No.88407

夕陽の向こうにみえるモノ12 『交錯3』

バグさん

アッシュが何処まで他人を見捨てることができるか。
そういう話です。

2009-08-06 15:40:20 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:457   閲覧ユーザー数:431

 人生に驚きは付き物だ。アッシュはそう考える。踏み込んで言うならば、なくてはならない必須の要素だ。例え、それがほんの些細な事であろうと。もちろん、過ぎたるは及ばざるが如し。行き過ぎたそれは考え物ではあるが。

人体に含まれる必須元素。その中でも、必須微量元素と呼ばれているものは、構成割合が生態の1パーセント以下にも関わらず、人間の健康を左右する。欠乏すれば不調を来たし、閾値以上の摂取で毒性を発揮する。

詰まる所、適度な驚きは人生を豊かにするための、あるいは精神を安定させるためのスパイスに違いない。

だが。

「お前が再び俺の前に立った驚きは、決して必要なものでは無い」

「ああ…………驚いてくれるのか。それは私にとってはとても喜ばしい事だ」

 言われ、アッシュは顔を歪めそうになる。喜びでも無く、悲しみでもなく、慨嘆でも無く、もっと複雑な何か。単純な感情が幾重にも折り重なり、それが有機的に感情を揺り動かしていた。

そして、強烈な違和感を感じる。

言葉。

口調。

表情。

仕草。

目の前に立っている男は、どれをとってもグレーのそれだった。

間違えるはずが無い。己の人生で最も影響を与えられ、最も時間を共にし、最も感情をぶつけ合い、最も無関心であり、最も互いに足りない何かを補完しようと傷を舐めあっていたのだから。

男。

そう、グレーは男子生徒の体を借りていた。

元々は女であるが、男のような言葉遣いであるだけに違和感が無い。そして、それだけにアッシュは強烈な違和感を感じてならない。そんな事は言うまでも無い。アッシュの知っているグレーは、女なのだから。

少し前。

アッシュはグレーの力を感じ、葉月と光恵の居た教室を飛び出した。

力を感じた場所へ行くと、予想はしていたが、そこには誰も居なかった。そこは校舎裏。先ほどまで、葉月が女子生徒を助けていた場所に近い。先ほどまで降り続いていた小雨は小休止を得ているようだが、空は未だ怪しい色に塗りつぶされている。

確かに、その場所には誰も居なかった。しかし、『その周辺』には誰かが居た。そこで、視線を感じたのだ。

決して不吉なものを感じさせられる様な類のものでは無く、ただ見られている。そんな視線を感じた。それは何時か、何処かで感じた事のあるものだった。

視線を感じた方向は頭の上。校舎の屋上。

そこから、こちらを傲然と見下ろす男の姿を発見した。

学校関係者では無いアッシュを、好奇心から見下ろしている男子生徒。そんなわけが無い。あの男子生徒は、決してそんな者では無いと確信できた。

こちらに向けてくる視線。ただ、見ているという視線。目の前に誰かが立っていても、決して誰にも興味を向けずに、その本質に眼を向けようとする視線。

…………それは、間違いなくグレーのそれだった。

周囲に人が居ない事を確認して、跳躍。それだけで、アッシュは3階建ての屋上へと到達していた。

仮に、辺りに人が居たとしても、アッシュが自信の異能力を発動させれば、あまり関係の無い事にはなってしまうのであるが。。

人間を遥かに超えた力で屋上へと昇ったアッシュに対して、何一つ気後れする事無く鋭い眼光を向けてくるその少年と対峙する事になったのだ。

「ふふ、どう思うかな? 私が再び君の前に立った奇跡に対して」

「最悪だ。それに、それは奇跡でもなんでも無い。あらかじめ、種を蒔いていただけの結果だ。…………用意周到だな」

グレーがそれでもなお、それを奇跡と言い張るなら否定はしない。だが、肯定もしない。仮にそれが奇跡だったとして、『あの時』の言葉が正に的中していたわけだが、そんな事は関係無い。否定でも肯定でもない。そんなものは眼前の敵を倒すために必要な要素では決して無いからだ。

「それにしても、まさか彼に精神を移していたとはな。

 平岡健太郎…………一年前、お前が彼に接触していた事は分かっていた。…………数ヶ月かけて、彼の事は調査したつもりだったんだがな」

 しかし、健太郎に関して、怪しい部分など全く認められなかった。

あえて言えば、ロザリオ。グレーが渡したと思われる魔法具。無害なものなので、放置しておいたが。

「人生に驚きは付きものだ…………と、先刻言ったのは君じゃないか、アッシュ」

 全くその通りだった。

そして、それ以上は必要ない。

アッシュは煙草を加え、火を点ける。燻らされた紫煙が、青空に溶け込む。アッシュはヘビースモーカーだ。吸う場所は心得ているため、それを嫌だと言う人間、例えば葉月が側に居る時は口に加えるだけだが、この女の前では遠慮などいらない。

「学校で煙草を吸うとは、不謹慎だね」

「それは知らなかったな。今度から自重するよ」

 空とぼけて、煙を吐き出す。

それと同時にアッシュの攻撃は始まっていた。

突然、アッシュの周囲から灰が立ち昇る。その灰は、本当にただの灰の様に見えたが、もちろん、普通の灰は無から発生する事は無い。何らかのあ物体が過剰に燃焼された時に発生する、化学反応による生成物だ。

 故に、その灰が普通のそれで無い事は、それだけ取ってみても明らかだった。

灰を発生させる能力。それが、アッシュの持つ異能力だ。…………現出の原因が普通でない事は当然であり、生み出す結果も普通では有り得ない。

その灰は戦闘向きであり、隠密性に優れ、詰まる所、アッシュが非常に優秀である事を証明するものだった。

灰は発生した側から、ある一定の形に凝縮していき、それはいくつも、無数に造られていく。

灰で造られた弾丸。大きさや形状は9ミリパラベラム弾に似ていた。それが数十、空中に浮かんでいる。灰を発生させてからこの形状に持っていくまで、1秒もかかっていない。

その弾丸は普通の銃器と変わりない速度で打ち出される。だが、威力に関してはそれを遥かに超えていた。9ミリの弾丸を打ち出すハンドガンとは、その威力がまるで違う。狩猟用のライフルとほぼ同列だった。普通の人間に命中すれば、着弾点を中心として肉塊がはじけ跳ぶ。それほどの凶器だった。

そして、現在のグレーに命中しても、それは変わらないだろう。その驚異的な殺傷弾が数十とグレーに向けられているのだった。これではこの世に存在した証など、あっという間に消え失せてしまうだろう。

だが、当のグレーは余裕の構えだった。

「おや、それでは死んでしまうな。この可哀想な男子生徒も巻き添えかい?」

「お前の精神は平岡健太郎を完全に蝕んでいるのだろう。それならば、躊躇する意味など無い」

「仮に、だよ。無事にこの子を元に戻せるとしたら?」

 グレーは胸に手を当ててそう言った。

「それならば、平岡健太郎の墓前に花を添えよう」

「そしてこう言うつもりかい? 『すまなかった』。全く素晴らしいね。君がそんなに優しいとは思わなかった」

 明らかな皮肉がそこに込められていたが、アッシュの心には小波一つの揺れも認められなかった。

仕方が無い。ここで速やかに始末する事が最善だ。完全にそう信じているのだった。

「『ああ、哀れな者たち、学べ、そして事物の理をしっておけ』」

 それに対して、グレーは突然、芝居がかった口調で、両手を上に上げながらそんな事を語り始めた。

「…………なんのつもりだ」

「『我々は何なのか、何を生きるべくして生まれるのか』」

 尚も良い続けるグレーに、アッシュは弾丸を1つ発射させる。灰で形成されたその弾丸は、発射されたと同時に屋上の鉄柵を豆腐の様に貫通し、さらに天上へと進みながら消失した。

「なんのつもりだと聞いている」

「我々は存在の意味を考えなければならないと言う事だ」

「我々? 誰を指してそう言っている」

「私とお前。あるいは命を懸けて戦う全ての者」

「…………下らんな」

「アッシュ、君はあの時もそう言ったね」

「思い出したよ。…………ふん、だから下らんと言っている」

 アッシュの眼に、少しの哀れみが射した。だが、それだけだ。グレーに対して、アッシュは実のところ、同情の念を禁じえなかった。かつての同僚だとか、そうした感情を捨てても、やはり同情せざるを得なかった。

だが、やはりそれだけだ。ここで速やかに殺す事が最善で有る事に違いは無い。

故に、速やかに、全ての弾丸を発射させなければならない。

「ああ、でもアッシュ。君には私を殺す事は出来ない」

 耳をかすな。そもそも、奴はそうした話術で敵の隙を造る事が得意だった。己の持った能力の性質上、そうせざるを得ないのだろうが。

僅かな隙は動きの停滞を生み、そしてそれが致命的な結果を産みかねない。決して戦闘向きでは無いが、グレーがに限って言えばそれは戦闘向けの能力なのでは無いかと思われた。それほど、彼女は己の能力を研鑽し、熟知していたという事だ。

 アッシュは殺意で持ってグレーの言葉に答えた。

激しい殺意だ。並みの人間ならばそれだけで卒倒しかねない。人を殺し、人に殺される世界に長年身を置いてきたものだけが放てる向き出しの殺気。決して自慢できる事では無いが。

その殺気は、コンマ数秒後のグレーの運命を物語っていた。

だが。

「………………どういうつもりだ」

 実際にはそうならなかった。止めざるを得なかったと言った方が正しいか。

屋上の入り口から突然、5人の人間が割り込んできたのだ。

どうみても一般生徒。しかし、精神支配を受けている。その生徒からは自分の意思というものがまるで感じられずに、歩く人形の様な存在だった。

 グレーが、いや、グレーが精神を移した健太郎が凶悪な笑みを浮かべる。

屋上へ侵入した動きを見て分かったが、その動きは人間を超えていた。おそらくは、精神支配で筋力のリミッターを解除されているのだろう。そしてそれは、致命的な結果を産みかねない。普通の人間である彼等には危険な力だった。

だが、それもやはりそれだけだ。アッシュにとってはそれだけの意味しか生まない。

グレーならば理解できるだろう。例え5人の人間に、その限界を超えた筋力を発揮させたところで、アッシュには何の意味も持たない事を。

5人の哀れな操り人形を傷つけずに、グレーのみを殺す事が容易である事を。

 だから、どういうつもりだと、思わず聞いてしまった

アッシュの心中を察したかの様に、グレーは両手を広げた。その様子は何かの種明かしをする三流マジシャンのようでもあったが、そんな可愛げのあるもので無い事をアッシュは十分理解していた。

「まあ、これだけじゃない。私の兵隊はもっとたくさん居るよ。アッシュ、君が想像すらしていない、遥かに強大な駒もね」

「強大な、駒?」

「君の仲間の事さ」

 嘘だ。今のグレーに、普通の人間以上の存在に対して術を行使できる能力は無い。

だが、その表情があまりに確信に満ちている上に、今、そんな嘘を付く意味も見出せなかった。そして、今それを言う意味も。それほど強力な駒ならば、切り札として取っておくのが普通だ。

だが。

そこで、アッシュに閃くものがあった。

グレーが今ここでそれを言う意味。それは、切り札が現在活動中である事を意味する。

「まさか…………」

「一年前、私が決死の覚悟でここへ侵入した時、一人の女子生徒が私の前に立ちはだかった。若いのに大したものだったよ。だから、そこで駒にした」

 一年前の事を思い出す。確かに、彼女はグレーと戦闘を行ったと言っていた。

アッシュは歯噛みした。全くの盲点だった。一年前のグレーならば、己の能力の気配を隠したまま操り人形にする事も可能だ。

おそらく、グレーが一度死んだ時に術は切れたはずだ。だが、精神が復活し、能力もまた復活し、効力を失ったはずの精神支配が再び活動を始めたのだろう。

「如月葉月の命は、私が握っていると思ってもらいたいね」

「…………それは、葉月が負けた場合だろう」

「まさか、勝てるとでも?」

「どうだろうな」

 だが、少なくとも葉月は光恵の異常に気付いていた節があった。自分が頼まれた符術設置の件もある。

ただで捕らえられるとは思えなかった。

「ま、君の言う通りかもね、アッシュ」

「…………?」

「形梨光恵から連絡が来ない。少し、遅すぎるとは思っているのさ」

 意味が分からなかった。これでは、失敗しても構わないと言っているのと同じだ。

と、その時。

携帯の着信音が鳴った。その着信音の出所はグレーの懐であり、彼女はそれに躊躇無く出た。

まさか、葉月が捕らえられたのか。アッシュは一瞬で覚悟を決めた。それは冷徹な覚悟だった。葉月は己が危険である事を重々理解していた。だが、再三の警告に対して、葉月はこの学校にこだわった。それは、命の危険に対して覚悟を決めているのと同じだ。

だから、仮に葉月が捉えられたとしたならば、即座に見捨てる。そして、グレーを殺す。

だが、グレーの反応は予想外のものだった。

携帯に出てすぐ、それを切る。

報告が出来るレベルの長さでは無い通話時間だった。

それからアッシュの方を向き、とても面白そうに口を開いた。

「君の言う通りだったよ。如月葉月の勝ちだ。まさか、彼女本人から電話がかかってくるとは思わなかった」

 葉月の肝の太さと実力に、素直に簡単しているようだった。それはアッシュも同じだ。光恵を相手にして、まさか本当に勝利を収めるとは思わなかった。光恵の戦闘能力はアッシュでも手を焼く。

密かに安堵した。葉月の命が大事で無いわけが無い。それなりの付き合いであり、親愛の情は当然ある。

「では、ここでお別れだな。グレー」

「まだだよ。話は最後まで聞くものだ。君は昔からせっかちなところがあるね」

 グレーは嘆息した。

「初めから、如月葉月が君の抑止力になる事は、実はあまり期待してなかったんだ。まあ、形梨光恵が捕らえてくれていたならば、それはそれで良かったのだが。…………だがね、これならどうかな?」

 言うと、グレーはブレザーのポケットから何かのリモコンを取り出した。薄型の携帯よりもまだ小さい。

アッシュは嫌な予感を感じた。そして、それは的中した。

グレーがリモコンのスイッチを押すと同時。

鼓膜を打つ破裂音。爆発の様な轟音。そして、それはまさに爆発だった。

屋上の入り口が爆発したのだ。ここでは無い。別の棟の屋上で、だ。爆発の規模はあまり大きくない。しかし、それでもここから視える爆心地の被害は相当なものだった。その棟の下に存在する教室の窓ガラスの殆どが衝撃によりひび割れているし、棟の内部でも被害が出ている事だろう。

そして、なにより、何処かから悲鳴が聞こえた。誰かが怪我をしたのかもしれない。

「アレと同じ物を、形梨光恵は元より、君の前に並んでいる5人、他の兵隊はもちろん、学校の至るところに仕掛けてある。どうだい? 君はそれでも動けるかな」

 グレーは、それでは本当の話をしようか、と愉快気に笑った。


 
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