No.944366

世界大戦異聞録「ちゃくにん!」

陸奥長門さん

大日本帝国海軍軍令部所属の秋山・宗継大尉は連合艦隊司令部への辞令を受けるが・・・。

2018-03-08 19:33:29 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:750   閲覧ユーザー数:747

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 西暦1800年代後半 ―――「それ」に気づいたのは助産婦だと伝う。

 産れてくる子供の大半が女児である。

 最初、それはよくある迷信の類であると思われた。

 だが西暦1900年代に入り、とある国の医師の提案により各々の出生記録を持ちより議論した結果、「それ」は確信に近いものとなった。

 産れてくる男女比が参加したどの国も大凡2:8の割合であることが証明されたのだ。

 これは地域や環境の変化などとは無関係に、どの国でも男子の出生率は2割り程度であることを示していたのだ。

 あと10年もすれば、出産適齢期の女性に対して男性が圧倒的に少なく、その結果として人類全体の減少を意味するものだった。

 この10年というのも希望的推測の域を出ず、既に男手の不足による深刻な労働力不足が生じていた。第一次産業に於けるこの種の問題は、世界的な食糧不足を招いていた。

 現状重労働を除けば、まだ女性が補助をすることで世界は破滅的な状況を免れているが、それも10年すれば男手が絶対的に不足し、食糧総生産・鉱工業生産力の低下は決定的となり、人類の破局は加速度的に進むとの結論がでた。

 民間レベルでは、1入の男を巡る壮絶な女同士の抗争がしばしば発生し、少なくない犠牲者を出している。

 そして国家レベルでみれば、国民総生産の低下とそれに伴うデフレーションが始まり、国家運営に支障が出る寸前であった。

 学者たちは絶望的な未来を予測したが―――ここで後に「第2次ルネッサンス」と呼ばれる現象が起こる。

 女たちは自身がいかに非力かを悟っていた。 故にそれを補完する途を探り始めたのだ。

 すなわち機械力の活用である。

 人類の危機を救うが如く各分野で「天才」と呼ばれる人材が誕生した。

 発明王「トトリ・エジソン」、科学者「エリザベート・アインシュタイン」、「ニコラ・テスラ」、医師や技師、そしてエネルギー源として石油を使った内燃機関の発達‥・。

 それらを活用することで、より少ない労力で最大の効率を生み出すことが可能となった時代。 機械化が急速に進み、女性が主役となる時代が訪れたのだ。

 

 機械科学技術の進歩は人類救済に大いに貢献したが、その技術は自分たち人類に牙を剥いた。

 機械化の進んだ結果として、戦争の規模が拡大した。

 それは拡大と云うよりも、変質した、ととらえてもよい。 戦争の形態が一変したのだ。

 歩兵が隊伍を組んで正面突撃をする時代から、速射可能な銃器、これまでよりも長射程・大威力の大砲の開発により、大量破壊が生み出す兵士の損失が鰻上りに増加した。

 また無線通信の発達は、これまでの兵による口頭伝令よりも迅速かつ詳細に戦況を把握する事が可能となり、戦略機動の大幅な増強を促した。

 より効果的に兵力を展開できることが可能となった反面、兵站がそれに追いつかないという弊害も生じることとなり、各国の軍は補給の問題に直面した。

 従来の軍隊というものは、攻撃力の向上には積極的であるが補給については熱心ではなかった。  これは輜重科が他の兵科より軽んじられていたこともあり、限られた軍事予算が攻撃と防御に回されるのが常であったからだ。 しかし実戦となるとこの問題が大きく取り上げられることになる。

 近代戦は物量のぶつかり合いでもある。当初予想されていたよりも戦略物資の消耗は激しく、補給が消費に追いつかなくなる事態が急増した。

 もはや戦争は兵路線の確保がなければ続けることができなくなったのだ。

 これは逆に言えば敵の兵站線を破壊すれば、多少兵力で劣っていようとも、戦術的勝利を勝ち取ることができる可能性を生んだが、大局的に見て局所的な勝利によって戦争が勝てない現在では、嫌がらせ以上の効果は期待できなかった。

 結局のところ、いかに兵姑線を護るか? が大きな課題となり、軍は常に補給の問題に頭を悩ませることとなる。

 これらの全てが「第2次ルネッサンス」により大幅に改変されてゆく。

 第一次からはじまる産業全体の機械化により、嘗て人力に頼っていた分野が機械力の補助により男性よりも脊力に劣る女性でも―――極端なはなし、指先でも―――行えるようになり、人類の営みはなんとか継続可能な状態になった。

 危機的状況に好転がみられると、人々は自身の利益を追求するようになる。

 最早人類全体に於ける男性の割合は2害りを切っており、女性たちは生物の持つ種の保存本能に従い男性を求めるようになる。絶対的に不足する男性を巡る争いは、口喧嘩のレベルから国家レペルヘの争奪戦へと様相を変えていった。「第2次ルネッサンス」により機械化が進んだ結果、戦争は大規模なものとなり、周辺国を巻き込んだ「大戦」へと拡大していった。

 幾たび繰り返された戦争により疲弊した人類は、各国が参加する平和条約を結び、それを管理・履行する国際機関として「国際連盟」を設立した。

 これにより世界は落ち着きを取戻し、仮初めの平和を手に入れたかに・・・みえた。

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 電車の規則的な揺れに身を任せていると、急激な眠気におそわれる。

 昨日所属する軍令部作戦課長から制式な辞令を受けると同時に荷造りを済ませ、夜行列車に飛び込んだのは19時を過ぎた頃だった。

 元々男一人の身軽な身。大した荷物もなく我ながら手早くできたとは言っても、強行軍なことには違いない。

 途中で弁当を購入し、一息ついた時には日付が変わっていた。

 これも宮仕えの宿命というのならば、我慢の他は無いのであるが、それにしても急な異動辞令である。文句の一つも言いたくなるが、軍というものは階級がものをいう縦割社会。大尉が課長の大佐に刃向かうなど愚者のすることだ。

 保身を図るなら、成るべく上官への抗命は避けるべきだし、軍という組織に身を置く以上、より高い階級を目指すのならば、我慢するべきことには我慢するしかない。下手に自尊心を優先させると、後の昇進にびびく。

 真に遺憾ながら尉官と左官では俸給の差は家が一軒余裕で買える程である、との噂で、それを信じるならばより多くの収入を得たいというのは、人情だろう。

 生きていくにも金が必要。  これは民間でも軍隊でも変わらない。

―――だから今、自分は電車に乗っている。

 日が明けると、窓外にはのどかな田園風景が広がっていた。

 帝都はまだ肌寒い日があったが、こちらでは田に水を張る時期になっているようだ。山々も色づき始めている。

 今年は帝都で桜を楽しむことはできないだろう。 いや、場合によっては国民すらも―――

 そんな事をつらつらと考えていると、開けた工業都市が目に入る。

 広島県呉市―――帝国海軍の中でも要衝の地だ。大型艦を建造することの出来る数少ない工業地区であり、噂では新型戦艦の建造が極秘裏に行われているらしい。

 軍籍にありながら、「らしい」としか言えないのは情けないことではあるが、建艦計画自体が極秘扱いであり、海軍にとっては戦力を徒に喧伝するような事はしない。仮想といっても敵は敵。どこで間諜が動いているか分からないのであれば、情報を秘匿する為に関係者以外にしか情報を開示しないのは、防諜の意味で正しい。

 ただ、それでも蚊帳の外であるというのは一抹の寂しさを覚えるのも確かなのだが。

 やがて家々が密集する街に景観が変わり、駅のホームが見えてきた。

 電車の速度がゆるやかに落ちてゆき、社内アナウンスが目的地の駅名を告げる頃、荷物を頭上の荷台から下していた。

 電車が完全に停車し、昇降口が開く。と、大勢の人が乗車の列を作っていた。流石に帝都ほどの人混みではないが、この場所が活気のある所であることを悟るには十分すぎる人数だ。

 後ろから押されるようにして下車すると、ホームヘと降り立った。産業の発達した都市の駅であり、複数のホームがある。案内板を頼りに駅口へと向かう。

 駅員に切符を渡すと駅前のターミナルに出た。

 さあ と涼風が耳元を掠める。

「まあ、さすがに花見という時季ではないよな」

 コートを着てきて正解であった。 帝都では偶に雨から霰に変わることもある季節だ。いくら南下したからといっても花が芽吹くというわけではないようだ。

「さて、鎮守府までは・・・・」

 周囲を見渡す。  自分が呉にある海軍兵学校に籍をおいていたのは、かれこれ10年以上前になる。人々の活動によって街の様相は日々変わっていくものだが、当時の面影を残すものも少なくない。

 それに海軍の鎮守府ともなれば、それなりの規模であるし、最悪海に向かって歩いていれば軍港に辿り着ける。そこで道を尋ねるのもいいだろう。少し恥ずかしくはあるが。

 見れば駅のロータリーには乗合自動車も客待ちしている。あれに乗るのもよいか。

「しかし料金が不明なのはちょっと怖いよな・・・」

 などと愚痴てみる。下士官兵と違って士官は自ら調達するモノも多い。それだけ出費が多いわけで、さして収入の多くない尉官となれば、出費は極力抑えたいものだ。

 士官と云えば軍の幹部候補になり、順調に出世をすれば艦長のような一国一城の主にもなれるし、更に励めば艦隊の司令長官や海軍大臣も夢ではない。社会全体を見渡せば、これほど大きな組織に属し地位も保障されているのだから、さぞ楽な生活が出来ると誤解されがちだが、士官は兵と違って出費が多い。

 一例をあげると食事だ。 兵は無償で食事にありつけるが、士官は自ら金を出して食事を摂る。それだけ自由度があるとも云えるのだが、士官が兵の前で安っぽい物を食べるわけにはいかない。何事も上官は部下よりも立派に振る舞うべきであり、それは食事も同じ。故に食費も嵩む。

 士官の最下位の少尉ですらそれを求められるのだが、少尉の俸給は決して多くはない。自分も新米少尉の頃は何かと金策に苦労したものだ。

(実は兵の方が恵まれてるのかも・・・・?)

 と思ってしまうのも、仕方がないのではなかろうか。

 ・・・などと思索に耽っている間にも人の流れは途切れることはない。

 ふと視線を感じる。不躾な感じではなく、物珍しいものを見た、といったものだ。

 それもそうだろう。ここに立ってほんの少し見渡す限り、視界に入るのはほとんどが女性だ。男の姿など1、2人くらいしか見かけない。圧倒的に女性が多いのだ。

 男の出生率が低下して久しい現在、男を見る事自体が珍しい。 しかも軍人となれば、ある種の貴重種だ。

 人類史を紐解けば、戦いは専ら男の専売特許のようなものだったが、前世紀から続く男子の出生率の低下によって、戦争も女性が中心となって遂行されるようになった。

 帝国では徴兵制が布かれているが、男子は例外として徴兵から外されている。よって男性軍人は志願者ということになる。自分も海軍士官学校へと入学を決めた時、両親から「わざわざ自分から危険に飛び込んでいくなんて馬鹿げている」と入学を断念するよう説得されたが、元海軍大佐である姉は賛同してくれた。

 「海軍であれ陸さんであれ厳しいことには変わりはない。娑婆では男はちやほやされるが軍隊では女も男もない。あたしは坊主じゃないがアレは苦行よりも辛い。 だが世界を見てみるものもいいものだ。世界を知りたければ、何れは社会に出なけりやならん。だったら普通なら自腹を切って海外にいくよりも軍隊へ入ればただだ。 まあ戦争が起これば地獄だが」

 姉が言った言葉に嘘はなかった。海軍を選んだ自分は練習航海で世界を見ることが出来たし、3年ほど駐在武官としてドイツにも行けた。 ・・・・確かに訓練は地獄であったし、上下関係には辟易するが。

 ・・・・などと益体のない事を考えていたら、数分の時間が経っていた。

(さて・・・と。こんな所でぼーっと突っ立ているわけにはいかない。呉鎮に出頭しなければ)

 自身は連合艦隊付けであるが、その連合艦隊司令部は呉鎮守府に間借りをしているらしい。

 帝国と中国が大陸の覇権をかけて戦争を始めて2年が経とうとしていた頃、ロシアのロマノフ王朝を倒し共産革命を実現したソヴィエト連邦が南下政策を推進した。

 日露戦争後も世界有数の艦隊をもつソヴィエト連邦は、その艦隊を大半の期間、北方へと係留させておくことを強要されていた。長い冬の期間を除くと、艦隊が自由に動ける時間はごく短い。ソヴィエト連邦は不凍港を求めているのだ。

 欧州ではドイツ帝国が台頭し、また世界1位の海軍力を誇るイギリス連合王国とは共に反共主義という共通の思想のもと、連係を強化していた。

 つまり欧州に不凍港を求めるのは難しく、よりくみし易い極東方面へと南下を始めようとしていた。

 それを察知した日本は、中国の実権を握る蒋春蘭を首班としてみなすと、休戦交渉を開始した。

 交渉は難航を極めると思われた。 元より帝国がしかけた戦争だ。それを一方的に休戦しようなどとは、虫のよすぎる話しだろう。それに中国にはもう一人国民党の雄、毛沢東も居る。中国国内の世論が割れれば、更に話がややこしくなる。

 だが予想に反して中国は、帝国側からみると「あっさり」と停戦を受け容れた。

 勿論賠償金の支払い等を巡る鍔迫り合いもあったが、蒋春蘭の最大の要求は毛沢東の排除であった。

 毛沢東は蒋春蘭と帝国の板挟みにあいながらも頑強に抵抗したが、寡兵がいかに血を流そうとも時流には逆らえず彼は捕縛され、蒋春蘭自らの手で処断されたと云う。

 こうして帝国は中国と共同でソ連と対抗することとなり、未だ戦時編制である連合艦隊が存続しているのだ。

(と、すると俺が呼ばれたのは、ソ連との決戦の為だろうか?)

 日露戦争の時のようにはいかないだろうとの予感がある。 しかし悲観はしていない。

 確かにソ連は大敵だが、こと海軍力だけみれば新鋭戦艦を擁する帝国が有利だろう。 問題は陸軍で、これは先の日露戦争を上回る損害を覚悟しなければならないだろう。ことによっては中国との共闘も模索すべきではないだろうか。

 ・・・・というような情勢なので、日中戦争から今日まで連合艦隊は解散せずに現在も即時戦闘待機状態なのである。

(それにしても連合艦隊司令部付、か)

 男が貴重なこの時代に、男性兵士が前線で戦うなど、滅多にあるものではない。士官はいうに及ばず、下士官兵まで安全な後方勤務だ。いかに自分が特殊な状況に置かれているのかが、分かるというものだ。

 だからと言って、不思議と恐怖心はない。

 軍に入る時点で死を覚悟しているのもあるが、未だに実感がわかない、といった心持なのだ。

(などと考えてみても埓が明かないな。 早々に出頭するとしよう)

 腕時計を確認してみると、約束の刻限まであまり時間が残されていない。 余裕をみるならば、乗合自動車を使うのが適当だろう。行先を告げれば目的地まで連れていってくれるのだから、道に迷うこともなく確実であるはずだ。

 そう決断し、乗合所へと歩を進めようとした時、

「失礼します。 秋山大尉でありませんか」

 突然背後から凛とした声で呼び止められた。 出鼻を挫かれ、踏鞴を踏みかけたが、かろうじて姿勢を保ちながら声のした後方へと回れ右の要領で振り向いた。

 そこには深紫に染められた海軍第一種軍装に身を包んだ少女が直立不動で立っていた。

 人目を引く容姿だった。

 ファッション誌の表紙を飾ったとすれば、発行部数が一桁は伸びるであろう美貌。瞳には知性と力を感じ、彼女が纏う凛とした風体を際立たせている。極め付けは初春のやわらかな陽光に輝く髪だ。

 柔らかなウェーブを描きながら、肩口で揃えられているその髪は、光の加減で金髪にも見えるが、よく見ればそれが栗毛色だというが分かる。 その美貌と相まって、西洋人のようだ。

「大尉?」

 時間にすれば2、3秒だが、彼女に見入っていたのも確かだ。秋山・宗継海軍大尉は少し気まずい思いを隠すように返答した。

「いかにも、わたしが秋山です。 失礼だが貴官は・・・」

 ちら、と襟章を見たところ一等兵曹であることは分かった。

「はっ わたしは里見・沙織一等兵曹であります。 連合艦隊司令部より大尉をお迎えするよう命令され、参上いたしました」

 見事な海軍式敬礼をしながら、里見一曹は凛とした声で応えた。 美貌を損なわない、よく通る澄んだ声であった。

「ありがとう、里見一曹。わたしは本日付けで連合艦隊司令部へと異動となった秋山・宗継海軍大尉です」

 秋山が答礼を返すと、里見一曹は敬礼していた手を下し「休め」の体勢をとった。

(画になるなあ)

 秋山は素直に感心した。このご時世、男よりも女が多いがゆえに女性兵士というものは周りに溢れているが、ここまで”形”になっている女性を余り知らない。

 一本筋が通ったその姿は、一種の美しさを感じる。一目で彼女が勤勉で実直な性格なのだと分かってしまう程に。

「では、ご案内しますので、一緒に来てください」

 どこかぶっきらぼうにそう言うと、里見一曹は腫を返した。

「歩きかい?」

 鎮守府まで徒歩で行くことになるとは、少々驚いたが、それも新鮮だなと思う。

「命令ですので」

「命令?」

「長官が仰るには、『少しは歩いた方がいい』だそうです」

「? そう・・・かな」

 なんとも間の抜けた返事をしてしまったが、はっきり言って連合艦隊司令長官とは面識はない。そもそも一大尉が艦隊の長のような雲上人と気軽に会話をする事はほぼないし、組織の一員の名前と顔を全て覚えているような人間も少ないだろう。

 何か接点でもあるのか―――この時期に異動というのも異例である。

 などと思索を巡らせている内にも里見一曹は先を進んでいる。徒歩というよりも競歩に近い速度で、だ。

(避けられて・・・いる?)

 なんとなくではあるが、そんな気がした。

 なにせ男が少ない世の中である。軍隊で前線勤務となると、男と接する事はほとんどないであろうから、男に対して免疫がないのかもしれない。 単純に嫌われている、となると少し悲しいが。

 

 10分も歩くと人影もまばらになり、軍服に身を包んだ兵士が目につくようになる。スーツ姿は出入りの業者か、上級将校であろう。

 ここまで来ると、周囲に民家はなく巨大な建築物が目立つ。特に呉海軍工廠は横須賀海軍工廠とともに大型艦の建造が可能なドックがあり、建艦後の兵装の艤装も可能な事から、国内でも有数の規模を誇る。

 雑多な機械音が響き渡る道を更に歩くこと5分、急に静かになり目前に洋風の堅牢な造りの門が現れた。

 鋼鉄製の門扉と監視員詰所が目をひく。まだ肌寒い中、セーラーに身を包んだ衛兵が2人門扉の両端に立っている。双方ともに女性兵士で四式機関短銃を肩に架けている。四式機関短銃は陸軍がドイツのエルマ・ベルケ社の開発したMP40短機関銃を参考に技術提供をうけ開発した一〇〇式機関短銃を海軍工廠が陸軍の協力を受け開発・製造したもので、8mm一年式実包を30発装填した箱型弾倉を有している。

 小銃に比べて命中精度は劣るものの、多数の弾丸を速射する面制圧兵器として有効であるとして近年海軍の陸上部隊に配備され、拠点防御等では重宝されていると聞く。

 この四式機関短銃の銃床部分を折りだためるように改良された通称「四式改」は、狭い艦内でも取り回しが容易として海軍陸戦隊を中心に配備が進んでいる。

(さてさて・・・・)

 宗継は頭を掻いて天を仰ぐ欲求を抑え込むのに必死であった。

 衛兵の宗継を見る目は凍てつく東北の冬の夜のように冷たい。侵入者を阻止するのが彼女らの任務である以上、敵対する者を打ち倒すのに躊躇はしないのだろうが、殺意を含んだ瞳で睨まれるのは同じ海軍軍人としては辛い。女の戦場に男が立入るな、といったところか。

 居心地の悪さが最高潮に達しようとした頃、早見一曹が足早に近寄ってきた。

「お待たせしました、秋山大尉。入所手続きが終わりました。 さあ、行きましょう。ご案内します」

「あ、ああ・・」

 息を弾ませて勢いよく話しかけてくる早見一曹。鎮守府内に入るのが楽しみで仕方がない、といった風情だ。

(自分の職場なのだから・・・・そんなに慌てなくても)

 目をきらきらと輝かせている早見一曹に対して、そんな事は言えなかったが。

 

 警備員詰所で身分証を提出し、通用門を潜るとながらかなスロープの先に、目当ての呉鎮守府が見えた。

 赤い煉瓦が目を引く、二階建ての洋館だ。左右対称の均整のとれた建物の中央部に立派な門構えがある。

 この門は白の大理石で造られており、より重厚さを増している。ここにも衛兵が二人立哨しているが、こちらは一〇〇式小銃を担いでいる。一〇〇式機関短銃の元となった小銃で確か使用実包は7.7mm。 三八式歩兵銃と同口径ながら、装薬を増量したことにより、初速が向上し有効射程も延伸したと聞く。三八式譲りの堅牢さと命中精度の高さから、兵には好評だという。海軍もこれを制式小銃として採用し、陸海で同様の弾が使用できる為、生産性の向上と現場の混乱が無くなった。特に上陸作戦のように陸海軍が共同で作戦を実施する際に、互いに弾丸の融通が利き助かったという話しはよく聞く。

「誰か」

 鋭い声が己の思考を現実に戻す。

 門扉の前に長身の士官が立って、此方を誰何している。徽章から中佐であることが分かる。眼光の鋭い、いかにも”切れ者”といった風体の女性だ。

「早見一等兵曹であります。連合艦隊司令部の命により秋山大尉をお連れしました」

 早見一曹が見事な敬礼でそう報告し、自分も敬礼する。

「秋山・宗継海軍大尉であります。連合艦隊司令部の命により、出頭致しました」

「先任」

 中佐が短く命令すると、彼女の右手側に立っていた下士官が名簿のような物を手渡す。

 中佐は書類と宗継を見比べると、その表情が和らぎ、

「失礼した、秋山大尉。貴官の入館を許可する。 早見一曹、引き続き案内を頼む」

 と答礼した。先ほどまでの凄味が消え、彼女本来の素が見えた気がした。

(こうして見ると、かなりの美人だな)

 などと考えていたら、

「はっ。 秋山大尉、行きますよ」

 何故か機嫌が悪くなったように感じる早見一曹に急かされるようにして玄関を潜った。

(ほう)

 中に入るとエントランスが開け、アーチ状の柱によって3つの区画に区切られている。天井は2階まで吹き抜けとなっており、豪奢なシヤンデリアが架っている。白い大理石を惜しげもなく使用してあって、全体的に明るく、清潔な印象を受けた。廊下には赤い絨毯が敷かれ、読み本などに出てくる富豪の大邸宅を思わせ本当に此処で戦争の指揮を執っているのかと疑ってしまう程だ。

「こちらです、大尉」

 早見一曹は2階へと続く階段のある中央のアーチを潜る。先を行く彼女は軽快に階段を上り、早くも2階へと至ろうとしている。なんだか嬉しそうである。

 一介の下士官が鎮守府内部に入る機会はそうそう無いので、もの珍しさで浮足立っているようにも見えるが、ちょっと張り切り過ぎだろう。

 早見一曹に急かされるようにして2階の廊下を進み、中ほどにそれまでとは明らかに造りの違うドアの前でとまった。

  『長官公室』

 と金のプレートが張り付いている。

 思わず生唾を飲み込んだ。この扉の向こう側に呉鎮守府司令長官と連合艦隊司令長官が居るのだ。

 元来連合艦隊とは、有事の際に各鎮守府に所属する艦艇を統合運用する為に臨時に編制される組織だ。

 故に決まった司令部施設などなく、慣用として艦隊の総旗艦が連合艦隊司令部の常駐する場となる。現在でいえば大和型戦艦の何れかとなるはずだった。

 しかし近年の無線技術の向上により、命令伝達が迅速に行われるのが可能となった現在、主力艦を1隻でも多く戦場へ投入する方が合理的である、司令部施設が陸上にあればより多くの情報処理が可能である等の意見もあり、検討会が開催された結果、連合艦隊司令部も陸上で指揮を執ることとなった。

 これには反対意見もあり、「指揮官先頭の伝統」云々言う者もいたが、結局のところ精神論となり、より実用的な案が採用されることとなった経緯がある。当時の連合艦隊司令長官が「米国の艦隊司令部も本土にあるが、それで何か支障があるのかね?」という言葉が決定的だったとも伝わる。

 ここで問題となったのが、連合艦隊司令部をどこに置くのか? である。

 前述のように連合艦隊とは、戦時に臨時的に編制されるものであって、戦争が終われば解散してしまう。 日露戦役の時、戦争終了後に連合艦隊が解散する時、時の連合艦隊司令長官、東郷・平八郎大将の「連合艦隊解散之辞」が有名だ。

 しかし日中の間に不穏な空気が流れ、やがて上海事変から日中戦争に戦火が拡大していく過程で、海軍は連合艦隊を編制した。それから今日まで連合艦隊は続き、最早海軍の作戦全般を実施する一機関のようになっている。

 問題は、ほぼ常設となってしまった連合艦隊司令部を何処に置くか、であった。 既に陸上に置くことは既定の路線となっていたが、戦争が終われば解散してしまう組織の為に新たな建屋を建設するのは当時の国家財政面から難しいとされていた。かといって民間のビルを徴用するというのは非効率であり、また防諜の面でも好ましくない。連合艦隊が編制される度に膨大な量の通信施設や作戦に必要な書類などをいちいち運んで設置するのも現実的ではない。

 そこで海軍でも有数の規模の港をもち、瀬戸内海という天然の要害をもつ呉鎮守府を間借りすることとなった。そういった事情もあって、呉鎮守府の長官公室には「呉鎮守府司令長官」と「連合艦隊司令長官」の二人の「司令長官」が居るという奇妙なことになっている。

(入り辛いな・・・)

 と思うのは決して特殊なことではない、と思う。司令長官が二人いることの方が特殊なのだ。

 重厚なドアをノックする。少し腰が引けているのは内緒だが、傍に立つ早見一曹の目は笑っている。その表情に厭な予感を感じていると、

「どうぞ」

 と柔和な女性の声が聞こえてきた。どこかほっとするような、癒しの効果があるような声音だった。

 宗継はその声に導かれるように、ドアノブに手をかけ、扉をあけた。

「失礼します。軍令により本日連合艦隊司令部に着任しました。秋山・宗継大尉であります」

 室内に入ると同時に宗継は敬礼をしつつ、着任の挨拶をした。

 小規模な会議が出来そうな程の大きさの部屋。赤色の絨毯は一目で上質なものと分かる。本棚に代表される調度品も市井にある物より1桁は価格が違いそうな上質な材料を使用してあり、使われていた年月を物語るように磨かれ、光沢を放っている。

 全体として豪華な造りではあるが、華美ではなく、嘗ての幕藩体制下に一国の城主が使っていた城のような力強さを感じられた。場の雰囲気にのまれるとは、こういう事を言うのだろうか?

 大きなアーチ状の窓からは柔らかな光が差し込み、照明など必要ないかのようだ。その窓を背に2つの黒檀の執務机が並べて鎮座している。それぞれに役職の書かれたプレートが置いてある。「呉鎮守府司令長官」「連合艦隊司令長官」と。どちらが各上かなどと考えている場合ではない。尉官クラスから見れば将官なぞ、身近で見る事も稀なのである。それが二人ともなると、急に胃の辺りが絞られたような気になる。

(・・・・早く挨拶を済ませて、この部屋から出たい)

 などと考えていると、「秋山『少佐』よく来た。立ち話はなんだから、ソファに座るといい」

 よく通る、透き通った声がした。 声のした方へ視線を向けると、そこには6人程度が会食出来るほどのテーブルが置いてあり、革張りのソファが対面で置いてあった。

 其処に対面するように二人の将官が座っていた。

 向かって右側に座っているのは、国民ならば知らぬ者の方が稀と思われる国民的英雄、山本・五十鈴連合艦隊司令長官。左側は初見だが、纏う雰囲気から並々ならぬものを感じる軍人―――呉鎮守府司令長官金本・正緒中将であろう。

 大輪の花が咲いたようだ―――と宗継は思った。

 比喩ではなく、控えめに見てもこの二人は美しい。世界に女性が溢れた結果として、おそらく種の存続という観点からみれば、より見栄えがよいものが生き残る。ダーウィンの言う「選択と淘汰」が繰り返された結果がコレだとすれば、女性が還暦を過ぎても20代後半のような瑞々しさと、成熟した大人の色香を喪わないのは必然だったのかもしれない。

 しかもこの二人の将官は司令官という立場からか、一本筋の通った凛とした空気を纏い、容易く手折られそうでありながらも名工が鍛え上げた名刀のような美しさとしなやかさを感じる。古臭い言い方を許してもらえるならば「大和撫子」という言葉がしっくりくる。

「少佐?」

 山本連合艦隊司令長官の訝しむ声が聞こえた。我知らず魅入っていたようだ。女性に対しても上官に対しても失礼にあたる。失点だな、と胸中で呟いた。

「失礼いたしました。それで・・・あの、少佐とは?」

「ああ、慌ただしくて申し訳ない。君は本日付で連合艦隊司令部作戦参謀の辞令がおりる。それに伴い階級も少佐となるわけだ」

「わたしが作戦参謀、ですか?」

「嫌かね」

「いえ。わたしのような者が連合艦隊の参謀とは、俄かには信じ難く・・・」

「そのあたりのことは座って話そう。席につきたまえ」

 山本司令長官が手招きする。にこにこと満面の笑みであった。

「ええ~ずるいなあ。秋山ちゃんは、わたしの隣に座らせるという話しじゃなかったっけえ」

 妙に甘えたような、気の抜ける声を金本中将が漏らした。宗継はぎょっとした。先ほどまで気迫に満ちていたのとは一転して、女性特有の甘い面が全面に出ていたからだ。まるで別人だ。

「何を言う。先はどの将棋でわたしが勝つたではないか。異論は許さんぞ」

「山本さんは賭け事は何でも得意じゃないですか。それって不公平じゃない?」

「かと云って腕力で決めるというのもスマートじゃないだろう」

「胸の大きさとか、どうかしら?」

 そう言うと金本中将は目を弓にして上体を反らす。第1種軍装を着ていても、豊かな胸が大きな存在感を示す。山本大将は「くっ」と呻き声をあげた。 どこか恨めしげな眼をして金本中将を見つつ、

「もう決まったことだ。今更それを反故にするなど、軍人のすることではない」

 と吐き捨てるように言った。

「ほほ。胸の大きさはわたしの勝ちであると認めてくださるのですね・・・・。まあでも、山本さんの言う通り約束を反故にするのは、武人の風上にもおけないですね。分かりました。今回は涙をのんで引き下がると致しましょう」

(・・・う~ん、なんだこれ?)

 宗継の正直な感想はそれだった。海軍を代表する将官同士の会話としては、なんかズレているような気がする。そもそも胸の大きさ比べをするってどういう事だ?

「それでは、本題に入ろうか秋山少佐」

 どこか勝ち誇ったような顔で山本司令長官が言った。

「はっ」

 宗継は短く返事をすると、山本司令長官と2人分くらいの間を空けて着席する。

「先ほども言った通り、貴官は本日付で連合艦隊司令部作戦参謀となり、少佐へ昇進する」

「承りました。 しかし、何故自分が選ばれたのでしょうか? 参謀連となれば参謀本部にはわたしより優秀な者は居ると思いますが」

 実際優秀な者は居る。同期でもハンモックナンバーの高い者で、参謀本部勤務者は10指に余る。

「貴官の経歴と研究報告を読ませてもらった。貴官は士官学校卒業後、航空分野に力を入れているようだね。 しかも自身が搭乗員資格も修得しているとか」

 その通りだった。宗継は士官学校では中の上の成績だった。良くも悪くもなく平凡な人間なのだ。

 軍と云えども国家機関の一部であり、慣用として成績上位者は出世も早い。成績上位者となれば海軍の花形である軍艦の艦長への近道が約束され、更に励めば戦隊の司令や艦隊の司令長官も目指せる。

 しかし宗継は女性上位の軍に於いて平凡な存在であり、頑張れば駆逐艦長まで昇ることは可能であるかもしれないが、極力男子を前線に出さない軍の方針を思えば、それすらも難しいだろう。

 そこで目を付けたのが航空分野である。

 昨今の航空機の性能向上は日進月歩であり、制式化されても、2年もすれば旧式機扱いされる物も少なくない。

 実際、黎明期の複葉機時代では発動機出力は200馬力がせいぜいで、最高時速も200km程度であったものが、現在では2000馬力級の発動機を搭載し最高時速は700kmに迫る。これはプロペラ機の性能限界に近く、これ以上の性能をもたせるには、まったく概念の異なる推進装置を導入する事になる。

 それが噴流式発動機―――海外ではジェットエンジンと呼ばれる物である。

 これを搭載した航空機は音速の突破も夢ではないとの話しだ。

 搭載兵器も進歩を続け、航空機で戦艦を撃沈可能なことは最早常識となっている。それでも大艦巨砲主義者は海軍の主流は戦艦だと信じて疑わない。

 宗継から言わせてもらえれば、それは時代錯誤の思考停止だ。

 戦艦の主砲が攻撃できるのはせいぜい40km前後。それに比べれば航空機は300km以上離れた敵を攻撃できる。

 最新の誘導装置付き航空魚雷を使用すれば、1発10万円の航空魚雷で1隻1500億円の戦艦を撃沈できる。効率を重んじれば自ずと航空機が戦争の主流になるのは火を見るよりも明らかだ。

 海軍の王道から外れた宗継は、この航空分野に己の途を見つけた。

 以来、海軍航空学校に入学し航空機搭乗員資格を修得。この分野に才能があったのか、宗継の操縦技術は他の追従を許さなかった。格闘戦では負けなしで、教官ですら舌を巻いた程だ。

 その後は航空機運用技術を身に着けるため海軍航空本部勤務を経て、参謀教育も受けた。

 欧州で勃発した大戦で航空機の有用性が証明されると、帝国海軍も重い腰をあげた。元より仮想敵国である米国と戦艦の建艦競争では勝ち目はないと理解していた海軍中央は、少ない資材で数を揃えられる航空機を補助戦力として活用するみちを模索し始めた。

 旧式巡洋艦を改装した小型航空母艦での運用結果、その有用性を認めた海軍の動きは早かった。

 史上最大の46センチ砲を搭載した紀伊型戦艦を6隻建造する予定であったものの2隻の建造を取りやめ、大型空母の建造を決めた。

 政情不安から亡命を希望するドイツ第3帝国からの技術者を積極的に受け入れると、彼らの知識・技術を貪欲に吸収した帝国陸海軍は急速に近代化を成し遂げ、今や世界第3位の軍事力を誇る。

 と思索に耽っていると、「貴官は参謀としても優秀だと聞いている」

 びくっとして視線を向けると、いつの間にか山本司令長官が宗継のすぐ隣に座っていた。と云うより密着している。軍装を通して女性特有の柔らかさを感じて、思わず悲鳴をあげそうになった。

 いつの間に? 混乱した頭では、それしか考えられない。

「ああ、ずるいんだ。なんだかんだと言って、結局そーいうことをするんだから」

 金本中将が唇を尖らす。

「何を言う。これはれっきとしたコミュニケーションだ。これから共に戦う者同士、お互いを知ることは大切なことだろう?」

「もっともらしいことを言ってるけど、それって建前だからね! 本当は男が欲しいだけなんでしよ?」

「男性は軍にとっては大変貴重な存在だ・・・。先に唾をつけたわたしの勝ちだ」

(は?)

 宗継は困惑する。  ・・・つまり自分は能力を買われたワケではなく、前線将兵の慰み者として転属させられたのか?

「誤解してもらっては困るが秋山少佐、わたしが貴官の能力を買っているというのは本当だ。現状の世界情勢を鑑み、航空関係に明るい参謀がどうしても必要なのだ。勿論各空母戦隊には航空参謀が提督の補佐に就くが、連合艦隊司令部としても戦術から戦略面までもを含めた優秀な参謀を欲していたところだ。聞くところによると、貴官は現代の諸葛亮を目指しているとか」

「はっ 常々それを目指しておりますが、なかなかその域に達しないのが現状であり、”諸葛亮”というには力不足を感じております」

「貴官は謙虚な性格なようだな。先月行われた兵棋演習では劣勢の青軍を見事勝利に導いたそうではないか」

「兵棋演習はあくまで図上演習に過ぎません。実際の戦闘では常に想定外の事態が生じるものと考えます」

「だが模擬演習は必要だ。神はサイコロを振らぬというが、勝利の女神がほほ笑んだ方が勝つものだ」

 

 先日行われた兵棋演習―――第113回演習は、空母の有用性の再確認を目的としたものだった。

 戦艦6隻を含む有力な水上砲戦部隊の赤軍に対して、空母4隻の青軍が対峙するものだった。これは明らかに海軍主流派の大艦巨砲主義者にとって有利な設定であり、ある意味”仕組まれた”演習であった。

 双方共に索敵機を放った。電探の性能向上が著しい昨今であっても、100km以上離れた敵艦隊を探知出来る物ではない。従来通りのやり方で索敵を行うこととなる。

 ここで赤軍は巡洋艦搭載の水上偵察機を放った。嘗ては複葉機が主流であったが、現在は全金属単葉である。 しかし水上機であることから、主翼下にフロートを装着している。これが空気抵抗となり、強力な発動機を搭載しても最高時速は350km前後しか発揮できない。

 それに対して青軍は艦上攻撃機「彗星三二型」を放った。これは従来の急降下爆撃機と艦上攻撃機を統合した新世代の機体で、発動機も従来のレシプロエンジンではなく、新たに開発されたターボプロップエンジンを搭載していた。これはレシプロエンジンに換算すると3000馬力相当で、最高時速も650kmを超える。

 空母戦はいかに敵に先んじて相手を発見するかが肝要になる。先に攻撃隊を送り込めればその後の戦局が優位になるのだ。

 赤軍の索敵機の倍近い速度を誇る「彗星」は見事に任務を遂行した。赤軍を発見した時には、全空母は攻撃隊の発艦準備を整えており、即座に出撃した。

 2派の攻撃で赤軍の戦艦4隻を魚雷により撃沈確実。 2隻大破に追い込んだ。青軍も防空艦の奮闘の結果損害を生じたものの、被撃墜12機、撃破9機というワンサイドゲームとなった。

 赤軍艦艇は青軍を見つけることも、近づくこともできずに敗退したのだ。

 それを指導したのが宗継で、赤軍をして「軍師」と言わしめた。

 この結果は嘗て海軍航空本部長時代に人脈をつくっていた山本連合艦隊司令長官の耳にはいり、彼女の肝いりで人事局を動かし宗継を連合艦隊司令部へと引っ張ったのであった。

 

「わたしはギャンブルが得手でな。貴官を招き入れられたのも、強運の賜物というものだ」

 耳に口が付く程の距離で山本大将は囁いた。

(近い近い近い)

 女性特有の甘い吐息を感じながら、宗継は硬直して動けなくなっていた。

「結局、彼が欲しかったの?それとも彼の能力が欲しかったの?」

 金本中将の言葉には辣がある。 山本大将が宗継にもたれかかるようにしているのが、よほど気に入らないのだろう。

「勿論、両方だとも。 良い男を手に入れるのは女の本懐だろう」

 どこか勝ち誇ったように山本大将は喋いた。

「はいはい。海軍三顕職の力は絶大ですねー」

 拗ねたように金本中将はソファに身を投げ出した。

 ”海軍三顕職”とは、海軍士官ならば一度は経験したいと思うほどの花形的役職で、「海軍大臣」「軍令部総長」「連合艦隊司令長官」を指す。

 なかでも連合艦隊司令長官は国民の人気が高く、一外征部隊の長であるにもかかわらず、海軍大臣よりは遥かに権限が制限されているのであるが、一番なりたい長官と云われる。

 海軍大臣や軍令部総長が主に政務を担当するのに対して、連合艦隊司令長官は実際の艦隊を指揮するもので、武人であれば大部隊の指揮を執りたいと願うのは別に不自然なことではない。

「貴官も励めばよい話しであろう。 現に鎮守府司令長官ではないか」

「わたしは事務方の仕事が長いので。 戦は強くない。特に山本長官、貴女のようにわたしには勝負強さが決定的に欠けている。それぐらいの自己分析はできているよ。それより、そこで茄蛸状態の彼に色々説明しれあげるほうがよいのではないかな」

「ん・・・? ああ、済まない少佐」

 半ば抱きつかれた格好で、異性を意識せざるをえなかった宗継は、体が熱くなるのを我慢できなかった。

 まあ、これ程の美女に僥えられて平気な男は、俗世を捨てた聖職者か女に興味のない人間だろう。生憎と宗継は普通の感性の持ち主たった。

 山本大将はぺろりと舌を出し、「少しお茶目が過ぎたかな」と悪びれず言った。

「さて少佐、今日の世界情勢をどの程度把握しているかね」

「世界情勢ですか・・・」

 雲を掴むような話しである。

「失礼ですが山本長官、質問の定義が広すぎます」

「そうだな。貴官の職掌である各国の軍事行動の状況把握で構わない」

 世界の軍事活動、か。 宗継は右手で顎をなぞる。頭の中で世界地図とその勢力図を思い浮かべる。

「では、我が帝国を取り巻く状況から。 1938年から始まった日華事変―――日中戦争は今から2年前に蒋春蘭を中華民国の総統として認め、和平交渉を行い今から2年前に和平が実現しました。これにより同地に展開していました陸軍数個師団が中国から撤兵を開始しました。その内の数個師団は朝鮮半島へ駐屯し、ソ連の動向に即応できる体制となっていると参謀本部は把握しています。我が海軍にしても日本海から南シナ海にかけて展開していた南遣艦隊の半数を本国へと帰還させ、整備と近代化改装を行っています」

「鈴木総理の尽力のおかげだな。このまま中国との戦争が続けば、財政が破綻していただろう。そうでなくとも戦時国債の乱発で国民は塗炭を舐めていたのだ。国土面積でいえば帝国の25倍、しかも縦深があるので底無し沼のように将兵を飲み込み、兵站線の維持だけでも一苦労という言葉だけでは足るまい。兵帖総監部が悲鳴をあげていたと云うぞ」

 金沢中将が腕を組みながら、しみじみと言った。

「海軍も基地空から陸攻隊を派遣したが、野戦飛行場では碌な防備もできず、何度か奇襲攻撃によって地上撃破されたこともあった。中国の縦深が深いので奥地へ後退されると基地空も前進せざるを得ず、補給線は伸びる。基本的に軽武装の輜重隊では敵遊軍の奇襲攻撃を完全には撃退できずに、失った資機材も多い。陸さんと同じように補給部が頭を抱えていたよ」

 肩を煉ませながら、山本大将がため息混じりにぼやいた。

「ですが、中国と和平が成った為、その問題はなくなったと考えてもよいかと思います」

 宗継が言うと、

「問題は欧州の戦争が帝国にどのような影響を与えるか、だな」

 山本大将が壁に貼られている世界地図に視線を向けると、金沢中将は体を捻り、宗継は地図の前へ移動した。そうして胸ポケットから指示棒を取り出すと、説明を続ける。

「現状ヒトラー総統率いるドイツ第3帝国と、英国は休戦状態にあると思われます。中立国の在スイス大使館付武官の情報によれば・・・」

 宗継はドイツ帝国首都ベルリンを中心に円を描きつつ。

「現在ドイツの版図は西ヨーロッパの過半に及びます。英国との航空撃滅戦―――所謂バドル・オブ・ブリテンで苦杯を舐めたヒトラーは英国への上陸を無期限延期とし、ドーバー海峡を挟んで膠着状態にあるようです。当初Uボートを使用した海上封鎖作戦を行っていましたが、現在はそれも起こっていません。なぜなら―――」

 宗継はヨーロッパの上方へ指示棒を向け。

「現在ソ連は分裂の危機にあるからです。前大戦の混乱の中、レーニンによる共産革命が成功しロシア帝国は滅亡しました。 レーニン亡き後にスターリアナが後任としてソ連の統治を続けていましたが、『国民は皆平等』であるというプロパガンダは実効を喪っており、一部の共産党幹部とスターリアナの独裁政治が布かれ、これに逆らう者は反動主義者として粛清を受け、その数300万人以上と伝わっています。そこで現れたのがロシア皇帝の血統を受け継ぐマリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴア皇女と、彼女に従う白軍とその親族、粛清を逃れて各国へ散っていた貴族などがたちあげた『ロシア東方帝国』です」

 ソ連は信教の自由を認めない共産主義の体制であったが、ロシア東方帝国はキリスト教系ギリシア正教会を庇護することを早々に喧伝した。これによりロシア東方帝国はバチカンの公認を得、次いで日本帝国と満州国も国家として承認した。これにはシベリア鉄道の利権を有するソ連への牽制と、満州国への残存関東軍がソ連の動向に目を光らせる理由付けだ。

 当然ロシア東方帝国のこの動きにソ連は反発、スターリアナなどは「再び民衆から富と自由を搾取する、悪しき圧政者が現れた。我が勤勉なる労働者諸君の代表としてわたしはロシア東方帝国を断固として認めない。彼の国は早急に解体し、圧政者の血統は断絶すべきであり、これが容れられない場合は、厳然としてこれを実力をもって排除する」と演説した。

 これは事実上の宣戦布告であり、この日をもってソ連とロシア東方帝国は戦闘状態に移行した。

 カムチャッカ、ハバロフスク、沿海州を中心とした東方地区を統合して建国されたロシア東方帝国であったっが、この地方は寒冷地区であり、大きな都市は存在せず人口は少なかった。新たに設立された首都・ロマーノ・ウラジミースヤですら人口は20万人にも満たない。しかも設立間もない事から、国家体制が立ち遅れていたが、これは水面下で英国とフランスおよびネーデルランド地方が数年前から準備を進めていたため、致命的とまではいかなかった。しかしロシア東方帝国の工業基盤―――より直截的に言えば軍事産業は立ち遅れ、人口も少ないこともあり軍事面ではとてもロシア東方帝国が単独でソ連と渡り合えるものではなかった。

 英国のチャーチル首相は共産主義は自由主義を脅かす存在として忌避しながらも、表向きはソ連と連合国を構成しドイツ第3帝国と戦っていた。またドイツ総統ヒトラーも共産主義を敵視しており、この点でこの2国は水面下で対ソ連問題連系委員会を密かに立ち上げていた。英国とドイツの戦闘は最盛期の半分程となり、各級司令部は「戦争をするふり」をしているような状況であった。

 ロシア東方帝国と国境を接する満州国はロシア東方帝国の建国宣言と同時に軍事同盟を結び、大日本帝国もこれに倣った。

 満州国陸軍10個師団と満州在駐の関東軍5個師団が即座に行動を起こし、新生ロシア東方帝国軍と共闘体制に移行した。

 とはいえソ連は東部戦線でドイツ陸軍と激闘中であり、極東の第2軍に増援を送れる状況にはない。

 欧州西部戦線は停滞状況となり、ドイツ軍は精鋭を東部戦線へと送る余裕さえある。つまりこれは英国のあからさまなボイコツトであり、共産主義国家を危険視するチャーチルの意志であった。

 

「我が帝国もソ連に対して宣戦布告の勅諭を大元帥閣下(現:明仁天皇)が発布し、満州国の蓬妃総統もソ連に対して宣戦布告を行いました。中国に展開していた我が陸軍48個師団の内、23個師団が満州国経由でソ満国境へと布陣。これに関東軍が加わります。朝鮮半島へ展開していた陸軍第10、12、15飛行連隊も満州前線の飛行場へと展開を終えています」

「ソ連の動きはどうだろうか」

 山本大将が呟くように言うと、

「ソ連はロシア東方帝国へと宣戦布告を行いましたが、彼の国はドイツと激闘中であり、極東方面へと兵力を抽出することは困難でしょう。ロシア東方帝国にとって、貴重な時間を稼ぐことができます」

「ソ連海軍は先の日露戦争で大きくその戦力を減らしたからな。ロシア東方帝国の沿海州、我が国の千島列島や北海道への大規模上陸作戦は実施が難しいだろうな」

 金沢中将が地図を見ながら言った。それから山本大将へと視線を向けて

「我が連合艦隊は世界第3位の実力をもっている。山本大将には十分な勝算があるのではないか?」

「とは言え、それも時宜次第だよ。我が国は世界から見れば小国だが、実際は南北に長く護り難い。奇襲を考えて領海を防御するには、あと3個艦隊は欲しいところだ」

「それは君、欲張りすぎだ。ただでさえ少ない国家予算を陸軍と取り合いをしているのだ。それに国民総生産が毎年5%程度の増加を続けているとは云っても、まだまだ我が国は貧しい。維新からこっち富国強兵を合言葉に頑張っているが‥・、税の負担は大きい。国民もよく我慢してくれている」

 金沢中将の表情はかたい。

「現状海軍力第1位の英国と同盟を再構築できたのは大きい。これによって米国を牽制できる」

「ですが、英国にとって我が国よりも米国との繋がりは深いでしょう。有事となれば英国が米国と組んで我が国と対立する可能性は考えておくべきです」

 宗継が懸念を言葉にする。

「その米国の動きだが、軍令部は何か掴んでいるのかね」

 山本大将が値踏みするように宗継に問いかける。

「”大災厄”以後の米国の経済活動は低調しており、それは未だ以て影響を受けています。国内復興は途上であり、現にトルーマン大統領は『欧州の戦争に我々は加担しない』を公約にして当選しています。英国は数度にわたり米国に欧州戦線支援を要請しているようですが、米国が首を縦に振らないのはこの公約以上に、軍費に回す予算が乏しく、とても外征できる状況ではないからだと分析しています」

「漸く再建した海軍をドイツのUボートに沈められたら痛いだろうからな。米海軍にしても沿岸部防衛で手一杯でとても外征させる余裕などあるまい」

 金沢中将の言葉に山本大将も頷いた。

「ひとつ、懸念があります」

 宗継の指示棒が北米大陸から、左下――南西へと移動し、太平洋上の群島の上で円を描いた。

「ハワイ王国、か」

 山本大将はそうロにすると、難しい表情をした。

「ハワイ王国は来年、独立40周年セレモニーを行うと大々的に報じました。40年とは半端な気がしますが、このセレモニーには同盟国である我が国の天皇陛下も招待されています。陛下のご年齢を考えた場合更に10年後の50周年では負担が大きい事、ハワイ王国にとっては恩義のある現陛下をどうしても迎えたいとの思いがあるのでしょう」

「‥‥・成程。 米国にとっては鴨がネギを背負ってやってくるようなものか」

 不敬かな、と思いつつ山本大将は呟く。

「欧州に回せる兵力は無くとも、ハワイを叩くだけの戦力はあるということか」

「これは厄介なことだぞ、山本長官。砲艦外交を兼ねているのであろうが、祝賀セレモニーにまさかGF(連合艦隊)の艦艇を大名行列のように連れていくワケにもいくまい。 これは米国を刺激するだけでなく、攻撃のロ実を与えかねん。かといって寡兵で出向いて陛下やハワイ王国を奪取されてしまうのも不味い」

「現状、ハワイ王国海軍の有力艦は戦艦6、巡洋艦4です。その内新鋭艦は戦艦2隻のみです。残りの艦は我が帝国海軍からの譲渡品です。相応の近代化改修をしているとはいえ、米海軍の前では能力不足は明らかです。我が方も陛下の御座上艦に新鋭戦艦を充てるとして、それに巡洋艦1、駆逐艦4が限界でしょう。それ以上の派遣は金沢閣下の仰る通り、米国に防衛的攻勢のロ実を与えかねません」

「米軍は仕掛けてくるだろうか?」

 山本大将の問題提起に、宗継は答える。

「これは私見ですが、米軍は仕掛けてくると考えます。”大災厄”とそれに続くハワイ王国独立戦争によって米海軍は大きな打撃を受けました。あれから40年。新造艦の建造も進み、それらを動かす兵を鍛え、指揮を執る少壮幹部も一定数揃える事が出来たでしょう。米国には『ハワイは元々米国領である』という大義名分もありますし、我が国の陛下を詫す事が成れば、日本の意志を挫く事もできます」

「だが‥・奇襲は無理だろう。電探の性能向上は著しく、ハワイ王国とて沿岸は言うに及ばず、対空警戒も厳重なはずだ」

 山本大将は首を捻る。

「奇襲の必要は必ずしもありません。兵力差が尋常でなければ、堂々と隊伍を組んでやってくればいいだけです。我々は真珠湾に囲まれた籠の中の鳥と同じです。艦砲なり航空機なり米軍は好みの方法で攻撃すればよいだけですから」

「だからと言って、祝賀会を辞退するわけにもいかん、と。 なかなか厄介だな」

「その通りです。何か対策を考えなければ‥‥」

 渋面を作る宗継に、

「それを考えるのが、貴官の仕事だ。 期待しているぞ」

 いつの間にか隣に来ていた山本大将が、宗継の肩に手をまわして引き寄せた。存外にその力は強く、宗継は山本大将に抱かれるような格好になる。

 軍人らしく引き締まっていながらも、柔らかい体。そして微かに薫る女性特有の甘さを含んだ香りが鼻腔を刺激する。とっさの事で宗継が体を引き離そうとした時、

「おいおい、大将閣下。 そんな羨ましい特権を強行行使しようとすると―――」

 これまたいつの間にか扉の前に移動していた金沢中将が、やおらにドアノブを捻って勢いよくドアを内側へと引くと―――

「「「きゃあ」」」

 黄色い声が転がり込んできた。

 5~6人程の将兵が扉に耳をつけて中の様子を伺っていたのだろう、それが扉を急に引かれて受け身をとる間もなく長官公室へと転がり込んできたのだ。

「お前たち‥・」

 金沢中将は右手で半顔を覆い、大きなため息を吐いた。

「男が珍しいといっても、がっつき過ぎだろう」

「貴官が言うか?!」

 山本大将の言葉に金沢中将が反論する。 この時の山本大将は宗継の左腕に自身の右腕を絡めて密着していた。あまつさえのそ豊満な乳房を押し付ける様にして、だ。

「コレは私の部下だ。 部下との意思疎通は円滑に行わないとな」

 しれっと言う山本大将だが、宗継は(それとこの行為は関係なかろう)と喉元まで言葉が出そうだったが、相手は上司、下手に不興を買うのは得策ではないし、実は山本大将の胸の感触を愉しんでいたりしていたので、それが明るみになると色々と面倒くさい。最も、金沢中将は宗継の胸の内を読んでいるようだが。

「丁度よい。これから共に働く者同士だ、自己紹介でもしたまえ」

 涼しい顔で山本大将は言う。宗継は闖入者遠の視線を痛い程感じるが、もうどうにでもなれと思いはじめていた。 まあ、まずは新参者で最下級の自分から挨拶をするというのが礼儀であろう。宗継は起立すると海式敬礼をしつつ、

「連合艦隊付・作戦参謀を拝命しました、秋山・宗継であります」

 一語一語はっきりとロにする。

「そこまでしゃちほこばらなくてもいいよ。あたしは荒川・由香。砲術参謀してる。階級は中佐。世間じゃ飛行機が有効だって言ってるけど、最後は大砲でズドンととどめを刺すってのが粋ってもんだろ」

 口元に悪童のような笑みを浮かべながら、荒川中佐は答礼する。

 荒川砲術参謀は、宗継と同程度の身長があり引き締まった身体をしている。砲術という過酷な環境に曝されていたせいか、地声は大きく、口調も相まって親しみのある頼れる上司、といった風体だ。

 一見筋肉質だが、軍装の上からでも隠しようのない豊かな胸の盛り上がりや、艶やかな髪を短く断髪するでなく後ろで結いポニーテールにしているところなど、随所に女を感じさせる。

「ん? 秋山少佐殿は大きな胸が好みかな? どうだ、触ってもよいのだぞ」

 目ざとく宗継の視線を感じ取った荒川中佐は、上体を反らし胸元を強調しつつ悪戯っぽく笑う。

「何を馬鹿なことをやってるんだ、貴官は。もっと真面目にやりたまえ」

 そう鋭く荒川中佐を叱責したのは、彼女の右隣りに立っている士官だ。こちらは眼鏡をかけた知的美人といった風体で、実際眼鏡のレンズ越しでも高い知性を感じさせる光を湛えている。

(ん、荒川中佐よりは控えめだけれど十分以上に女性らしい)

 などと不埓な事を考えていると、それを見透かしたように、

「なにか?」

 と鋭い眼光で睨まれた。

「あ、いえ・・」

 返答に困っている宗継を見て荒川中佐は

「よかったな、安江。お前も女として意識してもらっているみたいだぞ」

「何かよいものか。それはただの破廉恥というものだ。 それと荒川中佐、今は業務時間中で司令長官の前だぞ。口調には気をつけろ。まったく貴官は・・・」

「相変わらず”委員長”は厳しいなあ。 それよりも貴官も早く自己紹介を済ませたらどうだ?新人君が困っているぞ」

 些かも悪びれない荒川中佐を数瞬睨んだ後、その女性士官は小さくため息をつくと、右手で眼鏡の位置を調整し、そのまま敬礼の形をとる。実に見事な答礼だった。

「わたしは戦務参謀を拝命している、渡辺・安江中佐だ。 GF(連合艦隊)の幕僚の中では貴官と一番接点のある職務だと思っている。貴官の着任を歓迎する。以後共に職務に励み、GFの勝利に貢献しようではないか。よろしく頼む」

 怜俐な顔に微笑を湛えながら渡辺中佐は言った。 日本人形のような造形美に人間らしさが惨み、それが彼女を魅力的に魅せる。

「は! よろしくお願いします」

 宗継はそれに応えた。

「やっちゃんたら、やっぱり堅いよねー」

 右手をひらひらさせながら、気の抜けたような笑みを浮かべる女性士官。

「やっちゃん言うな! 相変わらず貴官は緊張感というものがないな、大松沢主計長!」

 渡辺戦務参謀に注意をされたものの、大松沢と呼ばれた女性は目を弓にして、

「緊張感もなにも・・・。今は平時だからね~。 うちらのやる事といったら、日用品の手配とみんなのお給金の計算だけだしねえ。  うふふ、やっちゃんのお給金、桁が違ったりして」

「そんな幼稚な嫌がらせをする為に主計長をやっているのか? 大体、中華民国とは和平が成立したが、アメリカとの緊張状態は続いてるんだぞ。現に未だにGF司令部が存続しているのが、世界が緊張状態であることの証左だろう」

「はいはい、分かっていますよ委員長殿。 それよりわたしも彼に挨拶をしたいのですが?」

「そうだったな。 いつまでも乱痴気騒ぎをしていても仕方がない」

 こほん と咳払いをしながら委員長―――渡辺戦務参謀は促した。

「わたしは大松沢・文江、GFで主計長を拝命しているよ」

 どこまでも砕けた口調で、大松沢と名乗った女性は言う。主計科とは主に軍内部で庶務や会計、被服、糧食を総括する兵科で、戦闘兵科に比べると地味で目立たず士官もいない。流石にそれでは指揮系統の面から不都合が生じるので、将校相当という肩書を与えられている。しかし、軍という組織を円滑に動かすには必須の兵科なので(そもそも主計科がなければ俸給ももらえない)、正に軍組織の縁の下を支えているのが彼女達なのだ。

(GFで主計長という事は大佐相当か。)

 宗継は、そう当たりをつける。それにしても他の兵科将校に比べて、砕けた態度なのは主計科が要らぬしがらみに縛られていないからなのか、それとも彼女の個性なのか?

「秋山・宗継です。これからよろしく願います」

「そんなにかたぐるしいのは、なしだよ。 わたしは主計長って事になってるが正式な将校じゃないからさ。気楽に”ふみちゃん”と呼んでくれて構わないよ」

「は、はあ・・・」

 どうにも調子が狂ってしまう。将校ではないといっても相手は年上で先任である。それなりの礼節を以て接するのが順当なのであるが―――

「主計長、彼が困っている。貴官の能力は疑いようもないのだから、もう少し節度のある言動を心がけてほしい」

 そう口を挟んだのは、大松沢主計長の右隣に立つ女性士官だ。

 鴉の濡れ羽色とでも言おうか、艶やかな黒髪が肩口で切揃えられ、軍服よりも和装がよく似合う、大和撫子かくあらんといった風情を纏っている。

 それでいて意志の強さと理知的な光を帯びる瞳は、彼女が並々ならぬ知性と行動力の持ち主であると物語っていた。

「少佐、私は通信参謀を拝命している仁科・紫だ」

 宗継は彼女の襟章を一瞥し、

「よろしくお願いします。仁科中佐」

「貴官に言うのは釈迦に説法だろうが、昨今の戦いには情報が不可欠だ。それもより正確な、な。 その点、仁科中佐の情報収集能力と分析力は帝国随一と言っても過言ではない。 貴官の作戦立案にはきっと仁科中佐の力が必要となるだろう」

 山本GF長官が珍しく口を挟んだ。それだけ仁科中佐をかっている証だろう。

 宗継は士官学校時代に聞いたある「伝説」を思い浮かべていた。 入隊以来砲兵一筋で叩き上げられた実戦経験豊富な下士官が、助教として課業を担当した時のことである。その助教が20センチ榴弾砲の弾道計算を出題した。クラス全員が頭を抱えた。なにせ学生で実習を受けていない時点での設問である。イメージがわかないものだから、必然物理計算に頼ることになる。

 そんな中で唯一、仁科学生だけが正当をはじき出した。

 助教もまさか入学1ヵ月日の学生が正解を出せるとは思っていなかった。まずは思考の柔軟性と応用力を試す意味での問いかけだったのだ。

 しかも驚嘆すべきことに彼女は計算尺等の道具を一切用いず、また紙上にて計算式を書きながら演算したワケでもなく、全てを頭の中で―――暗算で答えを導き出していたのだ。

 この時の助教の感想は「仁科学生の頭の中には計算機が一式収まっているかのよう」であった。

 折しも軍の通信も暗号化の時代に突入していた。タイプライターに計算歯車を組み込んだ機械式計算機を内蔵し、パターン化選択スイッチを押す事でランダムに暗号化変数を調整できる暗号通信機が実用化の域に達していた。

 暗号化とは突き詰めれば「数学」だ。任意の文字をランダムな数字と掛け合わせて数値化する。つまり法則が存在するわけで、この法則を導き出せば符号化された文字を復号できる。 しかしこれは言うは易し行うは難しで、掛け合わせる数字の深度が深くなれば天文学的に複雑になり復号は難しくなる。いかに計算が達者な者でも何のヒントもなしでこれを導き出すのは途方もない試行が必要であり、漸く法則を解明した頃には、別の数字と数式に変更され、最新の暗号化信号の複合には適用できなくなる。

 そのとてつもないトライ&エラーを、仁科・紫は全て己の脳内で処理を行うことができた。

 数学的な計算力と、卓越した経験値で難解な暗号を次々に解読することに成功。士官学校卒業と同時に軍大学校へと進学し、通信分野で遺憾なくのそ能力を発揮し、殊に暗号解析技術に抜きんでいた事から帝国最大の通信傍受・解析機関である「大和田無線通信所」へと配属となった。大和田無線通信所は海軍の大和田通信隊の所有施設であった為、仁科少尉(当時)は海軍の所属となった。

 その後日中戦争等で活躍し、実績を重ねていった仁科・紫は順調に階級を重ねていき、海軍中佐となったと同時にGFの通信参謀を拝命した。以来彼女は仮想敵である米国の無線傍受と暗号解析に於いて必要不可欠な人材として活躍している。

「作戦立案には精確な情報が欠かせません。どうかよろしくお願いします」

「了解した。微力ながら力を尽くそう」

 仁科中佐は微笑を浮かべた。思わず見惚れてしまう。そこへ

「はいはーい。次はわ・た・し、航空参謀の淵田・満穂だよっ」

 この場には相応しくない、妙に明るい声をあげた女性士官は宗継と仁科の間に割り込むようにして身を乗り出した。

「っ・・・・」

 思わず舌打ちしそうになるのを堪える仁科・紫。そんなことはお構いなしに長髪をサイドテールに纏めた淵田航空参謀は、無遠慮に宗継を目踏みするように頭の天辺から足先まで紙めるように観察する。

「あの・・・」

 流石に居心地が悪くなった宗継が一歩下がると、

「ふむふむ、程よく鍛えているね。秋山少佐は航空機搭乗員の資格をもっているんだって?」

「ええ、はい。  ええと・・・」

「わたしは航空参謀の淵田・満穂。階級は中佐。わたしも貴方と同じで搭乗員の資格を持っているのよ。日中戦争では航空隊を率いて出撃した経験もあるし、16機撃墜のエースでもあるのだっ」

「16機ですか。素晴らしい。小官も飛べれば・・・」

「第一、男子は前線に出さないってのが不文律だからね。航空機搭乗員なんて、他の兵科と比べたら殉職率高いし」

 言いながらぺたぺたと淵田中佐は宗継の身体を触っている。

「あの・・・中佐?」

「んー。いい身体してるね。 噂では秋山少佐は航空学校の戦枝訓練で、教官に食い下がって撃墜判定を何度もとったって? 特に旋回格闘戦が得意だとか。格闘戦は身体に想像以上に負荷がかかるから、日ごろの鍛錬が不可欠だよね。やっぱり女の身体より男子の方が鍛えれば鍛える程強靭になって有利なんだろうね」

「訓練と実戦は違います。今やれば淵田中佐の圧勝でしょう。それに複葉機の時代ならともかく、速度性能の向上した現在の戦闘機では、一撃離脱戦法の方が有利だと聞きます」

「そうなんだよねえ。 昔は如何に敵の背後をとるか工夫をしていたもんだけど、今じゃ優位な上方から機関砲の一撃を浴びせ、一気に離脱して敵を引き離す戦い方が主流なんだよね。 これはある意味奇襲だけど、奇襲して逃げるってのは武人としてどうだかなって思うけど」

「武士道や騎士道などは近代以前の浪漫というものです。近代戦は如何に効率的に相手を倒すか、が重要です。昔日のように名乗りを上げて一騎打ち、というのは大量破壊兵器の前では自殺行為でしかありません」

「まったくその通り。 ホント、味気のないものになっちゃったよね」

「もっともその奇襲とて、電探などの索敵装置の発達によってなかなか難しくなっています。今は『如何に敵を早く見つけ、如何に早く攻撃し、如何に早く倒す』が標語のようになっています」

「ホント、味気ないよねえ」

 淵田中佐は肩を煉めてため息を吐いていた。

「自己紹介も終わったようだな。 申し訳ない、秋山少佐。彼女達も男性を見るのが珍しいのだろう。少々騒がしくなってしまった」

 山本連合艦隊司令長官がにこやかに言うと、先ほどまで騒いでいた参謀達は直立不動となった。山本長官は笑顔であったが、その眼は笑っていない。参謀達もちょっとやり過ぎた、と思っているのだろう。大松沢主計長などは苦笑いをしている。

「秋山少佐。着任早々申し訳ないが、案内したい場所がある。参謀諸君も同行したまえ」

「「「はっ」」」

 参謀達は連合艦隊司令長官の命令に覇気ある返答をした。

 

 

 呉鎮守府の裏門を潜れば、そこに小学校の校庭程の広場があった。

 そこに2台の車が停まっていた。 1台は黒塗りのリンカーンリムジン。高級将校の為に用意された物であるのは明らかである。もう1台は兵員輸送用の国産四輪駆動車。

 日中戦争を経験した陸軍は機動性の向上を痛感し、機械化をより推進した。

 特に交通網が貧弱な中国の奥地などは、2輪駆動車が頻繁にスタックし、雨でも降ろうものなら泥滓に嵌って動けなくなることが頻発した。

 そこで民間自動車製造業者と陸軍兵器工廠が共同で悪路に強い車両の開発を始めた。 しかし当時の日本は自動車自体が珍しく、黎明期から技術を蓄積していた他国の自動車の模倣をするのが精一杯であった。

 模倣とはいっても、劣化コピーに過ぎなかったのである。実際、日清・日露両戦役で活躍した主力兵器は外国産であった。

 これには国防に対して、商社との関係が万が一となった時に武器供与に大きな不安を抱えるようになる。

 この事態に憂慮した軍部は兵器の国産化を推進することとなる。 しかし前述の通り大日本帝国の技術レベルは諸外国に一歩劣る事もあり、いきなり大型の主力兵器―――海軍ならば戦艦、陸軍なら戦車など―――を建造するのは無謀であり、ならばより簡便な兵器の国産化から着手した。

 比較的構造が簡便で、例え故障しても作戦上大きな問題とならない軍需品として選定されたのが、自動車であった。

 この選択は間違いではなかった。自動車はコンパクトでありながら、あらゆる機械・電気工学の塊であったからだ。

 動力源となるエンジン、それを制御する電気部品類。エンジンの冷却方法や円滑に動作させる為のエンジンオイルや回転軸に組み込まれるボールベアリングの製法等、エンジン回りだけでも今後必要とされる兵器の基本構造を修得するには良い教材となった。

 走行装置に関しては自動車の状態を計測・表示する電気回路や電気部品類、足回りでは走行時に於ける衝撃を吸収するサスペンション類や変速機構、パンクし難いゴムタイヤの製法等、今後主力兵器となりうる戦車や航空機にも応用できる技術の塊であった。

 勿論いきなり全てを国産化できるものではない。サンプル品として先進国の自動車を購入したり、購入した自動車に使用されている技術の使用権料を払ったりと、それなりの金を必要とした。

 どうしても解決できない問題は、製作会社から技師を招いて技術指導を受けたり、国外へ技術留学もした。

 そうして基礎技術の底上げの努力の結果が、目の前の二式軽兵員輸送車である。

 四角形を基本とした飾り気のない無骨な造りだが、見るからに頑丈そうで戦場で使うには心強い印象を受ける。実際、小銃や軽機関銃弾程度ならば車体を貫通しない程の強度をもつ。

 軽兵員輸送車とは、基本的に軽武装の連絡員や将校の輸送に使われる車種で、運転手と助手の他、後部座席には最大6名まで乗車できる。

 この二式軽兵員輸送車をベースに6輪化しエンジンを強化、車体も一回り大きくし、天井部に機関銃を搭載した三式重兵員輸送車がある。こちらは完全武装した歩兵を6人運ぶことが可能である。

 ただし4輸駆動車とはいえ、不整地踏破能力は限定的であることからドイツ等で制式採用されている半装軌式―――前輪は通常のタイヤで後部は戦車のようにキャタピラーを装着している―――で装甲も充実した装甲兵員輸送車の試作が始まっているという。

―――ともあれ、宗継を含む参謀連は兵員輸送車に乗り込む。

 運転手が全員の乗り込みを確認したところで出発した。山本長官を乗せたリムジンと兵員輸送車には4台の2輪車に乗っか護衛が付く。

「なかなか物々しいですね」

「山本長官は非戦派の急先鋒ですからね。残念ながら嘗ての五・一五事件のように米国を恐れる臆病者は討たれて当然だなどと放言する輩が若手将校に居るのも事実です。もう少し世界情勢に目を向ける事が出来れば、そんな考えは身を滅ぼすだけだと気付けるものなのに」

 宗継の呟きに渡辺戦務参謀が悔しそうに表情を暗くする。

 それがこの警戒の理由か。漸く泥沼の日中戦争に終止符がうたれたというのに、未だ戦争を続けたい者がいるとは理解し難い。今は疲弊した国力の立て直しに全力をあげて取り組まねば、日本という国の存続が危ぶまれるというのに・・・。

「まあ、連合艦隊司令部は山本長官を筆頭によく纏まってる。万が一も起こらんだろ。それにこの護衛にしたって、呉鎮の金沢中将の計らいだってことだし、海軍が一枚岩ではないかもしれんけど、少なくとも此処では安全なはずや」

 そう言って笑顔を作るのは淵田航空参謀だ。

―――そう。一つの目標に一丸となって中らなければ、勝てるものも勝てなくなってしまう。

 

 そんな会話をしていると、兵員輸送車の速度が落ち、やがてゆっくりと停車した。

「到着したみたいだな」

 渡辺戦務参謀が腰を浮かせると、後部扉のノブヘと手をやった。

 扉を開けて外へ出ると、此処は造船所であると分かった。

 濃厚な潮の香りと共に、金属が焼けるような匂い。工作機械の潤滑油だろうか、独特の匂いも混じっている。絶える事のない金属打撃音は軍艦を建造しているからであろう。

 東京駅に匹敵するような巨大建築物が何棟も並び、それに併設する大型のクレーンが装甲板と思しき物を吊り下げゆっくりと移動している。

「山本長官は、何を見せようとしているのかな?」

 大松沢主計長が居並ぶ建造物に圧倒されたのか、周囲を見渡しながら呟く。

「新造戦艦・・・か、空母じゃない?」

 渡辺戦務参謀もどこか落ち着かない様子だ。

 そこへ従者を連れた山本連合艦隊司令長官がゆっくりと歩いてきた。

「なかなか壮大な物だろう? これ以上の規模の造船所は横須賀海軍工廠くらいなものだ」

 両手を広げて山本大将は子供のように微笑んだ。

「活気がありますね」

 宗継の感想に、

「米国との緊張が高まっておるからな。新造艦建造や既存艦の修理、改修で24時間全力稼働だ」

 答える山本大将の表情は一転して暗くなる。準戦時体制であるのを憂いているようだ。

「此処に連れてこられた理由を伺いしてもよろしいでしょうか」

 渡辺戦務参謀が、この場に居る者の代表として具申した。

「諸官らに見せたい艦がある。特に作戦、戦務参謀には今後の戦争計画に関わる重要な艦だと確信している」

「それは・・・」

「そう慌てるな。 目的のドックは一番奥だ。ここから3つめだな」

 渡辺戦務参謀の言葉を遮ると、山本大将は歩き始めた。

「秋山少佐には話したが、来年にハワイ王国独立記念日に陛下がハワイ王国をご訪問される。具体的な日時は保安上明かすことはできないが、これは確定事項である。そして米国は未だハワイを自国領だと主張している」

「米国の立場では、そうでありましょう。もっともハワイとて米国が策謀を巡らし手中に収めたもの。本来はハワイは独立した国家であり、今が正常な状態であるはずです」

 渡辺戦務参謀が嫌悪を露わに発言する。

「米国の太平洋戦略にとって、ハワイは重要拠点と成りうる。ハワイ奪還は米国の国是と言っても過言ではなかろう」

「陛下のハワイご訪問と同時に奇襲攻撃がある、と?」

「もし陛下が凶弾に倒れるような事態となったらどうなるか・・・・想像するだに恐ろしい。国内は混乱し、米国との全面戦争になるだろう。この時点でハワイは米国の手に落ちていると考えると、米国はハワイを拠点として攻め上ってくるはずだ。先の『大災厄』によって受けた打撃から回復しつつある米国は、我が帝国にとっても侮れない存在だ」

 山本司令長官の言葉に参謀連は押し黙ってしまう。海軍内でも選りすぐりの頭脳の持ち主達は、その光景を思い描いていた。一度や二度ならば奇策で勝てるだろう。 しかし国力差は如何ともし難く、最終的に帝国は――敗ける。

 既に日清・日露・日中戦争を経験している帝国は、近代戦が消耗戦であることを知っている。この10年余りで失った国富は、勘定するのも恐ろしい。幸い同盟国の英国が帝国の国債を保証してくれているお陰で、財政崩壊は免れているが、正直なところ帝国の国庫は空も同然なのだ。 日中和平の理由の一つが、この財政問題であることは公然の秘密であるが、経済をかじった者ならば容易に想像できるだろう。

 この現状でこうして新造艦の建造が進められているのが奇跡と言ってよい。

「さて、ここが目的地だ」

 山本司令長官が足を止めた先には巨大な建築物があった。

 多少年月が経っているのか、塗装が落ち所々に赤黒い錆が浮いている。  しかし建物自体は手入れが行き届いているのか、放置され荒れるがままとは言えず、どちらかと言えば活気というか熱のようなモノが溢れている。このドックは現役として全力稼働しているようだ。

「誰か」

 鋭い誰何の声が響いた。

 このドック唯一ともいえる大型貨物車が通過できる程の門の前に2人の守衛が立っていた。双方共に見慣れぬ黒の軍服を着こみ、一人は長身で軍帽を被りもう一人は鉄鉢を被り機関短銃を構えている。

「・・・特務だな」

 渡辺戦務参謀が小さく囁いた。

「あれが・・・」

 宗継は気取られぬよう、門扉の前の軍人を観察する。軍帽を被っている方が上官なのだろう。 しかし階級を示すような徽章等は身に着けておらず、彼女の階級は分からない。それは機関短銃を構えている者も同じだ。

「特務は軍の監察機関で、統合参謀本部直轄の独立した部隊ね。要人警護から防諜までなんでもこなす特殊部隊。陸海空軍から優秀な者が志願して訓練に合格した者が所属できるみたいだけれど、合格者は志願者の1割にも満たないって話しよ。いねばエリートね。任務の内容は基本的に機密扱いで故に個人を特定できる物をほとんど身に着けない。だから階級章も身に着けてない。あの偉そうな軍帽は中佐か大佐クラスね」

 仁科通信参謀が耳打ちする。

「余程の秘密兵器が作られているってことか・・・」

 機関短銃を構えている兵士の目は本気だ。同じ帝国軍人でも不信とあらば躊躇せず引き金を引くのだろう。

 そんな剣呑な二人の前でも山本司令長官は自然体だ。

「山本・五十鈴大将だ。所属は連合艦隊司令部」

「身分証の提示を願います」

 軍帽の特務は鋭い視線を向けつつ、臆した風もなく言い放つ。相手が大将であっても、一兵卒であっても態度に変化はないのかもしれない。

 山本大将の提示した身分証を一瞥すると、軍帽の特務は見事な海式敬礼をした。

「失礼しました、山本閣下。宜しければ訪問の理由を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

「なに、『例のモノ』を参謀達に見せておきたくてね。今後の作戦立案の参考になるだろう」

「了解しました。参謀の方々も身分証の提示を願います」

 

―――そして俺たちは警戒厳しい門扉を抜け、ドックの中へと入った。

 巨大な建造物は中空になっており、奥行きはゆうに400メートル、幅50メートル以上もある水槽のような構造になっており、一方が外海へと開けている。水面から天井まではこれも50メートル以上はあるだろう。幾本ものレールが張り巡らされ、大小様々なクレーンが何かの部品を運搬している。

「なかなか壮観だろう? これまでは艦体の建造は乾ドックで行い、組みあがったら進水式、その後は屋外の艤装用ドックに係留して行うものだったが、此処では全ての工程をこのドックで行うようになっている。利点は移動の手間が省けることや工程管理が厳密に出来ること等で・・・従来より3分の2程の建造期間が短縮できたことだろう。それに屋外の艤装ドックと比べて防諜対策が格段に向上したことだな。 『大和』を建造した時には艤装ドックの周りにシュロの枝を衝立替りに建てたり、汽車の海側の窓を閉鎖したりと大変手間がかかったからな。ちなみにこのドックで『大和』が建造されたのだよ」

「此処で・・・あの『大和』が」

 宗継は一種の感慨に浸ってしまうことを禁じ得なかった。

 戦艦大和とは、大日本帝国海軍が建造した、45口径46センチ砲を9門搭載し、基準排水量65000トンの世界最大の戦艦である。「大和」登場時、この艦を撃沈可能な戦艦は存在しないとさ

れ、帝国海軍の力の象徴だった。

 その後大和型戦艦の後継艦として紀伊型戦艦が建造されたが、「大和」の名は広く国民に慕われ未だ戦艦と言えば「大和」と言われる程である。

 そして今目の前では、大和型に匹敵する軍艦―――規模から戦艦であろう―――が建造されつつある。

 喫水線上から最上甲板までゆうに10メートルはあり、艦中央部に大和型に酷似した艦橋が聳え立っている。艦橋頭頂部の射撃指揮所までは最上甲板から40メートル以上、ことによっては50メートルはあるのではないか?

「上へあがろう」

 山本大将はこともなげに言った。 現在建造中の艦には多数の工員が組まれた足場の上で作業をしている。クレーンから下される装甲板と思しき鋼材を誘導する者、鋼材を艦体にリペットどめをしている者。溶接に伴う青白い強烈な光があちこちで明滅し、金属同士の打撃音、それらの音に負けじと大音声で指示を出している監督と思しき者。 とても部外者が気楽に入り込める雰囲気ではない。

 しかし山本大将は気にする風もなく、最上甲板へと続くタラップを上っていく。参謀連も慌ててそれに続く。タラップには手すりがついているといっても、作業員が昇降するのに必要最小限の造りでしかない。その為所々に大きな隙間があったりして、よく注意しなければ足を踏み外して海面へ向かって真っ逆さまだ。落ちた先が海面ならまだましで、ドックの護岸にでも落ちれば死にかねない。

 宗継が神経をすり減らしながら最後のステップを踏んで最上甲板へ立った時、彼は大きなため息をついてしまった。

 一つは無事に10メートルの舷側を昇りきった安息感。そしてもう一つは巨大な構造物を間近で見たことによる。

 戦艦を戦艦たらしめている象徴的な巨砲。太く長い砲身とそれを支える砲塔。 3門の砲身を収めた砲塔が前部に背負い式に2つ、その頭一つ分上にあるのは10センチ連装速射砲だろう。そのすぐ後ろには戦闘指揮所を含む搭状の鐘楼が聳え、続いて艦体の大きさに比してやや小ぶりな煙突があり、その煙突の前後にある箱状の装置は恐らくロケット弾発射器か。その後ろに予備指揮所があり、空中線を張ったマストが立つ。 1段下がって10センチ速射砲が据付けられ、また3連装砲塔がある。

 艦橋構造物周辺には組み上げ途中の対空火器や、その台座があり、多くの人間が汗と油に塗れながらも活発に作業を続けている。

「これは・・・大和型?」

 渡辺戦務参謀が首を傾げる。最新鋭の紀伊型戦艦は3連装砲塔4基12門の主砲を装備している。 3連装砲塔3基とは大和型の特徴であるのだ。

 新造艦が1世代前の大和型であることに疑問が生じたのだろう。

「これは次世代艦の試験艦ですよ」

 この場に似つかわしくない、柔らかく、しかしよく通る声が聞こえてきた。

 声のした方角へ視線を向けると、やはりこの場に居て違和感を覚えるような風体の女性が立っていた。

 彼女は黒の詰襟の上に白衣を羽織っていた。まるで医者か学者のような印象が強い。

「藤本技官。久しぶりですな」

 山本大将が破顔した。

「突然いらっしやるから、なんのおもてなしも出来ませんが・・・」

 藤本と呼ばれた女性は、右手で頭の後ろを掻く仕草をして恐縮している。

「いや、それにはおよばないよ。 非は事前連絡なく訪問した我々にある。 しかし、技官に会えてよかった。もし時間が許すなら、この艦について説明願いたい」

 山本大将が頭を下げると、技官と呼ばれた女性は

「軍機の関わることですので・・・。まあ、GF長官に隠しておく必要もありませんか。そちらの方々は?」

「GFの参謀連です。身元の保証はわたしがします」

「そうですか。 でしたら、この艦について説明しましょう」

 藤本技官がそう言ったとき、渡辺戦務参謀が挙手をした。

「この新造艦ですが・・・、これは大和型のように見受けられます。何故、今、前級の大和型を建造するのでしょうか」

 藤本技官は小さく何度か頷いて、答えを口にした。

「新造艦といっても、これは新技術の実証艦であるのです。どのような技術かは後ほど説明するとして、要はコスト面の問題ですね。紀伊型の次級となると、図面の引き直しから諸元の計算をする必要があります。それには時間がかかり、当然人件費や試験材料などのコストがかかります。そうであるなら既存艦の設計を流用すれば、それだけ時間短縮が図れます。あとは紀伊型よりは大和型の方が建造コストが違います。戦闘艦の建造単価は重量換算ですから、単純に3割り減で建造できます。もっとも、その浮いたお金は新技術開発に回されますので、実質プラスマイナス・ゼロですが、建造予算の申請が通りやすかったのも事実です」

「金の問題とは、世知辛いねえ」

 大松沢主計長がため息をついた。

「日中戦争は陸軍が中心の戦争でしたから、海軍の予算申請は厳しいものがあったのです。 日中戦争が終結してから米国が仮想敵国となったことで、海軍予算の増加がなされましたが、政府の緊縮政策の方針により、十分な予算がつかないのです。そこで大和型戦艦の改修という名目で予算を確保しました」

「艦政本部が大分頑張ってくれたからな。おかげで陛下のハワイ王国ご訪問に間に合いそうだ」

「この艦を使うのですか?」

 宗継の質問に、藤本技官が答えた。

「その為の新造艦ですから。山本長官や、米内海軍大臣(当時)の後押しがなければ実現が危ぶまれました」

「海軍としても、陛下を御守りする義務がある。国体を護持出来ずして、陛下の臣民を名乗るなど、恥を知れ、と米内先輩は言っておられたなあ」

 山本大将は、どこか懐かしむように口にした。

「さて、立ち話もきりあげて、この艦のもっとも特徴的な部分をお見せしましょう。この艦が造られた理由でもあります」

 藤本技官が先頭に立って歩き始めた。 ほんの数歩も歩かない内に腰を曲げて屈みこむと、艦内へと続くタラップの扉を持上げた。

「まるで床下に入るみたいだな」

 と宗継は呟いた。

「戦艦に限らず、軍艦ってのは機能第一なんだよ。今は動力動作が主流だけれど一昔前までは人力操作も珍しくなかったんだ。戦闘中ともなれば艦上は大わらわさ。だから無駄な突起や構造物は邪魔。それに大和型の主砲の46センチ砲の発砲時の衝撃波は馬鹿にならない。主砲を発砲する時は甲板作業員は皆艦内に退避したものだよ。衝撃波で死ぬ可能性があったし、鼓膜なんて簡単に破裂しちゃうから。だから大和型以降の戦艦の上部構造物はすごく簡素なんだ」

 宗継の先に立って、タラップを降り始めた荒川砲術参謀がよく通る声で説明してくれる。

(なるほど)

 宗継は納得の表情で頷いた。

 それから迷路のような艦内を歩き、最下甲板に辿り着いた。ここまでにゆうに30分以上歩いたことになる。

「ここに、この艦の心臓部たる動力源があります」

 藤本技官が大声で言った。 ここも作業中らしく、内部は騒音に満ちている。小声では何を言っているのか分からないような状況だ。

「未だ建造中です。何分にも新設備であるため、なかなか完調とはいかないのが現状です。まあ、今回に限っては皆さんに説明しやすいのですが」

 そう言うと藤本技師は、手すりから身を乗り出すようにして、1段低い機関室を指差した。

 其処には巨大なタービンが鎮座していた。タービンであると分かるのは、外装の半分ほどが未装着で、中身が一部分見えるからだ。

 太い軸にびっしりとタービン羽根が密集して植えつけてある印象だ。兵科将校である宗継では実物を見る機会は無きに等しいので、貴重な経験だといえた。

「これが新たに導入する艦舶用ガスタービン発動機です。原理は航空機に導入が進んでいる噴進式発動機と同じです。航空機はタービンを回転して空気を圧縮しそれに燃料を混合させ、燃焼ガスを推進力としていますが、この艦に搭載するガスタービン発動機は、燃焼によって得たエネルギーをタービンを回転させる動力源とするものです」

 山本大将が右手をあげた。

「従来の蒸気タービンと何か違うのかね」

「蒸気タービンは高圧缶で水を沸騰し取り出した高圧蒸気をタービン内に流すことによって回転エネルギーを得てスクリューを回していました。ガスタービンは、燃料を燃焼したガスをタービン内へ導入することでタービンに回転運動をさせ、スクリューを回します」

「何か違うのかね?」

「一番は立ち上がりの速さです。蒸気タービンでは缶の火を落とすと、タービンを駆動できるまでの蒸気圧へ達するのに3時間以上、場合によっては半日以上かかりますが、ガスタービンですとおよそ3分で全力発揮が可能となります」

 その場にいた参謀連は思わず嘆息した。

「つまり、奇襲を受けた時の対応が早くなる、と」

「電探が敵機を捉えた直後から機関を駆動しても、十分余裕をもって迎え撃てますな」

「なるほど、画期的な機関というわけだな」

 山本大将が頷くと、藤本技官の表情が曇る。

「何か問題でも?」

 藤本技官の様子の変化を見て取った宗継が、言葉をかけた。

「そうですね・・・。まずは技術的な問題から。蒸気タービンはおよそ毎分2200回転ですが、ガスタービンは11000回転と約5倍の回転数で、燃焼ガスは800℃に達します。つまり回転に伴う遠心力と高熱に耐える金属材料が必要になります。また回転数が高い為、蒸気タービン以上に共鳴を起こしやすく、そのまま放置すれば動力羽が折損、タービン自体が使用不能なまでの損傷を受けることになります。現在もタービンが調整中なのは、その為なのです」

「良いことばかりでは無い、という事か」

 渡辺戦務参謀が呻いた。

「問題はそれだけではありません。ガスタービンは蒸気タービンに比べて燃費が悪いのです。ガスタービンはどの動作域でも燃料消費量に差がありません。戦闘時に最適化した場合、巡航時も戦闘時と同じ量の燃料が必要となるのです」

「燃料を国外からの輸入に頼っている我が国では、それは厳しいな」

 山本大将も思わず天を仰いだ。

「解決策として、この艦には巡航用のディーゼルエンジンを搭載しています。巡航時はディーゼルで、戦闘時はガスタービンで動力を得る形式となります」

「2種類の動力源を設置するのか。構造が複雑になり、整備も大変だな」

 渡辺戦務参謀の言葉に、藤本技官は申し訳なさそうに答えた。

「技研でもそのあたりが問題点としてあがっています。今後艦船の動力源がこの艦の形式が基本となった場合には、機関学校の修科科目の見直しと、技師の育成が課題となるでしょう。現在の機関士官の再教育も含めて、です」

 そう言うと藤本技官はタラップを降り、ガスタービンヘと向かっていく。現場監督らしき人物としきりに話をしているようだが、騒音が酷くて聞き取れない。

「技官も大変だな。これが平賀造船中将あたりなら絶対にガスタービンなど採用しなかっただろう。藤本技官は平賀技官のようなある種の天才的な発想はないが、実直に現実に対処する能力に秀でている。今後の海軍戦備の整備の中心となってくれるだろう」

 山本司令長官はそう言うと、親指を上へ向けて立てた。

「上へ行ってみよう。艦橋には艤装委員長も居るはずだ」

 

 軍艦は基本的に人の移動は階段を使用する。自動昇降機のような便利な物は最上甲板から艦橋トップの射撃指揮所までのごく限られた個所にしかない。その自動昇降機も上級士官専用で余程の緊急事態が無い限り、兵卒は使用できない。

 つまり最下部にある機関室から最上甲板までのおよそ20メートルは階段を使うことになる。これはなかなかの重労働である。自動昇降機くらい用意してもよいではないか、と思うが戦闘時に艦内が破壊された際に自動昇降機が動かなくなれば大変なことになる。戦闘艦は常に万が一を考慮して建造されるので、基本的に人間の利便性は二の次なのだ。

 それでも山本司令長官に同道する形で、艦橋の自動昇降機には乗る事ができた。

 

 宗継達が訪れたのは第一艦橋であった。別名昼戦艦橋と呼ばれることもある。ちなみに下部の第二艦橋は夜戦艦橋とも呼ばれ、第一・第二艦橋共に艦の中枢であり、ここに艦長や司令官、幕僚達が集い、指揮を執る場所である。

 照明が落とされ薄暗い艦橋には二人の先客がいた。宗継たちが入室すると二人はこちらへ体を向けると同時に、山本GF長官を目にとめるや敬礼をした。

 一人は袖章から大佐と分かり、もう一人は中佐である。

 参謀連は ぴしり という音が聞こえそうな程の答礼をし、山本GF長官は鷹揚に答礼した。

「どうかね、調子は。松田大佐」

 答礼を終えた山本GF長官が、松田大佐と呼ばれた左官の傍に立つ。

「全行程の8割、といったところでしょうか。予定通りには進水でき、試運転ができると思います」

 松田大佐は淡々と答えた。 そこには気負いというものがない。自然体でありながら、確固たる自信がそうさせているのだろう。

「松田・千秋大佐・・・彼女がこの艦の艤装員長だったとは」

 宗継の耳元で渡辺戦務参謀が囁いた。

「松田大佐?」

 宗継が首を傾げると、戦務参謀は耳打ちする。

「猪口少将と同じく、砲術の腕を研いてきた人よ。昨今の航空機に対しても有効な射撃術を模索していると聞くわ。また軍艦の運用に関しても深い知見をもっていて、あまり目立だない人ではあるけれど帝国海軍にとって必要不可欠な人材ってわけ」

 言われて宗継は松田大佐を見る。

 長身だ。身長は170センチを超える位だろう。軍帽の下の相貌は整っていて、一本筋の通った意志の強さを感じさせる凛とした美貌。軍服は中性的なシルエットを形成し、内に秘めた力のようなものを感じさせる。

 手足はすらりと長く、まるでバレエ選手のようなしなやかさを感じさせた。

 その横に立っているのは、

「私はこの第798号艦の砲術長の内定を受けています、永橋です」

 永橋と名乗った士官は、柔和な笑みを浮かべた。その所作からは、とても戦艦の砲術長であるとは伺えなかった。名家の子女のような趣がある。

「永橋中佐には、艤装段階からわたしと藤本技官との打合せをしています。何分、新装備が多く、実際に運用する兵科将校との意見のすり合わせを行っているのです」

「新たに導入する射撃用電探は、これまでの光学併用のものではなく、測距と描頭も検知し電探のみでの射撃が可能となっています。ただしまだ制式兵装ではないので、本艦での運用で実績を出すところです」

 永橋中佐はそう言うと、一つの装置の前に移動した。 そこには杯を裏返して置いたような緩い曲面を描くガラスがはめ込んであった。

「全周監視管面です。諸外国ではPPIスコープとも呼ばれているようです。米国では1943年頃には実用化していたそうですが、本邦においても漸く開発に成功し、実用化できました」

 山本GF長官が物珍しげに覗き込んでいた。

「試製三号五型射撃用電探は、回転台の上でアンテナが回転します。電探の電波が反射して受信機で受信すると、菅面上に輝点として表示されます。中心点から輝点までで距離が、電探の回転数が一定であることから、輝点の移動位置で目標の速度と錨頭が分かる仕組みです。これまでのCスコープでは距離しか分からず、光学観測と併用する必要がありましたが、この射撃用電探では単体で射撃管制が可能です」

「それは便利だな。 しかし米国では本邦より10年も前に実用化できていたのか・・・」

 山本GF長官は感心とも感嘆ともとれるような声で呟いた。

「新内閣の発足で陸海軍の軍制改革が行われ、陸海空の三軍が新編されると共に、民間企業や大学の研究所との協力体制も整備されました。軍内部の横の繋がりが強化され、大学などの研究者との技術交流が盛んとなり、新技術の導入が加速されました。その代表が本艦であります」

「海外からの技術者の協力も大きなものがあるでしょう。これまでの陸海軍では、そうして得た情報や技術を他軍と共有せず独占する傾向がありました。これからは陸海空の三軍が情報共有をし、規格などを統一化することで無駄なリソースを排除することが可能となったのです」

 松田大佐がそう言うと、渡辺戦務参謀が頷いた。

「結果として、我が皇軍はより強化されました。真に残念ですが、帝国は多くの面で列強に一歩遅れているものがありました。軍制改革は皇軍を列強に比肩させ得るに足る良い起爆剤となったと信じます」

 渡辺戦務参謀の言葉に頷くと、山本GF長官は再度松田大佐へと向き、

「どうだね、この艦は」

「佳い艦だと思います。間違いなく新たな時代の海軍戦力となるでしょう」

 ここで初めて松田大佐は微笑を見せた。

 

 宗継たちが工廠から帰庁したのは1700を過ぎた頃たった。

 真冬のように日が短くないとはいえ、既に周囲は暗い。あと30分もすれば日も完全に暮れるだろう。

 兵員輸送車から降りた宗継は、従兵である早見一曹と共に宿舎へと向かうことになった。

(着任早々、疲れたな。 しかし有意義な1日たった。これが「現場」というものだろう。これからは自分の采配次第で戦局に影響が出るのかと思うと、身の引き締まる想いだ。帝国海軍軍人としての本分を全うするに迷いはない。自分がどこまでやれるか分からないが・・・作戦参謀という職務に励む、これに尽きるだろう)

 宗継は嘗てない程の高揚を抑えるのに苦労した。

(体は疲れているが・・・眠れそうにない。今夜は長い夜になりそうだ)

 宿舎へと移動する途上、宗継はそんなことを考えていた。

 

 (つづく)


 
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