩い強さに隠された、彼の弱さ。

 己を優先しない。

 己を大事にしない。

 生きて帰ることを考えない――決定的で致命的な弱さ。

 

『誰しも人は独りでは生きられぬ。人が人を求め、人を欲し、人を想い、人を愛してこそ、人は生きるものじゃ。ならばなにゆえ、誰かに寄りかかるを頑なに拒むのか。……日の眩さに目を細め、彼の者の弱きを見落とさぬようなされよ、曹孟徳殿』

 

 見落としてなんてなかった。

 けれど、それに手を伸ばすこともせず、踏み込むこともせず。

 何もせずただ、見つけただけにしておいたのなら――そんなの。

 見落としていたのと変わらないのに。

 与えてしまった、自分が。

 彼が生きて帰ってきてくれる居場所を与えらないまま。

 きっかけを。

 死に場所を――わかっていたのに、与えてしまった。

 

「こういう風に護られたって、嬉しいわけないじゃない…………………………ばか」

 

 手を伸ばすべきだった。

 踏み込むべきだった。

 届かなくても、近付かなくても、届くまで、近付くまで。

 拒絶されたっていいから。

 よくないけれど、それでもいいから――手遅れになるより、ずっといいから。

 

「………………ばか」

 

 

【第十八章 夜の暗さ、陰の昏さ】………………了

 

 

あとがき、っぽいもの

 

 

どうも、リバーと名乗る者です。

今回は………………なんでしょうね? それぞれの胸中、といったところでしょうか。……自分でもよくわかりません。本当は旭日のターンも入れるつもりだったんですが……長くなるので次回に延期させました。というか、ここに旭日のターンまで入れてしまったらぐだぐだ感が半端ないことになると思いまして……いやまあ、今更なんですけど。

ええと、同じ彼の下にいるのに琴里は泣いて、凪達は泣かなかったのは、泣かない強さも大事ですが、泣きたい時に泣ける強さも大事だと思ったからです。琴里、つまりは徐庶は史実では蜀のほうの色が強いので、泣きたい時に泣ける強さの持ち主なんじゃないかと。

……今回はあまりあとがきしないほうがいいですね。なんだか、自分でも上手く説明できませんし。

次回については……伏せときます。

おそらく大事な大事な章になるので。

 

では、誤字脱字その他諸々がありましたら、どうか指摘をお願いします。

感想も心よりお待ちしています。

 


 
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