哲学者が愛されるようになるには、安心を覚える事実があるか、脚色が整えられる事が必要である
カントという哲学者がいる
彼はその哲学通りにきっちりと時間を守る男だった…は作り話
…普通に考えておかしいでしょ、何で、カントが散歩を時間通りにしなきゃいけないのか? ウォーキングじゃないんだから
実は、カントという人物は実生活ではグータラだったので、ドイツ人の日常生活に都合が良かった
…遅刻をごまかす言い訳、
サボって時間を遅めて始める口実にカントは使われた
しかし、カントの「正確な時間」に合わせて始めると、ドイツ人たちには調子がいいように感じられ、機嫌が良くなった
…その機嫌が良いままに作られたのが「カントの散歩の時間が正確だった」という作り話
カントがグータラな事はウワサになって、彼のグータラぶりが哲学書にも表れるというので、それを見に、多くのドイツ人の民衆が読んだのである
その為、カントがどんなに立派に見える事を言ったとしても、「でも、あいつグータラなんだぜ?」と、緩衝材にもなったが、実は学会などを除けば、カント哲学はドイツ国民には全く相手にされなかった
もちろん、読んで、本当かな?と思ったら試しはする、でも、民衆にはそれが本当か?なんて確かめる手段はなかった だから、「現実感のない話をする奴だな~」と思われる程度だった
今日では、カント哲学は”立派な”哲学の一つとして含まれてはいるものの、結局、「カントが立派な哲学者として一躍有名になった」なんて、学会のウソ、多くの当時のドイツ人は哲学者ニーチェのように疑ってかかっていたのである 「あの、グータラなカントがそもそも、何かを発見したと言うが、そうじゃないだろ?」
当時ですら、相手にされていなかったカント、安心出来る哲学者というだけで、他に取り柄がなかった、その彼に引導を渡したのがニーチェである
この事実と、「彼女のいないニーチェ」という作り話で有名になったのが、ニーチェという哲学者
…明らかに、「彼女」がいないかどうかはニーチェに聞いてみるしかないにも関わらず、いつの間に童貞のように描かれるようになってしまった…「待ってください、ニーチェだって彼女がいなかったわけではありません」
結局の所、哲学というもっともらしく、立派な事を考えているような人間に対しては、読者にとっての安心の合理性、「ニーチェは童貞だった」というような脚色がされるようになるのが常で、ニーチェという人物が愛されるにはそれが必要だったというわけである
…それで、カントに引導を渡した哲学者だと言うので、ドイツ人に多くの共感を、『アンチクリスト』でニーチェは与えた
だから、ニーチェの代表作と言えば、『ザラスシュトラ』・『道徳の系譜』、そして、二―チェが広く読まれるきっかけになった『アンチクリスト』(『権力への意志』や『偶像の黄昏』などと比べたら、特に入念な作りである事は、ニーチェを読んで来た読者なら普通に分かるのだろう)、なのである
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カントとニーチェについて
ニーチェと言えば、童貞臭く描かれる哲学者の筆頭である