No.1014944

恋姫†夢想 李傕伝 16

あけましておめでとうございます。
華雄さんが大変お強い小説だけどそろそろまた空気に。
次回。不幸な馬岱さん奮闘偏。始まります。
まだまだ続きます李傕伝。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

2020-01-04 01:31:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1254   閲覧ユーザー数:1214

『官渡の戦い』

 

 

 

 

 

 

 

 時は西涼の天幕に伝令が訪れたところまで遡る。

 烏桓と接触を図るために出立した劉虞が帰って来たという報告を受けて、先頭を行く李傕の後をぞろぞろと諸将らは追従していく。

 天幕の外に出ると、そこには劉虞が居た。そしてその傍には馬に乗った化け物が居た。巨大な烏の頭に人間の体。

 まじまじと見ればそれが被り物であることが分かり、この世界ならば本当に半獣半人が存在してもおかしくはないと身構えていた李傕は心内で安堵の息をついた。

 巨大な烏の被り物は目深に被られていたが、うっすらとその目が覗き見えた。鷹のように鋭く細い目であった。

 

「彼女が丘力居です。此方が西涼の李傕様」

 

 劉虞が双方の紹介をすると、丘力居は馬から降りた。

 身長は小さく李傕の胸にようやく届くくらいで、閻行と同じくらいであった。

 

「烏桓は帰属しても良い。お前達に」

 

「条件があると劉虞が言っていた」

 

「ただでは従わない。勿論」

 

 丘力居はまず指を一本立てた。

 

「一つ。いっぱい欲しい。馬乳酒」

 

「馬乳酒か」

 

 馬乳酒は遊牧民の間では重宝する万能な飲み物である。

 酒と名が付いてはいるものの、アルコール度数は限りなく無いに等しく、寧ろ大変健康的な飲み物である。ヨーグルトをもっと水っぽくしたような健康食品と例えるのが適切だろうか。

 ただ、味はかなり酸味が強く、李傕は余り好きではなかった。

 とはいえ遊牧民にとって馬乳酒は貴重な栄養源であり、肉ばかりを食物とする遊牧民に不足する様々な栄養素を補うことが出来る為、羌族も当然馬乳酒を作っていたし、無理やりにでも飲まされていた。

 もっとも、ビタミンだとか栄養素だとかそういう後世の研究によって解明されたものの存在は誰一人知っておらず、単に飲めば健康になる飲み物という扱いではあるが。

 品種改良が為されていないこの世界の牛の乳―――牛乳は、とにかく危ない上に美味しくない。

 そもそもにおいて動物の乳を飲むという文化自体がまだ存在しない。殺菌も為されておらず、味も良くはなく、飲んだものが病気にかかるとなれば倦厭されるのも納得する話である。

 が、文化の違う遊牧民の間では一般的で、生で飲めば危険だが馬乳酒として生成すれば安全に飲めるということを彼等は知っているので、積極的に作っている。

 

「漢に戻ってから久しく作っていなかったな」

 

「言われてみればそうだった。まぁお前はあの味が嫌いだったからな。私は好きだが」

 

「どれくらいの量が欲しいんだ? 馬は多いしそれなりに作ることは出来る」

 

「いっぱい。定期的に」

 

「わかった。とりあえず時期が来たらすぐ作らせよう」

 

 馬乳酒は馬のの乳が出る、僅かな短い時期でなければそもそも作ることが出来ない。そのため今よこせと言われても悲しいことにどうにもできない。

 

「私の分も余分に作っておけよ?」

 

「お前は普通の酒で良いだろ」

 

「思い出したら飲みたくなった」

 

 李傕は肩をすくめて華雄に返事をした。

 

「他には?」

 

「物品の供与。食物。服。矢じり。漢の矢じりは良く刺さる」

 

「それも用意できる。約束しよう」

 

「最後。守る約束。必ず」

 

 李傕を見上げていた彼女の鋭い視線がさらに細められ、顔に憎しみの色が宿った。

 

「生きたまま捕らえて差し出す。公孫瓚」

 

「公孫瓚を?」

 

 公孫瓚は袁紹との戦いに敗れた後、どこかへと消えたと聞いていた。死んではいないらしいのだが、その行先は全くわかっていない。

 

「必ず殺す。生きたまま蹋頓達の餌にしてやる!」

 

「カァ!」

 

 丘力居のその言葉に、彼女の肩に止まっていた烏が大きく鳴いた。この烏の名前が蹋頓なのだろうと李傕は思った。人の言葉を理解し、憎しみを共有しているとしか思えない反応の仕方であった。

 烏桓と公孫瓚との間にある溝は、想像するよりも遥かに深い様であった。が、李傕にとって公孫瓚は一度敵対しただけの相手であり、その生死は大して重要視する事でも無かった。

 もしも公孫瓚が数万の兵を連れて李傕に協力するという申し出があったとしても、李傕は烏桓の手を取るだろう。

 

「わかった。どこに居るのかはわからないが、探し出すと約束しよう」

 

「なら従う」

 

 そう言って丘力居は右手を差し出したので、李傕はその手を取った。一般的な挨拶である握手。握った丘力居の手はやはり小さかったが、指のあちこちが硬く、弓だこが出来ていた。

 

「戦力としてはどれくらいになりそうですかー?」

 

「弓騎兵五千。今はそれ以上無い」

 

 程昱の問いに丘力居は答えた。

 

「弓騎兵となると、どういう風に連携を取ればいいんだ?」

 

 李傕は今までに弓騎兵というものと縁が無かった。

 鮮卑や烏桓では一般的らしいが、羌ではほとんど見ていない。

 

「風達も実は初めてですので―」

 

「必要ない。任せる」

 

 李傕が程昱に聞くと程昱はそのように述べ、郭嘉に視線を向けると彼女は首を振り、そして連携の必要が無いと丘力居は言う。

 彼女は空を見上げると、魏呉連合が現在軍を展開しているであろう方角から烏が一羽飛んできた。その烏は丘力居が拳を握って顔の前に突き出すと、その上に止まった。

 

「カァ。カァ。カァ」

 

 その烏は何かを訴えかける様に首を動かしながら三度鳴いた。

 

「敵がいる。あの森」

 

「……烏の言葉がわかるのか?」

 

 問いかけに彼女は自慢げに頷く。

 李傕は生前の記憶で、烏が他の種族と共生する珍しい鳥類であることを思い出していた。最も有名なのは狼と烏による狩である。

 烏が空から得物を探して狼を誘導して得物を狩り、それを二匹で分け合うのだ。

 目の前にいるこの烏と烏桓の人々は、そのように烏と共に狩をしているのだろう。

 烏の言葉がわかるというのは不思議な点であるが、そもそも李傕にとってはこの世界そのものが不思議で出来ているのでさして気にもしなかった。

 

「見せてやる。強さ」

 

「わかった。任せよう」

 

 李傕も彼女達がどれ程強いのかを把握しきってはいない。

 また、森の中に敵が潜んでいるのであれば無暗に近づきたくはない。それに、放置たとしても、敵はそこへ誘導するために森へ入っていくであろうし、いずれにしてもこの森に居る敵は何か手を講じて追い払う必要があった。

 その役目を彼女達が担ってくれるのであれば是非もないことだ。

 

「あのー。お兄さん。さらっと流してますが、これはかなり恐ろしい事ですよ?」

 

「何がだ?」

 

「良いですかー? もしもその烏さん達が斥候として敵を見つけることが出来るのなら、風達は一方的に、それも敵の大半の策を見破ることが出来るのですよ?」

 

「ああ。心強いな」

 

「はぁ……後でしっかり説明した方が良いのでは?」

 

「そこは私達が補いましょう凜ちゃん。軍師が軍師らしく居られる時代も終わりを迎える日が来るかもしれませんからー」

 

 二人の会話はやや哀愁が漂っていた。

 烏桓の烏という存在は、従来の戦の形を大きく変えでしまうものだった。何せ、これまでの戦の規範ともいえる兵法そのものが通用しなくなってしまい、策ではなく戦術に重きが置かれ始めることだろう。

 そうなれば軍師という存在もまた、新しい規範に基づき戦術を打ち出す必要がある。これまで彼女達が学んできた物が無駄になるというわけではないが、大半は意味をなさない一つの知識というものになり果ててしまう。

 とは言え、烏桓の人々のように烏を飼いならすことが一般化し、誰もがそれを扱えるならば、という前提が必要であるが。

 二人の哀愁の原因でもある烏がカァと鳴くと、さらに哀愁は増していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬術に長ける者が多く居る西涼ではあるが、森の中を速度を上げて走り抜けると言うのは中々に難しい事であった。基本的に騎馬は障害物が少ない場所を移動することが想定されており、人の手が入っていない自然の森を移動するのは危険である。

 特に危ないのが木の枝。

 ぶつかっても簡単に折れる様な枝であれば良いが、中には太く硬いものもあり、馬上の人間がぶつかれば落馬は間逃れない。

 また地面も森の中は場所によってぬかるんでいたり、湿った葉っぱが重なり合って滑ったりすることもあるので、馬を一気に走らせるのは色々と難しい。

 が、烏桓山で狩りをしていた烏桓の戦士達にとっては、さして難しい事では無いようだった。

 彼等に任せたところ、李傕達は全く兵を動かすことなく烏桓の戦士達によって森の中から敵をいとも簡単に追い払って見せてしまった。

 西涼の面々は舌を巻く一方であった。

 今回の烏桓の活躍により、弓騎兵の強さを示しただけではなく、彼らが本当に烏を使って斥候を行えることが示された。はるか遠くの様子を安全に知ることが出来るというのは、大変な強みである。

 

「そして巡ってくるお前の晴れ舞台、というわけか」

 

 魏呉連合は完全に平野に陣を移動しており、一方的に地形の有利を奪われる森を避けていた。

 となれば平野で猛威を振るうのは華雄率いる羌族の騎馬。彼女の為の舞台は着々と作られつつあった。

 

「まずは露払いとして丘力居さん達に出てもらうのが良いでしょう。一度に持ち出せる矢には限りがありますし、乱戦では味方が邪魔になってしまいますし、馬も長く走らせるのは難しいでしょう」

 

「そうだな。第一陣を丘力居に。角笛の合図とともに一陣は撤退し、矢の補充。その間に華雄達と入れ替わりぶつかるのが良いか」

 

 西涼の面々はまだ弓騎兵というものを完全に理解したわけではないが、騎馬や弓兵というものの弱点というものは理解していた。

 弓兵は当然矢が無くなれば撃つ物が無いのでやることも無くなり、馬も無限に走り続けるわけではない。

 烏桓がこの世で最も強い弓騎兵を有していると仮定しても、それだけで戦が終る程の決定打となるには様々な問題が纏わりついていた。

 必中の腕前を持つ弓兵が居たとしても、一矢一殺が限界である事は世の理。

 矢筒は大きなものを用意してもせいぜい六十本が限度で、兵士に配備されている物は三十本前後がせいぜいである。矢のような消耗品は兵糧に継ぐ軍の足枷ともいえる金食い虫である。いかに西涼が今金銭的に余裕があるとしても矢を烏桓の為に大量に配備するのはかなり厳しい。

 しかし一般的な騎兵であれば、それこそ馬が限界を迎えない限り戦う事が出来る。肉薄する騎兵の武器は何も手にする得物だけではなく、馬そのものが武器たりえる。獲物が折れても馬が敵兵を吹き飛ばし、踏み殺すのだから、弓騎兵よりも様々な面で持続的な戦いが可能である。

 烏桓の弓騎兵は露払いとして敵の数を減らすのに用いるのが最も有効的であった。

 

「それで、今回はどこまでやっていいんだ?」

 

 華雄はもう、それはそれは意気揚々として李傕に問いかけた。

 李傕の知る華雄は、常日頃蚩尤と呼ばれることに抵抗の意を示す女であった。戦に敗北し討ち取られる弱い神の名を冠することが気に入らず、己が蚩尤に取って代わる戦神になりたいと熱望する者であった。

 

「どうしたものかな」

 

 李傕は華雄を信頼しているので好きにやって良い、と言いたい所ではあったが、現在の敵の目的からして華雄が戦場に現れれば、彼女に殺到する事は容易に想像が出来た。

 敵の目的は戦における勝利であることに間違いはないが、今回の戦の勝利は華雄を討ち取る事。そのための官渡である。

 また西涼軍としても華雄を失うという事はとてつもない被害である。そして李傕にとっては、被害どころか全ての終わりでさえある。

 

「私がこんなところで死ぬと思っているならとんでもない思い違いだ、ぞ!」

 

 表情に現れてしまっていたのか、華雄は李傕の傍へ寄ってきてその頭を拳で叩いた。

 華雄に対する信頼は大きく、彼女が戦で死ぬという事は限りなく考えられない。しかし勝利を祈願してカツ丼を食べたり、受験生の前では滑る、だとか落ちる、という言葉を避ける文化の前世がある李傕にとって、官渡と蚩尤の関係性は無視できないものだった。

 

「お゛お゛お゛……」

 

 ずいぶんと懐かしい痛みだと、李傕は唸り、頭を押さえながら思った。

 

「お前や治無戴の夢は私の夢。そして私の夢は、お前達の夢。私の夢は、理想は、お前も知っているはずだ」

 

「……そうだな」

 

 ややたって痛みが引いてきた李傕は、先ほどまで唸っていた情けない姿から打って変わり、いつもの彼に戻っていた。

 

「第一陣に丘力居率いる烏桓。烏桓の攻撃が終わり次第、華雄ら第二陣と入れ替わりに突撃。華雄、碧殿、そして俺が出る」

 

「あたしらは留守番か?」

 

「凪と翆は万が一前線が崩れた場合の保険にする。状況を見て、自由に動いて良い。異論がある者は?」

 

 李傕の決定に誰一人声を上げなかった。

 

「華雄が蚩尤なら、我々はさながら九黎。田舎の将がいつの間にか天下を乱す悪神になる日が来るとは、大きくなったものだな?」

 

 九黎とは、蚩尤に従属し暴れまわった悪神達である。

 李傕のおどけた言葉に、彼女等は皆微笑みをこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一陣の丘力居らが進軍し、その戦いが始まった。

 華雄は馬上でその様子をしばし眺めていた。烏桓の兵士は丘力居の合図とともに一斉に散り、軍ではなく個としての戦いを展開し始め、魏呉連合の軍を圧倒していた。

 

―――嫌な戦い方だなあれは。私ならどうするか……。

 

 羌族で数えきれない程の戦を経験してきた華雄であったが、消耗品である弓矢を主力として使う部族は全くいなかった。ある種嗜好品の類に近いともいえた。羌族は狩の必要性が無かった。主食となる肉は財産の一つとして飼育している為、野生の動物を狩る機会というのは全くなかったのだ。

 そのため弓騎兵が主力となる相手と戦う経験が無かったため、もしも自分が戦うならばどうするかと思案する。

 

―――数で勝っているなら大きく包囲して徐々に狭めるか……いや、ある程度の犠牲を許容して矢が尽きたところを狙うか……。

 しかしいつまでそのように考える続けている場合ではなく、もう間もなく華雄らの突撃の時間であった。彼女は思考を打ち切り、麾下の騎兵へと振り返った。

 

「神話の戦場へようこそ。九黎配下の諸君。晴れて私もお前達も全員悪神の一員だ」

 

 彼等は神話の事を知っていたので、笑い声をあげた。

 

「黄帝と応龍はこの蚩尤の首が欲しくてたまらないらしい。だが、この私を殺せるものが居るか!?」

 

「「「否! その武、天下一にして並び立つ者無し! 我等、九黎としてその後に続かん!」」」

 

「なればこの一戦で天下に示さん! 神話の蚩尤、九黎よりも我々の武が上を行くことを!」

 

「「「応!!!」」」

 

「全軍! 進め!」

 

 華雄は声を張り上げ、突撃の指示を出した。

 角笛が高らかに鳴り響き、進み始める。

 丘力居率いる烏桓族は、角笛の音を聞くや否や、あっという間に道を開ける様に左右に散っていった。

 まず華雄が最初の標的に据えたのは、最前線で戦っていた者。

 顔も、名前も知らない誰か。しかし弓を持ったその青い服の女性が指揮官であることは見間違いようもない。しかし彼女達は撤退を始めており、代わりに後方から進み来る一団が華雄の前に躍り出た。

 馬に乗り、剣を片手に持った、一度見たことのある女。

 浅黒い肌に美しい顔立ち。華雄は彼女と一度だけ斧と剣を交わしたことがある。

 顔は知っているが誰であるかは知らない。

 彼女は兵を従え、彼女は真っ直ぐ華雄へと向かってきていた。

 向かってくるのであれば是非も無し。華雄は獲物を定め、進む。すれ違いざまに一合、その戦斧と剣がぶつかり合い、一際激しい音を奏でた。

 華雄はやはりその斧が弾かれ、痺れる腕の感覚に、あの時の将で間違い無いと確信をしていた。彼女の記憶にある、おそらく曹操であると思われる少女を切り伏せようとしたときに乱入してきた、おそらく孫策であると思われる女性。

 

「ふはっ……はっはははははは!」

 

 華雄は笑いながら彼女とすれ違い、進む。

 彼女はおそらく孫策である。となれば黄帝か応龍か。いずれにしてもここで華雄が討ち取らなければならない存在。そして彼女は強い。そのことが嬉しい。

 因縁ある蚩尤と黄帝、応龍。その一つが汜水関の戦いで華雄の邪魔をしたあの女。そしてそれを討ち取る事こそ、華雄が蚩尤を越える瞬間なのだ。

 腕は痺れてはいるものの、これしきの事は慣れたこと。

 敵兵を薙ぎ払うのに支障はなく、彼女の引き連れて来た騎兵へとその戦斧を容赦なく振るった。

 空を舞う血飛沫と悲鳴。戦場では聞きなれた、華雄の通った道の後に必ず響く物。

 

「貴様が華雄か! 尋常に立ち会え!」

 

 華雄が進んでいると、上手い事華雄に馬を並べて距離を狭めてくる女性が一人いた。

 大剣を片手に持った赤い服の女性。華雄は彼女が誰であるかわからないが、少なくとも将であり、腕が立つ武人であることはすぐに理解できた。

 しかし、立ち会えと言われても華雄は一騎打ちを行わない。

 返事の代わりに一閃、一撃を彼女へお見舞いした。

 が、その一撃は防がれ、さらに馬の距離を狭めて彼女が攻撃に移ろうとしていた。

 

―――良くないな。

 

 彼女は華雄に馬を並べて追従してきており、彼女に構っていては他の兵を薙ぎ払うことが出来ない。

 そのため、華雄は『いつものように』彼女から距離を取るように進路を変え、左手の手のひらを空に掲げた。

 

「待て! 逃げるのか!」

 

 女性からそのような声が上がったが、華雄にとっては知らぬ事。

 そのため、もはや華雄の視界にその女性は入っていない。

 

「逃げるな! それでも戦神の名を名乗る猛将か!」

 

 華雄がとっさに進路を変えたため、やや後方からその女性が追ってきていた。

 だが、それもこれまで。

 華雄は『合図』を出した。だから、これ以上彼女が華雄を追ってくることは出来ない。

 彼の存在は、華雄がどこに居ても、どんな状況でもどこにいるかわかる。

 だから華雄が合図を出したならば、すぐに彼はやって来る。

 

「おおおぉぉぉ!!」

 

 少々情けない雄叫びを上げながら、李傕は華雄と、華雄に並ぶ彼女の進路へ向かって突撃してくる。

 

「ぬなっ!?」

 

 その突撃は彼女を狙ったものではなく、彼女に続く兵へと向けられたもの。

 隊列を為して続く麾下の騎兵へと李傕が横合いから突撃し、彼女の麾下は分断される。その武は決して名の上がる物ではないが、馬術の巧みさは華雄や治無戴と共に轡を並べた男。敵の馬にぶつかることなく合間をすり抜ける様にして入り込み、的確に敵兵氏へと剣を振るう。

 李傕に続く騎兵達も、その後に続いて敵の後続を許さない。誰一人騎馬同士でぶつかって落馬することなく、馬上の兵士だけを切り伏せて進み行き、乗り手を失った馬が右往左往していた。

 麾下の兵が寸断されてしまった大剣を持つ彼女は、残りの兵士を招集するために華雄から離れ、先程李傕がぶつかった場所へと戻っていく。

 

―――良い将だ。

 

 彼女はきっと兵士に慕われる存在であることだろう。華雄を討ち取る為に突出してきたのは些か考え物ではあるが、麾下と分断された状態で華雄に固執するわけではなく、軍としての形を維持しようと戻っていった。

 時には、そういう判断も必要だった。

 

―――まぁ、私には及ばないが、な。

 

 華雄はこれまでのように戦場を見渡し、急所を探す。しかし魏呉連合は続々と陣を下げ始めており、先程華雄と斧を交えた女と孫策らも、行く手を阻むように動きながら下がっていく。

 ずいぶんと守りが硬いものだと思った。

 陣を下げるならば追撃がかけられ、追撃の被害を減らす為に殿がある。

 殿は、捨て石である。敵の追撃に際し、動き、少しばかり抵抗してくる的に過ぎない。その存在はほんのわずかでも敵の追撃の速度を抑える事にある。

 しかし今こうして華雄が見ている陣の様子は、硬く守りを固め、全体の撤退も速い。

 今突撃すればそれなりに相手に被害も出すことが出来るだろう。そして華雄にとっても、この官渡で孫策か曹操の首を獲るのが望ましい。だが敵は今までのように弱くはない。十分に訓練が行き届いており、今突撃すればかなりの被害も想定できた。

 そのため華雄は合図を出して馬を止めた。

 

「行かないのか?」

 

 そんな華雄に声を掛けてきたのは、先程の突撃から戻ってきた李傕だった。

 

「行きたいな。それに、行くべきだと思う。だが、な」

 

「……お互い思う所が多くあるな」

 

「成長した証か。甘さか。だが、それで良かったのかどうか」

 

 李傕は華雄という存在が大事であった。普段であっても華雄が戦場で合図を出せば李傕はすぐに華雄の元へ駆けつけてくる。しかし、今回の戦での李傕の行動は余りにも速かった。

 華雄を失う可能性があるという思いが、李傕を急き立て、華雄を信じて任せるという普段の思いを抱き続けられずにいた。

 そして華雄もまた、麾下を多く失うことを怖れていた。

 普段の彼女ならば自分と麾下の武を信じ、突撃する。しかし魏呉連合の訓練された兵達を見て、自分達の受ける被害を計算して取りやめてしまった。ただ、突撃を敢行すれば敵へ大打撃を与えられるという確信もあった。それこそ曹操か孫策の首どちらか一つを獲ることが出来た。それらを天秤に掛け、華雄は麾下を取った。

 果たしてそれは将としてどちらが正しいのか。

 西涼の軍師達ならば、この先を考え兵の被害をある程度許容して敵大将の首を上げる事を望むだろう。しかしその言を聞いても華雄は納得しない。

 

「決戦の日まで取っておけばいい。その時にはきっと治無戴も居る。まぁその日まで、お前は蚩尤のままかもしれないが」

 

「……ああ。それで良い。今しばらくは蚩尤のままでいよう。お前の言う、決戦の日まで」

 

 官渡における敵味方の被害は、大したものではなかった。

 魏呉連合は退くのが早く、将どころか兵もそこまで多く被害を出していなかった。まるで当初から、ある程度被害が出るなら官渡から撤退し、籠城へと移行する事が決まっていたかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 官渡の戦いは、云わば烏桓の強さを世に示したにとどまったと言っても良い。

 魏呉連合は初めから華雄の強さに対して警戒を持っていて、無理に迎え撃つことなく速やかな撤退を以って被害を押しとどめていた。最も被害が多く出たのは初見である烏桓の急襲の時だけである。

 形の上では官渡へ侵攻した魏呉連合を追い払ったわけであるが、完全な勝利とは全く言い難い。

 ここから先はあらかじめ想定されていた城攻めへと移る。

 

「問題は陳留と濮陽のどちらを攻めるかですねー」

 

 魏呉連合は出陣した軍をほぼ同数で陳留と濮陽の二城へと分けているらしく、どちらも六万前後。

 軍を二つに分けて両方を攻めるという考えは初めから無かった。

 西涼軍の歩兵は少なく、これをさらに分けてしまえば到底城攻めが出来る様な戦力ではない。大半を占める騎兵では出来ることも少ない。

 

「最低限攻城兵器が欲しかったところですが……」

 

「せめて雲梯とかよ……。今時梯子と丸太で攻城戦とか原始人かよって話だぜ?」

 

 馬騰は口元に拳を当てて少しばかり言い辛そうに言うが、韓遂はそれはもう直球であった。馬騰と韓遂は過去に城攻めや砦の攻防戦の経験がある数少ない人達である。

 何せ想定はしていたものの、それらを準備する前に魏呉連合が官渡へ攻め入ってきて、今はそこからなし崩しに攻める側に転換した状況。攻城兵器は何もない。

 

「それなんですよねー。まぁ、それなりの被害を覚悟すればどちらかの城は落とせるであろうという事だけはあらかじめ伝えておきます」

 

「ただ、軍を分けなければ当然敵の増援が送られてきます。しかし分けたところでそもそも打って出てこられると困るのはこちらですし、かといってどちらか一方に集中しても掎角というものがありますから」

 

「掎角?」

 

「汜水関の際、我々が意図せず行っていた状況です。後方から攻めてくる軍と、城から打って出てくる軍によって前後から攻める物。これを掎角と言います」

 

 李傕の質問は、郭嘉によってわかりやすく答えられた。このように言葉として残っているという事は、兵法を作り上げてきた先人達が既に考え至った有効な戦い方であることは間違いない。

 

「あの! どうかこの一戦、私に任せてもらえませんか!」

 

 どうしたものかと悩む面々の中から、楽進が声を上げた。

 

「任せるも何も、攻城戦は凪が居なければ始まらないというか―――」

 

「いえ、不肖この楽文謙。攻城兵器が無くとも速やかに開門までたどり着けると宣言します!」

 

「……もしも凪が言う様にどちらか……いや、陳留にしよう。陳留を速やかに開門できるとしたら、どうする?」

 

 李傕はとりあえず陳留の開門を想定して程昱と郭嘉に意見を仰いだ。

 

「陳留と濮陽はこれだけ距離がありますから、もしもすぐに開門でき、陳留を落とせるとなれば濮陽へ兵を向かわせる必要も無いでしょう」

 

「寧ろ全軍をもって速やかに陳留を落とし、濮陽攻めの準備に移れるならばこれに越したことはありませんがー……」

 

「お任せください! 必ず、成し遂げてみせます!」

 

 普段控えめで、粛々と与えられる命をこなす楽進がここまで言うのであれば、李傕は彼女に任せて良いと思っていた。

 しかし、程昱や郭嘉。そして馬騰、韓遂らもあまり乗り気ではないようだった。

 

「攻城戦は三倍の兵力を必要とする。それは将として知っていて当然の知識。そして、それは決して誇張ではないということは、勿論わかっていますね?」

 

 馬騰の視線が鋭くなり、楽進を射抜いた。

 傍にいる李傕はその様子にぶるりと体を震わせた。だが当の楽進は真っ直ぐに馬騰を見返していた。若いとはいえ古傷のある彼女の表情は、凛々しく歴戦の猛者を彷彿とさせる。

 

「失敗すればどれだけ被害が出るかも、分かってるんだよな?」

 

「はい。武人に二言はありません! 必ず成し遂げます!」

 

 韓遂の言葉にも、楽進は変わる様子はない。

 楽進が失敗をすれば何が起こるか。いたずらに兵力を失い、どれ程の被害が出るかにもよるが、しばらく魏の地を踏むことは出来ないだろう。

 西涼の、李傕と治無戴の願う未来への歩みを遅くするだけに留まれば良いが、最悪その未来への道が途絶える可能性さえある。

 それでも彼女は凛として答える。

 

「私は、真桜のおまけでしかありませんでした」

 

「凪ちゃん……」

 

「あの日、真桜は底様に絡繰の技術を見初められ、その力をいかんなく振るう機会が与えられ、そして今も活躍し続けています。ですが、私は―――」

 

 楽進は己の武器である拳をきつく握った。彼女の手甲からは、ぎっという軋む音が静かな天幕に響く。

 

「真桜の友であるという理由で西涼に仕官することになり、軍を率いた経験も無い私は歩兵の全てを預かる将としての地位を貰ったのです」

 

 彼女達の経歴からすれば、この時李傕が楽進と于禁を突然将として召し上げたのは少々不可思議であった。高名な師に教えを賜ったわけでもなく、どこかで武名を上げた人でもなく、旅をしていたただの少女に、突然歩兵全軍の指揮を任せ、雍州の将として迎え入れたのだ。

 李傕からすれば、楽進と于禁という後世に名をあげた武将であることを知っていたので、この登用が当然の事であると思っていた。

 

「身に余る光栄でした。しかし私は将という待遇の下、戦でも活躍することなく、無為に禄を食む存在でしかなかったのです。底様から与えてもらった恩に、何一つ返すことが出来ずにいました」

 

 ただ、李傕のその判断が、生真面目な楽進を追い詰めていたようだった。

 李傕からすれば李典の存在が無くとも楽進と于禁は将であるのが当然である。しかしはたから見れば確かに、李典という西涼にこれ以上ない富をもたらす少女の友であるから将としての待遇を受けていると思われても仕方がない。

 さらに言えばこの騎兵の運用を重視する西涼において、歩兵を率いる楽進と于禁の活躍の場は一切無かったと言っても良い。

 彼女にしてみれば戦で活躍する事こそが、今まで受けた厚遇に対する礼。

 自分の価値観だけで彼女を将にし、武人気質な彼女を基本後方に据えていた李傕は、彼女の言葉を受けて己を恥じた。同じことが華雄に対してできただろうか。

 

「今まさに絶好の好機。この行き詰った状況を私が、私と沙和が見事打破してみせます! どうか、ご決断を!」

 

「がんばりますの!」

 

 楽進が机を頭突きで破壊するのではないかという勢いで頭を振り下ろして言うと、于禁もまた同じように頭を下げた。

 

「若いって良いよなぁ。なぁ姉妹!」

 

「……私に異論はありません。御館様にご決断を仰ぎましょう」

 

 天幕内の視線が李傕へと集まる。

 李傕はもう決断を下していた。

 

「ならばこの戦、凪と沙和に一任する。速やかに陳留の門を打ち破り、魏呉平定への第一歩とする!」

 

 地図の広げられた机を、李傕は手のひらで、ばんと叩いてそう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、本当に大丈夫なのか?」

 

 馬超は楽進にそう問いかけた。冀州に残った馬超と楽進。馬超の服の裾を握る閻行の姿も、楽進にはもう見慣れたものだった。

 楽進は馬超と閻行に、城攻めの想定での摸擬戦を何度も行ってもらっていた。それ故、馬超は楽進が何をするのを知っていた。

 

「大丈夫です。お任せください」

 

「……いや、失敗の話をしているわけじゃないんだけどさ……あれはお前に随分と負担が―――」

 

「この状況は、寧ろ望ましい所。底様から受けた恩義に報いるこれほどない機会です」

 

「それは分かってる! でもよ、今じゃなくたって良いだろう?」

 

「ありがとうございます。翆殿。ですが、この楽文謙。恩には恩を返さねばなりません」

 

「気持ちはわかるんだけどさ……もっと別の機会があるっていうか……」

 

「優しいですね翆殿は。私には、そのお気持ちだけで充分です」

 

「そっか……いや、別に無理に止めるつもりは無かったんだ。生きて戻れよ」

 

 そう言って馬超は拳を前に突き出した。

 楽進はそれが何か一瞬わからなかったようだが、ややあって、はっと理解しその拳に自分の拳を合わせた。

 

「若い」

 

「お前が一番若いだろうが!」

 

 閻行の言葉に馬超が突っ込みを入れる。

 これもまた見慣れた光景だった。

 これより陳留へと進軍し、楽進にとっての晴れ舞台がやってくる。

 何故自分が将として迎え入れられたのか。

 何故歩兵の全てを任されるほど重用されたのか。

 楽進にとっての疑問は様々あったが、彼女に取って重要なのはその理由では無かった。

 それに対して己がどれ程の物を返せたか。それこそが最も重要な事であった。

 今までは何一つ返すことが出来なかった。

 汜水関の戦いに始まり、匈奴侵攻の際も、冀州の袁紹との戦いの時も、そして今回の魏呉連合との戦いにおいても、楽進率いる歩兵の仕事は無く、何一つ重用に報いる場が無かった。

 ただ、それも仕方の無い事だった。華雄率いる羌族の騎兵は、その強さをいかんなく始めから示し、李傕に恭順の意を示した馬騰、韓遂らも涼州という馬に恵まれた地の人々で、保有する騎兵の数は多かった。

 そして極めつけに李傕その人は、騎兵に対する信仰すら抱いているのではないかと思う程騎兵を重視していた。軍といえば騎兵。騎兵ならば勝利する。そんな方程式が彼の中にあるような人で、歩兵の活躍の場が無かった。

 だが今回、ようやく歩兵の、そして楽進の為の舞台が現れる事となった。

 この絶好の機会を逃してはならない。

 

―――次なる一戦を以って、受けた恩に報いるとき。

 

 西涼は攻城戦に不向きであり、今回の魏呉連合との戦いも、兗州へと攻め入るのは難しい状況であった。

 しかしそんな状況を打破できることが出来れば。その立役者が楽進であるならば、十分今まで受けた恩に対して報いることが出来る。

 楽進は両手の拳を胸の前でわざと音を立てる様に打ち合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西涼は決定通りに陳留へと全軍を進めた。

 城壁には遠目からも分かる程大層な兵数が集められ、石等も山積みであった。

 楽進は西涼軍の先陣に立った。仕官して実に初めてのことである。

 彼女の麾下は開門に全力を以って当たる為、兵士達の手には丸太が持たされていた。先を少し削り、尖らせた物である。

 一本を十人一組で門まで走り、城門へ打ち付ける。攻城兵器が現れる以前から存在するやり方である。

 それに対し于禁の兵は盾を装備していた。大きさはかなり大きく、近接戦には向かないであろうことは分かり切っていた。攻城戦が行われると聞き、楽進と于禁が意見を出し合いこの盾を配備させた。

 この盾兵は丸太を持った兵一人一人に寄り添うように、入り乱れて配置されていた。

 演習ではそれなりの結果を出したものの、実戦での運用は初めてである。

 そして楽進が居なければ、そもそも行うことの出来ない今回の戦い方。

 

「ふぅ」

 

 逸る気持ちを落ち着かせるように、楽進は一呼吸ついた。

 

「凪ちゃん。こっちの準備はおっけーなの」

 

「わかった。始めてくれ」

 

 于禁は一歩前に進み出て、歩兵達の視線を集めた。

 

「良く聞くの! 蛆虫共!」

 

 楽進は于禁の兵達に対する姿勢に感心していた。言葉数が少なく、指導というものに余り向いていないと自己評価をしている楽進とは違い、于禁はその辛辣な言葉で兵士達に緊張感と確固たる意志を言葉によって与える。

 仕官して初めて見る友の隠れた才能であった。

 

「今日この日よりお前達はようやく蛆虫を卒業するの! 死体に群がり死肉を食むだけの日々は終わるの!」

 

 その言葉は、意図せず楽進にも響いていた。

 ただ無為に禄を食むだけだった自分。于禁の言う死体に群がって、その死肉を食むだけの蛆と何の違いがあろうか。

 

「九黎の軍としての自覚を持つの! 騎兵こそが西涼の武と誰もが思う今、私達の力で城を落とし、その力を天下に示してやるの!」

 

「「「おおぉぉー!!!」」」

 

 先の戦である官渡の戦いによって、しばしば兵士達の間では蚩尤と九黎の名が流れるようになった。

 兵士達が憧れ、西涼を代表する存在である華雄―――蚩尤を筆頭に、西涼の面々―――李傕。馬騰。韓遂。馬超。閻行。楽進。于禁。丘力居。そしてこの場には居ないが治無戴を含めた九人が九黎になぞらえられた。

 哀れ馬岱。日々雍州で奮闘している彼女は本来武官であるのに、すっかり文官としての認識が定着しており、この中に入っていなかった。

 李傕が西涼の代表であるにも関わらず蚩尤の下につく九黎なのかという疑問の声や、そもそも九黎は悪しき存在では、という声もあった。しかし悪神であろうと神は神。戦神を筆頭に神の軍団の一員と思えば気分は悪くはない。

 

「角笛を鳴らすの!」

 

「皆行くぞ! 駆け足!」

 

 すっかり銅鑼代わりに定着した角笛の音が高らかに鳴り響き、彼等は走り出した。

 一歩、また一歩と陳留城が迫ると、空から雨の如く矢が降り注いできた。しかし雨避けの傘と言わんばかりに盾兵達はその大きな盾を空へかざし、自分や丸太を持った兵士達の身を護る。

 それでも完全に防げるというわけではない。僅かにはみ出た腕や足を射抜かれ、盾兵が倒れれば白日の下に晒された丸太を持つ兵が射抜かれる。

 しかし誰かが倒れればすぐさま補充として別の兵士が駆け寄り、進み続ける。

 やがてもう間もなく城門にたどり着く、という所で空から岩が落とされる。

 矢は防げても、重量のある岩はどうしようもない。また盾によって視界が遮られているため避けることも叶わず、兵士達は我が身に岩が落ちてこないことをただ祈ることしか出来なかった。

 ようやく一本目の丸太が、城門へと辿り着いた。

 本来ならば掛け声と共に城門に打ち付け、引いてはまた打ち付け、と繰り返して城門を打ち破るのだが、楽進率いる兵士達は違っていた。

 丸太を城門に一度ぶつけると、そのまま体勢を維持していた。

 楽進は走った。

 己の拳に気を集め、振りかざす。

 

「はあああああぁぁぁぁぁ!!!」

 

 城門に固定された丸太を後ろから彼女は思い切り殴り飛ばした。

 その威力は正に青空に響く雷鳴の如し。

 彼女の腕から丸太へと衝撃が、気が伝わっていき門へ大きな一撃を加え、丸太は衝撃に耐えきれず真ん中から炸裂し、丸太を持っていた兵士や楽進へと木片が飛び散り傷を作った。

 

「次!」

 

 彼女の頬や腕はかすり傷にまみれ、全身から血を流しているようにすら見える。そんな彼女の鬼気迫る声に従い、次の丸太が城門へと当てられた。

 既に先程の一撃で門は内側へやや開きかけていた。

 閂がひしゃげているのが外からでも目に見えるようであった。

 

「はああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 そして再び楽進の拳が丸太へと叩きつけられる。

 その瞬間。丸太は門を突き破り、内側からは悲鳴が上がった。

 

「お前達は穴を広げろ! 次の丸太!」

 

「開門の合図を鳴らすの! 門が開くの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽進が進軍して間もなくの事。開門の報せである角笛が鳴った。

 

「開門した……? 本当に?」

 

 李傕はあっけにとられていた。

 楽進か于禁がとち狂い、嘘の報せをしていると言われた方がよっぽど説得力がある。余りにも速い開門の報せであった。

 

「馬超軍進め! あいつらの努力を無駄にするな!」

 

 李傕が使い物にならないと悟ってか、馬超は一早く号令をかけて進軍した。

 

「馬騰軍、馬超に続け!」

 

 そして馬騰もそれを見て同じく進軍し始める。

 一瞬馬騰の視線が李傕とすれ違った。

 窘める様な、叱咤するような、責める様な視線であった。

 

「っ……! 全軍前進! 市街戦に入るぞ!」

 

 やや遅れて李傕も指示を飛ばし、華雄はそれに続いた。

 


 
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