No.660439

Da.sh Ⅱ

健忘真実さん

ホームレスとなったオレは、離婚した妻の実家がある茨城にいるはずの娘が、新宿の出会いカフェで夜を過ごしているのを見つけた。
そうして元同僚の策謀にはまり家庭崩壊に至ったことを知る。
現在会社を営む彼に復讐するために、金を詐取する計画を立てた。
出来ることなら、元妻も取り返したい。
謎の3人組とホームレスとして共に暮らす4人の仲間たちの協力を得て、“物質伝送機” の模造機を作り、

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2014-02-04 12:42:30 投稿 / 全24ページ    総閲覧数:460   閲覧ユーザー数:460

転落

 

 ・・・オレは・・・何者だ。

 

 公園のベンチに浅く腰掛け、広げた両足の太ももに肘を押し当てて、うなだれた格好

でウタタネをしていた。

 ここから早く立ち退けよ、と言わんばかりに冷たい風が吹き付けてきたかと思うと、

ゆっくりしてらっしゃい、疲れてるんでしょ、と温かい日差しが優しく包み込んでくれる。

 

 容赦なく肌を痛めつけてくる、凍えた空気。そんな中でも、喧騒絶えない繁華街を酔

客や若者に混じって一晩中歩き続け、太陽の温もりを得た今にして、ようやく眠ること

が出来る。といっても、つかの間の眠りにありつける、というだけのものだが。

 両足の間に置いているショルダーバッグには、顔なじみとなったコンビニで貰い受け

た賞味期限切れの弁当と、ハンバーガーショップの売れ残りバンズ2個が入っているが、

少しでも暖かさを得られる間に眠っておきたい。

 防寒着のポケットには、10円硬貨と50円硬貨が、数十枚入っている。おそらく8

00円ぐらいはあるだろうが、何時間も歩き続けた今日の収穫が、これだけだ。

 自動販売機の釣銭あさり。

 その金を入れた財布を、内ポケットにしまっている。ずっしりとした重みはあっても、

フトコロは全く温かくない。

 

 ・・・どうして、こうなってしまったのだろう。

 

 

 子どもの嬌声に、顔を上げた。

 幼い子供を連れた母親たちが、このベンチを()ける様にして集まり始めている。

2時間程度、眠ることが出来たろうか。

 ショルダーバッグから取り出した、弁当に留められている割りばしをはずし、ふたを

開けた。しおれたキャベツとポテトサラダと漬物が、隅に寄った飯の上に散らばっている。

魚フライの表面は湿気て、容器のフタの至る所に揚げ粉が付いているが、そんなことは

どうでもいい。食べ物があるというだけで、十分だ。昨日も一昨日(おとつい)もフライだった。

これだけで、1日を過ごさなければならない。

 フライをパサパサとなったバンズに挟んで食らいつき、無理に喉奥に押し込んでから、

キャベツなどが振りかかった飯をまとめて口の中にかき込んで、瞬く間に空にしてしま

うと公衆トイレに行った。

 トイレの入り口で容器を棄て、中にある水道の蛇口に口をくっつけるようにして、水

を喉に流し込んだ。

 

 用を足した後、ついでに顔を洗う。

 残り少なくなったワセリンを口の周りにこすり付け、汚れが付着している鏡を覗き込

んで切れの悪くなったシェーバーで髭を当たり、何も付けない歯ブラシで歯を磨く。そ

して再び顔を洗い、ワセリンを顔じゅうに薄く擦り込んでおく。

 あああァ・・・お湯が恋しい。

 水の冷たさに、手先が赤くなって痺れ頭の芯まで痺れてくる。しかし、どんな時にも、

身だしなみだけは崩したくない。

 鏡を覗くと、ところどころに剃り残しが見えるが、これ以上剃っていくと、顎に残っ

ている傷がさらに増えてしまうことになる。

 

 薄くなった頭髪に手を添わせてそっとすくと、毛糸編みの帽子を深くかぶせる。

 生活用品、といっても、わずかの下着が入っただけのショルダーバッグを肩に掛けて、

気合を入れてはみるものの、目の前にいるのは薄汚れた、生気のない、貧弱なオッサンだ。

すぐに、鏡から目を落とした。

 両手を上着のポケットに突っ込み、背を丸めてそこを出た。

 そろそろ、図書館に移動する時間である。

 数週間前までは、どこなのか分からないが、飯場にいた。飯とねぐらの心配をする必

要がないのは、助かる。

 山に入って、枯れ木や枯れ枝を撤去していくのが仕事だった。

 それがある日写真家が来て、枯れ枝を川に投げ入れてくれ、という要望に応えてやる

と数日後、契約期間が残っているにもかかわらず全員解雇されて、元いた寄せ場(日雇

労働市場)に、車に乗せられて戻されたのだ。

 

 しばらくはその報酬でドヤ(簡易宿泊所)に泊まっていたが、仕事が見つからない。

40歳を過ぎると、なかなか仕事を回してもらえなくなる。若者優先だ。ほとんどが、

建設現場の解体か倉庫での運搬などのきつい力仕事だから、到しかたないのかもしれな

いが。

 警備や清掃の仕事にありつけるのは、おおよそ週1である。それだけ、仕事を求めて

いる者があふれている、ということだ。

 

 

「お前、新聞に載ってたろ」

 

 炊き出しの列に並んでいると、おにぎりとみそ汁の器を持って通り過ぎようとした男が、

横に立ち止まってしげしげと顔を覗き込んでくると、そう言った。名前は知らないが、

一緒に土木現場で働いたことのある男だ。

 

「むざむざ写されやがって、ヘンッ、おかげで求人が減ってしまったじゃないか」

 

 なんのことか分からず、その時は黙ったままでやり過ごしたが、気にかかっていた。

 図書館でその新聞を捜し出すとナント、枯れ枝を川に向かって投げ入れている写真の

主は、まさしく、オレだ。うつむいているので顔は分からないが、オレを知っている者

が見れば、体つきから分かるだろう。

 しかも、放射能汚染の除去作業、だって! 

 そんな話は、手配師からも現場監督からも聞いてはいなかった。どこに連れて行かれ

たのかも聞いていない。手配師の言うままに、バンに乗り込んだだけだ。

 だが・・・クソッ、気に入らんのは記事を書いた奴らだ。放射能のことはさして気にして

いない。この体はいつどうなってもかまわない、と思っているからだ。

 しかし、生きていくには、金がいる。今必要なのは、金だ。

 

 

 何年前になるのだろうか・・・派遣会社に登録していた当時は、自動車工場でのライ

ンに入る仕事が結構あって、懐具合によっては、カプセルホテルやマンガ喫茶で眠るこ

とが出来た。マンガ喫茶にはシャワーやドリンクバーなどもあり、気軽な生活を気に入

って送っていたのだが・・・不正が暴かれてグッドが廃業してからは、そこに登録して

いた連中がどっと押し掛けてくることになり、仕事を得るための倍率が上がって・・・

暇になった。

 

 マスコミの連中は、マクド難民やらネットカフェ難民などと、気安げな言葉で呼ぶが、

お前らにも責任の一端があるんじゃネェのか・・・と言いたい。

 新語を作ったり、世論を誘導して有頂天になっているマスコミの連中は、正義面して

不正を暴こうとする。実態を報道することは、大事なことだ。だがほとんどは、実態の

一側面のみにしかすぎない、と思うのだが。報道された一側面の裏には、生活を委ねて

いる多くの者たちがいることを、理解してるのかよ。

 ぬくぬくとした生活をしている奴らが、好き勝手なことをほざいて、生活者の味方で

ござい、とな。

 スクープだ、と喜び勇んで、重箱の隅を突っつくようなことに目を向けるより、権力

を握ってる奴らや、自分たちの大手スポンサーの利権やら、不都合な隠し事を暴いてみ

ろよ。捨て置けない事柄がザックザックと出てくるはずだ。

 ま、グッドの不正もひどいもんだったらしいがな。

 

 フッ、つまらんことを考えちまった。

 ここ(図書館)は暖房がよく効いてるから・・・雑誌を広げて読んでいる振りをしな

がら眠らないと、すぐに追い出されてしまう。

 

 

「ちょっとォ、出てって下さいよォ」

 

 ンんーん? 

 肩を叩かれて目を開けると、腰に手を当て、怖い顔して睨みつけている、オバハン、

が立っていた。

 あわてて口元をぬぐい、姿勢を正した。

「あっ、あ、あ、すみませんッ。ちょっと居眠りして、しまったようでして」

「あなたねェ、ここは眠るとこじゃないんだからね、しかもぉ鼾、かいてたし。いつも

は大目に見てたんだけどね、今日は小学生が、課外授業で来ることになってるんで、さァ、

出てって」

 

 ぁあァ~ア、しくじった。

「お前、最近ちょくちょく見かけるようになったがぁ、新顔だな」

 

 公園のベンチに座って寒さに縮こまりながら、ボーッと帰宅を急ぐサラリーマンたち

を見ていると、ホームレスらしき白髪のぼさぼさ頭の男から声を掛けられ、ギョッとした。

こういう手合いは、苦手だ。

 なんだか・・・怖い。

 黙って立ち去ろうとしたが、さらに声が追っかけて来た。

 

「食いもんはあるのかぃ、それとぉ、ねぐらと」

 

 防寒着のポケットに、手を突っ込んだ。

 小銭で膨らんでいる財布を握りしめた。砂糖入りの缶コーヒーが2回と、ポタージュ

缶を飲んだだけだから、残っているのは・・・400円ぐらい、か。

 マクドに行くか夜通し歩き続けるか、だが・・・釣銭あさりだな、稼がないことには。

たまにはサウナ行って、あったかい所でゆっくり眠りたいし。

 

 あったかい部屋で寝ている姿を夢想して突っ立ったままでいると、オレの表情を見て

いたのか、そいつはオレの耳に囁きかけるほどに近寄ってきた。

 

「付いてきな」

 

 プヮ~ンとした臭い息を吹きかけ、目尻を下げたその男はそう言うと、歩き始めた。

「心配するなって。悪いことするわけじゃぁ、ねえからよ」

 振り返って、さらに目を細めて付け足した。

 

 

 オレは広い公園の中を、その男から距離をおいて付いて行った。

 正面に見える都庁舎の灯が暖かくもあるが、やはり冷たくもある。

 そして、都心にいるとは思えない森のような木々の間に、それはあった。

 段ボールハウスの群れ。

 それらの上には、木を利用した青いビニールシートが張ってある。

 オレは、ついに、ホームレスになるのか!?

 

「お前、ホームレスになってぇ長いのか?」

「えっ?」

「違うのかぁ、家があるのか」

「カプセルホテルとか深夜営業の店とかで寝たり、時間つぶしたり」

「なぁ~んだ、ホームレスだな」

 

 その男はそう言いながらいくつか並んでいる段ボールハウスのひとつから、毛布を引

きずり出してきた。「それ」と突き付けてくる。

 受け取るのをためらっていると、段ボールハウスのひとつを顎でしゃくった。

「そこぉ、あいてるから。それとぉ毛布1枚、100円。欲しけりゃぁ、もっとあるよ」

 

 それでもそこに、突っ立っていた。

「ハハ~ン、大丈夫だって。毛布は毎日、太陽に当ててるから」

 そんな事で躊躇してるんじゃなくって、いやそれもあるけど・・・野宿に、いよいよ

オレも野宿生活者にまで落ちてしまうことが、ホームレスであることを現実に受け入れ

てしまうことが、それに・・・ホームレス襲撃事件もあったし、不良に袋だたきにされ

るのが、怖い。

 それでも、手足を伸ばして眠りたい、という欲求がある。

 目の前にある暖かそうな毛布に引き寄せられて、無意識のうちに手が伸びていた。

 

「そうだな、3枚ありゃぁ、あったかいわ。300円」

 差し出された掌に、溜息をつきながら10円玉30枚を1枚ずつ落としていくと毛布

を抱き寄せ、さらに2枚を受け取った。それらを指定された段ボール御殿に、内外をし

げしげと見渡してから、放り込む。ショルダーバッグも奥の方に放り入れた。

 

「お前ぇ、名前は? ワシは源。無論本名じゃないがな」

 一瞬考え込んだが、「健」と答えた。太田健一、というのがオレの名前だ。

「濁りのあるワシとないお前と、イイコンビになれそうだ、アッハッハッハ」

 この、“親しみ” を押しつけてくる男源さんは、ずっと、ニコニコしている。こう

いった生活を楽しんでいる風にも思えるが、もう考えることは億劫だ。

 今までの積もり積もった疲れもあって、黙々と寝床を整え、毛布に挟まって横たわる

とすぐに、深い眠りに落ちていった。

ホームレスの暮らし

 

「お~い、健、起きろぉ、新人歓迎会だぁ」

 

 家族と過ごした家にいる時同様の心地良い眠りから引きずり戻されて、小さくまばた

きを繰り返しながらくっつきあった瞼をようやくにして開けてみると、段ボールに囲ま

れた狭い空間の中にいることが不思議な感覚を伴って、昨夕のことがぼんやりと思い出

されてきた。

 肘をついて上体を少し持ち上げると、手を伸ばして入口の段ボールを少しずらし、外

を見た。呼気で暖かくなっている空間に、冷気がなだれ込んでくる。

 街路灯が暗闇の中で、ボヤ~ン、とした光を投げかけているのが、ビニールシートを

通して分かる。そういった境界の不鮮明な明暗が、一層外の静寂を際立たせている。

 昨夕のことだったのかまだ今日のことだったのか、とつまらないことを思った。

 

 ブルーシートの下では、毛布を肩からかぶり背を丸めて円く座り込んでいる、四つの

姿があった。

 再び眠りの中に戻りたかったが、状況をまだよく理解していないこともあって彼らに

倣い、毛布を体に巻き付けて擦り切れた運動靴に足を突っ込むと、オレを振り仰いでい

る源さんの隣の空いている場所に、腰を落とした。

 オレの動きを追いかけ、注がれてくる目元には好奇心が丸出しで、そこにいる誰からも、

悲壮感は感じられない。自分の置かれている今の境遇を、楽しんでいるかのようにも見

受けられる。

 

「ほれっ、飲め」

 

 差し出されたマグカップを受け取り覗き込むと、琥珀色の液体が入っており、鼻を近

づけると芳醇な香りがする。久々のかぐわしい香りを、鼻を膨らませて胸一杯に吸い込

んだ。空中でカップを持ったまま見渡すと、4人のニコニコ顔とぶつかった。

 

「まずはぁ、健の仲間入りを祝ってぇ、乾杯ぃ」

 

 皆はカップを口に運んだが、オレはカップを下に置くと、隣に座っている源さんの、

前に置かれている瓶を覗き見た。[山崎]と書かれたラベルが貼られている。

 真ん中にはご馳走の入った器が三つと、各自の前には縁の掛けた皿と新しい割りばし

が置かれている。

 海老や野菜の天ぷら、蛸や海老や魚や小芋や椎茸や、その他豊富な食材による煮物、

何か分からないものから、刺身まである。普段の生活でもなかなか口に出来なかったよ

うな料理に視線を落としていると、源さんが言った。

「うめェんだから、とにかく食えよ。自己紹介はその後だ」

 

 

 生唾がほとばしり出てきて、ゴクン、と飲み込むともう堪らない。それらの器を引き

寄せ、素手で片っ端からつまんでは、口の中に放りこんだ。初めのうちは、ほとんど噛

むことなく飲み込んでいたが、箸を使って、ゆっくり噛みしめて食べることが出来るほ

どに腹が落ち着いてくると、ふと、疑問が湧いてきた。

 4人はじっと、オレの夢中になって食べている姿に見入っていたのだろうか、箸を動

かした様子がない。というか、料理をひとり占めにしていたことに気付いて照れ隠しに、

「ごっそさん」と箸を置いてうつむいた。

 

美味(うま)いだろ」

「源さんが高級料亭から、運んで来たんやで」

 関西弁に興味がわき、その男の顔を見た。小太りで、オレと同年代と思われる。オレ

と違って、黒い髪が十分に残っているが。

「一文字隼人、いいます。リサイクル資源(粗大ゴミ)置き場から、お宝集めてますん

や」

「私は、悪代官を懲らしめるために、今はこのような姿にやつしておりますが、水戸光

圀、と申します。お見知りおきを。空き缶などを集めながら、あそこにいる役人どもを、

見張っております」

 都庁の建物がある方向を指して言う男は、50代といったところか。やはり小太りの、

目尻がやや下がりぎみの、目ン玉が外寄りの、少し変わった雰囲気を漂わせている。

 

「ふたりはテレビの影響が大きいてな、時のヒーローですわ。ワテは太郎です。ほれ、

食い倒れ太郎、知ってはりまっか。大阪道頓堀の、あの有名な、アレです」

 はあ、と言ったもののよく分からない。年齢も推定できない、ギョロ目で少し痩せぎ

すの男。

 

「太郎には、自転車で駅を回って、雑誌を集めてもらってる。こういう仕事にもぅ、縄

張りがあってな。そのルールさえ守ってたらぁ、十分な収入になる。健には電車に乗って、

各ぅ、駅構内に捨てられた、雑誌を集めて欲しい」

「よく分かりませんが」

「追い追い教えたるがな。それよりおやっさん、飲みまひょ」

 太郎さんは、源さんの前にある瓶に手を伸ばした。

「あのーぅ、質問、よろしいか」

 皆の視線が集まった。

「このご馳走、高くついたと思うんですが、オレ、金は全く持ってません」

 手を叩きながら、ギャハハハハ、という笑い声が一斉に沸いた。

「美味いやろ。選別された新鮮な食材を、一流の料理人が手間暇かけて作った、料理や。

おやっさん、これはぁ、日本料理屋ぁヱビ寿、でっしゃろ」

 オレが食べ残した器を回し合って小皿に取ると、ウィスキーを少し口に含んでは、そ

の高級料理を噛みしめて味わっている。

 時々大きく目を見開いて話す太郎さんの口は、滑らかだ。

 

 源さんは頬笑みを浮かべたまま、さらりと言った。

「健、心配ないからさぁ。清潔だよ」

 オレは、不安になった。まさか・・・。

「まさか、残飯?」

 隼人さんと光圀さんは、黙ったままカップに鼻を近づけては恍惚な表情を浮かべて、

液体を口に含むと口を閉じたまま鼻の穴をふくらませたり顎を動かしている。口の中で、

転がしているらしい。

 

「高級クラブ、っちゅうとこはやなぁ、キープの期限過ぎたらぎょうさん残っとっても、

ボトルごと処分しよる。ここンおったら、上等の酒も料理も、たらふく食えるんや。コン

ビニ弁当なんか不味うて食えんで、なぁ、おやっさん」

「明日はさぁ、鮨でも食いに行くかい」

「いいねぇ」と、オレ以外が賛同した。

「回転寿司の閉店直後ぉ、1時半頃だな。健、そのつもりでな」

「あのう、オレ、ここにいるかどうか、まだ決めてませんのですが」

 

 

 だが、残飯、と分かった後も、一度そういったものを腹に収めてしまうと度胸が付いた。

というか、もうどうでもいいや、という気がして動くのも面倒だし、さらに飲み食いし

ていると、喋ることの少ない光圀さんの重い口が開いた。

 光圀さんは、先ほどからずっとオレを見つめていたのだ。

 

「その鉄腕アトムを見ていると、博士を思い出すよ、なぁ」

 お茶の水博士のことかと思ったが、違った。

 光圀さんは、オレの毛布を指差している。オレは毛布を目の前に持ってくると、その

図柄を見た。

 鉄腕アトムが前にかがんで、尻から噴射している。

 

「その毛布はさ、博士のお気に入りで、大切に使ってたんだわ。ちょうど1か月前にな

るかなぁ、1月に、死んじまってさ。いい奴だったよ」

「いい奴だったよな」と、皆がうなずいて言った。

「いやさ、風邪で寝込んじまったんだナ、みなで交替して介抱したんだがぁ、肺炎にな

ったらしい。ワシらは、病院には行けんだろぅ。健康保険な~んてものはぁ、ない。金

もぉ、ない。薬局で買った薬を与えていたんだが、夕方戻ってくるとさぁ、息がなかっ

たぁ、という訳さ。その毛布にくるまってぇ」

 

 淡々と話す源さんだが、死人をくるんでいた毛布だと聞いて、そっと丸めて横に置き、

そこから立ち去ろうとした。

「5人で団結すりゃぁ、怖いものなし。よろしくたのむわ」

と、ズボンの裾を握られた。

 

 

 ズルズルと、オレは新宿中央公園の森の中にある、段ボール御殿に居座っていた。も

う、ひと月近くになる。

 仕事はすぐに覚えた。

 朝夕のラッシュアワーが終わった頃に入場券を買って、電車をひと駅ごとに乗り降り

しながら、駅構内のごみ箱をひとつずつ覗いていき、棄てられている雑誌を集める。

 それらを青空書店に卸す。1冊20円。ジャンプの最新号は高くで売れる。1冊50円。

 空き缶はひとつ、およそ2円。

 資源ごみは集めて業者に持っていくと、結構な金額になる。

 

 これらの仕事を分担して、協力して収入を得ている。一旦は源さんに金を渡すが、

1週間ごとに、必要経費を除いて5人で割った金額を受け取る。1万円程度になっている。

食費も宿泊費も必要ない。ペットボトル飲料を買ったり、時々銭湯に行くぐらいなので、

金は少しずつだが、貯まっていった。

 慣れれば、プライドを捨てさえすれば、たいして煩わしいこともなく、オレの性分に

合っていたのかと思う。

 気ままな生活。

新宿界隈にて

 

 新宿歌舞伎町。

 学生の時にバイトをしていた街である。およそ20年前のことだが、知った街である

という安心感から、舞い戻って来た。

 

 オレは理工学部修士課程を終えると、三ツ星製作所に入り開発部に籍を置きながら、

ユーザー企業の工場ラインを設計・稼働させる、システムエンジニアとして働いていた。

自社工場は茨城県にあり、先端産業といわれるIT関連の部品製造にかけては、世界の

トップクラスに位置している。

 だが、韓国の安価な労働力に押されて、会社は次第に苦境に陥っていくこととなった。

 工場は、インドネシアからの研修生を受け入れ始めた。研修生とは名ばかりの、賃金

の安い労働者である。実質は、最低賃金よりも安い。そしてそれによって、会社は推奨

金を受け取ることが出来た。

 ん? 違った。意味をなしていない官僚機構が、仲介料などを稼ぎ利権をむさぼって

いるんだった。 

 

 その後、正社員を削減して期間従業員が採用されることとなり、同時に労働者派遣法

が緩和され、製造業にも短期派遣が認められるようになったのは10年前、オレが30

歳の時である。

 自主退職に応募すれば、退職金が給料の6カ月分加算されるという条件に、手を上げた。

自主退職は職種が限定されておらず、工場作業員以外からの応募も歓迎されていたので

ある。オレは増額された退職金で、自分の事業所を持ちたいという野望のために、早々

に応募したのだ。

 

 無論、妻は反対した。

「あなたは経営者の器じゃないわよ」

 好美は、くどいほどに言っていたが、オレは自分の信念を押し通した。明日香は、

5歳になっていた。

 

 職場結婚をした好美は、オレの資質を見抜いていたに違いない。

 妻の言う通り、世間は甘くなかった。

 社宅を出て賃貸マンションに入り、三ツ星製作所や今までの顧客から仕事を斡旋して

もらうことで、かろうじて経営は成り立っていた。

 仕事は、CAD(コンピューターによる設計)によって図面を作成することである。

工場ラインの雛型を作って、クライアントにプレゼンすることもあった。つまりは、三

ツ星でしていた仕事の延長でもある。

 

 

 ところが順調に仕事を得ていたのは、初めの頃だけであった。

 後にして思えば、会社の配慮もあったのだろう。家電メーカーの不況に伴い仕事は減

っていき、好美のパートの仕事から得る収入を加えても、生活が苦しくなっていった。

起業のための借金もある。会社を立ち上げた時には銀行もにこやかにして、「いくらで

も便宜を図ります」といわんばかりに金を貸してくれた。三ツ星の後押しがあったこと

もある。

 数カ月もすると、返済のためだけに、オレの収入は消えていった。

 

 プライドもあって、一定の生活費を入れるために、思い切って消費者金融に手を出し

たのが、運の尽き。

 始めて間もない事業ではあったが見切りをつけて、派遣会社に登録した。不況によっ

て、世間では、正社員の採用は控えられていた為に、就職はかなわなかった為である。

それでも工場の作業員として、短期更新をしつつではあるが、安定した収入を得ること

が出来た。期間従業員よりも下の扱いではあったが。

 ラインのことに詳しいという理由からフロア責任者を任されたが、それでも待遇はや

はり、期間従業員の下。

 不満をつぶやくことイコール失業なので、不満など言えない。そして、体のいい使い

捨ての駒にすぎなかった。

 ライン上でトラブルが発生して生産に支障が生じ、納期が遅れ、それによる損失が生

じるとその責任を押し付けられて、派遣を切られた。

 

 消費者金融では、簡単に借りられることから気が軽くなって、数社からの借金は、い

つの間にか膨らんでいた。

 自転車操業、火の車。

 そうしているうちに取り立てが厳しくなり、逃げるようにして安アパートに引っ越し

たのだが、取り立て人から逃れることは出来なかった。

 家族を彼らから守るために、離婚をした。

 めぼしいものはこっそりと金に換えて夜逃げをし、ひとり、横浜に行った。

 見知らぬ街、名だたる寿町のドヤで、建設作業の日雇い仕事にありついていたのだが、

次第にあぶれる日が続くようになってくると、金が残っているうちにと、昔懐かしい東

京新宿にほのかな期待を持ってやって来た、というわけだ。

 ネットカフェで仕事を探・・・。

 急に腕を取られて、路地に引き込まれた。

 自分の思索の世界から引き戻されて、腕をつかんでいる源さんを見た。口に指を当て

てから親指を伸ばして、通りを指し示している。

 建物の角から、指が差している方向を、そーっと窺い見た。

 源さんが時々調達してくる、今から裏口へまわろうとしていた高級料亭の玄関口に立

っている男が、ふたり。

 繁華街の喧騒から少し離れた所に立地しているここの、玄関灯の仄暗い明かりの下でも、

ひと目でその筋の者と分かる、恰幅のいい男と並んで立っている奴を見て、オレはびっ

くりした。

 三ツ星製作所の開発部にいた時の先輩、星慎之介である。見間違いではない。

 も一度顔を突き出して、確認し、すぐに引っ込んだ。

 

 目の前の道を通り過ぎる時に、「長年惚れ抜いたいい女な」とだけ聞こえていた声には、

覚えがある。路地から出て、ふたりの後ろ姿を見送った。

 源さんがオレの顔を見上げて、「知ってるのか」と言うその顔の、いつもは垂れて瞳

が隠れている目が、少し開かれて光が宿っている、ように感じた。話言葉にも、いつに

ない厳しさが感じられる。

 

「ああ、こちら側にいた奴ですけど」

「ほぅ、誰だい?」

「源さんは、どうして身を隠したんです?」

「いやな、隣を歩いていた奴を知ってるからだよ」

「誰なんです?」

「若獅子会のボス、虎尾強。家吉会、って知ってるかい」

「はい。関東最大の暴力団で有名」

「その傘下に入ってる、元はぁ、家吉会の組員だ。でぇ、その横にいた奴は?」

「オレが勤めていた時の部署の先輩です。星慎之介、という名前」

「どこに勤めてたのか、聞いて、いいかな」

 

 オレは黙った。別に隠す必要はないかもしれないが、オレと一緒に今いる仲間たち、

みんな素性を隠していて、過去のことはお互い、何も知らない。

 

 しかし、「三ツ星製作所。開発部にいました」と、今は信頼をおいている源さんに口

を開いていた。

「星、慎之介とやらは、三ツ星創業者の縁者、かな」

「さぁ、どうでしょうか。オレは出向が多くて、人間関係についてはよく知らないんです。

噂はあったかもしれませんが・・・そういえば、会長も星ですね」

 

 そんな話をしながら、日本料理屋ヱビ寿の裏口にたどり着いた。

 源さんは、大型のゴミ入れの蓋を押し開くと、中に入っている黒いごみ袋2個を取り

出し結び目を開いた。手提げ袋から重箱と菜箸を取り出すと、ごみ袋の中身を吟味しな

がら手の付けられていないものを選りすぐって、器用に重箱に詰めていった。

 不況だと言いながらも、相変わらずの “飽食日本”。飢餓・難民のことが頭をかす

めた。ああ、オレも難民、なんだ・・・。

 それにしても、源さんの手際は見事である。

 

 ゴミ入れの中には、さらに2個のゴミ袋が残っている。

「こっちの袋は開けてみないのですか」とゴミ入れの中に頭を突っ込んで言うと、

「ああ、そっちのは、クズ、ばっかりだからよう」と源さん。

 源さんと店との間には、暗黙の約束事があるのかもしれない。

 重箱3段に詰め終えると、それを手提げ袋に戻し、オレが提げて公園に戻った。

 星が手を付けていたに違いない残り物だと思うと、嫌な気分がしたが、今は、星は見

なかったことにしておいた。

 飲み屋にも数軒立ち寄ったが、めぼしいボトルは得られなかった。

 どんよりと垂れ込めた灰色の雲に覆われ、ジトッと汗ばむ季節となった昼前、ひと仕

事を終えていつものベンチで、スポーツドリンクのペットボトルを手にしてオレ達はだ

べっていた。

 公園の入口に近いところでは、源さんが見知らぬ男と、親しげに話をしている。別れ

際に、封筒を受け取っているのが見えた。

 

 隣に座っている太郎さんが言った。

「おやっさん、いっつもベンチの裏の芝で寝転がってるやろ。あれな、諜報活動やねんわ」

「そうなんですか」

「あっこに仕えとぅる奴らが、昼休みなんかに休憩しに来よるやろ。あいつら、愚痴や

ら腹の立つことなんかを、ここでぶちまけよるよってにな。それをしっかり聞いとるん

やな、おやっさんは」

 目の前には、都庁の新しいビルがそびえている。

 

「それを、どうするんですか?」

「あの話し込んでる男はやな、おやっさんから情報を()うてるんや。街中で知

ったことやら、ワテらがもたらした情報も入ってる」

「ヘーッ、情報を買って、どうするんですか? それに、大した情報はないようにも思い

ますが」

「どやろ、人それぞれやさかい。案外ワテら、重要任務に付いてるんかもしれへんで」

と言って、目をギョロリと剥いた。

 

 源さんは戻ってくると、ニヤツキながら封筒をひらひらさせて、オレに向かって言った。

「健、今晩は喫茶店に連れてってやる。可愛いぃ女の子と、ふたりっきりで会話できると

こがあるんやがぁ、知ってたか」

「それって、出会いカフェ?」

「ヌ■カフェがよろしいで」と、太郎さんが茶々をいれる。

「若い女の子としゃべってるとな、若返った気がしてくる上に楽しいぃもんや。風呂から

出たらぁ、せいぜいめかし込んどけよ」

「今回は健でっか」と言って、太郎さんがスポーツドリンクを飲みほした。

 ベンチの裏の芝生の上に新聞紙を広げて、雑誌であおぎながら寝そべっていた隼人さん

と光圀さんが、顔だけを向けて言った。

「先月はボクでしたから」

「その前が、私」

「ほんならワテは、来月でんな」

 JR新宿駅東口に近い、ビルの3階にある出会い喫茶。

 源さんに付いて、中を見渡しながら入る。

 いろいろと趣向を凝らしたカフェはあるようだが、そういった類ではネットカフェ以外

に入るのは初めてだ。じっくりと、あたりを眺めまわした。

 源さんが金を支払うのを、横に立って眺める。

 ひとり5千円! ふたりで1万円。

 その料金の高さに目を剥いた。源さんの手元を、剥いた目で追いかける、久々に目にす

るのは、とんと御無沙汰している、なんとも懐かしい “福沢諭吉”。

 レシートをポケットに突っ込みながら歩きだした源さんに遅れまいと、くっついて個室

の方へ向かった。

 源さんに促されながら、マジックミラーになっているという小さな窓から、ひと部屋ず

つ中を覗いていった。

 狭い部屋の中で大学生かと思える女の子が、ジュースを脇テーブルに置いて、コミック

本に夢中になっている姿を見るにつけ、オレには合わないところだと思ったが、源さんの

好意を無にするわけにいかない。

 

 オレは、順繰りに小さな窓の中を覗いているうちに、ひとつの部屋の前で釘づけとなり、

中を凝視した。

「おっ、気に入った子がいたかい」

 それには答えず、ドアから離れたオレの体が震え出した。

「どうしたんだ」

 源さんはオレを押し退けて、窓に顔を近づけてから、再びオレを見た。

 オレは、顔を背けた。

 

「知ってるのか?」

 かすれ声しか出てこない、「娘です」と。

 3年間出会うことはなかったが、ショートの髪形もそのままに幼さを残している少女は、

まさしく愛しい娘だ。

 茨城の好美の実家にいるはずだが、それにまだ、夏休みになっていないはずである。新

宿まで出てくるのは、さほど遠いという訳ではないのだが。

 目の前に立って、なぜここに、こんな所にいるのか、と問いただしたい気持ちはあるが、

今のオレには、それが出来るはずもない。

 

 掌を握りしめ腕に力を込めて震わせながら、ドアレバーを注視して突っ立っていると、

ドアレバーに伸びた手がドアを押し開いた。

 はっ、として顔を上げると、源さんが背中を見せて、中に入って行くところである。

 

 個室の前に突っ立っているわけにもいかず、オープンスペースでコミック本を開いていた。

無論、読んでいるのではない。全神経は、先ほどの部屋の方向に向いている。

 源さんは、何を話し込んでいるのだろうか。30分は、とうに過ぎている。イライラして、

踵を小刻みに床に打ち付け続けた。

 

「なんだ、ずっとここにいたのかぁ、もったいない。せっかく金を払ってやったというのに」

 肩を叩かれて、時計を見た。本を床に落として、いつの間にか眠り込んでいたらしい。

 源さんをうらめしく思いながら、本を拾い上げて元の場所に戻しに行き、一度も源さ

んを振り向くことなくカフェから出ると、階段を下りて行った。

 雨が降り出していた。

 ビルの外に出るのをためらって空を見上げていると、追いついてきた源さんに腕を取

られて、近くの喫茶店に連れ込まれた。

「髪がふさふさしてた頃も、あったんだな」

 オレはそっぽ向いていた。

「写真、見せてもらったよ。初音ミク、って名前なんだな」

 黙っていた。

「根掘り葉掘り聞くわけにゃぁ、いかんだろ。時々、探りを入れながら話していたんだ

がぁ、それらを繋げると、こういうことだ」

と言って、源さんは語り始めた。

 顔は背けたまま、耳だけをダンボにして聞いた。

 

 

 高校生だってな。授業で放射能のことを学び、グループ研究で除染について調べてた

んだと。

 便利な時代なんだな。ネット、とやらで、なんでもすぐに調べられるのかい。

 その時に見つけた写真があって、うつむいてはいるんだが、なんとなく自分の父親に

似ている。拡大してよ~く見ると、耳の下にある傷跡に気付いたんだって。自分が傷つ

けてしまった傷だから、すぐに分かったそうだ。

 

 オレは、耳の下に手をやった。

 明日香がふたつみっつの時だったか、オレは、ガンダムの模型を作るのに夢中になっ

ていた。

 ふと、そばに来てナイフを持っている明日香に気づいたオレは、急いで取り上げよう

と「アブナイ!」と大きな声を出して、腕を急に伸ばしたのがいけなかった。びっくり

した明日香が、ナイフを握ったまま腕を振り回した拍子に、オレの顔をナイフの先がか

すめたのだ。

 そうか、何も言わずにいたのだが、明日香は自分が付けた傷であることを、知ってい

たのか・・・。

 

 

 ネット上で見つけた写真を父親だと確信して、いろいろと調べたらしい。

 ネットで質問したらすぐに答えが返ってくるってぇ、なぁ。にちゃんねるで、といっ

てもNHKじゃないぜ、会話もできるのかい。よく分からん時代に、なったもんだ。

 新宿はぁ、お前さん、学生の頃にいた街かい。そんな話を聞いた記憶から、目星をつ

けてやって来たぁ、って。

 もう、1週間になるそうだ。金を使わずに滞在する方法も、ネットが教えてくれたっ

てぇ、な。

 

 

「そこまでして、なぜ家出したのか、話しましたか?」

 視線をはずしたまま質問した。

 

「ママが再婚するの、って」

「そうですか。あいつが幸せになってくれるのだけを願っていましたから・・・仕方な

いです」

「まぁ、この先を聞けって」

 源さんはアイスコーヒーのグラスをグイッと傾けると、氷をかみ砕いてから続けた。

オレも、氷が融けて薄くなっているアイスコーヒーに口を付けた。

 

「いつかお前さんが話していたぁ、三ツ星にいた星、ってぇ男がお相手だ」

「えっ!」と顔を向けた。源さんは、目はオレに向けたまま、うなずいた。

「星慎之介、って言ったよな。ずっと母親とふたり、アパートで暮らしてるそうなんだが、

星が時々やって来るんだとよぉ。父親になるかもしれない、と聞かされてはいたんだが、

ひとりで留守番している時にやって来てさぁ、不意に抱きつかれて、やらしいことされ

そうになったんで、逃げ出したんだと。わざとひとりの時を狙ってやって来たに違いない、

と言ってる。誰もいない時に家に戻って、必要な物だけ持って、ここ、新宿に来た。母

親にも、黙ってな」

「オレが、オレが不甲斐ないばかりに、娘にまで」

 オレは涙が出て、それ以上のことが言えなかった。好美の実家で暮らしているものと

ばかり思っていたのだが、やはり、つらいものがあったのだろうなぁ。

 

「健よぉ、星慎之介、というのはな、三ツ星の創業者の孫で、手のつけられん放蕩息子

だったんだな。昔ぃ、家吉会の使い走りだったそうだ。えらく粋がってたらしい」

「なぜ・・・分かったんですか?」

「フフン、だてに情報を集めてるわけじゃぁ、ない」

「もっと知ってるんでしょ、すべて話してください」

 

 

 源さんは、グラスに残っている、小さくなった氷と水を飲み干してから話を続けた。

「ミクちゃんが言うには」

「明日香です」

「んぁ?」

「本名」

「あすか・・・いい名だ。それにぃ、かわいい。お前なぁ、金、借りてたのか?」

「星からは借りてません」

「ハハ~ン、闇金か」

 オレは、黙ってうなずいた。

「星は、明日香ちゃんに言ったそうだ。父親は借金で夜逃げした、ってな」

「なぜ星が、それを。明日香は、借金のことは全く知らないはずです。妻も、絶対に知

られたくない、悟られまいと隠していました。なぜ、星が知ってるんだ!」

 拳を作って、テーブルを叩いた。

「それよ」と、源さんは空になったグラスを持ち上げて中を覗き込むと、コースターに

戻した。そして、水の入ったグラスを取って口に含んだ。

 

「ほれぇ、覚えてるかぃ。若獅子会の虎尾強」

「はい、星と一緒にいた」

「若獅子会は建設業の二次あるいは三次請けなんだが、裏ではぁ、金貸しもやっている。

闇金、だな。お前ぇ、そこにも手を付けたんじゃぁ、ないのかい」

「かも・・・」

「それとぉ、これはワシが知り得たことなんだがぁ、星は今、事業所の社長をしている。

ホシノテック、という会社だ」

「なんの?」

「さぁな、三ツ星の子会社で、設計なんぞしてるらしいが、ワシには分からん」

「設計・・・機械の設計に違いない。ということはオレのライバル会社。妻との結婚、

暴力団、借金・・・クソゥ、なんだか、オレは星に嵌められていた気がする・・・」

 

「・・・そういえば奴、オレの独立起業を、えらく勧めていたよな。会社が仕事を回し

てくれるように取り計らってやってるから、って」

伸るか反るか~なんなんだ? こいつら!~

 

 源さんが、毎月情報を提供して金をもらっている男。

 オレは、そいつの後を付けた。金をたんまり持っていると、当たりを付けてのことだ。

一か八か、伸るか反るか、だ。

 新宿パークタワーの近くまで来た時、男が右手を上げると、白いミニバンがゆっくり

と近づいて来るのが見えた。

 オレは走った。息を切らしながら全速力で。

 車のドアを開け、男が乗り込もうとして片足と上半身を入れたのと同時に、体をドア

の内側に挟み入れた。その時オレは無我夢中で、男に取り残されまいということだけを

考えていた。

 

 左足は外に残したまま、シートに座りこんだ男が睨みつけた。

「何シャァがるんだ! シュン、車出せ!」

「待ってくれ! 頼む! 乗せてくれ、怪しいもんじゃない」

「十分怪しいよな。あきらぁ~、誰なんだい」

 

 オレはドアの内側にしっかりと背中を張り付けたまま、必死の面持ちで早口に言った。

男が蹴りつけようとして、振り上げた足を腹と両手で受け止めて。

「源さん、さっき話してただろ、源さんの仲間だ」

「チッ、じっちゃんの知り合いか、公園から付けてたのか?」

と言いながら、男は左足を車内に引っ込めた。

「ああ、頼みたいことがある」

「こんなとこで止まってるわけにもいかねぇや、後ろに乗んな。守、席の荷物、どけて

くれ」

 オレは「すまない」と言いつつ、置いてけぼりにされないように開いた前扉を手で支

えたまま後ろに回ると、後部座席に乗り込んだ。

 

「どこ行こうか」

 シュンという、運転している男が言った。

 助手席に座った男が、振り返って聞いた。

「頼み、って何だ」

「話せば長くなる、いいか」

「仕方ないだろ、無理に乗り込んで来たんだから。だけど、ここでは聞きづらいよな」

と、溜息をついている。

「浜崎さん、横浜の事務所に行きましょうよ。弁当でも買って」

 守という、隣に座っている男が言った。見たところ3人とも、十分に若い。はたして、

金を持っているのだろうか。

 オレは、いつものことだが、自分の短絡さを後悔した。

「守、ジムに送って行かなくていいのかよ」

「たまにはいいよ。こっちのほうが、なんだか面白そうだし」

「そうだな、じゃ俊、横浜だ」

「ラジャー」

 源さんは、生活保護を受けることを勧めてくれた。明日香と一緒に暮らせるように。

明日香は今の状態では、茨城のアパートには戻れないはずだ。戻れば、星の餌食となる。

だが今のオレは、明日香の前に出たくはない。出られるはずがない!

「分かった。会うなら健もぉ、もぉ少し写真のようにふくよかになってからだな、髪の

量はぁ元に戻らんだろうけど、アハハハハ。あのカフェは、ワシのなじみの店だ。明日

香ちゃんのことはぁ、店長に話しておこう。身に危険が及ばないように、とな」

 オレのことは言わないという事で、源さんが、時々様子を見に行くことを約束してく

れた。オレが会う気になるまで。

 

 

「おっさん、俺達、弁当買うんだけどさ、どうする?」

 彼らとどのように話を付けようか、いやそれよりどういう筋書きで星を痛い目に会わ

せ、金を奪い取るのか、などの詳細を考えあぐねているうちに、横浜港の近くまで来た

らしい。山下公園の標示板が見えた。

 守という隣に座っている男に声を掛けられて正気に戻り、ズボンのポケットをまさぐ

った。すべてのポケットに手を突っ込んで集めた金と、財布に残っていた分を合わせて、

およそ5000円あるはずだ。

 それをそのまま、男に差し出した。

「これで、全部です」

 買ったばかりのTシャツやパンツと生活用品は、すべて置いてきてしまっている。す

ぐには公園に戻れないはずだから、持って来なかったことを後悔した。

 

「じゃ、買ってくるわ。なんでもいいよな」

 守は、オレの財布の中身を確認してから握りしめると、車から降りて弁当屋に入った。

 

 

 横浜の事務所というのは、港湾内にある貸し倉庫の一部を区切って使用しているらしく、

だだっ広いだけで殺風景な所であった。入口には表札がなく、特徴もなく、周りには似

たような建物群があって1度来ただけでは再度たどり着けそうもない、彼ら自称の事務所。

いったいここで、何をしているのだろうか。

 

 広いフロアにあるのは、パソコンデスクに載っているトップ型パソコンが1台。値の

張る物はそれだけで、電話は引かれていない。冷蔵庫も見当たらない。エアコンもなく、

1台の扇風機がうなり声を発して首を動かしている。

 部屋の二面の高い箇所には、遠隔で操作する小さな押し窓が並んでいる。海に面して

いるので、扇風機が空気をかき混ぜることで、心地よい風が吹き下ろしてきている。

 2台合わせた長机の周りに置かれたパイプ椅子数脚と、汚れた長ソファが1脚。それ

となぜか、折り畳みベッドが・・・6台ある。小さな流しにはゴミはなく、室内は清潔

に使用されている事を窺わせている。

 洗面所はシャワールーム兼用となっており、お湯が出せるらしい。

 

 弁当を早々に食べ終わったオレは、事務所内をうろついてそれらを確認してから、ソ

ファに腰かけた。好き勝手に動き回っても、彼らは知らぬ顔だ。

 しかし、会話を挟みながらまだ食っている3人を見渡して、ギョッとした。

 3人とも肩幅ががっしりとしており、腕回りの筋肉が盛り上がっている。特に、明良

という男の体躯は、男のオレからみても見とれるほどだ。オレは、自分の腕をつかんで

力を入れた。雑誌を毎日運んでいるのでそれなりの筋肉は付いている。しかし、十分に

負けている。

 オレの浅はかさを思いやった。オレはこいつらに、打ちのめされるかもしれないのだ。

 いや、オレはこの命を賭けても、明日香と暮らせる道を付けなければならない。出来

れば、妻も取り返したい。

 財布を返してくれ、とは言えないでいるのだが。

「さぁて、飯食ったことだし、おっさんの話とやらを聞こうか」

 リーダー格とおぼしき浜崎明良が、緑茶のペットボトル片手に口火を切った。

「おっさん、じっちゃんの仲間だって、言ったよな。俺達の名前はもう分かっただろ。

本名を言ってくれ。それと頼みがあるなら、すべて実名で事実だけを話してくれよな」

 うなずいて立ち上がると、「太田健一、40歳。よろしくお願いします」と言って頭

を下げ、再び腰を下ろした。

 

 そうしてオレは、ホームレスになったいきさつから現在までのことをかいつまんで話

した。

 星慎之介と、若獅子会組長の虎尾強との関係。

 娘明日香のことと、明日香が源さんに話した内容。

 オレがホームレスになったのは、いや結局それは、オレ自身にも問題があったのだと

いうことは分かっているが、星慎之介の策略にはまって会社を辞め、借金を重ねて妻と

離婚し、返済金はまだ残したまま取り立て人から逃げ、まともな仕事にありつけないで

きたためだ。

 妻は星に取られ、その星はまた娘にまで牙をかけようとしたため、娘は今、新宿東口

の出会いカフェにいる。直接には、まだ会ってはいないのだが。

という事柄は特に強調した。

 

「じっちゃんから、話は聞いてる。簡略だけど」

「それで、頼み、ってなんだよ」

 俊という男はパソコンを起動させ、キーボードを叩いている。

 パイプ椅子の背中側を両足に挟んで、両手を組んで背もたれの上に乗せて聞いていた

明良君と守君が、同時に言った。

 オレは唾を飲み込んだ。

 

「金を、金を貸してほしい。いや、毎月源さんに5万円渡しているのを知っている。情

報料として。金をそれなりに持っていないと、出来ることじゃない。それで、それで君

たちは、金を十分持っているに違いないと睨んだ」

「フン。それで、金があれば、どうする?」

「それは」と言って黙り込んだ。どう説明すればよいのか、車の中で考え続けたのだが、

うまい説明の仕様が思いつかない。それに、馬鹿げたことだと自覚している。だが、明

日香を見てからずっと考え、思いあぐねていたことだ。

 しかし、浜崎明良の誘導に従って、計画を明らかにしていった。

 

 

「奴から、星から、金をまき上げようと思っている」

「どうやって」

「物質伝送機。遠方に物体を一瞬にして送りつける、夢の機械だ。無論、こんなものは

実在しない。それと見せかけた物を作って、奴に買わせたい」

「いくらで売るつもりだ」

「5千万」

「経費は」

「サッ、10万程度と、協力者・・・まだ、詳細には練っていなくて」

「つまり、詐欺を働くわけだな。星、というのはしかし、簡単に詐欺に引っ掛かるよう

な奴なのか?」

「技術者ではあるはずなんだが、どういうわけか無知だ。それに、目新しい物にはすぐ

に飛び付き、手に入れたがるような男だ。金銭感覚にも乏しいところがあった」

「うまく騙せるっかな。周りの人間がしっかりしていれば、見破られっぞ」

「う~ん、それは・・・なんとも」

 オレは膝に手を押しつけて、考え込んだ。星は騙せても・・・。

 

 

「浜崎さん、おっもしろそう、協力してやろうよ」

「守、また命、狙われっぞ」

「ハハハハ、あん時はビビったよな。だけど、この人の気持ち、よく分かるんだ。人生

を狂わされてしまったんだもんな」

 俊が振り向いて、言った。

「あれ以来俺達、体を鍛える必要性に目覚めたんだもんな。ま今回は、体力より知力だ

ろうが、なっ、守」

 

 

 彼らは、この詐欺まがいの計画を、実に楽しそうに、受け入れようとしている。オレ

としては、金だけを借りるつもりでいたのだが。

 いったい、どういう奴らなんだ?

汗中のデモンストレーション

 

 彼らは、ゲーム感覚で事に当たっているような気がする。

 木村俊介。瞬く間に架空会社のホームページを起ち上げるとともに、日付を改ざんし

たブログに、多くの感想を書き上げた。その後、ホシノテックに不正アクセスし、人柄

や趣味・特技なども含めた人事情報を手にした。それにしても、ホームページの写真は

どうしたのだろうか、楽しい雰囲気を散りばめた、眺めているだけでもウキウキしてく

るような内容。それらを短時間で作り上げてしまう俊介君の、頭の中はどうなっている

のかと思う。

 それに、オレ以上にパソコン操作に通じているということだ。といっても、パソコン

などの機器から離れた暮らしをしていたのだから仕方がない、と自分で自分を慰める。

 

 

 架空会社。それは、株式会社夢未来工房、という。

 所在地は東京都青梅市。資本金1000万円、となっている。代表者は聞いたような

名前で、西田俊行。私のことだ。従業員8名。少数精鋭の新進企業である。

 基本理念、“あなたの夢の実現のお手伝いをします。生物型ロボットは言うに及ばず、

例えば、ドラえもんのポケットのようなもの。どこでもドア、のようなものが作れないか、

と日夜研究に励み、失敗を重ねながらも挑戦を続けています”

は、ちとなぁ。

 

 所在地を青梅市としたのは、彼らが知っている空き家があり、そこに会社の表札とポ

ストを掲げても、疑う者はいないだろうから、という理由だ。

 

 リーダーは浜崎明良。筋骨隆々、体力には自信を持っているようであり、ぶっきらぼ

うではあるが沈着冷静であり、何か惹かれるところのある、男好きのする男である。

 金銭面は、渡辺守が管理する。几帳面であり、ふたりとは違った雰囲気の、生真面目

な面を持っているようだ。

 かかった経費は、すべて彼に申告する。といっても、必要な物はすべて彼らの内の誰

かが調達して来てくれる。オレは今、彼らの事務所から外に出ることもなく生活してい

るのだが、それにかかる経費も加算して、すべてオレの借金として計算されることにな

っている。

 もし失敗したら・・・。

 ちなみに財布は戻ってきたが、5000円ほどあった金はオレの弁当代と相談料とし

て消えてしまった・・・ホームレスの生活をしている間に、考えがせこくなってきてい

るのだろうか。そしてやはり考える。

 もし失敗したら・・・、と。

 

 空になった財布を逆さまにして、振っては溜息をついている様子を見た明良君が、公

園の段ボールハウスからオレの私物を回収して来てくれた。源さんにも必要な時には、

協力をしてもらう手はずを整えてくれている。

 驚いたことに、あまり喋ることのなかった光圀さんは、手品の達人なのだそうだ。

 

 

 オレは、設計図を描き上げると・・・外見だけの簡単な物だが・・・一文字隼人さん

が集めた廃品の中から、自分自身の目で使える物を選別し、足らないものは、隼人さん

と親しくなっている古物商から、自分自身で仕入れに行った。いつも、明良君が運転をし、

守君の付き添いとアドバイスがあったが。

 そうして作り上げた、形だけの物質伝送機、2台。

 その写真と、さらに性能をアップさせるための投資への勧誘及びその完成品の購入、

技術を含めて売り渡しても良いという内容をしたためた文書を、ホシノテックの社長、

星慎之介宛に送り付けた。

 

 電話は代行業者と契約。必要とあれば、公衆電話から折り返し掛ける。出来るだけ足

跡を残さない事が、重要である。これは、明良君からのアドバイス。

 そして案の定、星は餌に食らいついてきた。

 詳しいことは直接会って話をし、現物を持参してデモした上で、買うかどうかを決断

してもらうこととなった。

 

 太郎さんのなめらかなしゃべり、光圀さんの器用な手を期待して、ふたりにホシノテ

ック社長たちと、現物とともに会ってもらうことにし、その時の口上や動き方などの練

習を繰り返し行った。

 そうして、考えられる質問に対する答えを、太郎さんは習得してくれたようである。

 どうしても答えられないようなこと、専門すぎる詳細については、オレが声をごまか

しながら応じるつもりでいる。

 光圀さんの動きを悟られることのないような立ち位置と、光源の位置と強さ・・・こ

れは、目を傷めるほどに強くしてはいけない・・・などなど。

 

 明良君、俊介君、守君の3人は表には決して現れない、という条件で協力してくれて

いる。ただし、入金のための口座開設には、骨折ってくれた。

(株)夢未来工房・西田俊行名の口座は、隼人さんが銀行へ赴き、開設。ホシノテック

取引銀行のメガバンクのひとつ、東青梅支店へ明良君が運転する車で、守君も付き添っ

て出かけたそうだ。隼人さんは久し振りのドライブに、喜々としていたという。

 隼人さんの運転免許証がまだ有効だということが分かったためで、名前と住所だけを

書き換えたそうである。無論、違法行為である。

 ああ、すべてが違法行為となるのだった。

 

 胸に社名を刺繍してもらった、淡いグリーンの作業着4着は、古着屋を回ってなんと

か調達できた代物だ。着古した感じが長年着用しているように見えて、ちょうどよい。

 車の側面に [株式会社 夢未来工房] という縦長のステッカーを張り付けて、準

備完了。

 

 いつの間にか8月。

 太郎さん、光圀さん、そしてオレは、俊介君の運転で、茨城県水戸市にあるホシノテ

ックに向かった。

 

 星慎之介!

 夏休みの間に決着をつけてやる!

 明日香と暮らせる目途を立てて、学校をなんとかしてやりたいと思っている。できれ

ば・・・好美、とも。

 

 常磐自動車道を水戸ICで降りしばらく進んだ、那珂川に面した場所にそれはあった。

偕楽園や弘道館、水戸城跡の表示が見えると、光圀さんは、「帰りには是非、立ち寄り

ましょう」とはしゃいでいた。

 

 

 3階建の3階全面を、社長室と会議室・応接室が占めている。設計などの業務は2階

で行っているらしい。1階入り口を入った所には警備室と、[工作室]・[倉庫]など

と表示されたプレートが貼り付けられている部屋がいくつかあった。

 フロア奥、エレベーターの横手には、工場の生産ラインや工作機械などの雛形をケー

スに入れて展示している。その中のひとつがなんとなく、昔オレが設計したシステムで

あるような気がする、展示品だ。近づいてよお~く見た。

 

 やはりそうだと確信した。設計までを完成させたブツであったが、退職間際だったこ

ともあり、誰が引き継ぐのかは分からなかったがとりあえずは上司に、各部の詳細を説

明した。制御部には、品質と生産性を安定させるための工夫が、いくつも施してある。

 結局、星が自分のアイデアとして、横取りしてしまったのかもしれない。いや、会社

を立ち上げた最初のプロジェクトが、これだったに違いない。

 当時のオレは、自分で設計事務所を構えることだけに執心していて、設計を完成させ

たラインを自分の手で押し進めていくことなどには、心及ばなかった。「あなたは、経

営者の器じゃないわよ」と言った時の好美の姿が脳裏によみがえった。

 そして改めて今、その言葉は真実を突いていた、オレには貪欲さと才覚が欠けていた

のだ、ということに思い到った。

 

 

 警備員の指示に従って、太郎さんと光圀さんが1台ずつ機械を抱えてエレベーターに

乗り込むと、展示品にもう一度一瞥をくれてから、書類や伝送する試験体を入れた鞄を

下げてその後に続き、扉を閉めた。

 箱の中の空気は、各自の緊張をほぐしてはくれなかった。会話もなく、深く息を吸っ

ては吐く鼻息だけが聞こえ、階数表示を見つめていた。

 3階に到着すると黙ったまま廊下に下り立ち、警備員から指定されていた応接室の前

まで行くと扉を押し開いて、ふたりを先に通した。

 10畳ほどの広さの部屋の中は、応接テーブルとソファは壁際に押し寄せてあり、あ

らかじめ用意してもらっていた小さい机2台が、それらに取って代わっていた。2台の

机を少し離してその上に機械を設置すると、接続した延長コードのコンセントにプラグ

を差し込んだ。

 物質伝送機の存在は、極秘扱いを約束させている。立ち会いは最小人員のもとで行う。

 

 オレは夏風邪がひどい状態だからといって、大きなマスクで顔を隠したままだ。冷房

が効いている部屋でも汗と顔のほてりを出すために、背中にカイロを貼り付けている。

太郎さん光圀さん、それに俊介君までもが面白がって、カイロを背中に張り付けたから、

合計三つだ。

 すぐに体がほてり始めた。熱中症対策として、あらかじめ体内に水分を貯えるために

スポーツドリンクをがぶ飲みし、気合を入れて、車を離れてきた。

 会話はすべて、太郎さんが引き受けてくれることになっている。オレは時々、咳をし

て合図を送ればよい。

 

「手袋、取るんじゃないぞ」

 俊介君が、適切なアドバイスを出してくれた。「絶対に、指紋は残すな」というのは

必要条件だ。

 まもなく揃って現れたホシノテックの重役3人、社長の星慎之介と、技術部長の山科、

それと経理部長の三村それぞれが自己紹介した後、代表者としてのオレはそれぞれの名

前だけを小さな声で告げ、白くて薄い化繊の手袋をしたまま、星と握手を交わした。星

慎之介が応接室に現れてからずっと、強くした視線を星の顔に当てていたが、手を握っ

た時に星の目の奥を覗き込んだオレは、ようやく目元をゆるめた。

 

「社長は風邪がひどい状態なのですが、ホシノテックの皆さまがせっかく時間をやり繰

りしてくださったので、穴をあけるわけにいかない、と言って無理をして出て参ったの

ですが、お話はすべてワタクシが、変わってさせていただきますので、どうかご容赦く

ださい」

「ゴッホ、マスクのままで失礼します、ゴホゴホ」

 辛そうな表情を作り、声を喉に絡ませた。

「社長さん、お身体の具合が悪い中、よくお越しいただきました。どうぞ、ソファにお

掛けになっていてください」

 礼をして、窓に近い壁際に寄せられているひとり用ソファに深く腰掛けた。背中のカ

イロが肌に押しつけられるので浅く座りたかったが、それではまずいと思う。

 とにかく、あ・つ・い。汗が背中をツーッと滴り落ちてきていた。

 

「それでは早速、お見せ願えますか。社長さんもお辛そうですから」

「それでは」と言って、光圀さんがカバーをはずした。

 太郎さんが、機械を作り出したいきさつを説明し始めた。

「これが、物質伝送機、送信する機械と受信する機械です。いえ、どちらも送受信は可

能ですが、今はその様にしておきます」

 2台の機械の間に立って、それぞれを指し示した。

「さる富豪、名前は申せませんが、アメリカの経済誌『フォーブス』世界長者番付に名

を連ねている富豪からの内密の依頼でして・・・試作を重ね失敗を繰り返しながらも、

ついに成功したという次第で。

 しかし! その成功を目にする寸前にその依頼者は、他界してしまったのです。遺骨

は宇宙に散骨してくれ、と遺言していたというほどの、珍しい物好き」

 オレは咳をして、余りくどくど言うな、という合図を送った。しかし太郎さんの舌は

滑らかだ。

 

「内密にされていたのは、家族をびっくりさせるんだ、と。遠方にいるお孫さんに、い

ろいろな物を瞬時にして送ってやるんだ、と申されていました。亡くなられたと知って

遺族の方々に開発資金の増額を申し出たのですが、撥ねつけられまして、その様な夢物

語には付き合えない、と。

 この仕事は、そのまま引き下がれないところまで、進捗しておりました。このまま放

りだしてしまうには惜しく、時間とお金をやり繰りして機械はなんとか成功にこぎつけ

たのですが、伝送できる物体が小さい。このままでは市販しても売れない。また私ども

では、生産するような設備などない。依頼者の希望される物を設計し、手作業職人技で

作り出すことだけが仕事ですから。

 しかし! このままではせっかくの発明が埋もれてしまう。も少し改良を加えて、も

少し大きな物体を送れるようにしたい、と思っているわけです」

 

 太郎さんの長口上が一段落したのに合わせて、視線を回した。

 ホシノテック側の人々は空いているソファに座り熱心にメモをとりつつ、時々熱い視

線を送っては深いため息をついている。

 太郎さんもホシノテックの面々を見渡した後、再び口を開いた。

「依頼者から受けた資金は、この試作機のためにすべて使い果たしてしまった上に、持

ち出し分もばかにならない。我々の、採算度外視した執念ですな。このまま世界で初め

ての試み、どこにもない発明をストップさせてしまうことになってしまうのは、誠に至

極残念です。

 そこで! 私どもで出資者を探し求め、より完璧な物を、納得いく形の物を作り上げ

たい! というわけです」

 

「その物質伝送機、完成すれば商業ベースに乗せてもかまわないわけですな」

「もちろんです。投資いただいた上でお譲りしたいのは、完成させた機械のみなのですが、

技術もろともお譲りする場合には、さらに金額の相談が必要かと思います。

 まずは、実際に転送してご覧に入れましょう」

 

 フーッ、とそっと溜息をつきながら、長々と続いたプレゼンが終わったのを見計らい、

ゆっくりと立ち上がってふらつきながら機械に近づくと、2台をケーブルで接続してから、

それぞれの電源を入れた。

「起動するまでに少々時間がかかります。ま、パソコン並みですな」

 

 パソコンである。ただの。

 古いパソコンのディスプレイ部分のみを利用した、それに俊介君が工夫を凝らしてく

れた “物質伝送機” だ。そして、車の中にいる俊介君が遠隔操作する。ここでやり

取りされている会話は、機械に取りつけている発信機を通じて、彼は受信しているはず

である。それとさらに、我々にとっては目くらましのための、説明上では、物体を原子

化するために必要なエネルギービームを照射するための、強烈な光を発する光源がある

だけの機械だ。

 

 

 太郎さんは、鞄の中から透明のプラスチックケースを取り出すと、前に差し出してぐ

るりと回し、みんなに見せた。

「このケースの中に入っている物体を、こちらの機械からあちらの機械に送り付けます。

原理は、この物体の形、構造、成分を機械が分析し記憶します。それらをあちらのモニ

ターが受信し、そのままを再現させるわけです。物体は、ここから発せられる強烈な光

エネルギーにより原子に分解され、あるいは電子状態となって、このケーブルを通って

送られます。実際の場面では、電話回線などに使われている光ケーブルを使うことにな

ります。

 これにもまだ克服できていない弱点がありましてな、それは、皮脂、なのです。少し

でも付着すると、あるいはすでに機械に付着していると、正しく復元できない、という

ことです。ですから私どもは、手袋を絶対にはずしません。はずしたことを忘れて、う

っかり触ってしまうことがあるからです。そのために、何度機械を分解し部品を取り換

えたり、清掃に時間を費やしたことか。忘れられない苦労話です。それも、改良しなけ

ればならない、課題、ですな」

 

 オレは激しく咳込んだ、振りをした。しかしよくもまあ、次から次へと話題を思いつ

くものだと、感心しながらもやはり、早く終わらせてしまいたい。

 そっと、星慎之介の様子を窺った。真剣に太郎さんの話に聞き入り、何度も相槌を打

っている。

 太郎さんはオレに笑みを送ってきている。いよいよ正念場だ。光圀さん、たのむ! 

成功させてくれ!

 

「では」と言いながら、太郎さんはプラスチックケースを開け、中に入っている物体を

取り出すと、ひとりずつの目の前に差し出して、とくと見せた。

「今は、手に持って見てもらうわけにいかないのです。皮脂がつくとこのデモは、即ス

トップですからな」

 

 見学者はしげしげとその物体を眺めまわし、ひととおり見せ終わると物質伝送機の台

の上に置いた。星慎之介と山科技術部長が立ち上がり、機械に近づいた。伝送される状

態を間近で見ようとしているのか。

 

「ここから発する光は強烈で、目を傷める可能性がありますので、もう少し下がってい

てもらえますか・・・はい、それではいきます。いち、にぃのぉ、さん!」

 機械に覆いかぶさるようにして立っていた2人が、ソファの位置まで下がるのを待っ

てから太郎さんがスウィッチを押すと、まもなくしてからディスプレイが点滅を始め、

図面と数字と英字が表示された。

 その後、強烈な光が数秒間機械の周辺に向けて発せられ、その間に、機械の後ろに控

えていた光圀さんが近づくと素早く試験体を取って、ポケットに隠し、再び元の位置に

戻り素知らぬ表情に戻っている、はずである。機械の後方には光がこぼれないようにし

ているから、光圀さんからは、すべての情景が見えているのだ。

「オオオオオーッ」

 感嘆の声が響いた。ソファに腰を落としている見学者たちは、身を乗り出すようにし

て食い入って見つめていた。オレは目を閉じていたのだが、彼らの目は大丈夫だったろ

うか、と心配してやる。心に余裕があるということか。

 

 太郎さんはおもむろに機械に近づくと、説明を始めた。

「この画面に現れた図や文字などは、ご覧いただけたでしょうか。先ほどの物体を解析

したものです。そのデータはそちらの機械に送られて、それに基づいて再生するわけです。

 しばらくすれば着信の合図音を出して、この部分が点滅を始めます。物体が送られて

きている、という合図ですな。それを受けてからこのスウィッチを押しますと、その時

にも強烈な光を発し、先行して送られてきているデータに基づいて物質は元の形に復元し、

現れます、はずです、フン、乞うご期待」

 

 みんなの視線が移動した。掌を固く握りしめ、肩にも力が入っているのが分かる。唾

を飲み込む音までもが聞こえるようだ。

 沈黙が続いた。だがそれは、重苦しい沈黙になりつつあった。

 1分ほど経過したが、何事も生じない。

 俊介君、何かあったのか!?

 気持ちが焦ってきた。光圀さんの表情は変わらないまま静止しているが、太郎さんが

しきりに視線を送って来る。足にかけた重心を左右で何度も入れ替えて、そわそわして

いるのが分かる。

 落ち着け! というサインを込めて、目を太郎さんからそらせずに深くうなずいた。

自分自身に対するサインでもある。

 見学者も「どうかしたのか」、「失敗か」とお互いに囁きざわつき始めて、太郎さん

と機械とオレの方を交互に見ている。しかし、オレはまっすぐに機械を注視したまま、

動じない風を装った。汗でぐっしょりとなった掌を強く握りしめて・・・。

 オレをチラチラと見ていた太郎さんもしっかり開いた両脚に重心を固定すると、頭を

ゆっくり上下させながら、見学者を見据えた。

 俊介君! 頼む・・・。

 

 さらに1分ほど経過した頃、シャラン、という機械音がしたかと思うと画面下が点滅

を始め、先ほどと同じ図面と数字と英字の画面が表示された。

 きたっ! 拳を緩め安堵の息を吐いた。

「来たようですね」と言いながら、太郎さんは光源のスウィッチを押した。

 強烈な光がやはり数秒間、奔った。

 光圀さんがその間に近づき、試験体を平台の上に置くと、元の場所に下がっているは

ずである。どんな時にも落ち着き払って、表情を崩さない光圀さんである。しかしオレ

の頬は次第に膨らみ、目尻が下がってしまっている。いかん。3人は機械を注視していて、

オレの方は誰も気にしていないだろうが。

 

 光が収まりしばらくすると、くらんでいた目が回復した見学者から、先ほどにも増し

た感嘆の声が上がった。

「ウオオオ――ッ、すゥごい! 素晴らしい!」

 星は手を叩いて太郎さんに近づくと握手を求め、その後オレの方にもやって来て、手

を差し出してきた。

 オレはニヤリとして立ち上がると、強く握り返した。

 

 

「この機械に、5000万出しましょう」

 オレは、その言葉に満足した。

 

「5000万? 少ないでんな。よその会社にも当たってますんや。そこは1億出す、

いうてましたさかいな」

 おいおい、太郎さん、欲を出したら・・・しかも大阪弁丸出しで。

「1億5000万! これは研究費込みで、完成させていただくということで、すぐに

支払いますよ。さらに技術料として、5億出しましょう。いかがですかな。三村君、今

すぐに1億5000万、大丈夫だね」

「は、は、はい」

「いかがですかな」

 

 目をぎらつかせている星慎之介は、オレに向かって問いかけている。オレは視線をか

らませたまま、深くうなずいた。それを太郎さんが引き取って、話を続けた。

「社長も了解したようですな。では研究開発費として、1億5000万円を出資してい

ただくという事で、契約に応じましょう」

「契約書を作成する間、お待ち願えますかな。その間に御社の口座に振り込む手はずを

整えましょう。三村君、任せたよ」

 三村経理部長は「はい!」と言って勢いよく立ち上がると、こちらに頭を下げてから

部屋を出ていき、残った星と山科技術部長は機械に近づいて、腕は後ろ手に組んだまま、

かがみこむようにして目を近づけ、機械全体を熱心に眺めまわした。

 

「うーむ、しかし、たいしたもんだな。構造自体はシンプルさが伺える。特許申請は、

どうされているのですか?」

 山科技術部長の問いかけに、太郎さんはオレを見た。背筋を伸ばして腰かけたまま、

代わりに答えた。咳を交え、声を喉に絡ませて少し濁らす感じで。

「ほとんどは既存の技術の応用ですが、核心部はブラックボックスです」

「技術を買うに当たっては、そのブラックボックスの中身も明かしてもらえるんでしょ

うな」

「はい、もちろんです。ただ、特許を出してしまうと、技術力のある企業は多くありま

すので、すぐに実用化されてしまう恐れがあります」

「なるほど。特許出願にも善しあしがありますからな」

 

 オレの体から、湯気が立ち上っているのではないかと思うほどに、体と頭がゆだって

いる。成功にこぎつけた、という興奮が加わっているのだ。息を継ぎながらそれだけを

言い終えると、ソファに深く体を沈めた。

 あ~つ~い~~。汗で衣類がびっしょりと濡れてきている。水分が失われて頭がボーッ

とした感じだが、がんばれ、もう少し、だ。

 星は満足げな表情を浮かべて、ソファに足を組んで座り、山科技術部長と囁き合って

いる。

 

 10分ほど経過するとようやくノック音が聞こえ、三村経理部長が書類を手にして現

れた。

 それを受け取った星は内容を確認し、差し出してきた。

「入金は済ませました。1億5000万円です」

「すみません。頭がボーッとしていたために携帯を持ってくるのを忘れて入金を確認で

きないので、契約書は持ち帰って、確認後すぐに返送するということではまずいですか。

社の者は、今日は全員出尽くしているのです。誠に申し訳ないのですが」

「ハッハッ、構いませんよ。なかなかお忙しいご様子で何よりです。御社のことは信用

調査をした上で、信頼に足る会社だと確信しておりますので、お気兼ねなく」

 

 それも俊介君のお蔭だ。そこまでする必要があるだろうか、と口に出して言ったら、

明良君は「シュンにまかせておけば大丈夫だ」と言っていた。ハッカーとしての腕は優

秀らしい。

 上機嫌な星慎之介に対して三村経理部長と、山科技術部長の顔が心なしかしかめられ

たのを、オレは見逃さなかった。

 しかし、俊介君の細かいところまでの細工と、明良君と守君の計画性と実行力には感

謝しなければならないぐらいだ。オレひとりでは、ここまで出来なかっただろう。

走 れ!

 

「まだマスク、取るんじゃないぞ。監視カメラがある」

 機械を車に積みこみ鞄を放り入れると、肌に張り付いた手袋をむしり取り、さらにマ

スクに手をかけたところで、近付いてきた俊介君が低い抑えた声で囁いた。

 振り返ると、社屋の玄関口まで見送りに出ていた星慎之介と山科技術部長はまだそこ

に立っており、警備員と会話を交わしている姿が見えた。彼らに軽い会釈を送ると車に

乗り込んだ。

 

 ホシノテックの駐車場から出るとすぐにマスクをはずし、川沿いの道をしばらく走っ

てから車を止めてもらった。上着を脱いでカイロをむしり取ると、ぬるくなったスポー

ツドリンクを一気に飲み干した。

「ファ――ッ、やっと生き返ったよ」

「健、どやった? ワテのしゃべくり」

「私の手さばき」

「ああ、ふたりともよくやってくれました。ありがとうございます」

 汗を拭き取り下着を変えながら、後部座席にいるふたりを振り返って頭を下げた。く

ずれた表情を隠すためなのか、いつも表情を変えない光圀さんは、頭の後ろで両手を組

みシートにもたれて口笛を吹いている。

 

「そやけど、受信側の機械がウンともスンともいわん様なって、生きた心地せんかったわ、

なあっ。10分くらい、か。ワテも汗びっしょりになってしもたわ。このまま動かんか

ったらどないしょ、思て」

「2分ほどですけど」

「すまなかったな。駐車場ではまずいと思って、この場所に車止めて操作してたんだけ

どさ、窓を叩く奴がいて、ギョッとしてすぐにパソコン閉じたさ。そしたら、『この先、

車、通り抜け出来ますか』だぁ~って。見られたかと思って冷や汗かいたぜ。うん、や

ばかったよな」

「しかしすべて、あなた方のお陰です。ありがとうございました。特に俊介君には」

「今頃、明良と守が金を手にしてるだろうさ。隼人さん連れて、青梅支店の近くで待機

してたから。入金されたと聞いて、すぐに連絡入れといたからさ」

「1億5千万ですな」

「いちおく、ごせんまんえん! 健、分け前、たんまりと期待してまっせ~」

 オレ達は浮かれ気分で横浜に向かった。光圀さんは、水戸名跡に立ち寄ることは、も

う口にしなかった。

 

 

 1時間ほど待っていると、明良君、守君、隼人さんそれと源さんも伴って事務所に入

ってきた。全員が集まったことになる。

 オレ達の視線は、守君が提げている紙袋に注がれていた。しかし、その紙袋は意外と

小さく、分担して持っているのかと彼らの手元を見ても、それらしき物はどこにも見当

たらない。

 

「それ、金だ」と言って、紙袋を長机の上、オレの目の前にドン、と置いた。

「1億5千万って、こんなもんでっか」

と、隣に座っている太郎さんが袋の中を覗いて、首をひねっている。

「いいや、5千万だ。引き出したのはこれだけだ」

 さらりと答える明良君を睨み据えて、隼人さんはブスッとしている。

 

「なんでですんや」

「一度にこれ以上引き出すと、怪しまれる。手続きが厄介になる」

「宝くじなんか、3億でっせ」

「それはそれ、これはこれ。入金があって全額をすぐに引き出すとなると、いろいろ調

べられることもあるからな。それに、おっさんが計画してたのは5千だろ。これで、こ

の計画は打ち切りだ。メンバーも解散。これは、処分する」

 明良君は目の前で通帳を切り裂き、キャッシュカードを折り曲げた。

 アアッ、アアーッという悲鳴がいくつも上がり、太郎さんは机に手を突くと、勢いよ

くパイプ椅子を蹴倒して立ち上がった。

 

「なにしょんねん、もったいないことを。せっかく苦労して金額つり上げたっちゅうの

に」

「これが、俺達の請求書です」

 太郎さんに応える者は誰ひとりなく、俊介君から受け取った交通費のレシートを加算

していた守君は、その用紙を差し出した。受け取ったオレは、ひとつずつ確認していった。

 掛かった実費、185,963円。人件費は入っていない。

 紙袋から札束をひとつ取り出すと、封印を破って1枚ずつ机の上に重ねていき、余分

に1枚足して20枚を守君に渡した。

「それと、これはあなた方の人件費と、協力や相談に乗っていただいたお礼です。あり

がとうございました。あなた方のお力がなければ、オレひとりでは到底実行できません

でした」

 札束みっつを取り出し、そのままを明良君に差し出した。

「それでよかったのかな」

「はい、十分です。お金よりも、奴に、星に仕返しをしたかっただけですから。それと、

娘と暮らせること。これで満足です」

 

「源さん、太郎さん、隼人さん、光圀さん、ありがとうございました。お礼です。これ

だけですが、分けてもらっていいでしょうか」

 ひとりひとりに頭を下げて礼を言うと、源さんにも札束ひとつを差し出した。

「ありがとよ。大したことは出来なかったが、こんなに貰っていいのかよぅ。でぇ、お

前、どうするつもりだ?」

「明良君、オレ達を新宿中央公園まで送ってくれますか?」

 

 紙袋の金をショルダーバッグに詰め直して、都内にある住まいに戻るという彼らも含

めて、ブスッとしたままの隼人さん、ぶつぶつ独り言を言っている太郎さんを促して、

8人が車に乗り込んだ。

「太田、捜したぜ」

 ドスを効かせたような声が頭上から降って来て顔を上げると、目を見開かせて腰を浮

かせた。3年前、まとわりつき嫌がらせを繰り返していた男、金融会社の取り立て人だ。

「ちょっとそこまで、ご足労願おうか」

「今書類を持ってるなら、この場で返す」

 

 暑くて眠れないためにベンチに座って冷えたビール片手に、昔、好美と明日香と一緒

にキャンプに行った時のことを思い返しながら、虫の声に耳を傾けていた。

 あれから3日経過したが、まだ明日香には会っていない。源さんがここに戻って来た

日に明日香と会ってくれたが、「私から連絡するから、ちょっとの間待っててもらって」

と言ってから、どこかへ行ってしまったという。

 おそらく、好美に連絡を取って、一緒に来るのではないだろうか、と期待していた。

その結果が、これだろうか。

 

「ちょっと、事が大きくなってな。会いたいというお人がいるんだよ」

「ここに連れて来てくれたらいい。誰だか分からないがここで会おう」

「つべこべ言わずに、来るんだ! それともォ痛い目にあう方が、よいのかナ」

 男は凄んできた。

 

 離れた所にあるベンチに座ってビールを飲んでいた源さんと太郎さんは、目をそらし

ながら様子を窺っているのが分かる。オレは片手を軽く上げた。

「ちょっと出かけます。借金取りに見つかってしまって」

 男は尻に蹴りを入れ、オレはよろめいた。

「余計なことは言うな!」

 

 車に乗せられて連れて行かれるのかと思ったが、違った。後ろから小突かれるように

しながら歩いた。

 新宿駅から歌舞伎町を通り過ぎ、ここは大久保だろう。虎尾建設という看板が目に入

ってきた。

 シャッターが下りているビルの入口横にあるインターホンのボタンを押し、「連れて

きました」と言うとドアを開け、「入れ」と強く肩を押された。ビルには、いくつかの

会社が入っているらしい。その1階のひとつの扉をノックし開けると、中に押しやられた。

 

 

 まず目についたのは、正面に掲げられている大きな額。

 太い毛筆で『男一代』と書かれている。

 その前にあるでかい机。腕組みをして座っているのは、1度だけ見かけた、若獅子会

組長の虎尾強。その前にある、テーブルを囲んで置かれているソファの、背中を向けて

座っているのは、星慎之介に違いない。

「けん~」という情けない声がする方向を見た。

 ふたりの男に挟まれて、光圀さんと隼人さんが、丸椅子を並べてくっつくようにして

座っているのを見て驚いた。ふたりは公園に戻った翌日から、姿を消していたのである。

 

 虎尾強がおもむろに口を開いた。

「約束だからな、ふたりは解放してやれ」

「これは、どういうことだ」

 オレに度胸が付いたらしい。

「すまん」

「申し訳ない」

「フン、こいつら、金を要求してきた。もう少し資金が必要になった、とな。しかも、

違う口座に振り込んでほしい、ともな。久しぶりだな、太田。いやいや、夢未来工房社

長殿」

 夢未来工房社長殿、と嫌みたっぷりの口調で振り向いたのはやはり、星慎之介。

「競輪ですってしもて、それで、つい・・・情けないことです」

「申し訳ない」

 

「太田、金を返してもらおうか。こいつらが接触して来るまでは、物質伝送機のことを

完全に信じていた。フンッ、私を騙せるとは、大したもんだ」

「星、オレに会社を辞める気にさせ、借金を重ねさせることは、計算済みだったのか?」

「好美が入社してきた時から、惚れていたんだよ。それをいつの間にかお前が物にしや

がって。憎んださ、お前をな。いつかどん底に落としてやる、と、そのチャンスを窺っ

ていたのさ、合法的に、な。ハッハッハ、好美も明日香も、もう私のもんだ」

「明日香は、どこにいる!?」

 

「好美の携帯に掛かった電話を私の携帯にも繋がるように細工が出来ること、知ってい

たかい。それで、明日香の居場所が分かった上に、お前が新宿にいることも分かった。

すると、そのふたりからの電話だ。私には、幸運の女神が付いている、ってことかな」

「明日香は、どこに、いる!」

「金はどこだ」

「ほとんどはまだ、銀行に残っている」

「フン、どうやらそいつらの言ったことは、本当らしいな。そのふたりはもう解放して

やってくれ。貴重な情報を提供してくれた礼だ」

 虎尾強が頭を振ると、「分かりやした」と若い者が立ちあがり、隼人さんと光圀さん

を立ち上がらせて、促すようにして共に部屋から出て行った。ふたりはオドオドした様

子でオレを見ていたが、彼らから顔を背けた。

 

「で、引き出した金は5千万、か。どこだ!」

「コインロッカーにしまってる。明日香は?」

「ホテルのルームでくつろいでいるはずだ。丁重に扱っているから、心配はいらないよ。

好美を安心させてやらないといけないからな」

「明日香に会わせてくれ。そうしたら、金は、返す」

「そうだな、最後の別れをさせておいてやろうか。私の寝覚めが悪くなってはかなわん、

なぁっ」

 

 虎尾強は、机に置いていた携帯電話を取り上げて開いた。

「そうだ・・・戸山公園・・・手荒に扱うんじゃねぇぞ・・・分かった、そうしてくれ」

 虎尾強は、立ちあがりながら閉じた携帯をズボンのポケットに突っ込むと、「行くぞ」

と声をかけ、部屋を出た。星はオレに一瞥を投げかけ、続いて出た。オレも部屋を出か

けたところで、先ほどの男に腕を取られ、押されるようにして外に出た。歩いて行くら

しい。近いのだろう。

 

 空気を求めて仰ぎ見た空は建物で小さく切り取られているが、灯の光を跳ね返して明

るみをもった、濃い群青色がどこまでも広がっているのを感じた。

 決闘にうってつけの、星のない晴天の夜。星をなきものに! ん?

 東京都中心部は大都会にもかかわらず、林を成すかのような樹木豊かな公園が多い。

頼りなく照らしている街路灯を頼りに、低くなり、通り過ぎると再び高くなる虫の声を

耳にしながら、樹木が導く小路を広場を抜けてさらに進むと、遊具のそばに立っている

黒い人影が、ふたつ見えた。

 さらに近付く。

 かろうじて届いている明かりに浮かび上がっているのは、ひとりは男。彼から距離を

おいて、滑り台の手すりに手を掛けて立っている少女らしき影は、まさしく、出会いカ

フェで見かけたそのままの明日香。

 ボブショートの黒髪で、目にかぶさるほどに伸びた前髪の間から、じっと私たちの動

きを注視している。星が数歩抜きんでて、明日香に近づいた。

「明日香君、ママが心配しているよ。さっさと仕事を済ませて、家に帰ろう」

 明日香は、星の後ろに佇むオレに視線を送って来た。オレも明日香から、視線をそら

さない。好美と同じまなざしを受け止める。まばたきを繰り返す明日香。

「パパ?・・・パパ!」

 駆け出した明日香を、隣にいた男が追いかけるようにして、腕を取った。前に出よう

としたオレは、その場にかろうじて(とど)まった。今はどのように行動するか、よく考え

なければならない。

「離せ!」

 腕を振り払おうとしている明日香。

 

「ここではっきりさせておこう。明日香君は誰と暮らしたいか、だ。私とママ、それとも、

太田、か。私と暮らせば、何不自由ない。太田は、借金の山でおまけに無職だ。明日香

君には辛い暮らしがあるだけだ」

「パパ・・・会いたかった・・・」

「明日香・・・すまない」

 オレは小さい声で呟き、頭を下げた。

「さあ、ドラマはおしまい。金の在りかに案内してもらおう。どうせ駅の周辺だろうが

な」

「孝雄、ごくろうさん、もういい。娘を丁重にホテルに送ってくれ」

 

 明日香は、「分かりやした」と再度腕を取ろうとした孝雄の胸を思いっきり押しやると、

オレに向かって走ってきた。孝雄は滑り台にぶつかった勢いで反対側に転がった。先頭

にいた星の股間を膝蹴りにし、横に引いた虎尾強の腹部に拳を入れた。

 星も虎尾強も「いて」とうずくまっている。

 オレに付き添っていた若者にも、明日香は腰を落として突きを入れていた。油断をし

ていた彼も腰を折った。

 呆気にとられて呆然と立っているオレの手を取るや、引っ張るようにして走り出した。

 

 ハァ~ハァ~、と荒い息遣いをするオレを励まして、明日香はオレの手を引いて、後

ろを振り向きながら走り続ける。

 そのうちに、走りながら明日香が笑い出した。

「パパ、パパが明日香の手を引っ張って、かけっこしたよね。楽しかったぁ~、アハハ

ハハ」

「ハァハァ、それどころじゃない、パパは命がなくなるかもしれない」

「大丈夫。明日香がパパを守ってあげる。空手2段だ」

 

 オレは黙っていた。小学4年生になった時から通い始めた空手道場で、男の子に負け

ることが悔しくて、小さな体でも強くなれる空手の練習に打ち込んでいたのを知っている。

だが、空手と喧嘩とは違う。しかも奴らはただ、油断していたにすぎない。男の腕力に、

しかも喧嘩慣れしている奴らにかなうはずはないことを、明日香は知らないのだ。

 

 前方から自転車に乗って近づいてきたのは、太郎さんだった。

「無事やったんか」

「いや、ハァハァ、まだ、ハァ~、わからん」

「歌舞伎町の例のとこに、源さんがおるさかい」

と言い残して、通り過ぎた。

 

「ハァ~、もう走れん」

 肩で息をしながら、人込みをかき分けて足を動かした。足がもつれるばかりだ。後ろ

を振り向いた明日香が、「追いつかれるぅ」とあせるが、走れないものはもう駄目だ。

「こっちこっち」と手を振っているのは、光圀さん。無事に解放されたらしい。光圀さ

んの誘導に従って路地に入り角をいくつか曲がって行くと、隼人さんが待機していた。

日本料理屋ヱビ寿の裏口、ゴミ箱の蓋を開けて、その中に黒いごみ袋を広げて待っていた。

「はよ、こん中に入って。お嬢はこっちや」

 

 明日香がゴミ袋に入ってしゃがむと、隼人さんはその口をくくった。それを確認して

から、オレがゴミ箱の中に広げられているごみ袋の中でしゃがむと、同じように口がく

くられ、蓋が閉じられた。

 自転車が止まる音がした。その後、行ったり来たりしているのだろう、いくつもの慌

ただしい靴音が聞こえている。

「いたか!」

「いえ、いません」

 靴音が遠ざかったかと思えば、再び近づいた。

「クソッ、どこ行きやがった、あの禿げネズミ」

 

「おい、おかっぱの娘と禿げた中年の男を見なかったか?」

という声と共に、その声が急に大きくなった。ガタッ! と、乱暴に蓋が開けられたの

だ。このゴミ箱の中を確認したらしい。そして、「クソッ」と言って蹴飛ばしたらしい

音。明日香が入った袋も蹴とばされたのだろうか。

「なにしはりますんや、ワテの商売道具。そのふたりやったらこの路地抜けて、右に曲

がったようでんな」

「それ!」

 走り去る音。

「もうちょっとそのままでおりや」

 いつの間にか、太郎さんと交替したらしい。隼人さんと光圀さんは顔を知られている

から。

 しかしこの中は、く・さ・い。

 初めは息を止めていたが、仕方なく、口をパクパクさせている。新鮮な酸素が欲しい。

 

「あいつら、虎尾建設の事務所に入って行きましたわ」

 光圀さんの声がした。

「ヨッシャ、もう出て来てもええで」

 蓋が開けられ、ゴミ袋の口が解かれた。伸びをしながら大きく息を吸いこんで立ち上

がると、「明日香、大丈夫か」と言いながらゴミ箱をまたいだ。

「パパ」と言って抱きついてきた瞬間、突き放された。

「パパ、くっさ~」

俺達は、仲間だ

 

 源さんはどこにいるのか分からないが、挨拶だけでも済ませて段ボールハウスを引き

払うべく戻ってきたのだが、考えが甘かった。

 

「アハハハ、禿げネズミだあって。パパのことだろ。グフッグフッフ、河童とネズミの

コ~ンビ、な~んちって。アハッ、歩いてるうちに臭いがとれてきたねぇ、クンクン、

クンクン、グフッグフ」

 腕に抱きついてきては、何度も同じことを繰り返し言う明日香の、嬉しげな様子に文

句を言うことも出来ず、いや、そのはしゃぐ姿を見ているだけで無事であったことに安

堵し、幸せな気分が押し寄せてくるのだった。

 

 少し遅れて、光圀さんと隼人さんが自転車を押している太郎さんに、競輪で勝負を賭

けた様子などを、得意げに話している声が聞こえてくる。ふたりは勝手にホシノテック

に追加の金を要求したことを、どのように思っているのだろうか。しかし、オレからは

問わないことにした。急に大金を手にするとどうなるかと、気配りしなかったことがい

けなかったのだ。

 そうして、警戒もせず人通りの絶えた新宿中央公園の広場に入った時に、いきなり周

囲を囲まれたのだ。ナイフの刃が跳ね返す街灯の明かりが、目の端から入って来る。

 

 

「待っとった」

 ずっしりとした声で言う虎尾強と並んで、星慎之介。周りには5人の若造。明日香が

痛い目をあわせた2人の若者の顔が見える。彼らは指を鳴らし、油断はしないぞ、とい

う鬼気を放って迫って来る。ナイフによる恐怖を与えながら、近づいて来た孝雄という

男が明日香の腕を取ると、オレから引き離した。

「離せ――!」

 男から腕を引き抜こうとしてもがいているが、力の差は歴然としている。

 オレにも、太郎さんも隼人さんも光圀さんも、無論手は出せない。一発で打ちのめさ

れることが分かっている。

 

 もひとりのナイフを持った男がオレの喉元にピタピタと当てながら、右腕を捻り背中

にまわして締め上げてくる。「イッ」と声を漏らしたが、どうすればよいのか、なるが

ままだ。

「オラオラーッ、これ以上手間取らせんじゃなーい! この禿げネズミがァッ」

 そうか、禿げネズミと命名したのは、この男か・・・。ナイフでオレの喉元を圧迫し

たまま、3人に顎を振って、虎尾強に向かって言った。

「社長、こいつら雑魚は、どうしましょ」

「フン、ウロウロと五月蠅い。縛ってそこらに転がしとけ。後で処分すればいい」

 

 大切な営業車である自転車のスタンドを立てて、それから離れた太郎さんは、隼人さ

ん、光圀さん共々に身を寄せ合った。準備よく用意していたらしい縄で、3人はぐるぐ

る巻きにされ草叢に連れて行かれると、ひと突きに押された拍子に転がった。「ひぇ~」、

「いたい」という声が上がる。

 

 星がオレの目の前に顔を突き出すようにして、憎々しげに言葉を吐いた。

「お前には早々に消えてもらったほうが、よさそうだな。金はあきらめることにしたよ。

銀行に残したまんまの金は、なんとかして取り戻せそうだし、なぁ」

 そして「クソッタレガァ」思いっきりオレの横面を張ってから、背中を見せた。いき

なりのビンタで、口の中に錆び臭が広がっていく。

 また、喉元のナイフの感触に背中がぞくぞくとしていたが、あきらめがどうにでもな

れという開き直りの境地を導き、ごくりと血の混じった唾液を飲み下すと、目を閉じた。

 明日香はきっと、大丈夫だろう。

 

 明日香、危険な目に会わせて、すまん。

 口では言えないけど、自分で考えた、いい人生を築いてくれ・・・。

 好美、こんなオレを、一時でも好いてくれて、ありがとう。苦労をかけてしまったけ

ど、自分のことしか考えていなかったオレに付いてきてくれたこと、感謝している。幸

せになってくれることを、祈っている。

 今も、愛してる・・・?

「うっ」という、音なのか声なのかが聞こえた瞬間右腕が解放され、喉の圧迫感が消え

た。

 おそるおそる目を開けると、そばにいた男がナイフを落として、前かがみになって肘

を抑え込んでいた。

 次の瞬間には、どこからか走り出して来た男が落ちたナイフを遠くに蹴り飛ばすと、

明日香を奪い取った孝雄の、ナイフを持っている腕に足を振り上げて絡めるようにした

瞬間、後ろ向きとなって上体を前に折ったかと思うと、その脚の靴底でおもいっきり男

の顔面を蹴りつけた。一連の動きは滑らかで一瞬の出来事であった。全員が、突然の出来(しゅったい)

に、呆然と突っ立っていただけだ。

 顔面を蹴られた孝雄は後ろにのけぞるようにして倒れかけ、そこに星が背中を向けて

上体だけを半ひねりして振り返ったものだから、倒れかかって来た孝雄の勢いにまきこ

まれて、ふたりもろともドサーッと、凄まじい音を立てて地面に転がったのである。

 

 走り出して来た男が俊介君だと悟るまでに、少々時間がかかった。

 皆の視線が俊介君に集中している間に、守君が明日香を奪い返して、背中にかばって

立っている。その横には明良君が口笛を吹き鳴らして立ち、石のようなものを掌からほ

うり上げては、つかんでいた。

 明良君が、オレにナイフを突き付けていた男の肘に、石を命中させたらしい。

 

「お前ら、何者だ!?」

 虎尾強が、声を低めて威嚇するかのように問うた。

 オレも実際彼らが何者なのかを知りたくて、息を詰めるようにして見ていた。

 

「太田健一の、ダチだ。仲間のピンチを黙って見てるわけにゃ、いかんだろ」

 明良君! 体に電気が走った。

 ひと月にも満たない期間を共有したにすぎないオレのことを、ただ厄介をかけただけ

にすぎないオレを仲間として扱う彼らの気持ちに感動して、しかも危険を被ることが分

かっているにもかかわらず駆けつけてくれた彼らの心意気に、体が震えたのである。

 

 

 虎尾強が、突っ立ったままの若造たちを見て顎を振ると、彼らは拳を振り上げて、突

っかかってきた。

 明良君は振り出された拳を避けるとその腕を肩掛けにとって、腰を落とすと同時に投

げ飛ばした。投げ飛ばされた男は、それでもすぐに立ち上がると明良君の腰にしがみつ

く。そして腹に拳を入れようとしたところで、明良君はそれを両手で受け止め押し返し、

右足を振り上げて相手の体を支えると、足と手の反動で再び背負い投げで飛ばした。

 ガチャーンと大きな音を出して、投げられた男は自転車にぶつかり、覆いかぶさるよ

うにして共に横転した。

 

 俊介君は一発目を左腕で受け止めたが、続いて繰り出されたパンチを避けきれずに、

頬に食らい、その力を利用したかのようなバク転をすると、地面に付いた両脚の反動で、

両手を軸にして元の体勢に戻る前には、やはり男の顔面を、両脚そろえた靴底で蹴りつ

けていた。

 頬に入った一発よりも、足蹴りの方が威力があったことは明白だ。

 ぶっ飛び倒れた男を見下ろして、「おぉいてぇ」と頬を撫でさすっている。

 

 一方、守君に対している男は、ナイフを取り出していた。

 守君の手からは、濡れたタオルがぶら下がっている。たっぷりと水を吸い込んだ、ま

だボタボタと水が滴っているタオルだ。そして、後ろにいる明日香を「下がっていろ」

と押しやると、左脚を大きく前に出し重心を後ろ脚にかけ、ナイフが突き出されてきた

瞬間には、濡れたタオルの重さを利用して後方左から側面へ大きく降り回すと、水をま

き散らしながらそのタオルの遠心力と重力が、バシン! と男の腕を強く叩き同時に巻

きついた。そして引き倒すべく引っ張っているのだが、体格では負けており、逆に引き

ずられそうになっている。

 

 先に勝負が付いていた明良君が、ナイフを持っている男の甲に、ポケットから取り出

した石を命中させたかと思うと走り寄り、腕に巻きついているタオルを取り上げ男の腕

を自分の脇下に引き寄せると、空いている右手で作った拳を平行に顔面中央にかました。

上体をのけぞらせた男の股を蹴ると同時に、持っていた腕を放した。

「ウワォッ」

 横向きに体を捻って倒れる男。股蹴りが効いたらしく、そこに手を当てて転がって唸

っている。

「チェッ、まだまだ訓練が足りねェや」

 これは守君の言葉。

 

 しかし、先に倒されていたふたりがいつの間にか明日香の腕を取り、虎尾強のそばに

立っていた。

「おい! 勝負の女神は私に付いているぞ!」

 ハンカチを顔に当てた星が、くぐもった声で言った。鼻血を出しているようである。

 明良君、俊介君、守君達の動きは、その場で固まった。

 その間、オレは茫然として見ている事しか出来なかった。

 その時、「久しぶりだなぁ、強」という声がし、その方向に顔を向けた。縄を解かれ

た太郎さん、光圀さん、隼人さんたちの背後から現れたのは、源さんの小柄な体だ。

 虎尾強は眉を寄せ視線を鋭くして、源さんを見やった。

「ワシのことなどはぁ、もう忘れたかもしれんなぁ」

 その物言いに、思うところがあったのだろう。

「あっ」と、虎尾強は一歩下がり、掌を前に突き出した。思い出したらしい。「申し訳! 

ありませんでした!」と、両手を脇に付け、頭を下げた。

「なんだ、覚えていてくれたのかいぃ。嬉しいねぇ」

 

 オレは、呆けたような表情になっていたに違いない。

「悪さもいい加減にしないとな、強よぉ。金貸しで、あくどく儲けてるんだってぇ?」

「いえ、そんなことは・・・」

「その鼻血を出している男、星慎之介と組んでさぁ、ここにいる健からぁ、かなりの金

をまき上げたんだろうが」

「それは・・・いえ、金を貸したのは確かで・・・利子を付けてきちんと返してもらい

ました。ハイ」

「じゃぁ、健の借金は、もうないはずだな」

 それから源さんは、星に向き直った。

 

「ホシノテックの社長さんよぅ、この男が設計したシステムで、かなり儲けたんだろう、

聞いたよ。それにぃ、かなりあくどい手を使っていたこともな、世間に知られたらぁ、

どうなる?」

 ハンカチを鼻に押し当てたまま、源さんを睨みつけた。

「何者なんだい?」

「むかぁし、強と関わりを持っていたんだな」

「刑事だよ、元。私のせいで免職になった。マル暴の」

「ああ、足を洗うどころか、結構な身分になってるじゃぁないか、大したもんだな。お

メェさんがチクッタことで、出世したってぇ訳だな」

 虎尾強は空を仰ぎ見た。きっと、誰にも聞かれたくない話なのであろう。

「慎よぉ、私の顔を立てて、このまま引き下がってくれんか」

 虎尾強は星慎之介に向き直って、頭を下げた。

 

 源さんと虎尾強との間に昔何があったのかは分からないが、星は「フンッ」と言った

きり、ズボンのポケットに手を突っ込んで、そのまま歩き出した。

 虎尾強も源さんに軽く頭を下げると、黙って歩き出した。状況がよく呑み込めていな

かった若造たちは、あわててその後を追いかけた。

 

「昔ぃ、家吉会と深く関わり過ぎてさ。それだけのことだ。フフン」

 源さんは自嘲気味に笑うと、段ボールハウスがある方向に向かって歩き始めた。

 星の見えない都心の夜。明日香が明良君達を見る目には、星が輝いていた。

・・・オレは・・・

 

「あっ、すみません」

 座席上部にある荷物棚に、つま先立ってスーツケースを乗せようとしていた好美は、

背後からスーツケースを支えるようにして、代わりに乗せてくれた男性にその立ち位置

を空けた。

 日立駅10時01分発の “スーパーひたち26号” はすでに動き始めている。窓

際の指定席においていたハンドバッグを取り上げて腰かけると、その男を振り仰いで、

改めて礼を述べた。

 そして、好美は予想だにしていなかった驚きのためにか、大きく見開いた目で、何度

もまばたきを繰り返している。

「・・・・・・」

 何かを言おうとしたらしいが、声にはなっていない。

 その男性というのは、オレのことである。オレは軽く微笑むと、好美の隣、通路側の

指定席に腰を落とした。

 

 

 星慎之介たちとの一件があってから、オレの人生は急展開した。

 オレが連れ去られてから源さんは、大急ぎで明良君に連絡を入れて、助っ人に来ても

らったのだということ、太郎さんがオレの後を付けて、連絡役になっていたこと、仲間

たちの連携に感激した。

 しかも・・・。

(株)夢未来工房の住所としていた青梅市の空き家は、明良君の生まれ育った家で、現在

は誰も住んでいないのでそこに住まないか、と提案してくれたのだ。

 明良君達3人と明日香を伴って、その家を見に行った。

 

 家のすぐそばには、多摩川の悠揚たる流れがあった。なだらかな山容がやはり近くに臨

まれ、標高が高い分都心よりも気温が低く、住環境としては申し分ない。

 明良君の家族は、父親が早くに亡くなり、母親が数年前まで雑貨屋を営んでいたという。

その母親も2年前に病死したが、家は処分できずに残しているのだとか。

 1階部分には、台所と食事室、風呂、トイレ、そして雑貨店がすぐに開業出来るほどの

商品棚等がそのまま残っていた。2階には和室が3つと屋根裏部屋があった。屋根裏部屋

には若干の荷物が遺されていたが、それらは明良君の思い出の品物なのだそうだ。

「この家は自由に使ってもらったらいい。誰かが住んでくれたほうが、傷みにくいし、手

入れのために帰ってこなくていいからな。だけど、屋根裏はそのままにしておいてほしい

んだ。近いうちに引き取りに来るから」

 

 オレに異論があろうはずはない。明日香も環境が気に入ったようである。いや、3人で

住めるならどこでもいい、とは後で聞かされたこと。段ボールハウスから携えてきた荷物

はわずかしかない。このまますぐに住めるように、必要な物だけを整えることにした。

 

 仲間たち、とはすでに別れを告げて来ている。

 オレの手元に残っていた金、4580万円は、すべて守君に渡した。

「不当に手に入れた金で暮らしたいとは、思っていません。これは、あなた達で使ってく

れませんか。奴に復讐を果たせたことで、満足していますから」

 守君はしばらく思案した末に、こう提案した。

「分かりました。俺達で預からせていただきます。明良の家を借りる、家賃と考えましょう。

それでいいよな、明良」

「ああ、だけど家具を揃えたり、商売を始めるにしても金はいる。明日香ちゃんの学校の

こともあるし・・・それに、これは不当な金というより、やっぱり太田さんが体を張って

得たものだ。奴らも納得しただろう? 取っておけよ」

 

 心が動かなかったかと言えば、嘘になる。そこで実費分だけを必要経費として、守君に

申告することにしたのだ。そうすれば、彼らとの付き合いも長く続く。

 源さんも太郎さんも光圀さんも隼人さんも、「もうこの生活が気に入ってしまったから、

このままここにいるよ。この仲間たちから、離れたくないし」と言っていた。「誰かもう

ひとり、リクルートしてこないとなぁ」とも。

 だから時々は差し入れの酒を持って、夜の宴会に参加しようと思っている。

 

「パパ、ママと早く住みたいね」

 家の中の部屋、すべての扉を開いて覗き込みながら、興奮気味に催促する明日香。曖昧

な返事しか返せない、オレ。ママ・・・好美は、来てくれるだろうか。

 家を見た後、雑貨店を開業することを決心し、守君に資金のことを頼んだ。

「ネットでも注文を受け付けたらいいよ。細かいことは教えてやっから」

 俊介君が、これまた楽しげに勧めてくれた。

「おっさんは、図面が得意のようだからさ、3Dプリンターを置いて、フィギュア作って

売ってもいいんじゃないの」

「おお、それはいい。拳銃が作れっぞ」

 明日香と顔を見合わせて、ニコニコしながら彼らの会話を聞いていた。

 

 修理が必要な所は明良君たちが、ああだこうだと言い合いながら手を入れてくれた。手

際良く板を打ち付けたり、ペンキをはいたりと大工仕事をこなしていったのは、守君であ

る。

「こういうの、苦手なんだな」とは、青黒く腫らした頬を撫でさすりながらの俊介君。

 

 

 好美と連絡を取ったのは、明日香である。日程を決め、指定席を取ったのも明日香であ

る。

「パパぁ、指定席二人分とったからさァ、ママびっくりするぞぉ。上野着は11時35分。

パパとそこで待ってるから、ってママには言ってあるから」

 

 そうしてその日、朝早く上野駅を発ち、JR常磐線日立駅で好美が乗り込むのを待って

いたのである。

 ホームに現れた好美の、久し振りで見るその姿に、胸が高鳴った。ああ、夢じゃない、

これからは一緒に暮らせるんだ、と。

 

 隣に座っている好美に、おずおずと語りかけた。

「オレ、変わっただろ・・・見ただけでは分からなかったんじゃ、ないかな」

 頭を強調する意味で撫で上げた。

「うふっ」

 好美はハンドバッグから携帯を取り出すと、親指をしばらくの間動かしてからオレの目

の前に、その画面が見えるように差し出した。

 オレの写真と、メール。

 

    《 禿げネズミのパパ  ((◎p´∀`)q。o○(( .゚;*.大 好き.*;゚. )) 》

 

 好美は右手をオレの太腿にそっと置くと、頭をオレの肩にもたれさせてきた。

「ちょっと」

 オレはその手と頭を押し戻すと、シートを仕切っている肘掛けを立ててから体をにじり

寄せ、好美の頭を引き寄せて肩に乗せると、好美の肩に手を回した。好美の手を、オレの

太腿の上で堅く握りしめて。

 

 ・・・オレは、明日香のパパ、そして、好美の夫。

 守るべき家族がいてこその、オレなのだ・・・。


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