No.430460

鹿

健忘真実さん

ミステリー。
御嶽山のドライブウェー、ヘアピンカーブが続く場所で車の転落事故があってから2年後。
同じ場所で立て続けに3件の自動車事故があった。
軽傷者の話によると、事故時に大きな鹿が飛び出してきた、という。

2012-05-31 11:53:47 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:412   閲覧ユーザー数:412

 国道19号線を走る車から御嶽山方面を眺めると、山はすっぽりと雲に包まれていた。

 御嶽山の山裾に差し掛かると、ポツポツと雨がフロントガラスに模様を作り出し、開

田高原からロープウェー方面に向かう頃には、強く叩き始めた。

 ワイパーがせわしなく左へ右へ。続くヘアピンカーブでハンドルもせわしなく切り返

す。

 

 視界が悪い中、前方から迫って来るヘッドライトに気付いた時には、すでに避けよう

がなかった。

 

 キキーッ、ゴッゴッガガガガ

 ブレーキを踏みながらハンドルを左に切った。そしてすぐに右へ。

 幸いスピードは出しておらず、車体は山肌にこすりつけただけで止まった。

 すぐにルームミラーに目をやる。

 ? 

 そしてサイドミラーへ。

 

 あわてて車から飛び出し、ガードレールのない道路下を覗き込んだ。

 車輪を上に向けた車が目に入った。

 怖くなり、自分の車に戻るやターンできる場所まで行くと、引き返していった。

 野中警部補は、部下の三好が運転する車で、開田高原から事故現場に向かっていた。

泥混じりの雪が所々に積まれて残っている。

 この道路は積雪期には、スキーを積んでやってきた車が縦列に連なって駐車している

ことが多い。スキー場はいくつかあるが、山スキーを楽しむ山ヤたちである。

 

 今年になって、立て続けに3度目の事故である。

 2年前に車が斜面に転落する事故があってから、一帯にはガードレールが敷かれた。

 車は山の斜面にぶち当たるか、ガードレールをへこませるかして、死者を出すまでに

は至っていないが、唯一ひとり軽傷であった者の話によると、

 突然大鹿が現れじっと睨みつけていた、

というのである。

 

 現場付近は念入りに調べられたが、鹿の存在は認められなかった。熊なら時々出没し

ているのだが。

 

 

 今日は、スキー場となっている山頂付近に、薮本天体観測所という個人所有の建物内

で鹿を飼っている、という情報を得て、事故現場を見た後、その所有者に会う予定をし

ていた。

 所有者が不在でも近辺を調べるつもりである。

 

 

 洋風の建屋の玄関先に現れたのは、40代と思われる男性だった。

「こんにちわ、お忙しいところ申し訳ありません。私は長野県警の野中と申します」

「三好です」

「薮本さんですね、すでにお聞き及びかと思いますが、この下で車の事故が今年に入っ

て3件発生しております」

 

 はあ・・と薮本は頼りない返事。事故のことを知らない様子である。

 

「その事故に鹿が関係しているらしい、との情報を得まして」

「鹿ですか・・・鹿ならうちに1頭おりますが」

「今日お伺いしたのは、その鹿をお見せ願いたいと思ったわけでして」

「そういうことなら、どうぞ中へお入りください」

 薮本はふたりの刑事を招じ入れた。

 外履きのまま入った20畳ほどのリビングには、マントルピースが置かれていた。そ

の前に敷かれたマットの上では、前足を折り曲げて伏せている鹿が、ふたりを見ている。

思っていたほど大きくはない。

 

「芳雄、刑事さんだよ」

 やさしい声色で語りかける薮本に、鹿は頭を上下にゆっくりと振っている。

 

「ほう、言葉を理解してるんですね」

 野中に変わって三好が質問を始めた。

「薮本さんは2年前、この下の道路、最近発生している事故現場あたりで、やはり車の

事故で、奥様とたったひとりの息子さんを亡くされていますよね。運転を誤って崖下に

転落された、と聞いています。息子さんの名前は芳雄さん、という」

 

 野中は鹿のそばに寄って、鹿に視線を送っていた。

 三好が続ける。

「ここで天体観測をされているんですか?」

「芳雄は学校になじめず、家に引きこもっていました。ただひとつ、宇宙にはひどく関

心を持っていました。それで天体観測ができる場所を求めてここへ来ました。事故の3

年前です。芳雄が亡くなったのは17の時です」

 

 鹿を見つめる薮本の瞳に、尋常でないほどの慈しむような眼差しを感じ、野中が鹿を

なでながら尋ねた。

「鹿はいつから飼っておられるのですか?」

「5年・・になるでしょうか。ここへ来た時に飼い始めました。芳雄のいい友達がわり

です」

「あなたのことを少し調べさせてもらいましたが、神奈川の病院で外科医をされていま

したね。奥さまと息子さんを亡くされた後、辞めてしまわれた」

 

 じっと薮本に視線を投げかけて、続けた。

「芳雄、というのですか、この鹿。ひょっとして事故後に名前を変えられた?」

「それ以前は、ミューと呼んでいましたが、息子のことが忘れられなくて・・・」

 三好が後を引きとって尋ねる。

「外に出ていくことは?」

「うちの鹿と事故を結びつけようというのですか? 1日に1回外に出します。午前中

に1時間ほど。しかし、家の周辺から遠くへは行きませんよ!」

 

 野中は、鹿を観察し続けた。

 鹿はじっと野中を・・睨みつけるように・・見つめていた。

 

「いや、どもども、ありがとうございました。三好君、お暇しようか」

 ヘアピンカーブが連続して始まろうとする、事故現場付近で、鹿が急に飛び出してき

た。

 三好はブレーキを踏んだ。鹿に当たった感触があったが、鹿は元来た山の斜面に消え

ていった。

 すぐに薮本の家に引き返した。

 

 呼び鈴を鳴らしても、気配が、ない。

 ドアノブを回して引くと、開いた。

 

 中に入ると、血まみれになった薮本が倒れていた。手から手術用のメスがこぼれてい

る。

 鹿は、いない!?

 すぐに監識と捜査班に連絡を入れ、周辺を念入りに調べて回った。

 連れてこられた警察犬が、家の近くの藪の中で鹿の死体を見つけた。その位置から急

斜面を下ると、事故現場に出ることができる。

 鹿の死体には、車とぶつかったらしい跡と、胸部にはメスで突かれたらしい傷があっ

た。

 

 野中は、鹿の頭部、主に額を調べるように依頼した。額に縫合したような跡を認めて

いたのである。

 

 解剖に処された。

 たしかに手術の跡があり、脳には別組織を重ねた痕跡。その部位に発達が見られた。

 その組織のDNAは、薮本と親子であることを示した。

 

 

「野中さん、芳雄という鹿は、芳雄君の脳の一部が移植されていたのでしょうか」

「そうらしいね。おそらく、芳雄君の心が鹿の中で膨らみ、自分と母親の命を奪った車

への憎悪が増していったのだろう。薮本さんはその事実を知って、鹿を殺そうとしたの

ではないだろうか」

「それに失敗して、自殺した」

「ああ、結局鹿も、自殺をしたのかもしれないね」

「・・・でも、大きな鹿ではありませんでしたね」

「恐怖を感じた時には、人は実際よりも随分大きく感じるものらしいよ」


 
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