No.796348

相良良晴の帰還19話中編

D5ローさん

遅くなりまして申し訳ございません

2015-08-15 11:30:37 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:10432   閲覧ユーザー数:9574

 

一方、その頃、存在自体内密にする必要がある斎藤道三は、国主という立場から降りて肩の荷が降りたのか、かなりはっちゃけていた。

 

「……あの~、道三殿、これは一体?」

 

川並衆の副官、前野が冷や汗をダラダラ流しながら道三に問うた。

 

彼が青ざめるのも、無理は無い。

彼の目の前には、明らかに値が張りそうな、巻物や、陶磁器、刀剣等が無造作に積まれていた。

 

「ん?何、侵略されたんじゃから、少しくらい多目に報酬を貰いたいじゃろ?それに、ボサッとしてれば、何もしとらん武田に奪われとったぞ」

 

そう言って『今川家』の宝物庫の中身を改める道三の所作には、少しも悪びれる素振りが無い。

 

その堂々とした態度に、むしろ、『別に大して気にすることでも無いんじゃ……』と思ってしまえる位である。

 

(まさか、あんなに早く火事場泥棒を行うとはな……)

 

そう、前野が今胸裏で呟いたように、この莫大な財宝は、道三が今川の宝物庫から奪ったものであった。

 

さて、それでは、この簒奪劇の流れを簡潔に説明しよう。

 

話は少し前に遡る。

 

まず、道三は、桶狭間で今川義元が囚われの身になった時点で、(勿論女性にしてもらったが)身体検査を行い、宝物庫の鍵と花押(現代で言うハンコ)を奪い、直ぐに『自身の子飼いの』忍びにそれを手渡した。

 

彼らは、それを受けとると同時に、今川軍の装備を纏い、進撃ルートを少数で逆走。馬を使い潰す事で昼夜通して走り抜け、桶狭間の戦いの数日後には今川領へ到着していた。

 

この時点で、今川軍敗退の報は他国に届いていない。

 

これは、雨の中の、しかも薄暗い谷での奇襲であり、遠目ではその結果が分からなかった事に加え、良晴達が辺りに仕掛けた罠に警戒し、織田領での歩みが遅かった事が理由に挙げられる。

 

勿論、味方側の道三の忍びは罠の位置等は伝え聞いていたため、全く速度は緩まなかった。

 

そして、既に内密に同盟関係にある三河の留守を任されている者達(つまりは桶狭間の戦いに参加せずに領地を守っている兵)全員をあらかじめ元康に書かせた文と、道三が書いた指示書により、共に義元の居城へ向かわせると、こう、言わせた。

 

『お味方大勝利!祝いに城の米蔵を開いて祝いじゃ!』

 

勿論、大嘘であるが、そこは老獪な道三傘下の、その手足である忍びである。

 

口八丁、手八丁な『蝮』の手口により、城の留守を任されている者達の警戒心も徐々に緩和されていく。

 

さらには義元から手に入れた花押などの後押しもあり、留守居役(留守番をしている者達)は、とりあえず言われるがままに米を放出、城下町の領民を含めたお祭りを始めてしまう。

 

そして、いざ、酒盛りを始める時に、そっと忍びは、留守居役達に囁いた。

 

『よくやってくれた。最後に申し訳ないが、支配した尾張に幾ばくかの金子を払ってしまい、京までの旅路に難儀しておるから宝物庫から持ち出しせよと殿より頼まれている。我々が預かっているこの鍵と、そなた達が持っているもうひとつの鍵を使って、開けてはくれんか?』

 

当然、怪しむ。義元自身が持つ鍵と、領地に置いている鍵、二つの鍵で厳重に施錠してある宝物庫には、その厳重な警備に値する、先祖代々の金銀財宝が収まっている。

 

だが、留守居役達の心配は、道三の思惑通り、次の言葉と『とあるもの』で容易く覆る。

 

『心配せずとも、ほれ、松平殿が代筆した許可証じゃ、ちゃんと両名の花押も入っておる。』

 

この『モノ』と言葉で、彼の態度は百八十度変化した。

 

多くの人間は、リスクが伴う物事については慎重になりがちである。

 

それは決して間違いではない。社会を生きる上で、無駄な失敗を避けることは、順風満帆に生きる上で必須なことなのだから。

 

だからこそ、彼らは安堵した。

 

ああ、この花押つきの書類さえ持っておけば、万一何か起きた時も『松平』の責任になる。

 

安心して渡せる、と。

 

むしろ、逆に渡さなければ路銀の遅配という理由でこちらの責任に成りかねない。

 

彼らは、慌てて宝物庫からなるべく嵩張らない宝物をまとめると、早く到着させた方が覚えがめでたくなると、積極的に貴重な馬車までつけて、送り出してくれた。

 

そして、くれた留守居を横目に見ながら、彼らは悠々と迎えを待つ。

 

織田軍と同盟済みの、松平軍の迎えを。

 

完全武装の松平の兵達を眺めながら、自分達の判断は間違ってなかったと安堵する留守居役を尻目に、多くの宝が尾張に渡った。

 

ここで、多くの人は、何故このやり取りの間他の武将達は動けなかったのかと疑問を持つだろう。

 

これは、別に近隣諸国の対応が鈍かったり、事が原因ではない。

 

むしろ、彼らが真面目に対応したからこそ、起きたことであった。

 

まず、第一の理由として、後年、歴史として『桶狭間の戦い』を学んでいる読者や筆者はともかく、当時の時勢では、『尾張に今川が勝つことは確実』というのが基本であった。

 

そのため、この光景を見た間者達は、最初に混乱した。

 

尾張に張りついていた間者(スパイ)からは、織田軍が勝ったという、情報が。

 

目の前の今川領では、今川軍が勝ったという、情報が。

 

この2つの情報が出揃った時、関東、近畿に領地を持つ戦国武将の中でも、特に今川領に近い二人の大名、北条と武田は、全く同じ考えを抱いた。

 

これは、自分達を陥れるための罠なのではないかと。

 

普通に考えれば、織田軍が万が一今川軍に勝ったとしても、じゃあ直ぐに今川領に宝物を奪いに行こうとは考えない。

 

兵力差が隔絶している相手を一度か二度負かしたとしても、すぐにイコール織田軍の勝ちとはならないからである。

 

敵の大将がノコノコ前線に出てきた挙げ句捕まるなどの有り得ない変事が無ければ、たとえ、一回の勝負で今川軍を織田軍が破っても、未だ勝敗はついてはいないだろう。

 

そして、二人の武将は、同時にこのような結論に達した。

 

すなわち、今川軍と相手側がぐるになっていて、今目の前で行われている光景は、北条(武田)の罠である可能性である。

 

この時代、関東で名前の知られた有力大名、武田、上杉、北条、今川の四家は、領地が近しいが、決して中が良くはない。

 

相手側の隙を誘い、他家の協力のもと、挟撃することは十分に考えられた。

 

なお、毘沙門天の化身と呼ばれる上杉に至っては、それ以前の問題である。

 

『正義』の味方と言えば聞こえは良いが、それは、裏を返せば、何らかの非が相手側にあれば、理由や事情を無視して攻撃できるという意味である。

 

そのため、少なくとも未だ情報が無いこの時点で不用意に動く旨味はなく、二人は見守る事しか出来なかった。

 

……その後、自分達の『有り得ない想像』が現実だと知って頭を抱えたが。

 

さらに、今回の斎藤道三の仕掛けた『策』は、連鎖する。

 

今川義元が囚われの身となっている事が判明して直ぐに軍を寄せた、武田信玄。

 

近隣に知れわたる戦上手の彼女が見たものは、敗北した軍とはとても思えない、意気軒昂な軍勢が守る鉄壁の城下町。

 

それは、ある意味当然の帰結であった。

 

真実はともかく、守備兵や町人が『聞いた情報』は味方の勝利で、『行われた事』は、町の皆への大盤振る舞い。

 

この時点で、士気は最高峰であった。

 

さらに、近隣にも知られている武田の主要な軍勢は『騎馬』。

 

それはすなわち、野戦では無類の強さを発揮する代わりに、城攻めにはそこまで

得手では無いことを表していた。

 

そのため、攻め寄せられた守備側に動揺は少なく、彼らは早馬を送り、自領に籠る事を選択した。

 

勿論、得手で無いからといっても戦国武将の中でも最強に近い武田信玄。

 

城攻めも時間をかけ、城壁さえ抜いてしまえば、容易く蹂躙できる事は『わかっていた』

 

だが、『容易に占領出来ない』という事は、すなわち、『上杉と北条に背後を狙われる可能性』を常に抱えて進軍するということである。

 

そして、前述した通り、上杉は最悪、『近隣の平和を守るため』軍を動かす事ができる。

 

 

いくら豪胆で知られる武田信玄といえども、明らかに不利な戦場で戦い、無駄な犠牲を出すことは許容できなかった。

 

結果、北条、武田、今川領近辺は、計らずも、降着状態となった。

 

そして、尾張には、全てでは無いものの、莫大な量の宝物が届けられた。

 

(第19話中編了)

 

 

 

 
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