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No.1177941
【変態論議シリーズ2】見方自な「変態」、”犯罪者”と見方他な「変態」、”多様な人間”+アンチ・スチルド(反・病児教=反・犯罪者)
eye-elさん 2025-12-02 11:14:09 投稿 / 全9ページ 総閲覧数:227 閲覧ユーザー数:227 |
「変態」と言う言葉には見方自(けんほうじ・自分から見た純客観的)な意味と、見方他(けんほうた・他者から自分が見た偏見的(病的))な意味が含まれている
…見方自な「変態」はそのまま変態の意味であり、
”見方他な”「変態」と言う言葉を想起する偏見者は、自分の脳内の※「見方他の妄想的人間」に「変態」と言わせている!
※「見方他の妄想的人間」…勝手に自分で「”こうなんだろうな~”」と偏見者が妄想して考え出した人間
「見方他の妄想的人間」を簡単に言うと、「”他人”から見た、(その)”他人”と言う妄想上の人間」、ほとんど病的幻覚である
見方他の妄想的人間の言う「変態」が今回の論議対象 偏見者にとっては、見方他の妄想的人間は神的存在 だから、それにあやかろうと、そのまま「変態」と思って、時に言う
見方他の妄想的人間を感じられている時点で、偏見者は「見方他の病気(偏見=病的で歪んだ視界)」、だから、「常識人」と言う偏見者とは、危ない種類の幻覚なる病人なのである
…だから、私は私を見て、わざわざ、背を向けたり、露骨に馬鹿にした声を上げるような奴には、危ない奴認定して近づかないようにしている 実際、近づかない方がいい
見方他の妄想的人間が「暑い」と言えば、偏見者は「暑い」と思い、「寒い」と言えば、「寒い」と思い、「変態だ」と言えば、「変態」と思い、「普通だ」と言えば、「普通」と思う
見方他の妄想的人間を脳内に飼う人間は、いわば親に従う幼児と変わらない
(…また、見方自には、見方自の不正・見方自の不忠(ふちゅう)と言う使い方がある 不忠とは「主のみ目から見て悪」と言う事である 主が悪とする事(罪)があるのではなく、誰からでも悪だが、特に正義の神である主から見て悪である(不忠)と言う事 主はクリスティー・スカーレットがある
例:この事は不正不忠の行為なるぞ
・・
例2:S・Cとは、不正不忠のものである
例3:これは不忠(不正不忠の略)なニュースだ
例4:まさに不忠な奴らだ!
与取の『聖定』の主(正義の神)
善言善果(忠)・悪言悪果(不忠)(ぜんごんぜんか(ちゅう)・あくごんあっか(ふちゅう))
善言があいさつや感謝や真実、
悪言が悪口や陰口や嘘、
善果が与(よ)、
悪果が取(しゅ)
である
悪言悪果の二例:
『日月神示』教徒は嘘を言って、犯罪者たちを煽っていた 結果、自分たちが犯罪を犯す立場になっている(フェイクニュース)
キリスト教徒は大噓で、ローマ帝国を破壊した 結果、アメリカ(キリスト教国)などは人間の最低下・社会主義者や、ガチな戦士ムスリムと戦うハメになり、
…ロシア(キリスト教国)に至っては人間の最低下・社会主義国になっている(アメリカ・ロシアは悪言悪果の国である)
……これも主の主事(しゅごと)なのである!)
いい大人が病気に従って、病気が「こう」言えば「こう」思う、病気が「ああ」言えば「ああ」思う、って気持ち悪いんだよな~ いい加減、見方他の妄想的人間から自立するべきだ
…つまりは、偏見者って言うのは、いつまでも保護者を必要とする精神幼児でしかない!
ジュリアン・ジェインズ作の『神々の沈黙』と言う本があるが、その本では、大昔は皆、意識と言うものがなく、ものを意識して考える事が出来ないのだが、幻聴が神として代わりに考えて、命令を下し、被命令者が行うと言うものなのだが…、
…まさにこの現代に、その世界に生きていると言うのが、「常識人」と言う偏見者である
見方他の妄想的人間が「批判しろ!」と言えば”批判し”、「褒めろ!」と言えば”褒めるし”、「そのままでいろ!」と言えば”そのままでいるし”、更に進んだ要求、「〇せ!」・「〇ね!」と言われても”〇すし”、”〇ぬ”のである
…つまり、彼らは危ない種類の幻覚者、具体的に病名を言えば、統合失調症・多重人格障害(解離性同一性障害)・デカダンス症候群(他人に乗り移る錯覚をその他人にさせる病気・その錯覚で、デカダンス者は色々するのである)
…そして、カプグラ症候群・自閉症スペクトラム症・コルサコフ症候群
(「常識人」は、その幼児性の故に、偏食をする それがウェルニッケ脳症に繋がり、後遺症・コルサコフ症候群になりやすい この時、「常識人」を栄養学で、苦痛をもって止める人物(栄養士)がいなければ、偏食癖は一生付いて回る)
などである
・「常識人」哲学
偏見者は見方他の妄想的人間の言う「常識人」を「善」と捉え自身とする、逆に、見方他の妄想的人間の言う「変態」を「悪」と捉え他者とする
…実際には、見方他の妄想的人間の言う「変態」こそが、自分で判断出来る(精神的)大人であり、見方他の妄想的人間の言う「常識人」こそが、自分で判断出来ない(精神的)子供であるにも関わらず・
「常識人」は精神的子供だから、子供レベルの事しか理解出来ない、すなわち、「典型的な「常識人」自身による善悪二元論」である
…大人しか理解出来ないように思える「常識」にしても、「常識人」の頭には記号的な「善」としか理解されていない
偏見者である「常識人」は単純な二元論の「善い」とされる方と、「悪い」とされる方で理解する為に、中間とか、それ以外を理解出来ない
…だから、必ず、「常識人」はそのどちらか、「善」か、「悪」か、に人間を分類しようとする
その為、「常識人」は子供である為、異なる価値観の人と一緒にいると、良く癇癪(かんしゃく)を起こす
・「変態」への”大人”の言い換え
・「常識人」への”子供”の言い換え
・”大人”の本質は「批判を恐れずチャレンジする心」・「たとえ、間違っているように見えても真実を貫く心」と言う”理性欲望”である
・”子供”の本質は「言い返してやりたい」・「やり返してやりたい」と言う”変態欲望(欲望優位感情)”である
・「変態」と呼ばれる”大人”はむしろ”模範”と本質を同じくする
・「常識人」と自分を呼ぶ”子供”はむしろ”変態”と本質を同じくする
・「常識外」と言う「悪」への(見方他の妄想的人間の言う)”否(いな)”の言い換え
・「常識内」と言う「善」への(見方他の妄想的人間の言う)”然(しかり)”の言い換え
・「非常識的」と言う「常識人」の中の、”大人”=上、”子供”=下からの”正直二元論”の言い換え
・「常識的」と言う「常識人」の中の、”大人”=「悪」、”子供”=「善」からの「善悪二元論」の言い換え
奴らは観念的(現実を見た)創造への反逆者である 奴らの本質は人間ですらない(寄生虫=物質=反骨精神どころか、反抗精神でさえない)
…そして、観念的存在(強者)の敵でもある
奴らに与する者が「常識人」なのである すなわち、病児教徒、あるいはキリスト教徒
”「常識人」と言う偏見者”、偏見者が”病”であって、「常識人」が”児”であって、合わせて”病児”教徒である
欲望優位の変態哲学
子供の欲望優位感情、これが変態趣味となる場合と、社会性を持ち、社会的変態になる場合(例に挙げると、「オビタスの大竹」、つまり、典型的な「常識人」)と二通りがある
…子供の欲望優位感情を持ったまま、大人になると、必ず、その人間は変態になるのである
…それぞれの欲望優位感情から作られた役に立たない変態道徳を「欲望優位道徳」と言い、”子供”は自分のこれを役に立つ「変態」哲学の反対に置く
……つまりは、役に立たない欲望優位道徳を役に立つものとし、役に立つ「変態」哲学を役に立たないものと主張する
彼らは真実に反抗し、嘘(=欲望優位道徳)を真実とし、真実(=「変態」哲学)を嘘とするのである …実際は、逆、真実(=「変態」哲学)は真実、嘘(=欲望優位道徳)は嘘であるにも関わらず
また、役に立つ自己明証的なもの(ゲームなどの暇つぶしの道具)を役に立たない他者明証的なもの(放縦的な現実逃避の道具)とし、役に立たない他者明証的なもの(退屈で無用の長物の仕事)を役に立つ自己明証的なもの(立派な「大人」の仕事)とする
…が、実際は逆である 彼らの名は”退屈の人間”である
彼らの中の善悪(トーレイントーレ)は逆転していて、彼らには、寛容(トーレ)で大人びた事は、彼らの中で、不寛容(イントーレ)で子供じみた事と認識され、彼らには、不寛容(イントーレ)で子供じみた事は、彼らの中で、寛容(トーレ)で大人びた事と認識される
「常識人」とは、軽蔑的で、変態的、病的で、幼児的なのである
…世間の人は大抵、「常識人」とは、「誠実でまっとう、健全で大人」と言うが、実際は逆なのだ
「常識人」とは「常識」を決める人の事であって、その「常識」に「常識人」と言う概念が含まれる以上は、「常識人」像とは、”信頼出来ない主体性に欠けるもの”でしかないのである
「常識」の系譜
何故、彼らは大人な事を「子供」(「常識外」)と、子供な事を「大人」(常識内)としてしまったのか?
自由平等と言うものが取り入れられるに従って、彼らは大人な人と一緒にされる事を極度に嫌い始めた
…何故なら、大人な人と対等に並べられると、自分があまりにも嘘つきで、尊敬に値しない、気品のない、下品な人間だとバレてしまうからである
…実際、華やかなダンスパーティーなどでそう言う状況に置かれると、大人な人には「どうぞいて下さい」と言うのに、彼ら、子供な人には「帰れ」などと言われて、蔑まれ、追い立てられるのみなのである
だからこそ、彼らは逆に、大人な人達こそが「嘘つきで下品な人達」、実際は逆、「正直で気品のある人達」なのに、実際の逆、「嘘つきで下品な人達」とする価値観を必要とした…それが「常識外」「常識内」である …つまり、子供な「常識」であるのだ
大人な人達が好む自由性、これを彼らは子供の感性で計り、本来の自由であった自由性を、自らの未熟な心である反抗心によって、「不自由性」として、さらに、自由において勝てはしないのに、彼らの中で、「負けていない」とする為だけに、その「不自由性」と呼んでいる自由性を「嘘つきで下品な人のもの」とした
…あまりにも”嘘つきな”彼らの言い分だと言う事を考慮されたい
つまり、「嘘つきで下品な人のもの」とは、実際には”嘘つきな”彼らからして、元々のものが嘘をついて隠さなくてはならないものであり、それが「正直で気品のある人のもの」、彼らの言う「変態性」が実は、このようなものであると言う事を大嘘をついて隠し、一生において隠し通さなくてはいけないと思ったのである
…しかしながら、この「常識」の系譜で知る事の出来ない彼ら、子供な人達は、この”真実”に何の抵抗も出来ない
ただ、大人な人達が態度をもって、「変態性」=「正直で気品のある人のもの」と言う等式は、彼らの大人な人達への「変態」と言う言葉が全て、実は、大嘘であった事をより多くの人に知らせるのみなのだ
大人な人達の価値観は「自由性=特別」「不自由性=凡」である
…これが、大人な「常識」であるのだ
…ちなみに、子供な「常識」である、「常識外」「常識内」は、これによれば、「凡」である・
子供な人は元々、デカダンス者であり、大人な人に取りついている
…デカダンス者は大人な人と内部の自分達を区別する為の、価値観を必要とした
……それが「常識外」「常識内」である
大人な人の価値観を内部で見たからこそ、これだけ正確に大人な人をつまはじきに出来る価値観を挙げられたのである
…ストーカーであり、のぞき魔であり、(大人な人への)内部批判家(人を怒らせたり、人自身を疑わせたり、自分を大きく見せたり、悪口を浴びせて人の出した答えを攻撃する※軽蔑家)と言う賤民であり、(大人な人への)内部監視家(同性も異性も透かして見る人間、まさに変態)と言う賤民である
※軽蔑家…病児教徒に取っての最高の職 これ以上に病児教徒はなれない 他にどんな職に就いていようと ほとんど、悪口や罵倒を人の内部で、人の考えや人自身に浴びせかけるだけのお仕事
(賤民の中の上の立場に内部批判家があり、下に内部監視家がある 内部批判家と内部監視家を兼ねている奴は一番下)
……それが子供な人、つまり、「常識人」の現在の地位なのである!
注※中立的な事を「常識的」と言う事があるが、全然違う
「常識」の「「悪」を〇す」と言う思考は、いじめ・貧困化・偏見・犯罪・性意識拡大(異性に逃げる・性犯罪の導入)・問題の単純錯覚(「食べるから太るのだ、単純に食べなければいい、そうすればやせる(食べる事=悪)」それでかえって太るなど)・環境問題(「悪」を〇す為に、「自分勝手な人たち」を縛りつける問題を作ろう→「地球温暖化」=問題と言う問題)などと言った問題を起こす
…極めつけに「常識」による女性蔑視(「常識」に定められている「女」ってのは、「ゲップもしない、オナラもしない、太っていない、むしろやせているもの、一番、軽蔑すべきなのは、上背のある人(小さい事は前提条件)」と定められている 実際には、人前でなければ、ゲップもするし、オナラもする 勤勉な人でも太ってしまう事もある そもそも、上背は生まれつきである 太っている女性を怠惰な人、ゲップ・オナラをする女性は下品で虫も食わない人、「自分と同じ位の背? 誰がそんな奴とくっつくんだ?」と言われるべき人と「常識」ではされている
…これ、女性蔑視なんじゃないか? 自分の知っている「女」と違う女を徹底的に自分の世界から追い出す これが「常識的」な男なのである・そう言う女性蔑視をする男など、こちらからお断りしたい位なのに……(ナンパ? 無視無視))だ
これは病児教の教え、「悪的なものへの殺意」である
つまり、「悪的なもの」は〇してしまえばいいと言う、頭の悪い病児教徒ならではの思考・これだから、病児教徒は馬鹿教徒なんだ、と
言い訳 高慢 蔑(さげす)み 頑(かたく)なさ 都合の悪い人間への差別 欲望による暴走 不遜(ふそん)
「「常識」の系譜」では、子供な人間が「「常識人」と言う尊ばれるべき「善」の存在」などと言う幼稚な論理のものを一つ目の「常悪道徳」と、「「変態」と言う蔑まれるべき「悪」の存在」などと言うはたまた幼稚な論理のものを二つ目の「常悪道徳」として生んだ また、三つ目、四つ目…と「~「悪」の存在」の至極幼稚な論理のもの、「常悪道徳」が続く
極めて遺憾ながら、こう言う子供じみた論理を現代人が使っている事には、時代の退化を感じざるを得ない
…しかもそれがまかり通っていると言う現状を見れば、現代人の批判能力と言うのは、随分と低基準なのだと感じるのである
それだけ、現代人もまた、古代人と同じく、物事を信じ込みやすいと言う事でもある
(たとえば、「古代人に比べて、現代人は進歩していて、マスメディアが多様化しているので、それこそ、「真実」を見分けられる」と
…では、「真実」を見分ける基準とは何なのだ? 逆に聞くが、こう言うような物事を信じ込んでいる時、どこに「真実」があると言うのだ)
つまり、それは「変態」と「常識人」が言うと、「「悪」だから、憎め(悪(にく)め) 「善」である「常識人」の言う事は絶対だから」と言う「常悪道徳」に繋がる 何と言う独善、何と言う邪悪、何と言う頑なさ、か
このような道徳を「常悪道徳」と言い、それに伴う以上のような感情を「常悪感情」と言う
「常識人」の六元狂気
幻覚 自閉スペクトラム症 多重人格障害 「常識」的サディズム(「変態」・「キチガイ」などには何を言っても許される) 見方他の妄想的人間 差別依存症
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見方自(けんほうじ)な「変態」と見方他(けんほうた)な「変態」をごっちゃにする事で、”多様な人間”を「犯罪者」扱いしている現実