No.794932

艦これファンジンSS vol.49「果報者」

Ticoさん

夏イベント前に日常物を書いておきたかったんじゃよ。

というわけで、艦これファンジンSS vol.49をお届けします。
当初はpixivグループの企画「朝の情景」として書いたものですが、
夏イベント後に予定している五部作のプレ・プロローグとして仕立ててみました。

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2015-08-08 21:16:05 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1566   閲覧ユーザー数:1556

 遠くで総員起こしのラッパが鳴っている。

 盛夏の頃ともなれば、この時間の外は既に明るい。

 まばゆい朝の光が窓を通して廊下に差し込んでくる。

 白い壁と飴色の床を彩る夏の日差しは今日も厳しそうな予兆を見せていた。

 とはいえ、鎮守府でもこの一画がどことなくひんやりしているのはなぜか――

 前々から不思議だったが、彼女は、おそらく静けさのせいだろうと考えていた。

 鎮守府にあまたある建物でも、提督執務室の置かれたこの一画には独特の緊張と静寂が張り詰めている。艦娘が気軽に立ち入る場所ではないのだ。

 彼女の用件も、本来はどうでもいいことかもしれない。だが、その左手の薬指にきらめく銀の指輪は、ささいな用事でも執務室を訪れる勇気をくれる。

 『ケッコンカッコカリ』――提督との絆の証。指輪を贈られた者は彼女だけではなく、また彼女が初めてというわけでもなかったが、それでも特別な者の証には違いない。

 一見したところ、彼女は普通の少女に見える。外見は十六か十七か。ハイティーンに足をかけた年齢。柔和そうな面立ちと儚げな微笑みが大人びた雰囲気を漂わせているが、身にまとう茜色の衣装も鉢金を模した大きなリボンもどことなく華やかで可愛らしい。

 ただ、鉢金の下で輝く双眸の光は、この年頃の少女には不釣合いなほど強く、修羅場をかいくぐってきた刀の輝きにも似ていた。

 このような眼光を有する者が、ただの女の子であるはずがない。

 いや、彼女だけでない。鎮守府で見かける少女たちは、普通の女の子ではないのだ。

 海にあっては無類の戦士。人類の藩屏。世界の守護者。

 艦娘。人類の脅威たる深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 だが――いま西瓜を一玉まるまる抱えて執務室へ向かう彼女の頬は、かすかに朱に染まっていて、そこだけ見れば想い人の元へ向かう外見相応の少女にしか見えないのも、また事実ではあった。

 軽巡洋艦、「神通(じんつう)」。

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 限定作戦が近いとの噂が鎮守府内に流れていた。各地に派遣されていた部隊が呼び戻され、艤装や消耗品の再点検が行われ、鎮守府海域で演習の仕上げがなされる。ぴいんと張り詰めた空気は、しかし、嵐の前の静けさにも似た平穏をもたらすものでもあった。

 

 階段を上ったところで、神通は意外な人物に出会った。

「あらあら、奇遇ね。おはよう、神通」

「本当にそうですね。おはようございます」

 神通はぺこりと頭を下げた。それを受けて、相手がふっと微笑む。

 肩のところでふっつりと切った茶色の髪、目元に色香を漂わせた顔立ち。すらりと伸びた背と引き締まった脚は優美な鹿を思わせた――戦艦娘の陸奥(むつ)である。

「もしかして、陸奥さんも提督にご用事ですか?」

 神通はさりげなく聞いてみた。さりげないつもりでも少し声が翳ってしまうあたり、嘘のつけない性格がにじんでいる。

 陸奥の指にも銀の指輪がきらめいている。

 同じ立場の艦娘。その意味では仲間であり、ライバルでもある。

「うーん、提督じゃなくて長門(ながと)を探しているんだけど」

 陸奥はうなりながら言った。それを聞いて神通が目をぱちくりとさせる。

「長門さん、をですか」

 われらが艦隊総旗艦。陸奥の姉であり、艦娘のまとめ役でもある。

「ええ。朝起きても長門のベッドが空っぽで、どうも帰ってきてないみたいなのよ」

 姉妹艦は相部屋であることが多い。陸奥と長門もその例に漏れなかった。

 陸奥はしなやかな指で自身の頬を撫でながら、ため息をついた。

「いったん帰ってきてまた出かけた可能性もあるけど、ひょっとしたらと」

「……それで提督のところですか」

 神通は我知らず自分の声が剣呑になるのを感じた。

「まさか、提督と長門さん、ひと晩一緒に……」

「ああ、心配しなくてもだいじょうぶよ。長門はあれでも純真で生真面目で不器用だし、提督も意外と奥手だから――奥手すぎるから困っているんだけどね」

「困っている?」

「わたしからちょっかい出しても提督ったら逃げちゃうんだもの」

 くすくすと笑う陸奥だったが、目の奥の光は笑ってはいない。

「まあ、確認よ、確認――そんなことよりどうしたの、その西瓜」

「ああ、これですか」

 神通はすっと目を細めて西瓜をなぜながら言った。

「差し入れです。朝は喉が渇いているでしょうから、潤いになれば、と」

「……麦茶とかじゃなくてどうして西瓜なのよ」

 陸奥が胡乱な目で緑と黒の縞々を見つめるのに、神通は微笑んでみせた。

「以前、二人で話していたときに、提督が『そういえば子供の頃に、西瓜ひと玉を半分に切ってスプーンでざくざくすくいながら食うのが夢だったなあ』とおっしゃられていて。酒保に頼んで注文していたんです――駆逐艦の子たちに見つからないように冷やしておくのは大変でした」

 神通の声が浮き立つ。そんな彼女を見て、陸奥は肩をすくめてみせた。

「……たぶんだけど、それ、『勤めだしてお給料が入ったら実際にやってみたけど、そんなに美味しくなかったし、食べきれなかった』ってオチがついているんじゃない?」

 陸奥の何気ない言葉に神通は目を丸くした。

 のみならず、抱えていた手から西瓜をとりこぼしそうになる。

「わーっ、と、あぶない――気をつけなさいよ」

 すんでのところで陸奥が拾いあげ、神通に手渡した。

「ご、ごめんなさい。でも、もうそうだとすると提督にご迷惑でしょうか……」

 顔をうつむけてしょげた表情になる神通。そんな彼女の頭を陸奥はそっと撫でた。

「そんなことはないわ。神通に西瓜の話をするってことは、やっぱり好物なんでしょ」

 

 提督執務室。通称『マホガニーの扉』。

 重厚な扉に鍵はかかっておらず、いつでも立ち入りは許されているのだが、好き好んで近づく艦娘は少ない。ここに呼ばれるということは、叱責を受けるか、褒賞されるか、はたまた厄介な特別任務を命じられるか――まずろくなことがないからだ。

 ゆえに敷居が高い場所であり、扉の前で逡巡する艦娘も多いのだが――

 いまマホガニーの扉の前でおろおろしている彼女は少し様子が異なるようだった。

 神通と陸奥が歩み寄っていくのにも気づかず、なにやら懸命に中を伺おうとしている。「――おはようございます」

 先手を打って神通は挨拶してみた。相手が戦艦娘で格上だったこともある。

「……お、おはようございます……」

 挨拶に振り返った彼女はなぜかばつの悪そうな表情を浮かべた。

 優美な長身。艶やかな長い黒髪。華を思わせる、衆目を集める美貌。そして赤と白を配して、スタイルの良い肢体にぴったり張りついた衣装――鎮守府にいるものなら知らぬ者とていない、戦艦娘の大和(やまと)だった。

 陸奥が目を細めて見つめるのに、大和は顔を赤くして頬を手で押さえる。その左手の薬指には、神通や陸奥と同じく銀の指輪がきらめいていた。

「お、おかしなことをしていたわけではありませんよ?」

「あらあら、充分に不審者に見えたけれど? ねえ?」

 陸奥が愉快そうな声をあげて、横目で神通を見る。

「扉の隙間から中を窺おうとしているように見えましたが――そんなご趣味が?」

 神通が口に手をあててみせると、大和は耳まで真っ赤になってしまった。

「ち、違います! わたし、今日は秘書艦の当番だったので朝の挨拶に伺ったんです。ノックしても返事がなくて、まだ自室なのかしらとそっと扉を開けたら……その、視界に入ってしまって」

「……何をご覧になったのですか?」

 神通は首をかしげて訊ねてみた。隣の陸奥は目に手を当てて天井を仰いでいた。

 大和はもじもじしながら躊躇っていたが、小さな声でぽつりとつぶやいた。

「――寝ている長門さんの顔です」

 その言葉が口に出された瞬間、その場の室温が一気に下がった。

 大和は困ったように顔をうつむけ、陸奥はこめかみを指でおさえながらかぶりを振っている。神通は唇を噛んで、抱きかかえた西瓜に思わず爪を立てた――艤装をつけた戦闘装備だったら、西瓜をそのまま指で砕いていたかもしれない。

「……まさか、提督と長門さん……」

 大和がぼそりとつぶやく。あの二人が何をしていたのかというと、それは気恥ずかしくて言い出せなかったが、艦娘三人ともに危惧するところは同じであった。

「もう、こんなとこでうじうじしても仕方がないじゃない」

 陸奥が鼻息を鳴らして、扉のノブに手をかけた。

 大和が息を呑み、神通が西瓜をぎゅっと抱きしめる。

 そんな二人を叱咤するように、陸奥は言い放った。

「女は度胸よ。もし『そう』だとしても、うろたえちゃだめなんだから」

 二人に向けながら、しかし、それは半ば自分に言い聞かせているかのようだった。

 

 

 扉を開け放って、三人は執務室に踏み込んだ。

 まず目に入ったのは、応接セットの惨状だ。

 テーブル一面に海図と地図がいくつも広げられ、そこに様々な駒が並んでいる。

 鉛筆でなにやら走り書きしたメモが山のように積まれている。

 そして長門である。はたして彼女はソファで寝ていた。長い黒髪、端整な顔立ち、眠っていてもなお武人の空気を漂わせているのは流石の艦隊総旗艦だったが――なにやら満足げな表情を浮かべている上に、彼女の身体の上に提督の上着が優しくかけられているのはいったいどうしたわけか。

 そこまで確認して、三人は執務室を見回した。

「――提督はどこなんでしょうか」

 神通が言った。ぱっと見た限り、執務室の主の姿はない。

「ちょっと、長門ってば、起きなさい。もう朝よ」

 陸奥が眉をひそめて揺すると、長門は「む、むう……」とうなりながら、目をしばたたかせて――そして三人の顔を見て、びくりと肩を震わせた。

「な、なんだ? なぜお前たちがここにいる?」

 長門は体を起こして訊ねた。

 ソファについた手の指に、やはりきらめくのは銀の指輪。

 “艦隊総旗艦”と呼ばれる長門こそ、最初に指輪を贈られた艦娘であり――そして、提督が最も信を置いている者といえば、誰もが認めるところである。

「……提督とお話をするときに、いつも長門さんの存在を感じていました」

 神通は静かな声で言った。

「話せば話すほど、提督の中に住んでいる長門さんの大きさを否応なしに意識させられる――それはわかっていたことです。ええ、わかっていて指輪を受け取りました。それでもやはり、一線を踏み出すことまで先を越させると悔しいですね……」

 神通の目が潤んだ。陸奥と大和が顔を見合わせてうなずく。

 長門はいうと、怪訝そうな顔をして三人の顔を見比べて、言った。

「あー……何をどう深読みしているか知らないが。わたしが提督につきあっていたのは机上演習だ。限定作戦が間近だからな。提督が深海側、わたしが鎮守府側で対局していた。それだけだ――本当にそれだけだ」

「……でも、盛り上がったんでしょう?」

 陸奥が目を細めて訊ねると、長門は答えた。

「否定はしない――実に有意義な時間だった」

 腕組みしてうなずく長門に、陸奥と大和がそろってため息をつく。

「でもそれなら提督はどちらに行かれたんでしょうか?」

 神通が首をかしげて言った、その時だった。

「――よしッ、分かったぞ! やつらの作戦が! 長門、君のおかげだ! 今回の深海棲艦の真の狙いがこれでつかめた! あとは予想されるパターンごとに対処策を――」

 唐突に、執務室に響き渡る男の声。

 四人ともに驚いて振り向くと、壁の方に向いていた執務机の椅子から、がたりと男が立ち上がったところだった。よれよれになった白いシャツ、海軍制服の白いズボン。凡庸で年齢のつかめない顔立ち。だが、彼の眼光は鷹のように鋭く、梟のように深い。

 提督。艦娘たちの司令官。そして四人に指輪を贈った張本人。

 無精ひげをなぞりながら彼は振り返り――そこでようやく神通たちに気づいた。

「おや。鎮守府の花が勢ぞろいとは何事かな」

「……提督、まさかとは思うが」

 長門がおそるおそる問いかける。

「ひょっとして、わたしが寝た後もずっと『次の一手』を考えていたのか?」

「ああ。長門の攻勢は確かに的確で、つけいる隙がなかった。だからこそ鉄壁の布陣を崩す何かを探していた。深海棲艦は必ず予想の最悪の、その更に先を行く。だが、見通しがついたよ。これも一晩、気まぐれにつきあってくれた君のおかげだ。ありがとう」

「それはいいのだがな――提督、ひょっとしてなんだが」

 長門が言いかけ、神通たちとも顔を見合わせる。

 四人はうなずいて、声を揃えて訊ねた。

「ひと晩寝ずに考えていたのでは?」

 艦娘たちに言われて、提督は目をぱちくりとさせた。

 もうすっかり明るい窓の外を見て、ぽんと手を叩く。

「なんだ、もう朝か――そういやラッパ鳴っていたな。いかん、仕事にかからねば」

 暢気に言った提督を見つめる四人の目がたちまち胡乱なものになる。

「――提督、軽く眠られた方がいいです」

「そうよ、いまは気分が高揚してるだけ。寝た方がいいわ」

「三時間の睡眠でもとらないよりマシです。寝てください」

「いいから提督、寝ろ」

 四人がそれぞれにたしなめるのに、提督は頭をかいて苦笑いした。

「君たちに言われては仕方がないなあ。ご忠告どおり、軽く眠らせてもらおう――だが、その前に、だ」

 提督は神通がたずさえてきた西瓜を見て、言った。

「西瓜、みんなで食べないか? いや、喉が渇いてたまらん」

 彼の言葉に、彼女たちは顔を見合わせ、次の瞬間には即座に動いていた。

「わたし、切りますね」

「じゃあ、食器用意するわ。ついでにお茶もいれましょう」

「洗面器にお湯汲んできます。提督、顔は洗いましょう」

「なら、わたしは机上演習の後始末だな」

 てきぱきと働きだした彼女たちに、提督はおそるおそる声をかけた。

「あの……なにか、手伝おうか?」

 彼の言葉に四人が四人とも声を揃えて言う。

「提督は座って待っててください!」

 声をあげる四人それぞれの指にきらりときらめく銀の指輪。

 それが目に留まったのか――提督は苦笑いすると、どっと椅子に腰かけた。

 

 西瓜に包丁を入れながら、神通はくすりと笑んだ。

 そんな彼女を見て、陸奥は不思議そうに目をしばたたかせる。

「どうしたのよ。急に」

「いえ――この四人が集まったのは偶然なのか運命なのかと思って」

 神通の言葉に、陸奥が息をついてみせる。

「わたしは長門を探しに来ただけよ」

「でも提督のところに行ってるかと気になったのでしょう?」

 神通はすっと目を細めた。

 包丁に力を込めると、綺麗に二つに割れた。

 みっしりと詰まった鮮やかな紅が、みずみずしく、美しい。

「こんなに気にかけてもらえるなんて、あの人は本当に……」

 続く言葉を神通は言わなかった。

 言わずとも、陸奥もうなずいてみせる。

 話が耳に入っていた、大和も、そして長門も。

 四人には自明のことだったから――あえて言う必要もない。

「さあ、いただきましょう」

 そう言って、神通は西瓜を手際よく切っていった。

 とりわけ提督には大きく切り分けていたが――

 文句を言う者は一人もいなかったのは言うまでもないことである。

 

〔了〕


 
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