No.695800

司馬日記48

hujisaiさん

その後の、とある文官の日記です。

P.S.
飯坂様、レスポンス有難う御座います!

2014-06-22 14:03:03 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:12484   閲覧ユーザー数:7806

6月7日

 

陳羣殿より『別冊阿蘇阿蘇』の対談取材依頼を受けた。

『別冊~』はたまに見てはおり、毎回相手を変えて公私について取材する連載物だ。私など記事にしても面白くないのではと辞退しようとしたが

「マジ面白いから、貴女の思考回路!なんとなく知ってる人たちもやっぱ詳しく知りたいと思うはずよ!それにほら、貴女だって一刀様の素晴らしさをもっと世に知らしめたいんでしょ?子丹さんの御紹介でもあるし是非受けてよ」

と言われ、前半は若干釈然としないところもあるが後半についてはその通りであるので受ける事とした。

 

6月8日

対談の参考にと『別冊阿蘇阿蘇』の先月号を購入してみた。

対談は稟様であったが、政務の話もそこそこに『オンナの郭嘉~魏の神算は如何にして鼻血を克服し牙を抜かれたか』

と副題が付けられ一刀様と添い遂げる頃からの性格や服飾の変化について語っていた、というか語らされているといった風であった。

また対談最後に『では御本人の登場です』と言われて一刀様が御登場し、慌てる稟様を抱っこして連れ帰ったとされている。

 

…これは脚色なのだろうか。

 

6月10日

劉備様と孫権様が大きな座布団らしきものを各々抱えて談笑されながら廊下を歩かれていた。

会釈して通り過ぎようとしたが通りがかられた曹操様がお二人に気づかれ、それは何かしらと声を掛けられるとひどく慌てた御様子で枕なの、凄く寝やすくてと答えるとそそくさと去って行かれた。

 

6月11日

『別冊阿蘇阿蘇』の対談取材を受けた。

本来今回の取材側は妹の叔達だったらしいのだがやりにくかろうということで楊修殿であった。

話題は仕事や私事等多岐に渡り、私の知る一刀様の素晴らしさについても語らせて頂いたが多少なりとも伝わっただろうか。

 

6月12日

生協へ行ってみたところ、先日見た枕が「授乳プレイ用枕」と言う名前で売られていた。

恐らくは先日劉備様と孫権様がお持ちであった枕をそういったことに応用しようと考えた者がいたのだろうが、そういった飽くなき根性に呆れもするが感心もする。

 

6月13日

昼休みに姜維と小脇に敷物らしい何かを抱えた士季が士載を訪ねて来て、会議室へ入っていった。何をしているのかと覗いてみたところ士季が広げた敷き布は赤青黄緑の格子状に塗り分けられており、更に所持していたらしい賽を示したり敷き布を触ったりなどしながら何事か二人に説明していた。

私が昼食を摂り終えた頃に三人は会議室から出てくると、これから一刀様に御時間を頂いていると言って士季は妙に意気揚々と、姜維と士載は赤い顔をして出て行った。

 

6月14日

最近決裁業務の多い一刀様が伸びをされながら『ちょっと運動したいなぁ』と仰った。馬を引きましょうかと申し上げたが遠出されると面倒だから庭で弓にしてよと詠様が言われ、じゃあと仰って御自身の弓を執られて部屋を出られようとしたところ、すぱーんと勢い良く部屋の扉が開かれ「一刀様がえっちな運動をしたいと聞いて!」と叫びながら劉封・関平姉妹が半裸になりながら部屋に飛び込もうとして来た。しかしすんでのところで先端を丸めた二筋の矢が彼女らの肩に直撃して弾き飛ばすと黄忠殿と黄蓋殿が弓を持って現れ、では行くか、行きましょうかと笑顔で一刀様の両脇を抱えて連れて行かれた。

 

詠様と呆然と見送ったあと、暫くすると疾駆してきたらしい軍装のまま弓を抱えた妙才様が息を荒げて一刀は居るかと言われたので黄忠殿らと斯斯然々と申し上げた。

すると普段の御冷静な妙才様に似つかわぬ表情をされながら、暇人共めと舌打ちされて出て行かれた。

詠様もしばらく目を丸くしておられたが、我に返られると私に「ほんとに皆、どうやって察知してるの本気で不思議だわ。…そうだ、蓮華に『今夜一刀行けなくなった』って伝えて」と命じられた。

 

6月15日

昼休み中に席で元直が仮眠をしていた。それ自体は文句はないのだが、

「あん…そんなとこ駄目ですってばぁ…えへへへへ…」

と気色の悪い笑いを浮かべて涎を垂らしていた。すると眉根に小皺を寄せた詠様が『あんたの一刀様が元直の脳内でド変態なことさせられてるわよ、そろそろ昼休み終わるから起こしてやんなさい』と言われたので起こしたところ、

しばらく寝ぼけてぽかんとしていたがはっと我に返ると

「なんてとこで起こしてくれんのよぉ!もう今先っちょがちょんちょんってしてたのにー!!」

と意味不明な事を怒鳴りだし、詠様が真昼間から妄想する暇があるなら仕事しなさいよと怒鳴り返されていた。

その後もああもうあたしが欲求不満で死んだら仲達のせいよ…等とぶつぶつと文句を言っていたが八つ当たりもいいところだ、夢の事を惜しがる等みっともないことだ。

 

※司馬日記44/4月26日の日記参照

 

6月17日

書類をお持ちしたところ一刀様が御執務室で考え込まれるような御様子であったので何かおありでしょうかと伺ったところ、

「いや、今朝白蓮と蓮華と杏に朝飯作ってもらって一緒に食べたんだけど。…こう言っちゃ悪いんだけど、『同盟定食』とか凄くなさそうな名前だけあって特段無茶苦茶って程じゃなかったんだけどまあ普通程度に旨くて。ただ妙に落ち着く時間だったなぁって、なんかちょっと不思議な感じがして」

と仰った。

孫権様とは長く連れ添っておられる上に白蓮殿は落ち着いた方で、また逢紀も民間で給仕をしており多少気安いところがあるのでそう感じられたのではないでしょうかと申し上げると、まあそうかなぁと仰って執務に戻られた。

 

6月18日

公達様に昨日の一刀様の御話をしたところ、

「華琳様と流琉涙目ね。…まあ極上の料理が駄目って訳じゃないとは思うけど」

と仰られた。すると張郃と郭淮が

「それってさぁ、つまりどんな女にも一定の需要があるってことにちょっと通じるよね?乳がでかいだの小さいだのウブだの変態だの、幼女だの年m…熟女だの。他の人と被り過ぎなければさ」

「ちょっと飛躍気味だけど、そういう傾向あると思うわよ。天の国の言葉で言えば『なんばーわん』でなければ『おんりーわん』であるように個性を持ってそれを磨けってことかもね」

と言っていたので、『私も個性を持たなくてはいかんな』と言うと部屋中の人間から目の前で横に手を振られ、子丹御嬢様には『あまりインフレ進めないで?私なんかただの箱入り娘なんだから』と溜息を吐かれた。

 

6月19日

本年度の三国巡幸の計画書が各国から提出された。前回よりも格段に移動時間が短縮されており元直と子敬に事情をきいたところ、

「本国側の交通整備の力の入れようが半端ないわ。道路水路整備も凄いけど、水路は必ず下りで行って後は馬で行けるとか順路も物凄い研究されてるし移動用車両と船の開発の為に李典さんとこにもかなりの金が流れてるみたい」

「それに20日で返してやるから恋さんと張遼さん以外の中央側の人間は移動に付いて来るなって。紛糾必至ね」

とのことだ。

詠様とも相談し、一刀様の御意向を伺うこととなった。

 

6月20日

魏の執務部で事務をこなしていると詠様に呼ばれたのでついて行くと、困った御様子の月様が居られ

「月が総務の事務員…どっちかって言うとメイド業の方ね、の新規採用の面接してるんだけどさ、悉く『これで合格はちょっと』って言うのよ。で合格の基準について月と色々話してるんだけどちょっとお互いなんか掴めなくて、ためしにあんた模擬で面接とちょっと実技受けてみて」

と言われた。

 

そこで詠様立会いの下月様の面接を受け、御茶出し・寝台整備を指示通り行っててみたところ

「ほら居るじゃない、詠ちゃん!司馬懿さんなら合格だよ、ちょっとだけ偏ってるところがあるけど」

「やっと月の言ってる基準が分かったけど正気になって!?こんなのそんじょそこらにゴロゴロいるわけないでしょ、それに偏ってるのはちょっとだけじゃないから!」

と言われてお二人共頭を抱えられてしまい、私は用は済んだという事で帰された。

 

月様のお考えになるメイドのあるべき基準に私が達していた事は喜ばしいが、以前一刀様の御生活指導をさせて頂いていた時に多少やってはいたとは言えそんなに厳しい基準であったとは感じられず、各部署でも言われているように人材不足が深刻なのだろう。

 

6月21日

一刀様が荊州から劉表殿に付いて来ていた劉琦・劉琮姉妹の遊び相手をしているらしく二人を子供とは言え重たげに腕と脚にぶら下げて廊下を歩かれていた。

会釈してすれ違い、総務室に書類を置くと廊下から一刀様が

「無理!無理無理、無理だから!!マジ降りて!マジ倒れる!!!」

と叫ばれる声が聞こえたので廊下に戻ると張飛殿、許緒殿、仲徳様が更にぶら下がっており、関羽殿、典韋殿、稟様が慌てて三人を引き剥がしに掛かっていた。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
53
4

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択