No.817944

Aufrecht Vol.9 「鬼と命題」

扇寿堂さん

艶が~る二次小説です。本家とはまったく違った感じの土方になっていますので、閲覧の際はご注意ください。

2015-12-09 10:24:19 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:330   閲覧ユーザー数:330

履物を脱いで土方さんの背中についていくと、この暑さだというのに唐紙を閉めきった部屋があった。洩れ聞こえてくるボソボソとした話し声から、そこにいるのが山南さんと藤堂さんなのだということがわかる。

 

「ここんところの平助は、よく山南さんの部屋に出入りしているみてえだな。」

 

爪先は進行方向をとらえたままにして、土方さんは部屋の前を足早に通り過ぎていった。やっぱり、思うところはあるらしい。

 

「同門ですからね。話しやすいんじゃないですか?」

 

かつての試衛館で近藤さんのもと励んできた彼らは、流派こそ違えど何か深い部分で共鳴し合えるところがあったから今日まで共に歩んでこられたのだと思っている。

しかし、ここへきて微妙に距離をとり始めたのも事実だった。

日頃から裏切り者を探すような目つきでいる土方さんが、そういう心の変化に気づかないはずもない。親しいものほど、厳しい目を持って観察している人なのだ。

 

「同門、ね。」

 

どこか引っかかる口調を残し執務室へと入っていくと、広げられた奉書紙が乱雑に散らばっていた。その数がすごい。見られては困る書状も中にはあるだろうに、混沌としたこの有様を見せられてはさすがの私も見過ごすわけにはいかなかった。

 

「なんですかこれは。誰かに片づけさせればいいのに。」

 

体を折って書類を手で追いやりながら、土方さんは座る場所を確保していく。その手つきがいかにも乱暴だ。普段の彼にあるまじき行為だと思った。

 

「お疲れなんですね。本当にご苦労様です。私なんぞでよければ、お茶でも煎れましょうか?」

 

「いらん。」

 

言いながらドカリと腰を落とし、そのまま無造作に立膝をついて、土方さんは畳をつつき出す。「まあ、座れよ」というわけだ。

指定された場所に、私は大人しく腰を下ろした。なんとなく、部屋の中が墨汁くさい。

 

「具合はもういいのか?」

 

「はい。おかげさまで。土方さんこそ首尾はどうだったんです?」

 

今朝の土方さんもまた、食事に手をつける間もなくせかせかと出かけて行った。行き先はもちろん黒谷だ。先方からの呼び出しではなく、土方さんが自発的に訪ねているらしい。少しでも情報を把握しておきたいという心があるんだろう。もともとせっかちな性格なのに、近頃はそれがますます激しいように思う。

 

「この状況でも、まだグダグダやってるみてぇだよ。上の連中のやることといったら、鈍臭くてかなわん。それでも、まぁなんとか秋の終わりには戦と決まったがな。」

 

「戦…ですか…」

 

つい、暗い気持ちが声に表れてしまったようだ。土方さんが面食らったような顔になっている。

 

「なんだよ。根腐ったような面して。まさか、戦が怖ろしいってんじゃあるめえな。」

 

言ってる本人としては冗談のつもりなんだろうけど、残念ながらそれは冗談で収まる話でもなかった。彼女の本音を聞いてからというもの、とたんに戦が恐ろしくなってしまったのだ。だからと言って、気持ちの変化を素直に告げるわけにもいかない。土方さんになら尚のこと、口が裂けても言えないことだった。

 

「いいえ。はずれ。いつになったら終わるんだろうって。そんなとこですよ。」

 

辟易とした表情をつくり、畳の縁に指を這わせた。溝口に爪をひっかけて、カリカリという音をかき鳴らす。母親が子どものいたずらを止めさせるみたいに、土方さんの手が私の甲を軽く弾いて指が縁から逸れていった。口をへの字に曲げて見上げると、彼は何事もなかったかのように腕組みをし、一度途切れた話の続きを再開させた。

 

「そうだな。機を見るに敏。戦なんてえのは長引くほど不利になる。俺たちみたいな小隊は、特に疲弊が激しい。さっき言いかけたことだがな…」

 

「言いかけたって、いつです?」

 

「平助のことさ。伊東って野郎を江戸から引っ張ってくるんだと。それが、俺としてはどうも気が進まねえのさ。」

 

(そうだろうと思ってましたよ)

 

心の中でほくそ笑んで、渋い顔の土方さんをしげしげと見つめた。伊東さんを撃退するなら、今がそのチャンスかもしれない。

 

「やっぱり土方さんは千里眼をお持ちだ。」

 

初動の段階で援護射撃をしておけば、伊東さんの加盟も白紙になるかもしれない。そう思って大真面目に言ったつもりなのに、土方さんは鼻で笑いながら「そうだろう」と取り合ってはくれなかった。

 

「冗談なんかじゃないんですよ。伊東さんを隊に入れないでください。」

 

身を乗り出して神妙に訴えると、それまで世間話のつもりでいた土方さんも、どういう魂胆かと片眉を吊り上げた。百戦錬磨の土方さんだって、近藤さんと意見が違えてしまうと折れるしかのだ。いけ好かない人間をほぼ無抵抗に迎え入れるほど寛大なお人好しでもないというのに、これじゃあ彼にとって目の上のたんこぶにしかならない。一度たんこぶができてしまうと、それは日に日に大きくなっていくだろう。未然に防ぐことができるなら、それに越したことはないのだから。

「俺だって気に入らねぇよ。だがな、近藤さんがその気になっちまってんだ。ありゃ口車に乗せられてるよ。」

 

「口車って、藤堂さんの?」

 

「ああ。平助が言うには、伊東ってのは深川の道場主で、無念流と北辰の免許持ちときてやがる。おまけに、尊王攘夷の志厚く、国家の行く末を憂いている、というじゃねえか。冗談じゃねえ。今さら尊王攘夷なんぞと薄ら寒いこと言いやがって。尊王ならともかく、攘夷なんぞ方便だろうが。釜が沸騰した頃合いを見計らって、近藤さんを足掛かりに旨い汁を啜ろうってんだろ。どうせ涼しい顔してハッタリをかますような野郎さ。」

 

(まだ会ってもいないのに、よくここまでの悪口が言えたもんだ)

 

彼が伊東さんをよく思っていないのは知っていたけれど、当初からここまで警戒を持っていたなんて知らなかったから驚嘆の色を隠せなかった。まだ会ってもいない人のことを、事前情報だけでよくここまで分析できたなと感心してしまう。しかも、それが間違っていないのだから恐ろしい。土方さんだけは敵に回したくないなと思った。

 

「どう考えても、新選組とは相容れねえ輩だろう。そういや、さっき隊には入れるなと言っていたな。なんだったら、今度の東下について行ってもいいんだぞ?」

 

(まったくこの人ときたら…)

 

土方さんの提案は、ただのズルだ。排斥したいと思うなら、自分の口で堂々と突っぱねればいい。それなのに、わざわざ私を利用して近藤さんの見込み違いを正そうというのだ。

そういう役目を私に押しつけるのは、それこそ見当違いというものだろう。いざ対面したときに伊東さんの鼻を明かすとしたら、そこにいるべきは私ではなく土方さんのはずだ。

 

「何を言ってるんですか。私は行きませんよ。土方さんの代わりに断りを入れてくるなんて、どう考えても割に合わない。それに、この体では…」

 

そこまで言いかけて、はたと気づいた。自然な会話の流れから、うっかり労咳のことを洩らしてしまいそうになっている。言葉を止めた私は言いよどみ、土方さんをそっと窺った。

 

「…だいぶ悪いのか?」

 

ところが、彼の口から放たれたのは詰問ではなく、病態を探るような落ち着き払った返事だった。

この機を長らく待っていたというように、土方さんは睨むのとは違う上目遣いをしている。勘が鋭いのも、ここまでくると厄介だ。

 

(土方さんの考えてることは、あながち外れちゃいない)

 

労咳とまではいかないにしても、何らかの病だと薄々感じてはいるのだろう。耳から血を出したときの態度を見ても、土方さんは何らかの疑いを持っているようだ。

 

(これはもう白状するしかなさそうだな)

 

覚悟を決めた私は居住まいを改め、待ち受ける静かな瞳を見つめ返した。波ひとつ立たない水面のように、土方さんの瞳に感情らしいものは見当たらない。これから石を投げ込むような真似をするのかと思うと、喉が張りついたようにうまく言葉が出なかった。

 

「えっと…」

 

高まる緊張のせいで、喉がカラカラになっている。静かに喉を潤して、丹田に力を込めた。

タイミングとしては不本意だけれど、自ら申告しようと思っていた内容だから、今さらビクビクしたって始まらない。

 

「実は、ずっと前から言おうと思ってたことがあるんです。」

 

「……」

 

返事の代わりに、答えを待つ瞳が頷きを返す。深刻になりつつある会話のときは、きまって言葉数が減るというのを私は知っていた。だから、気負いはない。

 

「私はね、労咳なんですよ。土方さん。」

 

言ったそばから、動悸が激しく胸を打つ。心臓を抜けた鼓動が、手足や脳を強く揺さぶっているような感覚だ。自分を通じて出た言葉なのに、狐につままれた気分になるとはどういうことだろう。自分自身がこんな状態なのだから、土方さんもさぞショックを受けたに違いない。

 

「ああ、知ってたさ。」

 

しかし、彼はまったく動じていなかった。きっと顔に出ていないだけなんだ。そう思いたかった。

 

「そうですか。なんか拍子抜けしちゃうな。これでもずいぶん悩んだんです。」

 

苦い思いを舌で転がしながら、自分の惨めさを苛めるみたいに笑い飛ばす。前に進むために自分のあらゆることを整理しなければと思っていたのに、いざ口にしてみると心にぽっかり穴が空いたみたいに虚しかった。土方さんにもそうあってほしい。そう願っていた私が確かにいた。裏切られた気持ちを感じるのは、たぶんお門違いなのだ。

 

「お前の口から聞かされるのを、俺たちは待っていただけさ。もう、とっくに気づいてたよ。」

 

単調に言葉をつなぐ土方さんは、ここまで来てもやっぱり冷静だった。

 

(勘づいていたってことは、もう当てにされてないってことなのかな…)

 

そう思うと、ますます裏切られたような気持ちが大きくなっていった。以前の私とはまた違った辛さが、今の自分を苛んでいる。

 

「なんだ。みなさんご存知だったんですね。なんでかなぁ…ちょっと騙された気分。」

 

つい憎まれ口を叩いてしまうと、それすらも想定していたというように彼は控え目に溜息をついた。

 

「まったく…餓鬼みてえなことを…。俺たちはお前の意思を尊重しただけだ。口うるさく干渉されるのは嫌だろう? それで、医者は何と言っている?」

 

尊重という言葉は、使い勝手がいい。人の立場を慮るとき、この言葉があれば誰も孤独を感じずに済むし、アイデンティティーが守られるからだ。でも、私にはいまいち響かなかった。響かなかったからと言って、土方さんの態度を裁いたところで何の意味もなさない。それが、虚しさを助長していた。

(こんなものか…)

 

諦観が胸いっぱいに手を拡げ、虚しさが渾々と沁み渡っていく。相手が自分の予想を裏切るとき、あらかじめ気構えができていてもそれは意味をなさない。会話は容赦なく続いていく。とにかく、病状の説明だけでもしなければと思った。

 

「どうだろう? 医者に見せたわけじゃないですからねぇ。咳はたまに出ます。よく熱も出すし。妙な痰も出るようになったかな…肺の腑がこそばゆいような、チクチク刺すような、そんな違和感はあります。手足もだるくて、自分の体の一部なのに、そうじゃないみたいに思うときもある。」

 

病状を振り返りつつ喋り始めると、感情の温度は底を目がけて下がっていった。自分のことなのに他人事のような乖離した感情が、どことも知れないところに流れては煙のように消えていく。

 

「もういい。だいたい分かった。」

 

止められなければ、思いつく限りのことを延々と垂れ流してしまいそうだった。そういう精神の脆さを土方さんは受け入れない。傷をなめ合ったり、一緒に泣いたりすることを嫌う人だ。情にほだされたり感傷に浸っていると、現実を正しく認識できないばかりか、判断を誤るおそれがあるからだった。

土方さんがこうも非情に見えてしまうのは、現実をありのままに直視しているせいだろう。

実際のところ、彼ほど労咳を身近に知る者はいなかった。

 

(私なんかよりもずっと、労咳の怖ろしさを知っている)

 

両親を労咳で亡くしている土方さんとしては、死を受け入れる側の歯がゆさというものを存分に味わったことだろう。

多くの兄姉に囲まれて育った彼の人生にも、お姉さんやお兄さんを続けて失うという不幸があった。土方さんにとっての「死」は、いつでも隣に居座っているような身近なものなのかもしれない。

 

――人はいつか死ぬ。遅いか早いかだけの違いだ。

――俺ァ思うんだが、人ってえのは死に向かって生きてるんじゃねえのか?

――だったら、死に様を決めるのは生き様を生むのと同じだろう?

 

今頃土方さんの頭の中は、現実的な問題で埋め尽くされていることだろう。つまり、残り時間を算出することくらい、彼にとってはどうということもないのだ。許された時間の中で、周りがどう付き合っていくか。きっと、そういうところまで思考を費やしているに違いなかった。

 

(冷たいわけじゃない…私の現実と向き合ってくれてるんだ)

 

顔を背けたり耳を塞いだりせず、真正面から向き合ってくれている。土方さんの誠実な態度に、私は感謝を抱き始めていた。

 

「会津から医者を紹介してもらう。それまでは、これを飲んでおけ。」

 

文机の引き出しをおもむろに開け、奥の方をまさぐった土方さんは、見覚えのある薬包を差し出した。

土方家伝来の「虚労散薬」というやつだ。

条件反射なのか、ヒクヒクと頬が引きつりだす。

 

「…遠慮させていただきます。」

 

都合の悪いものを押しつけられたみたいに弱々しく告げて、私は無意識に体を後退させていた。それを捕らえた土方さんの目が、さも不機嫌そうに細められていく。

 

「馬鹿にしてるだろう? こいつの効き目は、俺が保証する。飲め。」

 

ずいっと胸もとに押しつけられた方は、拒否権がないのだからたまったもんじゃない。

 

「土方さんが保証するといっても、ぜんぜん説得力がないじゃないですかぁ。」

 

唇を尖らせて反論するものの、有無を言わせずという目で強要され、渋々と受け取るしかない私であった。

 

「とりあえずは貰っておきますけどね…」

 

「とりあえずとはなんだ」という声を受け流し、懐に押し込みながら土方さんを見た。視線を止めた彼の眸が、凜然としたままで私を見据えている。

 

「実は、もうひとつ聞いてもらいたい話があるんです。」

 

労咳の告白は前置きだ。ここからが本題になる。

 

「忙しい奴だな。言ってみろ。」

 

呆れたように言う傍で、彼はにわかに警戒のようなものを見せ始めた。本人は気づいていないだろうけど、顔面が力んでいるのがわかる。いつもなら笑って茶化しているところだけど、今回はそういうわけにもいかなかった。伝染したみたいに私の顔もこわばってしまう。それでも黙っているわけにはいかなかった。

 

「私を一番隊の隊長から外してもらえませんか?」

 

深刻さも軽薄さもなく、胸の内にある思いをまっすぐに伝えると、反応は間髪入れずに戻ってきた。

 

「なに?」

 

めったなことでは感情を表に出さない土方さんも、隊のこととなると話は別だった。もしかすると、初めて彼の逆鱗に触れるようなことを私は言ったかもしれない。

 

(ただじゃ済まないだろうな…)

 

罵倒されることを覚悟して息を詰めた。でも、土方さんは声を荒げて喚くなんてことはしなかった。続く言葉は降ってこない。物言わぬ瞳には「なぜこうも煩わせるんだ」という苛立ちが見てとれる。

驚愕、焦燥、失望…そのどれとも関わりのない反応は、私の予測を物の見事に外していた。

(近藤さんだったら、明らかに狼狽してるところだけど…)

 

相手がもし土方さんじゃなかったら、ここまで自制の効いた対応は望めなかっただろう。

申し出が受け入れられるかはともかくとして、最初に打ち明けられたのが土方さんで良かったなと思う。

 

「…私は、もう足手まといなんです。ですから、この機に第一線から退いて、療養させていただきたいんです。」

 

「征長は?」

 

「今回は見送ります。一回で片がつくような相手ではありませんし。」

 

そう断言した末、言葉の綾にぎくりとした。

 

(含みを持たせる言い方をしてしまった)

 

こんな言い訳をすれば、いずれは出陣すると確約するようなものだ。どうやら、土方さんの搦め手にはまったらしい。

 

「ほう。ずいぶんと連中を買ってるみてえだな。かく言う俺も、前の戦でそう感じたよ。ぐうの音も出ねえほど叩きのめしたってぇのに、連中はまだ諦めちゃいねぇ。何度でも起ち上がり向かってくるだろうからな。」

 

長州のしぶとさを褒め称えるように、土方さんは好戦的な目をして愉しそうに言う。水を差すのも悪いかなと思い、そのまま調子を合わせることにした。

 

「はい。長州はしぶといし、我々が考えているよりもずっと狡賢いんですよ。想像だにしない手を使って、幕府を潰しにかかるでしょう。」

 

「総司にしちゃあ、ずいぶんと熱心じゃねえか。先を読んでるみてえな口ぶりだな。誰に吹き込まれた? 山南か? それとも妓か?」

 

(どうしてそういう話になるんだ?)

 

話は思わぬ方向へと逸れていった。

土方さんが何らかの疑惑を持っていたのは気づいていたけれど、まさかこんなに根も葉もない疑いをかけられているとは思わなかった。開いた口が塞がらない。

 

「何か誤解をしてらっしゃるようだ。」

 

じんと痺れる頭でそう告げると、土方さんは騙されないぞというしたたかさで切れ長の目をいっそう鋭くした。

 

「まぁいい。いずれ片をつけてやる。で?」

 

「で? と言われましても…」

 

「んだから、お前だったら、どう返り討ちにするのかって聞いてんだ。」

 

(なんだ…話を蒸し返したのかと思った)

 

今日の土方さんは、らしくないと思う。自分主導で話題をすり替えたり、疑問を投げかけておきながら、こちらの言い分などまるで意に介さない。極めつけは、根拠なき妄信だ。

 

(どうかしてる)

 

いつもなら考えの方向性がわかるのに、今日の土方さんは心情がまったく読めなかった。ただ、苛立っていることだけはハッキリしているのだけど。

 

(昨日山南さんと話し込んでたことが気に入らないのかな?)

(片をつけるとはまったく物騒なことを言うもんだ)

 

山南さんに近づくことへの牽制ともとれるけれど、土方さんは思想に対して干渉してくるタイプではないし、自分以外の誰かに懐いたところで妬んだりすることもなかった。昔から理路整然とした話し方をする人なのに、感情を押し殺しているように見えるのは気のせいじゃないと思う。

 

「自分には関わりのない話だ。そう思ってやがるな。」

 

言葉の棘が、私の思考を茨のように取り囲む。やや感情的なのと同時に、土方さんはしつこかった。

 

「そんなことありませんよ。長州をどう討つかを知りたいんでしょう? そんなのはもう決まってます。薩摩のことは土方さんもご存知のはずだ。」

 

「…銃か…それも、新式の…」

 

別の懸念に思考がはまったのか、彼は頬杖をつきながら気難しい顔をしていた。私たちが西洋式訓練に切り替えるのは、もう少し先の話になる。西洋式軍備がいかに歴史を左右するのか、このとき彼の脳裡にはそうした展望がしっかりと組み込まれていたのだろう。諸藩よりも先回りをして、新式の銃を手に入れたいというのが土方さんの考えだった。

 

「総司の口から銃の話が出るなんてな。同じ話を近藤さんに振ろうものなら、あからさまに嫌な顔をされてるところだ。」

 

土方さんは一瞬苦い笑いを浮かべた後、眉の間に二指を当てて瞼を伏せた。一拍を置くわずかな間に足を組み替えて、とっておきの秘策でも打ち明けるみたいに声のトーンが低くなる。

 

「これは新選組の、というよりは、俺個人の希望だが、すでに会津へ提出してきた。」

 

提出とは、西洋式軍備に切り替えるための建白書を立てたということだ。

旧式のゲベールではなく、連射式のスペンサーに目をつけた土方さんは、目下それを手に入れることに情熱を傾けているといっても過言ではなかった。しかし、フランスが後ろ盾となっている以上、運よく手に入れたとしてもせいぜいミエネー銃というところだろう。

ともあれ、彼は銃そのものに憧れてるわけじゃなく、生き残りを懸けて何としても手に入れたいと思っているのだ。刀と銃とが争えば、どちらが優勢かは前の戦が証明している。蜂の巣にされておしまいだ。

「刀や槍の時代は終わり、だと?」

 

「総司が言うと妙な感じはするが、いつまでも旧式にしがみついてると遅れをとる。人の考えなんざお構いなしに、時代は急激に動いてるんだ。俺たちにとっちゃ嬉しくない世の中かもしれねぇが、時代の風を受け入れたんだとすりゃ、総司もなかなかに見所があるじゃねえか。」

 

「受け入れたかどうかは、また別の話ですがね。」

 

そんなことで評価されてもうれしくないと思った。それよりも、土方さんが喜色を浮かべる理由がわからない。第一、この会話がどこへ向かおうとしているのかすらわからなかった。

 

「まあ、いい。聞けよ。俺たちは、新式の銃を新調する。幕兵が使ってるような旧式は、弾込めに時間がかかるし、何より飛距離が弱い。もし新式を手に入れることができたら、軍の編成を改める。西洋式の調練を取り入れ、徹底的に体で覚えさせる。言ってみれば、俺たちは将棋の駒でいう、ト金だ。元々は歩じゃあるが、戦い方や扱う武具によっては、戦を有利に持っていける。始まっちまったら、戦に待ったはかけられねえ。故に、その差はでかい。」

 

喧嘩師の血が騒いでしまったんだろうか。土方さんの眸に焔のようなものが宿っている。戦略を他人へ披露するときは、理論的に語るのが土方さんの常だったけど、相手が私ひとりということもあってか、いつになく力説しているように感じた。挑むような視線の先に、空想で象られた戦地を設け、それが土方さんの思考と連動して蠢いているような気さえする。

 

「さすが土方さんだ。でも、そう簡単に銃が回ってきますかね? ただでさえ、戦はお金がかかりますし、会津は国許が荒れてると聞きましたよ? 出し渋る可能性も…」

 

「なんとしても手に入れるさ。お前を外すなんて考えは、俺たちには毛ほどもねえのよ。銃ってのは楽なもんだ。肩に担いで絞るだけでいい。」

 

自信にみなぎる口調が、清々しいほど潔くその懸念を斬り捨てた。土方さんの論調は揺るぎがない。ある意味それは正義であり、不動の信念だった。

 

「もしかして、それを言うためにこんな長ったらしい前置きが必要だったんですか? 私はてっきり無視されてるのかと思いましたよ。」

 

張り詰めた神経が一気にゆるむように、重く長い溜息が絡まる糸のように唇を滑り落ちていく。そのまま虚脱感に任せていると、発熱のときと同様に頭の芯がぼうっとした。思考がまとまらなくて、何を話していたのかすら忘れてしまいそうになる。

 

「許可しないと言えば、お前は納得しないだろう。結論だけを言って終いにするとでも思ったか?」

 

「要するに、隊長を辞めさせていただくことはできないとそうおっしゃるんですね?」

 

「お前は死ぬ寸前まで一番隊の頭だ。勝手に退くことは許さん。」

 

(横暴すぎやしないか)

 

そういう反感はあったけれど、志を曲げてしまったのは私の方だから何も言えなかった。

誠の旗の下に集い、今こそ忠義を貫け――そう誓い合った者たちの中に、当然私の姿もあったからだ。

 

(第三者が考えるよりも、あの誓いには重みがある)

 

本来、武人というのはそういうものなのかもしれない。私たちはもう京の治安を守るだけの部隊ではなくなってきている。謂わば、徳川家を死守するための軍隊に化けてしまったのだ。

 

「心配すんな。俺の馬に乗せてやる。なんだったら、俺は歩いてもいい。」

 

聞く耳を持たない土方さんというのは過去に何度かあったけれど、強権的でいてここまで無神経なのは初めてじゃないだろうか。

 

(一巡目とはまるで別人だ)

 

思い返してみると、労咳になっても戦おうとする私に、かつての土方さんはかなり手を焼いていた。何かと理由をつけて務めを果たそうとする私に、その都度叱り飛ばして監視をしなければならなかったからだ。彼は一度だって戦うのを命じたことはない。たとえ人員が足りていなくても、欠員補助として叩き出されることもなかった。毎朝毎晩決まり文句のように、養生しろと説得されてきた。

それが、今はどうだろう。

戦うのを止めたいという私に、土方さんは戦えと露骨に命じている。

もし、運命というものを神が操っているんだとしたら、私たちの感情も入れ違うように逆転させてしまったんだろうか。

 

「土方さん。私はもう…」

 

どこでどう入れ違ったのかわからなかったけれど、彼の云う絶対的な法を覆すのが辛かった。私だけを逸れさせてはいけないのだと、そんな信念すら窺えるからだ。

 

「安心しろ。その日が来るまでは、しっかり養生してもらうからな。いざってときのために、力を蓄えておくんだ。いいな?」

 

有無を言わせぬ響きには、反論の余地すら与えないというある種の支配に覆われていた。水底に沈められたような苦痛の中で、私はただぼんやりと言葉の意味を反芻する。

 

「ふざけるなって面をしているな。不本意か?」

 

ふと投げかけられた言葉に、頭のてっぺんがカッとなる。どうして今さらそんなことと思いつつも、怒りが沸々とたぎってしまい反論せずにはいられなかった。

 

「当たり前でしょうに! 土方さんがそこまでの冷血漢だとは思いませんでしたよ。」

声を荒げながらも、頭の片隅で本当の「鬼」とはどういう生き物かを想像していた。

土方さんは、なぜ鬼になりたがるのか。人間は自分の評価を気にする生き物だ。誰しもみんなに好かれたいと思う。自分から嫌われようとするのは、ひねくれたつむじ曲がりだ。土方さんにはお似合いかもしれないけど、彼だって人となりを理解されないのは辛いに違いない。

きっと、鬼に徹しなければならない使命感のようなものがあるんだと思う。その発端というか、きっかけは誰も知らない。

知りたいと思っても、土方さんは絶対に教えてくれないだろう。でも、いつか知りたいと思っている。話してくれる日を私は心待ちにしているのだ。

 

「姉さんに言われたよ。万が一のことがあったときには、父親の名に恥じない立派な最期にしてほしいとな。百姓の倅に頭垂れて、切々と頼み込むもんだから、俺も近藤さんもそりゃ恐縮したさ。」

 

突然切り出された姉の話に、私は驚きを隠せなかった。労咳を盾にとって戦うことを諦めようとしている私に、あえて非情なふりをして武士としての誇りを守らせようとしていただけに思えたから。

 

「そんなことが…知らなかったなぁ。」

 

武州の頃の記憶に思いを馳せながら、執拗に繰り返す姉の口癖を思い出した。

 

――あなたは、沖田家を継ぐ正統な嫡男です

――お父上の名を穢すことのないように、日々励まなければなりませんよ

 

幼少のことから堅苦しいことを言われ続け、その科白は耳にたこが出来るくらいくどくどと繰り返された。姉の思いは弟である私をも通り越して、近藤さんや土方さんにまで及んでいたらしい。そこまでの強い思いを、どうして重たく受け止めてこなかったんだろう。毎度口うるさいことだと軽くあしらって、姉の気持ちを大切にしてあげられなかった自分を悔やんだが、詫びたい相手は遠く離れた多摩にいる。

 

「総司。お前が何を考えてるのかは知らねえが、武士として生まれたからには武士たる生き様を残さなけりゃならねえよ。」

 

武士は生まれてからもずっと武士で、死ぬ寸前まで武士であり続けなければならない。そんな分かりきったことを自分の欲望だけで簡単に覆せると思った私は、剣士として未熟であると同時に、沖田家の嫡男としても自覚が足りなかったのだと痛感した。

 

「散るとすりゃあ、戦場以外にありはしねぇ。違うか?」

 

私たちはもう浪人ではない。着実に武功を挙げ、新選組の名を世に知らしめてきた。我々は武士であると、世間に認めさせたわけだから。表舞台は輝かしい武勇に縁どられていたけれど、その裏で奔走してきたのは土方さんだった。彼を衝き動かしてきたものとは、並々ならぬ野望と出自に裏打ちされた執念だ。

幼い頃から武士に憧れを抱き、生まれの差を問い続けてきた土方さんにしてみれば、武士という身分を放棄しようとする者を阻止しないはずがないのだ。

 

(武士であることは、自分だけの問題じゃない)

 

先祖代々受け継がれてきた重みと、親兄弟に対する責任がある。国家の大事に働いてこその武士なのだ。

 

「…もう、ずっと刀を握ってない。空白があるんです。5、6年になるかな…」

 

ポツリともの悲しげに呟くと、土方さんは虚をつかれたように瞬いた。

 

「なんの話だよ?」

 

つい縋るような目になって彼を見た。別の誰かがいるのに気づいたのは、ちょうどそんなときだった。襖越しに人の気配がする。動きを止めた土方さんの眉が、険しさの中で山を描く。

 

「誰だ。」

 

すうっと流した視線の先に、濃い気配がもそもそと動いている。その人は気後れすることもなく、リラックスした様子で自らを名乗った。

 

「永倉ですよ。入っても?」

 

元来酒好きの彼の声は、節々がしわがれたようにかすれていた。音自体が太いから聴きとりにくいということはないのだけれど、個性的なこともあってすぐにその人と分かってしまうのだ。

 

「ああ。構わない。」

 

屈強な肩を揺らし、予想どおりだという頷きを見せながら永倉さんがやってきた。

彼の登場に、安堵している自分がいる。

 

「総司もいるって聞いたもんでね。話し中、失礼した。」

 

土方さんと私のちょうど間をとるようにして、作法も無頓着に彼はドカリと腰を落ち着けた。刀は差していない。二本とも自室なのだろう。

 

「いや、いい。その分だと、俺ではなく総司に用があるんだろ?」

 

「そのようだ。それで、一体どのような用件でしょう?」

 

永倉さんが混じることで場の空気が軽くなり、私の声も自然と明るいものに変わっていた。

 

「具合はどうなのかと思ってよ。」

 

窺うように見上げる彼の目には、労りとは違う何かが混じっている気がした。もちろん労わりも感じられるけど、どちらかといえば探るような目つきに似ている。私が思う違和感の答えは、土方さんの発言で明らかになった。

 

「わざわざそんなことのために来たんじゃあるめぇ。はっきり言ってやらなけりゃ、こいつには通じねえよ。」

 

(話が見えない)

 

永倉さんが言おうとしていることを、土方さんはすでに知っているかのような口ぶりだった。もしかすると、事前に口裏を合わせていたのかもしれない。

「一体なんの話です? お二人は以心伝心みたいですけど。」

 

「阿呆。お前が鈍いんだろうが。」

 

(鈍いって言われても…)

 

困り果てて永倉さんを見ると、彼は曖昧な笑みを返して口を開いた。

 

「だな。んなら、遠慮なく言わせてもらおう。出歩けるようになったんなら、元のように巡邏に出ちゃくんねえか?」

 

(なんだ…そういうことか)

(悩んで損した)

 

途方もない難題を突きつけられるのかと思いきや、永倉さんの要求はいたって普通の話だった。とはいえ、今の自分にとっては都合が悪い。さっきまで役職を退くという話をしていたのだから、巡邏に復帰することは筋が通らなくなってしまうからだ。

 

「ええ…まぁ、そのうち…」

 

この場で否と言うわけにもいかず、かと言って承諾もできない話なので、何と答えていいのかも分からなかった。当然ながら、永倉さんは快く思わない。竹を二つに割ったような性格で、こういうどっちつかずの受け答えを厭う。予想どおり、彼はムッと額を寄せて不満を募らせていた。

 

「なんだよ。煮え切らねぇな。」

 

「総司は知らねぇのさ。あれ以来、ずっとこもりっきりだったからな。」

 

事の成り行きを見守っていた土方さんが、俯瞰的な物の言い方をして永倉さんへと目配せをする。その視線のやりとりに、妙な胸騒ぎがした。

 

「何が起こってるっていうんです?」

 

市中で何かが起こっているんだとすれば、私としても無関係でいるというわけにはいかなかった。間接的であっても、星さんの身に危険があるんだとしたら、放って置くわけにはいかないからだ。

 

「前みてぇな斬り合いは少なくなったが、押し込み強盗が流行ってんだ。そんなのは番所の仕事だって思うかもしれねぇが、タチの悪い残党が紛れてるもんだからよ。いざってときは俺たちが駆けつけて始末をつけなきゃなんねぇのさ。毎回ってわけじゃねえけど、二隊を連れて走り回るのは正直言って骨が折れる。」

 

体調が思わしくないときは、永倉さんが隊の面倒を見てくれている。私が預かっている隊士たちは皆生え抜きで、別名「斬り込み隊」と呼ばれていた。後に「一番隊」と呼ばれることになるが、今はその前身として職務に準じている。

彼らの才覚を正しく発揮させるには、それぞれの力量を把握するのはもちろんのこと、咄嗟の判断で的確な指示を出さなければならない。そして、場数を踏んでいるということも条件に加える必要があった。抜刀して斬りかかってくれば、他者にかまけていられなくなるし、生死を分けるのは一瞬の差ということになる。私と互角の技量を持つ者でなければ務まらない。永倉さんに白羽の矢が立つのは当たり前だった。

そうして私がいない間の穴を埋めるべく、彼の仕事量は二倍に増え、次第に大きな負担となっていった。申し訳ないと思いつつも、気のいい永倉さんに甘えすぎて、私の日常は職務という認識から大きく離れてしまったのだ。

 

「街はそんなに荒れてるんですか…」

 

「ああ。長州が引っ掻き回したってぇのもあるが、火事が尾を引いてるよ。路頭に迷っちまった連中は、そりゃもう生きるために必死だ。極限まで追い詰められた人間てぇのは、何をしでかすか分かったもんじゃねえ。」

 

戦で何もかも失った人たちを責めることはできない。言ってみれば、彼らは犠牲者だ。京が平和であったなら、他人に危害を加えるようなことはしないはずだ。平和だからこそ、最低限の治安は守られる。治安の悪化は、不満の表れだ。彼らは我慢の限界なのかもしれない。戦に対するやりきれない思いが爆発し、いつ暴徒化してもおかしくはないと思った。

そうなると、また私たちが出ていかなければならなくなる。戦と暴動の鎮圧ではまるで意味が違う。いくら職務から遠のきたいと思っても、市民の暴動を前に引っ込んでいるというわけにはいかないだろう。

 

「私の隊を引き受けていただいたこと、本当に感謝しています。永倉さんの誠意に報いるためには、やっぱり話しておいた方が良さそうですね。」

 

たぶん永倉さんは、私の病状を知らない。知らないからこそ頼りに思ってくれているのだ。復帰を心待ちにしてくれるのはありがたいことだけど、残念ながら今の心情ではその期待に応えられなかった。

 

(自分の意思に関係なく物事が進んでしまう、か…)

 

いつか彼女の言っていた科白が、こんなにも早く現実化するなんて少しでも想像しただろうか。この世界の仕組みというのは、物事を認識した時点で現実になるらしい。そういう学説があったのを急に思い出した。

 

「ァあん? 何のことだよ。」

 

永倉さんは大きく姿勢を崩しながら、まるで賭場にでもいるような格好になっていた。前屈みにこちらを見上げるものだから、なんだか威嚇されているような気がしてならない。

長年染みついた悪習だから、本人にしてみれば他意はないのだろうけど、私的な対話の中にそれを持ち出されると、あと一歩踏み込んだ話をするのが憚られるのだった。

 

「総司が白状した。」

 

そうやって気の迷いを見せているうちに、土方さんはさっそく焦れたのか話に割り込んできた。

 

(なっ…?)

 

咄嗟の言動に思考が停止してしまい、気づいた頃はもう次の段階に進んでいた。永倉さんの声がやけに響く。

「本当か?」

 

見瞠かれていく目が、驚きの中で私を捕らえている。その驚愕は頂点に達し、声を奪いながら急速に萎んでいった。永倉さんの口もとが、一文字に引き結ばれていく。感情が着地点を見つけたとき、彼の目には明らかな憐れみがこもっていた。

 

(可哀想だって目で見られるのが一番嫌なんだよ)

 

予想外のことにたじろいでしまった私は、勝手に暴露した土方さんに掴みかかっていた。抗議をする自分の声が、湿り気を帯びている。それでも構わずに、近距離にある端正な顔を睨んだ。

 

「土方さん! なんで先に言うんですか!」

 

「誰が言おうと大差ないだろう。事実は事実だ。それに、まだ労咳とは言ってねえ。」

 

「言ってるじゃないですか!」

 

「今言った。」

 

しれっと言い放った彼の態度に、私はムカムカと込み上げるものを歯噛みした。絶対にわざとだと思う。どうしてこう意地が悪いんだと泣きたい気持ちだった。

 

「おいおい…お前さん方。深刻な話をしてるんじゃあなかったのかよ。」

 

奥歯を噛んで怒りに耐える私を見て、永倉さんはやれやれという呆れ顔をしていた。土方さんは相変わらず淡々としていて、余計なことをしたという反省も見られない。

 

「だって土方さんが…」

 

「俺のせいにするな。それに、さほど深刻でもない。まだ医者に見せちゃいねえんだからな。診断が覆る可能性だってあんだろ。」

 

「どうだか…」

 

医者に見せたところで、診断は変わらない。それは自分が一番よくわかっている。否定したいのは周りの方なのだ。土方さんのごまかしなんて、一時の気休めにしかならない。その気休めが泡沫の希望を生むのだとしたら、それはとても罪なことだと思った。

 

「そうか…そうだな! そうだろうよ! おい、総司。気を落とすんじゃねえよ。まだ分からないじゃねえか。」

 

これと言って思い詰めているわけでもないのに、永倉さんは激励の言葉を重ねながら私の肩をバシバシ叩く。他人の励ましというのは本来ありがたいものだけれど、この状況ではとてもそんなふうに思えなかった。そう日の経たないうちに彼をガッカリさせてしまうのかと思うと、途端に申し訳ない気持ちになるのだった。

 

「そう言われましても…」

 

(土方さんが余計なことを言うからだ)

 

ぬか喜びする永倉さんを尻目に、どう責任をとるのかというように土方さんを睨む。本人は罪の意識すら感じていない様子だった。

 

(どういうつもりなんだろう?)

 

何か思惑があるのかと疑ってみるけれど、土方さんの顔からはそれらしいことが読みとれない。

私たちの間に微妙な空気が流れる中、突然すくっと立ち上がった永倉さんは、場を持て余した挙句に竹刀を振る真似をし始めた。

 

「こんなときはアレだ! 汗を流して嫌なことは忘れるこった。どうだい? 一丁俺とやるか?」

 

以前の私なら、二つ返事で乗っていただろう。でも、事情が変わってしまった。

 

「え? …どうだろう…まだ本調子じゃないから…」

 

「いいじゃねえか。軽く振ってこい。」

 

戸惑いながら動けないでいる私に、じっと見守っていた土方さんは、先を見通したような目で薄ら笑いを浮かべていた。当然、永倉さんはそれに気づくはずもなく、意気揚々とした仕草で袖を捲り上げている。

 

「よっしゃ! 軽く慣らしに行こうぜ!」

 

(はりきってるなぁ)

 

屈託ない笑みを浮かべる永倉さんに、悪意などあるはずがなかった。彼はただ励まそうとしているだけなのだ。この流れに意図があるとすれば、それは紛れもなく土方さんの方にある。

 

(試されてるんだろうか?)

 

そういう巧緻なやり方に反撥を覚えながら、きっぱりとした態度でかぶりを振った。

 

「すみません。やっぱり気乗りしないんで、日を改めましょう。そのときは、必ず私から誘いますから。」

 

そう言い置いて、私は遁げるようにその場を去った。

永倉さんはどう思ったか知らないけど、土方さんへの仕返しくらいにはなったんじゃないかと思う。

 

「あっ! …ったく、しょうがねえなぁ。」

 

意表を突かれたというような永倉さんの声が、閉ざした部屋の内側から洩れ聞こえてくる。土方さんは引きとめようとしなかった。

なんとなく背を絡めとるような視線を感じたのは、気のせいではないだろう。

その視線に追い立てられるように、私の足は廊下を急いでいた。


 
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