No.506541

【改訂版】 真・恋姫無双 霞√ 俺の智=ウチの矛 六章:話の一

甘露さん

・視点が変わるよ!
・雰囲気も変わるよ!
・月様やべぇ!

プロットだと20文字で表現している内容に12000文字費やしちゃった…

続きを表示

2012-11-10 19:23:18 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:2890   閲覧ユーザー数:2452

**

 

 

冬。四方見渡す限りひたすらの雪。距離感さえ狂ってしまいそうな程に統一された色彩の中、珍しい銀の体毛を揺らした狐だけが我物顔で処女雪の中を闊歩する。

そんな春の訪れが待ち遠しくなる光景の中にポツンと浮かぶとある都市の。

義妹である程昱仲徳、真名を風という、彼女の心労と不機嫌を宥めた日より一週間ほど経った涼州、金城のとある一室において。

一人の青年が高級品である白に程近い紙面に向かい頭を悩ませていた。

高順北郷。真名は一刀。涼州の若き参謀(予定)にしてお客様おもてなし隊(蔑称)の責任者でもある少年だ。

 

「うむむ……どうしたものか……」

「っはよーございまーすっ! って一刀様、朝早ぅからなんぞ悩んどるんけぇ?」

「おはよう、玖咲。いやあ実はな、仲頴様の個人的なお客人がいらっしゃるそうで、その人の持て成しの計画を任されたんだが……」

 

扉を壊さんばかりに勢いよく入室したのは劉徽。真名は玖咲。

一刀の直臣でありこの時代では理解さえ及ばぬ程、時代を先行した算術を編み出す天才少女である。

一刀の唸るような訴えに玖咲は横からすっ、と手に持った紙を覗きこむ。

表と数字がいくつか書いてある簡単なもので、玖咲はそれを一目覗いた瞬間一刀の悩みの種を見つけ出した。

 

「最初の夕餉、ちょっと予算足りんとちゃうんけ、あんちゃん、っじゃなくて一刀様」

「そろそろ誰か来るかもしれないから真名は止めて置こう。と、そうなんだよなあ……どうしたものか」

「余所から引っ張って来るっちゅうことできんのけぇ?」

 

こてん、と首を傾げる姿は幼女そのものだが、生憎と仕事に忙しい一刀はそんな姿を眺め愛しむ余裕も無い。

分かってはいるが無反応だったことに少し気を悪くした玖咲は一刀の肩にぶら下がり宙に浮いた足をぱたぱたさせた。

 

「あー、俺もそれは最初に考えたんだがな。仲頴様はこのお客人に極々個人的な御恩があるらしくて今回お招きしたそうでな、公的予算から回すのは許さんってお達しを頂いちゃった訳よ」

「ちゅーことは、これ詰まり董卓様の私財でやっとるんけぇ! 義理堅いんじゃのう……」

「何やら過去の貸し借りは清算してしまっておきたいらしくて……おっと、これは他の人には秘密な」

「合点じゃ」

「にしても……どうしたものかなあ。牛を潰すには予算が微妙だし、かといって他のモノで誤魔化す訳にもいくまいし……」

「そうじゃのけんのう……」

 

むむむと悩む玖咲。可愛らしい眉をハの字に歪めこめかみを押さえる姿は中々に愛らしい。

しかし一刀には、椅子の裏にすっぽりと隠れてしまう程度の大きさしか無い玖咲の姿が見えることはなかった。

 

「…………、むむむ……っ!」

「どうした?」

「良案が、昇って……来たんじゃあっ! 董卓様の私財に牛はあるけぇ?」

「無論だ。しかし畑の牛で食べることには問題がありそうな立派な番の牛だが」

「なら牝牛の方を潰してお客様にお出しすればええんじゃて!」

 

薄い、否、無い胸を張って言いきる玖咲にぽかんとする一刀。

余りにも常道を逸し逆に失礼ではないか? そんな感想しか一刀には浮かばなかったのだが。

キラキラと自信満々に、それでいて『えらいでしょ、ほめて!』とすり寄る小型犬を彷彿とさせる笑顔の前にその想いをそのまま伝えることは流石の彼にも憚られた。

 

「……えっと、仮にも州牧を務める御方がそれでは、自らの困窮を知らしめる様では無いか? 仲頴様の名を貶め、恥をかかせることにもなりかねないと俺は思うが……」

「じゃけんわっちが思うに、董卓様の御客人は個人的で恩のある御方なんじゃろ? ならばじゃ、州牧の名を持つ御方が潰す事無く持ち続けた家財さえ擲ってでも持て成すってのも有りだとは、あん

 

ちゃん思わんけえ?」

「……まあ。確かに一理あるが……いやしかし、だ。逆にその程度の牛を食わせてやる程度の価値しか無いと暗に言っているとも取られかねない上に、仲頴様の客人も満足に持て成せないと見られか

 

ねない部分を衆目に晒すのは……」

 

「劉徽さん。素晴らしい発案です。北郷さんも有難うございます、私の外聞を心配してくれて。でも大丈夫です、今度のお客人は極々個人的なお方。斯様な心配は無用です」

 

恥をかく事を極端に嫌う民族性、それを考慮して言い淀む一刀の、その死角から不意に鈴の音の様な声がころころと響いた。

ぎょっとして慌て振り返り即座に拝礼の姿勢を取る一刀。一寸遅れて状況が理解できないままに拝礼をする玖咲。

 

超俗的なまでに整い、逆に生気を感じさせない程の容貌。

小柄な体躯に秘められた人間離れした剛力と隠そうともしない魔王故の覇気。

彼らの君主。董卓仲頴その人がいつの間にやら、悠然と佇み楽しそうに二人の話し合いを聞いていた。

 

「これは、仲頴様。一体どのような御用件で?」

「お、おおお、おっはよう御座いましゅ」

「くすくす。緊張しなくても良いのですよ劉徽さん。此度のお客様は私の父が当主だった頃からいままで羌との中継役をしていた方で、私とも個人的に深い縁があるのです。約束と言うのも元服前に

 

した小さなものに基づいていますし、あの人が裏切るのならもうとっくに裏切り、その先でも厚遇される程の公私様々なネタを握っていらっしゃいますよ」

「では、劉徽の案を採用する方向で宜しいのでしょうか?」

「ええ、是非そうしてください。お客人は目に見える形での誠意を向けられた方が喜ぶ気質の子ですし。尤も、他のお客人でそれをやる勇気は私気な有りませんけどね。貧乏ならば兎も角、州牧がす

 

るにはやはり聊か不格好ですから」

 

苦笑いする一刀に月が悪戯の成功した子供の様な笑顔を向ける。

美少女故の女と少女を兼ね備えたエロティックに無邪気な笑顔が同居するその表情は、男の脳裏に残りぞわりと何かの感情の上を這いずりまわる類の、魔性のソレだ。

 

「あまり玖咲をいじめないで下さい、仲頴様。それにお言葉ではありますが、その様な類の事は先に言っておいて頂けるとありがたいのですが」

「北郷さんの考えを見たかったのですよ。この立案からも窺えるように、宛がわれた予算を出来る限り均等に且つ恥をかかない程度に安定して持て成せる水準を維持しようとしています。最後には一

 

銭も余分を出さない所など如何にも北郷さんらしい。それに、これを貴方に任せてしまったと言う事は私の恥も全て貴方次第という事ですからね」

 

そう言うとぴんと細い指で計画の書かれた紙を弾く。

内容に不足を感じている等と言った様相では無く、寧ろ一刀らしささえ感じる立案に満足感さえ抱いていた。

 

「唯の貧乏性と言う奴です。お陰で夕食で計画に綻びが生まれてしまいましたが。ついでに言わせていただくと、残念ながら私はまだ命が惜しいので。尤も、仲頴様に仇為す所以も御座いません」

 

軽口さえ叩き合う、臣下と君主を超えた異様な光景に玖咲一人が取り残され困惑をその童顔に浮かべた。

一刀のその立ち振る舞いは機嫌次第で首の一つ二つ飛ぶような、そんな関係性の上に成り立つ封建制度に真っ正面から喧嘩と命を安売りしている様なものだからである。

と、見かねたのか月は一刀から玖咲へ視線を移すと、ふわりと、しかし残虐さを垣間見せる様な、そんな笑顔を向けた。

 

「劉徽さん、この様子は他言無用ですよ?」

「は、はひっ」

「“一刀さん”は私の中で詠ちゃんの様な者なの。一刀さんの真名を知ってる貴方だけには教えてあげる」

「そ、そうなんじゃけえ?」

「不肖の身ながら、月様に御信頼を賜ったことは確かだ。しかし、まあなんだ」

 

言い淀む一刀に、くすと笑いながら言葉の先を拾う月。

 

「誰とも契りを結ばぬこの身、男の人の真名を気軽に呼ぶのは波風立ちそうですものね」

「はぇぇ、なるほどの……」

 

纏う雰囲気が変質した月に引っ張られ、つい口調まで戻ってしまう玖咲に二人は苦笑した。

まだ元服もしていない、そんな様子が良く感じられてしまい可愛らしいのだろう。二人の笑顔の原因に気付いた玖咲が俯き頬を染めて居たのは御愛嬌だ。

 

「とまあ、計画も立った事ですし、私は各方面への準備に回らせていただきます、仲頴様」

「もう少し真名で呼んでもいいのですよ?」

「部下二人がそろそろやってきますからね、玖咲は兎も角、他に態々真名を賜ったことを自慢して歩こうとは余り思いませんので」

「そうですか。では、北郷さん。宜しくお願いしますね」

「御意」

「劉徽さんも、北郷さんのことを好く支えてあげてくださいね」

「ぎょ、御意ッ」

「では。三日後のそれ、楽しみにしていますよ」

 

ふわりと爽やかな残り香のみを残し月は部屋から退出した。

背中が扉に隠れると即座に一刀は計画の紙を広げ机に着く。余韻に呑まれたままの玖咲は一寸遅れそれに続いた。

 

「……相変わらず、おっかない人じゃけえ」

 

やっと心地が戻ったのか、深々と椅子にもたれながら、大きなため息を一つ吐いた。

冷や汗さえ浮かんでいる額に一刀も何とも言えない曖昧な笑顔を向ける。

 

「だからこその仲頴様だ。同時に頼もしさの様な物も感じるだろう?」

「そりゃあ、あれじゃけん。でっかい木の下に居るとなんだか守られている様な気がするのと一緒な理屈じゃあ。というかあんちゃん、なんで平気なんじゃ」

「平気なものか……。己の小ささと圧倒的な器と仲頴様の天性の覇気に晒される度生きた心地がしないよ。ほれ、こことか」

 

そう言い進賢冠(文官の制帽のこと)を外すと前髪をまくって見せる一刀。

額には冷や汗がつつと伝い落ち、冠の縁も汗の染みが見られる程だ。

 

「……あんちゃんも大変なんじゃなあ」

「尤も、仲頴様は絶対気付いてるだろうけどなあ。俺の強がりやせ我慢を見て内心面白がっているとかもあり得る」

「わっちも、董卓様には隠し事が出来る気が全くしんのじゃ」

 

冠を直し、そして二人揃って小さくため息を吐く。

主が大人物過ぎると言うのも大変なことが多々ある、寧ろ大人物が故に感じるものがたくさんあるのだ。

しかしその苦労も感情も、一刀にとってが興味深く、そして好ましい物であった。

大人物、歴史の一遍に名を綴られる様な英傑に頼られ、それを間近で感じる。これほどに、生を受けそれを消費することの意義と感じられることが他にあるだろうか。

そう思うと、寧ろ感じる程に淀みの無い忠誠が沸きたつのを感じそんな己に苦笑交じりの呆れ顔を浮かべるのであった。

 

「おはようございます」

「おはようございますっ! おはよー、劉徽ちゃん!」

「阿多お姉ちゃん、おはよーじゃ」

 

やがて堅物男と元気娘の幼馴染同士が執務室へとやって来る。

一刀の日常は今日もこうして始まった。

 

**

 

 

しんと静まりかえった城内の某一室。その場に集うのは、月、買駆文和、一刀と月付きの侍女が一名。

そして、表情に歓喜の色を濃く浮かべながら真摯に月を見つめる美少女が一人だった。

 

「今日はお招き有難うございます。お久しぶりです、仲頴様」

「良く来てくれました、仲霄。約束通りの持て成しですが……かえって不満だったでしょうか?」

 

一刀が月より申しつけられ三日。張氏を存分に利用しつつ準備を進めた一刀は今のところ一辺の誤りも見られない程度には完璧に準備をこなしていた。

手際の良さと商人使いの手慣れ具合に上司である買駆文和から弄られつつも月からは感謝の言葉まで伝えられる程である。

 

そうして、遂に月の個人的な客人を迎えるにいたったのである。

その人物は北の街道を雪の中僅か数騎で突破し、荒々しい気性の巨馬を手足の様に乗りこなし、見上げるような巨漢の異民族を率い現れた……どう見繕っても十五に見えるか見えないか、程度の少女

 

であった。

 

「とんでもありませんわ。仲頴様、あの様な細かな約束事であったのにその事を覚えていて下さった、それだけでも私は天にも昇る心地です」

「忘れる筈がありません。妹との契を忘れるほど、私は家族に薄情ではありませんよ、小海」

 

優しく微笑む月の先、巨漢と巨馬を引き連れ現れた美少女は、董卓仲頴の妹、董旻仲霄その人であったのだ。

整った容姿は月と同等に完成された黄金比の造形であり、違いと言えば目鼻立ちがよりはっきりとし、少々勝ち気に瞳がつり上がっていることが見て取れた。

何処か挑戦的でありながらも豪族の令嬢たる作法はその身にしみ込んでおり、洗練された挙動がより一層少女の覇気ある言動を際立たせる。

そんな彼女は月の言葉と真名を親愛を込め呼ばれたことに嬉しそうに目を細めながら、しかし、少し座り悪そうにもぞと動いた。

 

「まあ、有難うございます、月お姉様! ……ところで、真名でお呼びしてもよろしかったので? 文和は兎も角、こちらの見慣れぬ殿方もいらっしゃる中で……」

「ああ。そうでした、この者を紹介しますね。北郷」

 

小海には古くから月に付き従う文和はともかくとして、見知らぬ男の前で真名を呼ばれる事に抵抗があった様だ。

そして彼女の姉が再会を喜ぶ場の環境を整える程度の気遣いさえできない人物ではないと言う事は重々承知しているが故に、見知らぬ男性をこの場に置くと言う行為の意味が掴めなかった。

短く字を呼ばれた一刀は一歩前へと出ると、小海の方へ身体を向け膝を付き拝礼の姿勢を取る。

 

「はっ。御紹介に預ります、私、高順北郷と申します。従事次官、兵部参謀本部長兼戸部外務部部長部を務めさせて頂いております」

「……ああ、貴方が。お姉様の報告にあった変わり者ですか」

「変わり者、ですか?」

 

思わず相手を見つめ訊ねてしまう一刀。

その様子がおかしかったのか、小さく微笑みながら指折り手紙などに書かれていたであろう内容を声に出した。

 

「ええ。お姉様の元へ傅き、怪しさ満点の過去と持ち物を持って現れたのに何故か忠節溢る新設部門の頭も務める能力を伴った文和付きの文官、でしょう。変わっていますよね?」

「……ぐうの音も出ませぬ」

 

苦笑する訳にもいかず、何とも言えぬ苦い表情で同意を口にする一刀。

それがやはり面白かったのかくすくすと月とそっくりに笑いながら居ると、ふと月が小海に声をかけた。

 

「小海、一刀さんをいぢめてはいけませんよ」

「お姉様、それはこの者も真名で?」

「ええ。私の真名も預けました、ですよね、一刀さん」

「はい。以前に真名を賜っております」

 

やはり真名はデリケートな問題なのである。

己の真名を初対面に聞かれると言う事でさえ違和感を感じる程であったのだ。敬愛する姉の真名を己の知らぬ男が呼ぶ。その事実に小海の心にもやもやとしたものが広がった。

 

「……まさかと思いますが、御結婚なさるおつもりですか?」

「それこそまさかです。まあ、いうなれば一刀さんの変わり者の所以故に、と言ったところでしょうか。付け加えるのならば、一刀さんは既に正妻を娶っていますしね」

 

楽しげな色を消しさり、眉を顰めそう月へと小海は訊ねる。

それに、即座に月は笑って返すと当人は無自覚のまま嫉妬しへそを曲げた妹を優しく宥めた。

その言葉をゆっくり咀嚼し、月、続いて一刀と見回すと嘘が無いと確信したのか、小海は若干の苦々しさを含みながらも渋々言葉を口にした。

 

「……良く分かりませんが、お姉様が納得していらっしゃるのならば構いません。私の立ち入れる領域でもありませんし」

「ではこの話はこれで終わりにしましょう。さ、小海。夕餉の支度が整っています。こちらで一緒に食べましょう」

「文和と北郷も同席するのですか?」

 

夕餉の言葉に嬉しそうに反応したが、故に追従する姿勢を見せた文和と一刀に対し怪訝そうな表情を向けた。

姉との再会を邪魔されたくない、そんな子供染みた情がふつふつと小海の中でこみ上がったのだ。

 

「ええ。少しすべきことと、貴方へのお話もあります」

「……分かりました。ですがお姉様、今夜、晩酌位は二人で飲みませんこと?」

「ふふっ。そうですね、では、夕餉の後そうしましょう」

「はいっ!」

 

その提案に、尻尾があればぶんぶんとちぎれんばかりに振っているであろう、忠犬の如く様相を月は優しく見つめた。

後ろでそれらを見守っていた文和が小さく、『あの方は昔っからお姉ちゃん大好きっ娘なのよ……』と小さく一刀へ呟いた。

似た者同士は上手くいかない、同族嫌悪の典型だ。そんな言葉が一刀の脳裏にチラついたが、後の怖さを想像すると一つ小さく身震いし曖昧な苦笑いを浮かべるだけに彼はとどめた。

 

**

 

 

「まあ、牛のお肉! お姉様……っ、有難うございますっ! でも……、これ、高価だったのではないのですか?」

 

招かれた広間に入るや否や、小海は目を丸くし歓声を上げた。しかしそれも一瞬の事で直ぐに顔色を悪くさせると気遣わしげに月の顔を覗き込んだ。

牛は一頭育てるのにもバカにならない金が掛る。そして比例するようにその価格も高くなるのだ。

ましてや今は冬。節制を余儀なくされ、蓄えで春までを耐え忍ぶ季節に斯様なぜいたくな嗜好品を買うとなれば為政者と言えど気軽に出せる様な値段では済まない。

故に小海は表情を悪くした。敬愛する姉が約束を果たし持て成してくれるのは当然嬉しいことだが、それで姉の名や財を苦しめる様なことがあっては本末転倒もいい所に過ぎる。

 

しかし、月はその様な妹の心配もどこ吹く風と言わんばかりに、ふわりとした笑顔を小海に向けた。

 

「気にすることは有りませんよ。貴女へ宛てた持て成しなのですから、遠慮も心配も不要です」

「しかし……」

 

それでもなお、言い淀む小海に、月は一寸鋭い視線を向けた。

 

「小海」

「は、はいっ」

「姉であり、州を預かる私が貴女をもてなす、と言っているのですよ。座って下さい。杯を取り、酒を持ち、宴を始めましょう」

 

それでもなお、僅かばかりの戸惑いを見せる小海だったが、追随していた一刀と文和が各々の座の場所まで移動する様子を見て、小海はようやっと座った。

そして、未だ緊張を見せる小海へと、続いて座った月が微笑みながら声をかける。

 

「そう堅くならず。貴女は楽しめばいいのです」

「……分かりました。お気持ちとお心遣い、嬉しく頂戴させていただきますわ!」

 

先程よりはまし、といった程度ではあるが、緊張の抜け落ちるのを確認すると、月は満足そうに微笑む。

それを合図に、一刀と文和もやっと己の座へと座った。侍女が音も無く爵(酒を入れておく器のこと)を持ち現れ、滑らかな乳白色の老酒をなみなみと四人の夜光杯へそそぐ。

 

「では……。我が妹小海の帰還と、無事の盟約の履行を祝い、乾杯」

 

月が、艶めかしく指を絡めた杯を掲げた。三者がそれに続いて各々杯を掲げる。

焼ける様な酒気が口から喉、腹の底へと駆け抜け、全身を何とも言えない酒特有の幸福感が廻ったのを一刀は感じた。

等と肯定的な感想を抱いたのは一刀と月だけであり、加えるならば平気な顔をし飲み干したのは月のみで、各自強烈な酒気に様々な反応を見せていた。

 

「強いですよね、このお酒。ふふっ、北郷さんまでそんなに驚いた表情をさせちゃうなんて、この子、中々やるみたいですね」

「仲頴様……ボクにもちょっと強いよこれ……」

「お姉様は平気ですのね……」

 

文和と小海に至っては酒に呑まれた様な呆けた様相であった。

それらを見ると月はまたもやくすくすと楽しげな声を漏らす。

 

「あら、口に合居ませんでしたか?」

「いえ、決してそんなことは」

「酒気が強いだけで、お酒自体はすっごく美味しいと思ったわよ、ボクは」

「……私には、ちょっと……。お姉様、申し訳ないのですが、馬乳酒とかはありませんか?」

 

申し訳なさそうな小海だが、それはある意味で致し方の無い事であった。

羌の地で好まれる馬乳酒とは文字通り乳を発酵させたもので在り、有り体に言えばヨーグルトなどに近いものである。

つまりはこれでもかと言う程に酒気が薄い飲料なのだ。そしてそれに慣れた小海の舌と身体が驚くのも無理はないことであった。

 

「あ、そうでした。羌には強いお酒がありませんからね。小海、ごめんなさい、すっかりその事を失念していました」

「っ、ふう。いえ、お姉様が謝ることではありませんわ! ちょっと吃驚してしまいましたが、身体はもう大丈夫そうですし」

「なら良かったです。……では、食事を始めましょうか」

 

滑る様に音を立てず小海の器に馬乳酒が入れられると、それを合図に月は食事を始めた。

侍女が大きな肉塊へ刃を立てると、じわりと肉汁が滲み表面を伝い落ちる。

皿に取り分けられ配られたそれは食欲をそそる芳香を放ち、そして最初に月が箸を肉へと伸ばした。

 

「……まあ、柔らかい」

「油は余りのってませんが、逆にそれがこの、かんきつ系の風味と良く合っていますね」

「あ、このさっぱりは柑橘の味なのね。なによ北郷、あんた料理も齧ってんの?」

「いえ、そんな事は。昔取った杵柄と言いますか、下手の横好きと言いますか」

「料理が出来ると言うのは中々に立派なことですよ、北郷さん。ねえ、小海」

「はい、そうですねお姉様。羌の地では皆が移動式の住居で、しかも家族単位の行動が基本でしたので料理も暮らす中で必要になりましたわ」

「行軍中とか、そういうときにも贅沢ができないときは適当に何かつくる場合も無い訳じゃないしね」

 

舌鼓を打ちながら言葉を交わし合うと、自然と刺々しさが和らぐ。

それを見計らってか、小海が会話の切れ目に彼女の質問を皆へと投げかけた。

 

「ところで……お姉様。北郷殿や文和を連れてきたからには、何か私へ話があるのではないですか?」

「ええ。そうでした」

 

上品な動作で月は箸を置くと、小海の正面を見据える様に向き直り肉脂を布で拭う。

薄桃色の口紅が上品に染められた黒の布に跡を残した。

それだけで、月の動作は妖艶さを放つ程に女性らしく美しく、場の空気を瞬時に己の元へと引き戻した。

 

「これは貴女を呼び寄せた理由でもあるのですが、小海」

「はい」

 

鈴の音の様な、透明な声色が空間を支配し耳へとたどり着く。

一語一句聞き逃さぬよう、小海は真っ直ぐに姉の瞳を見つめ小さく相槌を打つ。

 

「私は、貴女を洛陽へ推挙しようと思っています」

「……理由を、窺っても?」

「表向きは将来の官僚育成に向けた若い人材へと施す格付けに伴う将官の募集ですが、実際のところは、このところ軍閥化が顕著な地方豪族へのけん制と人質を求める動きと言ったところでしょう」

「選ばれた理由は肉親が私しかいないから、と言う事なのですか?」

 

小海は小さな失望を感じていた。

姉からの召喚という行為に、何か大きなことを任せられるのではないか、という想像を抱いていたのだ。

過去の約束通りに己を持て成してくれた、羌の地から態々呼び寄せた。ならばもしかすれば……、と想い姉への忠を果たすべくそれを忠実に行おうと考えていたのだ。

しかし、その先にあったのは碌でもない名誉職程度にしか道の開かれていない人質になりに都へと出向けという命令。

それ故に彼女は小さく失望し、しかし血縁者としての義務を果たそうと私を殺し頷こうと考えた。

 

「お父様、お母様は論外。勿論、私には今のところも、そしてこれからも子どもをつくる予定は有りませんから」

「分かりました。御命令とあらば私董旻」

「いえ、それではいけません」

 

しかし月は、小海の肯定に首を横へ振った。

何故? 不満を抱いたことがいけなかったのか? 途端に小海の中でどうしようもない不安の念が渦巻き始める。

 

「な、何故」

「私は貴女に、自らの意思で出向いて欲しいのです。それに」

 

そんな、表情に露骨に露わになっている内心など構う事無く、月は尚更笑みを深め優しく、絡め取る様に語りかける。

 

「まだ、理由は一つなんて、言ってはいませんよ?」

 

 

一刀と文和は気付き何とも言えない表情を浮かべた。

我が主は、とても残酷に美しく妹さえ誑かすのだなあ、と。

 

**

 

 

「……どういう事なのですか?」

「まだ、説明してない理由があるのです」

 

言外に慌てるなと諭しつつ、月は小海へと微笑みかける。

 

「董旻仲霄。私は、貴女を無二の妹として、そして羌族の元功績を上げた優秀な官僚として、絶対的に信用しています」

「あ、ありがとうございます」

 

不意に月が小海を褒めた。

それは彼女もひそかに自負することばかりであり、しかし、面と向かい敬愛する姉に言われる事で照れ臭そうにはにかみながら頭を下げた。

 

「だからこそ、貴方に頼みたい事があるのです」

 

場の主導権を握る月が声色を変えた。

それはつまり雰囲気の一変を意味し、同時に小海の中で膨らんでした嬉しさも瞬く間にしぼみ消え去る。

残ったのは、唯ひたすらに服従したくなる様な絶対的な月の存在感だけであった。

 

「私はいずれ、都へと至ります」

 

優しい為政者は既にいない。

その言葉を放つ月は最早魔王。

 

「貴女には、その際の第一の功労者に、私の都入りの手伝いをして欲しいのです」

 

初めて見た姉の王者たる才に、小海は言葉を途切れ途切れ返すので精一杯だった。

 

「そ、それは、つまり……」

「門を塞ぐものを切り捨て門を開け放ち、執政を阻害する愚者を取り除き政を素早く掌握し、武力を誇る邪魔者を葬り去り絶対的な兵力を保持する」

 

淡々と告げられる魔王の願い。

呑まれたが故に、小海にはその願いがまるで鉄塊のように重く双肩にのしかかる錯覚を覚えた。

 

「私の手足と成り、都で蔓延る障害取り除く」

 

本当に、目の前に願いを阻む愚図があるかのように。どす、と月の大剣が床へ突き立つ。

 

「……っ」

「貴女には、その役割を任せたいのです」

 

いつの間のか、小海は呼吸さえ忘れていた。

そして自分と碌に変わらない体躯から放たれたとは思えないほどの圧倒的な気配に、頭の先から爪の先まで浸かりきっていた事にようやっと気付く。

 

「お姉様は、一体、何を……いえ、何処を目指しておられるのですか」

「頂」

 

即答された答えは、漢の人間ならば言う事さえ憚られる様な場所一つだった。

思いだしたばかりの呼吸を再び忘れてしまう程の衝撃に歪むそんな妹の表情を見て、そして月は天界の彫像の如き微笑みを洩らす。

 

「その場所ひとつです」

 

ふっ、と吹かれた様に。

月から威圧が消えた。そしてやっと正常な自我を取り戻した小海よりも先に、一刀が口を開いた。

 

「此処からは私が説明いたします、仲霄様」

「今私はお姉様とっ!」

「北郷さん、詳細を説明してあげてください」

「御意。それでは仲霄様。よろしいでしょうか?」

「……ええ」

 

不平不承、と言った様相で頷いた小海を確認すると、一刀はゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「先ずですが、大前提として一つ。

 仲霄様は“その時”に一番重要な役割を果たして頂きますが、それがいつか、そう問われると私達には答えることができません」

「ではどうやって私に動けと言うのですか」

「簡単で御座います。その時が来れば、貴方様には自ずと役目を果たす時だと御理解できる筈です」

「……」

「宮廷が多いに乱れ、天子様へまでも火の粉が振りかかりかねない、そんな時が必ずやってまいります」

 

小海には想像さえできなかった様な大事を、まるで見てきたかのように語り断言する一刀。

王の威圧は感じない、しかし、小海は月の言葉と同様に一刀の言葉からも耳が離せなかった。言葉で小海は誑かされた、と言っても良いだろう。

 

「その時です。私達はこの北の果てより馳せ参じ、天子様の周囲を蔓延る害虫を駆除する稀代の雄という役を背負い現れるでしょう」

「……やけに具体的に未来を話しますのね。それは想像でしか無いと思うのですが」

「ええ。当然現段階では想像で妄想ですとも。しかし! 必ずやその時は起こり得るでしょう。そして私達はその時、未だ大樹の如く強大な御威光をお持ちの天子様へ、その巨木の幹に一つ毒矢を打

 

ち込むのです」

 

自ら妄想とのたまう一刀、だが小海はだからと言って笑う様な事も出来ない。

妄想としか思えない、理解の遥か外の如き夢物語であるのに、小海は正史の書き記された書を読むのにも似た信頼を感じてしまっていた。

 

「北郷殿、それは、言葉の真意をご理解しての台詞かしら?」

「勿論。仲頴様の世に、巨木は必要ありませんので。必要なのはハリボテの虎でございます」

 

四百年もの時を生きた龍などまるで何でもないと言わんばかりに、存在さえ否定する。

しかしそれでいて一刀の理解できない自信にあふれた話術に小海はどうしようもなく引き込まれていた。

視界の隅で文和が一刀に向かい苦笑にも似た呆れの表情を浮かべていることさえ気付けない程に、深く、深く。

 

「……続けて」

「尤も、時期こそは分かりませぬが、一つ確実なのは大きな騒乱の直後、でしょうか」

「騒乱?」

「騒乱、反乱、武装蜂起、まあそこはどうでもよいのです。その後、何者かが不忠を企んだその瞬間」

 

ごくり、と。唾を呑む音がヤケに大きく響いた。

 

「それこそが、我らの勝機。仲霄様に一手を施して頂くその時でございます」

「……なるほどね。悪者はその不忠を働く誰かにお任せしてしまう、そう言う事なのですね」

「ええ、その通りです」

 

小海の問いに、くすり、と笑みを浮かべ答えた一刀。容姿が俄か整っている事も相まってそれは非常に冷酷な色を感じさせるものであった。

途端ぞわり、毛穴が逆立ち怖気が走った。そしてそこで、やっと己がいつの間にか呑まれていた事に気づく。

すると自らの姉の企ての途方もない規模に、自らが任されかけていた使命の重大さとそれがどれほど漢へ牙剥く行為かと言う事に、そして自らが謀反を平然と口にしたことにも。

小海は、その事実に気付くと直ぐに怖気付いた。

 

「尤も、此処までは唯の妄想でしかございませんので、当然差異も出れば不備も出るでしょう。

 しかしそれらはともかくとして、です。仲霄様には、私達がこの様な妄想を抱いており、そしてもし万が一似た様な状況が生まれた場合や仲頴様の御命令が下った場合に、内部から呼応して頂きた

 

い、そういう事です」

 

表情に熱っぽさが消え失せたことに一刀は気付いたが、なんら気にすることなく話を締め括る。

元々、文和も、月も、一刀自身もこの程度の説得で納得するとは思ってもいなかったのだ。

 

「……なるほど、分かりましたわ」

「では」

「……申し訳ありませんが、一晩だけ、考える時間を頂けないでしょうか」

「そうですか、いや、そうですね。勿論、受けないという事を選んでも責めません、小海が秘密を露呈する様な事も無いと私は信じていますし、これは命令で無く個人的な頼みですので」

「有難うございます……」

 

言葉を蚊の鳴く様な声量で絞り出した小海の表情からは、苦悩と、それに上回る恐怖がいともたやすく見て取れた。

強大なものへ抗うことへの恐怖と、そして姉からの願いを果たさなければと言う義の心が対立しあい、そして恐怖に心が傾いていることも。

 

「なんだかしんみりとしてしまいましたね。では、頂きましょう。折角のお肉とお酒です、美味しく頂かなければもったいないですから」

 

月がそう取りなすが、場はと言うよりも小海は沈んだままであり、そうして晩餐会はそのまま静かに幕を下ろした。

主賓の彼女は、唯只管に俯き唇を噛む姿を晒すのみであった。

 

 

 

戦記なら三人称の方がいいよ!とご意見を頂きましたので考えた末代えてみました

甘露です。

 

6章から戦記になる……からって抗菌党の大陸フッ素コート物語が始まると思ったら大間違いなんだからねっ!

6章は『涼州の乱、月様飛躍編』です

おっさん(ゲス)とおっさん(筋肉)とおっさん(臆病)とおっさん(失笑)が大活躍する予定です(((

 

明日も投稿、連投予定で御座います!←フラグ

 

ではでは~


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
31
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択