「本来性と非本来性」(ハイデッカー)の「概念淘汰」の「盲目的な自由・征服的な自由」(アイイル)
・難しい概念をわざわざ使わなくても良い
・「自由」と言うものの具体的な概念のあり方にシフト出来る
・現実的なものを考えるのには、こちら(アイイル哲学)の方が良い
・比べて見ると、「本来性」などは何が言いたいのか? 分からなくなって来る程、意味不明
現存在
「テーブル」に関しては意味付けは既になされている
人間が意味付け”出来る”と言う事ではなく、むしろ、意味付けされていない人間の方が出来損ないである事を示している?
世界内存在
「特別の存在」によって反証される 大人な人と言うのは「世界外存在」であり、「自由性=特別」の常識を持っている
この場合の「自由である事」とは、「征服的な自由」を持っていると言う方向性にある あるいは、「不自由性=凡」の常識を持っている
~性に縛られているハイデッカーは凡であり、「世界」と言う概念に縛られているハイデッカーは凡であるし、「人間=特別」の思考に縛られているハイデッカーは凡である
したがって、哲学者ハイデッカーを凡人扱い出来る私、アイイルは大人な人であり、「特別の存在」である …これが、「世界外存在」と言うものである
四流は、
分からない事を「分からない」と言える事、
三流は、
間違いを「間違い」と認められる事、
一流は、
自分で「”理解する”自分」に調整する事
二流は、一見、四流に似ているが、
分からない事が「分からない」事、
…いわゆる、大学者や天才と呼ばれる人たち
ハイデッカーは二.五流ぐらいで、アリストテレスは二流、
ニーチェが一流で、その「自己調整」が彼の悟り
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ハイデッカー哲学の破潰