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真・恋姫無双 季流√ 第47話 呉勢編 猛け立つ想い~中編~

雨傘さん

呉の中編となります。色々な方の疑問がある程度明らかになります。
一刀や季衣、流琉はでてきません。 申し訳ありません。

サイトはhttp://amagasa.red/ になります。どうかよろしくお願いします。

2015-01-03 20:09:06 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:5042   閲覧ユーザー数:4265

 

 

「あんの馬鹿娘達は、一体いつんなったら帰ってくるんだ!?」

 

「…………」

 

蓮鳴の怒声に、祭が思わず肩をすくめる。

 

かれこれ襄陽の古城の手前に陣を敷いてから、ついに一月が経つ。

 

来る日も来る日も雪蓮達の到着を待ちながら、ついに動き出す機会を完全に失したといえよう。

 

毎夜のように、明るく照らされる荊州軍が住み着く古城。

 

その様を恨みがましく望みながら、これだけの月日が経ってしまっていた。

 

幾度かよこした連絡にも、もう少しで片がつくとの返事であり、一向になってもこちらへ向かっているとの答えがこない。

 

それどころか、糧食の関係で輸送部隊を派遣して欲しいとの事。

 

江東の虎と恐れられる孫堅文台も、この停滞感に流石にうんざりしていた。

 

「落ち着け蓮鳴。 ほら、亞莎と明命が怯えておるぞ? 可哀想に」

 

祭に抱きついた2人が震えているので、孫堅こと蓮鳴は落ち着くためにも、大きく息を吐き出した。

 

肺の全てをからっぽにする盛大な空気を吐きだし、息を整える。

 

「はぁ……ッチ、これは静海の奴に、まんまと嵌められちまったかもね」

 

「やはり蓮鳴もそう思うか?

 一筋縄ではいかんと思うたが、まさか持久戦とはの」

 

祭達も孫策達の状況は理解している。

 

延々と現れる伏兵”もどき”達に、手を焼いているのだろう。

 

「これが静海の狙いか。

 兵力で勝てんと判断しての、まさに絡め手。

 まず後背をついて動揺させ、隊を2つに分けさせる。

 始めはこちらの戦力分散が狙いかと思うとったが、本当の狙いは分隊の糧食切れとはのぅ。

 兵をわざと捕らえさせて、策殿の穀潰しにさし向けるとは、これまたエグイ事を考えるもんだ」

 

これは参ったと唸る祭に、蓮鳴も悔しいが同意する。

 

この策のいやらしい所は、はじめから回避する方法が無いというところだ。

 

まず、丁度いい距離を計り、行軍の後背を脅かす。

 

そうすれば、脅かされる方としては取れる行動は全部で3つ。

 

そのまま退路を絶たれるのを承知で前進する、全力で後背の憂いを排除しに後退する、そして軍を2手に分けて対処する、である。

 

まず、前進は危険が大きすぎる。

 

故郷である拠点との退路が絶たれれば、精神的に手負いとなり、兵の士気がみるみる落ち込むし、下手をすれば荊州に閉じ込められてしまう。

 

それに孫堅の本隊が荊州で足止めを喰らっている事がわかれば、本国の反抗勢力が一気に芽吹き、国内情勢が荒れるのは必須だろう。

 

しかし全軍で後退すれば、まさに思う壺でもある。

 

全軍が戻り始めたのを機に、途端に後背の敵はどこかへと逃げ失せるだろう。

 

そしてまた荊州を目指せば、どこからともなく再び現れて後背を脅かすに違いない。

 

そうすればただの無駄な繰り返しだ。

 

だからこそ孫堅と冥琳は部隊を大きく2つへと分け、両方を対処することにしたのだが、ここで味方をわざと捕虜へと差し向ける奇手ときた。

 

連中はこちらの気質を理解している、捕虜虐殺などは出来ない。

 

こちらが取れる選択肢を事前に潰しているのだ。

 

しかしこの策は味方を大幅に減らす策、しかも兵達の信頼が篤くなければ取れない策だ。

 

前提条件として、味方が長時間捕虜のままでいてくれるという、確証が無ければならないからだ。

 

しかしその策は実質、上手くいっている……何故だ?

 

静海は優秀といえばとても優秀だが、人望が高いかと言われると頭を捻るところがある。

 

それがどうして、このような無茶な策に兵士達がついてくるのだろうか?

 

何か重大な事を見落としている。

 

根本的な何か、その正体がまるでわからない。

 

だが、それさえ解ければ、事態は一気に解決するように思えた。

 

悩む自分の姿を、劉表こと静海が高笑いしているのが目に浮かぶ。

 

悔しい気持ちを溜め込みながら、蓮鳴は何気なく荊州軍が構える古城を見上げた。

 

篭城戦は、通常相手方の3倍の兵数が必要といわれる。

 

ただし、兵の質で圧倒的に上回る呉軍であれば、相手の3倍の30万などいなくとも、半数の15万もいれば打ち破れる自信はあった。

 

しかし現状の10万では足りない……静海はそこの境を上手く見越している。

 

__ん? ちょっと待てよ……

 

「おい、亞莎。 雪蓮達から流れてくる情報を纏めて出せるかい?」

 

「は、はい。 この5つがその報告書になります」

 

手渡された書簡を並べてみる。

 

”襄陽にて辿りついた我々は、街中に潜む正体不明の兵達を確保し始めました、引き続き捕獲作業を続行します”

 

”連中の主な潜伏先は、豪族の屋敷と判明。 現在捕虜の数が1万を超えました。 大した抵抗も無く、こちらの被害は皆無といっていい状況です”

 

”先日、河の支流を密かに小船で渡っていた者達を兵が発見、捕獲しました。 どうやらすでに調査の終った西区へと向かう手はずだったらしく、他にも新たな潜伏者がいないか捜査を継続します”

 

”ついに捕虜が2万名を超えました。 糧食の消費量が加速度的に膨れ上がっております。 しかし相手方の兵数の限界値は近いと考え、もうしばらくお待ち下さい”

 

”申し訳ありません、私の手落ちです。 捕虜数が3万を超え、一気に4万へと近づいております。 このままでは、どれだけ節約しても後一月が糧食の限界となります、可能であれば支援物資をお送り願いたい”

 

亞莎から手渡された書簡を広げ、蓮鳴は思案する。

 

一生懸命に亞莎も隣で覗き込んでいた。

 

「どどど、どーしましょうか? 蓮鳴様。

 雪蓮様達の糧食が無くなれば、分隊が丸々本国へと引き返せざるをえません。

 こちらにある糧食を送り、頑張ってもらうしか」

 

雪蓮達を心配する亞莎は、すぐさま補給隊を送ったほうがいいと提言する。

 

糧食が無くなれば人心は荒れ、まともな行軍行動が取れなくなる。

 

確かに、このまま分隊の補給作業が遅れれば、本隊運営にも影響を及ぼしかねない。

 

しかし今、仮に補給部隊を送ることは良策なのだろうか?

 

劉表こと静海の狙いが時間稼ぎと、糧食潰しにあるのならば、ここでちまちまと食料を送るのは、思う壺なのではないか?

 

__いや、そもそも……廬江にはどれほどの戦力が……

 

蓮鳴達の目の前にある襄陽の古城に、10万の兵がいるならば、新規で各地から徴収した兵が送られているのだろう。

 

以前に祭とも話し合ったとおり、ただ集めただけなのだから、いきなり兵には成りえない。

 

だから兵として扱わず足止めというか嫌がらせのために、捕虜に差し向けているのだろう。

 

それでも数は5万もいまい、だからこそ相手はそろそろ兵数が尽きるはずだ。

 

__この後にある曹操との戦いを見越せば、兵は一兵足りとも無駄にできない。 むやみに古城へ突撃をかますのも、いらぬ損害が起き……?

 

ここで蓮鳴はピタリと動きを止めた。

 

一筋の汗がこめかみから流れ落ち、徐々に瞳が開かれていく。

 

今まで濁っていた勘が、それが正解だとつんざめく。

 

蓮鳴はしてやられたと、すぐさま亞莎に向き直った。

 

あまりに凄い形相の蓮鳴に、気の弱い亞莎は肩が竦んでしまう。

 

「亞莎! 今すぐ全軍を持って、あのくそったれな古城へ攻め込め! 祭に指揮させろ!」

 

「は、はいいい!?」

 

江東の虎に凄まれた亞莎は、両手を挙げて走りさってしまう。

 

天幕から誰もいなくなったことを気配で確認した蓮鳴は、悔しげに机をぶっ叩いた。

 

 

「くそぉっ! やられた!」

 

 

 

 

 

 

「やぁやぁやぁ蓮鳴君、随分と長い間睨めっこをしていたみたいだが、笑ってもらえたかね?」

 

「ああ、あんまりにも下らなくて、腹わたが煮えくり返っちまいそうだよ」

 

孫堅こと蓮鳴の前に縄で縛られているのは、劉表こと静海だった。

 

隣には黄祖こと練樹もおり、2人して仲良く縄でグルグル巻きにされている。

 

祭が部隊を引き連れて古城へ攻め込んでみると、そこには唖然とした光景が広がっていた。

 

城内にいるのはわずかに5000人に満たない兵、しかも祭の部隊が近寄れば、あっさりと城門を自ら開いたのだ。

 

まるで侵略者を迎え入れるように現れた静海は、お付の黄祖こと練樹とともに、紙吹雪を舞い散らせながら、実に堂々と宣言したのだ。

 

「はっはっは! 参った! 降参だよ」

 

このたった一言である。

 

城内に残っていた兵達も、静海に言いつけられているのか、自らお縄につく有様である。

 

このたった5千人程度の戦力に、蓮鳴達は10万もの兵をして警戒し、一月も向かい合っていたのだ。

 

兵を無駄に出来ぬとはいえ、慎重になり過ぎた。

 

元が危険な策であったために、必要以上に警戒してしまっていたのだ。

 

運ばれていた輜重隊も全てが偽装。

 

ころがっている輜重を開けてみれば、食料などではなく、ただの藁や石であった。

 

輜重隊を運び入れる時は藁を積め、城内に降ろしたら今度は人を隠して積み出していく。

 

そしてまた外で藁を詰め直して、運び入れる。

 

ただ、これの繰り返し。

 

それを蓮鳴達は、大量の輜重隊が運び入れられていると勝手に勘違いしていたのだ。

 

城内を見渡してみれば、連日連夜宴会をしていた後がある。

 

喧騒を演出するために、昼は輜重隊、夜は宴会へと5千人が暢気に笑って過ごしていたのだ。

 

こんな幼稚な策に、手玉に取られていた蓮鳴達の憮然とした表情が、捕まっているはずの静海達とはひどく対照的である。

 

これではどちらが勝利者かわかったものじゃない。

 

「はっはっは、蓮鳴君は相変わらず強いねぇ、強すぎる!

 いやぁお見事なお手並みだ、私としてはもう5日ほど、騙せるかと思っていたんだけどねぇ」

 

花魁の服に縄縛りなど、奇妙で沈美な光景。

 

長細くひょろっちい静海を、蓮鳴は恨めしげに睨んでいた。

 

「ったく、余計な手間を取らせよって……やい静海、あんたはなんでこんな無駄な事をした?

 私達と戦うならまだわかる、だがこんな時間稼ぎをして一体なんになるというのだ!?」

 

怒鳴るように勢いつく蓮鳴だが、静海は飄々と笑って気にしない。

 

「はっはっは、理由かい? 理由ねぇ……」

 

静海は考え込むように伏目になると、下から蓮鳴の怒り顔を覗き込むように笑った。

 

「理由なんぞ無いよ、少々の意味と義理があっただけさ」

 

「っく! …………はぁぁあああ~~~~~~~」

 

一瞬、拳を握りしめた蓮鳴だが、無抵抗な人間を殴るほど、愚かではない。

 

しかもこれで手を出してしまえば、口では負けましたと宣言するようなものだ。

 

青鼬に乗せられてはいけない。

 

そう考え一度落ち着いた。

 

「おやおや、案外冷静なんだね蓮鳴君」

 

「そいつぁどうも。 それで? 降伏したからには、荊州を私に任せる、そういうことでいいんだな?」

 

「誰に許可を求めているんだい?

 私に求めるとか、お門違いな答えはよしたまえよ。

 君は荊州を手に入れるために進軍をした。

 そして荊州の太守たる私は、こうしてお縄についている。

 つまり蓮鳴君は、見事に北荊州をその手中に収める事が出来たというわけだよ。

 念願叶ったりというわけさ、いやぁ古い付き合いとして一言お祝いを言わせておくれ、おめでとう!」

 

「あーはいはい、ありがとさん。

 おかげ様で今は超疲れてっから、後で詳しい話を聞くことにするよ。

 それよりも、もうケリはついたんだ。

 廬江の”いやがらせ”部隊に、さっさと引き上げさせるように指示してくんないかね?」

 

「は……?」

 

余裕を取り戻した蓮鳴の嫌みったらしい言葉に、珍しく静海が鳩が豆鉄砲を喰らったかのようにキョトンとしている。

 

驚いているかのように細目を丸くする静海に、蓮鳴も片眉を上げた。

 

しばらくの間、お互いを挟む空気に沈黙が流れる。

 

蓮鳴も静海も、こいつ何言ってんだ? と言わんばかりの表情に、傍らにいる祭も練樹も、どうしたものかと眺めていた。

 

しかし、やや静海のが早く再起動を果たすと、ニンマリとした笑顔で扇を開いた。

 

気づけばいつの間にか縄を自分で解いており、鉄扇の”事勿主義”と刻まれた面を見せ付けるように口元へもってきていた。

 

「あ~あ~、なるほどね?

 どうやら蓮鳴君が我が居城へ攻め入ってきたのは、ちゃんと全てをわかってではなく、勘で動いたのか。

 相変わらず反則的だよねぇ、その野生児の勘。

 それも血のおかげかな?

 まぁいい、蓮鳴君よ。

 どうやら君はとんでもない思い違いをしているようだから、私こと静海がちょっと正して上げよう。

 これ黄ー君、貴方もお立ちなさいな」

 

「わかりました! です」

 

スクッと立ち上がった静海は、隣の黄祖こと練樹へ指示すると、練樹もスクッと何事もないように立ち上がった。

 

2人とも、一体どうやって縄を抜け出したのか?

 

自分達の目の前で、ふざけたことを平然とするこの2人に、蓮鳴と祭のこめかみがピクリピクリと震える。

 

__とことん、人をおちょくってくれるわね。

 

意識とは関係なく引き攣りだす唇端を感じながら、蓮鳴はそれで? と視線で問いかけた。

 

「君は大きなところを思い違いしている。

 大方君は、私がただ時間稼ぎで、このような真似をしていたと考えているのだろう。

 しかし、それは見当違いもいいところだよ」

 

「だったらなんだってんだ?

 領主を丸々囮にするなんて、むかつくほど肝の座った策だろうが。

 それで雪蓮達の糧食切れを起こして、私等が本隊ごと呉へ引くことを狙ってたんじゃないのかい?」

 

「ほう。 糧食切れ? 糧食切れときたかい!」

 

ふむふむと静海は頷くと、軽く首を捻って、亞莎へと鉄扇の先を向けた。

 

「え? あえ?」

 

いきなり指名された亞莎は慌てふためき、隣に立つ明命は亞莎を守ろうと、自分の愛刀魂切の柄へと手を伸ばした。

 

明命に威嚇される静海だが、飄々とした態度で亞莎を指し続ける。

 

「片眼鏡の可愛らしいお嬢さん。

 お嬢さんは生業を軍師、または学者の類とお見受けしたが、どうかな?」

 

「え? あの、え?」

 

「いやなに、指に大きな筆マメが出来ているからね……っとそんな事はどうでもいいんだ。

 君がこの中で一番賢そうだから、是非君に頼もう。

 私はこの一月間、ずっと城に閉じこもっていて、外の状況をほとんど知らないと言っていい。

 雪蓮君達が置かれている状況を、簡潔に説明してくれないか」

 

問われた亞莎は、どうすればいいのかわからず蓮鳴と祭の顔を交互に見るが、2人して顎をクイッと曲げて許可をだしたので、簡単にだが雪蓮達に起きている事の説明を始めた。

 

細かく相槌を打つ静海をジト目で睨む蓮鳴だったが、一通りの説明が終ると納得のいったように大きく頷いた。

 

「ふむふむ、いやぁなるほど。

 やはり彼女は中々の切れ者だったのだねぇ。

 やる事がいかにも私らしく見せている辺りなんざぁ、小粋なことをしてくれるじゃあないか!

 有難う片眼鏡のお嬢さん、そちらの脳筋2人に頼まなくて正解であった。

 実にわかりやすく、要点の纏まった状況説明、実にお見事だと言える。

 君は将来いい軍師になれるだろう、この私の太鼓判だ」

 

パチンと扇を閉じた静海に褒められた亞莎は、恥ずかしそうにぶかぶかの袖で顔を隠した。

 

敵将とはいえ、褒められると素直に照れる辺りが彼女らしい。

 

亞莎の可愛らしい初心な姿に大変満足する静海だが、いい加減こちら側を構ってやらないと、と思い返した。

 

チラリと横目に視線を移すと、蓮鳴と祭が仲良く恐い顔をしている。

 

どうやら脳筋と称されたのが気に障ったようだ。

 

やれやれと肩を竦めると、静海は蓮鳴達へと向き直る。

 

__さて、どうなるか……

 

「さぁ静海よ。

 もういいんじゃないか?

 是非、この脳筋にご教授願いたいところだね」

 

「そう慌てるでない、といいたいところだが、これはちと急いだほうが君のためにはいいかもしれんね。

 蓮鳴君、簡潔にいうと廬江で雪蓮君を追い詰めている部隊などというのは、私の預かり知らぬ話なのだ」

 

「……あんたの兵じゃないだと? 何をぬけしゃあしゃあと」

 

「いいや、私の部隊だよ、元はね」

 

「わけがわからんぞ!」

 

「はっはっは、あれはそうだな……2月ほど前の話だ。

 乱世の荒れた気の中で舞うのもまた一興と、私と黄ー君が気持ちよく余暇を過ごしていた時だ。

 実に面白い人物が尋ねてきたのだよ」

 

「誰なんだい?」

 

「太史慈君さ」

 

「太史慈だぁ? ……誰だいそれ?」

 

心辺りが無いのか首を捻る蓮鳴に、それはそうだろうよと静海は返した。

 

「君が知らぬのも無理はない。

 しかしこれを聞いたら、きっと君は驚くだろうよ。

 太史慈君は、かの劉繇君の配下だった人だ」

 

「劉繇……だと?」

 

静海の涼しげな口元から流れでた人物の名に、思わず江東の虎から一筋の汗が流れた。

 

どうして、ここで劉繇の名が?

 

「片眼鏡のお嬢さんに倣って、私も簡潔に纏めようか?

 仇討ちだよ、最近ではよくある話だね」

 

「そ、そんな!? だって劉繇さんは!」

 

静海の言葉に、亞莎が反応する。

 

しかし静海は扇でパンッと音を立て広げると、亞莎の言葉を遮った。

 

「片眼鏡のお嬢さん、君の言いたい事はよくわかる。

 大方、やっこさんは心の臓に関した持病で倒れたのだろうよ。

元々、そう長い間生きられる体でもなかったようだしねぇ、これもまたよくある話さ」

 

「そのことを太史慈さんって人には……」

 

「伝えたよ、伝えるだけならね。

 しかし片眼鏡のお嬢さん、世の中というものは理という積み木が積み重ねって出来てはいるが、その源泉はやはり情で成り立っているのだよ。

劉繇君は非常に肝の小さな女だった、君達が揚州へ攻め込んできたと聞いては、慌てふためく姿が目に浮かぶようだ。

 劉繇君は病死した、だけれどそれを太史慈君は良しとはしなかった、”君達が攻めてこなければ、心労はたたらなかったのではないか? 持病は悪化しなかったのではないか?”これが太史慈君の答えだよ、ただそれだけの事。

 君だって自分の主君が死んでしまえば、どう心情が動くかなどわかるまい?

 ただ惜しむらくは、劉繇君には人を見る目が無かったということだ。

 太史慈君の名など、君達はとんと聞いた事があるまい。

 劉繇君はどこの馬の骨かは知らぬ人相見の言葉を聞き入れ、太史慈君を蔑ろにしていたからねぇ。

 だがいざ当の本人が死んでみれば、どうだねこれは?

 蔑ろにしていたはずの太史慈君が、主君の仇を狙うというのだ。

 見上げた忠誠心だよ、義理堅いにも程がある」

 

「そんな……」

 

亞莎が驚く中、蓮鳴は静海の襟首を掴みあげた。

 

長身の静海を持ち上げる蓮鳴は、歯を剥き出しにして睨む。

 

「そんな太史慈なんて奴のことなんざどうでもいい! さっさと廬江の部隊を下がらせろ!」

 

「……無理だな」

 

静海の興味無い声が響く。

 

「太史慈君は私のところへ来て、こう言った。

 呉へせめて一矢を報いたい、そのための力が欲しい、と」

 

「それで……お前は貸してやったというのか!?」

 

「んん?

 違うよ、貸してやったんじゃなくて、くれてやったのさ。

 ……荊州兵10万を丸々な。

 ついでに、金銀と合わせて糧食も半年分くらいくれてやったよ」

 

「っな?」

 

蓮鳴の額から脂汗が落ちる。

 

「事なかれ主義を舐めちゃあいけない。

 私は気分が乗らない事は何も一切やらないが、気分が乗った事でさえ多少面倒なのだよ。

 よほど興が乗らん限り、動きはしないんだ。

 君達が劉繇君を倒した後に、荊州へ攻めてくるんだろうという事は、当然予測していた。

 ただ私は非常に面倒くさくて堪らなかった、どうせ君達と戦ったところで、引き分けには出来ても勝機などは露ほどもないのだしね。

 しかし太史慈君は代わりに戦ってくれるというのだ、実に有難い話ではないか。

 一応私の名代としてという事になってはいるが、実質の権限は全て彼女に委譲してあるよ。

 ただ、ちと気に食わんのは、兵達が喜んで太史慈君について行ったというところくらいかな?

 ……結局のところ今回は、お互いの利害が一致したというべきなんだろうねぇ」

 

「利害が一致だぁ?」

 

「私個人としては、君に直接話したいことがあったから、それさえ済めば後はどうでも良かったんだ。

 これまでの時間稼ぎは、太史慈君からの依頼だよ。

 君達孫堅軍の本隊を出来る限りでいいから、足止めしてくれないかとね。

 ま! 私としては太史慈君が何をするか、ちと興味があったから軽く引き受けてみた次第だ。

 中々乙だったよこの1ヶ月間。

 はじめは虎視眈々とこちらを狙っていた虎の軍勢が、日に日に悶々としているのがよく伝わってきたからね。

 宴会のツマミには丁度良かった。

 ……私の指揮できる兵は、今ここで捕まっている5千ぽっきりだよ。

 9万7千は太史慈君の元だ、更に太史慈君に慕ってついてきた、かつての劉繇君の兵も多くいる」

 

「じゃあ、廬江には10万以上の兵がいるってのか!」

 

完全に裏をかかれた。

 

雪蓮達が指揮する分隊は5万、将は多いが兵数に差があり過ぎる。

 

しかし……

 

蓮鳴は静海を降ろすと、不機嫌そうに背を向けた。

 

「ふん! いくら兵数差があろうが、雪蓮を舐めるんじゃない!

 太史慈だかなんだか知らないが、そう簡単にうちの連中がやられるものか!」

 

蓮鳴は後ろから首を曲げて静海を睨むと、降ろされた静海は扇で口元を隠して観察しているかのようだった。

 

虎の鋭い視線と、長細い鼬の視線が交差した。

 

「悪いがな静海、たかが荊州の生瓢箪兵どもに、呉の勇士達は易々と敗れはしない。

 兵力差が倍あろうが、必ず持ちこたえてくれる。

 今から私達が駆けつければ、それで全ては御破算だ」

 

「わかっていないねぇ。

 そりゃその通り、太史慈君が指揮する部隊の元は私の兵だ……兵の腕前などは、たかがしれているさ。

 だからこそ、彼女はわざと捕虜へ差し向けているのだろう?」

 

「なんだと?」

 

「質の良い5万と、平凡な10万が正面からぶつかれば……まぁどっこいどっこいといったところだろうよ。

 しかも雪蓮君には冥琳君や蓮華君に穏君、甘寧君に孫尚香君までがついている。

 下手をすれば10万でも足りないだろうねぇ……だけどいいのかい?

 ”正面から戦わない”を選択する太史慈君に対して、雪蓮君達に一体何が出来るというのだ?

 ん? 捕虜を皆殺しにでもするのかね?」

 

「…………」

 

「内憂外患とは外れているようで、的を得ていような例えだな。

 雪蓮君達は、自ら内側に火薬を溜め込んでいるようなものなのだよ。

 片眼鏡のお嬢さんの話だと、そろそろ捕虜の数が雪蓮君の部隊数と並ぶ頃合いだ。

 5万を超えたら、太史慈君は一気に来るだろうよ。

 内側に抱え込んだ5万に、外側から攻めてくる5万。

 気がついてみれば、前を見ても後ろを見ても、敵しかいないなんて状況は洒落にならないぞ」

 

「っち! だが、それだって雪蓮達はそう簡単にやられんぞ!」

 

「雪蓮君は確かに強い、恐らくこの大陸においても屈指の実力者だろう。

 しかし太史慈君もそうそう侮れんぞ?

 劉繇君は器量が狭かったから、重用こそされなかったようだが、彼女も実に強い。

 まぁ、少々扱いにくいのは認めるがな」

 

「雪蓮は負けんといっとるだろうが!」

 

頑なに意固地になる蓮鳴に、静海は最後に止めをさした。

 

「そうかそうか。

 では後一つ、面白いことを教えてやろう。

 花蓼君、つまり太史慈君の事なんだが……彼女も君と同じく……」

 

 

 

 

「”獣の血”を継いだ者だよ?」

 

 

 

 

 

 

「急げ! 準備が出来た奴から直ぐに出ろ! もたつくんじゃない!」

 

蓮鳴の怒声が響く。

 

江東の虎ががなりたてる中、兵士達が駆け足で船の用意をする。

 

普段の適当な姿勢とは違い、今の蓮鳴には余裕が無かった。

 

切羽詰っているのが表情に表れており、事の深刻さを兵達に伝播させていく。

 

かつてないほどに蓮鳴と祭が精力的に指示を下すので、明命と亞莎はむしろ手漉きになってしまった。

 

準備の出来た戦闘艇から、ろくな荷物を載せることなく、とにかく急いで出発していく。

 

はじめに用意の出来た船に乗り込んだ蓮鳴達4人と、静海と練樹だが、険しい表情で長江の彼方を睨む蓮鳴に、誰も声をかけられなかった。

 

祭も腕を組んで壁に寄りかかっており、きつく結んだ瞳が、誰も話しかけるなと言っているかのようであった。

 

恐らく、彼女達が水上を走れるのならば、全速力で駆け出すに違いない。

 

体から滲み出る焦燥感に身を焼きながら、2人はじっと耐えていた。

 

事情がよく飲み込めない亞莎と明命は、2人で固まってそっと様子を伺うことしか出来なかった。

 

「あのぅ亞莎。 蓮鳴様達……どうしちゃったのでしょうか?」

 

「わ、私にもわかりません。 なんだか劉表様と話し終えてから、急に恐くなっちゃって」

 

ひそひそと話す2人は、心配そうに物陰から見つめる。

 

あの2人なら気づかれているかもしれないが、それでもピクリと動かなかった。

 

「何をしているのかね? お嬢さんがた」

 

「はうああああ!」

 

「ひゃああああ!」

 

突如後ろから声をかけられた上に、背筋を指で撫でられて、思わず2人は飛び上がった。

 

ゾクゾクと走る背筋を感じながら、2人して仲良く振り向くと、そこには劉表こと静海と、黄祖こと練樹がいた。

 

いい反応だ、と一人で満足する静海に、2人が責める視線で訴えた。

 

「な、何をするんですか!」

 

「そうです! 今はふざけてる場合じゃ……って、なんでまた縄を外してるんですか?!」

 

扇を広げて、優雅に佇む静海と、傍に小さく控える練樹に2人は驚く。

 

先ほど船に乗るときに、確かに縄でしばったのだ、しっかりと。

 

なのに平然と縄を外し、船内を歩いている。

 

「いやなに、ちょいと暇なものだったから、ついね。

 それに逃げられたくないように縛りたいのなら、もっと考えて縛らんといかんよ。

 今度私が教えてあげよう」

 

「”つい”で抜け出さないで下さい! 貴方がたは捕虜なんですよ!」

 

「はっはっは! そう目くじらを立てなさんな、折角の可愛らしい顔に小皺が寄ってしまうぞ?

 まぁそう心配する必要は無い。

 私も黄ー君も逃げたり、暴れたりはせんよ。

 なんせ虎の気がささくれたっている中でそんな事をしてしまえば、あっという間に殺されてしまう」

 

「でも! ”そんなことより、君達が気になっている事を教えてあげようじゃないか?”……なんです?」

 

抗議を無理矢理に終了させられた2人は、少々諦め気味な声を出していた。

 

この青髪の女性は、こちらがどれほど強く言っても聞きはしないということを、薄々と理解し始めていた。

 

のらりくらりと、飄々とかわしてしまう。

 

亞莎が疲れたように俯き加減になると、静海の足元から何か細い尻尾のようなものが見えた。

 

虎縞独特の黄色と黒が交互に連なっており、フリフリと揺れている。

 

「あの……それは?」

 

恐る恐る尻尾のようなものを指すと、ピクリと反応した。

 

金縛りにあったかのように動きを止める尻尾なのだが、不意にピョコンと耳が出てきた。

 

「お猫様ですーー!」

 

疲れていたはずの明命が歓喜の声を上げるが、更にその物体が首を出すようにしたので、明命も驚いてしまった。

 

それはまだ齢いくつにもなっていないだろう”人間”の赤子であり、静海の派手な服にしがみつく様にくっついているのである。

 

頭まで大きな猫耳付きのほっかむりを被り、口元しかよく見えなかったが、仕草がとても愛らしかった。

 

「「うわぁ! 可愛い!」」

 

寅縞の子供服を着た小さい幼子に、亞莎も明命も瞳を輝かせる。

 

その幼子を首から持ち上げるようにヒョイッと摘み上げた静海は、愛しそうに両の腕に抱く。

 

静海の大きな胸に、しかと抱きつく幼子の仕草に、2人は疲労とは違うため息をもらした。

 

「このお子さんは誰の?」

 

亞莎が尋ねると、静海が優しく幼子を撫でた。

 

「……私の子だよ」

 

「え? ご結婚なされていたのですか?」

 

意外そうな亞莎に、静海が拗ねたように唇を突き出した。

 

「こら、片眼鏡のお嬢さん。

 それではまるで、私がついぞ男が出来ずに、この歳にまでなってしまったかのようではないか?

 これでも蓮鳴君と歳はそう離れておらんのだぞ」

 

「し、失礼しました!」

 

それもそうだと、素直に謝る亞莎を見ていると微笑ましい。

 

静海は胸にしがみつく幼子が自分の顔へと手を伸ばしてくるので、握手をするようにその小さな手を握った。

 

「とは偉そうにいったものの、だ。

 ……この子はね、私が養子に迎え入れたんだ」

 

「養子、ですか?」

 

「うむ。 この子は、戦場で捨てられていた子なのだよ」

 

「「…………」」

 

まだ言葉がよくしゃべれないのか、静海の長くほっそりとした指をだぁだぁと握る幼子。

 

亞莎と明命は、気の毒そうな視線へと変わり、言葉をつぐんだ。

 

しかし、次の静海の言葉で、2人は体の震えるのを抑えられない事になる。

 

「この子を拾ったのは、半年ほど前の廬江付近でだ。

 まさに、今我々が向かっているところだよ」

 

「「っ!」」

 

静海の言葉の意味がわかったのか、亞莎と明命の顔から血の気が引いた。

 

半年前に、廬江で戦をしていたのは……

 

「そうだ。

 君達が劉繇君と争った後の戦場で、仕方なしに偵察をしにいった私と黄ー君はこの子を見つけた。

 ……君達なら知っていると思うが、終った後の戦場なんて、戦中よりも生きてはいられない。

 討ち捨てられた死肉の香りに、動物が群がるからだ」

 

震える2人に、なおも静海は言葉を続ける。

 

聞きたくなければ聞かなくてもいいと言う様に。

 

しかし、2人とも目を逸らしはしなかった。

 

彼女達の芯が持つ輝きに、静海は心中で感心した。

 

「でもこの子は戦場でただ一人、生き残っていた。

 すぐ隣には、貪り尽くされた死体が散乱する中で、この子は戦っていたんだ」

 

「……え? 戦って、いた?」

 

空気が漏れるような明命の言葉に、静海は頷く。

 

「本当に戦っていたんだ。

 泣きもせず、助けを求める事もせず。

 まだろくに立てもしないのに、乳飲み子とは思えぬ威圧を、一丁前に周囲に振りまいていた」

 

どちらのものだろうか?

 

ゴクリと生唾を飲み込む音がした。

 

静海の言葉が本当だと、わかってしまったから。

 

「辺りをうろつく動物達も、遠巻きにこの子を眺めているだけ。

 中々興味深いと感じたね。

 しかもこの子には、常人ではないものがついていたのだよ」

 

「常人では、無い?」

 

「ああ。 君達、ちょっとこの子を抱いて貰えるかな?」

 

静海はそう言うと、幼子を突き出してくる。

 

先ほどの話を聞いたせいか、亞莎の手が若干震えているような気がした。

 

幼子の脇に手をそっと差し入れ、ゆっくりと持ち上げると、命の重さが直に伝わってくる。

 

ジン、と心が揺らいだ気がした。

 

亞莎が幼子を持ち上げているので、静海は幼子の頭とお尻に手を当てる。

 

そして覆われている服を、一気に脱がせた。

 

「「え、ええええええっ?!」」

 

目をこれでもかと丸くする2人。

 

収縮する瞳孔で、2人は幼子の頭とお尻に、目が釘付けになった。

 

 

 

「み、耳ぃ!?」

 

「尻尾?!」

 

 

 

 

 

 

「ど、どどどどどうして耳、尻尾が?!」

 

「猫神様、光臨!」

 

2人の大声に、幼子がビクリと震えた。

 

違う意味でだが互いに動揺する2人の反応を、静海は愉快そうに眺めている。

 

亞莎など、余りに動揺してしまい思わず幼子を落としてしまいそうであった。

 

危なっかしいなと、静海は下半身の服を元に戻して、幼子を引き取った。

 

被されていた猫耳帽子が取れ、幼子自身が持つ獣耳が露になっている。

 

萌黄色を薄めた髪に、少し褐色がかった肌。

 

その無造作に伸ばされた髪の中には、存在を主張するかのような大きな瞳があった。

 

頬には三本の傷跡が残り、戦場で戦っていたという後が垣間見える。

 

「面白いだろう?」

 

「面白いって……な、なんで?」

 

亞莎の口調が敬語ではなくなっている。

 

それだけ動揺しているのが見て取れた。

 

明命は瞳を輝かせて、はうあ~と叫んでいる。

 

「先祖返り、と私は呼んでいる」

 

静海の口から聞く、初めての言葉に亞莎が首を捻った。

 

「先祖返り、ですか」

 

「うむ。 人は人である前に、動物であった。 こういう説がある」

 

「は、はぁ」

 

「長い時をかけ、人が進化をする過程……その中で捨て去ったはずの人が動物たる野生の機関が、この尻尾や耳なのさ。

 それが何の因果か、たまに戻ってきてしまう。

 だから”先祖返り”だ」

 

「なるほど」

 

どうにか意味を汲み取った亞莎は、目の前の実証を見て、納得をするしかない。

 

ピクリと動く耳も、服の中から動いている尻尾も、紛れもない本物だ。

 

「どうしてこの子にだけ、このような猫の症状が現れるのか、それはわからない。

 しかし、私は人がした過去の行いから、原因にだけは心あたりがあるのだ」

 

「え? どういう事ですか……?」

 

全く意味がわからないといった亞莎に、静海はそっと視線をずらした。

 

その視線の先は孫堅こと蓮鳴があり、船首で堂々と立ちながら腕を組んで佇んでいる。

 

こちらの言葉は、彼女へ届いているだろう。

 

だが、何も言わない。

 

だから静海は続ける事にした。

 

「…………片眼鏡のお嬢さん。

 君は実に博学のようだが、”象形取意”(シィアンシィンチィゥイー)という言葉に、聞き覚えはあるかね?」

 

「えっと、確か動物の動きを真似て、取り入れるって事では?」

 

「素晴らしい! 正解だ。

 それを元にした武術に、象形拳(シャンシンチュエン)というものがある」

 

「動物の特徴と形を取り入れた武術という事ですね」

 

「いいぞ、理解が早い。

 ……昔、それを主に鍛えている武項の里があったんだ」

 

「武項ですか? えっと」

 

少し考える亞莎に、静海はこう付け足した。

 

「いつの世も、平和のように見える世界は、裏に影を背負っているものだよ。

 武項の里とは、戦争の指揮官を輩出するための里だ」

 

「戦争の指揮官……」

 

「大勢の平和を維持するためには、歴史の裏側で争い事が絶えないということさ。

 兵士は集めて鍛え上げれば、それなりのものが出来上がるだろう?

 しかし、将軍級の人材を得ようとするのは、そう容易い話じゃあない。

 武項の里とは、幼少の頃からありとあらゆる戦闘技術、そして部隊指揮の経験を十全に積ませた人材を、お偉方に貸しだしたりして生計を立てていた集落だ」

 

「そのようなものがあるのですか……」

 

「今ではもう見かけないがね。

 時の光武帝が、全ての武項の里を壊滅させたから」

 

「は、初めて知りました」

 

勉強をしているかのように、亞莎が真剣に聞き入っている。

 

明命も話の内容を聞き漏らさないよう、静かに頭の中で整理をしていた。

 

「さて、この一見繋がらない言葉達なのだが、漢王朝の輝かしい歴史の裏側では、非常に重要な意味あいを持っているのだよ。

 君達は勿論、200年ほど前にこの大陸で起こった一大事件を知っているだろう?」

 

200年前。

 

その言葉に、明命は記憶の糸を手繰り始める。

 

辿りついたものは、多少なりとも学を齧っていれば、あまりにも有名な話であり、もはや常識に入ろうかという知識であった。

 

思いついたのを表情で読み取った静海は、その通りだと頷く。

 

「前漢において、外戚にしか過ぎなかった王莽による権力の簒奪。

 これは、それによって起こされた新朝が世に起こってから後漢に変わる、わずか15年の間で起きた…………」

 

 

 

 

「…………下らなくも、罪深い話だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史と呼ぶにはまだ近く、昔と呼ぶにはわずかに遠い。

 

それ位のわずかな感覚が、産毛を撫ぜるようにそっと呼び起こされる過去の話だ。

 

およそ200年前、”前漢”の最後の皇帝となってしまった孺子嬰は、あまりに幼かった。

 

わずか、数え3つで天子。

 

その時分に、摂政として王朝の国政を取り仕切ったのが、王室の外戚であった王莽だ。

 

彼は当時の漢王朝において、権謀術数を駆使し、権勢をふるっていた。

 

哀帝を殺害すると、哀帝から皇帝の璽綬を託されていた大司馬から玉璽を強奪、後に平帝と呼ばれる少年を擁立して、自らが大司馬となった。

 

その後、その自らが擁立した平帝をも毒殺し、わずか3つの孺子嬰を天子という地位に置いたのが王莽なのである。

 

王莽は権力に取り憑かれていた。

 

自らを”摂皇帝”と称し、やがて高祖の霊から禅譲を受けたとして、自ら皇帝に即位、国号”新”を建国することになる。

 

禅譲と形式上では呼んではいるが、事実上の簒奪だ。

 

この新しく建国された”新朝”は、たったの一代でその短い生涯を終えることになる。

 

滅亡の因としては、様々なものが上げられた。

 

大きなものとして政治的な失敗が目に付くのだが、裏の歴史は政治にではなく、軍事にこそあった。

 

王莽は頻繁に遠征を繰り返しており、匈奴には30万人、西南には20万人の兵を派遣しているのだ。

 

ここに一つの疑問がある。

 

王莽は良くも悪くも、政治の人だ。

 

しかも彼は歴史上、類を見ない簒奪を成している。

 

つまり、前漢における軍事関係者に、悉く忌み嫌われていた存在だったのだ。

 

それでは彼はどのようにして、軍事力を手に入れたのだろうか?

 

数多の将軍に目を背けられた彼が、目をつけた組織があった。

 

それが武項の里なのだ。

 

武項出身の人材とは、いわゆる”傭兵”家業を生業とする”用兵”家達であり、個人の武もさることながら頭脳も明晰、しかも統率力に非常に長けるという、将としてはまさに秀才揃いであった。

 

彼らを味方につけられれば、この上なく頼もしい存在である。

 

しかし、王莽の企みは中々上手くいかなかった。

 

武項というのは、はっきりといってしまえば、報酬さえもらえればなんでもやる傭兵であり、かつ用兵者の集団である。

 

当初、王莽は武項のいくつかの村に、大金と栄職を授けるからと取引を持ちかけた。

 

これで動かない人間はいまい、権力に取り憑かれていた彼は、心の底からそう信じていた。

 

だけれど武項の里長は皆、一様に首を横へと振った。

 

彼らは拒んだのだ。

 

王莽は根本を勘違いしていた。

 

金は置いておいても、彼らは権力など欲していない。

 

武項が目指すものは、ただ純粋に強さだ。

 

生活の糧として、まず強さありきの彼らに、一定以上の権力など有害でしかない。

 

だからこそ、前漢の時代においてさえ、彼らは王朝との友好を地道に築きながら、あくまで仕事上での関係と割り切ってきたのだ。

 

他里よりも強くあれ。

 

しかも彼らには義の志があった、少なくとも簒奪者よりは、世話になった漢王朝にこそ義理があると考えていた。

 

その信念がある限り、彼らは誰の言いなりにもならない……はずだった。

 

「はずだったって、どこかが王莽に協力したのですか?」

 

明命が不思議そうに返すと、静海は人差し指を立てて、一つだけ、と言った。

 

「それが先ほど述べた、象形拳を極めんとする武項なのだ。

 そこの里長はとある条件をもとに、取引に応じたのだ」

 

「な、なんですか?」

 

亞莎としても、予想がつかない。

 

力はあるはず。

 

なのにお金でもなく、権力でもなく、果たして何を求めたというのか?

 

「里長が求めたものは、漢王室に代々伝わる霊薬だ。

 以前の漢王朝であれば、通常取引に応じるはずもない一級の家宝ともいえるべき品でね。

 王朝を簒奪した王莽だからこそ、容易く差し出すことが出来たのさ。

 きいて驚くなかれ……それは…………」

 

「「ゴクッ」」

 

すっかり静海の話に引き込まれる亞莎と明命は、手に汗を握って聞き入っている。

 

静海は思いっきり間を溜めると、勢いよく鉄扇を広げて、顔を扇ぎながら笑った。

 

 

 

「女人化の秘薬だ」

 

「「……………………は?」」

 

 

 

 

 

 

__女人化……

 

これほど力の篭らない表情は珍しいだろう。

 

亞莎も明命も、一瞬頭の中が真っ白になり、言葉の意味をなかなか聞き入れてくれな

かった。

 

「うむ。

 君達が唖然とする気持ちもわかるが、これは事実なのだ。

 しかもちゃんとしたご立派な理由もあるのだぞ?」

 

「……なんですか?」

 

「理由というか、動機は簡単で単純なものだったんだ。

 要約すれば、つまり嫁が欲しいということだったんだよ」

 

「よ、嫁って……普通に女の人を、そ、そそのその……一生懸命に口説けばいいじゃないですか!」

 

明命が顔を真赤にして抗議する。

 

静海は予想通りの反応だと、うんうんと頷くが、言葉は否定であった。

 

「忍装束のお嬢さん、確かに君の言ったとおり、一般であれば女性を探して口説けばいい。

 必ずとは言えぬが、有能で力も有り、将来性もある男達だ。

 言い方は悪いが、釣れる女性は山のようにいるだろう。

 しかしそれじゃあ駄目だったのだよ」

 

「何故?」

 

やや呆れ気味に亞莎が返した。

 

「はっはっはっはっは。

 まぁ当然そういう反応になるわなぁ。

 何、駄目な理由は簡単だ。

 誰にでもわかることだから、とっとと教えてしまおう。

 かれら武項の人間は”強さ”を求めていた、つまり嫁となる女性も強くなければならなかったんだ。

 強い男と女がより強い子孫を残す、そう信じていた」

 

「強くって……」

 

「ちなみに、その里長が治めていた武項は、ひどく閉鎖的な武項だったのだ。

 強くなるために、男しか育てないという徹底ぶりだよ」

 

「それじゃあ、そもそも子供が出来なくて、里を維持出来ないじゃないですか?」

 

「うむ、その考えは正しい。

 彼らは子供を成すために、他の交流のあった武項から女性を娶っていたのだよ」

 

ここで一度、静海は言葉を区切ると、ふうっとため息をつく。

 

ひどく疲れた、そして深いため息だった。

 

「……里長が治める武項は、象形拳を極めんとする一族だった。

 つまり、”野生の動物を取り込む里”であったと、言い換える事も出来る」

 

「え?」

 

「つまり、だ……彼らは女人化の秘薬で、本当に動物の血を取り込もうとしたのだよ」

 

「「はぁっ?!」」

 

「君達が呆れる気持ちはこの静海、とてもよくわかる。

 しかしこの馬鹿げた事象は実行されてしまったのだ。

 彼らは王室の霊薬を手に入れ、各地を転々と旅をする必要があった。

 それが王莽が行った国外遠征の裏の顔だよ。

 彼らは王莽との契約を果たしつつも、最高の嫁を探すために、あらゆる動物を捕らえた。

 そして……ついに最強の名に相応しい野生をみつけたのさ」

 

「最強、ですか? えっと……虎、とか?」

 

最も身近な人物を形容する動物が、明命の頭をよぎる。

 

しかし静海は頭を振った。

 

「龍族だよ」

 

「龍! そんなもの捕まえられるんですか?!」

 

龍は存在すると聞いたことはある。

 

しかし龍を捕獲するなど、この大陸の誰もが考えない。

 

龍は天災として、決して触れてはならぬものなのだ。

 

「無論、犠牲も大きかった。

 さきほども言ったが、西南へ送られた20万人など、6、7割がその時に失われている、表向きの記録では餓死と疫病となっているがねぇ。

 ちゃんちゃらおかしい話なのさ。

 疫病はいいとしても、言うに事欠いて餓死だと?

 武項の人間が指揮する部隊が、糧食の準備を間違えるわけがないというのに、逆に何かを隠しているのが明白というものさ。

 彼らはどうにか龍族の隙をついて、霊薬を飲ませることに成功した。

 女性になった龍達を数十人連れ帰った里は、集落でも最強と名高い男達に、その女性達を娶らせたのだ」

 

「そ、そんな……」

 

「最高の栄誉だったらしいぞ?

 龍達は霊薬を飲んでしまえば、本当に人間の女性と変わりがなかったらしい。

 若々しく、器量も気立ても良し、理性的で家事も万事にこなしたそうだ。

 ……人智を超える凶悪なほどの力さえ除けばね」

 

「それで、どうなったんですか?」

 

「すまないが、その後の詳細は私の力では調べることが出来なかった、資料が紛失していてね。

 ただ結果としてわかっているのは、彼らは龍の女性との間に子を成し、里を拡張したということ。

 その所業を、王莽を倒し後漢として漢王朝を中興したかの光武帝が恐れ、武項の里に密かな解散という名の抹殺指令をだしたという事だけだ。

 恐らく私の推測では、解散した武項の人材は、大陸の各地へ逃げるように散らばったのだろう。

 都の人ごみに隠れた者、蛮族へ逃げた者、農民に化けた者、どこかの豪族に匿われた者、色々といただろうな。

 ただその多くが途中で暗殺されたか、密かに捕縛されて投獄されたか……どのみちろくな目にあわなかっただろうさ」

 

「そうなんですか……」

 

はぁ、と亞莎が息をつく。

 

目新しい歴史の裏側をこんなところで聞けて、軍師の彼女は多少興奮しているようであった。

 

知に対して、純粋な好奇心が人一倍強いのだろう。

 

「だが、ここにきてこの乱世の中に、その武項の末裔が表舞台へと出てきている」

 

「え? そ、それは誰でしょうか?」

 

__やはり、言っていないのか。

 

静海は最終確認のために、チラリと蓮鳴を見るが、蓮鳴はピクリとも動かなかった。

 

仕方のない人だと思いながら、静海は軽くため息をついた。

 

「ハァ……君達の主君、孫堅文台君は虎の血が覚醒した”獣の血”の所有者だよ? だから江東の虎なのだ」

 

「「っ!!!」」

 

2人は言葉を失った。

 

自分達の主の体の中には、龍の血が流れているのだとわかったのだ。

 

「龍の血を人に取り入れるとは、倫理とはまた違う様々な問題があった。

 あらゆる動物の優れた特性を持ち、最強の肉体を持つ生態系の頂点たる龍と、霊長の人との間に生まれる、まさに龍人だ。

 何が起こるかわからない。

 その結果が、この子のような強い先祖返りとして現れる」

 

静海は幼子の獣耳を撫でると、ピクリと指を押し返してくる。

 

あう~、と耳を掻くために手を伸ばす幼子へ静海は微笑んだ。

 

静海の優しい表情に安堵した幼子は、寝くなってきたのか、うっつらうっつらと頭が船を漕ぎ出した。

 

静海は苦笑すると、黄祖こと練樹へと向き直る。

 

「どうやらお昼寝の時間のようだ。

 黄ー君、後は頼むよ」

 

「はいっ! です」

 

練樹は静海から幼子を受け取ると、慣れた手つきで抱きしめた。

 

練樹に抱かれるのは安心するのだろう。

 

すぐにスヤスヤと寝息を立て始めた。

 

静海は黙っている2人へ向きなおすと、言葉を続ける。

 

「……200年という時間は、有効に働いた。

 何世代か子を成す事で、家系図は大陸中へと広がり、徐々に龍の血が薄まっていったんだ。

 しかし、たまに”血”が強く覚醒してしまう者がいる。

 その様がまるで野生が剥き出しの動物のようであるから、それは獣の血と呼ばれるようになった……私もその1人だよ」

 

「え? そうなんですか!」

 

驚く2人に、静海は懐から一枚の紙を取り出した。

 

紙を宙へと投げると、ヒラリヒラリと頼りげなく舞う。

 

その不規則に揺れて落ちてくる紙を2人が注視していると、突如静海の長細い瞳がスゥッと開いた。

 

同時に、ダラリと長い手を下ろした静海は、宙に舞う紙を指でなぞるように、そして素早く振りぬいた。

 

息を飲み込む2人の前で、紙の端にはピッと切れ込みが入り、バラバラと散って紙吹雪と化す。

 

「……この通り、私の手刀はよく斬れる。

 皆が私を青鼬と呼ぶのは、この”鎌鼬”に由来するのさ」

 

「す、凄い」

 

宙に舞う紙を斬るなんて、一体どれほど斬れ味が鋭いというのだ。

 

「しかーし、私はこの力が嫌いだ。

 大~~~い嫌いなのだよ、嫌悪しているといってもいい」

 

「へ? どうしてですか! こんなに凄いのに」

 

「人を超えた力を持つなど、良いどころか最悪だよ、はた迷惑もいいところさ。

 私と蓮鳴君は才能があった方なのだが、若い頃はこの血が起こす葛藤にも似た獣の疼きに、ずいぶんと泣かされてきた。

 この血のせいで死にかけたのも、大切な人を傷つけたことも……1度や2度じゃあない」

 

「………………」

 

静海の言葉の重みに、明命と亞莎が真剣な表情で黙る。

 

この常にふざけた態度を取る静海の、心の底にある本質を垣間見たような気がした。

 

「だから私は蓮鳴君に直接会って話しをしたかったのだ。

 どうしても一つ解せないんだよねぇ?」

 

「何がですか?」

 

「私はこの力が気に入らんために、こうして鉄扇を手にして事なかれ主義を謳い、戦うのを止めた……”鎌鼬”を使わないようにとな。

 それに、自分の子が同じような苦しみを継いでしまうのであれば、子もいらんと子宮もとった」

 

「「っぶ!」」

 

「結局、この子を拾ってしまったがね……この静海にも人並らしい情があったのだなと、自分で驚いたものだ」

 

衝撃の告白だった。

 

この人は自ら、女性の象徴である能力を放棄したというのか。

 

「しかし蓮鳴君は、危険性を承知しながら子を成した。

 別にそれ自体は問題ない。

 愛した男がいるならば、子を残したいと思うのは、人として当然の本能の帰結だ。

 彼女が家庭を持つことはいい、私が口出しすることでもないさ。

 しかし…………どうして蓮鳴君は、雪蓮君達を戦場へでることを許しているのだ?」

 

「え? ん? あの、よくわからないんですけど……」

 

「獣の血は、いわば人の領分を踏み越える力……使い過ぎは出来ない。

 私や蓮鳴君のように、長い長い修行で獣の血を上手く覚醒させ、ある程度制御が出来る人はまだ良い方だ。

 なんとか自身の力で抑えこむ事が出来るようになるからね。 ごくごく稀に……自然と力を制御できる天才もいるようだが……

 だけれど雪蓮君は違うだろう?

 君達も一度くらい見た事があるはずだが」

 

ハッとした。

 

雪蓮様が戦場から帰ってくる時の、あの異常な興奮状態。

 

敵も味方も破壊してしまいそうな暴虐な瞳に、渦巻く殺気。

 

初めて見てしまった時は、恐くて眠れなかった。

 

「雪蓮君の覚醒は症状から判断するに不完全で、まだまだ若い。

 獣の血が発露すれば、理性が掻き消されて血に振り回されてしまう。

 一時的ではなく、血の渇きに身を委ね続けるという暴挙……そんな無茶な事をし続けていれば、徐々に体が耐え切れなくなり…………やがて……」

 

 

 

 

「死んでしまうんだよ?」

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

どうも雨傘です。

 

皆さん応援ありがとうございます!!!

 

ご支援、コメント、メール、ご指摘、お待ちしております!

 

批判でもOKです! 厳しくても全然大丈夫です!

 

貴方様からの反応が私の力になります、のでよろしくお願いします。

 

個人メールも受け付けております。 小生でよければ友達になってくださいな。

 

あとがきは最終話に纏めて書こうかなと思います、かなり長くなる予定。

 

HPの方にコメントのような感想をつけたいということですが、少々お待ち下さい。 コメントにいいプラグインがないか、ちょっと探してきます。

あーあと、スマホで見れるようにしましたので、よければHPを電車に乗っているときで構いませんので、お暇な時にでも見てやってくださいな。

 

 

ではまた。

 


 
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