No.869037

ワインディングロード の その先へ

世界にゾンビがあらわれて、人が生きるかぎり、仕方なかった。
そんな世界の中で、義之と弘子は生きつづける。

2016-09-14 04:15:24 投稿 / 全13ページ    総閲覧数:381   閲覧ユーザー数:381

   ワインディングロード の その先へ

 

 

 

 海沿いのワインディングロード。

 

 カーブを曲がるたびにみえてくる、うみ。

 

 海をうつしたように、青く透きとおる、そら。

 

 一筋の飛行機雲が、そらのかなたへ、どこまでも続いていた。

 

 義之は、バイクをとばす。

 

 カーブを、ひとつづつ、抜けていく。

 

 アクセルをあける。

 

 迫ってくる、次のカーブ。

 

 ギリギリで、ブレーキレバーをにぎる。

 

 恐怖心。

 

 振り切るように、アクセルをあける。

 

 そのまま、カーブを抜けていく。

 

 カーブの、先の見えない恐怖。

 

 なにがあるか、わからない恐怖。

 

 無意識に戻そうとしてしまう、アクセル。

 

 思わず、にぎってしまいそうになる、ブレーキレバー。

 

 振り払うように、アクセルをあける。

 

 カーブを抜けていく。

 

 弘子がいった、言葉。

 

「ありがとう。最後だからね。あいたかった」

 

 昨日、弘子からいわれた言葉。

 

「もう、いっしょに。いられない」

 

 義之の頭で、その言葉がこだまする。

 

 義之は、振り払うようにアクセルをあける。

 

 なにがあるかわからない、恐怖。

 

 振り払うようにカーブを抜けていく。

 せかいにゾンビが現れて、もう何年になるだろう。

 

 映画やテーマパークの中にしか、いなかったはずのゾンビ。

 

 たんなる、恐怖の対象でしかなかったはずの、ゾンビ。

 

 だが、世界に、あらわれた。

 

 人が、ひとでなくなったとき、みんな、それをゾンビと呼んだ。

 

 暴れまわる肉塊が、街につぎつぎと現れ、まわりの人をなぎ倒していく。

 

 銃弾を撃ち込んでも倒れず、肉塊をバラバラにするしかない。

 

 せかいが、肉塊となった人々をゾンビと呼び、拒絶した。

 

 数年の間、街にあらわれた暴れまわる肉塊は、ただ排除された。

 

 ゾンビの兆候が現れた人々は、しゃべることも許されずに、隔離された。

 

 ようやく、そのパニックが落ち着いたのは、原因がわかってからだった。

 

「ゾンビシンドローム」

 

 今では、そう呼ばれているウイルス性の感染症は、人の筋肉を増殖させ、不

随意にケイレンさせる。

 

 ただ、それだけなのに。

 

 街に急に現れて、まわりの人や建物を傷つけるという理由で、その原因がわ

かるまでに、何十万人の人々が排除されただろう。

 

 原因がわかってから、街でゾンビが排除されることはない。

 

 狂犬病ウイルスの変異種が起こす、ゾンビシンドローム。

 

 ウイルスが、人の筋肉を増殖させ、ケイレンさせる。

 

 ただ、それだけなのだ。

 

 今は、専用の麻酔銃で動けなくしてから、隔離される。

 

 いまだに、ゾンビシンドロームの治療法は、ない。

 

 感染を広げないためという理由で、ゾンビシンドロームにかかった人は隔離

されている。

 

 感染したら、怖いから。

 

 検査でゾンビシンドロームのウイルスが検出された人も、変わることなく隔

離されている。

 

 ゾンビになったら、怖いから。

 

 ただ、それだけで。

 

 隔離政策は、続いていた。

 

 ゾンビシンドロームになっても、人はひとであるはずなのに。

 

 意思を、感情を、大切な想いを、もっているはずなのに。

 

 治療法がないという理由だけだで、みんな仕方ないとおもっている。

 

 何の躊躇もなく、ゾンビとなった人々を隔離しつづけていた。

 義之は、ただ、バイクをとばす。

 

 頭に浮かんだ想いを打ち消すように、バイクをとばす。

 

 カーブをまがる。

 

 その瞬間、ただ目の前に、うみが広がる。

 

 どこまでも、青く、でも、すべてが同じ青ではない。

 

 波が、汐が、流れが、微妙にグラデーションをつくる。

 

 それが、こちらにうち寄せてくる。

 

 それが、岸にぶつかったとき、波が打ち上がる。

 

 波が、白いしぶきをあげる。

 

 義之は、アクセルをあける。

 

 カーブを抜ける。

 

 弘子は、高校の同級生だった。

 

 義之は、弘子から、宮沢賢治が詩をかいていることを教えてもらった。

 

 高校1年の、1学期。

 

 義之は、話す相手もおらず、席で「銀河鉄道の夜」を読んでいた。

 

「あなたも宮沢賢治、すきなんだ」

 

 その声で義之が顔を上げると、弘子がたっていた。

 

 くせ毛で、ショートヘアーの髪が波うっている。

 

 丸顔の、大きな瞳が、義之を見つめていた。

 

 義之は、取り立ててイケメンというわけではない。

 

 女子から話しかけられた経験も、あまりない。

 

 なにも答えられずに、弘子の顔を見ていた。

 

「わたし、春と修羅がすき」

 

 屈託のない笑顔で、弘子が義之を見ていた。

 

 弘子の手には、宮沢賢治の詩集「春と修羅」がにぎられていた。

 

 それから、高校3年間、義之と弘子はいっしょにいた。

 

 遠慮のない弘子が、おとなしい義之を連れ回していた。

 

 そんな関係も、高校卒業とともに、終わった。

 

 ふたりは、別々の会社に就職して、あわなくなった。

 一昨日、3年ぶりに、突然、弘子から電話がかかってきた。

 

 義之のスマホから、なつかしい弘子の声が聞こえた。

 

「明日、ひま?」

 

 3年たっても、あいかわらず弘子は遠慮がなかった。

 

「突然なんだよ。暇は暇だけど」

 

「じゃぁ、デートしよう。遊園地いこう」

 

 わけもわからず、義之は弘子に連れ回された。

 

 遊園地にある、お決まりの記念写真。

 

 ジェットコースターの落ちる瞬間をとった、記念写真。

 

 義之は、弘子に、それを2枚も買わされた。

 

「一枚づつ、もってたいじゃない」

 

 ブチブチと文句を言う義之に、弘子はわらいながらいった。

 

 義之は、バイクをとばす。

 

 連続カーブを抜けると、直線道路がつづいていた。

 

 道路沿いに、そらが、ひろがっている。

 

 うみが、ひろがっている。

 

 晴れわたった、そら。

 

 雲、ひとつないそらに、うつっているような、青いうみ。

 

 とおく水平線が、そらと、うみを、わけている。

 

 雲ひとつない、そらの青と、うみの青。

 

 どこまでも、ひとつとなり、青が、つづいている。

 

 義之は、そのむこうに行ってみたいとおもっていた。

 

 遠くに行くために、バイクを買った。

 

 家になんて、居たくはなかった。

 

 テレビの言うことを、うのみにしているだけの両親。

 

 ただ、決まった道を押しつけてくるだけの、両親。

 

 小学生のとき、幼なじみがゾンビシンドロームになった。

 

 そして、教室からいなくなった。

 

「ゾンビシンドロームは怖いのよ」

 

 義之の両親は、ただ、それだけをいった。

 

 義之の両親は、それからもゾンビシンドロームのニュースを他人事のように

きいていた。

 

 義之は、中学を卒業するときに、その幼なじみが、死んだことをきいた。

 

 幼なじみの顔は、今も忘れていない。

 

 いなくなる前の日、義之は幼なじみと遊ぶ約束をしていた。

 

 そんなことも、もう、なかったことにされてしまっている。

 

 義之は、高校を卒業したら、家を出ようと決めた。

 

 遠くに行くために、バイクを買った。

 

 でも、こんな気持ちでバイクをはしらせる事になるなんて。

 義之は、振り払うようにアクセルをあける。

 

 うつくしい、青い、うみとそらが、変わることなく寄り添っている。

 

 いくら義之がアクセルをあけようと、そこにある。

 

 波が、汐が、流れが、微妙にグラデーションをつくる、うみ。

 

 海をうつしたように、青く透きとおる、そら。

 

 そこにあるのに。

 

 いくらバイクをとばしても、そこには行けない。

 

 一昨日、さんざん弘子に連れ回されたあと、義之は、弘子を送っていった。

 

 弘子も、高校を出ると就職して、ひとり暮らしをしていた。

 

 別れ際、弘子が笑顔で、いった。

 

「ありがとう。最後だからね。あいたかった」

 

 弘子が振り返り、笑顔で言った。

 

「もう、いっしょに。いられない」

 

「えっ」

 

 義之にむけられた弘子の顔は、ただ、笑顔だった。

 

「わたし。ゾンビシンドロームになったみたい」

 

 それだけ言うと、弘子はアパートの階段をかけあがっていった。

 義之は、どれくらいバイクを、走らせただろう。

 

 絶景スポットとなっている、この海沿いのワインディングロード。

 

 その先に、ぽつりと小さな喫茶店が見えてきた。

 

「山猫軒」という看板にひかれて、義之はバイクをとめた。

 

 看板にかかれた大きな猫のイラスト。

 

 口を開け、ナイフとフォークをもっている。

 

「注文の多い料理店かよ」

 

 義之は、誘われるように店に入った。

 

 扉を開けると、店内は狭かった。

 

 カウンター席に、テーブル席がふたつ。

 

 店内にも、看板とおなじ猫のイラスト。

 

 コーヒーのいい香りが、ただよっていた。

 

「いらっしゃい」

 

 気のよさそうな男が、笑い顔で、たっていた。

 

 50歳ぐらいのひげ面の店主が、紺のエプロンを掛けて、コーヒーカップを

ふいていた。

 

 義之は、店内に入るとテーブル席に腰をおろした。

 

 店内は、テーブルも、イスも、木目のよく見えるカントリー調の家具で、統

一されていた。

 

「食われることは、なさそうだな」

 

 そう思って、義之は店内を見まわした。

 

 明るい、店内。

 

 さっきまで、ただ、ひたすらバイクを走らせていた。

 

 何か、ほっとする空気がただよっていた。

 

「何にします」

 

 ひげ面の店主が、声をかけてきた。

 

「あっ。コーヒーを」

 

 義之は、あわててひげ面の店主に顔を向けた。

 

 そのとき、カウンターに置かれた写真立てが、目に入った。

 

 10歳ぐらいだろうか。

 

 男の子だった。

 義之は、じっとその写真立てを見ていた。

 

「息子ですよ」

 

 ひげ面の店主が、気がついた。

 

 さっきとおなじ、笑い顔で答えた。

 

「息子さん。小学生ですか」

 

 義之は、何か気になり、ひげ面の店主にきいた。

 

「小学生だったですよ」

 

「昔の写真ですか」

 

「ええ、10年ぐらいかな」

 

「10年ですか。今は大学生か」

 

「ええ、生きていれば。ですね」

 

「えっ」

 

「死にました。ゾンビになって。よくあるでしょう」

 

 ひげ面の店主が、さっきとおなじ笑い顔で、こっちを見ていた。

 

 義之は、なにも、言えなかった。

 

 世界中で、たくさんの人が死んだ。

 

 義之の幼なじみも、死んだ。

 

 でも、たまたま入った喫茶店の店主の息子も、死んだなんて。

 

 義之は、ただ、打ちのめされていた。

 

「なんか、すみませんね。こんな話して」

 

 ひげ面の店主が、さっきとおなじ笑い顔で、コーヒーをだした。

 

「いえ、こっちこそ」

 

 店内には、何のBGMも、ながれてなかった。

 

 シーンとした、店内。

 

 かすかに、波の音が聞こえるだけだ。

 

 義之は、コーヒーをすする。

 

 その音が、ひどく、響いている。

 

 ひげ面の店主が、笑い顔のまま、コーヒーカップをふいている。

 

 カウンターには、写真立て。

 

 その子が、ゾンビになったと言った。

 

 店主が、コーヒーカップをふいている。

「あの」

 

 義之は、ひげ面の店主に声をかけた。

 

 昨日、アパートの階段を駆け上がる、弘子の後ろ姿が、うかぶ。

 

 なにか、大切なことが、あるような気がした。

 

 今きかないと、いけないことが、あるような気がした。

 

 ひげ面の店主は、わかっていたように話しはじめた。

 

「不思議なんですよ」

 

「えっ」

 

「その写真立てに気づく人。なにかゾンビに関わってるんですよね」

 

 ひげ面の店主が、コーヒーポットを手に取った。

 

「息子が、よぶんですかね」

 

 ひげ面の店主が、笑い顔をむけた。

 

「わたしね。新聞記者をしてたんですよ。地方紙のしがない記者ですけど

ね。」

 

 ひげ面の店主が、義之のコーヒーカップに新しいコーヒーを注いだ。

 

「サービスです」

 

「すみません」

 

「小さな町でした。幼稚園の運動会ぐらいしか記事がなくてね。そのうち、ス

クープものにしてやろうと、いきごんでました」

 

 ひげ面の店主が、もっていたコーヒーポットをおいた。

 

「ちょうど、ゾンビシンドロームがはやりだしたころで。そんな町でもパニッ

クになってました。わたしも、町でゾンビが出たら。記事になるなんてね」

 

 ひげ面の店主が、写真立てを手に持った。

 

「でも、自分の息子がなるなんてね。わたし、ゾンビシンドロームのこと、い

ろいろ調べてたんですよ。なのにね」

 

「仕方ないですよ」

 

「そうなんです。仕方ないんです。息子。わたしの目の前でね。ゾンビになっ

て。暴れ出して。駆けつけた部隊に。銃で。グチャグチャに」

 

 ひげ面の店主が、義之に笑い顔をむけた。

 

「息子。お父さんって、なんども。涙流して、おとうさん。おとうさんって」

 

 ひげ面の店主は、笑い顔のままだった。

 

「わたし。調べて知ってたんですよ。

 

ゾンビになっても、人間の意識はのこるって。論文に書いてあった。

 

なのに、息子が、おとうさんって。わたし。仕方ない、仕方ないって。

 

政府がまだゾンビに意識あるって、認めてないから。

 

息子。ぐちゃぐちゃになっても、仕方ないって」

 

 ひげ面の店主の、表情は、かわらなかった。

 

「わたし、それから。この顔しか、できなくなってしまって。すみません」

 義之の両親は、ゾンビシンドロームのニュースに無関心だった。

 

 義之は、それが、イヤだった。

 

 でも、義之は。

 

 なにが、わかっていたんだ。

 

 ゾンビシンドロームのせいで、こんなにも苦しんでいる。

 

 目の前にいる人が、こんなにも苦しんでいる。

 

 昨日だって、そうだ。

 

 弘子が、アパートの階段をかけあがった時、なにもしなかった。

 

 仕方ないと、おもってた。

 

 あきらめていた。

 

 あとを追うことも、声をかけることも。

 

 なにもしなかった。

 

 ただ、逃げた。

 

 バイクを走らせた。

 

 とおくに、逃げようとしていただけなのだ。

 

「知り合いが、ゾンビシンドロームになったんです。昨日、知って。どうした

ら」

 

 ひげ面の店主は、笑い顔のまま、やさしく、うなずいた。

 

「そばにいてあげてください。

 

ゾンビシンドロームは触れ合うぐらいでは、うつらないのがわかっています。

 

すぐに、治療施設に隔離されるでしょうけど、それまで

 

そばにいてあげてください。」

 

「いて、あげて」

 

「そばにいてあげれば、ひとりじゃないと思えれば。生きていけます。

 

こんな世の中です。でも、長くはつづかないはずです。

 

それまで、生きていれば、かならず、また会えるはずです」

 

「かならず、あえる」

 

「わたしのように、後悔はしないで下さい。こころをなくさないでください。

 

その人のそばに、いってあげてください」

 

「はい」

 

 義之は、店を飛びだそうとした。

 

「あっ。お金を」

 

 義之は、財布を取り出そうとした。

 

「サービスですよ。注文の多い料理店も、お金は取らなかったでしょう」

 

 ひげ面の店主は、義之に笑顔をむけていた。

 

「ありがとうございます」

 

 義之は、バイクに飛び乗った。

 

 アクセルをあけた。

 

 バイクをとばした。

 

 ただ、急いだ。

 

 弘子のもとへ。

 義之は、バイクをとめた。

 

 義之は、弘子のアパートに着くと、ヘルメットを脱ぎ捨てた。

 

 階段をかけ上がる。

 

 走った。

 

 弘子の部屋にむけて。

 

 走った。

 

 弘子の部屋がせまる。

 

 ドアの前に立った。

 

 呼び鈴を押した。

 

 ドアが、開いた。

 

「義之?」

 

 弘子が、たっていた。

 

 赤く、目が腫れていた。

 

「弘子」

 

 義之は、息も整えずに、ただ、叫んだ。

 

「いなくならないでくれ!」

 

「義之」

 

 弘子の目を赤く腫らすほど流れたものが、また、流れだした。

 

「オレはそばにいられない。でも、そばにいるから」

 

「明日。隔離施設。いくんだよ」

 

「わかってるよ。どうしようもない。どうにもできない。でも」

 

「わかってないよ。なにしても、つれていかれるのよ」

 

「わかってる。だから。オレの世界から、いなくならないでくれ!」

 

「義之」

 

「連絡取れるんだろ」

 

「電話とか、できるけど」

 

「かえってきたら…。まってるから」

 

「バカ!いつになるかもわからないんだよ」

 

「わかってる。いつになってもいい」

 

「わかってない。バカ!」

 

「わかってる」

 

「バカ」

 

「弘子」

 

「バカ義之」

 

 こらえきれない涙がこぼれる弘子の顔を、義之は見つめていた。

 

「まことのことばはうしなはれ」

 

「あっ、宮沢賢治の、詩」

 

「そう。弘子から教えてもらった詩。

 

まことのことばはうしなはれ、雲はちぎれてそらをとぶ

 

あかかぎやきの四月の底を、はぎしり燃えてゆききする

 

オレはひとりの修羅なのだ」

 

「バカ…。義之」

 

 弘子は、泣いていた。

 

「弘子」

 

 義之が、弘子の肩に手をかけた。

 

「いきたくないよ。ここにいたいよ。義之」

 

「オレが。いつでもいるよ」

 

「いっしょにいたいよ。なんでなの。なんでこんな。ひどいよ。なんでよ」

 

「電話しよう。生きていこう。かならず、戻れるから」

 

 義之が、静かに弘子を抱き寄せる。

 

「こんな世界だ。ろくでもない世界だ。仕方ない。どうしようもない。

 

でも、生きてないとダメなんだ。生きていこう。

 

生きていかないと、会えないから。かならず、また会えるよ」

 

「義之…。あえるよね」

 

「あえるよ。絶対に」

 

 義之の腕の中で、弘子はいつまでも泣き続けていた。

 家に帰ると、弘子から電話がかかってきた。

 

 弘子が隔離施設に移ってから1週間がたっていた。

 

 高校のときから、義之を連れ回していた弘子だ。

 

 義之の行動パターン熟知していた。

 

 いつも、義之が家に着くころには電話がかかってきていた。

 

 義之は、電話に出ながら、机の上の写真立てに視線を落とす。

 

 あの日、遊園地で弘子から無理矢理買わされた写真。

 

 電話から聞こえる、いつも通りの弘子の声。

 

「おつかれ。お仕事、ご苦労さん」

 

「ちょっとは慣れた」

 

「意外に快適だよ。ワンルームマンションみたい」

 

「調子はどう?」

 

「今は進行を遅らせる薬があるからね。大丈夫だよ。でも、職員さんは防護服

着てるんだよ。映画みたい。最初びっくりしちゃった」

 

「研究所に閉じ込められたって、おもってた」

 

「そんなことないよ。けっこう自由。電話もできるし、ネットも使えるしね。

ここからネットで仕事している人もいるんたよ。わたしも何かやろうかな」

 

「詩かきなよ。高校のとき、宮沢賢治みたいな詩が書きたいって、いってじゃ

ない」

 

「無理無理。でも。やってみようかなぁ」

 

 弘子が、笑顔の前で、手をふる光景が、目にうかぶ。

 

「病気。なっちゃったわけ、わかったよ」

 

「どうだって」

 

「なんか犬からみたい。公園で、散歩している犬よくなでてたから。甘噛みさ

れてたのよね。そんとき、どこかにキズがついたみたい」

 

「犬からうつるの。狂犬病がもとだから、そうなんだ」

 

「その辺の犬や猫も処分されるみたい。なんか、かわいそう」

 義之は、自分が、本当に気がついていないと、おもう。

 

 両親が、ゾンビシンドロームのニュースに無関心なのが、すごくイヤだっ

た。

 

 幼なじみが死んだのに、無関心なのが、イヤだった。

 

 それが、イヤで、家を出たはずなのに。

 

 自分は、本当に、なにがおきているのか考えてなかった。

 

 人だけじゃない。

 

 ゾンビシンドロームに感染する動物も、つぎつぎと、処分されている。

 

 みんな、生きていたいと、おもっているはずだ。

 

 生きてほしいと、おもっている人がいるはずだ。

 

 犬や猫にも飼い主がいて、家族とおもっている人がいる。

 

 ひとも、犬も、猫も、想いをもって、生きている。

 

 おなじ、命なんだ。

 

 もっと、もっと、考えなきゃいけなかったはずなのに。

 

「弘子。かえってきたら。デートしよう、遊園地行こう」

 

「うん。行きた…」

 

 弘子の声が、途切れた。

 

「義之…。いきたい。いきたいよ!」

 

 最後にみた、弘子のお顔が、うかぶ。

 

「アメリカで、治療薬の実験が始まってる。きっと、いけるよ」

 

 義之も、声が震えだすのを押さえるのに必死だった。

 

「義之。わたし。イヤだよ!あいたいよ!」

 

 もう、抑えきれない。

 

 抑えられるわけ、ないんだ。

 

「かならず。あえる。電話でだって話せる、メールも。だから!あえるはずな

んだ!」

 

 ジェットコースターに、ふたりで乗ったときの、写真。

 

 ふたりとも、ぎゅっと、目をつぶっている。

 

「笑顔の写真に、しておけばよかった」

 

「なに」

 

「遊園地の写真。笑顔の写真にしておけばよかった」

 

「そうだね。義之、顔がひきつっているもん」

 

「今度は。ちゃんととろう」

 

「うん。かならず。あえるよね」

 

「何があっても、かならず。あえるよ!」

 

「うん」

 

 義之は、ちゃんと見ていこうと思う。

 

 思い通りに、ならない事だらけだ。

 

 せかいは、この先、しあわせになんか、ならないのかもしれない。

 

 でも、ちゃんと見ていこうと思う。

 

 目をそらしたら、大切なものまで、見失ってしまうから。

 時のワインディングロード。

 

 義之は、カーブを、ひとつづつ抜けていく。

 

 アクセルをあける。

 

 迫ってくる、次のカーブ。

 

 ギリギリで、ブレーキレバーをにぎる。

 

 恐怖心。

 

 振り切るように、アクセルをあける。

 

 そのまま、カーブを抜けていく。

 

 カーブの、先の見えない恐怖。

 

 なにがあるか、わからない恐怖。

 

 無意識に戻そうとしてしまう、アクセル。

 

 思わず、にぎってしまいそうになる、ブレーキレバー。

 

 振り払うように、アクセルをあける。

 

 カーブを抜けていく。

 

 先のことなど、わからない。

 

 でも、止まってしまっては、ダメなんだ。

 

 抜けていかないと、見えてこないんだ。

 

 青く、どこまでも、うつくしくグラデーションを描いていく、うみも。

 

 青をうつし、どこまでも、透きとおるようにつづいていく、そらも。

 

 その先にしか、ないんだ。

 

 義之は、走り続ける。

 

 あきらめないかぎり、かならず明日がある。

 

 そう、信じて。

 


 
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