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No.1184031
新人さん
面白い話がある。『1990年頃フィリピンパブで働く20代の女性と知り合った50歳くらいの日本人男性が、その女性と結婚した。女性は再婚だったが、彼は初婚だった。その頃はもっとも多くの外国人女性が、日本人男性と結婚していた頃だ。二人の間には子どもができたが 妻はフィリピンへ帰国し、夫は日本で仕事を続け 年に数度フィリピンを訪れながら関係を継続していた。彼は行くたびに、フィリピン人の平均年収の倍にあたる100万円程度を妻に渡していた。これはフィリピンで普通に暮らせば2年間は生活できるほどの金額だった。だからといって、この男性が金持ちだったわけではなく、平均的な収入のサラリーマンだった。彼は節制をして妻と子のために資金を作っていたのだ。男は10年後に60歳で定年退職すると、夢と希望を持ってフィリピンへ移住した。これでやっと家族一緒に暮らせるはずだったのに、渡航からわずか3か月たらずで銃で射殺されてしまった。殺害を依頼したのは妻だったという。実行犯に渡したお金は僅か10万ペソ(約21万円)だったそうだ。彼は出会いから20年くらいもの間女性にお金を渡し続けたが、この結婚は妻と妻の親族にとっては単にお金を得るための手段に過ぎなかったようだ。』僕より10歳ほど若い妻にこの話をしたら、当たり前田のクラッカーだといわれた。ギャグが古すぎて笑うしかなかったが、彼女が昔勤めていたフィリピンパブの常連客である じいさんの口癖だったから覚えたという。 近年、国際結婚は珍しいものではなくなったが、2023年の国際結婚総数は18,475件しかなく、最も多かった2006年の44,701件から約59%も減少しているという。この減少は、特に日本人男性と外国人女性の結婚に顕著で、ピーク時と比べると2023年は67%も減少していたそうだ。ピークの頃は円高で今は円安だから、悪い言い方をすると 男性は“金にものを言わせて海外の女性を手込めにしていた“ともいえる。逆にいうと、女性は“金のある男にしか利用価値が無い“ということなのだろう。それは国内の男女関係でも同じことが言えるのかも知れない。 明治政府が日本で初めて国際結婚を公式に認める太政官布告を出したのは1873年(明治6年)3月14日だという。これは、1872年に英国で行われた長州藩のイギリス留学生南貞助とイギリス人女性ライザ・ピットマンとの結婚が、日本政府太政官に許可され、日本における法律上の国際結婚第一号とされているそうだ。この時の留学生達は幾人も外国で結婚したようだ。将来有望な男達と見られ毒牙にかかったものと思われる。貞助は殺される前に離婚できたようで良かったと思う。虫のオスは交尾が終わるとメスに食われる種もあるのだから、きっといつの世も 役立たずになった男は命を失う定めなのだ。僕は幸い 生きている限り国からお金が貰えるから、殺されることが無いだろう。ふぅー。
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2026-03-14 15:43:19 投稿 / 734×550ピクセル
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面白い話がある。『1990年頃フィリピンパブで働く20代の女性と知り合った50歳くらいの日本人男性が、その女性と結婚した。女性は再婚だったが、彼は初婚だった。その頃はもっとも多くの外国人女性が、日本人男性と結婚していた頃だ。二人の間には子どもができたが 妻はフィリピンへ帰国し、夫は日本で仕事を続け 年に数度フィリピンを訪れながら関係を継続していた。彼は行くたびに、フィリピン人の平均年収の倍にあたる100万円程度を妻に渡していた。これはフィリピンで普通に暮らせば2年間は生活できるほどの金額だった。だからといって、この男性が金持ちだったわけではなく、平均的な収入のサラリーマンだった。彼は節制をして妻と子のために資金を作っていたのだ。男は10年後に60歳で定年退職すると、夢と希望を持ってフィリピンへ移住した。これでやっと家族一緒に暮らせるはずだったのに、渡航からわずか3か月たらずで銃で射殺されてしまった。殺害を依頼したのは妻だったという。実行犯に渡したお金は僅か10万ペソ(約21万円)だったそうだ。彼は出会いから20年くらいもの間女性にお金を渡し続けたが、この結婚は妻と妻の親族にとっては単にお金を得るための手段に過ぎなかったようだ。』僕より10歳ほど若い妻にこの話をしたら、当たり前田のクラッカーだといわれた。ギャグが古すぎて笑うしかなかったが、彼女が昔勤めていたフィリピンパブの常連客である じいさんの口癖だったから覚えたという。 近年、国際結婚は珍しいものではなくなったが、2023年の国際結婚総数は18,475件しかなく、最も多かった2006年の44,701件から約59%も減少しているという。この減少は、特に日本人男性と外国人女性の結婚に顕著で、ピーク時と比べると2023年は67%も減少していたそうだ。ピークの頃は円高で今は円安だから、悪い言い方をすると 男性は“金にものを言わせて海外の女性を手込めにしていた“ともいえる。逆にいうと、女性は“金のある男にしか利用価値が無い“ということなのだろう。それは国内の男女関係でも同じことが言えるのかも知れない。 明治政府が日本で初めて国際結婚を公式に認める太政官布告を出したのは1873年(明治6年)3月14日だという。これは、1872年に英国で行われた長州藩のイギリス留学生南貞助とイギリス人女性ライザ・ピットマンとの結婚が、日本政府太政官に許可され、日本における法律上の国際結婚第一号とされているそうだ。この時の留学生達は幾人も外国で結婚したようだ。将来有望な男達と見られ毒牙にかかったものと思われる。貞助は殺される前に離婚できたようで良かったと思う。虫のオスは交尾が終わるとメスに食われる種もあるのだから、きっといつの世も 役立たずになった男は命を失う定めなのだ。僕は幸い 生きている限り国からお金が貰えるから、殺されることが無いだろう。ふぅー。
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