No.1194471

【変態論議シリーズ4】「常識」の系譜2

eye-elさん

細かい所を修正・追記しつつ、再投稿

2026-10-12 08:00:28 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:17   閲覧ユーザー数:17

「常識」の系譜11

 

 キリスト教徒はサタン、つまり、ローマ帝国の唯一神サーターヌ(皇帝)を堕落させるメタファーを『ヨハネの黙示録』で書いた

 

…これこそ、キリスト教の地下的な、地下から噴き出すような暗黒であり、ローマ帝国の皇帝を失墜させる為の「暗示」であった

 

 暗示にかけられたローマ帝国の国民は行動し、ローマ帝国を分断、”それ”を受け取った人間はさらに政治的に動き、破壊に走った(アレクサンドリア図書館破壊など)

 

 

 

…しかしながら、それを歴史の画面で見ていた私たちは”それ”を利用する為に動いた すなわち、サーターヌとは唯一神ではなく、世界側である私たち全てとそれを支える知識全てなのだと、既に主張した(新しいものとして、「大サーターヌ」だが、古いものとして、「構造主義」がある) 私は破潰の批判者(ロヴェイン一神教の「守護者」)であり、その手足となり、ドイツ人、アラビア人、日本人、これらの人たちが動き始めたのである

 

……言っておくが、私はキリスト教徒のような破壊者ではない、イスラエル人のような二面(物質と霊質)の破壊者でもない ただ、私は良い方良い方に、人間の導(しる)べとなっているだけなのである

 

 その為に、破潰と言う批判方法、広報と言う批判方法も行って、直手(じきて)、からめ手を使い分けると言うだけの事

 

 

 

…また、キリスト教徒は「三位一體」と「二主一體」と言う不気味な表象を描いた

 

……要するに、父子一體、「父と子」と言う近親相姦、「男と男」と言う同性愛、”二重の神への冒涜”とされる事を「聖なるもの」としていたのである

 

…それは、「三位一體」となった後も、”三重の神への冒涜”として残った

 

 

 

 実際の所、キリスト教徒のして来た事とは、

 

・「イエスをふたなりにするか? 否か?」など下らない事を大真面目にする盲論、

・「”復讐”の二文字が、人を許す事の条件であり、これは神によって実行される事であり、そう信じる」などと言う卑信(病気そのもの)、

・「金持ちは天国に行けない、だから、地上に神の国を築こう 私は選ばれたから出来るのである」などと言う欺己(ぎこ・”ホンモノの「自己」ではなく、自分自身をだます為に持つニセモノの「自己」”の事)

 

…の三つである

 

 

 

 普通に、キリスト教が闇である事は「常識」である

「常識」の系譜12

 

 ”七つの目の小羊”とは、現代において、「固有性」、すなわち、「巨乳性」を象徴する

 

…世の中にしては小羊のような人物において、アイイル・滝口と言うのは、珍しく、容姿が変わってもおごらなかった …つまり、根っから、”小羊”であったと言う事 イエスと言われている事は関係なく、彼は”小羊”であり、”七つの目”(巨乳)であり、”小羊”の象徴とは相容れない※1”獣”の象徴の「アンチキリスト」、キリスト教のもう一つの側面、今、世界でおごりにおごっているキリスト教徒どもそのもの、とは正反対の人物であった

 

 そして、預言者(解釈者)の中でも、一番の「エル・シャダイ(乳房の神)」であった 神の預言者(解釈者)とはこう言う「固有性」を受け入れる程の器を持っていなければ始まらないと言うもの …と言うわけで、彼女の存在は第二の預言者の時代の始まりを告げていた

 

 大人な「常識」としては”小羊”はアイイルや、「「常識」の系譜」に示してあるような、完璧無比で高貴な社交界的ダンスパーティーの主賓になるような、「温厚で、男性的、あるいは、女性的、どちらにも通じている、ひざまずきたくなるような、親近的な固有の存在」、こう言う時にイメージしがちな『ベルサイユのばら』の「オスカル」や日本の象徴であられる天皇とはまた違ったタイプの日本人的な貴族を示している

 

…世俗に染まらない滝口家と言う私も血統的に平将門公および、平忠頼公の子孫に当たる千葉氏(分家)の中で、まともな思考力を持続しながら、滝口氏を名乗った東氏の可能性など、現実的に日本人的な貴族である可能性は絞られて来る

 

※1”獣”の象徴…「堕落するサタン」・「七つの目の小羊」などもそうだが、『新約聖書』内の『ヨハネの黙示録』から この象徴は分かりづらいから、はっきり言っておくが、”人間的な本能と現実の否定”の事を示している たとえば、”人間的な本能”とは、良心をもって判断をする、健康的な理性を持つ、物事を疑って判断する、知る事を欲動する、女性の女性的な本能を否定しない、など、こう言う人生にとって大事な事を否定してしまうのが、”獣”たるキリスト教徒と言う事である

「預言」と言うのは”感覚”

 

 「預言」と言うのは、「これすげ~、どう見ても私が書いたものじゃないのに、私の頭から出て来たものだ(そのインスピレーションは神から出て来たとされるが、あたかも、頭の中に沸いている) 預言面白れ~」

 

…と言う”感覚”をモチベーションに趣味的に書いて行くものであって、生かすかどうか? と言うのは、読者次第なのである

 

 ちなみに、「”思い込みが激しいんですね?”」と言うものへの回答については、元来、預言者と言うものは、純粋な人間であり、全然、そう言う事は、受け入れるとも違うが、結局、信じていると言うより、自分の手段が増えたと言う感覚が面白く思えるから、預言している人ばかりであって、そう言う事を面白く思えるか? と言うのが、預言者の選定の条件なのではないか? と思われる そう言う意味で、スピノザとか、トキ・ヒロとか、の人間よりも純粋であった、ただそれだけなのではないか? と思うのだが… (ちょっと気持ち悪い人間と言うか、嫌らしい人間なだけなのかも知れないが、)正直言って、あまり、何を言っているのか? 良く分からないのだが、何が言いたかったのやら…

一神教・二神教・多神教は実は一體(いったい)

 

 預言者の信仰を合理的に考えると、「神々の神」と言うレーヴァール神(アッラー神)がいて、神の神々(ゴー・グ)に様々なレーヴァール神の権能の神格化があり、その頂点に二神の大サーターヌ、女神ロヴェイン・スカーレットと女神クリスティー・スカーレットがあり、二神の頂点にレーヴァール神があると言う事

 

…その一神教、その下に二神教、さらに下に多神教(ゴー・グ)がある前提を完全に間違えると、一神教はただの無秩序になってしまうのである

 

……なぜなら、レーヴァール神の権能と言うものは、ただ言葉によって示されるだけのものではなく、むしろ、ちゃんと使われる事が前提だからだ

 

 だから、ちゃんと、神の形で二神やゴー・グが示されていないと、レーヴァール神と言う神は、「空っぽのもの」とされてしまう

 

…つまり、一神教、その下に二神教、さらに下に多神教と神をそろえる事は明らかに必要な事なのである

 

 

 

……だからと言って、レーヴァール神をおろそかにする事は考えられないのだ

 

一神教・二神教・多神教は三階級であり、多神教を攻撃する事はこう言った神の秩序(ヒエラルキー)を根本から揺るがす行為であり、一神教や二神教についても似たようなもの …ただ、今のユダヤ教やキリスト教はむしろ、多神教であり、それは既に批判済みである 結局の所、ユダヤ教やキリスト教は邪教と言っても良い

 

…つまり、教義としての真のキリスト教とはこう言うもの

常識の分別・勢力の記号化

 

常識の分別

 

・常悪(「常識」と言えるが、もはや、実體として「常識」ですらないもの・嫌韓流、「この世界は病気である」、幻覚としての「常識」など)

・「常識」(前作「「常識」の系譜」で説明した)

・通常感覚系の「常識」(知るタイプ)(たとえば、「おっぱいが「ある」と見せたいからブラをするのではない おっぱいがあるからブラをするのだ」・「女が「変態」に会った時は助けを求めるものだ」など)

・通常感覚系の「常識」(信じるタイプ)(たとえば、「女は髪の毛や陰毛を除き、無毛である」、実際には、「女が無毛はない」・「形質性的に女でも、女とされない人物で、あるように見えても実際にはない場合がある」などの信仰の外がある)

 

勢力の記号化

 

・強発(おっさんがどなる、女子高生が高笑いするなど)

・病発(病気的な攻撃)

・常発(鍛錬によって、発する事)

 

 子供な人の勢力が「強発」・「病発」と言うやり方で、勢力を維持などし、大人な人の勢力が「常発」と言うやり方で、勢力を拡大・維持などする


 
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