No.780475

混沌王は異界の力を求める 25‐1

布津さん

第25話 暴虐の豹公 前篇

非常にお久しぶりです。気が付いたら以前の更新から半年過ぎてしまいました。
理由という名の言い訳としてはプロフィールの欄にも掲載した通り、パソコン内の小説データの全てが消失し、バックアップのUSBも紛失するという事態が発生し、書き溜めや伏線データ全てが消し飛ぶという事件があったためです。
そのため復旧作業という名の書き直しをずっと行っていましたが、ショックゆえかどうにも筆が進まず、ここまで長く待たせてしまうことになりました。

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2015-05-30 03:08:04 投稿 / 全13ページ    総閲覧数:3450   閲覧ユーザー数:3358

高密度の密林の中を疾走する一つの影があった。黄金のマスクを装着した三等身程度の小さな影は、その短い手足を必死で動かし、時折背後を気にしながら全力で疾走していた。そしてその影を追走する影が更に二つ。その内の一つは桃色の髪を風に泳がせ、時折前を遮る蔦や小枝を、その手に持った剣で斬り払いつつ、一切乱れぬ疾走を続ける剣士の姿。そしてもう一つは先の二影とは違い、大地ではなく木から木へと、その身に背負った硬翼を使い飛び回る天使の姿だった。

 

「くっ……雑木の密度が濃いな」

 

桃色の髪の剣士、シグナムは今まさに斬り飛ばした若い木を一瞥しながらそう言った。

 

「完全に未開の地ですね、奴はこの先に逃げて、一体何があるのでしょうか?」

 

硬翼の天使、メルキセデクは樹齢数十年を過ぎるだろうという、巨木の幹を蹴り飛ばし加速しながらシグナムに返す。シグナム等が六課本部からそれなりに距離の離れた密林を、幽鬼ヤカーを追いながら疾走しているのは、無論理由がある。そして、その理由の大半は決まっている。

 

 

「というわけで、お前等二人に敵の本拠地へ斥候に行ってもらう」

 

開口一番、人修羅はそう言った。

 

「は?」

 

「了解しました」

 

その言葉を受けた両面の反応は、余りにも両極端だった。普段ならばほとんど見せることのない、呆けた顔で停止しているシグナムにむけ、人修羅は心底面倒な表情で言葉を続けた。

 

「だからさ、一昨日だいそうじょうとカマラの逆探知で、敵の本拠地の場所は分かったろ?」

 

「……ああ。しかし主はやてが言うには、貴様に策があるとのことで、上にも報告せず、知っているのは六課と聖王教会、そして貴様等のみに留めておくそうではなかったのか? それとも、その策を使うのだと?」

 

「半分正解、そして不正解だ。言ったろ、斥候だ。どーにも何か臭う、この程度で見つかる程、俺は状況を楽観視しちゃいねえ。だからお前等だ、俺はあの場所の本拠地がどうなっているのかが知りたい。だが、俺が自ら動くことは出来なくなった」

 

「どういうことだ?」

 

「聞いた話、どうにもここは管理局の上から眼をつけられているようでな、それの大半が俺の責なんだと。今俺がでかく動けば、それこそ管理局がどう出るか分かったもんじゃねえ。俺は面倒なのは嫌いなんだよ。面倒が好きな奴もそうは居ないだろうが」

 

「仕方がないだろう。巨大な力には責任が伴う。組織に属するということは、自由が無くなるということだ。その枷は強くなるに決まっているだろう」

 

「これだからLawは嫌なんだよ……氷川も何でシジマなんか渇望したかねぇ……」

 

「?」

 

「ああ、何でもない。それでだ、お前等二人には向こう側に気付かれることなく、尚且つ本拠地の周辺地理を把握してきてほしい」

 

そこまで人修羅の言葉を聞き、思わず口から待ての音が出た。

 

「どうしたよ?」

 

「不可能だろう」

 

「へえ……理由は? 聞いても良いか?」

 

眉に皺を寄せながら、シグナムは腕を組み言う。

 

「幾らスカリエッティが自信過剰とはいえ、何の理由もなく我々が近づいていけば警戒するだろう。最悪、本拠地を変えられる可能性すらある」

 

「そんなこたあ分かってるよ。心配するなって」

 

「では、どうするのだ?」

 

シグナムの問いに、人修羅は頬を釣り上げて言い放った。

 

「壮大な自作自演をする」

 

 

その結果がこうなっている。人修羅は本拠地を探しに行かせるのではなく、敵悪魔を追撃していたら、偶然その場所についてしまったということに持っていきたいらしかった。

 

「あいつ等だってさ、流石に目的ぐらいはあるだろ。それの達成前にアジトを変えたくは無いはずだ。だからばれなきゃ移動なんかしないさ」

 

とのことで、何の目的もなくその場所に行けば警戒もされるだろうが、目的があって偶然ならば、その警戒をある程度まで下げることが出来るだろうとの結論だった―――正直、気は乗らない。しかし主はやてや、なのはから、人修羅からの依頼は、無理のない範囲で出来るだけ叶えてほしいという、元々の頼みもあった。

 

(それに……)

 

気になることもあった。あのヤカーには見覚えがあった。肩から腹部にかけて袈裟斬りの後がある。そしてその斬痕はレヴァンテインのものだった。数ヶ月前、人修羅と管理局が初めて接触したとき、自分が斬り、しかし人修羅が引き込んだため唯一生き残った、あのヤカーだった。だがどうにもそうだという確信が持てなかった。

 

「………」

 

纏っている雰囲気がまるで別物だ。あのときのヤカーは、浮いた足取りに浮ついた仕草、どこか戦争童貞の新兵を思わせるところがあった。しかしこのヤカーは違う。落ち着き払った態度と鋭い眼つき、袈裟斬りの後も相俟って、歴戦の軍人の気配そのものだった。以前のヤカーなど自分にとっては雑魚でしかなかったが、それと同じようにこのヤカーを葬れるかと問われれば、答えは否となる。無論勝てるが、手子摺らされることは間違いない。

 

(どんな速度で成長しているのだ……!)

 

そしてそれが僅か数ヶ月の間に変化したということが、己を最も驚愕させている事柄だ。ただの一般人に毛が生えた程度の人物を、数ヶ月で一端の武芸者にさせると言えば分かりやすいか、それだけヤカーは常識外れの成長を見せていたのだ。

 

(悪魔……悪魔か)

 

強くなるのは好きだ。強さへの欲求はヴィータやフェイトにも負けぬと自負している。故にスルトに師事を仰いだのだし、悪魔の剣技を二、三程身につける事が出来た。しかし、それでもだ。スルトには勝てない。烈火の騎士は、業火の太刀に対して今だ一方的に潰されているのが現状だ。しかも彼は未だに本気ではないという。更にはその本気の彼を、都市に出現したという魔人、アリスは無傷で嬲り殺しにしたという。そのアリスすらも人修羅と矛を交える事を避けたと聴く。

 

「………」

 

正直に言えば、悪魔というものと出会うまではどんな達人と出会ったとしても、一定までは戦えるのではないかという思いもあった。しかしその自信は既に、悪魔達によって粉微塵に粉砕されている。スルトですら遥か高みだというのに、更にその先には、達人の枠を超えた化け物達が、その力を更に暴走させ狂ったように高みへと昇っている。

 

(シグナム、あまり前に出過ぎぬように)

 

そのとき、思考の中に入り込むように己のものでない声が来た。メルキセデクからの警告だ。

 

(ヤカーの速度を上回り過ぎです。追いついてしまいます)

 

(む……すまない)

 

言われ、速度を落とす。思えば最近、周囲に気を配ることが出来なくなる程に、集中して物事を考えるようになったのも、全ては彼等の影響だろう。

 

「……っと」

 

そこで再び思考の海へと落ちかけた、己の意識を引き上げる。そして視線も上げると、そのとき丁度、先を往くヤカーがこちらに対して大降りに腕を振るった。

 

「ゥルイィィイィアアアアアアアアアア!!」

 

『マハジオンガ』

 

奇声とともにぶちまけられたのは、雷の乱れ撃ちだ。

 

「ハッ!!」

 

「シッ!!」

 

レヴァンテインを一閃、眼前の雷を断ち切る。同時に頭上でも、メルキセデクが雷を砕く気配を伝えて来た。しかし自分達が処理出来たものは、自分達へ向かって来たものだ。ヤカーから全方位へ放たれた雷は、着弾とともに炸裂。木石と砂塵を舞い上げ、当たりを煙幕で覆った。

 

「くっ……」

 

視界は最悪、一メートル先も見えぬ程だ。だがそれもすぐに晴れた。

 

『マハガル』

 

メルキセデクが疾風を持って煙幕を吹き飛ばし、一気に視界を良好なものへとする。だが晴れた視界の中、先ほどと一つだけ異なる点が存在していた。ヤカーの姿が無いのだ。

 

「!?」

 

素早く周囲三六〇度を探るが、三等身の小鬼の姿はどこにもない。

 

「メルキセデク! 奴は!?」

 

「いえ、こちらからも……」

 

メルキセデクは首を横に振る。ツーマンセルで目標を追跡していたにも拘らず、標的を見失ったのだ。

無論、打ち合わせ通りなのだが。

 

 

「あら?」

 

ときを同じくして、そして場所を同じくして、スカリエッティの研究所へと場面は移る。周囲警戒モニタを眺めていたクアットロは、代わり映えしない景色と音の中に、異質なものがある事に気が付いた。

 

「雷鳴?」

 

本日は雲一つない快晴だ、雷雲など一ヶ月あっても現れないだろう。にも拘らずの雷鳴だ。

 

「………」

 

不審を感じたクアットロは素早くモニタを操作、雷鳴が響いたポイントに一番近い場面を映し出した。

 

「え?」

 

画面を見たクアットロは一瞬だけ動きを硬直させた。画面に映ったのは敵の主力の内の二人だったからだ。

 

「クアットロ」

 

そのとき、クアットロを硬直から引き戻すように彼女の名を呼ぶ声が来た。クアットロが振り向いてみれば、そこにはウーノが難しい顔をしてそこにいた。

 

「強化した警戒網から妙な魔力反応を三つ拾ったので、気になって来てみたのだけれど……どうやら来たみたいね」

 

クアットロにではなく、画面へ眼を向けながらウーノは言う。長女の出現に混乱から自分を取り戻したクアットロは、低い声で言う。

 

「しかしどうしてここを? 考えられるとしても一昨日のアレくらいでしょう? しかもそれも、ウーノ姉様の探査では何も拾えなかったのですから、どうやって……」

 

「あのときに言ったでしょう。私とムラサキの探査も完全ではありません。混沌王は完全に格上の存在です、何があっても不思議ではありません」

 

クアットロはウーノの言葉を爪を噛みながら受け止める。

 

「出ますの?」

 

「いえ、私達からは仕掛けません。態々私達の居場所を教える事はありませんから」

 

「姉様、先ほど感じた魔力反応は三つと仰いましたわね? 今付近には、烈火の騎士と鋼の大天使の姿しかありません。最後の一つは一体……?」

 

「魔力反応は……烈火の騎士と鋼の大天使、それは間違いありません。三つ目の反応は不明だけど……たぶん、いえ恐らく、ドクターが雑多に召喚した内の一体ではないかしら? それに近い反応だったはずなので」

 

「悪魔? しかも向こうでは無くこちらの?」

 

クアットロは首を傾げた。ウーノの言葉はつまり。

 

「それは悪魔を追っていて偶然ここに来たということ?」

 

「と、考えるのが通常でしょう」

 

しかし、とウーノは険しい眼つきで画面上の二人を見る。

 

「混沌王は何をして来るか分かりません。全てに警戒していなければ、たちまちに彼の掌の上でしょう。今はドゥーエを信じて待ちに徹します。クアットロ、音声は拾えますか?」

 

「はいはーい、と。ドゥーエ姉様なら不備はないでしょう。一応ノーヴェちゃんやウェンディちゃんに息を殺すよう、釘を刺しておきますわ」

 

手と口を同時に動かし、慣れた手際で機材を調整していくクアットロの操作で、無音だった室内に音声が流れ始めた。それは木々の騒めきや小鳥の囀りを背景にした、敵達の会話だった。

 

「ドクターは?」

 

そしてその直前、クアットロがかなり小さな、それこそ集中していなければ聞き取れぬような小声でウーノに問うた。

 

「……食事中です」

 

「……周囲に無音術式を施しておきましょう。ノーヴェちゃん達よりも、間違いなくそこが一番危険ですわ」

 

それを最後に二人は口を閉じ、モニタに映る情報を、瞬きも殆どせず網膜に焼き付け始めた。

 

 

「それで、どうしましょうかシグナム。流石にこのまま帰るのはあり得ないと思うのですが?」

 

「無論だ」

 

レヴァンテインの握りを確かめつつ、シグナムは拳を打ち合わせているメルキセデクへ言葉を放つ。その様子から、二人とも端から何もせずに帰る気が無い事がありありと分かった。

 

「しかし、かと言ってあまり時間をかける訳にも行かん。二手に別れるぞ」

 

「了解。では二時間後ここに、ということで、もしその間に何かあれば脳話をお願いします。セト程ではありませんが、私も拾える範囲はそれなりだと自負していますから」

 

と言うが早いか、メルキセデクはその場で大跳躍。こちらの返答を持たずに飛び去っていった。

 

「うむ」

 

その背を見送り、こちらも行動を開始する。敵本拠地の大凡の場所は既に判明している。今回の任務でそれを“偶然”発見するのは、彼では無く自分の役目だ。無論、まっすぐ一直線に向かえば当たり前に警戒される。ゆえに、遠回りに遠回りを重ね、時には遠ざかりながら徐々に徐々に、ポイントへ近づいていく。ここは既に敵のエリアだと考えて良い、今は泳がされているに過ぎないのだと考える。故に基地のような大物を探す動きでは無く、あくまでヤカーを探すかのように、体制や視線にも注意を払う。この任務についての詳しい人選理由は聞いては居ないが、どうやら主はやてと人修羅がそれぞれ、自分の部下から演技派の者を選択した結果らしい。

 

「………」

 

一時間以上の時間をかけて、その場所へたどり着いたとき、そこには洞穴が大口を開けていた。

 

 

「見つけましたわね」

 

「ええ」

 

烈火の騎士を追尾していたカメラの映像が、こちらの基地の入口で立ち止る彼女の姿を映し出した。彼女を追尾しているカメラはドクターが自ら制作した特注のもので、超極小カメラに双翅目の肉を纏わせたもので、一見どころか注意して見ても、それとしか見えず、潰してみて初めてカメラだと分かる代物だ。ドクターが片手間で作成したものではあるが、作られてから数年、未だに見破られたことは無い。

 

(………)

 

カメラに気付かぬ烈火の騎士は、洞穴の入口を潜った。流石に彼女も暗視能力はそれほど高くはないのか、剣型デバイスの先に炎を灯し、松明代わりに使用している。彼女は周囲を警戒しながら、じりじりと慎重に洞穴の奥、即ちこちらへと向かってきている。ドクターの研究室やナンバーズの私室は地下にあるが、そこに行くには、地上部の最奥である監視室、つまりここを経由する必要がある。そして入り口からここまでは多少入り組んではいるが、ほぼ一本道だ。

 

「どうしますのウーノ姉様? 降ります?」

 

「冗談でしょうクアットロ。降りません、言ったでしょうドゥーエを信じると―――っ!」

 

そのとき、背後から硬質な音が一定間隔で、反響させながらこちらへと向かってくるのが耳に入った。足音だ。

 

「……ッ」

 

ウーノ姉様が無言でモニタの音声をミュートにした。そして自分はそれとまったく同じタイミングで、稼働領域を全力行使し、幻惑の外套を部屋全域に展開する。無論気休めにしか過ぎぬことは分かってはいるが、それでも何かしていなければ今にでも叫び出してしまいそうだった。背後からの足音は、既に反響せずにダイレクトに耳へと入ってくる。

 

「………」

 

最早好奇心と恐怖心を留めることが出来ず、音を立てぬようにゆっくりと背後を窺がう。

 

「―――」

 

烈火の騎士はそこに居た。比喩では無い、本当にそこに居たのだ。ほぼ完全に目と鼻の先、距離で言えば十センチも無い。彼女の睫毛の本数すらも数えられるような至近だ。

 

(―――ッ)

 

彼女が動くたびに、尾の様に揺れる後ろ髪に触れそうになる。視覚を騙せる幻惑の外套も、流石に触覚まではごまかせない。心臓の鼓動が煩い。汗の流れる音が濁流のようだ。煩い五月蠅いうるさい。何でこんな機能がくっついているんだ。こんな爆音を発生させていたらすぐにばれるだろうが、と今だけ自らの身体の全てを否定する。彼女がここまで来てどの位の時間が経過した? 何秒? 何分? 何十分? 体感時間が細かく刻まれて、詳しい時間が把握できない。体内時計の秒針と分針が入れ替わったようだ。彼女はここに居過ぎっではないか? 若しや既に私達の事を察知していて、わざと泳がせているだけなのでは無いのか? 雑多な思考に脳内が犯され尽くした、そのとき。

 

「何も無し、か」

 

といきなり目の前で烈火の騎士は踵を返し、早足で去っていった。数分もすればここから出ていくだろう。そしてミュート状態のモニタはそれを事実だと伝えて来た。

 

「稼働時間が縮みましたわ」

 

「ええ、私もです」

 

ウーノ姉様と顔を見合わせ、同時に深く息をつく。いくらドゥーエ姉様の技量を信じているからと言っても、ミリ単位までの至近にまで近寄られれば、心臓の鼓動は跳ね上がる。

 

「……っと」

 

緊張から解放された反動か、ウーノ姉様が不意に体制を崩した。無論、尻餅を付くような無様を晒す姉様ではないが、身体を支えるために突いた手が、監視機材の一部に予期せぬ操作をさせてしまった。

 

「あ」

 

烈火の騎士と鋼の大天使を映していたモニタが、一瞬で場面を切り替えた。新たに現れたそれは、“ここ”だった。しかし、そこには私達の姿は映っていない、否それどころか、機材も、リノリウムの床壁も一切がない。唯一映っているのは、洞穴の岩肌だけだ。

 

 

ヤカーの放った落雷跡を目印に、集結場に舞い戻ると、既にそこには、手持無沙汰な様子のメルキセデクが、片膝を立てて待機していた。

 

「早いな」

 

体内時計にはそれなりの自信がある。彼の指定した二時間後、というリミットまで、まだ三十分はあるはずだ。

 

「いえ、私も今来たところですよ」

 

メルキセデクは立ち上がり、足腰についた土埃を払いながら言うと、身を捩るように、背の双翼を一度大きく羽ばたかせた。その余波で、砕かれていた地面から埃が舞う。

 

「さて、逢瀬のようなことを言っていないで、報告に移りましょうか……しかし、その様子ではそちらも空振りのようですね」

 

メルキセデクの起こした砂埃に眉を潜めながら、彼の言葉に応答する。

 

「そちらも、ということは」

 

「ええ、私の側もです。何も発見できませんでしたよ」

 

心から残念そうに、メルキセデクは全身を使って悲嘆を表現した。その姿が演技だと分かっている身からすると、正直に言って大げさではないかとすら思える。

 

「それで? 貴様はどうするつもりだ?」

 

「……戻りましょう。獲物を逃がした事は残念ですが、それよりも今は主等に報告する方が先です」

 

「メルキセデク!」

 

「シグナム、貴方も分かっているでしょう? 雑魚悪魔風情にいつまでも構っていられるほど、貴女も暇な身分ではないでしょう? それに―――」

 

そこまで言って、メルキセデクは喉まで出かかった言葉を飲み込んだのが分かった。ここは未だに彼等の縄張りなのだ、今現在、どこかで我々の姿を監視し、その一挙手一投足を見られていても、全く不思議では無い。今我々が行っているのが、ただの芝居だと、悟られてはいけないのだ。

 

「―――我が主に報告する方が優先です。今は」

 

「……分かった」

 

もどかしそうにそう言ったメルキセデクへ、短くそれだけを返す。

 

「では、戻りましょう」

 

言って、メルキセデクは真上に跳躍し、双翼を羽ばたかせて六課の方へ飛行した。そして自分もそれを追う形で浮上、飛行する。

 

「……そういえば」

 

と、隣り合わせで飛行する形となったところで、メルキセデクが思い出したように口を開いた。

 

「確か今日、スバルの姉君が六課に、やって来るんでしたよね?」

 

「ああ、厳密にはギンガだけではないがな」

 

「今頃、丁度顔合わせぐらいですかねえ……」

 

「試合ってみたいか? 同じ格闘戦を主とする者として」

 

「ええ……先日の都市戦では、生憎と私はご縁がありませんでしたし、試合ってみたいというのは本音ですが、巡り合わせが悪かったと諦めますよ」

 

「? 何故だ? これから戦場を共にするのだ。訓練かどこかで、立ち合う事もあるのではないか?」

 

「そうですね……そう願います」

 

 

シグナムとメルキセデクの会話とは多少違い。ギンガ達は今まさに、六課に到着していた。玄関先に居るのは四名。配属となるギンガ、ラッド、マリエル。そして彼女達の上官であり、スバルとギンガの父親でもあるゲンヤの四人だ。無論ゲンヤは六課に配属される訳では無い。六課に来た理由は二つあるが、そのどちらも簡単だ。幾ら顔見知りとはいえ、己の部下を預けるのだから、初日ははやてに面と向かわねばならない。そして噂ばかりが耳に入り、未だその姿を直で見たことのない、悪魔達の首領、人修羅とも既知となっておくのが好ましいと考えたからだ。

 

「さて、と」

 

先頭に立つゲンヤが呼び鈴へ手を伸ばす―――その瞬間。

 

「ッ!!」

 

いきなり出入り口から、数十メートル離れた地点のガラス窓が、快音と共に一瞬で粉砕。そして建物内から、ガラス片と共に黒い何かを吐き出した。

 

「!?」

 

黒衣を纏った少女の姿、初見では有るが情報は聞いている。邪神セトだ。影は緩い放物線を描いて地面に着弾、そしてそれを飾るようにガラスのシャワーが追う。

くるぶしまで伸びる長髪からドレスにも似た衣服、靴や装飾品、その全てが黒に統一されている少女は、うつ伏せの状態でガラスのシャワーを浴びたまま、停止していた。驚愕と理解不能から、動きを停止したゲンヤ達、そして変わらずセトも動かない。

 

「……す」

 

そのとき、倒れたのままのセトがぼそりと何かを呟いた。だがうつ伏せであったこともあり、その場の誰もちゃんと聞き取れたものは居なかった。

 

「消すッ!!」

 

予備動作はなかった。両手を使い、凄まじい力で地面を陥没させる勢いで弾いたセトは、その反動で一瞬で立ち上がった。そして、己が飛び出してきた窓を鋭く睨むと、双の掌をクロスさせるように重ね、前へ突き出した。ゲンヤ等など眼にも入っていない。

 

「跡形なく消し飛んで」

 

龍眼の瞳孔が開いた。

 

『真空刃』

 

瞬間、彼女の手から真空の力が怒涛となって打ち出された。真空の圧力で、窓を六課の一部ごと、宣言通りに跡形なく消し飛ばし、そして更にその規模を増大させ、周辺範囲を塵芥へ帰した。

 

「っ!」

 

しかしそのとき、いきなり彼女はその場から跳び退った。直後、ほぼタイミングを同じにして、彼女の居た地点へ轟雷が落ちた。

 

『ジオダイン』

 

雷鳴と稲光に感覚を焼かれながらも、ゲンヤやギンガはそれを確認した。見れば、セトが塵芥に帰した窓、否窓であった箇所から、新たな人物が来襲していた。柄の短いウォーハンマーを携えたその姿、こちらは初見ではない。鬼神トールだ。

 

「シッ!!」

 

トールの上腕二頭筋から肉の締まる音が鳴り、力が溜められる。そして飛び出した姿勢のまま、トールは担った槌を投じた。

 

『怪力乱神』

 

トールの剛力によって、神速の勢いで放たれた雷槌は、一寸の狂いも無く、未だ空中にいるセトの水月へと、回転しながら吸い込まれるように向かっていった。だが、それに対するセトにも動きがあった。彼女の胸部が異様なまでの膨らみを見せた。女性的な意味ではない、まるで鳩の胸のように、前方へ突き出すような膨らみだ。だが直後、その膨らみが一瞬で消失した。

 

「あ――――!」

 

代わりに出現したのは、先の落雷音など比べ物にならないような大音声だ。

 

『心の叫び』

 

最早、音というよりも破壊の振動となって放たれた大声は、その衝撃を持って空間を揺さぶり、向かって来る雷槌の軌道を、上方へと修正する。のみならず、音の反動でセトの姿勢ものけ反った。結果として雷槌は彼女の高い鼻先を僅かに擦るのみの結果となった。軌道を逸らされた雷槌は、セトの背後の観葉樹へ着弾。繊維など歯牙にも欠けず、それをまっぷたつに断ち割り、更にその後ろにあるもの総てを同様にして、彼方へと飛んでいった。しかし、雷神の攻撃手段は槌のみではない。

 

『ジオダイン』

 

二度目の落雷だ。しかし、先ほどと違い、セトは空中にいる。バックステップで回避する事は叶わない。直撃は必須の一撃だった。

 

「――――」

 

だが直撃はせず、雷撃は大地に二度目の落雷跡を刻むだけに終わった。セトの姿が消失したのだ。高速移動でも身を回して回避した訳でもない。一瞬でその姿を消したのだ。

 

「!?」

 

そして直後にセトは姿を現した。しかもトールの兜を掴んだ状態でだ。姿を見せたのは始点と終点のみ。彼女が消失してから、その状態へ移行するまでの中間を、ギンガでさえ見切ることが出来なかった。視力にも優れ、格闘戦における瞬間的な判断もメルキセデクに迫るものがあるギンガが見切れなかった。それはつまり、人修羅クラスでもなければ捉える事が出来ないということに他ならない。事実、トールはセトの一撃を急所で受け、バランスを崩していた。

 

「阿呆が」

 

だが、トールは生殺与奪を握られているにも関わらず、息を呑むどころか、不敵な笑みさえ浮かべた。そしてその笑みの理由は直後に現れた。どこをどう経由したのか、彼方へ消えた筈の雷槌が、トールの背後から音速で飛んで来ている。計算の上なのか、トールを回避し、セトの頭部を穿つ角度でだ。

 

「ミョルニルとグングニルには絶対必中の加護があることを忘れたか!? 貴様を穿ち砕くまで、我が槌は止まらんぞ!!」

 

「………」

 

それに対し、セトはあくまでも無表情。山をも砕く槌が来る、だから何なのだと。トールの首を掴む手から、必殺の一撃を放つべく、魔力が膨れる。そしてそれとタイミングを同じくして、雷の槌が着弾する。

 

『真空刃』

 

『怪力乱神』

 

「うっさい」

 

だが真空の断裁も、音速の雷槌も、標的へ喰らい付く事なく叩き潰された。

 

『マハグラダイン』

 

セト、トール、雷槌。その総てが空間ごと真下へと、大地へと。総ての運動性や慣性を押しつぶし、直角に叩き潰された。しかもそれは大地に押し付けられようとも止まらず、周辺一帯は二発の落雷跡を上書きするかのように、それよりも深いクレーターによって覆い隠された。

 

「ホントもう毎日毎日! 五月蠅いのよ!」

 

開いた口が塞がらない。その言葉の体現者と化したゲンヤ等は、突如として来襲した、小さな暴君に対しても、同じ表現で望むばかりだった。

 

「ちくしょー……セデクのアホは肝心なときに居ないし。面倒くさいなぁ」

 

年季の入ったサラリーマンにも勝るぼやきを連発しながら、最小の暴君は、ふよふよとふらふらと、危なっかしげに飛び、そして潰れた魔神と悪神を無造作に掴むと、その体格に見合わぬ力で持ち上げた。

 

「あーもー……荒れ放題じゃない。まったく……」

 

己の十倍はあろうかという荷物を持ち上げたピクシーは、特大の溜め息を放出すると、慣れた動作で唱えた。

 

『メディアラハン』

 

その場の全てが修復された。塵と化したものはその形を取り戻し、抉れたもの、穿たれたもの、裂かれたものは時間が逆再生するように、元に戻る。

 

「ピクシーさーん。終わりましたー?」

 

そのとき、修繕されたばかりの出入り口から、ひょっこり顔を覗かせる者が居た。制服では無く、訓練着姿のスバルだった。

 

「スバル!」

 

「あっ! ギン姉! 父さんも!」

 

ギンガが声を上げた瞬間、スバルの表情が一瞬で喜へと変化した。そして悪魔二体を引きずって行くピクシーとすれ違い―――妖精はこちらを一瞥しただけで去った―――スバルは跳ねるようにやって来た。

 

 

「久しぶり父さん! ラッド二尉にマリエル技官も」

 

身体と同じく、声まで弾ませながら喋る妹に、僅かに違和感を感じた。笑顔の妹の横では未だに、窓枠がねじ曲がり、元の形に戻ろうとしている。

 

「とと、あたし達の話は後だよね。今丁度、昼休憩だし、なのはさんもはやてさんも時間空いてると思うよ」

 

そう言ってスバルは、今まさに復元された扉に手をかけ、盛大に開け放つと、六課の中へと入っていった。先ほどの光景を思い出し、一瞬躊躇はしたものの、父であるゲンヤが扉を潜るのを見、その背中を追う。

 

「ギン姉達、お昼はもう終わった?」

 

応接間に向かいながら、スバルは肩越しに言って来た。

 

「もう済ませてあるけど……ねえスバル」

 

「ん?」

 

「さっきみたいなこと、よくあるの?」

 

「さっき?」

 

とスバルは首を傾げた。駄目だ。とギンガは刹那に思った。完全に毒されている。完全に修復し、証拠隠滅したとはいえ、悪魔達が宿舎の一部を破壊したのは事実なのだ。普通の部隊であれば軍法もの、除隊、最悪豚箱行きだ。しかしどうも妹の毒され方を見る限り、彼等は頻繁に破壊活動に勤しんでいるらしい。彼等が罪に問われぬのは、ただ彼等悪魔を裁く法がないだけだ。

 

「ごめん何でもない」

 

妹に謝罪を入れ、元凶である人修羅を思った。朱に交われば赤くなる、という言葉がある。ギンガはこの言葉に対し、深い納得を持っている。人の意思というものは元来オブラートにすら劣る程脆いものだ。故に、ごく一部の者。オブラートどころか金属製の意思を持つ限られた人間。身近な例を挙げれば、なのはさんは最たる例だろう。どういった幼少期を過ごせば、あそこまで強固な意志の持ち主が出来上がるのか、想像もできないが。そういった人間と交流すれば、たちまちにその者の持つ色彩に染まってしまう。ただ、人修羅の場合はそれに輪を掛けて達が悪い。彼は赤くする朱どころでは無い。赤にするどころか、その根底から蝕んでいく猛毒だ。

 

「………」

 

価値観が、志が違う。言ってしまえばただそれだけだ。しかしその一言が何よりも厄介なのだとギンガは知っている。志の些細な違い、それだけで人は戦争を起こせるし、ジェノサイドやホロコーストだって平気で行う。人修羅というアンノウン、もとい悪魔がどの様な意志を持っているかは分からないが、根本から違う価値観を持つ者同士が、同じ目的の為に行動を共にするなど、あり得ないと断言できる。

 

(……でも)

 

機動六課ではそれが起こっているのだ。なのはと人修羅という、極限の意思を持っている者を二人抱えているにもかかわらず。価値観どころか、種族すら違う者達が共に行動している。それが六課総隊長、八神はやての辣腕によるものなのか、悪魔達の首領、人修羅の企みなのか、はたまた両方なのか。それを見極めるのが目的だ。

 

「さっき……ああ! セトさんとトールさんの喧嘩の事? よくあることだよ。良くも悪くも、悪魔ってみんな我が強い人ばかりだから、よく衝突してるよ。でもだいたい、すぐにピクシーさんに怒られて止めるけど」

 

あれは、止めるというより、なぎ倒されていたように見えたが、細部でも妹は毒されているらしい。人修羅の狙いを突き留める。それは陸士部隊一〇八の、しいては時空管理局の狙いの一つでもあるのだから。と、ついいつものように考え込んでしまった。そして妹はその辺りに鋭い。例え表面上のポーカーフェイスを気取っても、スバルはすぐに見抜く。そして妹は、こちらの表情を読み、何か言葉を作ろうと口を開き、そして暫く眼を泳がせた後言った。

 

「あー……んー何て言うのかな、人修羅さん達は確かに滅茶苦茶だよ。言ってることがたまに訳分からないし、いきなり何か我慢が出来なくなったみたいに奇怪な行動に走ることもあるけど、それでもそれも殆どは意味のあることだし、何か壊したりしても、必ずすぐに直すから。一回忘れて八神部隊長に怒られたみたいだし」

 

懸命に、しかしスラスラと言葉を紡ぐ妹の姿を見て、新たな思いが生まれた。

 

(随分と悪魔達のことを擁護するのね)

 

悪魔達が六課と共同し始めたのは、記憶が正しければ、三ヶ月程度のはずだ。人修羅の戦闘能力については、陸士部隊の中でもそれなりの噂が立っている。人では至れぬ域に居る化物だと。しかし、彼の人柄についてはそれほど普及しているとは言えない。彼と正面から接触したのは、六課隊員や聖王教会の者をを除けば、クロノ・ハラオウン、ヴェロッサ・アコース、ユーノ・スクライア、この三名だけだ。そして、その三人は、それぞれ人修羅に対して全く違う感想を述べているのだという。曰く先が見えない、曰く凄い怖い、曰く話を聞かない。

 

(あれ? 好印象一つも無い)

 

情報を改めて整理した結果、生まれたのは膨大な不安だった。そして、その不安を払拭するよりも先に、眼前には応接間への扉が出現していた。

 

 

「それでは、マリエル技官が加わる以外に、特に変更はなしで?」

 

はやてとゲンヤの会談は、思ったよりも、早くに終わる兆しを見せていた。元々が既知であり、裏を知り合っている部隊同士なだけに、その辺りの摩擦もなく、スムーズに事は進んだ。だが、摩擦の原因となる存在が、居ない訳では無い。そしてその理由の大半は外部から入ってくるものだ。しかし。

 

(………)

 

応接間には、総隊長八神はやてを筆頭とし、任務で外に出ているシグナム副隊長を除けば、全ての部隊長、副長がこの場に居る。そう、それしかいないのだ。

 

(人修羅が居ない……)

 

入れ墨の男の姿がどこにもない。この場で発言を許されるのは、それぞれの隊長格のみだ。ならば必然的に人修羅もこの場に立ち会うのかと思ったが、どうやら思い違いだったようだ。

 

「―――では、概ねは事前に打ち合わせていた通りということで」

 

そう考えている間にも、階段は恙なく終了し、最後まで人修羅は姿を見せなかった。

 

「それじゃあ……とは言っても、今日残っとる雑務はもう無いし、すぐに出来ることは、午後の訓練ぐらいだけれど……どうします?」

 

「なあ、その前に一ついいかい? 高町嬢ちゃん」

 

と、そのとき腕を組んだゲンヤがなのはに対し、逆に問いを投げた。

 

「悪魔達はどこに居んだ? 出会い頭以前に、強烈な挨拶をかましちゃくれたけどよ、それきり他の悪魔達の姿を見ないんだが、俺はてっきりこの場に件の人修羅が同席するもんだと思ってたんだがよ」

 

「あー……」

 

なのはは数瞬、宙に眼を泳がせた後、指を折りながら言った。

 

「合ったというのは、セトさんとトールさんですね。彼等は今ピクシーさんに叱られてます。メルキセデクさんは任務で居ませんが……オーディンさんは無限書庫で蒐集した情報の整理、スルトさんはピクシーさんの付き添い。だいそうじょうさんは、人修羅さんの命令で別行動中です」

 

「それで、彼等の首領である人修羅は?」

 

その言葉に対し、なのはは更に眼を泳がせた。

 

「そうですね……それなら、人修羅さんを呼びに行きましょうか。午後の訓練もありますし、それに直接見てもらった方が、状況を理解できると思いますし」

 

「呼びに? 状況を?」

 

その言葉に対し思わず声が出た。しかしなのはは不意の声にも、頷き一つで応じた。

 

「そう、普段なら人修羅さんは絶対この場に居るだろうけど、ちょっと事情が変わってね」

 

と言ってなのはは、応接間から廊下へ続く扉の一つを開けた。

 

「一緒に行きますか?」

 

なのはの言葉に肯定で応じたのは自分と、そして以外にもマリーだった。

 

 

「あれ? なのはちゃんどこに行くんです? 訓練場はあっちじゃないんですか?」

 

訓練場へとは真逆の方角へと進んで行くなのはに、彼女とは既知であるマリーは疑問を投げた。

 

「報告では、人修羅を初めとした悪魔達は非常に好戦的で、時間があれば訓練場に籠っていると聞いていたのですけど……」

 

ずり落ちた眼鏡を直しながら言うマリーに、なのはは若干の苦笑いを含めて言った。

 

「普段ならそれで正解なんだけど……ね。ちょっと事情が変わったから」

 

と言ってなのはは歩を進める。そしてその様子を背後から眺めていたギンガは、同じくなのはの背に視線を向けていたフェイトに問うた。

 

「あの、フェイトさん」

 

「何、どうしたの?」

 

「午後からの訓練の為に人修羅さんを呼びに行くと、さっきなのはさんは言ってましたけど、六課(ここ)の訓練体制ってどうなってるんですか?」

 

「そうだね、普段なら、早朝と午後一になのはと人修羅さんがそれぞれの訓練の教導を、つまり一日二回ってことになるんだけど」

 

「二回、ですか」

 

「うん、でも大丈夫だよ。二回って聞けば少ないと思うかもしれないけど、実際は一回の時間も密度も凄いから。二人とも容赦なんて一切しないし……あれじゃあ大丈夫じゃないのかな?」

 

フェイトは一瞬だけ言葉を止めたが、すぐに口を開くことを再開した。

 

「なのはは弾丸回避訓練(シュートリベレイション)とかの特訓形式、人修羅さんは乱戦型戦闘訓練(フォーマンセル)とかの実戦形式の訓練だね。今日はなのはが早朝を担当したから、今からの訓練は人修羅さんの担当だね」

 

「それで彼を呼びに行くと。肝心の彼はどこで何をしてるんです?」

 

その問いに対し、フェイトは困ったような表情を見せた。

 

「んー……ゴメンね、それを知ってるのはなのはだけだから。私も知らないの」

 

「え?」

 

苦笑い気味のフェイトに対し、ギンガは眉を寄せた。

 

「知らないって……何故?」

 

「んーそうだね。それはまず、人修羅さんが神出鬼没ってこともあるけど、それよりもなりより、なのはと人修羅さんが一番仲が良いから、かな」

 

「?」

 

「人修羅さんの癖なのか、一人で何でも出来るからか分からないけど、彼、何かと理由をつけて私達と直接的に係わろうとしないの。必ず、ピクシーさんや他の悪魔を経由するか、近くに居させるかして、一対一を回避しようとしてる節があるの」

 

「……はぁ」

 

今一つ理解が出来ていないのか、ギンガは眉の皺をより深くした。

 

「それでも、なのはとはどこか波長が合うみたいでね。二人で訓練の打ち合わせ立てたりとか、人修羅さんと単独で接触出来る機会が一番多いのがなのはだからね、結果的に人修羅さんと一番仲が良いのもなのはだし、彼の事を一番分かってるのも、なのはだから」

 

それにね。

 

「本人達は否定するけど、二人共似てるから」

 

「……そうですか?」

 

「うん、あ、でも端から見れば二人は正反対なんだけどね。だから、なのはの全てをひっくり返したら、人修羅さんみたいになると思うの。教育方針とか、作戦の立て方とか。訓練を積ませてから実戦に出したいなのはと、実戦こそが一番の訓練って意見の人修羅さん。他にも色々、二人とも吃驚するくらいそれが正反対なんだけど、それでも二人共似てるの、じゃあどこが、って言われちゃうと困るけどね」

 

そう言ってギンガへ微笑んだ、フェイトは前方へ視線を戻した。すると、既になのはは足を止めていた。彼女が停止している箇所は、中にはへの入口だった。

 

「……?」

 

ギンガとマリーは、ほぼ同時になのはの視線の先を追った。なのはが眼を向けていたのは、渡り廊下の花壇、そこには整然と管理された観葉樹が並んでいた。そしてその内の一本の根元に、目的の人物が居た。人修羅は、木漏れ日を背にして、足を投げ出した格好で、何やら分厚いハードカバーの本を読んでいた。逆光のため、ちゃんと読むことは出来なかったが、辛うじてタイトルの最後に、歴史書と刻まれていることだけは分かった。しかしそんな事よりも、彼の脚上には更に眼を引くものが鎮座していた。

 

「え?」

 

都市で保護されたあの娘が居た。確か名はヴィヴィオといったか。彼女は人修羅の腿を枕に、安らかな寝息を立てている。肌理の細かい金髪が、微風に吹かれ揺れているのがここからでも分かる。

 

「よお、打ち合わせは終わったのか?」

 

いつから気付いていたのか、ページを捲る手を止めもせず、視線も向けずに人修羅が声を発した。

 

「はい、そちらは差支えなく」

 

「あの、なのはちゃん? この方と、その娘は……?」

 

そのとき、マリーが控えめになのは言った。

 

「あれ? マリーは知らなかったっけ? 彼は―――」

 

「ん……」

 

だがそのなのはの声を遮るよう、予期せぬ動きが発生した。人の気配が増えたからか、ヴィヴィオが人修羅の腿から、上体を持ち上げた。

 

「ふぁ……おはよう、お兄ちゃん」

 

「おう、おはよう」

 

眼を擦り、欠伸交じりに言うヴィヴィオに、人修羅は初めて本から眼を離し言う。

 

「よく寝たな」

 

「うん」

 

そう言って人修羅はヴィヴィオの頭を撫でた。それに対しヴィヴィオは暫くされるがままにされていたが、ふと、視界の端になのはとフェイトの姿を確認すると、満面の笑みを浮かべた。

 

「ママ!」

 

「え?」

 

ヴィヴィオのその単語に、マリーは間髪入れずに反応したが、それに応答してくれる者はいなかった。ヴィヴィオは立ち上がると、なのはの元に駆けだした。だが、寝起きで足元がおぼついていなかったのか、人修羅となのはの、丁度中間程度の距離で、ヴィヴィオは前のめりに転倒した。

 

「!!」

 

その瞬間、なのはとフェイト、そして人修羅が、刹那のズレもなく同時に身構えた。

 

「あの、ママって……?」

 

「御免マリー、後にして」

 

マリーの疑問を一刀両断に切り払い、なのは等は張りつめた空気を維持した。一方切り捨てられたマリーは、助けを求めるようにギンガの方を振り向いたが、そのギンガも困ったように首を振るだけだった。

 

「なのは……!」

 

ヴィヴィオの元に駆け寄ろうとし、しかしそれをなのはに遮られ、フェイトはなのはを睨む。

 

「大丈夫、この辺の地面は柔らかいから、自分で立てるよ」

 

そう言うなのはも、険しい表情でヴィヴィオから眼を離そうとしない。

 

「………」

 

そして人修羅は、大型の猛獣の様に構えたまま、文字通り身動き一つしない。だが、一瞬でヴィヴィオの元へ駆けつけるよう、臨戦態勢を解かない。三人が三人ともヴィヴィオの全ての挙動を見逃すまいと、眼を凝らしている。

 

「―――――」

 

誰一人として、一切の行動を起こさぬまま、数秒が経過した。そして、初めにその凍り付いた世界を動かしたのは、やはり、止めた大元のヴィヴィオだった。

 

「うぅ……」

 

上体を起こさず、頭部だけが前を見た。頬には土汚れが付き、その眼は今だ何が起こったか把握していないのか、呆然の感情が宿っている。

 

「ほら、ヴィヴィオ。ママはこっちだよ」

 

なのはが目線をヴィヴィオと同じ高さまで下げ言う。だが、ヴィヴィオの呆然の表情はやがて、涙が溢れ、顎のあたりが緩み、そして。

 

「ヴィヴィオ!」

 

表情がその次へ移行するその直前、フェイトがなのはの静止を振り切り、ヴィヴィオの元へ駆け寄った。そして、しゃくりを上げ始めたヴィヴィオを抱きかかえた。そして一拍置いて、人修羅が一瞬で近づき、流れるような動作でヴィヴィオが擦りむいた箇所や、汚れた衣服を修復した。

 

『ディア』

 

そして、最後に立ち上がったなのはが合流した。

 

「まったく……なのはママは厳しすぎ! ヴィヴィオはまだ小さいんだから」

 

「そうかな……」

 

「……えと」

 

言い合うなのはとフェイトに、恐る恐るといった調子で、マリーは話しかけた。

 

「あの、それで結局その娘は……? さっきそちらの人をお兄ちゃんて言ってましたけど……それに、なのはちゃんさっき自分の事をママって……まさか」

 

「なのはママ、フェイトママ、この人、誰?」

 

惑うマリーの元へ、しゃくり声の混じった声で、ヴィヴィオが更に厄介な単語を放り込んだ。

 

「ああ、なんだー。なのはちゃんとフェイトちゃんの娘か―――え!?」

 

混乱の表情でマリーは動作と思考を停止した。

 

「マ、マリー? 多分言っておくけど、絶対想像してるのと違うからね!?」

 

しかしそんな言葉も、止まったマリーの元には届かない。そして、そんな精神隙だらけの人間を、この男が見逃すはずがない。

 

「何言ってんだよ、母さん」

 

その一言で、マリーは一瞬で混乱から、混沌に叩き落され、そしてそれは愕然にランクアップした。

 

「人修羅さん何言ってるんです?」

 

その所為でなのはが真顔で言った言葉を、耳も脳も受け止めることが出来なかった。

 

「え……え? その娘はなのはさんとフェイトさんの娘で、そちらの人が人修羅さんで、それでその娘のお兄さんが人修羅さんで……つまり、人修羅さんはなのはさんとフェイトさんの……?」

 

「マ、マリー、ちょっと落ち着いて? ね?」

 

「そうだ、母さんの言う通り落ち着け」

 

「人修羅さんは黙ってください」

 

そしてその後も、荒れる湖に大岩を次から次へと投入する人修羅と、何とかそれを収めようとするなのはとフェイトの争いが、十数分続いた。

 

 

「……そう言う事ですか、ヴィヴィオちゃんの母親代わりをなのはちゃんとフェイトちゃんがしていて、ヴィヴィオちゃんは人修羅さんの事を兄の様に慕っていると」

 

「やっと分かってくれましたか。もう、何でこんなこと説明するのに、こんな時間かかってるんですか」

 

「まったくだ」

 

「人修羅さんのせいですからね?」

 

「まあそりゃそうだけどさ」

 

「人修羅さん、マリーは素直な性格なんですから、あまり意地悪は止めてください」

 

「くくっ、約束は出来んね、悪魔は意地の悪いもんさ。それに、そういうのを弄るのは楽しいだろ?」

 

「……同意はしかねます」

 

苦い顔を作ったなのはから、動乱に置いていかれたギンガと、未だに動きの鈍いマリーに人修羅は顔を向けた。

 

「それで、お前等が今日から合同で動くっていう奴等だよな? 俺が人修羅だ。情報くらいは聞いてるだろうが、ここでは傭兵みたいな扱いだ。ま、コンゴトモヨロシク」

 

「あ……私はマリエル・アテンザ。六課には技師として応援に参りました、よろしくお願いしますね」

 

「先日は顔を合わせませんでしたね。ギンガ・ナカジマです、ここでお世話になってるスバルの姉をしてます。よろしくお願いします」

 

「スバルのお姉ちゃん?」

 

ギンガの自己紹介直後、フェイトの身体に隠れるように身を潜めていたヴィヴィオが、ギンガの発した単語に、半顔を覗かせるようにギンガを見た。

 

「うん、そうだよ。スバルのお姉ちゃんなの」

 

「………」

 

警戒の色の強かったヴィヴィオの瞳から、若干その色が薄れるのが、よく分かった。

 

「ヴィ、ヴィヴィオ、です。よろしくお願い、します」

 

そして、ペコリと小さく会釈をし、再びヴィヴィオは隠れるようにフェイトにくっついた。

 

「よく出来たねヴィヴィオ」

 

そう言ってヴィヴィオを撫でるなのはを尻目に、人修羅は言った。

 

「それで、もう午後練の時間か?」

 

「ええ」

 

「先の通り、動くに動けなかったんでな、行くのが遅れた。で、一応聞くが、前衛として加わるのは、お前だけで良いんだよな?」

 

人修羅がギンガを指差していった。

 

「はい、私だけです。マリーと、それともう一人は後衛ですから」

 

「良好。今日はメルキセデクが居ないから丁度良い」

 

丁度良い? とギンガが首を捻ったが、しかし人修羅はそれを無視して、一人でさっさと訓練場へと向かって行った。

 

「あ! ちょっと人修羅さん!」

 

そして、なのはと、ヴィヴィオを抱いたフェイトも後を追った。そしてギンガとマリーも小走りで後に続く。

 

「あの……なのはさん。聞いても良いですか」

 

なのはの隣に並んだギンガが問うた。

 

「何故ヴィヴィオちゃんを人修羅さんに預けてたんですか? あの……こう言ったら失礼ですけど、二人とも、時空管理局(わたしたち)にとっては異物じゃないですか。いくら敷地内とはいえ、二人だけにするのは危険な気がするんですから」

 

「んー、まあ普通はそうなんだけどね。大丈夫、二人ともそんなこと考えないよ。わたし達が保証する」

 

わたしではなく、わたし達と言うところに、なのはがどれだけ人修羅を信頼しているかがうかがえる。

 

「……付き合いの長さは、圧倒的に六課の方が長いですからね。信じます」

 

「有り難うギンガ。それにね、ヴィヴィオに関しては人修羅さんに任せるしかないの」

 

は? という表情を作ったギンガに、なのはは頬を掻いて応じた。

 

「ヴィヴィオは異物というよりも、あの年齢だから一人に出来ないっていうのは分かるよね」

 

「ええ、それは」

 

「でも、ね……」

 

なのはは言い辛そうに口の中を噛んだ。

 

「うん、ヴィヴィオはね、初めて私達に保護されたとき、凄く怯えててね。話も出来ない状態だったの」

 

まあ、話してみても大した事は分からなかったんだけどね、と付け加え、話を続ける。

 

「そのときね、誰にも心を開かず、部屋に閉じ篭りっきりだったヴィヴィオに、人修羅さんがちょっと……やらかしちゃってね」

 

「やらかした? 何をです?」

 

「ヴィヴィオに上級の魔人を嗾けたの」

 

「は? 魔人……ってあの、人修羅さんやだいそうじょうさんみたいな、死の概念を内包した!?」

 

「うん、その魔人」

 

「……何考えてるんですかあの人」

 

「人修羅さんがいうにはね。強力な死の気配を叩き付けることで、正逆の概念である生、つまり母親を求めるだろうってことで……」

 

「ああ、ヴィヴィオちゃんが、なのはさんとフェイトさんに妙に懐いているのって、その性ですか。現場に居合わせたんですか?」

 

「と、いうよりも、人修羅さんに填められた、っていうのが正しいかな。だから、ヴィヴィオの側にはわたしかフェイトちゃんがいないと、色々と大変なの」

 

泣いたりね、と苦笑いを深くするなのはに、ギンガはおや? と首を傾げた

 

「なのはさんとフェイトさんが懐かれてるのは分かりました。でも何故人修羅さんが? 先の様子からだと、懐かれる要素が見当たらないんですが……」

 

「それは……」

 

「判んねえんだよ」

 

なのはが何か答えを返そうとしたとき、それを遮り別の声が声が言った。人修羅だ。

 

「あ、聞こえてたんですか?」

 

「俺の五感をお前等と同じと思うなよ」

 

と肩越しに人修羅は言う。

 

「お前等には、俺が懐くよう嗾けたが、何で俺に懐くんだろうな。寧ろ忌避の対象だと思うんだが。実際、だいそうじょうには近づきもしねえ」

 

「何でって、人修羅さんは根が優しいですからね」

 

「抜かせよ。悪魔が優しいなんて、今時童話にすらならねえよ」

 

そう言って人修羅は軽く笑った。それに釣られ、なのはも笑みを浮かべる、

 

「そういや、今日の午後練なんだがな。セデクが居ねえし、丁度良いから、今日はちとそいつの力量を計ってみようと思う。いつも通りは無しだ」

 

人修羅はギンガへと視線を移し、笑みを深いものに変えた。

 

「一度戦場を共にしたが、場が重なることはなかったしな。お前の実力の大凡が知りたい」

 

「メルキセデクさんが居ないというならば、誰が行うんです? まさか貴方が?」

 

「いーや違う、俺は駄目だ。戦力差があり過ぎる。故に、既に丁度良いのを見繕ってある……丁度良いかどうかはお前次第な訳だがな」

 

「……随分と己の力を信じているんですね」

 

眉を若干寄せたギンガが言う。その表情から自分の力に、それなりの自信があるのだと物語っている。まるでギンガが未熟であるかのような人修羅の物言いが、彼女の気に障ったのだろう。

 

「仕方ねえだろ。事実は事実だ。俺とお前の、というよりかお前等との間に隔絶された力量差があることは事実だ。それとも何か? お前が都市一つ一人で潰せるってなら別だがよ」

 

「………」

 

それに対して、ギンガは何も言えなくなった。なぜなら事実、人修羅は単騎で都市を制圧出来るだけの力量を持っている事は、間違いないのだから。

 

「しかし、その辺りは仕方ない。俺はお前がまだ武を納める以前から、戦いに身を置いていたんだ。勝てる訳が無いのは当たり前だ。それに、今日お前の相手をする奴も中々だぜ? 俺じゃないからって甘く見ると、非殺傷設定だからって怪我をするぞ?」

 

人修羅がそう言って不敵な笑みを魅せた。そして、その背後には既に訓練場への扉が間近に存在していた。

 

「っと、やば。俺何でここ来てんだ」

 

「え?」

 

笑みから一転。焦った表情を作った人修羅に、なのはが疑問の声を出す。

 

「あー、ちと先入って待っててくれ。数分で戻る」

 

返答も聞かず、人修羅は跳躍するような姿勢で駆け出しロケットスタート。僅か数歩で今まで歩いて来た距離を遡った。

 

「人修羅さんどうしたの?」

 

人修羅の声を聞き取れなかったようで、フェイトが疑問顔でなのはに問うた。

 

「さあ……? よく分からなかったけど、先に入っててくれって」

 

一同は一様に首を捻った。が、彼はすぐ戻ると言ったのだから、すぐ来るのだろうと、なのはとフェイトを先頭に、訓練場への扉を潜った。

 

 

「おう、ようやく来たか。」

 

訓練場に入り、まず始めに出迎えたのはゲンヤの野太い声だった。

 

「あれ?」

 

スバルやティアナといった新人達や、ヴィータ、スルト等が居るのは自然な事だ。しかし訓練場と不釣り合いな、そのスーツ姿に何故ここに、と疑問を得た表情でギンガやマリーが声を出す。それを見て、ゲンヤは僅かに笑みを浮かべるとその表情に答える。

 

「いや、本当は応接間で待ってようかと思ったんだがよ、実際に上級悪魔とやらの戦いぶりを見てみたくなってな。管理局で登録されてんのが雑魚ばかりというのが、本当かどうか、な」

 

と言ったゲンヤの視線がが、ふとフェイトに抱かれているヴィヴィオの姿を捉え、止まる。

 

「お、その子が例の子かい」

 

「!」

 

ヴィヴィオはゲンヤの視線に、一瞬身を竦ませ、フェイトへ張り付くように抱きつく。

 

「あー……」

 

その対応ゲンヤが残念そうに苦笑いを浮かべる。痩躯の人修羅と違い、ゲンヤは大柄と言って良い。若干、怯えやすくなっている今のヴィヴィオからすれば、十分に恐れの対象だろう。

 

「まあ、それはそれとしてだ」

 

ゲンヤは一息吐いて調子を整えると、なのはとフェイトを見た。

 

「それで? この嬢ちゃん以外に、面子が増えてる気がしないが、結局人修羅はどこに―――」

 

ゲンヤの言葉は、突如発生した大音によって切断された。たった今閉まったばかりの扉を、盛大に開け放ち、大股で訓練場に入って来た一団があった。

 

「おーっす」

 

入った来た姿は三人。人修羅を先頭にして、そのあとを付いて来たのは、不機嫌そうなトールとセトだった。

 

「待たせたな、ん?」

 

と、人修羅の意識がゲンヤとラッドを見る。

 

「あれ? 協同するのは三人って話じゃなかったっけ? 何で四人居るんだ?」

 

「ああいや、それは誤解だ。俺は共同組じゃない」

 

眉を寄せた人修羅にゲンヤは応じた。壮大に入って来たというのに、早くも驚愕を得ていない辺り、やはりスバルの育ての親と言う事だろう。

 

「……あんたは?」

 

「ああ、初めまして、だな。俺は第一〇八陸士警備部隊の長を勤めているゲンヤ・ナカジマだ。今日は共同の打ち合わせの為だけにここに来ただけだ」

 

「ナカジマ? ああつまり」

 

「うむ、ギンガとスバルの父親でもあるな」

 

「そうか、なるほど。で、という事はそっちのが、最後の一人か」

 

人修羅の視線がゲンヤを離れ、ラッドを見る。黄色の瞳に射抜かれたラッドは、やや緊張した声色で名乗りを上げた。

 

「どうも、ラッド・カルタス二等陸尉だ。こっちでは主に捜査系の任務を担当することになる」

 

「階級無し、無所属の人修羅だ。コンゴトモヨロシク」

 

さて、とラッドから視線を外した人修羅は、ウォームアップを終えた新人達の元へ歩み寄ると、流れるように言った。

 

「準備運動万端なところ申し訳ないが、今日はお前等の鍛錬は暫く後だ」

 

「え?」

 

「は?」

 

四人の内で、斗出してやる気に溢れていたスバルとエリオが、一音発して固まった。ティアナとキャロは、予感があったのか、前の二人程衝撃を受けていない。

 

「え、え? 後?」

 

「人修羅さん! 後ってどういう事ですか!? せっかくギン姉が居るのに!」

 

「その姉のためだよ」

 

迫って来たスバルを、鬱陶しそうに払いのけつつ、人修羅はギンガを親指で示した。

 

「これからあいつも一線に組み込んで動くんだろうが。ひよっこのお前等と違って、アレはそれなりに場数踏んでんだろ? ならどのくらいやれるか見ておく必要が有る。実力も分からねえのに、鍛錬予定なんぞ組めるわけないだろ」

 

「それで人修羅さん? さっき聞き損ねたけど、結局誰がそれを担当するの? トールさんとセトさんを連れて来たって事はもしかして、どっちかなの?」

 

問うたなのはに、しかし人修羅は首を振る。

 

「いや、こいつらはついでで連れて来ただけだ。担当は今から連れて来る」

 

と、いつものように空間を割ろうと、人修羅が拳を握ったそのとき、彼も予期していなかった声が入り込んだ。

 

「一つ、疑問だったのですが、良いでしょうか?」

 

ギンガが小さく手を挙げ、人修羅へ言葉を作る。彼は片眉を上げ、僅かに驚いた様子だったが、すぐさま了承の頷きを作ると、ギンガは問いを放った。

 

「人修羅さんは、ミッドチルダに呼び出した悪魔以外にも、複数の悪魔を従えていますよね? 報告では、以前六課と鉢合わせた、ベルゼブブという大型悪魔も人修羅さんの部下だとか」

 

「ああ、ベルゼブブは俺の仲魔だよ」

 

「ならば、どうして他の悪魔を呼ぼうとせず、既存の者だけで済ませようとするんです? 厚かましいとは思いますが、他の悪魔の協力もあれば、任務や探索も楽になると思うのですが」

 

「あー……」

 

ギンガの言葉に、どこか気の抜けたように人修羅は吐くような息を吹いた。

 

「それについては簡単だ。これ以上悪魔を呼ぶと、世界が危険になる」

 

「え?」

 

「言わば世界は風船みたいなものだと思え」

 

と、人修羅は拳を開くと、腕を組んで、語る姿勢をとった。

 

「世界では生命は常に増え続け、膨張を続ける。とはいえ、その容量には限界がある。そして、悪魔はその容量が総じてでかい。人間は幾ら増えようと、そこまで容量が多いわけじゃないから大丈夫だが、問題は悪魔だ、一つの世界にベルゼブブクラスを十も呼べば、その容量に耐えきれず、世界はパンクする。お前等風に言えば、世界崩壊だ。俺達は別に世界が滅びようが、別にそれほど影響はないから構わんが、ただの人間にとって、死んだ世界は最悪だ。場合によっては即死する。通常世界にそこまでデカい悪魔が出てこないのは、わざわざ世界を崩壊させて、餌になる人間を消し潰す必要がないからだ。まあ逆を言えば、自らの容量を把握してる雑魚は、稀に入って来るってことだが」

 

まあそれは良いかと、人修羅は話の道を正す。

 

「普段なら、まだ何人か呼んでも問題無いんだが、この世界は敵もそれなりのクラスの悪魔を呼んでるみたいだからな。アルシエルにスカディ、観測出来ただけでも二体の上位種族がいた。幸い、俺の知ってる世界崩壊の兆候はないが、警戒はする必要が有る。だから、これ以上は呼べない。これ以上召喚するなら、誰かと交代ってことになる。ガブリエルを呼んだときはピクシーと交代だった、今もな。理解したか?」

 

「はい、概ね理解しました」

 

ギンガは頭を下げ、そう言った。

 

「さて、それじゃ……よっと」

 

気を取り直し、人修羅は虚空に拳を叩き付け、蜘蛛の巣状のひび割れを走らせた。しかしそのひび割れが、いきなり内側から爆ぜるように飛び散った。

 

「!?」

 

普段と違うその現象に、その場に居た何名かの眼に警戒の色が宿る。そして、ひび割れは大口を開ける穴となり、そこから現れたのは、身体の各所に黄金の装飾を付けた、朱色の獣人だった。

 

「あァ……ようやくお呼びが掛かったぜ。焦らせやがってよボス」

 

各所の間接を鳴らし、その豹面の口から、刃の波の如く鋭い犬歯を覗かせて虚穴からミッドチルダへと踏み出してきた。その脚が訓練場を踏んだ際にも、金属音が鳴る。

 

「本当ならお前を呼ぶ予定は無かったんだ。ガブリエルの意見を聞いただけだしな。こっちに来れるのは今日だけだぞ」

 

「おお、んなこたあ百も承知よ。あの大天使には感謝しとかなきゃなあ」

 

笑みを深くした朱の獣人は、そのときやっと人修羅から眼を離すと、警戒心を強くする人間サイドを見た。

 

「よお! 初めましてだな人間共。俺の名は”堕天使フラロウス”だ、コンゴトモ、ヨロシク頼むぜ?」

 

両拳の鉤爪を打ち鳴らし、フラロウスは高らかに名乗りを上げた。

 

「それでだボス。俺は何も聞かずにこっちに来たんだがよぉ。それで、結局何をすりゃあ良いんだ? まさか留守番やらガキの使いで呼んだわけじゃねえだろ」

 

しかしフラロウスと名乗ったその獣人は、まるで貴様等には興味が無いとでも言うかのように、すぐさま人修羅へと向き直った。

 

「当然だ、俺がお前を戦闘以外で呼ぶと思ってたのか?」

 

「はッ、分かってるよボス。で、何を潰しゃ良いんだ俺は?」

 

溢れんばかりの笑みを湛えるフラロウスに対し、人修羅はギンガを指差し言った。

 

「そいつだフラロウス、お前には『ランダマイザ』を付けた状態でそいつと模擬戦をしてもらう」

 

それを聞いたその瞬間、フラロウスは流し目でギンガを見、人修羅へ視線を戻し、再びギンガを見た後に、また人修羅へと向き直った。その顔は驚愕と呆れの感情を隠そうともしていなかった。

 

「はァ!? この俺が? この青二才の御守だとぉ!? おいおいおい冗談だろボス。こっちにゃあの世話好きのメルキセデクの野郎が居んだろうがよぉ、あの野郎はどうした?」

 

「あいつは今別仕事中だ。だからお前を呼んだんだよ」

 

そうかよ、と先程までのテンションはどこへやら、ダウナーモードへ突入したフラロウスは、やれやれといった様子で言う。

 

「つまんねえなあ、ようやくのご指名かと思ったら役割は餓鬼の相手かよ、あーあ」

 

「ぼやくなよ、そうだな……なら結果によっては、フラロウス、お前をメルキセデクと交代でこっちに置いてやる」

 

「おお、良いねえ人修羅卿。そうこなくっちゃやる気が出ねえよ。いいぜぇ、若造の一人や一万、軽ーく喰ってやるよ」

 

「お言葉ですけど」

 

そのとき、人修羅とフラロウスのやり取りに、介入した声があった。当事者でありながら蚊帳の外へと置かれていたギンガだった。

 

「さっきから聞いていれば何です? 人の事を青二才だの若造だの。それ自体否定はしませんけが、舐められるのは気分がよくありませんね」

 

「ギ、ギン姉……」

 

スバルがギンガの袖を引き、姉を嗜めようとするがギンガは一瞥すらしない。

 

「おお、良いぜぇ、気が変わった。生意気な若造を叩き潰すのはいつだって気分が良い」

 

そして毅然と振る舞うギンガに対して、フラロウスの豹面には、最早笑みというものを超えた、牙を向くとでも言った表情が出現していた。そのとき、フラロウスは初めてミッドチルダの人間に興味を持っていた。

 

「ああ、じゃあさっさと試合おうぜ?」

 


 
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