No.780476

混沌王は異界の力を求める 25‐2

布津さん

第25話 暴虐の豹公 後編

容量の関係で前後編となります。前編を先にご覧になってからご拝読ください。

2015-05-30 03:10:36 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:4063   閲覧ユーザー数:3914

「あのフラロウスって悪魔は、どういう能力を持っているんですか? メルキセデクさんの代行ってことは、近接戦に優れているっていうのは分かりますけど」

 

傍らに立つオーディンに、エリオは尋ねた。観覧席の手摺に背を預け、肩越しに訓練場を見るオーディンの眼は、中央に立つギンガとフラロウスを捉えていた。

 

「奴は白兵戦の達人よ。しかし、近接に特化しすぎてもいるがな……メルキセデクは衝撃魔法や弾丸といった、遠距離へ対応できるものを持っている。がフラロウスはそんなものは一切無い。殴って斬って喰らいつくだけだ。しかしその一点突破が厄介でな……我が主も人が悪い」

 

「え?」

 

「あのギンガとかいうスバルの姉は、妹と同じく近距離戦特化だろう? 相性的には最悪の部類だ。何故ならフラロウスは白兵戦の一点特化故に、同系統の武芸者では太刀打ちする事が出来ぬからだ」

 

「でも、ギンガさんだってそうとうの達人ですし……そこまで酷い結果になるんですか?」

 

「ああ、試合が始まればすぐに分かる。奴の異常性がな」

 

訓練場には、詳しい説明の為に、人修羅となのはが降り立っていた。

 

 

「じゃあ、改めて詳しい説明だ。お前は制限時間内にフラロウスへ直に攻撃を通すことが出来れば勝利、制限時間のオーバー、または戦闘不能にさせられれば敗北だ」

 

「直に通す? つまり当てるだけでは駄目だと?」

 

「うん、例え攻撃を当てる事が出来ても、防御されたり、擦ったりしただけなら駄目。カウントは止まらないの。直、だから直接攻撃しないと駄目だよ」

 

「フラロウス、お前は何か質問は?」

 

「おお、一応聞いておくがよ。俺が制限時間内こいつから全力で逃げ回って、俺の勝ち……ってのはありか?」

 

「お前はそんな姑息な奴だったか?」

 

「かは! 無えよ言っただけだよボス。俺はただ『ランダマイザ』くっつけたまま、人間一人壊しゃいいんだろ? キッハハ、楽勝じゃねえか。あいつ風に言えば、こうだな……Too easy」

 

「……それはこっちの台詞ですよ」

 

「ああ、上等だよ糞野郎が。喰い殺してやる」

 

「念のため言うが、殺生は禁止されている」

 

「おお、んなこたぁ百も承知だよ。萎えるようなこと言ってくれんなよボス」

 

ゆらゆらと手を振るフラロウスを前に、ギンガは訓練場へと降り立つ前、スバルやティアナから言われた言葉を回想していた。切実とも言える真剣な表情で、彼女等は口々にこう言った。

 

「ギン姉、防御しようなんて考えないで。攻撃は全部避けて。ずっと動き続けて」

 

「安牌だけじゃ潰されます、無謀だと思っても活路があるなら切り開くべきなんです」

 

「あり得ないはあり得ません。どんなに荒唐無稽でも、向こうにとっては再現可能なんです」

 

「予想外は常なんです。柔軟に考えなきゃすぐに倒されちゃいます」

 

「………」

 

どこまでも真摯な八つの瞳に、ギンガは頷いて返答をすることしか出来なかった。

 

「さー……てと、それじゃあ、そろそろ始めようぜぇ?」

 

言われた言葉を噛み砕いている間に、正面の悪魔は戦闘態勢へと入った。しかし、彼は構えを取るのではなく、いきなりギンガも予想していなかった行動に出た。

 

「え、剣? 段平……剣術使い?」

 

フラロウスが背から抜くように携えたのは、幅広の赤い刃。両手用の大剣を、フラロウスは片手で悠々と扱っている。しかし、その行為は、メルキセデクの代行という情報から、格闘術使いということを前提で考えていたギンガの予想と、作戦を微塵に砕いた。

 

フラロウスは段平を正眼の構えに納めた。見れば既になのはは場外へ退避し、人修羅はカウントを開始しようとしている。

 

「………」

 

故に、ギンガは己が最も得意としている構え。利き腕を引き腰を落とす。剣を持ったからといっても、近接戦になるのは変わらない。シューティングアーツを使用する上で最も有用な構えを取る。

 

「スタートッ!」

 

開戦の号砲とともに、人修羅の姿が幻影のように掻き消える。瞬間、フラロウスは再びギンガの期待を裏切った。

 

「おら……よォッ!!」

 

フラロウスが段平を用いた攻撃を仕掛けていた。ただし、剣術では無く、全力投球だった。

 

「嘘ッ!?」

 

悪魔の膂力から投じられた刃の弾丸は、その質量からは想像も出来ぬ速度で風を切り裂き、ギンガの胸に吸い込まれるように狂いなく飛んできた。

 

「くっ!」

 

流石というべきか、ギンガは不意打ちに近いそれを、背後へ下がりつつ、身を横にすることで何とか回避に成功した。獲物を逃した段平は、代わりに数メートル背後のビル壁面へ着弾、そして貫通し、視界から消えた。そう、ギンガは段平を眼で追ってしまったのだ。ほぼ反射神経に近い動作で回避したが故に、段平に注目し過ぎ、投手フラロウスを視界の外へ追い出してしまった。試合前に新人達に言われた内の一つを、既に破ってしまった。

 

「なあ、どこ見てんだよゴラァ!?」

 

その声は、ギンガの耳元で響いた。フラロウスは見せつけるように、緩慢な動きで右腕を振りかぶっていた。不意を打つ攻撃ではあり得ない程遅いその動作、しかしその動作には、生存本能が絶叫する程の恐ろしさがあった。

 

(当たったら死ぬ!!)

 

「ウイングロードッ!!」

 

打たれる前に潰せるなどとは思わない。非殺傷設定の事など頭にはない。地上に居れば消し炭は免れない。脳内で叫ぶのは、純粋な生存本能を恐怖心だけだった。咄嗟の判断でウイングロードを発動、四肢や各部を一斉駆動し、その一撃から逃れるためだけに加速する。直後。

 

『冥界波』

 

破壊の激震が訓練場を轟かせた。フラロウスの放った衝撃の暴流は、冗談のような破壊力でアスファルト製の地面を半径二百メートルの円状に陥没させ、範囲内の総ての建造物を倒壊、そして粉砕。それだけに留まらず、衝撃波は訓練場を舐めまわすように這いまわった。それによって発生した砂塵は波濤となり瀑布を生んだ。悪魔達は、人間を相手に戦闘行為を働く際は、砂煙や暗闇で視界を奪う事を非常に好む傾向にある。理由は説明するまでもなく、人間の大半は、策的には気配や音よりも、視覚を使用することを知っているからだ。

 

「おい、避けたなこれを。テメエの負けだ」

 

辛うじて『冥界波』の攻撃圏内から逃れていたギンガは、再び聞こえて来たその声に軽い戦慄を覚えた。そして身構える間もなく、豹公の暴虐劇が幕を開けた。

 

「ッ!?」

 

砂塵を切り開き、断ち切りの暴威が放たれた。

 

『アイアンクロウ』

 

遠距離だというのに、その力はこちらに届こうとして来た。フラロウスの眼前から伸びるウイングロードを四つに解体しながら、三本の切断の力がこちらへ向かって来ている。

 

「チッ!」

 

とっさの判断でウイングロードを直角に左へへし折り、強引な方向転換を行う。爪の切断力は、ギンガを切断することなく、そのまま延長線上にあったビルを縦に四等分すると、そのまま彼方へと抜けていった、『アイアンクロウ』上下に長い形をしている、それ故に、左右への回避は余裕を持って行うことが出来た。そして、そんな単純な行動で回避できるような簡単な攻撃をフラロウスがするわけがない。

 

「え?」

 

そのとき、ギンガが感じたのは浮遊感。ウイングロードは未だに展開中だ、自分の行き先へ先行して発現するこの術式は、例えどんな無茶な動きをしてもついてくる、移動系魔法の内では、汎用性の高い術式だ。

 

「な!?」

 

見れば、足元のウイングロードが消滅していた。否、消滅では無い、切り離されていたのだ、『アイアンクロウ』は回避し、フラロウス自身もここにはいない。ウイングロードを解体したその犯人は、フラロウスの投じた朱の段平だった。

 

『乱心の一刀』

 

持ち手は居ない。朱の刃は自らが勝手に動き、勝手にウイングロードを解体しているのだ。そして、一瞬とはいえ、自由落下に身を任せたギンガへ、激烈な殺意が叩きつけられた。

 

「オラァ! ちんたらしてんじゃねえぞ青二才があ!!」

 

殺意はギンガの頭上から来た。瞬間移動ともとれる速度でギンガの頭上へ移動したフラロウスは、踵落としの型でギンガの頭頂部目掛け、剛脚を振るった。

 

「くっ……!」

 

空中であるにも拘らず、ギンガは身を反らし、何とかその一撃を回避しようと試みた。しかしフラロウスの技の切れ味は、ギンガの予想を嘲笑うが如く上回り、頭部への直撃こそ逃れたものの、喰らいつく先を変更した踵は、ギンガの胸を穿った。

 

「カフ……ッ」

 

フラロウスにとって、その攻撃は別に必殺でも渾身でも何でもない、ただの攻撃だったはずだ。しかしその一撃でギンガは胸部が喪失したかのような衝撃を受けていた。否、非殺傷設定と『ランダマイザ』がなければ、実際にそうなっていた確率は高い。そしてそのままギンガは、宙から叩き落され、アスファルトの大地へ叩き付けられた。その衝撃で辺りには収まりかけていた粉塵が再び舞う結果となった。しかし、その結果を見ても、フラロウスは追撃の為に地上へ向かった。なぜなら胸部着弾のその瞬間、回避不能と判断したギンガが、着弾箇所にシールドを展開させていたからだ。肉を穿つ感触と盾を穿つ感触は違う。衝撃こそ逃せなかったものの、あれではすぐさま復帰してくるだろうとフラロウスは判断した。そしてフラロウスが大地へ降り立ったとき、既にギンガは立ち上がっていた。

 

「良い、面白え」

 

あちこち汚れてはいるものの、ギンガは戦闘続行に何ら支障はなさそうだった。

 

「おい、やるじゃねえか。ただの若造かと思ってたがよ。なかなか粘るじゃねえか。しかも、その様子じゃあ落下のダメージも大して入って無えな?」

 

フラロウスはギンガが叩きつけられた際に作り出したアスファルトの着弾跡を見てそう言った。一点の叩き付けにしては浅く、何よりひび割れが広範囲に広がり過ぎている。恐らく受け身が間に合ったのだろうとフラロウスは判断した。しかし、問われたギンガは何も答えず、荒い息を吐きながら、ただ睨むような視線でフラロウスを射抜くだけだった。

 

「おお、別に答えなくて良いぜ? 今のは言わば振るいだ。テメエがどこまで喰いついて来れっかのよ。戦場じゃあテメエは今頃挽き肉だが、この場においては合格だ」

 

なあ、だからよ。

 

「こっからが本番だ。気合入れねえと喰い殺すぞォッ!!」

 

瞬間。フラロウスの殺意が爆発的に膨れ上がった。

 

 

「うわ、えげつな……」

 

訓練場は砂煙に包まれており、通常ならば内部の様子を肉眼で見ることは不可能だ。だが六課の訓練場は人修羅の魔改造により、通常の施設とは異なるオプションを幾つか搭載している。その内の一つ、観客席からは煙幕や砂塵を除去する、フィルターによって、砂塵の瀑布も関係なく、視界良好な光景を見せつけていた。そしてその光景を前にして、エリオは一言そう言った。

 

「あー、オーディンさんの言ってたことが何となくですけど分かりました」

 

エリオの眼が心底嫌そうに歪んだ。その視線の先では、ただひたすら、八の字を描くような軌道で回避行動をとり続けるギンガと、その周囲を飛び回る、もはや二つの朱の残影にしか見えないフラロウスと彼の段平、そしてそれを彩る火花が写っていた。

 

「一見ただの連撃ですけど、実際はあれ、視界確保出来てないんですよね」

 

「エリオ、貴様が考えている数段フラロウスのアレはえげつないぞ?」

 

「え?」

 

とオーディンは疑問顔を作ったエリオに言葉を作った。

 

「貴様が考えている二倍、あの連撃は厄介だ、特にあの段平がな。我の槍の様に、持ち主と強い同調のある武装は、ある程度主人の意向を汲んで動く。微量だが、意思があるのだよ。トールの槌、スルトの太刀も同様だ」

 

しかし、とオーディンは暴れまわる朱の段平に眼を向ける。

 

「あれは更にその一つ上といっていい、格は兎も角としてな。神格クラスの武装ではないが、あれはフラロウスの一部だ、手足の様に完全に操作することが出来、尚単独で動く。そして本体と段平の双方で、意識を共通しているゆえ、己の補助を己がするという荒業も可能だ。共有していないのは痛覚くらいか。一対一において、あれほど厄介な奴もそうは居ない。そうでなくとも、純粋に手数が一つ多いということでもある。あれと殴り合うのは阿呆だ」

 

そして、とオーディンはエリオに眼を向ける。

 

「エリオ、貴様がもしあの状況になったなら、どうやって活路を切り開く?」

 

その問いに、エリオは暫し考え込み。そしてオーディンの眼を見て言った。

 

「取り敢えずただ逃げたんじゃ、確実に付いて来ますし。まず無理やり広範囲を薙ぎ払って、態勢を立て直します」

 

エリオの言ったその回答を、オーディンは鼻で笑って一蹴した。

 

「僕の回答、間違ってました?」

 

「否、間違ってはいないさ。通常ならばな、しかしフラロウスに限ってそれでは落第点だ。我やセデクも例外ではないが、奴だけは別だ」

 

「? 何故です?」

 

オーディンは再びフラロウスへ視線を向けた。その瞳には、一種の羨みのようなものが混じっていた。

 

「奴はな、その殺気が尋常ではないのだ」

 

 

正直、試合前の彼の言動から、フラロウスの格闘術は力任せの荒れたものだろうと予測していた。とんでもない、その技の切れ、鋭さは、鍛え抜かれ、極限にまで砥ぎ済まれ洗練された達人のものだ。今は記憶の中にしかない、自分の母でもあり師でもある、クイントと比べでも何ら劣るものではない。

 

「オラァッ! もうへばったかよ!?」

 

『ミサイルパンチ』

 

『三日月斬り』

 

フラロウスの戦闘スタイルは外見と違い、獅子というよりかは、寧ろ狼。付かず離れず、組み技(グラップル)に頼らず、一撃離脱の連続だ。それは狼の狩りに似ている。その捉えきれぬ速度故に、得意とするナックルバンカー等のカウンターが機能しない。そして問題それだけでは無い。

 

『パワーウェイブ』

 

時折、一切の規則性なくフラロウスの気紛れで、ランダムにやって来る激震。空戦適性の殆どない自分は、常に大地を軸として動く、故にそれ自体を揺るがす技、地震には回避の手段は存在しない。一瞬とはいえ、身体の軸を揺らされる攻撃は、爪牙と刃の連撃を回避し続ける上で、致命的な隙となる。今はまだ、ブリッツキャリバーの自立駆動で致命傷にまでは、至っていないものの、それも時間の問題と言える。逆に言えば、自分のデバイスがブリッツキャリバーでなければ既に敗北しているということだ。

 

「きひッ! クハハハッ! 鈍いんだよぉッ!!」

 

『アクセルクロー』

 

『からたけ割り』

 

そして更に、ギンガの動きを鈍くする者がもう一つあった。フラロウスの放つ殺気の異常さだ。

彼から放たれる殺気が尋常ではないのだ。普通の武芸者であれば、殺気の乗る箇所は自ずと定まる。例えば剣先、例えば拳。相手を破壊しようとする意志は、自ずと武器に集中するものだ。達人ならばそれを読み攻撃を回避することもできるし、逆に消すことで回避させぬようにすることもできる。

だがフラロウスは殺気が異常なのだ。爪や牙は勿論の事、膝や咆哮、あまつさえ腹や二の腕からさえも、等しくこちらを殺傷しようという意思が溢れている。殺気を消すことで攻撃を読ませないようするのではない。殺気をぶちまけることで攻撃を読ませないようにしている。フラロウス自身にその気があるのかは定かではないが、その殺気の化物とも言うべき悪魔の暴虐に、ギンガは回避というよりかは、距離を取り続けることで何とか直撃を避けていた。

そして更に厄介なのはもう一つ、勝手に動く段平だ。砂塵に紛れた朱の刃は殺気を一切放たない。故にこちらも攻撃が読めない。まだまだ一流には程遠いとはいえ、ギンガもそれなりに戦場を経験した軍人だ。フラロウスと段平、それぞれを相手にするならばいくらでも対応方法があるだろう。しかしそれが同時になった場合。一流の武芸者でも舌を巻く現象を生む。幾ら殺気が無いとはいえ、戦いの中で感覚が鋭敏化すれば、自ずと気配は掴めるようになる。しかし感覚が鋭敏化すればする程、膨大な殺気を放つフラロウスへ、どうしても意識が向く、結果としてギンガは気配も殺気もない刃を、何とか勘を頼りに回避し続けていた。

 

「おい、青二才。このまま逃げ切れるとでも思ってんのかコラ」

 

フラロウスの攻撃を回避し続けるギンガは、絶え間なく浴びせられ続ける挑発や嘲笑に、何の返答もせずにいた。否、実際にはどこに返して良いのか分からないのだ。聞こえる声も四方から八方へ、神速で動き続けるフラロウスに付いて回るため、声すらも全方位から纏わりつくように感じるのだ。

 

事態は防戦一方、一撃を加える隙すらもフラロウスには無い。時間の経過はフラロウスへと味方する。状況は徐々にギンガを追い詰めていた。

 

 

「………」

 

しかし一方。窮地に陥っているギンガを尻目に、キャロはそれよりも、左隣の存在が気になってしかたなかった。

 

「………」

 

「………」

 

ただひたすら、手元のレタスを口に運び続けるセトの存在があった。試合中にも関わらず、レタスを食し続ける教官に対し掛ける適切な言葉を、齢十のキャロは得ていない。否、たとえどれだけ年を重ねようと、そんなものがあるはずないが。

 

「あの、セト、さん?」

 

しかし気になるものは気になった。

 

「何?」

 

「そのレタス、何ですか?」

 

「トールから貰った」

 

「………」

 

会話が途切れた。

 

「……セトさん、トールさんと朝、喧嘩してましたよね? それがどうして……」

 

「まあ、色々あったのよ。それで最終的にあっちが悪いってことになって、それは慰謝料代わりみたいなもの。まあこれが無かったら……そうね、本気で消したよ」

 

丸ごとのレタスを抱えたセトが吐き捨てるように言った。しかし抱えた野菜の影響で、普段ならば他を威圧するプレッシャーも、その威力を減衰させていた。

 

「レタス、好きなんですか?」

 

「うん私、レタス好きよ」

 

「そうですか……」

 

「自分のレタス畑も持ってるよ」

 

「そ、そうですか……」

 

微妙に反応に困った表情で対応するキャロとは正反対に、セトは外見相応の笑みを浮かべ、レタスの葉を千切っては口に運んでいる。茹でるどころか、調味料すら一切ないというのに、その手は休む事無く、それどころか加速している。

 

「トールは雷神であると同時に、農耕神でもあるからね。私の自家製には劣るけど、それなり品質のレタスだよ」

 

と言って一息吐いたセトは、抱えたレタスを掲げてみせた。しかし、それなりと言った彼女の言葉とは裏腹に、野菜に疎いキャロですら、そのレタスは見ただけで非常に青々として瑞々しく、良い品質のものだと分かった。しかしキャロはそこまで思って、はっ、とレタスに思考を奪われていた自分に気付き、慌てて脳内からレタスを追いやりそのスペースに試合のことを入れると、それを補強するようにセトへ尋ねた。

 

「セトさん、この試合の結果、どうなると思いますか?」

 

「んー、私からは何も言えないよ。フラロウスの実力は知ってるけど、スバル姉の方は知らないしね。口伝だけだとどうしても齟齬がでるし、実際見なくちゃ判らない」

 

レタスの芯をくるくると弄び、上機嫌にセトは言う。

 

「セトさんは……この模擬戦の結果、気にならないんですか?」

 

キャロはどうにも、今の言葉からセトがこの場に居るのは、付き合いや成り行きといった、なあなあなもので、他の悪魔と比べどうにも試合結果への興味が薄いように感じられるのだ。

 

「んー? そうね。気になると言えば気になるけど、知りたいとまでは思わないかな」

 

「理由は、聞いても良いですか?」

 

「どっちが勝っても負けても、そんなにこれから先に影響しないからだよ。我が主はナカジマ姉がどうなろうと、結局は同じように指導するだろうし、それななのはも同じでしょ? それに一番の理由は、この試合はあくまで字の如く、試し合いでしかないから。ギンガが今も動き続けていられるのは、非殺傷設定とフラロウスに付与されてる『ランダマイザ』のおかげでしかない。その二つの内のどちらかが欠けてれば、ナカジマ姉はさっきのフラロウスの踵落しで絶命してる。フラロウス、うぃーん。私にとってはもうそこでこの試合はお終い。後は余興みたいなものだから」

 

普段通り、眠たげな無表情で淡々とセトは言った。その口ぶりから、キャロはセトに対する先程までの認識を改めた。セトは試合結果への興味がないのではない。戦闘に対する構えが実戦を想定したものしかなく、どこまでもシビアなのだ。

 

「我が主に言われたこともあるけど、試合と戦争は違う。そんなことは頭の中じゃ当たり前に分かってるんだけどね。でも、貴女でも聞いた事あるでしょ? 練習は実戦のように、実戦は練習のようにって。なら、戦いはすべからく実戦だと、私は思ってるから。スルトやオーディンみたいな眼線には立てないよ」

 

と、セトは困ったようにはにかむと、誤摩化すようにレタスを口に運んだ。そんなセトに対し、キャロは言う言葉が見つからず、空を泳いだ視線は最終的に訓練場へと戻った、が。

 

「ねえ、良い機会だから一つ聞かせてくれる?」

 

「え?」

 

すぐさま視線はセトの元へと戻った。見れば、セトは既にレタスを喰らい尽くしており、残った芯を手持ち無沙汰に弄んでいる。

 

「キャロ、貴女何故、時空管理局に入ったの?」

 

「え……?」

 

そう問うたセトの瞳は、先程までの眠気を完全に喪失し、滅多に見せない凛としたものだった。

 

「貴女の召喚術は、我が主の足元にも及ばないけど、人間の中じゃそれなりに強い。故郷でも食べてくのには困らなかったはず。この世界のコトワリを私は理解してないけど、齢十で軍属、っていうのはちょっと考えづらい。召喚術が生まれながらのものなら、故郷でもっと修行を積めたはず」

 

といって、セトは可愛らしく首を傾げた。

 

「……追い出されちゃったんです。私、ル・ルシエの里から」

 

「何故? 聞いていい理由なら聞きたい」

 

聞きたい、と言われても、実はキャロ自身、何故自分がル・ルシエの集落から追放されたのか理解出来ているとは言えないのだ。

 

あの頃の自分はまだ幼く、何故自分が集落から出て行かねばならなかったのか、今でも十全に理解出来ているとは言えない。辛うじて覚えている過去の記憶を読み返せば、どうやら自分がフリードを卵から孵したのが拙かったらしい。が、そこまでしか分からない。ル・ルシエの集落の内には、自分よりも下の齢の者が卵から竜を返した例もあり、力量に関しても、集落の内の何人かは、ヴォルテールと同種族の竜を複数召喚しても平然としている者も居たと記憶している。年齢でもない、力量でもない、ではなんなのかと問われれば困ってしまうが、自分でも分からず、かといって追放された自分がル・ルシエの集落へわざわざ聞きに往くのもおかしな話だ。そして結局、その理由は今になっても分からない。

 

「追い出された、からでしょうか。行く先々で、厄介者扱いされていた私を拾ってくれたフェイトさんには凄く感謝してるんです。だから、少しでもフェイトさんの役に立ちたくて、六課に来たんです」

 

そしてその思いをそのまま言葉としてセトへ伝えたとき、彼女は一つ頷き、言った。

 

「そう、キャロ貴女は居場所や仲間に餓えてたの。一種の刷り込みみたいなもの?」

 

「です、ね」

 

キャロは困ったようにそう言った。そんな彼女に微笑み返したセトは、少しの間キャロの足元のフリードに視線を落とすと、呟くように言った。

 

「なら、今その理由を、追い出された理由を知れるとしたら、知りたいと思う?」

 

「え?」

 

その問いに、キャロは数瞬の思考を使った後、緩やかに首を振った。

 

「知らなくても困らないことなら、知らない方が良いです。変に嫌な事を知って、嫌な気持ちにはなりたくないですから」

 

「そう……オーディンなら嫌な顔するだろうけど、私は貴女が良いと思うならそれで良いよ」

 

と微笑を浮かべたセトは、レタスの芯を衝撃魔法で粉々に消し飛ばし、レタスの粉塵を撒き散らすと、訓練場へ視線を戻し言った。

 

「あ、どうやらナカジマ姉、フラロウスの殺気のトリックに慣れたみたいね。試合が動くよ」

 

その言葉に釣られ、キャロも訓練場を見た。故にキャロは気付かない。試合に興味など無いと言ったセトが、爛々と龍眼を輝かせ、かつて無い程凶悪な笑みを湛えていたことなど。

 

 

ギンガは攻撃を受け流す効率化を完了させていた。全身から殺気を放ち、攻撃が予測不能のフラロウスとはいえ、殺気を放っていることには違いないのだ。煙幕に紛れていても、フラロウスの殺気を捕らえ、彼の位置を把握することが出来る。開始直後は、その異常な殺気に驚愕し、殺気を読むことが出来なかったが、今ならば可能だ。

 

(右爪の後に刃が来る!)

 

そしてそれに伴い、朱の段平の動きもある程度は、分かるようになり、初めのころには全て擦過傷を受けていた粗末な回避も安定し、擦過傷すらも得ること無く、結果としてギンガにはフラロウスに対して反撃出来る余裕さえ出来た。一発も当たってはいなかったが。ギンガは動きこそ安定したものの、内心の焦りは増していくばかりだった。フラロウスへ安定して反撃出来るようになるまで制限時間があるとは思えないし、何よりそれよりも早く、フラロウスが攻撃パターンを変える可能性もある。だからギンガは賭けに出ることを心に決めた。狙うのはカウンター、今の今までフラロウスの攻撃から逃れていた手段は、バックステップと四肢を使って去なすことだけだ、単純な回避は行っていない。だからギンガは次の攻撃にそれを解放し、カウンターを決める為にリボルバーナックルに拳を作った。そして丁度そのとき、膨大な殺気が大きくうねり、捻るような攻撃を加えようと、気配をこちらへ飛ばしてくるのが分かる。

 

(動きは分かってる、右の直蹴り、それなら右に捻ってカウンターで穿つ!)

 

砂塵に紛れ、凶悪な殺意が来た。そしてそれは、ギンガの予測通り直線の攻撃。ゆえにギンガは滑るような、最小限の動作でそれを回避し、そして攻撃して来た殺意の根源をリボルバーナックルで穿った。直撃の振動はギンガにも伝わり、その一撃が芯へ響くものだったことを教えて来た。

 

「!?」

 

しかし、そのときギンガの予想もしていない音が鳴った。想定していた肉を穿つ音ではない。高く響く音、金属音だった。穿ったのは、朱色の刃。彼の大剣だった。

 

彼の殺気はあらゆる箇所から平等に放たれる。それは彼の手から独立して動く、段平も例外ではなかった。

 

(入れ替わった!?)

 

ギンガは殺気を放つのはフラロウスだけだと誤認していた。彼はこちらが殺気に慣れて、居場所を察知される大凡の予測を立て、一瞬で殺気を放つ役目を刃と入れ替わったのだ。巻き起こした砂塵は、攻撃を読ませないようにするものではなく、交代を悟られぬためのものだったのだ。

 

「なら本体は―――ッ!?」

 

疑問の答えは直後に来た。塗装されたアスファルトをぶち破り、朱の双手が地面から生えた。双手は容易くこちらの右脚と左腕を掴み、そしてそのまま地中に戻った。

 

「かは! 捕らえたぞぉ!」

 

「―――ッ!」

 

右脚と左腕が地中に引きずり込まれ、ギンガは伏せるような体勢を強制された。段平を穿った直後で、姿勢を低くしたことが災いした。そして追い打ちが如く、眼前では、弾いた刃が二の太刀を放とうとしていた。対角線上に引きずり込まれ故に、全身を反らして段平の二の太刀を回避することが出来ない。よしんば反らすことが出来たとしても、この戦闘生命体が、その程度で交わすことの出来る攻撃をしてくるはずはないのだが。

 

『デスバウンド』

 

荒れ狂う段平は、全てを巻き込む刃の波をぶちまけた。

 

「ッ!」

 

ギンガの判断は刹那だった。引き込まれた左腕にはリボルバーナックルが装着されている。今このときにそれを失えばフラロウスへ有効な攻撃手段を失い。勝利を得ることは不可能になる。ゆえにギンガは、斬撃波の届くその間際、無事な右腕を使い肩からの加速で全力で地面を殴りつけた。今の今まで一切の被弾をしなかったフラロウスも、流石に地面越しの攻撃は防ぐ手段を持たなかったようで、ギンガを拘束する腕が、一瞬だけ力を抜いた。

 

「ブリッツキャリバーッ! カートリッジリロードッ!!」

 

『Yes sir Reload』

 

このとき、ギンガは試合であるにも拘らず、カートリッジをリロード。魔力の増幅を行い、フラロウスが力を緩めた隙に、ウイングロードを発動。拘束を振り抜き、一気に戦線から脱出を計った。

 

「痛ぅ……!」

 

しかし勿論、何の被害も無く脱出出来るはずなど無い。大地を穿った右腕、そして脱出の初速の為の蹴り脚に使った左脚が斬撃の波に呑まれた。そしてやってくるのは、まるで沸騰した熱湯を浴びせられたかのような激痛だ。斬撃特有の熱い痛みが右腕と左脚に広がった。

 

「高くは飛べない、か……」

 

非殺傷設定のおかげで、未だにギンガは五体満足でいられているが、肉体ダメージは相応のものがある。既に右腕と左脚は、見てくれは正常なものの、実際は激痛を訴え続ける鉛が装着されているような状態だった。感覚もなく、ただ重いだけのそれがくっついているだけの状態でありながら、ギンガが未だに姿勢を崩さずにいられるのは、ひとえに妹を上回る強靭なバランス感覚と、ブリッツキャリバーという移動補助の自立型デバイス故だった。

 

「一旦どこかで体勢を整えないと……」

 

しかし、幾らギンガがバランス感覚に優れているとはいえ、腕一本脚一本を相殺出来る程突き抜けているわけではない。そこまでいけば、魔人アリスと同等ということになる。ギンガは、フラロウスから避難する為に、オフィスビルの乱立している区画へと逃げ込み、裏路地の一つへと身を潜めた。

 

「ふぅ―――」

 

壁に背を預け、肺の古い空気を全て入れ替えるが如くの吐息を、ギンガは行った。しかし、それでもその眼は、常に警戒を怠らず鋭い。通りの出入り口である左右は勿論、前後のオフィスビルにも警戒の視線を向ける。

 

ビルとして代表的、そして最も一般的であるオフィスビルは、見てくれは巨大な長方形の立体だ。そしてそれに見合う質量と重量。しかし内側は完全な空洞と言っていいほどスカスカだ。ギンガも、スバルからも軽い話で聞いたが、以前あった模擬戦の際、セトは接近を覚られぬよう、銃撃音に紛れ、ビルの内部からフェイトさんへ近づいたという。そしてならば、フラロウスが突如壁をぶち破り、攻撃を仕掛けて来る可能性も十分にある。何せ、土中から攻撃を仕掛けて来たような相手だ。全方位を警戒したって足りない程だと、ギンガは張りつめた意識を、更に研ぎすませる。

 

(カートリッジは……あと二発か)

 

尖らせた意識の中でも、ギンガは己の状況を確認していた。元々想定していたのは訓練で、カートリッジを使用するなど考えてもいなかった。そのため試合開始時点で使えるカートリッジは、リボルバーナックルにそもそも装填されていた三発しかなかった。

 

「―――……、?」

 

そのとき、ギンガの視界が妙なものを捉えた。前方のオフィルビルの付け根程に、横一直線の黒い線があったのだ。それはビルの端から端まで定規で引いたかのように伸びた直線で、背を付けている側のビルにも同じものがある。踵でその感触を確かめてみれば、黒の線は横一閃の切り込みだった。

 

「あっ……」

 

そのとき、ギンガはその線の正体が何なのか見当がついた。フラロウスが開幕二撃目に放った大技だ。おそらくアレの影響だろう。あれは地を這う衝撃波だった。あれの射程がどれほどまであるか知らないが、少なくともこの状況からここまで届いているのは確かだ。

 

「つまりビルを支える支柱なんかも、根こそぎ地面から切り離―――」

 

そこまで思って猛烈に嫌な予感に襲われた。とそのとき、それを肯定するように、眼前のビルが地鳴りを伴って迫って来た。

 

 

そのとき響いたのは、模擬戦が始まってから一番の地響きだった。何が起きたかなど、火を見るよりも明らかだ。乱立するビルの内の一つが、無造作に、身じろぎをするように隣のビルへぶつかったのだ。そしてその直前、魔力反応から、ギンガ・ナカジマはその間に居たことが分かっている。

 

「潰れたか?」

 

「潰れたろう。退避が間に合った気配は無かった」

 

「ミンチ? ぐしゃぐしゃ? どっちにしろ葬儀は大変そうね」

 

「愛らしく言ったつもりだろうが表現が(むご)いぞ。仏教であれば、経くらいは唱えてやるのだがな」

 

何とも無感動に、潰されたであろうギンガに対し、感想を述べた悪魔達とは違い、ゲンヤやマリーはそうはいかない。非殺傷設定がかかっているのはフラロウスという個体だけなのだ。彼が動かしたビルにまで、その効果は及ばないのだから。

 

「大丈だろ」

 

慌てふためく彼等、彼女等に、人修羅は実にあっけらかんと言った。

 

「いつかのトールと違って、あいつはああ見えても超冷静だから、最悪でも虫の息程度で済んでいるはずだ」

 

「虫の息……それが程度か!?」

 

動揺が怒りへと変貌したのか、ゲンヤが人修羅へと詰め寄った。無理もないだろう、ゲンヤにとってギンガは、部下である以前に娘なのだ。ゲンヤは憤怒の形相で人修羅の胸ぐらへ掴みかかる、だが人修羅は逆にその腕を掴み、底冷えのするような凶悪な笑みを浮かべ、言った。

 

「無問題だ。分かるか? 無問題なんだよ。俺が誰だが理解してるか? 例え脳が死んでようが、五体がバラバラになってようが、内蔵全部が潰れてようが、死んでなきゃ安い」

 

「―――!」

 

「死ななきゃ安い、良い言葉だ。そうだとも、精神肉体にかかわらず、死にさえしなければ、何度でも再起出来る。貴様の娘がどうなっていようが、俺が元通りにしてみせよう。俺ならそれが出来るんだよ。無問題だ」

 

人修羅の嗤いに、怒りの全てを蹂躙されたゲンヤを突き放し、人修羅は更に言葉を重ねた。

 

「それ以前にな、父親なら娘を信じてやれよ。お前の娘はそんな安い死に方が出来る程度の奴なのか?」

 

「………」

 

人修羅の言葉に何か思うものがあったか、それとも気配に気圧されたかゲンヤはすっかりと怒りが失せ、重力に任せるように観客席の一つに腰を下ろした。そこにスバルが駆け寄り、何か言葉をかけた。

 

「つーかよ、お前等も一々煽るなよ」

 

座ったゲンヤから視線を離し、人修羅は己の仲魔達に眇の視線を送った。

 

「煽った方が盛り上がるでしょ?」

 

「気付かぬ者が悪い」

 

「我が主も言えた立場では有るまい」

 

「然り然り」

 

その視線を受けた悪魔達は、皆が皆軽薄そうに笑った。その様子を見、言葉を聞いたなのはが、何かに気付いたように小さく声を上げた。

 

「人修羅さん、もしかして……」

 

「おお」

 

と人修羅が、すっかり慣れた操作で、手元のモニタを捜査した。

 

「魔力反応。というかこれお前等の技術だろうが、何でお前等は気付かないんだよ」

 

訓練場全域を映したモニタの内には、ギンガとフラロウスの魔力反応が変わらず存在していた。

 

「……なんだ、ひょっとして、俺は弄ばれたのか?」

 

「その言い方は気持ち悪いから止めてくれ。だが、まあそういうことになるな、無知を装って煽ってみたが、なるほど良いお父さんじゃないか」

 

「茶化すな、これでも本気だったんだよ」

 

ゲンヤが更に脱力した様子で手を振った。

 

「……なあ」

 

その光景を、一切眼をそらすこと無く見ていたヴィータは、腹立たしげともとれる、意味の無い声を吐いた。向かう先は他の悪魔と談笑を続けていたトールだった。

 

「どうした?」

 

「なあ、トールお前等は魔力反応を見てたわけじゃ無えんだろ? ギンガが無事だって何で分かったんだよ?」

 

ヴィータは完全に見上げる形で、傍らのトールを見た。未だに小さいヴィータと、巨人ともいえるトールには二倍近い差があり、ヴィータはトールを見上げる為にかなり急な角度で首を上げていた。

 

「逆に尋ねるが、貴様は分からなかったのか? 敵を仕留めた際の手応えを」

 

「そりゃ自分が仕留めりゃ分かるけどさ、他の奴がやったのまでは分かんねえよ」

 

「駄目だな」

 

「……おい」

 

「戦場において何時何処何処で誰が何故絶命したか。それを(つぶさ)に理解し、状況を判断することが出来ねば、長期の戦争で勝利を手にすることなど出来ん」

 

「……そうかよ」

 

トールの言葉に、ヴィータは曖昧な言葉を返すことしか出来なかった。彼の言葉が反論を許さぬ強さを持っていたというのもあるし、なにより、戦争というものがヴィータには理解できていなかったからだ。

 

無論、かつての闇の書事件を筆頭に、いくつもの大きな戦いには参戦している。しかしその内に戦争があったかと問われれば、答えは否だ。魔導師という者はどこまでいっても個人戦力であり、戦略兵器だ、最高でもフォーマンセル程度でしか、団体を組むことはなく。大多数対大多数という戦いに、基本的に参加しないからだ。それに、時空管理局が創設されてから、そんな大規模な組織同士の争いは行われたことはないのだ。

 

「なあトール」

 

それ以上そのことを考えても、経験したことのないヴィータにとっては意味の無いことだ。だからヴィータは別の問いを放った。

 

「さっきのギンガが拍子を外されたアレ、フラロウスが剣といつ入れ替わったかお前分かるか?」

 

「否、我にも分からぬよ。フラロウスのタイミングを読む能力は相当なものだ。白兵戦闘に優れているゆえか、相手の意識の隙間へ溶けるように入り込む。一芸は道に通ずる、奴はそれを体現した存在だ」

 

「……つくづくお前等悪魔は狂ってんな、人修羅が呼ぶ奴呼ぶ奴全員が滅茶苦茶強え。あたし等が戦ってきた悪魔と全然違え」

 

「愚問なり、野良悪魔ならば兎も角、我々は人修羅という王に従う軍勢よ。例え新兵、下っ端だろうと、その内に半端な実力者など居るものか。櫂は三年櫓は三月、努力を怠れば敗北と相違ない」

 

「お前達のその異常なまでの向上心は一体何だよ……お前等十分強いじゃねえか」

 

「俺は強い、俺は強い。だから何だという? 己は優れている、勝利は必然だ、などと赤子の喚きにも劣る妄言よ。大上段から弱者を嬲るだけの何が楽しい? 己を磨くことを忘れた者は、自らと同じく、自らを弱者と断じる者によって叩き潰されるだけよ」

 

その言葉の端に、やや自嘲気味なものが混ざったのにヴィータは気が付いた。過去の自分が正しくそうだったとでもいうように。

 

「しかし、フラロウスも詰めが甘いな、我であれば今の瞬間でけりをつけている」

 

「テメエならどうすんだよ」

 

「知れたことだ。建築物一つ等という慎ましいことは言わぬ。岩盤ごとひっくり返し、押しつぶす。建築物一つ等、軽すぎるだろう?」

 

「……馬鹿力が。テメエ基準で考えんな」

 

「腕力を侮るなよヴィータ。遠心力を主とする貴様には分かりずらいやもしれんが、銃や砲を除き、全ての武具の根底には、使用者の腕力が前提であると言う事を―――」

 

「わーってるよ。こんな時まで説教垂れんなよトール。テメエが規格外だって言ってるだけだ」

 

言葉こそ刺々しいものの、そう言い合う二人の槌使いの表情は明るい。

 

「つーかギンガも情けねえな。いくら悪魔が強えからって、あそこまで防戦一方になるかね」

 

「それについて仕方なかろう。フラロウスはああ見えても策士だ。貴様も、試合前には奴の術中にはまっていただろう」

 

「あ? どーいうことだよ。あたしは別にあいつに何もされてねえぞ?」

 

「しかし、奴の言葉を聞いたろう?」

 

「そりゃ……なあ」

 

「どう思った?」

 

「は?」

 

「奴についてどう思ったと聞いている。第一印象で構わん」

 

トールの言葉に、ヴィータは訝し気にしながらも、自信の心そのままを伝えた。

 

「よく言や戦闘狂、悪く言い換えればチンピラだと思ったよ」

 

「そう、その時点で負けだ」

 

「あ?」

 

「フラロウスはあれでも、オーディンやトートと小一時間討論が出来る程度には頭が良い。信じられるか? 奴の蔵書だけで貴様の部屋を埋めることが出来るぞ?」

 

「!?」

 

「傍若無人なアウトローに見えたか? 本能の身に生きる獣だと思ったか? そう思った時点でフラロウスの勝ちだ。奴は獣の皮を被った断頭台に他ならん。獣の装いをし、そう思い込んだ敵の首を裁ち落とす。非殺傷設定などというものが無ければ勝負などとうに付いている」

 

「非殺傷設定に救われたな。あれがなければ、今頃スバル・ナカジマは、右腕と左脚に永遠の別れを告げていただろう」

 

「そして、それに伴う衝撃と出血に、すぐさま自身も後を追ったろうな。南無三」

 

「ねえ、非殺傷設定ってずるくない? 私達はそんなの関係なく傷を負うのに、人間だけそれが無いなんて」

 

「戯け、我々はそれ以上の枷を背負っているだろうが」

 

「我個人としては、傷がつかぬならば拷問に使えるかと思ったのだがな。出血や欠損を気にせずとも良いのは素晴らしい」

 

「発想が邪悪」

 

ヴィータとトールの会話に、多数の声が混ざった。驚きヴィータが振り返るとそこには、この場にいないピクシーとメルキセデクを除いた、純粋な悪魔全員の姿があった。

 

「貴様等、何しに来た」

 

「それよりトール。レタスもう一つ頂戴」

 

「………」

 

無言で何処からかレタスを取り出したトールは、セトにそれを手渡す。

 

「ん」

 

「しかし、貴様も安いな。貴様の不機嫌も球萵苣一つで解消されるのか」

 

丸呑みするようにレタスを取り込んだセトは、満面の笑みを浮かべ、綺麗に残った芯を吐き出した、そして。

 

「私の不機嫌から貴方の命を救ってあげたから、今の帳消し」

 

傲岸不遜にそう言い放ち。再び何かを強請るように手を差し出した。

 

「………」

 

「雷ごときが、暴風に勝てると思ってるならお笑いね。可愛過ぎて仕方ないわ」

 

「……もう一つ要るか?」

 

「貰う」

 

三つ目のレタスを渡され大人しくなったセトを追いやり、トールは言葉を続けた。

 

「それで? 貴様等何しに来た」

 

レタスを戦利品のように掲げて去って行ったセトを尻目に、セトは残りの三魔に問うた。

 

「汝も先に言っておったろう? フラロウスの対応は不適切であったと」

 

「ギンガ・ナカジマがフラロウスに一矢報いるにはこの場面を置いて他に無い。裏を返せばここを逃せばギンガ・ナカジマの敗北だ」

 

「どのような結末に至ろうとも、その瞬間だけはこの眼に留めておくべきと思ってな」

 

決着は近いゆえに、悪魔達はその瞬間を少しでも近くで見ようと最前列で場を見下ろした。見れば、悪魔達だけではなく、なのはやフェイト、人間サイドの者達も悪魔達の様子から察したか、同じく最前列に並んだ。レタスを貪るセトと身動きしない人修羅を除き、全ての者達が沈黙を守ったまま試合会場を見下ろした。

 

 

フラロウスは眼前にそびえ立つオフィスビルを前にして肩を鳴らしていた。そのビルは先ほど自分が攻撃の為に押し出したもので、根元から数十センチズレた位置で僅かに傾いていた。普通の人間がビルに挟まれてしまえば、その質量差の前には人体など水風船と変わらない。外皮が破れて中身を撒き散らすだけだ。しかしそれはあくまで普通の人間が無抵抗に挟まれた場合だ。ゆえにフラロウスは警戒を解かない。そもそもビルでの圧殺は言ってしまえばパフォーマンスの域を出ない。残り時間は少ないとはいえ時計は止まっていないし、それに何よりギンガはこの程度で死んでしまうような有象無象だとは、フラロウスは認識していなかった。

 

「………」

 

フラロウスは無言で自らの側に朱の段平を置いた。刃を呼ぶという短い思考の隣では、考えられる限りのギンガの強襲ルートを複数構築していた。まさか、あの不意打ちで路地の出入り口から出ることが、可能などとはフラロウスは考えていない。ならば第一に考えられるのは、ビル内部への退避。迫って来るビル壁の一枚をぶち抜き、内部へと入ってしまえば良い。それが何よりも簡単だし、同じ立場ならばフラロウスでもそうしたからだ。

 

「ハッ!」

 

そこまで思考してフラロウスは眼前の壁をぶち抜いた。わざわざ先の先をくれてやる必要などない。拳脚でぶち抜くのではない、ほぼ体当たりに近いショルダータックルでフラロウスは高層ビルの一階へ侵入した。そしてそこには、フラロウスの読み通り、ギンガが姿勢を落とした体勢で存在していた。恐らくフラロウスへの不意打ちを仕掛けようとしていたのだろう、が逆に不意を打たれた彼女の眼は大きく見開かれていた。

 

「!!」

 

「ははッ! 見ーつけたァッ!!」

 

しかし彼女の得た驚きは一瞬、すぐさま背後へ高速で下がっていく、身を翻してはいない。ブリッツキャリバーが逆走しているゆえ、逃走と追走の形であってもギンガとフラロウスは眼が合っていた。

 

「はあッ!」

 

追って来るフラロウス目掛け、ギンガが直射型の砲撃魔法を放った。名すら付いていない一般魔法であり、普段のフラロウスであれば無視して突っ込む程度のものだ。しかし今回一撃も直撃を許されぬフラロウスは、その砲撃目掛け、追従する段平を直線で投じた。

 

『乱入剣』

 

直射砲と直線剣は甲高い音と共に相殺し合い、砲は打ち消され、剣は後方へと縦回転で飛んでいった。

 

「ッチ」

 

その結果を見てフラロウスは小さく舌打ちした。段平と自分の移動速度は完全に同等だ。つまりこの追走劇において段平の出番は無くなってしまったということだ。瞬間、『スクカジャ』を唱えたい焦燥に駆られたが、それは禁止されている。『フォッグブレス』でも吐いてやろうかとも思ったが『ランダマイザ』を付与されているということの意味を思い出し、その考えを一蹴する。そう考えている間にも、ギンガから乱発的に砲撃が飛んで来た。その角度が鋭角を描いているところを見ると、どうやら敵は上層へと昇ったらしい。

 

「ああ、よくもまあローラーブーツで昇れんな……っとォ!!」

 

『アイアンクロウ』

 

迫る砲撃全てを一撃の下に裁断し、一瞬だけ姿の見えなくなったギンガを追う。想像通り、通路の先にあった階段にはローラーの焦げ後が強く残っていた。

 

「はァ! 逃がさねえぞオラァッ!」

 

面倒だったのでその場で垂直に跳躍、一気に二階へショートカット。天井兼床をぶち抜きながら、一瞬でギンガの姿を視界に捉える。ショートカットの影響でその距離は大きく縮まっており、眼の合ったギンガは苦い顔を隠そうともしていなかった。着地と同時に瞬発加速、追い駆けっこを再開する。が、いきなりギンガが身を捻り、その身を窓の外へと投げ出した。

 

「あァ?」

 

流石に身投げは予想外だった。が、すぐさま先ほどギンガの使った移動術式を思い出し、フラロウスは窓の外へと鋭い視線を送る。見れば、隣の高層ビルの七階程にあの移動術式が突き刺さっていた。そして更に術式は折れ曲がり、再びこちらのビル十三階辺りへ向かって伸びている最中だった。

 

「フンッ!」

 

行動は最速だ。すぐさま窓の縁に飛び移り、両足を深く曲げ跳躍の姿勢を取る。脚の筋肉が膨らみ、軋みを上げて震える。そしてそれの片方のみ一気に解放、砲弾の如き勢いと破壊力で、発射地点の一部を削り取りながら跳躍。その衝撃で土台が切断され、紙一重のバランスで立っていた高層ビルはその身を横たえるべく徐々に傾いていった。がフラロウスはそんなものは歯牙にもかけず、狙う移動術式目掛け、残しておいたもう一つの脚の力を解放する。

 

『雷震王母の蹴り』

 

フラロウスの剛脚が弧を描いて凄まじい蹴りを放つ、それの直撃を受けたウイングロードに、それを受け止められるだけの耐久力など存在するわけも無く、ガラスの割れるような快音を鳴らして粉砕、高層ビルの谷間に砕けて散った。

 

「あァッ!?」

 

が、散ったのはそれだけだった。肝心のギンガの姿が無かった。その結果を目の当たりしたフラロウスは、己の考えうる最も確率の高い事象への対抗策を行った。

 

「オラァッ!」

 

即ち後方への回し蹴りだ。恐らくギンガは、隣の高層ビルに移った後、フェイクで移動術式を発動させて、それに釣られた自分を背後から強襲する企てなのだろうと、一瞬でそう考えたフラロウスは背後を確認もせずに空中で回り、俊足の蹴りを放った。

 

「ハァ!?」

 

が、フラロウスの期待は裏切られた。背後からの強襲は無く、鋼をも裁断する蹴りは空を切り裂いただけに終わった。フラロウスは一瞬の混乱を得た、がすぐさまそれを打ち消すものが来た。真下からの光だ。そちらへと視線を向けてみれば、ギンガの移動術式が二条昇って来ている、互いに絡み合い螺旋を描いて天へ向かうそれは、明らかに移動用ではなく攻撃の意思を持ってフラロウスへ突貫していた。

 

「まさか……マジで身投げしてたってのかァ!?」

 

しかし向かってくる敵意にもフラロウスは一切の驚愕などせず、それよりもギンガが本当に落下していたことのみを驚いていた。しかし、幾ら脅威ではないとはいえ、今のフラロウスは一切の攻撃を受けることを禁じられている。普段であれば、空を蹴り飛ばしその反動で回避することも出来た。しかし『ランダマイザ』だ。それを行うには速度も膂力も足りなすぎる。

 

『暗夜剣』

 

ゆえに選択したのは切断。裁ち切れと意思を飛ばし、応じ飛来した朱の段平が、その勢いのままに移動術式二条をまとめて裁断し消滅させる。だが勢いの付きすぎていた段平は、その速度を殺しきることが出来ず、先ほどとは別方向へと消えた。

 

「!?」

 

がフラロウスは今度こそ驚愕にまとわりつかれた。破壊した術式が光の残滓となって散っていったその先に、ギンガの姿が無かったからだ。フラロウスはトールに称された通り、獣の皮を被った断頭台だ。真っ当に打ち合えばスルトですらも後塵を拝する可能性がある程、その実力は鍛え上げられている。がしかし、格闘戦闘の一点突破というタイプ故に、敵の策に嵌った際にとれる選択肢は、その実力に反比例して非常に少ない。オーディンやセトであれば、辺り一面に暴風を撒き散らし、敵の策を粉々にするということも出来るが、フラロウスには出来ない。

 

空中で敵の姿を見失ったフラロウスは、驚愕故に思考を一時的に停止させた。凍った思考と、それに加えて真下を向いていた姿勢、その二つが次に起こった事象への反応を、僅かながら遅らせた。

 

太陽の光を上回る、藍紫の光が機械の軋りとともに降り注いだのだ。フラロウスが一瞬遅れでそれを見ると、そこにはギンガが逆落としの形で落下して来る姿が眼に入った。

 

実はギンガは高層ビル内へ入ってから、一度もウイングロードでの移動は行っていなかった。窓から身投げしたように見せたのも、ただ単に、ブリッツキャリバーのローラーを使った加速と、自信の膂力と格闘センスを総動員し、数少ないカートリッジも一発消費して、ビルの外観を昇っただけだった。その際に発動していた、となりのビルへ向かったウイングロードはただの囮に過ぎず、螺旋ウイングロードもフラロウスに下を向かせるための陽動に過ぎない。ギンガはフラロウスが自分に対してやったことを、そのまま返したのだ。目立つ囮に眼を向けさせ、その影から来襲する。技量が高い相手程に嵌りやすいこれは、フラロウスに対しても有効だった。

 

重力加速とウイングロードを逆落としで下ることによる加速によって、ギンガの速度は彼女自身の過去最高のものとなり、逆に跳躍の勢いの切れたフラロウスは、重力に従い落下。トールやメルキセデクのように浮遊の術を持たないフラロウスは重力に身を任せるしか無い。

 

ギンガはその速度のまま、左手のリボルバーナックルを振りかぶり、叫んだ。

 

「カートリッジリロードォッ!!」

 

魔力供給を受け、リボルバーナックルが火花を上げて軋みを上げる。とその表面に不可視のフィールドが形成された、光を僅かに屈折させるそれを纏わせたまま、ギンガは右踵を軸に一回転、遠心力をも添加したその全力の拳をフラロウスへ叩き込んだ。

 

「ナックルッ…バンカ―――ッ!!」

 

フラロウスに求められた判断は刹那。行ったのは迎撃、フラロウス自身が卓越した達人クラスであるために、ほぼ反射に近い動きでフラロウスは迫る鉄拳に、自らの右拳を叩き付けた。

 

『モータルジハード』

 

試合が始まってから、今の今まで交差することのなかった両者の攻撃が、初めて直撃した。激突の衝撃で火花と衝撃がぶちまけられ、倒れ掛かっていた高層ビルが砕け散り、瓦礫の群れとなって荒れ狂った。瓦礫は散弾のように周囲へぶちまけられ、流星群の如きにあらゆる建築物へと激突し、道連れにした。

 

「痛ぅ……」

 

「………」

 

粉砕されたビルの傍らに、二つの影が降り立った。ギンガとフラロウスだ。ほぼ同時に着地した両者だが、ダメージの差は如実に現れていた。ギンガは拳の激突の際に負傷したのか、重そうにリボルバーナックルをくっつけた左の肩を押さえて苦悶の表情を浮かべている、そして彼女を支えるブリッツキャリバーも、無茶な駆動を繰り返したせいで、あちこちに無数のひびが走り、左のローラーは一つ失われていた。言ってしまえば満身創痍で、今にも膝から崩れ落ちそうなありさまだった。対するフラロウスはというと、土埃に塗れてはいるものの、五体満足であり力強く両足で立っている。右の拳から僅かにマガツヒが漏れているものの、明らかに戦闘続行可能だと、全身が訴えていた。

 

「はい、終了」

 

と、向き合う両者の間に、新たな人物が音も無くいつの間にか出現していた、、人修羅。僅かに笑みを浮かべた人修羅は、終了の声を上げ、一息つくと言葉を続けた。

 

「条件が一、フラロウスへ攻撃を通すことの完遂により、試合を終了させる」

 

どこか事務的にそう言った人修羅の声に続いて、その側に、残り二十八秒で停止したタイムと、ギンガの勝利を表示する大型モニタが出現していた。

 

「……勝った?」

 

「……ケッ」

 

呆然とした表情で呟くギンガと、不満げに声を漏らすフラロウス。負った手傷には大きな差があるが、最後の勝者はギンガとなった。

 

「ギン姉!」

 

そのとき、その場に幾つもの人影が舞い降りた。スバルを先頭にして観客席に居た者達全員が、その場に降り立った。

 

「ギン姉大丈夫!?」

 

一目散に姉に駆け寄ったスバルは、心配そうにギンガに触れる。だがそれだけでギンガは崩れるように倒れ尻餅を付いた。

 

「ギン姉!」

 

「大丈夫ですか!?」

 

それを見て、ティアナやエリオも心配そうに寄って来る。それに対しギンガは力なく手を振って、力ない笑みで答えた。

 

「大丈夫、大丈夫よ。ちょっと疲れただけだから」

 

「でもギン姉凄いよ! 初めの一回で一対一をクリアするなんて!」

 

やや興奮気味なスバルが、一息で吐き出すように言った。

 

「あたし達も一対一は何回もやってますけど、全員の勝利回数を合わせても未だに片手で数えられる程度しか、勝ててないのに」

 

「おお、俺もまさかフラロウスが負けるとは思わなかった」

 

人修羅の笑うような声が入って来た。

 

「どうやら俺はお前を見くびっていたようだな。途中危なっかしいところは幾つもあったが、最後にお前は拾った……不甲斐ないぞフラロウス」

 

「言葉もねえ、俺の実力不足だ。また一から鍛え直しだ、心技体共にな」

 

フラロウスが拳を打ち合わせてそう言った。正直、ギンガからしてみればフラロウスは弱体化してこのレベルなのだ。これ以上強力になられてはどうしようもなくなる。

 

「人修羅さん、もしかしてギンガに勝たせるつもり、なかったの?」

 

なのはがふと気付いたように人修羅に問うた。

 

「当たり前だ。勝たすつもりは微塵も無かった、初日から勝ちをくれてやるわけないだろ。これなら『ランダマイザ』無しか、ザオウゴンゲン辺りを呼んでもよかったな」

 

その言葉にギンガは、この野郎……という思いを得たが、それを行動に移せるだけの力は残っていなかった。

 

「さて、いつまでお前はそうしてるつもりだ?」

 

「え?」

 

そのとき、人修羅は疑問そうな声でギンガを見た。それが何の事か分からぬギンガも同じように疑問そうな声を発した。

 

「え、じゃねえ。午後練の時間はまだ残ってんだ。お前のために使う時間は終わりだ、今から始まる訓練には勿論お前も参加してもらう」

 

「ちょ……ちょ、ちょっとまってください。私のデバイスは全部危険な状態で―――」

 

『ディアラマ』

 

治った。

 

「スルト、トール。変則的だが今日はお前等が教鞭を振るえ、好きにやれ」

 

「了解した」

 

「心得た」

 

ギンガの返答を待たずして、周囲はどんどんそのように動いていく、人修羅の操作で破壊された訓練場はその姿を完全に修復され、新人達はウォームアップを開始し、他の面々は訓練場外へと退避していた。

 

「あ―――! 分かりましたよッ!!」

 

半ばやけっぱちにギンガは叫んだ。それに対して眼前で炎と雷の巨人は、それぞれの得物を抜き出すことで応じた。

 

 

「見つからなかったん?」

 

「申し訳ない主はやて」

 

時間は進み、総隊長室。今そこには帰還したシグナムとメルキセデクの報告を聞くべく、副隊長以上の役職者が顔を揃えていた。勿論、人修羅の姿もある。そしてついでにヴィヴィオもいるが、彼女はなのはの腕の中で熟睡中だ。

 

「セデク、お前はからは?」

 

「ええ、私も同様です。そもそも私はセト程の探査能力は備えてはいませんが、それでも能力自体はそれなりだと、自負しています。ですが、何も感じられませんでした」

 

「そうか」

 

「人修羅さん、どういうこと? もしかしてスカリエッティはもう基地を移動しちゃったのかな?」

 

「今回の件でのそもそもは、お前等悪魔側の探査で見つけたもんだろ。そっち側に詳しくねえあたし等は何も言えねえから、お前に聞くしかねえ」

 

なのはとヴィータの言葉を受け、その場の全員の視線が人修羅を向く。十四の瞳に見つめられた人修羅は、しかしそれ等を一切気にせず、再度メルキセデクへ尋ねた。

 

「セデク確認だが、何も、感じなかったんだな?」

 

「ハ、一切です」

 

「決定か?」

 

「確定かと」

 

無視して話を続ける人修羅とメルキセデクに、フェイトが口を挟む。

 

「人修羅さん、私達にも分かるように説明してくれませんか?」

 

やや強い口調で言われたその言葉に人修羅は、ん? と顔を向け言った。

 

「あ? だからセデクは何も感じなかったんだよ」

 

「だから……」

 

「だいそうじょうの魔力反応も感じなかったって言ってんだよ」

 

・・・

 

・・・

 

・・・・・・・・・!?

 

その言葉の異常を理解するのに、隊長達でも数秒を要した。だいそうじょうがスカリエッティの基地で魔力を破裂させたのは全員が知っていることであり、その位置も知っている。がその場所に実際に赴いたメルキセデクがそれを感じなかったというのはどういうことか。

 

「魔人のマガツヒは少々特殊でな、一度染みついたら一月はそのまま残る、しかしそれを感じられない」

 

「ちゅうことはつまり、スカリエッティの基地はそこにあってそこにない……?」

 

「どーいうことなんですかー?」

 

「メルキセデクさんは迷彩術式や偽装魔法で覆っても、反応は感じられるんだよね? なら、いったい……」

 

「そんなの決まってるだろ」

 

困惑に満ちたその空間で、答えを確信している声で人修羅は言った。

 

「別の空間で上書きされている」

 

「……どういうこと?」

 

「俺やアリス、魔人の使う空間のように、悪魔の内には特殊な空間を作成出来るものが居る。恐らく奴等の召喚した内の一体がその能力持ちなんだろう。それならば、その場に有りながらその場に無いの矛盾を達成できる。敵基地はその中にあるんだろう」

 

「その空間に入る方法はあるん?」

 

「そりゃあるんだろうが、流石に俺だって分からんさ、その辺りは調べてみるしかねえさ」

 

「そうですね、空間関連ならわたし達も力になれるかもしれません。わたし達の側でも調査を進めてみます」

 

「ああ、頼むぞ」

 

 

「でぇ? 態々見送りってわけでもねえだろ? 柄でもねえ。何の用だオーディン」

 

シグナムとメルキセデクが報告を行っている、それと時間を全く同じにした中庭では、ターミナルを前にしたオーディンとフラロウスが向き合っていた。

 

「抜かせ、貴様が呼んだのだろう? 大凡の予想はつく。出せ」

 

「ああ、そうだったなほらよ」

 

そういってフラロウスは六枚の書類をどこからか取り出し、オーディンに放るように渡した。それをオーディンは苦もなく一気に受け取り、素早く眼を通す。

 

「……やはりか」

 

「キヒッ! クハハッ!! その様子じゃあ想像はできてた見てぇだなオーディン」

 

「当然だ、これほどの符号の数だ。嫌でも意識させられる。スルトやトールも薄らと察しているだろう……しかし、よくもここまで見事に重なったものだ」

 

「まさか、と? 流石のテメエもここまでだとは予想してなかったかよ。まあ、テメエとスルト、トール、それに加えロキとフェンリルに関しちゃあ、お前等が知らねえのも無理はねえ、判断したのはロキと閣下だって話だしなあ。が、テメエのもう一つの業は、過去が追って来たとも言えるがよ。エリオっつったか? クハハッ! 随分とテメェに懐いてるようだったじゃねえか!」

 

「……長い間疑問だったのだ、あの世界、ラグナロクの際にロキがヘイムダルと相打ったという報を受けたとき、まさかと思ったよ。奴等の力量は同等であったとはいえ、あまりにも奴等の決着は速過ぎた……閣下の介入が合ったならば納得だ」

 

「おお、テメエの回想はどうでも良い。で? だいそうじょうとセト、セデクに関しちゃあ心当たりはあんのか?」

 

「ある。双方ともに予想出来る……が、セデクについては分からぬ」

 

「いいやぁ、奴にもしっかりあったぜぇ? ここまで来ると呪われてんのかと思える程にな。セデクはあいつ等の親みたいなもんだったよ、テメエ等とは別の形でだがな」

 

「そうか……なるほど確かに、幾つか納得出来る部分もある……我が主はこのことを?」

 

「知らねえだろうな。ピクシーは知ってるみてえだがよ。あいつならボスには言わねえだろ、何せボスのべた惚れだからなァ! キハハハッ!」

 

フラロウスは一頻り高笑いを上げると、満足したのか深い笑みを浮かべた。

 

「ここの連中だって馬鹿じゃねえだろ。何人かはもしかしたら疑ってるかもなぁ」

 

「しかし、我々の内側を知らねば、真実まではたどり着けまい」

 

「が、もう結末は決まったも同然だろ?」

 

フラロウスが踵を返し、アマラへと入って行った。去り際に言葉を残して。

 

「ハッピーエンドはありえねえ。そのときは、もしかしたら俺の出番もあるかもなァ! クッハハハハッ!  ハーハッハッハハハハッ!!」


 
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