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真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百七話

ムカミさん

第百七話の投稿です。


呉への潜入、その前準備。

2016-04-16 01:15:18 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:2619   閲覧ユーザー数:2181

 

大陸の民にとって、一日とは日の出から始まるもの。

 

それは大陸西方の小さな邑においても変わることは無い。

 

その日の朝もまずは水汲みを、と井戸の周りには大勢の村人が集まっていた。

 

その中に誰よりも働く若い女性が一人。

 

「いんやぁ、今日もありがとうねぇ」

 

一人の老婆からそう声を掛けられると、そんなことは無い、と返していた。

 

「こちらが無理を言って留まらせて頂いているんです。これくらいは当たり前のことですよ」

 

そういって人当たりの良い笑顔を浮かべる女性は、誰あろう鶸である。

 

成都より脱出してから、一刀と落ち合う予定の邑に辿り着き、待機しているところであった。

 

ただ滞在するだけで何もしない、と言う状態が落ち着かなかった鶸は、こうして主に老人や子供の手伝いを申し出ていたのである。

 

それから暫くして人がほとんどはけた頃になり、迷いない足取りで鶸に近づく一人の男が現れる。

 

当然ながら、一刀であった。

 

「鶸。良かった、無事だったか」

 

「あ、一刀さん……

 

 申し訳ありません。失敗してしまいました……」

 

「いや、それは仕方ない。

 

 鶸はその手の訓練を積んでいないのだし、そこを責めるつもりは無いよ。

 

 鶸が無事でいてくれて何よりだ」

 

「一刀さん……ありがとうございます」

 

お叱りを覚悟していただけに、鶸は心からの礼と共に深く頭を下げる。

 

そんな鶸の頭を、気にするなと上げさせてから一刀は鶸に次なる行動を告げた。

 

「あまりのんびりしているのは好ましいことじゃ無い。

 

 報告の類は呉に向かう道中で行うことにしよう。すぐ発てるか?」

 

「はい、こちらは問題有りません。

 

 ですが、赤兎は大丈夫なのでしょうか?」

 

「こっちも心配はいらない。

 

 何も夜通し走り続けたわけじゃなくて、日の出前に発っただけだからな。

 

 とは言え、全く疲れていないわけでは無いだろうから、最初は早めに休憩を入れるとしよう」

 

「はい、分かりました」

 

鶸は諾の返答の後、すぐに準備を整えてきた。

 

村人たちに感謝の言葉を残し、二人は一路、呉を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――その隙に成都を脱出しました。以上で報告は全てです」

 

「そうか。馬超からの情報の方はともかく、もう一つの方はもう少し検討する必要がありそうだな」

 

蜀から呉を目指す道中、初めの休息は鍛錬では無く鶸からの報告の時間となっていた。

 

間諜から得た情報と実際に一刀が目にした事実から大凡の予測は付いていたが、それが大きく外れているようなことは無かった。

 

ただ、鶸は完全に失敗したと思っているようだが、一刀としては多少なり馬超に関する情報も得れていると考える。

 

それが有益なものとなるか、はたまた無益なものとなるかは桂花以下軍師次第だとも考えているのだったが。

 

ともあれ、スラムの住人から得た情報と共に、精査は魏に帰ってからだ、と一刀は結論付けた。

 

「取り敢えず、蜀での任務はこれで終了だ。

 

 次は呉へ向かう――んだが、その前に準備が必要だ」

 

「準備、ですか?」

 

許昌出立直後同様、またも聞かされていなかった内容に鶸の頭上には疑問符が浮かぶのみ。

 

一刀はそこに説明を加える。

 

「ああ、そうだ。

 

 何せ、今回の任務の主目的は呉の内偵だからな。

 

 万全を期す、という意味も勿論あるんだが、そもそも準備無しでは建業の内側にまともに侵入出来るかも分からない。

 

 と言っても、侵入困難なのは俺だけで鶸だけなら問題無いのだろうが……鶸には間諜技術が無いからな」

 

鶸ならば理解出来るだろう、と一刀は詳しい説明を鶸に行う。

 

今まで呉に送り込んだ間諜のほとんどが成果を挙げられず、しかも相当数が未帰還であること。

 

将の地位を持つ二人、甘寧と周泰が非常に高い間諜関連技術を有し、高水準の情報戦力を備えていること。

 

一刀は呉の面々に顔を知られており、ただの旅人を装うだけでは成都侵入の際にそうしたようにはいかないと予想される。

 

そこで一刀は桂花を通じてとあるものを用意させることにしていた。

 

「それを受け取ることが準備、ってわけだ。

 

 出立前に予め受け渡しに使う街は決めてある。

 

 まずはそこへ向かう。それでいいな?」

 

「はい、分かりました」

 

特に鶸が問い返すようなことも無く、二人は少々進路を曲げて所定の街へと進路を取った。

 

 

 

 

 

「お待ちしておりました。荀彧様より受け渡しの品をお持ちしております。

 

 どうぞ、こちらへ」

 

目的の街へと到達した二人は、アルと赤兎を置いて早々に許昌より遣わされた兵と顔を合わせていた。

 

この兵、任務の性質上当然のように黒衣隊員である。

 

ただ、一刀はその兵にふと疑問を覚えた。

 

それを放っておくのもどうかと思い、鶸の隙を突いて隊員に囁き掛ける。

 

「おい、ちょっと。

 

 どうしてお前が今回の任務に?

 

 お前は確か――」

 

「はい、次の護衛です。ですから、丁度都合が良かったんですよ」

 

「都合?それは――」

 

一体どんな、と尋ねようとした一刀の声を塗りつぶすように大きな声が前方から突如、掛けられた。

 

「お?おぉ!本当の話だったんだな!

 

 お~い!一刀~!!」

 

「は?……へ?華佗?!」

 

一刀たちの前方で大きく手を振っているのは、確かに他ならぬ華佗その人。

 

「というわけです」

 

これ以上の説明は不要とばかりに隊員はそう締め括る。

 

確かに、”都合がいい”わけだ、と一刀は驚きに染まる思考の片隅でそう感じていた。

 

「あれは……確かに華佗さんですね。

 

 もしかして一刀さんが仰っていた準備とは華佗さんの……ことじゃないみたいですね」

 

鶸が瞬時に悟ったように、一刀は驚きを隠し切れていない。

 

それはつまり、桂花と共に色々と策を巡らせていた一刀にとってもこれは想定外の出来事だということだった。

 

ただ、その驚きも華佗に近づくまでの間に鎮めてしまい、いざ間近で言葉を交わす段には平静な状態に戻っていた。

 

「よぉ、一刀。久しぶり!

 

 って言っても、ちょっと前に許昌で会ったばかりだけどな!」

 

「あぁ、そうだな。それだけに、正直驚いているよ。

 

 今回はまた、どうしたんだ?」

 

かつて一刀の説得により、魏は華佗の旅を支援していることはご存知の通り。

 

だが、かと言って魏の面々が皆華佗の旅路の予定を知っているかと言えばそんなことは無い。

 

どころか、むしろ知らぬ者の方が多い。これは華琳や当の一刀でさえも同様であった。

 

これを最も知っているのは桂花だが、その彼女でも詳細を全て把握しているわけでは無い。

 

定期的に護衛の入れ替えや情報提供を行うに必要ということで、一定期間毎にどこに滞在しているかを把握している程度であった。

 

つまり、今回一刀が策の準備の受け渡し場所に定めたこの街で二人が出会えたのは全くの偶然なのである。

 

「周瑜殿の容体の方をもう一度診ておこうと思ったんだ。

 

 以前にお前からの情報で周瑜殿を診たが、あの時は情報があったからかろうじて気付けた程度の病魔だった。

 

 正直、あの病魔の核を本当に滅殺出来たのかどうか、確信が持てないから、もう一度診に行こうとしているわけだ」

 

「なるほど……」

 

別に一刀は華佗の言う事を疑っていたり、華佗がいることに不自然性を感じているわけでは無い。

 

単純に疑問に思ったが故に尋ね、その答えに納得を示していた。

 

と、今度は華佗の方から一刀に質問が飛ぶ。

 

「そういう一刀はどうしたんだ?

 

 何でも、これから呉に向かうそうじゃないか」

 

「…………何で知ってるんだ?」

 

「ん?いや、さっき護衛に付いてくれてる人から聞いたんだが」

 

キッと一刀は鋭い視線を華佗の側に控える隊員たちに向ける。

 

しかし、隊員たちの方は決して一刀から視線を逸らすことは無かった。

 

どうやら、隊員たちは後ろめたさを感じていない。つまり、うっかり漏らしてしまった、などでは無いらしい。

 

ということは、と一刀は視線で説明を促す。

 

これを察した隊員たちは連携して華佗と鶸の気を引き付け、その隙に一人の隊員が一刀に小さく簡潔に説明を始めた。

 

「室長からのご命令です。

 

 隊長は当初の予定に微修正をかけよ、とのこと。

 

 華佗殿の同道が望めそうなので、これに託ければ或いは建業への侵入が楽になる可能性がある、と。

 

 策の詳細は隊長の方で詰めろ、だそうです」

 

「決定事項、ってことか。どうも、既に手が回っているようだしな。

 

 ……まあ、華佗なら大丈夫か。一応言動にだけは気をつけておいてくれよ?」

 

「はっ、それは重々。

 

 それと、李典将軍よりこれを。

 

 加えて言伝です。

 

 『ウチを舐めてもらっちゃあ困るで』、とのことで」

 

「はは、真桜らしい。それにしても、これは……いや、もう流石という言葉しか出て来ないな……」

 

隊員がそっと差し出したのは、この任務が決まった際、一刀が真桜に頼んでみたもの。

 

それが一刀の要望通りの姿形で今、目の前にあるのだった。

 

仕上がりは十日程と言っていたので、この”準備”のタイミングに合わせて届けてもらう予定ではあった。

 

が、実を言えば、本当に届けば儲けもの、程度に思っていたのも事実だった。

 

「あの、つかぬことを伺いますが、それは――」

 

「見ての通り、武器だよ。まあ、暗器と呼ばれる類のものだな。

 

 苦無と違って武器を装着したまま潜入活動が出来るのが強みと言えるか。

 

 まあ、特殊な武器だし、隊の装備に加えるつもりは無いんだがな」

 

「なるほど。あ、李典将軍よりもう一つ言伝が。

 

 『こいつん名前、無いんやったら”虎爪”にしといたって』、だそうです」

 

「”虎爪”、ね……何というか……偶然なのか、必然なのか……」

 

ポツリと考えを漏らすも、一刀はすぐに頭を振り、兵に向き直った。

 

「諸々は分かった。後のことは任せてもらう。

 

 室長の方には、詳細は帰還後に全て合わせて行う、とだけ伝えておいてくれ」

 

「はっ」

 

大して悩むことも無く、ほとんど即決で一刀はそう答えた。

 

何分、一刀としてもそれほど悪いものだとは思っていない。

 

むしろ、桂花の言う通りで華佗を利用すれば建業侵入は相当簡単になると予測していた。

 

それは華佗の話を聞いた瞬間にふと浮かんだ考えでもあった。

 

故に、桂花からの命令を拒む気も理由も無いのだった。

 

さて、ではどうやって華佗に話すべきか。

 

それを考える段になって、その結論は早かった。

 

一刀の出した結論は、華佗の性格的な面からも、ストレートに伝えるのが一番だ、というもの。

 

そこで一刀はすぐさま華佗に話を振る。

 

「なあ、華佗。一つ、頼みがある。

 

 さっきも聞いたみたいだが、確かに俺たちは呉に、というより建業に行く用事がある。

 

 だが、魏と呉の今の関係や俺の立場的な問題から、あまりそれを知られたくないんだ。

 

 そこでなんだが、ちょこっとだけ華佗に協力してもらいたいことがあるんだが……」

 

「何だ何だ、改まって?水臭いな!俺と一刀の仲じゃないか。

 

 それに、お前には本当に色々と助けてもらっているからなぁ。

 

 俺に出来ることなら喜んで協力しよう!何でも言ってくれ!」

 

一刀の話を全て聞き終える前に、華佗は承諾の返答。

 

一刀の見立てはドンピシャなのであった。

 

「すまないな。

 

 協力してもらう内容は簡単なことだ。

 

 関所を通る際と建業に入る際、俺たちのことは『偶々道中で出会った医者を相乗りさせて運ぶ行商人夫婦』として扱ってくれ」

 

「ふっ、ふう!?」

 

「なるほど。だからあんなものを用意してたのか。

 

 よし、分かった!引き受けよう!」

 

華佗は言葉と共に一度、背後を振り返る。

 

そこには一刀たちが引き取る予定であった”準備の品物”、『馬車』と『交易品』、加えて南方の民族衣装らしき服が積んであった。

 

今や、大陸中の商人に広く開かれた許昌の露店区画。

 

そこに集まって来る品物は、何も魏の者にとってのみ珍しいというわけでは無い。

 

その中には蜀や呉の連中こそが真価を見出すものもあったりするだろう。

 

そういう意味では、例え呉の主たる街であっても交易商のチェックは多少甘くなる。

 

そこに付け込もうという策だったわけだが、これでより万全を期せるだろう。

 

「すまん、恩に着る」

 

横から一刀たちの話を聞いていた鶸が奇妙な声を上げていたが、言葉が意味を為していないのでこれを流す。

 

華佗が再び快諾してくれたことを受け、一刀は改めて礼を述べるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの邂逅の後、一刀たちはすぐに建業を目指して街を後にした。

 

かの街における華佗の診療が終わっていたことは幸いだった。

 

とは言っても、ここからの往路は極端にスピードダウンしてしまうことは免れない。

 

あまり長期に渡って許昌を空けたく無い一刀にとっては痛手ではあるが、こればかりは仕方が無いと割り切っていた。

 

何よりこのスピードダウン、悪いことばかりでは無い。

 

元々はこの時間を利用して”氣”の精神修養を進めようとも考えていたのだが、それよりも、と一刀は考える。

 

「なあ、華佗。お前の五斗米道に関して色々と聞きたいことがあるんだが、構わないか?」

 

長旅の空き時間は落ち着いた会話に丁度良い。

 

凪を除けば一刀が唯一知るところの氣の使い手である華佗から話を聞けるのであれば、それは個人的修練よりも効果が高い可能性を多々秘めていた。

 

「ああ、問題無いぞ。

 

 何なら五斗米道の秘術を教えてもいい!一刀ならきっと扱えるようになると俺は信じているからな!」

 

頷くどころか身を乗り出さんばかりの勢いの華佗に、逆に一刀の方が気勢を削がれたかのようであった。

 

「い、いや、さすがにあれ程の技は会得出来そうに無いんだが……ま、まあ、機会があれば、な?

 

 っと、そうじゃなくて。前に許昌に来てくれた時に分かったと思うが、俺も”氣”を扱うようになりはした。だが、まだまだ不完全、不十分でな。

 

 凪とは色々と議論しながら試したりはしてるんだが、どうにも思うように向上しないんだ」

 

華佗の提案を一先ず横に置いておき、一刀は本題を切り出す。

 

その内容を聞いた華佗は腕を組んで考え込みながら自身の考えを口にした。

 

「”氣”の扱い方、なぁ。

 

 俺自身、師匠に教わったわけでは無いから何とも言えないところがあるし、何より俺は治療でしか氣を使えないぞ?」

 

「試してみたことがあるのか?」

 

「ああ。大陸中を回っていると色々な話が聞けるからな。

 

 中にはかつて氣を扱う事が出来た者が残した奥義の話だとか、蛮族連中の妖術は実は氣の力だ、って話も聞いたことがあるな。

 

 まあ、そんな色々聞ける中で、俺自身の活動に役立てそうなことを試してみたことがあるんだ。

 

 結果は、何もできなかった、だがな」

 

「ちなみに、具体的にはどんなことを?」

 

「えっと、確か、氣で足を速くするとか、だったな」

 

「……えっ?」

 

華佗の答えは一刀を瞬時驚きで凍らせるに足るものであった。

 

華佗が氣の運用で試みたそれは、つまりは身体強化・身体能力向上の類。

 

一刀の氣の運用は間違いなくこの部類であるし、凪に至っては更にその発展のような運用をも行っている。

 

詰まる所、一刀たちの所感では氣による身体強化は、氣の運用における基礎の類だと考えていたのであった。

 

それだけに、驚きが飛び抜けたものとなる。

 

一刀も凪も、華佗の氣の運用能力は自分たちの遥か上だと考えているからだ。

 

「いやいや……華佗、さすがにそれはおかしくないか?

 

 お前は氣で診察や治療すら行えるんだから、身体強化系の能力くらい……」

 

「う~ん、そこなんだよなぁ……

 

 さっきも言ったが、俺も氣に関しては完全に独学だ。

 

 ただ、色々試した結果、こうなんじゃないか、という理屈は考え付いている」

 

「理屈?それは氣による能力を発現させられるかどうかの条件、と考えていいのか?」

 

「ああ、そうだ」

 

一刀の確認に華佗は大きく一度、頭を振る。

 

そして、彼自身の仮説を話し始めた。

 

「思うに、氣ってのは”自らの能力をより尖らせる”ことになっているんじゃないか、と思ってな。

 

 例えば、俺が氣で強化出来るのは診察眼と治療技術なわけだが、これは元々他の誰にも負けない自信はあるわけだ。

 

 反対に俺が失敗した身体強化だが、そもそも俺は自分の身体能力が高いとは思っていない。実際そうだしな。

 

 出っ張りが無ければ引っ張って伸ばすことも出来ないんだから、俺は身体強化が出来なかったんじゃないか、ってな」

 

「ふむ…………俺は身体強化――いや、身体操作、か。そして凪は体術に関連した武術向上……

 

 有り得ない話では無さそうだな。だが、それだと”五胡の妖術も氣が正体”という話とは矛盾しないか?」

 

「む……確かにそうだなぁ。いくら何でも人が素手で火を出せるわけが無いんだし……むぅ……」

 

華佗の仮説に一部納得を示すも、一刀が疑問を呈する。

 

これには華佗も同様に悩み、仮説の修正点を考え始める。

 

二人して唸り始め、会話が途切れたその場に、しかし二人以外の声が入ってきた。

 

「あの、いいですか?

 

 今のお二人の会話を聞いて昔母様がチラッと言っていたことを思い出したのですが。

 

 五胡の一部と交流があった母様は、もしかしたら氣というものを理解していたのかも知れません」

 

「馬騰さんが?……そうか。確かに有り得ない話では無いな。

 

 それで、馬騰さんは何と言っていたんだ?」

 

「はい、えぇっと、確か……

 

 氣を扱える奴らは想像力を鍛えていた、というようなことを。

 

 氣の扱いが上手ければ、自分に出来ると信じていることは氣によってほとんど完璧に出来るようになるんだそうです。

 

 本当かどうかはよく分かりません母様自身が氣を使いこなせるわけでは無いと言っておりましたので」

 

「想像力…………出来ると信じる…………」

 

一刀は鶸の話の中から自身の意識に引っ掛かった言葉をピックアップして呟いてみる。

 

自ら口に出してみることで考えを整理し、引っ掛かった理由を探ろうとしてのことだ。

 

これを数度繰り返すと、ふと一刀は何故引っ掛かりを覚えたのかに考え着いた。

 

「そうか…………前に貂蝉から聞いたあの……

 

 ということはまさか、氣で出来ることというのは…………」

 

「……ん?どうしたんだ、一刀?何か分かったのか?」

 

一刀の様子に気付いた華佗が自身の思索を中断して尋ねて来る。

 

鶸もまた気にした様子を見せていた。

 

特に隠すつもりも無い一刀としてはすぐにこれに答えた。

 

「以前、とある筋から個人的に入手した情報があるんだ。

 

 内容が内容だけに大陸の人間が信じられるはずも無いから誰にも知らせていない。それこそ桂花はおろか華琳にも、だ。

 

 その中でチラと聞かされた話があってな。それを考え合わせると、もしかしたら氣というものの本質が説明出来るかも知れない。ただ――」

 

「何?!それは本当か、一刀?!」

 

華佗が体をつんのめらせんばかりの勢いでこれに食いつく。

 

思わず仰け反りつつ、一刀は華佗を制するように続きを口にする。

 

「ま、待て、華佗!飽くまで俺の仮説だし、何よりこの仮説の根幹で、二人に――というより大陸の人間に聞かせたくない情報を使っているんだ。

 

 だから、出来ればこれは――」

 

「そこまで言っておいてそれは無いだろう、一刀!

 

 情報が洩れることを心配しているんだったら大丈夫だ。俺は口は堅い」

 

「い、いや、そうじゃなくて……」

 

言いかけて、一刀は言葉を飲み込む。

 

自身も氣を扱う華佗としては、何があってもこの話を逃す手は無いと考えていることがありありと分かったからである。

 

その様子から、引く気配は微塵と無い。

 

鶸も声にこそ出さないが興味の色をその顔いっぱいに広げていた。

 

一刀は深いため息と共に、後悔しても知らないぞ、と呟いたが、二人して問題無いと受け合った。

 

「華佗には説明したことが無かったかも知れないが、俺が元居たところ、皆のいう天の国は所謂未来だという話を念頭に置いてくれ。

 

 未来ではこの時代の大陸のことは物語として非常に有名なんだ。どうしてか、この世界での事実と色々異なる部分があるんだけどね。

 

 当然、物語としての見栄えを良くする意味でも、主に各国の将を中心に非常に魅力的に描かれている。

 

 作品によってはとんでもな能力を身に付けていたりもするわけなんだが……」

 

一呼吸の間を置く。

 

ここからが話の核心だと、暗に示していた。

 

「実はこの大陸の皆は、天の国、つまり未来に住まう人間たちの影響を大小様々なれど受けているらしい。

 

 その中の一つが”氣”である、とも聞いている。

 

 具体的な例を一つ上げるとすれば、そうだな……恋を思い出してくれ。

 

 恋のあの筋力量で果たしてあれだけの膂力が出せるものなのか、考えてみたことはあるか?

 

 一般兵の中でも特によく鍛えている者になれば、筋力量は明らかに恋よりも、いや、それどころか他の将の誰よりも高いだろう。

 

 だが、実際は決して埋められないほどの差がそこには存在している。

 

 一見矛盾した現象だが、これにもちゃんとした理由があるそうだ。

 

 未来において有名な将は、この大陸においても活躍を”期待”されている。

 

 特に、未来においてよく知られている事件や戦いにおいて登場する人物には、な。

 

 この”期待”は無意識の内に”氣”として将の身体能力を格段に向上させている、だそうだ」

 

「ちょっ、ちょっと待ってくれ、一刀!

 

 俄かには信じがたいんだが、一刀が冗談を言っているようにも聞こえない。だから信じようと思うんだが……

 

 それじゃあ何か?俺たち大陸の者たちは既に今後どうなっていくかは予め決まってしまっている、とでもいうのか?!」

 

あまりの驚愕に華佗が目を剝く。

 

が、さすがにこれには一刀も首も横に振られた。

 

「いや、きっとそこまでの強制力は無い。それは俺自身が観測して確認もしている事実だから安心してくれ。

 

 ただ……この大陸の特定の場所で特定の人物たちが邂逅した時、或いは一定以上の行動条件を満たした時、定められた”出来事”が現実となる。

 

 それはほぼ確定のようで、どうしようもないみたいだ。その程度の強制力はある、というわけだな」

 

「ん~?んん?どういうことだ、一刀?」

 

「あ~……例を挙げて簡単に説明するとだな……

 

 ”定軍山”という地に”夏侯淵”が”部隊を率いて向かった”。

 

 未来において『定軍山の戦い』と呼ばれるものがある。そっちでは時期や細かい部分が全く異なっていたんだが、そこは余り関係無いのかも知れない。

 

 ここで重要なのは、その”結果”のみ、ここでも反映されかけていた、という事実だ。

 

 何人かは薄々感付いているのかも知れないが、その結果というのが、『夏侯淵の死』、だった。だが――――」

 

「その実現は止められた。一刀、お前自身の行動によって。そういうことか。

 

 だが……空恐ろしいな、その話は……」

 

「ああ……だから言わなかった、いや、言えなかったし、言いたくも無かった。

 

 …………すまん」

 

やはり何があっても話すべきでは無かったか、との思いから、一刀は謝罪を口にする。

 

しかし、これにいち早く反応した華佗の言葉は、一刀にとっては予想外のものだった。

 

「何を言う、一刀!

 

 確かに衝撃的に過ぎる内容ではあったが、それだけ貴重な情報でもあった。

 

 だが、そうなると一刀が立てた”氣の本質”の仮説というのは?」

 

「そうだな。それは少し前の話と繋がってくるんだが、一言で言えば、『”期待”の体現』ではないかと考えた。

 

 尤も、未来において多岐に渡る分野で展開された『この物語』のどれが強く”期待”されているのかまでは分からないんだがな」

 

「ほう……つまり、例えば俺は『医者である俺』が期待されているのであって、『強い俺』が期待されているわけでは無い。

 

 だから、俺の氣では身体強化の類は成功しなかった、ということか?」

 

「ああ、そうだ。加えて言うなら、華佗に”期待”されているのはまず間違いなく『神医の華佗』だろう。

 

 神懸かった手腕で人々の病気を治療することが出来た、とはよく物語で出て来る話だからな。

 

 とまあそんなわけだから、案外氣と言うものは万能では無い可能性が高いということだ。

 

 氣への過信は逆に自らの足を掬う結果になってしまうだろうな」

 

一刀は自らの仮説をそう言って締め括った。

 

華佗も腕組みをしてうんうんと頷いている様子を見るに、十分に納得しているようだ。

 

ただ一人、鶸だけがどこか腑に落ちないような顔をしていた。

 

暫し何事かを黙考した後、鶸は徐に口を開く。

 

「あの。一刀さんの仮説はお聞きした限りでは確かに正しいように思えます。

 

 ですが一つ、引っ掛かることがあるのです。

 

 五胡の連中の中には極稀に妖術を扱う者がいます。

 

 母様曰く、あれも氣の一種だそうなのですが……あの力もまた、”期待”されてのものなのでしょうか?」

 

「妖術、か……」

 

一刀はポツリとそこだけを繰り返す。

 

これに関しては、実はまだ一刀も考えをまとめ切れていない。

 

だからこそ、飽くまで仮設、と言い張ったのであるが。

 

「正直に言えば、分からない。

 

 未来でも、ここでの妖術に相当するものとして魔法というものがある。だから、有り得ない、とまでは言えない。

 

 ただ、もしもこの魔法が妖術としてこの世界で現れているのならば、きっと将の中にもこれを使える者が出て来るはずなんだ。

 

 が、いない。どこの国にもいない。隠している様子も無い。かと言って、可能性が完全に潰えたわけじゃない。

 

 あまりにややこしくて、どれも検証が実質不可能。だから、分からない、だ」

 

「そうでしたか。すみません、余計なことでした」

 

「いや、そうやって疑問をぶつけてくれた方がこちらも色々と考えられて助かる。

 

 ありがとう、鶸」

 

この鶸の小さな疑問が解消――と言うよりは保留に近かったが――されたことで、ようやくこの緊急の会合は終わりを迎えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからの道中では、このような辛気臭い話はされなかった。

 

 

それぞれが互いの体験談を語ってみたり、知っている物語を語り聞かせて見たり。

 

そんな穏やかで楽し気な日常をのんべんだらりと送っている日々は唐突に終わりを告げる。

 

終焉を運んできた兵が視界に収めていたのは、呉の都・建業なのであった。

 


 
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