No.1014207

恋姫†夢想 李傕伝 15

忙しくてちょっと期間が空きました。待ってる人は居るのだろうか。
華雄さんがとってもお強い小説だけど不完全燃焼。
烏(からす)鳥(とり)この小説に出てくるのは烏です。
弓騎兵は強い。モンゴルの戦絵図にもそう書かれている。古事記にもそう書かれている。

2019-12-30 02:07:31 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1231   閲覧ユーザー数:1190

『烏桓』

 

 

 

 

 魏の本拠地―――許昌。その居城の玉座には曹操が座っており、何やら珍しいものを持ってきたと言う商人がそこへ通されていた。

 曹操は人払いをし、荀彧だけを傍に付けてその商人達と会うことにしていた。

 顔が見えない程の大きく深い笠を頭にかぶった商人が二人。この笠は魏よりももっと南では一般的な物だ。

 曹操は既に笑いをこらえている状態だった。頬筋が震えながらも彼女は玉座から降り、その商人の傍へ寄った。それはつまり、上から目線で会話をするわけではなく、対等な立場で相対するという証であった。

 

「ばればれね。久しぶり、華琳」

 

「そこまでわかりやすい変装をしてくると思わなかったわ。雪蓮」

 

 商人二人組は、孫策と周瑜の二人であった。

 曹操は反董卓連合の後、孫策軍を許昌に招き宴の席を設けたので、一通り呉の面々と面識がある。周瑜もまた、その一人であった。

 今回孫策と周瑜がわざわざ変装をして許昌までやって来たのは、これから起こる西涼との戦に関する意見の交換の為であった。

 呉の君主自らがやって来るというのは本来ありえない行為で、当然呉の面々は一般的な国家間のやり取りとして代理の使いを出すことを提案していたが、孫策はそれに従わなかった。

 魏と呉は既に同盟を結んでいる。しかしこれを今公表するのは悪手であると、荀彧や周瑜は考えており、その為同盟を結んでいない体で、こうして会う必要が有った。

 何故同盟締結の宣言をしないか。

 魏と呉の軍師達は、それぞれ利点となる事項をあらかじめ自らの主君に伝えていた。

 まず一つは西涼に余計な緊張感を与えてしまう事。

 魏と呉が同盟をしたので、足並みが揃う前に素早く攻め入った方が良いという判断が下され、曹操らが意図しない時期に突然戦が起こらないようにするもの。

 そしてもう一つ。西涼は魏と呉が繋がっている事が確定していない為、呉がおそらく魏と結びつくのではないかという疑問を抱いている状況にある。

 となれば西涼は当然呉が魏に協力しないことが望ましい。呉に近づき、魏と手を組まないように工作を持ちかけてくる可能性がある。もしそうなれば魏と呉はそれを共有し、従うふりをして西涼に一撃を加えることが出来る。

 よって現在はまだ宣言をしておらず、こうして内密に会うという事を行っている。

 

「色々積もる話はあるけれど、貴方の下へも来た?」

 

 そう言って曹操は件の寝間着を取り出した。

 孫策は頷く。彼女があえて自ら曹操の元へやって来たのは、この寝間着の存在があったからこそだ。

 

「ええ。密勅だなんて、面白い事をするわよね董卓って」

 

「劉表や陶謙は動くかしら?」

 

「何ともいえないというのが、呉での結論だったわ。劉表はまだしも、その下の者達や陶謙なんかは、自身の領の為なら降伏も辞さないという人柄だし」

 

「まぁ、そうよね」

 

「ただ一つ朗報があるわ。劉表の下に身を寄せていた劉備が、西へ向かった」

 

「益州攻略と、その後の北上ね。確かに私達にとってこれは有益だけど、時間がかかりすぎるわ。無いものとして考えるべきね」

 

 劉備一行は劉表から兵を譲り受け、益州攻略へと向かったらしい。

 これが早期に為されれば、曹操ら東側の戦線は大変楽になる。ただ、どれ程時間がかかるかが予想できない。

 

「劉備らの存在も考慮するとして、まずは打って出るか、それとも籠城をするべきか。曹操殿にお伺いします」

 

 周瑜は西涼とぶつかる戦地がどこになるかを尋ねた。

 魏呉は対等な同盟関係を結んでいるが、戦地となるのは魏か西涼の地。曹操にその決定権はあった。

 

「正直な所、籠城は好ましくはない。でも、そうは言っていられない。そうよね桂花」

 

「はい。西涼の主力は騎兵。歩兵の数は少ないので、籠城が適切でしょう」

 

 籠城をする場合、西涼と隣接している兗州の城は陳留と濮陽の二つ。

 曹操は十一万の軍を抱えて入るものの、その全てを回すわけにはいかない。本拠地である許昌にも兵を残すので、二つの城にそれぞれ四万ずつ配置。西涼が攻めてくれば順次兵を動かすという形になる。

 曹操が好ましくないと発言したのは、籠城をする以上、曹操の治める兗州に西涼軍が入ってくるという事。これは戦の勝敗がどうあれ、兗州に西涼が入ってくれば民が、田畑が被害にあう。

 また、この時代の城とは巨大な城壁に囲まれた街の事を指す。

 許昌という今彼女達が居る城も例にもれず、居城の下は城下街という形になっており、人々が暮らしている。

 籠城とは、この街に立て籠る事であり、門がもしも破壊され敵兵が城の中へ入ってきてしまったら当然城下街の民が犠牲になってしまう。

 そのため籠城は戦略上良い物であっても好ましいものではない。戦が主に城の外で行われるのはこれが原因である。

 

「まぁ騎兵で城攻めは難しいわよね」

 

 城攻めは基本三倍の兵力が必要になると言われている。また、城を囲み兵糧攻めという行為をするのであれば、孫氏の兵法曰く包囲には十倍の兵力が必要とのこと。

 そもそも西涼がどれ程の戦力を出してくるかはまだわからないが、三倍の兵力というのは難しいだろう。さらに攻城戦に向かない騎兵が主力なのだから、不可能ともいえる。

 

「私は総計八万出すわ。それぞれに四万ずつ」

 

「私達は四万出せるわ。陳留と濮陽にそれぞれ二万。となればそれぞれ六万で籠城ね」

 

 孫策の言葉に曹操は頷いた。

 兗州の陳留と濮陽は六万ずつ。つまり単純計算で西涼は片方に最低でも十八万の兵が必要になる。もっとも、戦とは何が起こるかわからない為、それを絶対の考えとしてはいないが、目安にはなる。

 さらに西涼がこの二つの城を同時に攻略しに来たならばそのまま籠城すれば良し。片方に攻めてきたのならば、二万は動かせるだろう。うまくいけば城から打って出て、援軍と挟み撃ちにすれば良い。

 

「でもね華琳。私は官渡で戦うべきだと思うのよ」

 

「雪蓮! まだそんなことを!」

 

「官渡?」

 

 孫策は突然籠城では無く野で戦う事を提案してきた。官渡は冀州の中にあるので、防衛では無く侵攻である。

 確かに冀州へ攻め入るというのは悪くない案である。今回曹操は籠城による防衛を想定していたが、今現在西涼は袁紹との戦いが終わり、兵力も損耗した所。その回復を待たずに責めると言うのは悪くはない。それに、曹操としても本当ならば兗州に西涼軍を踏み入れさせたくはない。

 しかし何故官渡なのか。

 

「ああ、そういうこと」

 

 曹操が言ってにやりと笑うと、孫策も同じように笑みを浮かべた。

 

「桂花。貴方は私達が官渡で戦うことについてどう思うかしら?」

 

 促された荀彧は、やはり何故と困惑していた。

 

「こちらから冀州へ攻め込むのは悪くは無い案でしょう。西涼はまだ傷が癒えておらず、此方は万全の状態。野戦でも相対するのは悪くはないかと」

 

 しかし、と彼女は続ける。

 

「やはり最良は籠城であると怖れながら申し上げます。現在劉備らが益州に向かっている状態。時が来れば私達が有利になるのですから、それを待つのが良いかと」

 

「確かにそれは私もそう思うわ。では桂花。何故雪蓮は官渡を戦場に選んだと思う?」

 

「官渡を……わかりません」

 

 曹操の問いに荀彧は少し考えたが、素直に答えた。

 

「それはね―――」

 

 曹操は荀彧にその理由を教えた。

 荀彧はなるほどとは思いつつもやはり困惑した顔で、視線を周瑜へと向けた。それは助けを求める物で、周瑜はその視線に気づき、視線をそらした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呉が魏に合流し、が豫洲より出立し冀州へと侵攻。

 その報告が入るや否や、西涼の面々はそれぞれの持ち場を離れて、瞬く間に冀州へと集まった。

 元々郭嘉と程昱は西涼軍が豫洲へと攻め入り攻城戦を行う事を示唆していたので、まさか相手が攻めてくるとは思ってもみなかったのだ。全員が、驚き、慌てた様子であった。

 

「曹操殿がまさか攻めてくるとは想像もしなかったのですよー」

 

「私もです。現在魏呉連合は官渡にて布陣しているとのこと。そこから動く気配は無いようです」

 

「官渡に?」

 

 李傕は郭嘉の報告に思わず声を上げた。

 どこか様子がおかしいので、郭嘉は不思議に思ったが質問に答える。

 

「はい。何故かここから前へ進もうとはせず、止まっているようです」

 

 李傕と華雄は互いに顔を見合わせていた。

 華雄と李傕は二人同時に笑顔を見せあい、大声を上げて笑うのを抑えているようであった。

 

「つまりあれか。華雄を殺すという宣言か」

 

「中々趣のある行動だな。私の評価は高いぞ」

 

 くつくつと二人は笑い声を抑えながら笑う声が天幕に響く。

 居並んだ他の将達はその様子を不思議がって首を傾げるばかりであった。今の所二人の会話から出て来た情報は華雄を殺すという意志が相手から伝わってきているというだけであるからだ。

 

「全員にわかるように説明してもらえますかー?」

 

 この場に集まった将達の言葉を代弁する様に程昱が言うと、李傕は笑顔のまま全員を見渡した。

 未だ笑顔と真顔を切り替えられないでいる様子であった。

 

「ああすまん。華雄が蚩尤と呼ばれているのは知っているな?」

 

 それは周知の事実であった。

 西涼を代表する人物ともいえる華雄。彼女は戦神蚩尤と呼ばれている。

 

「蚩尤が黄帝と応龍によって討ち取られたのは涿鹿という地だと言われているが、一説では冀州の官渡とも言われている」

 

 その瞬間大半の者達はなるほどな、と納得した。

 曹操が今展開している官渡は蚩尤が討ち取られた地。それが意味することはつまるところ、華雄をこの地で討ち取るという意志の表れであった。

 それに、こういった願掛けは士気に大きな影響をもたらす。

 神話の通りに黄帝と応龍を曹操と孫策に見立て、対する蚩尤を華雄とすれば、自分達は神話の再現をする兵士となる。どれ程彼等の士気が上がるか等、想像に易い。

 

「私の晴れ舞台というわけだ。神話の蚩尤よりも私の方が強いと証明が為されるこれ以上ない状況だ」

 

 華雄はいつになくうきうきと心躍らせている。李傕に比べて付き合いの短いこの場に居たもの達はその珍しい様子に、彼女もこんな一面があるのだなぁと思っていた。

 

「我々は官渡へ進軍し魏呉連合と相対する。異論がある者は?」

 

 李傕の言葉に異を唱える者は居なかった。

 西涼軍にとって野戦は願ったり叶ったりであった。

 

「よし。決まりだな」

 

「本当に討ち取られるなよ?」

 

「はっ。ぬかせ」

 

 華雄と李傕の間で行われる会話に入り込める者は居なかった。

 二人は時折こうして普段見せない顔を二人の間でのみ見せる。そういう時、間に割り込む無粋な者達はこの場には居なかった。

 

「失礼します! 劉虞様がお戻りになられました!」

 

 天幕へやって来た彼のように、雰囲気というものを知らない者達を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏侯淵は指示を受けた通りに軍を展開していた。

 彼女が率いる軍は三万。

 森の中に潜み、時を待っている状態であった。

 魏呉連合の軍議では魏の荀彧と呉の周瑜が主に意見を出し合い策を練っていた。戦における勝利は前提として、いかに被害を少なく敵を壊滅させるか。そのような議題に移り変わった頃、荀彧は一つの策を提示した。

 十面埋伏。

 官渡には伏兵におあつらえ向きな森が存在し、そこに伏兵を潜ませるべきであると彼女は言った。

 伏兵とは、居ないはずの場所から敵が現れる事によって兵が驚愕し、戦意が低下するだけではなく、本来ならば中々作り上げられない包囲という状況を強引に作り出せる。

 荀彧はあえてこの伏兵の数を細かく分ける事を提言した。

 突然周囲から一斉に三万もの敵が現れ包囲されれば、敵は当然驚き逃げる。だがこの伏兵の数が例えば二千程であったならば。敵の数にもよるが気にも留めず進み続けるだろう。さらに進めばまた伏兵が現れる。その数は三千。まだ大したことは無い。

 そうやって数の少ない伏兵を十回にも渡ってちらつかせ、最終的には三万の夏侯淵率いる部隊が敵の背後から包囲する様に迫り、森を抜けた先で本隊と共に一気に殲滅するというもの。

 

―――随分と恐ろしい事を考えるものだ。

 

 夏侯淵は策を立案した荀彧や、それをさらに詰めていった周瑜らに敬意と怖れを抱いた。

 定石に当てはまらない奇策を用いて敵を一気に殲滅する。軍師らの手腕としてこれほどの物は無いだろう。

 西涼の華雄は騎兵の戦い方というものを熟知しており、決して止まることは無いという。彼女がこの森に足を踏み入れれば、神話の通り、蚩尤は官渡にて討ち取られることとなる。

 夏侯淵は鬱蒼とした森の中、息を潜めて潜伏していた。

 

「カァ! カァ! カァ!」

 

 先程から、やけにうるさく鳴いている烏(カラス)が一羽、頭上を飛んでいた。鳥などどこでも鳴くだろうし、鳴いていたからどうしたという話ではある。

 しかしある一つの思いが夏侯淵の脳裏にこびりついて離れなかった。それは余りに荒唐無稽で、後にも先にもおそらくそんなことは無いと思った。

 

―――いや、しかし。いや、無いだろう。いや、あり得るのか?

 

 ぐるぐると彼女の思考は回る。

 伏兵として静かに隠れているという状況が、音に対し敏感になり余計な思考を頭によぎらせているだけ。

 夏侯淵はそう思い込むようにした。

 

「カァ! カァ!」

 

 だが一向に烏は鳴き続け、自分達の頭上を飛び回っていた。

 

―――まさか本当に……?

 

 夏侯淵は空を見上げた。そして烏が、自分達を見ていた―――様な気がした。

 ぞくりと身を震わせた彼女は思わず矢をつがえ放った。その一矢は吸い込まれるように烏の体に突き刺さり、烏は地へと落ちていった。

 空を飛んでいる烏を射るその見事な腕前に、傍にいた兵士が思わず小さな声でおお、と称賛の声を上げた。

 そして次の瞬間。

 それは、夏侯淵の抱いていた予感が的中していたことを嫌でも理解させられた。さらにいえば、その予感に対し自分が起こした行動は、最悪の結果をもたらす悪手であったことを思い知らされた。

 

「「「カァ! カァ! カァ!」」」

 

 突如として数えきれない程の烏が、ばさばさと音を立てて空へと舞いあがった。木々の中から飛び出した烏達はこれでもかというくらいに鳴き始め、夏侯淵たちの頭上に円を描いて滞空していた。

 時折、烏は群れになって空に円を描いて飛びまわることがある。

 一説によると、その真下には仲間の烏の死体があり、烏が仲間の葬式をしているのだという。ただそれは噂に聞いているよりも悍ましい光景であった。

 

―――間違いない! 私は間違っていなかったのだ!

 

「撤退だ! この場所に気づかれている!」

 

 夏侯淵は急ぎそう伝えた。

 だが、突如として馬蹄の音が近づいてきていた。

 

「駆け足! 敵がそこまで迫っているぞ!」

 

 ありえないと夏侯淵は頭の中で何度も叫んでいた。

 

―――烏を飼いならし、斥候として使う? そんな馬鹿な!

 

 だがこれが現実だった。あの烏は自分達をはっきりと認識していたのだ。

 ここは森という騎兵にとっては中々移動しにくい場所である。本来想定していた敵の通るであろう街道は、人が通りやすいように道が出来ていて、馬もそこならば移動はしやすい。

 しかし馬蹄の音は森の中から聞こえる。木々が障害物となり、根が足場の障害となるこの森の中を、騎兵が近づいてきている。

 突如として矢が飛来してくる。

 それによって夏侯淵の率いてきた兵達が次々に撃ち抜かれ、倒れていく。

 走りながら振り返ると、先頭を走る弓騎兵が視界に入った。それは馬に乗った巨大な烏であった。烏の頭に弓矢を持った子供くらいの人の体。まごうこと無き化け物がそこには居た。

 いや、よく見ればそれは被り物であるようだった。

 夏侯淵の幼い頃の記憶―――主君である曹操の生家である曹家には、虎や熊の皮を丸ごと剥いだ絨毯が幾つもあった。頭から尻尾まで丸ごと皮を剥がれた虎皮の絨毯をかぶり『虎華琳だぞー!』とはしゃぐ主君の姿を思い起こせば鼻血の一つも出てしまいそうになるものだが、状況が状況であった。

 あの大烏は当時の虎華琳様と同じだろう。

 烏の目や嘴等は余りに精巧で、作り物とは思えない。実際にこれほどの大きな烏が居て、その皮をはいで被り物にしているのではないかと思うような物。だがこんなにも大きな烏がこの世に存在するのだろうか。

 今、彼女はあり得ない者を見ている。

 森という馬を走らせるに適さない地を縦横無尽に走り回り、しかも手には弓矢を持っていて手綱を一切握っていない。

 夏侯淵は先頭を走る巨大な烏がおそらく兵を率いている者であると感じた。

 矢をつがえ、放った。

 真っ直ぐ飛来するやは完璧にその大烏の頭部を射抜くべく飛んだが、それは一瞬のうちに矢が弾けた。

 何が起こったのか、一瞬夏侯淵はわからなかった。

 その馬に乗った烏は夏侯淵が矢を放った瞬間に矢をつがえ、夏侯淵の矢を自らが放つ矢で撃ち落としたのだ。

 

―――そんな!

 

 失敗すれば自らに矢が刺さり絶命する。そんな状況下において冷静に相手の矢を撃ち落とした。それも、揺れる馬上の上で。

 同じことを自分が出来るかと問われれば、出来ないと答えるだろう。弓に熟知しているからこそわかる事。相手はそれを容易く行った。

 

「ぴーぴーぴーぼぼぼぼぼ」

 

 その声は小さかったが、不思議と馬蹄の音よりも良く聞こえた。

 何を言っているのかさっぱりわからない言葉を呟きながら、彼女は次の矢を番え、引き絞っていた。

 放たれる矢。

 それは余りにも速かった。夏侯淵が見たところ、巨大な烏の正体は子供の体躯で、弓は小さめの短弓であった。

 短弓は夏侯淵や一般的な弓兵が使うような弓とは違い、その名の通り短く小さい。当然飛距離も落ちれば速度も落ちる。しかしそのしなりが他の弓よりも強靭なのか、放たれる矢の速さは夏侯淵の矢にも引けを取らない。

 

「ぐっ……!」

 

 あっという間に夏侯淵は左足の太ももを撃ち抜かれた。痛みにうずくまりたくなる気持ちを跳ね飛ばし、右足で強く踏ん張り何とか倒れずに済んだ。

 傷口の状況を見ようと己の足に視線を向けた夏侯淵は一瞬で気が付いた。

 今足に刺さっている矢の羽の形―――甲矢だった。

 という事は次がある。

 甲矢と乙矢は二矢で一手。

 甲矢で移動を阻害し、乙矢で仕留める。狩における基本中の基本。

 振り向いた先には馬の上で既に矢を引き絞っている大烏が見えた。

 

―――華琳様……申し訳ございません……。

 

 死を覚悟したその瞬間、再び烏が一斉に飛び立った。夏侯淵が今まさに逃げるために向かっていた方角である。かなりの数で、その羽ばたきと喧しい鳴き声が追加で木霊する。

 すると何故か夏侯淵を追いかけてきていた弓騎兵や大烏は馬を翻し撤退していった。

 

「逃げきれた……のか?」

 

「夏侯淵! 無事か!?」

 

 烏が一斉に飛び立った方角から近寄って来たのは黄蓋だった。本当ならば森を抜けた先で敵を包囲する為に布陣していた彼女は、馬に乗って一目散に夏侯淵の方へ近寄って来た。

 

―――つまり、そういう事なのか……?

 

 烏が黄蓋ら援軍の到来を報せ、引き返していったと言うのか。

 

「すみません。助かりました」

 

「様子がおかしいので来てみたが、何があった? 伏兵を看破されていたのか?」

 

「黄蓋殿、敵は、烏を斥候として使い、私達の存在を把握していたのです」

 

「烏を? それは真か……?」

 

 黄蓋は信じられないような顔で夏侯淵を見た。

 烏は不吉の象徴であり、人になつかない鳥であるとされていた。何故烏が不吉なのかというと、例えば戦場跡の死体や、罪人が処罰されて城門に晒された時等、死体に群がりその死肉を食むのである。

 つまるところ死のある所に現れる鳥。凶兆の証ともいわれる所以である。

 また、烏は決して人に懐かない鳥でもある。

 伝書鳩という鳩を使った文通のやり取り等は意外と行われてはいたが、烏がその役目を担ったことはいまだかつて一度も無い。

 

「とにかく治療をせねば。報告もその後で良かろう」

 

 黄蓋は馬上から手を差し伸べ、夏侯淵の手を取ると馬上へと引っ張り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左足を負傷した夏侯淵は、その治療を施された後、魏呉連合の軍議の行われる天幕へと向かった。

 傍には黄蓋が居り、肩を貸していた。

 

「まずは報告を」

 

 曹操は夏侯淵の負傷を聞き、表情にこそ現さないものの声は怒りに塗れていた。

 今もこうして魏呉の面々が居並ぶ場でもその声色を変えようとしない程に、彼女の心境は穏やかではなかった。

 

「敵は烏を使って戦場を見渡しています。私の頭がおかしくなったのではなく、事実です」

 

「夏侯淵のいう事はおそらく本当じゃ。森に入った瞬間烏が突然飛び立ち、まるで合図を告げるかのように鳴き喚いておった」

 

 黄蓋は夏侯淵の荒唐無稽な主張を援護する様に言った。

 当初疑うような声を上げた黄蓋も、移動中や治療をしている間に話を聞き、実際に森へ入った瞬間烏が飛び立ったことからもそれが本当であることを確信していた。

 

「つまり、伏兵の類は一切通用しないわけね?」

 

「そのように思います」

 

 夏侯淵は自身の弁明が嘲笑われると思っていたが、そうではなかった。

 曹操は何やら考えているようで、顎に手を当ててしばらく目を閉じていた。

 

「西涼に烏を扱う者達がいるという話を聞いた者は?」

 

 曹操の言葉は魏の面々に向けられていた。

 西涼と戦が間近に迫り、その情報を多く集めていたが、今夏侯淵の報告にある烏の存在は誰も知り得なかった。

 

「その、烏についてはわかりませんが、弓騎兵になら心当たりが」

 

 声を上げたのは呉の周泰であった。

 隠密行動に長けた彼女は、色々な場所を巡って情報を集めたりする役目が多く、弓騎兵について心当たりがあった。

 

「ええ。たぶん全員が同じように思っているわ。つまり、合流したのね」

 

「おそらく。実際、接触を試みようとしている話を聞きました」

 

 曹操は重苦しく溜息を一つついた。

 

「五胡の一つ―――烏桓。山岳の狩猟の民が西涼に入った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 策は様々存在すれど、それを見破るのは容易ではない。

 単なる伏兵とて、例えば高低差があれば、斥候によってその存在を事前に察知するのは難しい。

 しかし現状西涼に存在する烏桓は、烏によってそれらを全て察知できる。

 高い場所に居ようが森の中であろうが、烏が移動できる場所ならばどこでさえも。

 未だかつてこれほど理不尽な戦況がこの世に存在しただろうか。それこそ神話でさえも、こんな事は起こり得なかったはずだ。

 荀彧はせっかくの奇策をたかが烏によって台無しにされ、親指の爪を噛んでいた。

 魏呉連合は以降、伏兵や奇策を用いることが出来ない。

 求められているのは純粋な用兵。それもこの官渡という平野で。

 西涼が最も得意とする戦いに引きずり出されてしまう。しかも、それを打破するためには将達の純粋な強さや兵の運用に委ねられる。

 

―――そんなのあり得るわけ!? ああ面白くない!

 

 将兵が剣や槍で戦い合う様に、軍師は互いの策を読み合い策で戦う。それは烏というどこにでもいる存在によって相手だけが策を用いることが出来、此方は一切が封じられる。

 今この場で用いるわけではないが、火計も水計も空城の計も何もかもが、烏によって兵士達の存在を察知されたら終わりである。

 魏呉連合は森を避けて、平野に展開しなおした。

 その空には烏が飛んでおり、離れている連合の陣営にまで鳴き声が聞こえてくる。

 純粋に平野でぶつかり合うという事が決定すると、それに一番乗り気だったのは孫策であった。

 彼女はこの中で唯一直に華雄の一撃を剣で受けている。

 ある意味固執しているともいえる。華雄は強く、その強い相手と戦いたいと彼女は熱望していた。

 しかし流石に先陣に呉の主君を据えるわけにはいかないと、戦列を変えられ中央に下げられてしまったが、それでも彼女はおそらく機を図って突出すると荀彧は睨んでいた。

 どぉん、という体の芯から揺さぶる進軍銅鑼が鳴り響き、魏呉連合が前進し始めた。

 荀彧は今回の戦いで献策することは出来なかったが、今後どのような判断を下すかを考えるため戦場を馬の上から見ていた。

 何万という魏呉連合が一斉に動き出したのに対し、西涼軍からは僅かな兵だけが真っ先に駆け出した。

 華雄だろうか、と荀彧は目を細めてみていたが、どうやら違うようだった。

 それは遠目にもわかる異形の存在。

 夏侯淵の言っていた頭が烏で子供程の体を持つ化け物。烏桓の族長―――丘力居。

 

―――待ちなさい桂花。何かを見落としているわ!

 

 その姿を見た瞬間、荀彧は何か大切なことを忘れている気がした。

 丘力居という化け物に対してではない。初めて見たのは間違いないし、それがどれだけ強くとも考慮することでは無い。

 

―――何を忘れているの? 丘力居ではない……烏? それも違う……。弓騎兵……?

 

 荀彧は鳥肌が立つのを感じ、顔をはっと上げた。

 

「いけない! 撤退の合図を!」

 

 荀彧は馬を駆けさせた。

 余りにも烏によって策を見破られた事や、烏の所為でこちらの策が封じられるという出来事の驚きや怒りといった感情によって、最も初歩の情報を忘れていたのだ。

 烏桓は弓騎兵であり、たびたび漢に進行してきた異民族。

 その強さゆえに、幽州を治めていた公孫瓚は白馬義従という独自の弓騎兵を用意したのだ。

 何故彼女はそうしたのか。

 そうしなければならない理由があるのだ。

 それを、忘れていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏侯淵は足の負傷ならば馬に乗れば大丈夫だ、と言い張り、戦場へと戻った。

 

「こういう時は大人しく天幕で酒でも飲んでいるべきじゃろ」

 

 黄蓋は呉の弓の名手で、夏侯淵とも話が合う人物だった。反董卓連合の後の宴の際にも少し会話をしたが、今回こうして会話をする機会が多く、最も打ち解けた別勢力の人物であった。

 

「せっかくの策が台無しになってしまいましたから。少しでも戦果を挙げなければ」

 

「そう急く気持ちも時には大事じゃが……死に急ぐなよ?」

 

「ええ。勿論です」

 

「うむ。なら良い」

 

 黄蓋は夏侯淵と共に軍を率いる事を願い出ており、承諾されていた。ずいぶんと過保護な人だなぁと夏侯淵は思ったが、好意は素直に受け止めた。

 そして進軍銅鑼が鳴り響いた。

 

「良し、行くぞ」

 

「進めぇ!」

 

 夏侯淵と黄蓋は二人で二万の騎兵を率い、先陣を切って走り出した。

 二人の前に現れたのは、およそ五千程であった。

 先陣を切って軍を両断したあの華雄の姿はそこには無く、夏侯淵が森で見たあの大烏とその一団だけが迫ってきていた。

 

―――あれは全員が烏桓なのか……?

 

 彼らは全員弓を手にしており、その頭上を烏が相変わらず鳴きながら飛んでいた。

 正面からぶつかれば簡単に吹き飛ばせる程の戦力差。

 何も迷う必要はない。

 夏侯淵は矢をつがえ、間もなく先頭を走る丘力居と思われる大烏が射程に入るのを待ちながら馬を進めた。

 そしてあと僅かという距離に至った瞬間、ぴいぃという甲高い音が響いた。

 丘力居が弓を持つ手の親指と人差し指を口に運んでいたので、それが指笛であることを夏侯淵は悟った。そして烏桓の弓騎兵達は隊列を崩し、一斉に散り始めた。

 

「っ!?」

 

 夏侯淵は矢を向けていた丘力居も突然、右方向を変えたので、それを追うために進路を変えた。

 

「待て! 行くな夏侯淵!」

 

 夏侯淵が方向を変えれば当然背後からも兵士達が付いてくる。

 黄蓋は突然夏侯淵に静止の声を掛けた。

 彼女が何故夏侯淵を止めようとしたのか、その答えはすぐに出た。

 丘力居を追おうとした夏侯淵とその一団が、あちこちに散った弓騎兵達から矢の雨に晒され始めた。

 麾下の二万は騎兵なので、接敵しなければ戦いにならない。一方的に矢の雨に晒されている状況に陥った。

 夏侯淵は矢を引き絞り、追っていた丘力居へと矢を放った。

 驚くことに彼女は馬上で振り返って移動しており、夏侯淵のその矢を、再び自らの矢で撃ち落とした。

 

「くっ……!」

 

「ええいこの化け物!」

 

 黄蓋も続いて矢を放ったが、結果は同じであった。

 丘力居は正確無比に、矢に矢を当ててくる。

 そしてこうしている間にも周囲から矢は飛んできている。

 どうにか追いつかなければ相手の兵を一人も討ち取ることが出来ない。しかも今追っているのはたった一人。

 夏侯淵が振り返ると、背後の騎兵達が次々に落馬していくのが目に入った。

 

「これが……烏桓の戦い方」

 

 手が届きそうで届かない距離を保ち、一方的に矢に晒される。

 こんなのは戦いではない。

 

「下がるぞ夏侯淵! これは無理だ!」

 

 丘力居は追っても仕方がない。そうまざまざと理解させられ、夏侯淵は進路を変えた。すると次の瞬間、矢が飛んできた。

 思わず体をよじることでそれを回避することが出来た。丘力居もまた進路を変えており、今度は守りではなく攻めに転換していた。

 大烏の被り物からはみ出ている顔の下半分。

 その口元が挑発する様に片側だけが吊り上がっているのが見えた。

 遊ばれている。

 

「見ていていいのか? こっちを」

 

 突然彼女からそんな言葉が投げかけられた。幼い少女の声だった。

 はっとして周囲を見回した夏侯淵は、烏桓の弓騎兵が夏侯淵へ向けて矢を引き絞っていることに気が付いた。

 

―――まずい……!

 

 彼等はあちこちに存在していた。そのどれもが単騎で、そして距離を保ち、弓を構えている。

 誰が自分を狙っているのか全く分からない。襲い来る矢は正確に飛来し、騎兵達は何もできずその矢によって射抜かれていく。

 

「何故見ているんだ? そっちを」

 

「夏侯淵!」

 

 突然左肩に痛みが走る。

 突き立った矢は丘力居によるものだった。

 彼女程の腕前ならば、夏侯淵の頭を撃ちぬくなど容易であるはずだ。それをあえてしない。

 この狩り人は、得物をいたぶって楽しんでいるのだ。

 反撃の手段を持たない得物を前にし、圧倒的優位にある位置から弄んでいる。

 どうすることも出来ずとにかく離れようとする為に動く夏侯淵の元へ、ぶおおというやや低い音が鳴った。

 すると丘力居は再び指をくわえて甲高い指笛を吹いた。

 その音が響くと烏桓の弓騎兵達は戦場から離れる様に左右に一斉に移動した。

 

「何が……どうなって……」

 

 彼女の元へ迫ってくる土煙。

 その先頭にいるのは、戦斧を携えた女の姿。

 戦神華雄。

 彼女もまた手綱を握らず、数多の騎兵を引き連れて、凶悪な笑みを浮かべて、迫ってきていた。

 士気はもう下がり切っていた。

 あの烏桓の弓騎兵達を前に、何もできず、一方的に麾下を失っていた。

 夏侯淵は黄蓋と共に、どれだけ被害が出ていようと下がる以外の手段を持っていなかった。

 迫りくる戦神によって、どれだけこれからまた被害が出ようとも。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
2
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択