No.433806

手紙

健忘真実さん

私が愛した淳史さん。友人の香奈と結婚し、もう6カ月。
私も幸せにならなければ・・・その前に、この気持ちを整理しておきたい。

2012-06-07 12:04:03 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:462   閲覧ユーザー数:460

1枚目

 

拝啓

 突然のお手紙、お許し下さい。

 大変とまどっておられることと思います。

 新しい生活はいかがでしょうか。笑顔の絶えないおふたりの姿が浮かび上がります。

 ご結婚されてから、もう6カ月になるんですね。

 香奈から、いえ失礼、奥様から

「私ね、結婚するんよ、誰やと思う? うふふ、あ・つ・し・さん、野村淳史さん」

と聞かされた時には、また冗談ゆうて、と思いあなたに確かめもしないで・・・忙しい

という言葉を、仕事だとばかり思っていましたのに。

 いよいよ結婚式の招待状を受け取った時には、血の気が引き、すべてが闇の中に沈ん

でいきました。

 出席するかも随分迷いました。親友の香奈の結婚式ですからね。

 

 

2枚目

 

 淳史さん、有川浩さんの小説『阪急電車』、ご存知ですか? 

映画で話題にもなっていたので、きっとご存知だと思います。

 ヒロインと同じように、私も白いドレスを着て出席しようか、

式場も小説と同じ「宝塚ホテル」なんですから。

 でも私には、とても実行に移すだけの勇気はありませんでした。

 小説の舞台は、今津線。

 私が利用しているのは、いつも混雑している宝塚線。多くの、しかも知っている人に

出会う確率の高い路線では、とてもとても。でも、私の気持ちはヒロインと全く同じで

した。

 

 淳史さん、覚えていらっしゃいますか? 私たちの出会いの日を。

 台風がそれまでの暑さを払しょくし、ツクツクホウシがその所在を示すかの如く、

時々名残惜しげに鳴いていました。

 5年前のことです。

 香奈と私は、有馬から六甲山頂を経由して、お多福山からロックガーデンに向けて

下っている時、泥に足を滑らせて私は転んでしまい、足を捻挫しました。

 

 

3枚目

 

 大丈夫、歩けるから、と歩いているうちに足の痛みはひどくなり、ロックガーデンでは

後ろ向きになって恐る恐る足を下ろしていく、という状態になってしまいました。

「足、どうかしはったんですか?」

という声に顔を上げると、あなたと鎌田さんが見下ろしていらした。そして私のソックス

を下ろして足首をご覧になると

「僕が背負いましょう。これじゃぁ無理ですよ」と。

 長身のあなたが私を背負い安全の為にザイルでふたりを固定し、小柄でもがっしりした

体格の鎌田さんが、あなたの荷物をも担いで付き添ってくださいました。

 私は顔がほてって、仕方なかったのですが。

 大谷茶屋の下に車を置いていらしたので、家まで送ってくださいましたね。

 その時初めて、ロッククライミングのことを知りました。

 一般ルートからはずれて川沿いに遡行していくと、大きな岩場があること、その日は

たまたまそこで練習していらしたこと、など。

 

4枚目

 

 お誘いを受けているうちに、私と香奈はロッククライミングに惹かれていきました。

そしてあなたにも。

 山岳会に入り、クライミングの練習を重ねて、山行も共にするようになり・・・

 

 淳史さん、あなたと始めて体を重ねたのは、ふたりで穂高の屏風岩を登攀し、車で帰る

途中に立ち寄ったホテルですよね。

 ふたりとも初めてのことで、羞恥心も手伝って結局うまくいかなかったのですが、

それから何度、逢瀬を繰り返したことでしょう。

 その間に、香奈とも付き合ってらしたのですね。

 確かに香奈は、美人で明るく物怖じしない。

 私は、香奈を誘い出すだしに使われていたような気がします。それとも単なる練習台

だったのでしょうか。

 

 淳史さん、私があなたと付き合っていたことは、先輩の海老出さんが御存じなのですよ。

 

 

5枚目

 

 披露宴からの帰り、私たち山岳会のメンバーの待ち合わせ場所としてよく利用していた、

宝塚駅近くにある喫茶店に入って、海老出さんは私を慰めようとして下さいました。

「なんぼ顔が良うて収入がぎょうさんあっても、痔で悩んでるかもしれへんのやで。

特に氷壁なんかやってる男は、切れ痔なんかで苦しんでるもんや」と。

 すると、鎌田さんも来ていらして、水とコーヒーを持って私たちのテーブルに移動して

こられて、

「そやけどな鯛子さん、顔のパーツの形と部位がほんのちょっとずれてるだけやし、

収入も負けとっても、痔で悩んでるもんがここにおるんやで」

 私はそれらの会話にプッと吹き出してしまい、力みがスッと体から抜けて、

くつろいだ気分になりました。

 そして顔を上げると、鎌田さんの熱い眼差しとぶつかったのです。

それは以前からも感じていた、慈しみに満ちた眼差しでした。

 はっとして気付いたのは、ゆったりと和んだ気分になれる人と一緒にいられることの幸せ。

 

 

6枚目

 

 淳史さん、私は鎌田直樹さんと一生を共にすることを約束しました。

 ではなぜ、今頃になってこのような手紙を書いているのでしょうね。

 香水の付いた花柄の封筒と便箋にしようかと迷ったのですが、そこまで私は、意地悪

ではなかったようです。

 でもやっぱりちょっと、いけずがしたかったのかな。

 

 香奈さんを悲しめるようなことはしないで、幸せになってください。

 今だから言える言葉です。

 私はもう、大丈夫、です。

                             かしこ

  2011年9月21日

 

                                   兵頭麻紀子

 

野村淳史様


 
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