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真・恋姫✝無双 ~夏氏春秋伝~ 第六十三話

ムカミさん

第六十三話の投稿です。


魏軍、出陣。

2015-02-09 10:22:07 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:5257   閲覧ユーザー数:4136

 

早朝、許昌に設置された公園内。そこに一刀の姿があった。

 

平時であれば許昌から少しだけ離れて日課の鍛錬を行っている時間帯。

 

だが、この日だけは異なっていた。

 

基礎体力向上のメニューは、時間が無いためにこの日はお休み。

 

精神力鍛錬のための瞑想のみという簡素なメニューだった。

 

座禅を組む一刀の足の間にはセキトが丸まり、最早日常の風景となっている。

 

少し離れたところからは一所に集った数多の兵によるさざめきが耳に届く。

 

今日、一刀達は大きな戦に向かって歩み出す。

 

敵の大きさを考えれば、将クラスの者達でもその身に何が起こるか分からない。勿論、油断などもってのほかだ。

 

今朝方、黒衣隊の隊員から思わぬ報告が入ってきたりもしたが、概ね今後への影響は無さそうで安心した。が、僅かとはいえ、心を乱されかけたことを一刀は反省する。

 

理想を言えば、いかな状況になろうとも油断、焦燥、恐怖の類は抱くべきでは無い。

 

それを為すには常に精神を落ち着かせることが大事。

 

一刀はそう考えたからこそ、出陣を目前に控えたこの時にも瞑想だけは行っていたのだった。

 

「一刀さ~ん!」

 

「一刀殿~!」

 

城門の方から2つの人影が駆け寄ってくる。

 

目を閉じていても雑音の遠いこの空間ではその声がよく通り、誰が来たかは一”聴”瞭然だった。

 

2人が一刀の側に至る直前に一刀もスッと目を開く。

 

立ち上がったセキトの頭を撫でてやりながら、一刀は謝意を示す。

 

「呼びに来てくれたのか、月、凪。ありがとう」

 

「はい。一刀さんなら大丈夫だとは思っていましたが、念の為に。

 

 火輪隊の皆さんは既に揃っています。他の部隊の皆さんも直に揃うと思います」

 

「そうか。なら、そろそろ行こうか……よっ、と」

 

「それから、一刀殿。華琳様から城壁上に来るように、とのことです。

 

 私はその伝令として参りました」

 

「城壁上、ね。了解。ありがとう、凪」

 

「いえ、これも仕事ですから。ところで、一刀殿。一つよろしいでしょうか?」

 

2人からの報告を受けて立ち上がり、座禅で付いた砂を払っている一刀に凪が興味に光る瞳を向ける。

 

何か凪の琴線を刺激するようなことがあったかな、と半ば疑問を抱きながらも、一刀は諾で応じた。

 

「ああ、構わないぞ。何だ?」

 

「先ほどまで行っていたアレは一体何なのですか?」

 

「ん……あれは坐禅といって、瞑想する為の方法の一つだよ。

 

 心を無にし、自分を無にし、自然を感じ取る。そこから逆説的に自己を見つめ直す。

 

 まあ、精神修養の一種として北郷流では取り入れていた、ってだけの話なんだが」

 

「瞑想……やはり、站樁に近いものを感じたのは気のせいでは無かったのですね」

 

站樁。立ったまま瞑想を行う方法の一つ。

 

中国武術の関連で少しは一刀も知っている。

 

中国拳法の修行の一つとしてよく聞くものだった。

 

考えてみれば、氣を使っているといえど凪の型もまた拳法。

 

対人鍛錬以外のところで站樁を行っていたのかもしれない。

 

「凪は站樁を取り入れているのか。北郷流の坐禅はほぼそれに近いものだと考えてもらえばいいよ。

 

 だけど、だったら何にそんなに興味を……ああ、座って瞑想しているのが気になったのか」

 

「あ、いえ、違います。そうではないんです」

 

自己完結しかけていた一刀の言に、しかし凪は否と答えた。

 

その発言は一刀を混乱させる。

 

恐らく一刀の雰囲気からだろうが、坐禅を瞑想の一種だと当たりをつけた上で質問を投げ掛けてきた。

 

その手法の違いが珍しいと感じれば質問もしたくなるというもの。

 

だが、それが理由では無いのだとすると、凪は何を目的としてそれを聞いてきたのかが判然としなくなる。

 

であったのだが。続く凪の言葉は一刀の想定を大きく外れたものだった。

 

「一刀殿は氣を使えないと仰っていたものですから。何か他の意味でもあるのかと思っていました。

 

 でも、でしたら何故使われないのですか?」

 

「ん?……氣?何でそんな話が出てくるんだ?ずっと言っている通り、俺は氣を使えないぞ?」

 

「え?いえ、あの……站樁による瞑想は氣を操る鍛錬ですから、一刀殿の、坐禅、ですか?それも同じではないのですか?」

 

瞑想は氣を操るための修行。

 

それは一刀にとって完全に初耳の情報だった。

 

とはいえ、それも仕方が無いのかも知れない。

 

そもそも現状ではっきりと氣を扱えている者は大陸中を探しても将の中に片手で数えられる程度しか存在していない。

 

孫家や蜀の将にも、一刀の知り得る限り、つまり黒衣隊の集め得る限りの情報ではその手の者はいなかったはずだ。

 

使い手の少なさはその技術のピーキーさに直結しがちである。となると、氣に関する情報は集めようとしてもまともに集まらない可能性が高い。

 

だからこそ、無理に氣に関する情報を集めても仕方が無いとかつての一刀は判断し、黒衣隊の能力はその他のことに尽力させていた。

 

幸い魏の将に凪という明確な氣の使い手がいたために、いくらか話は聞いていたのだが、それでもそんな細かいところまでは聞いていなかったのだった。

 

「氣の鍛錬ってそうやっていたのか……というより、そんなことで氣を使えるように……なるのか?」

 

「は、はい。私は站樁を行うことで氣を整えて運用出来るようにしています。

 

 一刀殿も先程の様子を見た限りでは氣の流れが十分に整っていたのですが……あの、本当に一刀殿は氣を使えないのですか?」

 

「さすがにそんなことで嘘は吐かないよ。何より、もし使えるんだったら、連合戦で恋と対峙した時に使っていただろうさ。

 

 それにしても、氣が整っていた、か……確かにそんなイメージを持って坐禅を行うわけなんだが、まさか本当に坐禅によって整えられていたとは……」

 

己の理解を超えた事態に、自然と一刀は独り言のように声が漏れてしまう。

 

話していた内容に連動して、以前に凪から聞いた話を一刀は思い出す。

 

それは一刀の質問に対する凪の答え。

 

質問の内容は、氣による攻撃というものはどういった感覚で行っているのか、というもの。

 

凪が言うには、己の中にある氣を制御して、意識的に集中させること。それが氣による攻撃の強化になるという。

 

例えば凪の場合であれば、主に脚。加えて最近では手甲への集中も取り入れている。

 

集中が一定以上に強くなれば放出することも可能。それが凪の猛虎蹴撃の原理――――と説明されたのだが、その時の一刀には理解出来なかった。

 

では、今の一刀はどうなのだろうか。

 

さすがに完全な理解にはまだほど遠いとしか言えない。だが、何かが見え始めているのもまた事実なのであった。

 

「だがなぁ……”氣”というものを実感出来ていない時点で、やっぱり俺にはどうしようもないことだな」

 

「そうなんですか?凪さんのお話を聞く限りでは一刀さんも少し鍛錬をすれば氣を扱えるのではないかと思うのですけれど」

 

「はい、月殿の仰る通りです。一刀殿の坐禅による氣の整流は素晴らしいものでした。

 

 実践に関しては感覚が占める部分が大きいのですが、一刀殿でしたらすぐに出来るようになると思います」

 

その感覚の糸口が掴めていないし、掴める気もしない。それが一刀の素直な感想だった。

 

だが折角月と凪が押してくれているのだ。

 

ここは少しは前向きなことを言っておくべきだろうと考える。

 

「そうだといいな。だったらさ、凪。今回の遠征が終わったら、もう少し詳しく”氣”の扱いについて教えてくれないか?」

 

「は、はい!喜んで!」

 

「うん、ありがとう。楽しみにしてるよ。

 

 上手くいけば、戦闘力を上乗せして恋に勝てるかも、とか考えるとワクワクもするしな」

 

自分が出した言葉に自分の心が反応する。

 

本当に恋に、あの天下の飛将軍に勝てるのなら、それはどんなに嬉しいことだろうか。

 

どうせ今の自分の現状が非常識の塊のようなものなのだ。少しくらい自分に有利な非常識があってもいいじゃないか。

 

そう思うと、自然と一刀自身も少しくらい本気で取り組んでみてもいいかも知れないと考え始めていた。

 

と、そこまで考えたところで2人がここに来た本来の目的を思い出す。

 

「っと、ゆっくり話している場合じゃなかったな。

 

 そろそろ行こうか。華琳を待たせてしまうと後が怖い」

 

「あ、はい」

 

「分かりました」

 

高まっている士気をつまらないことで僅かといえど落としたくは無い。

 

その気持ちは3人とも共通だった。

 

そのまま3人は連れ立って皆が集まる城門へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀が呼び出された通りに城壁上に至って目に入ったのは、城壁上から悠然と魏軍を見下ろしている華琳の姿だった。

 

ぱっと見では兵はほぼ全員揃っているように見える。

 

これは遅れてしまったか、と申し訳なく思いつつ、一刀は華琳に声を掛ける。

 

「すまない、華琳。遅くなったか?」

 

「あら、一刀。存外遅かったわね。けれど、まだ大丈夫よ」

 

華琳は首だけを回して一刀に答えると薄く笑んだ。

 

その表情には華琳にしては珍しくどこか興奮が見え隠れしている。

 

「何だか楽しげだな。どうしたんだ?」

 

「別にどうもしないわ。ただ、この時を待っていたというだけのことよ」

 

「この時?孫堅と一戦交えることか?」

 

「ええ。孫堅もまた、覇道を進みうる真の英傑の1人。いえ、むしろ現状では最も頂点に近い英傑でしょうね。そんな人物と刃を交える。

 

 どちらの覇道が偽物か、審判が下される。私の覇道が本物か否か、それが問われている。なんとも心躍る状況だわ」

 

指摘されてまで隠すつもりもないのか、滔々と語る華琳。

 

その顔には心底この状況を楽しんでいる様が前面に表れていた。

 

「劉備の時にも言ったと思うが、やっぱり華琳はもの好きだよ。

 

 他の者だったらきっと、これだけ大きな敵はどんな手を使ってでも排除しようとするだろうからな」

 

「それこそ愚考にして愚行ね。覇道を進むと決めたのならば、その後のことも考えなければならないわ。

 

 仮に毒でも暗殺でも、何でもありで覇道を進めたとしましょう。はたしてその者の道は民に、その者の下につく部下に、支持されるものとなるかしら?

 

 まあ、まず無いでしょうね。汚い手を常用する者はその心の内まで穢れていると見るのが人よ。

 

 明確な敵がいる内ならばともかく、それがいなくなれば忽ち疑心暗鬼が満ちて立ち行かなくなることが目に見えているわ」

 

「確かにな……それはいつ恐怖政治に移行するとも限らない、余りに不安定すぎるものだ。

 

 大きな敵ほど正面から打ち倒す方が見た目に分かりやすく、求心力も出そうだな。後世に至るまでの長き安定統治を目指すのならば、それも必要、か」

 

「そういうことよ」

 

理解を示した一刀に華琳は満足気に頷いた。

 

と、そこで各所からの報告を纏めていた桂花が華琳の下へ歩み寄ってきた。

 

「華琳様。全部隊の出陣準備、完了致しました」

 

「分かったわ。ありがとう、桂花」

 

一言掛けてから、華琳は城壁をさらに一歩、縁に向けて踏み出した。

 

その行動によって華琳の姿は城壁下からでも兵達の目にはっきりと収まるようになっただろう。

 

空間を満たしていたさざめきが急速に退いていく。

 

静寂が訪れるまでに要した時間は僅かなものだった。

 

華琳が大きく息を吸う。そして、張り上げられた華琳の声がその場に響く。

 

「皆の者、聞け!

 

 我等が魏の覇道は今日この日、大きな一歩を踏み出す!

 

 今、我等が向かうは建業、相対するは孫文台!その呼び名に恥じぬ真の英傑である!

 

 我等が覇道を目指し続ける限り、他の英傑と刃を交えるは避けえぬこと!それが今だったというだけのこと!

 

 されど、恐れるな!我等もまた英傑の一!これまでもこの力を大陸に示してきた!

 

 そして何より、我等には天の御遣いが付いている!

 

 今、天の時は満たされたと見ずして、いつそう見ようか!!」

 

そこまで一息に述べ上げた華琳は、言葉を切ると横目に一刀を見やる。

 

視線で一刀を促す。その為に呼んだのだと。

 

華琳の意を受け取った一刀は頷きを返すと、華琳の隣に歩み出る。

 

今、自分がこの役目を期待されているのならば、見事務め上げて見せよう。その思いの下、一刀もまた張り上げた声を響かせる。

 

「この場に集いし勇敢なる兵士諸君!諸君らの中には此度の敵を知り、心に浮かぶ不安を消せぬ者もいるかもしれない。

 

 確かに孫文台は強大であろう。だが、考えてもみてほしい!果たして我等の軍が、部隊が、将が、そう簡単に遅れを取るだろうか?

 

 否!そんなはずが無い!我等には武勇に長けた頼もしき将軍が付いているのだ!知略に富んだ優秀なる軍師が付いているのだ!

 

 そう、我等は個で見れば欠けたる部分があろうとも、全となれば補いうるのだ!

 

 不安や恐怖を覚えるのは人として当然だ。だが、それに囚われるな!

 

 こなしてきた鍛錬の数を自信に変えろ!怯まず、されど驕らず、適度な緊張を保て!

 

 今こそ、その成果を見せる時だ!!」

 

兵への激励に終始し、言い終えた一刀は半歩下がる。

 

自然、華琳が最前となり、全視線は華琳へと向く。

 

出陣前、最後の締めに、華琳の宣言が響いた。

 

「これより我等魏軍は建業へ向けて出立する!

 

 各自、指示に従い、秩序を持って行動せよ!軍紀を乱す者は例え進軍中であろうとも厳罰に処すが、そうならぬことを願っている!

 

 我が覇道に穢れはいらぬ!正々堂々、孫堅を正面から打ち破ってやろうぞ!」

 

スッと華琳は自身の得物、死神鎌の絶を前方に構える。

 

向ける先は東方の地、建業。

 

直後、一際張り上げた声が轟いた。

 

「全軍、出陣!!」

 

宣言を受けて眼下の集団が一斉に蠢く。

 

鬨の声が上がり、空気が打ち震える。

 

大地をも震わせるほどのその光景と共に、魏国の進軍が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三姉妹が各地で集めてくる兵に加え、麗羽からごっそりと吸収した兵。

 

それらによって、短期間で魏国の兵数は急速な伸びを見せていた。

 

それは確かに喜ばしいことなのだが、素材さえあればなんとかなる生産品たる各種装備とは異なり、軍馬の数はそう簡単には増やせない。

 

つまり、新兵は大半が歩兵となり、そうなると軍全体の移動速度もまた制限される。

 

その為、軍馬に跨る幹部勢は各所の部隊に指示を出しながらも雑談を交わす余裕さえあるのだった。

 

と言っても、全く関係の無い話が飛び交っているわけでは無い。

 

今、一刀と華琳の間では今後の進軍の予定が話題となっていた。

 

「詳しい進軍経路はどうなっているんだ?長江と、経路によっては淮水も渡ることになると思うが」

 

「最短経路を行きたいところだけれど、桂花達は地形的に厳しいと判断したようね。

 

 まずは真っ直ぐ南下して敵領に侵入、淮水は迂回するわ。江夏までは行かず、長江に沿って東進。

 

 長江は建業にある程度まで近づいてから渡る予定よ」

 

「うん、まあそうだよな。ただ、渡る前にあまり近づきすぎて気付かれると厄介なことになりかねないぞ?

 

 相手は水軍が強く、全体的に水上戦闘に慣れている。向こうの準備がいくら不十分であろうとも、戦場が長江なんてことになればあまりに厳しい。

 

 水上戦闘のいろはを知らない魏軍ではあっさり有利を覆されて返り討ちにあいかねないからな」

 

「桂花も言っていたわね。皆にも知らせていたし、そこに注意しながら策を立ててくれているはずよ」

 

建業やその前の長沙の時でも、内部の深い情報は黒衣隊の力を持ってしても大したものは得られていなかった。

 

その中で比較的多くの情報を得られたのが水軍だった。

 

一刀は当初から後の孫呉の水軍の精強さを警戒しており、情報収集の優先順位を高く設定していた。

 

勿論、未来の知識からきているものだが、一刀が警戒を示す理由に特別興味を抱く者はいない。

 

それまでがそうであったように、隊員は一刀なり桂花なりの指示に従って情報を収集し、それを届けるのみ。情報に関するそれ以外は上の仕事だと割り切っていた。

 

それはともかく、水軍の訓練は必然、街を離れて行われる。

 

いくら呉の間諜・防諜が優れていようとも街の外の広い視界全てをシャットアウトすることは出来ない。

 

その隙を突き集められた情報は、大陸において頭一つ抜けた孫家の水軍力を示したものだった。

 

当然その情報は既に軍師達に共有され、今回の進軍経路決定においても重要なものとなっているということだ。

 

「出来ればこの一回で決めて、孫堅のところと水上でやりあう可能性を完全に潰してしまいたいな」

 

「あら、貴方ともあろう人が随分弱気な発言ね?」

 

「そりゃあそうだろ。水上戦闘、といっても個人で考えれば船上戦闘に関してになるが、それは俺も鍛錬したことが無い。

 

 鍛錬を積んで築いた技術で戦う俺にとっては今現在絶対にやりあいたくない相手と状況だからな」

 

「ああ、そういえば、貴方はそんな武の形だったわね。あの恋と互角に渡り合えている、なんて印象ばかりが強くて、少し忘れていたわ」

 

これを光栄と見るべきなのか判断を付けられず、一刀は曖昧に笑みを浮かべることで流す。

 

と、ふと異なる内容ながら一刀の中に疑問が浮かんできた。

 

今の話題が途切れそうなこともあり、これ幸いとその疑問を華琳にぶつける。

 

「道中の砦などは全て落としていくのか?落とすにしても無視するにしても、建業急襲という目的を考えればそれぞれに利点と不利点とがあるが」

 

「それも基本方針は迂回、つまり無視、ね。いらぬ視界に入らぬよう、多少の蛇行は致し方なしよ」

 

「その上で避け得ぬ砦だけを速攻で落とす算段か。急襲を完全なものにするにはそこからの連絡兵もなんとかしないといけないよな」

 

「……そこは霞に頑張ってもらうわ。向こうも早馬を使うでしょうし、霞でなければ厳しいと思うわ」

 

「それもそうか。詰めるところは詰めているようだし、後必要なのは、運、だな」

 

これは言いながらも華琳からは反論が返って来るものと考えていた。

 

だが、華琳の反応は予想外に全肯定だった。

 

「どれだけ策を弄そうとも相手が人である以上、不測の事態は常に起こりうるものよ。

 

 貴方の言う通り、ここまで来れば後は運のみ。けれど、その運に愛された者こそ、真の覇道を歩めるのだとも思わないかしら?」

 

「はは、確かにこんな場面でいつも運が向くなんてことがあれば、それこそ神に愛された人物だな」

 

冗談なのか本気なのか、話している本人達でさえ半々であって分からない。

 

だが、半ば有り得ないと分かっていても、そんな超人然とした人物は理想として十分なのも事実であった。

 

互いに言いたいことを言い終えたようで、一刀と華琳の会話はそこで途切れる。

 

華琳から確認したいことを終えた一刀は、桂花と部隊の行動について詰めてくる、と言い残して華琳の下から流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「監視対象に漏れは無いわよね?ここにきてつまらない失態はしないでちょうだいよ」

 

開口一番、桂花のキツイ言葉が飛んできた。

 

一刀は苦笑を浮かべて応じる。

 

「前に聞いた、流れて来た連中には他の倍の人数を付けている。後は元袁家の者達も監視している。まあ杞憂だろうが、むこうには袁術がいるから一応な。

 

 他の部隊には現状不穏な動きは無かったはずだが、どこか追加しておこうか?」

 

「それで十分よ。これからの戦にあたって昨日に今までの報告書を読み直しておいたから。

 

 それと、許昌を出る時に向こうの間諜に気付かれた、なんてことはないわよね?」

 

「あぁ、それは……正直に言えば、危なかった」

 

「はぁ!?」

 

桂花としては一応確認しておいただけのつもりだったようで、一刀の答えに素の驚声を上げてしまう。

 

しかし、一刀の言葉が含む意味を理解すると咳払いをして気を取り直し、詳細を問う。

 

「危なかった、ってことは最終的には大丈夫だった、ということでいいのよね?詳しく話しなさい」

 

「ああ。昨日、一昨日と黒衣隊を動員して店を見て回るように装って街中を捜索していたんだ。

 

 結果、潜んでいた孫家の間諜を2人、捕殺した。あれだけ大々的に捜索してようやく見つけたくらいだ、中々の手練れだろう。

 

 一応二日間で街中を隈なく捜索したし、それで全員かと思っていたんだが、念のために昨夜から今日の朝にかけて許昌の外壁周りを監視させていたんだ。

 

 それで、結論から言えばそこで1人、網にかかった。3人目の孫家の間諜だった。どうやら捜索の時は完全に俺たちが欺かれていたようだ」

 

「……まだ他にも潜んでいて、今頃は建業に、なんてことは無いの?」

 

冷静を心掛け、最悪の可能性を桂花は確認する。

 

桂花の目には不安の色が見え隠れしている。場合によっては許昌を出たばかりにして既に計画の変更を余儀なくされるかもしれないからだろう。

 

一刀の方も問われたその可能性は考えている。が、隊員の働きと報告、そしてその見る目を信じ、希望的な推測の方で答えた。

 

「少し心配ではあるが、無いと信じたい。今朝方捕らえた間諜はかなり必死の形相だったらしいからな。

 

 明確な言質を取れたわけではないようだが、交戦の最中に自分が捕まれば終わってしまうらしきことを呟いたらしい。

 

 時期も時期だし、孫堅の間諜は3人で全部と見ていいだろう」

 

「…………考えてみれば、相手が相手だものね。取り乱して悪かったわ。むしろ、3人目も逃さずに捕らえてくれたことに感謝しなければならないわね」

 

「後で監視を任せた隊員の名簿を作って渡すよ。特別手当を出しといてやってくれ」

 

一刀の願い出に桂花が異を唱えることは無かった。

 

それに値する働きを示したものと桂花も考えてくれたということである。

 

一区切りついた話題に続き、一刀は桂花にしか聞けない内容を問う。

 

「話は変わるが、敵連絡兵の捕殺は霞に任せるらしいな。確かに霞とその部隊の速度には目を見張るものがあるが、補殺とはまた別物じゃないか?」

 

「ええ、そうね。けれど、早馬を使われた上に気付くのが少しでも遅れれば、霞でなければ厳しすぎるわ。

 

 だから、霞にやってもらうのは勿論として、黒衣隊員も数人付けるのよ。間諜の捕殺とは勝手が違うのでしょうけど、他の手よりは信頼できるわ」

 

澱みなく策を語る桂花。

 

先程も少し感じたが、その語り口からは、やはり桂花は黒衣隊を高く評価してくれていることが分かる。かといって過剰評価というわけでも無い。

 

桂花の中の基準に沿ってではあるが精確な評価を下し、上手く隊を動かしている。

 

改めて考えてみずとも、桂花を曹軍に迎えたあの時に彼女にこの部隊の上を任せたことは良い判断だったと言えた。

 

「今回も、黒衣隊として色々動くことになりそうだな。いや、動く必要が無い方がいいんだが」

 

「そういう部隊でしょう?諦めなさい。ってあんたは当然承知の上なのよね。

 

 ついでにあんたは誰よりも忙しくなりそうよね。火輪隊と黒衣隊。大変でしょうけど、頑張りなさいよね」

 

「どっちも俺が作った部隊だからな。きっちりこなすさ。そうでなきゃ華琳にも桂花にも顔向け出来ないからな」

 

それに夏候家にも顔向け出来なくなる、とは心中で付け足す。

 

確かに黒衣隊の元々の発足理由は夏候家の助力の為である。

 

だが、華琳の下に入り、魏の兵をもって増員をなした今ではすっかり魏の部隊なのだから、それを口に出すことはさすがに憚られたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魏軍はぞろぞろと平野を進む。

 

魏領内にいるうちは、まだまだ緊張した空気は薄いもの。

 

だが南下を進めるに連れ、徐々に緊張感が増していく。

 

やがて、目測ではあれど、孫家の領内へと侵入する。

 

ここからはなるべく敵に見つからぬよう、街を避け、時には道なき道を行くことになる。

 

頼みの綱はかつて大陸を渡り歩いた稟と風、そして未だ若干怪しい魏に流れ着いた兵の一団。

 

桂花の放った間諜が、その道を使えることは確認している。

 

使えるものは使うべきだ、として進軍経路は決定されている。

 

さあ、ここからだ、と各々気合を入れて一歩を踏み出す。

 

華琳もまたいっそう固めた雰囲気を崩さぬような微笑を浮かべ、ここからの作戦の胆となる霞に声を掛けた。

 

「霞、頼んだわよ」

 

「おう、任しときぃ!」

 

重責をものともしない霞の返答。それは霞の周辺を震源に、魏軍を更に盛り立てるのだった。

 


 
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