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真・恋姫†無双 異伝 ~最後の選択者~ 第三十四話(二)

Jack Tlamさん

分割投稿の後半です。

後半は劉備軍に視点が移ります。あまりの醜悪さに目も当てられません。

では、どうぞ。  ※アンチ展開・残酷描写有

2014-11-14 06:15:01 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:10879   閲覧ユーザー数:6836

□虎牢関戦・劉備軍(後曲)

 

――後方に下がって兵を統率していた趙雲達は、恐るべき光景を前にしても幾分か冷静であった。

 

「そ、そんな……こんなこと、って……!」

 

ただ一人、孔明は恐怖のあまり重心を失って倒れそうになり、傍らに付き添っていた張飛に支えられていたが、その張飛も含めて

 

趙雲達は比較的冷静に事態の推移を見守っていた。あくまで「比較的」冷静なのであり、驚愕していることに変わりは無かったが。

 

「ぐっ!……ちぃ、ままならんな……!」

 

槍を支えにすること無く、なんとか自力で踏ん張る趙雲。その怜悧な美貌には相応しくない脂汗を大量に流し、軋る音が聞こえる

 

ほどに歯を食いしばり、崩れ落ちないように必死に耐えながら、震える躰を叱りつけ、言うことを聞かせる。

 

(震えが抑えられん……!戦場でここまでの恐怖を覚えたのも久方ぶりとはいえ、指一本動かすことさえ儘ならんとは!)

 

たった二人に対するには、無茶苦茶なまでの数の暴力。劉備軍は最初から戦うつもりが無いので戦力から除外するとしても、単純

 

兵力差にして六万対二。しかも、並みの軍とは練度が桁違いの曹操軍と孫策軍が相手であるうえ、将の質も高い。負傷者は多いが、

 

それでも曹操、夏候姉妹、許緒、孫策、甘寧といった武将がおり、荀彧、周瑜、陸遜といった智将もいる。錚々たる面々が率いる

 

精強な軍を相手に個人単位で戦うなどという暴挙は想像するだけでも恐ろしいものだ。馬鹿馬鹿しいとも言い換えられるだろう。

 

――だが、一刀と朱里はそれをやってのけた。

 

あまりにも簡単に、数万人規模の強力な軍をごく短時間で戦闘不能に追いやり、戦場を静寂の中へと帰してしまうほどの強大な力。

 

戦略・戦術という概念を完全に超越した、何もかもを問答無用で叩き潰す存在。敵対する者から恐怖以外の全ての感情を奪い去る

 

存在。そんな存在を形容する言葉など、そうそう無いだろう。最早『天災』としか言いようがない。

 

「星さん……」

 

趙雲の傍らにいた鳳統が声をかけてくる。信じ難いことに、鳳統には特に堪えた様子が見られなかった。震えてはいるが、彼女の

 

表情からは恐怖やそれに類する感情は窺えない。黒雲で太陽の光が届かなくなり、風も強いので、単純に寒がっているだけという

 

可能性もある。だが、その震えは寧ろ怒り狂う寸前まで来ているからこそのものだと趙雲は気付いていた。

 

「……雛里、お主はなんともないのか?」

 

「なんともないなんて、そんなこと言ったら大嘘です。でも、不思議と落ち着いています……頭は、今にも沸騰しそうですが」

 

最後の一言を述べる声は震えていた。そんな彼女の様子に、趙雲は自身の見立てが正しかったことを確信する。あの気弱な少女が

 

ここまで感情を露わにするのを見て密かに感心しつつ、言葉を切って視線を前線へと向けた鳳統に倣って趙雲も前線を見やる。

 

「……酷い天気ですね……強風は吹くし、雷は物凄い勢いで落ちてくるし……」

 

「うむ……まるで、二人の怒りと哀しみに天が呼応しているかのようだ……」

 

風の匂いが変わっている。空気が湿り始めるのは雨の前触れだ。土埃は風で吹き飛んでしまっているので、虎牢関はまだはっきり

 

見えている。しかし今の季節は冬。冬の雨は冷たい。ただでさえ傷付き、体力の限界が見え始めている連合軍に雨の負担は大きい。

 

下手をすれば、病に冒されて命を落とす者も出てくる虞がある――趙雲は決断した。

 

「最早、是非も無し。降伏を宣言せねば、二人は劉備軍まで吹き飛ばしかねん。雛里、兵に指示を出して先に――」

 

突然、言葉を切る趙雲。それを不審に思った鳳統は趙雲を見、次いで辺りを見渡せば、こちらに近付いて来る数騎の騎兵が見えた。

 

「――ああ、ここにいたのね!星、すぐに軍を纏めて撤退を!」

 

馬に騎乗して駆けて来たのは簡雍だった。普段から落ち着いた物腰の彼女にしては珍しく、かなり切迫した表情で近付いて来る。

 

「どうしたというんだ、優雨?ちょうど私の独断で兵を退かせようと雛里に指示を出したところだったのだが……」

 

「それならちょうど良かった。これ以上、戦闘を続行するのはあまりにも危険よ。空を見渡してみて頂戴」

 

「空、だと……なっ!?」

 

簡雍に言われるまま、訝しげに空に目を向けた趙雲は、一転してその美貌を驚愕の色に染める。無理も無い話だ。空には、趙雲が

 

先程一刀達を形容できる言葉として思い浮かべた言葉そのままの「もの」が、それも幾つもあったのだから。

 

「な、なに……あれ……!?」

 

孔明が怯えきった声を出し、次いで鳳統が息を呑む。張飛に至っては驚きのあまり声も出ない状態だった。「それ」はあまりにも

 

巨大で、あまりにも神秘的で、そしてあまりにも恐ろしいものであった。渦巻く黒雲、吹き荒れる風、幾条もの紫電を纏い、尚も

 

成長を続け、見る者に途轍もない圧力を与えるそれは――

 

 

 

――巨大回転積乱雲(スーパーセル)!!

 

 

 

ひとたび発生すれば激しい雷雨や雹を伴い、多大な被害を齎すそれを、かつて『別の外史』に行った経験を持つ趙雲は知っていた。

 

条件からして明らかに自然に発生したものではない。複数が同時発生し、しかもそれぞれの間隔があまりにも近い。こんなことが

 

自然に起こっていい筈がない。たった一つでも大災害であるのに、それが林立するかのごとく複数発生するなどと――!

 

「ちぃっ!この大破局に気を取られ過ぎたか!このままでは多大な被害が出る……雛里!兵を連れて撤退しろ!責任は私が取る!」

 

「はい!」

 

趙雲の指示に鳳統は力強く返答し、張飛にも指示を出してすぐさま兵を纏め、態勢を整えていく。その姿はとても凛然としていた。

 

「あなたはどうするの、星!?」

 

「私は……」

 

簡雍の問いを受け、趙雲は言葉を切って思案する。現在の天候はあまりに危険。多方向から強風が吹いているが故か、それぞれが

 

打ち消し合い逆に弱くなっているというのが救いといえば救いであるが、そんな状況がいつまで続くともわからない。かの天災が

 

生み出す暴風は、人間など簡単に吹き飛ばしてしまう。それほど危険なものが複数同時に、しかもそれぞれが近接して発生すると

 

いう異常事態。もしも、小康状態とも言える今の状況が崩れたなら、それこそ夥しい数の死者を出す大惨事となろう。そうなれば、

 

今最も危険な前線にいる者達の命はまず無い。今は皆で固まり、嵐に備えなければならない時――趙雲は決断した。

 

「……まだ前線には桃香様と愛紗がいる!私はこれより前線に赴き、二人を連れ戻す!場合によっては気絶させてでも!」

 

「……どうせそんなことだろうとは思っていたけど、あの娘はどうしてこんな時まで自分勝手なことを!」

 

劉備達がまだ前線に居座っていることに憤慨する簡雍。彼女は劉備の幼馴染であるため、尚更今の劉備の態度が許し難いのだろう。

 

「理由など、我ら『計画』参加者は概してわかっていることであろう。これこそが主の言うところの『悪意』なのだよ。違うか?」

 

「……そうかもしれないわね」

 

言葉の定義の上では違うのかもしれない。しかし、これもまた『悪意』の一つの形であると趙雲は思っていた。現実とは得てして

 

悪意的なものであるが、その中でも輝くような素晴らしい現実もまた存在し、劉備達もそれは知っている筈である。だが、一方の

 

側面を見るだけでは現実を見ているとは言えない。そしてそうした『悪意的な現実』から目を背けるという行為そのものがやがて

 

自覚されない『悪意』となって、明確な悪意を以て為される行為よりも酷い結果を招くこともままあるのだ。

 

「それが個人の問題で済むなら、二人もここまではしなかっただろう。だが、事はそれでは済まないから、敢えてそれを体現して

 

 知らしめようとする。方法としては最悪のものだが、最も効果的であるのは確かだろうさ」

 

「桃香や愛紗個人の問題では済まないから、こういうことをした……か。非合理極まりない行為であることは否定出来ないけれど」

 

「……」

 

簡雍の評価は正しい。この戦闘が始まる前、袁紹から公孫賛を通じて降伏の書状が劉協に送られている。態々応戦せずとも、今の

 

連合軍には虎牢関を抜く術など無い。それで時間を稼げば劉協は停戦の勅状を出せるし、或いは直接来ることも出来る。一刀達も

 

劉備達と接触する必要は無かった。その点、此度の一刀達の行為は『無駄な行為』とも言える。

 

だが、北郷一刀という人間は合理主義者でもなければ、一時の感情で動くような人間でもない。それが理解出来る程度には簡雍も

 

一刀との関係を大切にしてきたつもりである。これは朱里に対しても同じことが言える。理性的に割り切れない疑念をずっと心に

 

蓄積してきたからこその実力行使であり、またこれも『計画』の内なのだろう――二人の見解は一致していた。

 

「……話はこれくらいにしておきましょうか。星、一人で手が足りないのなら私もついていくけれど、どう?」

 

「いや、手は足りる。寧ろ、駄々をこねるだけの小娘二人が相手では、少々過ぎた配役とは思わんか?」

 

「要らない心配だったみたいね。わかったわ。それと、私からもお願い。桃香はもう遠慮無くぶん殴って頂戴。もしそれでもまだ

 

 我儘を言うようなら……一刀達も殺すつもりは無いでしょうし、後は任せてしまうのも良いかもね」

 

随分と過激なことを言う――簡雍の言動に趙雲は苦笑する。なんとしても連れ戻すと言ったのに、後は一刀達に任せても良いとは

 

荒療治にもほどがある。その一刀達も「荒療治」をするつもりなので、簡雍の提案は強ち乱暴な意見とは言えないが。

 

「……心得た。だが判断は私に任せてもらおう。それで良いな?」

 

「ええ」

 

言葉少なに互いの意志を確認すると、簡雍は連れて来た騎兵達とともに走り去り、続いて鳳統に率いられた兵達が撤退を開始する。

 

それを確認した趙雲は、一瞬天を見上げた後、決然とした表情で前線へと駆け出した。

 

 

□虎牢関戦・劉備軍(前曲)

 

――目の前の光景に圧倒され、劉備達は力無く頽れていた。それだけしか、出来ることはなかった。

 

「……」

 

言葉など、紡げる筈も無かった。心の中に在った筈の言葉は、凄烈極まる氣の波導と一刀達が引き起こした大破局の光景によって

 

跡形も無く消し飛ばされてしまったのだから。心の中に在った言葉をぶつけるべき相手は、彼女達を無視して戦場を蹂躙していき、

 

曹操軍と孫策軍は四半刻も経たないうちに戦う力を奪われた。いとも簡単に、絶望的な「力の差」によって。

 

「……どう、して……?」

 

劉備のか細い声は、忽ち天地を震わせる数多の轟音の中に呑み込まれ、すぐ隣にいる筈の関羽の耳にも届かずに消えていく。

 

「どうし、て……どうして、こんな、こと……」

 

それでも彼女は問い続ける。そんな意図など無くとも、言葉は紡がれ続ける。まるで心の中から何かが漏れ出しているかのように。

 

だが、現実は彼女達を待ってはくれない。後ろから誰かが駆けて来る音が聞こえ、二人は現実に引き戻される。

 

「――愛紗!桃香様!」

 

振り向けば、駆けて来たのは趙雲だった。後方にいる筈の趙雲が何故前線に出て来たのか。関羽の中にすぐさま疑念が生じる。

 

「星!お前は後曲指揮だろう!何故出て来たっ!?」

 

「これ以上戦闘を続行出来ぬから出て来たのだ!お主や桃香様を連れ戻すためにな!空を見渡してみろ!その理由がすぐに解る!」

 

「なに……なっ!?」

 

趙雲の不可解な言葉に不信感を抱きつつ、空に目を向けた関羽は、そこに在る大自然の猛威――『天災』の存在を認識した。その

 

存在はあまりにも圧倒的で、見る者の本能的な恐怖を呼び起こしていく。既に士気は最低だったが、ここにきてその最低を割った。

 

「うわああああっ!」

 

「な、なんだありゃあっ!?竜巻!?でか過ぎる!しかも幾つも!?」

 

「か、神の怒りだ……!神が、神が怒っているんだぁあああっ!」

 

兵の間に凄まじいまでの恐怖が広がっていく。無理も無い。あんなものを見せられれば、余程肝が据わった者でなければ恐怖する。

 

まだ気象学が発達していないこの時代ならば尚更であろう。加えて、将ばかりでなく兵達も、一刀達の天地揺るがすほどの怒りを

 

目の当たりにしている。これでは一刀達が『天災』を呼び寄せたと思っても何ら不思議はない。

 

「さあ、早く撤退するんだ!時間が無い!このままではお主や桃香様までも命を落とすぞ!兵にも最早、戦う力は残っていない!」

 

「くっ……だが、まだご主人様達が!」

 

「馬鹿者!兵を犬死させる気か!もう既に後曲の部隊は撤退させている!これ以上戦いを続けても、最早二人は戻らぬぞ!」

 

趙雲は訴えかける。無意味な犠牲を看過することは出来ないと。これ以上戦ったところで、一刀達を取り戻すことなど出来ないと。

 

「何を言っている!ご主人様が……ご主人様達が戻られない限り、我ら劉備軍は退かぬ!どうあろうと、退いてはならぬのだっ!」

 

関羽は拒絶する。自分達は最低限の目的である一刀達の奪還すら未だに果たしていないと。何があっても退いてはならないのだと。

 

「愛紗……貴様、何度言ったらわかるんだ!お二人は誰かに操られるような者ではない!貴様はお二人を過小評価し過ぎている!

 

 貴様の彼らへの信頼はその程度だったのか!?その主張こそが彼らの意志を蔑ろにするものだと、何故わからん!?」

 

「星っ!よもや貴様、ご主人様達が董卓の側についていることが、お二方のご意志だと言うのではあるまいな!?」

 

「では、彼らの意志とは如何なるものか知っているか!?貴様はそれを十二分に理解した上で、そこまで頑固に主張するのか!?

 

 管輅の予言を丸呑みするつもりか!?貴様は対話すべき相手と対話することもせず、他者の言葉を根拠にすると言うのか!?」

 

いよいよ苛立った趙雲は、決定的な点を指摘する。彼らの意志は彼らだけのものであり、それは他者の言葉を根拠に断じられては

 

ならない。それを根拠に推察するだけならばまだしも、鵜呑みにしてそれが「彼らの意志」だと主張するのは、筋違いも甚だしい。

 

関羽とて流石にこれくらいはわかっている筈――趙雲はそう思ったからこそ、敢えて最も痛い点を突いたのだった。

 

しかし――

 

「――黙れ……!」

 

「っ!?」

 

怒気を含んだ声が発せられる。それだけならば趙雲も驚きはしなかっただろう。だが、関羽の全身から湧き出る昏い『なにか』が、

 

趙雲に有無を言わさず息を呑ませる。そして関羽は『なにか』を抑えることもしないまま、紡いではならない言葉を紡いでいく。

 

「黙れ……黙れだまれダマレェェェっ!どいつもこいつも、我らの想いも斟酌せず訳の分からぬことばかり抜かしおってぇっ!!」

 

「……」

 

「ご主人様のご意志は、桃香様の理想そのものなのだっ!それ以外に、何があるというのだ!?ええ!?それ以外に、何がっ!?

 

 対話などせずともっ!既に証明されていることに今更疑問を差し挟む余地などあるものかっ!それ以外に、有り得んのだっ!!」

 

激昂して本心を吐き出した関羽だったが、精神的に追い詰められているためかそれ以上は言葉が続かない様子で、代わりに敵意で

 

爛々と輝く瞳で趙雲を睨みつける。その迫力はまさに鬼神の如き凄まじさであり、流石の趙雲も身が竦む。しかし、それも長くは

 

続かない。趙雲の躰から緊張が抜け、そして彼女は別種の緊張に身を浸す。ここは最悪の手を使うしかない――趙雲はそう決断し、

 

槍を握る手に力を籠めた、次の瞬間だった。

 

「……そうだよ。みんな……みんな、おかしいよ」

 

か細く、絞り出すような、しかしはっきりと聞こえる声で呟きながら、劉備はゆらりと立ち上がった。瞬間、趙雲の背筋に今まで

 

感じたことの無い類の悪寒が走る。槍を取り落しそうになるほどの戦慄。それは先程とは別種の驚愕であり、恐怖であった。

 

「ご主人様は、この大陸を笑顔で一杯にするために天の国から舞い降りて来た『天の御遣い』様なんだよ?わたし達と同じ理想を

 

 持って戦っている人が、どうして自分からわたし達の許を離れるの?わたし達のご主人様になってくれた人が、そんな自分から

 

 離れていくなんて考えられないよ。そうでしょう?董卓さんに攫われて、無理矢理従わせられているんだよ。そうじゃなければ

 

 ご主人様がわたし達から離れていくなんて、絶対にありえないよ。わたし達の大切な、大好きなご主人様なんだもん」

 

彼女の全身から発せられる、有り得ない程にどす黒い感情は、あまりにも自己中心的な言葉となってその口から吐き出されていく。

 

「それに……みんなのご主人様なのに、どうしてご主人様を独り占めするような意地悪な人が、ご主人様の隣にいるの?わたし達

 

 みんなのご主人様なのに、独り占めするなんて許せないよ。ご主人様は優しいから、そんな人でも許しちゃうんだろうけど……

 

 このままじゃ、ご主人様は間違った道に行っちゃう。ご主人様は……ご主人様は、わたし達を置いていなくなったりしないっ!

 

 ご主人様がいなくなったら、みんなもう笑顔になれない!ご主人様は優しいもん!そんなこと、絶対にしないんだからっ!!」

 

それは偏執。それは拒絶。かの占い師の予言は、彼女達の中で揺るがし難い一つの概念として固着し、最早それ以上に変わらない

 

固定された『天の御遣い』像となっている。趙雲は信じられなかった。劉備の彼ら――いや、『彼』に対する異様なまでの執着も

 

信じ難く、また受け入れ難いことであったが、それ以上に趙雲は途轍も無い驚愕を味わっていた。

 

(それでは単なる独り善がりではないか!まるで、自らが定めた法理から逸脱することを許さぬと――ま、さか……!?)

 

解答に至る。それは正誤定かならぬ解答。されど誤答も正答へと至る一つの過程。そして趙雲の得た回答は、決して誤答ではない。

 

(そうか……そういうことだったのか!今迄のことも、そして『あの時のこと』も!全てがそれに起因するというのか!)

 

趙雲の脳裏に『前回の外史』の出来事が瞬く。かつて味わったあの苦い想い。その原因を知ってはいても、何よりも大きな原因と

 

思われる要素を彼女は見落としてしまっていたのだ。それは、劉備と一刀の決定的な違い――外史の規定など関係ない。二人には

 

あまりに大きな隔たりがある。そう――拒絶と否定は違う。それこそが、両者の決定的な違いだ。

 

(あの時の言葉はそういうことだったのですな、主よ!あなたはなにもかもわかっていた!だから、あなたと桃香様は!)

 

あの時、一刀が語った言葉――趙雲は思い出す。一刀にはわかっていたのだ。『始まりの外史』から、ずっと一刀はそうであった。

 

選べなかった運命を受け入れ、立ち向かってきた。言い知れぬ孤独に震えながら。だからこそ両者は決定的に相容れない。

 

「愛紗ちゃん!ご主人様を取り戻そう!ご主人様も言ってたけど、言葉だけじゃ届かない!わたしも戦うから、お願い!」

 

「……はっ!」

 

趙雲に背を向けながら、宝剣を構え直す劉備。彼女の言葉を受けた関羽も偃月刀を構え、戦闘態勢に入る。こうなってはもうこの

 

二人は止まらない。趙雲は改めて槍を握る手に力を込め、二人を背後から打とうとした――その時だった。

 

「――そう。言葉だけで届かないことは幾らでもあります。ですが、最初に言葉を捨てたあなた達にそれを言う資格は無いですね」

 

背後から聞こえた声に、三人は一斉に振り向く。そこにいたのは朱里だった。剣を鞘に納め、全身の力を抜いて佇立している。

 

「――そして、力があっても届かない。その原因は『届ける』という意志の欠如に他ならない。意志無き言葉は、消えゆくのみだ」

 

今度は虎牢関側から声が聞こえる。再び振り向けば、そこにいたのは一刀だった。刀を鞘に納め、腕組みをしながら佇立している。

 

両者とも躰に全く力みが無く、戦意すらそこには無い。それでいて、周囲一帯を圧潰させかねない覇気を放つ。

 

「想いも、力も……意志が無ければ意味をなさない。それはこの世界があなた達の夢の世界ではないという、紛れも無い証明です」

 

その語調はあくまで静かだったが、ただ静かに見据えられるだけで、途轍も無い畏怖の念が全身隅々から湧き上がる。

 

「さあ、思い知ってもらおうか。意志を根源とする我らが力を。そして、『現実』という最大最悪の理不尽の恐ろしさをな」

 

一刀の宣告がなされたと同時、雷の閃光が轟音と共に戦場を白く照らした。

 

 

閃光が収まると朱里は予備動作無しで空高く跳躍し、一刀の隣に降り立つ。

 

改めて見ても「比翼の鳥」と表現すべき自然な姿。この二人が互いに寄り添い、同じ道を往くことが世の摂理と言われても思わず

 

納得してしまいそうなほど、二人が隣り合って佇立する姿には壊し難い美しさがあった――いや待て、何かが違う。

 

二人が纏う戦装束が、その色を変えているのだ。一刀のそれは上衣が純白に染まり、彼が日頃身に纏うあの服に似た輝きを放って

 

いる。一方の朱里は漆黒の中に深紅が浮かび上がり、緩やかに濃淡が変化するよう配されていることもあって美しくも恐ろしげな

 

様相を呈していた。元は両者共に黒色の装束だが、今彼らが身に纏うそれらは、彼ら其々の在り方をよく表していると言えた。

 

「ごしゅ――ぁうっ!?」

 

一刀を呼ぼうとした劉備の声は、一刀が放った神速の攻撃によって中断された。高速戦闘を身上とする趙雲でさえ、彼が何らかの

 

動作を行おうとする瞬間すら見ることが出来なかった。気付いた時には劉備の左肩から鮮血が飛び散っていたのだ。

 

「その名で呼ぶなと言った筈だ……北郷流『膺懲(ようちょう)』が崩し――『徹砲(てっぽう)飛牙(ひゅうが)』」

 

一刀が告げる技の名。その名から察するに突きを飛ばす技であろう。斬撃を飛ばせるのだ、突きを飛ばせぬ道理は無い。あまりに

 

速過ぎて、誰も一刀の動きを捉えられなかったのだ。傍目には一刀が突如として突き出した手に大太刀が握られていたようにしか

 

見えなかった。抜く手も見せぬその動き。まさに神業としか言いようが無かった。

 

「桃香さ――うっ!?」

 

劉備の許に駆け寄ろうとした関羽は、突如として全身が強張るのを感じる。躰が全く動かない――動けば最後、殺される――そう

 

肉体が直感する。理性を通り越した本能の領域で、一瞬の間も置くことなくそれを理解する。劉備も痛みに身を屈めたまま、一切

 

動かない。そして、二人は殺気の主たる一刀達を直視出来なかった。二人の無意識が理解していたのだ――

 

 

 

――直視すれば、魂を摧かれる。

 

 

 

先程は直視出来たが、今はそうすることが出来ない。心が、躰が、視ることを拒絶しているのだ。それが現実だとは認められない。

 

加えて、先程から全身を支配する畏怖の念。見据えられるだけでもそれだ。殺気への恐怖と、存在そのものへの畏怖。天空に舞う

 

巨龍を地面から見上げる羽虫の心地――あまりの差に、相手がどれほど強大な存在であるか想像もつかない。

 

相手が誰か判り切っていて尚それである。これで相手が誰か知覚出来ぬ状況だったなら、躰を呪縛する威圧と殺気で訳も分からぬ

 

儘に黄泉路へ送り出されていたに相違ない――そう思わせる、いや肉体がそう理解してしまうほどの差だった。

 

「……黙って聞いていれば……随分と勝手なことを言ってくれるものですね。何度となく言ったのにこれでは、まったく好い面の

 

 皮ですよ……白昼夢に囚われて現実の捉え方を忘れてしまった人達相手に、そんな愚痴も可笑しいですけどね」

 

圧倒的な殺気と覇気を放ちつつ、嫣然と微笑みながら如何にも可笑しそうな口調でそう言い放つ仮面の少女。まるで人間の気配と

 

思えぬ強大な存在感を発するにはあまりに小柄で幼く、外見からその力を窺うことは出来ない。それが一層不気味さを助長する。

 

「か、勝手なこと、だと……っ!?」

 

「ええ。相手に否定されて尚、どこまでも自分達に都合の良い思い込みをやめず、剰えそれが事実であるかのようにのたまう……」

 

「これはみんなが思ってることだよ!わたし達のご主人様を独り占めするあなたのほうが身勝手で、独り善がりで……っ!」

 

「あなた達がそう思うのならそうなんでしょう……あなた達のあまりに痛々しい白昼夢の中では、ね。事実と真実は違いますよ?

 

 それとも、優しい真実(ウソ)という仮面で不都合な現実を覆い隠しているという、厳しい事実(ホント)と正面から向き合うのが嫌なんですか?」

 

そう言って、朱里はくすくすと笑う。傍で聞いていれば可愛らしい笑声だが、人間以外の何かが人間を嘲笑う声にしか聞こえない。

 

顔は笑っているであろうに、その声には一切の感情が無い。人間が出していい声ではなかった。

 

「白昼夢?仮面?……一体、何を言っているんですかっ!?」

 

「ほう……そんなこともわからないと。これは愈々重症ですね。それだけなら別に良いんですよ?都合の良い妄想を頭に浮かべて、

 

 寝台の上で自慰に耽っているだけならね。大人しく只の自慰で済ませておけば良いものを、所構わず妄想を持ち出してはそれが

 

 現実だと、そうでなければならないと叫ぶ……一人遊びで済めば、まだ可愛らしかったかもしれませんね?」

 

婉曲的かつ過激な表現を多用した糾弾。外見の幼さには不相応な過激さが内容を更に鋭くし、痛烈な糾弾となって劉備達を襲う。

 

「あなた達も年頃の娘、自慰が悪いとは言いませんよ?でもね……そんなものを何よりも優先して自軍を動かし、挙句この状況で

 

 まだ妄想を、理想という美称で糊塗された暴論を持ち出す……戦場に出たからには、当然覚悟はあるんですよね?」

 

不意に躰が動くようになり、劉備達は朱里を見る。悠然と立つ朱里は戦う構えすら取らず、中指で劉備達を挑発していた。

 

「っな――なめるなぁぁあああっ!!」

 

朱里の挑発に激発した関羽が地面を蹴り、朱里に襲い掛かる。頭上で偃月刀を高速回転させ、全質量を乗せた攻撃を叩きつけ――

 

 

 

「――その程度ですか?」

 

 

 

――られなかった。

 

「なっ!?指一本で止められた!?」

 

関羽が持つ最大の技――『青龍逆鱗斬』。多くの敵を屠ってきた一撃必殺の奥義を、朱里は華奢な中指一本で受け止めていた。

 

「くっ……さては妖術を!?」

 

「あらあら、言ってくれますね。ただの硬気功ですよ。子供騙しに毛が生えた程度のね……こんな安い挑発に乗るなんて、やはり

 

 私の見立ては間違っていなかったようですね。そりゃあ怒りますよね?なんせ図星なんですから、ねッ!」

 

朱里が指で少し押しただけで関羽は押し戻され、盛大に蹈鞴を踏むがどうにか姿勢を整える。そんな関羽を、朱里は再び挑発する。

 

「来なさい、関雲長。愛し、愛される覚悟の無い者が他者の愛を得ようだなどと、烏滸がましいことだと教えてあげましょう」

 

「おのれ……言わせておけば、頭でっかちにっ……訳の分からぬことばかりっ……我らの想いを、絆を、何だと思っているっ!」

 

関羽は再び挑発に激発し、偃月刀を全力で回転させ、今度こそ最大の技で朱里を斃さんと偃月刀に魂魄を流し込んでいく。回転が

 

強大な遠心力を生じ、強風を掻乱して小さな竜巻を起こす。全身に憤怒と憎悪を漲らせ、関羽の力が爆発的に高まっていく。

 

「うぉおぁあああ――っ!!」

 

その血走った眼が怨敵の姿を捉え、全身全霊を込めた必殺の『青龍逆鱗斬』が朱里に襲い掛かる――!

 

「北郷流奥義『壊心(かいしん)』が崩し――『的心(てきしん)牙壊(がかい)』」

 

偃月刀が朱里の頭を叩き割ろうとしたその瞬間――関羽の偃月刀は、またも止められた。指ではなく、剣の鋩に。

 

「なっ……!?」

 

一転して関羽は驚愕する。人の頭蓋を砕き、血と肉片の霧に変える無上の一撃。その威力を剣の鋩で受け止め、剰え打ち消すなど

 

尋常な技量ではない。その上、朱里の剣は小揺るぎもせずに偃月刀を受け止めている。つまり、朱里の防御が関羽の攻撃を完全に

 

上回っているのだ。そんな馬鹿な、有り得ない――眼前の現実を認められない関羽の耳に、朱里の冷たい声が届く。

 

「……軽いですね。鈴々ちゃんのほうが、ずっと重い攻撃をしますよ……幼稚で純粋で、尚且つ強い覚悟が乗った一撃だからです。

 

 それと比べてあなたの一撃のなんと軽いことか。その程度の覚悟では、武器から拒絶されますよ……こんな風に、ね!」

 

そう、朱里が言葉を切った途端だった。剣の鋩に受け止められた箇所から一瞬で罅が広がり――偃月刀が、砕け散った。

 

「馬鹿なっ!青龍刀が――!?」

 

青龍を象った刀身が、朱里の一撃で砕け散る。関羽の武人としての有様の象徴にしてもう一つの魂。それが否定されるかのように。

 

だが、朱里の反撃はそれで終わらなかった。

 

「何を呆けていますか!」

 

「なに――ぐぅっ!がぁ!ぐふっ、ご、が、ぎ、あぐ、ぐぁぁぁあぁあっ!?」

 

剣を収めた朱里の鋭い右飛び蹴りが、関羽の腹を捉える。次いで左回し蹴りで右脚を、下方からの右拳で顎を、左方からの左拳で

 

右頬を、右方からの右拳で左耳を、左膝蹴りで鳩尾を、正面からの右拳で右目を痛打する。止めに両腕で関羽の左腕を掴み、柔で

 

腱を裂き、背負い投げで地面に叩きつける。流れるような連撃――それは人体の機能を多大に損傷するものであり、関羽は多量に

 

喀血して動けなくなった。

 

「あ……っ、愛紗ちゃぁぁあああん!!」

 

劉備の悲鳴が、強風に消えていく。駆け寄ろうとした劉備を一睨みで射竦め、地に倒れた関羽を一瞥してから、朱里は口を開く。

 

「……あなた達には足りないのです。理想を追い求める覚悟も、乱世に生きる覚悟も……人を愛し、また愛される覚悟でさえも!

 

 相手を理解しようともしない者を、誰が愛するものですか!少なくとも私は知りませんよ、妄想の中に生きる人間以外にはね!

 

 現実に生きる人間は、そんな都合良くあなた達を愛することは無い!現実に生きて愛を得るということが、どれほど困難な事で

 

 あるか……あなた達の身勝手な妄言は、愛に生きる者達全てへの冒涜に等しい!恥を知りなさいッ!!」

 

感情の宿らぬ声でなく、怒りに満ちた声が紡ぐは、過大なまでの批判の言。先の言にも滲み出ていたが、朱里は完全に切れていた。

 

永き輪廻の果てに再び巡り合った最愛の人。そんな人物を誰かの慰み者にされては、怒り狂うのも当然であった。

 

 

「そしてもう一つ言っておきましょう!私は仮面を被り素顔を隠しても、己の心や在り方まで偽ったことはありませんよ!私にも

 

 貫くべき意志がある!『天の御遣い』故ではなく、それは私自身の意志!私もまた、意志を持つ人間だから!故にこそ――」

 

そう言って朱里は仮面に手を掛け、今迄素顔を隠してきたそれを――外した。

 

「この私――北郷朱里が、その妄執を否定する!歪んだ憧憬と妄念に満ちた醜悪なる慕情……そんなものを、一刀様に向けるな!」

 

それは独占欲に非ず。彼女も一刀と永い付き合い、彼の性質などわかりきっている。だが、故にこそ許し難いのだ。多くの人々に

 

慕われる性質を持つ一刀に、自己満足以外の何物でもない醜悪な慕情を向け、剰えそれを何よりも優先するなどと。劉備達は何故

 

一刀がそうして慕われるかを理解せず、そうしようともしていない。そんな劉備達の想いなど、朱里が認める筈も無かった。

 

劉備達は朱里の素顔を見て驚愕していたが、見上げるのも辛そうな関羽とは対照的に劉備はすぐにそれを振り払い、その口を開く。

 

「あなたの意見なんて聞いてない!ご主人様の気持ちもわからないくせに、独り善がりな台詞を吐かないで!どうしてわたし達の

 

 ご主人様を奪っていこうとするの!?ご主人様がいなくなったら、今まで私達がしてきたことが無意味になっちゃうのに!」

 

「ほう、無意味ですか」

 

「そうだよっ!わたし達は、色んな人の想いを背負って戦ってる!そんな大切なものを、どうして無意味にしようとするの!?」

 

涙で濡れた顔を歪め、桃色の髪を振り乱し、己の感情の全てを乗せてそう反駁する劉備。しかし、彼女は気付いていなかったのだ。

 

「……今迄救った人々の想いも、そして今迄奪った数多の命すらも、無意味になると言うのですか?」

 

己の感情も、そこから放たれた言葉すらも手札にして相手の真意を引き出す駆け引きをこなして見せる、朱里という少女の狙いを。

 

「ご主人様がいなくなっちゃったら、みんなで一緒に笑えなくなっちゃったら、今までのことに意味なんて無いんですっ!何度も

 

 言わせないでください!相手を甚振って、楽しんで!董卓さんも、あなたも!どうして、わたし達の夢を否定するんですか!?

 

 誰かの夢を踏み躙って、楽しいんですか!?誰かの笑顔を力づくで奪っても良いなんて、本気でそう思ってるんですかっ!?」

 

 

 

――その瞬間、全てが凍りついた。

 

 

 

「……そうですか」

 

朱里は驚いた様子も無く、淡々と応じ――次の瞬間、世界の全てが激変した。

 

突如として猛烈な吹雪が発生し、地を穿つ幾条もの雷が轟き、大地は轟音とともに振動し――遂には地が砕け、岩漿(マグマ)が噴き上がる。

 

風が運ぶ凍て付くような冷気と、地から湧き出す灼熱の熱気。それを暴風が掻乱し、戦場を一瞬毎に温度が激変する異常地帯へと

 

変える。何処からか凄まじい爆音が聞こえ、空を覆う黒雲が赫々と染まり、この世のものとは思えぬ光景を成していく。

 

「な、なに……一体何が起きてるの!?」

 

劉備の恐怖に戦慄く声は、不思議なほどはっきりと響いた――次の瞬間、劉備の首は彼女の意志と関係無くある方向に向けられる。

 

そこに立っていたのは、静かに成り行きを見守っていた一刀だった。

 

「――そうか。お前は本当に何も知ろうとしないまま、懸命に生きる者達の命を、心任せに踏み躙ろうというのか」

 

あまりにも静かな声。先程は一刀を直視出来なかった劉備だが、今は直視するより他無かった――というより、首が動かないのだ。

 

瞬きも出来ず、呼吸さえ出来ない。開いた口から漏れ出るのは、恐慌からの喘ぎのみ。一刀は一瞬瞑目し――

 

「……心が腐ってるぜ、お前……!」

 

悲憤を宿したその眼を見開き、右手の大太刀を劉備に向け、唯一言そう断じた。そして、今度こそ決定的な訣別の言葉を口にする。

 

「最早これまで!劉玄徳、関雲長!お前達の真名は、この場で返す!そして返して貰うぞ、俺達の真名を!」

 

「そっ――そんな!そんなのっ!」

 

「星!そして劉備軍の兵達よ!我が宣言を聞き届け、その証人となれ!我ら『天の御遣い』は、劉玄徳及び関雲長に真名を返上し、

 

 また我らが真名を返上して貰う!この者達との関係も、ここで終わりだ!今この時より、倒すべき『敵』と見做す!」

 

劉備の反論を無視し、一刀はそう宣言する。そう――この場に居るのはこの四名だけではない。それらを証人としての訣別の宣言。

 

「――あいわかった!」

 

「星ちゃんっ!?」

 

こちらも黙って成り行きを見守っていた趙雲は、一刀の要請を受諾する。もとより真名とはそういうもの、事情はどうあれ劉備に

 

拒否権は無い。そしてそれはこの大陸において『絶縁状』と同義であり、信頼を失ったことの最悪の証明となる。

 

「桃香様!納得いかぬとあらば、心ゆくまで話し合われるが良い!兵を無為に失うわけにはいかぬ故、我らは先に退かせて頂く!」

 

君主を置き去りにするなど許されない行為だが、誰も止めることはしない。今の劉備の姿は最早、君主のそれではない故に。その

 

宣言と共に、趙雲は兵を率いて撤退していく。

 

「せ、星ちゃん!待って!」

 

劉備が悲痛な声で制止しようとするが、その声は儚くも嵐に掻き消されていく。彼女は失ったのだ、今まで築き上げた人望を。

 

「――敵に背を見せるとは、そんなに死にたいか劉備ィッ!!」

 

「っ!?」

 

一刀はわざと劉備が反応出来る程度の速度で襲い掛かり、果たして劉備は宝剣でそれを受け止める。凄まじい圧力で押し込まれる

 

大太刀を必死に防ぐ劉備。それを見た一刀は打ち合いへと移行し、已む無しと悟った劉備もそれに応え、幾合となく切り結ぶ。

 

「――う、くっ……なりま、せん……ご主人様……っ!」

 

二人の剣戟を目にした関羽は激痛を堪えつつ立ち上がり、割り込もうとする――が、そんな関羽の右肩に、雷の閃光が降り注いだ。

 

「があぁぁああぁっ!!??」

 

膨大な熱量と電流に躰を焼かれた上に衝撃に全身を貫かれ、関羽は今度こそ力を失って倒れる。

 

「愛紗ちゃんっ――っくぅ!?」

 

「余所見をするなッ!」

 

再び背を見せようとする劉備を、先に倍する圧力を纏う一刀の刀が阻む。『敵』と見做した者に対し、一刀が容赦することは無い。

 

況して、眼前に立つ少女には――かつての『敵』の姿が重なって見えているのだから。

 

「――『鳴風・双』!!」

 

飛び離れつつ瞬時に二刀流となった一刀が二つの衝撃波を放つ。それは劉備の両側の空間を切り裂き、高周波が彼女の聴覚を抉る。

 

「きゃあぁぁっ!」

 

「続けていくぞ!北郷流奥義『掃天(そうてん)』が崩し――」

 

一刀が攻撃の手を緩めることは無い。その両腕が超高速で振るわれ、掻乱された大気が激しい渦となって劉備を空へと吹き上げる。

 

「――『舞撃(ぶげき)大蛟(おおみずち)』ッ!!」

 

跳躍した一刀は渦に乗って急上昇しつつ縦横無尽の連撃を見舞い、しめに劉備を高く蹴り上げ、全身に氣を纏って突進する――!

 

「終わりだぁぁぁああッ!!」

 

「あぁあぁああぁぁああ――っ!!」

 

巨大な氣は輝く龍の姿を成し、その顎が打ち上げられた劉備を呑み込む。そのまま龍は天空へと飛び去り、劉備は地面に墜落する。

 

「あぁあぅっ!!――ぐ、げほっ!げほ、げほっ!」

 

劉備は全身を強打し、肺から空気が全て抜ける。吸おうとすれば熱気が肺を焼き、冷気が喉を凍て付かせ、劉備は激しく噎せ込む。

 

先の攻撃は全て峰打ち――だが、超高速かつ連続して繰り出されたそれは尋常な威力ではなく、劉備の躰は限界に近かった。

 

「……はっきりしていることが一つだけある。お前達は知らない……いや、忘れているんだ。人々の笑顔の意味というものを!」

 

友としての劉備への失望と、敵としての劉備への怒り。それを僅かに滲ませながらも、一刀は一切の容赦無く、背信者を断罪する。

 

「人々は無力でも、生きている!力の限り、想いの限り!故に己の限界を知り、互いに支え合い、補う!それこそが命の営みだ!

 

 それが結果を成さずとも、そこには確かに生がある!そして人々は笑うんだ!自分達は生きていると、命の営みに感謝してな!

 

 例え屈辱という泥で汚れようと!苦しみという血に塗れようと!それでも命は輝く!その笑顔は、誇り高く生きた証だ!」

 

その戦いは、未来のために。その使命は、命のために。命の輝きを識るが故、命を踏み躙るが如き振舞を、一刀は決して許さない。

 

「――でっ、でも!わたし達の、理想は……っ!」

 

「それを否定させはしない!させてなるものか!現実も見ず、夢ばかり見ては心任せに他者の意志を踏み躙って……ふざけるな!

 

 理想など関係無い!事実は唯一つだ!お前達は誰かの優しさに甘え、付け込み、裏切り!その誰かの笑顔を捨てたんだよ!!」

 

劉備の必死の訴えを、しかし一刀は退ける。劉備の理想の裏側にある本質を理解しているが故に。それは民への背信に他ならない。

 

理想を違えど、それは只見解の相違。敵対すれど『敵』に非ず。一刀達の『敵』は唯一つ、命の輝きを踏み躙る邪悪のみ。

 

そして此処は戦場に非ず。砕けた大地が岩漿を噴き上げ、猛烈な吹雪と風が吹き荒れ、灼熱と極寒が喰らい合い、幾つもの渦巻く

 

黒雲が地を穿つ雷を撒き散らす――ここは処刑場。彼らの法理のみが支配する、現世から幽世へ繋がる門。

 

それは、決して侵してはならぬ神域。一歩でも足を踏み入れたが最後、そこに勝利の希望は無く、ただ敗北と死の絶望があるのみ。

 

その禁忌の領域に、劉備達は足を踏み入れてしまったのだ。

 

 

「そ、そんな!裏切りなんて――」

 

「知らんとは言わせん!幽州の義勇兵!平原に暮らす民!お前達の成長を願うともがら!そして共に理想を掲げた者達!お前達は

 

 裏切ったんだよ、それら多くの人々の笑顔を!それすら忘れて妄執に囚われるお前達に、理想を語る資格など、無いッ!」

 

劉備の訴えは、もう一刀には届かない。己が理想にすら背き、多くの笑顔を踏み躙った彼女の言葉に、重みなどありはしないのだ。

 

そんな裏切りを理解する者は何処にもいない。理解などされてはならない。最も裏切ってはならぬものを、裏切ったのだから。

 

だが、劉備にはそれがわからない。話せば誰もがきっとわかってくれる――心の底から思っている。故にわからないのだ。それが

 

どれだけ愚かしい勘違いなのか。どれだけ相手を見下した態度なのか。だから劉備は反駁する。掠れる声で訴える。

 

「違うぅっ……!わたしは、わたしはっ!わたしだけじゃ、出来ないかもしれないけど!同じ理想を持つあなたがいれば、きっと

 

 皆を笑顔にできる!あの予言は、運命だった!強くて、優しくて、皆を笑顔にしてくれる!そんなあなたを、大好きになった!

 

 あなたがいなきゃ、わたし達の夢は!だからお願い、行かないで!帰ってきてっ!わたしを一人にしないでぇぇええっ!!」

 

「「――っ!!うぅうおぉぉおぁあああ――ッ!!!」」

 

凄まじい爆音と共に岩漿が噴き上がり、砕けた岩片が劉備を襲う。輝く粒子を無尽に撒散らし、一刀達はただ瞋恚の咆哮をあげる。

 

今度こそ劉備は侵したのだ。最も侵されざるべき、二人のあの記憶を。残酷な運命に必死で抗った、二人の絆を示す記憶を。

 

「俺達の運命は、俺達が決めるッ!お前が与える世界など、運命など!俺達は認めはしないッ!お前の理想を以てすれば、乱世を

 

 収められるのだとしても!お前の妄想(ユメ)の世界は、俺達が否定する!消え失せろぉおぉぉおおお――ッ!!!」

 

轟然たる世界に満ちる音すらも霞む、凄烈なる瞋恚の咆哮が轟いた時、あまりにも眩い光が爆発し、それは全てを呑み込んでいく。

 

眩い閃光と途轍も無い衝撃が劉備を襲う。急速に薄れゆく意識の中で、彼女は光の中に垣間見る――

 

 

 

――天翔ける巨大な龍と、それを従え、金色の輝きを纏う者を。

 

 

 

それが何であるかを考える間など無く、劉備の意識は光の中へと呑まれていった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□虎牢関近辺

 

――戦場の全てを呑み込み、天にまで至った光の柱。凄絶にして美しいその輝きを見守る、二つの人影があった。

 

「なんと美しい……!人の意志とは、ここまで……!」

 

眼鏡をかけたその青年は、心底感嘆したようにそう唸る。深く広い知識を持つこの青年がここまで感嘆するのは久方ぶりであった。

 

「流石は北郷殿だ。嘗て外史の終端という運命さえ超越してみせた、激切なる意志の力……いやはや、良いものが見れました」

 

感嘆しきりといった様子の眼鏡の青年。だが、その傍らに立つ端整な顔立ちの青年は黙して光の柱を見ていた。

 

「どうしたのです?これほどの事態を前にして黙りこくるとは」

 

「……ふん、意志の力か……成程な。これほどのものを見せられては、認めねばなるまい」

 

端整な青年も、決して感嘆していないわけではないらしい。しかし、眼鏡の青年とは違い、どこか素直さに欠けていた。

 

「やれやれ、あなたも相変わらずですね……ですが、これで我々の目的がまた一つ達成されましたよ」

 

眼鏡の青年はいつまでも素直にならない相方の態度にやや呆れながらも、明らかな喜色を滲ませてそう端整な青年に報告する。

 

「それだけではない……奴らは『扉』を開いた」

 

「なんと!?……これは嬉しい誤算ですね。思いがけず、今後の戦いを加速させる因子が増えるとは」

 

「ああ。だが、あのような状況で『扉』が開かないのも可笑しいとは言えるがな」

 

皮肉屋めいた口調で端整な青年がそう述べる。そこに何かを感じ取った眼鏡の青年は、意地悪くも昔の出来事を掘り出す。

 

「嘗ての我々のように命を弄び、踏み躙る……複雑ですか?宿敵の極限の力が、嘗ての己にも似た者によって引き出されるのは」

 

「茶化すな、殺すぞ」

 

「おお、怖い怖い……」

 

「ちっ……」

 

眼鏡の青年の笑えない諧謔は、端整な青年には通じなかったらしい。いつもの如く殺意を向けられ、冷や汗をかきつつ目を逸らす。

 

「……あの光は大陸中を覆った黒雲と嵐を吹き払うでしょうが、この一帯は大気が非常に不安定です。すぐに雨が降り出しますね」

 

「そうか。冬の雨は流石に堪えるな……さっさと隠れ家に引っ込むか」

 

「ええ、そうすることにしましょう」

 

そう言って眼鏡の青年は符を取り出し、何かを唱え始める。端整な青年は鋭い瞳で、黒雲を吹き払っていく光の柱を見やる。

 

「……我が宿敵、北郷一刀。貴様とはいずれ必ず決着をつける。今の貴様こそ、この俺の宿敵に相応しい。だが、今はその時では

 

 ない。貴様は貴様の戦いをするがいい、北郷。貴様の戦いはこの俺が――左慈元放が守ってやる」

 

その青年は、一刀の嘗ての宿敵――左慈。傍らに立つは、同じく一刀の嘗ての宿敵――于吉。『外史』を破壊する、否定派管理者。

 

左慈の言葉が終わるのを待っていたが如く、于吉が術を発動する。二人の管理者は、音も無く消え失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□虎牢関前・戦場跡

 

――雨が降り出した。

 

静かに降り注ぐ冷たい雨が、この場所を満たしていた熱を洗い流していく。岩漿は冷えて岩となり、蒸気が霧のように立ち籠める。

 

ただ静寂に満ちたそこに、二人の少女――劉備と関羽が倒れていた。雨に打たれる二人の少女に、起き上る気配は無かった。

 

 

 

――そこに、二つの人影が現れる。

 

 

 

それは、趙雲と公孫越だった。冬の冷たい雨に濡れながら、少女達が歩いてくる。

 

戦闘は終わった。あれほど荒れ狂った天地は今や沈黙し、一刀達の姿も既に無い。故に二人の手に武器は無い。最早戦う必要など

 

無い。全ては終わったのだ。二人は劉備と関羽をそれぞれの腕に抱きかかえ、戦場跡を去っていった――

 

 

 

 

 

 

 

――後の調査では、驚くべきことが判明した。

 

戦闘に参加した劉備軍、曹操軍、孫策軍は、それぞれ兵や将達の負傷こそ甚大なれど、死んだ者は一人としていなかったのである。

 

参加しなかった各軍も、嵐だけでなく最後の閃光と衝撃波で被害を受けていた。あの光は戦場の全てを呑み込んでいったのだから。

 

物質的な被害こそ大きかったものの、やはり死者は一人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人々は掠れた声で語った――あれは、神話の再現であったと。

 

 

 

二人の『天の御遣い』が示した力は、連合に与した人々の心魂に、深く深く刻まれた。

 

彼らは連合を滅ぼそうとしたのではない。命を奪おうとしたのでもない。だが、彼らは確かに重大なものを破壊していった――

 

 

 

 

 

――人々の『心』を、『魂』を――。

 

 

あとがき(という名の言い訳)

 

 

……皆様、大変長らくお待たせいたしました。Jack Tlamです。実に七か月ぶりの投稿となりました。

 

読者の皆様に楽しみにお待ちいただいているところ、ここまでお待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした。

 

お詫びのしようも御座いません。

 

 

第三十四話は、当初こんなボリューミーになる予定ではありませんでした。

 

ですが執筆期間が延びるうち、あれよあれよと内容が増え、気付けばこんなことになっていました。

 

色々と妙な表現とか変な漢字とか多用してますが、単に文学部の意地だけで使ったような気がしないでもない。

 

おかげであとがきも残り字数に追われる始末。本文だけで150KB近くあるんですよ、今回……超絶ボリュームですよ。

 

そんなわけで、一話分を分割投稿せざるを得なくなりました。一応、キリの良いようにページを区切ってはいるの

 

ですが……読み難いですよね?今後こういうことが無いように……出来たら良いなあ。これじゃまるっきり作家の

 

自己満足じゃないですか。ユーザーフレンドリーを心掛けないといけませんね。猛省します。

 

 

内容についてはキリが無いので敢えて言及はしません。ですが、これだけは申し上げておきましょう。

 

桃香は自分の想いを訴えるのに必死になるあまり、よりにもよって、

 

 

一番知られてはならない本心を、

 

一番知られてはならない人物に、

 

一番知られてはならない状況で知られてしまったのです……

 

 

そしてそれに最後まで気付くことも無く、序でに華琳や雪蓮と思いっきり同じ轍を踏み、それだけでは飽き足らず、

 

さんざん死亡フラグを立てまくった挙句、一刀達に処刑されてしまいました。

 

 

一刀達も一刀達で主人公なのにも関わらず、まるでラスボスのようだ……

 

 

教訓:相手の話はよく聞きましょう。

 

 

次回は連合への沙汰が下される予定です。才華が遂に、皇帝・劉協伯和としての威厳を諸侯に示します。

 

 

 

次回もお楽しみに。

 

 

次回予告

 

 

 

敗北した連合軍。全てを失い進む先には、華やかなる洛陽の都。醜悪なる連合が見るは、美しく栄える都の姿。

 

 

次回、『連合の真実』。

 

 

飽くなき野望に褒美は有らず。僅かな報いは罪科(つみとが)の荊。摧けた野望の先に見ゆるは、招かれざる最悪の敵。

 


 
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