No.1191535

惨なる蟠夢を映す城 2

青柿さん

総字数約十八万六千字、内約二万九千字。二〇二六年八月三日完成、最終更新同八月十三日 ※作品投稿ガイドラインに抵触するおそれから投稿は2まで。続きをブログにて公開 ttps://henchi.tsuyushiba.com/Date/20260817/

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2026-08-13 20:47:53 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:21   閲覧ユーザー数:21

4.

 

 昼前には英一(えいいち)猟師(りょうし)休憩小屋(きゅうけいごや)に舞い戻った。戻った先には奏美(かなみ)小春(こはる)、それに由海(ゆみ)が待っていて戸口を叩いて英一が誰何(すいか)の声に応じたところ奏美が一も二もなくこれを開いて彼に抱き着いた。彼女の温かさを英一はひどく喜ばしいと思った。

「心配したんだから……!」

「悪い。色々あったんだ」

 英一は一通りのことを話した。由海は游次郎(ゆうじろう)の話が出ると一瞬身構える様にびくついたが、英一は(つと)めて平静に自分や彼の偽者が襲い掛かって来たことを伝えた。

「と()うことは、私が見たのも……」

「少なくとも正雁(まさかり)先輩が見た時の(しもと)さんは既に偽者と先に会っていたってことだろう」

 悪いことをしてしまったと由海は(うつむ)き、奏美がこれを(なぐさ)めた。……小春は浮かない顔のまま、話が途切れたのを見て席を立ち小屋の外に出た。英一はそれが気になって彼女の後を追った。小春は小屋の小さなテラスで停まっていた。英一は(おどろ)かさない様に、しかし存在を示せる程度の(おだ)やかさで歩み寄って(たず)ねる。

「何か心配事でもあるのか?」

「その……私、やっぱり足手まといですよね……」

 小春はここまでその喘息(ぜんそく)と云い体力のなさと云い、周り、特に英一の努力がなければとっくに犬死していたと強く思い詰めつつあった。虫一匹にさえ(おび)える情けない自分がこのまま英一たちに付いて行くのは、危機に陥った時諸共(もろとも)殺してしまうだろうと。英一はこうした彼女の吐露を自分の痛みの様に聞いていた。彼は彼で周りの女の子、或いは友達である人々を満足に守れているとはあまり確信が持てなかった。化け物と出くわしては逃げるばかりしか手がない無力な自分を(くや)しいと思う向きが決して小さくなかったのである。

名賀搗(ながつき)さんはよく頑張っている筈だよ。みんな辛いんだ、その中で付いて来れているだけでも立派なものだよ」

「そんなこと、ありません……」

「希望を失っちゃ駄目だ。正雁先輩が言っていたよ、『どうしようもないことを確かめない限り諦めるな』って」

「私には、本当に、どうしようもなくて、ぐすっ……。あの大きな化け物が出た時も、私、足が(すく)んで、楚先輩よりも自分のことを優先して……」

「あの時は誰だって普通はそうする。俺みたいな考えなしをやって共倒れになるリスクを思えば君は正しいよ」

「でもそれは、先輩を見捨てようとしたことに他ならないでしょう?」

 小春のその一言は()の鳴く様に小さかった。己の(いきどお)りと無力の葛藤(かっとう)がこの大人しい少女に大声と云う形でそれを噴出(ふんしゅつ)させなかったのは(ある)いは美質と云えたかもしれない。仮に周りに聞こえる程度の声を出したならそれこそ由海が(うたが)うだろう。自分は英一以外からは見捨てられ掛かっていたと。……風が(かす)かに吹き込んでいた。木立の葉擦(はず)れがさめざめとした二人の雰囲気(ふんいき)を余計(さび)しいものにしていた。

「本当に見捨てようとしたなら、楚さんはここにいないんじゃないか?」

 英一は反駁(はんばく)した。それは無理があるかもしれないと内心微かに思うところではあったが、それでもこの後輩が心にわだかまりを抱えたままにしていてはそれこそ足を取られる理由になってしまうだろう。彼は敢えて少し強い調子で続けた。

「俺があの"捕食者"の(おとり)になって、楚さんはどうにか追っ手から逃れたんだ。その後彼女を保護したのは二人だろう?」

「そ、それだって瀬之川(せのかわ)先輩が助けに行くって言ってたから……」

「俺がいなくなった後もあの周囲に何がいたかなんて分からなかっただろう。それでも助ける為に動いたんだ、俺は正にそうして欲しくて飛び出したんだから、名賀搗さんはちゃんと期待に応えてくれたんだよ」

 小春の両の肩をがしりと手で(つか)んで英一は言った。……小春は少しだけぼうっとした表情で英一を見上げた。英一はそれに微笑(ほほえ)んで、肩を放した。奏美がそこで追って来た。大きな声を出した英一を気に掛けて出て来たのだ。英一はそれを心配ないと軽く応じ、小春を(うなが)しながら中へ戻ろうとした。小春は奏美が先に戻ったのを見て、思い付いた様に慌てて英一の手を掴んだ。驚いた英一が振り返ると、もじもじとした小春がやはり小さな声でこう言った。

「あの、先輩。もし……もし、よければ、これからは、苗字じゃなくて、小春って、呼んでもらえませんか?」

 英一はすこしぽかんとしてこれを聞いていた。意味が頭に入って来ると(いささ)か混乱した表情をして、ああ、とかええと、とかしどろもどろになりながらこう応じた。

「その……呼び捨ては流石にどうかと思うから、小春ちゃん、で、どうかな」

 小春の表情が桜の開花の様に(はな)やいだ。こくりと一つ((頷うなず|))く。英一は照れながらもやはり中に戻る様促し、小屋に入って行った。これを見た由海はあまりよく分からなさそうな顔をしていたが奏美は英一に続いた小春の表情を見て英一に視線を投げ掛け、嬉しそうな笑顔をこぼした。それから英一が小春のことを下の名で呼ぶのを見て由海もどこか得心がいった様子になる。そこには一瞬だけ(あせ)りめいた動揺(どうよう)が紛れていたのだがそれを目敏(めざと)く認識した者はいなかった。一方で英一は針の(むしろ)に座らされているのとこれは大差ないのではとも思われる気恥ずかしさだったが、仮にもそう呼ぶとした以上これを曲げてはいけないと信じた。

 兼輔は教授の戻りが明らかに遅いが故にやや危険ながらと自ら探しに出たので当面戻って来ない予定だった。四人は書置きを残して出発し古城内部へ向かうことにした。奏美は英一が"捕食者"に飛び出す前に置いて行った(のこぎり)を持って帰っていたので、重い金属の鋸を英一が、游次郎から受け取った角材は奏美が持っておくものとした。角材を奏美と由海のどちらが持つかは少し意見が分かれたが、ジャンケンをしたところ由海が負けた結果である。自虐的(じぎゃくてき)に自分弱いなぁと彼女はこぼしたが英一や小春は苦笑するしかなかった。

 西の城門は静かだった。暗く禍々(まがまが)しい空模様がどこか不釣り合いにも思える程に。四人は辺りを警戒しつつ()ね橋を渡ったが、周囲には何も出て来なかった。そうして彼らが城内で目にしたのは城塞都市の廃墟(はいきょ)の光景だった。どれ程の年数が経った後なのか彼らには判じかねたが、数十年は優に経っていそうな古びた、死の街と化した瓦礫(がれき)の山々だった。あちこちに人骨と思しきものが散乱していて奏美や小春は気分の悪そうな表情をせずにはおかれなかった。二人を英一や由海が労わりながらここからどうするかを彼らは相談した。

「とりあえず……何か使えそうなものや、東側に出る為の経路の探索だよな」

「うん。やっぱり気乗りはしないけど、贅沢(ぜいたく)は言ってられないから」

「だとしたら手分けした方がいいでしょうか」

「そうかもしれないな。ただ辺りが本当に安全とは限らないから、俺と奏美は分けて動く方がいいと思う」

「やっぱり武器のあるなしは違いますよね」

「どれだけ身を守れるかはともかく、リーチがある分も何かしら役に立つだろう」

 それで組み分けのジャンケンをしたところ英一は由海と、奏美は小春と組む格好となった。思えば干上がった川と牧場の時同様の組み合わせになったなと英一は思い、傍らの由海を見てすこしどきりとした。しどろもどろのやり取りの中で自ら下着を晒しに掛かって来た彼女と再び組むことになって些か英一は緊張を抱いたものだったが、盗み見た由海の態度は大人しくどこか思案している様な(おもむき)があった。それぞれの組はそうしてスマートフォンで二時間後にこの西門前に集合と決め、南東と北東へ散った。去り際、手を振る奏美と祈る様に胸元で手を組んで(ひとみ)(うる)ませる小春の姿が目に付いた。

 英一は由海と共に南東へ進んだ。辺りにはまだ形を保っている建物も(いく)つかあったが、その扉は大体壊れていて(くず)れた部分から中を(うかが)っても廃屋と云う言葉しか出て来なかった。迂闊(うかつ)()み込んでその拍子に倒壊する危険を思うとその中に入ることは躊躇(ためら)われるものだったが、何の成果も上がりませんでしたとなっては流石に考え物であることから二人の見立てである程度頑丈(がんじょう)そうな、綺麗(きれい)めの建物を選んでどうにか中を調べることにした。

「あの、葦杜(あしもり)君」

 廃屋の一つで由海が英一の背中にそう呼び掛ける。彼は、まさかと思いつつも振り返った。由海はどこか申し訳なさそうな顔をして立っていた。

「前に、干上がった川の辺りでやったことについて、謝らせて欲しいの」

「え?」

「その……あの時は驚かせてごめんなさい。あんなことをしている場合じゃなかったのに」

「いや……確かに、どう云うつもりだったのかよく分からなかったけど……」

「どうか、その、笑わないで聞いてね」

 由海が語ったところはシンプルだった。前々からひっそり英一に片想いをしていたと云う吐露。しかし平素から奏美や月子が一緒で学園のクラスも別の由海には堂々近付く機会が美術部しかなくその美術部内でも英一だけに話をするチャンスがさっぱり(めぐ)って来ないが故に、今回勇気を出して同行を申し出、都合良く奏美や小春と別行動に至ったが為に私欲的な告白を敢行しようとしたがいざ当人を前にして伝えるべき文言が頭の中から真っ白になってしまって、場当たり的に色仕掛けをしてそのまま既成事実化を試みようとしたと云うのがその内実らしい。……何とも、年頃の男子にとってはどう受け止めるべきか迷う吐露である。幼馴染の女の子を二人といつも連れ歩く英一はしかし異性と交際していたと云う前歴はなく当然童貞であるので、そんな色仕掛けを相手取って余裕をかました態度など元より取れよう筈もない。一通りを伝えられても、やはり応じる術など彼にはない様なものだった。なるべく彼は常識的なことを言うしかなかった。

「いや、まぁ、びっくりはしたけど、その為に何か不味いことが起こった訳じゃないから……。えっと、楚さんは、本当に俺のことが、好き、なの?」

「うん。今までも、頑張り屋さんだと思って素敵だと思っていたけど、昨日はあの化け物から私を助けてくれて、感謝しかないし、余計、好きって気持ちがはっきりしたから……」

「ああ、それは……ありがとう。でも、俺は……楚さんのその気持ちに、応えるとかどうとか、考えたことがなくって」

「うん……そうだと思う。そもそも先に、ここから何とか脱出する方が先だしね」

「あ、ああ」

「葦杜君、その、このことは、無事に帰れたらでいいから。今は私があなたのことをどう思っているかだけ、知っててくれれば私はもう、十分だから」

 この言を真正面から鵜呑(うの)みにするのはそれこそ乙女心が分かっていないと取られるべきであろうか? ともかくも英一はこの様に言われて少しだけ安堵した。差し当たりどの様な答えを返すのか、猶予(ゆうよ)されたことでその件は一旦横に置いておける訳だから。……仮に由海がここで洋画の主人公にいるような男気を、それとなく抱きしめてその(くちびる)を優しくキスで(おお)ってやる様なロマンスを期待していたとしても少なくともそうしない逃げ道を与えたのもまた当人である。そこまで考えているのかどうか由海の態度と表情からは窺わせなかったものだが、思考を切り替えるには十分だった。英一は心の中で、口外しないと自分に言い聞かせた。

 

 廃屋の中には(およそ)そ使えそうなものが転がっていなかったが、そんな中由海がこの廃墟の姿に対して一つ考察を示した。

「私が知ってる範囲ではこの建物やこの古城、この市街地の様式はどうも記憶に当てはまる感じがしないのよ。西洋風の城塞都市には見えるけれど、それは遠目に見た城壁だけの話でこの建物なんかは色褪(いろあ)せてはいるものの土壁の塗料は黄色だったり赤だったり、どこかカラフルなのよね。勿論欧州のどこかにこうした街並みがあるかもしれないけど、散らばっている小物も西欧風だとか東欧風だとかそう云う括りより、何でしょうね、もしかして中南米的? とにかく、何か西洋風の城下町と呼ぶには何か違う気がするのよ」

「……詳しいね。楚さんは普段から真面目な部員と云う感じだったけど、美術史とかにも詳しいんだ」

十慧(とえ)先輩程じゃないけどね。私、うちの学園の美術部は好きだから」

 それは見ていれば分かる、と英一は思った。同学年の部員の中では一際熱を入れて部活に取り組み、デッサンや写生をさせる分には顧問(こもん)の教師からの評価も高く半ば二足草鞋(にそくわらじ)で中途半端のきらいがある英一や兼部などをしていない奏美よりも上手い絵を描くのである。こんな風な人だからこそ先程の吐露にはただ意外さと少年的な困惑を思い抱かせたものだったが、その様な要素さえ認識から追い払ってしまえば由海はごく善良な同学年のままだった。

 この廃屋から見つけ出せたのは結局一本の赤錆(あかさ)びた包丁だけだった。これをして身を護る武器として使うにはとても心強いとは云えないが、差し当たり得物の一つも持たない由海には気休めにぐらいはなるだろう。二人は廃屋を出て次にめぼしそうな建物を探す。――ふと、英一の視界に何かがよぎった。それは少女の足の様に思われた。英一は微かに呼吸を止めたが、直ぐに吸い寄せられるようにそれを追って歩き出した。余りにそれが自然にそうしたものだからか、由海は英一が自分から離れて行くことに気付けなかった。英一が追ったその足が曲がり角に消え、それを追えば今度は廃屋の影に消える。徐々に駆け出した彼は気が付くと城壁際にある詰所らしき場所に誘導されていた。その詰所の前に、少女は彼に背を向けて立っていた。その後ろ姿は彼にとり忘れよう筈もない妹のそれに他ならなかった。

(つばさ)……」

 振り返った少女は応えなかった。微かに口元の開いた無表情で英一を見るそのあどけない姿見は僅かに光を放っているかに見え、また透けて見えた。それはどう考えても尋常(じんじょう)の人間なら有り得ないことで、それを認識すると英一は不意にこれまでの経験を思い出しこの相手が化け物の仲間ではないかと(いぶか)らせた。彼の知る者を思わせる姿をして出て来た敵もいたものだ。それは当然のところであろう。

「お前は、翼なのか。それともこの辺の化け物共の仲間なのか。どっちなんだ」

 やはりその問いに少女は応えなかった。彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、その詰所を指さすと彼が(まばた)きした次の瞬間には()き消えてしまっていた。英一はその(なぞ)めいた邂逅(かいこう)に緊張を解けず、高鳴る心臓を感じながらもゆっくりと扉の崩れている詰所へ歩みを進めた。中は暗かったが、石造りの構造は差し当たり目立った傷を伴っておらず易々(やすやす)と崩れる様には思われない。彼はライトで中を照らした。照らされた中にはかなりの年月が経った人骨が幾つも転がっていたが、目を落とした先に光るものがあった。彼はやはり慎重に近付き、それを拾い上げる。一本の(かぎ)だった。錆が付いてはいるが少なくともまだ使えそうに見える。どこに使うのかは分からないが、持って行く価値は恐らくあるだろうと考え英一はそれを(ふところ)に仕舞った。幸いにして何も厄介なものは現れなかったので彼は外に出て(ようや)く少し気を楽にした。

「……あ。楚さん、どこだろう」

 遅まきに彼は相方を置いて来てしまったことに気付いた。何たる失態だろう。そもそもどう云う経路でこの詰所まで来たのか彼はあまり覚えていなかった。この上スマートフォンを見ると予定の二時間までそう時間が残されていなかった。とりあえず西門は見えるからそれを目指して戻るか。英一は気持ち急いで動き出した。

 西門には奏美と小春が先に待っていた。二人は英一の姿を見て喜んだが、由海が続いていないことに気付くと不安げな表情を見せた。

「ごめん、うっかりはぐれてしまって。ここに戻って来ていないってことは、まだこの街のどこかにいるってことかな」

「多分そうだと思う。私たちが調べた範囲では反対側や南へ向かう道はどこも塞がっててあまり遠くには行けないみたい」

「あそこに見える城郭(じょうかく)への道も塞がっていました。ここ、(ほとん)ど袋小路ですね」

「その上で予定の時間になっても戻っていないってことは……」

 三人は顔を見合わせた。明らかに小春が不安を強めている。急いで探さねば何が起こるとも知れないだろう。三人はまとまって再び廃市街に入った。危険を承知で呼び掛けるべきかと思われた矢先、視界の先の曲がり角より由海が現れた。由海は心細そうに包丁を握り締めたまま視界を左右に振っていたが、三人を見つけると急いで駆け寄って来た。

「ごめん、楚さん! 俺がうっかり勝手に動いたから……」

「それはいいわ葦杜君、近くに、近くにあの黒い男がいる!」

「!」

 四人に緊張が走った。――(にわ)かに辺りに闇が立ち込め始める。まだ日没には早い筈でありながらその異様な雰囲気に四人は危機を悟った。不意に英一は物音を聞き、手前の廃墟の上方を見た。闇が不気味な音を立てて寄り集まり、"黒い人型"を成した。それはすっと自分たちを見下ろして来たのを四人は見、彼らは一目散に走り出した。奏美が悲鳴を上げて先頭を走り、由海が続いて小春の手を引く。最後尾は努めて英一が走った。"黒い人型"は(てら)いもなく廃屋から飛び降りて悠然(ゆうぜん)たる調子で歩き出し、徐々に走り始める。捕まったらおしまいだ。四人の意識は助かりたい一心に染まって苦しむ息と闘いながら駆けた。

「あ、あれ!」

 奏美が左手の家屋を指した。まだ幾らか形を保った建物がある。英一は素早く後ろを振り向く。"黒い人型"は丁度その視界から外れ、足音だけの存在となっていた。四人は視線だけで合意を作り、その廃屋の扉を開いて駆け込んだ。

「あっ!!」

 慌てた由海が姿勢を崩して倒れ込む。余裕のない小春がそれに足を取られて続いて倒れてしまう。英一は渾身(こんしん)の力で小春を助け起こし、素早く更に由海の腕を掴んだ。由海は(うめ)き声を上げている。足を(くじ)いたのかもしれないと思われたが今はそれを考えている暇すら惜しく、小春を直ちに廃屋に入った奏美に引き渡し、由海を背中で担いで英一は廃屋へ飛び込んだ。奏美は彼ら二人が入ったのを見ると即座に扉を閉じてこれを背に立つ。その視線は古びた扉に出来ている隙間から垣間見える外の景色に向いていた。

 闇の立ち込める廃墟の街並みの中を不吉な足音が駆けて近付き、近くで停まる。小春は壁を背に床に座り込んでただ震え、声を上げない様に自制しているので精一杯の様子だった。由海は痛む足に顔を(ゆが)めながらもやはり気配を消そうと必死、英一は三人の間に(かが)んで全てが何事もなく過ぎるのを心中で強く祈りながら戸口を凝視(ぎょうし)していた。足音は周囲を巡回(じゅんかい)する様に動き、やがては彼らの立て()もる廃屋の前で停まった。(しばら)く不気味な沈黙が続いた。そしてその後、あまりにもわざとらしい戸口を叩くノックの音が響いた。それに奏美が微かに怯えの声を()らしてしまう。直後、一拍()いて彼女の隣に拳が飛び込んだ。"黒い人型"の鉄拳が扉を貫いたのだ。いよいよ廃屋には悲鳴が満ちた。もうおしまいだと誰もが思った。……しかし腕を引き抜いた"黒い人型"はそれから何もせず、不意に明後日の方向へと走って行くのが聞こえた。その気配が遠ざかると共に徐々に辺りを覆う闇の程が薄れて行く。どう云う理屈なのか誰にも分からなかったが、それでも少しずつ彼らは危機が去ったらしいことを認識して脱力した。ただ、それから最初に復帰した英一が外の様子を窺おうと俄かに風穴から様子を垣間見(かいまみ)た時、遠くから見知らぬ悲鳴がこだましたのが聞こえた。それ故に四人は、ここに長居してはいけないと考えずにはおかれなかった。

捻挫(ねんざ)しちゃったのかな。ちょっと、立てない」

 由海は廃屋に残っていた寝台に寝かせられた。靴と靴下を脱がせて三人は患部を観察したが、それ以上出来ることもなかった。可能なら一刻も早くこの場から立ち去る必要があるにも関わらずこうなっては、と焦りが彼らを支配する中、由海は続けて言う。

「三人とも、先に行って。全員が全員ここにいたらあいつに皆殺しにされてしまうわ」

「そんな、楚さんを置いて行けないよ! そんなこと……」

「俺が悪かったんだ……独りで勝手に動いたから」

「……後悔、後先立たずです、葦杜先輩。自分を責めないで下さい」

「ええと、葦杜君、とりあえずみんなをこの場から離すとして、行く先は考えられる?」

 問われて英一は返答に困ったが、ふとあの謎めいた導きに従って手に入れた鍵を思い出した。取り出された鍵を三人は見る。

「どこで使う鍵なのかな……?」

「えーと、ぱっと見ではこれは詰所みたいなところにあったから、ひょっとしたらその辺りにどこか合う鍵穴があるかもしれない」

「既にこの辺りから離れられる道はなさそうだって確かめましたから、あるとしたら城壁に登る昇降口でしょうか」

「それなら、その詰所みたいなところの方角だけ教えて。立てる様になったら何とか追うから」

 嫌な判断を強いられると英一のみならず奏美と小春も思わされた。少なくとも見知った顔を置き去りにすることを三人は到底認めたくはなかった。それでも彼らの胸中にはあの"黒い人型"に自分たちが(くび)り殺されることへの恐怖が色濃く染み付いていて、由海が自らを置いて行く様に言うその判断が合理的であることを認めざるを得なかった。ただ感情ばかりがこれを是認(ぜにん)しかねていたのである。……夜が近付く現状、長く悩んでいる場合ではなかった。英一は強い自責の念故に奏美と小春を動き出す様促した。尚も二人は渋ったものの、由海はその判断を認めなかったので(つい)に二人もまた折れた。

「じゃあ、せめてここで……お腹満たしていこ」

 奏美はそう言って、最後に残っていた缶詰を取り出した。小春が持っていた分は昨日由海が合流した際に彼女に分け与えていたことでもう残っていなかった。同じくして拾ったピクルスは英一が戻ってくるまでの間に食事として食べ尽くされている。しかしその後英一が戻ってくるまで三人は兼輔と共に周囲を探索して少しだけだが食べられるものを見つけていたので、四人はどうにか食事と呼べる程度のものにありつけた。一つの缶詰を小さくフォークで切り分けて四人で食べ、食べられそうなベリーと思しき果物を(かばん)に詰めていた小春が配った。試食はしてあるので毒に(あた)る心配はないらしい。これと由海が茂みに置き捨てられていたリュックから手に入れたポテトチップスの缶。未だ酒瓶は開けていなかったが、重いことから猟師の休憩小屋に使った水代替わりとして置いて行っていた。

「あ、俺、正雁先輩からガム貰ってたんだ」

 四枚のガムを見せた英一に、少し考えた顔をした奏美がこう答えた。

「英一くん、それは……最後の手と思って取っておこうよ」

「そ、そうか? 確かに腹を(ふく)らせるには役に立たないけど……」

「四枚あるから、みんなに一枚ずつくれる? 四人また集まったら、みんなで食べようよ」

 その優しい提案に由海、次いで小春が微笑んで賛意を示した。こうなっては悪役になったところで益体(やくたい)もない。英一は頷いて一枚ずつ彼女らに渡していった。その後、英一は自分の持っていたペットボトルを見る。入っていた茶は休憩小屋を出る前に飲み干してそこで真水を詰め替えていた。まだ三分の二は残っている。この水が尽きたらいよいよ最期だろうと思わされた。

 後ろ髪を引かれる思いで三人は由海を置いて廃屋を出、ゆっくりとその扉を閉めた。見送る彼女の笑みは心細さを(つくろ)っての虚勢であろう。やはり三人は気が重かったが、それでも行くと決めた以上は進まねばならない。英一は先頭に立って二人を先導した。"黒い人型"に追われる前は道に迷う有様だったので土地勘は未だになかったが、どうにか夜に辺りが包まれる直前頃には三人は詰所まで辿り着いた。幸運にも逃げる際に奏美が手放して捨て置かれた角材も拾うことが出来た。ライトを点けて周囲を眺め渡すと、詰所の傍らに古びた扉が見える。それには錠前(じょうまえ)が掛かっていた。英一は二人と目を合わせ、懐の鍵を取り出して差し込む。ガチャリと音がして錠前が開き、落ちた。鍵は錆びていたせいか半ばから折れてしまいもう使えなかった。三人は暗い螺旋階段(らせんかいだん)を恐る恐るに登り、城壁上部の歩道へ出た。地上五階程はあろう高さだが辺りは空の禍々しささえ(かす)む夜の闇に覆われており殆ど何も見えなかった。この様な中でライトを付けたまま城壁を伝うのは自分たちの居場所をあの化け物たちに伝えている様なものではないかとも思われたが、うっかり落ちたら余計助からないことも明らかであった。英一たちはやや慎重に歩道の壁面を手で確かめながら城壁を東に向かって伝って行った。――不意に奏美が声を上げて彼方を指さす。東側より小さな光が少しずつ近付いている。三人はまさか、と思った。

「英一!」

 月子(つきこ)(しょう)常人(つねひと)を連れて正門上の円形広場の入り口に達し、手を振った。それは全く奇跡的なこととも言えると思われた。彼らが尚も生き()びてここまで達することをどれだけ信じられただろう。恐らく游次郎は上手くやったのだ。その割には彼の姿は月子の一団には見えなかったものだが……。

「月子、瑚潑(こはつ)、それに那於巴(なおは)! よく無事だったな!」

 一同は合流を果たす、と思ったところで大きな振動が走った。動揺の声が両側から走る。()らぎによろめきつつも英一と月子は正門の下を見た。そこにはこの暗闇の中からでさえはっきりと分かる"捕食者"の姿があり、それは正門を力任せに体当たりしていたのである。繰り返される衝撃に城壁の岩面が罅割(ひびわ)れる不吉な音がした。英一はその罅割れが相互の間に達したのを見て叫んだ。

「下がれ、落ちるぞ!」

 言った直後、轟音を立てて城壁が崩れ始めた。慌てて両者は西側と東側へ退(しりぞ)いた。崩れ落ちた城壁と城門は"捕食者"を呑み込んだが彼らにはそれを見ている余裕はなかった。仮に見ていてもどこか、あの化け物ならその程度で死にはすまいと云う予感を抱かせた。……二組は東西に分断されたまま、夜の空の下で互いを見た。折角の再開を喜びたかったものだがこれではそうも行かない。今少し早く到着出来ていればと英一は悔しがったがこれは月子も同様らしかった。だがいつまでも後悔していても始まらず、月子の方から呼び掛けて現状確認が行われた。月子はやはり游次郎の接触を受け、また湖側で活動していた嘉尾(よしお)教授の助けもありどうにか城壁内部へ侵入しこちらまで登って来れたと云う。一方で二人は東側で遭遇した"哄笑(こうしょう)する女"に追い回される内にはぐれてしまったと云うことだった。

「ところで、千ヶ嶽さんはどうしたんだ?」

 英一が何気もなく尋ねたところ、離れたところにいる三人の様子が些か変わった。明らかに紹と常人が不愉快(ふゆかい)そうな態度を浮かべて顔を()らしている。月子は晦渋(かいじゅう)な表情をして言った。

「ごめんなさい、喧嘩(けんか)になって彼女の方から抜けてしまったわ。どこにいるのかは私たちにも分からない」

「そうか……」

 百香は実際美術部員の中では評判が良いとは云えず、特に初佳(はつか)とは度々対立してこれを顧問に(なだ)められていたものだからどこかさもありなんと思わざるを得ない部分があった。しかし月子と云う女はそう云う百香相手にも決して(おもね)ったり或いは毛嫌いしたりしない、話せる相手であり続けていた様に英一には記憶されていた。その彼女をして引き留められなかったと云うのは何より当人にとって痛恨(つうこん)沙汰(ざた)であったろうことは容易に想像出来、英一も痛ましい表情を浮かべざるを得なかった。これに比べて切り離された由海とは再会を約していると思うと自分たちは恵まれているとも。

「ねぇ、英一、それで、そっちに余裕はある? もし差し支えなければ、食べ物なり使えそうな道具なり、分けて貰えない?」

 月子がそう頼んで来た時、奏美と小春は顔を見合わせた。あるのは鋸と角材、それに三枚のガムだけである。マッチは由海の元に戻っていたので三人は持っていない。割れた城壁の間から渡すとしたら投げて渡すしかあるまいが、届けられるとしたら英一しかいまい。だがこれらは渡せるのかと云うと、二人のみならず英一にも怪しく思われた。英一抜きの状況に陥った時身を護る術が奏美と小春には無いも同然だった。その英一も徒手空拳では限度がある。この上食べ物はあって無きが如し、大体ガムほど軽いものをこの夜闇の中で綺麗に対岸に投げ渡すのは至難の業であろう。

「すまん月子、余っているほどのものは無いんだ。この場は勘弁してくれ」

 実にその時英一や奏美たちから遠い彼らの中で月子はやはりそうだろうと云う苦渋の表情を浮かべたのが見えたのだが、その傍らで男二人が明らかに失望と云うか絶望的な色の瞳をしたことまでは見えなかった。だが少なくともその片割れはそのまま黙っていられる気にはなれなかったらしかった。

「なぁ葦杜、本当かよ。お前そのでかい鋸持ってるんじゃねぇか。瀬之川さんが持ってるその角材さぁ、彼女には大きすぎるんじゃねぇのかよ。くれよ」

 紹がそう懇願(こんがん)する様に求めた。月子はそんな同輩に(たしな)める様な顔を向けるが彼は取り合わない。……月子は片手にスプレー缶らしきものを握っているが紹と常人は何もその手に持っていなかった。何も得られなかったか、さもなくば放棄せざるを得なかったか……。()むを得ざる事情を吟味(ぎんみ)してか、奏美が英一を見る。それを見る英一には自分の判断がいよいよ悪人めいて映り、徐々に(ほだ)される方へ感情が傾き始める。だがそこで小春が英一の腕を掴んで彼を見、その視線が自分に向いたのを確かめると向こう側の男子を見た。彼女は二人の雰囲気に異様さ、不気味さ、つまりはどこか信用ならぬものを感じていたのである。それで英一は自らの内に醸成(じょうせい)されていた情を締め上げた。

「駄目だ。大体この距離にこの夜で投げて届く気がしない」

「お前なら出来んだろ!?」

「あんまり過信しないでくれ、俺はそんな器用でも何でもない」

 この回答は紹をがっくりと俯かせた。常人が一度彼を見、英一を見やる。その視線の意味を彼は辺りの暗さ故に測りかねた。周囲の嫌な雰囲気に月子がどこか焦りを覚えたらしく、二人に一旦先に戻っている様言った。二人は力ない足取りで城壁を引き返してして行く。幾らかその後ろ姿が遠のいたところで月子は英一に向き直った。

「ごめんね英一、それに奏美と名賀搗さんも。楚さんを置いて先に行かなければならない程度には余裕が無いのは瑚潑君と那於巴君だって分からないとは思わないから、二人を責めないでやって」

「分かってるよ。だけど本当に、すまない。ここまで来て何もしてやれなくてさ」

「あの"捕食者"とか云う化け物さえいなければ少なくとも合流出来たんだから、誰のせいでもないわよ。差し当たり、あんたと二人が健在なことが分かっただけでも少しは安心出来るわ。今も生き残っているのがどれだけいるのか、こんな具合じゃさっぱり分かりはしないものね」

「そうだな……」

「じゃ、私も行くわ。嘉尾教授の言うところを信じるなら、この城壁の東西にある楼閣(ろうかく)のどこかに北側の山の手前にあるお城へ通じる地下道があるらしいからそれを探してみるつもり。教授さんは以前あの城まで忍び込んで不思議な機械を見つけたそうよ」

「不思議な機械?」

「信じ難いと思うけど、彼が読み解いたところによるとそれは時空間を転移する乗り物らしくて、上手く復旧出来ればここから脱出出来るかもしれないって」

「えっ? ……ちょっと俄かには信じ難いな」

「私もよ。二人もそうでしょう?」

「え、ああ、うん、よく分からないけど……でも、ここから脱出出来るかもしれないって云うんなら探してみるのもいいかもしれないね」

「そうですね……このままあてもなくあの化け物たちから逃げるだけしか出来ないままじゃ、助かりっこないですから」

「お互いベストを尽くしましょうね。それじゃ、必ずまた会いましょう」

 月子はそう述べて先に去った二人の後を追った。夜闇の内に遠ざかって行く彼女の背姿を英一は見ながらただ不吉さ、訳もない不安を思い抱かずにはおかれなかった。自分は彼らを、月子を助けなかった。その代償をいずれ支払わされるのではないかと云う殆ど虚妄の様な考えを。……英一と紹は同じ美術部員で尚且つ同級生ではあるが、普段からつるむ相手と云う程の仲ではなかった。英一の場合平素なら月子と奏美がいる分他の男子には若干近寄りにくい部分があり、一方で紹はサッカー部と兼部していることもあって典型的に男子の友達と絡んでいる少年だった。とは云え、美術部で活動を共にする中でそれなりに話をし、全く打ち解けていない間柄ではないと英一は信じていたものだった。時折彼の女友達二人のことを以て英一を(いじ)る程度には話せる間柄だと。その紹は後輩の(かさね)の世話を焼いたりで凡そ嫌われる人物像でもない、本来なら快活で余裕のある男であろう筈なものだが。この窮地(きゅうち)とは彼の様な少年をかくも焦燥(しょうそう)させるものかと、この友達に改めて()びたい気持ちにもなるものだった。これに比して常人は女子受けは良い明るくやや軟派な雰囲気を(かも)す少年なのだが、この日見た彼にはそうした普段の面影はすっかり(うば)い去られている様にも思われた。ここへ至る過程を全て知ればその理由も分かるのかもしれなかったが、不毛な望みでもあった。重い雰囲気のままに三人は城壁を引き返し、その視界の先に月子の言った通り楼閣が(そび)えているのを暗夜の内にも(あお)ぎ見た。不気味な夜を分かつような楼閣。三人に夜風が吹き付け、そのどこか冷ややかな空気、静寂(せいじゃく)な辺りを掻き乱した。

 

5.

 

 西の楼閣入口まで辿り着いた三人だが、ここにも鍵が掛かっていた。城壁を登る際に使った鍵がひょっとしたら合うのかもしれなかったが、折れてしまった以上最早それを当てにする見込みもない。彼らはまずそれを探さねばならなかった。

 この夜の空の下は暗かったが、三人が一旦戻って鍵の探索の為に由海と合流しようと決めたところで俄かに空が光った。遠雷が(とどろ)くのが聞こえ、その為に辺りが一瞬照らされる。この不気味な夜にあってそれは不吉な雰囲気を彼らに感じさせたのだが、ふと西を見下ろした小春が二人を揺すった。

「あれ! 今、一瞬十慧先輩が見えました!」

「何だって?」

 果たしてそれが真実なものか、再び雷光が閃いた時には彼女の指さした西門の外側にはその姿は見られなかった。しかし万が一本当にいたならこのまま捨て置けるものではあるまい。三人は一旦城壁を降りて西門を目指した。

「あんた、たち……」

 果たせるかな、そこには確かに初佳が歩いて来ていた。その表情は明らかに()えがなく、足取りも重そうにして色濃い疲弊(ひへい)を醸していた。

「ここで再会出来るとは思っていませんでした、無事だったんですね」

「無事? 流石にそんなことはないわ……」

「えっと、この辺りにいるあの化け物たちに……」

「そんなとこよ……でもそれだけじゃない……」

 初佳はあの初日の晩に算を乱して逃げた折に運が良いのか悪いのか、彼女が軽んじる元交際相手の侑人(ゆうと)と行動を共にすることになった。どの辺りともつかぬ森の中を彷徨(さまよ)う中当初彼は初佳を助け、守ろうと云う姿勢を示してはいたのだが、そんな余裕はこの異常な環境の中で長続きするものではなかったらしかった。ぬかるんだ地面を越えて行こうとした時に見栄を張って先に進んだ侑人が腐った手に足首を掴まれて引き()り込まれそうになったり、どこからともなく現れた獰猛(どうもう)な蜂を追い払うに初佳が矢面に立たねばならなかったりとこの男の頼りなさが露呈して行く中二人は黄昏時に"捕食者"と出くわす。この"捕食者"を相手に侑人は一度()われかかり、その辺に刺さっていた錆びた鉄斧を初佳が無理矢理足に投げ付けたことで辛うじて逃れたものだったがその後の二人は、初佳本人が多少言い過ぎたかと後悔する程度には不毛な口論になった。彼女の認識ではこの後から侑人は段々と常軌(じょうき)(いっ)する様になっていったと考えているらしい。と云うのも翌朝二人は空腹を満たす食糧もない中幸運なのか飲みくさしで捨て置かれたジュースを見つけたのだがこれを巡って二人は喧嘩になり、半ば無理矢理に侑人が奪い飲み干してしまう。その後から一年生の京典(きょうすけ)が一旦合流したものの三人は食糧と今後の方針を巡って不和を繰り返し、半ば飢えて余裕の無かった初佳に後輩を(おもんばか)る余裕すらなかった。見つかった食糧の殆どを侑人が独り占めにする状況にうんざりして離れようとした初佳だったがこの期に及んでこの男は初佳に付いて来て、しかも思い通りにならない苛立ちをぶつけるかのように身体を触ろうとし始める。これを拒絶すると、俺が守ってやってるんだぞと殆ど無理筋の激昂(げきこう)さえ示した。もし京典がたとえうんざりした様子であってもいなかったらどうなっていたか知れたものではなかったが、その晩彼女らは"哄笑する女"に遭遇し散り散りになった。初佳は侑人が真っ先に逃げ、次いで恐懼(きょうく)した京典が逃げ出したが自分は逃げる余裕も無く物陰に隠れてそこで意識を失ってしまっていたと云う。幸か不幸か初佳は標的とされずに済んだらしく夜、森の片隅でただ独り目を覚ました。この時自分が最早死に掛かっていることを感じ、せめて誰かが生き残って到達していることに賭けて一番近そうに思われた西門を目指したと云う。

 取りも直さず水を所望した初佳にすぐさま奏美が自らの水筒を差し出した。真水を含んでやっと生き返った様に目から消えかけていた精気が立ち戻り、奏美に深々と感謝を告げる。何も礼が出来ないことを詫びる初佳に三人はただ助け合いですと善良な受け答えをして、彼女は少しだけ(うらや)ましそうにこの西側探索班を見やった。

「まともな善意が今でさえ出せるなんてまるで奇跡じゃない。優しさを失わずに来れたなんて、本当に大したもんね。……ところで、あんたたちは何をしようとしていたの?」

「楚さんが少し前に足を怪我して、でもすぐそこに化け物が徘徊していたから置いて行けって言われてこの市街地の廃屋の一つに隠れてもらっていたんです。先程月子たち東の湖を調べていた班と連絡が付いたので、一旦楚さんと合流してから次のことに移ろうかと」

「そ、楚ね……ヤバい状況とは云え、あの子も無事だといいんだけど」

「本当に……」

「私も出来ればあんたたちに付いて行きたいところだけど、流石に水を恵んでもらってまた空腹だからと何でも恵んでもらう訳には行かないから」

「そんな、わたしたちもガムぐらいしかありませんけど遠慮しなくても」

「ガムかぁ、いいもん持ってるわね。それはあんたらで食ってなさい。私にだって先輩としてのプライドってもんがあるのよ、こんな死にそうな状況でもね」

「……」

「ところで……ここらに来る前、あんたたち、ずっと野宿してたの? にしちゃ流石に元気過ぎるぐらいに見えてしまうけど」

「ああ、それですが」

 初佳はそんな山小屋を遂に見つける余裕も無く延々彷徨っていた自分がどこか馬鹿らしく思われた。しかし英一の話によれば京典もそこを知っているらしい。当人にその気があるなら既に到着しているであろう。なら一度自分もそこで休んで英気を養い、今後のことを考えようと初佳は思った。

「でも大丈夫でしょうか? 場所もそうですけど、多渋(おおしぶ)と会ったら……」

「あいつには詫びるわ。切羽詰まってたっつっても、身から出た錆だもんね。けじめぐらいはつける。それにこれ以上あんたたちの手を借りてたら私が恥ずかしいし行って帰って来る暇も惜しい時でしょ」

「それはそうですけど」

「ここまでしぶとく生き残ったんだもの、何とかなると思っておくから。あんたたちは自分たちの目的を優先しなさい。霧海(むかい)たちだけどんどん先へ進ませるのもそれはそれで良くないわ」

 三人もこうまで言われれば引き留めることは出来ず、西門の跳ね橋まで赴いてこれを見送った。そうして三人は都市に戻り由海を置いて行った廃屋を調べたのだが既にそこはもぬけの殻だった。書き置きらしいものも見当たらない。

「ここにいないってことは既に出て行ったんですよね」

「そうだと思う」

「このまま楚さんを独りにはしておけないよ。探しましょう!」

 それは同感なのだが闇雲に探しても致し方がない。今度は下手にはぐれるまいと三人は固まって廃屋の周囲を調べる。足跡を確かめ、これを慎重に追う。その足跡は途中まで詰所の方へ続いていたのだが、その半ば頃より行き先を変えて南へと動いていた。何があったのかと思いつつ三人はその足跡を辿る。西門側の市街地南の道の続いた先にはやはり廃墟と瓦礫の山で行く手は塞がっており、そしてそこで足跡も消えていた。どう云うことなのかと三人は訝り、周囲を探索する。英一は廃屋の一つに慎重に身を忍ばせ、中をライトで照らした。

「うっ」

 それは悪意なのか、廃屋の暗がりの中には血みどろになって引き裂かれた複数の死体があった。長い時間が経って既に肉は朽ち血は錆び果てた為に臭気を残していないが、陰惨なその情景は凡そ他の皆に見せるべきものではあろう筈もない。英一はそれでも内部へ歩みを進め、その死体を調べた。死体が(まと)っていたのは彼らが知る様な服装ではなくどこか民族調だったり、或いは甲冑の欠片の様なものが垣間見えたためである。未だ彼や周りの二人はこの古城一帯が日本から遠く離れた異郷の地であることを信じ切っていないつもりではあるが、この様なものを見つけるに必ずしも眉唾(まゆつば)とは言い難いと考えざるを得なかった。……英一は(しかばね)と屍の間に鈍く光るものを見つけた。拾い上げたそれは鍵らしき形をしており、或いはあの西の楼閣の扉を開くのにも使えるのではないかと思わされた。

「ソノ鍵ハ、渡サヌ……」

 がしりと英一は足首を掴まれた。見れば周囲の屍がおもむろに動き出して彼を取り囲み始めている。焦燥しながらも英一は鋸を振り下ろしてそれらに対抗した。掴み掛かる手首へ打ち下ろしそれを断ち切る。しかし数が多い。このままでは出口へ向かうことはおろか包囲を脱することさえままならない。

「え、英一くん!」

 奏美の声がした。彼の正面を塞ぐ骸骨に、女子の悲鳴ともつかぬ掛け声と共に振り下ろされた角材が叩き込まれこれを叩き潰した。英一は足首にたかろうとする手を振り払い、素早く奏美が作った囲みの穴より飛び出した。奏美と小春が怯えながらも彼を迎え入れた。二人は英一が入り込んだ廃屋の亀裂とは別に開かれたままの入り口を発見しここから援護に回ってくれたのである。三人は廃屋から脱し、それを追って這い出して来る骸骨らを次々と得物で叩き潰した。四、五体と片付けたところで遂に途切れ、英一は再びそっと内側を(のぞ)き込んでみるともう何も(うごめ)いてはいなかった。

「助かったよ奏美。危ないところだった」

「英一くんが危なかったから、そのままには出来ないと思って……」

「いいんだよ」

 英一がぽんと彼女の髪を優しく叩くと奏美は(ほお)を赤らめて上目遣いに、嬉しそうに彼を見上げた。それを横目に見た小春は少しだけ不満げではあったが、何も出来なかった自分を思えば口出しはしかねると云うことか黙っていた。

 由海の行方はやはり知れなかったが、英一が鍵を手に入れたことで少なくともこれをして西の楼閣が開くか試す理由は出来た。夜が明けて朝が訪れつつあり辺りはうっすらと明るくなっていた。飲み水しか持たない彼らに呑気にしている余裕はない。英一はあてもなく由海を探すより月子たちと歩調を合わせるべく西の楼閣を目指すことを二人に提案し、同意を得た。少し心細いが仕方がない。或いは初佳が向かっている猟師の休憩小屋に他の生存者同様戻って状況の進展を待っている可能性もあるだろう。三人はそう考え、再び城壁を昇った。

 

 少しだけ緊張を帯びながら差した鍵は錠前を外し、その扉は開かれた。……楼閣には幾つか窓があってそれ故に内側の光源は昼の間である限り心配はなさそうであった。三人は一階に踏み入り、内部を瞥見(べっけん)する。そこは屯所の様な風情であり、比較的綺麗で荒らされた形跡も見られなかった。小春が一つ扉を開くとその先には休憩室らしき部屋があり、やはり使われていない分(ほこり)を被っているものの割合綺麗な寝台が残されているのは三人を喜ばせた。加えてこの一階にはどうやら食糧も保管されていた様なのだが、読めない文字で書かれた札と壺を確かめたところ名状し難い臭気を放つ。鼻を()まみながら中身を覗くと、どうも野菜らしきものの漬物らしいのだが暗がりの液体に沈むその中身の色は明らかに褐色(かっしょく)であり、実に年代物と云う説明も烏滸(おこ)がましい遺物(いぶつ)と云う印象を与えた。

「食べる……?」

「うーん……正直、贅沢は言えないと思うことは確かなんだけど」

 幸か不幸か食器類は周囲の棚に仕舞われていた。丁寧に仕舞われていたその金属の(はし)らしき棒で摘まみ上げたそれは食べて吸収出来る栄養がどれほどのものかと思われたが、由海と別れる前に喫食して既に一晩、このまま水だけ含んでいても濁すお茶も残らず疲労で動けなくなることは分かり切っていた。それでまず英一が更に一つまみ盛り付けられたそれを慎重に(かじ)り、ゆっくりと咀嚼(そしゃく)して呑み込む。その味わいは非常に塩辛かった。野菜の味は殆どよく分からずくたびれた繊維(せんい)を咀嚼するたび舌に()み込むのは塩味と、気の抜けた醤油(しょうゆ)()()ぜたような微妙な味わいが感じられた。

「味だけなら……食えなくもないかな……」

 食べている間小春が開けていない隣の壺も開いてみたので奏美が共々これを覗き込むと、先程より更に強烈な臭気を発する中身が待っていた。瞥見した感じそれはチーズないしバターの様に思われたが、熟成と云う言葉を通り越した異臭が感じられてとてもこれは食えるようには思われなかった。とは云え英一は漬物の方を食べてこの上恐れても仕方がない様に思われ、二人が遠慮したその中身も幾許(いくばく)か頂いてみることにした。……鼻に付く臭気の割にその味わいは大人しめで、やはり塩気の多さから思ったよりは食べれると云う感想だった。外側はどうにも黒ずんでいる感じだが内側はまだ幾らか褐色で、所見通りこれはチーズの成れの果てなのだろうと思われた。また更に他の壺を調べると水もあったがこちらは明らかに腐っており飲むことは躊躇われた。食べ物については暫く消化して中らなければ、恐らく二人も食べられるだろう。その間に下手に動くと万が一が怖いと云うことで三人はここで一旦休息を取った。休憩室で奏美と小春がひと眠りする間、手前の屯所の椅子に座って彼は何かやって来たりしないかぼんやりと監視している。だが逆に信じ難い程度にはただ沈黙だけが占め、二人と交代で休憩室に入ってまた英一は軽く眠った。そうして彼が出て来た時点でどうにもお腹を壊さなかったことから、二人も空腹に負けてこの幾ら寝かせられたのかすら知れぬ保存食に手を付けるに至る。二人も鼻に付く臭気、それに塩辛過ぎる点を除けば味に格別の問題を感じることはなく、やや希望的な見方と云えばそうだが安全だと思われるこれらを確保して三人は少しだけ前途に安堵を抱いた。程良く腹を満たした後それらを元に戻し、彼らは二階への階段を昇った。

 

 二階は多くのロッカーらしき収納庫が立ち並んでおり、その一つを開いたところ白骨死体が転がり出て三人は仰天した。凡そこんなところから現れる死体に対し(ろく)な経験を持たない三人は一旦それから距離を取って様子を見たが、差し当たり何も起こらないままなのを見てこれを忌避(きひ)しながら別のものを開く。中には朽ちた弓矢と(よろい)があった。鎧は試しに英一が着てみようとしたが、大変な重量でこんなものを着ては動けるようにも思われず断念された。

「今更だけど、何だかファンタジーみたいだね。それか西洋の歴史物語に出て来そうな」

「いや、うん……確かにここまで起こっていることを思うとファンタジーじみているとは思うけど」

「そんなことが起こり得るものなのでしょうか?」

「さぁ……?」

 この階に目ぼしいものが見当たらないのを理由に三人は三階へ進む階段を探したが、見つかった扉は開かない。内側から施錠されているのかとも思われたが、ドアノブは動くのにその扉が不自然に引っ張られてこちら側に決して動かない様になっているのではないかと云う風に思われた。三人はそれでどうしてやったものかと途方に暮れ、ともかくもこの階を調べるだけ調べようと云うことになり三人で手分けして何か変なものはないかを探し始める。数多くあるロッカーは何分死体が転がり出て来るのではと思うと躊躇われたが、開ける際には三人がお互いを見ている形で開けるとした。それで試しに一つ英一が開いてみると、やはりと云うか、中から子供かと思しき死体が転がり出て床に崩れ落ちた。

「……え?」

「うそ」

「なん……ですか、これ……?」

 転がり出た死体が巻き戻される様にしてロッカーに戻り、ひとりでにロッカーの扉が閉じられた。恐る恐るもう一度開くと、全く同じことが起こった。三人はその異様な状況に困惑を隠しようもなかったが、ふと小春が既に開いたロッカーを指し示して言った。

「あれ、あそこのロッカーから出て来た死体もなくなって……閉じられてる!?」

 見れば確かに最初開いたロッカーとその死体も元通りにされてしまっていた。どう云う訳なのかと思われた時ふと、英一の目に二階入り口傍に張られた張り紙が目に付いた。全く未知の文字らしきもので綴られたそれを最初彼は読めないと云う以上の理解を示しようもなかったのだが、そこで脳裏に声が響く。

 

――()ハ確カニ、読メズシテ先ヲ開クコト叶イ難シカ。(シカ)レバ、示シテヤルモ一興ナリヤ、ノウ?

 

 その声はあの夢に出て来た不気味な仮面の骸骨だった。彼は目を見開いて身震いした。たまたま視界の端に留めていた小春が、次いで奏美が英一を見た。彼の恐懼の表情に二人は辺りを見回したが三人の他には誰もいない。……彼の瞳に俄かに映った化生ならぬ化骸の姿を二人は認知しなかった。

「どうした、英一くん?」

「……」

「英一くん!」

「っ! あ、あぁ、すまない、ちょっと、妙な声が聞こえた気がして……」

「妙な声?」

 二人にあの夢とこの時聞こえたことを語るべきか彼は幾許か迷ったが、幾ら現実味の乏しい現状でも更に混乱を投げ込む様なことを二人に語りたいとは思われなかった。要らぬ不安を煽るより自分の内に留めておくべきだろう。同じものを見たらしい游次郎やそのことを伝えられていると思われる月子を除いては。彼はぱんと頬を両手で叩いて気合いを入れ直し、張り紙に近付いた。二人もそれに付いて来る。

「これ……読めないよね」

「知らない文字ですね。筆記体には見えますけど、それにしたってアルファベットならこうは書かないですよね?」

「うん……」

 二人が言う間に英一はそれをまじまじと見た。彼も読める訳ではない。しかしあの仮面の骸骨が(ささや)いたのだ。『忠烈なる一家。その長男と次男が四五六年に相次いで誉高(ほまれだか)き討ち死にを()げ、四五八年に父もまた敵に降るを(いさぎよ)しとせず自刃を遂げた。母は翌年の落城と共に末子を刺し殺し、自らも井戸へ身を投げた』と。これを聞いて、その張り紙をまじまじと見て彼はあの化け物はゲームでもしているつもりなのだろうかと思われた。それは実に陳腐(ちんぷ)な謎掛けなのではないかと。

「なぁ、二人とも。さっきロッカーにあった死体、もう少し探してみてみないか?」

「えっ?」

「その、思わせぶりに張ってある張り紙は何かのヒントを書いてあるんだろうけど、この階にあるもので上手く符号、操作させれば何か起こったりするかもしれないだろ」

「そう云うものでしょうか……ゲームだったらそうでしょうけど」

「そうだよね。……でも、他に手がかりもないし。怖いけど、調べてみてもいいと思う」

 奏美がこの様に賛意を示すことで小春も已む無しと手伝うことに決めた。それで三人はロッカーを調べて回り、死体が収まっているのは五つであることを確かめた。改めてそれらを調べると確かに、如何にも騎士然とした甲冑(かっちゅう)に身を包んだ大柄なもの・小柄でなで肩に見えるもの・少し背の高いもの・英一と同じ程度の背丈でやはり甲冑を纏っているもの・まだ子供らしきものの五つがあったのだった。英一は出鱈目(でたらめ)にも思われるがその示された順番に従いロッカーを開けた。一度間違うことで開いたロッカーが全て死体を収め直して閉じられることを確認すると二人もこの謎の順番で開いて行くのだと云う点に従う様になった。

 最後に母親らしきものの死体が収まったロッカーが開かれ、その中身がどしゃりと床に崩れ落ちる。何とも悪趣味で故人を(けが)す様な行いをしていることだと三人は思わずにはおかれぬところではあったが、それらが全て転がり出たところ辺りに妙な耳鳴りが響き、死体がおもむろに、ひとりでに立ち上がり三人など目もくれず三階への扉を目指した。死体の群れはその扉を殆ど力任せに叩き、何とも知れぬ叫びを上げた。奏美と小春は二人をかばう英一の後ろでその服の(そで)(にぎ)って、込み上げる恐怖に目を見開きながら耐え忍んでいた。英一はこの異様な光景を前にして動じていないかに見えた。実際には彼の瞳には、またしてもあの仮面の骸骨が影を差していたのだった。仮面の骸骨はケタケタと笑いながら彼を(かえり)みて言った。

 

――天晴(アッパ)レナリト(タタ)エラレシモノドモハ何ヲ怒リ狂ワンカ? ソレハ、彼ノ者ラコソ(ダマ)サレ、裏切ラレタ為ニ死セル故ニゾ。ソノ奸計(カンケイ)ノ主コソ、コノ楼閣ノ先ニテ眠ラン。サァ、確カメヨ、ソシテ(ナンジ)ラニ(アタ)ウモノナルカ、見セテミルガヨイ。

 

 言葉の終わりと共にその影はふっと消え、辺りの耳鳴りと異様な叫びは終わっていたことに英一は気付いた。三階への扉はいつの間にか開かれていた。英一を二人が見上げた。彼は何かに恐怖したと云うでもないがただ無事であることを伝える為に軽く笑みを浮かべた。

三階への階段の扉を(くぐ)ろうとした時、微かな物音を聞いた英一は振り返った。二階は静まり返っているかに見え、小春と奏美が怪訝そうな表情をする。ただの気のせいだったと誤魔化そうとした時彼は視界の端に、少女の服の裾を見た。翼であるかに見える少女の。

「ごめん二人とも、忘れ物を思い出したから少し待っててくれないか?」

「えっ? うん、いいけど……」

 小春は訝し気な表情を崩さなかったが、それでも了承した。英一は急ぎ少女の影を追って一階へ降りた。少女はそのまま西の楼閣の外に出たのに従い彼も外に出る。暗さから言ってそろそろ夕刻が近いだろう。長引かせたくないものだがと思いつつ彼は更に少女を探す。楼閣から更に北側へと進み、半ばまで崩れた歩廊(ほろう)で立ち止まって彼女は振り返った。

「翼」

 英一の呼びかけに少女は少しだけ嬉しそうに、しかし(さび)しそうな顔をする。決して応答しないこの存在に彼はどう云う理解を示すべきなのか迷っていた。

「どうしてここへ連れて来たんだ?」

 彼は端的にそう問い掛けた。少女は手をかざす。すると不意に英一は宙に浮いた感覚がして足元を見る。事実何故か浮き上がっていて彼は思わず変な声を出したが、それだけにはとどまらず英一は宙を飛んで城壁の向こう側へ降り立たされた。少女は崩れた城壁の宙を浮いている。一体どう云うつもりなのかと彼は少女を見たところ、毎度の如くと云うか、自分の背中側を指し示すので彼はこれを顧みた。そこには何者かの屍が転がっていたが、その手には一冊の本があった。

「これのことか?」

 英一は恐る恐る本を拝借して少女に問う。少女はにっこりと微笑んだ。それに安堵すると共に英一は、その笑顔は記憶の中にある翼のそれと瓜二つであることを感じずにはおかれず口に出した。

「なぁ、お前は翼だろう? 葦杜英一の妹の、葦杜翼! 何でこんなところにいるんだ、一体お前はどうなっているんだ?」

 少女は応える様に口を開いたが……何もその口から声が(ほとばし)ることはなかった。それでまたこの少女は寂しそうに笑って誤魔化す態度を取った。――ごめんね、おにいちゃん。何故だか彼にはそう言いたそうに思われた。少女が再び手をかざすと彼はまたしても宙を飛び、元いた側へ飛ばされる。降り立って彼が顧みると、笑みを浮かべたその少女がふっと消えるのを見た。それは明らかに人間ではあるまいと常識的な発想として英一は考える。ここは大概異常地帯だが、この翼そっくりの存在はそうした異様な、人外存在であると云うことか。仮にも俺の妹の姿を取って、善意と思しき行いを繰り返すそれは一体何なんだろうか、と彼は苦々しく考える。伝えたいことを言葉にして伝えられぬ理由は何なものか、全く。些か彼は不満げに溜息を吐いた。

「先輩!」

 不意に小春の声がしてそちらを向いた英一は、息を切らして彼女が駆け付けて来たのを見た。しかし奏美がいない。それだけで何かあったと理解するには十分と言えた。

「小春ちゃん、奏美はどうしたんだ」

「と、突然あの"黒い人型"が三階からやって来て、一緒に逃げたつもりだったんですけど瀬之川先輩とはぐれちゃって……!」

「なんてこった……!」

 こんなことになるなら手間でも二人共付いて来て貰った方が良かったかもしれない! 英一は自らの行動を後悔せざるを得なかったが、ともかくも奏美を二人して探しに出た。楼閣の一階は無人で、二階は逃げて来た大元であることからまずいないだろう。なら逃げ道はこの城壁上か下の廃市街だけだ。二人は一旦城壁を下って廃市街に出た。――そこにはあの物々しい雰囲気が漂っていたものだ。今まで散々追い回してくれた"黒い人型"と出くわした時に感じる忌まわしい雰囲気が。この中を助けに行かねばならないと云うのも恐ろしいが、躊躇っている場合ではない。二人は街へ分け入った。十字路に差し掛かったところで英一は俄かに足音を聞き、小春を制して角の死角を覗いた。覗いた先に丁度"黒い人型"が歩いており、彼が慌てて顔を引っ込めた直後にそれは彼の側を向いた。英一は速やかに小春を促して二人して逃げ、適当な廃屋に身を(ひそ)めた。追って来るその影は近くを徘徊し、しかし幸いなことに二人に気付くこともなかったのか通り過ぎて行った。恐ろしい気配が一旦は過ぎたことで二人は安堵し、英一が手を引いて小春が立ち上がる。彼女は一つ軽く咳をした。

「大丈夫かな。毎回無理をさせちゃって」

「平気、です。辛いですけど、こんなことで足を取られたらそれこそ、死んでしまいますから」

「小春ちゃん……」

「先輩、私、頑張りますから。瀬之川先輩や楚先輩、それに他のみんなと一緒に、きっと、生きて帰りましょう」

 その笑顔は確かに作られたものだが、何より糊塗(こと)の為ではなく自らの望みの為に作られたものだった。自らに自信のないところを度々見せて来た彼女はここに至り、己を鼓舞するに足る理由を見出していた。その内心を英一は汲みかねたが少なくとも最初の頃に比しては実に前向きになったことを彼は喜ばしく思った。

「そうだな。きっと、みんな大丈夫だからさ。どうなったのか分からない委員長みたいなのもいるけど、死んだと決まった訳じゃないんだ。きっと、きっとだ」

「はい。……誰だってこんなところで死にたい筈がないんですから、誰より私たちが率先して行動して、霧海先輩が言っていたあの、時空なんとかかんとかって言う機械を動かしてやりましょう」

「ん、そうだな」

 英一のその返事は変哲のない穏和な笑顔を伴っていた。それを覗き込む小春の微笑みに微かな紅潮が混じっていたのを彼は辺りの薄暗さ故にか気付けなかった。

 "黒い人型"の気配がすっかりしなくなった後に二人は辺りを警戒しながら出て、周囲を改めて探ってみたがこれと云って何かが見つかったものでもなかった。西門の外を探すべきか、とその門前で二人が頭を悩ませていると東より聞き覚えのある声が飛んだ。

「英一くん!」

 奏美の姿が見えて一安心した二人は、その奏美が由海を連れていることに気付くと更に喜んだ。当人、特に由海は短い様で長い別離から漸く合流出来たことにいたく安心したらしく涙すらこぼしていた。曰く、由海はあの後廃屋でどうにかやり過ごしていると不意に辺りが真っ暗になり、自分が宙に投げ出されたと云う。落ちた先も真っ暗だったが足首程まで水に浸かっていることに気付く。しょうがなしに壁を伝って歩くと突き当りの頭上に光が見え、自分が何故か井戸の底に落ちていると気付かされた。井戸には縄梯子が掛けられており由海はそれを伝って外に出、森の内にある見覚えのない廃屋の隣に出た。廃屋で農具と思しき刈り取り鎌を拝借し、東側に見える城壁からおおまかな位置を予想して森を歩くこと暫くで漸く西門に舞い戻り街に戻ったところで逃げる奏美と合流し一緒に逃げていたと云うことだった。

 再会した四人はともかくも西の楼閣に登って、一度一階で休憩した。周囲は既に暗く、また追い回される等していたこともあって英一が慮ったのである。それで四人は、取っておいたガムを食べた。

「おいしい」

 奏美が言ったのは自然なところだろう。ソーダ味のガム。これは游次郎が元々持っていたものだった。ここまでで度々食べて来た怪しげなものと違うその安上がりだが親しみやすい味わいに四人は自分たちの幸運と幸福を()み締めた。

 

 休憩と云って、月子たちがどう云うペースで進んでいるか分からぬ以上夜だから寝ていてよいとは思われず英一たちは深夜ながらも歩みを進めた。即ち三階へ。三階への階段は開け放たれたままだった。四人は内心恐る恐る、英一を先頭にコツコツと石段を踏み鳴らしながら登った。そうして三階に達した時、彼らがライトで照らした先に見たのは闇だった。……どう云う訳か三階の入り口から先は黒い(もや)だらけで内部が見通せない。一体何があるのかと四人は怪しく思ったが、この期に及んで引き返しても得るものは何もないが故に踏み込んだ。そこはやけに広い空間だった。靄で床が敷き詰められ壁もまた靄に包まれた異様な空間。その先には人影が見えた。馬に(またが)る人影。

「みんな、避けろ!!」

 英一が叫んで咄嗟(とっさ)に飛び出すと、その跡に騎馬が突っ込んで来た。死肉の様な色をした馬に跨る全身鎧の得体の知れない騎士。その手には槍と盾が握られている。こんなのありかよ、と英一は内心でこぼした。その露骨な殺意とふざけた化け物ぶりにいよいよファンタジーも行き過ぎていると思われたが、差し当たりそれの攻撃をまともに喰らった日には命など幾つあっても足りるまい。英一は鋸を構えてその矢面に立った。他の面々も得物を持たない小春を除いた二人が彼の両脇を挟むように立ち、小春がその後ろに隠れる。当の小春はこのただ守られるだけの図に少し不服そうな表情を見せたが、それを見た英一が鞄を開いて本を渡した。

「これは?」

「外に出た時に拾った。もしかしたら役に立つかもしれない、持ってて」

 そして駆け引きが始まった。騎士は突撃後旋回して四人の様子を窺っていたが、英一が進んでこれに立ちはだかると彼に槍を突き付け、馬に(むち)を入れ駆け出す。あんな騎馬突撃まともに喰らってなどいられるか、と英一は周囲に散開する様叫んで自らは更に前に進み出た。自分が諸共避けては恐らく向こうもそれに合わせて突進を修正して来るだろう。彼はなるべく引き付けてこれを避けたかったのである。騎士がその大きな槍を掲げ、突き刺す様に振りかぶる。英一は今だと横へ跳んだ。その槍が彼のいた場所を貫くのを風で感じ、英一は内心底冷えする様な思いであった。突撃が空振ったのを見た由海がその側面を襲う様に駆け出す。しかし相手も速やかに駆けて彼女の攻撃を(かわ)した。そこで騎士がぎろりと奏美を見た。奏美は散開してからどう動くべきかと判断に迷って棒立ちになっていたのだ。運動部でもない彼女にそう機敏な行動が求め得る筈がない。英一は直ちにまた走り出し、騎士の盾側よりその騎馬の足を引っ掛けんとする様に近付く。騎士もこれに即応することは叶わず、左に逸れて英一の行動を回避した。そこでまた更に後ろから由海が近付く。しかし騎馬を駆るそれの足は速く、一気に英一たちは距離を開けられてしまう。これじゃあこっちの体力が持たないと英一のみならず四人は思わざるを得なかった。……小春は彼我の挙動を観察しつつ預かった本を開いた。そこには読めない文字がつらつらと(つづ)られる中に魔法陣らしき紋様(もんよう)が幾つか見られた。まさか本物の魔道書かと一瞬思ったものの、流石にそんな馬鹿なと常識的な発想をして考え直す。だが英一がわざわざこれを拾って来た以上ただの鈍器として使うことを求められているとは考え難く、その馬鹿馬鹿しい用途こそ正しいのではないかと思われた。でも、どう使えば? そここそが小春にとって最大の難問であった。一体彼女にそうした非現実を実現する何の知識があろう?

 騎士がまた突撃を開始した。次は英一に流されず奏美へ矛先を向ける。英一が割って入ろうとするが、騎士はその盾をして彼を力強く払い()けんとした。大きく振られる盾と鋸がかち合い、金属の高い音が響いた。英一は思いもよらぬその怪力を相手に弾き返されてしまい、焦りと共に奏美を見た。由海の横槍も間に合いそうにない。奏美は自らに迫る敵を前にして慌ててその角材を両手で横に持った。騎士の槍はその正面より突き出され、角材を真っ二つに突き破った。しかしそれで狙いがずれたらしく奏美の身体には当たらずただ髪の毛を掠め、彼女は斜めに吹き飛ばされた。

「きゃああああああっ!!」

 悲鳴と共に地面を転がった奏美は強かに身体を打ち付けたらしくすぐには起き上がれそうになかった。騎士はそれを見てか次の標的を由海とし、旋回して更に突撃を開始する。自分が明確に狙われていることに気付いた由海はぎょっとして恐慌(きょうこう)を覚え、背中を見せて逃げ始めた。どう考えても逃れられる筈がない。英一が必死で妨害に入り、その一撃を逸らしてやれたものの由海は騎馬に蹴飛ばされ大きく吹っ飛んだ。ごろりと転がされた由海は意識が飛んでいるのか起き上がる様子もない。劣勢を如実に実感する英一だが二人を置いて逃げる訳にも行かず、何とか小春を守らんと騎士に食い下がる。接近戦になっての英一は得物が本分の竹刀ではないとは云え騎士との打ち合いでこれに劣らぬ技量を示した。一撃、一撃と叩き付け、また振るわれるその槍を鋸で的確に(さば)いて退()ける。彼自身そこまで自分がやれるとは信じてもいなかったが、この手応えだけは英一に自信を与えた。だがそう云う勝負にあっては不利と読んだか騎士はまたしても盾で弾くことを試み、何とか防いだものの英一は後退を余儀なくされて距離を作られる。こうなっては向こうに主導権があるのは明白だった。そして丁度、英一の背後に小春はいた。彼が一瞬それに気付いて振り返ると同時に騎士が突撃を開始した。小春に運動神経は期待すべき由もない。英一は半ば賭けのつもりで鋸を騎士目掛けて投げ付けたが、予期していたかのようにそれは盾で弾かれてしまった。轢かれるすんでで騎馬を避けはしたが最早万事休すかと思われた時、小春が本に目を落としていた視線をおもむろに前へと上げた。

 轟音と共に騎士に雷光が取り付いてこれを撃った。騎馬が不快に(いなな)き、騎士もまた初めて苦悶(くもん)を思わせる不気味な呻きを響かせる。英一は小春を顧みた。小春は開かれたページの紋様を指でなぞっていた。読めもしないが故にどうなるものかと思われたが強かに反撃に成功して彼女は微かに笑みを浮かべた。だが騎士とてこの一撃で斃れる程やわではないらしかった。態勢(たいせい)を整えると、今度はその(かぶと)の奥の鈍い眼光がどこか憎々しげに小春を(とら)える。慌てて小春はもう一度紋様をなぞったが光ったままの模様はもう何も起こらない。英一はまずいと思いつつ弾かれた鋸を取りに駆け出し、次いで騎士を阻止せんとしたが間一髪で騎士の方が早く駆け出した。――騎士の突進に対応出来る程に小春は元より俊敏(しゅんびん)などではなかった。或いは小春自身がそれを誰より理解していたのだろう。彼女は避けず、ページを(めく)って次の魔法陣をなぞった。そうして浮かんだのは光線だった。宙に大きな魔紋が描かれ、そこより太い光線が飛び出す。その光線が騎士の胴を()くのと槍が小春の腹を貫くのは殆ど同時であった。爆音を思わせる大きな音と、肉を()く嫌な音が辺りに響いた。

「小春っ!!」

 英一は最早敵にも構わず小春に駆け寄った。騎士はその甲冑ごと灼かれて落馬し床に(たお)れた。騎馬もまた最後の嘶きと共に崩れ落ちて果てた。そして小春は、槍に串刺しにされたままに地に横たわっていた。彼が駆け付けた時まだ彼女は血まみれになりながらも死んではいなかったが、助からぬことは誰の目にも明らかであった。

「せん、ぱい……」

「喋るな、直ぐに手当てをしないと」

「無駄、ですよ……そんなこと……」

「喋るなって言ってるだろ!」

「せんぱ、い……」

 言っても小春は聞かずに、弱々しい仕草で彼を抱き寄せようとした。英一はそれに気付くと少しだけ困惑したが、殆ど考えなしにそれに従った。二人の顔はほんの近いところまで迫った。そこで小春が満ち足りた様に微笑みを浮かべた。

「お願い、しても……いいです、か……?」

「何だ」

「キ、ス……」

 最後の一言を終えることなく辛うじて開いていた(まぶた)が落ちて、小春はもう動かなくなった。動かなくなったと云う事実を彼は見、考える。それは死ぬと云うことだ。死ぬとは? 奇妙な堂々巡りの問答が短い間彼の内側で繰り返された。辺りに小春の血がどろどろと広がってその亡骸(なきがら)や屈み込んでいる英一の服を汚してゆく。止まらないままの血を見て彼は懐から使い古したハンカチを取り出して出血を止めようとした。当然こんなもので止まる訳もなくただの徒労だった。徒労でも何とかしてやりたかった。彼はただ無力だと云う事実を受け入れることに苦慮し葛藤していたのだった。……声がした。それは奏美のものだった。小春ちゃん、と悲痛な叫びと共に駆けて来た奏美はしかし生気を失った彼女の(むくろ)胡乱(うろん)な顔をして次にどうすればいいのか分からずにいる英一を次々と見やった。奏美は小春の頬を、次いで(ひたい)に触れ、その冷たさを確かめて静かに涙を流した。ぐすりと声を殺して奏美は泣いた。そしてその崩れた顔のままに英一を見る。いつまでも思考停止に(はま)り込んでいるこの少年を。

「英一、くん。英一くん」

「……え、あ、ああ、奏美か。早く小春を助けないと。こんな出血じゃ大事に至る、早く何とかしないと」

「英一くん……駄目だよ……小春ちゃんはもう……」

「何がもうだよ。早くしないと、早くしないと」

「小春ちゃんは、もう死んじゃったんだよ!!」

 間近で叫ばれたことは英一にとって頬に平手打ちを喰らった様な印象を覚えさせた。奏美を一度見、改めて小春の亡骸を彼は見た。まだ彼女の最期の微笑みは形を残していて、しかしその瞼だけは眠たげに半ば過ぎまでしか閉じられていなかった。それを見て、更に彼女の腹腔(ふっこう)(えぐ)る槍が突き刺されたままの様を見て彼ははっとした。その途端に英一は、感情がとめどなく(あふ)れて止まらなくなった。わあっ、と彼は泣いた。男として(みじ)めではないかと思われる程に。悲痛な声をして由海が近付いて来たが英一はそれすら耳に入らず、ただ人目を(はばか)らずに慟哭(どうこく)した。その傍で斃れていた騎士と騎馬の体が闇に()ける様に崩れ、三階の空間が本来あるべきだったのであろう石造りの一室に立ち戻った。それすら何程の意味も今の彼らにはありはしないのだったが。

 


 
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