No.1191534

惨なる蟠夢を映す城 1

青柿さん

総字数約十八万六千字、内約四万一千字。二〇二六年八月三日完成、最終更新同八月十三日 ※作品投稿ガイドラインに抵触するおそれから投稿は2まで。続きをブログにて公開 ttps://henchi.tsuyushiba.com/Date/20260817/

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2026-08-13 20:44:58 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:52   閲覧ユーザー数:52

1.

 

 (ちまた)が夏休みの頃のこと。逍道(しょうどう)学園(がくえん)美術部は(かね)てより予定されていた夏季合宿の為に遠方へと繰り出していた。東北のA県くんだりまでバスで赴き、当地の名勝地に宿を取ってその風光明媚なる様を部員一同は大いに楽しみながら写生大会に励み、充実した旅程を過ごした。合宿日程を終えた一同は名残惜しさを抱きながらも帰りのバスへと乗り込んで長い山道を走る高速道路に()られている。行きも長く、長らく森の中を走ったものだが帰りもまたその様なもので部員らの多くは話題にすることも尽きており幾人(いくにん)かが尚もお(しゃべ)りをしているが寝入っている顔の方が目立った。

「英一はどうだった? 楽しかった?」

 葦杜(あしもり)英一(えいいち)の隣席を占める霧海(むかい)月子(つきこ)が視線を投げ掛けてそう問う。夏用のセーラー服を(まと)うショートの髪型に落ち着いた印象を与える面立ち。その見知った顔の(てら)いのない興味。彼女と英一は旧知の仲でありその付き合いは幼稚園まで(さかのぼ)れる。周囲の多くはこの様な二人をよく(はや)し立てていたものだが、両者には不思議と彼らが()う様な相互への関心と気恥ずかしさが強くなかった。

「まぁまぁ、かな。普段はこんな遠くまで出て来ないから描かない様なものも描けたし」

「そっ。私は満足ね。街だと人工物尽くしで、直線ばかり引いて終わるから」

 月子は少しだけ歯を見せて笑みを浮かべた。そして直ぐに視線を外して、斜め前の席を見た。彼女が視線を向けた瀬之川(せのかわ)奏美(かなみ)は疲れているのかすぅすぅと静かな寝息を立てて寝入っていた。長く()らしたもみ上げと後ろで二つにまとめた髪型が如何(いか)にも女の子と云う印象を与える小柄な女子。三人は二年生であり、月子と奏美は誰もが認める親友だった。明るく活動的な月子と穏やかで控え目な奏美の対比はどこへ行っても()えるものだった。そして不思議と二人に求められて英一はその(そば)を付いて行くことが多かった。月子が屈託ない笑顔を、奏美がはにかみを示しながら誘うそれに彼はこれを叶えるのが自分の役回りだと思うものだった。

「オホン。あまり見せ付けないでくれないかね英一君」

 後ろの席からどこか堅苦しく気取った声が掛けられる。声の主は和家(かずいえ)慎一郎(しんいちろう)と云ってうわぶち眼鏡をしたお堅そうな姿見の男子である彼は美術部の副部長だがその渾名はむしろ学級委員長であるところから委員長と呼ばれるところの多い少年だった。

「見せ付けるって、そんなんじゃないですよ委員長」

「と云いはするが、君達二人がそうしてイチャイチャしているのは実にそう見えるんだが」

「私たちが友達付き合いしているのが悪いことですか?」

「いやそうではないけどだね……」

 慎一郎はこう云うどこか言わずともよいことを一々口にする男なのは二人にもよくよく知れたところではあり、二人としては余り気にしていなかった。のだが、横槍を入れる様にまた別の声が飛ぶ。

「はいはい、フクブチョーは健全な男女に嫉妬(しっと)しない。それこそモテないぞー」

「なっ、いや、何を言うんだ!?」

五月蠅(うるさ)いよー、ここはバスの中静かにしようねー」

 慎一郎と反対側の席に座っている女子があしらう様に彼を見もせずにそう言った。外跳(そとは)ねのロングヘアに長身と云う見た目にも美人そのものである十慧(とえ)初佳(はつか)は三年生で美術部前部長に当たり、進路は既に固まっているが故に夏休みが暇であるからとこの合宿に参加していた。二年生の部長は前の席で寝ている。このどうでも良いことに対する我関せずぶりは彼女が部長を気に入っている点らしい。初佳に冷やかされて慎一郎は押し黙った。起きていたがために周りで聞いていた者らから(かす)かにくすりと笑いがこぼれた。まぁ、よくあることさ。英一はそう思って、窓の外を見やる。トンネルが近付いていた。

 

 そのトンネルは長く、彼らが乗るバスの他に車の姿は見られなかった。暗い内部を電灯が次々と過ぎ行く。この様な景色にはどこか非日常性が感じられた。ただ同じ回廊を歩く感覚。それが終わることをどれだけ期待してよいのか分からなくなる繰り返しの光景。……そんな呑気なことを英一は考え、欠伸(あくび)を一つした。彼もいい加減少し眠気を覚えていた。傍らの月子は既に眠ってしまっていた。その寝顔に英一はどこか安心感を覚え、自分も眠りに落ちようと(まぶた)を閉じる。

 丁度その時だった。瞼に急な光が差し込むのが感じられ、彼は目を開ける。トンネルの奥から白い光が(せま)って来る。それは波が打ち寄せる様に迫った。バスの運転手や顧問の教師が何事か言葉を発していたが、彼にはよく聞こえなかった。視界を()く様な光に一同は包まれた。――光が過ぎ去った後、バスは急停車した。厳密には光に呑まれる前には運転手はブレーキを踏んでいたのだが、どう云う訳か(ようや)く止まったのが今頃と云うものだった。トンネルの出口から半ば顔を出したバスの中で顧問(こもん)の教師が学生たちの無事を確認しようと後ろを(かえり)みる。

「お、おい、どう云うことなんだ、何が起こった!?」

「え? ……えっ?」

 車内には僅かに六人しか残っていなかった。部員の姿は部長と三人の部員を残して悉く消えていた。

 

 英一は腕で目を守っていた。光が止んだ後、彼は窓から外を眺めた。バスは尚も走っていたが、トンネルは既に抜けていた。辺りには森が広がっていたが、その樹々(きぎ)の隙間から(のぞ)かれる空模様はいやに暗かった。否、(ゆが)んだ色合いをしていた。英一は空を見上げる。そこには晴れとも(やみ)ともつかぬ禍々(まがまが)しい模様を帯びた空だけが広がっていて、凡そ彼の知った道、彼の知った空などではなかった。英一は月子を見た。月子は先程の光に眠りを邪魔され、どこか不機嫌そうに起き出していた。

「何……今の光……」

「月子、何かおかしい。外を見て見ろ」

「は? 外?」

 寝ぼけ眼の月子が外を、その空を見て顔色を変える。周囲もそのおかしさに段々と気付き、バスの内部は騒ぎになり始める。そこで一人の声が上がった。

「おい、先生も運転手さんもいねぇぞ!」

 一同は二人が座っていた筈の場所を見た。そこには手荷物さえ無い空席だけがあった。何より運転手の不在はバスが慣性に任せて走り続けているだけになっていることを理解させた。そしてまた一人が気付いた。バスは(がけ)に向かっていると。だが、学生などに何が出来ると云うのか? 彼らは(ほとんど)ど考える時間も事態を理解する(ひま)をも与えられぬままバスが崖先へ飛び、坂道へ飛び出してこれが横転して行く()き目に乗り合わせなければならなかった。

 

 速度が落ちていたことと断崖絶壁(だんがいぜっぺき)ではなく坂道へ飛び出したことが幸いしたのか、バスは横転と破損を繰り返し転がり落ちたものの乗客に重篤(じゅうとく)な怪我を負った者は奇跡的にいなかった。落着した森の少し開けた場所にて、学生たちはボロボロに(へこ)みガラスと云うガラスの割れた車内から這い出す。想像だにしない不運に巻き込まれた彼らは突然に不在となった顧問や運転手を詰りたい心境であったが、やがて幾人かの部員、自分たちの仲間もまた居合わせていないことが知れた。まさか、坂道で放り出されたのか? ぞくりとした不安が皆に走り、彼らは互いを見やって言葉もなく不安を投げ掛け合った。

「おっ、おれ、探して来る。部長たちまだ坂にいるかもしれねぇ!」

 二年生の一人である瑚潑(こはつ)(しょう)がそう言って()け出そうとする。これに慎一郎が待ったを掛けた。

「いや待て、ここがどこかも分からないのに迂闊にこの場を離れるのは危険だろう。大人しくして救助を待った方がいい」

「そんなこと言ってもよ、怪我してたら大変じゃねーか!」

「それはそうだが、僕らだって怪我が全くない訳でもない。大体こんな山の中だぞ、(くま)にでも襲われたらどうするんだ」

 一見すると(もっと)もらしく思われるところを慎一郎は指摘するので紹は(にわ)かに次の文句に(きゅう)したが、ここでまた横槍を入れたのは初佳だった。彼女は腕組みをしてどこか苛立(いらだ)たしそうに言う。

「熊に襲われるんならここも一緒でしょ。むしろ下手に坂道に誰か放置して(えさ)になってしまう前にここまで連れて来た方がいい。あと、ここに残っている面子も確認しないといけない。誰がいて誰がいないのかはっきりさせてやらないと、誰を探せばいいのか分からなくなるじゃない」

「……十慧先輩は前部長であって、この場に部長は……いないなら僕が副部長として皆を仕切るべきではないのですか?」

「仕切り役をどうこう言っている場合? いない子の命掛かってるかもしれないのよ、ほら、こはクン、他に行ってくれる子集めて」

 不服そうな慎一郎を尻目に初佳がリーダーシップを発揮し、てきぱきと話を進めて行く。それでこの場には十四人があり、部長と三人の一年生の計四人が顧問及び運転手共々に姿が見えないことも分かった。それを確認した初佳は紹と数人の部員を放って不在の者を探しに出させた。英一と月子は残っていた。と云うのも、奏美が軽い怪我をしていてまた他にも怪我をしている部員がいたことからこの場に残ってその手当てをする者が必要だった。男手は捜索に回してもいいのではと英一は初佳に意見したが、ここに妙な猛獣が紛れ込んで来た時男が誰もいないと困るじゃない、とにべもなく切り返された。

「あんた運動部じゃないけどガタイ良いじゃない。確か実家が剣道場だっけ? ここらには精々木の枝ぐらいしかないけど、厄介事になったら期待させてもらうわよ」

 こんな風にして英一は残され、奏美と仲の良い月子も成り行きで残った。座り込む奏美は屈み込んで絆創膏(ばんそうこう)を張る二人にはにかんだ。バスの荷は手荷物以外横転したその内部に残されたままで、運の悪いことにその開閉口が地面側に向いてしまっているせいで着替え等を取り出すことが出来ないが準備の良い奏美は自分の携帯鞄(けいたいかばん)に消毒液や絆創膏の様な応急手当一式を収めていたのでこの様な場面でその存在を有難がられた。

「ありがとう、英一くん。月子ちゃんもごめんね、手間を掛けて」

「いや、気にしなくていいよ。何かいざと云う時の肉壁みたいな扱いだし」

「ぷっ、肉壁って! 英一強いから大概(たいがい)の奴なんて返り討ちでしょ」

「いやー、(おおかみ)と云うか野犬やそれこそ熊が相手じゃどうにもならないだろ」

 こんなやり取りの後、英一は周囲を見る。三年生の正雁(まさかり)游次郎(ゆうじろう)が近付いて来ていた。

「消毒液、借りれるか」

「あ、はい。いいよな?」

「あ、どうぞ」

「ありがとう」

 口数少なく游次郎は(きびす)を返す。彼の向かう先には一年生の多渋(おおしぶ)京典(きょうすけ)がいた。游次郎は少しくせ毛を感じる二枚目然とした美男で、部活中は眼鏡を掛けていることも多いがその姿も様になる寡黙(かもく)さがイメージによく似合った男だった。一方で熱心な部員であるがそれ故にその傾倒ぶりから顧問から進路の心配をされる様な男でもあり、英一にとっては入部当初今一つ要領の(つか)めなかったデッサンのやり方を教えて貰ったことから然程(さほど)多くを話さずとも彼のことを信頼していた。尤も、自身の進路についてはあまり周囲に心配を掛けさせない様にした方が良いのではと思いもするのだが。

 一通りに手当てが終わったところで一同は捜索班が帰って来るまでに今後の方針について議論した。持ち合わせている食糧は各々がバスに持ち込んでいた飲料と菓子類の残りのみ。積み荷にはお土産として買ったものが幾つかあった筈ではあるが、現状では取り出しようもない。必然的に彼らは空腹に(おび)える立場となる訳で、この場から移動した方が良いのではないかと云う意見が出た。

「こんな山ン中で野垂れ死にだなんて真っ平御免よ。空模様訳わかんないけど、ここが日本ならどっか探せば家なり村なりあるでしょ。そこまで行って警察にでも連絡を付けましょうよ」

 二年生の一人である千ヶ嶽(ちがたけ)百香(ももか)はこう言う。二つに()われた髪を下に垂らして肩の前に下ろしている小柄な、風貌(ふうぼう)は可愛いと評判だが言動にやや難があることで知られる女子部員。彼女ならずとも手持ちのスマートフォンにて通話を試した者はいたが、電波は圏外(けんがい)と云うことでこれらは目下時計以上の役には立ちそうもなかった。

「だがそれこそどこへ行くと云うんだ。僕らは全く地理不案内だぞ。出鱈目に歩いても集落に出られるとは限らない。下手に動いたらそれこそ熊にでも出くわすんじゃないか?」

「熊、熊、ほんとあんた熊好きねぇ。出てきたら諸手を挙げて歓迎してやりなさいよ。アタシは餌になんかなりたくないからね」

「そう云う話じゃないだろうに……!」

「いや、止さないか! 喧嘩して得るものなんか何も無いだろう」

 英一はつい仲裁を試みたが、慎一郎にしろ百香にしろ英一に苛立たし気な視線を投げ掛けて来る。これを見て初佳が溜息(ためいき)を一つ付いた。

「じゃ、偵察でも放ちましょうか。少人数で周囲を確認して何か見つかったら報告する。これでどう?」

「ああそうね、それがいいわ。じゃ、言い出しっぺの十慧パイセン、行ってらっしゃい。あたしは疲れてるからここで待たせてもらうわね」

「は? ……ったく、千ヶ嶽はこれだから」

 言い出した手前断れないがこう云う扱いを喰らうことに初佳は機嫌を損ねているらしかった。英一はさぁどうしたものかと思っていたのだが、そこで隣の月子が手を挙げる。

「私、行きますよ。一応テニス部員でもありますからちょっとは体力ある方だと思いますし」

「ふぅん、霧海はやっぱ良い子ね。話を面倒臭くしないで動いてくれるから」

「誰のこと言ってるわけ?」

「さぁね? じゃ、とっとと行きましょう。こっちが斜面だから……その反対方向が良いかしら。あれ、向こうが北側なの? 私たち南に向いて走ってたと思ってたんだけどな」

 初佳がスマートフォンの方位磁針機能を用いて方位確認をしながら首を傾げる。ここで英一の服の(すそ)を奏美が引っ張った。振り返った英一に奏美が耳打ちする。

「英一くん、わたし、月子ちゃんを送り出すのちょっと不安があるから一緒に行ってあげて欲しいの」

「え? そうか? 月子だったら大体なんでもやれると思うけど」

「でもきっとこんなことになって内心は心細さがあると思うの。初佳先輩が悪い訳じゃないけど、一緒に行ってくれるなら英一くんの方が安心出来ると思うな」

 こんな風に頼まれては英一も断れるものではない。彼は動こうとする月子と初佳に呼び掛けて自分が代わりに行くと申し出た。これには初佳も少し感心した様に彼を見やった。しかし少しだけ間を置いて月子を一度見、初佳はずいと近寄って英一に耳打ちする。

「あんた、奏美ちゃんと月子のどっちが良いわけ?」

「はい?」

「あんまりとぼけるのは誰の為にもならないでしょうに。あんたら三人が美術部じゃいつでもつるんでいるのは見慣れた景色よ。馬鹿のイインチョーとか一年の那於巴(なおは)とかにあれこれ言われてるの知らない?」

「まぁ……でも二人とも付き合い長いと云うか、良い友達だから……」

「友達って、ねぇ……。まぁいいわ、とりあえず霧海と行って来なさい。あんたとあの子なら万が一でも大丈夫だとは思うけど、ヤバいと思ったらすぐに逃げて戻って来るのよ」

 初佳は一度英一の肩を平手で叩くと、ひらひらと手を振って去って行った。よく分からないと云う顔をする英一を月子はどこかしょうがないやつと云う表情で眺めていた。

 

 英一と月子は獣道(けものみち)の道すがら()して話をしなかった。お互い視線を投げ掛け合ってそれで特に言うべきことが今無いことをどこか確かめ合う様に目が合い話をする前に話は終わってしまう。こんな二人は進む道が(わず)かにせり上がった斜面に差し掛かっていることに気付き、もしかしたら高所に出られるかもしれないと考えた。そこで漸く二人はまともに口を利いたので、月子がどこかおかしくなってからからと笑った。

「何だ、そんなに笑って」

「いやー、さっきからずっと目は合うけど特に何も言ってなかったのにこう云うところだけ同じこと考えちゃうから、ついね」

「ああ、まぁ……そんな時だってあるんじゃないか?」

「お互いのことが手に取るように分かるって、つくづく理想でしかないよね。そんな風になっていれば誰も苦労しないって云うか」

 二人はともかくも笑みを浮かべ、斜面を歩く。英一はふと地面を見て、あまり植生が豊かではないのではないかと思った。雑草が地面を覆っているのが山道と云うものだろうところ、ここはそうした気が乏しく茶けた土が剥き出しになっていることが少なくなかった。周囲の樹々もよくよく観察するとあのトンネルをくぐるまでに見た様なものではなく、同じ広葉樹でも見た覚えのない種類ばかりなのではないかと思われた。

 二人は斜面の頂上で開けた景色に出た。空がよく見える。その禍々しく不吉な空。今が昼であるのか確信を持たせかねる紫だの黒だの青に赤だのの種々の斑紋が浮いている謎めいた空。その天蓋(てんがい)(おお)われた森の先に二人は建物の姿を認めた。

「あれは……何だ?」

「何でしょうね……西洋の、城?」

 謎めいた城郭(じょうかく)と思しきものが幾らか離れたところに見られ、それは城壁で囲まれその東西には城郭を守る支城を思わせる楼閣(ろうかく)(そび)えている。その城郭の背後にはまた山があり、城壁の西側には地面自体が凹んでいる様な大きな道めいたものがあり東側には遠目に湖らしきものが見出された。しかしそこから東西の彼方は森以外見渡せなかった。振り返った南には高い山があり遠目にバスが滑落したであろう山道とトンネルらしきものが見えもしたが、そこには舗装(ほそう)が為されていない様にも見られた。どう云うことなのか? 二人は首を傾げ互いの意見を(ただ)したが、この場で満足の行く解を得られるようには到底思われなかった。

 

 二人がバスまで戻って来た頃には不明者の捜索に出ていた面々も戻って来ていた。紹曰く持ち物一つ見つからなかったと云う。

「だけど一番信じられなかったのは頑張って斜面登り切ってトンネルを確認した時ですよ。トンネルだと思ったらそれは洞穴(ほらあな)で、しかも奥は崩落(ほうらく)してたのか埋まっててそれ以上進めなかったんです。おまけに車道のコンクリート舗装やガードレールなんかどこにも無かったし道の先はまたただの森しかありませんでした」

 紹と共に捜索に出た一年生の那於巴常人(つねひと)がこの様に話すのを聞かされた面々はそれこそ信じられないと云う顔で聞いていた。

(うそ)を吐いているんじゃないだろうな」

 慎一郎が詰問(きつもん)気味に問い掛けると今度は同じく一年生の飛井(とびい)(かさね)反駁(はんばく)した。

「嘘じゃないですよ! あたしだって登って見て来たんですから! そんなに信じられないなら自分で確かめて来て下さいよ!」

「そうだそうだ、おれも見たんだ! 一緒に来た侑人(ゆうと)先輩だって見たんだぞ!」

 何か言えば皆に袋叩きにされているが如き慎一郎は顔を赤くしながらも黙ってそれ以上言うのを避けた。普段はもうちょっと無難なことを言える筈なんだけどな、と英一は思いつつ慎一郎を労わる様に見やったが、彼はそれに気付くとぷいと顔を背けてしまった。

 話は英一と月子が持ち帰った情報に移った。謎の城郭の存在は勿論一同を(おどろ)かせたが、周囲に目立つ人家が見られないことに百香が疑わしそうな視線を向ける。

「ちゃんと確認したわけ? んな意味の分かんない城だけ見つけて帰っても何の役にも立たないでしょ?」

「千ヶ嶽さん、文句があるならって話じゃないけど建物は他にはさっぱり見られなかったわ。森に隠れている小さな建物ならあるかもしれないけど、ここらから見渡せるところに街や村、(ある)いは一軒家は見つからなかったわ」

「そういや俺らがトンネル確認した時も遠目になんか建物っぽいのが見えはしたけどありゃ城だったんだな。遠かったから今一ピンと来なかったや」

「呑気なこと言ってさぁ……アタシたちの命が掛かってるのよ? 何とか助けの一つも呼ばないとここでどうしようってのよ? もう辺りも暗くなってきているじゃない」

 言われてみればと英一は辺りを軽く見まわした。バスから()い出た時より心なしか辺りが暗闇に沈みつつある。

「ぴーぴー(わめ)いてそれでどうにかなると思ってんの千ヶ嶽は? 私にしろあんたにしろ等しく遭難者(そうなんしゃ)なんだからもう少しその(やかま)しい口を(つつし)んで周りを気遣(きづか)えないの?」

 初佳がやはりと云うか、かなり苛立たし()に言った。この先輩後輩は部内にあってかなり仲が悪いことで知られており、平素なら顧問が仲裁してどうにか事なきを得ているものだが今回はこの場におらず彼らにはその行方さえ知れぬもので、二人の対立に熱が帯びつつあった。

「あ? アタシは当然のことを主張してるだけじゃないの。それとも何、十慧パイセンはこんな時こそ落ち着く為にデッサンでもしましょって言ってくれるわけかしら?」

「その妄想(もうそう)が叶えられなくてごめんなさいね、私、あなたよりは冷静なつもりだから」

「何を……っ!!」

 いよいよ馬鹿馬鹿しい対立に落ち込もうとしたところで、あの、と別の声が割って入った。一同はその主を見た。後ろ髪を短く結った、眼鏡を掛けた変哲のない女子部員。二年生の(しもと)由海(ゆみ)と云う女はこう云う時に言を発するものかと、幾人かは意外に思った。

「すみません、みんな疲れて苛々しているでしょう? ご飯に、しませんか?」

 これまたそれにいきり立とうとした百香だが、そこで腹の虫が鳴る音がした。その発生源が百香だったことで彼女は毒気を抜かれてしまい、頭を振って座り込み自分の鞄を開いた。

「ご飯っつってもちょっとのお菓子しかないけどね。ま、無いよりはマシだし」

 由海がマッチを持っていたので周囲から枯れ枝や枯葉を集め、焚火を起こして皆でそれを囲んだ。全部を食べると明日食べるものがなくなってしまうと思うと自ずと皆小食になりはしたが、差し当たり剣呑(けんのん)雰囲気(ふんいき)は消え、女子は女子で男子は男子で取り合えず雑談を始めた。皆が不安を抱いていてそれから目を背ける為のものだとしても、その一時凌ぎが必要な時であることは誰もが内心で認めていた。

 

 簡単な夕食が終わって少し落ち着いたところで月子が話を振る。このままこのバスの滑落地点に留まっていても電波の届かない現状で救助が来るとは考え難い。現状自分たちに他の手がかりもない以上北にある城を目指し、そこで誰かいないかを確かめてみるべきではないかと。

「でもさ、そもそも西洋風の城って日本にある? そんなわざとらしいものを探すより森の中にどこかしら住んでいる人や、或いはバス停とか道路とか何かしら人里へ辿れる手掛かりを探す方が現実的じゃないの?」

 百香がここへ来て尤もな意見を出したと大方には思われ、それが顔に出た英一が彼女にじりと(にら)まれた。慌てて()びを入れた英一をふんと百香は取り合わない。月子はそれに苦笑を浮かべ、続けて口を開いた。

「それはまぁ確かにそうよね……じゃあ、ちょっと危ないかもしれないけれど、組み分けをして調べるのはどうかしら。あの城の傍には大きな道みたいなものがあって、それは多分こちら側に近いところにまで通じている筈よ。もしかしたら干上がった川かもしれないわ。少なくともそれを見つけて辿りさえすれば城には辿り着ける。もしくはここから真っ直ぐ北に歩いても多分行けるでしょう」

「ふーん……でも、確か東側に湖があるって言ってなかった?」

「ええ、見間違いでないなら。……そうね、水源なら近隣に人が住んでいるならきっと何かある筈ね」

「と云うことは、少なくとも城の東側には誰かが向かうことになると云うことだね」

 三年生の甫土(ほど)侑人がそう発言した。左右に流した髪型の、どこか困り顔が似合う優しそうな(おもむき)の男子である。ちらと初佳が彼に視線を投げ掛けたが何も言わずにすぐこれを外した。

「まー何か見つけるならこの人数だし、幾らか手分けした方が楽に決まってるよな。んじゃ、霧海が東の湖に行ってくれよ。葦杜と並んで迷わなさそうだし」

「ええ、まぁ……英一は?」

「俺? あぁ……じゃあ、東側は月子に任せようか」

「あ、じゃアタシも行く! 湖ってなら水浴び出来るじゃない、それに飲めるならそれだけで(しばら)く持たせられそう」

「……ま、実利本位だろうと意欲的なのならこの際良しとしておきましょうか。で、こはクンはどうするの?」

「おれっすか? んー、じゃ、東でいいや。遠そうな西は葦杜が行ってくれるだろ」

「あーオレもオレも! 瑚潑センパイと一緒の方が気楽だから」

 紹がそう言うと常人もその場のノリと云う風でそれに乗っかる。紹はバックに流した短髪の快活かつ悪戯(いたずら)そうな面立ちの小柄な少年で、その明るい性格故に部の内外に交友の広い男子として知られていた。常人はそんな彼と美術部内にあってはよくつるんでいる、二枚目扱いするには軽そうな印象を与える後輩であり往々(おうおう)にしてバカ二人と云う扱いで(いじ)られる人物でもあったものだが、少なくとも部内で不真面目から来る言動を示して嫌われていると云うことはなかった。二人のこの意欲的だが深慮遠謀(しんりょえんぼう)のなさそうな言に英一は苦笑を浮かべる。

「何だその理由……しかし四人も送ればそれなら十分か?」

「でしょうね。西側も多くてそんだけいれば探索には十分だわ」

「あーっ、波に乗り遅れた! 一緒に行動するなら霧海先輩とが良かったなぁー」

 累が不平を口にするが、当人の言う通り時既に遅しと云うもので紹と常人が彼女を(なだ)めている。累は快活だが小柄な女子であり紹と同じくサッカー部員でもあることからか斜面を上り下りしても元気が有り余っている様子だった。部内では特に月子に(なつ)いている様子ではあったが、当人は何かをしたと云う感覚ではないらしい。この面々が喋り出すとこんな局面でも賑やかになってどこか心理的に(ゆる)く、気楽になるものだとこれを見る面々には思わされた。そこでおもむろに初佳が笑いをこぼして言う。

「くすっ……、じゃ東側のリーダーは霧海に任せるとして、西側は葦杜君、君が顔触れ選んで連れて行きなさい」

 え、と英一は変な声が出たがそれで周囲はどっと笑った。赤面しつつも英一は月子を見る。月子はくすくすと笑いつつも、頑張るから、と小さく伝えた。それで英一は残りの三人ほどを選ぶとなったが、口を閉ざして成り行きを見守っている(と云うよりはどこか鬱憤(うっぷん)を晴らす機会を(うかが)っているかに見える)慎一郎には目が合っただけで拒絶され、取り合えず目に付いた侑人に話を振ったところ次の様に断られた。

「すまないけど英一君、俺は出来れば……初佳の周りにいておきたいから」

 そう云えばと英一は侑人が初佳と交際関係にあったことを思い出した。と云ってそれは去年の秋から冬頃に掛けてまでのごく短い期間に過ぎず、初佳は侑人を早々に見限って別れたと云う。その話は彼女が三年生になるまでの冬が春になる間の時期に迂闊(うかつ)にも質した英一が初佳にきつく(きゅう)()える様な調子で説明したもので、同時にその時期から侑人が部に姿を見せることが大分少なくなった理由でもあった。彼はしかし美術部を辞めたいとは思わなかったらしく初佳がいないらしい日を探って幾度か顔を出しており、その二つの意味で未練たらしい姿は英一が一年生の時に美術部の勧誘と説明を彼が担当して以来部内での世話を焼いてくれた相手でなければ今少し()めた視線で見る他なかったろうことである。応援しているとまでは云えずとも出来れば上手く後腐れを無くして卒業を迎えて欲しいものだと英一は思いつつ游次郎に声を掛ける。彼はまずこう質した。

「霧海は別行動すると云うからともかく、瀬之川に声を掛けなくて良いのか?」

 これには英一も(いささ)か答えに窮した。たしかにまず奏美を連れて行くのが筋なのでは、と一瞬思いもしたがそもそも文科系一本の女子がどれだけ森林の探索に耐え得るものなのかと疑念に思われた。

「奏美は……ここに居残った方が安全じゃないでしょうか?」

「どうだろうな。和家じゃないが、派手に落ちた人工物と焚火(たきび)がいい目印になったであろうことを思うとここが本当に安全かは疑問が残る。バスの中は滅茶苦茶だから雨露(あめつゆ)一時凌(いちじしの)ぎする程度は出来ても寝泊まりするのは無理だし、救助が万が一来てくれた時には真っ先に助けて貰えるだろうがさてそれまで何日掛かるか」

「……」

「とりあえず、他の子に声を掛けて数が足りなさそうなら考えてもいい。そう云うことで」

 こう言われて仕方なく英一は他を探す。奏美は何となくまだ気が引けている為に他の男子を探し、京典に声を掛けた。丸眼鏡を掛けた如何にも大人しく地味な少年。しかしこの二人にはどうもあまり接点がない。英一個人は特に避けているつもりこそないのだが、京典はこの上級生相手にどこか距離感を感じて来ているらしく美術部の活動にあっても事務的な会話以外まともにした試しがなかった。

「ぼく、体力ないですから」

「いや……だけど……」

「すみませんけれど、他の方でお願いします」

 何ともにべもない感じがあって英一は凹んで、その様子を見た游次郎が寄って来て軽く肩に手を置いて来た。へこたれるんじゃないぞ、と視線で語る彼に少し励まされた英一は次に当たった。

「私……ですか……?」

 一年生の名賀搗(ながつき)小春(こはる)は大人しい子で通っており、喘息(ぜんそく)持ちらしいことでも知られていた。考えてみるとそれは(およ)そ探索と云う役回りに不適当この上ない人選にも思われ、彼は慌てて言葉を(つくろ)った。

「ああ、勿論(もちろん)嫌だって云うならそう言ってくれ。無理には頼まないから」

「……」

「名賀搗……さん?」

「……ずっと、考えてました。ここ、どこなんでしょう。私たち、助かるんでしょうか。すごく不安で……正直こんなところいても立ってもいられない気持ちで」

「ああ……それは、何とか、俺や月子たちが……」

「あの、葦杜先輩。こんな私でよろしければ、手伝わせて下さい。ただの足手まといかもしれませんが、お願いします」

 真摯(しんし)にそう頼み込む小春にむしろ押され、英一は(うなず)いた。それを見た時の小春の喜色はそこまで思うものであろうかと考えさせるものであった。このまとまらないウェーブがかったセミロングの髪を垂らす背の低い、この場にあってはどこか(はかな)い印象を与える少女。可憐(かれん)さに影が付き纏うこの女が自己主張をし、意思を示して行動を欲する姿を彼は見た試しがなくやや呆気に取られていた。

「あ、英一くん、月子ちゃんと相談があるんだけど。小春ちゃんも一緒だね」

 呼び掛けられた先に奏美の姿があった。傍らには月子があり彼女はずいと近づいて、小春に軽く微笑(ほほえ)んだ。

「あ、すみません……」

「謝ることじゃないわよ。ちょっと借りるから」

 そう言って月子は英一に小声で話し掛ける。

「英一、奏美のこと任せていい?」

「奏美のこと? もしかして、連れて行けってことか?」

「そ。あの子にとってあんたや私の傍が一番安心出来るところなのは分かるでしょう?」

「まぁな。でも、さっき正雁先輩にも言ったけど、ここで待つ方が安全じゃないのか?」

「安全なんてどこにあるか分からないわよ、こんな場所じゃ。それに城の東西は私たちで調べるからって、残りが動かずに待つ訳でもないし」

「そうなのか?」

「十慧先輩や委員長が話し合ってるわ。と云って、やっぱり動きたがらない委員長を先輩がやりこめている感じだけど。先輩や委員長を信用してない訳じゃないけど、それはそれだしね」

 そこまで言った月子は奏美に視線を投げ掛け、英一に(あご)をしゃくってウィンクをした。奏美がおずおずと歩み寄って来る。英一はこう云う彼女の姿をいつもどこかどきどきと緊張して見やる。月子が同じ様な仕草を見せるとしてもそれでその様に感じるとはどうにも彼には信じ難い。打ち解けた気安さを自分が奏美に持っていないのだろうか、と彼は自問を思い抱いた。

「英一くん、その……」

「大体のことは月子から聞いたよ。俺は安全を思うならここで皆と行動する方がいいんじゃないかと思うんだけど」

「うん……でも、わたしは、出来れば英一くんのところにいたいかなって……」

 上目遣いでこの様に頼まれては英一も断り難い。彼は既に同行が決まった小春を見た。小春は穏やかに笑って一つ頷く。彼女が同意するならここで尚も反対役に回っても仕方あるまい。彼は納得して言った。

「分かったよ。どれだけやれるかは分からないけど、何かあったら俺が守るから。……あ、勿論、名賀搗さんもな?」

「うん! 小春ちゃん共々、よろしくね。足を引っ張らない様に頑張ります」

 月子が微笑ましくやり取りを見届け、手を振って自分の班の方へ歩き去って行く。三人は激励の言葉を投げ掛けながら手を振り返した。眺めながら英一はあと一人欲しいかなと思い、游次郎に改めて話を持って行こうかと考えたところでまた別の声を掛けられる。

「あの、葦杜君?」

 彼が振り返って見たのは由海だった。少し遠慮気味の態度で三人を見やっているが、ここでわざわざ一人声を掛けて来るとなるとその目的はどこか推し量られた。

「楚さん? えーと、もしかして、西側の探索に来たい……とか?」

「ええ、私で良ければだけど……」

 由海はある意味典型的な美術部員で、普段の活動から部に回されて来る行事等にも積極的だが一個人としての彼女は穏やかで棘の少ない、初佳や現部長、或いは顧問からも信頼の厚い部員だった。一時は副部長に推薦されたこともあったが当人が辞退する程度には謙虚(けんきょ)な人物像故か部内で由海を悪く言う者を英一は見たことが無かった。

「それは楚さんさえ良ければ構わないけど……何があるか分からないよ?」

「そう、だけど、こんな時あまりぼうっとしていたくないかなと思って。でも霧海さんの班はもう十分ってなってるから、まだ人数足りてないなら一緒に行きたいわ」

 まぁ、実に文科系部員ばかりが揃った感のある西側探索組なことだがと英一は多少不安を思い抱かせたが断るだけの理由があるでもない。可能なら男子をもう一人捕まえたかったものだが、仮に今改めて游次郎に声を掛けても同学年を無碍(むげ)にするな叱咤(しった)されるだろうと思われた。かくして英一の側も揃うだけは揃い、そのことを一同を仕切る初佳の元へ報告に(おもむ)いた。

「ふーん……成り行きとは云え、羨ましがられる構成になったわね」

 初佳は面白そうにそう言って英一のほっぺを人差し指でつついた。むず(かゆ)い思いを英一は抱いたものだが、実態として男一人に女三人と云う集団はどこか学校活動では馴染(なじ)みの薄い揃え方に思われ反論のしようもなかった。傍らで聞いていた慎一郎がぼそりと、ハーレム野郎、とどこか嫉妬深い一言をこぼした。かと思えば同じく居合わせた常人が累共々色男と囃し立てるので英一は対応に困り、苦笑している侑人に助けを求める様に顔を向けたのだが彼はただ無言で肩を叩くだけだった。……英一は平素印象の強い男子と云う程騒々しい存在ではなく、どちらかと云うと月子や奏美と一緒にいる付属物としての扱いを受けるきらいがあった。男前と言えなくもない面立ちに高めの背丈。しかしそれにしたって映える長身をした游次郎程ではないのだ。平素なら肉体労働係とやや自虐めいて称するところを月子が苦笑し奏美が宥める。そしてそれを見て周りがほら始まった、とどこか微笑ましそうに呆れる。そう云う男がここに至って女子三人の面倒を一手に引き受けると云うのはどこかアンバランスなような、案外適役とも取れるような絵面となっており誰もが彼を弄り回さずにはいられないのだった。

 報告は游次郎にもしたのだが彼の場合はそうした周囲に比べれば余程落ち着いた態度でこれを聞き、微笑を浮かべて言う。

「これは確かに、俺が先に加わっておいた方が良かったかもしれないな。力仕事が必要になったらお前一人と云うのは少し心細いだろうから」

「そこまで予想が付いていた訳じゃないですけど、正雁先輩がいてくれたらよほど気が楽だと思っていますよ」

「お前が俺をそうして期待してくれているのと同じ様に、お前の周りの子もお前が引っ張って行ってくれることを期待していると思うぞ」

「や、まぁ……いや、止めて下さいよ、俺はそんな大した奴じゃないですから」

「でも、瀬之川や楚、それに名賀搗の期待に応えないのは格好悪いと思うんだが?」

「むぅ……」

「あまり難しく考えなくていいだろ。差し当たり俺たちは生き残る為に動かなくちゃいけないんだから」

 どこか游次郎にはこう云う達観した物言いとそれを表出する表情・態度があった。彼は空を見ていた。うっすらと禍々しい模様が見える夜の空を。その表情にどことなしの不安を英一は覚えたが敢えて口にすることではないとして心の内に仕舞っておいた。

 

 一同は翌日からの探索に備えて就寝となったが、(ろく)な設備も無い地面での雑魚寝(ざこね)とならざるを得ないことには誰しも不満があった。解決しようない不満と云うものは全く始末に負えぬもので、ただでさえ寝心地の悪い硬い地面に身を横たえてなので必然的に誰ともなしに愚痴(ぐち)がこぼれ、なかなか寝付ける環境ではなかった。英一は奏美に乞われてその隣に寝ることになったが、付いて来るように小春や由海もやって来て寝入り始めたので彼としてはどうにも居心地の悪い環境だった。月子は向かい側で自分と組む面々と眠っている。あいつちゃんと寝付いているんだろうか、と少しだけ彼は月子を(おもんばか)った。焚火は燃料不足故に消され、辺りは闇が覆っていた。何が起こるか分からないことから一人が交代で起きて歩哨(ほしょう)をすることになったがどうせ寝付けないのでと最初に歩哨に立った侑人に紹が寄って来て、小声で雑談をしていた。それも侑人から慎一郎に交代になったところで紹が共々寝入り、辺りは全く静かになった。歩哨と云っても辺りは暗闇、ただ微かな風が樹々を揺らしている音以外何も感じられない。あれだけ元気だった紹が早々に眠ってしまったのもどこか慎一郎には納得せざるを得ない程度に彼もうつらうつらと意識が揺らめき始めた。彼は自分のスマートフォンを点けてその明かりと時間を見、少しだけ意識を覚醒させる。(おおむ)ね三時間で交代と決められており、彼の番はあと半時間もすれば終わる頃合いに差し掛かっていた。スマートフォンを消して懐に仕舞った彼は空を見上げ、欠伸を一つする。ああ、早く終わればいい。早く助けが来ればいい。こんな訳の分からない事態に巻き込まれるいわれが自分のどこにあろうものか。彼は心中でそう毒づいた。

 ぶわ、と耳慣れない音が一帯に響いた。その音を聞いたのは慎一郎だけではなく今一つ寝付けないままだった英一と初佳もだった。英一はその音自体を疑問に思ったが、初佳は身を起こして夜闇に包まれた辺りを見回す。既に夜に目が多少は慣れたらしい慎一郎も辺りをどこかびくつきながら見回している。だしぬけに、ドン、と地面から音が響いた。これには英一もがばりと起き上がり、それとほぼ同時に月子も飛び起きた。――四人は焚火の跡から異様な光が(ほとばし)り始めているのを見た。極彩色(ごくさいしょく)の光。この夜を禍々しく照らす光に異常事態を悟った初佳が声を上げる。

「みんな、起きなさい! 何か起こる!」

 寝入っていた者らを英一と月子は一度視線を合わせて頷き、揺すって起こし始めた。再びドンと地面から音が今度は更に大きく響き、焚火の跡から光の塊が浮かび始めた。起き抜けて来た寝ぼけ眼の者らもそれを見て事態の異様さを察し、慄き始める。英一と月子は自分の携帯鞄をふん掴んで何が起こってもよい様に備えた。光の塊は割れて、中から現れたのは悪霊とでも云うべき紫白の光を纏った髑髏(どくろ)の群々だった。

 

――キェアアアアアアアアアア!!!

 

 その絶叫は耳を(つんざ)く様に響き、聞く者の精神に恐怖を(もたら)した。何だこれは、と一人が発する。然して暑くもない筈のこの時に脂汗を(にじ)ませ始めたのを感じながら。髑髏は、その悪霊は散ってそれぞれにこの場にある人間たちへ飛び掛かり始めた。そこで多くの絶叫が響いた。髑髏の一つが腰を抜かした慎一郎に飛び掛かり、さながらそれを飲み込むように覆い被さった。彼の悲鳴は途中でくぐもり、途切れた。

「逃げろ!!」

 英一は半ば反射的にそう叫んで、固まっていた奏美が我に返って一目散に逃げだす。傍らで足の(すく)んでいる小春が僅かに首を動かして彼を見た。英一はままよと彼女の手を引いて走り出す。その後を由海が悲鳴を上げながら続く。その反対側では月子が、走って、と叫んで駆け出していた。走る中で彼らは後ろから爆音が響いたのを聞いたが、振り返ることは躊躇(ためら)われただ無心に前へと走り続けた。――英一が必死で走るその姿を、森の中でほんの小さな少女の瞳が見つめていたことを誰も気付くことはなかった。

 

 朝焼けを示す陽光が差し込まないにも関わらず少しずつ空は闇が薄れ、明るくなり始める。その陰鬱な(あかつき)の下にあって滑落したバスの周辺には既に誰もいなかった。大穴だけが残りバス諸共その場にあったものは皆姿を消し、悪霊に呑まれたと思しき慎一郎の姿もまた残されていなかった。

 

2.

 

 英一たちが振り返り何も追ってきていないことを確かめたのはそれから如何程時間が経ってのことだろうか。既に辺りは明るくなってはいた。周囲が視認に支障ない程度の明るさに過ぎないものとは云え、それで彼らは自分たちに朝がやって来ていたことを理解した。英一は息も絶え絶えの小春を、次に少し前で肩で息をしている奏美、最後にへたり込んでいる由海を見た。少なくともこの四人は無事らしい。

「ごほっ、ごほっ……」

「大丈夫か、名賀搗さん」

「え、ええ、酷い時はこんなものじゃないから……ごほっ」

 小春の喘息は激しい運動にとんと向かないと云うのに、ただ必死で逃げるしかなかったことは英一に苦々しい心境を抱かせた。俺が何とかしなくちゃいけない、そう思いながら小春の肩を支え、落ち着くのを待った。

「ありがとう、ございます。葦杜先輩」

 小春は漸く落ち着いたらしく、疲れた様に地面に座り込む。多少息が整った奏美が歩み寄って囁いた。

「小春ちゃんを助けてくれてありがと。格好良かったよ」

「え、いや……」

 にっこりと奏美は微笑んで、それから由海の傍に赴いてその様子を質した。四人は落ち着いたところで今後どうするかを話し合った。多分自分たちは西側へ逃げた筈だからこのまま地面の凹み、干上がった川らしきものを探すかそれとも一旦戻って様子を見るか。他の三人が決めて欲しそうに英一を見やるので、まずは他の皆が心配だからと様子を見て来ると言った。三人は一旦待ち、英一が一人で内心恐る恐る引き返したのだが彼が見たのは大穴だった。

「何だ、これ……」

 異様な、真っ直ぐ抉り取られたような大穴がそこにあってバスの残骸も何もなく穴の底は(うかが)い知れなかった。飛び込んではそれこそ助かるまい闇だけがその底には広がっている。彼は訳が分からないと云う心境で踵を返そうとして、見知った声に呼び掛けられた。

「英一、無事だったの!」

 月子が草木を掻き分けて彼のところへと駆け寄って来た。こんな時ばかりは彼も素直にその再会を喜んだ。彼女もどうやら事前の班と共に東側へと一旦逃げ、この場の状況を確認しに戻ったらしい。

「こうなったら一旦合流した方が良いか?」

「うーんどうだろう、私たちの班とあんたの班のメンバー以外どうなったか分からないからどうにか探した方がいいとは思うんだけれど、その場合まとまっていてはむしろ探せる範囲が狭まると思うから」

「でも城の東側には湖が、水場があるだろ?」

「そうだと思うけど、飲める水かどうかは行って見ないと分からないし。西側にも何かあるかもしれないからやっぱり誰かには向かって欲しいと思うのよね」

「そうか……」

「取り合えず、合流場所だけ決めましょ。分かり易くあの城がいいと思う」

「城っつっても結構でかいからどこら辺と云うところまで決めないと迷子になっちまいそうだと思う。……ああ云う建物ならきっと正門みたいなのがあるんじゃないかな。多分山が塞いでいる北側じゃなくその反対側の南に」

「そうね、じゃ、城の東西を探索したら一旦正門を目指してそこで合流しましょ」

「ああ」

 二人はそうして互いの無事を祈念しつつ別れ、自分たちを待つ仲間の元へと帰った。英一の報告は三人に暗い表情をさせたが、少なくとも反対側で月子たちが健在らしいことは幾分元気付けられた。一行は道なき道を北上し進む。森は静かで風は()いでいた。不気味な程に。

 

 英一たちは開けた場所に出た。そこには明らかに建物があった。大変に古びた木造の小屋と辺りを切り開いたらしい平地、またその傍らに大地の凹みを。英一たちは二手に分かれて小屋と凹みを調べた。英一は由海を(当人の希望により)伴って凹みの側を慎重に降り、奏美は小春と共に小屋を。凹みは月子の見立て通りと云うべきか、先まで見通せる長さで続いておりその視界の端に城壁らしきものが目に付いた。そう遠い距離ではなさそうである。これなら目的地まで迷うことはなさそうだと英一は少し安心した。

「あの……葦杜君……」

 傍らの由海がどこか周囲を警戒しながらそう呼び掛ける。一体何だろうと英一は思って彼女を見た。由海の瞳は俄かに緊張が見られたがその理由に英一は思い当たるところがなかった。由海は続けて言う。

「ええとね、その……いい機会に、二人っきりに、なれたから。だから、伝えておきたいことがあってね……」

 そんな風に言いながら由海はゆっくりと彼に近付き始める。二人の間に沈黙が流れ、ただ鼓動の音だけが長く執拗(しつよう)に聞かれた。英一はこんな時にどうも相手の含意(がんい)を洞察するのに遅れ、向こうがすぐ傍のところまで近付くのを許してしまった。顔と顔がすぐそこと云うところに至って由海は真っ赤になりながら暫く英一を見ていたのだが、何かの踏ん切りが付かない様に立ち止まっていたところ、唐突に頷いて自分の上着に手を掛け始めた。これにはさしもの英一も驚き、狼狽(うろた)えながら言う。

「え、いや、楚さん何してるの!?」

「え、ええと、だって、どう言えばいいか分からなくなったから、ああそうじゃなくて……」

 何とも滑稽味(こっけいみ)を感じるやり取りをしながら由海は上着を半ばまで脱ぎ終えていた。胸囲を覆う下着が垣間見えて英一はどきりとし、慌てて視線を()らす。逸らされたことに気付いた由海はまたこんなことを言う。

「あ、あ、ごめんね葦杜君 、見ちゃ駄目ってことはなくて、その、むしろ、見てもらわないとって言うか……」

「いや、いや、そもそも何でこんなことをこんなところでしているんですか!?」

「え、あ、ああ、それは、ええと……」

 要領の悪いしどろもどろとしたやり取りが繰り広げられた。どちらも間抜けな程初心(うぶ)な対応に終始したものだったので状況が進まない。どうすればいいんだ、と内心で英一が叫びたい思いを抱いたのだがそこへ別の、鋭い悲鳴が響き渡る。

「キャーーーーッ!!」

 それは二人をいわば正気に戻す効果があった。その発生源は小屋の側であり些か遠く、声の主は奏美と小春で間違いがなかった。英一の脳内に正常な判断が戻り、慌てた調子で彼は由海の傍らを()り抜けて彼は言う。

「二人の声だ! お、俺、様子見てきます!」

 それを止めることは彼女にも流石に不可能だった。素早く斜面を駆け上がる彼をどこか呆気に取られながら見送った由海はその姿が視界から消えた後自分の上半身を半脱ぎにした間抜けな恰好に認知が至り、急いで着衣を戻し始めた。内心では己の胡乱(うろん)()り口を(ののし)りたくて仕方がないものだった。

 英一が小屋に駆け込んで見たのは怯える二人で、その視線の先には一匹の虫があった。茶褐色に伸びた触覚、ゴキブリである。英一が現れるとゴキブリは直ぐに走り出して中にある壊れた机の下に姿を消した。

「ああ、何だゴキブリか」

「びびび、びっくりしたんだよ! こんなのがいるなんて思ってなかったからぁ……!」

 奏美はそう言って英一に抱き着いた。小柄だが豊満な胸囲を無警戒に押し付けて来るこの少女に彼は実に目のやり場に困る思いを抱きながら小春を見たのだが、当の小春も怯えた表情で英一を見上げて次にその片腕を取ってしがみ付く。これじゃ委員長の言う通りハーレム野郎じゃないか。彼は状況にどきどきしつつも呆れ、二人を宥めて状況を()いた。小屋に入る前に周囲を眺め回して二人が感じたのは、ここは元々牧場だったのではないかと云うことだった。腐った(さく)が一帯のあちこちに残されており、遠くにも幾つか小屋らしきものの姿が見える。尤も、ここにあるものを除いては倒壊してしまっているかにも思われたのだが……。ただ二人はそんな牧場の敷地内で気になるものに目を付けていた。少し離れるが故に二人だけで赴くのは危ないと思って、まずこちらの小屋の様子を窺おうとした次第らしい。

「あれが何なのかちょっと遠目では分からなくて……。ごめんね英一くん」

「奏美が謝ることじゃないよ。それから……俺がこの小屋を調べればいいのかな」

「ごめんなさい、お願いしてもいいでしょうか?」

 小春と奏美に頼まれ、英一は開かれたままの扉から再び小屋の内側を瞥見(べっけん)する。古びていることは違いない木造家屋であり、変に壁でも叩いたらそのまま倒壊しかねないのではないかと思われた。英一は奏美がライトを持っていたが故にこれを借りて点け、内部を照らす。埃を被っているらしい内部には(たな)が幾つかあってそこには用途不明の薬液らしきものを収めた(びん)が何本か並んでいる。しかしその経年の程を思うと中身を確認しようとは思われなかった。ラベルが貼られてはいるが彼には見覚えの無い文字で書かれており読めそうにない。小屋の中には他に簡単な作業所と思しき設備、壊れた机や椅子等が(のこ)されている。そしてその奥に半壊した木製の扉。危険だがこの奥を調べてみるべきか……? 英一がそう考えたところで後ろから足音が近づく。由海のものだった。

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

 由海の態度は平素に戻っていた。あれは何だったのだろうかと雄一は思い、彼女の下着姿を一瞬思い出して赤面した。その顔を見た奏美と小春が首を傾げ、彼は慌てて顔を逸らしつつ由海を労う。由海はそれを見て少しだけ同じくどこか恥ずかしそうにしつつも安堵(あんど)の笑みを浮かべた。四人は奥の扉を調べるべきか話し合った。

「万が一小屋が(くず)れたら私たちだけじゃどうしようもないよ。止めておいた方がいいと思う」

「そうだけど、何かここらについて分かりそうな手掛かりの一つもあるかもしれない」

「でもその為に葦杜先輩一人を危険に(さら)すなんて嫌です。みんなで入ったらいよいよ崩れた時に共倒れになってしまいますし」

「同感です。こう云ういつ崩れるか分からない建物はなるべく近付かない方が身の為ですよ」

 こんな風に女性陣の大反対に遇ったので英一は扉の奥を探ることを諦めた。まぁそれはそれで尤もだろうな、と彼は得心する。ただ何と無しの未練を覚えたらしい彼はこの場を離れる前にもう一度だけ小屋を覗き込んだ。ゴキブリが(ひそ)んでいること以外変哲のない廃屋。そんな事実を確認した中で彼は奥の扉をまず見た。一瞬だけ彼は扉の前に立った自分が誰とも知れぬ手に掴まれて奥へ引き()り込まれ、そのまま(なぶ)り殺しにされるのではないかと妙な想像を思い抱いた。渋い表情をして視線を落とした彼はそこで何か光るものが床に落ちていることに気付く。ライトでそれを照らして見えたのは、(のこぎり)であった。周りが心配する中、慎重に足を踏み入れた英一はそっと鋸の刃の部分に手を触れ、その先を見る。暗闇の内は動物の死骸(しがい)らしきものが見えて彼はぎくりとしたが、気持ちを落ち着かせてゆっくりと手を引き鋸を引き寄せた。床を這う音を立てて彼の元へ舞い込んだそれは部分部分が赤錆(あかさ)びていたが、ある程度は元々の用途に耐えそうに思われた。或いはその場凌ぎではあれ武器にもなりそうだと。彼は速やかに小屋から身を引いた。つくづくいつ崩れるとも知れぬと思うとあまり愉快な気分にはなれなかった。

 

 この開けた空間で四人が固まっていてもしょうがないし、他の面々が迷い込んで来るかもしれないと英一が指摘すると奏美が、次いで小春がこれに同意した。そこで牧場の小屋付近に見張りを立てると云うことになったが、誰がやると云う点で意見がまとまらずジャンケンをしたところ由海が負けたことで彼女がそこで待つこととなった。

「やっぱり心細いですから、なるべく早く帰って来て下さいね」

 由海にこう言われながら三人は牧場の奥へ歩みを進め、奏美と小春が目にした物体を調査に赴いた。遠目で見た英一は、あれは自動車ではなかろうかと思ったのだが近付くにつれその判断は確信に変わっていった。

 三人が見たその自動車はやはり年月が経って(ほこり)(どろ)、また枯葉や折れた小枝などに(まみ)れたもので自分たちと同じ遭難者の様子を思わせた。くぐもったガラスの下はこのままでは窺い知り難い。しかしまさかこんな車内に誰かいると云うこともあるまいと思われ、英一は奏美が向ける視線に一つ頷いて左側の後部座席のドアに手を掛けた。鍵が掛かっているのではとも思ったが、ドアは音を立ててすんなり開けてくれそうだった。ゆっくりと彼はこれを開き、三人は中身を確認する。

「ひっ……」

 中には運転席に朽ちた(しかばね)、また後部座席も人の死体が転がっていた。葬式以外で死体など見たことのない三人には大変刺激の強いもので、奏美は直ぐに顔を背けて込み上げる嘔吐感(おうとかん)に耐えていた。小春も少しの間顔を(しか)めてこれを見ていたがやがて背を向けた。英一は二人を労わりながらも改めて車内を覗き込む。彼は無残な屍を交互に見やって、一つの特徴に気付いた。運転席に座っている者のそれはほぼ白骨化したものなのに対し後部座席に横たわっているのは茶褐色に変色しており、これは同乗者の死に様としては少し不自然に思われた。彼は後部座席の者は後になってこの車に逃げ込み、そしてそのままここで死んだのではないかと考えた。車内はやはりボロボロであったが、よく見ると後部座席の側は血糊(ちのり)の跡らしき乾いた液体の広がった痕跡(こんせき)が見られ、また死体は左足を抑える様にして倒れていることから重傷を負ったままにこの車に逃げ込み、そこで力尽きたのではないかと思われた。

「イヤダ……」

 妙な声が三人に聞かれた。英一は振り返って奏美と小春を見た。二人は動転した目をしながら英一を見て自分ではないと(うった)えていた。まさか……。彼がそう思った時、その右腕を何者かが掴んだ。英一が驚いて車内に視線を戻すと、死体が身を起こしてその左手で彼の腕を掴んでいたのだ!

「ヒトリデハ……シニタク……アアアアアアアッ!!」

 万力かとも思われる力で英一は引っ張られた。死体は彼を締め上げる。英一は身の危険を感じ、無我夢中でこれに抵抗したが相手の力に及んでいる様には思われない。一瞬毎に命の危険が増しているのを感じた彼は、今度は足から引っ張られた。奏美と小春が無我夢中で英一の脚を掴み、死体諸共車外へと引き摺り出したのだ。外へ転がされた後英一と死体は転げ回って組み合いが続いたが、奏美が落ちた鋸を拾って死体目掛けて横向きに振り下ろした。鋸は運良く死体の頭部に当たり、その頭骨が砕ける音がして(つぶ)れた。それと共に英一を(いまし)めていた死体の怪力は失われ、それはただ転がっているだけの存在に戻った。

「た、助かった……奏美、ありがとう」

「ごめんね英一くん、万が一当たっちゃったら……」

「大丈夫、そうはならなかったから」

 英一が奏美に助け起こされ、それを見ておろおろしていた小春もどうにか落ち着きを取り戻したらしい。彼女は死体を改めて一瞥する。筋肉も大方朽ち果てているかに見えるそれが一体どの様にすれば大の男を拘束出来るものだろうか。それ以上に死体が動くなど! 彼女や奏美は内心恐ろしくて(たま)らなかったが、少なくともこの場のそれは退治出来たのだと思うと僅かに気持ちは落ち着いた。

 死体を英一が(余り気乗りはしないが)離れた所へ動かして、三人は改めて車内を見る。運転席のそれは微動だにしていない。暗い車内にそれ以上のものはないかに見えたが、ふと小春が自動車のトランクに興味を惹かれたらしくそちらに視線を向けたので、三人は車の背後に回ってやはりこれを恐る恐る開けた。……中にあったのは誰のものとも知れぬ大きな鞄とやはり古びた酒瓶、それにずた袋があり中には三本のインゴットが入っていた。

「これ、ひょっとして金塊か?」

「実物を見たことがないですから断言は出来ませんけど……かもしれませんね」

 外の明かりに照らされたそれは(にぶ)く輝きを放っており何とも奇異な印象を彼らに抱かせたが、差し当たり一本軽く持ってみただけでもそれなりに重たくこんなものを拝借する必要性も感じられなかった。それで残りの酒瓶と鞄を調べた。手提げ式の鞄のファスナーを開くとそこにはカビの為に殆ど朽ち果てたパンらしきものが幾つかビニール詰めされており他には六個程の缶詰、ピクルスらしき瓶詰が二つ、簡単に梱包(こんぽう)された一枚の皿と一本のフォーク、そして一丁のオートマチック拳銃があった。

「銃……」

「英一くんは、そりゃ銃なんて持ったことないよね」

「そりゃまぁそうだよ。何か正雁先輩はアメリカで少し習ったとか言ってたけど」

「そうなんですか?」

「本人の言うところだし、今この場にいないことを思うと気にしなくていいとは思うよ」

 周囲に弾倉らしきものが見つからなかったのを思うとこの拳銃には既に装填(そうてん)済みなのだろうか。英一は二人に注意を(うなが)しつつその銃を慎重に手に取り、映画の見様見真似で誰も居ない方向に構えて引き金を引いた。硬い銃声が鳴り響いて奏美と小春は驚いたが、英一が反動でそのまま銃を手放して尻餅(しりもち)を付いてしまったのを見て慌てて彼を助け起こした。英一は映画辺りで見たような両手持ちの構えで引き金を引いたものの、その想像を(はる)かに超えていた反動に耐えられなかったのである。

「大丈夫?」

「あ、ああ。しかし本物か……」

「両手で持っても葦杜先輩がこんなに吹っ飛ばされるんじゃ、とても私たちじゃ使いこなせませんね」

 とは云え、もしかしたら游次郎と合流した時に役に立つかもしれない。三人はそう結論付けてこの拳銃は頂いて行くことに決めた。残るは食糧品だが、パンはカビている以上食えたものではないので置いておくとして三人は缶詰と瓶を調べた。外装はかなり劣化して可読部に乏しいものの、少なくとも缶詰は直近三十年以内に製造されたらしい。と云うことは仮にこの自動車の運転手の持ち物だとするならピクルスの瓶や酒瓶も同様なのであろう。

「食えるのかな」

「うーん、ちょっと怪しいですけど、私たちの持っている食べ物はもう殆どないですから最悪背に腹は代えられないと思います」

「そうだね……あまり食べたいとは思えないけど……」

 三人は手分けしてこれらも持って行くことに決めた。本来なら酒瓶は中身が酒だろうと思うと三人にはまだ早いことも違いなかったが、水さえ満足に手持ちがないことを思えば贅沢は言えなかった。

「それに、この中では多分お酒が一番保存状態がいいのではないかと思います。見た感じ未開封でヒビも入ってないですから。お酒はアルコールを沢山含んでいますから未開封なら味はともかく飲み物として劣化するのは遅いと思います」

 この様に小春が言うので、重いこれをも諸共持って行くことになった。三人はその後他の崩れた廃屋も瞥見して回ったがこちらでは目立ったものは見つからなかった。そうして最初の小屋の前まで戻ったのだが、そこに由海の姿が見られなかった。

「どこへ行ったんだろう……?」

 三人は首を傾げ、辺りを見回したがその姿は見られなかった。すると、ここから動くべきかどうかを考えることになる。仮に用を足しにでも行っているのだとしたらここで待っていてやらねば行き違いになって遭難者を増やす格好となるだけだろう。そう考えると暫くこの場で待つべきではないかと云う意見で三人は一致した。スマートフォンで確認する限り時刻は夕方に差し掛かろうとしていた。相変わらずの空模様で時間感覚が判然としないが、空腹感を大分強めていることも確かであった。三人はそれで小屋の壁を背に一旦座り込んで、先程見つけた食糧と自分たちが予め持っていた分とを突き合わせた。

「数枚のビスケットとグミ一袋、ドロップス一缶、それに三分の一が精々のお茶が二本、かぁ」

 英一は然程菓子を持ってきていなかったのでペットボトルの茶が残っているだけだった。奏美は友達と談笑する際のおやつに持ってきていたものの余りとしてビスケットやグミがあったが飲み物は既に飲み尽くしている。小春も持ってきていたお菓子は概ね食べて半ばまで減ったドロップスの缶と茶を残すのみ。空腹感を埋め合わせるには圧倒的に足りない。そう思うと缶詰やピクルスの瓶は大変に魅力的に思われた。

「でも楚先輩に見せもしないで手を付けたら少し悪いですよね……」

「そうだな……」

 空腹を抱いているとはいえ、仲間への罪悪感を忘れる程彼らはまだ窮乏している感覚を抱いていなかった。かくして三人は菓子類を食べて凌ぐことにした。僅かなビスケットとグミ、飴玉を分け合って食べるのは実にひもじさがあり、またその甘い味わいがひどく身に染みた。

「ところでお茶、俺のを分けた方がいいよな。こんなことになるとは思ってなかったから口付けちゃったやつだけど」

「そこに贅沢は言えないよ。でも、英一くんが一番頑張ってくれてるから」

「そうです。瀬之川奏美先輩の分は私が分けますから、葦杜先輩は自分の為に飲んでしまって下さい」

「そうは言ってもな……」

 それこそ今後どうなるとも知れないと思うとここで貴重な水を飲み尽くすのは早計にしか思われなかった。酒など口にする齢ではない彼には手に入れた酒瓶の中身を開けるのは出来るだけ避けた方がいいと思っていた。少なくとも酔ってしまえばその分判断力は鈍るだろう。変なところで酒を含んで前後不覚にでもなったらどうなるか。彼は残っている自分の茶を半分も飲まなかった。

 

 辺りが暗く(かげ)って来たが由海が戻っては来なかった。待つ間代わる代わるに用を足して、凪が続く不気味な牧場で彼らは小声で話をしながら待ち続けていた。話は殆ど他愛のない学校や友達との記憶を振り返ることばかりで、それは不安を一時でも忘れる為の方途に他ならなかった。そうしてもう夜闇が辺りを包み込むに至る頃に至って尚由海が戻って来なかった事実は三人に不安を(ふく)らませると共に次への行動を促さざるを得なかった。

「こうなっちまったらこのままここに留まっているのも良くないと思う。月子たちが今どうしているかは分からないけど、何事もないままなら多分あの城の正面の門を目指している筈だからあまり俺たちがのんびりここで時間を潰していたらあっちを待たせることになる」

「うん……わたしたちがここに留まっている間誰も通り掛かったりしなかったと思うと、他のみんなもこの牧場の近くにはいないと思う」

「でもこんな夜に動くべきでしょうか? ライトが一応あるとはいえ電池がいつまで持つかは分からないですし、何より夜は視界が利きません」

「確かにな……ただ、俺たちには今のところ落ち着いて一休み出来る場所もないままだ。この開けた場所で下手にみんな寝てしまって、野犬の群れにでも襲われたらヤバいと思う」

「それもそうですね……」

「ちょっと怖いけど、英一くんが確かめた川の方から進む……で、いいのかな」

「ああ」

 こうなるなら明るい内に移動すべきだったのは違いないが、後の祭りだ。英一は少し後悔しつつも二人を連れて干上がった川へと赴いた。念の為英一は一度降りた辺りをライトで入念に照らしたのだが、由海の姿はなかった。

「ん?」

 照らされた先に何か落ちていると思い英一は二人を連れてそれを拾い上げる。マッチの箱だった。見覚えのある由海のそれ。三人は顔を見合わせた。不安が彼らに差し込んだが、それに囚われている場合ではないことも違いなかった。

「多分何かの理由で楚さんはこっちに降りて来たんだ。その時何かの拍子に落としてしまったんだと思う」

「だとしたら楚先輩、明かりも持ってないってことですよね」

「そうなるな……無事でいてくれるといいんだが」

 くよくよしていても始まらぬ。三人は北上を開始しようとした。――不意に、彼らの後ろから足音が聞こえた。三人は自動車を調べた時の経験故か下手なものを呼び寄せたくないと思って大声を上げることに消極的でいたものだ。そもそも声を上げたからと云って近くに誰がいるとも知れない。下手な肉食動物、或いは異形の存在などを呼び寄せては目も当てられぬ。三人は何となくそれで意思統一が出来ていた。英一は足音の側へ明かりを向けた。一瞬、由海が戻って来たことを期待して。

「なに、あれ」

 照らされた先にいたのは真っ黒な男だった。身長2メートルにも達するかに見える真っ黒な男。その姿は関節までラバーで覆い尽くされたマネキン人形を思わせた。頭部は髪の毛一つ持たず眼窩(がんか)の無い、凹凸(おうとつ)だけを有した顔。どこからこんなものが現れたのだろうと英一は思った。そして、彼は本能的に危険を感じた。

「走れ!」

 英一がそう言ったことで催眠から醒めた様に奏美と小春は強張った表情で大声を上げ、一目散に北へと駆け出した。英一はその後に続いて走り出す。彼が振り返るとその真っ黒な男もまたゆるりと走り出して三人を追い始めていた。

 隠れる場所も何もない一本道を三人は無我夢中に駆けた。その後ろから不気味な足音が続いて、少しずつ彼我の距離が縮まりつつあるのを三人は音と気配で感じていた。小春が息を切らし始めていた。奏美がその前を走って彼女の手を握って先導する。英一は最後尾を守ってこの黒い男が二人に襲い掛かるならこれの盾となるつもりでいた。殆ど必死でもその程度を考えられる位には彼は二人を預かっていると云う責任を感じていた。どこまで走ったか、遂に小春が(つまづ)いて倒れた。その為に奏美も足を止めてしまう。英一はいよいよ振り返って男に鋸を向け、何としてでも食い止めようと身構える。男は突っ込んで来る。だがここへ来て英一と黒い男との間に爆光が閃いた。その大きな音は静まり返っていた森を揺るがすかに思われる程だった。視界を奪われていた英一の目が慣れた時彼が見たのは、大穴が開いている眼前と消えた男の姿だった。

「たす……かった、のか?」

 英一はへたり込みながらも後ろの二人を見た。(あら)い呼吸で咳を繰り返す小春を奏美が介抱している。こんなにも走らされて小春が長く持つとは思われなかった。どう云う訳だかあの不気味な男から逃れたらしい今の内に、どこか身を隠せる場所を探さなければ。彼は預かったままのライトで辺りを照らした。南東側を照らした時、彼は人影が視界に映ったのを見た。それはほんの子供の姿をしていた。こんなところに小さな子供が? だが何より信じ難かったのは、一瞬だけ垣間見たその顔は記憶の奥底に仕舞われていた者の顔そっくりだったと云うことだった。

(つばさ)……?」

 まるで幻でも見たかのように瞬きをした次の瞬間には子供の姿は消えていた。英一には何が何だかさっぱり分からないと云う心境であったが、今はそれどころではないと思い小春の元へ駆け寄った。

「お前ら、まさか生きてここにいるのか!?」

 見知らぬ声が上から三人に飛んで、彼らは声の主を探した。こっちだ、とその男の声がし、明かりが灯された。二十歳過ぎぐらいの若い男がランタンを持って立っていた。

 

3.

 

 男の案内で三人は干上がった川から一度上がり、森の獣道を進むとその先に小屋が見えた。これまで見たボロ屋とは違ってある程度手入れがされているのか古びてこそいるが崩れそうな印象は抱かれず、三人は僅かに安堵を覚えた。男の案内で小屋に入り、そこで囲める卓もないからと寝台に座る様促された三人に対し男はその対面の壁に立つ。

「日本語が通じる相手で少し安心したよ。俺は坊之威(ぼうのい)兼輔(かねすけ)、N大学の嘉尾(よしお)研究室の学生さ。お前らは?」

 兼輔の気さくな態度は直前の緊迫(きんぱく)を和らげる為のものなことはどことなく英一にも読み取られた。傍らの二人はまだこの男にどう接するべきか決めかねている様子だったので、彼はともかく話をしてみるしかないと思い口を開いた。

「先程はありがとうございます。俺は逍道学園二年生の葦杜英一と言います。こっちは同じく二年の瀬之川奏美と一年の名賀搗小春です。まぁこの辺りじゃ逍道学園なんて言ってもどこだよと思うでしょうけど」

「ああ、ちょっと聞いたことがないな。N大の近辺じゃないなら俺は知らない。教授ならひょっとしたら知ってたりするかもしれないが」

「その教授と云うのは?」

「さっきも言った嘉尾研究室を主宰するN大教授の嘉尾(たけし)先生だよ。今はここを留守にしているから直接紹介は出来ないんだが。まー、N大目指してないってならお前ら位の歳じゃ知らなくても不思議はないか」

「いや……すみません」

「謝ることじゃねぇさ。ま、お互いが何者かが分かったところで、情報の共有を頼みたいんだが」

「えーと……?」

「つまり、お前らがどうしてこの古城の近くに迷い込んでるのか知りたいんだよ」

 彼は明確に古城と言ったことで英一は少なくとも兼輔が自分よりも長くこの辺りに滞在していてより多くを知っていそうだと感じた。英一は奏美を見る。奏美はまだ若干不安そうな色を示しているが、英一を信じるつもりらしく一つ頷く。それで、英一はここまでのあらましを()(つま)んで兼輔に語った。意外にも英一たち自身にさえよく分からない理由でここへ迷い込んだことに対し彼は特に疑義を示さなかった。

「そこは俺らも似たようなもんだよ。俺は教授と他の研究室の仲間と共に隣県のG県へ赴いて息抜きのキャンプに出掛けたんだが、その帰りしなにいつの間にか車が得体の知れない(きり)に包まれてさ。気が付けばここらでもう大体半年じゃないかって教授が……」

「G県?」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「あの、すみません。さっき言った、俺たちが合宿に向かったのはA県なんです。俺たちは首都圏からA県に向かったんであって、G県とは全く別の方角の筈です」

「何だって? 確かにそりゃ妙だな。今まで俺らは他に日本人らしき生存者を見たことがなかったから知り様もなかったが、こいつはどう云うことなんだろう?」

「さぁ……?」

 二人は付き合わせた情報によって却って疑問が深まるばかりとなったことに揃って首を傾げた。ここは一体どう云う場所なんだ、と英一は頭を抱えたい思いだった。

「あの……」

 小春がおずおずと兼輔を見ながら話し掛ける。兼輔は、おっ、と少し嬉しそうに笑顔を見せて応じた。

「どうしたんだい?」

「さっき、『他に日本人らしき生存者を見たことがなかった』って言いましたよね? それは、外国の方なら見たことがあると云うことですか?」

「そうだ。ただ、みんな話している余裕もなかったか虫の息だった。教授が何とか少しでも話をしようとしたけど、結局大したことは分からないままだったよ」

「そうですか……それじゃその方々も、みんな……」

「全員が全員とは保証しねぇが、大方はお陀仏様(だぶつさま)ってところだ。俺らにはどうしようもなかったよ」

 沈む三人に兼輔も言えるところなく沈黙が(ただよ)った。少し間を置いて奏美が、どこか覚悟した様な顔をして彼にもう一つ質した。

「その、坊之威さん、教授さんはここを留守にしていると言っていましたけど、他の研究室の仲間の方は……」

 兼輔は直ぐには答えなかった。それで英一や小春にもどこか返って来るであろう答えに察しが付いた。彼は努めて平静な、どこか不愉快な事実を吐き捨てる様に告げた。

「死んだよ。みんな。……だから俺らの知っている限りこの辺りで生き残っているのは教授とお前らの仲間だけになる」

 

 兼輔曰くここは猟師(りょうし)休憩小屋(きゅうけいごや)だったと見られると云う。仕舞われていた弓は(つる)が切れて役に立たず矢は(やじり)が錆び羽根も(こぼ)れて凡そ使い物にならない程時間が経っていたと云うことである。ただ寝台はボロボロではあったが埃を払えば何とか使える程度には綺麗だったことで教授共々自分たちの荷物を運び込んでここを拠点としていたと云う。あまり多くもない野生動物を狩り、果実が見つかれば貴重な糖分として干したりもした。ただそれ以上に彼らにとって重宝したのは誰とも知れぬ者らが遺した遺品(いひん)であった。

「どうもあの古城一帯には妙なものが転がっていることが一再ならずあって、一度念入りに確かめた筈の場所にまた全く見覚えのないものが落ちていることが結構あったんだよな。その多くは仏さんでもあった訳だが、持ち物には食べられるものも多かった。厳しい生活だったが辛うじてここまで持ち(こた)えれたのはその為だろう」

 こんな風に彼が語ると英一たちは実に思い当たる節があって、先の牧場で見つけた食糧を彼に見せてみた。目を丸くした兼輔はそれらを(あらた)めた後、多分食えるだろうと小春の判断を支持した。

「ま、そいつは食うならお前らで食っとけ。お前らが見つけたんだからな。……ああ、酒は要らないってんなら貰ってもいいぞ。教授が多分喜ぶだろうからな」

 こんな冗談を彼は挟みつつ話はあの黒い男に移った。兼輔は教授共々何度かあれと遭遇したことがあり、全力で逃げてその目を盗む様に物陰に隠れてどうにかやり過ごして来たらしい。

「あいつに力で立ち向かおうと思うな。研究室の仲間の一人がレスリングやってるからって挑み掛かったところたちまち返り討ちにあって俺らの目の前で殺されたんだ。武器があればと掛かった奴もいたが碌な効果もなく(ひね)り殺されちまった。いいか、絶対にまともにやりあうなよ」

 強い調子で彼はそう言い含めた。恐ろしい目に()った記憶がその脳裏に反芻(はんすう)されているのが三人にも易々(やすやす)()み取られた。兼輔は強張った表情で頷く三人に更に続ける。

「……それと他にもやばい奴が幾つかいるから教えておく。あの男は俺らは"黒い人型"と呼んでいるが、同じく黒い毛むくじゃらで八本脚の怪物がいてそいつは"捕食者"、殆ど素っ裸のボロをまとった死体みたいな髪の長い女は"哄笑(こうしょう)する女"って呼んでる。どいつもこいつも当たり前の様に人を殺しやがる上男と女の方は神出鬼没だから嫌な雰囲気が漂ったらとにかく逃げろ」

「その言い方だと、"捕食者"の方は出て来るのが分かるんでしょうか」

「図体がでかくてな。三つの中では一番小回りが利かず物音も立てやすい。ただ体感じゃ、あいつが一番感覚が鋭くて執拗な気がする」

「はぁ……」

「ま、現実味の欠片も無いバケモンの話をされても、実体験のある分しか身に()みねぇよな。とりあえず得体の知れないモンからは無理に戦おうとするより逃げた方がいい。命あっての物種さ」

 兼輔は力なく笑った。それからも少し雑談が続いたが、小春がうつらうつらとし始めたのを見た兼輔がそりゃ寝た方がいいと言って小屋の明かりを消そうとした。そこで英一はスマートフォンを取り出して時刻を確認した。既に午前二時を回ろうとしていた。

「何だそりゃ?」

「え? スマホでしょう?」

「スマホ……?」

 耳慣れない言葉を聞いたと云う様に(いぶか)し気にする兼輔を見て英一はそれこそ首を傾げた。今日日スマートフォンを知らない者などほんの幼児ぐらいしかいないものではあるまいかと思われたのだが、彼はかつかつと歩み寄って英一のスマートフォンをしげしげと眺め、やはりよく分からない表情をして溜息を吐いた。

「遺品漁りをして確かに似たようなものを見つけたことはあった気がするが、食えないし使い方も分からないし、電源入ったらロックされているとか何とかで意味が分からなかったんだが……時計か何かか?」

「えーと、電話ですよ。時計機能も付いているしこれでインターネットを使うためのブラウザとかも付いていますし……」

「何だそりゃ、随分便利なもんがこの半年そこらの間に出てたもんだな。しかも随分洒落(しゃれ)た、それこそスマートな形でよ。ケータイなんてこんな平べったい代物では見たこともなかったぜ?」

「……?」

「……俺にもよく分からねぇけど、それで外と云うか、警察とか実家とかに連絡が付く訳じゃねぇんだよな?」

「あ、それははい、そうです。電波が届いてなくて」

「まー、それじゃ時計以上の意味は今のところなさそうだな……」

 彼は改めて明かりを消すべく歩き出した。兼輔は今日のベッドはお前らに(ゆず)るからぐっすり寝ろ、と言い明かりを消すと小屋の戸口を背にして座り込んだ。寝台は二つしかなかったので英一は奏美と小春に譲って床に雑魚寝をすることにした。二人はそれを悪いと断ろうとしたが、英一はどちらも体力がないことを指摘して少し無理にでも楽に休める場所で休む様説いた。已む無く折れた二人は寝台に上がって横になる。……ここまでの各人にはそれぞれ幾つとなしに疑問が残るやり取りとなったものだが、差し当たり溜まった疲れが三人を急速に眠りへと誘った。敷かれた布団は薄いとはいえ身を横たえる用には十分だったらしく二人の寝息が聞こえる様になり、英一もぼんやりと意識が休眠して行くのを感じた。

 

 夜が明けて起きた時兼輔は既に朝食として菓子を(かじ)っていた。流石に分けてやれる余裕はない……と云うものだが、彼は室内の一隅(ひとすみ)に置かれたタンクを指さす。

「東の湖から真水を汲んでてな。少しぐらいなら飲んでってもいい。器があるんだったら取り過ぎない程度に詰めてもいいぞ。水がないと人間保たないからな」

 三人はこの厚意に甘えて喉を(うるお)し、(しか)る後持ってきた保存食から缶詰を三つ開いた。中身は魚肉の油漬けで、オリーブオイルとローレルの香りがうっすら室内に広がる。一本しかないフォークを一人ずつ食べ終わるまで使い、英一が油も飲み干すのを見て奏美と小春もこれに倣った。油は貴重なカロリーであり体力である以上健康がどうのとか考える以上に(たくわ)えておかねば先が続かない。差し当たり缶詰の味は大分落ちて美味しいとはお世辞にも言えなかったが、昨日一昨日と菓子で凌いだ身にとっては気にしていられないものだった。三人はそれから当初の目的通り古城を目指すべく干上がった川を北上することにした。兼輔は休む場所が欲しかったら戻って来ていいと告げ三人を見送った。

 

 川の遡上(そじょう)は比較的順調と云えた。目立ったものもなく窪地(くぼち)を歩くだけの時間を三人は周囲へ警戒を怠らぬ様に見回しながら進む。しかしその中でぽつりと奏美が呟いた。

「楚さん、どうしているのかな」

 事実昨日の昼以来彼女の姿が見えないこと、由海は当人が持っていた以上の食糧等がないことを思うと危機的であるとしか思われなかった。だが無闇に森の中に分け入ったり大声を出したりして、例えばあの黒い男を呼び寄せる様なことにはなりたい筈もない。英一は半ば気休めの様なことを返すしかなかった。

「あの人はしっかりしているからきっと無事だよ。もしかしたら誰か他の人と合流しているかもしれないし」

 努めて希望的に英一はそう言った。それには小春も微笑んで頷く。これはむしろそう信じたいからこそそんな態度を取るものなのだが、三人とも陰鬱になってはどんどんそれに呑まれると云う恐怖を思い抱いていた。願わくは他の仲間たちも壮健であることをと。

 古城の城壁がもう見えて来て、降りたままの跳ね橋も視界に入った。遠目に見てもその橋の先に門があり、扉は開かれたままとなっているのが分かった。本来月子たちと合流するのは正門で、ではあるが内部から向かうなり城壁の上から見下ろして探すなりすることも出来るだろう。三人は少し希望を抱いて干上がった川を上がった。――だしぬけに英一は遠くより物音を聞いた。それは枝の折れる音、葉擦れの音であり彼は立ち止まる。奏美、次いで小春もそれが聞こえたらしく不安げにその音のする方を見た。近付く音は徐々にはっきりしてくる。大きな足音。それは兼輔より警戒を促された"捕食者"のそれであると予見させた。三人は速やかに茂みへと身を潜め、緊迫を自らに感じながら呼吸さえ忘れそうな思いでその木の葉の隙間(すきま)より現れる者を確かめんと待った。先に飛び出して来た者があった。由海の姿である。恐懼(きょうく)しもつれそうな足を必死に動かして逃げていた。続いて現れたのは、予想通り八本脚の怪物だった。三人は顔を見合わせた。このまま由海を見殺しにすることは出来ない。しかしここで割って入ったところで敵う相手ではない。小春は明らかに動きたがっていないのを感じた。それは半ば見殺しにすることを提案している様なものだったが、己の命と他者を天秤(てんびん)に掛けた時自らのそれを(なげう)ってでも助けに行く者を探す方が難しい。しかし英一は自らがここでそうすることによって背負う罪悪感を一瞬の内に想像し、そのぞっとする後味の悪さに嫌だと思った。彼は小声で言った。

「俺が(おとり)になる。二人はこのまま隠れていろ」

 英一は返事を待たずに飛び出した。それを奏美が一瞬止めようとしたが、己が足手まといになることを恐れてその手を引くことが出来ずに俯いた。英一は素早く由海と"捕食者"の間に割って入って彼女に叫んだ。

「俺が引き付けます、早く逃げて!」

 由海に返事をする余裕は殆どなかったが、ただ葦杜君とだけ枯れた声で叫んで転びそうになりながら森の内に駆け込んで行った。"捕食者"はこの新顔を品定めする様に僅かに立ち止まった。胴体に細長い首らしきものと頭が続いているが、目や耳は見当たらない。こいつはどうやってこちらを認識しているのだろうかと一瞬思われたがそれに取り合っている時間はあろう筈もなかった。さぁ来い、彼はそう虚勢を張って叫びまた駆け出した。

 それから英一は必死に逃げた。図体のでかさの割に彼の足から引き離されず執拗に追って来るこの存在に内心悪態を吐きつつも彼は森の中を走り続け、滅茶苦茶に走って走り続けた。――走り続ける最中、彼の視界に時折少女の影がちらついた。その少女はいつもいずこかを指し示し、英一は殆ど疑う余力もなくそれに従って森を走り続けた。辺りが暗み始めた頃、彼は振り返った先にあの怪物の気配が感じられなくなっていることに気付く。多分、()いた。そう思ったところどっと疲労が雪崩(なだ)れ込み、彼は近くにあった樹の根元に倒れ込んだ。肺は無尽蔵に酸素を要求しており心臓はひたすらに全身の要求に応えるべく鼓動を続けていた。あの子のお陰だろうか……。この強すぎる疲労感と一旦は危機を脱したことへの安堵から彼は強烈に眠気を感じた。だけど、まだ三人の無事を確かめてない……そう思えど、体はとても動く様には思われずそのまま意識は暗闇に落ち込んだ。

 

 英一は夢を見ていた。それは幼い頃の夢。初めて月子と出会った時、二人はいがみ合って幼稚園の先生を困らせていたものだった。そんな二人だったがお遊戯で転んで泣いていた月子を見ていられず彼は持っていたハンカチをして擦り傷を作った(ひざ)の手当てをしてやったことがあった。月子はどうして、とあどけない口調で問い掛けたものだ。あの時自分は何と答えただろう。彼は夢の内にあってその答えを思い出せなかった。ただ、それから二人は今までのいがみ合いが徐々になくなり、幼稚園を卒園する頃にはすっかり仲良しになっていたものだった。そんな古い夢から更に場面は変わって、公園に二人はいた。ブランコに小さな女の子が(ひと)(さび)しく座っている。これは奏美と初めて会った時だったと彼は思った。あの彼女を自分は、また月子は放っておけないと思ったのだ。あれは小学校入学を控える三月下旬の土曜日の昼下がりだった。奏美は最初見知らぬ二人に困惑して口数が少なかったが、英一はあの時男の子らしくボールを持っていたのでキャッチボールをしようと奏美に言った筈である。それは本来月子、或いは他の友達と遊ぶためのものだった。奏美が、あの今に至るまで大人しい女の子がどうしてこれに応える訳があろう? 今にして思えばそうとさえ思えるそれを、彼女はおずおずと頷いて気乗りしない様子のままに一緒に遊び始めた。途中までは全く盛り上がらず、英一と交代で相手になっている月子もどうしたものかほとほと困り果てていた。英一はキャッチボールを止めて、代わりにかくれんぼをしようと奏美に言った。そこで月子が言ったのだ。もうそろそろおうちに帰る時間だと。それを聞いた時の奏美の、途方もなく悲しそうな顔を見て英一は強くもう一度、かくれんぼをしようと繰り返した。月子は驚いたが、英一がこう云う時意地を張る子だと知っていたからか、殊更乗り気になってやろうと彼に続いた。三人は日が暮れて月子の両親が探しに来るまでかくれんぼをして遊んでいた。月子の両親が言ったものだ。この子は? それに対し英一は躊躇わずに、友達だよと告げた時奏美が彼の顔をじっと見つめて、突然に瞳を潤ませてぐすりぐすりと泣き出したのを彼は今でも覚えていた。――奏美の両親はこの日離婚が成立し、母親は構ってやる余裕も無く父親が恋しい娘の意を汲むこともなかった。そう聞いたのはそれから随分経った中学ぐらいの時である。

「オオ、甘美ナコト……忌々シイマデニ……」

 無粋な声が彼の夢の意識に響いた。その声の主は頭上にいた。一枚の細い目付きと口元をした仮面が空に浮いていた。

「オマエガ抱ク喜ビハコノ城ヲ染メルニ相応シクナイ。シカシオマエノ抱ク絶望ナレバ、サゾ見事ニコノ地ヲ(イロド)ルデアロウ……」

 英一は飛び起きた。そこには真っ暗闇が広がっていた。どこだここはと彼は思い、辺りを見回したが何も見えない。半ば直感的に彼は頭上を見上げた。またしても夢の内に見た仮面が見えた。ぶわりと、その仮面が辺りの暗闇を覆い尽くす様に増殖して行く。その中より一つ、ぬっと現れた姿があった。殆ど黒かと見紛う濃紫のローブに身を包んだ仮面の男。よく見ればその手は骸骨のそれであり下半身は見出されなかった。何だこいつは、と彼はぞっとした。

「お前は、何なんだ。誰なんだ!」

「好キニ呼ベバヨイ。ソレラ全テガ我ガ名」

「一体ここはどこだ、俺は森の中にいたんじゃなかったのか!?」

「アア、ソノ不安ナルコトハ面白キ、然レド我ヲ前ニシテ口舌ノ五月蠅キハ望マシクナシ……」

「この野郎……!」

「飛ベ。ソシテ更ニモガキ苦シミ、ソノ臓物(ゾウモツ)()エヨ。ソレコソ我ガオマエニ望ミ、マタ我ガ知ルオマエノ唯一ノ道ナルゾ」

「いい加減にしろよ! 言いたいことだけ勝手に言いくさりやがって!」

「……喚クバカリナノモ些カ(アワ)レナリヤ。ナレバ、一ツダケ希望ノ糸ヲ垂ラソウ」

「……は?」

「西ノ城門ヨリ城壁ヲ伝ワバ、東ノ城門ヨリ湖ヘ向カエルデアロウ。サァ、行ケ、夢ヨリ目覚メ悪夢ヘ落チヨ……」

 得体の知れぬ仮面の骸骨は消え、辺り一帯の仮面も影が引く様に消え去った。英一は途端に頭痛を感じ、のたうち回る。訳の分からない有様に彼は叫んだが、誰かに届くこともなかった。

 

 ぱちぱちと、英一は(まばた)きをした。周囲は真っ暗だったが、それは夜の闇による暗さであって先程の謎の空間ではないらしいことが目の慣れるにつれ彼には感じられた。英一は地面に転がっていた。僅かに頭痛の跡が残る頭をさすりつつ立ち上がって周囲を窺う。森の中。背後にまで視線を向けると、見覚えのある大穴が開いていた。これはスタート地点に戻されたと云うことか、と彼はがっかりした。

「誰かいるのか?」

 不意に声がした。英一はその主へと振り向く。明かりが付けられ英一は俄かに(まぶ)しさから顔を両腕で(かば)った。茂みより現れたのはげっそりした様子の京典だった。

「多渋じゃないか。無事だったのか?」

「無事なわけないですよ。化け物に追い回されたりやっと見つけた甫土先輩が十慧先輩と喧嘩になった挙句別の化け物に襲われて散り散りになったんですから。それに……お腹も空きました」

 苛立ちを隠さない様子で京典はそう言った。思えば彼は月子たちにも同行していない者の一人で、自分や月子に付いて行かなかった者たちの動向は知らないままだった。それで彼は知りたいことを(たず)ねようとしたのだが、京典の反応は刺々(とげとげ)しかった。

「そんなことを知ってどうすると云うんです? みんな自分のことしか考えてませんよ。ぼくが先輩二人に付いて行ってた時も道端の死体から一本のキャンディが見つかったらこれをどうするって揉めに揉めて結局甫土先輩が空腹に負けてこっそり食べてしまったんですからね」

「いやでも、少しでも他の皆のことを知っておけば何か出来ることがあるかもしれないし」

「あるもんですか。このままぼくらはここで()え死にするか、あの化け物共に殺されるしかないんだ」

 彼はそこまで言って座り込んだ。疲れた表情をする京典に英一は、もしかしたら皆で寄り集まってバスの前で食べた時以来何も食べていないのかもしれないと思った。

「なぁ。よければこれ、食べてもいいよ」

 英一は仲間たちと分け合った缶詰の残り一つが鞄に残っていたので、頭の中では僅かに逡巡(しゅんじゅん)を覚えながらもこれを取り出して差し出した。京典は怪訝(けげん)な顔をした。それが何なのかすぐには判別しかねたと云うのもあるが、そもそも脈絡(みゃくらく)がない様にも思われたのである。

「何ですかそれ。食べていいって、ぼくの機嫌でも取ってるつもりなんですか」

「腹が減ってるだろうなと思ってさ。食器が無いけど、とりあえず少しぐらいは腹が膨れると思う」

「いや要りま……いや……あ、あ、そもそもそれ何ですか。どこでそんなもの拾ったんですか」

「ああ、西の方に牧場らしきところがあって、そこでたまたま見つけたんだけど」

「たまたまって……」

「古いものみたいだったから美味しいかは保障しないけどさ、でも腹減らしてたらそれこそ動けないだろ」

「だったら先輩が自分で食べた方がいいんじゃないですか」

「俺はまぁ……何とか別のを探すよ。こんなんでも多渋の先輩な訳だし」

「……」

 分からないと云う顔をしていた京典に英一はその足元へ缶詰を置き、立ち去ろうとする。

「どこへ行くんですか」

「奏美と名賀搗さん、それに楚さんとはぐれちまったからな。探しに行く」

「こは……名賀搗さんは無事なんですか?」

 その一言は妙に熱がこもっている様に思われたが、英一は何故だろうと思いつつもそれを質すことはしなかった。ただ彼の問いかけに答える。

「八本脚の化け物に見つかったりしていなければ多分な。俺はそいつから皆を逃がす為に囮になって逃げて来た。それで気が付いたらこの辺りに戻って来てしまってたんだよ」

「……」

「付いて来る元気は……なさそうだな。じゃ、一つ教えておく。この先を北北西ぐらいに進み続けると干上がった川がある。それをさらに北上して半ばを過ぎた辺りだと思うけど、近くに小屋があるんだ。そこなら多分腰を落ち着けれる。あ、もし着いたら中を勝手に物色するなよ」

「……はい?」

「他の生存者と会って話をしたんだ。それで、そこを寝床として使っていいってさ」

 英一が去った後、京典は足元の缶詰に視線を落とした。彼と英一は話題があまり合わなかったことからか接点が乏しく、その上下関係は疎遠(そえん)と云うところだった。それでも平素ならわざわざ事を荒立てる様な物言いをする筈もなかったものだが、京典は空腹と心身の疲労に自分がすっかり参っていたことを改めて自覚せざるを得なかった。責任を引き受けて女子たちの為に戦っている彼をこうも無碍にしてこの上その(ほどこ)しをのうのうと受け取るのは実に恥であるかにも思われたが、しかし腹の虫が鳴ったのを聞くと彼のちんけなプライドもいい加減かなぐり捨てられた。そう長い間食べ物らしい食べ物を口にしなかった訳ではない筈なのに、彼が食べた缶詰の味は落ちていたにもかかわらずひどく美味に思われたのだった。

 

 英一は敢えて開けた場所を避けつつあの干上がった川を目指した。この夜闇の中で万が一またあの"黒い人型"や"捕食者"の如きと遭遇してはいよいよ無事では済むまいと考えずにはおかれなかった。まだしも隠れる茂みの近いところの方が多少足の踏み場が少なくとも安全だろう。この様な判断に基づき、深夜の移動を続けた。本当は寝るべきかとも思われたが、兼輔から寝てもいい場所を提供されている以上出来ればその辺の固い地面に寝転がりたくはなかったのである。英一はそうしてまた干上がった川を見つけ、その視線は慎重に辺りを見回した。何かいるか、誰かいるか。……その視線は闇の中に(たたず)む者に()まった。不意に遠雷が鳴り響き、俄か雨が降り出す。少しして再び雷が鳴り、雷光が辺りを一瞬照らし出した。佇む者の姿は游次郎の後ろ姿である様に見えた。英一は僅かに安堵して、茂みから出てその背中に近寄った。

「あのー……もしかして、正雁先輩ですか?」

 この呼び掛けに相手はすぐには応えなかった。英一は微かに不審に思いつつも歩みを止めず、その背中の手前まで近付いた。その時、首がこちらを向いた。明らかに大概の人間に可能な角度を超えてその顔は回り、英一を見た。その瞬間にまた雷が辺りを照らした。游次郎らしきその顔はどろどろに()けて原形を保っていなかった。眼窩も口も、鼻も。――英一はわずかに後ずさった。すると、その足が誰かにぶつかる。高まる鼓動を感じながら英一がまた振り返った先には自分自身そっくりの男が立っていた。顔だけが全く崩れに崩れた自分が。二人の異形は英一を掴んだ。その力に英一は抗いきれない。徐々に肉を締め上げる力に彼は(うめ)いた。そして恐怖した。化け物に。

「葦杜、しっかりしろ!」

 突然に游次郎の声が響き、目の前にいた化け物の游次郎が何かに横殴りにされた。ボン、と音を立ててその頭が割れ、黒い何かが薙ぎ倒される体から弾け飛ぶ。英一は後ろの英一もどきに羽交い絞めにされていたが、それで僅かに正気を取り戻した彼は足を引っ掛けて相手の姿勢を崩した。そこから素早く転がって辛うじてその拘束を免れたところ、暗夜の雷雨を()う様に游次郎が角材を振りかぶって英一もどきへとこれを叩き付けた。胴体をしたたかに打ち付けたそれからやはり黒い何かが染み出し、痙攣(けいれん)と共に英一もどきは動かなくなった。……英一は尚も心臓がばくばくと音を立てていたが、この場に現れた相手が自分の見知った先輩であること確かめると漸く気持ちが落ち着きを取り戻し始めた。

「た、助かりました、正雁先輩」

「葦杜……すぐこの場を離れるぞ。付いて来い」

「え?」

「すぐにそいつから化け物が生まれる! 急げ!」

 見ればぐじゅぐじゅと音を立てて二つの異形から何かが形成され直そうとしていた。英一は先頭を走る游次郎に続いて走り、森の中に駆け込んだ。

「あれは何なんですか!?」

「知らん! 今は振り切ることだけを考えろ!」

 こんなものに夜になっても追い回されて、朝はいつになるんだと英一は一瞬取り留めもないことを考えたがそれを不満として垂らしている場合ではなかった。二人は遠くから迫る気配をどこか感じながらも森の中をしゃにむに走り続けた。そうして早朝になり辺りが微かに明るくなり始める頃、ようやく逃げ隠れを止めてもよさそうだと游次郎が判断した。しかしこれでまた現在地がよく分からなくなった感じだと英一は些か困った心境になった。それはそれとして、游次郎は命の恩人だとも思ったのだが。

「ありがとうございました、正雁先輩」

「礼はいい。お前、瀬之川と名賀搗、それに楚はどうした?」

 こう問われると一通り京典に話したことと同様のことを話す必要があった。游次郎は軽く相槌(あいずち)を打ちながら聞いた。

「そう云うことなら何とか三人とも生きていると思っておくべきか。それに多渋も」

「あいつ、大丈夫でしょうか?」

「お前が焼いた世話の分は生き延びる確率が上がるだろう。……これだけ聞かせて貰ったんなら俺のことも話しておくべきか」

 游次郎は皆が夜闇の内に散り散りになる中で已む無く最初月子たちの方へ付いて行こうとしたのだが、突然に謎の仮面をした骸骨に立ちはだかられ意識を失った。起きた時には古城正門手前にあり、周囲に誰もいないことを確認した彼はこの正門を通って城内へ入れるか調べたものの巨大な門はびくともせず、併設されていた勝手口も鍵が掛かっていて開けられるものではなかった。已む無く彼は東側を目指そうとしたが今度は森の中で異様な姿をした死体の様な女を見てしまい、本能的に隠れてこれをやり過ごしたがその存在が徘徊(はいかい)する限り東側へ進むことは不可能に思われた。それで西の探索に向かったのだがそこで夜に由海と遭遇したものの彼女はひどく怯え、自分を化け物と罵って走り去ってしまったことで彼は何か不穏なものがいることを知った。彼は森の中を探索し、まさに自分そっくりの化け物がと相対して一度はこれを倒したが直ぐに何か別のものに再生され不吉さから彼は逃げる他なかった。暫く森を彷徨(さまよ)い、後は息を整えてこの牧場に辿り着いたところだったと云う次第らしい。

 仮面をした骸骨と聞いて英一は驚いた。あれはただの悪い夢ではなかったらしい。英一は意を決して自分は見たが京典に話した時には省略した、あの紫のローブをまとう仮面の骸骨の話をした。

「驚いたな……俺の見間違いでは済まなかったと云う訳か」

「あいつが何なのかは分かりませんけど、俺たちに害意があることは間違いないと思います」

「だな。しかしこの話、他の連中に会った時にするべきかどうか」

「……幾ら化け物がうろうろしていると云っても突拍子もないことですからしない方がいいと思います。ただ、月子になら……話してもいいかもしれない」

「何故?」

「あいつは俺がそう言ったと聞いたなら多分信じてくれるから……って、こんなの理由にもなりませんよね」

 英一は自分で言ってその月子に対する信頼の吐露に些か羞恥(しゅうち)を覚えたのだが、游次郎は特にこれをからかうこともせず一つ頷いた。

「分かった。仮に会えたら話しておこう」

「え、ああ……はい。お願いします。ところで、これからどうしましょう?」

「お前は他の生存者の使っていると云う小屋へ戻って瀬之川たちの安否を確かめろ。それが終わったら霧海たちと合流するんだ」

「はい。ええと、それじゃみんなと合流出来たら森を抜けて――

「いや、森は未だに訳の分からん化け物があちこち徘徊していると考えると大所帯で進むのは危険だろう。お前、夢の中であの仮面野郎に城壁を伝えと言われたんだったな?」

「え、ああ、そうですけど……。でも信じて良いのかどうか」

眉唾(まゆつば)なのは違いないが、分かり切ったリスクを背負って道さえ分からん森を抜けるよりどう動けばいいか分かり易そうな方へ進む方が少なくとも生きて湖まで到達出来る確率は高いと思う」

「うーん……分かりました。じゃあ正雁先輩は?」

「俺は当初の考え通り東の湖へ向かって霧海たちとの合流を図る。心配するな、単独行動にはいい加減慣れているからな」

 つまり伝言役をも引き受けようと云うのだ。この頼もしい先輩がかくも沈着(ちんちゃく)なことを英一は驚嘆(きょうたん)せずにはおかれない。どこからその理性と精神力が培われ、今なおそれが揺らがぬままにこの場にいられるのだろう?

「でも大丈夫でしょうか。多分結構な距離がありますし、その角材も重そうだし」

「だが無いよりは余程いい武器だ。森の中に崩れた廃屋があって丁度良かったから引っこ抜いて来たが正解だった」

 英一はふと思い出して鞄を探った。そこには拳銃がきちんと収まっていた。他の二人はこれを持つことを望まなかった為に彼が持ち歩いていたのだ。

「先輩、これ」

「……どこでこんなものを?」

「持ち主のいなくなった自動車のトランクに入っていました。先輩、アメリカで銃の使い方を習ったんですよね?」

「まぁ……な。親父のお節介がこんなところで役に立つ日が来るとはな……」

 游次郎は丁重にその拳銃を受け取り、型や構造を検めて弾倉を取り出し残弾を確認した。六発の弾を確認した彼は弾倉を戻しその銃を懐に仕舞った。

「この角材はお前にやる。ちゃんと瀬之川たちが生きていたらそれなりの人数だ、尋常(じんじょう)を超した化け物共には役に立つまいがさっきの様なのから身を守るのには十分だろう」

「あ……あ、結構重いですね」

「それなりに太いからな。あとついでにこれも持って行け」

 そう言って彼はガムを取り出した。四枚ばかり入っている。

「いいんですか?」

「大丈夫だ。(とむら)われもしない死人の使い残しを色々拾えてあるからすぐに飢え死にする様なことにはならない」

「分かりました。大事に使わせて頂きます」

「ああ。いいか葦杜、死ぬなよ。俺たちが生きてここから帰れるかは正直怪しいと思ってはいるが、最低限どうしようもないことを確かめない限り諦めるな」

 その正直さ、その上にある生きる意思を見た英一は、やはりこの人は尊敬すべき人なんだと改めて彼に感謝と共に敬意を抱いた。二人はそうして再び分かれた。英一は重い角材を抱えながらでも急がねばならぬと森を駆けた。

 


 
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