TINAMIX REVIEW
TINAMIX
東浩紀インタビュー TINAMI(X)との対話 オタク的図像と検索型世界像
東:東浩紀 ま:まさしろ 相:相沢恵

3.オタク的なデザインの世界と検索

東:
デザインに対する考え方は、基本的に二種類あると思うんでよ。すごく単純に要約すると、ひとつは対象物が美しいかどうか、グッドデザインであるかどうか。つまり、客体=対象に関わる基準。もうひとつは、その対象に自分がどこまで萌えられるか、のめり込めるか、的なフェティッシュな基準。こちらは完全に主観に関わる基準で、だから、対象物は普通の意味で汚くて醜くてもいい。けれど僕は、オタク的図像の基準というのは、どうもそのどちらでもない感じがするんですよね。別のパターンで作られ、判断され、消費されているという気がする。

ま:
そうだとすると、オタク絵の裏というか、その仕組みを規定しているものはどういうものになるのか、という話になりますよね。そうするとさっきも少しいったんですけど、僕らはこの絵はかわいいと思うけれども、ちょっと目が近づいたらこの絵はダメだよ、という話になったり、ディフォルメの問題でも鼻の穴があったらかわいく見えない、という話になったりすると思うんですよ。

注5:ポストモダンのモデル
深層には、それだけでは断片的な情報にすぎない、データが集積した不可視の世界(データベース)があり、それを主体が、表層=可視世界(インターフェイス)上に多様に読みだすことで世界を認識しているというモデル。またこうしたモデルにおいては、深層のデータベースは単なる数の集積なので計算可能だが、表層はむしろ計算不能になっているとされる。後者の例は、オタク的図像にある種の人格や心(計算不能性)を読みとる態度にあらわれているだろう。

ではそれを規定しているものはなんだろう、というときに、一連の東さんの講演で興味深かったのが、ポストモダンの「見えるもの/見えないもの」のモデル*5なんですね。僕らがマンガやアニメの図像を楽しむときに、裏の方にデータベースが「見えないもの」としてあり、僕らが見ているのは、そのデータベースから引かれた「目の大きさ」「鼻の小ささ」だと思うんですね。僕らがどういうものを図像として認識するのか、というおもしろさの一方で、「裏に見えないデータベースがある」というモデルを検索のシステムとして盛りこめたらおもしろいと思うんですよ。

東:
まさにそこの部分を、TINAMIに見せてもらいたいですね。オタク系文化はとても捉えにくい。というのも、それは一個の美意識に貫かれた文化じゃないから。でも、それが十個だか百個だかわからないけど、きっとなんかの基準はあるはずですね。その十個か百個の基準の組み合わせでやっているという感じは、みんな共有してると思うんです。各人が勝手に絵を描いているんじゃなくて、オタク系文化全体を規定するロジックは絶対にある。

ただそのロジックは、かつて古いタイプの芸術運動を支えてきたような、線形的な発展のモデルではない。いくつもいくつもパラメータがあって、それを組みあわせて勝負している。でも、そのパラメータの世界は確固としてあるわけだから、その全体を示すのはいろいろな意味で刺激的な作業だと思う。クリエイターにも消費者にも役立つんじゃないですか。TINAMIがそういうものになると、僕としてはとても嬉しいです。

写真3

インターネットについてしばしば言われる議論に、いっぱいデータがあると、逆にその基準が見えなくなって検索エンジンとしては使えなくなってしまうんだ、という話がありますね。僕はこうした発想は、検索の働きについて、イメージとして勘違いしているんじゃないかと思う。僕は素人なんで乱暴に言ってしまうけど、検索って、いわば「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の世界でしょう。たとえば「相沢恵」を検索するとして、検索エンジンは、何もすべての「相」と「沢」と「恵」を拾ってくるわけではない。普通は、まず入力語を「相沢」と「恵」のふたつに分解して、その両者の組み合わせに対応したベクトルが一個つくられて、このベクトルに近いベクトルを持っていると登録された文章を、距離が近い順に次々と選んでいくシステムですね。だから、検索エンジンは別に全体を見渡しているわけではない。言い換えれば、全体をスキャンしているわけではない。まず高次元のベクトル空間があって、読み出されるものはつねにその局所にすぎない。

そういうことから逆に振り返ると、データ空間が無限に拡がるから全体を見渡すことができない、かえって不透明になるという発想は、むしろツリーモデルに基づいている。階層構造が大きくなっていくと、階層の下が見えなくなるから、結局ツリーがないのと同じことになってしまう、というパラドックスですね。でも僕は、これはインターネットについて一面的すぎる見方だと思う。検索というモデルは、またまったく違った世界観を求めている。青山ブックセンターでの講演の話に繋げると、ツリーモデル、すなわち映写機モデルの世界観がまずひとつあって、それに対して、ポストモダンのデータベース・モデルはまたまったく違うモデルなんですね。そういう関心から見ても、TINAMIがいまオタク系文化のデータベースを視覚化しようと試みているのは、とても重要なものだと思うわけです。

ま:
その場合やっている方としてはジレンマもあって、見えない世界を見えるように記述するのはおもしろい試みだと思うんですが、やはり最終的には見えるものとしてすべてを記述できるわけではない。というのも、見えないものがすべて見えるというのは、モダン的ではないですか。

東:
全部ツリー型の階層構造で見えるものにしていく、というのは確かにモダニズムの理想ですよね。でもその点では、検索エンジンというシステムには、最初から一種の諦めがあるんじゃないですか。世の中すべては見えない、でもそのなかで局所的・暫定的に見えるようにしていこう、そのための技術を整えていこう、というのが検索の基本的な考え方だと思うんです。それで、その技術として出てきた高次元ベクトル空間のモデルに僕はいま関心があって、ニューラル・ネットワークの話もそうだし、TINAMIの話もそうなんだけど、それまもうもっと身近にも体験できますね。たとえばいまマッキントッシュのOS9に搭載されている「シャーロック2」*6だって、結局、ハードディスクもさすがにギガバイトの単位になると、どこになにがあるか忘れちゃうだろう、という必要性から生まれてきたものでしょう。それで、この「シャーロック2」を起動すると、G4なんかでも20時間くらいガリガリ……(笑)【クリックすると動画を再生します:要RealPlayer】

注6:シャーロック2
MacOS9以降に標準装備の多機能検索ツール。コンピュータのローカルファイルに関する検索はもちろん、インターネットへの検索も可能になっている。ここでは、シャーロック2が検索を迅速に実行するために、1日1回、HDD内のデータのインデックスを作成する機能のことを指し示している。ちなみにインデックス作成時には残り時間が表示されるのだが、それはたいていの場合数時間以上かかる、と表示されていることが多い。

ま:
放っておくと、黙って一日に一回くらいデータベースの構築をはじめるという。

東:
そうそう。あれはまあ、ベクトル空間を作っているわけですよね。テキストファイルを解析して、数万だか何だかのベクトル空間を数学的につくって、それで「相沢恵」を入力すると「相沢恵」に近い単語が入っているテキストを選びだしてくる、そんなシステムを作っている。で、その検索結果というのは、あくまでもデータ空間のなかの局所なんですね。全体は見渡すことはできない。「シャーロック2」が一万次元のデータ空間をつくったとして、その全体を見渡すためには、こちらは一万個のキーワードを打たなきゃいけないわけでしょう。

ま:
そうですね。

東:
だから全体はない。「データベース」はあるわけで、そこには何らかの数学的構造はある。けれども、こちらが引きだせるのはつねにその局所でしかない。僕はこのモデルにたいへん惹かれているんですね。全体の見渡しは不可能だけど、どのパラメータを入れても、つねに局所的に見渡せることが保証されている、そういう世界のモデル。それはかつてのツリーモデルとはまったく異なった見渡しだと思うんですね。

それで、もういちどオタクの話に戻すと、まさしろさんの試みにしても、そうしたツリー構造ではオタク系文化全体を見渡すことはもうできない、という危機感から始まったわけでしょう。その機能不全は現在のコミケを見てもそうだし、インターネットもますます加速している。こうした現状認識が、動機としてあったと思うんです。

ま:
ええ。

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