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真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百十話

ムカミさん

第百十話の投稿です。


呉潜入編のラスト。

2016-05-16 01:46:08 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:2494   閲覧ユーザー数:2064

 

昨日見聞きしたばかりのもの。

 

建業の城内部にここ最近よく入り込んでくるという猫に関する会話。

 

そこで見た猫を確認するため、一刀は以前通い詰めていた路地へと戻って来た。

 

但し、目的は以前とは全く異なるもの。

 

路地に入るなり一刀はきょろきょろと周囲に目をやる。

 

そうして以前の潜伏場所にまで足を延ばすと、果たしてそこには以前のままに寛いでいる猫の集団があった。

 

「え~っと、確か……ああ、そうだそうだ。お前だったよな?」

 

その場の猫たちを見回し、一刀は目的の猫の前でしゃがみ込む。

 

軽く顎を掻いてやりつつ、その胴体の模様を確認する。

 

暫しジッと見つめた後、一刀は昨日目撃して目に焼き付けておいたそれと合致していると判断した。

 

(後はこいつがどうやって城内に入ってるか、なんだが……

 

 猫サイズの生き物しか通れない穴とかだったらどうしようもないんだよなぁ)

 

これは大きな足掛かりであると同時に不安要素も大きいもの。

 

どうか諸々上手くいってくれますように、とどこかに祈る気持ちも多分にあった。

 

「どっちに転ぶにしても、お前が動いてくれないと何も始まらないんだよなぁ。

 

 ほれほれ、ちょっと立ち上がって城まで行こうぜ~」

 

一刀は冗談交じりに件の猫を軽く突いて見たりした。すると。

 

猫は徐に立ち上がると、数歩進んでから振り返って一声鳴いた。

 

それはまるでついて来い、とでも言っているかのようで。

 

「……まさか、案内してくれる、とでも?」

 

一刀が思わずそんなことを呟いてしまうと、なんとこれに応えるかのようにもう一鳴き入ったのであった。

 

「…………」

 

絶句して動かない一刀を、猫はまるで動き出すのを待っているかのようにじっと見つ続けている。

 

偶然にしてはあまりに神懸かり過ぎる事象の連続に、一刀はこんな事を思わずにはいられなかった。

 

(…………この外史ってところでは、動物の知性が外の世界よりも高いのかも知れない……

 

 恋とその周り、それに赤兎とアルだけが特別なのかと思ってたけど、そうじゃ無かったみたいだな)

 

最早随分と前から『何でもあり』な外史の性質には苦笑を浮かべるのみだったが、今度ばかりはそれをすら通り越していっそ清々しいほどだった。

 

「はっ……ははははっ!そうかそうか……!

 

 よしっ、わかったっ!お前を信じて、頼ろうか」

 

笑いと共に口に出して宣言すると、一刀は立ち上がる。

 

これを見届けてから、猫は路地裏の道を城の方向へと進み始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは…………」

 

猫の歩んでいった路地裏のその先、そこは建業の城の裏手の城壁まで達していた。

 

そこで一刀は自身が目にしたものに驚きを禁じ得なかった。

 

一刀の視線の先、猫が今にも上って行こうとしているその部分の城壁は、ところどころ構造するレンガが抜け掛けた結果、丁度良い足掛かりとなっていたのだ。

 

但し、そうは言っても城壁上に見張りがいることは何も変わらない。

 

城壁をスルスルと上って行った猫が、彼らに見つからずにそのまま中へと入っていけていることから、城壁の外側は意外と死角は多そうである。

 

それは物理的な意味よりも精神的な意味の方が大きいようにも思えるものだったが。

 

(潜入用の隊服を使って、深夜に決行すれば……)

 

見張りの目に留まらぬよう気を付けながら城壁を観察し、一刀はそう結論付けた。

 

次いでさっと脳内で作戦を立てる。

 

一、宵闇に紛れて接近。

 

二、見張りの隙を突いて壁を越え、侵入。

 

隊服、つまり黒衣隊の装束であれば宵闇に紛れることは十分に可能である。

 

浮き出たレンガが一刀の足掛かりとして十分な強度があるかどうかの問題があるが、これは実行時の運否天賦。

 

事前に確認を取りに行けない以上、最悪の場合は全力で逃げ去ることまで視野に入れて行動すべき、と心の片隅に刻む。

 

後、問題となるのは見張りの隙を如何にして突くか、ということになるのだが。

 

これをクリアするために、一刀はそれからたっぷり数刻、見張りの動きを観察し続けたのであった。

 

 

 

 

 

日が暮れ始めると、一刀は早々に宿へと引き返し、諸々の準備を整える。

 

その準備の中には万が一の事態を想定したものもあり、その様子を眺めていた鶸も俄かに緊張した様子で尋ねてきた。

 

「一刀さん、これから大きく動かれるのですか?」

 

「大きく、って言い方が正しいかは分からないけど、大胆に、とは言えるかな。

 

 その分、危険も当然増すことになる。

 

 鶸。ここに来た初日、俺が言った内容を覚えているかい?」

 

一刀が確認したのは万が一の事態が生じてしまった場合、どう対応を取るべきかということ。

 

これに鶸はしっかりと頷いて答えた。

 

「はい、大丈夫です。一刀さんが残された書簡は全て、すぐにでも持ち出せますよう既に纏め上げております」

 

「用意がいいな。さすがだ、鶸。

 

 それじゃあ……今回こそ、数日空けるかも知れない。

 

 諸々、手筈通りに頼んだぞ」

 

「はい、お任せを。一刀さん、お気をつけて……」

 

鶸の見送りの言葉に背中越しに片手でヒラヒラと答えて一刀は宿を後にした。

 

 

 

目的の城壁地点へと至るより手前、路地にて一刀は夜の帳が降りるのを待って装束へと着替えた。

 

なお、身軽さと隠密性を重視し、今回は刀を置いてきている。

 

へまをすれば持ち込んだ暗器のみで全てを為さねばならず、そうなった時の難易度は跳ね上がることになる。

 

しかし、一刀はそれを承知で選択した。

 

夏候の所有地で部隊を作り上げてより2年以上、実践にて鍛え上げた己が技量を信じることにしたのだ。

 

とっぷりと暮れた路地を更に足音を忍んで進み、昼間に猫に案内されて発見した城壁地点へと至る。

 

そこで更に物陰に隠れて様子を伺いに掛かった。

 

今回ばかりは相手に些細な違和感をすら与えずに、完璧に侵入せねばならない。

 

伺うべき機は二つ。天候と見張りの動き。

 

いざここまで来てみれば、案外見張りの動きは緩慢であるとも見え、問題にならなそうではある。

 

しかし、やはり万全を期すべきだと逸る気持ちを押さえつけて一刀は空を仰ぎ見た。

 

そうすると、視界に飛び込んでくるのは夜空に爛々と煌く星々、そして煌々と輝く月。

 

平時であれば、都会では決して見ることの出来ないその光景に感慨の一つでも浮かぼうもの。

 

が、今ばかりはその輝きが一刀にとっては任務を障害するものとなってしまっていた。

 

一刀は城壁上の見張りの様子を伺いながら時折夜空を見上げて時を待つ。

 

そうして機を伺い始めてから四半刻もした頃、ようやく一刀が待っていた瞬間が訪れた。

 

夜空を雲が覆い、月と星の大半を隠してしまったのである。

 

月明かり、星明りを失った途端、辺りはほぼ真っ暗闇に近い状況となる。

 

灯りを持って警戒に当たっている見張りは気付いていないかも知れないが、これで一刀の姿は余計に見つかり辛くなった。

 

(……今だ!)

 

タイミングを計って計って、見張りの意識が見当違いの方向へと向いた瞬間、一刀は音も無く物陰より滑り出る。

 

そのまま足音と気配を完全に殺し、城壁に張り付くと静かによじ登り始めた。

 

一刀にとって運が良かったのは空を覆う雲がかなり大きかったことだろう。

 

遂に一刀が建業の城へと侵入を果たすその瞬間まで、月明かりが漏れ出でることは無かったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事城内へと侵入を果たした一刀は、まず中庭に潜んで城内の様子を伺う。

 

日が暮れたとは言え、まだ夜も浅い時間帯。

 

魏基準で考えた場合、華琳や桂花などはまだまだ働いているくらいの時間である。

 

建業の街を見て回れば分かる通り、呉の施政はかなり上質なもの。

 

これを維持するためには君主にも文官にも相応の仕事量が必要となる。

 

完全に予想でしかないが、孫堅と周瑜、加えて陸遜の辺りはまだ仕事中であると見ていた。

 

他にも文官がいれば、今焦って動けば見つかってしまう可能性がある。

 

かと言ってあまり長居しても、それはそれで危険だ。主に周泰や甘寧的な意味で。

 

素早く、正確に見極めつつ、一刀自身も一息吐けるような場所を確保する必要がある。

 

暫し息を潜めて城内の様子を観察した結果、動く人影はほぼ居ないものと判断した。

 

ならば、今侵入を果たすべき。決断すれば即動く。

 

気配と足音は殺したままスルスルと城内へと滑り込み、近場の部屋内の気配を探った後、更にそこへと滑り込む。

 

そこは物置場となっているようで、雑多なものが溢れていた。

 

埃の被り具合からあまり頻繁には利用されていないらしく、一先ずは安心することが出来そうな場所だ。

 

一刀は詰めていた息を吐き出すとギンギンに張っていた警戒を少しだけ緩める。

 

そうして作った余裕をそのまま次なる行動の思考へと回した。

 

ここから取れる選択肢はいくつか存在する。

 

それなりに情報を持っていそうな者を拐かし、情報を奪取する案が一つ。

 

下級文官の衣服を拝借して成りすまし、城内を堂々と探る案が一つ。

 

そして、このまま姿を隠して潜み続け、各所で聞き耳を立てて情報を集めて回る案が一つ。

 

一つ目の案は呉の地、呉の城で行うにはリスクばかりが高すぎて即却下。

 

二つ目の案に関しては考慮の余地がある。

 

実際、かつて一刀が大陸中を飛び回っていた折、幾度かこの方法で情報を集めたことがあった。

 

上手くいけば細やかな内情まで手に入れることが出来る、非常にリターンの良い方法ではある。

 

しかし、やはりと言うかここが呉の城であることを考えるとどうしても躊躇してしまいがちとなる。

 

例えば、周泰。彼女とは幾度か直接対峙していたり、彼女自身も変装を扱うだけに、一刀が文官を装ってもこれを見抜いてくるかも知れない。

 

それから、孫堅。あれはあまりに未知数であり、場合によっては僅かな気配から正体を暴かれてしまいかねない。

 

その他にも警戒すべき将は数多いるとなれば、二つ目の案も捨て置くべきと思われる。

 

そうなれば取るべきは三つ目の案となるわけだが。

 

「さて……ここにもあるのかな?」

 

天井を仰ぎ、独り言ちる。

 

城内で隠密行動を取ると言っても、廊下を誰にも見つからぬよう移動するなぞ到底出来るとは思えない。

 

そこで一刀が頼るのは、やはりかつての経験。

 

当時はそれ程深く考えてもいなかった。今もそうであるかも知れない。

 

何せ、一刀には当時の”それ”の構造に関する知識は皆無に等しいのだから。

 

ただ、経験から知っている。”この大陸の城”には天井裏が存在していることを。

 

正史におけるそれに果たして同じものが存在したのか、それは分からない。

 

外史の成り立ちを聞けば、大半の者が”城”と聞いて思い浮かぶ構造が反映されている可能性も考えられる。

 

ともあれ、一刀の技術が利用できるそれが存在するのであれば、有り難く利用させて頂こう。

 

その考えの下、一刀はなるべく音を立てぬよう天井を探り、そこを抜くべく動き出した。

 

 

 

幸いにも、ここの城にも目的のスペースは存在していた。

 

外の気配に注意を払いながら、たっぷり半刻程掛けて音を立てずに天井を抜くことに成功する。

 

その際、抜き方にも一工夫を掛けてあり、一刀は上へ登ってから抜いた部分を再び嵌め直した。

 

注意深ければ気付くかも知れないが、普段から天井に注意を払っている者などいないだろう。

 

これで取り敢えずの安全地帯確保は完了した。

 

このまま城内への探りを始めてもいいのかも知れないが、何分今は城内の人の数自体が少ない。

 

であれば、僅かな物音が命取りとなり兼ねず、今動き回るのは危険極まりないと言えた。

 

そこで、ここは翌日の任務への英気を養う意味も込めて、大胆な一手に出ることに決めた。

 

即ち、この場で仮眠を取るのである。

 

いくら安全を確保したとは言え、さすがに安眠とまでいかないので多少の疲れは残るだろうが、それでも徹夜明けの不安定なコンディションで事に臨むよりは数段マシである。

 

そうと決めるが早いか、一刀は浅いながら眠りにつくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は至極静かな目覚めから始まる。

 

陽が入らないために詳細な時間帯までは分からないのだが、外の様子はどうにか喧噪の度合から判断出来る。

 

徐々に城内の喧噪が大きくなってきているところから、早朝の時間帯は越えているのだろう。

 

登城してきた人の数が程よく増したところで、一刀は行動を開始した。

 

城内の喧噪に己が立てる物音を紛れさせて進んでいく。

 

時折床――城内の者からしたら天井――に耳を押し当て、下の会話を拾おうと試みる。

 

雑多な物音が混じり合う廊下では中々会話だけを聞き分けるのは難しいのだが、その癖有益な情報は少ない。

 

しかし、稀にポロッと機密レベルの情報が漏れ聞こえたりすることもあるため、頻繁にでは無いにしても一応行っているのであった。

 

ご当主様、孫堅様、君主様。そういった類の単語に網を張ってみたものの、どうにも有益と思える情報は入ってこない。

 

こればかりは完全に運であるため、仕方が無いか、とすぐに切り替える。

 

そろそろと奥へと分け入り、今度は各部屋に対して聞き耳を立てていく。

 

無人の外れ部屋も多々あったが、人がいる部屋に当たれば、廊下よりも遥かにクリアに音を拾い集めることが可能だった。

 

城内をそこそこ回ったと思しき時点までで数部屋引いた当たりには、主に下級の文官が集って雑務を行っていたようであった。

 

文官間の会話などから、現在建業で施行されている策の大凡が掴めて来る。

 

これらの中には街を見て回れば気付けるものもあれば意外に気付きにくいものもあり、許昌に持ち帰れば治世の面で応用も出来そうなものが散見された。

 

一先ずはここまででも収穫はあったと言える。が。

 

やはり、今回相応の危険を冒してまで潜入を果たした目的は、政治面よりも軍事面での偵察が主となる。

 

ここで満足し引き返す選択肢は一刀の中にはさらさら無かった。

 

 

 

それからさらに数部屋回ったところで、遂に一刀は大物を引き当てる。

 

それはとある部屋に聞き耳を立てようとした際のこと。

 

近く、部屋の区画範囲内から細く漏れる光の筋があることに気が付いたのだ。

 

それはつまり、天井から部屋を覗き得る隙間なりが存在していることを示す。

 

こそっとそこから部屋の内を覗き見てみれば、果たしてそこには孫堅の腹心とも言える内の一人、程普の姿があった。

 

文官というよりは武官寄りの彼女ではあるが、それでも呉の将内において文官方面で上位を占める人物である。

 

いや、むしろ武官寄りだからこそ、そっち方面の策では重く用いられている可能性も考えられる。

 

一刀は一刀はここを今回の任務における一つの肝であるとした。

 

そうしておいて、一刀は程普から視線を切る。

 

古強者はただ視線を向け続けているだけでもこれを察知出来たりするからだ。

 

特にこの大陸の将はその傾向が強い。常に命懸けの戦場の只中に身を置いているからなのかも知れない。

 

自らの気配には細心の注意を払いながら、一刀は部屋の中に耳を向けた。

 

暫しの間そうやって忍んでいる間に、様々な文官が彼女の部屋に入れ代わり立ち代わりやってくる。

 

この短時間でもかなりのことが判明していた。

 

例えば、程普は街への施策から軍略関係まで、幅広く仕事を請け負っていること。

 

そんな個人のことから、例えば呉の軍拡の進捗状況のような大局的なことまで。

 

この軍拡については確実に有益な情報となった。

 

以前から呉の調練の様相を遠目に観察しての軍拡の予測報告は上げられていた。

 

そこから大きく外れてはいないものの、予想よりも拡張の幅は大きく、また進捗状況も相当進んでいることが確定情報となったのだ。

 

これだけでも十分な収穫ではある。ただ、欲を言えば当面呉としてはどう動くのかを探っておきたい。

 

これを期待して一刀は更にこの場で粘ろうと決めたその直後、程普の部屋の扉を潜ってきたのは少々予想外の人物であった。

 

「粋怜、ちょっと良いか?」

 

「あら?貴方がここに来るなんて珍しいじゃない、祭。どうかしたの?」

 

姿を現したのは黄蓋。孫堅のもう一人の腹心であった。

 

「おぉ、少し聞いておきたいことがあってな。

 

 碧殿に提案されたという堅殿の例の話、主はどう思っておる?」

 

「あぁ、あれね。私は特にどうとも。

 

 ま、今のままじゃ大殿も目的に対して動きにくい状況なのでしょうし、状況を突くという点では意味があるんじゃない?」

 

「ふ~む……そんなものか。

 

 しかし、それはそれで向こうの戦力は信頼出来るものなのかのう?」

 

「その辺りは碧殿の判断に任せてらっしゃるんでしょうね。

 

 あの方も大殿と同等以上のお方。むざむざ大失敗させるような提案は碧殿のところで握りつぶして終わらせるでしょうし」

 

「だったらいいんじゃがな。あの方は生粋の武人であるから、多少なり心配ではあるがのう」

 

「何にせよ、なるようにしかならないでしょう。ちなみに、碧殿のことだからもう動いているかも知れないわね。

 

 ただ、いずれにせよ私たちの出番はその後になるのだけは間違いないわね」

 

「いよいよ、か。策殿たちも仕上がって来てはおるし、儂ら武官の方は問題無いじゃろう。

 

 名分の方は主らが何とかするのじゃろうが、大丈夫なのか?」

 

「そのための、って側面もあるんじゃない?

 

 理想として描く筋は、向こうに呼応する形でこちらも国境での小競り合いから始めて、近く大戦を仕掛ける、ってところでしょう」

 

「ふむ、なるほどの。

 

 久々に腕が鳴るのう!」

 

何か、とても重要な内容であろうことだけは理解出来る。

 

肝心の中身に関しては、既に双方十分に承知していてほとんど表面に出て来ないのが口惜しい。

 

せめて推測出来るだけのヒントは出ないものか。

 

そんな半ば祈りながら粘るも、それ以降は他愛無い世間話へと話題が移る。

 

多少がっかりしてしまうが、これはもう仕方が無いものと思うことにした。

 

ふと、一刀は考え込む。

 

自身の知る”三国志”と照らし合わせてこれからのことを考えてみると。

 

(…………もしかすると、切り札の一つとして使えるかも知れない、か……よし)

 

決意し、一刀は先ほど見つけた隙間から黄蓋の顔に視点を合わせる。

 

それから二秒以上は視点を固定しないように気を付けつつ、急いで、しかしなるべく正確に彼女の似顔絵を描き上げた。

 

それを終えると描き上げた絵を懐にしまって、そっとその部屋の範囲から退く。

 

これまでで得たもので成果としては十分なもの。

 

そう判断し、一刀は城からの脱出に向けて頭を切り替えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………人影無し……よっ、と……」

 

昨晩に開けた天井の穴から一刀は再び物置部屋へと降り立つ。

 

ここまでの道中はそもそもが人目に付くはずの無い天井裏の移動故に大した問題は無かった。

 

むしろ問題はここから。

 

侵入経路の逆行だけで脱出が全て上手くいくとは限らないのだ。

 

一先ず、部屋に籠っているのは危険であるので隙を見て庭へと脱出する。

 

外に出てみれば一刀の目に入ってきたのは赤く染まり始めた空であった。

 

様子を伺うために程よい茂みなどを探して移動すれば、厨の近くまで来たようで何とも腹の虫を擽る匂いが漂ってくる。

 

久々に流琉の料理が食べたいなぁ、などと。そんな考えがふと頭に浮かんだのは、気付かず疲労が蓄積していたからか。

 

「では、お前の部下でも任務の遂行は厳しいということなのだな、明命?」

 

そんな声が小さく聞こえてくるまで、近くに人がいることに気付かないなどという失態を犯してしまった。

 

慌てて茂みに身を隠す。

 

長年の潜入経験から、気配の駄々漏れだけは防げていたようで、幸いにも気取られはしなかったようである。

 

見れば少し離れたところで二人の人物が立ち話をしている。

 

その二人の姿を視界に収めた瞬間、一刀は己の不運と不注意を呪った。

 

一刀の視線の先にいたのは、周泰と甘寧、呉の将であり間諜でもある要注意人物の二人であった。

 

「はい……あれからも何人か送り込んだのですが、帰ってこない者が大半、帰って来た者も大した情報は集められておりません」

 

「状況は好転せず、か。

 

 以前にお前が魏の武力情報を持ち帰って以来、大きな情報が得られていないのというのは……」

 

深刻な様子で言葉を交わす二人は、その会話に集中しているのだろうか。

 

本当に気付かれなかったのは幸運であった。

 

ただ、だからと言ってこの場から離れるために動いた時にも気付かれない保証は無い。

 

受け身の愚策なれど、今は二人が立ち去るまでを息を殺してじっと忍び続けることが最善の状況だった。

 

そうやって一刀が逃れる機を伺っているほんの数メートル向こうで、二人は尚も話を続ける。

 

少し距離があって且つ小声であるために会話は漏れ聞こえてくる程度であるが、その内容はどうも魏についてのことに終始している。

 

曰く、情報面の守りが堅い、潜入は出来ても潜伏が出来ない、などなど。

 

普段であれば隊員たちの確かな働きに内心で褒め言葉を与えようもの。

 

しかし、今の一刀にはそのような余裕は無かった。

 

身動きが取れず、ただただ祈るだけの時間は実時間は短くとも体感時間は非常に長い。

 

精神的にもかなり来る地獄のようなその時間を耐え忍び、ようやく二人の会話が終わりに掛かったその時。

 

カサ、と一刀の右方で茂みが音を立てた。

 

何事か、と目をやれば、いつの間にやらかの猫が一刀の側から見上げていた。

 

ばっちり目が合うこと数秒。嫌な予感が急速に膨れ上がり、それが一刀の脳裏に警鐘を鳴らすと同時。

 

「んなぁ~ぉ」

 

猫が一声、鳴いた。鳴いてしまった。

 

当然、周泰と甘寧はその声に気付き、警戒の視線をこちらへと向けて来る。

 

「ふむ……猫か?」

 

「はい、お猫様です。それは間違いありません。ですが――」

 

何故そこで逆説が入る、と一刀は訝しむ。と同時に、最悪の状況を想定し、即興の策を練り始めた。

 

「あのお声はどうにもお仲間の方への挨拶のように聞こえました。

 

 もう一方、お猫様がいらっしゃるのではないでしょうか?!」

 

バレかけている、否、既にバレているかもしれない。一刀は強くそう感じた。

 

周泰は猫が二匹いる体を装って話しているが、その呼称が人に対するものになっている。

 

つまり、間者が潜んでいる可能性を高く見積もっているのだろう。

 

最早、どうあっても任務はこれで仕舞いとなることが決まった。

 

あとは鶸との約束通り、合図を出して一刀も逃げるのみ。

 

二人が茂みとの距離を詰めてしまう前に行動を起こさねば。

 

全てを瞬時の思考で決め、次の瞬間には懐から癇癪玉を取り出していた。

 

「ほら、ちょっとそっちから走って出て行ってくれ……」

 

小さく声に出し、猫を追いやる。すると、やれやれとでも言わんばかりの様子で猫は茂みを右方へと飛び出して行った。

 

これを追って周泰と甘寧の視線は右へと逸れる。

 

この機を逃さず、一刀は握りしめた癇癪玉を全力で左方へと投げ込んだ。

 

数瞬後、大きな音を立てて癇癪玉が破裂する。

 

「何事だ!?」

 

甘寧が叫び、同時に走り出す。

 

これに周泰も続かんとしていることを確認するや、一刀はなるべく音を立てず右方へと脱出した。

 

後方を確認したいところだが、それでスピードを落としては元も子もない。

 

一刀は己に出来る全力を振り絞り、庭を駆け抜ける。

 

城内は俄かに騒がしくなる。侵入者アリの報が回ったのだろう。

 

兵が警戒に出て来てあちらこちらへ散っていく。

 

障害物を利用して接敵を避け、避け得なかった数人は苦無にて瞬殺する。

 

もしも将にでも出くわしていれば、或いは一刀の命運はここまでだったかも知れない。

 

しかし、今回は運命の女神が微笑んでくれたようだった。

 

どうにか侵入口となった城壁へと辿り着き、一刀はそこから脱出に成功したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、建業の街のとある宿の一室では一人の少女が荷物を纏めていた。

 

一刀と共に建業へと潜入していた魏の将、鶸である。

 

「お城が騒がしい……

 

 一刀さんが仰っていた状況とは少し違う気もしますが、これは撤退の合図と見て良いのでしょうね……」

 

元々荷物はそう多くない。

 

一刀が書き溜めた書簡だけは絶対に忘れぬよう、落とさぬよう、大切に袋にしまった。

 

「一刀さん……どうかご無事で……」

 

最後に一言、城の方を振り返って呟くと、鶸は建業を後にするべく動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ…………ふぅ……」

 

いつぞやの路地まで逃げ延びることに成功した一刀は、そこでようやく一息吐く。

 

砂地が露出した空き地のような場所。猫たちの憩いの場となっている場所だ。

 

その足下にはいつの間にか並走していたあの猫がいた。

 

一刀が足を止めたところでじゃれつくように擦り寄って来る。

 

一刀はそんな猫の様子に苦笑を浮かべると、しゃがみ込んで喉元を撫でてやった。

 

「ふぅ……全く。お前にはいい意味でも悪い意味でも振り回されるなぁ。

 

 だけど、今はお礼を言っておこうか。ありがとうな」

 

敵に見つかったのはこの猫の所為であるが、そこから逃げ遂せたのもまたこの猫のおかげであった。それ故の言葉である。

 

この時、一刀は特別油断していたつもりは無かった。

 

一息吐きはしても、周囲への警戒は怠っていたつもりは無かったのだ。

 

「っ!?」

 

「なっ!?」

 

不意に襲い掛かってきた敵意に、咄嗟に反応出来たのはその警戒心故。

 

一刀が反応出来たことに襲撃者が驚いているのも、相手方からすれば完璧に隙を取ったと思っていたからであろう。

 

「す、素手で……っ?!」

 

僅かに動きを止めた襲撃者に苦無を振るう。

 

あわよくば手傷を負わせたかったが、距離が取れただけでも重畳だった。

 

ついでに言えば、どうやらどうやら襲撃者が驚いた理由はもう一つあったようだ。

 

これについては一刀も内心で盛大に安堵の息を漏らしていた。

 

いくら咄嗟のこととは言っても、獲物も無しに素手を差し出すことなど出来はしない。

 

敵から見れば素手に見えた一刀のその手には、実は潜入時より装着していた真桜製の新作暗器”虎爪”が装着されていたのである。

 

尤も、運良くこれで防げたからと言って、その全てを敵に教えることもしない。

 

誤解に乗じ、あたかも素手で防いだかのように振る舞うことにした。

 

大きく弾む心臓を気力で抑え込み、余裕を演じてゆったりと振り返る。

 

相手の正体は声から既に予測出来ていたが、実際にその視界に収めて見れば思わず溜め息を吐いてしまいそうになった。

 

一方、その相手――周泰は自らが追い詰めた侵入者の正体が一刀であると分かり、息を呑んでしまったことを隠し切れていない。

 

対照的な二人の様子はまさに直前のやり取りに起因してのものだった。

 

「北郷……なるほど、そういうことでしたか」

 

「いいや、残念ながらそれは違う」

 

一刀は周泰の言葉に被せるようにして否定の言葉だけを投げつける。

 

あたかも周泰の心の裡を読んだかのような先取りの宣言。

 

それは平静を持ち直す前に畳みかけ、周泰を揺さぶるためのブラフ。

 

一刀自身はそれほど咄嗟の弁舌、否、屁理屈に自信があるわけでは無いが、それでもここはそれで押し切るのが上策と見て取った。

 

「っ!しかし、あなたは許昌で確かに私にこう言いました!『裏切れ』、と!

 

 こうなった今、ここで私があなたの潜入を見逃すこと以外の何を以て『裏切り』などとっ!」

 

「確かにこの状況は少々予定外の事態だった。が……それでも、この場を逃げ切るくらいのことでしたら容易いので、ね。

 

 ちなみに、貴女はあの時の言葉を部分的にしか覚えておいでで無い?それはなんともなんとも……」

 

言葉の裏に表に挑発の意を込めて、多少オーバーな肩竦めのジェスチャーも加える。

 

この一言が決め手となり、周泰の頭に血を昇らせる一刀の策はどうにか上手くいった。

 

周泰は傍から見てもはっきりと分かるほどに感情を発露してしまっていた。

 

「っと、そうだ。折角追いついたのですし、お土産をば。

 

 こちらはお返ししておきましょう」

 

そう言いつつ、一刀は懐から書簡を一巻き取り出すと、間髪入れずこれを周泰に向けて高めに放り投げた。

 

怒りに囚われ判断の遅れた周泰は、咄嗟のことに馬鹿正直にそれを目で追う。

 

この隙を一刀は見逃さなかった。

 

(北郷流卑剣・砂奇肢(さぎし)……っ!)

 

予備動作も極小に、周泰の顔面に向けて砂を蹴り上げる。

 

「ひゃっ!?ぅ……」

 

まともにこれを食らってしまった周泰は、その後の一刀の動きに為す術が無かった。

 

一刀は即席で練った氣を一瞬間だけ発動して急加速、その勢いのまま思わず顔の辺りまで腕が上がり無防備になった周泰の鳩尾に拳を突き立てた。

 

堪らず、周泰はあっさりと意識を手放したのである。

 

「…………ふぅ……ぎりぎりセーフ、ってとこか。

 

 とにかく、甘寧にまで見つかってしまう前に、さっさと逃げよう。

 

 ………………いくら将とは言え、女の子を気絶させたまま路地に放っておくのはよろしくないよな……いずれ、魏にとっての切り札にもなってもらうことだし……よし」

 

一刀は去りかけた足を戻し、気絶した周泰をその背に背負う。

 

そのまま逗留していた宿の部屋に彼女を横たえると、その足で建業を去るべく動き出した。

 

 

 

この一刻足らず、何度も訪れた危機を綱渡りで渡り切った。

 

まさに一刀の心境はその如くであった。

 

久方ぶりに、一刀は己が運の良さを天に感謝することになるのであった。

 


 
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