『あ……』
終わった。
終わってしまった。
対局が、勝負が、オーラスが、私の思いが、この一打で、全て。
なにもできないまま、なにものにもなれないまま。
負けという言葉では表しきれないほどの、あまりにも無残すぎる結果だけを残して。
昂っていた気持ちが急速に冷えていく。
楽しいと感じていた麻雀が、相容れないもののように思えてくる。
反省をしようとしても、上手く考えることができない。
頭のなかではぐるぐると、なぜやどうしてが踊り始めていた。
なぜ私から?
小鳥さんの八マンは?
見逃した理由は?
私からなら当たるってどういうことよ。
あんなに考え込んでいたじゃない。
何かを狙っていたんじゃなかったの?
だったら最後まで狙ってくれてもいいじゃない。
当たるなら当たるでいい。
けどこのタイミングは酷すぎる。
あんまりだわ。
私の渾身のリーチがいやかけられなかったんだけれどそれでもせめてあのリーチあの待ちで戦ってみたかったわよ。
小鳥さんの八マンであがるなら負けたって思えただけどあの見逃しをした上に私からならあがるってのはどうなのよどういう理由があったのよなんでどうしてあんなに考えていたのになにかをねらっているようにおもえたのにこんなたいみんぐでなぜ――――
お祭り騒ぎの頭に混ざり込む、バタバタと駆け出していく足音が煩わしい。
ああでも、遠ざかっていくそれらが少しだけ寂しいようにも感じている。
気持ちを向かわせたくもあるけれど、眼球を動かすことすらできないのだからやるせない。
私の視界は卓と牌だけを写したまま、固定されたカメラのように同じ映像を映し出している。
息をしているのかすら不確かな思考の端で、肩に暖かなものが乗せられた。
熱を持った何かが私の耳に近づいてきて、そっと音を発した。
「おつかれさま」
ゆっくりと、落ち着いた足音が遠ざかっていく。会議室の扉がやけに丁寧に閉められる。
そうだ。終わったのだ。終わってしまったのだ。
私の麻雀は、何一つ通用しないまま崩されて、誰の脅威にもなれないままに、いともたやすく打ち砕かれた。
初心者の二人と、恐らくは熟練者の一人によって。
私の十年近くの研究は、初心者を上回ることすらできないようなくだらないものだったのだ。
「……ぁ」
なけなしの精神力をふりしぽって、眼鏡だけは外すことができた。
ぽろぽろと落ちてくる涙がとても邪魔だった。
私は卓に向かって崩れ落ちて、千々に乱れる心のままに感情を曝け出した。
静まり返っている。
765プロはそれなりに人通りのある場所にある。きっともう真夜中なのだろう。
体を起してみると、肩の辺りで何かが滑り落ちるような感覚があった。
落とすまいと手を持って行くと、それは小鳥さんが冬になったら使っている大き目のひざ掛けだった。
「……さすがに、もう帰っているわよね」
会議室の時計は零時三十分を示している。
やっちゃったなあ、という思いがよぎる。
ぽりぽりと頭をかきながら、あくびを一つ。
ぼんやりとしたまま目をこすると、涙の跡が感触として伝わってきた。
眼鏡をかけると、卓の上のマットや牌が化粧で汚れいるのが目についてしまう。
「やば。もうふんだりけったりね」
自業自得が大半なことはわかっているけれど。
まあこういう時は、軽く溜め息でも吐いて。簡単なことからやっていくのがいい。
うーんと背伸びをすると、背骨や肩からポキポキと音がする。
肩甲骨を寄せながら、首を軽く右へ。左へ。
「んー」
とりあえず顔でも洗いますか。
-------------------
「目が覚めたのね。気分はどう?」
給湯室へ行くと、小鳥さんがいた。
考え事をしているように思えたけれど、視線の先はお湯が沸いているだけだ。
「すっきり爽快、とはいきませんが。まあ、落ち着けたとは思います」
「そう。よかった」
冷たい水で顔を洗うと、頭のなかがクリアになっていく。
ふと『珍しいな』という言葉が浮かんできた。小鳥さんは、仕事の段取りの合間にちょっとサボったり、なんやかんやとボケをかましたりと、不真面目な部分はある。しかし、職場で無駄な時間の使い方をしているのはあまり見かけない。時間外であれ、だいたいいつも何らかの目的のために動いている。例えばそれはちょっとしたコミュニケーションのためだったり、合間の時間を使った趣味のアレコレだったり。必ずしも仕事のためではないにせよ、いつも何かをしている人、というイメージが強い。
こうして何もしていないような姿なんて、隙だらけの姿なんて、見せてくれる人じゃなかったのに。
「もしかして、待っていてくれたんですか?」
「そうよ、っていいたいところだけど、そう言うと聞こえが良すぎるわ」
「聞こえって。なんですか、それ」
「私がここにいるのは……なんて言ったらいいのかな。責任を取る、ため?」
「はあ……」
なんだろう。ちょっと意味がわからない。小鳥さんは何やら申し訳なさそうにしているけれど、申し訳ない気持ちなのは私の方だ。
デカい口を叩いておきながら麻雀はぐだぐだ。仕事が長引いたことでかなり疲れていた上に、トラブルがあってイライラしていたから態度も最悪だった。さらには勝手に負けて、勝手に傷ついて、こんな時間まで面倒をかけてしまうなんて。正直、今すぐにでも頭を下げてしまいたいくらい。たぶん、今も少し赤面していると思う。なのにどうしてこう、今にも謝られそうな空気になっているのだろうか。私と小鳥さんの間には、とても大きな認識の違いでもあるというのだろうか。
「色々と話したいことがあるのだけれど、その前に一つだけ聞いてもいい?」
「えっと、そんな前置きをされると不安になるのですが。内容を聞いてみないことには」
「違うの。そんなたいしたことじゃないわ。今日の麻雀についての感想みたいなものだから」
「はあ。別にかまいませんが」
「今日の……あ、もう昨日になるのね。昨日の麻雀、辛かったとは思うけど、律子さんは楽しめた?」
……なにこれ。本当にたいしたことじゃないわね。どうしてこんなに前置きしてから聞いてくるんだろう。しかも口調は軽い感じなのに、小鳥さんからは真剣な様子が見え隠れしている。実は重要な問いかけだったりする?でもまあ、嘘を吐いても仕方がないし。意図がわからないんだから、素直に答えるべきよね。
「確かに、対局の前からずっと辛かったですよ。でも、負けを自覚して、休憩で気分を入れ替えてからは……うん。楽しかったですね」
「やっぱりあの後から」
「私としては、休憩以降はいい麻雀を打てていたと思います。結果としては、飛んじゃいましたが」
「結果は結果よ。結果が良くても、いい麻雀とは言えないことなんていくらでもあるんだから、逆もまた然りよ」
「そう言って頂けると、少しは気が楽になります」
「気休めじゃないわ。私、終盤はかなり危なかったんだから」
危ない?小鳥さんが?そんな感じはしなかったけれど、リップサービスかしら。
「それも、あのハンデがあってのことですから。あー、でも美希は強かったなあ。春香にもまた負けちゃったし。いつかリベンジしたいですよ、本当に」
「これからいくらでも機会はあるわよ。うん……もう大丈夫みたいね」
「お願いしま、えっと大丈夫って?」
「これから、今日の対局について、その目的について話したいと思うの。日が変わっちゃったけど、時間を取ってくれると助かるわ」
えっ。こんな遅くから時間を取れって?社会人としてどうなのって話だけど
「えーっと、竜宮のレッスンは入っていますが、対外的な予定は入っていません。小鳥さんが必要だと思うなら」
「じゃあお願いね。無理を言うお詫びに、律子さんが欲しそうなご褒美を付けるから」
「ご褒美って。亜美や真美じゃないんですから」
そういうもの目当てじゃなくて、小鳥さんが真剣だから――――
「さっきの対局について。私の手牌に関らない全てについて、質問を受け付けるわ。話が終わってからなら、そうね、朝の6時までにしましょうか」
「いいんですかっ?!」
前言撤回。全てを受け入れましょう。ご褒美、ありがたく頂戴いたしますとも。
「なら急ぎましょう。そういうことなら、デスクよりも会議室で……って、あっ!」
「どうしたの?」
「あの、牌やマットについた汚れって、綺麗に落ちますかね?」
「汚れ?モノによると思うけれど、なに汚れかしら」
「実は、卓に伏せっちゃって、化粧汚れが」
「えっ?!それ、ちょっとマズいかも。マットに油染みが残っちゃうんじゃないかしら」
「うわっ、あれプロデューサーの私物ですよね?」
「急いで落としましょう」
「はい」
小鳥「――――そんなわけでね、言ってみれば私の我侭なのよ」
律子「初心者への見下し……そうですね。春香や美希が今のまま麻雀をやっていくなら、いつかトラブルになっていたと思います」
小鳥「ただ、そうなっても、プロデューサーさんはフォローできる自信があったみたいなの。急いだのは完全に私の都合」
律子「765全員で打てるようにしたい、という小鳥さんの気持ちはわかります。ですが、正直なところ難しいと思いますよ」
小鳥「どうしたって合わない人はいるから難しいけれど、みんなが麻雀を好きになってくれるならなんとか、ね」
律子「はぁ……すっごいことを考えますねえ。いや、願望としてはありますけれど、実現に向けて手を打っているなんて」
小鳥「プロデューサーさんにも言われたわ。興味を持ってやりたがる人だけでいいんじゃないですか、って」
律子「プロデューサーは上手くフォローできるんでしょうけど、私は竜宮で上手くやれるかどうか……自信ないですよ」
小鳥「亜美ちゃんもやる気よね。この際だから言うけど、あずささん。もう悩み始めていたわよ」
律子「えっ!まだ何も始まっていないのにもうっ?!それって、今どうなっているんですか?」
小鳥「私が教えることにしたわ。こういうゲームに自信が無いからって、かなり遠慮されちゃったけれど」
律子「ありがとうございます……私じゃきっと、遠慮の壁を突破できないでしょうから」
小鳥「ただ、あずささんは麻雀に向いていないって思っているのよ。私はそんなこともないと思うんだけど、とりあえずは肯定しているところ」
律子「認めちゃったんですか?……あ、そっか。そうじゃないって言っても、あずささんって」
小鳥「意外と頑固だから」
律子「頑固なんですよね。そういうところは特に、思い込んじゃうっていうか」
小鳥「だから、むしろ”向いていないわ。だけど大丈夫。私に任せて”って言ってるのよ」
律子「……手段を選んでいないってことですよね。そう言えば、信じてくれるのがあずささんだから」
小鳥「細かい溝からでも、人の和って壊れちゃうって知っているから。みんなが幸せになれる嘘なら、私はいくらだって吐いてみせるわ」
律子「それって、覚悟、なんですか?」
小鳥「春香ちゃんが麻雀を普及し始めたからね。こうなったら、どうしてもみんなに興味を持って欲しいの」
律子「そこまでする理由があるんですか?」
小鳥「麻雀ってね、人の和を強固にもするけれど、壊すこともよくあるのよ。やる人とやらない人で、くっきりとした溝ができるの」
律子「このままでは危険だと、思っているんですね」
小鳥「そう。あくまで私の経験則だけれど、あずささんの件もあったから、本気で動くことにした」
律子「……好きなんですね。みんなも、麻雀も」
小鳥「ええ。胸を張って言えるわ」
律子「わかりました。私も協力します。どこまでお手伝いできるかわかりませんけれど」
小鳥「ありがとう。律子さんにもみんなと同じように楽しんで欲しいのだけれど、仕込み側に関ってもらわないとどうしても回らなくて」
律子「いえ。今回も、私の未熟さで迷惑をかけてしまいましたから」
小鳥「今後の律子さんのために、どうしても気付いて欲しかったのよ」
律子「傲慢、ですよね」
小鳥「誰にでも、そういう時期はあるのよ。だけど、麻雀ってルールがわかっている人になら誰にでも負けちゃうゲームなの」
律子「ええ」
小鳥「だから、見下すべきじゃない。ましてや、普段仲良くしている人たちを相手にしないような態度はもってのほか」
律子「今思うと、ほんっとうに恥ずかしい言動でした。美希や春香にも悪いことをしたわ」
小鳥「そのへんはいいわよ。変に謝るよりも、今後を改める方がいいと思うわ。負けたから認めた、みたいな形でもいいんじゃないかしら」
律子「えっ?それって、結局傲慢って印象のままだと思うんですが」
小鳥「さっきも言ったけど、よくあることだもの。実際、まともにやれば律子さんの圧勝は間違いないんだから」
律子「よく言いますね。私、やるたびに負けているんですよ。プロデューサーに遊ばれて、雪歩に崩されて、小鳥さんに弄ばれて」
小鳥「あらら。そんな認識だったのね。律子さん、それは流石に経験不足ってよりも、分析不足になるわよ」
律子「プロデューサーさんも言っていたそうですよ。伊織は強い、私は心配だ、って」
小鳥「その心配の元は、今回の対局で可能な限り気付いてもらったつもりよ。持論へのこだわりも、かなり解消されたんじゃない?」
律子「私の理論がどんどん崩れていきましたね。過程を話すと、それだけで一晩でも語れるくらいボロボロに」
小鳥「そんな話も悪くないけれど、私はもっと有意義な話をしようと思っているわ」
律子「まあ自虐にしかなりませんからね。もっといい話があるなら、いくらでも乗ります」
小鳥「今回の対局の質疑応答とか」
律子「お願いしますっ!今すぐに」
小鳥「まずはざっくりと、私から話していくわね」
律子「えっ、聞きたいことは山ほどあるんですけど」
小鳥「それを減らすためにも、今回の対局がどういうものだったかを話しておきたいのよ。私がどれだけ苦しかったかって話も含めて」
律子「苦しかったって、どういうことですか?私はずっと小鳥さんの思うようにやられていたはずですが」
小鳥「そんなわけないじゃない。私には、半荘一回を自在に操れるような実力なんてないわ」
律子「だって、あんなルールで、あんなに上手く回って」
小鳥「だから、まずは話をするって言ったの。長くなるけど、途中で切らないで聞いてみて」
律子「……はい。わかりました」
小鳥「さっきも言ったけど、私は765みんなで麻雀を楽しみたいって思っているの。だから、初心者を相手にしないような言動と、持論に固執している様が危険だと思った。
プロデューサーさんは、今の律子さんは麻雀を楽しめていないことを心配していたわね。一緒に打つ人まで楽しめない麻雀に巻き込んでしまうかもしれないと考えて、麻雀はもっと面白いものだということを教えたがっていた。少し方向性は違うけれど、律子さんに気付いて欲しいという気持ちは一致していたわ。口で言うよりも体感した方がいいという考えも同じだった。だから、対局を計画したの。
「私は初心者二人を交えて、律子さんを負かすことを提案した。しかも私が勝つのではなくて、初心者が勝つようにするというオマケ付きで。プロデューサーさんは、滅茶苦茶に上手い人たちと打たせて完封させようとしていたわね。律子さんもまだ初心者だと教えた上で、一緒に強くなろうという形に持っていきたがっていた。
まあ、そんなの止めるわよね。今回の対局も辛かったでしょうけれど、プロデューサーさんの企画は比べ物にならないわ。今回の律子さんの反応を見る限り、私たちの思っていたよりも想いが強かったから……尋常じゃないトラウマものだったでしょうね。ホント、改めて勝ててよかったと思うわ。きっとズタボロにされていたんじゃないかしら。
「そんなわけで、私の目的は主に初心者への見下しと持論への固執という二点の改善。この……うん、あえてこう言いましょう。この”間違い”に気付いて欲しかった。だから、『本気で打っても初心者にも負けるレベルの実力と理論でしかない』という”勘違い”を引き起こそうと計画した。
だから初心者二人に勝たせなきゃいけないんだけど、はっきり言って難しいのよ。だって、律子さんがきっちりと点数を稼いでしまうと、もう追い付けないんだもの。律子さんに先手を取られたら、その時点でもう計画失敗が見えてしまう。だからといって、私が律子さんを叩いても、ただ私に負けたという印象しか持ってもらえない。それじゃあ対局そのものが無意味だし、計画は失敗に終わる。そうしたら次は、プロデューサーさんの鬼のような対局が待っているわ。私は、勝つことを許されない対局だったのよ。
「では、どうするべきか。私は、私を縛ることにした。あがり回数制限なのは、一緒に打つ面子を春香ちゃんと美希ちゃんにしたからね。あの二人なら、まっすぐあがりに向かう上に、わりといい点数を作ってくれるから。麻雀の練習も一番進んでいるから、ゲーム回しもまあまあの速度でいけるというのもあったわ。これ、初心者が嫌われる要因の一つだものね。律子さんの意識は私だけに集中させたかったから、その他の要因はできる限り排除したつもり。
初心者にしては点数を稼いでくれそうな人は用意した。私への縛りもまあ何とかなるだろう。後は、律子さんをどう崩すかってことだけ。何度でも言うけど、初心者と律子さんが普通に打ったら、手順の確かさで律子さんが勝っちゃうのよ。もちろん絶対じゃない。勝つ確率が高いってだけ。でも、その低い確率にかけるってのは論外。私は可能な限り有利な状態を作っておかなきゃいけないのよ。必勝。それ以外にない。そう思っていたわ。
「どうやったら勝いやすいかを考えぬいたわ。こんなに麻雀のことを考えたのは本当に久しぶりだった。結論を固めかかったあたりで、勝負への持ち込み方もまとめてしまうことにした。そして、当日。春香ちゃんと美希ちゃんはプロデューサーさんの指示で練習中。律子さんは仕事中の疲れたあたりでプロデューサーさんの指示を受けて帰社。ここで私は律子さんの持論を否定することで、言い争いに持ち込みながら対局の申し込みをするはずだった。反応を見ながら、条件を調整するつもりだったのよ。平常心で打たせないために。私に勝とうと思ってもらうために。持論の正しさを見せつけようと思ってもらうために。
練りに練った計画だったんだけど、始まる前から誤算が生じたわ。どう切り出そうかと迷っているうちに、律子さんが春香ちゃんや美希ちゃんと話を始めて、おかしなところでストレスを爆発させてしまったの。そして私がなだめる役割をやってしまった。ちょっと待ってよ、って思ったわ。だって、こんなの予想していなかったんだもの。だから、慌てたのかしらね。よくわからないままに、教えてあげるって言っちゃった。なんだっけ?雪歩ちゃん……いえ、伊織ちゃんと律子さんの違いとかなんとか。そんなのいくらでも挙げられるわよ。でも、語れるほどに二人の打ち筋を理解しているわけがないでしょうに。そんなものは、麻雀について語り合っている二人が一番理解していることだと思うわよ。
「そんなわけで、出足から計画は無茶苦茶。もう強引に話をもっていくしかなかった。あなたは間違っているから私が半荘でわからせてあげる、みたいな流れだったと思うけど……これ、言っていて恥ずかしかったわねえ。確かにそういう計画ではあったのだけれど、私は卓外戦術を使いまくりで事前の作戦も練りまくりなのよ。仲間打ちでこれ、しかも将来的に律子さんの傲慢から守るつもりの初心者二人をおいてけぼり。かつ自分の駒のように使う予定って、私の方が間違だらけじゃないかって話なのよ。
もうこの時に、なんだか申し訳なくなってきちゃっていたのよね。だから、衝動的に私のあがり回数条件を許容できる最悪レベルに設定してしまった。ああ、あの時に役満をあがっても大丈夫とか言っていたけれど、もちろんそんなわけないからね。なんとかするつもりだけど、条件クリアは物凄く厳しくなる。そういう時の対処法はいくつかあるから、上手くいけばってだけ。まあ無理ね。
「で、ここでさらに誤算。言い訳みたいになっちゃうけれど、私は律子さんをあそこまで怒らせるつもりはなかったのよ。怒り泣きするほど麻雀や持論に思い入れがあるなんて、申し訳ないけれど思ってなかった。だからあの時、もう全部なかったことにして、直ぐに謝りたい気持ちだった。こんなに麻雀を思っている人に向かって、私は何をやっているんだって自分を責めまくっていた。だから、つい負けたらなんでも言うことを聞くから好きにして、みたいなことを言ってしまったのね。もう、私のメンタルもボロボロだったから、勝てるかどうか自信がなかったのよ。罰を受けたい気持ちでいっぱいだったわ。
でも、あの展開で言われたら勝利宣言に聞こえるわよね。律子さんが『私も負けたら言うことを聞く』って言った時に気付いたわ。また失敗よ。誤算と失敗の連続。だから、いっそその時に、自分に罰を与えた。追加の条件という言い訳をしながら、『私はトップを取るつもりがない』という意味合いの宣言をした。元々私はそのつもりだったから、やることは変わらない。ただただ情報を公開するだけの追加条件。それが私トップ、律子さん2着なら私の負けというルール。これで全力でも無理かなあ、って思ったわ」
小鳥「対局に至る経緯はこんなところよ。律子さんの認識とは、かなり違うと思う」
律子「……まあ、そうなんですが。とはいえ、色々と言いたいことも」
小鳥「私はもう、ただただ申し訳ありませんでしたと。こうして頭を下げることしかできないけれど」
律子「いえ、それはもういいんです。むしろ助かったというか、うん。小鳥さんは私のことも考えてくれてたわけですから」
小鳥「でも実際は」
律子「それも含めて、もう水に流してしまいましょう。もし私が勝っていたらと思うと、身震いが止まりませんし」
小鳥「ああ、プロデューサーの」
律子「なんなんですかね、あの人。私の弱点がメンタルだって知っていて、スパルタをやるつもりだったんですかね」
小鳥「やっぱり、ヤバかった?」
律子「どこかのタイミングで理性が飛んで、ボロ泣きしたまま幼児退行とかしそうです」
小鳥「いやいや流石にそこまでは」
律子「まあ半分冗談ですけど、たぶんしばらく仕事に出られなくなるとは思います」
小鳥「本気で言ってる?」
律子「ええ。対局の内容にもよりますが、完封されるということから予想すると、ちょっと正気でいられる自信がありません」
小鳥「それは今でも?」
律子「今、というと……ああ、これからのことですね。もしそういうことがあっても、単に実力不足だと思うはずです」
小鳥「実力不足、って言うとアレだけど。そういうことも起こり得るのが麻雀だから」
律子「そもそも、守りたかった持論を崩されていますから。これからはまた、構築し直しです。小鳥さんからも、学ばせて頂きますよ」
小鳥「もちろんいいわよ。じゃあ、そろそろ行こうかしら。どういうやり方がいい?」
律子「そうですね。どうせですから、東一局から振り返っていきましょうか」
小鳥「わかったわ。覚えている限りで、検討していきましょう」
小鳥「じゃあ東一局ね。私は起親を引いた時に、ああ神様は私を負けさせたがっているのねえ、なんて思っていたわ」
律子「でも、この序盤リーチはきつかったですよ。四巡目かな?あれに打ったら今後が厳しすぎますもの」
小鳥「ああ、やっぱりそんな考えだったのね。律子さん、経験不足と分析不足の両方を指摘します」
律子「は?でも、ここで親満でも打とうものなら」
小鳥「大ラッキーね」
律子「そう、大……らっきー?」
小鳥「私のあがりは2回だけ。それを初手で使ったら、もう一回はどこで使うの?いえ、使うことが許されるの?」
律子「それは……終盤か大きな手を作った時か」
小鳥「あのね、律子さんはオーラスに親番が回ってくるの。その時、私にあがりがないとしたら、律子さんはどう思うの?」
律子「私は……かなり楽に打てますね」
小鳥「親だからってあがっちゃうと、私はオーラスまであがれなくなる。実は、この時点でオーラス以外に許されるあがりは1回だけなのよ」
律子「だとしたら、この親であがる気は」
小鳥「全く無かった。考えていたのは、どうやって律子さんの思考を崩していくかってことだけ」
律子「それが、あのリーチなんですか?」
小鳥「違うわ。『リーチをかけてから、ルールの確認をし始める』よ。律子さんも少しは考えなかった?ノーテンかも、って」
律子「確かにちょっと出来すぎだから、一瞬頭をよぎりましたけど」
小鳥「まず、前提として。私はあの時、律子さんがどこまでこのルールと制限を把握、応用してくるのかをわかっていなかったのよ」
律子「まあそうですよね」
小鳥「ってことは、律子さんが全てをきっちりとわかっていて、あがる気のないリーチだと読み切られる可能性も考えていたってことなの」
律子「うっ。私はご期待に沿えなかった、というわけですか」
小鳥「対局経験不足はわかっていたから。そうでもないわ。でも念のために、卓外戦術でノーテンを読み難くした、というわけ」
律子「あのルール確認が、ですか?」
小鳥「そう。だって、あの時に律子さんが『ノーテンリーチはチョンボでしょう』と言ったら、私はどうなっていたかしら」
律子「やっぱりあれってノーテンだったんですかっ?」
小鳥「私は自分の手を語らない。答えられないわね」
律子「あっ……そうでした」
小鳥「でも、もしノーテンだったとしたら、ルールの確認は先に行うべきでしょう?」
律子「もちろんです。チョンボならノーテンリーチは使えませんから。ということはやはり、テンパってはいたんですか」
小鳥「律子さんが気付ける限界点は、あの行為が『アピールしている』ってことくらいかな。そこからどう読むか、でしょうね」
律子「いえ。今の私には、あがるつもりの無いリーチが頭に無いので、違和感があったとしても思考がその先にいかないはずです」
小鳥「そうなの?あがらないリーチは展開次第でそこそこ使うから、見切れる状況下なら読み筋に入れておいた方がいいわよ」
律子「わかりました」
小鳥「本当に?読み筋に入れるってことは、自分なりに合理的な使い道を編み出すってことでもあるの。もう使えるってこと?」
律子「うっ。で、でも、使えるということを教えてもらえたなら、使い所の検討はすぐにでも始めますから」
小鳥「ならいいわ。東一局はこんなところね。みんな引いてくれたから、私にとっては最高の展開だった」
律子「あがれないなら、親番は早く流したいですからね」
小鳥「そして流局した時に手を伏せる。突っ込みが入る。言い負かす。ここまでが、あのリーチをかけた時に狙っていたことね」
律子「ああ。あの流局は衝撃でした。上手くかわせて有利になったと思ったのに、なんだか追い込まれているような気分になりましたよ」
小鳥「きっと今なら、意図はわからないと割り切ってちゃんと打てるはずよ。あの時の律子さん、誰が見てもわかるくらい混乱していたから」
律子「意味がわかりませんでしたもの。勝つ気があるのか、なんて考えていましたから」
小鳥「可能な限り注意を引き付けたかったのよ。春香ちゃんや美希ちゃんにあがってもらうために」
律子「結局、ずっとそれなんですよね。休憩のあたりで、よくわからないのですが翻弄されていることだけは自覚しましたから」
小鳥「そうよね。あの時の話も、後でしていきましょう」
律子「お願いします。あれ以降が特に気になっているところなので」
小鳥「わかったわ。他にもこの東一局で私が得たものはあったのだけれど、このあたりは対人経験あってのことだから省いていくわね」
律子「聞いておきたい気持ちもありますが、時間があったらにしておきましょう」
小鳥「先は長いからね。じゃあ次は東二局」
律子「この局が始まる前に、あがる気がなかったんじゃないかって検討はしていたんですよね」
小鳥「んー……もう少し。どこであがるつもりなのか、くらいまでは考えて欲しかった」
律子「どうでしょうねえ。冷静な時でも、いくつかの仮説を立てたまま、結論は出さないで様子を見ると思います」
小鳥「相手の立場で考えるとわかりやすいわよ。負けの確率が跳ね上がることだけは避けたいわけだから」
律子「うーん。オーラスにあがりを残しておく、くらいは読み切れてもよかったか」
小鳥「それは半荘が始まる前に気付くことよ」
律子「……厳しいですね」
小鳥「みんなにも言っているけれど、麻雀を教える時だけはこんな感じなの。妥協はできないから、嫌になったら止めてくれていいわ」
律子「なるほど。わかりました、ついていきますよ」
小鳥「ん。で、私は相変わらず春香ちゃんや美希ちゃんのあがり待ちをしながら、律子さんを揺さぶっているわ」
律子「というか、露骨に麻雀を教え続けていましたよね?」
小鳥「ええ。ほんの少しでも強くなってくれたら、それだけ勝つ確率は高くなるから」
律子「本当に対局が始まるまでは凹んでいたんですか?やっていることがかなりえげつないんですけど」
小鳥「メンタルはボロボロよ。でも私、こう見えても芸能界でそれなりに生きているわけだから。事が始まれば、ダメなものは切り離すわよ」
律子「はぁー……まだそこまで大人になれないなあ」
小鳥「これからよ。これから。で、まあ律子さんが振り込んだわけだけれども。この手からの振込み、どう思っているの?」
【参考】
――7巡目・律子の手牌――
四四七八九2345(3445) ツモ六 ドラ四
――春香の捨て牌――
北南1三2(9)
(1)【リーチ】
律子「私としては、三マンが出ているので六・九マンに差はないと見ています。仕方がない振込みだと」
小鳥「このリーチ、両面の可能性が低いって読みもできること、気付いてる?」
律子「は?」
小鳥「初心者が悩んでリーチをかける時の両面確率って、結構低いのよ。リーチはわかりやすくて好まれるから、両面ならまずリーチをかけてくる」
律子「でも、そんなの捨て牌からは」
小鳥「端牌処理の後で四巡目に三マンが出ているのよ。早めの良形が予想されるわ。しかも手出しの(9)(1)ピンでリーチ。どう?」
律子「どう、と言われても」
小鳥「ピンズは複合形かも。予想外の引きで戸惑った。良形が崩れたけどリーチ。そんな印象を受けた」
律子「だとしても、六・九マンとは関係が」
小鳥「まあ、春香ちゃんの腕の問題もあるんだけどね。(2)(3)ピンのどちらかと、端牌か自牌のシャボが私の読みの本命だった」
律子「まさか」
小鳥「でないと、手順と悩んだ姿が一致しないでしょう。可能性が高いのは、役があるか、著しくあがり難いかのどちらか。で、手役ってよりも形の悪さの方かなあと」
律子「だったら私は何を切るべきだったんですか」
小鳥「律子さんが言ったのよ。六・九マンに差はないって。だから、私なら六マンを切っているわ。五七のカンチャンも無いわけだから」
律子「無いって、なぜ」
小鳥「嘘でしょ、律子さん。四巡目の三マン切りで否定されているじゃない」
律子「あ。で、でも」
小鳥「六万と(2)・(3)ピンのシャボなら、テンパイとらずで良形を伸ばした方がいい。リャンメンじゃないという前提なら、六マンと九マンの振込み確率は九マンの方が高い状況だったってことよ」
律子「……」
小鳥「ここで九マンを打たなければ、春香ちゃんはかなりあがり難かった。律子さんの手を見れば、イーシャンテンでも有利」
律子「……」
小鳥「東二局で律子さんに満貫以上をあがられたら、私の勝ち筋はかなり薄くなっていたはずよ。結果論じゃない。これはミスといっていいと思うわ」
律子「この振込みで、小鳥さんが勝てる条件を満たしちゃってますもんね」
小鳥「読めないなら読めないなりに、現物の2ソウ切りのイーシャンテン維持でも良かった場面よ。まあ、春香ちゃんを舐めていたってことなんでしょう」
律子「それは……あるかもしれません。いえ、侮る気持ちは確かにありました」
小鳥「認めるのはいいことよ。さあどんどんいきましょう。時間は有限だから」
小鳥「このあたりから、明らかに焦りと苛立ちが見えてき始めたわね」
律子「状況を作ってしまったという気持ちがありました。有利にさせてしまったことを悔やんでいましたね」
小鳥「で、やってしまった、と」
――9巡目・律子の手牌――
二三四五六678(22245) ドラ七
律子「ここから7マンをチーで2000点を取りにいく……別に無くはないんですけど」
小鳥「まあねえ。一マン引きでピンフのみ。頭が出来たらタンヤオのみだから、悪くないのよ。問題は、あがった後の律子さん自身」
律子「色々考えてのことではあったんですが、これでよかったのかなって。この時の私の麻雀だと、スルーしてリーチの一手なんですよ」
小鳥「どちらでもいいと思うわ。ただ、狙いが上手くいったのに悩みが深まるような選択肢は、ね」
律子「たぶんですけど、もうこの時には麻雀がわからなくなっていたんだと思います」
小鳥「……もしかしてなんだけど。私が思っているよりも、卓外戦術が効いてたりした?」
律子「小鳥さんがどう思っているのかはわかりませんが、私が対局後に
メモ
律子さんの持論を揺さぶる一手
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長くなってしまう上に、物語ではなく解説のみになるので没にしました。
でもせっかくここまで書いたので、書きかけですが残しておきます。
第五話の後始末に加えて、対局の解説を途中まで書いています。
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