No.992044

世界大戦異聞録 「廻る世界」

陸奥長門さん

 膠着する戦況の欧州戦線では、ヒトラー総統とチャーチル首相が密談を行う。
 一方で日本では新造戦艦「壱岐」が新たに帝国海軍へと就役した。
 緊張が高まる世界で、新たな動きが生じようとしている・・・。

2019-05-04 02:02:21 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:191   閲覧ユーザー数:189

 

 其処は薄暗い部屋だった。

 窓と云える物は一つもなく、コンクリートの地肌がむき出しの殺風景な部屋だった。

 空調機は動いているようだが、閉塞された息苦しさは拭えない、陰気な場所――まるで墓場の中のようである。

―――ここは地下室であった。

「よく来て下さった、チャーチル卿。いや、閣下とお呼びした方がよろしかったかな」

 質素な部屋ではあったが、床には高級素材の絨毯が敷きつめられており、机や椅子は年代ものの見事な調度品であった。

「『総統閣下』を前にして閣下というのもアレでしょう。卿でも首相でも、どちらでも」

 そう言いつつチャーチルと呼ばれた妙齢の美女はシガレットケースを胸の内ポケットから取り出そうとして 、手を止めた。

「そう云えば、閣下は禁煙派でしたな。 1本吹かしてもよろしいか?」

 閣下と呼ばれた方も乙女のような可憐さと、歳を重ねてきた蠱惑さを醸し出している。何より、自信から放たれる強力なオーラのようなものが感じられた。

(これが、ナチス・ドイツを魅惑するカリスマか)

 雰囲気に飲まれないよう、シガレットケースに意識を向けながら、大英帝国首相、ロザーン・クラリス・チャーチルは思った。

「余はかまいませんぞ。何せこの総統地下壕は貴国の製造した重量級爆弾を跳ね返す防御力がありますが、空調設備は一級品でありますからな」

 総統閣下と呼ばれた女傑は、現在欧州の大半を手中にしたドイツ第3帝国を治める総統――アルトニア・ヒトラーである。

 此処はドイツが占領したフランスのパリにヒトラーが造らせた、地下壕であった。その規模をさり気にアピールしてみせた。

「住い酒もあります。チャーチル卿はワインがお好みですかな」

「ウィスキーで結構だ。 葉巻をやるのにワインは向かん」

「それはそうですな。では余にも1本くれませんかな」

 一向に悪びれた風もなく、ヒトラー総統は右手を差し出した。勿論、握手を求めているのではない。

「禁煙を推奨しておられたようだが?」

「此処には余と卿しかおりません。大衆は噂を信じているようですが、真実を知る者は数える程しかいませんよ」

「なるほど。情報操作はお手の物、というワケですな」

 チャーチルから葉巻を受け取ったヒトラーは慣れた手つきでナイフで小さい吸い口――俗にパンチカットと呼ばれるカットを施した。シガー用のカッターを使わなかったのは、上手くやらないと吸い口がボロボロになり、吸いにくくなるためであり、慣れない者は普通によく切れるナイフやカッターを使う方がよほど良いからだ。

「葉巻の吸い方をご存知のようですな。しかも”慣れて”いる」

 そう言いつつチャーチルはシガー用のカッターで大きく吸い口をカットした。こちらはフラットカットと呼ばれ、より濃厚な香りを楽しめる。当然、刺激も強い。

「卿ほどではないが」

 ヒトラーはマッチで火をつけると、ゆっくりと葉巻を吸った。久しぶりの煙草は、濃厚な味がした。その煙を鼻腔から吹き出す時の薫りといったら、久しく味わっていなかった葉巻そのものだ。

「やはり代用品とはモノが違いますな」

 ヒトラー総統は目を瞑り、その味を堪能している。

「貴国のUボートには苦労させられましたが、コレだけは止められませんでしてな」

 煙を煉らしながら、チャーチル首相は、しみじみと言った。その言葉にヒトラー総統は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 英国を首班とした連合国軍が潜水艦狩りの技術を向上させ、ドイツ海軍のUボートによる通商破壊戦が芳しくないのを言外に指摘されたと解釈したからだ。

 現在、欧州戦線は膠着状態である。

 制空権を賭けたドーバー海峡を挟んでの航空撃滅戦。当初は高速爆撃機により沿岸部を破壊、直接ドイツ陸軍が英国本土へ乗り込む計画であったのだが、ドイツの主力戦闘機Bf109は航続距離が短く、英本土奥地の軍事施設を爆撃する爆撃機を十分援護できずに、爆撃機隊に大きな被害がでた。

 一方で英国の主力戦闘機は性能でドイツ機に一歩劣り、戦闘機同士での空中戦では劣勢を強いられた。

 そうして2ヵ月あまりが過ぎた時、ドイツは爆撃機の、英国は戦闘機の損耗の多さに耐えきれず、双方大規模な航空戦は惹起しなくなった。戦いは互角であったが、英国の占領という戦略を達成できなかったドイツ側の実質的な敗けであった。制空権のない状況で上陸作戦を敢行するほど、ドイツもヒトラーも愚かではなかったのだ。

 航空機が駄目なら海上戦力で――と、作戦課は考えたが、世界一の規模を誇る海軍国である英国と海上打撃戦をすれば一方的な敗北を喫するのは明らかであった。

 勿論、新型のビスマルク級戦艦が就役していたが、同型2隻では英国の戦艦群と真正面から殴り合うのは無謀である。ドイツ海軍の全艦艇を投入したとしても、英国の一方面艦隊で対処されてしまう。最悪の場合、英国が2個艦隊を動員すれば挟撃され、ドイツ海軍は壊滅の憂き目をみるだろう。

 一方の英国も、決定力に欠けていた。

 ドイツが造った堅固な海岸要塞群と精強な陸軍が英国軍の大陸上陸を妨げていた。沿岸部から艦船で上陸作戦を実施する場合、橋頭堡を築くか敵の火砲を無力化しない限り、犠牲者は増え続ける。

 その意味で敵を打撃する為には大規模な船団を組み、速やかに兵と火器類を揚陸する必要があったが、兵員輸送船は基本的に非武装であり、敵の攻撃に弱い。それを護衛する必要から多数の戦闘艦艇を動員する必要があるが、英国艦隊はそれを実施できるだけの規模がある。しかし、ドイツ海軍が捨て身で攻撃を仕掛けてきた場合、輸送船団を護りながらの戦闘を強いられることになり、その強大な戦力を十分に生かす事ができないのである。

 しかもドイツは優秀な戦闘機と急降下爆撃機を有しており、上陸作戦を強行すれば陸・海・空からの攻撃により多大な犠牲が生じると参謀本部はみていた。

 ドイツ、英国双方共に決定打がなく、睨み合いの状況がここ半年近く経っていた。

 

 ドイツ第3帝国総統、アルトニア・ヒトラーは一際大きく紫煙を吐くと、じっとチャーチルの目を見据え、単刀直入に切り出した。

「こうしてチャーチル卿が来てくれたということは、我が方の提案に応じてくれる用意がある、と解釈してよろしいか?」

 対する英国首相チャーチルもヒトラーの視線を真正面から受けつつ、

「条件によりますな」

 と臆することなく言い捨てた。

 若干の護衛が付いているといっても、此処は敵地。不用意な発言は即、死につながるというのに。

 二人の国家指導者はお互い視線を外すことなく見つめ合っている。互いの腹の内を探り合っているのだ。

 やがてヒトラーが口の端を吊り上げた。まだ半分以上残っている葉巻を無造作に灰皿ですり潰すと、

「今、帝国は東方のコミュニスト共と戦っている」

「我が大英帝国を敵に回してなお、別の敵と戦うとは。甘く見られたものですな」

 チャーチルは勢いよく紫煙を吐きだしながら、牙を剥く猛獣のような表情を作る。勿論半ば演技ではあるが 、彼女ほどの美女がやると迫力が増す。肝の小さい者ならばすくみ上ってしまうだろう。

 しかしヒトラーはどこ吹く風の様に受け流す。

「余は元より貴国と戦う意図はなかった。全てはゲルマン民族の生存圏の確保の為、そしてコミュニズムに染まりつつある仇敵フランスを打倒する為である」

「はっきりと言ってはいかがかな? 国土の拡張が目的だと。貴女は領土的野心、征服欲を満たすために戦争を始めたのだ。ついでに歴史を学ぶべきだ。先の大戦で我が国とフランスが手を組み、ドイツ帝国を屈服させたことを 」

「貴国を侮ったことなど、ない。 出来れば貴国には中立でいて欲しかったというのが、余の本音だ。 そもそも貴国とフランスは過去何度も戦争をしているではないか。何故、我が覇業の邪魔をするのか? こちらこそ卿に本音を語って欲しいな」

「………」

 チャーチルは無言のまま3回紫煙を吐きだし、それから残り3分の1になった葉巻の火を灰皿に押し付けてもみ消した。

「自由主義と貴国の掲げるファシズムとは、相容れない。 その点についてだけは、彼の国と意見を一にしたのだ。そして、欧州に強大な覇権国家の現出を我々は認められない。国家の安全保障が得られないからね。」

「覇権国家とは‥・! 貴国も世界各地に植民地を有している。それと何か変わらないと?」

「………」

―――痛いところを衝かれた、とチャーチルは思う。英国は島国であり、第2次ルネッサンス以後の必要資源の全てを国内で賄うことは不可能である。故に豊富な資源を有する国や土地を植民地化していった。今の英国の繁栄は 、それら植民地の献身に因るところが大きい。ドイツが生存圏を拡充する要因に資源の確保がある以上、英国がそれを非難する事は自国の国策を否定することに他ならない。

 ヒトラーの双眸がぎらぎらと輝き、英国首相を睨みつけている。獲物を前にした猛禽類の如きだ。

「嘗ては同じキリスト教徒が相争う時代もあった。だが今は違う。お互いが反目しながらも、共通の敵と戦っているからだ。すなわちキリスト教対イスラム教のように。互いに利害が一致すれば、手を取り合う事も可能だと、歴史は物語っているのではないですかな」

「……なにをおっしやりたい?」

 チャーチルの背筋に冷たいモノが流れる。ここでの間違いは後々まで禍根を残す。

「共産主義者共―――より正確に言うならば、ソ連書記長・スターリアナは『世界統一革命』を標榜し、各国を併呑しています。言ってみれば我が帝国は欧州が赤く染まるのを阻んでいる防壁なのですよ。貴国とて、欧州が赤化するのは望んではおりますまい」

「つまり?」

「我々は共に手を取り合うことが可能なのではありませぬかな?」

「………」

 チャーチルは顎に右手をやり、左手でモノクルを弄り黙考した。欧州戦争が始まってから過剰な精神的抑圧と過度の肉体疲労によってか、彼女の視力は落ちていた。 医者は休養を勧めたが、彼女はそれを聞き入れず、今日まで国家を指導していた。モノクルを弄るのは、その頃から彼女が考え込む時にするようになった癖だった。

「敵の敵は味方、と言いたいのかね?」

「チャーチル卿、貴女はファシズムを嫌悪している。自由主義としては独裁者が君臨する全体主義国家を認めたくないものね。しかし貴女はスターリアナが支配するソ連の存在にも脅威を抱いている。社会主義は表向き国民は皆平等という理想を掲げていながら、その実態はスターリアナの独裁だ。そしてまことに癩なことにイワン供は手強い。 貴女は我が帝国とソ連が戦端を開いたことに喜んだだろうが、予想外にソ連が強い事に驚いたはずだ。このままソ連を支援していたら欧州全体が赤く染まるという危機感を抱いているのでしょう?最初英国はソ連を支援した。それこそ『敵の敵は味方』という理論で。それと同様の事をして欲しい」

 チャーチルは無言のまま再びモノクルを外すと、布で拭き始める。そうする事で思考に没入するかのように。

 ヒトラーはそれをじっと見ている。答えを急かせようとはしない。彼女にとっても大きな賭けなのだ。下手にチャーチルを刺激して、帝国に不利な判断をしてもらっては困るのだ。機を見るに敏なヒトラーは、故にじっとチャーチルが答えを出すのを待っているのが得策だと、直感した。

「………我々は戦争状態にある。それに我が国は『自由フランス』とも同盟を結んでいる。国土奪還を目指すド・ゴール将軍は終戦を認めないだろう。そうなると我が国と貴国が単独講和という途しかないわけだが、それを連合国全体は望まないし、国民も納得しない。わたし一個人の意見を言わせてもらえれば、戦争を止めるのは好ましい、が……」

 尚もモノクルを弄りながら、呟くようにチャーチルは言葉を紡ぐ。その顔には苦悶が浮かんでいる。

 個人と公人との狭間で葛藤しているのだろう。

「戦争は巨大な歯車のようなもの。一度廻り始めたら止めるのが難しいですからな。なに、別に悩む事はありませんよチャーチル卿」

「それは、どういう意味ですかな?」

 チャーチルの眼光が増した。ヒトラーの発言が余りに無責任で、尚且つドイツが降伏を追っている、と思ったのだろう。

「何もしなければよいのです」

「なんですと?!」

 腰を浮かしかけたチャーチルを右手で制すると、ヒトラーは続けた。

「貴国を含む連合国軍が我が軍への攻撃を止め、ソ連への援助を止める。それだけでよいのです。現状ソ連は 旧ロシア派のロシア東方帝国と日本の同盟軍によって極東から攻め込まれているようです。そして欧州側からは我が帝国軍が攻めている。いかにイワン供が屈強でも、2つの戦線を維持するのは難しいでしょう。だから貴女方連合国軍の援助を求めている。それを止めてしまえば、ソ連の継戦能力は早晩失われる。ソ連は打倒され、共産主義という妄想も粉砕される。アメリカに頼ろうにも彼の国は災害復興を優先し、なおハワイ奪還に夢中でアテにはできない。 どうです?これこそ最善の一手でしょう」

「全てが貴国に都合の良い条件ばかりですね。我々がそれを承服すると、本気で考えておられるのか?」

 呆れたと言わんばかりに首を振り、シガーケースから新たな葉巻を取り出す。明らかにヒトラーに対する挑発行為だ。

 しかし、ヒトラーは無言で机上に腕を組みそれをじっと見つめている。彼女は人間の心理についてよく理解していた。ナチス宣伝相のやり方を常に見ていたし、専任の心理学者を中心とした研究会も主催している。故にドイツ第3帝国を掌握した総統は、英国首相の心理を見通している。

 

 チャーチルは思案顔で葉巻に火を点けると、その芳香を全身に行渡らせるように深く吸い込んだ。それからゆっくりと時間をかけて鼻から抜くように紫煙を吐く。いつもの通りの、頭を冴えさせる儀式のようなものだ。

 簡単な事だった。ここで「NO」と言ってしまえばよいのだ。

 確かにソ連は、日露同盟軍とドイツ軍を相手に2正面作戦を強いられている。しかしこれはソ連の決定的な不利を意味しない。日露同盟軍とは言っても主力はロシア東方帝国軍であり、日本軍――主に陸軍――はオブザーバ一役的な色合いが近い。

 建国間もないロシア東方帝国は経済は兎も角、産業基盤は脆弱であり、近代兵器の製造及び大量生産体制は整っておらず、その大半を日本からの供与に頼っていた。しかし海軍国家の日本陸軍の装備は決して充実しているとは言い難く、練度は兎も角装備に関しては欧州列強に対して辛うじて対抗できる程度の物だった。

 しかもロシア東方帝国初代皇帝となった、故ニコライ2世の遺児、マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴア女帝はソ連を駆逐することまでは考えておらず、中部ウラル、イルクーツク市を国境として定めるつもりであった。そこまでがロシア東方帝国の限界だと、マリヤ女帝は判断したのだろう。何れはソ連打倒を目指すつもりであろうが、今はここで矛を収めるつもりなのだ。

 英国にとっては、それは不本意な事である。援助をしながらもソ連打倒を密かに願うチャーチルにとって、ロシア東方帝国の方針は不徹底で、容認できないものであった。

 彼女の理想はロシア東方帝国とドイツ第3帝国がソ連を撃滅し、その後疲弊したナチス・ドイツを叩くというものである。

 完全に潰すのではない。ヒトラーとナチスを打倒するのだ。あまり追い詰めると第2のヒトラーを生みかねない危険があった。

 であるならば―――

 

「……閣下の提案は一考に値すると判断します。ただ関係諸国との調整がありますので少し時間をいただきたい 」

「おお、そうですか。是非とも前向きな検討をよろしくお願いしますぞ」

 ヒトラーは席を立つとチャーチルヘと歩み寄り、その右手を両手で包み込むように握った。

(暖かく柔らかい手だな‥・)

 場違いな思いをチャーチルは抱いていた。冷酷な独裁者は鉄ででも出来ているのかと思っていたが、彼女もまた人間なのだ。目指す処は違えど、彼女も国の行く先を憂えている国家運営に責任をもつ人物なのだ。

 尤も、だからと言って共感や価値観の共有が可能だとは思わないが。

「善処します。貴国の要求が全て通るとは思えませんが、ね」

「考慮して頂けるだけでも重畳。新たな秩序の一歩となるよう願っておりますぞ」

(それは貴女にとっての秩序だろう―――)

 と言いかけて英国首相は薄く笑みを作った。

 

 チャーチルが離席し、彼女がメルセデス社特注品の公用車―――ヒトラーを含むナチス高官が乗るものと同一の高級車―――に乗り込み、ドイツ占領下のフランスの軍港、ブレストヘと出発したのを見届けるとヒトラーの顔から表情が消えた。その変貌に命知らずで勇名をはせるSS親衛隊所属の従兵が思わず息をのんだ。

「まったく、喰えない狐のような女だな。島国にすぎない英国がこの地球上に幾つもの植民地を保有しているのも頷ける。口惜しいが外交交渉では彼奴が一枚上手……。さて、これから貴様がどのように動くか見定めさせてもらうぞ。我らがライヒと余を甘くみるでないぞ、英国首相」

 捧猛な笑みを顔に浮かべ、ドイツ第3帝国総統は地下施設から外界へと歩き始めた。

 

「ふう‥‥」

 独メルセデス社の高級車に揺られながら、チャーチルは息を吐いた。張りつめた心が漸く落ち着きを取り戻したのだ。

 なにせ先ほどまで居た場所はドイツの要塞であり、いつ殺されてもおかしくない状況であったのだ。

 敵国の交渉人との会談は中立国で行うのが通例である。フランスのヴィシー政権は表向き中立国ではあるが 、ドイツ占領下の国であり、現フランスの政権はドイツの傀儡だ。そんな場所へ赴いたのは、英国の強い意志を示す為であり、なによりも大英帝国の威信をかけた会見であったからだ。

 事実上の敵地へ赴くとあって、閣僚は反対したが彼女は曲げなかった。政治家としての衿持もあるが、ヒトラーという人物に興味があったのだ。第一次欧州大戦で疲弊したドイツを立て直し、電撃戦を編み出して瞬く間に欧州を席巻した女傑とは、どういった人物なのかと。

 それに閣僚にはアーヴリル・ヘヴィンという外務大臣がいる。労働党の出であるアーヴリルは戦時体制下で経済を外交によって支えている俊英だ。決断力と実行力を併せ持ち、彼女であれば英国を勝利に導けるであろうと確信している。

 万が一チャーチルが殺害されたら、アーヴリルが次期首相になる手はずが整えてあった。

「化物め……」

 チャーチルはシガレットケースから葉巻を取り出すと、一服した。その葉巻を持つ手が震えている。

 あの燃えるような瞳が忘れられない。彼女の自信にあふれた口調は聞く者を魅了する。いや、熱狂させるだけの『何か』があった。

「だが、敗けるわけにはいかない。その為には、打てる手は打っておかねば」

 芳醇な香りが気分を鎮め、気力を回復してくれる。チャーチルの頭脳はフル回転を始めた。

                       2

 

 ロシア東方帝国の首都であるマリーヤミンクス(旧イルクーツク)で最大の軍用航空基地に1機の輸送機と 、それを護衛する3機の戦闘機が着陸した。

 輸送機は英国アブロ社製『リンカーン』爆撃機を輸送機仕様に改造したもので、つき従ってきた戦闘機は同じく英国スーパーマリン社の『スピットファイア』である。

 どの機も長距離飛行が可能なように改造されている。『リンカーン』は爆弾漕をまるまる燃料漕に換装し、 『スピットファイア』も胴体下と両主翼に1本ずつ落下式の燃料タンクを懸吊できるよう改造されていた。当初はデ・ハビランド社製『ホーネット』を長距離飛行用に改造する案もあった。『ホーネット』は同社の傑作機『モスキート』の後継機で、木製双発機でありながら、プロペラ機の最高速度を更新した優秀機であったが、総じて双発機は単発機に比べて運動性能に劣り、主に速度性能を活かした高速離脱戦を得意とする。ある一定数以上であれば、この戦法でも戦えるが、護衛が3機では輸送機の周囲を軽快に動き、敵機の攻撃を阻止する方が得策、と判断されて単発機の『スピットファイア 』が選ばれたのだ。

 パイロットもR・R・スタンフォード・タックを筆頭にエースパイロットが選ばれている。

「……寒いな」

 英国を出立し、英領エジプトやエチオピアを経由して北上しアルプス山脈を越えて、欧州戦争では中立の中華民国で補給を済ませ、ロシア東方帝国まで地球を半周した英国首相、チャーチルの第一声がそれだった。

 休戦状態であるがドイツ領空を飛ぶのは危険であり、さりとて手を組んでいるソ連上空も、もしチャーチルがロシア東方帝国へ行くとなると、妨害をするのは間違いない。だから最も安全なルートを選んだ結果、一度南下し英国領を経由しながらの飛行プランが実行された。

 結果として、8日間の飛行を余儀なくされたが。

 それでもヒトラーとの会見から2週間経たずにここまで来だのだから、彼女の行動力は瞳目に値する。

 輸送機の中では火を点けずに――なにせ、座席の後方には大量のガソリンを積んでいたので――咥えていただけの葉巻に火を点け、彼女は久方ぶりの一服を堪能していた。

 ロシア東方帝国最大の空港は首都防衛に特化しているのか、即時迎撃待機中の戦闘機が滑走路に並び、開け放たれた格納庫の扉から中を伺うと、それも戦闘機のようであった。

「『シンデン』か」

 それはロシア東方帝国と軍事同盟を結んでいる大日本帝国空軍の新鋭機であった。

 機首にプロペラは、ない。全てがジェットエンジン搭載のジェット戦闘機であった。情報部の入手したデータでは、当初プロペラ機として造られた迎撃用の戦闘機であったが、設計段階からジェット機化を考慮しており、現在は生産される『シンデン』は9割以上がジェット機だという。

 それは時速900kmに近い速度を叩きだし、プロペラ機の追囁を許さないという。武装も強力で、30ミリクラスの機関砲を搭載していると聞く。

「持ちえずがゆえの、技術開発、か」

 大日本帝国は現代社会を運営するのに必要な石油の大半を海外からの輸入に頼っている。その中で特に貴重なのが、レシプロエンジンを駆動する燃料であるガソリンだ。しかも軍用機ともなると、上質なガソリンを必要とする。資源小国の日本にとっては大きな負担であろう。

 それに対し、ジェットエンジンの燃料はより安価なケロシン――ようするに灯油だ――で必要十分な力を発揮するという。

 満州国の油田からは低質な石油しか採取できないという話しであるから、日本としては、低質な燃料でも実力を発揮できるジェットエンジンの実用化は急務だったのだろう。

 英国でもジェット機の開発は進んでいるが、未だ実用に耐えうるエンジンの開発には至っていない。敵国であるドイツでは、メッサーシュミット社やヘンシェル社等の航空各社がジェット戦闘機を製造し、実戦に投入している。 これらは航続距離が短く、英国本土に侵攻することはないが、ドイツ領を爆撃する爆撃機の援護に就いている戦闘機隊にとっては脅威で、多数の英国製軍用機が撃墜され、空軍省が悲鳴をあげている。

 

 程なくして車が3台、チャーチルの元へとやって来た。

 1台は一目で高級車だと分かる。他の2台は護衛用だろう。オープントップの車体に重機関銃と思しき物が据え付けてあった。

 高級車から政府高官らしき人物が降りてきて、チャーチルの前で一礼すると、

「大英帝国首相、チャーチル様でございますね」

 と尋ねてきた。長身であるが威圧感はない。長めの髪を一本に編み上げ、腰辺りまで伸ばしている。

「左様。少々到着が早かったかな?」                                、

「にちらの不手際で、到着が遅れて申し訳ありません」

 女性が深々と頭を下げると、チャーチルは鷹揚に手を振った。

「なに、風がよかったのだろう。予定時刻よりもだいぶ早く到着した我らにも非があろう。それよりも『コレ 』を一服出来た事が嬉しい。何しろあの飛行機は可燃物の塊みたいなものだったからな。中で火を点けるわけにもいかなかったのでね」

 チャーチルはそう言って、葉巻を口に咥えた。そうして紫煙を煉らせながら、

「最後まで吸ってよいかな?」

 と問うた。

 

 新首都マリーヤリンクスのほぼ中央に建設された『冬の宮殿』の貴賓室に通されたチャーチルは、思わずため息をついた。帝政ロシア時代を偲ばせる華麗な部屋である。天蓋から壁面には聖書にまつわる聖人を題材にしたフレスコ画が描かれ、床には足首まで埋まる程の青のビロード絨毯。大英帝国の象徴、バッキンガム宮殿に勝るとも劣らない豪勢な部屋であった。今でこそ亡命政権のようなロシア東方帝国であるが、その富と権勢は過日と些かも劣らない 、と物語っているようだ。

 部屋の中央にある円卓は、重厚な樫の木を使っていると思われる。これはいざともなれば盾としても使えるようだ。小銃弾程度ならば貫通を許さないだろう。

 チャーチルが貴賓室へ案内されて5分程した後、部屋の東側の扉が音もなくゆっくりと開かれた。

 二人の侍女を従えて現れたのは、ロシア東方帝国女帝、マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴア。そして大日本帝国から特使として派遣されている、栗林・忠代陸軍大将。

(若いな)

 チャーチルは女帝を見るなり、そう直感した。この時代女性の外観は20代半ば~30代前半で固定される。だから若者だと思って接してみると、自分よりも年上であった、という笑えない現実があるのだが、このロシア東方帝国の女帝は、外観通りの年齢であろう。共産革命時に奇跡的に粛清から逃れた、元ロシア帝国ニコライI世の遺児、ニコライⅡ世の息女は、一国の指導者に備わる威厳のようなものを感じさせる。

(王者の風格、というものか)

 凛とした整った顔立ちは、現大英帝国女王、エリザベスⅡ世とどことなく似ている。それはそのはずで、二人は中世~近世に権勢を振るったハプスプルグ家の係累であるからだ。いわばエリザベスⅡ世とマリヤは遠い血縁にあたる。

 そして次に栗林・忠代を見る。

(これが、日本軍の俊英か)

 そんな感想を抱いた。

 身長はチャーチルよりも高い。恐らく年齢も近いと思われるが、軍人らしく背筋をを伸ばし、凛とした印象をうける。容貌は日本的美人と云おうか、東洋系の、神秘的な美女だ。目を細くし、常に笑みを湛え母性的な包容力も併せ持っている。

 これが日中戦争時、常に最前線に立ち的確な作戦指導によって中国軍を苦しめた女傑であるとは、にわかに信じられない。

 しかし彼女が軍事顧問としてロシア東方帝国軍に助言を与えるようになると、苦戦していたソ連との戦いを 均衡状態まで押し戻したのだ。無論、日本軍の介入も大きな要因であろうが、栗林は現代戦において兵力の迅速な移動と 集中、それを支える情報分析や兵端の問題まで総合的に理解し判断できる指揮官だった。数で押してくるソ連軍に対して、局所的に上回る兵力を投入し、撃退することに何度も成功している。

 そんな人物が兼任として全権大使なのは、これからの会談には最も適した采配と云える。

「国家危急のところ、私の為に時間をつくって頂き感謝します、陛下」

 チャーチルはそんな挨拶から切り出した。

「構いません。貴女こそ危険な旅路を踏破して私の元まで来た、勇気ある指導者として尊敬に値します、チャーチル卿」

「難題を相談に来たのです。私の方からお尋ねするのは当然かと」

 チャーチルの言葉に、栗林は目を細め、顔から笑みが消えた。

「陛下、国家間の話し合いの場に、小職は場違いと愚考します。おそれながら席を外させていただきます」

 素早く起立し、一礼をする栗林を、チャーチルは慌てて止めた。

「栗林将軍、貴女は日本国の全権大使でもあるはずです。それにこの会合には貴国の協力が是非とも必要なのです。どうか一緒に討議いただきたい」

「そうです将軍。私は軍事に疎いところがあります。是非同席をお願いします」

 マリヤ女帝までもが栗林を引き留めた。

 

(…まいったな)

 と云うのが栗林の正直な感想だ。

 此処に英国首相が居るということは、欧州戦争に関わるだろうことは容易に想像がつく。そしてこの時期に英国がロシア東方帝国に要請することは対ソ戦であることも想像に難くない。ロシア東方帝国は国力の面からも、ユーラシアの半分程度まで奪還する方針だが、英国はソ連を完全に打倒する事を要請するのではないか? そうなると日本帝国は大陸に国力を振り分けることとなる。米国との緊張がたかまっている今、それは歓迎できない話しである。

 しかし二人の国家指導者から請われれば、それを無碍に断るわけにもゆくまい。

 栗林は観念して、着席した。

 

「では、僣越ながら私の要望をお伝えします。マリヤ陛下、貴国はウラル以西には侵攻をしない方針だと伺いましたが、それは本当なのでしょうか」

 チャーチルの言葉に、マリヤは栗林に目配せし、頷いた。

「本当です。反逆者を全て誅することが出来ないのは断腸の思いですが、我がロシア東方帝国の国力を考えれば、ウラル奪還までが限界であると判断します。我が国には資源はありますが、残念なことにそれを活かす人的資源が不足しています。また戦争に伴いインフラ整備に遅れが生じれば、厳しい冬を越すのも困難です。国境を固定したうえで、まずは国内を整備する必要性を重視しました」

 マリヤの言に栗林も首肯する。

「我が国としても、安全保障上ロシア東方帝国と友誼を結びました。ソ連の南下政策は我が国としても受け容れがたく、共に戦うことを天皇陛下が御裁可されたのです。しかし大陸は広く、長年に亘った中国との戦争後でもあり、国内経済の復興が急がれましたので、マリヤ陛下のご意向の通りウラル地区奪還まで助力する方針なのです」

 チャーチルは黙って二人の言葉を聞いていた。 彼女にとって、これは想定範囲内であった。

「お二人の懸念はごもっともです。ですが、共産主義は自由経済主義とは相容れない思想であり、この好機にソ連を覆滅しておくのが得策だと私は思うのです」

「好機……とは?」

 マリヤ女帝は怪訝そうな顔をした。

 国内の立て直しとソ連との戦争で、ロシア東方帝国は手一杯だ。現状を維持するのが精一杯であり、とても 「好機」などと楽観できる状態ではない。

「現在、ソ連は貴国とドイツの2正面戦闘を強要され戦力を2分せざるを得ない状況です。特にドイツ陸軍は精強で、ソ連は苦戦を強いられています」

「その窮状を救うために、貴国が援助を行っているのではないですか? 失礼だがチャーチル首相、貴女の発言には矛盾がある」

 眼光鋭く栗林は問うた。 ソ連を相手に戦争をしている以上、それを支援する英国は敵性国家である。しかし英国はこちらに対してソ連を倒せ、と言ってきているのだ。これが矛盾でないとしたら、なにを言わんか。

「現在我が国はドイツの頑強な海上封鎖に伴い、”一時的に”援ソ船団の派遣を停止しております」

 チャーチルの言葉に、栗林は思考を巡らす。

 英国は世界第一位の海軍力をもつ国だ。水上艦では1方面艦隊を動員するだけでドイツ艦隊を撃破するだけの実力がある。ドイツのヒトラー総統は水上艦による決戦には興味を示さず、専らUボートによる通商破壊戦を採っているという。

 しかし、いかにドイツのUボートが脅威であるといっても、英国海軍の実力からいって、援ソ船団の派遣を止める必要はないはずだ。つまり、これは―――

「ドイツと取り引きをされましたね?」

 栗林の言葉にチャーチルは沈黙をもって応えた。

「首相、貴女は非常に危険な賭けに出た。 情報の出どころは明かせませんが、今欧州戦争は膠着状態だと聞きます。この半年間、小さな小競り合いはあるものの、大規模な戦闘は惹起していない。ドイツも、連合国も決め手に欠けているのでしょう。そんななかドイツはソ連と開戦した。当初は対ナチズムという御旗の元で共闘していたソ連が、劣勢にたたされている。そこで貴女は考えた。ドイツとソ連を戦わせ、疲弊したドイツを叩こうと。そしてあわよくば余勢をかってソ連を打倒しようと。しかしソ連は当初の予想よりも敢闘している。場合によってはドイツを服すかもしれない、と考えた貴女は保険をかける事にした。ロシア東方帝国との挟撃により、ソ連を落とそうと貴女は提案するつもりだ」

 栗林の刺すような視線を真正面から受け止めるチャーチル。 気の弱い者ならば目を背けてしまいそうになるそれを、チャーチルは受ける。チャーチル自身、第一次欧州大戦では前線で戦ったことのある軍人だ。その胆力は現役の栗林に勝るとも劣らない。そしてそうでなければ、強敵であるドイツと戦えない。

 チャーチルは口の端をあげた。

「流石は日本軍の俊英。大凡その通りですよ」

「貴女は――盟邦を裏切る、というのですか」

 幾分か青ざめた表情でマリヤ女帝は言った。心なしか言葉が震えているようだ。

 『裏切り』――これこそが彼女の親族を尽く死に追いやったのだ。心穏やかではいられないのだろう。

「その『裏切り者』を誅するのです、陛下。嘗ての帝政ロシアを復興する好機だとお考えください」

「チャーチル首相、我が国には『二兎を追って一兎も得ず』という諺があります。欲を出して二つの物を手に入れようとして、結局失敗してしまう、という教訓です」

 険しい顔で栗林は言い含めるように発言するが、チャーチルは表情を変えないどころか、強敵に挑むような目をしている。

「確か貴国には『漁夫の利』という諺があるとか」

「それは、貴国にとっての『利』でしょう。 僣越ながら陛下、英国の要請は受けられぬよう進言いたします 。ここは当初の計画通り国力の増強に力を注ぐべきでありましょう」

 栗林の言にマリヤ女帝は頷いた。

「チャーチル卿、貴女の申し出はたしかに魅力的ではあります。現状我が国には戦争遂行に要する資機材や戦力が足りません。真に申し訳ないが、この話は――」

 チャーチルはマリヤ女帝に最後まで言わせなかった。今ここで勝負のカードをきる。

「貴国には日本という心強い味方がいます。彼らと手を取り合って事に挑めば、成せないはずはありません」

(こちらに話をふってきたか。まるで手練れの詐欺師だな)栗林は胸中で呟いた。

「本邦としても協力を惜しむものではありません。しかし個々の国には事情があることは理解して頂きたい。 重ねて言いますが、国内経済を立て直せなければ、大規模な軍事介入は国民に更なる負担を強いることになり、民心の不満から政府が機能不全に陥り、国家が破綻しかねません」

 栗林は、殊更ゆっくりと言い含める様に話す。それをチャーチルは黙って聞いている。人心掌握に長けた栗林でさえ、彼女の心情が計れない。

「栗林将軍、貴女が言う国力の回復の真の理由は、対アメリ力戦を想定しているからなのではありませんか?  なるほどロシア東方帝国との戦闘の主力は陸軍です。しかしもしここでアメリカとの戦争となった場合、日本は陸と海の戦力を投入せざるを得なくなる。アメリカが国力を回復しつつあり、ハワイを再占領するとなるとハワイ王国と同盟国の日本は否が応でもアメリカと開戦しなければなりませんからな。陸軍を動員するだけでも大変な時に、海軍も動かすとなると、その負担の大きさに国そのものが耐えきれない、といったところでしょうか」

 チャーチルの言葉に栗林はすぐには返事をしなかった。チャーチルの指摘が間違っていたわけではない。

(流石に外交巧者の国だな。情報収集能力も素晴らしい。我が国もこれは見習うべきだろう)

「仰る通りです。 現在の我が国にとり、陸海軍を動かすのは容易ではありません。ロシア東方帝国への軍事協力で手一杯なのです」

「……では、ソ連がロシア東方帝国への圧力を弱めたらどうでしょう? そうなれば日本の負担も小さくなるのでは?」

「あの裏切り者のならず者が我が国との戦争を止めるとは思えないが」

 マリヤ女帝は顔を顰めながら絞り出すように言葉を紡ぐ。その様子を観察するチャーチルの顔に笑みが転んだ。

「例えば、ですが―――ソ連が欧州へ注力せざるを得ない状況になったとしたらどうでしょう? そう、ドイツがソ連に対して大規模な攻勢に出たとしたら?」

「それは―――」

 ロシア東方帝国にとっては朗報だ。ソ連が極東へ兵力を割けなくなれば、一気に戦局が動く可能性がある。

 マリヤ女帝は栗林に視線を向ける。その眼には期待の光が満ちている。

「現状では、どうなるか予想がつきません。仮にドイツが攻勢にでたとして、ソ連が早晩瓦解する事はないでしょう。例え”ソ連への援助物資が届かなくなる”としても」

 栗林は確認するようにチャーチルを見る。英国首相は表情を変えない。

「では?」

 マリヤ女帝は答えを待つ。

「ここは様子を見るのが良いと思います。英国の申し出に乗るかどうかは、今後の戦局次第ということで。小職はこの案件を本国へと持ち帰ります。貴国への回答にしばし時間をいただきたい」

「了解した。 我が国としても、日本の協力は是非とも必要です」

 マリヤ女帝は頭を下げ、栗林は目礼した後、チャーチルを見る。

「わたしからもお願いする。 よい返事を期待しております」

 とだけ、チャーチルは答えた。

(おそらく陸軍は賛成するだろう。問題は海軍だが……)

 戦火の拡大は兵士の死傷者も否応なしに増加することを意味する。胸中に暗澹たる思いを抱きながら、栗林を部屋から退出した。

                        3

 

 新造戦艦『壱岐』は呉海軍工廠で昭和25年1月23日進水、12月15日に竣工した。現在は瀬戸内海宿毛湾にて公試中であり、これに合格すれば12月25日前後に海軍への引渡しの予定だ。

 艤装員長松田大佐の指揮の下、『壱岐』は呉海軍工廠から宿毛湾外へと航進してゆく。基準排水量6万トンの巨体がゆっくりと進み、対岸の景色は後方へと流れてゆく。

「進路そのまま。巡航用エンジン、出力全開」

 松田の命令に航海長が応じ、それぞれ機関室と操舵室へと指示を出す。

 『壱岐』の速度が僅かに上昇したのが感じられた。基準排水量6万トンの巨体に比して、巡航用のディーゼル機関の最大出力8万馬力では、最高時速12ノットが限界である。主機であるガスタービンエンジンは戦闘用であり、 燃費は度外視されるが、移動に使用するエンジンは燃費のよいディーゼルエンジンを使用する。この為、動力切替器やギヤボックスの構造が複雑になり、当初は不具合が頻発したが、竣工時にはその問題はほぼ解消された。それをこの公試で確認する。

「エンジン出力最大。 現在異音、異臭なし。 異常振動も確認されません」

「速力12ノット‥‥12.1ノット‥・」

 航海長が速度を読み上げる。どうやら順調のようである。

「過荷重運転30分、用意」

 続けて松田大佐が指示を出す。

「過荷重運転宜候。 機関長、バルブ全開用意」

「こちら機関長。いつでもいけます」

 艦内通話機からの声に航海長は松田大佐を見る。彼女は頷くと、

「過荷重運転、開始!」

 と号令を発した。

 

「順調のようだな」

 艦政本部・本部長渋谷中将は、傍らに控える第四部長小山田少将に話しかける。

「現在、過荷重運転試験に移行しました。巡航用大型ディーゼルエンジンの耐久性が試されます」

 小山田少将は技官と共に計測機器を凝視しつつ、そう応える。計測機器はエンジン内温度や冷却水の温度、エンジンの振動検出計や軸の回転数とギヤボックスの振動と温度変化等を無線通信にてモニタできるようになっている。

「今のところ問題はないようです。エンジンも安定しています」

 技官の言葉に小山田少将は頷く。次いで速度を計測している技官に問いかける。

「現在12.75ノット出ています。計画値を若干上回っているのは、現設計の大和型から改良した紀伊型の艦首を採用した効果がでているものと推測されます」

「過荷状態だからな。しかしそれでも良い状況だ。建造時ではギアボックスが破損する事故が多発したからな」

「あと20分、エンジンが保つとよいのですが」

 技官が思案顔で言うと、小山田少将は心配ない、といった表情で

「艦船用ディーゼルエンジンについては、本邦も潜水艦用の動力として技術を積み重ねてきた。確かに『壱岐 』のエンジンは規格外の出力となったが、その点については自信をもってもよいと思う」

 と励ますように笑みを浮かべた。

 

 『壱岐』の巡航用ディーゼルエンジンの試験は良好な結果に終わった。当初予定していたよりも最大出力が優り、付随的に巡航速度も計画値を上回った。しかしこれは過荷重運転であり、通常このような運用はしない。だがこの試験結果により巡航用エンジンに十分な余力があり、結果的に航続力の延伸につながったのは僥倖であったろう。

 宗継は松田大佐と航海長のやりとりを聞きながら、『壱岐』の潜在能力の高さを理解した。確かに『壱岐』は前級の大和型戦艦を基にしているが、設計段階から新技術を採用した、最新鋭戦艦である。46センチ主砲は今なお世界最大の艦砲であり、戦艦の設計思想に照らせば、米国の40センチ主砲搭載戦艦と互角以上の戦いが出来る。帝国海軍は新たな戦力を手にしたのだ。

「続いて主機の試験にはいる」

 松田大佐の凛とした声が戦闘艦橋に響き渡る。

 航海長が機関長に命令を伝達、見張員が双眼望遠鏡で周囲の監視を強化する。

「機関、準備よし」

「周囲に障害となる艦船なし」

「タービン始動用意」

 松田大佐の声に航海長が機関室へ指示をおくる。

「始動用エンジン点火。……起動を確認。………ガスタービン定格回転数まで60」

「減速ギアを巡航から主機へ切替準備……切替え、今」

「ガスタービンエンジン点火しました」

 航海長の言葉と共に、『壱岐』が加速を始める。

 艦の心臓部たるガスタービンが高速回転する独特の金属音と振動が足元から伝わってきた。同時に『壱岐』が急激に速度を上げるのが実感できる。

「やはり、蒸気タービンとは違うな。駆逐艦並みの加速力だぞ、これは」

 足に力を込めなければよろけてしまいそうな加速のなか、松田大佐は驚嘆の声をあげた。

 6万トンを超える巨艦が波濤を切り裂きながら速度を上げる。艦首波が勢いよく波飛沫をあげ、艦首甲板を洗う。急激な速度上昇に伴い海水が巨大な抵抗となり、それを強引にかき分けながらの航進の結果である。海水の奔流は第一砲塔の前の波切り板にあたり砕けると、左右に分かれて再び海へと戻っていく。それを3度ほど繰り返したところで、艦首波が安定した。

「ただ今第3戦速に達しました。 ガスタービン定格回転を維持」

 航海長の言葉に、松田大佐は頷いた。加速が落ち着いて恒常運航に入ったのだ。 喧噪が収まっても『壱岐 』が力強く航進しているのは、遠くに霞む本州側海岸線が後方へ流れて行くので確認できる。

「静かですね」

 宗継は誰に言うともなしに呟いた。

「本艦はガスタービンを採用しているからな。 艦船用ともなると大型になり、全長が延伸する事による振動問題が課題になった。それはタービンを免震装置上に設置することで解決した。これで振動に起因する騒音が大きく減少した。それに、この『壱岐』は陛下の御召し艦となる事が決定していたからな。騒音対策は他の艦船より徹底している 」

 同じく連合艦隊司令部から派遣されている航海参謀、明智中佐が答えた。 彼女もこの『壱岐』には大きな興味をもっているらしく、業務の妨げにならない範囲で『壱岐』航海長に質問を投げかけていた。

 宗継も山本連合艦隊司令長官から「ハワイ訪問時の陛下の御座上艦をよく見ておくように」との訓令を受けている。ありえない話しではあるが、この『壱岐』が戦闘に参加する場合を想定しての作戦計画立案の指示もされている 。実際に艦に乗組み、その性能や特性を把握することで、より現実的な作戦を立案できるように、との配慮であった。

 技官との打合せを行っていた松田大佐は、次の命令を下す。

「最大戦速。両舷全速前進」

「最大戦速、宜候」

 航海長が命令を復唱すると共に、機関室へ命令を伝えた。それから数秒後、艦が加速を開始した。 足元から微かに振動を感じた―――と思うと、窓外の景色がみるみる速度を上げて後ろへと流れてゆく。

 艦首が海を切り裂き、艦首波が大きくせり上がり甲板を濡らす。そればかりか、砕けた波の飛沫が戦闘艦橋の窓ガラスにまで届く。宗継は最初、雨でも降り始めたのかと思ったほどだ。

 

「現在32ノット‥・まもなく32.5ノットに達します」

 地上観測所で技官が『壱岐』の速度の計測値を報告する。

「32ノットを超えるだと? 空母並みの速度だな」

 渋谷中将は思わず身を乗り出した。

「連合艦隊と軍令部の要求が空母機動部隊に随伴可能な艦、でしたからね。 最も紀伊型、大和型共に空母機動部隊に随伴できるだけの速力を確保していますので、新造戦艦に速度性能を求められるのは予想していました。大和型の艦体に5割増しの出力のあるエンジンを積んでいますので、この結果はある意味当然でしょう」

 技官が話している間にも『壱岐』の計測値は上昇してゆく。

「現在速度33.67ノット……安定したようです。 ガスタービンエンジンの計測値は全て定格値内。計測上は異常振動も表れていません」

 

「全て順調のようだな」

 前方を見やりながら松田大佐は満足げに頷いた。

「竣工直前までメーカーと工廠が調整を繰り返していたのです。なかなか気分屋なところもあるエンジンですが、上手く動いているようです」

「機関科も苦労しているだろうな」

「苦労の甲斐はあるかと。公称出力で34ノットに迫る速度です。これまでとは次元が違います。6万トンを超える大和型以降の戦艦が巡洋艦並みの速度で走るのですから」

 『壱岐』の運用結果次第では、既存の戦艦の主機がガスタービンエンジンに換装されるだろうと航海長は言っているのだ。

 海軍では航空母艦の重要性が増し、改大和型の紀伊型戦艦8隻の建造が4隻で取りやめになり、その予算が全て空母建造に充てられた。

 結果としてジェット機が運用可能な大型正規空母が翔鶴型4隻、大鳳型4隻の8隻体制となり、空母保有量では世界第一位となった。更に改大鳳型の計画もあるという。

 快速の空母に追随できず、戦場の高速化に取り残された感のある戦艦だが”高速戦艦”であれば話は別だ。

 防空巡洋艦の建造・配備が進んでいるが、火力で言えば戦艦は他艦種の追随を許さない。最新の60口径10センチ高角砲の搭載数だけみても巡洋艦の倍以上。その他に40ミリ、25ミリといった大口径機関砲も多数配置し、段階的な防空圏を構成できる。新世代の対空ロケット弾の搭載量も倍である。

 その防空能力から空母の護衛が主任務のようになったが、水上砲戦ともなれば主役である。その防御力と巨砲の破壊力でもって敵艦を叩きのめす。『壱岐』は大和型から採用された世界最大の砲口径46センチの艦載砲を搭載している。現時点でこの主砲に打ち勝てる戦艦は世界に存在しない。その他にも島嶼への上陸作戦時の援護射撃では絶大な効果を発揮するだろう。

 まだまだ戦艦の存在価値は無くならない、そう航海長は思っているのだろう。

 宗継とて、参謀として作戦立案をする時には戦艦の使いどころに思うところはある。戦場の高速化への対応や攻撃の選択肢は圧倒的に空母と航空機の方が使い易い。空母の弱点は脆弱性である。飛行甲板に1発でも被弾すれば 、船としては使えても空母としては用を成さない。その為には護衛役としての防空艦や戦艦を上手く使う必要がある。

 戦艦――殊に砲術家にとって、空母の護衛役というのは、ある種の負の想いを抱く事もあるだろうが、戦術というものは都度進歩をするものであり、それに乗り遅れた者は「敗北」という厳しい現実を突きつけられるのも事実だ。

(帝国は確かに豊かになった。だが、それでも欧米と比べて貧弱なのは動かしがたい事実だ。列強と軍拡競争をしようものなら早晩国庫が破綻するだろう。ならば今ある装備を効率的かつ効果的に運用しなければ列強に太刀打ちできない。その為には従来の思想を180度転換する位の覚悟が必要だ。例え、軍部内で反発が生じようとも)

 宗継は作戦参謀として、そのことを強く思った。

 

 ―――その日、『壱岐』は過荷状態で34.72ノットを記録した。

 

 その日の公試を終えて退艦しようとした宗継に、松田大佐から

「明日は主砲の試射を行う予定になっている。貴官も立ち会ってはどうか」

 と声をかけられた。宗継は一も二もなく快諾した。

 

 早朝に柱島泊地から出港した『壱岐』は関門海峡を抜けて日本海へと向かった。当初太平洋側で行う予定であったが、防諜上の理由により、日本海で実施することとなったのだ。瀬戸内海域で行うという予定もあったが、46センチ砲の試射に伴う影響が対岸に及ぶ可能性があるため、大和型戦艦から日本海で実施すると決められていた。

 日本海では中国やソ連側に情報が漏れる危険性があったが、中国との関係は平穏を保っており、ソ連と米国は反目しあっており、ソ連から米国への情報漏洩の危険性は少ないと判断された。加えて現状の中国・ソ連海軍は大和型に匹敵する戦艦の建造技術が無いとの予測もあった。両国ともに陸軍国家であり、海軍力は米国等に比べて低いと見積もられている。

 正午前、

「試験海面まで5浬」

 海図台の前で海図を見ていた航海長が報告をあげる。

 松田大佐は双眼望遠鏡で進路前方を見る。

「あれか」

 望遠鏡の丸い視界の中に黒い塊が2つ並んでいるのが見える。 建造中止となった紀伊型戦艦の5番艦『土佐 』の船体と、それを曳航する戦艦『駿河』であろう。通常は旧型艦が曳航船となるが、46センチ砲弾落下の衝撃に耐えられる船は同じく大和型か発展型の紀伊型戦艦のみである為、万一の被弾に備えて『駿河』が選ばれたようだ。

「周囲に艦影なし」

 艦橋トップの防空指揮所に詰めている見張員からの報告が入る。

「こちら電測。周囲50キロメートルに不審な反応なし」

 レーダー管制室からの報告も同様の内容だ。上空を舞っているいるのは友軍の観測機のみということだろう。

「よし。作戦参謀、射撃試験準備開始せよ」

 松田大佐の命令に参謀が応じる。まずは艦橋トップの射撃指揮所へ連絡をとる。

「射撃試験は事前の打合せの通り、光学測距から行う」

「射撃試験は光学測距で行います、宜候」

 射撃指揮所で指揮を執る砲術長が応答すると、側的手へと指示を送る。 大和型戦艦に共通の基線長15メー トルの測距儀を操る側的手が準備を始める。大和型での連用実績から安定装置等の改修を施した最新型の測距儀である。

「試験海域に到着しました」

 航海長の報告に松田大佐は頷き、

「両舷停止。 参謀、試験艦へ通信『我、試験海域二到達ス一一五〇』」

「『我、試験海域二到達ス一一五〇』通信します」

 通信参謀は復唱すると、電測室へと命令を伝える。 電測室とは、基本的にレーダー管制を統括する場所だが、通信施設と併設されている。これはレーダーも無線通信も原理的には電磁波を扱うものであり、これらを一元的に管理するのが合理的であると判断された事による。実際、――細部が異なるものの――通信装置には共通部も多い。

 ―――やがて、試験艦から返信が届いた。伝令である一等水兵が電文をもって戦闘艦橋へと来ると通信長へ手渡した。

「試験艦より返電です。『壱岐ノ現着ヲ確認ス。試験ハ事前ノ計画通り一三〇〇ヨリ実施スル。爾後ハ壱岐艤装員長ノ指示ニヨリ試験項目ノ実施ヲ推進セヨ。 艦政本部試験実験部一二〇五』」

「予定通りだな」

 松田大佐は口元に笑みを浮かべた。大和撫子然とした端正で精悍な面持ちに女性らしさを感じさせる表情だ 。

「各分隊に通達。 試験準備をしつつ、適宜休憩をとるように」

「はっ。 各分隊に試験準備をしつつ、適宜休憩をとるよう伝えます」

 副長である永橋中佐が返答し、各参謀へ指示を出す。

「貴官は艦砲射撃は初めてだったかな?」

 宗継の傍らに立つ参謀が指示を出し終わったのか、話しかけてきた。

「江田島卒業後の練習航海中、『香椎』で実習を受けたきりです」

「『香椎』か。 あれは良い艦だが……主砲は14センチ単装砲だったな」

「はい。 砲側射撃を経験しましたが、3門斉射はかなり堪えました」

「陸軍さんでは大口径に分類されるサイズだからな。 だが戦艦の、それも大和型の46センチ砲は桁が違うぞ」

「と、申しますと?」

「14センチ砲の砲側射撃の衝撃はかなり堪えただろうが、46センチ砲はこの戦闘艦橋に居ても腹に響く。『大和』で問題になり耐震、防音対策が採られた紀伊型であっても、かなり”くる”らしい」

「ほう。 それは楽し……興味深いですね」

「なに、あと1時間もすれば体験できる。耳覆いを忘れないことだ」

 参謀が意味ありげに笑うのと、参謀長が叱責するのは同時であった。

「貴様ら、余計な私語は慎め。……秋月少佐も興味があるだろうが、自重するように」

「「は! 失礼いたしました」」

 背筋を伸ばした二人を見て、参謀長は苦笑を隠しきれなかった。

 

一三〇〇

「これより射撃試験を行う。各員状況を報告せよ」

 艤装員長・松田大佐の音声が艦内各所の高声令達器から流れると、各部署から報告が上がる。

「こちら砲術。 射撃準備完了」

「機関科、発動機及び機械室正常」

「飛行科、観測機発艦準備完了」

「運用科、各員配置に就きました」

「航海科、運航計画実施可能です」

「員長、射撃準備完了です」

 最期に副長が報告すると、松田大佐は大きく頷いた。

「観測機、発艦せよ」

「観測機、発艦します」

 航空参謀が送受話器を取ると、命令を伝える。

 やがて艦後部から独特の回転音が聞こえてきた。 従来の固定翼プロペラ水上機である零式水上観測機に代わる航空兵装として試作された回転翼機、試製力号観測機である。製作は新進の萱場製作所で、ドイツのフレットナー社の技術提供を受け、完成に漕ぎ着けた近代的な回転翼機だ。「試製」と付いているのは、機体としての完成度は問題ないのだが、運用実績がないため、便宜上の措置だ。実際は、帝国海軍だけで30機以上が配備されている。

 最高速度は時速180キロ程度と、零式水上観測機に比べて半分程度であるが、回転翼機の特性である空中停止、垂直離着陸等が可能であり、射出機の実装を必要とせず、且つ観測任務に適しているばかりでなく、海面を舐めるように飛行する事により潜水艦狩りも得意な航空兵装として今後の活躍が期待されている。対潜哨戒時には、60キログラム対潜爆弾4発を懸吊できるのが大きな強みだ。これにより、空母の支援なしでも戦艦単体で潜水艦の脅威に対抗できるようになる。『壱岐』はこの試製力号観測機を3機運用できた。

 その内の1機が、標的艦の上空へ向けて飛び立っていった。

 

 およそ5分後観測機の機長から、所定の配置に就いた旨、報告が届いた。

「第一種射撃試験、開始!」

 松田大佐の凛とした声が戦闘艦橋に響いた。

 第一種射撃試験とは、互いに静止した状態での射撃試験である。これに第二種の標的艦静止目標に対して試験艦の原速航進射撃、第三種の標的艦と試験艦の全速航進射撃、第四種の対空射撃試験がある。最後の第五種の夜間全速航進射撃試験を含めると、ほぼ1日主砲、副砲、高角砲(両用砲)を撃ちまくることになる、過酷な試験だ。これにより、ある程度の精度の射表が作成される。同一図面から製作した砲であっても、性能にバラつきが生じるため 、個々の砲の射撃特性を記録し、照準の諸元に加えることにより、射撃精度を高める為だ。

「観測機からの信号、来ました」

「標的艦の観測始めます」

 側的手からの報告に砲術長は了解の意を示す。ややあって、

「側的完了」

「諸元入力完了」

「砲弾装填確認異常なし」

「射撃準備、よし!」

 先任下士官の報告を受け、砲術長は射撃準備完了の旨を砲術参謀へ報告した。

「撃ち方はじめ!」

 松田大佐の命により、砲術長は「うちーかた、はじめ!」と海軍独特の抑揚をもった命令を発した。

 単1回、長2回の主砲射撃を報せるブザーが鳴り終わった後、射撃手を勤める下士官が、拳銃の引き金に似た 発砲装置の引き金をそっと引いた。

―――その瞬間。

 強烈な音と衝撃が宗継を襲った。実際には主砲発射の反動は駐退機と巨大な艦体が受けとめているのだが、 砲口から迸る音の圧力と衝撃波は、分厚い装甲板に鎧われた艦橋ですら串刺しにしたのだ。

 耳覆いをしていてさえ、鼓膜が破れてしまうかと思わせる轟音。まるで濡れタオルで全身を叩かれたような衝撃。

「っ‥‥‥! ?」

 初めての体験に、宗継の体が順応しきれず、軽くパニックを起こしかけていた。その状態を見て松田大佐は悪戯っぽく

「今のは各砲塔の右砲を使った交互撃ち方だ。3門だけだが、初めてだと堪えるだろう?」

 と笑った。 何と答えてよいものか宗継が迷っている間にも、時計員が時間を読み上げている。

「5……4……3……2……、だんちゃーく、今!」

 張りのある声が響いた直後、標的艦の周囲に巨大な水柱が屹立した。 視認性を高めるべく赤色の染料を仕込んである砲弾を使用しているため、水柱は鮮やかな赤色をしていた。

「さすがに初弾命中とまではいかぬか」

 双眼望遠鏡で射撃結果を見ていた松田大佐は呟いた。

「ただ今の射撃は近、遠、近。 夾叉です」

 同じく結果を見ていた砲術参謀が弾んだ声を上げた。

「砲術より委員長、次より斉射」

 射撃指揮所でも観測できたのか、射撃指揮所より通達があった。

「くるぞ」

 松田大佐が宗継に意味ありげな笑みを向けるのと、主砲射撃を報せるブザーが重なった。

 音が消えた。 砲口炎が見えた瞬間、宗継はそう感じた。

 実際は46センチ砲9門発射に伴う轟音が、許容量を超えてしまったために聴覚が一時的に麻痺してしまったのだ。

 続いて尻を蹴り上げられるような衝撃が全身を貫き、内臓が体の中で捏ねくりまわされるような、ある種の苦痛に襲われた。

「っく………!」

 宗継は歯を食いしばって耐えた。海軍軍人であれば耐えれて当然である、という思いもある。 艦橋内に居る他の士官が平然としているのに、自分だけが無様を晒すのにも抵抗があった。

「‥‥‥だんちゃーく、今!」

 辛うじてそれだけが聞き取れた。宗継が標的艦を見ると、真っ赤な水の柱が見えるのみで、命中したかどうか分からない。

「さすがだな」

「静止目標です。これで外すようでは、帝国海軍軍人の名折れです」

 松田大佐と参謀長の会話から、今の砲撃が命中したのを知る。

「水柱が立つ寸前、3つ光点を確認したが‥・」

「ただ今の砲撃、命中4」

 射撃指揮所から高声令達器を通じて報告がなされると『壱岐』艦内からうなりのような音が聞こえてきた。 おそらく艦内各所で乗組員が拍手をしたり、「万歳」と歓声をあげているのだろう。

「続いて第2射」

 主砲発射を告げるブザー音が終わるとともに、この日2回目の斉射が行われる。

 頭の天辺まで痺れるような衝撃に耐えながら、宗継は今度こそは命中の瞬間を見ようと必死に目を凝らした 。

 赤い水柱が林立する寸前、標的艦の中央付近に閃光を見ることができた。これが、宗継にとって初めての戦艦による主砲射撃の命中の目撃であった。

 その後『壱岐』は第3射、第4射と繰り返し、5射が終わった時点で発射弾数48発中18発が命中確実、10発が有効弾と判定された。

 その後も試験プログラム通り進み、残りは夜間航空迎撃試験のみとなった。この間『壱岐』は各主砲門106発を発射していた。砲身は大和型、紀伊型で実績のあるもので、信頼性は当初からあったが、実際に射撃を行うまでは書類上の空論に過ぎない。また射撃指揮装置との組み合わせによる射撃は今試験が初であり、どのような不具合が見つかるか分らない。最悪は射撃そのものが不能となる事態も考えられた。

 しかし、100発を超える射撃を行っても、砲身に異常は認められず、懸念された新型射撃指揮装置との連携も不具合は無かった。46センチ砲の発砲時の反動は凄まじく、1番副砲が一時射撃不能に陥る事態も生じたが、これは応急修理で対応した。あとは砲架、艦体ともこの反動をよく受け止め、歪みや破断等の事故はなかった。紀伊型後半艦から本格的に採用された溶接工法は『壱岐』に至って全体の6割に及んだが、一部の幹部からは「46センチ砲の衝撃に耐えきれないのではないか」との意見もあったが、この公試によって、その安全性が証明されたことになる。ただし、これは敵からの攻撃を伴わないものであり、実際に列強が装備する40センチ砲弾に対する抗堪性については実戦に依るしかないのが実情だ。しかしながら艦政本部では十分対抗可能との見解を示している。

 一方、宗継は……

「これはきついですね」

 大きく息を吐くと、従兵から水筒を受け取ると、中身を一気に飲み干した。水筒の中身は麦茶であった。

「これが戦艦の艦砲射撃だ。慣れないと堪えるだろう」

 砲術参謀が笑いながら宗継に語りかける。

「そうですね。これが戦艦の主砲の威力というものですか」

 宗継の顔は疲労の影が濃い。 実際に主砲塔に配置に就いている者たちは一体どれほどの体力・気力を必要とされるのだろうか?

「世間では航空機やロケット弾が今後の主流となると言われているが、まだまだ戦艦の主砲は活躍できると私は信じている。この『壱岐』が建造されたのも意味あることだろう」

 確かに戦艦『壱岐』には建造される意義はある。そもそも国家予算を投入して建造されるのだから、無計画に造られるはずもなく、これは海軍省がしかるべき手続きを経て国会の審議を通して承認を得たものであり、中長期国防計画に盛り込まれているのである。

(しかし、GFは『壱岐』を使い捨てにする作戦も考えている、なんて言えないよなあ)

 宗継は、ただただ笑顔で受け流すしかなかった。

 

 その日の試験は22時過ぎには完了し、『壱岐』は呉軍港へと帰投した。

 

―――その後、全ての試験を問題なく終えた『壱岐』は海軍に受領され、12月30日、制式に軍艦『壱岐』として就役した。

 


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