No.138764

干将の剣(三国志創作小説)

司真澪さん

呉の大帝・孫権と朱然の話です。時期的には孫権が帝位についた少しあとくらいをイメージしてます。ある日、孫権が言い出したとんでもない策とは?

2010-04-25 20:38:46 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1324   閲覧ユーザー数:1295

 その昔、呉王・闔閭(こうりょ)が名工・干将に命じて打たせた剣は、試し切りで大きな石を一刀両断にしたという。

呉王が身罷った時、剣を好んだ王のため、三重の廓をつくり、三千振りの名剣がいっしょに埋められたと伝えられる。また、王を埋葬して三日後に「白い虎がその上に蹲った」ことから、墓所は「虎丘」と呼ばれたという――。

 

「その地がみつかったとの報告があったのだ」

 

 時は三国時代。

 呉の皇帝・孫権は、軍の重鎮である上大将軍・右都護の陸遜、征北将軍の朱然を宮殿に呼び、嬉しげにそう告げた。朱然は首をかしげるようにして、孫権を見つめかえしたが、孫権はわくわくした様子で彼らの反応を待っている。仕方なしに朱然は、「おそれながら」と、孫権へ問いの言葉をなげかけた。

「――臣は本日、こたびの演習について陛下からお話があると伺って、御前にまかりこしました。今のお話は、それとどうつながるのでありましょうか」

「だから、そこで演習を行うことにしたのだ」

 まったく話の方向が見えない。朱然は、礼にのっとり面を伏せたまま、ちらりと隣に控えている陸遜へと視線を投げる。陸遜は無言の眼差しで、それに答えた。つまり、お互いが共に陛下の言わんとしていることを予測できずにいる。

「演習に、かの地を選びましたのは――」

「もちろん。一千の兵でもって、かの名剣を掘りだすのだ。どうだ、すごいだろう」

 朱然の控えめな問いかけに、嬉々として孫権は自身の計画を披露した。おのれの戴く皇帝を前にして、ふたりの重臣はおもわず絶句した。

 

 いったいまた突然、何を言いだしたのか。

 朱然は孫権とは同年の生まれであったので、幼少の頃から孫権に親しまれた。一緒に勉強をしたり、武術をならったり、時には悪さも共にした仲である。長じて臣下として孫権に忠誠を誓う身となったのは、孫権こそ呉をまとめる英雄であると思ったからである。孫権の方も、幼い日々と同様に朱然を友として愛しつつ、自分を決して裏切ることのない、頼りになる者として大切にしている。

 だが、幼少時から孫権の考え方は突飛なところがあり、朱然には理解できない事が多々あった。それも大人物の器であるからこそ、卑小なおのれには見えぬなにかを見ているのであろう、と尊敬の念を抱いてきた。

 朱然という人は胆力があり、ちょっとやそっとの物事に慌てたり動じたりすることのない人物であった。その度量を今は亡き呂蒙も認めていた。呂蒙はおのれが死の間際にあって孫権に後事を託す人物を問われ、朱然を挙げたのだった。

 

 そんな朱然であっても、このたび孫権が言いだしたことには、唖然として黙り込むしかなかった。軍を預かる身としては、いくら皇帝の命であれ、「はい、そうですか」と簡単にうなずける話ではない。軍の演習は、決して物見遊山とは違うはずである。

 なんとか孫権を思いとどまらす手はないかと、朱然は知恵を絞って言葉を継いだ。

「しかし、それは単なる言い伝えでありましょう。そのような事に、陛下の大事な兵達をつかわすのは――」

 朱然が諌める言葉を言い終える前に、

「かの秦の始皇帝も、その地を巡行した折に掘りだそうとしたと言うではないか。石をも断つという三千振りの剣だぞ。手に入れたいじゃないか」

 孫権は身をのりださんばかりにして言い募った。瞳がきらきらと輝いて、まるで童子の頃に戻ったかのような顔つきだ。朱然は、それ以上なにかを言う気をうしなってしまった。

 あっさりと孫権に撃破された朱然をみて陸遜は、つぎは己が諫言を呈すべきであると、身を正した。

 この陸遜という人は、夷陵において蜀の劉備の大軍を打ち破るという大事業を成した、知謀あふれる武将である。孫権は厚い信頼を陸遜におき、蜀に対する外交のすべてをまかせる証しとして、自分の印綬を預けていたほどである。

 こほん、とひとつ咳ばらいをして、

「陛下、おそれながら申し上げますが…。そのような事柄を張公がお聞きになったら、良い顔をされぬのではないでしょうか」

 と陸遜が言った途端、孫権の表情がむすりとしたものに変わった。

「公は療養中だ」

 すねた声音で、つきはなすように孫権が答える。

 そういえば…、と陸遜は思い出した。先月のことであるが、張公と尊称される張昭と孫権とは、またしても大喧嘩をしていた。皇帝である孫権と、呉の文官の束ねをまかされている張昭が、端からみれば大人げない大喧嘩をするのは、これで何度目になるか。数えるのに両手の指で足りないのは確かなことだ。

 それ以来、張昭は病と称してしばらく出仕をしていなかった。後世の表現で言うならば「ストライキ」というやつだろう。

「それにこれは軍の事だ。わざわざ張公に話すことでもあるまい」

 気をとりなおした孫権は、丁奉を監督として派遣しようとか、剣が出たら試し切りもあいつにさせようとか、どんどんと話を先へとすすめていく。

 朱然と陸遜は再度、視線を交錯させる。陸遜が小さく首を振る姿を目にし、こうなっては仕方がないか、と朱然は主にわからぬよう吐息をついた。

 

 その場所は、小高い岩山を中心に、まばらに竹が生えていた。

 

「ときおり虎がでますんで、近隣のものはあまり近寄らないですなぁ」

 巡察に訪れた孫権は、土地の古老を呼んで話を聞きいていた。のんびりした調子で語る老人のあれやこれやという噂話に耳を傾け、機嫌よさげに相づちをうっている。

 丘のふもとでは丁奉の指揮のもとに兵達が作業をしていた。土を掘るもの、掘った土を運ぶもの、どの男たちも泥だらけになっていた。

 そうしている間に、かなり掘りすすんだのだろうか。

 ついでに虎狩りもしようかと笑う孫権に、朱然が苦言を呈そうとしていると、兵たちと同じく泥だらけの姿をした丁奉が近づいてきた。

 

「見つかったか、承淵」

 顔を輝かせて振りむいた孫権に、丁奉は大きな体駆を縮め、首を振りながら答える。

「いえ、大きな岩にあたっちまったみたいで。あれ以上向こうには掘れねえです」

「むう――」

 孫権はうなり声をあげて腕をくむ。

 穴を掘り始めてからもう旬日もたっていた。そろそろ孫権の気もすんだ頃であろうかと、一抹の期待をこめて朱然は主を見やった。

 しばし沈黙が場を支配する。

 

「よし。今度はもっと東側を掘ってみろ」

 

―――孫権は、ねばり強い精神をもっていた人であった。

 

 丁奉にこまごまと指示を出しながら、自分も穴へと向かう孫権の背中をみつめ、朱然は盛大にため息をついた。

 

 

 

 結局、剣は見つからなかった。

 

 その後、掘られた大きな穴には水が流れ込んでたまり、池をなした。

 そうして出来た池は「剣池」と呼ばれ、1700年以上たった後の世でも、「虎丘」の名所のひとつとして大勢の観光客を楽しませている。

 

 

 

 

 

<了>

 

『誤・三国志 孫権伝1』より


 
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