No.1172750

【黒冥土の溟と白姉の夕闇第一章】 第五.五話:トーレ・イントーレ(現実的な善悪)二元論(パート二:第四話~第六話(全四パート:全十二話))

eye-elさん

五話から一部転載

祝100Hits!!!

読み:黒冥土の溟(くろめいどのめい)と白姉の夕闇(あんち・くりすとのゆうやみ)

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2025-08-26 11:51:38 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:132   閲覧ユーザー数:132

〇トーレ・イントーレ(※現実的な善悪)

 

 善悪二元論の一つ

 

「デルタルーン」のトビー・フォックス氏によれば、

 

・闇への寛容→光への寛容:寛容指向(トーレ・ベクトル(トーレランス・ベクトル))

・光への不寛容→闇への不寛容:不寛容指向(イントーレ・ベクトル(イントーレランス・ベクトル))

 

…直接は言われてはいないが、このように分析出来る

 

 

 

(※(注は上の説明文に記載)現実的な善悪として、この二つが存在し、二元になっている)

 

 

 

 先に挙げた寛容指向(トーレ・ベクトル)、これは、闇をのぞいた経験が(近く)ある人程、人の内部の深い所の暗い暗い底(闇)に寛容で、人に温かく優しく出来る、と言うもの

 

 …次に挙げた不寛容指向(イントーレ・ベクトル)は、逆に、闇をのぞいた経験がない、もしくは遠くある人程、人の内部の深い所の暗い暗い底(闇)に不寛容で、人に冷たく厳しくする、と言うもの

 

 闇に近い者はトーレ・ベクトル(たとえば、ディープなオタク)でいられるが、光が近くなるとイントーレ・ベクトル(たとえば、ライトなオタク)になってしまう

 

 

 

 …光より闇(白シスター寄り)、トーレ・ベクトルでいてイントーレ・ベクトルでいない事(略して、トーレ・イントーレ)が何よりの果報である

・トーレがトーレである事の理屈

 

 闇に対して寛容なら、光に対して寛容であり、トーレ(寛容)である

 

 自分の努力においてトーレ(寛容)だから、トーレ(善)に対して骨身を惜しまない

 

 …結果、トーレ(善)となる

 

 

 

・人が腐敗する事の理屈

 

 光に対して不寛容なら、闇に対して不寛容になり、イントーレ(不寛容)である

 

 自分の努力においてイントーレ(不寛容)になって、トーレ(善)に対して骨身を惜しむようになる

 

 …ついにはトーレ(善)に対して、全くの怠惰になる

 

 ……結果、反対のイントーレ(悪)になる

 

 

 

・イントーレがイントーレである事の理屈

 

 光に対して不寛容なら、闇に対して不寛容であり、イントーレ(不寛容)である

 

 自分の努力においてイントーレ(不寛容)だから、トーレ(善)に対して、全くの怠惰である

 

 …結果、イントーレ(悪)となる

 「人の特長を見て、トーレ(善)だと認める事が、トーレ(善)であり、

 

 人の特長を見て、トーレ(善)だと認められない人が、イントーレ(悪)である、となる

 

 …ただし、特長があっても、精神が欠けているなら、やはり、イントーレ(劣悪)である」

 

 

 

 …トーレ・イントーレはあくまで、心の在りようでしかない

 

 その者の心がイントーレ(不寛容)なら、事実上、対する者はトーレ(寛容)とされてしまう

 

 対する者は、どんなに悪に見える者でも、(こいつが善であるわけがない)とその者が思って、言ったとしても、相対的に、対する者が善(トーレ)になってしまうのだが

 

 …トーレ・イントーレに、独善はない 善か悪かそれだけである

 

 …適解としては、「あいつは私より特長的なのだから、善(トーレ)だ!」である

 

 …特長とは、優れた特徴の事である

 

 …特長を認められないでいってしまうと、ニーチェの言うルサンチマンになってしまう

 

 ……つまり、特長を認められない時点で、イントーレ(悪)!!

 寛容的立場を得れば、トーレの心を得る

 

 不寛容的立場を得れば、イントーレの心を得る

 

 だから、上の立場の人間がこれを調整し、あくまで、寛容的立場を強調するようにしなければ、悪(イントーレ)の心が勝つ

 

(「スタンフォード監獄実験」はまさに典型的な悪(イントーレ)の勝利である・現実はこれではいけない)

 

 

 

 人の特長を見て、トーレ(善)だと認める事が、トーレ(善)であり、

 

 人の特長を見て、トーレ(善)だと認められない人が、イントーレ(悪)である、となる

 

 …ただし、特長があっても、精神が欠けているなら、やはり、イントーレ(劣悪)である

 

 

 

 イントーレの基準になるものが、自分自身について、病人について、頭のおかしい人について、など

 

 次の二点において、病気と狂気は特長であり、一律的なものとは限らない

・病気:それによって生まれる人間的な深み

・狂気:知性の高み

 

 

 

 …一つ例を挙げたいと思う

 ランサーパパ/キング

 これは王(と巨体と狂気)と言う特長があって、それを認められないのは、イントーレ(悪)である

 …許可されている事を行う、禁止されている事を行わない。これが存在である

 

 

 

 ……許可する事は、その人の品位を決めるのである

 

 自分に許可する内容によっては、その人の品位は下がって行く …判断力と言うものがないと、国家にとって、死んでもいい、または、死ぬべき対象になるのである

 

 …たとえば、羽柴(豊臣)秀吉にとっての、明智光秀、アメリカ(キリスト教国)にとっての、ケネディと言う感じである

 

(つまり、アメリカでは、やはりカトリック(ケネディはキリスト教の中でもカトリック派)は常識がなく任せられない、と言う事になって、それ以来、大統領はプロテスタント派の人物である)

 「デルタルーン」のファンの中でも、「トリエル」と言うキャラクターと「サンズ」と言うキャラクターの後ろ向きな話、「キング」と言うキャラクターと「ランサー」と言うキャラクターの前向きな話をする人達に分かれている

 

 

 

「キング」と「ランサー」の話をしている人達は希望と力に満ちていて、善い

 

 …一方で、「トリエル」と「サンズ」の話をしている人達は希望と力に満ちておらず、悪い

 

 

 

トーレとは、真理(肯定生)の人である…逆に、イントーレとは、否認生の人である


 
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