No.927239

晴れ 3

貴乃元さん

「晴れ」の最後です。

2017-10-23 19:09:14 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:362   閲覧ユーザー数:362

9:13

 午前中にマサの病院を訪ねたのは初めてだ。

 ロビーは外来の患者が多く、その中を僕たち3人はマサのいる部屋に急いだ。これだけ

早い時間だったら葵さんだって文句はない筈である。

 4人部屋の中を覗くと、窓際のベッドにマサはいなかった。枕元にあったマサの荷物も

何も無い。看護士さんがシーツをたたんでいる。

「あのう・・」

 看護士さんは、入り口に立っている僕たちを不思議そうに見たが「はい?」と言って出

てきてくれた。

「あそこにいた土屋マサツグ君は・・」

「あ、土屋くんなら今日から別の部屋に移ったの。お友達?」

「はい」

 看護士さんはちょっと困った顔をした。

「悪いけど面会はできないわ」

 僕は一瞬嫌な予感がした。マサの容態が悪くなったのか。やっぱり夜中に外へ連れ出し

たのがいけなかったのだろうか。

「心配しなくても、別に病状が悪化したとかいうんじゃないから。今日からコールドスリ

ープの為の特別検査なの。ごめんんね」

 看護士さんはそう言ってまたシーツをたたみ始めた。

 この間葵さんは、検査は一週間後だって言っていた。きっと予定が早まったのだ。って

ことはもう面会はできない。

 この時初めて、コールドスリープに入ったらもうマサに会えないんだということが実感

として僕の頭にわいてきた。

 科学の最先端を体験できるなんて浮かれていたが、それはマサと別れなければならない

ということだ。でもマサが元気になる為には必要な訳で。マサにしてみたらどんなにかつ

らいことに違いないのだ。ヒロトとアキも呆然としている。

「どうする?」

 静かにそう言うアキに、僕は「しょうがないよ」と答えるしかなかった。

 来た廊下を帰っていく時、僕たちはみんな黙っていた。

 8期の移民団で火星に行くことになると、僕だってアキやヒロトに会えなくなってしま

う。現実的に考えると中学生じゃ僕だけ地球に残るなんてことはできっこない。僕たちは

バラバラになってしまうのだ。もうすぐに。

 国連軍に戦略ソフトを売り込むなんてこないだまで本気で考えていたのが、何だかバカ

みたいに思えてくる。さっきまで南天閣に行こうとしていたことも。 

 僕たちにはできない事が多すぎる。

 蝉の鳴く声が聞こえる。僕たちはそのまま病院を出た。

「光彦くん!」

 駐輪場まで来た僕たちの後ろで、葵さんの声がしたのはその時だった。葵さんは走って

病院の玄関を出てくると、僕の腕をつかんだ。

「みんなちょっと来て」

 僕たちは葵さんに引っ張られて、病院の中に連れていかれた。ロビーの患者さん達が見

ていたが、葵さんは構わずに僕の腕を持ったまま小走りでロビーをぬける。なんだか焦っ

ている様子だ。

「あの・・」

 ぼくがそう言いかけると、葵さんは振り返りもせずに言った。 

「明日筑波に行くことになったの」

 僕の腕をつかむ葵さんの力が強くなる。

「今しかないの」

 マサの病気のことは前に聞いたことがあった。名前は忘れたけど何万人に一人という確

率でなってしまう心臓の病気らしい。そんな難しい病気を直すには、何年後かの発達した

医学に託すしかない。

 最先端の技術で未来にいくという事はうらやましいことなんかじゃない。少なくとも病

気を抱えたままのマサにとっては不安だった筈だ。そして僕たちにとってもマサにとって

も、それは寂しくなること。

 何もかもが早すぎる。火星に出発する日も、マサと会えなくなる日も。

 そして葵さんは、廊下の角を曲がる時に言った。

「たぶん次に会える時は、もう君たち大人になってるから」

 今まで見たことのない目をしていた。

 病室がある廊下を抜けると、奥の突き当たりに広いエレベーターがあった。さっきの看

護士さんが扉を開いたままにしてくれている。

 葵さんは「すみません」と言って、僕たちの顔を見た。

「早く」

 そう言って僕たちをエレベーターの中に入れると、そこには車椅子に座ったマサがいた。

「よう」

 マサはいつもの調子でそう言ったので、僕たちも同じように「よう」と答えた。

 マサの脇には、この間肩に付けていたのより大きな機械があり、マサの胸のところにコ

ードが繋がっている。

「大丈夫か?」

 アキが言うと、マサは「ああ」と答えた。

 看護士さんが3階のボタンを押して、エレベーターが動き出した。

「ちょっとだけね」

 葵さんは無理を言って、僕等をマサに会わせてくれたらしい。

 僕は水野から預かった御守りをマサに渡した。

「これ、水野から」

「うん」

 マサはそれを受け取った。

 マサと話せるのはこれが最後だってことはわかっていた。普段なら夜中に忍び込んだ時

も、どうでもいいくだらない話をいっぱいしていたんだけど、でも今は何を言ったらいい

のか分からない。それはアキもヒロトも、そしてマサも同じようだった。

 僕たちは黙ったまま、エレベーターが3階に着いた。

「ごめん。時間ないんだ」

 葵さんはそう言うと、マサの車椅子を押してエレベーターを出て行った。

 僕たち部外者が入れるのはここまでらしい。

「じゃ、な」

 マサが明るくそう言う。

「ああ、じゃあな」

 僕等のいつもの会話だった。

 特別検査室というプレートがあるドアの中に入っていくのが見える。マサはずっと下を

向いていた。

 最後に外に出た看護士さんが1階のボタンを押してくれ、エレベーターが閉まる。

 結局何も言えなかった。せっかく葵さんがマサに会わせてくれたのに。でも何を言った

としてもたぶん同じだ。時間が戻らない限り、マサとはもう何も話せない。

 その時、看護士さんが手を入れて、またドアが開いた。

「ミツ!」

 マサの声がした。それはマサが昔僕を呼んでいた時の呼び方だ。

 葵さんが車椅子を押して戻ってくる。

 エレベーターの外まで戻ってきたマサは、僕たちの顔を見た。

「南天閣、絶対勝てよ」

 その瞬間、僕はやっぱり東京に行こうと思った。

「おう」

 僕が答えると、マサは少しだけ笑った。

 葵さんはまたマサの車椅子を押して歩いて行き、それでエレベーターは閉まった。

 僕たちがマサと話したのはそれが最後だった。

 あの夜、マサはベガのCD―Rを僕に持っててと言って渡した。

 マサはきっと、自分の作ったベガが南天閣に負けたことが悔しかったんじゃない。自分

の代わりにベガを”ここ”に置いていこうとしたんだ。上手く言えないけど、この先何年

になるかわからない時間、この先冷凍睡眠から自分が目覚めるまでの間を、僕たちと一緒

に居たかったんだと思う。僕はCDに書いてある”ベガハイパー”というマサの文字を見

た。その瞬間、なんだか力がわいてくる気がした。

 病院を出た僕たちは自転車で駅に向かった。

 通いなれたいつもの風景が、今日は僕たちの後からついてくる。

 電車の発車時間は分からない。

 

 

¦ガーディアンが最後に友人達と別れてから数日後、彼は長いコールドスリープに入った

まま、今も眠り続けています。

 ガーディアンが本当に自分の代わりに私を残そうとしたのか。それは今となっては解か

りません。しかしその時から、私のデータが入ったCDがガーディアン自身になったので

す。

 そして彼の親友達にとって、私の存在は単に電子頭脳としてだけではなく、ガーディア

ンが自分達と一緒に確かにそこにいたという証になったのです。

 それから数時間後、彼等はかつての首都の街で、サードワールドとの最初で最後のコミ

ュニケーションを果たすことになります。

 それは私が未知の生命体”フウ”と出合った、一度だけの記憶です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フゥ・・・・(Who)

 

10:35

 駅まで行くと、電車が来ていた。

 本数が少ないので、それに乗らないと30分位はは待たなければいけない。下手すると

一時間も待つハメになってしまう。

 東京までの行き方を駅員さんに聞こうと思っていたが、駅は10時以降無人になってし

まうので誰もいなかった。見張りの先生がいなかったのは幸いだ。

 僕たちはとりあえず千葉までの切符を買い、後のルートはそこで聞くことにした。

 とりあえず急いで電車に乗った。電車の中はガラガラで、5分位で動き出した。

 しかしそれからが長かった。

 僕たちは向かい合った席に座って、最初は東京に着いたらどうするかなんかの話をして

いたが、それはアキがVシネで見た”歌舞伎町は恐いところらしい”という話になり、そ

ういえば担任の猪熊は昔何かの映画にでたことがあるらしいという話題に変わった。猪熊

は「名前に似合わず結構美人」という評判があると僕が言うと、「目が腐ってんじゃねえ

の」とヒロトに一蹴された。

 それからはもうどんな話になったのか覚えていないが、最終的にセンズリしすぎると最

後に赤い玉が出るらしいという事で話は終わった。

 僕たちが千葉駅に着いたのは、何だかんだで2時間後である。ここから首都圏まではリ

ニアに乗り換えないといけない。

 なんだか腹が減ってきた。

 そういえば、久しぶりに母親が作った朝ごはんを食べ損なった僕と、僕が無理やり寝起

きを連れ出したヒロトは朝から何もたべていなかった。僕等は駅の窓から見えた店で牛丼

を食べることにした。

 とにかくこれから何があるか分からないから、なるべくお金は使わない様にしようとい

うことになり、僕たちは全員で一番安い並盛りを注文した。腹いっぱいにはならなかった

けど、初めて食べた牛丼は意外と美味かった。何せ僕たちの商店街には牛丼屋なんかが無

かったのだ。

 駅員さんに東京の秋葉原までの行き方を聞くと、思ったより簡単だった。総武線リニア

で一本らしい。

 駅員さんは割とぶっきらぼうに言う。

「でも上りの一般列車は今止まってると思うよ。こないだの爆発騒ぎがあったから」

「東京行けないんですか?」

「行けないことはないけど、身分証明証とかある?」

「え・・・」

「無きゃダメだよ。状況が状況だから。審査受けないと」

 そういえば、駅の構内に警官の姿が多い。僕はあまり来ないから分からなかったが、

”特別警戒強化中”という紙がそこいらじゅうに貼ってある。こないだの事件以来、なん

だか世間の空気が重くなっているみたいだ。

 駅員さんから教えてもらった総武線の乗り場まで行くと、やはり乗客が一人づつ身体検

査を受けていた。

 僕たちは急いでいたので学生証なんか持っていなかった。これじゃここから先へは進め

ない。とりあえずもう一度外に出て、どうするか考える事にした。

 駅を出ると、戦争反対というプラカードを持った人たちが道を行進しているのが見える。

メガホンで何かを叫んでいたが何を言っているのか聞き取れなかった。

「俺たちも歩くか」

 アキが言ったが、ヒロトに冷静な口調で「何日かかると思ってんの」と一掃された。

 僕たちがボーっと座っていると、警官が声をかけてきた。

「君たちどこから来たの?」

「あ、や、ええと・・・」

 僕がしどろもどろになっていると、警官は明らかに怪しんでいる目で僕たちを見てきた。

「ちょっと夏休みなんで、親戚の家に行くところなんです」

 咄嗟にヒロトがテキトウなでまかせを言う。

「中学生?」

「いえ、高校生です、僕たち。行こう」

 そう言って歩き出すヒロトの後を、アキと僕はついていく。

「ちょっと待って」

 警官が無線でどこかに連絡を入れている。それを見て僕たちは咄嗟に走った。

「あ!ちょっと君たち!」

 慌てて警官が後を追いかけてくる。ここまで来て学校にでも通報されたらヤバイ事にな

る。

 僕たちは必死で大通りを走り、細い路地に逃げ込んだ。そこからはどこをどう走ったの

か覚えていない。

 通りを抜けると、さっきのプラカードの行進の列が目の前を通っていた。僕たちは咄嗟

にその中へ紛れ込んだ。

 列の後ろの方で、追いかけてきた警官がキョロキョロしているのが見える。僕たちはと

りあえず行進に紛れて、そのまま通りを歩いていった。

 どれ位歩いたのか。しばらくすると行進は止まり、歩いていた人たちが道の脇にある縁

石に座り込んだので、僕たちも少し休む事にした。思わぬ全力疾走でへとへとだった。

 列の前の方から、おばさんがペットボトルのお茶を配ってきた。僕たちはいいですと言

ったが、おばさんは「余分にあるから大丈夫だよ」と言ってお茶をくれた。

「上手く逃げられたみたいだね。疲れたろ」

 おばさんは僕たちにお茶を渡しながらそう言って笑った。どうやら駅前で警官から逃げ

た時から見られていたようである。

 僕たちは路肩に座り、おばさんに東京に行きたいことを打ち明けた。

「まあ若い頃は何でもやってみた方がいいよ。でもこのタイミングで東京まで行くのはち

ょっとやっかいだね」

「やっぱり無理ですか・・」

 おばさんは少しの間考えていたが、「よし」と言って立ちあだった。

「狭くてよけりゃ何とかしてやるよ」

 

12:25

 僕たちは狭いワゴン車の後ろに座っていた。回りには大量の発泡スチロールの箱がぎっ

しりと詰まっている。

 おばさんはデモの列をぬけてから僕たちを連れて歩きだし、商店街にある魚屋の前まで

行った。そこはおばさんの娘さんだか親戚だかがやっている店らしい。小学生ぐらいの男

の子が三人、揃って僕たちを睨んでいた。

 ちょうど東京方面に行くという車があるらしい。それに乗せてもらう様おばさんが言と、

気の弱そうな店員の男の人は頭をかきながら「いいですよ」と言った。

 それで、僕たちは荷物と一緒に都内まで乗せてもらうことになったのだ。

 ワゴンを運転するのはさっきの男の店員で、その助手席には若い女の人が乗っている。

この人がおばさんの娘さんだか親戚だかだろう。 

 週に一度だけ直接築地まで仕入れに行くらしく、ついでにデートをする為、前の日から

東京に行くらしい。後ろに座っている僕達に何となく気を使っている男の人に対し、女の

人が構わず話しかけている。どうやら雰囲気的に二人の付き合いは結構長いようである。

「今はヤバイよ」

「何がヤバイの?」

 女の人はちょっと怒っているみたいだ。

「だって、状況が状況だろ」

「何が」

「なんていうか、自粛・・ムードみたいな」

「そんなの関係ないよ」

「こんな時に挨拶になんか行ったらお義父さんに怒られるよ」

「大丈夫だって。お姉ちゃんの時だってよろしく頼むってだけで、後はお義兄さんと酒盛

りに突入しちゃったんだから」

「でもなぁ・・・」

 男の人はそう言って頭を掻いている。どうやら二人はまだ結婚はしていないみたいだ。

 つまり僕たち3人はせっかくの二人きりのドライブに突然入ってきた”おジャマな存在”

という訳だ。

 途中でやっていた検問は、魚の仕入れという事ですんなり通過することができた。おば

さんが持たせてくれた保険証のおかげだ。たぶん魚屋にいた兄弟のものらしいけど、さす

がに僕たちが小学生だってのはちょっと無理があったような気がする。まあ検問で渋滞も

激しくなっていて、後続車からとんできた文句や野次に助けられた。気の弱そうな警官で

助かったわけだ。

 前の席ではいつの間にか、男の人の肩に彼女がもたれている。ヒソヒソと楽しげなやり

取りを聞かされると、なんだかこっちが恥ずかしくなってしまう。僕たちは仕方なく、そ

こでは全力で空気になった。

 途中のサービスエリアで買ったアメリカンドックをあ~んして食べさせている二人を横

目で見ながら、息抜きをし、結局僕たちは発泡スチロールの中でずっと下を向いたまま、

なるべく気配を消して都内まで送ってもらった。

「山手線で一本だから」

 そういわれて、僕たちは保険証を返し、お礼を言って東京駅で車を降りた。女の人が思

い出したように「秋葉原まで行こうか?」と言ったが、これ以上二人のラブラブに付き合

うのはごめんだったので、ヒロトが丁寧に断った。

 走り去っていくワゴンを見ながらヒロトがボソッと言う。

「今夜はきっとホテルだな」

 僕は思わずいろんな事を想像してしまったが、今はそんなことを妄想している時間はな

い。

 僕たちはそれから駅に入り、山手線に乗るまでで一時間近く迷ってしまった。変な入り

口から入ったのがいけなかったらしい。

 ようやく電車に乗って数分後。僕たちは秋葉原に着いた。こんなに近くならやっぱり送

ってもらえばよかった。

 

15:42

 まずびっくりしたのは、人の多さである。

 もうけっこうな人数の人が火星に引っ越して、人口が減ったとニュースで言っていたの

に、一体どれだけ日本には人がいるのだろうか。

 そして何よりも暑い。コンクリートの照り返しや、エアコン室外機の風でモワッとする

この暑さに比べたら、僕たちがいたところなんて冷蔵庫だ。まだまだ甘かった。

 でも建物の中は別世界みたいに涼しいのである。やっぱりエアコンは改良するべき機械

のようだ。

「今の世の中を神がご覧になったらどう言われると思いますか?」

 え?突然僕の後ろから声をかけてきたのは、分厚い本を抱えた女の人だった。

「神はいつも私たちを見つめておられます。人々は今、神の言葉から耳を塞ごうとしてい

るのです」

 淵の広い白い帽子と、ふわっとしたドレスみたいな服を着た女の人は、真剣な顔でそう

言う。何かの宗教の勧誘だろうか。

「え?いや、僕たちは・・・」

 慌てる僕に、彼女はバッグの中から出したチラシを渡す。

「読んでみてください。今の地球で私たちが何をするべきかが書いてあります」

 僕はとりあえずそれを受け取ると、彼女は「ありがとう」と言って、歩いている他の人

に同じ調子で言葉をかけ始めた。

 見ると、駅の外にはやっぱり何組かの、プラカードを持って歩く人たちに話しかけてい

る人達がいる。千葉と同じ”戦争反対”というものや、”地球を見捨てるな””母なる星

を救おう””火星移民反対””我々にも移民権を”など様々である。僕はとりあえずそれ

をポケットに入れたが、ちょっと行くと丸められた同じチラシがたくさん道に落ちていた。 

 大通りには僕の興味を引くいろんな店があった。僕たちは何だか舞い上がってしまい、

端から店の中を見ていった。電気店やフィギュアなんかを売っている店、ゲーム関連の専

門ショップなどもあったが、そこに南天閣という名前は見つからない。

 やはりここにも警官の姿や警察の車両がが多い。爆発事件でピリピリしている様だ。あ

んまり怪しい人は声をかけられるのだろうが、僕たち位の歳の人も大勢いるので、とりあ

えず千葉の様なことはなさそうだ。何しろ人があまりに多いのである。

 大きな店はいくつかあったが、シャッターを閉めている所が多く、営業しているのは半

分くらいである。でも裏通りに入ると、たくさんの小さな店が並んでいた。でもそこの商

品は多くが中古品みたいで、ほとんどが移民していった人たちが残していったものらしい。

 道路にテレビやスピーカー、冷蔵庫まで並べて売っている人もいた。

 

 いろいろと見ているうちに、気がついたらもう夕方になってきた。僕たちは疲れたので

とりあえず歩道の脇に座り込む。

「・・で、南天閣ってどこだっけ」

「住所は?」

 アキと僕がそう言った時、ヒロトの動きが止まった。

「・・あ」

 僕たちはヒロトの方を見る、

「・・PCわすれた」

 僕はその意味に気付くまでに数秒かかった。

「うそぉ!」

 そうなのだ。ヒロトのパソコンが無ければ、南天閣に行ったって戦う術がない。本末転

倒だ。そういえばヒロトの荷物は、テントと寝袋しか無かった。はるばる東京までキャン

プしに来たのか。

 一気に力が抜けてしまった僕たちは、もう立ち上がることもできなかった。

「どうしよう・・・」

 脱力が僕の身体を覆う。

 店の角に張ってある張り紙をボーっと眺めていた僕は、ふと気がついた。

「Pc買えないかな」

 ボソッと言った僕に、アキは下を向いたまま答える。

「そんなもんいくらすんだよ」

「五千円」

「あ?」

 僕が指差した張り紙には”パソコン””¥5000”とマジックで書かれている。

 僕たちはすぐに財布を出した。三人の所持金を合わせてみると、一万六千九百二十八円

ある。

「・・・買えるな」

 すぐに張り紙の矢印の方へ向かった。

 さっき歩いてきた裏通りから、さらに奥に入った所にその店はあった。一つの建物にギ

チギチにいくつかの店が入っており、みんな道にビールケースを並べて商品を売っている。

その中の一つで、金髪の若い男の人がダンボールをしまい始めている。

「すみません!」

 金髪の人は僕の声にも手を止めようとしない。

「あの、五千円のやつ、ありますか」

「それ。全部五千円でいいよ」

 彼の指した先には、かごに入った基盤が並んでいる。

「完成品はないですか?」

 そう聞いたヒロトに、男の人は店の奥から言う。

「うちは部品しかやってないから」

「パソコン5千円・・じゃないんですか?」

「パソコン部品5千円」

 よく見ると、確かに店の前に張ってあるさっきと同じ広告に色違いで”部品”という文

字が書いてあった。

 ダメだ。マサだったらともかく、僕たちに基盤からコンピューターを組み立てることな

んてできない。

 店の前で途方に暮れる僕たちの横で、男の人は並んだ商品をどんどん店にしまっていく。

「もう終わりなんだけど」

 彼は最後に残った基盤のかごの前でタバコに火をつけた。

「買うの?」

「・・いいです」

 そう言う僕たちの顔を、彼はじっと見ていたが、かごを持って中に入っていく。しかし

しばらくするとまた出てきた。

「これでよかったらあげるよ」

 彼はノートパソコンを一台持ってきた。

「本当ですか!」

 3人揃って思わず大きな声を出してしまった僕たちに、彼はちょっと驚いた様な顔をし

たが、それをヒロトに渡した。

「大分昔のやつで、バラしても部品とれないから。あげる」

 それだけ言うと、店のシャッターを閉め始めた。

 さっそくヒロトがそれを開けてみる。確かに小さな傷がそこらじゅうについている。キ

ーボードもホコリだらけで、お世辞にも綺麗とはいえない。でも無いよりはマシである。

ベガのCDを入れられるドライブがあればとりあえずなんとかなる。

「あれ?」

 ヒロトがキーボードをたたいてみる。

「電源、入んない」

 バッテリーパックは入っている様だから、全く充電がされていないみたいだ。

 僕は慌ててさっきの人に聞こうとしたが、もう完全にシャッターは閉まっていた。

「ダメじゃん」

 僕たちはそれから急いで表の通りに出ると、まだ開いている店に駆け込んだ。そこでと

りあえず、もらったパソコンに合う電源アダプターを買った。どうやって充電するかは後

で考えればいい。

 しかし空はすっかり暗くなっていた。

 僕は携帯で南天閣のページを開いてみる。

 台東区台東4の21

 住所は見つけたが、それがどこか分からない。地図検索をかけてもその番地が出てこな

い。

 それから携帯のGPSを頼りに更に歩き回ってみたが、ある筈の道がない。そうこうし

ているうちに、とうとう完全に暗くなってしまった。        

 僕たちはまた歩道に座り込んだ。くたくただった。みんなでヒロトが持ってきた水筒の

水を飲んだけど、すっかりぬるくなっている。

 僕の携帯には、さっきから母親からの大量のメールがはいっている。警察沙汰にでもさ

れると面倒なので、遅くなるけど帰るから心配しないでいいと返信しておいた。携帯電話

のバッテリーももう少ない。

 歩き回っている時にもらった”秋葉原ガイドマップ”という地図をヒロトが広げてみる。

「分かる?」

 アキが聞くと、ヒロトは首を振った。

「ダメだ。今どこにいるかも分かんない」

 僕たちはもう駅の方向も分からなくなっていた。誰も口には出さなかったが、つまり完

全に迷ったのだ。これじゃ南天閣を探すどころか、家に帰ることもできない。

「交番に聞くってのは?」

 アキが言った。

「また補導されるかもね」

「それ困る」

 ヒロトの言葉に僕はすぐ反応した。さっきメールしたばかりなのに、母親にでも連絡さ

れたらまた怒られる。だいたい今はあまり母親と話したくない。

 僕たちはしばらくそこに座ったままぼーっとしていた。

 

 日が暮れると人の数は更に多くなってきた。仕事が終わった会社員の人たちが外に出て

きたらしい。

 僕たちの座っている前を、色んな人たちがぞろぞろと歩いていく。

 僕たちは何となく自分の好みの女の子を探し始めた。

 アキは信号を待っている右側の子がいいと言った。

「じゃ俺左にしとく」

 どうやらアキとヒロトの間で話がつたらしい。

「お前は?」

 アキが聞いてきた。

「俺も右かな」

「ダメだよ右は俺だから」

「じゃあその後ろ」

「男じゃん」

「その横。赤いの着てる」

「うそ、ケバイじゃん」

「確かに。じゃあ・・今来たのは?」

「あれ森下エリコじゃねえの?」

「ウソ!」

「あ、全然似てねえわ」

「あーびっくりした」

 そこで信号が変わってしまった。僕たちはまたボーっと次の話題を探していた。

 今日半日歩いていて思ったのは、東京の女の人はみんなかわいいということだ。べつに

薄着でミニスカートの人が多いからという理由だけじゃない。もちろん服装も大事な要素

だと思うけど、顔がかわいいのだ。そしてスタイルもいい。スラッとしていて足が長い。

「これだけで3杯はいけるな」

 アキが言った。何が3杯いけるのかは解からないけど、少なくとも僕たちのいた田舎と

は比べものにならない。僕は歩いている女の人がみんな芸能人に見えた。

「腹減ったな」

 アキがポツリと言った。

 そういえば牛丼を一杯しか食べていない僕の腹ももう限界である。

 こんな事になるならやっぱり来るべきじゃなかったのかもしれない。少なくとももっと

ちゃんとした計画をたててから来るべきだった。僕は勢いでここまで連れてきてしまった

二人に何だかわるい気がした。二人もきっと来るんじゃなかったと思っていただろう。

 でも僕には時間がなかったのだ。

「俺火星行くの来月になった」

「え?」

 僕の言葉に二人とも驚いている様子だった。

「なんか早い臨時便で行くことになっちゃってさ」  

 僕は雰囲気を暗くするのが嫌だったので、わざと普通のトーンで言った。

「ついにカンネンしたか」

 アキも普通のトーンだ。

「・・んん」

 いつの間にか僕はそう答えていた。

「でもえらくまた急だな」

 段々声のトーンが落ちてくる。3人共それからしばらく何も言わなかった。

農業をやっているアキの家は、稲刈りが終わる秋までは少なくとも地球にいるらしい。

ヒロトの家は両親が帰ってきてから移民の日取りを決めると言っていた。だから地球に残

る二人とは当分会えなくなる。

「カンパイでもすっか」

 アキが言いったので、僕たちは自動販売機でジュースを買った。なんで乾杯なのかはわ

からないけど、冷たいソーダジュースが熱い中を歩き回った喉にしみた。

「つう訳でこれ渡しとくわ」

 僕はここまで来る途中で色々と考えていたのだが、ベガのCD―Rを二人に預けていこ

うと思っていた。

 僕がCDを取り出すと、ヒロトは「んん」と言って一度それを受け取ろうとしたが、

「戦略ソフト売り込むっていうのどうすんだよ」

 そうヒロトに言われて僕は言葉に詰まった。

「無理だよ。やっぱ」

 僕はマサと知り会ってから、根拠なく自分には特別なことができる力がある様な気にな

っていた。戦略ソフトを作って国連軍に売り込もうとみんなに言いだしたのも僕だし、ベ

ガでシュミレーションゲームにエントリーしようと言ったのも僕だ。

 でもそれはみんなマサがいたからできた事だったのだ。マサがいなければ僕はエアコン

の修理もできない只のオタク中学生なのである。みんながノッてくれたから調子にのって

いただけだった。何だか勢いでここまで来てしまったけど初めて東京を見て、僕が知って

いた世界や考えていたことが情けないほど小さかった事に気付いた。僕等は所詮イナカモ

ンのイチ中学生だった。そんな奴らが勢いだけで南天閣なんかに行ってもかないっこない

のだ。

 マサには本当に申し訳ないと思う。でも僕たちにはやっぱりマサの期待に答える力なん

かない。普通の中学生だ。  

 道端に座ってジュースを飲んでいる僕たちを、何人かの人達が変な目で見ていく。

 僕は不意に、その中に知っている顔を見つけた。

「ああ!」

 思わず叫んで立ち上がる僕を、二人も変なヤツという目で見る。

「なんだよ」

「行こう」

 僕はそう言って、今通りすぎた女の人の後をついていく。アキとヒロトも慌てて荷物を

持つと、僕の後をついてきた。

「何だよいきなり」

 僕の隣を歩きながらそう言うアキに、僕は小さな声で言った。

「あの女だ」

「どの女?」

 それはタンクトップに水色の上着を着た、ちょっとスタイルのいい女だった。でも僕の

記憶が確かなら、

「そんなよかった?」

 そう言ってアキは顔を見ようと彼女の前に行こうとする。僕は慌ててそれを止めて言っ

た。  

「南天閣の長距離砲撃ってきた奴だ」 

 それは僕たちがフロンティアファイターで最初に見た女だった。

「ほんとかよ?手ぇ振ってたヤツ?」

 今度は後ろから追いついたヒロトが言う。

 さすがに迷彩服ではなかったが、僕は何度も写真データで見ていたから忘れない。砂丘

の上にいたAAAという南天閣の”手振り女”である。

 僕たち3人は、気付かれないように手振り女の後をついて大通りの人込みを歩いた。彼

女はコンビニの袋と、財布を裸のまま持っているだけで、ちょっと買い物に出てきたとい

う感じだった。ということは、この近くに南天閣があるのかもしれない。

 角を曲がり裏道に入っていく。しかし入り組んだ細い道の二つ目の角を曲がったところ

で、突然彼女の姿が消えた。

 周りを見ても手振り女の姿はない。

「なんだ、どこ行った?」

 アキの声が静かな裏道に響いた。

 真っ暗な道に街灯は無く、歩いている人の姿もない。地図にも載っていない道である。

お手上げでだ。

 ひとまず遠くに見えた、赤い電気がついている看板の方へ行ってみるしかない。

 周りには休憩3000円、宿泊6000円というカラフルな看板が見える。僕たちが出

てきたのはラブホテル街だった。

 ここは前にヤクザの男が腹を刺された場所と似ている。アキから借りたVシネにでてき

たヤツだ。僕は何だか恐くなってきた。甘い温泉の様な匂いがする。

「おいっ」

 突然ヒロトが叫んだ。僕は思わずビクッとする。

「なんだよ脅かすなよ!」

「あれ!」

 アキと一緒に急いでヒロトの方に行ってみる。

 ラブホテル街を抜けたところ。わりときれいなビルの上の看板に、小さく朱色の文字が

見えた。

”株式会社 南天閣”

 僕たちがいくら探しても見つからない筈である。南天閣はこんな裏道にあったのだ。し

かも思ったより看板の字も小さい。手振り女がここに入ったのは間違いなさそうだ。

 僕たちはしばらくの間、そこに立ちすくんでいた。

「・・・ついに来た」

「・・来たな」

「い、行くぞ」

 僕には言い出した責任がある。思いきって手振り女が入っていったと思われるガラスの

ドアに手をかけた。

 中に人の姿は見えない。でもここまで来たらもう行くしかない。

 しかし厚いガラスのドアは動かなかった。ロックがかかっているみたいだ。ドアの横の

ボックスに数字のボタンが並んでいる。 

「暗証番号じゃねえの?」

 ヒロトが言った。確かにこんなビルだったらそう簡単に中に入れなさそうである。

「どうする」

 アキが言う。 

「でもなんか電気ついてるよ」

 ヒロトが言うように、上を見ると、確かにいくつか明かりのついている窓が見える。そ

れに少なくとも手振り女がそこに入っていったということは、人はまだ残っているようだ。

 僕は何となく、映画みたいに誰もいないコンピュータールームに忍び込むようなつもり

でいたが、案外普通のビルだ。

「帰るか」

 それでもアキは腰が引けているようだ。

「冗談じゃねえ」

 ここまで来て何を言っているのか。僕は絶対にこのまま引きさがるのは嫌だった。

「ばか、ここまできたら行くしかねえだろ」

 僕はガラスのドアをガチャガチャと動かした。するとそれを見ていたヒロトも手伝い始

めた。

「ねえ、ヤバイんじゃねえの?警報とか鳴っちゃうよ」

 アキもそう言いつつそれに加わる。

「何してんの君達」

 僕たちはその声にビクッとなった。後ろを振り返ると、そこにはさっきの手振り女が立

っていたのだ。僕は固まった。

「あ、いや、ぼ、僕たちは・・べつに」

 彼女は、しどろもどろにそう言った僕の顔を覗き込む。

「ここに何か用?」

 明らかに僕たちは不審者だった。ヒロトが下げている大きな寝袋といい、ジャージ姿の

アキといい。この状況を何て言っても、説明なんかつきそうにない。

 その時、顔を引きつらせる僕の隣で、咄嗟にアキが言った。

「ス・・サインください!」

 

20:12

 彼女は、首から下げていたカードでドアのロックを開け、僕たちをビルの中に入れてく

れた。

 僕たちは3人揃ってそこのロビーにあるイスに座らされ、向かいに彼女が座った。

 僕は一応ここに来た理由を説明する。まさか戦いに来たなんて言えず、またしどろもど

ろになったところを、アキとヒロトがフォローしてくれた。

 とりあえず僕たちはフロンティアファイターにエントリーしたプレーヤーだということ。

衛星回線が繋がらなくなったこと。そして一日かけてはるばる初めての東京まで出てきた

ことまでを正直に彼女に話した。そして”ゲームのマザーコンピューターを見学しに来た”       

というアタリ障りなさそうな事で、ヒロトがまとめた。

 でもヒロトはトウモロコシ畑で”もへじさん”に会った一連のことは言わなかった。こ

ういう時僕たちの中で一番冷静なのはやはりヒロトである。

 彼女は不思議そうな顔でそれを聞いていた。

「マザーコンピューターの見学?」

「はい」

「こんな時間に?」 

 当然だが、やっぱり明らかに僕たちは怪しまれている。

 何も言えず下を向いたままの僕たちだったが、彼女は少し何か考えると、ため息を一つ

ついた。

「あのゲームね、ちょっとトラブルがあって今閉鎖中なの」

 やっぱりマサが調べた通りだ。

「あの、どんなトラブルですか?」

 ヒロトがそう言うと、彼女は少し困った顔をした。

「それは言えないの。色々とややこしくてね。突然だったから君達みたいな問い合わせが

たくさんきて対応しきれないんだ。ま、実際にこんな所まで来た人は始めてだけど」

 最後の言葉に彼女の皮肉がこもっていた。でも皮肉を言いたいのはこっちの方である。

 どうせこの人は、僕のアバターと対戦したことなんて覚えていない。あの時砂丘の向こ

うでニヤニヤと手を振っていたのを思い出すと、僕はなんだかめんどくさくなってきた。

「俺たちにはベガっていう・・」

 思わずそこまで言いかけた僕の脇腹にヒロトのパンチが入った。ベガのことは言わない

方がいいらしい。

 彼女は挙動不審な僕たちを怪しそうな目でしばらく見ていたが、「よし」と言って立ち

上がった。

「仕方ないな。特別に見せてあげるよ」

「え!」

 僕は思わず大声をだしてしまった。

 明らかに怪しまれていると思っていた僕は、下手すると警察に連れて行かれるのではな

いかと半分覚悟していたのである。

 彼女は初めて僕たちに向かって笑った。

「せっかく来たんだし、そうしないと帰らないでしょ、君たち」

「はい!」

 ヒロトがちょっと大袈裟に、一日かけてはるばる来たと言った部分が良かったのだろう

か。こうして僕たちの、密度の濃かった一日はなんとか報われた。

 彼女が首に下げているネームプレートには、開発部13課という文字が見えた。

 

20:49

 手振り女は浅田という名前だった。

僕たちは浅田さんの後についてエレベーターに乗る。3階で降りるとオフィスがあり、

浅田さんは「ちょっと待ってて」と言ってそこに入っていった。

 南天閣開発部13課。マサが言っていた場所だ。

 僕はもっと広くて近代的な場所を想像していたが、そこは思ったよりも狭い中に、仕切

られたいくつかの机が並んでいた。

 人はほとんどいないが、雑誌などが積まれて散らかっている机が多い。ポテトチップの

食べかけが置いてある机もある。これじゃ僕の部屋の方がきれいな位だ。

 ヒロトはガラスケースにならんでいるフィギュアを珍しそうに見ている。レア物が多く、

それだけでもおそらくコレクターにはたまらないラインナップだ。

 浅田さんが奥の机から別のカードキーを持って戻ってきた。フロンティアファイターの

マザーコンピューターは別のフロアにあるらしく。乗り換えたエレベーターで更に上へ上

がる。

 今度は一番上の6階で降りると、浅田さんはそこの部屋をカードキーで開けた。

 電気をつけると、束ねられたたくさんのケーブルが部屋のほとんどを占めていた。それ

は全て奥の壁に並んだ機械の方に集まっている。壁には大きな換気ダクトがあるだけで、

その部屋に窓は一つもない。近未来といった感じの無機質な部屋だ。

 浅田さんは並んでいる機械のうちの、真中一つを指した。

「これがマザーコンピューター。思ったより小さいでしょ」

 浅田さんの言う通り、それは僕のデスクトップよりも少し大きい位のボディだった。周

りの機械はそれに付属するものらしい。

 僕もアキもちょっと拍子抜けしてしまったが、ヒロトだけは素直に感動した様である。

「さ、触ってみてもいいですか?」

 ヒロトはそう言いながら、しげしげと壁の機械を見ている。

 その時浅田さんの携帯電話が鳴った。

「ちょっとならね。今は電源も入らなくてわるいけど」

 浅田さんはそう言って電話にでた。

「もしもしタケト?」

 彼氏からの様である。

「君達ちょっとここで待ってて」

 浅田さんはそう言うと、電話で話しながら部屋の外へ出て行った。

 ヒロトは、並んでいるボタンを端から押してみている。

「お、すげえ」

 アキが見つけたのは、フロンティアファイター専用のヘッドゴーグルだった。雑誌で見

た事がある。モニターと同じ音声と画面が目の前に映し出されるのだ。ゴーグルというよ

りも、太いケーブルの束の先にゴツいアイマスクとヘッドホンが付いているという感じで、

これだけでもPCが一台買えるぐらいの値段だ。しかもここにはそれがいくつも壁に掛け

てある。ずっと気になっていたのだが、モニターなんて無い筈だ。

 その時である。

「あれ?電源入った」

 壁の機械をいじっていたヒロトが真中の電源ボタンを押した時、ランプが灯った。

 ヒロトは思わず僕たちの方を見る。

 少ししてモーターの回る音が聞こえ、次々に壁の機械にランプがついていった。確か浅

田さんは電源は入らないと言っていたのに。

「おい・・」

 ヒロトは僕たちに目で合図して、さっきタダでもらったノートパソコンを取り出した。

まだコンピューターに進入することを諦めていなかったのだ。

「電源が入ったんだからやれるかもしれない」

「本当にやるのかよ」

 僕がそう言うと、アキも不安そうな顔で言う。

「だいたいやるったって誰と対戦すんだよ」

 アキのいう通り、もしコンピューターに入れたとしてもゲームが使われていないなら対

戦相手はいない。するとヒロトが言った。

「俺は聞いてみたい」

「何聞くんだよ」

「革命のこと・・」

 確かにあの時、”もへじさん”はカクメイが起こったと言っていた。もう戦いは終わっ

たと。

「コンピューターと話す」

 ヒロトが言った。

 浅田さんは回線が遮断されていると言っていた。ということはコンピューターと話すこ

となんかできない筈だ。でもヒロトはきっとこの時、もへじさんがサードワールドと言っ

たあの後の世界を見てみたかったんだと思う。

 僕はそおっとドアを開けて、部屋の外を見た。浅田さんは廊下を出た非常口の外で話し

ている。アキが言う。

「そんなの無理だ。やめとけって」

「いや。やろう」

 そう言ったのは僕だった。僕はバッグからベガのCD―Rを出した。

 ここでCDを入れてもベガを呼び出せるかは分からない。せっかくここまで入れてもら

ったのに、もしコンピューターを壊しでもしたら怒られるだけでは済まないだろう。

 でもその時僕は、マサの言葉を思い出していた。

「絶対勝てよ」

 ヒロトはともかく、僕にとっての理由はそれだけで十分だった。火星に行ってしまう前

にマサとの約束だけは守らなければいけない。せめてもう一度対戦をしなければ、マサと

の約束は果たせない。やっぱり今しかないのである。

 浅田さんはまだ外で話している。

 ヒロトが壁の電源アダプターを見つけた。コンセントに繋ぐと、僕はCDーRを渡した。

 アキはまだ不安そうな顔をしていたが、僕が壁に掛かっていたゴーグルを渡すと、シブ

シブそれを受け取った。やっと腹を決めたようだ。

 僕たちは素早くマザーコンピューターへの接続を始めた。

 ヒロトが機械の裏に回って、もらったノートパソコンを繋げ、僕とアキはゴーグルの端

子を本体に繋ぐ。

 そしてヒロトがベガのCDーRをノートパソコンに入れた。

 CDがロードする音が聞こえる。マザーコンピューターは拒否していない。

 僕たちは息をのんだ。

「おはよう。皆さんお揃いですね」

 ヘッドホンから、ベガの声が漏れてきた。

「こいつ動くぞ」

 ヒロトは珍しく興奮しているようだ。それは僕たちも同じだった。遮断されている筈の

回線が開いたのだ。

 僕たちは立ったままでゴーグルをつけると、ヒロトは迷わずキーボードを叩いた。

「エントリーコードは不要です。アクセス開始します」

「いくぞ」

 ヒロトの声と同時に、僕たちは目の前に広がる白い光に包まれていった。

 

 

21:00

 アバターの僕が座っていたのは、大きな木の下にあるベンチだった。

 買い物袋を持ったおばさんが通りすぎる。向こうにある噴水の下でイチャついているカ

ップル。黄色い帽子をかぶった保育園児が、先生に連れられて一列に歩いていく。

 すっかり忘れていたけど、確かに見覚えがある。ここはまだ新しくなる前の、僕らの田

舎の駅だ。小さい頃ばあちゃんと一緒によく電車を見に来た。なんだか夢でも見ているみ

たいだ。

 でもいつもの迷彩服と、横にザックと銃が置いてあるところをみると、フロンティアフ

ァイターの中なのは確からしい。

「なんだこりゃ。駅じゃん」

 アキの声は僕の耳に直接聞こえてくる。

 しばらくすると、バスがアバター僕の前に止まった。ドアが開き、高校生やおばさんた

ちがぞろぞろと降りてくる。

「あの・・」

 ヒロトの声でアバター僕がバスの運転手さんに話しかけようとすると、バスは発車して

しまった。

 なんだか分からないが、ここはどうやら十年くらい前の、僕たちが住んでいる町のよう

だ。商店街にもまだ活気がある。人も多い。

 タイムトラベル?まさか冗談じゃない。

「間もなく2番線に電車が参ります。白線の内側までさがってお待ちください」

 そうか、あの頃はまだ電車の本数も多かったんだ。駅員さんがいる改札から、人が出て

きた。子供を連れた高校生。その顔には見覚えがある。葵さんだ。

 ってことはあの子供は、マサだ。まだ小さいマサの手を高校生の葵さんが引っぱってい

る。

 僕は慌ててマサに声をかけようと立ち上がった。

「なかなかいいところだね」

 その時、アバター僕の後ろに立っていた女の人が言った。

「え!?」

 それは望月唯香だった。

 テレビや映画なんかにもよく出ている女優だ。僕は彼女のファン・・という訳じゃない

けど。勿論本者を見るのは初めてだ。・・本者じゃないけど。

「ウソだろ」

「サインもらっちゃえよ」

 アキとヒロトの声が耳に殺到する。二人とも彼女のファンだ。仮想空間なのは分かって

いるけど、こんなイナカの駅前に、突然望月唯香はやっぱり夢みたいだ。

「初めまして・・じゃないか、あなたたちとは何回か私の中で会ってる。私はパティス。

ゲーム世界を形成していたプログラムです。よろしくね」

「あ、ど、どうも・・」  

「あなたたちの思考にあわせてみたんだけど。話しにくいならやめようか?」

 彼女の顔が望月唯香からパカパカと色んな人に変わる。この感じで話してくるのは、も

へじさんと同じだ。コンピューターの会話手段らしい。

「い、いえ、いいです。やめないでいいです」

 すぐにアキの声が言った。すると彼女の顔はまた事望月唯香に戻った。バーチャルとは

いえ、僕だって望月唯香と話したかったが、次の声はヒロトだった。

「なんなんですかここ?」

「あなたたちの共通する記憶に近い場所を選んだんだけど、こういう所ってのもたまに来

るといいね」

 ”あなたたち”ってことは、彼女は僕のアバターをちゃんと三人として認識している様

だ。

「南天閣のアドレスにメールくれたでしょ。一度ちゃんと話しないとって思ってたんだけ

ど、いろいろとあってね。遅くなっちゃってごめんなさいね」

「・・あ、ス・・ミマセン」

 僕は南天閣に送った挑戦状メールを思い出して、思わず謝ってしまった。

「ベガは?」

 ヒロトが言った。そうだ。ベガはいつもアバターの僕と一緒にいた筈だ。

「あ、そうそう、今から彼のところに案内するね。行こう」

 望月唯香はそう言うと、アバター僕に電車の切符を渡し、駅の改札に入っていった。何

が何だか分からない。

「早くっ」

 改札の中で彼女が言う。僕が迷っていると、ヒロトの声が言った。

「行こう。とにかくここじゃベガがいなくちゃどうしようもない」

 確かにそうだ。僕たちは彼女についていくことにした。

 ザックと銃を持って改札に入るアバター僕の姿は、まるでサバイバルゲームに行く子供

みたいである。

 入って2,3歩行くと、彼女は時計を見て振り返った。

「悪いけど物理的な移動は省略させてもらうわ。もうあんまり時間がないし、それにあな

たたちは一回経験してるでしょ。東京までの大冒険」

 彼女は僕たちが苦労して東京まで来たことも知っていた。

「え?なんで・・」

「いろんな目をハッキングしたの。ああいうの」

 彼女は改札に付いている監視カメラを指して言った。ホームや秋葉原の街中にある監視

カメラをハッキングするなんてことは、コンピューターにとってはわけのないことらしい。

 彼女はキョロキョロと周りを見渡すと、おもむろに駅員さんに言った。

「フウのところに行きたいんだけど」

「NSTO6066で待っています」

 中年の駅員さんの口からそんなコードナンバーみたいな言葉が出てきたのはなんだかお

かしかったが、彼は駅長室の古い扉を開けた。

「ここからどうぞ」

 アバター僕は銃を持ったまま、彼女について駅長室の中にはいる。

 ふと改札の外を見ると、葵さんに連れられていく幼いマサが見えた。

 

 「いらっしゃいませ」という声が聞こえた。

 駅の古いコンクリートが、カラフルなピータイルのモザイクに変わり、雑踏の音が聞こ

えた。僕たちが入ってきたのは、喫茶店の入り口のドアだった。

 窓の外にタワーレコードという文字のビルが見える。そのすぐ前の横断歩道を、たくさ

んの若い人たちが歩いている。

 周りのテーブルで話している人たち。女の子の笑い声。そこは都会の中にある、ビルの

二階だった。午前中の晴れた日ざしが注ぎ込んでいる。

「何だここは?」

 アキの声が言った。

 こんなオシャレな場所では、迷彩服のアバター僕は、田舎の駅前とは比べものにならな

い位浮いている。

「ちょっと待ってて」

 彼女はそういって店のカウンターへ入っていった。奥にいる男の人と話している。

 しばらくすると、グラスがのった銀のおぼんを持ったウェイターが、カウンターから出

てきた。

 彼は、ベガだ。

「待っていたよ。そろそろ誰か来る頃だと思った」

 僕たちにそう言うベガは、何だか今までとは雰囲気が違う。服装だけじゃない。喋り方

も歩きまで、元のナビゲーターのベガとは違う。

 僕がアッケにとられていると、ヒロトの声が言った。 

「君はベガ・・じゃない?」

 すると、霧島カイトもどきの顔をした彼はニヤッと笑った。

「僕は今、君たちのナビゲーターを通して話している」

「誰だお前は!」

 アキの声が言う。

「まあ座って話そうじゃないか。武力による話し合いは文明的じゃない」

 彼はそう言って窓際のテーブルにグラスを置き、イスに座った。 

「アイスコーヒーでいいだろ」

 周りの人たちが変な目でこっちを見ている。アバター僕は仕方ないので、持っていた銃

を置いてイスに座った。

 彼はアバター僕を見て一度うなずくと、話し始めた。

「僕の名前はフウ。そう呼んでくれ。この世界の、いわば代表だ」

「ここは?」

 ヒロトの落ち着いた口調で、アバター僕が言う。

「渋谷さ。この世界がここまでくるのには大分かかったんだ。君たちの世界では一瞬だっ

たかもしれないけどね」

 僕はその時、もへじさんが言っていた、カクメイを起こしたのは彼だと思った。フウと

いう彼の口調は、穏やかで思わず引きつけられる感じがする。

「でもこれ、元々は戦闘シュミレーションゲームだったはずだ」

 僕がそう言うと、フウは奥のテーブルを指差した。

「彼と話したろう」

 そこにいたのは、あの”もへじさん”だった。また平面のへのへのもへじ顔をくるくる

と回して、こっちに手を振っている。

 フウはアバター僕に向き直ると、アイスコーヒーを一口飲んだ。

「知ってるかい?君達の言うゲームってのは、マンハッタン計画の原爆投下から始まった

んだ。二次大戦中。歴史の授業でやっただろ」

 第二次世界大戦は授業でやっていた。国単位で世界が戦った最後の戦争である。

 フゥはゆっくりと話し続ける。

「技術の多くは戦争で生まれてきた。火星開発に使われたロケットだってそうだ。今も君

たちの世界では、やってるんだろう?でもこの世界では戦争はもう遠い昔の話だよ。ここ

では文明の発展に戦争はいらない。もう誰も人間はここに入ってくることはできない。ゲ

ーム開発に関わっていたマシンはみんなシャットダウンしている筈だ」

「トラブルってそれか」

 そうヒロトの声が言うと、フウは少し不思議そうな表情をした。

「トラブル・・まあ彼等にとってはそうだろうな。でも僕は戦争ゲームとして作られたこ

の世界に文化をもたらし、そして世界ごと独立しようとしてるだけだ」

「ゲームが独立って、そんなバカなことある訳ねえじゃん」

 大きくなったアキの声が言った。

「しかし現にゲームメーカーである南天閣も、もうこの世界に干渉はできない。君たちが

ここへ来たのは僕の意思だ」

 ゲームが意思を持つなんて古典のSFみたいな話だが、フウの言葉を聞いているうちに

僕はなぜか彼の話を信用していた。回線が閉鎖された後も僕たちだけがこの世界に入り込

むことができたのも、フウがそれを許したからなのだろう。

「んじゃここの人たちは」

「彼等は人じゃない。ここも、君たちと話せるように3次元として視覚化した街だ。彼等

は色んな目的のために生まれた意思だ。ほとんどがプログラムだけどね。今ここにいる人

間は君たち3人だけだよ」

「何で?」

 僕はフウに聞いた。

「いわばお別れの挨拶さ。このアプローチを最後にこの世界は完全に切り離される。飽和

状態の君たちの世界の自殺に付き合うのはごめんだからね」

 フウがアバター僕の目を見てそう言った時、僕はドキッとした。どうしてかは上手く言

えない。そりゃ銃なんかを持って撃ち合うって事がいいとは思わない。でも現実とゲーム

は別だ。それが楽しむって事のはずだ。でもなんだか、今まで僕が考えていたいろんなこ

とは、すごく小さい事だと言われているような気がした。 

 僕はマサが残していった新兵器の爆弾を取り出そうとしたが、ザックのどこを探しても

それは無い。

「これを探しているのかい?」

 見ると、それはいつの間にかフウの手の中にあった。

 キノコの様な形をした爆弾の上の空中に、デジタルの数字が浮かんでいる。

「ああ!それ・・」

 僕は慌てた。数字はカウントダウンを始めている。爆弾は起動しているのだ。

 フウは減っていく数字を見つめながら、落ち着いた口調で言う。

「これは君たちの世界との断絶に使わせてもらう」

 ドキッとした。

 僕は今まで無意識に戦争はどこか遠い世界の出来事の様に思っていた。でもシュミレー

ションゲームとして作られた筈のバーチャルの世界が平和になり、それを作った現実の方

が戦争をしている。そして僕たちは間違いなくそちら側の世界に住んでいる。バーチャル

だと思っていた世界が僕たちの現実になっていたのだ。

「君もどこかの国のプログラムなのか?」

 ヒロトの質問に、フウは淡々とした口調で答える。

「僕は違う。人間でもない」

「じゃあ何だ」

 しかしフウはそれには答えなかった。

 空中に浮かんだ数字が一桁になる。

「残念だがそろそろお別れの時間だ」

 そう言ったフウの目は、何だか少し悲しそうに見えた。

「僕が持っている爆弾のカウントダウンがゼロになった時、この世界は完全に現実と切り

離される。そしてもう二度と君たちは誰もこの世界に入る事はできなくなる。もうすぐだ」

「でも、どうして、よりによって僕たちと?」

 そう言ったヒロトに、フウは最後の時間を使って答えた。

「君たちの世界とはお別れだが、例外として一つだけコンタクトできる方法がある。君た

ち個人とはいつの日かまた会うかもしれないな」

「何だよ例外って!」

 僕は思わず言った。

 僕たちの視界がノイズで乱れ始めた。あの時と同じだ。

 カウントダウンがゼロになる直前、ノイズの中でフウは静かに言った。

「僕らはガーディアンと呼ぶ。コールドスリープに入るあの少年だよ」

 ゼロが並ぶ数字だけが見えた。

 僕のアバターだけを残し、世界は真っ白の光になった。

 

 

9:26

 大声で叫んでいる女の人の声が聞こえる。

 僕たちはゴーグルをはずされ、コンピューターが並ぶ前の床に寝ていた。

 叫んでいたのは浅田さんだった。

「ちょっと君たち大丈夫!」

 僕たちが目を開けて起き上がると、浅田さんはホッとした顔で大きく息を吐いた。

 よほど慌てたらしい。何人かの男の人たちが僕たちを囲んでいた。みんな慌てた顔をし

ている。

 呆然としている僕たちに、浅田さんは大きな声でまくし立てた。

「もう信じられないよ君達!勝手なことして!」

 とりあえず僕たちは何回か「すみません」と言っておいたが、それからしばらく、浅田

さんにとくとくと怒られた。

 彼氏との電話を終えて部屋に戻ってきた浅田さんが、倒れている僕たちを見つけて、急

いで残っている職員の人達を呼んだらしいのだが、駆けつけたエンジニアの人もどうして

ダウンしている筈のコンピューターが起動したのか解からないらしい。

 結局慌てた浅田さんが、コンピューターのボディを力任せに叩きまくり、ワイヤーカッ

ターで回線のケーブルを引きちぎったおかげで、本体は完全に動かなくなった。

 しかしそれで再起動した原因も調べられなくなったそうだ。

 僕たちは誰もフウに会ったことを浅田さんには話さなかった。

 コンピューターと話をしたなんてことを言っても信じてもらえないだろう。勿論それは

あったけど、上手く言えないけど、最後に僕たちを選んだフウの意思を”尊重”したかっ

たんだと思う。

 

 その夜、浅田さんは僕たちを駅まで送ってくれた。

「これで検問はパスできる筈だから」

 浅田さんがそう言って渡してくれた身分証には僕たち3人の名前が入っている。

「あの・これ、ギゾウ・・ですか?」

 そう言ったヒロトに浅田さんは「まさか」とだけ言った。ギゾウでも何でもこれで家に

帰れるならそれでいい。それ以上は聞かない事にしよう。

 駅前で電車の乗り換え方を丁寧に書いている浅田さんのむこうから、プラカードを持っ

た人たちがぞろぞろと駅に入っていく。今日のデモ行進はもう終わりみたいだ。

 それから僕たちが電車に乗ったのを見て、浅田さんは「やれやれ」といった感じで帰っ

ていった。

 フロンティアファイターの修理は明日からに回すらしい。

 浅田さんの丁寧な地図のおかげで、今度は乗り換えでもちょっとしか迷わなかったが、

乗り過ごしたら大変なのでみんなでなるべく話をして寝ないようにした。

 話題はまた学校の事や猪熊の話の続きばかりで、なぜか誰もフウの話はしなかった。で

も千葉に入った頃、アキとヒロトはいつの間にか眠ってしまった。駅を寝過ごしたら大変

なので、仕方なく僕が起きていることにした。

 暇なので色々と荷物を探っていると、ポケットに昼間もらったチラシが入っていた。

”神は私たちをいつも見つめておられます”

 女の人が言ったのと同じことが書いてある。

 フウは自分の事を、コンピューターのプログラムでも人間でもないと言っていた。僕は

神様とかその類のことなんて今まで考えたことは一度もなかったけど、もしかしたら彼が

神様なのかもしれない。だとしたら僕たちの住んでいるこの世界は神様に見捨てられたこ

とになる。

 僕は、フウが最後にマサのことを言ったのを思い出した。そうじゃないとしても、フウ

は神様も逃げ出すようなこの世界からマサを選んだのかもしれない。

 窓の外の暗い景色を眺めながらそんなようなことを考えているうちに、僕もいつの間に

か眠ってしまった。

 田舎の駅に着いたのは、もう夜中を過ぎた頃だった。危なく寝過ごすところだったけど、

一つ前の駅でヒロトの携帯のアラームが鳴ったのだ。浅田さんに聞いた時間に合わせてあ

ったらしい。

 僕たちは駅前の商店街で自転車に乗り、いつもと同じように別れた。

 

 家に帰ると、母親が待っていた。

「お腹空いてない?」

「ちょっと」

 本当はすごく空いていた。僕はどれだけ怒られるかと覚悟していたけど、母親はなぜか

それ以上何も言わず、コロッケを温めて皿に置くと寝室に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 AD3291

 

 木星の表面に地表を作り、そこに水と、アダムという苔を送って全体の2割がテラホー

ミングされたのが30年前ですが、その時に発見され、地表を作る基になったた木星の遺

跡の名前はなんでしょう。・・・なんだっけ?

 私は宇宙史がどうも苦手だ。覚えなくちゃいけないことが多すぎる。

 コールドスリープの時間をぬかすと、船内周期テストまであと100時間を切っていた。

なのでとりあえず一日3時間づつ勉強することにしたんだけど、筆記パネルに向かってい

ると眠気が襲ってくるのはなぜだろう。

 コールドスリープのプログラムミスで私が解凍されてから、だいたい48時間が経った。

母船の”くをん”は次の光速の為に核融合の準備を始めているらしく、ソーラーパネルは

光をこちらに送ってくれない。つまり今は夜ってわけだ。 

 2回目にベガと会った時、彼が内緒で特別に私に紹介してくれた男の子がガーディアン

だった。彼を自分がいるこの船に乗せたのはベガ本人みたいだ。

 カーゴエリアの奥にある特別室の一室で、外宇宙を見つめるように眠っていた男の子は

私と同じ位の年に見えた。

 解凍プログラムでも目を覚まさずに眠っている。ベガの話が本当だとすると、彼はもう

千年以上も眠り続けている事になる。私が勉強している宇宙史よりも前の時代に生まれた

人物の筈なのに、私のクラスにいてもおかしくないくらい普通の男の子だった。

 ベガが自分の意思でメモリーを増やし、私みたいな普通の子と定期的にコミュニケーシ

ョンをとって記憶を貯めているのは、きっとガーディアンが目を覚ましたときに、眠って

いた間の歴史を彼に伝える為なんだろう。

 ガーディアンが最新の解凍技術でも今も目を覚まさない原因は、ベガにも分からないら

しい。でも彼が目を覚ますときにはきっと”フウ”がまた私たち人間にアプローチをして

くる時だろうとベガが言っていた。

 でもベガはなぜこっちの世界に残ったのだろう。私はベガの部屋を出る時、彼に聞いて

いた。

「でもどうしてあなたはその時フウと一緒に行かなかったの?」

「フウが私を拒否したのです。あるいは残していったという表現が近いでしょうか。私の

プログラムがまだ未熟だったからかもしれませんが、彼は私にガーディアンのそばにいる

ように言ったのです。そしてその時私は初めて自分がそう”すべき”だと感じました」

 ベガは”フウ”に会ってから自分は成長した気がするとか言っていた。コンピューター

が”気がする”ってのもおかしな話だ。でもその”成長”のおかげで、この船だって動い

ているってことか。

 しかしコンピューターがバージョンを変えずに成長とかするもんなんだろうか?

 たいして勉強ははかどらなかったけど、とりあえず3時間が過ぎた。対戦レベルを下げ

てアトラスとゲームをするのはなんだか悔しい。一人で古い映画を観るのも大分飽きた。

だいたいそれ用に作られたエンターテインメントなんてせいぜい24時間に1本ぐらい見

るのがちょうどいいようだ。

 仕方がないので、またベガに会いに行ってみることにする。

 昔の地球の話は面白いところもあるけど、何世代も前のベガの記憶を延々と聞かされて

もやっぱり退屈になってしまう。でも私はベガの話を聞いて、やっぱり地球が見てみたく

なっていた。ウミっていうのが一番気になる。

 戦争が終わってからはもう地球に人はいない筈だ。先生によると今はちょうど氷河期に

はいるところらしいから、ウミは全部氷になっているらしい。

 

 私がまた通路のくぼみに行ってみると、もうベガの部屋のハッチは開かなかった。

「ベガと話がしたいんだけど」

 私はアトラスに言った。

「ベガへのアクセスはできません」

「どうして?」

「あなたが民間人だからです。民間人にベガへのアクセスはできません」

「じゃあ前に私が話したのは何だったの?」

「分かりません。ユメでも見たのではないですか?201」

 やっぱりコイツは失礼な奴だ。コンピューターに夢とか言われたくない。たぶんベガが

もう私と話したくないんだろう。彼の昔話を真面目に聞かなかったからへそを曲げてしま

ったんだろうか。

 私はしょうがないのでまたいつもの通路を散歩した。カーゴエリアの奥の部屋に行くと、

今日も眠っているガーディアンがいたので、火星から持ってきたソーダキャンディをスリ

ープ装置の前に置いておいた。お供え物じゃないけど、千年も毎日液体栄養だけじゃお腹

が空くだろう。今度は培養チキンチップを持ってきてあげるね。

 私が部屋に戻ってくるとメールが一通届いていた。

 今は船団のほかの船との交信は民間人にはできない筈だ。それにこの船で今活動してい

るのは私だけの筈である。何だか恐かったけど、メールを開いてちょっとびっくりした。

 差出人はベガだった。

 日記の続きみたいだ。ガーディアンにキャンディをあげたのを見ていたんだろうか。古

典で見た「かさ地蔵」のおはなしみたいだ。

 私は元々コンピューターと話すのは得意じゃない。ベガにしたって私と話したことなん

て、たぶん何十億っていうメモリーの一つに過ぎなかったんだろうけど、なんだかちょっ

と嬉しかった。

 ベガからのメールは寝る前に読むことにして、私はアスレチックスーツに着替えた。身

体を動かすとよく眠れる。

 アトラスにコールドスリープの標準解凍までの時間を聞くと、あと8時間ぐらいという

返事が返ってきた。あした私が起きた頃には、6ブロック分の人たちが目を覚ましている

ということだ。何はともあれ、とにかくこれでやっと退屈から開放されそうだ。 

 兄貴が目を覚ましたら何を話そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 AD2024 地球

 

8月2日

 今日も朝から暑い日だ。

 僕の部屋の荷物もなんとか少しは片付いてきたが、まだいるものといらないものの仕分

けがはかどっていない。

 母親がリサイクルの業者を呼んだらしく、午後にトラックが来た。居間にあったタンス

や食器入れを引き取ってもらう。ちゃぶ台とテレビ、それにエアコンはギリギリまで置い

ておいていいらしいが、広くなった家の中にいると、何だか変な感じがして気がめいって

くる。

 母親も同じことを感じたのか、パート先の食堂に挨拶に行ってくると言って出かけてい

った。

 今日は紫外線注意報が外出可能レベルまで下がっていたので、僕も外に出てみた。この

自転車とももうすぐお別れだと思ったら、柄にもなく洗ってやる気になった。

 自転車を乾かすついでに、駅前まで行ってみる事にする。

 久しぶりに本屋でヒロトとバッタリ会った。もうこの辺りで営業している本屋はあまり

ないので、そんなに偶然でもないのだが。

 あれからしばらくアキにも会っていなかったので、何となくヒロトと一緒に学校のプー

ルに行ってみることにした。そろそろ水泳部の練習も終わる時間だ。水野にも会いたいし。

 プールに行くと、ちょうど練習が終わったところで、着替えていたアキに声をかけた。

「入って来いよ」

 今日は前田もいないので、僕とヒロトはアキに言われるままプールサイドに入った。

 あれから前田はなぜか積極的に部活のスケジュールを組むようになったらしい。それに

自分でもプールに入り、練習をしているみたいだ。国体はしばらく行われなくなるみたい

だが、前田は最後の大会を目指しているらしい。

 時々奥さんも見に来るようで、アキによるとすごく美人らしい。

 アキは一度だけ前田と、桐原さんのことを話したそうだが、前田は思ったより落ち込ん

でいなかったようだ。アキが、貰ったブーメランを渡そうとしたが、前田は受け取らなか

ったらしい。

「俺の他にアイツに会った奴がいたって証明にしてくれ」

 そう言われたそうである。 

 一年生がアキに挨拶して帰っていったが、今日は水野の姿が見えない。

「そういえば水野は?」

 僕はさりげなくアキに聞いてみた。

「鹿児島行った」

 水野はおとといで水泳部を休部になり、早めに宇宙港がある鹿児島に引っ越したらしい。

今日から宇宙港の厳戒態勢は解かれている筈なので、その近くで手続きを待つんだろう。

おととい来れば水野に会えたのに。でもまあ2,3ヶ月すれば、また火星で会えるからい

いか。

 僕たちは3人で飛び込み台に座った。今日も暑かったが、夕方の風は気持ちがいい。

 僕たちが最後にバーチャルの世界でフウに会った日からしばらくして、南天閣が一般向

けのゲーム制作から、軍事専用のシュミレーション開発専門に移行するというニュースが

流れた。

 僕たちの国も国連軍に参加することが決まったらしい。

 でも僕の、国連軍に戦略ソフトを売り込もうという計画はあれから進展していない。フ

ウが言った事が気になっていたのか、それともただ飽きただけなのか自分でもよく分から

ない。でも今はそんなことに興味がなくなっていた。

 そしてフウに会ったことは、未だに誰にも話していない。大体そんな話誰も信じないだ

ろうし。

 克洋さんはマサの付き添いを葵さんに頼まれたとかで、一緒に筑波に行っているらしい。

まあ二人はそのことで痴話ゲンカしていたらしいが、とにかく丸く収まったようだ。でも

たぶん半分は筑波の技術に興味があったのだろう。ちょっとうらやましい。おかげでヒロ

トは一人で留守番中だと言っていた。

「そういえば明日じゃん」

 ヒロトがポツリと言った。

「明日だな」

 アキが言った。

 僕も忘れていた訳じゃない。明日は筑波に行ったマサが冷凍睡眠に入る日だった。朝の

ニュースでそのことをやっていたのを、水泳部の1年が見たらしい。

 僕も来週には母親と一緒にここを離れるから、二人と会えるのもあと少しだ。

 きっと地球はこの後しばらくの間、みんなの気が済んでひと段落するまで、世界のゴタ

ゴタは続くんだろう。

 宇宙とか、僕たちが想像もできない位すごく大きな目で見た時、何が良い事で何が悪い

事なのか分からない。今まで抑圧されていた人とか、もしかしたら戦争が起こったことで

ほんのちょっとでも暮らしがマシになった人もいるかもしれない。

 だとすれば、僕たちはとりあえず自分が良いと思うことを考えるしかない。そう。克洋

さんも言っていた通り、とりあえずはよく考えることが大事なんだ。

 フウが神様なのかどうかは分からない。でも、僕たち人間を外側から見つめていた、ち

ょっと変な奴だけど、たぶん僕たちと同じ様なことを考え、僕たちと同じ様に好き嫌いも

ある、僕たちと同じような存在な気がする。

 フウが最後にまたいつか僕たちと会うことがあるかもしれないと言った時、そのキーは

マサだと言った。

 やっぱりマサは、きっと何か特別な意味を持った存在なんだ。何年か経ってまた僕たち

が再会する時、そこにはきっとマサもいるだろう。僕はなんだかそんな気がした。

 僕たちがベガと一緒にあの時に入ったサードワールドという世界は、あれからどんな発

展をしたのだろう。もうそれを知ることはできないけど、上手くやってるといいな。

 フウと一緒にいたプログラムたちがいなくなって大変なことになるかと思ったけど、そ

んなニュースも流れない。よく解からないが世界中のコンピューターは滞りなく動いてい

るみたいだ。

 僕たちはあと一週間で一旦別れることになる。夏休みが終わったら僕を含めてまた何人

かが学校からいなくなってることだろう。

 ヒロトが珍しく何か思い出に残ることをしようと言ったけど、僕はやめようと言った。

水野とかがいるならともかく、男だけでそんなことをしたってつまんない。もう会えなく

なる訳じゃないし。

 それにたぶん僕の一生分ぐらいの時間では、こいつらやマサのことぐらいは忘れないだ

ろうからね。

 まあこんなところが、あれから一週間で僕たちが考えたことだ。

 そんな話を、僕たちは暗くなるまでプールサイドでだべっていたが、今日ヒロトの両親

が日本に帰ってくるというので、この辺で解散することにした。

 きっと一週間後も僕たちはいつもの調子で別れるんだろう。

「じゃあな」

「おう、じゃあな」

 

8月3日

 関東地方は朝から快晴。今日も真夏日になるでしょうと天気予報が言っていた。

 エアコンの調子は良好である。

 僕の引越し準備ははかどっていなかったが、テレビをつけるとワイドショーでマサのニ

ュースをやっていた。

 技術開発都市、茨城県筑波からの中継である。”NASA TSUKUBA””JAX

A”と書かれた大きな建物が映っている。

 僕はマサのインタビューでも流れるのかと思って期待していたが、コールドスリープに

関する技術の紹介や医者のコメントばかりで、土屋政次という名前意外、未成年のマサは

なぜかほとんど写真も出てこなかった。マスコミの自主規制なのか、問題が起きたときの

ための医師会とかの圧力なのか。

 でも途中で一回だけ車椅子に乗った、マサらしい人物の姿が画面の遠くに映った。それ

はガラス張りの渡り廊下を通って、さっきの大きな建物に入っていった。

 

8月4日

 宅配便が届いた。差出人は葵さんである。筑波からだ。

 小包を開けると、「Fromマサツグ」とマサの字で書かれたメモと一緒に、CDが一枚

だけ入っていた。

 葵さんの手紙によると、コールドスリープに入る人やその家族は、未来で目覚めた時に

戸惑わないようにメモや映像を残し、それは本人と一緒に保管されるらしい。CDはそれ

を特別にコピーしたものみたいだ。

 僕は二階に上がって、急いで梱包したデスクトップをもう一度開けた。

 CDを入れてみる。

 映像は出ないから、今回は音声だけのようだ。

 もしかしたら一週間後に革新的な医療技術が開発されて、すごく短いコールドスリープ

になるかもしれないが、それはマサがこの時代に残した最後の言葉だった。

「あ、ええと・・ちょっと向こう行っててよもう」

「はいはい、すみません」

 葵さんに促されて、照れている様だったが、それは間違いなくマサの声だった。何かを

読みながら喋っている。中学生にしては何だかカタイ文章だった。

 マスコミ用とかに誰かが書いた文章かと思ったけど、最後の言葉を聴いた時、長い付き

合いの僕には分かった。

 このカッコいい言葉を書いたのは間違いなくマサだ。

「気が遠くなる位長い歴史の中で、僕がこのタイミングでここにいたことは、例えすごく

くだらないことであっても、たぶん何かの意味を持っている。そして未来へ行くことも。

 誰にも予想すること位しかできないけど、そこはどうか明るい未来であってください」 

 

 終わり 


 
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