No.803343

「RESISTANCE TO FATE」

蓮城美月さん

戦時中、戦後のそれぞれの物語。
ムウ×マリュー / シン×ステラ / アーサー×タリア / アスラン×ミーア / シン&カガリ / イザーク&ディアッカ / キラ×フレイ
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B6判 / 086P / \200
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2015-09-20 22:01:26 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1140   閲覧ユーザー数:1139

◆CONTENT◆

 

【 ムウ×マリュー 】

未来の約束

【 シン×ステラ 】

Second Impression

Fated Encounter

Return to Pain

Missing Piece

【 アーサー×タリア 】

Arthur's Despondency

Talia's Decision

【 アスラン×ミーア 】

Imitation Girl

【 シン&カガリ 】

Revolution of Destiny

【 イザーク&ディアッカ 】

Trust Being

【 SEED STORY 】

風花

終わらない心

忘却の彼方

 

未来(あした)の約束

 

「――――助けて、ネオ!」

切り裂くような悲鳴に、彼は灰色の世界で目を覚ました。音のない世界。廃墟の街は焔さえ色を失くし、冷たく燃え盛っている。ここがどこであるか、彼にはすぐさま理解できた。自分たちが蹂躙し、そこに住む人々からすべてを奪った街――――ベルリン。

ありふれた、けれどかけがえのないもの。彼らの日常を、平和を、住む家を、生命までも、自分たちは容赦なく踏み潰した。日々のしあわせも、大切な人も、青く広がった空も。ほんの一握りの狂信者のために与えられた犠牲はあまりにも甚大すぎて、黒い軍服をまとった彼は漆黒のモビルスーツの前に立ち尽くす。破壊の名を持つその機体は、各所に攻撃を受けて今にも倒れそうだ。

「ネオ、どこ? 怖い…助けて」

コックピットの少女は、一番怖いものの恐怖に怯えながら彼を呼ぶ。そのときすでに、彼の駆る機体はフリーダムに撃墜されていた。そうと知っていても、少女が縋れるものは仮面の上司しかいなかったから。やがて巨大なモビルスーツは閃光を放ちながら崩れていく。

「ステラ!」

アークエンジェルに収容されたあと、テレビのニュースで見た場面。けれどこのビジョンは、そのとき以上に彼の胸を鋭くえぐった。同時に、彼が見たはずもない光景が映し出される。アウルとスティング、二人の少年の最期が。

「…なんだ、これ?」

アウルは浸水したコックピットで漂う紅いものを怪訝そうに眺め、

「ハハハハ、オレはッ!」

とうに正気を失っているスティングは、血走った眼で狂い笑っていた。三人の悲痛な声が、耐え切れなくなるような絶叫が、彼の心を締めつける。

軍という戦争社会の中にあっては、戦闘マシーンとして――――モビルスーツの部品のひとつとしてしか扱われなかった彼らの、人間としての感情。三人を戦場に立たせ、殺戮を命じてきたのは間違いなく自分だ。どういう事情があったにせよ、その責から逃れることはできない。

彼らが奪った生命に対してどう贖うことも叶わないけれど、それでも彼らの生命が喪われたこともまた、哀しいことである。あの三人の喪失を自分が嘆くことを、どうか赦してほしいと思う。すべての罪の償いは、これからの自分が背負って生きていくから。

果てなく続いていく世界に、課せられた罰を甘受して生きる。生き続ける。それ以外に、なにができるというのだろう。喪われた生命は二度と同じ形では還ってこない。そうと知りながら人は、愚かにも悲劇を繰り返すのだ。

自分の感情を押し殺してきた仮面が、重く冷たく顔を覆っていた。当時の己には、ああすることしかできなかったと言い訳をしてみても、すべてを取り戻した現在、終わりのない痛苦が彼の精神を蝕んでいる。心肺機能を圧迫するような息苦しさに、生き苦しさが重なって窒息しそうだ。

世界はまだ、彼らに誇れるような世界じゃない。彼らの生命を失わせてまで、戦って選び得た結果としての世界は、だれもが優しく互いを望み合える世界ではない。それが耐え切れなくて、心苦しくて、罪悪感に苛まれる。何のために自分は生きているのか、生き残ったのか。

勝ち取った世界に訪れるはずの平和は、いまだ明瞭な形を見せていない。不穏の種は絶えず、芽を出す前に断ち切る連鎖の繰り返し。終焉がやって来るのかも分からない、輪舞を踊っているようなものだ。それがやるせなく思えても、果てない混沌に虚しさを覚えても、失望してはいけない。途中で世界を捨ててはいけない。そんなことをしたら、また元の世界へ逆戻りしてしまうから。

決して無意味などではない、いつか得られるだろう真実の平和を。その日のために、自分たちが世界を諦めるわけにはいかないのだ。それこそが生き残った自分に、今生きている人間にできること。もう二度と、彼らのような子どもを生み出さないこと。彼らが笑い合って暮らせるような、優しい世界になるまで戦うのが、与えられた使命であり――――きっと罰だ。

 

「――――ウ……ムウ」

やわらかい声に揺すり起こされ、彼はゆっくりと目を開ける。意識が覚醒すると同時に、コーヒーの香ばしい匂いが嗅覚に漂った。取り戻した現実に引き戻され、ひどく安心する。囚われそうになるのは、決して逃れられない過去の夢。負の感情に同調すると、精神が引きずられて抜け出せなくなりそうだ。そんな夢を断ち切ってくれる、無意識の不安から自分を解いてくれるのは…。

「コーヒー、入ったわよ」

彼女は湯気が上がるカップをテーブルに置きながら、直前に過ぎった表情を微笑みに変える。彼には決して見せたくない、心配そうな面持ち。苦衷を浮かべてうなされていた姿を見て、とっさに起こしてしまった。心の片隅にある、消えようのない不安に負けて。

彼がこちら側に戻ってきたときから、彼のことを信じている。そのことに迷いはない。けれど揺るぎないかといえば、皆無とは言い切れず。彼が連合軍でしてきたこと、それらのすべてを世界が許してくれるとは限らない。そして彼自身も自分を赦してはおらず、心の奥深くに葛藤がある。

向こう側へ引き込まれそうな彼の存在。目に見えないものが忍び寄って、暗闇に囚われそうになる。そんな彼を救えるのは自分だけだ。引き止めるのは自分の役目。なにがあっても彼の精神を守って、こちら側に引き止める。それが彼女なりの、大切なものを失わないための決意だった。

「ああ」

彼女の優しい笑みに、彼は張りつめた思考を緩ませる。横になっていたソファから身体を起こすと、窓から心地よい風が部屋を通り過ぎた。四角い木枠を隔てた先には、昼下がりの陽射しがまぶしく、穏やかな楽園の景色。白い砂浜、青くきらめいている海、その美しい世界。これが現実であり、自分の生きている世界だと改めて実感する。

夢の中で会った三人が今の自分を見たら、どう思うだろう。それよりも、この景色の中に三人の姿があってくれたら…。いきなり親になれはしないだろうけれど、それなりに楽しく暮らせたかもしれない。不意に脳裏に浮かんだ空想に、苦い笑みがこみ上げた。正面のソファにかけた彼女は、怪訝そうな眼差しで彼を伺う。

「どうしたの?」

問われたとき、彼の中で氷解した想いがあった。これまで、自分が『ネオ・ロアノーク』として生きていたときのことは語らずにいた。もちろん、彼女もアークエンジェルに乗って戦場にいたのだから、連合軍の実行行為については客観的に知っているだろう。しかし、彼個人に関することはなにも告げたことはない。彼女に負の記憶を共有させたくないから、話さないと決めていた。

けれど――――『ネオ』も自分なのだ。たしかに自らの一部である。それは否定できない。自分のどこかにある『ネオ』の影、彼にその存在は殺せないのだ。ならば存在を認め、この先もずっと一緒に生きていくしかない。そして知らぬうちに不安を与えていた彼女にも、知っていてほしいと思う。彼はコーヒーを口に運んだあと、切り出した。

「……夢を、見ていたんだ」

「どんな?」

いつになく神妙な声色に対し、彼女は温容に続きを促す。

「連合軍にいたとき、直属の部下として三人の子どもがいた。コーディネーターに対し、能力で劣るナチュラルが生み出した生体兵器。人間としての感情を削られ、肉体は薬物で強化されたエクステンデッドだ。ただ戦うため、コーディネーターを倒すために造られた…哀しい、子どもさ」

感傷的にはならぬよう、平静を心がけながら語る彼。彼女はまっすぐに向かい合い、黙ったまま聞いていたが、どう言葉をつなげばいいのか思案している様子を見て、静かに訊ねた。

「…名前は? その子たちの」

答えようとする前に、三人の姿が脳裏に描き出される。なぜだろう。彼の中に刻まれた三人は、とても楽しそうに笑っていた。

「スティング、アウル、ステラ」

おそらくはその名を呼ぶ者も、憶えている者も、きっと自分一人だ。研究チームのスタッフにとって、彼らは部品でしかなかった。同じ人間であるにも関わらず、壊れたら交換するだけの機械として…。情に流されないために割り切ろうとしていたのかもしれないが、人として、憐憫でも懺悔でもなく彼らを憶えているのは他にいないだろう。

「まだ十数年生きただけの、知らないことのほうが多い子どもが、どうしてあんな風に戦いに駆り出されて殺し合いをしなきゃいけなかった? なにかが少しずつ違っていたら、三人とも普通の子どもとして生きられただろう。どこか平和な街で、自分の手を血で汚すこともなく。でも…そんな子どもを戦わせてきたのはオレだった。自分だけは彼らを人間として扱っているつもりだったけど。本当は、罪悪感から目をそらしたかっただけかもしれない。今さらなにを悔やんでも、贖っても、還ってくるものはひとつもない。それでも苦しみながら死んでいった、その絶望を思えば…やるせなくなった。どうしたって考える。もっと別の生き方ができたはずだと」

自分が彼らのためになにかしてやれたかと言えば、少しの間の自由な時間。海辺の街でのささやかな休暇だけが、彼らに与えることができた普通のこと。精神を外部からの介入によって制御されながら、それでも人として、さまざまなものを見て、感じて、自分という存在を自分の価値で量れるように。ほんのひとときの日常に彼らが見せた表情、明るく映し出された笑顔が過ぎる。彼らはそれでも生きていることの喜びを知っていてくれただろうか。

「……わかっているわ、言わないで」

彼に刻まれた悔恨を忘れさせることは不可能に近い。けれど彼女はその痛みを癒したいと思う。共に抱えてあろうとする。彼が生きていた代償に負ってしまった咎ならば、傷ならば、自分も一緒に背負って生きる。彼が身を挺して死の淵に堕ちたのは己の存在が要因だとすれば、こうして生きていてくれたのも、自分のためだと思うから。彼女は立ち上がり、彼の隣に腰を下ろした。

「あなたのせいじゃないのよ、ムウ」

いつか聞いた言葉と、心安らぐぬくもりが手の甲に重なる。寄りかかるように与えられた体温、彼女が右肩に頭を預けながら続けた。

「あなたのせいではないわ。ただ、この世界が間違ってしまったから。だれかのせいじゃなく、それはきっとみんなのせいなのよ。わたしたちみんな…この世界に生きているすべての人々、それぞれが小さな罪を。――――みんな同じなのよ、願いはきっと。しあわせになりたい、ただそれだけ。だけど、等身大の幸福だけでは満足できなくなるから。もっと欲しい、あの人は自分よりいいものを持っているじゃない。そんな妬み嫉みが悪い方向へと人を導いていく。与えられた幸福に感謝することを忘れ、今以上の快楽を貪る。多くを求めれば、代償を払わなければならないことを知ろうとせず。より多くのものを、他のだれかよりも大きな富を、力をと。そしていつの日か、自分が幸福だったことすらわからなくなっていくのよ」

それはきっと、人間である以上は逃れようもないものだ。どんなに清く生きようとしても、抱いてしまうもの。欲望とは、人が生きるために必要な源でもあるから。

「不相応な欲望を抱くから運命は狂っていく。本当に大切なものは手が届くほど身近な場所にあるのに。欲望に目がくらんでいる間に、それはすり抜けてしまうの。そうして自分の過失で失くしたものを、まただれかの責任に転嫁して。どうしようもないわね、わたしたち人間って。それが、乗り越えられない人の業なのかもしれない。でも、このままじゃダメなのよ。どこかで変わっていかなくちゃ。そのことを、みんながわからなくちゃいけない。そうでなければ、いつか世界から人が追い出される。この世界が悪いのだと、世界に責任を押しつけて免罪符にしていたら、わたしたちの世界が罰という形をもって断罪されるしかなくなる。そんな哀しい未来は嫌でしょう?」

これまで戦ってきたから理解することができた。大きな犠牲と痛みを知らなければ、そうと分からず生きていたかもしれない。彼は心の半分で同意しながら、残り半分はそれでも割り切れず。

「なにも、してやれなかったと思ってな」

救われなかった生命に、せめて魂だけでも救済することができたら。彼らは生まれてきたことを憎まず、再び生まれることを望んでくれるだろうか。

「こうして憶えているじゃない。その子たちがいたこと、生きていたことを、あなたが憶えているじゃない。彼らはたしかに戦争で多数の人間の生命を奪った加害者かもしれない。だけど、戦争によって作り出された被害者でもあるわ。彼らが単なる戦うだけの人形じゃなかったことを、あなたは知っている。あなただけは、そうと知っていてあげられる。だから…それだけでもその子たちにとっては――――気休めじゃなくて、心からそう思うわ」

「…ああ、そうだな」

彼の顔を伺いながら語りかける彼女へ、ためらいがちに頷いた。複雑な表情を見つめる彼女は、視線を前に向ける。容易に癒せる傷じゃない、でもわたしたちは明日へ行くのだ。そのためには、彼に言っておかなければならないことがあった。

「生きていることは、罰じゃないのよ」

強い口調で告げられ、彼は身体を強張らせる。それはずっと心の中にあった想いだから。思い込ませていたことでもあるから。見透かされていた弱さに、どう言葉を返していいか分からない。

「生きていることは、生かされていることは罰じゃない。苦しめるために生き残ってしまったわけじゃないわ。あなたには、まだやらなくちゃいけないことがある。だから生きてるの。その目で見てきたもの、体験してきたこと。それを知っているあなたにしかわからないことだってあるはず。……必要だからここにいるの、あなたは」

怯えていたのは、彼も彼女も同じだった。過去の重さに引きずられ、戻れない場所まで闇に囚われそうな。そんな不安をいつまでも抱えたままでは、前を向いて歩いていけない。

「生き永らえてしまった、なんて悔やむことは許されないわ。みんな生きたかったはずだもの、あの戦場で戦ったすべての人たち…みんな。散る生命に臆し、大切なだれかを想いながら。祈りは届かなくて、哀しい宙の棺に」

閃光に消えていった数多の生命を悼みながら、彼女は凛とした声で語る。

「――――生きたくて、戦った。生きたくて、生きてるの。時折忘れてしまいそうになるけどね。ただ、戦うために戦ってはいけないということ。戦うことが戦う理由になるような世界じゃダメなのよ。わたしたちがしなければならないことは、もう二度と彼らのような悲しい子どもを生み出さないこと。そんな世界にしないこと。そうでしょう?」

戦いの結果、自分たちが世界に選ばせた未来がここにある。その選択が間違っていなかったと証明するには、これからの世界次第。今生きている人々が力を合わせて作り上げる世界、その先に明日があるなら。どんな苦しみも傷も、背負いながら立ち上がろう。自分を信じることは難しいけれど、一人じゃないから。

「明日。また明日があるから、わたしたちの戦いは終わらないのね」

道に迷っても、なにかを間違えても、明日があればやり直せる。生き直せる。今まで曇っていた空が晴れ、太陽が顔を見せる、彼女の心の風景。もう大丈夫、心の底に抱いていた不安に負けたりしない。大切なことはなにか、ちゃんと思い出したから。

「オレにも、欲しい明日がある」

重ねられた二人の手に、彼はもうひとつの手を置いた。彼女から注がれる眼差しに、惑いなき確固たる意志を表情で応える。この身と心は何のためにあるのか、思い出すことができた。

なにを失っても、喪いたくなかったものがここにある。自分が生きていくために必要なのは、彼女だ。ずっと二人で一緒に生きていける明日が欲しい。だから、立ち止まったまま動けない自分を越え、前を向いて歩いていきたい。

「悲劇を生み出さない世界であるために、明日のために戦う。それが、オレたちの使命」

呪縛を解かれた彼の決意に、彼女は温和な笑みを浮かべた。言葉にした決意は、安易に成し遂げられるものではないけれど、二人で生きていけるなら希望は永遠に消えない。

「あなたがいる世界を愛せるから、もうだれかがだれかを亡くして世界を憎まないように…祈るの。みんなつながっているもの、世界に。わたしたちの知らないところで、つながっているから」

海からの光が輝いている。そのまぶしさに彼が視線を向けた。瞳孔に映る景色はさっきと同じ白い砂浜――――だけじゃない。あるはずもない人影、三人が楽しそうにはしゃいで遊ぶ。アウルとスティングは水際を走り回り、ステラは貝殻を拾いながら。

彼らは活力に満ちた顔で、世界を満喫しているようだった。直後、海面が乱反射して光が彼らを覆う。するとその姿は消え去り、静かな浜辺だけがそこにあった。白昼夢…それとも自分の願望が幻を見せてくれたのか。

彼は心の内面にあった、黒い仮面が割れるのを感じた。もう、彼らのことを負い目にしなくていい。あの光景の中の三人が言っている気がした。もういいんだよ、と。

「約束するよ。もう二度と、おまえたちみたいな子どもは生み出さない。そんな世界であるために、オレは戦う。何度でも」

明日のために立ち上がれる、明日があるから生きていける。欲しい明日を実現するために、自分たちは共に生き、共に戦うのだ。いつか彼らが生まれてきたとき、なにを失うことなくしあわせになれるように。

「一人で決めないで。わたしも一緒に戦うのよ。わたしが隣にいること、忘れないで」

自分の中だけで結論を下した彼に、彼女は苦笑混じりに言う。この男はいざとなれば捨て身で行動してしまう人だから、そんな無茶をさせないように、自分はそばで支え戦う。

わかってるさ、と軽く笑う、彼の言葉は信憑性が高いとは言いがたい。なぜなら彼は、「すぐに戻ってくる」と言いながら二年も待たせてくれたのだ。

二人で生きる明日が欲しいから、戦うのも二人だ。決して、一人きりで戦場へは行かせない。もう、彼の不在によって涙で眠れない夜は御免だから。

彼女の欲しい明日は、彼が願う希望の世界。そして、彼と共にある未来。それを実現させるために、二人で生きていく。彼の誓った約束を、きっと現実につなげるため。一番大切なことを忘れず明日へ行こう。その想いを心に誓いながら、彼女は大切なことを彼に告げた。

「必要なのは、あなたよ。それを忘れないで。わたしが生きるのに必要なのはあなただということを…いつも忘れないで――――」

 

Missing Piece

 

ザフト軍に捕まっていたステラは、自力でミネルバから脱出。奪還にやってきたネオと共に連合軍へ帰還する。ミネルバ脱出の際、シンは必死に名前を呼んで引き止めるが、記憶を消されたステラには、彼のことが分からない。なぜ、自分の名前を知っているのか、どうして引きとめようとしたのか、敵であるはずのシンの行動を怪訝に思い、その少年を記憶に留めた。

しかし、帰投したステラは、メンテナンスによって再度シンの記憶を消されてしまう。そしてガイアを失ったステラに、破壊のモビルスーツ、デストロイへの搭乗が命じられた。

 

ディオキアの街を、圧倒的な力で破壊していくデストロイ。建物はすべて瓦礫と化し、街は業火に呑み込まれていた。デストロイのコックピットで、ステラは命令のまま破壊活動に走る。眼前に広がる廃墟となった街の景色を、ステラはぼんやりと見つめていた。

『街を破壊しろ』

『この街の人間はすべて敵だ』

『ザフトに加担する、悪いヤツらだ』

ステラの脳裏には、刷り込まれた命令が繰り返される。

「敵…?」

『そうだ、敵だ』

『敵を倒せ』

『ザフトを倒せ』

「ザフトが、敵…?」

『ザフトの連中は、地球に住む人間を皆殺しにするんだ』

『地球に住む人間を殺して、地球を乗っ取るつもりなんだ』

『だから、ザフトを倒すんだ』

『そうしないと、みんな死んでしまう』

「………死ぬ…?」

『みんなザフトに殺される。みんな、死んでしまう』

「――――嫌…そんなの、イヤ」

『だったら、戦え』

『戦って、敵を倒せ』

『ザフトを倒せ』

「…戦わないと、死んじゃう?」

『戦って倒さないと、みんな死んでしまう』

「ステラも死んじゃう?」

『みんな殺される。みんな死んでしまうんだ』

「死ぬのは、嫌。死にたくない…」

『敵はみんな殺そうとするんだ。どうする?』

『どうすればいいと思う?』

「……戦うの」

『だれが?』

「ステラが」

『どうやって?』

「モビルスーツに乗って、戦うの」

『できるのか?』

「…敵はステラを殺そうとする。そんなこと、させない」

『敵が来たらどうする?』

「戦って、倒すの」

無意識に呟いたとき、強い意志の力がステラに向かってきた。

 

「やめろっ!!」

シンのインパルスが、都市を殲滅させるデストロイを止めようと出撃した。二倍以上の大きさを持つ、巨大モビルスーツの前に立ちはだかる。

「やめろ! こんなこと、もうやめるんだ!」

相手に聞こえないと分かっていても、言わずにはいられない。シンは得体の知れない強大な敵に向かって訴えた。

「なんでこんな…こんなひどいことができるんだよ!」

ディオキアの街は、かつての面影もない。完全に焦土と化していた。

 

「………なに? この感じ」

強烈な思念で体当たりされたステラは、目の前に現れたモビルスーツに視線を向ける。あの機体はずっと戦ってきたザフトのモビルスーツだ。あの機体からなにかを感じる。なんだろう、これは。ステラは不思議に思ったが、今はそんなことを考えているときではない。

「邪魔をするな!」

あれはザフトのモビルスーツ、敵なのだ。そして自分の邪魔をする。だったら、モビルスーツもろとも吹き飛ばしてやる。ステラは圧倒的な火力でインパルスを攻撃した。

 

「くそっ! なんて装備だ」

戦艦一隻ほどの火力を誇るデストロイに、シンはなす術もない。機体からして大人と子どものような体格差、あらゆる箇所に装備されている砲身やミサイル。デストロイの前では、インパルスなどうるさいハエのようなものだ。しかし、このまま殺戮を続けさせるわけにはいかない。敵わないと分かっていても止めなければ。

「これ以上、やらせるか!」

シンは絶え間ない攻撃をかわしながら、デストロイの間合いに突進していく。あの機体に取りついてしまえば、少なくとも砲撃は避けられる。

 

「なんなんだ、おまえはっ!」

激しい連射を浴びせても、その敵は接近してくる。どんな攻撃でも落とせない相手に、ステラは焦燥を覚えた。この敵はいつも邪魔をする。やっつけたいのに、どうしても落とせない。

「戦わなきゃ、死んじゃう…」

この敵は嫌いだ、この敵はイヤだ。いつもわたしの邪魔をして、わたしを殺そうとする。

「ステラが死んじゃう。みんな死んじゃう」

そんなことさせない。絶対させない。

「死にたくない…死ぬのはイヤ」

そう呟きながら、インパルスを薙ぎ払った。

 

翻弄されながらも、デストロイの懐へ取りついたシン。あれだけの装備のある機体、しかも装甲の厚さは半端ではない、撃墜させるのは不可能だ。ならば、コックピットからの回路を寸断し、コントロールを潰そうと考えた。ビームサーベルを抜いて刃を振り下ろそうとした瞬間、ある感覚がシンの脳裏に閃く。それは言葉で表現することができない、第六感のようなものだ。

「…この感じ――――ステラ!?」

交錯する気配に気づき、シンは動きを止めた。あのモビルスーツに乗っているのは、自分の知っている少女だ。守ると約束し、心を交わした女の子だ。

シンはサーベルを収め、無線のチャンネルをデタラメに入れていく。どれかひとつでもあの機体に通じる回線があるはず。切実に祈りながら、シンはそのモビルスーツに向かって叫んだ。

「ステラ!」

 

『――――ラ…!』

ノイズが混じる無線から聞こえてきた声に、ステラは挙動を止める。だれの声だろうと不思議に感じつつ、自分を阻むモビルスーツに視線を向けた。あの機体…あれから聞こえている声だ。確証はないけれど、ステラにはそう思えた。

『…もう……ろ…、やめ…だ! …ステ…!』

なにかを必死に叫んでいる。自分の名前を呼んでいる。なぜ…? どうして、敵モビルスーツのパイロットが自分を知っている? 分からない、なにも分からない。ステラは頭を抱えた。この声を聞いていると頭が痛くなる。なんだろう、この敵は。自分の心の中、深い泉の底まで届く声。大事なことを、忘れているなにかを思い出させようとする。

でもあれは敵だ。敵なのだ。戯れている場合ではない。アイツも敵、アイツもザフト。倒さなければいけない、今度こそ。

ステラは動きの止まったインパルスを掴まえ、両手でひねり潰そうとした。装甲から甲高い音がする。こうなれば、いくらアイツでも逃げられるはずはない。ずっと倒せなかった嫌いなヤツをやっと倒せる。ステラは一層力を込めて、インパルスを引き裂こうとした。

『ステラ――――!!』

刹那、無線のノイズをも打ち消す強い意志が、ステラの心を貫く。クリアに聞こえてきた声が、すべてを壊していくのだ。戦わなければいけない、戦闘を強制するだれかの声を打ち砕いた。

「…なに?」

その正体が分からない力に、ステラは不安を感じる。戦わなきゃいけない、戦わないと死んでしまう。だから自分は戦っているのに。それを否定してしまうほどの強い力、意思、心。

『――――まもるから』

不意に、ステラの記憶を呼び覚ます言葉が聞こえてきた。心の奥底から、深く沈められた大事な箱の中から。

「まもる…?」

だれだろう。だれかが言った。その言葉を。

『オレが守るから――――』

心が温かくなる、不思議な気持ち。

「だれ…?」

だれかが自分に微笑んでいる。だれだろう、思い出せない。最初はネオだと思った。けれど違う。ネオはそんなこと言わない。ネオが言ったのは『死なないためには、戦って敵を倒すしかない』ということ。頭が割れるように痛い。

「ステラのこと、守るって…だれかが」

だれかが…思い出せないだれかが言ってくれた。あなたはだれ? どうして、わたしの心の中にいるの? なんだろう、この気持ちは。

混乱する精神に、ステラは操縦桿を手放した。圧迫されていたインパルスが自由の身となる。

『ステラ!』

再度聞こえてきたその声に、ステラは全身を震わせた。この声は知っている。ステラの脳裏に、一人の少年の姿がフラッシュバックした。

『大丈夫だ。――――君は死なない!』

『オレがちゃんと…オレがちゃんと、守るから――――!』

『オレ、シン。シン・アスカ』

「………シン?」

海で助けてくれた少年、守ると言ってくれた。それがシン…シン・アスカ。ステラは不確かな口調で彼の名を呼ぶ。何度も自分の名前を呼んでくれたのは、シンだった。

「シン、そこにいるの…?」

 

返ってきた声に顔を上げる。自分のことを思い出してくれたのか。シンはステラに呼びかけた。

「ステラ…?」

『シン…』

「オレのこと、わかる…?」

不安そうな声に、シンは優しく問いかける。

『シン。海で、会った…。そこに、いるの?』

「ああ、オレはここにいる」

無線越しの交信がもどかしくて、シンはコックピットのハッチを開く。デストロイの前で、ステラに見えるように身を乗り出した。ヘルメットを外し、直接自分の声でステラに呼びかける。

「ステラ!」

 

その行動に、ステラもデストロイのハッチを開けた。ヘルメットを脱ぎ捨て、ギリギリのところまで飛び出す。

「――――シン!」

お互いの姿を確認し、肉声が相手に届いた。ステラは縋るような眼差しでシンを見つめる。

「どうして…?」

哀しい声色でステラは呟いた。このモビルスーツは敵だ。敵のモビルスーツに、シンが乗っている。ずっと戦ってきたモビルスーツに、シンが乗っていた。どうしてなのだろう。シンは敵じゃない。シンは絶対敵なんかじゃないのに…。

「シンは、ステラの敵…?」

 

震える心で訊かれ、シンは言葉に詰まった。たしかに今までは敵として戦ってきた。まだ彼女を知らなかったから…敵がステラと知らずに。けれど、ステラは敵じゃない。敵なんかじゃない。

「違う! オレは、君の敵なんかじゃない!」

「でも…」

戸惑うステラの瞳には、一粒の涙。

「シンはザフト、ザフトは敵、敵は倒さなくちゃ…。みんな死んじゃう、ザフトがみんなをころすの。ステラも死んじゃう、死ぬのはイヤ、死にたくない」

怯えるように語るステラに、シンは拳を握り締めた。

これまでに自分がしてきたこと、正しいと信じて撃ってきた敵、自分が生き残るために奪ってきた生命、連合が悪いから撃つんだ、撃ちたいから撃っているわけじゃない、守りたいもののために戦うことのなにが悪い。そう思いながら戦ってきた。

でも、それは本当に正しいことだったのか。自分の撃った銃弾が、また新しいステラを生み出しているかもしれないのに。相手を倒すために戦うことは、本当に正しいことだと言えるのか。

シンは唇をかみ締めた。なにも分かっていない、なにも知らないまま戦っていたんだ、自分は。そう思うと、己に対して底知れない怒りが湧いてくる。

敵を一機撃墜させるたび、だれかの涙を流させた。生命を奪うたび、新たな憎しみが生まれていた。それが、戦争が終わらない原因だということに気づかないまま。このままじゃいけない。こんなことを続けていてはいけない。

「オレは君の敵じゃない! 君もオレの敵じゃない!」

「――――…」

「…ステラは、オレの敵なの?」

黙り込んだステラに、シンは訊いた。ステラはゆっくりと首を横に振る。

「ちがう…」

「だったら、オレたちが戦う理由なんてない。戦うこともない。ステラだって、好きでこんなことしてるわけじゃないんだろう?」

優しい口調で諭すシンに、ステラは小さく口を開いた。

「……ほんとうは、たたかうの…イヤ」

 

小声で呟いたそれは、ステラの本心だった。いつも命令されるから、そうしていただけ。ネオの役に立ちたいから、言われるままに戦っていただけ。

「ステラ、そのモビルスーツから降りて。君がそんなものに乗ってちゃいけない」

「だけど――――」

シンの言葉に心は揺れる。けれど、自分がモビルスーツを降りたら戦えない。戦えないと死んでしまう。

「守るから…オレが君を、守るから!」

強い意志で叫ぶシンの声。ステラはためらいながら、シンを見つめる。

「守るって…君を守るって、言っただろ」

「シン…」

「ステラ。オレは君を守る。どんなことがあっても、君を守るから…」

 

ステラの頬から涙がこぼれ落ちる。シンは安心させるように優しく微笑んだ。

「だから、君はもう戦わないで。君は戦わなくていい、戦っちゃいけないんだ。そんなものに乗っていたらダメだ。ステラ、モビルスーツから降りて。――――大丈夫、オレが守るから。ちゃんと守るから」

そう宥めて、デストロイから降りるように促す。ステラは困惑の表情を浮かべていたが、やがて意を決したのか、コックピット同士を乗り移れるくらいまで接近させた。

「ステラ」

シンはステラに手を伸ばす。その機体から降りて、こっちへ来るんだと。ステラは、シンの赤い瞳を伺うようにじっと見つめた。

「シン――――」

そっと優しく笑みを浮かべると、ステラもシンへ手を伸ばした。

 

Talia‘s Decision

 

地球連合軍とザフト軍の戦争は最終局面へ。プラント防衛線をめぐり、両軍が激しく衝突する。第一波攻撃が収束したあと、現在は小康状態を保っていた。

ミネルバは、ザフト軍の主力艦として最前線に配備。しかし一部のクルーには、このまま戦うことが本当に正しいことなのか、疑問を抱いている者もいた。

 

ブリーフィングルームでのミーティングが終わり、クルーたちは足早に自分の持ち場へと戻っていく。果てしなく長い時間に思えた第一波攻撃、それはどうにか凌ぎきったのだが、艦への損傷も軽微ではない。整備班クルーは総動員で、艦とモビルスーツの修理に尽力していた。

相当の難関を突破してきたミネルバだが、今回の戦いはそれ以上に厳しい戦いとなる。これまでに経験したことのない大きな戦い、それが世界の運命を決するのだ。乗組員のだれもが、目の前に与えられた現実を重く受け止めていた。

第二波攻撃が始まるのも時間の問題だ。先の戦闘では撃沈されずに済んだが、次もそうだとは限らない。地球連合軍は間違いなく核を撃ってくるだろう。自分たちが必死の思いで戦っているように、敵も同じなのだ。防ぎきれるだろうか、守りきれるだろうか、プラントを。

自信はなくとも、この状況で『できない』と弱音を言えるはずもない。プラントを――――自分たちの住む大地を守らなければ。それが漆黒の宇宙に浮かぶ人口の大地でも、コーディネーターにとっては、そこが故郷なのだから。クルーたちは揺らぎながらも決意を固めていた。

各員のさまざまな思いを感じながら、タリアは彼らを見送る。ミネルバの艦長である自分は、クルー全員の生命に対して責任があった。最前線においては、ひとつの判断ミスが生死を左右する。それだけ、艦長という職務は重く責任のあるものなのだ。個人的な感情に囚われていては果たせない役職。タリアは深い息をもらすと、ブリッジへ戻ろうとしていた副長に声をかける。

「アーサー」

ブリーフィングルームを出て行くアーサーは、タリアの凛とした声に挙動を止めた。

「はい。艦長」

「話があるの。あとで艦長室まで来て」

「わかりました。……いや、ですが」

一度はきっちり応答するけれど、彼は不意に考え直す。コンディションがオールグリーンでもないのに、艦長と副長が揃ってブリッジに不在では、火急の際に対応が遅れるのではないだろうか。そんなアーサーの心配を察してか、タリアは平淡に告げる。

「先の戦闘では、お互いに相当な戦力を消耗したのよ。心配しなくても、次の攻撃まではまだ時間があるわ」

そう言うと、毅然とした歩みでその場をあとにした。

 

艦長室に戻ったタリアは、力なく椅子に身体を預けた。蓄積された疲れが一気に襲いかかったのだろう。深呼吸して目を閉じる。思えば、ザフト軍が威信をかけて建造した最新鋭艦ミネルバの艦長に指名され、初めてこの艦長室へ足を踏み入れたときから、時間がたってしまったものだ。

あの頃は、こんな状況など想像もしていなかった。当時の地球とプラントは、緊張感は漂っていても停戦状態。戦争など起こっていなかった。しかし、アーモリーワンでの新型モビルスーツ強奪事件、それによるボギーワン追撃戦、そしてユニウスセブン落下事件。次々発生した事態により、ミネルバは進水式もままならぬまま出港。以後、果てしなく続く戦いの連鎖に巻き込まれていった。その間に世界は再び戦争という誤った選択を導いてしまい、今日までの激戦に至っている。

正直、戦争がこれほど大きく苦しいものだとは思っていなかった。タリアは先の大戦時、後方の部隊にいた。実際にあの戦争を見て、自分は戦争がどんなものか知っているつもりだった。自軍の犠牲を出さないために、常に最良の選択をしているつもりだった。

しかし自分は――――自分たちは、戦争がどんなものであるかを、まったく理解していなかったのだ。それゆえに今ここにいる。どうしようもない連鎖の中で、もがきながらもそこから脱せず。道を間違えたまま、戻ることもできずに歩き続けている。それが次の連鎖を呼び、悲劇を繰り返させると知っているけれど。自分にはどうすることもできない。一介の軍人には、間違いを正す力などない。いつの時代も世界を動かしているのは、一握りの権力者なのだから。

信じる為政者が、世界を己の思惑のままに動かそうとしている。それを止めることなど、だれにできるというのか。脳裏にある男の存在が浮かんで、タリアは伏し目がちに頬杖をついた。

あのタヌキは、なにを考えているのだろう。かつて、お互いをありのままに認め合えた頃は、相手の気持ちも理解できた。しかし、自分が女としての切実な願いを優先して二人が別れてから、なにかが狂い始めたのかもしれない。

現在の彼がなにを思い、なにをしようとしているのか、まるで見当もつかない。すべてを信じ合えていた頃とは違う瞳、表情、精神。彼を知っていた自分でさえそうなのだから、他人には到底理解できないだろう。

物思いに耽っていると、来訪者を知らせる音が響く。応答すると、アーサーが硬い動きで机の前へやってきた。その挙動から緊張が感じ取れる。彼一人を艦長室へ呼び出したときは大抵こうだ。また小言を言われるとでも思っているのだろうか。

相変わらず融通が利かなそうな男だが、それでも最初の頃に比べると遥かにマシになったとタリアは思う。ミネルバに配属となり、初めてこの副長と会ったとき、第一印象としては軍規に忠実な軍人らしい男だと思った。マニュアルどおりのことは正確に実行できて、仕事ぶりもいい。

しかし、現実の戦闘が起きてから気づいた。この男は臨機応変という言葉を知らない。想定外の事態が起こったときへの対処が、まったくと言っていいほどなってない。戦闘で不測の事態に遭遇したとき、攻撃司令の席から聞こえてくるのは、「ええっ!」という驚きの声。

「情けない声を出している暇があったら、現状を打開する手段を考えなさい!」

そう叱り飛ばしてしまいたい衝動を、何度もこらえてきた。この男がミネルバの副長として配属されたのは、デュランダルの嫌がらせではないかと疑ってしまったほどだ。

しかし、そんな頼りなかった彼も、次々と起こった困難に少しずつ成長していたらしい。先の戦闘では、的確な判断で艦の危機を回避させた。それなりに、頼りがいのある男になっている。アーサーのその姿を見て、タリアはひとつの決断を下した。

「それで艦長。話というのは…?」

難しい表情で考え込んでいるタリアに、アーサーは控えめに訊ねる。

「そうね。時間もないことだし、単刀直入に言うわ。アーサー、あなたにミネルバを任せたいの」

「………は?」

いつもの淡々とした口調だが、その内容は理解できない。アーサーは呆けた面持ちで聞き直す。

「だから、あなたにミネルバの艦長をやってほしいと言ってるのよ」

「自分が、ミネルバの艦長を、ですか…?」

「そう」

やっと事態を理解したアーサーは、一瞬で百面相をやってみせた。お得意の「ええっ!」が出てこないほど驚愕しているのだろう。

「そんな…まさか。冗談はやめてください、艦長」

「冗談で、この忙しいときに時間を割くはずないでしょう」

「しかし…!」

慌てふためくアーサーに嘆息しながら、それでもこの男に託すしかないと、タリアは明確な口振りで言う。

「わたしは本気で言っているの。早急に事態を呑み込んで」

「でも、艦長! こんな大事なときに、そんなこと」

「こんなときだからよ」

「ですが…! 軍本部はなにを考えてそんな命令を」

「アーサー。これは本部からの命令ではないの。わたしの――――タリア・グラディス個人の希望で、言っていることなの」

予想外の言葉が告げられ、アーサーは唖然とした。よくよく艦長室を見回してみると、室内は整然と片付けられている。そして、デスクの傍らにはトランクが置かれていた。すぐにでもこの艦を出て行けるように。

「…どういう、ことですか? なぜ、そんなことを」

「自分でも、どうかしていると思うわ」

「艦を離れて、艦長はどうされるつもりですか?」

「わたし…? わたしは――――」

アーサーの問いに答えようとしてタリアはためらう。そのとき、艦内にメイリンの声が響いた。

『プラント最高評議会より、デュランダル議長の声明が発表されます』

同時に、モニター画面に映像が入ってくる。会見場にデュランダルが現れた。

『――――プラント国民の皆さん』

そう切り出し、プラントが直面している現実を語っていく。決してナチュラルとの融合を捨てたわけでなく、戦争を主導する一部の人々が、この事態を引き起こしているのだと。プラントを守り抜き、戦争の種をまく者を排除する。そしてコーディネーターとナチュラルが共存できる世界を作り上げてみせると、力強く演説していた。

タリアは画面上で実に政治家らしい演説を見せている男を、冷静に見つめる。ひどい男、と内心呟きながら。これまでもプラント国民を、いや世界中の人々を欺いておいて、今もなお、偽りの言葉で世界を騙そうとする。本当にひどい男だと思うけれど…そんな男と運命を共にしようなんて、酔狂な真似だろうか。だとしても、それでも――――自分はあの男と共に行きたい。

「そうね。わたしはわたしの行きたい場所へ行くわ」

視線をデュランダルに向けたまま、タリアは答えた。自分という人間は与えられた任務を忠実に遂行できるタイプで、軍人としての己にもそれなりの自負はあった。しかし、思っていたよりも自分は女だったらしい。今、この瞬間、軍人としての自分よりも、女としての自分を望んでいる。

「…ギルバートのところへ」

決意を秘めたタリアの言葉に、アーサーは拳を握り締めた。それは彼の個人的感情によるところが大きいのだが、今は言えるはずもない。言ったところで、タリアを引き止める効力などありはしない。

「職務放棄は重罪ですよ、艦長」

アーサーは私情を抑え、軍法を盾にした。そちらのほうが、よほど説得力がある。だが、タリアは怯む様子を見せない。

「軍法会議にかけるなら、好きにしなさい。この戦いのあとに、現在の軍の組織が存在していればの話だけど」

「艦長!」

自嘲気味に呟いたタリアを、アーサーは咎める口調で制する。

「軍人としては、あるまじき行為だわ。でもね、一人の女として行くのなら…行かせてくれる?」

「……議長は貴女を利用しているだけです」

苦々しい表情で、言いたくないことを口に出した。けれど、タリアは動じない。そんなことは、最初から承知の上だったから。

「いいのよ、それでも。むしろ、そうしてくれるほうが。きっと、それがせめてもの…罪滅ぼしかもしれない」

「そんなっ!」

自分を諦めているような台詞に、アーサーは首を振る。

「わかっているわ、アーサー。あの人は、わたしのことを愛しているわけじゃない。けど、そんなことはどうだっていいのよ。わたしがあの人のそばにいたい…。それが理由ではいけない?」

「……艦長」

「宇宙で一人くらいは、あの人の味方でいてあげないと。意外と淋しがり屋なのよ。だから少なくともわたしだけは、一緒にいてあげたいのよ。最期まで」

タリアは小さく笑い、傍らのトランクを手にした。困惑するアーサーの横を通り過ぎ、部屋を出て行こうとする。それが、自分があの男に対してできる最大の思いやりだと。

「ダメです、艦長!」

迷いのない足取りで去ろうとしたとき、アーサーが立ち塞がった。扉の前に仁王立ちし、タリアの進路を閉ざす。

「そこを通してくれない? アーサー」

「いやです」

「わたしは、あの人を一人にはしておけないのよ。あの人がなにをしたかわかっていても…そんな道を選ばせたのはわたしだから――――」

タリアは沈んだ表情で瞳を伏せた。かつて、若き日の自分が下した決断が思い返される。彼は引き止めることなく別れを受け容れてくれたけれど、それが本意でなかったことは言うまでもない。選べなかったもうひとつの道が、お互いの心の中にずっとあり続けた。

この世界が二人の道を隔てたのならば、世界の仕組みを変える。人を変える、世界を変える、これまでの概念を壊して。新しい世界に、己の理想とする世界へと変えてみせる。彼がそう思ったとしても、不思議ではない。

プラント最高評議会の議長となった彼は、それを成すための権力を手に入れ、望む世界を現実にするために、これまでさまざまなはかりごとをめぐらせてきた。そして彼の思惑どおり、ザフト軍と地球連合軍の戦争は激化する一方。

たとえいかなる理由があろうとも、ナチュラルとコーディネーター双方に甚大な犠牲を出した、その罪は決して許されるものではない。タリアは決めていた。彼のもとへ行き、この戦争の結末を見届ける。その結果がどうであろうとも、彼の罪を――――自分が。

犯した罪の最たる動機が己ならば、この手で彼の罪を処断し、自分もその罪を贖う…そう決心していた。揺るがない瞳にタリアの覚悟が見える。このままタリアを行かせてしまえば、もう二度と戻ってこない。それを感じ取ったアーサーは、まっすぐ顔を上げた。

「だからこそ、行かせはしません」

毅然とした強い意志。思ってもない反応に、タリアはアーサーを凝視した。

「そうとわかっているならば、ますます行かせるわけにはいきません。艦長、貴女はこの戦艦ミネルバの艦長です。艦長がその責務を放棄し、艦を降りることなど許されません。もし本当に艦長がミネルバを降りてしまったら、この艦はどうなるんです。艦長不在で戦えと? それで生き残れると思いますか。指揮する者なくして、どう戦えというんです? 艦長は、我々クルー全員に死ねと言っているのですか!」

珍しく強気の発言が、アーサーの口から出てくる。そんな副長に意外性を感じながら、タリアは肩をすくめた。

「だからアーサー、あなたに艦を任せると言ったじゃない。あなたがミネルバを率いて。あなたなら大丈夫。伊達にミネルバの副長をやってきたわけじゃないでしょう。これまで充分すぎるほど戦闘は経験しているのだから、立派に艦長としてやっていけるわ」

「いいえ。自分は貴女の下で副長を務めるのが精一杯な人間です。艦長席に貴女がいないブリッジなど、想像もできません。きっと自分は艦長がいなければ、とんでもない指揮をして、クルー全員を死なせてしまうでしょう。だから…ミネルバの艦長は貴女しかいないんです!」

ありったけの想いで力説され、タリアは惑いの表情。自分は艦長として、この副長にいろいろと無理も言ってきた。タリアの指揮は決して正攻法ではないときもあり、臨機応変を強いられる際には強引な手法を執ったこともある。艦長の意向に唯一反対できるのは副長だが、そうともせず、不平不満も言わずによくついてきてくれたと思う。先刻アーサーに告げた言葉はお世辞ではなく、実戦において多様な状況をくぐり抜けて成長した彼への、正当な評価だ。

「……アーサー」

「それに――――」

「えっ?」

ぎこちなく言いよどんだアーサーに、タリアは怪訝な眼差しを向ける。言おうか言うまいか逡巡しているその言葉は、言うつもりのなかった想い。少なくとも、自分が目の前の女性に認めてもらえる男になるまでは。

己の頼りなさを自覚しているがゆえに、軍人としても男としても、自分に誇りを持てる存在になりたかった。彼女に釣り合うような強い人間に…。それまではなにも言わないと決めていたのに、思いがけず口火を切ろうとした。

このままでは、タリアは行ってしまう。あのデュランダル議長のところへ。そうしたら、もう二度と会えないのは明白だった。それは耐えられない、そんなことはさせたくない。だったらあがいて、もがいて、どんなにみっともなくても引き止める。それがなにより自分の望むことだから。蓄積した迷いや戸惑いを切り捨て、アーサーは人生最大の勇気を振り絞る。

「じ、自分という人間にも、その…貴女が必要であります!」

想定外の台詞が告げられて、タリアは思考を停止した。言葉の意味を理解すると、驚きの表情でアーサーを見る。まさか自分が、この部下からそう思われていたとは思いもしなかったから。

タリアとしては、尊敬というか好感は持たれていると思っていた。それは軍人としての決断力、指揮などに対する評価で、同じ艦で生命を共有し合う、同僚への信頼や親愛だと判断していた。

それに、現政府の最高指導者とただならぬ関係にある自分など、アーサーのようなタイプからは軽蔑されても仕方ないと思っていた。だから、この純朴な青年の想いに気づかなかった。

「あの…ええと、ですから…ここにいてください、艦長。貴女にミネルバを降りられると困るんです。これは自分の個人的な、一方的な要望でありますが、どうか聞き容れてもらえませんか。了承いただけるまで、自分はここを動きませんから」

「アーサー…」

「貴女を議長のもとへ行かせはしません。それだけは絶対に譲れません。たとえ貴女に憎まれようとも、貴女を失うわけにはいかない。自分としても、ミネルバとしても」

まっすぐに進言するアーサー。その言葉は、意志の力は、タリアの心を引き止める。すべての決心を揺さぶり、この場所から動けなくさせた。今までに出会ったことのない感情がタリアを支配する。この男に、これほど強い力があるとは思わなかった。

巧みな話術など持たず、駆け引きさえ得意ではない彼が武器としたのは率直な想い。素直な心が訴えかける想いに、勝る理屈などなにもない。タリアは演説を続けるデュランダルを心に浮かべ、静かに瞳を閉じた。そして小さなため息をもらしながら、そっと微笑む。

「――――わたしの負けね」

なにかを吹っ切ったように呟くと、手中のトランクを下ろした。

 


 
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