No.145597

Cat and me 4.王子の帰還

まめごさん

ティエンランシリーズ第六巻。
ジンの無責任王子ヤン・チャオと愛姫スズの物語。

「このネコも、ここで暮らすのだ。わたしと一緒に」

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2010-05-26 07:59:53 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:492   閲覧ユーザー数:470

城の中は相変わらずだった。

慇懃無礼な重苦しさと、高慢さ、そして空気が薄い。

なんでこんな所に生まれたのだろうとつくづく思う。

いっそ橋の下にでも生み落としてくれればよかったのだ、母上は。

少女を抱えて歩くわたしを、女官や臣下が不思議そうな目で見ている。

スズは怯えると思いきや、好奇心の方が勝っているようだ。

せわしなくあちらこちらを見渡していた。

数ヵ月ぶりに自室の扉を開ける。

とたんにスズは喜んで腕の中から飛び降りた。

大きな窓に走り寄り、重厚な机を叩き、寝台の上で飛び跳ねた。

「こら、落ち着きなさい」

聞く耳をもたない。今度は大理石の感触を確かめるように、ぺったりと床に寝そべった。

「こらこら、汚いだろう」

慌てて抱き上げようとすると、そのままコロコロと転がってゆく。

「スズ」

追いかけるが、遊んでいるのか、からかっているのか、逃げるように転がる。

そして机に頭をぶつけた。

ゴンと大きな音がした。

「ほら、痛かったろう」

頭を両手で押えてうずくまっているスズを抱き上げ、窓の下の椅子に腰かけた。

触ると少しコブができている。

全くこのネコは。

クスクス笑いながら、撫でてやるとむくれて横を向いた。

涙目になっている。よほど痛かったらしい。

「床は転がるものじゃないんだよ」

白い額に口を落とすと、ぷくりと膨れた。

「ヤン・チャオさま」

「おかえりなさいませ」

カイドウとリンドウが入室し、目を点にした。

まあ、仕方がないだろう。わたしとスズは口づけを交わしていたから。

「そ、そ、その子も連れてきたのですか!」

リンドウの悲鳴に近い声が響く。

「ネコを連れて行くといったではないですか、まさか…」

「そうだな、正確にいえばネコのような少女だ」

スズの頬に指を這わせながら、歌うように言う。

「駄目です! 今すぐ捨ててきてください!」

嫌だというようにスズがわたしの衣に縋った。大きな瞳がうるんでくる。

「そうかそうか、離れるのは嫌か。では、一緒にいこう」

こくりと頷いた少女を抱き上げて、窓枠に足をかけた。

「父上には、持病の癪が悪化して死んだと伝えてくれ」

「伝えるかぁ!」

お、切れたな、カイドウが。

お付き二人の叫び声と、わたしののらりくらりとした声、それからたまにスズの退屈そうな鳴き声が混じった時間が過ぎた。

一刻経った。

再び王子に逃げられるよりは幾分かマシだと判断した二人は、しぶしぶ了承した。

「では…。その娘の部屋を用意させますので…」

「必要ない」

「は?」

「このネコも、ここで暮らすのだ。わたしと一緒に」

なあ、スズ。ふっくらした唇を撫でると、賛同するように鳴く。

「それは、その、夜も含めて…」

「当たり前だ」

なあ、スズ。白い耳を優しく噛むと、甘えるように鳴いた。

「アホかー!」

カイドウがそばにあった机を叩く。ドンと響いた。

あ、二段階目に入ったな。

「王子に向かってアホとはなんだ、アホとは。口を慎め」

「アホやからアホゆうとんじゃあボケえ! こんなパッパラパーな小娘に手えだしやがって! ややが生まれたらどないするんじゃい、こいつが妃になるんか!」

この一見、涼やかな男は、興奮状態二段階目に入るとお国言葉が出る。

中々に下品で面白い。

昔はそれ聞きたさによくからかったものだ。

「子供は多い方がいいな」

なあ、スズ。抱きよせて、茶色い髪の毛に口をつけた。

しかし、スズははしゃぎ疲れたのか寝息を立てていた。

「ああ、わたしのネコが寝てしまった。そう言う訳でお前たち、退出」

シッシと手を振ると、カイドウリンドウの背後からゴオウと怒りの風が吹いた。

気にすることなく、可愛い寝顔を愛でる。

警戒心のない無邪気な寝顔。口からよだれが少し垂れていた。

お付き二人とは幼いころからの付き合いだ。性格も行動も読めている。

「それと、食事はこれから部屋で食べる。時間になったら持ってきてくれないか」

「…分かりました…」

 

結局、最後はわたしの我儘が通るのだ。

翌朝。女官の声で目を覚ました。

腕の中にいるスズはまだ寝ている。

痛々しい背中はわたしの胸にくっついていた。

小さな肩が微かに上下している。

「朝だよ。起きなさい」

頭に口を付けても反応しない。

「スズ」

髪をかきあげて、耳に息を吹きかけるとうるさそうに蒲団に潜り込んだ。

少し可愛がり過ぎたかもしれない。

身体を起こすと、女官たちが真っ赤な顔で戸惑ったようにこちらを見ていた。

ただ一人、老女のキムザは平然と茶を入れている。

「おはようございます、殿下」

「おはよう、キムザ。いい天気だ」

老女から茶を受け取って寝台の宮に凭れる。

辺りには脱ぎ散らかした、わたしとスズの寝着が落ちている。

「お譲さまのお着替えも用意いたしておりますが、いかがいたしましょう」

それを拾いながらキムザは淡々と言った。

「まだ寝させてやってくれ」

ぺらりと蒲団をめくってスズを見る。熟睡していた。

二十五の立派な成人男性が、ただ突っ立って妙齢の女官(内一人は老女)に衣を着せられるのは、しごく滑稽なことであると思う。

思春期時は断固拒否したものだが、老女に「わたくしたちの仕事を奪うな」と諭され、納得した。

ここはそんな所だ。馬鹿馬鹿しくてやっていられない。

黙々と朝飯を食っている間も、五人の女官たちは控えている。

「ヤン・チャオさま」

「おはようございます」

リンドウとカイドウが入ってきた。

「本日の正午に、陛下からお話があるそうです」

「お二人の兄王子さまもお呼びがかかっております」

「ああ、面倒くさい」

あの父(ボケ)と、兄(ボンクラ)たちに会うのは。

思わずため息をついた。

隙を見計らって、また逃げてやろうか。

スズを連れて。

「…何を考えていらっしゃるのですか?」

「今日はいい天気だなあと」

午前中は、久しぶりに散策でもするか。

町中とは違うこの城内にスズも喜ぶに違いない。

窓の縁に腰をかけて、茶をすする。

ウラウラとした陽光の中、小鳥たちが飛んで行った。

今年の冬は暖かいな。

後ろからスズの鳴き声がした。目を覚ましたらしい。

ぼさぼさ頭でまだ寝ぼけたように目をこする。

寝台の上で、ぺたんと座っている裸の少女の胸元と首筋には、昨夜付けた赤い斑点が散っている。

わたしとキムザ以外の全員が顔を真っ赤にした。

「やっと起きたか」

しかし、スズは部屋の人数の多さに仰天したらしい。

大きな目を見開いて、じりじりと後退した。

そして大きな音をたてて転げ落ちた。

「スズ!」

急いで駆け付けると、再度、頭を打ったようだ。

丸く頭を抱え込んで、痛みに震えていた。

「本当に、お前は…」

抱え込むと相当痛かったのだろう、涙を流していた。

「またコブを作ってしまったね」

寝台のふちに腰かけて、慰めるように揺らしてやる。

「あ、あのう…、ヤン・チャオさま…」

戸惑ったようなリンドウの声がした。

「お前たち、用は終わったのだろう。下がって良い」

二人のお付きと女官たちに言う。

「まだ、お嬢さまのお着替えが終わっていません」

「では、キムザは残りなさい。ああ、この子の朝餉もあるな」

「わたくしがご用意いたします」

わさわさとカイドウたちが出て行くと、いきなり静かになった。

「スズ」

もう大丈夫かと額に口をつけると、大丈夫というように鳴いた。

「おいで。このおばあちゃんが、衣を着せてくれるからね。大人しく立っていなさい」

抱き上げたスズをキムザの前に下ろすと、少女はきょとんと老女を見上げた。

「女官のキムザだよ」

「はじめまして、お嬢さま」

老女が美しい礼をする。

スズは、ペコンとお辞儀をし、にっこりと笑った。

釣られたように、キムザも微笑んだ。

驚いた。この女官が笑った顔なぞ初めて見た。

手際よく衣をつけられてゆくスズを、椅子に座って頬をついて観賞する。

女というものは、美しいものを身に纏うと変身する。素の良いものは当たり前だが、そうでないものもそれなりに。

しかもわたしのネコは、可愛い少女だ。

うっすら化粧され(白粉に咳きこんだ)、いつもは括りもしない髪を結われ(初めてなのだろう、硬直していた)、沓を履かされ(若干顔を顰めた)全てが終わった時には、城一番の美少女がそこにいた。

「なんて可愛らしい」

キムザがうっとりとした声を出す。

驚いた。この女官の柔らかい声なぞ初めて聞いた。

「すごいな。お姫さまの誕生だ」

おどけてスズの前に片膝をつくと、その小さな手を取って口を付けた。

にっこり笑って口を重ねてくる少女に苦笑する。

「殿下、紅がついてしまいますよ」

「それは困る」

そう言いながらも離し難い。結局、紅を舐めとってしまい、キムザに文句を言われた。

朝餉を済ませたスズとわたしは手をつないで、散歩に出かけた。

「どこに行きたい? 庭園か。馬舎には馬がいるぞ。離れはちょっと遠いな。塔に登れば、国が見渡せる。森にいくのならば馬を出そう」

スズが人差し指を立てた。

庭園にいきたいという意味だ。

「仰せのままに」

こっちだよ、と手を引く。トホトホとスズが歩くたびに、首の鈴が小さく鳴った。

壮大な庭園にでると、歓声を上げるように鳴いた。

そして手を振り切って走ってゆく。

鳩の群れめがけて。

砲でも食らったかのように飛び立つ群れを満足げに眺めた後、今度は池に向かって走って行った。

「こら、スズ。危ないだろう!」

慌てて追いかける。捕まえようとすると、するりと手を抜けて逃げた。

立ち止まってこちらを見ている。わたしが走り出すと、飛び上がって再び駆けだした。

奇妙な二人の追いかけっこに、散策中の貴族や警備兵が丸い目で眺めている。

スズは素早い。翻弄するかのように捕まえる直前でチョロチョロと逃げる。

「このやんちゃネコめ」

やっと腕の中に閉じ込めた時は、二人とも息が上がっていた。

芝生の上にひっくり返って、息を整える。

気持ちよさそうに寝そべったスズは、楽しげに足をパタンパタンとならした。

「こらこら、外でそれをやっては駄目だ」

衣がめくれあがって、太ももが露出している。近くにいた若い警備兵が鼻血を出した。

「本当にお前という子は…」

抱きよせて直してやると、甘えたように身をすりよせて来た。

鼻血を出した警備兵、今度は唾を飲み込んだ。

「いいか、スズ。よく聞きなさい。ここに住む人は馬鹿が多い。部屋の外に出たら大人しく、人間の女の子の振りをするのだ。馬鹿に、スズを馬鹿にされるのは腹ただしくて仕方がない」

ここは、そういうところなのだ。

スズは黒い瞳で大人しく聞いていたが、不満そうに鼻を鳴らした。

「ただし、部屋の中ではなにをしても良いから。ああ、怪我をするようなことはするんじゃないよ」

分かった、と力強く頷いたスズは、おもむろに芝生に座りなおした。

足を横に流し、まっすぐ背を伸ばして遠くを見る。

少女ながらに色気があった。

「よし、いい子だ」

気取ったように、ゆったりと微笑む。

本当にこの子ときたら。

わたしも、足を投げ出して手を付き彼方を見る。

優しい風がそよいで頬を撫でた。スズの焦げ茶の髪と、わたしの深緑の髪も揺れる。

「ヤンさま」

背後から女の声がした。

内心舌打ちをする。

「久しぶりだね、セリナ」

笑顔を作って振り返ると、数人の侍女を引き連れ、柔らかく微笑している女に挨拶した。

「もう、わたくしのことなぞ、お忘れになったと思っておりましたわ」

悲しげにうつむく婚約者に心の中で舌を出す。

うん、忘れていた。きれいさっぱり忘れていた。

「その少女はなんですの?」

「わたしのネコだ」

凍りつく女を無視して、少女の手を取る。

「スズ。このおばちゃんはセリナという人だよ。ご挨拶なさい」

おばちゃんという言葉に、セリナの青い瞳が傷ついたように揺れた。

まあ、二十七は微妙なお年頃であろう。

しかしさすがは貴族の娘、笑顔を絶やさない。

スズはゆっくり立ち上がると、先ほどキムザがしたものとそっくりの、美しいお辞儀をした。そして花のような笑顔を放った。

さすがはわたしのネコ、とこの場でクルクル回してやりたいくらいだ。

セリナは一瞬、気圧されたものの、こちらも受け立つように満開の笑顔を作り、

「始めまして、ネコちゃん。ヤンさまの婚約者のセリナと申します」

と僅かに膝を落とした。

「さて、そろそろ帰ろうか、スズ。いくよ」

腰を上げてスズに手を差し伸べると、白くて小さな手がちょこんと乗った。

「では、セリナもお元気で」

「あ…」

何か言いたげな婚約者をのこして歩きだす。可愛いネコと手をつないで。

 

部屋に戻ると、即効スズを寝台に押し倒した。

仰天した鳴き声にもかかわらず、口づけを降り注ぐように浴びせる。

「殿下、そのようなことをされたら化粧が落ちてしまいます」

「お前はそれしか言う事がないのか、キムザ」

「ああ、御髪も乱れてしまって」

他の女官たちは、当てられたようにもじもじとしている。

「昼餉は、陛下たちと召しあがるようにとリンドウさまから言付かっております」

「そうか。スズ、一人でご飯を食べてお留守番できるか」

抱き上げて膝にのせると、その頬に口をつけた。

こっくりと頷いたスズの口に、舌を差し込む。

「すぐに帰ってくるからな」

了解したというふうに鳴くスズを抱きしめると、昼餉が用意されている椅子に下ろした。

「飯が終われば、お前たちは下がっていいから。この子を頼んだよ」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ、殿下」

キムザは少女を見て、ほほ笑んだ。どうやらこの老女は、わたしのネコを気に入ったらしい。

スズの額に口を落とすと、部屋を出た。

気合いを入れるように小さな息を吐き、ボケとボンクラたちの元に向かう。

「おや、久しぶりではないか、弟よ」

「体の具合は良いのか、病弱な弟よ」

意味もなく広い食堂に、二人のボンクラの声が響く。

「お久しぶりです、兄上方。相変わらずですね」

その間抜け面が、とは勿論言わない。

「父上も、お元気そうで」

無駄に、とも勿論言わない。

「お前の顔を見るのは、何年振りだろうか」

「四か月ぶりぐらいでしょうか、父上」

上っ面な会話をしながら、早くも飽いてきた。

家族ごっこをするのは苦痛で仕方がない。

王位には興味がない。この王子という地位も返上したいくらいだ。

隣に座る二人の兄は、お互いを牽制し合いしながら父に自分を売り込んでいる。

しかし、国王はなぜかわたしをお気に召しているらしい。

こちらにばかり話題を振る。

やめてくれ。

ボンクラたちをかまってやってくれ。

「ところで重要なお話があると窺ったのですが」

「そうそう、それじゃ」

食い終わった父は、茶を啜りながら嬉しそうに頷いた。

「近頃、暇でならん。なにか面白いことはないか」

思わず卓をひっくり返したくなった。

鈍重な机はビクともしないだろうが。

そんな下らない理由でわたしはここに呼び戻されたのか。

「では千人の美姫を集めてはいかがでしょうか」

ボンクラその一が声を上げた。

おお、さすが女好き。

「それとも、庭園の池を酒に変えてはいかがでしょうか」

ボンクラその二も負けじと言った。

おお、さすが酒好き。

「お前はどうなのだ、息子よ」

三人の目線が集まる。

「では手品をお見せしましょう」

そばにあった箸置きを適当に引っ掴んだ。

「この箸置きが」

くるりと手を回す。

「ほら、このように消えてしまいました」

ボケとボンクラたちは呆気にとられていたが、その内ボケが腹を抱えて笑いだした。

「本当にお前ときたら…」

しまった、受けてしまった。

父は満足げに頷いた挙句、散々わたしを褒め称え浮足立つように席を立った。

「ヤン・チャオに王位を譲ることも検討せねばのう」

どういう思想を経路して、そこに辿り着くのか分からない。理解不能だ。

「結構です、父上。それはどうかこの兄上たちに」

「その心優しいところも、お前の母に似ておる。悪いようにはせん」

そして退室してしまった。

あのボケ。欲の強い母に未だ騙されているのか。

それにしても。

内心大きなため息をつきながら、箸置きをおく。

「未だ妃を娶らぬ弟が、生意気なことを」

妃どころか、複数(二桁)の側室と愛人がいるボンクラその一が忌々しげに言った。

「病弱ならばそのまま逝ってしまえば良いのに」

病弱どころか、きっと何かの病気(肥満系)に違いないボンクラその二が吐き捨てるように言った。

「では、兄上方。がんばって実力で王座を勝ち取ってください。ご健闘を」

兄たちの醜い罵倒の言葉を無視して、扉を開けた。

「ああ、スズ」

汚いものをみたあとは、可愛らしいものを愛でるに限る。

部屋に帰ってきたわたしに、飛び付いてきたスズを抱きしめ、そのまま寝台にひっくり返った。

たかだか一刻、あいつらの相手をしただけで、本当に疲れきってしまった。

ぐったりと動かないわたしの腕の中で、スズが不思議そうに鳴く。

「一緒に昼寝でもしようか」

同意する声を出すと、起き上がった。

そして邪魔なのだろう、刺さっていた簪を抜いてゆく。

その度にサラサラと茶色の髪が落ちてゆく。

見とれていたわたしに口づけを落とした。

「昼寝はやめよう」

クスクス笑って、柔らかい唇を吸う。

「そんなに色っぽいことをされたら、襲いたくなってしまうではないか」

とまどったような鳴き声を聞きながら、唇を落としてゆく。

「ヤン・チャオさま」

扉が開いて、カイドウが咳払いをした。

「なんだ」

「今夜の宴にぜひ出席するよう陛下からご命令が…。セリナさまもいらっしゃるそうです。それと、おれが話している時はちゃんと聞いてください、この色ぼけ王子」

「色ぼけとはひどい」

嫌がるスズの抵抗を楽しんでいたが、忠実なる下僕の暴言に顔を上げる。

「風邪を引いて寝込んでいるから、出席できない」

「セリナさまが部屋に押し掛けてくると思いますけど」

「ああ、そうか」

しとやかな振りをして、結構攻めてくる女だ、あれは。

「お前も一緒に来るか?あの馬鹿げた宴に」

嫌だとスズは頭を振った。

「ヤン・チャオさま、それはさすがに…」

「とにかく、今日はもう外に出たくない。適当な言い訳を考えてくれないか」

「かしこまりました。お疲れさまです」

カイドウは口うるさい男だが、わたしがボケとボンクラどもを嫌っているのを知っている。

そして同情すらしている。時には頼りになってくれる。

お付きが退出すると、再びスズに唇を落とした。

「さて、スズ。続きをしようか」

スズは不機嫌そうに身をよじっていたが、その内大人しくなり、可愛い声で鳴き出した。

窓の傍で椅子に肘をついて、ぼんやりと外を見ている。

巨大な満月が闇夜に浮かんでいた。

月明かりが静かに辺りを照らしている。

足元にはスズがわたしの足に身をもたせかけている。

「父上も兄上も、昔は違った」

月と闇夜と静寂は、時に追憶をひっぱりだしてくる。

黙って聞いてくれるネコも、その手助けをする。

目を閉じると古い記憶が蘇ってきた。

夏の離宮。どこかの森の中。

まだ若かった父と、三人の母たち。

ボンクラ以前の兄たちと自分は、笑い声をあげて小川で遊んでいた。

――だれの船が早いか競争だ。

――イク兄さま、ずるいぞ。

――すごいな、ヤンの船はあんなところまで行ってしまった。

子供たちの笑い声。

それを見ている父や母たちの笑い声。

降り注ぐ夏の日差し。遠くで歌う鳥。

頬を何かが伝った。ああ、わたしは涙を流しているのか。

スズがよじ登ってくる気配がした。

そっと舌で涙をすくってくれる。

静かに瞼を開くと目が合った。そして反らせなくなった。

いつもは黒いスズの瞳が、月光を受けて濃く蒼色に光っている。

まるで宝玉のような色。高貴で優しい色。

そのままスズは手を回しわたしを抱きしめた。

柔らかな胸の中に、ゆっくりと閉じ込められる。

慰めるように小さく鳴く。

「スズ。お前は」

その細い腰と背中にわたしの手も回った。

「優しい娘だね」

声は涙に濡れていたが、構わなかった。

その夜、わたしはスズの腕の中に守られながら眠りについた。

冷飯ぐらいの末っ子王子にも仕事はある。

午前中は政務をするようになった。

ハンコを押せばいいだけの仕事だ、だれにもできる。

また城を抜け出したいが、どうやらスズはここが気に入っているらしい。

というより、寝台の広さと柔らかさ加減が好きなようだ。

まさか寝台を担いで旅をするわけにもいかない。

そして可愛いネコの願いはなんでも叶えてやりたい。

だから仕方なしにハンコを押し続けている。

最初は散々文句を言っていたカイドウ、リンドウも何も言わなくなった(その代りわたしに対する言葉づかいはひどくなっていった)。

女官たちも耐久性がついたのか、ちょっとやそっとのことでは動じなくなった(キムザ化とわたしは呼んでいる)。

午後になるとしょっちゅう、城内をうろつきまわっているわたしとスズは、人々の格好の話題となっているらしい。

「幼児趣味だったのか、我が弟は」

ボンクラその一は、嫌らしい笑いを浮かべてスズを見た(しかし、スズの美しい礼をみて言葉を失った)。

ボンクラその二は無言でスズをねめまわした(にっこり笑ったスズになぜか顔を赤らめた)。

婚約者のセリナに遭遇すると、二人で逃げた(「おばちゃんが追いかけてくるぞ、そら逃げろ!」)。

夜は、勿論一緒に寝る。

身体を重ねればスズは可愛い声を上げて何度も果てたし、そうでないときも、まるで獣のように、ぴっとりとくっついて寝た(寝相の悪いスズに殴られるのは、よくあることだった)。

ある日、母に呼ばれた。

扇を弄びながらイライラと言う。

「セリナをほったらかしにして、頭の悪い小娘と日々過ごしているそうではないか」

あの女が告げ口をしたのか。

らしいといえば、らしいな。

婚約者としてセリナを宛がったのは、この母の意である。

同族の貴族の娘は、わたしを愛しているように振舞った。

それが感にさわる。

あいつの演技などとっくにばれている。

白々しさは、時に腹が煮えるほどの苛立ちを連れてくる。

「お前にわたくしの今後がかかっているというのに、しっかりしてもらわなければ…」

母たちの世界もそれなりに大変らしい。

後宮は表とは異なる独特の権力が渦巻いている。

女ならではのオドロオドロしさもふんだんにある。

ボンクラ二人は、その鈍感さ故に未だにここに住んでいるが、わたしはこの後宮が大嫌いだった(大嫌いだーと彼方に向かって叫んでもいい)。

だから父にうまいこと言って、城の一室に移り住んだ。

「母上なら、わたしがいなくても立派にそのずる賢さで世間を渡っていけますよ」

「何という事を、母に向かって」

中高年特有のかなり気声に耳を塞いだ。

「お前が今の生活を改めねば、こちらも考えがある」

「…わたしのネコにもし何かしでかしたら」

低い声が出た。

「母上といえども容赦はしませんからね」

では失礼、と、体を震わせている母を背にとっとと退出をする。

 

部屋に帰ると件のネコは寝ていた。

キムザの膝の上で。

「スズ! わたしというものがありながら…!」

思わず悲しげな声を出すと、老女は勝ち誇ったように微笑んだ。

「お静かに。お嬢さまが目を覚ましてしまいます」

「なにを言っているのだ、お前は。そこをどきなさい…こら、スズ。お前は誰の膝でもよいのか」

よだれをたらして寝ているスズを抱き上げると、寝ぼけた鳴き声を出した。

「せっかく気持ちよく寝ていらしたのに、起こすことはないでしょう」

「そんな年をとった皺だらけの膝の上など気持ちよいはずがない」

「まあ、殿下。わたくしの膝はまだ瑞々しゅうございます」

「嘘をつけ、嘘を。第一わたしのほうがピチピチしている」

「なんちゅうアホらしい言い争いをしているのですか」

呆れた声をだしながら、カイドウが入ってきた。

しかし、その手にはネコじゃらしが握られている。

「いや、これは、その辺に生えていたのでなんとなく…」

城内にネコじゃらしが生えているものか。

 

まったくわたしのネコときたら。

目の前で振られているネコじゃらしに、フンフンと手をのばすスズをみて、ため息をついた。

氷のような老女も、うるさいお付きも夢中にしてしまのだ。

 


 
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