No.689440

混沌王は異界の力を求める 20

布津さん

第20話 ナンバーズと悪魔

地下水道のイメージはギンザ大地下道

今回はちょっと場面を振り回し過ぎたかも。

2014-05-26 18:56:27 投稿 / 全24ページ    総閲覧数:4490   閲覧ユーザー数:4398

時を同じくして舞台は地上から地下へ

 

地上でなのはやフェイト、スルトがガジェットを殲滅しているころ、地下でも動きがあった。

 

「ここで落ちたのかな?」

 

下水道をある程度進んだところで、エリオとキャロは辿って来ていた少女の痕跡に、変化が生じたことに気が付いた。

 

「あの娘の足跡が残ってない。今まで僕等が辿って来たのは、上から擦られたみたいに潰れてたけど、辛うじて確認できた」

 

「うん、ここからその擦りが二回やったみたいに深くなってるね。ここで鎖が切れたんだよ」

 

だが、そこから下を覗いてみても、淀んだ流れと汚臭があるのみで、レリックケースの形は無い。先ほどシャーリーとグレムリンが、高速で作って送って来た簡易センサーからは、正確な位置は把握できないものの、レリックが更に深部にあると示されている。

 

「どこだろ? 下水にはそんなに深さはないけど……流されたのかな?」

 

エリオの言葉に、キャロが簡易センサーを閉じ、代わりに下水道の立体地図を表示させた。

 

「わたし達が居るのは今ここだから、えっと……ちょっと先に行ったところに、各水道と合流する大きめの本水道があるみたい。たぶんそこに流されたんだと思う」

 

「そっか、急ごう。上はどうやらかなり危ない状況らしいし、早くレリックを回収してガジェットの殲滅に合流しよう」

 

と言って深い橙の光が照らす地下下水道を、二つの人影が走る。しばらくその狭い道を駆けて行くと、前方に円状の出口が見えた。

 

「……よっと」

 

視線だけで出口の安全確認をしたのち、エリオとキャロは一息で飛び出す。

 

「あ!」

 

出た先の本水道は、今まで通って来ていた下水道の十倍以上の幅と高さ、そして流れを持っており、想像以上の水音が二人の耳を打った。だがそれよりも二人の意識は別の物に奪われていた。

 

「あった!」

 

本水道のほぼ中央。対岸とこちらをつなげる通路の手摺に引っかかった、黒のレリックケースがあった。だが二人がケースに駆け出しかけたそのとき

 

「ん?」

 

「え?」

 

そこに、二人が足を止めるほど、意識を更に奪ったものが来た。本水道の対岸。そこに見たことのない、小さな人影が落ちてくるように現れたからだ。

 

「あ……」

 

落下してきた影、藤色の髪を持った少女が、着地と同時にこちらに気付き、小さく口を開いた。

 

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

場の空気が停止した。年齢も大して変わらないであろう三人は互いを見つめあったまま動かずにいた。

 

(エリオ君……この娘、何?)

 

キャロが念話でエリオに声を飛ばす。その問いには、誰ではなく、何という疑問と困惑があった。

 

(分からない、けど)

 

問われたエリオは、しかし藤色の少女からは一切視線をそらさずに応じる。まさか、何でもない一般人が避難勧告が出ているにも拘らず、偶然下水道にダイブし、偶然自分達の前に現れたというのは、幾らなんでも非現実的すぎる。

 

(………)

 

だが、ちゃんとした言葉をエリオは作れず、キャロに無言で返してしまう。

 

「ルールー! ルーテシア! 何ボーっとしてんだよ!」

 

だが、無言を保っていたその空間をぶち壊す高い声がいきなりした。

 

「え!?」

 

エリオとキャロは、想定外の声に思わず声の主を捜す。高い声はエリオでもキャロでも、藤髪の少女のものでもない。

 

「あ!」

 

声の主は藤髪の少女の肩上からだった。そこに、燃えるような赤い髪をした、ちいさな姿があった。リインやピクシーと大して変わらないその体躯の持ち主は、明らかに敵意のこもった態度で声を張り上げる。

 

「こいつら六課の連中だろ!? んならさっさと潰してあれ回収してこうぜ!」

 

「ん、そうだねアギト。ガリュー」

 

エリオ等が潰すという言葉に反応する前に、それは来た。藤髪の少女、ルーテシアと呼ばれた彼女が、緩やかに、しかし素早く右手を掲げるようにエリオ達に向けたのだ。右の甲にはキャロのケリュケイオンと似た、彼女の髪と同じ、藤色の光を宿したグラブが装備されていた。

 

「行って」

 

呟くようにルーテシアは言った。その瞬間、彼女のグラブ、エリオ達は知ることのない名だが、アスクレピオスから黒風が湧き出るように飛び出した。

 

「邪魔、だから」

 

黒風は一瞬でその形状を風から物体へ、蟲人へと変えた。

 

「―――!」

 

蟲人ガリューは前傾姿勢で既に飛び出してきた。構えは右足の蹴りの構え、震脚一発で既に発射姿勢にはいっている。彼女が誰かはともかく、こちらに危害を加える気だというなら、返すのは言葉ではなく武器だ。向かってくる蟲人に、エリオはストラーダを構えた。

 

(……?)

 

だが向かってくるそれにエリオは違和感を感じた。

 

(弱い……?)

 

姿勢が甘すぎる。訓練時のシグナムやオーディンと比べれば、まるで遊戯のような踏み込みだ。あの程度の踏み込みでは、いくら自分でも簡単に防げる。仮に激突したとしても、大したダメージにならない。精々が数メートル吹っ飛ばされるくらいだ。

 

(吹っ飛ばす…? ―――!!)

 

エリオは自身の思考の中に現れたその単語に引っかかった。そして同時に、敵の蹴りの甘さの理由が一瞬で考えとなって現れた。

 

「くっ!」

 

ストラーダのブースト二門を発動。ガリューと同じく前傾姿勢で突っ込む。

 

「エリオ君!?」

 

キャロが名を呼んだ。それに返答をしている時間は無い。すぐさまガリューの二つの赤い単眼が視界に飛び込み―――そして背後に抜ける。

 

「っらあ!!」

 

「―――!」

 

すれ違うようにガリューと抜けた直後、その背を追うように、ストラーダを下からのスウィングで振りぬく。見ればガリューも似たように蹴りがこちらに向いていた。だがその二つは交わることなく、同じ一つの物体に激突して互いに停止。レリックケースが双撃の衝撃で大きく震えた。

 

(全部フェイク……!)

 

あの赤毛の小人は違ったかもしれないが、その後のルーテシアとガリューの発言と行動は全て、こちらを守りに入らせ、レリックを掻っ攫うための動きだった。日々の訓練でだいそうじょうの様にトリッキーな戦術を実体験していなければ、間違いなく今の一瞬でレリックを奪われていた。こいつ等は敵だ、目的こそ分からないが、レリックを奪おうと無警告で動いた。間違いなくスカリエッティに関係のある集団だ。

 

「ぐっ……!」

 

「――、――!」

 

力は拮抗し、ケースはどちらにも飛ばず震えた。

 

「―――」

 

拉致が明かないと判断したか、ガリューが掌底を発射した。それは踏み込みどころか、腰の捻りも加わっていない、肩肘だけで発射された威力のないものだったが、動作が少ない分、速度は乗っていた。

 

「がっ…!」

 

ジャブよりも速い、その攻撃を認識した瞬間にそれを喰らった。出血もしない程度の威力ではあったが、身体に力が入っていた分、姿勢は大きく崩れ、ストラーダがぶれた。

 

(まずい!)

 

ケースが弾かれる。それだけは何としても阻止せねばならない。

 

「ストラーダッ!」

 

良く見えない視界の中でも、唯一信頼できる感覚である左手の感触に叫ぶ。ストラーダが後部の噴射孔が、強いブレスを吐き出す。やや下を向いた状態だったストラーダは、勢いよく地面にぶち込まれる。斬線も定かではない状態で発射されたストラーダは、石製の地面を切り裂いていかず、地面を砕き、その破片と鉄柵をぶちまける。

 

「!!」

 

予期せぬ足元という爆発点に、鋭い反応を示したガリューは、一瞬だけその身を防御に固めた。その一瞬はこの場において、致命的な隙となる。

 

「キャロ!」

 

相方の名を叫ぶ、視界はまだ暗転しているが、キャロの方へケースが飛んでいるのは確認できた。ケースは今の床割りの衝撃で吹っ飛ばした。先ほどまでの拮抗状態では、床を割ってもガリューに蹴り飛ばされていただろうし、際どいタイミングではあったが、ガリューが掌底のために一瞬、ケースに込める力を弱めたのが、有利に働いた。

 

名を呼んだと同時に、キャロがケース確保のために、手を伸ばすのが確認できる―――?

 

(え?)

 

ふと疑問が来た。何故キャロの姿が確認できている? 自分とキャロの間には、ガリューが居たのではなかったか……?

 

「キャロッ! 下がって!!」

 

脳の中で危険を知らせる鐘が、警鐘の音をまき散らせる。それに従い、思考するよりも早く口から言葉が出ていた。

 

「っ!!」

 

キャロがケースに伸ばした手を引っ込めるとともにバックステップ。直後、今までキャロの居た地点が爆砕した。同時に、落ちかけていたケースが、破裂の衝撃で再び宙を舞う。

 

「ッ――――!」

 

宙からガリューが強襲を掛けたのだ。宙からの踵落とし、思ったよりも回復が早い。人間とは精神回路が違うのだろうか。

 

「ちっ!」

 

キャロに近接戦闘の技能は無い。ストラーダのブーストを全門噴射、踏み込みも入れた全加速で一瞬でガリューとキャロの間に割って入る。

 

(むっ!?)

 

だが着地の瞬間に、脚がスキール音無しで僅かに滑る。予想とはやや違うポイントで停止したが、致命的なまでのズレは無い。

 

「せあっ!」

 

着地と同時に、そのままストラーダを横一閃、薙ぎ払う。だが既にそこに蟲人の形は無く、一閃は空を斬った。

ガリューが着地した、そこは初めの立ち位置と全く同じで、ルーテシアの前に落ちた。そして再びの正対。レリックケースが、同じように自分達と彼女達の中間に音を立てて落ちた。

状況は一切変化しないまま、振出しに戻った。

 

(困ったな……)

 

思わず頬を掻きたくなる。このガリューという蟲人は厄介な相手だ。メルキセデクほどでは無いが、近接格闘の能力はかなり高い。スバルをも上回っているかもしれない。

 

(それに……)

 

ちらと、ガリューの背後に視線を伸ばす。

 

「おいガリュー! 何ちんたらしてんだよ!」

 

「………」

 

未だに手を出してこない背後の二名が気になる。先ほどから騒がしい赤髪の娘は元より、あの藤髪のルーテシアという娘が気になる。先ほどガリューを召し寄せてから、微動だにしていないのだ。何か仕込んでいると考えるのが普通だ。

 

「……、?」

 

そのルーテシアがこちらに気付き、微かに首を傾げた。

 

(でも、予想できないものをいつまでも警戒してもしかないか)

 

そう思い、ルーテシア等から意識を放し、再度ガリューに集中する。つい視線が向かいそうなるケースから、故意に意識を引きはがす。ケースに気を取られていて勝てる敵では無い。

 

(足場が……よくないな)

 

微かに靴を滑らせ、ガリューからは眼を話さずに足元の確認をする。薄く張ったヘドロがぬめり、足元を不確かにしている。先ほども、これで一度冷や汗をかいている。

 

自分の今装備は都市戦用だ。悪環境での戦闘は想定していない、故に靴底に滑り止めはそれほど無く、この足場では高速での移動はできない。

 

(―――向こうは関係ないっぽいな)

 

ガリューの足をちらと見てみれば、足底の甲殻がスパイクの役割をしているようで、腰を低く構えているにも関わらず、足と床の擦過音まで聞こえる。

 

無論、自分も悪路での訓練はしている。だがしているからと言って別段有利になる訳でもなく、ただ動きがマシになる程度だ。

 

……よっし!

 

しかし、状況が良くなるわけでもない。一撃離脱だけでなく、白兵戦や立ち回りも、オーディンとセトに教わっているのだ。

 

「よっ…」

 

いつもの突撃の構えをとる。だが、普段は刃を縦に持つストラーダを、横向きの変形姿勢で構える。向かい合っている通路の幅は一メートルも無い。縦に構えるよりも、横向きに構えれば避けられる確率は下がる。

 

「―――!」

 

ガリューとほぼ同時に出た。蟲人はほぼ地面と平行の姿勢で突っ込んできた。こちらの構えからでは、下段の相手をするのは難しいと判断しての行動だろう。

 

(よしっ!)

 

その判断は間違いだ。ストラーダの攻撃範囲は刃だけではない。

 

「サンダーレイジッ!!」

 

ストラーダと地面の間に稲妻が現れ、薄暗い下水道を照らす。それは丁度、ガリューの行き先を飲むように、幾本もの細い雷を牙のように乱立した。

 

「ぐっ!?」

 

だがそのとき、ストラーダを持つ両手に衝撃が来た。見ればストラーダの上部に、奇妙な突起物が二本、鋭利な棘のようなフォルムの物が乗っかっており、それがストラーダを強引に押さえつけてくる。

それはがリューの肩装甲が変化した武器の一種だった。現在稲妻はストラーダと地面の間に発生している。ならば、その間が狭くなれば雷は潰される。

 

「うあっ……」

 

梃子の原理的に力勝負をしても勝てる訳はなく、ストラーダはどんどんその高さを下げる。そして追加で来たガリューの踏み込みが、ストラーダを完全に地面に押し付けた。行き場を失った雷は、逃げやすいヘドロに散っていった。

 

「くらえっ!」

 

「!?」

 

そのとき、予想外の声が予想外の方向から来た。上から、高い声と強い熱が降って来ている。視線を向けなくても判る。あの小さな赤い妖精だ。恐らく炎熱系の魔法を上から落としたのだ。

 

「エリオ君!」

 

どう()なそうか、思考を走らせようとしたとき、更に声が来た、しかしそれは敵のものではなく、よく知った声。キャロの声だった。

 

「ん!」

 

キャロが上に跳んだのが気配で判った。それと同時に上から爆発音、そして熱の気配がなくなり。赤い妖精の舌打ちが聞こえた。見上げるだけの時間はない、舌打ちが下ということはキャロは無事だろう。どうやって熱を無効化したのかは判らないが、それを気にしているほどの余裕は無い。ガリューが動いたからだ。踏み込みを行ったガリューは、逆の脚を大きく振り上げた。踵落しだ。

 

「ストラーダ ブースト!」

 

【Go,ahead】

 

押さえつけられたストラーダを握る手を緩ませ、その間に同じく一瞬だけブーストを入れる。押さえつけられてはいたが、ヘドロが潤滑剤となってストラーダはブーストの通りに行った。刃の根元辺りを持っていた手が、ストラーダのグリップ周辺に移動する。それと同時に、ストラーダの刃に乗る形で構えていたガリューも一瞬で下がった。ガリューの踵が、凄まじい速度で眼前を抜けていく。

 

「ふっ!」

 

そのまま抜けていきそうになったストラーダのグリップを掴む。それほど強くブーストは入れていないため、片手でも用意に動きは止められる。しかしその上のガリューは専門外だ。蟲人は素直に慣性の法則に従って蹌踉めき、たたらを踏む。

 

「往けっ!!」

 

ストラーダの石突きギリギリを持つ形で、蹌踉めいた蟲人に突き込む。ガリューの姿勢は大きく崩れている。普通ならば回避も防禦も不可のタイミングで放った一撃だ。

 

「……―――」

 

普通ならばだが。止められた、ガリューには普通の人間にない物が一つだけあったことを、今まで忘れていた。本来ならば人にも蟲にもついているはずのない物、尾だ。

 

ガリューは崩れた姿勢を尾を支えとすることで素早く持ち直し、こちらがぶちこんだストラーダに反応され、刃の根元の柄を握り込まれた。

 

「―――」

 

「うおっ!」

 

肩にガクンという強い衝撃。突きこんだストラーダの柄を強く引かれのだ。そしてクロスカウンターで下顎狙いの掌底がかち上げられてきた。

 

(かわせなっ……!)

 

ストラーダを引かれたせいで勢いが付きすぎている。このまま左右に往なそうとしても、間違いなく片耳、下手をしたら頬肉を失う。

 

「だったっ……らぁ!!」

 

掌底に対し、叩き付けるように額をぶつける。拳や貫手で同じことをすれば、前線から外れなければならないケガを負うが、掌底ならば話は別だ。インパクトのタイミングを外した掌底ならば、ある程度ダメージは抑えられる。

 

「―――!」

 

手の平といえ、硬質なそれを額で受ければ、負傷はするだろう。だが額は人体でも数少ない、面の骨が皮膚下に直にある個所だ、顔面や顎に貰って、脳を揺らされるよりかは軽微で済む。

 

「っぐ!」

 

だが痛い。

 

「ん! オーディンさんの石突に比べればこの程度!」

 

衝撃に視界が歪む、しかしそれもすぐに収まった。毎日オーディンの槍やセトの蹴りを受けていた甲斐か回復も早い。不意に視界へ赤の色が入った、どうやら額を切ったらしいが大した問題ではない。

 

見ればガリューは予期せぬ反動に、肘の神経をやられたのか、僅かに伸ばした右腕を振るわせている。それに対応する左腕も違和感が出たのか、持っていたストラーダが手から離れた。

 

「ストラーダッ!!」

 

ガリューが怯んだ隙にストラーダに叫ぶ。だが柄を掴まれた状態では攻撃など一切できない。だったらやることは一つだ。

 

「ブースト全開っ!!」

 

現在ストラーダの刃部分はガリューの後頭部の背後間近にある。そこでリミット一切なしのオーバーブーストを発生させたらどうなるか。

 

「―――!?」

 

魔力の爆発はガリューの後頭部と右肩を直で穿つ。だがその代わりにストラーダは爆走して自分の手から離れる。当たり前だ。両腕で御しきれるかすら難しいものを、片手で行えばそうなる。だがそれでいい。

 

「ヒット!」

 

片腕でも向きの調整はできる。爆走するストラーダはガリューを通り過ぎ、その背後のルーテシアに向かった。意識は外した、だがチャンスを窺っていなかった訳ではない。ストラーダはやや乱れた軌道で、しかし確かな勢いで狙い通りに飛んだ。

 

「なっ!?」

 

「!」

 

アギトが驚愕に声を上げ、ルーテシアは小さく眉を上げた。だが、それにストラーダが激突することはなかった。直前でストラーダが停止したのだ、

 

「あ、あっちゃ~」

 

思わず変な声が出た。発射したストラーダがガリューに捕まっていた。ストラーダのブーストは全力だった、何の制限もかけていない。それにガリューは己の俊足で追いついたということか。

 

蟲の表情は分からない。だがその仕草や動作から、明らかに激昂しているのは嫌でも判る。

 

「!?」

 

いきなり、肺の中の空気が一瞬で全て無くなるような衝撃が胸に来た。気づけば眼前にガリューの姿がある。先ほどまでと比べ物にならない速度で、一瞬で間合いをゼロにしたガリューから、捻りを加えた掌底を水月に叩き込まれ

 

「かはっ……!」

 

水月のバリアジャケットが弾けた。だがバリアジャケットを犠牲にしても掌底の勢いは消せなかった。そして一瞬の間の後、背後に吹っ飛び壁に叩き付けられ、否、埋め込まれた。

 

「ぐあ……」

 

口から液体が溢れた。それが深紅で無く無色であったことに、場違いな安心を覚えた。

 

「エリオ君!」

 

キャロの声が聞こえた―――ような気がする。視界のぼやけが加速した。まともに正面の景色が見れていない。

 

「あ……」

 

しかし、景色に影が差し、ガリューが目の前で弓を引くように腕を引いているのは分かった。発射された。

 

(流石にこれは―――)

 

来るのは心臓狙いの貫手だ。背後には壁、衝撃を吸収するものは何もない。拳や掌底ならまだしも、貫手ならば容易く肉をぶち破り、心臓に突き刺さるだろう。

 

(―――死んだかな)

 

迫る光景に、漠然とした思考はそれだけを思った。だが現実はその思考と異なった。

 

 

時間は少々遡る。エリオ等がルーテシア達と接敵したころと、ほぼ同時間。無理にタイルを剥がして地下に潜入したエリオ達と違い。正式な入り口から、否出口から新たに地下水道内へ侵入する複数の姿があった。

 

「ギン姉!」

 

「あ……スバル!」

 

「おや?」

 

姿の数は三つ、一つはスバル、もう一つは応援に駆けつけたギンガ。そして最後の一つはここに居るはずのないオーディンだった。

 

「ギン姉久しぶり!」

 

「あんたもねスバル」

 

「貴様がスバルの姉か、話には聞いていた。我は魔神オーディン、貴様の妹の教導を行っている悪魔の一柱だ」

 

「よろしくです。いつも愚妹が世話になっています。姉のギンガ・ナカジマです。正式な挨拶はまだですが、名乗らせていただきます」

 

今ここは戦場だ、それほど長く邂逅の挨拶を交わしていられる時間はない。ナカジマ姉妹と魔神は短くそれだけのやり取りを終えると、再びシャーリーとグレムリン作の簡易センサーの示す先へと向かった。

 

「あれ?」

 

だがそこでスバルがふと疑問の声を出した。

 

「オーディンさん、何で居るんです?」

 

「我は必要なかったか?」

 

「あいえそうじゃなくてですね。人修羅さんと一緒に無限書庫の方に行ってたんじゃないんでしたっけ?」

 

「高町からの送信を受け急遽推参した。我が主は来なかった、というより気づいていなかったが、表示欄をそのままに飛び出して来た、じきに我が主も参られるだろう」

 

と、オーディンはローラー全開で滑走する姉妹に、跳ぶように並走する。

 

「ヴィータの奴も来ているはずだが……あれは上に行ったか。と、ここから先はエリオとキャロの管轄と聞いたが、奴らはどの辺りだ?」

 

「そこまで遠くじゃないです、っと」

 

答えたギンガの頭部があったあたりを、高速で魔力弾が通った。ギンガは首だけの動きでそれを容易く回避。

 

「遠くじゃないですけど、敵は居るみたいですね」

 

「そのようだ」

 

前方からガジェット群。数は少なく、一型ばかりで三型の姿は確認できないが、それでも両手に収まらない程度の数が下水道の奥から湧き出て来た。

 

「どうします? 報告では確か、今回のガジェットは幾ら破壊しても意味がないと聞いていますが、無視していきます?」

 

「否、地上の再生魔法の範囲はあくまで地上だけだ。地下にまでは伸びてはこん」

 

「その情報の信用度は?」

 

「我は地上で発生している魔法『ネクロマンシー』に似た『ネクロマ』を扱える。その射程魔力範囲からだ。全て破壊していくぞ」

 

「了解です。オッケー、スバル行くわよ!」

 

「おうギン姉!」

 

格闘士二人が、完全に同じタイミングで前に出た。速度も同じ、しかし振りかぶる手は逆だ。スバルは右を、ギンガは左を、装備されたそれぞれの武装、リボルバーナックルが唸りをあげて放たれる。

 

「おおおおおお!!」

 

「ああああああ!!」

 

雄叫びと共にガジェットが二体、その胴部を穿たれ、部品と潤滑油をぶちまける。

 

「ハッ!」

 

「シュッ!」

 

そして流れるような動作で放たれた回し蹴りに、更に二体が破壊される。いくらガジェットに、AMFという魔法を無力化する機能があったとしても、単なる打撃には何の役にも立たない。

 

「下がれ!」

 

そして無力化できる魔法も、ミッド式とベルカ式等の魔法だけ、この世界の魔法だけだ。

 

『マハブフーラ』

 

悪魔の魔法の前には無力だ。オーディンは下がれと言ったものの、下がるのを待たずに氷柱の雨を横殴りに降らせた。氷雨は格闘士二人を器用に避け、そして残るガジェット八機に突き刺さり、氷の針山と化させた。

 

「危ないじゃないですか! あたったらどうする気ですか!?」

 

再び前へと疾走を開始しながら、しかし非難の声と視線を持って、ギンガは背後を向いた。

 

「我が回復させよう。なに死んでいなければ大抵の損傷は治癒できる」

 

「………」

 

「あははギン姉、大丈夫だよこの人……人? 達はその辺は凄く上手いから」

 

「光栄だスバル。しかし我が主には未だ遠く及ばん。あの方は怪我に気付く前に治療を終わらせる」

 

「………冗談ですよね?」

 

「冗談ではないのだこれが」

 

「冗談じゃないんだよねー」

 

「………スバル、あんた結構毒されてる?」

 

そんなことを言いながらも落ちるような速度で、三人は地下水道を進んでいく、途中やはり小規模のガジェット群と遭遇することが数回あったが、それも数秒で全て片付けて進む。

 

「居た! エリオとキャロだ!」

 

数分の後、スバルが声を上げた。見れば、先には確かに二名の姿がある。しかし人影の姿が多く、その内の一体はどう見てもエリオに攻撃を仕掛けていた。

 

「ギンガ!」

 

「了解!」

 

オーディンが名を呼び、ギンガはそれに答えた。同時にギンガの速度が倍以上に増し、一気にエリオと敵影の直前まで移動した。

 

 

「―――!」

 

エリオへと発射された貫手の肘に蹴り足があった。ガリューの姿勢が一瞬堪えるように揺れ、そして蹴り脚に飛ばされ横回転で弾かれた。

 

「ギリギリでしたね、無事ですか?」

 

「あ……」

 

エリオが顔を上げる。そこに居たのはスバルと、そして彼女とよく似た背格好。だが長い髪を持った女性。スバルの姉、ギンガが居た。そばに不安そうな顔のキャロの姿もあった。

 

「無事……じゃなさそうですね」

 

「エリオ大丈夫!? どこ怪我したの!?」

 

「アバラが数本と胃が傷ついてるが、それだけだ。立てる、武器を手に出来る。無問題だ」

 

「それを大丈夫じゃないって言うんです。まったく、貴方達悪魔は皆そうなんですか?」

 

「我が主の名誉のためにノー、と答えておこう」

 

「ギン姉、オーディンさん達はこれがデフォルトだから、早く慣れた方がいいよ。精神的にも」

 

そしてその横、良く知った声と姿に、エリオの口が微かに笑った。

 

「オー……ディン、さん」

 

「喋るな。アバラが肺に刺さる。治すのが面倒だ、地獄の痛みを味わいたくはないだろう?」

 

その心配は一切ない言葉に、本人だとエリオは確信した。

 

『ディア』

 

オーディンは身動き一つできないエリオに槍の穂先を向け、短く回復呪文を唱えた。

 

「エリオ君、大丈夫?」

 

「応急処置程度だ。立てはするが、しばらくは大人しくしておけ。骨折した状態で変に動けば、技や構えにも癖がつく、本格的治療はシャマルに頼め……それとキャロ、貴様もだ」

 

「え?」

 

「手を見せろ、先ほどから腕先の動きがぎこちない、負傷しているだろう?」

 

「い、いえ……私は別に……」

 

といって、キャロは腕を隠したまま後ずさった。それを見てオーディンは、鼻を鳴らすと。

 

「そうか」

 

と言って、バレバレの誤摩化しをするキャロに向かって唱えた。

 

『ディア』

 

「え……え?」

 

「その負傷に何の憂いがあるのか知らぬが、我には関係ない……それと誤摩化すのであればもう少し……な」

 

言葉と視線、そして槍先はエリオやキャロに向けているものの、オーディンは意識をそちらへ向けていなかった。意識を向けているその先はルーテシアとガリュー、アギト等の居る戦場だ。

 

「フィールドが狭いな……スバル、ギンガ・ナカジマ、ここは貴様等……いやギンガ・ナカジマ、貴様に譲ろう。我の長槍はこの戦場に不向きだ。あれの相手は貴様がやれ。スバル、今回貴様は見物だ」

 

そう一方的に言って、オーディンはエリオが埋まったままの壁付近に寄りかかると、槍を立て腰を下ろした。

 

「え、何でですか!? ギン姉一人よりも、二人で行けば……」

 

「言っただろう、戦場が狭い、複数で動けば逆に不利となる」

 

「言ってることはあってますけど、ほんと一方的ですね。まったく……」

 

ぶつくさ言いながらも、ギンガは足を踏み出し、跳ぶように場に戻ってきたガリューに向かいあった。

 

「スバルさんのお姉さん……ですか? えっと、ここに来るまでに結構敵の数が居たはずなんですけど……」

 

「ああ、それについては心配ないですよ。ここまで来る最中に、だいたいのガジェットは私達で片してきましから。地下にもうガジェット反応はありません」

 

「ギンガ・ナカジマ、その敵は蟲だ。通常の視界の持ち主ではない」

 

「判ってます。複眼ですね。ちょっと面倒ですけと、常に散眼だと思えばどうてことはないですよ」

 

ギンガは一瞬ちらとオーディンを見、ルーテシアとアギトを見、そしてガリューに視線を合わせた。

 

「選手交代です……言葉は通じますよね? 無駄だと思いますけど、一応言っておきます。投降をお願いします」

 

ギンガの問いかけにガリューは言語を返さず、代わりに高い蟲の声を発し、そして

 

「―――」

 

かかって来いと言わんばかりに、招くように右手を動かし応じた。

 

「上等ッ!」

 

その瞬間、悪い足場だというのに、一瞬でギンガは躊躇いなく腰を深く落とし、そしてガリュー目掛け跳ぶように行った。同時にガリューも同じように腰を落とし、ギンガへ突っ込む。

 

 

互いに放った一撃は右の貫手。刃の如き指先は互いの腕を掠め、右頬を掠めそして背後に抜け交差する。

 

ガリューは横目で背後へ抜けていく女の蒼髪を確認した。速い、と率直にそう思った。先ほどの少年のように武器によるブーストを多様しているわけでもないのに、人間以上の身体能力を持つ自分と張り合ってくる。

 

「――――――」

 

面白い、と思った。先日敗北したあの悪魔のように妙技を使う訳でもない。ただ身体能力だけの戦闘だ。だが楽しむ訳にもいかない。ルーテシアは即座の勝利を望んでいるのだ。

 

貫手に使った踏み込みの脚を、地につけた直後に蹴り、空中で身を捻り即座に背後に飛ぶ。自分の能力は人間以上だ相手はまだ貫手の勢いを殺し切れていないと判断しての行動だ。そのまま女に胴回し後ろ蹴りを放とうとした、が

 

「―――!?」

 

だがいきなり宙で捻ったこちらの身が折れた。何故か、と視線を動かしてみれば己の身に女の跳び蹴りが叩き込まれている。認識を改めた。この女闘士は想像以上に速い。この女は脚力を強化した自分よりも、素早く地面を蹴り、こちらに蹴りを叩き込んできたのだ。

 

「―――? ―――!?」

 

疑問が思考を支配する、敵にとってこの足場では、即座の反転などできないはずだというのにと。だがそれもすぐに分かった。この女の脚甲、それの底に一列のローラーがあったのだ。おそらく先ほど交差した際に、既に車輪を逆加速させ、着地と同時に踏み込みを車輪の回転によって可能にしたのだろう。だが滑る足場を片足で反転してくる。この女はバランスに置いても優れたものがあるらしい。

 

「チッ!」

 

眼前、女が舌打ちをした。その理由は分かる。如何に瞬発した蹴りとはいえ、こちらの腹部装甲を砕くには至っていないからだ。鉄を超える甲虫の装甲だ、並の攻撃では傷一つ付かない。

 

「―――」

 

着弾の衝撃で、女の蹴り足は膝から曲がっている。ここから逃れるには再び蹴り足を使い、離れるだけだ。だが衝撃はこちらの身を折ることもしている。今、自分は僅かに後退している状態だ。その状況で女が蹴り足を放つことは不可能だ、距離をとれない。

 

「―――!」

 

絶好の機会だ。折った身を無理やり力ませ、右の膝装甲で女の脚部をかち上げる、脚の一本を取れば自分の勝ちは確定する。不可避の一撃だ、すぐに膝へ衝撃が来るだろうと確信した。だがそうはならなかった。

 

「―――!?」

 

見れば女の姿が眼前どころか、前方に無い。だが、何かが己の右側面を走っている。そのこちらの右側面を伝う気配に、何が起こったのか得心した。女は再び、蹴り足のローラーへ加速を入れたのだ。それもこちらの身体を足場とし、垂直の状態で背後へ回のだと。素早く一部の個眼を走らせ確認、やはり背後に居た。

 

「っらああああああぁぁぁ!!」

 

背後から雄叫びが来た。しかし加速した一撃で装甲を割れなかったというのに、最も固い背部装甲に、無加速の一撃で何ができるというのか。

 

「!?」

 

だが次に来たのは、身体の芯まで響く打撃だった。否、厳密言えば、来た衝撃は打撃で無く、削撃だった。

 

削られている。敵は打撃では効果が薄いと判断したか、ローラーによる削撃を叩き込んできた。打撃斬撃に強い装甲も、削る力には脆い。

 

「―――!」

 

だが自分の背後に回ったのは失策だ。自分にとって背とは、正面以上に攻撃手段が豊富な箇所だからだ。

 

「ォ――――!」

 

肩胛骨の装甲を鋭いものへ変化、一瞬で伸長させ敵を貫く槍とする。突きこむ。

 

「ぐっ!」

 

雄叫びが苦悶の声に変わった。手応えからして両肩を抉ったか、と思っていると背部装甲に衝撃、どうやら敵はこちらから距離を取ることを望んだようだ。

 

「――――」

 

「ちっ……ふぅ―――」

 

再び正対。自分の予測は正しく、敵は両肩を赤く染めている。しかしこちらも痛手は負った。先ほどの削撃が想像以上に芯に届いている。現在はこちらがやや有利といったところだが、時間を置けば有利になるのは敵だ。

 

「………」

 

「………」

 

状況が膠着した。己も敵も、無為に手を出せば痛手を負う程の実力者と分かったからだ。睨み合いの中で何とかスキを見つけ出そうとするが、女も強い。大きなスキが見当たらない。

 

しかしその睨み合いは両者のどちらでもない、第三の者によって崩壊させられた。

 

 

「見事! 御見事也。両者誠見事な武者振りかな」

 

膠着したその空間に、その新たな声は真上から降ってきた。予期せぬ声に一同が敵から視線を上に向けると。

 

「されどされど、目的を忘れ合戦に酔い痴れるとは、皆々様は見事な大戯けじゃのう」

 

そこには、宙に浮いただいそうじょうが骨だけの口を歪ませていた。その手にはいつの間にかレリックケースが抱えられている。

 

「ガリュー! 取り返して!」

 

その声にガリューがギンガもエリオも無視してだいそうじょうに突っ込んだ、全身をバネのように伸ばし跳躍、死僧に貫手を付きこんだ。だが

 

「阿呆が。頂いていくぞ」

 

触れるか触れぬかの刹那、だいそうじょうの姿が消えた。標的を失ったガリューの貫手が水道パイプに突き刺さり、少なくない水を溢れさせた。

 

『若造が、先の敗北から何も学ばなかったのか? 喝ッ!!』

 

だいそうじょうの声だけがその場に響き渡った、その瞬間。

 

『ニューロクランチ』

 

貫手の刺さったパイプが爆発した。明らかに殺意を持った破砕は、間近に居たガリューは勿論、エリオやギンガにまでその鋭い破片を飛ばした。

 

「ッチ!」

 

今の今まで見に徹していたオーディンが、座った姿勢のまま、舌打ち一つを鳴らすと、億劫そうに唱えた。

 

『マハザン』

 

瞬間、オーディンの周囲に小規模な竜巻が複数巻き起こった。それはオーディンの周囲だけでなく、エリオとキャロ、スバルとギンガの周囲に落ちてくるものまで、全ての破片を吹き飛ばした。

 

「あ、有難うございます」

 

「礼はいい。それよりここからどうする気だ?」

 

神槍でオーディンは天井を刺すように示した。だいそうじょうの開けた穴は次第にその規模を広げ、降ってくる破片も、大振りなものが多くなってきている。

 

「だいそうじょうの戯れのおかげでここは時期に崩れるぞ」

 

奴等は先に撤退したようだしな、とオーディンはそこでやっと立ち上がった。

 

「生憎と、天井は崩れても太陽は拝めそうにはないな」

 

そう言う間にもオーディンは竜巻の数を増やしてゆき、何時の間にか周囲には風の結界が作り出されていた。

 

「貴様等、我々も脱出するぞ」

 

当然そうにオーディンはそう言い、自然な流れで竜巻が反らしきれなかった巨大な瓦礫を、石突の一撃で砕いた。

 

 

「おいルールー!」

 

先ほどまでの地下水道のほぼ真上。透過の術式で地上部に戻ったルーテシア等は、未だ地下に居るであろう六課の面々を潰すべく、彼等の真上であろう地点に、巨大な甲虫を二匹出現させていた。その大型車ほどもある甲虫の名は地雷王と言う。地雷王は種族能力として、局地的地震を発生させる能力を持つ。ルーテシアは地雷王の地震で、地下に居るエリオ達を、地盤沈下によって生き埋めにしようとしていた。

 

「何? アギト」

 

「地雷王なんかだして、あいつ等潰す気かよ!!」

 

「? そう、だけど?」

 

当たり前のことを、とルーテシアは一切の表情を変化させずに言う。彼女等は地雷王の地震に巻き込まれぬよう、少し離れた地点のビルの屋上に居た。

 

 

「な……良いのかよ! あいつ等死んじゃうかも何だぞ!」

 

「大丈夫だよアギト、動かない方が回収しやすい、場所、変わらないから。それに埋まっちゃうなら、生きてても、そうでなくても、一緒でしょ?」

 

「そうじゃなくて……!」

 

「?」

 

ルーテシアが疑問に首を傾げたたと同時、ひときわ大きな振動が響き、地雷王達の居た地点の大地が、その高度を数段下げていた。

 

「あーあ……やっちまっ…!?」

 

地雷王を見ていたアギトが、出しかけた声を止め、驚愕に眼を見開いた。視線の先、二匹の地雷王の造形が僅かに変化していたからだ。一匹はその首より先が無く。もう一匹はその体躯の中央に直径一メートル台の風穴を開けていた。眼をはなした一瞬で、地雷王の亡骸が二つ出来上がっていた。

 

『大切断』

 

『殺風撃』

 

「オーディン、貴様は何を遊んでいる?」

 

地雷王の首を飛ばした巨人、スルトが業火の太刀を担って言った。

 

「不可抗力だ。我一人であればこうなるものか」

 

風穴を開けた軍神、オーディンは身体中にかかった地雷王の体液に、嫌な顔をしながら答えた。

 

「ほう、で尋ねるが、貴様は何故下から大地をぶち抜いて来た? 普段ならば『トラポート』で抜けてくるだろうに」

 

「訓練の一環だ。今回はキャロの案で、地下から我の風で天井床をぶち抜き、スバルとその姉の、ウイングロードで道を造ってあがって来た」

 

と、オーディンは神槍の穂先で地雷王の死骸の風穴を示した、そこには二本の色の違うウイングロードが、生えるように出ていた。

 

「あ、危なあ!」

 

「うわ、な、何これ!? 昆虫!?」

 

そして、そこからまた、地雷王の体内から現れるようにスバル、エリオ、キャロ、ギンガが姿を見せた。

 

「さて、それで。あそこにいるあれ等が、この害虫の主か?」

 

スルトが見上げるようにルーテシアを見た。距離にして直線で約二十メートルの位置だ。

 

 

「おいルールーまずいぞ! あいつ等全員出てきやがった! 別のやつも来やがったしよ!」

 

アギトが耳元で何か言っている。しかし頭に入ってこない。

 

(どうしよう……)

 

地下から全員が五体満足で出てくるとは思っていなかった。来るとしても、二人くらいは戦闘不能にできると思っていた。

 

「くっそがっ!!」

 

アギトが大火球を敵達に放ったのが、視界の隅に入った。

 

「ふん」

 

敵の一人、炎の悪魔がそれを見て、鼻を鳴らした。彼は炎を纏った太刀を火球に向けると、舐めるように回し、そして火球を搦め捕ってもてあそび始めた。

 

「そら、返すぞ」

 

と、炎の悪魔がアギトの火球に、自分の炎を絡めて返して来た。無論、そんなものがアギトに効くはずも無く、アギトは弾き跳ばす。

 

「さて、そろそろ捉えさせてもらおうか、と。貴様等には色々と尋ねたいこともできた」

 

と、槍を持った悪魔が、そう言ったと同時に、今まで疲労故か、息を整えていた六課の人間達が、一斉にこちらを向いた。

 

(どうしよう……)

 

頭の中でその言葉がリピートする。地雷王クラスでは時間稼ぎにもならなかった。しかしそれより上位の蟲や悪魔は、片手で数えるほどしか居ないし、複数召還しては自分の魔力やマガツヒが持たない。

 

(でも……)

 

するしかない。ここに居る敵を全員倒せば、レリックを持って逃げたあの悪魔が戻ってくるかもしれない。可能性は低いが。それでもレリックを得るにはそれしか方法は無い。先陣をきって突撃槍を持った少年が突っ込んで来た。傷ついたガリューはまだ出せない。そう思い、懐の管を二本取り出す。

 

 

「……来て、最古の災害蟲王。神の機織る蜘蛛の【止めなさい】

 

だが、詠唱を開始したとき、それを止める声があった。

 

「お姉ちゃん……?」

 

自分が姉と慕う悪魔から声が来た。

 

【待ちなさい。今ここで彼等を召還する必要は無いわ】

 

「でも……」

 

既に敵との距離は十メートルを切った。だがお姉ちゃんはそれ止めようとしている。お姉ちゃんは母が居なくなってから自分と行動を共にしている悪魔の中で、最強と言っていい存在で、その強大さ故に契約を結んでしまうと、一瞬で干涸びるため、厳密には何の契約も結んでいない。だからお姉ちゃんは管に入ってはいない。

 

【もうあの魔人の手に渡ったレリックは貴女じゃどうにもならないわ。私が力を貸しても、人修羅一派の魔人相手じゃ分が悪い。それに今の貴女じゃマガツヒが持たない】

 

「だけど……お姉ちゃん。あのレリックが八番かも知れないんだよ?」

 

お姉ちゃんの姿は見えない。だが常に近くに居てくれるのは知っている。

 

【彼女達に任せておけば大丈夫よ、ルー。大丈夫、私を信用なさい】

 

「……うん」

 

お姉ちゃんが間違えたことは今まで一度も無い。距離は五メートルを切った、だがそのとき。

 

「!!」

 

「ッ!?」

 

ここからではない、どこか遠くから、爆音が響いた。何かはだいたい予想ができる。数度聞いたことがある、ナンバーズの十一番、ディエチの砲撃音だ。だが、それを知らぬ敵は驚きに脚を止めた。彼等が歴戦の悪魔や、半人前とはいえ軍人であったことが、ここで有利に動いた。素人や一般人であれば違っただろうが、彼等は戦い慣れた者達だ。己の知らぬ砲撃音にはどうしても一瞬身構える。

 

【失礼するわ】

 

『メギドラ』

 

そしてそれはお姉ちゃんに魔法を詠唱させる、決定的な時間をもたらす。彼等が身を固めた瞬間、お姉ちゃんは至近距離で万能魔法を唱えた。それは、周囲を爆撃し煙幕を起こすために放ったもののようだったが、副次的に大規模な破壊も生み出した。

 

「飛ぶわよルー」

 

周囲が崩れていく音の中で、お姉ちゃんのその声はハッキリ聞こえた。そして瞬きよりも短い時間で姿を見せたお姉ちゃんに引っ張られ、アギトごと都市の外縁部に移動した。

 

「!?」

 

だがその途中でお姉ちゃんが異様なまでの動揺をみせた。お姉ちゃんとは契約を結んでいる訳ではないが、リンク自体は結んでいる。お姉ちゃんの動揺はそれを通して、同時間で伝わって来た。

 

「お姉ちゃん?」

 

「……ご免ねルー。私行かなくちゃいけなくなったわ」

 

「え?」

 

「お、おい! どうゆうことだよ『女王』!」

 

「あいつが来たの。万魔を率いる魔人、混沌王が」

 

「混沌王?」

 

「だからご免ね。あいつが来たなら、私は行かなくちゃ。”死の少女”に横取りされる訳にはいかないの。大丈夫、ここまで来れば貴女なら逃げ切れるわ」

 

そう言ってお姉ちゃんは飛んだ。今居るのは外縁部だ。既に悪魔も、六課の人とも距離は離れている。逃げ切れるだろう。レリックはお姉ちゃんとナンバーズ達を信用するしか無い。

 

「ねえアギト」

 

「何だよルールー」

 

「あの悪魔、オーディンとかいうあの魔神。あの子達と契約してる訳じゃないんだよね?」

 

「あの子達? ああ最初にぶつかったあのちんまい二人か。さあな、でも六課の悪魔は全部『女王』が追ってった混沌王とかいうのが親玉なんだろ? だったら契約はしてねえんじゃねえか?」

 

「………」

 

「どうしたんだよ」

 

「あの子達、悪魔に治療してもらってたよね?」

 

「あ、ああ……」

 

「………」

 

「だから何だよルールー!」

 

「ねえ、契約もリンクも繋がってない悪魔が人を治療するのって……どれだけあり得ないことか、判る?」

 

「は……? え、判んねえよ、あたしはサマナーじゃねえんだから」

 

「そう……」

 

アギトの言葉に若干落胆を持ったが、彼女の言う通り、サマナーでもない者に尋ねたのが悪かった、仕方ない。サマナーであったなら即座にこう言っただろう“ありえない”と。可能性としてはほぼゼロなのだ。

 

「何なんだろ……あの悪魔が変なのかな? それともあの子達がなのかな?」

 

思わず都市に視線を向ける。

 

「おい……ルールーまさか……」

 

「ん、保険。ナンバーズの帰りよう、も必要だし」

 

管を一本取り出す、先ほどお姉ちゃんに止められたものの内の一本だ。

 

「来て、最古の災害蟲王。全てを飲み干す蟲の嵐よ」

 

声と共に管が展開。同時に周囲の大地が微かに鳴動する。

 

『悪魔召喚』

 

 

時間はやや巻き戻り都市北部。とあるビル屋上に二つの人影があった。二つはどちらも青のドライスーツを着込んでいたが、一人は立ち、一人は伏せ狙撃銃を、否、狙撃砲を構えていた。

 

「どうやら私の出した幻影は、八神はやてとネビロス様の戦闘余波で全部消えてしまったみたいですわ」

 

口を開くのは立っている方、眼鏡をかけ、茶の髪を二つにまとめたその女性はクアットロといった。

 

「むしろ気づいてたのかな? ネビロスが全部戻しちゃうから幻影って気づかれてないかも」

 

と返すのはディエチという名の、薄い茶の短髪の女性だ。

 

「ま、それはそれとして。感度良好ですわ。いつでも爆沈可能、タイミングはそちらに任せますわ」

 

クアットロは先ほどから眼鏡の奥、右の瞳に青い光を宿し、それに映る情景をズームしていた。

 

「一応確認で聞いておくけど、あれが本物なら撃っても死なないんだよね?」

 

「ええ、本物なら、ね。偽物なら蒸発して死亡。まあデメリットはありませんわね」

 

「ん、判った。じゃあ今からテンカウント、開始」

 

そしてディエチの構える狙撃砲の狙う先には、一気のヘリが飛んでいた。シャマルとエリオ等の保護した少女が乗っているヘリだ。

 

「ディエチちゃんと同時に撃ちなさい」

 

カウントの直前に、クアットロは自身の外套であり、固有武装である白銀の外套(シルバーケープ)の襟を口元によせ、呟いた。白銀の外套は武装とはいえ意思を持っているわけではない、しかし。

 

【砲・撃・了・解】

 

声は返って来た。それにクアットロは満足げに笑みを浮かべ、カウントを開始した。

 

「十 九 八 七」

 

カウントのたびにディエチの固有武装、狙撃砲(イノーメスカノン)の発射口が彼女の魔力光色である橙色を宿し、それを膨らませ続けている。

 

「六 五 四―――」

 

 

「都市北部と南部に新たな魔力反応! ランク……!? 双方オーバーSです!」

 

シャーリーの悲鳴にも似た声がモニター室に響いた。その声に、はやてから後を任されたグリフィスは苦虫を噛み潰したような顔を作った。

 

「魔力反応から両方とも射撃砲撃系の魔力の動き方をしています。双方のライン上にはヴァイスさんのヘリがあり、確実に狙われています!」

 

それを聞きグリフィスは思わず悪態をついた

 

「くそ! 今誰も手は開いていないんだぞ!」

 

「じゃあどうするんですか? 白旗でも用意しますか?」

 

グリフィスとは対照的に、ひどく落ち着いた声が言葉を返した。モニター室の中で、ただ一人、一切の動揺をしていない者、先ほどまではやてが座っていた隊長席で正座をして寛いでいるセトだ。

 

「そういう訳にはいかない!」

 

「で、それなら何をするのですか?」

 

「………!」

 

「隊長達は戦闘中、スルトとオーディン、新人ちゃん達は粉塵に巻かれて身動きが取れない。ヴィータは未到着……それで、ここで貴方が取り乱して何か進展があるんですか?」

 

セトの言葉に、グリフィスは何も返すことができず、しかし反論しようとして口を開いたが言葉を作ることはできなかった。

 

「大丈夫、貴方達は何もしなくても心配ないよ」

 

「え?」

 

「一番信用できる人達が今フリー何ですから、何も指示しなくても、現場で判断してくれますよ」

 

ほら

 

「言ってる間に発射されたみたい」

 

「!?」

 

グリフィスが驚いてメインモニタを振り返れば、二つの魔力反応は点から線に形を変える瞬間だった。

 

「発射されました!!」

 

一瞬遅れてシャーリー、ルキノ、アルトの声が同時に響いた。

 

 

「三 二 一 発射!」

 

「発射」

 

【爆・砕・確・定】

 

ヘリに二丈の光芒が向かった。音は轟音、速度は高速、そして威力は絶大だ。

 

「む!?」

 

「あ!?」

 

その音で、都市各地に散っていた六課の隊員や悪魔達はそれに気づいた。発射後にだが。いくら悪魔達が音の速度で動くことができようと、気づいたタイミングが悪すぎる。

 

「残念、遅すぎましたわね」

 

クアットロが笑みを浮かべてそう言った。

 

二筋の光芒は、完全な直線でヘリまで飛び、そして二度目の轟音を持って着弾―――だが。

 

 

「レイジングハート、エクシードモード!」

 

『グラダイン』

 

その声と、指を鳴らす音は、その場にいる全ての者の耳に届いた。乾いた音は都市全域によく響いた。

 

直後、着弾した光芒が曲がった。一つは何かに阻まれ、散るように飛び散り、宙に消えていった

そしてもう一つは真下に折れ曲がった。打撃先をヘリから地面に変更した光線は、地表に激突したが、跳ねることも爆発することもなく、押しつぶされ広がっただけだった。

 

 

「凄い…! まさか追いつかれるとは思わなかった!」

 

【任・務・失・敗】

 

ディエチが感嘆の声を上げ、白銀の外套からは苦渋の声が聞こえた。

 

「あれが……ドクターの言っていた、最重要研究対象の二人です、か」

 

眉を潜めたクアットロは呟くようにそう言った。

 

 

「甘えよ。本当に落としたきゃこの十倍は必要だぜ」

 

超重力で光をへし折った者、人修羅がヘリに並走するように空中で笑いながら歩きながらそう言った。

 

「そこそこに強い砲撃でしたけど……でもメルキセデクさんの打撃よりかは弱かったですね」

 

防壁で光を拡散させた者、なのははヘリを挟んで人修羅と反対の宙でそう呟いた。

 

 

「ん? セデク嬉しそうだね。自分のほうが上って言われたことがそんなに嬉しい?」

 

「ええ、女性は他の女性と比べられることを嫌がりますが、男は他者と比べられ、そして上だと言われたなら嬉しくない男は居ませんよ」

 

「ふーん。器の小さい男の言いそうなことね」

 

「じ、女性には分からない境地なんですよ! 我が主だってそうでしょうよ」

 

「人修羅より上なんて居るわけないんだから違うわよ、バカじゃないの?」

 

「………」

 

「あによ?」

 

「いえ……」

 

 

「よう、遅れた」

 

「遅いですよ人修羅さん、もう少しで終わっちゃうところだったんですよ?」

 

「悪い悪い。本読むのに熱中しててさ。俺って昔から本読んたりして遠足とかに置いてかれるタイプだったんだよ。だから許せ」

 

「許すも許さないも、間に合ったんだから何もありませんよ」

 

空中で二人は笑い合った。そしてヘリに手をかけると、両者はヘリの中を覗き込んで言った。

 

「シャマル! ヴァイス君! 無事?」

 

「よー、お前等、大丈だったか」

 

「は、はい……」

 

まだ動揺があるのか、シャマルは少女を抱きながらそうとだけ言った。

 

「スルトから脳話で聞いている。そいつがレリックを持ってたって奴か」

 

ふーん、と人修羅はヘリ外から謎の少女の顔を覗き込み、首を捻った。

 

「人修羅さん、何か気になるところが? わたしにはただの普通の女の子にしか見えないんですけど……」

 

「んー、ちと常人にしてはマガツヒ濃度が濃いめだけど……別に普通だな、魔人でも英雄でも無いなあ」

 

「人修羅の兄さん! 来るんだったらもっと早くに来てくださいよ! 肝を冷やしましたぜ」

 

「ヒーローは遅れてやってくるものなのさ」

 

「人修羅さんはヒールじゃないんですか?」

 

軽口を叩きつつ、両者はヘリから離れた。離れる際にも、人修羅は少女に対して首を捻っていたが、それもすぐに止まった。

 

「人修羅さん。そっちの砲撃主、確認できますか?」

 

「んあ、こっちから撃った奴はもう見えね。だけとそっちのはまだ見えるな」

 

人修羅は距離にして数キロは離れている砲撃主の姿を完璧に視認していた。

 

「よく見えますね」

 

「悪魔ならな。んと、お、敵もこっちが見てるって気づいたみたいだ、逃走に入った」

 

「どうします? ここからでもわたしなら狙い撃てますけど」

 

「お前さっきから落ち着き過ぎじゃね?」

 

「だって、人修羅さんが居るんですから、他の子がどんな失敗してもフォローしてくれるから安心ですから」

 

「やれやれ随分と信用されたもんだな俺も」

 

「嫌なの?」

 

「うんにゃ、別に。ああそれと、お前は撃たんでいい、俺がやる」

 

と言いながら、人修羅は右手に魔力刃を出現させ、それを腰だめに構えた。

 

「……最悪でも気絶レベルにしてくださいね?」

 

「善処する」

 

不安げにそう言ったなのはに、人修羅は無表情にそう言い、刃を一閃させた。

 

 

「まずいまずいまずい!」

 

「………!」

 

クアットロとディエチは全力で逃走していた。逃げるのはもちろん、あの魔人からだ。

 

「クアットロ、幻惑の銀幕(シルバーカーテン)は?」

 

幻惑の銀幕はクアットロの持つ固有技能だ、幻惑をもって自分の定めた対象の知覚を惑わすことが可能で、それはレーダーや探査機にまで及ぶ。一度発動してしまえば、それこそ敵のソードラインを超えるまで気づかれない。しかし

 

「さっきから発動してます! でも混沌王に通じていませんの!」

 

『精神無効』

 

『魔力無効』

 

『神経無効』

 

知覚に作用するタイプの魔法に完全な耐性を持つ人修羅には一切通用しない。

 

「来た!」

 

ディエチの視線の先で、人修羅が刃を振るった。クアットロやディエチから見れば、人修羅はただ居合い抜きで刃を振るったように見えただろう。人修羅とクアットロ達との距離は距離にして数キロ、それに対して人修羅の刃はせいぜいが一メートルだ。普通に考えれば刃の届く距離ではない、しかし。

 

「!!」

 

「!?」

 

刃の延長線上で切断の力が炸裂した。それはクアットロ達の乗っていたビルを一発で切断。のみならず、周囲のビル群全てを切断、そして切断した箇所から更に切断の力が植物の蔦ようにその枝葉を伸ばす、二等分されただけだったビル群は、瞬きよりも短い時間で一瞬で微塵切りとなり、瓦礫の山、否、塵芥の海に変えた。

 

『死亡遊戯』

 

だが切断はビルこそ無惨な姿に変えたものの、その上に乗っていた異物にまではその力を伸ばさなかった。だが斬られなかったとはいえ、足下がいきなり芥の山に姿を変えれば正しい姿勢で立っていられる訳が無い。しかしクアットロもディエチもそこまで空戦に特化している訳ではない。一瞬とはいえ芥に身体を取られる。

 

そして身動きを取れなくなった一瞬の間を持って、二人の背後に同じく二つの影がさした。

 

「スターズ副隊長ヴィータだ!」

 

「”隻眼の知”魔神オーディン。捕獲させてもらおうか」

 

戦槌と神槍を構えた二つの武人が襲いかかる。

 

 

「と、オーディンと、ついでに来る途中に見つけたあいつを向かわせたから、捕獲はなんとかなるだろ。あれはあいつ等に任せておけば大丈夫だし、俺はどうしようかな、と」

 

前方の景色一切合切全てを微塵にした人修羅は、魔力刃を散らすと、軽く伸びをした。

 

「なのは! 人修羅さん!」

 

「お」

 

そのとき、ヘリの護衛に随伴していた人修羅となのはのところに、見知った声と姿が来た。フェイトとはやてだ、両者とも身体の各所に軽い火傷や擦過傷、切り傷はあれど、重傷は無い。

 

「フェイトちゃん! はやてちゃん! 戦ってたんじゃ……!?」

 

「ごめんなのは、ベリアルには逃げられた」

 

「こっちもや、随伴しとった雑魚悪魔は全部片付けたんやけど、ネビロス本人には逃げられてしもた」

 

「そう……でも無事でよかった」

 

「ベリアルとネビロスが引いた……?」

 

その言葉になのはは安堵を、人修羅は不可解をそれぞれ浮かべた。

 

「? 人修羅さん、何かあるん?」

 

「……あいつ等、どういう風に逃げた? 直前に何か、互いに目配せか何かしてなかったか?」

 

「ええ、確かにしてましたけど、それが何か?」

 

「ああ、ベリアルとネビロスが引いたってこ―――」

 

言葉の途中でいきなり人修羅の姿が消えた。そして一瞬遅れでその場を何か黒い物体が高速で通り抜けていった。

 

「え?」

 

「は!?」

 

「あ!」

 

そこまで経過して、やっと三隊長は何が起こったのかに反応した。

 

「接敵!?」

 

その事実に、三隊長が吹っ飛ばされた人修羅の元に向かおうとしたとき、三人のところに通信文のモニタが出現した。それは今まさに吹っ飛ばされた人修羅のもので、走り書きのように一言だけ書かれていた。

 

「くるな…って」

 

「どういうことや……?」

 

疑問が三人の中を巡った。自分達もそれなりに戦場を経験しているが、その場の判断で人修羅が自分たち以下だとは思わない。むしろ指揮官として現場で動く人修羅の方が上かもしれない。人修羅の真意は判らないが、人修羅の元へ向かわぬならば、別の戦場に向かうべきだ。三隊長は視線だけでそれをやり取りし、向かうべき場に飛んだ。

 

 

「あ!?」

 

「む!?」

 

ヴィータとオーディンは眼前で身動きが取れずに居た敵二名が、いきなり粉塵とともに消失したのを確認した。

 

「誰だ!?」

 

ヴィータが怒号とともに、オーディンは無言で敵が動いたであろう方角を見た。両者とも歴戦の武人だ、砂塵の散り方でどのように動き、どちらへ向かったくらいは判る。

 

「クアットロ、ディエチ。お前達は何をしているのだ」

 

「トーレ姉様! 助かりましたわ!」

 

「感謝……」

 

大凡五十メートル先、そこには埋まっていた敵を左右の脇にかかえ、二人と同じ青のドライスーツを着込んだ女性が背を向けていた。短く切り揃えた青紫の髪に、黄土色の強い瞳。そして他の二人と違う明らかに戦闘向けの体付きの者だった。

 

「私はお前達の監視としてここに来ているんだ。それをお前達がむざむざ捕まりそうになるから私が出るはめになったんだが?」

 

女性は人間二人を小脇に抱えているにも関わらず、その重さを感じていないかのように振る舞う。

 

「お前達は作戦の半分しか完遂していないだろうが、さっさと往け。次は私でも助けられんぞ」

 

「判りましたわ」

 

トーレと呼ばれた女性は、クアットロ、ディエチと呼ばれた者達を放るように解放し、そして一瞬で背後に向き直り強度の踏み込みを持って加速。右の拳をオーディンにぶち込んだ。

 

「ご挨拶だな!」

 

槍の柄でそれを受け止めたオーディンは、予想外の重さに若干冷や汗を感じたが、それを感づかせぬよう不適に笑った。

 

「生憎と礼儀作法のプログラムは受けていなくてな」

 

対しトーレは表情一つ、眉一つ動かさぬままそう言った。

 

「貴様等も(くだん)のスカリエッティとやらの手の者か!」

 

「違う、と答える以外の選択肢があるならば教えてくれ、次からはそうしよう」

 

遠回しにそうだと答えるその言葉に、オーディンは笑みを浮かべた。

 

「違いない!」

 

「オーディン! テメェはそいつを取っ捕まえとけ! あたしはさっきの奴らを追う!」

 

「了承した!」

 

魔神の返答と共にヴィータが飛んだ、向かうのは勿論さきほどクアットロとディエチが放られた先だ。

 

「逃がさん!」

 

無論トーレもそれを黙って見ているわけはない。トーレは神槍の柄を蹴って加速、初速の入っていないヴィータの眼前へ一瞬で移動し、その横面を蹴り飛ばそうと脚を降った、が。

 

「逃がさん」

 

「!」

 

寸でのところでその脚を引っ込めた。トーレの剛脚が今通ろうとしていた空を、真空の刃が駆け抜けていったからだ。

 

『ザンマ』

 

その一瞬を持って、ヴィータは速度に乗り、トーレの射程圏内から抜けていった。

 

「ッチ!」

 

その結果にトーレは苛立ちを隠そうともせずに強く舌打ち、そして空中からオーディンを見下ろした。

 

「やってくれたな」

 

「やったとも、みすみす身内に怪我をさせてたまるか」

 

オーディンの言葉にトーレは、ハッ、と軽く嘲ると再び地表に降り立った。

 

「身内? 身内だと? 契約者でもない者がか? 笑わせる、貴様達は話に聞いていたよりも随分と緩い連中のようだな」

 

「ふむ、その言葉で貴様等の持つ悪魔の認識の値が知れた、随分と、まあ原始的な認識のようだな」

 

「………」

 

「………」

 

オーディンとトーレはほぼ同時に似た構えを取った。下段、双方姿勢を低く突撃の構えを取った。

 

「できるならば、メルキセデクという者と戦ってみたかったのだがな」

 

「それはご愁傷様だ……二度と戦えぬようにしてやろう、貴様が話を聞いたという者が誰かを吐かせてからな!」

 

 

「よっと」

 

都市西部、吹っ飛ばされた人修羅は軽い動きで近場にあった、まだ無事な建築物に着地した。この辺りは商業施設が主なのか、それほど背の高い建物は無い。正体不明の高速物体に激突され、吹っ飛ばされたものの『物理無効』である人修羅には一切のダメージはなかった。

 

「さーて、誰だ?」

 

体勢を立て直した人修羅は、宙を飛んで来たその人型の悪魔に凶悪な笑みを浮かべた。

 

「魔人、人修羅だ。何者だ貴様? 見たことない悪魔だな」

 

同じ建築物に着地したその悪魔に人修羅は名乗りを上げた。

 

数多の世界を渡り歩いてきた人修羅にも、その悪魔は初見だった。艶を持った腰まで届く黒髪、女性的な体のラインの所々にある不釣り合いなスパイク。そして肥大化した左腕の巨大な鉤爪と、背にある透き通った藤色の翅が印象的だ。

 

「………」

 

だが何よりも印象的なのはその悪魔が顔を、蜂や蟻のような虫類を模した仮面で覆っていることだ。

 

「だんまりですか? それとも声帯が無い種族か? まいいや、面倒だからさっさと潰させてもらうぜ」

 

『地獄突き』

 

言うや否や人修羅の姿がブレ、そして瞬きよりも短い時間で人修羅は藤翅の悪魔に貫手を突きこんでいた。その速度は視覚で捉えられるものではなく、実際に人修羅の動きを視認出来た者は一人もいなかった……藤翅の悪魔を除いて。

 

「お?」

 

人修羅は意外の声を上げた。何故ならば想定していた肉を貫く感触が無く、硬質な何かに己の貫手が突き刺さったからだ。

 

「おお?」

 

そして疑問に首を捻ったとき、人修羅の右腕。正しくは貫手を入れた右指先から右肩にかけてが昇るように膨れ上がり、破裂した。

 

『テトラカーン』

 

人修羅の到達よりも早く物理反射の魔法を唱えた藤翅の悪魔は、右腕を失った人修羅目掛け、『テトラカーン』の残滓ごと人修羅に右の爪先を突きこんだ。

 

『マッドアサルト』

 

しかしその蹴り足は、人修羅の身体に突き刺さるその直前に、根元から消えた。肉と腱の千切れる湿った音が鳴る。

 

「!?」

 

そして一瞬遅れて蹴り足からマガツヒが霧のようにしぶく。痛みよりも驚きが勝ったのか、藤翅は仮面の上からでもわかる程に驚いた。

 

「はんふぁひょふひょあらひへふふぉふぇほ?」(反射直後なら行けるとでも?)

 

もごもごとした人修羅の声、その口には先ほどまで藤翅の一部だった、腿より先の右足が咥えられていた。

 

『喰いちぎり』

 

口に足肉を咥えたまま、人修羅は距離を取りそして、咥えているそれを噛み千切ると、咀嚼しはじめた。腱と肉の断裂する音と、液状のマガツヒが人修羅の口から溢れるようにこぼれる。

 

「んー」

 

人修羅が口の中の物を嚥下していくたびに、消失した右肩より先がぼこぼこと泡立ち、まるで植物が生えるが如くにその姿を取り戻していく。

 

「あー、生体マガツヒなんて喰ったの何時以来だろ。胎星の世界以来かな」

 

などと、口の端からマガツヒを一筋垂らしながら人修羅はぼやき、口元を()()で拭った。

 

「ふー、っと。やるなお前、軽くやったとはいえ俺の初撃に反応できるなんてな。見くびってたよ」

 

笑みを浮かべてそう言う人修羅に、藤翅は変わらずの無言で、ちらと失った自身の右脚を見ると、唱えた。

 

『ディアラマ』

 

即座にその形を取り戻した右足を確かめるように、藤翅は軽く爪先で足元を叩いた。

 

「なあお前。もしかしてお前、昔どっかで俺と戦ったことないか? お前のマガツヒ、何となくどっかで喰った気がするんだけどな」

 

藤翅はやはり無言で応じると、予備動作も無く、いきなり人修羅に飛び掛かった。それも双手に魔力の鉤爪を纏わせてだ。

 

「ま、どうでもいいか!!」

 

人修羅もそれに答えるように、同じく双手に鉤爪を出現させた。互いの爪が激突し、鉄器をぶちまけたような音が鳴り響いた。

 

『アイアンクロウ』

 

『アイアンクロウ』

 

二体の悪魔は衝突の火花が消えるよりも速く二撃目の鉤爪を程同時に放つ。そして同時に高速のステップで相手よりも有利な位置へ立とうと動きまわる。魔人と藤翅は、音をも置き去りにする高速で街中を動き回った。その結果発生するのは、余波の衝撃波による大破壊だ。

 

「ジャアアアッ!!」

 

「………!」

 

しかし、音を超えた二体の悪魔の間で繰り広げられる、大鎌のような鉤爪の応酬の前には、街の大破壊など些細なものだった。

 

双方左右に三本ずつの、両者合わせて十二本の紫と黒の三日月が互いの首を斬り落とそうとし、されど敵の爪に阻まれ弾かれる。秒間に三十近く織り成される三日月の乱舞は、熱された金属の金切声に似た悲鳴を音響させた。

 

「はっ! 良いねえ! 楽しいなぁおい!」

 

だがそれは、ほんの数秒ですぐに崩れた。人修羅が鉤爪を受けることをしなくなったのだ。無論致命的な傷を避けるための最低限の動作はするものの、腕や足を切り裂かれようがお構いなしにノーガードで爪を振るいだした。

 

「!?」

 

人修羅と藤翅の悪魔では速度こそ同等であったが、その他の膂力においては比べるまでもなかった。藤翅の切断は人修羅の肌に赤い線を残すことはできたがそれだけだ、そんなものはすぐさま再生してしまう。だが人修羅の切断は、どこに当たろうがマガツヒを噴水のようにぶちまけ、致命的な結果を齎した。

 

次第に藤翅は追い詰められていく。唯一の有効打である『テトラカーン』を張る間など無い。同等であった剣戟は次第に人修羅が圧倒していく。

 

「おっ! おっ! おっ!」

 

『スクカジャオン』

 

そして人修羅は調子に乗り始めた。過加速呪文で更に速度を増加、そして最早飛び回ることをせずに、踊るように鉤爪どころか両脚を振り回す。

 

「ぐ……」

 

そこで初めて藤羽は苦悶の声を漏らした。彼の速度は、既に音の数倍などはゆうに超えており、攻撃を受けたとしてもそれにともなった衝撃波が藤羽に叩き付けられるからだ。

 

 

「どう? 彼は?」

 

「まだ、凄い速い。『女王』でもたぶん止められない。既に『女王』が押されている」

 

ディエチはクアットロにそう返した。先ほどまではヴィータに追われていた二人だが、一度相手の視界以外に出てしまえば、クアットロの幻惑の銀幕の効果により、人修羅のような化け物でも無ければ、追跡されることは絶対にない。既にヴィータとの距離は十分に離れている。

 

「でも、彼はこっちには来れないでしょう? 足止めになるなら十分ね。あんな化け物向かってこられたら間違いなく逃げられないわ」

 

横目で遠くにこちらを探しまわる鉄槌の騎士の姿を。軽く確認したクアットロはディエチにそう言った。

 

「ん、でも難しい。たぶん後二分も持たない、『女王』を仕留めてこっちに来る」

 

「……流石、混沌王といったところね。本当に『女王』って混沌王と互角だったの?」

 

「……さあ?」

 

「はぁ……流石は、自他共に認める最強。仕方ないわね。ディエチちゃんちょっと早いけど奥の手、やっちゃいましょ? 私達だけじゃ、『女王』の邪魔になるだけだわ」

 

クアットロの言葉にディエチは無表情のまま頷いた。

 

「ん、分かった……カディ、聞いてた?」

 

自身の武装、抱えるように持って来た狙撃砲に、ディエチが言葉を発した。無論相手は無機物だ、言葉など帰ってくるはずもないが、息を大きく吸い、ディエチは続ける。

 

「すぅ―――地母神招来……お願い、カディ……」

 

『悪魔召還』

 

返事は無い、だが周囲に影が渦巻いた。

 

 

「―――!」

 

藤羽が一瞬だけ、何かに惑ったように仮面の奥で眼を見開いた。その一瞬は、音を超えた速度で行動している人修羅にとっては、攻撃してくれと言っているようなものだ。

 

「ジャッ!」

 

人修羅の双爪が下から振り上げるようにかち上げられた。双爪は藤羽の脇から入りこみ、一切の抵抗なく、藤羽の両腕を斬り落とし。先が無くなった腕先からマガツヒをぶちまける。

 

「―――っ!」

 

だが藤羽は両腕を失ってもなお、人修羅に向かっていった。両手を振り上げた姿勢の人修羅に、踏み込みと共に突進、激突と同時に両脚を人修羅の腰に絡め、そして首もとに喰らいついた。

 

『エナジードレイン』

 

「ぬ……」

 

大悪魔クラスに直に魔力を吸われ、瞬き以下の時間とはいえ人修羅の身体から力が抜け、藤羽の勢いに押され、姿勢が後ろへ傾く。

 

「!?」

 

同時に、人修羅の背後の空間が裂けた。自身の意図した現象ではない、その証拠に裂けた先に広がる空間はアマラ経絡ではなく、ただの赤い空間だ。

 

「やっべ……!」

 

この世界に来て、人修羅は初めての焦った顔を作った。暗闇から幾筋もの黒の線が群れを成してこちらに向かってきたのだ。影の手だ。思い出すのは、あの最初の世界。ボルテクス界の赤の神殿だ。

あれに捕まれば影の世界に捕らえられる、脱出には今の自分でも時間がかかる。だが避けられない。人修羅は藤翅の悪魔に捉えられたまま影の手に引かれる。赤に飲まれるその直前、首筋に噛み付いていた藤羽が唾液が線引く口を離し、人修羅の耳元で囁いた

 

「月齢が静となる一週間後、またここに来い」

 

「!?」

 

人修羅はその声に聞き覚えがあった。ちゃんと聞いたのはたった二度だが、絶対に忘れぬと誓った声が藤羽からした。

 

「お前は――――」

 

驚愕に口を開いた人修羅は、しかし満足に言葉を発することができぬまま、赤の中へ消えていった。

 

 

「スバル! エリオ! キャロ!」

 

ルーテシアの発生させた煙幕がやっと晴れかけたとき、そこに声と共にティアナが現れた。粉塵をちらしてダイブしてくるその隣には、だいそうじょうの姿もある。

 

「ふむ、一人の欠員もなしか、よくぞあの地下から抜けて来れたものだ」

 

だいそうじょうが首を回して辺りを見た、スバル、エリオ、キャロ、ギンガ、スルト。オーディンは人修羅の令で既に離れているが、それを除けば一人の欠員もない。

 

「良きかな良きかな。無事で何よりじゃ」

 

ギンガの右拳がだいそうじょうに飛んだ。だいそうじょうは宙を座禅姿勢のままスライドしてそれを回避、歯を剥くギンガに無表情で応じる。

 

「何をする」

 

「それはこっちの台詞です! どこかに行ったと思ったらいきなり現れてレリックだけ持って逃げて、仕舞いには地下全部壊してくなんて! 何考えてるんですか!」

 

「説明感謝する。生憎と、考える脳髄は既に我には無くてな、何、と問われても答えることはできんよ」

 

「――! ―――!」

 

「ギ、ギン姉落ち着いて!」

 

二発目をリボルバーナックルで放とうとしたギンガをスバルが背後から羽交い締めにして押さえた。

 

「それについては後で言葉を交わすとしよう。今はこれだ」

 

と、だいそうじょうは右手を袖に引き、黒のケースを取り出した。

 

「レリックケース!」

 

「だいそうじょう、貴様が未だ持っていたか」

 

「うむ。エリオ、キャロ、これを得る役割は、貴様等の勤めだ、貴様等が持ち帰れ」

 

「え?」

 

だいそうじょうがレリックケースを突き出した。

 

「受け取れ」

 

「は、はい!」

 

だいそうじょうが出すそれを、エリオとキャロが受け取ろうと一歩前に踏み出した。

 

「……?」

 

「ん?」

 

最初に異変に気づいたのはスルトとギンガだった。スルトは剣士故の気配の探知から、ギンガは感覚の鋭さ故に景色の変化に敏感だった。

 

地面から人差し指を立てた腕が生えている。

 

「いただく、よ!」

 

スルトとギンガが、何か反応するよりも先に腕から先が現れた。それは水色の髪に、青のドライスーツの少女で、彼女は跳ねるような姿勢から、だいそうじょうのレリックケースに飛びついた。

 

「釣れた釣れた、やはりもう一匹隠れておったか」

 

スルトとギンガが武器を放とうとしたその瞬間、だいそうじょうが突き出した腕をスッと引いた。

 

「!?」

 

「奇襲をかけるならば、声を出してはいかんぞ、小娘」

 

空をスカッた少女に、だいそうじょうは代わりだと言うように左手を突き出し、水色の髪を鷲掴み、少女の閉じた瞼を強引に開き、無理矢理視線を合わせると、眼球の無い空洞の両眼を光らせた。

 

「うあ!」

 

「静かにしておれ」

 

『パララアイ』

 

だいそうじょうが少女の髪を離した。だが、戒めを解かれたにも関わらず、少女は膝をつき、崩した正座の姿勢で動かなくなった。

 

「まさか、釣り糸を垂らした途端に釣れるとはの。実に容易い」

 

「あの、だいそうじょうさん? これは……」

 

驚いた姿勢のまま固まっていたキャロが、足下でしゃがみ込んでいる少女を気にしながら、だいそうじょうに声を向けた。

 

「もう一人くらいは隠れていると思ったのでな、試しに誘ってみればこの通りだ。我も戦場で不用心な真似はせん」

 

と言ってだいそうじょうは、再びケースを取り出し、少女の眼前で開いてみせた。

 

「首くらいは動かせるじゃろ、見よ空じゃ」

 

少女が眼を見開くのに気を良くしたか、だいそうじょうは骨の頬を歪ませ笑みを作ると、もう一度右袖に手を入れ、何かを掴んで取り出してみせた。

 

「こちらが本物じゃよ、たわけが」

 

赤の結晶をちらつかせ、だいそうじょうが笑みを深める。

 

「!!」

 

「だいそうじょう、こいつをどうする気だ?」

 

「人修羅殿と高町から令があっただろう、敵の内のいずれか一人を捉えよ、とな。貴様達が不甲斐ないせいで他全員は今のところ自由だ、ならば一人くらいは、裏方の我が捉えてもよかろう……さて、後はオーディンの向かった側だが、取りあえずこの小娘は、高町殿等に明け渡すか」

 

だいそうじょうがそう言ったとき、そのとき少女が動いた。無理矢理だろう、呂律の回らぬ舌で強引に少女は叫び、アスファルトの地に手を付くと叫んだ。

 

「魔王招請っ! 来て! アル!」

 

『悪魔召還』

 

少女の声に合わせて大地が微かに揺れた。

 

「ッ! 跳べッ!!」

 

スルトの叫びと共に、少女を除いた全員が飛んだ。

 

直後、アスファルトの地面から、ぬるりと幾本もの剣が生えた。否、剣では無い、それは一本が一メートルを超える長大な牙だった。

 

「グオオオォォォ!!」

 

吼声と共に、地面が盛り上がり、先ほどまでスバルやキャロの立っていたあたりから、巨大な顔面が出現した。“黒い太陽”の名を持つ魔王アルシエルだ。アルシエルは少女を跳ね上げ上空に飛ばし、同時に何かを吐き出した。

 

「ディスパライズか!」

 

アルシエルの放ったそれを、口で受け取った少女は、一口でそれを嚥下した。

 

「いただくと言ったはずさ!」

 

そして、飛ばされた少女―――セインという名の少女は、呂律の回らぬままの舌で叫び、しかし素早い動きで手を伸ばし、すれ違うようにだいそうじょうの手からレリックを奪い取った。

 

「む!」

 

直後、首を伸ばしたアルシエルがうずくまるように小さくなったセインを飲み込み、そして音も立てずに、再び大地に沈んでいった。

直後にスルトが空中から火炎を吐き出し、地面を焼くが、すでにアルシエルはそこには居らず、黒い焦げ跡を残すだけに終わった。

 

「しくじったか!」

 

アスファルトに激震と共に着地したスルトは、叫ぶように言った。

 

「レリックを奪われた!?」

 

着地と同時に発生した惑いの感情と声がその場にこだます、だが。

 

「あ、それなら大丈夫ですよ」

 

数秒遅れて着地したティアナが落ち着いた声でそう言った。

 

「え、大丈夫……って、ティア?」

 

「あれも囮じゃ」

 

呆然とした場に、だいそうじょうが言葉を入れた。

 

「言ったであろう、戦場で不用心な真似はせんとな」

 

だいそうじょうが何度目になるか、右袖に手を入れ、それを引き出した。そこから現れたのは、手のひらに収まらずに溢れる大量のレリック―――のレプリカだった。

 

「我の魔法とランスターの幻術で偽物を多数複製しておいた、奪われたあれも、偽物の一つにすぎんよ、本物は別のところじゃ」

 

「しかし、あの小娘を捕虜として捕獲に成功しなかったのは不味かろう?」

 

「否、否否。あれでよい、逃げられることまで我の手の平の上じゃて」

 

不敵にだいそうじょうは笑みを浮かべる。

 

「とにかく、本物のレリックの位置はあたしとだいそうじょうさんが把握してますから、とりあえず、レリック確保の任務は成功したって言ってもいいですね、まだ油断はできませんけど」

 

「そうだったんですかよかった……」

 

ティアナの言葉に、ざわめいていた場に、安堵の空気が降りた、だがそのとき。

 

「ねえ……」

 

背筋を凍てつかせる、とてつもなく恐ろしい声がした。それはどこから聞こえたのか、誰が発したのか、一切を把握することなく、そんな思考は次の瞬間に消滅した。

 

『死んでくれる?』

 

直後、手や剣の形を持った闇色の濁流が、長さ五キロ横幅数百メートルを飲み込んだ。

 

 

赤一色の世界がそこにあった。風も一切なく、空気は停滞するだけだった。生物の一切居ないその世界で、唯一の例外が口を開いた。

 

「あーあ」

 

どこかのビルの屋上から見える赤一色の視界に、人修羅は嫌そうに声を漏らした。

 

「やーれやれ、結局捕まったか」

 

ぼやきながら人修羅は前へと跳びだした。向かうのはこの赤一色の世界で唯一、白の色を持った箇所。大よそ六キロ程の先にある、光柱を昇らせている所だ。

 

 

「しっかし、まさか影の世界に放り込まれるとはなあ……」

 

光を目指しながら人修羅は思った。影の世界は魔人の作り出す世界と同じく、限定の悪魔、スカアハとスカディのみが作り出せる限定的な世界だ。

 

影の世界には依然も入ったことがある。だが、それはかつてのあの世界。無限光(カグツチ)の世界のことだ。

 

(野生の女神、地母神ねえ……)

 

両種とも上位種族だ。ボルテクス界のような特殊な世界ならまだしも、何もない通常世界にほいほいと現れる種族では無い。

 

「あの変な蟲みたいな悪魔もそうだし、やっぱ向こうも悪魔の戦力は結構あんだろうなあ……」

 

あの藤翅の悪魔は、影の世界に落とされる直前に離脱された。あの声と発言は去り際に言われた、あの声と言葉には熟考しなければならないが、脱出には役に立たない。今は脳から弾いていい。もしかしたらあの悪魔や影の世界を作った悪魔が、ラクシャーサの言っていた十二体の中の一体なのかもしれない。

 

「まー、どうでも良いちゃあ、どうでも―――痛って!」

 

いきなり右足に鋭い痛み。見れば脹脛のあたりまでが赤色の良く解らない液状のものに埋まっていた。前方ばかり見ていて足元への注意を怠っていた結果だ。

 

「毎回思うがこれ何だ?」

 

脚を引き抜き『リフトマ』を唱えつつ再び前に進む。以前あの赤沼をオーディンやトートに調べさせたことがあったが。見事に全員の意見が割れ、つまり良く解らないものとして決着したことがあった。

 

「よ……っと」

 

赤の沼地を跳ねるように行く、悪魔の膂力を持ってすれば、六キロの距離など些細なものだ。数分で光の柱までたどり着くことが出来た。

 

「……ん?」

 

だが光の中へ入ろうとしたとき、それに気づいた。光を背にして誰かがこちらと対峙する形で立っている。逆光から顔は分からないが、シルエットから辛うじて女だということは分かった。

 

「……?」

 

敵からの刺客、藤羽が先回りしていたか、という考えが真っ先に浮かんだ。だがそれなら、自分の『心眼』に引っかからない訳がないし、何より断ったはずの両腕がある、戦闘中に藤羽の悪魔の再生力のだいたいは把握している。それほど優れているわけではなかった。それこそ、さきほどの自分のように、どこかで上質なマガツヒでも接種しない限り、ここまでの早期再生はできない。ならば自分と同じく、影の世界に放り込まれた者だろうか、それも否だ。であるならば光を背に立つ理由が無い。さっさと中に入って脱出する。

 

「おい」

 

様々なパターンを考えたが、取り敢えずは声をかけた方が早いと判断し、そうした。

 

「………」

 

だが相手は無言だ。

 

「おい!」

 

焦れて強い調子で再び言った。ここでこうしている間にも向こうは戦闘の真っ最中だ。あまり時間をかけたくはない。そう思っていると、不意に向こうから言葉が来た。

 

「――――――、――――……」

 

「―――あ?」

 

投げるように言われたその言葉に、思考を凍結させられた。脳が衝撃を受けたように揺れ、情報が伝達しない。

 

「な……え?」

 

口から出るのは意味の無い語ばかりだ。その間に、相手は踵を返し、光の中に消えていった。

 

「あっ!?」

 

慌てて手を伸ばしかけても、既にそこには誰もいない。

 

「………」

 

頭を振り、今の出来事を思考から弾く。今はこの先の戦闘が優先だ、自分の時間を得るのはその後で良い。しかし、光の中へ飛び込んでも、今言われた言葉の意味と、そして関連して呼び起こされた藤羽の声と言葉を、どうしても思考せずにいられなかった。


 
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