No.662857

Da.sh Ⅲ 

健忘真実さん

明良と俊介の出会い。
源さんがホームレスになったいきさつ。

Da.sh : http://www.tinami.com/view/437038
Da.sh Ⅱ : http://www.tinami.com/view/660439

2014-02-13 12:09:41 投稿 / 全18ページ    総閲覧数:423   閲覧ユーザー数:423

 河川敷で扁平な石を捜し出すと、右肩を後ろに引いた瞬間に腕を水平にして振り抜い

た。石は川面を数回、跳ねるようにして飛んだ。

 明良は再び、石を探し求めて河川敷をうろついた。

 嫌なことがあるといつもここで、石を探して投げる。中洲で羽を休めている鳥を見付

けると、それを的にした。逃げられることもあるが、ほとんど命中させることができる。

 しかし今日は、外れてばかりだ。いや、わざと外しているのだ。

 驚き羽ばたいて飛び去る鳥に向かって、続けざまに投げつける。石がかすめて、とれ

た白い尾羽が1枚舞っているが、これもわざと、である。

 近頃は、命中して落命させてもそのままにしていた。水に浸かってまで拾いに行く気

はしない。

 

 近頃は、というのは、父親が生きていた頃にはそれを許さなかったからである。

 石を命中させて獲物を捕る技術を教えられたのは、父からである。

 敗戦後の貧しい生活の中で、貴重なタンパク源となる鳥や、ウシガエルやヘビなどの

肉を手に入れることは、子どもたちに与えられていた仕事のひとつであった、という。

その手段として、兄弟や友達と技を競い合ったそうだ。

「命を粗末に扱ってはならん」

というのが、父の口癖であった。

「いざという時には、ひとりで生きて行かねばならんこともあるからな。この技が、役

に立つことがあるかもしれん」

とも。

 そのことを覚えているから、という訳ではない。もうほとんど思い出すことはないが、

ただ面倒なことは、その元を作らないようにしているだけである。

 

 

 3時限目の授業は体育であった。体操服を忘れたことに気付き、2時限目が終了した

休憩時間に取りに帰っても十分間に合うので、先生の許可を得て家に戻った。中学校へ

の通学には、自転車を利用している。

 

 いつもなら、母が営む雑貨店はとっくに開いているはずだが、シャッターは上がって

いるにもかかわらず、カーテンが閉められ鍵もかかったままになっていた。

 父が亡くなった後母が引き継いで、ひとりで雑貨店の仕事を切り盛りしている。食料

品なども置いており、仕入れや配達などもひとりでこなしている。不在の間は店を閉め

ている事もあるが配達は午後のことであり、その間は、近所にひとりで住んでいる祖父

が代わって、店番をしていることが多い。

 

 裏に回った勝手口の開き戸には、鍵はかかっていなかった。

 2階にある自分の部屋に行くには、食事室を通っていく。

 台所に上がろうとして靴を脱ぎかけた時、食事室の方から人の気配がした。何かうめ

き声を発して、這っているようでもある。母の体の具合でも悪いのかと思い、背筋をブ

ルッとさせ、急いでふすま戸を開けた。

 瞬間、固まってしまった。

 すぐに音立てて身をひるがえすと、運動靴をつかみ裸足で外に飛び出していた。靴は

両手に持ったまま、自転車にまたがった。

「ふんっ、ほっとけ。母親も女じゃと、分かったろうて」

と言う祖父の低い声が、耳に届いた。

 

 頭を左右に何度振ってみても、女、女、おんな・・・という言葉が消えて無くなるこ

とはなく、むしろしつこい程に頭の中で反響している。明良にとって、母は母以外の何

者でもないはずだ。母の性など考えたこともない。将来にわたって、考えることはなか

ったはずである。

――くっそー、ふたりとも、死んじまえっ。汚ならしい!

「くっそーっ」

 鳥の姿が見えなくなると、立ち木に向かって石を投げ続けた。石は同じ場所を穿って

いった。

 その日はもう、学校には戻らなかった。

 

 

 昼飯も食べずに、川原の短く刈り取られている青々とした草の上に寝転がり、いつの

間にか寝入ってしまっていた。

「よう、明良」

 腰を下ろす気配に顔を向け、それから上体を起こした。曲げた膝を抱え、顔をうずめた。

「かぁちゃんが心配してっぞ。学校からぁ、戻ってこないって、電話があったとさ。捜

し回ってたかぁちゃんとぉ、ばったり出くわしてな」

 正源寺満政は川面を見つめ、しばらくしてからのんびりした口調で続けた。

「ここはぁ静かだな、あったけぇし、昼寝にはぁもってこいだ・・・ほれ」

 目の前に突き出されたあんパンを躊躇しながらも受け取ると、明良は乱暴に袋を破い

てかぶりついた。正源寺は、明良の食べる姿を、目を細めて黙って見ているだけだった。

「さあぁて、仕事に戻らねぇとな」

 明良は口いっぱいに頬張りながら黙って、何言うでもなかった正源寺の後ろ姿を見送

った。

 

 

 正源寺は父の親友であり、高校時代に同じクラブ、柔道部で共に汗を流したという。

父が元気な頃、明良が小学2年生の時だが、この地の警察署に配属となった正源寺が、

警察の道場で柔道を指導するということを知った父に連れられて、道場に通い始めた。

 父が癌で逝ったのは3年前、小学5年生の時である。その時に、柔道は辞めてしまった。

正源寺は時々家にやって来ては、「好きな時にぃ、道場に来ればよいからぁ」と、顔を

ほころばせて言っていた。

「気にかけていただいて、ありがとうございます」

と、礼を述べるのはいつも母で、明良はいつも黙ったままうなずくだけであった。道場

に通っていた頃には挨拶が出来ないと、よく叱られたものだが。

 

 

 明良はその後、働きづめで、顔を合わせると時に恥ずかしさをにじませている母は許

せても、いつも流し眼で母を窺っている祖父を見るにつけ、ますます虫唾が走り、祖父

を許すことができなかった。

「かぁさん、この家出て、どこか遠くで暮らそうよ」

と言ってはみたものの、生活に窮することは明良にも見て取れる。

「じじぃ、かぁさんに手ェ、出すなよっ」

「ガキが、男と女のことに口をはさむんじゃねぇっ。君子さんの体はなぁ、ワシを欲し

ておるんじゃ、ホンホンホッ」

「お義父(とう)さん、何もそんなこと・・・」

 目をとがらせて祖父を睨み据えた。

「身内でも、じじぃのこと、許さねえからな!」

 

 高校生になった明良は、バイトをして貯めた金でスーパーカブを買った。通学に使う

ためである。

 休みの日には、カブを多摩川上流に向けてひとりで走らせていたが、ライダーのグル

ープがあることを知った。龍神会という。クラスメイトに誘われたのだ。

 龍神会では、多くの者は250ccのレーサータイプに乗っていた。400ccのマ

シンも見られる。マフラーを切断したり消音機をはずしたりした上に、3連ホーンやた

くさんのラッパを装着しており、また、絞りハンドルかアップハンドルにして、三段シ

ートに改造している。

 

 土曜日の夜10時ごろになると、街道のパーキングに集合。改造した何台ものバイク

を連ねて、街中を走った。爆音を轟かせ、ホーンを鳴らし大音声をあげて、人々の注目

を浴びる。その心地よさを知った。

 集団ともなれば気持ちも大きくなる。お互いにはやし立てあって、何をしても許される、

という気持ちにさせられるのだ。

 明良のマシンは、マシンとは言えないしれ物だが、50ccでひたすら後に付いて回

った。それで間に合った。彼らはスピードを競うグループではなかったからである。明

良にとって、その場の雰囲気に浸ることが肝要だった。そして時には、上級生の窮屈な

後部座席に乗せてもらった。

 

「奥多摩ぁーっ」

 市内を低速で蛇行走行した後、誰かが声を張り上げた。

「おおーっ」

「ヒャァッッホーゥ」

「イェーイ! バリバリだぁーっぜー!」

 彼らはヘルメットを背中にまわし、頭髪を風になびかせて走った。

 カーブが続く道を、ドラフト走行によって生じるスキール音(摩擦音)に酔い痴れな

がら走った。

 ひとりで川沿いを走っていた頃の、体も心も冷やしてくれる風もよかったが、仲間と

つるんで走る情熱の風は、体も心も、熱くしてくれた。

 

 

 龍神会の中で最下会員の明良は、入会した頃にはちやほやされて、面白い体験をさせ

てもらっていたが、2カ月ほどたった頃、金を集めることを強要されるようになった。

クラスメイトや下級生をカツアゲしたり、違法に録音したCDを販売することを割り当

てられたのである。

 面倒見、という名目で、暴力団に納める月会費の為である。

「組織にさぁ、ひとり頭3000円、納めなくっちゃなんないんだよ。龍神会には、お

前らも含めて33人いるだろ、新米のお前らで、なんとかしてくれよなぁ」

「先輩、そんなに納めて、何か得することがあるんですか」

 明良はツッパリ言葉にはなじめない。グループ内では、浮いた存在になりつつあった。

「知るっかよッ。まぁ、そんなこたぁ、どうでもいいだろうッ。とっにっかっくっ、お

前ら下っ端で、締めてぇ99000円だ。なんとかするんだぜ!」

 下っ端と言うのは、明良を誘いこんだクラスメイト、合わせて4人のこと。

 

「どうするよ」

 お互い、顔を寄せ合った。

「25000円かぁ、しかもこれから、毎月だろぅ」

「抜けようぜ」

 明良は思案した末に、キッパリと宣言した。

「そんな悪事には、手を染められねェ。俺の仁義だ」

「だけどもよぅ、脱会には、リンチ、が付きもの」

 みな沈黙した。

「お前ら、どうしたいんだ? カツアゲか? それとも抜けるか、だ」

「辞めれるもんなら辞めたいよ。だけどさぁ、痛い目には、あいたくないよな」

 再び、沈黙。

「よし! 春樹、圭吾、慎也、耳、貸せ」

 明良は3人に、ある作戦を教えた。きっと、うまくいく、と踏んでのことだ。

「だけどよぅ、ちょっと卑怯じゃねぇか、それに失敗したら、余計にひどい目にあわさ

れる」と、春樹。

「足を抜く為なら、かまわねぇと思う」と、圭吾。

「よし、決まりだ」

 4人は団結を約束した。

 

 多摩川の河川敷。

 龍神会の総長が指定した場所である。そして時間は夕方6時、と。

 晩秋のこの時間帯はすでに暗く、人影は全くなくなる。

 明良たちは、指定された時間よりも1時間早く到着し、闘いの準備を整えた。

 10分前。

 彼らは土手下にマシンを置き、総長を先頭に、金魚のフンのようにぞろぞろと連なっ

てやってきた。それぞれ手には、なにかをぶら提げている。角棒やバットである。ヌン

チャクを、得意げに振り回している者がいる。バイクに乗っている時には背中に回して

いたヘルメットを被っていた。

 近くにある清掃工場の電灯が、おぼろげではあるが、彼らの存在を浮かび上がらせて

いる。

 冷えた砂礫に腰を下ろしていた明良たちは立ち上がると、ヘルメットをかぶり顎紐を

キュッと締めた。彼らが武器を持参してきたことは、族、という種族をよく理解してい

なかった明良たちの誤算であったが、明良は動じなかった。

 草叢を挟んで、5メートルの距離がある。

 4人対29人。

 

「逃げずによく来た、褒めてやるぜ」と、ポケットに両手を突っ込んで肩を怒らしてい

る、総長。

「よぅ、今ならまだ、許してやってもいいんだぜ」

 肩にバットを担いだ総長の腰巾着が、前に出て来て言った。

「嫌だ。思い描いていたグループと違ったんだ。俺たちとは、世界が違ったんだ」

 明良はゆっくりと、落ち着いた口調で言った。

「生言ってんじゃァ、ネエ!」

 総長の言葉尻を合図に、彼らは扇状に広がった。

 同時に明良達4人は、彼らに背中を見せて走った。

 彼らは、「逃げんなァ」、「待て!」と、全速力で追いかけて来た。

 いや、追いかけることは出来なかった。先頭に立った者が草叢で足を取られて転んだ

のである。4人が先頭に立っていた。それに続くものが、転んだ者の上にかぶさって、

転んだ。その難を逃れて追いかけてくる者も、足を取られて転んでいる。

 

「クッソォーッ」

 彼らの眉間に青筋が立った。おそらく。一段と低く、うなるような声を発したことから、

明良たちは感じ取った。

 草を結んで、いくつもいくつも罠を作っておいたのである。そのアーチに足を突っ込

んで、足をすくわれたのだ。そんなにうまくいくとは思っていなかった。

 振り返って立ち止まった明良は、あいつら、案外、馬鹿だ、と思った。

 

 扁平な石と尖った石を選り分けて置いていた場所まで走って来ると、明良は扁平な石

を手に取り、追いかけてきた連中の腕のあたりを狙って、投げた。

「人に向けては、決して飛ばしてはならん。怪我では済まないこともある」

 父の声が一瞬聞こえた気がしたが、自分の身を守るためなんだ、と自身を納得させた。

 しかし、暗闇で、輪郭が分かる程度で。しかも相手には、考える力がある。今まで相

手にしていた動物とは違う、ということを理解するのにそれほど時間を要しなかった。

 石を投げてくる、ということが分かると、彼らにはそれを避けることが出来る。避け

て逃げるのではない。すぐに、攻撃に移ってくることが出来るのである。またその行為は、

彼らの怒りを増幅させるのに十分な効果があった。

 

 大声で罵倒しながら迫ってくると、バットを振り抜く体勢に持って来た。

 明良は、今までに感じたことのない恐怖に、おののいた。初めて、怖い、と思った。

やられる、と思った瞬間、手当たりしだいに石を投げつけた。だが、すべてやり過ごさ

れた。無闇矢鱈に投げた石には、威力も何もない。それでも当たったら痛くはあり、軽

く怪我をする。

「テメェー、フザケテンジャッ、ネエーッ」

 

 明良は、真っ先に振り下ろされてきた棒を持つ腕に、しがみついた。

「離せ、コンニャロウ」と振りほどこうとする腕から、背中に回り込むと、腰に両腕で

抱きついて必死になって離さない。

 後ろにいた連中に背中を打たれた。体じゅうにしびれが走る。(こら)えに堪えた。

膝裏を打たれてくず折れても、必死になって、腰に巻き付けた腕を放さなかった。

 誰が誰なのか、皆目分からない。だがそこにいる連中は皆、敵なのだ。

 誰かが、足をつかんだ。砂礫の上をうつぶせで引きずられる。ヘルメットをかぶった

ままの頭に、蹴りを入れる者がいた。背中を踏みつけてくる者がいる。反吐を吐いた。

「きったねぇなぁ、川ン中、投げ込んじまえッ」

と言う声が聞こえる。

 力はすでに尽き、その声も、遠くから聞こえてくるようだ。意識が朦朧として、痛み

を感じなくなってきている。

――春樹、圭吾、慎也・・・。

 

 顔がひんやりとして気がついたのは、パトカーの中だった。

 後ろのシートで、隣には制服を着た警官が座って、濡れタオルを顔に当てがってくれ

ていた。

「おっ、気がついたか。救急車を呼ぼうとしたが、主任が、とにかく署に連れて行け、

ということで・・・ざっと見たところ、背中と脚が打たれて紫色になっていたが、骨折

の心配はないようだ。あとは顔に少し傷があるぐらいだ、それと痣が。喧嘩慣れしてる

んだろうな、重傷を負わないように、急所ははずされている。それにしても、ひどい目

にあったもんだ」

 主任と言うのは、正源寺のことである。

「他の連中は?」

 吐く息に、かろうじて言葉らしきものが混じっている、というような発声だった。

 

「逃げられた。見張りが立っていたんだな。パトカーが近づく前に感づかれて、あいつ

らバイクに飛び乗って、行ってしまったよ」

「俺の、原チャリ」

「取り調べが終わってから、取りに行くんだな」

「取り調べ? ほかに、取っ捕まったのは?」

「仲間がいたのか?」

 明良は、自分で濡れタオルを顔に当てたまま正面を向き、それ以上喋らなかった。

 

 

 警視庁青梅署の[生活安全組織犯罪対策課]という札が下がった部署の一角にあるソ

ファに、明良は正源寺と並んで腰かけていた。

 夜8時ごろになると、数人の署員は静かに机に向かい、報告書や記録を記入している

だけだ。主のいない机の上が整頓されて並んでいる姿は、どこか寂しい。多摩川河川敷

に出動してきた警官や、明良に事情聴取していた警官も、今はここにいない。

 

「時間に遅れてしまってぇ、すまなかったな。おかげでひどい目にぃ、あわせちまった」

 正源寺は、チラ、と明良を見て続けた。明良はうつむいたまま、与えられた保冷剤を

顔に当てていた。

「おめぇが、喧嘩する、てぇ言ってたがぁ、あんなに大勢が集まってるとは思わなんでよ。

急遽応援部隊を要請して、それで遅れてしまった。結局、全員取り逃がしてしまうという、

失態をしてしまったがな、ハッハッハッ・・・あいつらぁ、どこのもんだ? 喧嘩のい

きさつもぉ、言わなかったそうだな。担当官がボヤいていたぞぉ、ひとっことも口を開

かなかった、てぇ」

 明良は未だに、口を固く閉ざしたままだ。

「それだけぇひどい目にあったんだ。被害届を出すんだな」

 黙ったまま首を横に振る、明良。そして、沈黙。

「そうか、おめぇも親父に似て、頑固もんになったもんだ。だがなぁ、明良、ワシを頼

ることはぁ、もう出来ねぇぞ。まもなく配置換えがあるんだ。ま、家まで送ろうか。母

さんがぁ心配してるだろぅて」

 やっと顔を上げた明良。小さな声で言った。

「かあさんには、黙ってて」

 

 

 明良はリンチを受けることを、喧嘩をするとぼかして、正源寺には伝えていた。それ

でも助かる、と思ってのことだ。一方、俺は卑怯もんだ、という意識も強く抱いていた。

だからひどい目にあったのも仕方がない、これぐらいで済んでよかったのだ、と考えた。

春樹、圭吾、慎也も無事だったに違いない、と思った。

 

 

 月曜日に学校へ行っても、春樹、圭吾、慎也は顔を背けて、明良が言葉をかけようと

しても避けてしまう。闘いの時の、各自の様子を聞きたかった。

 昨日はバイクを回収しに、河川敷へ行った。

 バイクは無事、止めてあったままの場所に何事もなくあった。

 その後彼らに電話をしたが、話をすることを家族から断られたのだ。親が、明良と話

をすることを禁じているのか、本人が電話に出ることを拒否したのか、それは分からな

かった。しかし、その話し方から、3人とも怪我もなく、無事に家に帰っていたことが

うかがえ、ほっとした。

 

 明良は、3人と話をする機会をなくしていた。

 250ccのレーサータイプを手に入れたくて、バイトに励みだしたこともある。目

標、30万円。無論中古である。

 時間を見つけてはひとりで遠乗りをしたが、スーパーカブでは満足できなくなっていた。

 そんな時に、路上でたむろしていた龍神会の幹部連中と行きあったのである。その中

の1台が、明良が乗っているカブの前に回り込んできたため、仕方なくブレーキをかけた。

哲が降りて来て、「久!」と、片手を上げて話しかけてきた。

 

「明良よぅ、サツにパクられて、尋問されたってな。俺達のこと、ひとっことも喋らな

かったって? ヘヘっ、かなりいじめられたんじゃ、ねぇのかい?」

 明良は哲を避けて前に進もうとしたが、腕を掴まれた。

「そう邪険にするなって。なぁ、もう一遍、俺達のグループに戻ってくる気は、ねぇか。

俺らみんな、お前を歓迎するぜ。もち、幹部としてだ、な。お前のその度胸に、一目置

いてるんだ。復帰第一弾に、初日の出暴走を楽しむ、ってのは、どうだ」

「初日の出、暴走?」

「関東一円の仲間が、富士五湖目指して、高速道を駆け回るんだ。俺の愛車に乗せてや

るぜ」

「いや、やめておく」

 哲の顔を見て、きっぱりと答えた。

「ケッ。そうだ、お前の他に3人いたよな」

「ああ、けどもう、関係ない」

「あいつらさァ、お前が石を投げつけてる間に、そのまま走り去ったんだぜ、知ってた

か?」

「そこ、どいてくれよ」

 今度こそ明良は、グリップを回して発進させた。

 

 走りながら、胸中がモヤモヤとして、居心地の悪いものに占領されてしまったように

感じた。いつも見慣れた河川敷まで来て、バイクから降りた。枯れ草の中に寝転んで、

空を見上げた。

 

――俺は仲間に見捨てられて、置いてけぼりを喰らっていたのか。フン、お笑い草だぜ。

あいつらの心配をして、損した。

 

 森のねぐらへ急ぐ鳥の気配に、閉じていた目を開いた。少し眠っていたらしい。

 

――俺は、ポリ公に喧嘩のことを知らせていた。そのことを知っていたのは、俺ひとりだ。

奴らと対峙した時の、恐怖。助けが来ると分かっていても、内心、怖じ気づいていた。

そのことを知らないあいつらは、もっと怖かったに違いない。もしかしたら、俺は、あ

いつらに恥ずべき行為を取っていたんじゃないだろうか。

 哲っさんから、みんな逃げてしまっていたことを聞いた時には、腹立たしい気分だった。

だけど、もし・・・俺があいつらだったら・・・やっぱり逃げ出していた、と思う。

 あやまろう。ほんとのことを言おう。あいつらからなんと言われようが、非難されても、

構うもんか。

 

 明良は跳ね起きて、バイクにまたがった。

 

 高校を卒業した明良は、大田区にある、小さな金型を作る工場で働き始めた。60代

の社長および最古参が50代。40代と30代がそれぞれひとり。皆既婚であり年齢が

離れすぎている為、新卒の明良は可愛がられた。だが、指導は厳しい。

 慣れない作業にくたくたになって帰る、会社の近くにある古びたアパートの一室が、

新しい城である。

 

 祖父は、去年の夏に死んだ。宵の町で、自転車に乗っていて転んだのが原因である。

 駅近の酒場で飲み、ほろ酔い気分で店を出た。店主は、自転車に乗って帰るとは思っ

ていなかったそうだ。いつもは歩いて帰っていたからだ。しかしその日は、電気店で買

った扇風機を自転車の荷台に積んでいた。酔っていた上に積み荷のバランスが悪かった

のだろう、後ろからの車両を避けたはずみでよろけて盛大に倒れ、ガードレールで頭を

強く打ち付けたのだという。

 明良は、祖父の通夜にも告別式にも出なかった。母の説得を振り切って、両日とも先

輩から譲り受けたばかりのレーサーレプリカNSR250で、国道299号線から正丸

峠(埼玉県飯能市)へと飛ばしていたのだ。

 祖父の存在がなくなって複雑な気持ちもあったが、家を出ることに気がかりがなくなり、

あっさりと、都心部に出て働くことを決めた。

 会社も住まいも、築地警察署に配転となっていた、正源寺の紹介である。明良のこと

をいつも気にかけてくれている正源寺は、組織犯罪対策課の係長になっていた。

 

 

 隔週で仕事が休みとなる土曜日の前夜には、翌早朝にかけて、春樹、圭吾と並んでマ

シンを走らせた。慎也は北海道にある大学に進学した為に、参加は出来ない。

 ひとりで、深夜の首都高速を走ることもある。

 ライトに照らされた路面と壁面を注視して、体に伝わってくる振動を感じ、マシンの

体調(エンジンの音)に耳を傾ける。何もかも忘れ、マシンと一体になれる瞬間だ。

 120km/hを超えると正面からの風が、まるで(かたき)を取るかのように、強烈に顔面を

殴りつけてくる。ヘルメットの重みに加わって、首ごともがれそうになる。

体をカウル(風防)の内に屈める。

 150km/hを超えると、車体が振動し浮き上がる感じがする。少しその速さで走

った後、スピードを120km/hに抑えて、肺に貯めていた空気をゆっくりと吐き出し、

深呼吸を繰り返した。

 

 譲り受けたばかりの時に走った正丸峠へ到るまでの、急カーブが連続するコースが、

急に懐かしく思われて行きたくなった。

 会社が休みの土曜日、午後遅くに正丸峠へと向かった。都心部西側から埼玉県飯能市へ。

国道299号線を20キロほど走ると、正丸峠へと向かう道へ入る。それをしばらく進

むと、ヘアピンカーブが続く道だ。そうして国道53号線へ出ると、青梅市はすぐそこだ。

 家に、就職以来初めて、顔を出すつもりである。

 

 昔よくやった、タイヤのスキール音(摩擦音)を発しながら、峠に着いた時には夜の

静寂があるばかりで、すれ違う車もなく、無論そこにある店も閉まっていた。峠から見

る景色。空は、雲に覆われていて星は見えなかったが、遠くには家々の明かりが瞬いて

いた。もうすぐ懐かしい我が家に帰る。

 母の驚く表情が楽しみだった。

「そろそろ、顔を見せておくれぇ~な」と、最近よく電話が掛かってきていた。

「まあ、近々帰っから。連絡はしないよ。そのほうが準備しなくって、いいだろうし」

と言っておいた。

 

 峠からの下り道。

 右膝を路面に付けるようにしてカーブに入りエンジンの回転数を上げた途端、タイヤ

がスリップして体が肩から投げ出され、バイクは数メートル横滑りして山の斜面を軽く

こすった。

「いってェーッ」と言いながらよろけるようにして立ち上がり、スリップした当たりを

みると、トラックが落として行ったらしい土の塊が、そこここに撒き散らかしてあった。

 チェッ、と舌打ちしながら関節の具合を確かめる。

 バイクスーツのプロテクターが体を打ち身から守ってくれたが、右手親指の付け根を

ひねったらしく、痛い。後で腫れてくるかもしれない。指を動かし、グローブの上から

さすった。足のほうは大丈夫だったが、体全体に軽い痛みがある。

 軽く体を動かし屈伸した後屈んで、バイクのグリップを握って気合を入れ、足の力を

利用して車体を起こした。ブレーキレバーを開閉しながら、腰でバランスを取り支えて、

道路が幾分広くなっている待避所まで押した。

 ブレーキに異常はない。エンジンにも問題はなさそうだがただ、ライトがつかなくな

っている。途方に暮れてしまった。暗がりの中で、バイクの運転などしていられない。

家に立ち寄ることはあきらめたが、バイクを置いたまま歩いて帰るか? いや、それよ

りも押して帰る方がいいだろう。とにかく国道まで出れば、明かりがある。どうにかな

るに違いない。

 

 ブレーキレバーを操作しながら、腰で支えるようにしてバイクを押して歩いていると、

後方からバイクの唸り音が近づいてきた。

 走り屋だろうか、族だと厄介だな、と一瞬思ったが、音の大きさから推定すると1台

だけらしい。道路の端によって、バイクが姿を現すのを待った。

 近くの路面を照らし始めた明かりの本体が現れると、ライトのまぶしさでよく見えな

かったが、それはそのまま通り過ぎた。

 と思ったところで、それは急旋回すると、近づいて来て止まった。

 降りてヘルメットを脱いだ顔にはまだ幼さを残している、少年だった。

 

「故障ですか?」

「ああ、恥ずかしながら、転倒してしまった」

「スリップ痕が、残っていましたよ。怪我は?」

「指を軽く、ひねっただけだ」

「それは?」

 少年はマシンを覗き込んできた。

「ああ、ライトがつかなくなってしまって、不覚にも道具の持ち合わせが無くって」

「見てもいいですか?」

「いいけどよ」

 明良は立てたバイクから離れて、少年に場所を譲った。

「分かるのかよ」

「あてにはしないでください。少し時間をもらって、いいですか?」

 少年は自分のバイクのライトで照らし出すと、工具を取り出して分解を始めた。

 

「ここを照らすように、僕の、動かしてくれますか」

 明良は言われたとおりに、少年のバイクを移動させた。

「オフロードバイク、か。モトクロスでも、やってんのか?」

 そのマシンを値踏みするように見て、言った。

「はい」

「ほんとかよ。ジャンプなんか?」

「はい」

「怖くないのか?」

「エキサイトします」

「まだ高校生、って感じだな」

「高1です」

「よく、親が許してんな」

「小学生のころから、父に連れられて競技会に出ていますから」

「いや、こんなに遅い時間に、だよ。どこから来てんだ? 俺は大田区に住んでる。実

家は青梅だけどよ」

 少年はちょっと黙りこんで修理に没頭している風を装ってから、言った。

「埼玉です」

「ふーん。高そうなマシンだ」

「できました。多分これで、オーケーです」

 

 明良はキーを回してエンジンを始動させ、ライトを点灯させた。

「おぉっ、ばっちりだ。サンキュ。俺は浜崎明良、ってんだ。おまえは?」

「木村俊介」

「礼をしないとな」

「いえ、結構です。じゃ、僕、帰ります」

 俊介は、バイクにまたがるとそのまま前進してから、前輪を大きく立ち上がらせると

後輪で方向転換をし、爆音を残して走り去った。

「あれっ、かあさん、出かけるの? 皆揃って、レストランに行く約束は?」

「まあっ、俊ちゃんには言ってなかったのかしら。ごめんなさいね、仕事が入っちゃっ

たのよ」

「そう」

「パパの大学病院の手術室が使えることになってね。ちょうど病室に空きが出来たから、

急に。わがままな患者さんでねぇ、早く手術を済ませてくれ、って言われていたの。ご

近所の早川さんよ。ベトナムでの仕事、急いでるんですって。それが済んだらすぐに、

イスラエルに飛ばなくっちゃって。今取りかかってる仕事は、午前中に一旦切りを付け

るからって言うことで、夕方からの手術になっちゃったの。事前の検査もゆっくりとか

かっていられないぐらいなのよ。そうそう、パパも手術に立ち会うから、食事会は、ま

た今度だわね。俊ちゃん、楽しみにしていたんでしょ、久し振りだものね、ごめんなさ

いね。この埋め合わせはなんとかするから。亜樹ちゃんには、学校から帰って来た時に

言ったはずだから。亜樹ちゃんは?」

「知らない」

 リビングでテレビを見ていた俊介のそばを行き来しては、ひとりで喋り続けながら出

かける準備を整えていた母にそっけない返事を送ると、俊介は2階に上がった。

 

 

 俊介の両親は、外科医である。父は大学病院に勤めている。母は、父が受け継いだ医

院で、診察をしている。住まいと医院は同じ町内にあって、徒歩5分程度離れた所にある。

 会社の重役が多く住まわっている地域であり、彼らは時間に追われている為、いつも

無理を言っては、時間外でもお構いなく診察を依頼してくる。またそれを気軽に引き受

ける、両親でもあった。

 

 

 珍しく塾が休講となっていたこの日の夜は、家族4人が久しぶりに揃うことが分かっ

ていたので、レストランで食事をする手はずが整っていた。

 俊介は、家族との外食を喜ぶ年ではなかったが、それでも揃って食事が出来る、めっ

たにない機会を大切にしたかった。

 近所に住んでいる早川氏は、会社経営をしている。足の静脈瘤の治療の為に血管を1

本抜き取る手術は、空き病室の順番待ち等で3週間後に予定していたのだが、無理を承

知で施術を急かされていた。大学病院の病室が空いたことを連絡すると、急いで仕事に

片を付けるから今晩手術を頼めないだろうか、と懇願された。それで急遽、午後の診察

は勤務医に任せて、母が施術することになったというのである。

 

 母が出かけたすぐ後、俊介がヘルメットを手にして玄関の三和土で靴に足を突っ込ん

でいた時、お手伝いの幸代が、キッチンから飛び出して来て言った。

「坊ちゃん、お食事、もうすぐ出来ますから、少しお待ちになってください」

 それには答えず、玄関扉に手をかけた。いつの間にか階段に座っていた妹の亜樹が、

バイクスーツを着た俊介の後ろ姿に声をかけた。

「にぃちゃん、またバイク、飛ばして来るの?」

「ああ」とだけ言って、振り向きもせず家を出た。

 

 国道299号線から53号線へと抜ける、カーブが連続する道を走っている時、落ち

ている泥の上をタイヤが横滑りしたのだろうその跡が、ライトに照らされて浮かび上が

った。

 おそらく転倒したんだろうな、不運な奴だ、と思っただけである。

 しばらく走って、バイクを支えるようにして立っている人物を捉えたが、そのまま走

り去るつもりでいた。だがすぐに思いなおして、声をかけたのである。なぜなのか分か

らなかったが、誰かと関わりたい、という気持ちが湧き起こってきたのだ。

 そして、ライトがつかなくなっていた明良のバイクをいじっている時にふと、まるで

僕、外科医みたいだ、と思ったのである。

 

 

 両親の思いは、俊介には重荷になっていた。

 高校進学においても両親は、都心にある医学系進学校を強く推していたが、それに抗

って、友人が多く進学する地元の公立普通校を選んだ。それでもなお両親は、医学を志し、

医院を継ぐことを期待し続けている。

 クラブ活動に参加はせず、形だけは期待に応えるべく、学校の授業を終えると直で塾

に行き、勉強のために時間を費やしているのだが、自分が本当にしたいのは何なのだろ

うかと考えても、もひとつ将来のことがつかめないでいた。

 まわりの友達を見渡しても、今から将来を設計している者は、ほとんどいないようで

ある。具体性を持っている者はやはり、親の職業の影響を受けているか、後を継ぐとい

う期待を受けているらしい程度である。

 受験のために時間を割くことよりも、“今” しか得られない仲間と時間を共有し合い

――それは、全身で情熱をぶつけ合い、泣いては笑うという青春――そういったものの、真

っただ中にいる彼らが、羨ましかった。

 モトクロス競技会に参加することを諦めてしまった俊介にとっての今は、時々バイクを

走らせることだけが、青春の証でもあった。

 

 こうして他人の機械をいじっている時、故障を修理している時、それによって喜ばれて

いるのだと感じることは、翻って自身をも嬉しくさせてくる、その感情が心地よかった。

 医者という職業も人の役に立ち、人を喜ばせるという点ではそうなのかもしれないが、

俊介が求めているものとは、それはちょっと違う気もしていた。

 

 若い頃の父は、モトクロス競技会で負傷者を診るボランティア医師として、待機してい

たことがある。

 競技会は休日にあるので、子守の意味もあって会場に一緒に連れて行かれて、選手たち

が繰り広げる技を見ているうちに、ただ口を開けて観ているだけだった俊介はそのダイナ

ミックさに引き付けられ、虜となった。父にねだって体験会に幾度か参加し、さらに練習

を重ねて、小学5年生の時には、ジュニアの部のジャンプ競技にエントリーするまでにな

っていた。

 

 無論、母は父をなじった。母が一度、競技会を見に来た時である。卒倒しそうなほどに

驚いた母は、帰宅するなりヒステリックに父に向かって喚いた。

「あなたが俊ちゃんを、そんな危険な場所に連れていくからでしょ。子どもは好奇心が旺

盛なんだから、なんでもしてみたがるのよ。怪我したら、どうするの! バイクであなた

が怪我をしても仕方がないけれど、大事な俊ちゃんに何かあったら、と思うと、気が気じゃ

ないのよ。連れていくのは金輪際、よしてください!」

 毒を含んだ妻の言い方にもかかわらず、父は黙りこくって何も言い返せずにいた。

 バイクの好きな父は、乗りこなすことの爽快さを知っていたが、俊介を見くびってもい

たのだろう。芝生の上で転んで、膝を軽く打ちつけただけでも泣き叫んでいたような俊介が、

バイクで砂地を走り、しかもジャンプまで始めるとは、思ってもいなかったことだったの

である。

 

「俊介、バイクに乗るのは構わないんだが、ジャンプはなぁ、止めておいた方がいいんじゃ

ないか。着地を失敗して、怪我している連中が結構いるんだぞ」

「大丈夫。転び方もうまいもんだよ、練習してるから」

 父は、それ以上言わなかった。母の小言は、父がガードとなってくれていたのかもしれ

ない。

 だが高校に入学した時に、競技会に出ることを辞めた。母の小言も、父が言い訳をして

擁護してくれていることも鬱陶しく、気を遣うことが面倒でもあったからである。

 

 学校の文化祭の日早々に帰宅すると、お台場に向かってバイクを飛ばした。理由などない。

ただ行ってみたかっただけである。お台場のテレビ局の前の広場ってどんな感じなのか、

雰囲気を知りたかったのかもしれない。何もないはずのそこで開かれるフリースタイルモ

トクロスは見てみたかったが、塾のある日で行けないからだ。

――こんな所に、ジャンプ台と着地台を設置するのか。

 バイクを駐車場に入れて、人込みの中を歩き回った。

 

 レインボーブリッジを通過しての帰路、海の上を渡り来る潮風を受けながら、正面にそ

びえる高層ビル群を目指して走る爽快感。山の中での閉鎖空間とは逆の、解放感に酔い痴

れた。

 埼玉には、海はない。海を見る機会などめったにない。潮と排気ガスの混ざった臭いを

嗅ぎながら、海岸沿いの都道を南下した。

 

 休憩がてら、地図で現在地と帰路を確認するために、ハンバーガーショップに立ち寄った。

バイクの駐車エリアには既に数台のバイクが止まっており、その間にスペースを見つけて

止めた。

 ハンバーガーを食べ休憩を終えて外に出ると、バイクエリアには、四人の男たちが駄弁っ

ていた。俊介のバイクの両脇に置かれていたバイクそれぞれに、またがって座っている。

俊介が自分のバイクにキーを差し込んだ時、右側にいた男が声をかけてきた。

「それ、おまえのか?」

「はい」と、振り返ることなく答えた。

 左側の男が続ける。

「おい、ここ、見てみろよ」

 その男が指し示したところを見た。マフラーである。少し凹みが見られた。

「へこんでるだろう。ここに止めるまでは普通だったんだ。お前がそこに入ってくるまで

はな」

 俊介は、嫌な予感がした。早く立ち去りたかったが、バイクの後方にはふたりが立ちふ

さがっている。明らかに、言いがかりである。

「オレの愛するレイコちゃんに、傷がついたんだ。1万円で勘弁してやるよ」

「持っていません」

 猫なで声で話していた声が、突如として尖った。

「オウ、財布を出しな、確認してやるよ。そこまで、付き合ってくれ」

 

 仕事を終えた明良は、いつもコンビニで弁当を買って帰る。

 弁当が入った袋を提げて、ハンバーガーショップの前を通りがかった時、そこには数台

の大型バイクが止められていた。自然と目が行く。どんなバイクが、どこから来て街中を

走っているのかには、非常に興味が湧くことである。

 川崎ナンバーと品川ナンバーに挟まれている、大宮ナンバーは、その中では異質であった。

3か月前のことを思い出した。ライトが壊れて修理してくれた奴が乗っていたバイクに似

ている。

 

――苗字は忘れたが、名前は確か、俊介、と言った。家は埼玉だったよな。とすれば、大宮

ナンバーだったかもしれない。もしそうなら、この機会に礼をしておこう。

 

 店のドアを開けて、店内を見渡した。

 黒いバイクスーツに身を包んでヘルメットをテーブルに置き、ゲーム機らしきものに夢

中になりながら、ポテトの袋の上で手をさまよわせている者がひとりいるだけで、それら

しき人、形は他になかった。首をひねりながら立ち去りかけたが、民営の大きな駐車場に

なっている裏手をも覗いてみることにした。

 

 ピンクのデザインが入ったモトクロス用スーツを着込んだ男の胸倉をつかんで、黒っぽ

い服装をした男が腕を水平に引き、作った拳を今にも繰り出そうとしているかのような姿

が捉えられた。同じような出で立ちの者三人が、周囲を取り囲んでいる。

 明良は、作業着の上に羽織っているジャンパーのポケットをまさぐった。取り出した石

をギュッと握りしめた後、その男の腕を狙って、水平に振り抜いた。気に入った石を見つ

けると、お守り代わりにポケットに入れて持ち歩いているのだ。

 男は「イッ」と、肘を押さえ込んで振り向いた。そこにいた全員が明良を見た。

「なんだよぅ、テメェは」

「俊、無事か?・・・そいつのダチだ。その手を離せよ」

 モトクロス用スーツを身にまとった男が俊介だという確信はなかったが、難儀している

様子は見てとれた。ゆっくりと近づいて行くと、体格が良くて一番強そうな別の男が、

「お前は引っ込んでろよ、ナアッ」と言うが早いか、明良に向かって殴りこんできた。明

良はサッと身をかわしその腕をつかむと、背中側にひねり上げた。体躯が大きい明良には、

膂力がある。また柔道の技を体が覚えていたことに、内心では驚いていた。

「イッテェーッ」という悲鳴に、俊介を殴ろうとしていた男は明良を睨み据えて、「オイ、

行くぞッ」と顎を振って、駐車場を横切って出ていった。

 ひねり上げた手を放すと、取り残されていたふたりもポケットから手を抜き出し、共に

あわててそれに続いた。

 礼を言おうとした俊介を制して、「あいつらが出て行くまで、お前のバイクのそばにい

た方が、いいんじゃないのか」と言うがいなや、ふたりは駆け出した。

 

 週末の走りに、「邪魔にならないようにするから、一緒に走りたい」と、時々ではあるが、

俊介が加わるようになった。最高出力が他のメンバーのバイクよりも劣っている俊介のバ

イクだが、メンテナンスに詳しい俊介は、全員から歓迎された。

 スピードを競うつもりはない。走ることが好きな仲間が集い、お互いの存在を感じて走

ることが、愉快なのだ。

 暴走族のつもりはないが集団で走る姿は、見る者によっては忌み嫌われる。次々と竣工

していく、首都高を走ることもあるが、テリトリーとしては、よく知っている国道299

号線から53号線にかけての領域が多かった。

 

 

 俊介は、ライダーという趣味と勉学を両立させ、横浜市立大学医学部に入学することが

できた。大学近くの賃貸マンションを借り、ひとり住まいを始めたのである。

 東京湾の近くに位置し、バイクを乗り回すには、うってつけの場所でもあった。大学の

授業に興味を持てない代わりに、バイクにはますますのめり込んでいった。一応両親の希

望に沿ったのだから、という気持ちもあって、これからは好きなことに没頭していくつも

りである。

 医者になるつもりは、ない。

 

 

 関東連合傘下となっている龍神会とトラブったのは、首都高速都心環状線を周回するた

めに、芝浦パーキングエリアに仲間が集結しつつある時であった。

 走りのエリアは、多くのメンバーが都心に居を移してきたこともあって、首都高や湾岸

部に変わってきていた。

 

「おまえら、ここ走るのか?」

 自分たちの愛車を点検しながら言葉を交わし笑い合っていた時に、周囲を数台のバイク

が取り囲んで、その中のひとりが声を掛けてきたのである。

 明良たちは立ち上がって、警戒心をあらわにした。

「競争しないか? お前たちの代表ひとりと俺との一騎打ちだ。負けた方は、二度とこの

コースを使わない、という条件だ」

 明良が前に出た。

「やらないよ。ジコるようなことは、しない」

「あれっ、明良じゃねぇのか。それとォ、圭吾に春樹もいるじゃんか」

 ヘルメットのシールドを上げてバイクから降りてきたのは、龍神会の哲であった。

「こいつらさぁ昔、遊んでやったんだ。明良なんざ、反吐って涙流してやがんだもんな、

ぁ明良」

「そこ開けてくれよ。俺たちもう、行くんだ」

 明良は、仲間に頭を振って、準備を促した。だが哲は、動こうともしない。

「そうあわてんなって。久し振りに会ったんじゃねぇか。積もる話でもしようよ」

 哲は自分の仲間である龍神会のメンバーに向かって、下卑た笑いで示した。

「どっかの会に入ってんのか? おまえら」

「いや」明良は続けた。「族には属していない。誰にも縛られないグループだ」

「おれ達も自由なんだぜ、なぁ」

 哲はメンバーの同意を求めた。

「自由だよ」と各自うなずいている。

 

「どうだ、龍神会とは言わない。関東連合に、お前らまとめて加わらねぇか。楽しいこと

がいっぱいあるんだが、ねぇ」

「それで、どういったメリットがあるんだ?」

「メリット? 自由に好きな所を好きなように走り回れる。万が一パクられたとしてもだ

な、守ってもらえるんだ」

 明良にはピーンときた。要するに、暴力団との関係をほのめかせているのだ。

「考えておく。そこ、開けてくれ」

 

 哲は、断られたことを理解した。明良の胸倉をつかみあげると顔を近づけ、睨みつけて

きた。それが合図となった。龍神会の他のメンバーが近くにいる者につかみ掛かり、乱闘

となったのである。

 双方入り乱れて、ヘルメットが転がった。バイクに押し倒されて殴られる者、それを蹴

りあげられて、バイクの反対側に転げ落ちる者。

 凄まじい怒号と、バイクにぶつかりあるいはバイクとともに倒れる音が、パーキングエ

リアに反響した。

 明良の技と膂力、また意外にも小柄な俊介は、俊敏な足の動かし方で相手にダメージを

加えていった。

 しかし、俊介の動きは見切られると、振り上げた足をつかまれて引き倒されそうになった。

バイクのハンドルを咄嗟につかんだ俊介は片足のまま方向転換するとその軸足をも振り上

げて、片足を引き寄せた男の顎を蹴りあげたが、小柄な俊介の蹴る力は弱かった。顔をひ

ょいと後ろに倒した相手はその脚をもつかみ上げ、思いっきり引っ張ると、大きな音を立

ててバイク共々にひっくり返った。

 明良がその男の襟首をつかんで俊介から引き離すと、向き合った瞬間に拳を、その男の

顎から頬にかけて繰り出していた。

 

 誰かが叫んだ。

「パトカーだ!」

 その声で、誰もの動きが止まった。龍神会のメンバーは素早い動作でバイクに飛び乗ると、

本線に向かって走り去った。彼らはバイクに無線を装着し、連絡を取り合っていたのだ。

喧嘩の時には見張りを立てること、彼らにとっては常識である。

「今日は解散だ! つかまるな」

 仲間がパーキングを出たのを確認してから最後尾に続こうとしたが、明良はパトカーに

進路を塞がれてしまった。

 

 週明けの出社日の昼休み。

 最年長の先輩が自分の弁当を取って、明良の横に腰を下ろした。小さな炊事場の小さな

机で、交代で仕出し弁当を食べる。

「警察に捕まったってぇな、どんな悪さをしたんだ?」

「どうしてそんなことを? パトカーの警官から、ちょっと聞かれただけです」

 びっくりして、湯呑に茶を注いでいる先輩の横顔を見つめた。

 芝浦パーキングでは、パトカーから降り立った警官に免許証を見せただけである。喧嘩

のことを聞かれた。

 少し騒々しい奴らがいたが、俺は知らない、と答えた。それだけである。

 

 先輩は声をひそめて、食べ物を少しずつ口に運びながら、続けた。

「いるんだよ、なんでもチクってくる奴が。それに世間は、狭い。うちの得意先の社長、

上得意のほれ、ゴムパッキングを作ってる会社の社長だけどな。そこに、バイク狂いの息

子がいるんだな。その息子がお前の顔を知っていたらしい。お前ちょくちょく、納品に行

ってたろ。当の息子が、浜崎は傷害で警察に捕まったって、言いふらしてんのさ。社長、

電話して来てな、うちのボスが謝っていた。やっこさん大きな声で怒鳴るから、内容が筒

抜けだ」

 明良はうつむいて、白飯を口いっぱいに詰めた。

「耳をそばだてて聞いていたんだが、その息子、顔に痣を作っていて、お前に殴られた、

と言ったらしいわ。そうなんか?」

 黙って、口中の飯を噛み続け、さらに煮付けられた高野豆腐を口にほうり込んだ。

「最初に電話を受けたのが、ワシでな。えらい剣幕で、訳の分からんことを喚くんで参っ

たよ。明良、覚悟しとくんだな」

「覚悟って?」

 先輩は持っていた箸を首に近づけると、右に引いた。

 

 

 正源寺が明良の勤める会社を訪問した時には、明良はすでにそこを辞めていた。

「得意先から苦情を受けただけでぇ、明良をやめさせたってぇ、わけかい」

「浜崎君の方から、辞めます、と言ってきたんですよ」

「その理由ってぇのが、今の説明だけではぁ、どうも腑に落ちないんだよなぁ」

 額に汗する社長を睨み上げて、続けた。

「それで、行き先はぁ?」

「それがぁ・・・でも、どうして急に?」

 埒が明かない社長の最後の言葉を無視して、会社を出てきた。もしやと、アパートにま

だ残っていることを期待して、その部屋の前に立ったが、表札ははずされ、ガス栓には不

在票が掛けられていた。

――君子さん、すまない。

 

 ひとり暮らしを続けていた明良の母は、長年の苦労と十分な栄養を摂らなかった為に体

調を崩して入院したのである。明良と連絡が取れなくなり正源寺を頼ってきたのだが、所

在が不明とあってはどうしようもなく、心の中で詫びた。

「強、じゃねぇか。こんな所でぇ、立ちんぼか?」

 正源寺が休憩を終えて、署に戻る前に代々木公園の中をぶらついていると、虎尾強は誰

かを探しているかのような素振りで、当たりを窺っていた。近づく正源寺の姿は、目に入

っていなかったらしい。

 ということは、見知らぬ人物と何らかの持ち物か、あるいは服装の格好や色などで示し

合わせて待ちわびていたのだと、感づいた。

 

「ゥッス」とバツが悪そうに言う。

「おめぇ、薬を誰かにぃ、売り渡すつもりじゃぁねぇだろうな」と言いつつ、「そんなこ

とありまっせんっ」とうそぶく強の腕を抑えるようにして、ポケットをまさぐっていった。

 ズボンの後ろポケットに、それはあった。無造作に、小袋でむき出しのまま突っ込んで

いたのには呆れてしまった。

「ほれ」

 目の前に突きつけると、強は顎を突き出して認めた。

「これはぁ、没収だ。弟分にさせずにぃ、自ら立ってるってぇのは、どういう訳だい?」

「なかなか厳しいんですよ、暮らしが。うちの坊主も高校生なもんで、連れがなかなかに、

うるさいんすよ」

「まっとうな仕事にぃ、就くことだな」

 

 渋谷署の組織犯罪対策課に配属となって係長を務めている正源寺は、長年の付き合いで

もある家吉会の下部組織員の虎尾強をエス(情報提供者・spy)のひとりとして、少々

のことには便宜を図ってやっていた。上司も承知していることである。

「でなぁ、チャカ、十ほどあるとぉ、助かるんだわ。なんとかぁしてくれんかぁ、連絡待

っとるで」

 そう言いながら自分の上着のポケットから財布を取り出すと、「息子にだ」と、2枚抜

いて渡した。

 

 その頃、家吉会と稲山会、それと関西から進出してきた山田組との間では、小競り合い

が頻発して極度の緊張状態にあり、いつ戦争が勃発するか知れない、という情報が回って

きていた。抗争の原因はほとんどが金銭がらみであり、今回の場合は縄張り争いという、

やはり収入源に強く関わってくることである。

 

 ロシアや北朝鮮からの船で銃が持ち込まれている、という情報を得ていた。水際で食い

止めるために持ち物検査を厳しくしていても、積み荷の中に紛れ込ませて持ち込むのには、

お手上げ状態である。銃を分解して分散させて運搬してしまえば、検出できなくなってし

まうからだ。

 市民が巻き添えとなりやすい銃撃戦に至らせないために、どれぐらいの数量かも分から

ないのだが、出回っている銃器を早急に回収しなければならない。各管轄署を競わせるか

のような通達が、警視庁本部から回ってきている。

 

 銃を購入するための資金稼ぎを、組員自らにも課せられているのだろう。正源寺は、虎

尾強の言い分にはなかったそこまでを読み取ると、どの程度の銃が家吉会に入っているの

かを探らせ、その上で組事務所に踏み込むことになるという筋書きを練っていた。

 エスとして使っている連中は皆、ある意味で実直である。信頼で繋がっているのであって、

頼めば必死になって応えてくれる。

 虎尾強も、そういった類の人物であった。

 

 三つ巴のシマ戦争が始まったのは、平日の昼下がりのことだった。

 初めは、稲山会と家吉会が示し合わせて山田組の事務所を急襲したのである。事務所内

にある器物をこわし、東京から早く出て行ってしまうことを強要した。

「ここには、君らの居場所はないんだなぁ。さっさと出て行って、本拠地の大阪か神戸か

知らんが、そこで好き勝手にすればいいだろう? 我々の武器のことを警察にタレこんだ

のは、君たちだな?」

 銃口を向けて言う。

「何ぬかしけつかる。さっさと出てくんは、ワレの方やろうが。わしらなめとったら、承

知せえへんぞうっ。オイお前ら、こいつら、いてこましたれっ」

 椅子を蹴立てて立ち上がった組員のひとりが、すばやく天井のダクトから取り出してき

た二振りの日本刀を、組長に手渡した。

 

「ここにもサツの奴ら来よって、金庫に入れとった拳銃、全部持っていきよったわ。せっ

かく手に入れたっちゅうのに、大損こいたやんけ。タレこんだんは、おんどれらやろうが

ぁ! いてまえーっ」

 その言い分が真実であるらしいと悟った、稲山会と家吉会、それぞれの組員がお互いを

疑い始めののしり合うと、三つの組が入り混じっての大乱闘となった。

 

 怒号が飛び交っている、組事務所が入っているビルの周りには人垣が出来て、伸び上が

るようにして見ていた人々は、暴力団同士の争いだと知ると、そそくさとその場所を離れ

て行き、付近からは人影が消えていった。

 周辺のビルでは次々とシャッターが下ろされ、その中で息を潜めるようにして外の様子

を窺っている人々がいた。

 その中の誰かが通報したのであろう。パトカーが到着した時には、踏み場もない事務所

の中で、数人が壊れた器物の下で意識を失って倒れており、切られた部位を押さえて呻い

ている者もいた。そのそばでは組長が血刀を提げて、荒い呼吸をして立っていた。彼らは、

現行犯逮捕された。

 

 目撃者からの情報で、血のついた刀やナイフを持って走り去る人物がいたことを聞き出し、

非常警戒線が広範囲にわたって張られ、同時に外出禁止令を発動。パトカーが街中を走り

回って広報した。

 警視庁から派遣された機動隊員が、点々と続く血痕を追う刑事と行動を共にし、閉鎖さ

れた周辺を捜索するとともに、彼らの協力を得て、残る二つの組事務所も家宅捜査が行わ

れている。

 そんな中、正源寺も部下たちと共に血痕をたどっていた。ひとりでも多くの組員を挙げ、

出来ればこの機に一掃したいとも思っている。

 

 執念の思いで捜査する正源寺は、いつの間にか部下たちとは離れ、ひとりで、うっすら

としか分からない血らしき跡をたどっていた。

 こすったような血の跡が、小さなパブの扉に付いているのを見てとった。歩き疲れて少

しだけでも座る所はないかと求めていると、偶然目に入ったのである。渋谷区にある、あ

りふれたパブであった。

 まだ閉まっているかもしれないと思いつつも、引いた扉は、開いた。

 

 

 仄明るい店内には、はたして人がまばらに数人座っていた。彼らの視線が突き刺さって

くる。外見からはうかがい知れなかったが、広々とした店内である。テーブルの置かれて

いない所では、ダンスでも繰り広げるのだろうか。

 そこにはなんとなく、空気が張り詰めている感じがする。しかも、誰も言葉を発してこ

ない。店内をひと渡り見回した正源寺は、そこにいる人々に視線を走らせてから、警察手

帳を掲げて質問した。

 

「ここにぃ、怪我人が来なかったかい?」

 カウンターの内側で、グラスを磨いていた男が答えた。

「怪我人なんていませんよ。見てもらえば分かる通りです。なぁ、みんな」

 同意を求める、角ばった言い方に疑問が湧いたが、捜査令状はないので奥を見せてくれ

とは言えず、室内の状態を見回すだけだった。

 も一度、ひとりずつに視線を投げた。そして目を瞠った。

 

「あきらぁ・・・明良じゃねぇか!」

 そこにいた男たちの視線が、ひときわ体格の優れている男に向けられた。彼は組んでい

た足を戻すと視線をそらさずに黙ったまま、顔を少し前に突き出した。

「明良ぁ、久し振りだなぁ。ちょっとぉ、話さないか。外に、行こう」と頭を振ると、

「やっ、邪魔したな」と背中を向け、開けた扉を押さえて明良を促した。

 

 

 営業している喫茶店を見つけて、向かい合った。

 正源寺は、周辺の探索でくたくたになっており、喉もからからに乾いていた。どっかり

と椅子にもたれ込むと、大きく伸びをした。

「5年、になるかな、お前がぁ会社を辞めてからさぁ」

 明良はうつむいていた。

 グループのリーダーとして仲間をまとめ上げ、いくつもの暴走族をも引き付けている明

良だが、正源寺の前に出るとやはり、昔と変わらず萎縮してしまうようである。

 そんな明良をしばらく見つめてから、声を落として続けた。

 手持無沙汰な店員が、聞き耳を立てている。

 

「母ちゃん、待ってるぞぉ・・・お前がぁ、会社を辞めたぁ直後だったんだよ、お前にぃ

会いに行ったのはぁ。母ちゃん、入院した、とな、お前と連絡が取れない、とぉ、俺に連

絡してきたんだな」

 驚いた表情のまなこを見つめ返した。

「今はさぁ、家で養生しながらもぉ、細々と店を続けているよ。時々覗きにぃ、行っては

いる。お前もよぉ、顔を見せてやんな。俺が言いたかったのはぁ、それだけよ・・・さぁ

あてぇ、どうも徒労に終わったようだな、俺の追跡はぁ」

 残っていたコーヒーを飲み干すと、勘定書をつかんで立ち上がった。明良は、正源寺の

後ろ姿を目で追いかけた後、そのままひとりで考え込んだ。

 

 正源寺は、怪我人を匿っていることに気が付いているんだ、と確信した。怪我人とは、

日本刀で切りつけられた稲山会組員の、水元である。

 パブにいたのは俊介や春樹、圭吾達古くからのバイク仲間であり、そこで今では、ファ

イティングショーを主宰して賭け金等を集めると同時に、酒をも提供している。

 水元は、見ヶ〆料の請求に時々顔を出してきていたが、彼ら組員たちの嫌がらせには断

固として対抗し、自分たちの信義を押し通して屈服することはなかった、という関係にし

か過ぎない。

 それでも、重傷を負いながら頼りにしてきた者を、追いやることは出来なかったのである。

奥にある部屋で、俊介が自己流の外科処置を施した。正源寺が入ってきた時には処置が終

わり、このまま匿っておくか、それとも警察か組に通報するかを相談していた。

 正源寺の別れ際の言葉で、明良は決断を下した。

――厄介だが、自分で立ち上がって出て行くまで、好きにさせるか。

 

 正源寺に、明良の母君子から喜びの電話があったのは、その翌週明けのことだった。声

に活気が戻ったような、はしゃぐような物言いに、ほっと安心したものである。

 暴力団の抗争が勃発して、その遠因となったのは、銃器の取り締まりにエスを利用した

為ではないか、とこじつけたような事柄を問題視された。正源寺の、虎尾強を利用して事

務所を家宅捜査したことも取りざたされ、気分的に落ち込んでいた時でもあったから、君

子の喜びようは、自身を元気づけるものとなった。

 

 正源寺満政を転落させ、免職となるきっかけになった事件があったのは、シマ戦争で、

暴力団の取り締まりが強化されてまもなくのことである。

『もしもし、面白いネタを手に入れたんすがね』

 携帯電話は、虎尾強を表示していた。

「そうか、いつもの所で8時。でいいか?」

 おそらく敵対する組の情報に違いない、と期待して、約束の場所に出かけた。虎尾強は

すでに待っていた。

「やぁ」と片手を振り上げてそばまで行くと、音もなく背後に張り付いてきた者が、尖っ

た物を背中に押し当てる。同時に車が滑り込んできて、抵抗する間もなくその中に押し込

まれたのである。

 あっという間の、あざやかな連係だった。

 

 連れ込まれたのは古びたビルの、元倉庫らしい。4畳半程度の広さで何も置かれておらず、

窓がない。後ろ手に縛られ、注射をされて転がされた。

「くそっ。覚せい剤か!」

「ヘロインさ。1日お泊まりいただくだけで十分な代物ですから。ま、つかの間ですが、

快感に浸っていてください」

「刑事さん、3時間後に、また来ます。ごゆるりと」

 彼らは部屋から出て行くと、鍵を掛けた。振り返るようにしながら最後に出て行った、

虎尾強の眼差しが焼きついている。オドオドとして定まらず、それでも時々見せる、許し

を乞うような眼差し。

 

 ヘロインは麻薬の中でも最も短時間で、強度の依存性が現れる。皮膚が熱くなるような、

高揚した感覚に捕らわれるのは初めの1回だけで、高揚感を得るためにではなく、薬が切

れた時の強い不快感と関節痛、おう吐などの激しく襲ってくる苦痛を和らげるために薬を

打ち続けることとなり、それは内臓と精神をことごとく蝕み、やがては廃人となって死に

到らしめる、1度なりとも使ってはならない薬物なのだ。

 

 強い眠気に襲われていると、再び男たちが入ってきた。しばらく覗き込んでから再び注

射をした。朦朧とした中で強の姿を求めたが、見つからなかった。強は、二度と姿を現す

ことはなかった。

 夜明けとともにも一度注射を打たれた後、車に抱え入れられると、渋谷署の近くの通り

まで運ばれて打ち捨てられた。

 早朝出勤の人々や犬を散歩させている人たちは、よろけふらつきながら歩いていく正源

寺を避けるようにして、一瞥をくれただけで通り過ぎて行った。明け方まで飲んだくれて

いた酔っぱらい、とでも思われたのだろう。

 意識朦朧のまま、なんとか署の扉の前まで行くと、倒れ込んだ。

 

 

 眠気が去って気付くと、ベッドの上で縛りつけられていた。足には点滴のチューブが繋

がっている。

「苦しい、注射を」

 体をベッドから浮き上がらせるようにして叩きつけ、叫んでは悶えた。誰かが扉を勢い

良く開けて入ってきた。

「係長、我慢してください。いったい何があったんですか!」

「苦しい・・・頼む。1本でいいから、頼む」

 

 

 もともと意志強固な正源寺であったから、3か月で警察病院を退院できた。しかし、職

を解かれることからは免れ得なかった。事情聴取を受け、家吉会を家宅捜査したが、物証

できるものが何も見つからず、結局、違反薬物を注射したという証拠しかなくて、たとえ

無理やり打たれたのだとしても、そういう事態に陥ってしまったこと自体が、過失として

扱われてしまったのである。

 

 こういう事態に陥ってしまったのには、裏があった。無論正源寺は知る由もなく、将来

にわたっても知らないままなのであるが。

 ノンキャリアの正源寺は、自らの努力によって警部にまでなることができたのだが、そ

れによるものなのか部下たちの信頼が厚い。それを上司である、年下ではあるがキャリア

組の課長は、快く思っていなかった。課長が使っていたエスは家吉会幹部であり、傘下の

組長でもあることから幅を利かせて君臨している。その彼に、正源寺と虎尾強の関係を教

えた。

 

 銃の押収に遭ったのは強が原因だったと知った彼は、強の目の前にナイフを突き立て、

落ち着いた冷ややかな声で告げた。

「これで指を詰めろ。1本じゃない、4本だ。昔なら、土左衛門になってるところだ」

 強は震えあがった。その場を逃れようとして出口に向かって走った。すぐに両脇を押さ

えられて、ナイフの前に立たされた。それを、体を震わせて眺めおろした。

「助けてやらんでもない。ただし、条件がある」

 救いの言葉に強は唇をかみしめて、口端を上げている彼を見つめた。彼は片眉をあげて

背中を見せると、こともなげに言い放った。

「正源寺というデカを、引退させろ」

 

 

 退院の朝、同僚に署まで伴われ、上司からは改めて懲戒解雇を言い渡された。

 持ち物を整理していると、課長のいない間に、元部下たちが別れを惜しんでから外周り

に向かう。没収されていた携帯電話を返却してもらって、署を出てから確認した。

 あの事件のあった後、君子さんからの着信記録が連なっている。君子さんは事件のことは、

知らないはずだ。音信不通となっては心配だったろうと思いつつ、それだけを確認して近

くを流れる川に投げ入れた。

 ズボンのポケットに片手を突っ込むと、風呂敷包みを提げて住まいに向かった。

 

「じいさん、頼みがあるんだが」

 陽気な日差しの中、芝の上に段ボールを敷き新聞紙を上掛けにしてごろ寝をしていた。

声の主を確かめるために上体をひねると、視線がその男の顔に釘付けとなった。

――浜崎! いや、彼はとっくに死んでいる。いよいよワシを、迎えに来たのか。

 

 元の姿勢に戻って、目を閉じ黙っていた。すると、再び声が降ってきた。

「じいさん、力を貸してくれないか」

――もしかして、明良なのか? だとすれば、こんな姿を晒すわけにゃいかねぇ。

 

 男はすぐそばに寄って来てしゃがむと、囁くようにして言った。

「パスポートが欲しい、ふたり分。東南アジア人がいい。じいさんに頼めば手に入ると、

聞いたんだ」

「悪事でもぉ、働いているのか?」

 男の捨て置けない言葉に堪らずつい、背中を見せたまま尋ねた。

「悪事、かぁ。そう言えなくも、ないな。人助けのつもりだけど」

「明良よぅ」

と上体を起こして見せた、もじゃもじゃの白髪頭で、日に焼けしわの深くなっている顔を

見て、明良はのけぞって眼をみはった。

「先、せぃ?」

「ふんっ、よせやい、もうじじぃだ」

「いったい・・・」

 

 

 明良が温かい汁粉を買ってくると、近くのベンチに並んで腰かけた。

 正源寺は、詳しくは語らない。

「仕事ぉ、しくじってなぁ。恥ずかしくってぇ、言えやぁせんわな」

と言っただけである。

「それでぇ、おめぇは?」

 多重債務者の借金をまとめて肩代わりをし、仕事を斡旋していることを言った。

「その原資はぁ、どうしたんだぁ?」

 明良は正源寺を前にすると、なぜなのか、嘘やごまかしがつけなくなってしまう。昔は

黙りこくっていたのだが。

 

「前にパブで会いましたよね。あの頃、暴走族の連中を集めて、賭けごとをしていたんで

す。聞き付けた奴らが、あの店に入りきらないほど集まって。酒も売ってました」

「そうか」

 その目は、遠くを見つめていた。

「暴力団の抗争があってぇ、関係者を追ってぇ、いたんだったかな」

「あの時、ひとり、匿っていました」

「分かってたよ。でぇ、なぜパスポートがぁ」

 明良は言っていいだろうかと考えた末に、迷惑を掛けることになるかもしれないからと、

決心をした。

「友達を、ベトナムに逃がすためです」

 正源寺は、それ以上は突っ込まなかった。

「いい友達なのか?」

「はい」

 

 どれほどの時間が経っただろうか。お汁粉を飲み干し、その缶を両掌に包みこんでうつ

むいていた。

「君子さん・・・母さんはぁ、元気になったか?」

「母は死にました。去年」

「そうか」

 正源寺はうつむいたままで、黙り込んだ。

「奥さんは?」

「そんなの、いねぇ」

 ぶっきらぼうに言う。

「結婚されなかったのですか?」

「・・・フッ、ワシはなぁ、君子さんがぁ、好きだったんだ。お前の親父とさぁ、張りあ

って負けたんだな、ハッ。ふたり一緒に、君子さんを町で見染めてさぁ、声を掛けた。そ

れよりぃ、明良はぁ、どうなんだよぅ」

「いません・・・さあっ」

 勢いよく立ち上がった明良に言った。

「明日の夜ぅ、来るんだな。あそこのビニールシートの下にぃ、いるからよ。用意しとい

てやるよ」

 公園の一角を指差した。

 

     ★   ★   ★

 

 今明良は、俊介、守と、青梅の家の屋根裏部屋の布団の中にいて、過ぎし日のことを思

い出していた。太田健一一家に貸している家の、一室である。

 明良は、愛車K1600GTの後ろに守を乗せて、時々帰ってくる。

 俊介の妹の亜樹は医者として研修中であり、将来は医院を継ぐことを両親は期待している。

自分の家にはもう、ほとんど帰ることがない。明良、守と行動をともにすることが多く、

太田家の招待を心待ちにして、一緒にバイクを走らせて来るのだ。

 

 明良は、男の集団の中ばかりにいたので女は苦手だが、太田の家族を見ていると、家庭

を持つってのもいいかもしれない、と思わないでもない。しかしそれは、もっと先のこと

だな、とも思う。

 

――いや、やっぱり、女は面倒くさい。

 

 面倒なことはその元を作らないようにしてきた明良の、いつもたどる、結論である。

 

 

    

                 お  わ  り


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