No.685330

二次創作 カヌチ異伝 Eternity Yours

以前、別PNにて投稿していたものを再投稿させて貰いました。

2014-05-09 21:17:14 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:665   閲覧ユーザー数:665

 

 何かが頬を撫でた気がして、アズハはふと、顔をあげた。

 飾り窓から入る、午後の陽射しと緩い風が、白い薄幕を揺らしている。

 いつの間にか、うたた寝をしていたようだ。

 ぼんやりと手元を見たアズハは、ほんの少し、手を震わせた。

「あっ……」

 折角編んでいた透かし編みの目が、五つばかりかぎ針をすり抜け、だらしなく解けてしまっている。

 アズハはかぎ針を持ち直すと、解けた銀糸をすくいあげ、再び元の目に編み込んでいった。

 小さな小さな靴下の形をとり始めたそれを、自身はあまり上手だとは思っていない。

 が、いつも忙しい夫が、仕事の手を止めてまで褒めてくれるものだから、仕方なしに作っている。

 揺り椅子が揺れ、再び薄幕が踊り――扉を叩く音が、部屋に小さく響き渡った。

「入りなさい」

 挨拶と共に、紅茶の用意を持った召使いが入ってきた。

 つい先日、雇い入れたばかりだが、態度も物腰も、とても落ち着いている。

 アズハは、ゆっくりと立ち上がった。

召使いが、慌てて支えようとする。

「奥様、私がそちらまでお持ちしますから……」

「大丈夫よ、お部屋の中を歩くくらい」

「でも先日まで、ひどいつわりが。旦那様も、気をつけるようにと仰いましたし……」

「ふふっ、皆、心配性ね。でも大丈夫よ。具合が悪い時は、きちんと言いますから」

「御用心くださいまし」

 卓上に、暖められた受け皿が置かれる。

 手際よく紅茶を入れながら、召使いは思い出したように呟いた。

「そういえば……新王ユナ様が、新しい御世話役を城に招かれたとか」

「新しい?」

「はい。『キマ・ウキネ』と仰る元・学者様……あ」

 アズハの美眉に、険が差す。

 召使いの手元で、陶器が鋭い音を立てた。

「も、申し訳ありません、奥様」

「……いいのよ」

 アズハは目をつぶると、静かに自分の下腹を撫でた。

 ここにある命が、今の私の全て。

 それ以外のものになど、意味も価値も、何も無い。

 そう、命より大事な者等、存在する訳が無いのだ。

 眼奥の暗い処から、何かがひたひたと這い寄ってくる。

 アズハは、それに言い聞かせた。

 大丈夫、大丈夫。

 全ては終わった事ですもの。

 惜別の痛痒も、脂の浮いた粘つく肌も、喉まで突き込まれた砂の味も、今の私とは無関係――アズハは肩を震わせて、それを再び最奥へと追い返し、厳重に厳重に封じ込めた。

 黒き翼の国・タカマハラより、遙か南に位置する、ベリブル大陸。

 その中央に位置する学術公国、セントラルアカデミア。

 そこは学術に全てを懸ける者達の楽園国家であり、国立総合学術院にて修学した者は『Sv.(サーバント)』の称号を授与され、超国境的・超法規的・超思想的措置の元、あらゆる学術行動を許可されている。

 そしてまた、一つの仮説を実証すべく。

 国立総合学術院は、神王イズサミの聖骸を探す実証学者Sv.エスドの仮説承認請求に対し、神話理論学者・ヘスクイサと建築理論学者・アズハの二人を招喚。

 実証審査を委託し、エスドの待つケメカ砂漠中央の、小規模施設発掘現場へと派遣した。

 

 

 

『逃げろ!』

 魔術で平行調律された三つの聴覚を、その一言が貫いた。

 撓弾、今の今まで通路として歩いていた空間は、轟音と共に大量の砂がなだれ込み、山麓に切り立つ崖の様になっている。

「アズハが呑まれた!」

 舞い上がる砂神楽をかき分け、紺青の作業着に身を固めたSv.エスドが、崖肌に駆け寄った。

「くそっ!」

 寸刻遅れてSv.ヘスクイサが、背丈以上もある砂の小山を乗り越えて、その傍らに付き添う。

 二人は被っていた防護帽布を外し、未だ砂降る崖肌に触れた。

「息は……まだあるね。運の良い子だなぁ」

 エスドが、溜息と共に呟く。

 ふん、と鼻で笑って応えたヘスクイサは、手慣れた様子で腰具帯を探った。

 火薬を混ぜ込んだ粘土を取り出し、発火の魔術を仕込んだ硝子片をくるむ。

 エスドが、目を見開いた。

「おい、発破で出す気か? 冒険は初体験のお嬢様だぜ?」

「ちょっと派手な経験を積むだけさ」

 素気なく言い放つヘスクイサに、エスドは苦笑を浮かべる。

 しかしそれでもさっと、崖肌から退いた。

 手早く、しかし慎重に、作った発破を崖肌に仕込んだヘスクイサも、十分に距離を取る。

 と、生き埋めになったアズハの意識が戻ったのか。

 エスドとヘスクイサの口腔一杯、喉の奥まで、砂の味が充満し始めた。

 頭内の神経節を魔術の糸でつなぐ事により、一人が体験している事象を、複数人が違う事無く、同時に追認できる――学者家業を営む者に、平行調律の魔術は無くてはならないものだ。

 が、こいう時は、迷惑以外のなにものでもない。

「うげっ……あいつ、砂を呑んだな? おい、早くしないと窒息だぜ?」

「いくぞ」

 鋭く唾棄したヘスクイサは、ひゅっ、と軽く口笛を吹いた。

 発破玉を仕掛けた辺りに、再びどばっと砂神楽が舞う。

 そしてその向こうに現れた、小さな手。

 てきぱきとそれを掘り進めるエスドとヘスクイサが、全身砂まみれのSv.アズハを堀り出すまで、最終的には四半刻もかからなかった。

 

 

 

 自ら創造し、名を分け与えた国を護る為、トノベの聖戦で“血刃の戦女神カヤナ”と相討ちになった、“神王イズサミ”。

 残された聖骸は、戦後の混乱に乗じて幾つもの手を渡り歩き、各地に奇跡の痕を残しながら、ある時を境にこつ然と消えた。

 その奇跡の最終顕現地点であり、聖骸が安置されていると伝わる、ケメカ砂漠中央の古代地下施設。

 それは同時期に構築されたとされる施設の中では、取り分け変わった造りをしていた。

 階層概念と装飾性を極力排除した、白く輝く壁面と石畳の回廊。

 それが緩やかな渦を巻きつつ、最下層の地下空間へとつながっている。

 そして、この手の建築物には常識としてある筈の、侵入者排除の為の罠も無い。

 いや、罠どころか、回廊のあちこちには、簡単に外部と出入りできる枝道が、これまた理路整然と設置されている。

 これは、当時の建築概念では、あり得ない事だった。

 飛翔一族の翼は、その神秘性と希少さから常に需要が高く、例え一般階級者の抜け羽一本ですら、非常識な値で取引される。

 王族階級“以上”の者の羽ともなれば、ちょっと想像できないような値になるだろう。

 だからもしも、この施設がタカマハラのトノベのような場所にあったなら、三日と保たずに、聖骸はバラバラに切り刻まれ、一欠片も残さずに、持ち去られてしまっていたに違いない。

 しかし、そんな果てなき強欲を阻むものが、ここには一つだけあった。

 有史以来、一度も緩んだ事のない、ケメカ砂漠の猛烈な酷暑だ。

 きっとこの施設の設計者も、それを見込んで、この地を選んだに違いない。

 そしてその判断は、正しかった。

 Sv.エスド主導で実施された、ケメカ政府初の公認実証調査では、発掘区域に到達する以前の段階から、幾つもの干からびた遺体と遭遇した。

 中には、盗掘業界では有名な者の遺体もあった。

 間違いなく、神王の聖骸を狙った挙句の末路だったのだろう。

 エスドとて、セントラルアカデミアとケメカ政府の強力な支援体制を得られなかったら、同じ末路を辿ったに違いない。

 しかし彼は、生きて発掘区域への道程を確保し、調査を開始。

 事前調査で施設の外部構造を確認し、セントラルアカデミアが派遣してきた二人のSv.、ヘスクイサとアズハと共に、施設内部の調査に挑戦したのだが――

 携帯計器の外部通信機能が、全く働かない。

 先程の崩落が、回廊の途中に設置してきた中継機にまで、影響を及ぼしたんだろう。

 舌打ちと共に、計器を閉じる。

 蛍石鏡面がぎらりと光を弾き返し、ヘスクイサの目を刺激した。

 周囲の気温と共に、空間の明度も上昇し続けている。

 ヘスクイサは、投光桿の機能を止めた。

 エスドの事前調査図面では、浅層部にソルの光を受けて働く採光設備があり、人が施設内部に入ると、自動的に明かりを供給するという。

 が、果たしてそれだけの事なのかどうか。

 現段階では一概に言えないが、この辛辣な環境下、単純な採光目的だけで、そんな面倒な設備を作る必要があったのだろうか。

 それともその設備さえ、ここに安置されたと記録された神王の、翼の力が起こした奇跡の顕現なのだろうか。

 ヘスクイサの口角が、震えるように引き歪んだ。

 いずれにしろ、きっと何か理由がある。

 巧妙に繊細に、時を越えて秘め伏され、誰にも触れられなかった事実。

 それに今、触れている――悦に酔いかけて、ヘスクイサは慌てて目を開き、一つ大きく咳払った。

 重苦しい暑気が、不愉快な喝を突っ込でくる。

 汗を拭い、頭を一つ振り払うと、崩落の跡に歩み寄った。

 高さ、幅、共に三メトイル程もある螺旋回廊を、大量の岩と砂とが塞いでしまったように見える。

 本来なら、連れの女建築学者の意見を聞きたい処だが――当のアズハはといえば、相変わらず、背後で盛大に砂を吐き続けていた。

 使える様になるには、もう少し掛かりそうだ。

 それをちらり見たヘスクイサは、崩落跡の傍らに膝を着くと、舐める様な観察を始めた。

 この現象が、侵入者排除の為の罠なのか、それとも単なる自然現象なのか。

 そのどちらかで、今後の心構えが全く違ってくる。

 手袋をした手で砂をすくってみると、その倍量が、さあさあと流れ落ちてきた。

 見た目は、単なる砂漠特有の砂だ。

 ほんの少し舐めてみても、熱の匂いとざらつき以外に、妙なものは感じない。

 砂を吐き捨てたヘスクイサは、作業着の襟元をくつろげた。

「恐らく」

 ぽつりと響いた声に振り向くと、げっそりとやつれたアズハが近付いてくる。

 気丈な事に、小柄な新米Sv.は、ふらふらと壁に寄りかかりつつ、それでも必死に言を継いだ。

「自然崩落だ……罠の類では、無い……」

「根拠は?」

 淡々と訪ねるヘスクイサを睨んだアズハは、冷熱入り交じった額の汗を押し拭った。

「今まで歩いてきた回廊にも、似た様な崩落跡が、幾つかあったろう。今回は少し、その、規模が大きかった、が」

「弱いな」

 アズハの眉に、険が差す。

 が、砂の味を思い出したか、喉をぐっと詰まらせると、必死に何かを呑み堪えた。

 ヘスクイサが、目を眇める。

 やがて涙目で大きく息を吐いたアズハは、何とか普通に喋りだした。

「……勿論、根拠はそれだけじゃない。提出された事前調査報告書と、ここに来るまでの実体構造傾向とを、合わせて出した結論だ。これが施設侵入者を排除する為の罠だというのなら、もっと手前の位置で仕掛けられているはずだ」

「そんな考えを読み越して、敢えてここに罠を仕掛けたという見込みは?」

「それこそ、素人了見だな」

 ふふん、と笑ったアズハは、顎をあげて言い放った。

「この地下施設の設計者は、正確で膨大な知識と、追従し難き技能を誇った玄人だよ。私には判る。それらの事や、建築学術的な見地から判断しても、これは建材の経年劣化による自然崩落と考えるべきだ」

 ヘスクイサは黙ったまま、アズハに背を向け、腰具帯から紙巻きを取り出した。

 発火燐で火を着けると、深く煙を吸い込む。

 アズハの面に、怒りが浮かんだ。

「私の見立てに、不満でもあるのか?」

「……そんな発言をした記憶は無い」

 何処か遠くで、低い雷鳴のような音がしている。

 しかしアズハは憤然と、ヘスクイサの前に回り込んだ。

 見下ろすヘスクイサの鼻腔から、ふうっと煙が吐き出される。

「言いたい事があれば言え! お前達と違い、確かに私は若輩だ。しかしSv.の称号を持つ者として……」

「『称号』なんて、自分の口から言うもんじゃないよ? こっ恥ずかしい」

「なっ……」

 アズハの言を遮るように、息を切らせたエスドが寄ってきた。

 身につけた装備が、涼やかな音を立てる。

「エ、エスド!? そういえば、一体今まで何処に……」

「ありゃ、ヘスクイサ、言わなかったのか? ちょいと先行してくるって……」

「言う間が無かった」

「くっ……」

「まあまあ二人とも。このエスドに免じてさ、仲良くやって下さいよ」

 エスドが、二人の間に割り込んだ。

 そっぽを向くアズハと、肩を竦めるヘスクイサ。

 それを見比べたエスドは、苦笑と共に言い募った。

「ほらほら、二人とも、機嫌直して。これからまた少し、一緒に行動するんだからさ」

「行動?」

 反目していた二人が、一斉にエスドを見る。

 アズハが、エスドに詰め寄った。

「おいっ、まさか……まさか!」

 能面じみたヘスクイサと違い、エスドは何時も穏やかで、無垢な微笑を浮かべている。

 そんなエスドの舌先が、乾いた唇を僅かになぞった。

 アズハの目が瞬き、気怠気に組まれたヘスクイサの腕が、微かに解ける。

 声色はそのままに、けれども強攻な眼差しで、エスドは引き返してきたばかりの、白く輝く回廊の彼方を見やった。

「ああ、ついさっき、先行先で扉を見つけた。回廊と、最下層空間を区切る扉に違いない……目的地だよ」

 アズハが大きく息を呑み、ヘスクイサの銜えた紙巻きから、ぼろっと白い灰が落ちる。

 鼻腔を詰め塞ぐ様な、重たい暑気が。

 汗と砂に汚れた肌の粘りが。

 何もかもが、弾けて何処かに吹っ飛んでゆく。

「そ、そうだ、聖骸……聖骸はっ!? 神王の聖骸はあったのか!?」

 我に返ったアズハが、エスドの腕を掴んで振り立てた。

 穏やかにそれを遮ったエスドの笑みは、もう、何時ものものに戻っている。

「ちょ、待て待て! そりゃあまだ判らないって。実際に、中に入って確かめてみないと……って、どうかしたのか、アズハ?」

 名を呼ばれ、息を詰まらせたアズハは、ためらいがちに囁いた。

「ほんとに……あるのか?」

 無言のまま目を眇め、ヘスクイサがアズハを見下ろす。

 口ごもる子供を励ます様に、エスドが言った。

「どういう事だ? アズハ」

「お前の調査報告書と事前論文には、全て目を通した……けど、本当にこの施設に、神王の聖骸があるのかどうか……」

「何か、不備があった?」

「い、いや、不備じゃない! 不備は無かった。無いと思ったから、ここに来たんだ。けど……実際に実証物を見て……返って自信が無くなった」

 悪戯を叱られた子供のように、頬を紅く染め、アズハがうつむく。

 そんなアズハを見下ろしたエスドは、目を閉じて頷き、優しく笑った。

「じゃあ……逆に聞こう、アズハ。君がここには、聖骸が無いと思ってる理由をね」

 アズハは上目遣いに、エスドを見上げる。

「……私の知る神王イズサミの印象と、あまりに違い過ぎるのだ……」

「違う……何が?」

 本音故に、取り消す事も、冗談と笑い飛ばす事もできなかった。

 ここで愛想笑いを浮かべて矛先を片付けるくらいなら、はなから学者になんかならない。

 歯を喰い縛ったアズハは、激しく頭を打ち振ると、大きく息を吸い込んだ。

「建築の意匠というものは、その対象の印象に強く影響される。エスドは、初めてこの建物を見た時、どう感じた?」

「んー……保存状態が良好だったせいかもしれないけど、白くて、素朴で、綺麗だなーって思った」

 アズハはそっと、白い壁に手を伸ばした。

 砂漠の砂を上手に利用して造られた壁は、精密に削り出された岩盤と、綿密な石組みとが相まって、涙を呼ぶほどもの静やかで、美しい。

 この建物を設計し、造り上げた者達は、きっと欲も得も無く、長い時をかけ、丁寧な作業を積み上げていったのだろう。

「だろうな。私もそう感じた」

 が、そうであればあるほど、同時に感じる妙な違和感。

 アズハはエスドの方に向き直った。

「この施設の意匠から感じ取れるのは、純粋で、控え目な素朴さとか、そういう大人し気な感じなんだ。そんな場所に、安置するものか? ……黒翼の嗜虐神を」

 エスドの優しい眼差しが、僅かに揺れた。

 暑気とは別の、胸塞ぐ何かが、アズハの呼吸を妨げる。

 しかし応えてくれたのは、無言のまま立っていた、ヘスクイサの方だった。

「なるほど。お前は、そっちの方を聞いて育ったんだな」

「そっち?」

 紫煙をくゆらしたヘスクイサは、目を閉じ、小さく首を傾げた。

「実は神王に関しては、古今処を問わず、かなり矛盾した記述が残されている」

「……神王イズサミの、二重神格説だな?」

「ほう、知ってたのか」

「わ、私を馬鹿にするな! その程度の事等……」

 荒げた声に反応したのか、天井から、砂が降り落ちる。

「まあまあまあ……ここは大人しく、専門家の話を聞いとこうぜ?」

 奮然とむくれるアズハを、エスドが押し止める。

 他人事のように肩をすくめ、ヘスクイサは続けた。

「神王イズサミについて表現したものを、媒体問わずに集めてみる。するとその内容が、真っ二つに分かれるんだ。一つは戦場を血肉で満たし、敗者の臓物を啜って力を増した黒翼の嗜虐神とするもの。魔術の力に頼らず変貌できる、生粋の狂戦士だったという説もある。そしてもう一つは、飛翔一族の中でも特に非力で頼りなく、泣き虫で争いを嫌う、優しい気性の持ち主だったとするもの。いじめられて弱った小動物に肩入れした挙句、自分の名前を与えて守護した、なんて寓話もあった」

「なるほどね」

 エスドは頷き、ぐるりと周囲を見回した。

「確かにここは、嗜虐癖や狂戦士なんてもんとは、縁遠そうだ」

 アズハが、堰を切った様に言い募った。

「一旦調査を中止して、その辺を再確認して出直そう。この落盤に気づいた地上班が、復旧作業を始めている筈だ。補給と退路の確保も無しに、こんな大事に挑むなんて……無謀に過ぎる!」

「正論だが、今の状況で、それはない」

 ヘスクイサが、呟く。

「どういう事だ!」

「気温だよ」

 エスドが、引き取る様に即答する。

「先行した先も、ここと同じような気温だった。恐らくこの施設中、どこもかしこも、気温が急上昇してる。何せこの光の元は、ケメカ砂漠の死の陽光だもんな。ソルが真上にくる頃には、ここもとんでもない気温になっていると思うよ。今はこの程度で済んでいるけど、水無しでじっと助けを待つっていうのは、俺も願い下げだ」

「非常用の水は?」

「君が隠し持っていないなら、もう完璧に無い」

「ええっ!?」

「さっき全部、君が飲んで吐いちゃった」

「うっ……」

 怒鳴られた子犬のように、アズハが硬直する。

 にやりと笑ったエスドは、つと、その傍らにすり寄った。

「何だ何だ? いきなりきっつい体験して、一気に怖くなっちゃった?」

「ち、ちょっと砂をかぶった程度だ……まるで生き埋めになったみたいに言うなっ!」

「正味、生き埋めだったろう」

「ヘスクイサは黙っとけっ! ……で、アズハ君、どうなんだい?」

「わ、私は単に……」

 突然、エスドの両手が、アズハの肩を掴み締めた。

 ぎくりと震える面に、強攻な眼差しを突きつける。

 沸き上がるような声が響いた。

「進んでも留まっても危ないなら、先に進むべきなんじゃないか? 君は、ここに聖骸は無いと信じて歩けばいい。俺は、あると信じて歩く。そして確かめるんだ。自分の目で……その目で、確かめるんだよ!」

 ヘスクイサが、紙巻きを捩り潰した。

 その残骸を腰具帯の小瓶にしまい込み、肩の砂を払い落とす。

 エスドが、振り向いた。

「……ヘスクイサ?」

「睨むな。俺はこの状況なら、むしろ先に進んで聖骸の有無を確かめるべきだと思っている。後は、アズハ次第だ。恐怖で竦んだお嬢様を置いて、先に進む訳にはいかん」

「へぇ、お前でも、そんな事考えるんだ」

「…………」

 さあ、どうする? ――エスドの軽口を無視して、ヘスクイサの冷たい目が、アズハをじっと見下ろした。

「私を……若輩と侮るなっ」

 流れる汗を再び拭い、アズハは強く、言い放った。

 回廊は今や、ソルの白い輝きに満ち満ちていた。

 水を浴びた訳でもないのに、濡れた髪が、額にべったりへばりつく。

 ほんの少しの合間に、気温は三倍も跳ね上がり、三人の学者達は、最終目的地の直前に立っていた。

 狂わんばかりの煌めきの中に、ぽつんと浮かぶ黒点。

 それが絶え間なく揺らいでいる。

 その原因は、断続的な微振動の錯覚か、陽炎の揺らめきなのか。

 ずぶ濡れの様相を呈したヘスクイサが、顎から滴る汗を拭って喘いだ。

「あれが……」

 偏屈な神話理論学者とはいえ、本来ならもう少し、はしゃぎたかったに違いない。

 けれども後続の二人を含め、三人の体力は、限界を極めかけていた。

“学者”という言葉には、常に“脆弱”という印象がつきまとう。

 しかしセントラルアカデミアが誇る、国立総合学術院の修学者達は、全くと言っていい程、違った。

 彼らは学術を、生に豊穣をもたらす趣味や余興と見ない。

 己が全てを対象に捧げ、全身全力、全霊をもって、あらゆる事象を解析し、その実証に挑む事と定義する。

 だから彼らは、どのような環境下にあろうとも、観察眼が曇らぬよう、判断を誤らぬよう、徹底的に心身を鍛え抜く。

 エスドのような検証現場を渡り歩く実証学者はもとより、ヘスクイサのような理論学者でさえ、荒れ狂う外洋に生きる船乗り並みの頑強さと、耐久性を備えているのだ。

 例え水無しで砂漠の暑気に晒されようとも、それだけならば、もう少し余裕を持てていたはずだった。

 しかし先程から繰り返される、小規模地震と砂の雨が、その余裕を根こそぎ奪っていた。

 砂漠の地下で酷暑に乾涸びた挙句、崩落した岩盤に五体を潰され、熱砂に巻かれて窒息死――例え不死者であったとしても、決して楽しめる訳のない想像。

 そんな恐怖を踏み越えながらの、疲弊しきった邂逅だった。

 暴力的な煌めきの中、ふらふらと進み出たヘスクイサは、黒点の前に立つ。

 これが、この光り狂う回廊と、最終目的地を隔てる扉。

 視界を遮る光暈を強引に無視して、ヘスクイサは、舐める様に観察した。

 周囲の輝きを吸収するかのような、黒く透き通った結晶体。

 ちょっと見は、一枚岩の様に見える。

 だがよく見ると、繊細な羽の意匠を刻まれたそれら一塊一塊が、複雑に噛み合い、織り重なって、一つの“岩戸”を構成していた。

 力を振り絞り、腕を伸ばす。

 と、撓弾。

 吐き気を催す不気味な揺れと轟音が、三人の学者達を包み込んだ。

 滝のような砂の雨が、一斉に降り注ぐ。

 アズハは、掠れた悲鳴を上げた。

 細かい砂がやすりのように、喉を、鼻腔を削り立てる。

 いやそれは違う、今はまだ――いや、実際にまた、埋まってしまった!?

 堪えきれず、石畳に額を押しつけ、アズハはその場にうずくまった。

「アズハ、しっかりしろ! 止まった……揺れは終わったよ!!」

 エスドの声が、霞んで聞こえる。

 肩を強く揺さぶられ、渾身の力で、アズハは目を見開いた。

 歪んだ視界に、エスドの姿が映る。

「うっ……」

「大丈夫か、怪我は? これは何なんだ? 畜生っ、これで何度目なんだよ……崩落か、単なる予兆なのか!?」

 興奮しているのだろう、大声が、矢継ぎ早に投げつけられる。

 しかし耳に残った地鳴りと混ざって、巧く聞き取る事ができない。

 ちょっと待て、聞こえない、まだ判らない――と伝えたかったが、麻痺した舌は、喉の奥でひくひくと痙攣するばかりだった。

「だ……くっ……」

「何? 何を言ってる……聞こえてるのか? ちょっ……おい、何してんだよ、しっかりしろよっ!!」

 掴んだ手の下の、アズハの肩が、大きく震えた。

 反射的に、手を離す。

 そのまま両腕で頭を抱え、アズハは再び、その場にうずくまった。

 背を丸め、ぶるぶると震えている。

「アズハ……」

 それを見て初めて、エスドは自分の声の大きさに気づいた。

 肩を離した手が、固く拳を握り締めている。

 指をゆっくりと解し、目に滑り込んだ汗を拭い、大きく呻いた。

「悪い……ちょっと、興奮しちゃってた……」

 反撃を喰うかと身構えたが、そんな元気も無いようだ。

 作業着の袖で、口元を拭ったエスドは、アズハをそっと起き上がらせた。

 そのままゆっくりと、白壁にもたれかからせる。

「そうだよな。あんな体験の直後だもんな。俺だって、きっと動けなくなるさ……」

 エスドは、強く目を瞑った。

 この状況下、建築を専門として学んだアズハに聞きたい事、聞かねばならない事は、山ほどある。

 いや、本当なら、殴ってでもアズハを正気に戻し、聞かねばならない事なのだ。

 しかしエスドは、小さく震え、しゃくりあげるアズハの頭に積もった砂を、丁寧に払い落としてやった。

 アズハはしくしくと、声を漏らして泣き始める。

 と、その時。

 背後から、ヘスクイサの声が響いた。

「エスド!」

 跳ねる様に立ち上がったエスドは、ヘスクイサの方を振り向く。

「どうし、た、わあっ……」

 エスドは、喘いで立ちすくんだ。

 黒翼の岩戸が、無くなっている。

 何度目を擦ってみても、今の今まで存在していた黒翼の岩戸は消失していて、代わりに真っ暗な空間が、ぽっかりと口を開けていた。

 確かにちょっとした争乱状態だったから、その間、岩戸をずっと凝視できていた訳ではない。

 しかし、何か少しでも動勢があれば、誰かが必ず、気づいたはずだった。

 そして一人が気づけば、全員が気づく。

 頭の中に仕掛けられた、平行調律の魔術が、そうさせる。

 さすがに惚けたエスドが、ヘスクイサを見た。

 しかしヘスクイサの凝視していたものは、さらに全く別のものだった。

 黒翼の岩戸を挟む回廊の白壁に開いた、大きな穴。

 ヘスクイサが、背筋を伸ばして楽に出入りできる程の大きさがある。

 様相は、今まで見てきた枝道と、酷似していた。

 いや、それらよりも一際念入りに、頑強に設えられているように見える。

「何だ、これは……」

 ヘスクイサが呟いた。

 ぼんやりと、エスドが返す。

「枝道、だよな。どう見ても……」

「お前がここに、先行してきた時には? あったのか?」

「あったら、そう言ってるさ」

「……だよな」

 ヘスクイサも、今は素直に頷くしか無い。

 三人の中の誰もが、地震が始まる直前まで、何も無い無傷の壁を視認していたのだ。

 平行調律の糸を、辿るまでもない。

 現時点では、先程の地震の際、何らかの作用で中央の扉と共に、開口したとしか考えようが無かった。

 エスドが、中を覗く。

 今まで見てきた枝道と同じように、岩盤に守られた一筋の道が、光の届かぬ奥の方へと続いている。

 地面は砂地だったが、飛び石が整然と敷かれ、涼し気な風の流れと、水のせせらぎに似た音すら、ちらちらと響いていた。

 ヘスクイサが、入り口の上部に、ふっと吐息を吹き付ける。

 砂が新たに剥がれ落ち、文字の刻まれた石板が現れた。

 この程度の古代語なら、エスドにも読める。

「バルハラへの……道?」

 エスドが、読み取った途端。

「ちょっと待て!」

 黒い穴と枝道を交互に指差し、ヘスクイサが声を荒げた。

「聖骸が安置されているその直ぐ隣に、外に通じる活きた枝道だと? 正気か!?」

「俺が設計した訳じゃないって!」

「……まだ、降参する気は無いのか? こんな処に聖骸安置なぞ、考えられん。あり得ない。確率から言ったって……」

「きっと何か、理由があるのさ」

 こめかみを押さえたエスドの手の下で、その目が強く瞬く。

「十中、九と半分の確率だって、外れりゃ外れ、中れば中り。現場じゃあ確率なんざ、星読崩れの占いと変わらんよ」

「しかし!」

 踵を返したエスドは、岩戸の消えた黒い穴に歩み寄った。

 慎重に中を見回すと、腰嚢から小球を取り出す。

 ぼんやりと光る一摘み程のそれを、ひょいと投げ込んだ。

 闇中に淡い光の糸を引いて、球はあちこちを遊ぶ様に跳ね回り、やがて静かに転がり、止まる。

「……動勢に対する仕掛けは、無いみたいだな」

「もう入る気か!?」

 ヘスクイサの声に、後方で泣いていたアズハが、顔を上げた。

 その事にも気づかぬエスドは、入り口の周囲を手早く調べる。

 さっきの岩戸消失を体験していなければ、単なる精密な石組みの入り口だ。

 腰具帯から投光桿を引き抜くと、漆黒の空間を照らす。

 わざわざ闇を投影しているのだろうか、向こう側を見透かす事はできない。

 が、それに対する反応も無い。

 光を引き金にして作動する罠があったとしても、この程度の光源では、作動しないという事だろう。

 エスドは、呟いた。

「……お前も気がついてるだろ? 振動の間隔が、狭まってきている。本当にもう、時間がないんだ」

「しかし……」

 ここで初めて、エスドは、ヘスクイサをちらり見る。

 口角に、熱を帯びた笑みが浮かんだ。

「俺が入って、直接見る。お前達はここで追認してくれ。一頻り調べ終わったら、即、そこの“バルハラへの道”から脱出だ」

 よろめきながら立ち上がったアズハが、エスドの腕にすがりついた。

「止めろ! すぐに脱出しないと危険だ! もし、何かの罠だったら……」

 エスドはアズハを見て、微笑んだ。

 しかし、つと、視線を外してしまう。

 腰具帯から携帯計器を取り出し、起動させると、画面を確かめ、穴にかざした。

「君の意見を無視して悪いが、俺は大丈夫な気がしているんだ。だから俺を止めたいなら、こいつが値が出すまでに、裏付けの効いた説明を聞かせてくれ」

 計器が音を立て、分析値を表示する。

 光が差し込まないせいか、気温がやや、低くなっている。

 しかし少なくとも、既存のもので毒性の強い気体が充満しているような事は、なさそうだった。

「よし……行くぜ」

 エスドはアズハの手を、優しく、しかし決然と振り払った。

 ヘスクイサは目を閉じ、軽く頷き、エスドの背をどやしつける。

 にっこり笑ったエスドは、汗を拭うと片目を閉じ、背中に垂らしていた防護帽布を引っ被った。

 二度三度跳ね、肩と腕を軽く伸ばし、屈伸する。

 腰具帯に差し込まれた道具達が、涼やかな音を立てた。

「エスド!」

 アズハの制止を置き去りに、エスドは、そのままするりと、穴の向こうへ潜り込む。

 白輝の回廊から、漆黒の空間へ。

 同時に強まる、平行調律の魔術。

 三つの異なる知識と眼差しが、同じ事象を感じ取り、理解すべく咀嚼していく。

 望み焦がれた未知への挑戦が、たった今、始まりを告げた。

 着地と同時に、灰白の靄が立ち上がり、神楽のように舞い踊る。

 エスドは瞬時に体勢を整え、周囲を見回した。

 穴の入り口から覗いた時は、相当な広さがあるように感じた。

 しかし実際に踏み込んでみると、結構そうでもなさそうだ。

 光量過多の回廊から突然飛び込んだせいで、黒一色の空間に、光暈の残像がぽわぽわと踊っている。

 開けていた目を閉じ、今まで閉じていた方の目を開けた。

 絹引くように静まっていく靄に、そっと手を彷徨わせる。

 回廊で嫌という程浴びせられてきた砂とは違い、より細かく、妙な粘りを帯びていた。

 携帯計器を作動させたエスドは、投光桿をかざす。

 壁面、天井、床――照らしてみたが、やはり光を吸い込んでいく様で、手元の輪郭の識別程度が精一杯だった。

 糸引くような奇妙な暑気が、全身にねっとりと絡み付く。

 防護帽布を通してさえ、呼吸自体がうっとうしい。

 強引に息を整えたエスドは、頭の中の調律の糸をまさぐった。

『ヘスクイサ、アズハ……見えてるかい?』

 その言葉を、脳裏に受け取った瞬間。

 黒い穴のその前で、アズハとヘスクイサは顔を見合わせ、同時に安堵の息を吐いた。

 目を刺す輝きと、うだるような暑気が、一瞬、遠退く。

 口角を引き歪めて、ヘスクイサは呟いた。

「何も見えんぞ。真っ暗じゃないか」

「正確には、投光桿の光と靄しか見えないな。それじゃあ何が何だか……」

 目尻を拭い、アズハが呟く。

 くく、と苦笑が返ってきた。

『確かに、な。とりあえずは、この靄の分析をしてるけど……あ、出た』

 アズハは、携帯計器を開いた。

 伝達機能を通じ、エスドの携帯計器が弾き出した解析情報を受け取り、確認する。

「加里、苦土、生石灰……? 建材の配合比では、ないと思うが……」

 ヘスクイサをちらり見ると、彼も同じ事をやっていた。

「有機物を燃やした灰だろう。なんでそんなものが?」

『ひょっとして……聖灰?』

「神王の?」

『あはは、まさかね……多分、神王の追葬者のものだと思うけど』

 と、突然。

 遠くで何かが、ざあっと鳴った。

 アズハの肩が、ぎくりと震える。

 その感触は違える事無く、闇中のエスドの頭に、印象と共に伝わった。

「うっ……ま、また地震かよ!?」

 背後を振り向く。

 白い光の中で、必死の形相を浮かべたヘスクイサとアズハが、こちらを見ていた。

 砂煙にむせたのか、短く咳き込んだヘスクイサが、呼吸を整えつつ呟く。

『エスド、頃合いだ、戻れ。これ以上は……』

「ちっ!」

 ヘスクイサの言を、エスドは舌打ちで遮った。

 空間の、中央と思しき位置まで進む。

 退く気は無かった。

 まだ、何も判っていない。

 せめて一目、棺だけでも確認できなきゃ、次の機会につなぐ事すらできなくなる。

 アズハの叫びが、頭に奔った。

『エスド、何をしてる! 神王の棺だぞ!? そんな狭い空間に、在る訳ないじゃないか!!』

「ああ、確かに棺はない。でもケメカの葬様式は、ウイズス地方の樹葬様式を汲んでいる。床に棺ごと、塗り込めたのかもしれない」

 きりきりと引き締まる胃の腑を堪え、できる限り手早く、丁寧に、床をなぞった。

 ここに接触性の罠が仕掛けられていたら、もう回避の手段はない。

 しかし僅かに沸き上る靄の下からは、今まで見た事も無い象形模様が、次々と浮かび上がってきた。

 そしてそれらを全て抱き取るかのように囲む、黒い羽模様。

「おい、これは何だ?」

『判らん。俺も初めて見た……って、おい、いい加減に』

「まあまあ、そう焦るなって」

 エスドの手が、さらに動く。

 模様全体が、はっきりと見え始めた。

 血の脈動が、痛い程に体中を暴れ打つ。

 思えば何時も、こんな綱渡りをしてきた。

 精密な理論に隠されたでたらめを見抜けず、紛争地域の不正規戦闘兵に殺されそうになった事がある。

 その時助けてくれた先達は、一緒に極点観測地点に向かう途中、冬ごもり前の、飢え切った獣に襲われて死んだ。

 真白な雪上にぶちまけられ、湯気を上げていた血溜まりの色を忘れた事は、片時も無い。

 キリヒ国のイリ山脈で、少数民族の言語体系を調べていた時は、足場が崩れて崖から滑落。

 二度と体は動かないと、医者から言われた事もあった。

 そして今また、きしきしと軋む一瞬を、爪先走りで疾走している。

 舌先で唇を拭ったエスドは、防護帽布を跳ね上げ、闇中に素顔を晒した。

 さあ、俺に教えてくれ。

 君の事を知りたいんだ。

 君は一体、何なんだい?

 石畳にひれ伏し、エスドはその目に、脳裏に、象形模様を焼き付けていく。

 と、突然。

 回廊側から穴を覗き込むアズハの背筋が、つと伸びた。

 エスドを通じ、頭に流れ込んでくる、象形模様の配列。

 そして先程の、謎の灰の成分。

 そして、“追葬者”の言葉。

 何かが急速に、瞬きながら符号していく。

 かさかさに乾いた喉が、ぎしりと上下に蠢いた。

 そうだ。

 私は以前、これと同じものを見た。

 どこで?

 いや、同じものだったか?

 自分が自分を、詰問する。

 何故、素直に同じと言い切れないのかは、容易に判った。

 もし今思いついたものが、ここにあるものと同質だった場合。

 何故ここに至るまで、こんなに完全な“逃げ道”が、幾つも用意されているのだろうか?

「アズハ?」

 ヘスクイサが振り向いた。

 アズハは、濡れた前髪を掴んだ。

 脳裏の記憶が激しく瞬き、一つの事象を組み上げていく。

「同じもの……いや、似たもの、だったか……?」

『アズハ、どうした?』

「その象形模様と……とてもよく似たものを、私は見た事がある……」

『同じ? 何処でだ!?』

「細部が違うけど……そうだ、確か何処かの神殿の一角に、刻まれていたんだ。その場所はそう、確か……」

 ――供犠の、祭壇――

 撓弾。

 視界が真っ白に染まった。

 全身が一気に引き攣れ、その衝撃に、もんどりうって倒れ込む。

 肉が蒸される生臭い臭いが、喉の奥から溢れて零れ、沸騰した血を飛沫かせながら、肌がびちびちと弾け始めたその時。

 調律魔術の安全装置が、鋭い警告音を発した。

 捩れて混乱した、各々の感覚を遮断する。

 緊急時に発動する鎮静魔法が、混乱した感覚を、強制的に鎮めていった。

 何だ、今のは。

 アズハは、身をよじりながら立ち上がった。

 ぼんやりと目を開くが、何も見えない。

 今まで狂いそうな程に明るかった、回廊の輝き。

 それらが今は、ほとんど消え失せていた。

 目が壊れたのかと手を上げると、その向こうで、何かがぎらぎらと光っているのが判る。

 それがついさっきまで、真っ暗だったあの穴だと思い出し、その白い光暈の中で、何かが黒煙を吹き上げながら、びくびくと蠢いたのを見た瞬間。

「エスドっ!」

 側で倒れていたヘスクイサが、跳ねる様に起き上がった。

 今は真白な穴に駆け寄り、踏み込もうと手を伸ばす。

 が、撓弾。

 ヘスクイサの体が、弾けるように吹き飛んだ。

 叩き付けられた壁から、砂煙が派手に噴き出してくる。

「くっ……」

 震える手足を堪え、アズハは必死に立ち上がろうともがいた。

 その合間にも、真白に輝く穴は、それをちらちらとこぼしながらも、静々と塞がっていく。

 黒羽の結晶体が次々と顕現し、消失前の配列通りに織り重なって、溢れる白輝を遮り始めたのだ。

 そして、被さる様に始まった、不気味な轟音。

 早く、早く!

 ようやく立ち上がったアズハは、ほぼ完成しかけた黒翼の岩戸にすがりついた。

「エスド……い、今、発破を……」

『止せ。もう遅い』

 驚く程に安らかな声が、頭の中に響く。

 アズハの目から、涙が溢れた。

「でもっ!」

『アズハ……どうやら君が、正しかったようだ。ここに聖骸は……無い』

「エスド……私……」

『気に病むな。飛翔一族みたいな力がありゃ別だけど、俺達は皆、こうやって確かめてくしか術が無い……』

 歯を喰い縛り、アズハは震える手で、火薬の混ざった粘土を取り出した。

 このまま黙って、引き下がれるものか。

 エスドを贄にしたまま、逃げられるものか。

 例え手遅れだとしても、せめて一矢を!

 そんな気持ちをなだめる様に、声は響く。

『さよなら、アズハ。ほんの少しの付き合いだったけど、楽しかったよ。もっといろんな事、教えたかった』

「なっ……」

 戸惑いに、固まった瞬間。

 目の奥が僅かに揺れて、エスドとの平行調律が、一方的に断ち切れた。

「エ、エスド……何をする、エスドっ!」

「ぐっ……」

 吹き飛ばされ、気を失っていたヘスクイサが、頭を抱えて身を捩った。

 みるみる内に、顔が真っ赤に膨れあがり、鼻腔から、目尻から、耳腔から、血が滔々と溢れ出す。

「エスド、何をしている! 止めろ、止めてくれ、エスドっ!!」

 一体、何がどうなっている!?

 何をどうすれば、この場を乗り切る事が出来る!?

 よろよろと立ち上がったヘスクイサが、黒翼の岩戸にすがりついた。

 撓弾。

 その黒く輝く羽々の隙間から、一際強い白輝と共に、声が――聞こえる筈のない、捩じ切れそうな呟きが、瞬きの間に耳を聾した。

「後を、頼む」

 一瞬、落雷が起きたのかと思った。

 足下が波打ったように感じる。

 今や漆黒と化した回廊の彼方から、膨大な砂神楽が吹きつけてきた。

 その後を追いすがり、振動と轟音が捻れて絡み合いながら、津波の様に押し寄せてくる。

 砂の雨が、ざあざあと降り注いだ。

「駄目だヘスクイサ! ここは危ないっ!!」

 叫んだアズハが、手を伸ばした瞬間。

「立てっ!」

 持ち上がったヘスクイサの拳が、黒翼の岩戸を殴りつけた。

「立てっ……立て、立て、立て、立てっ! 立って……こっちに戻れっ!!」

 手加減無しの一撃が、何度も何度も叩き付けられていく。

 羽模様の結晶体から、淡く漏れた光を受け、背後にすくむ仲間の事も、流れ落ちる自身の血も、何もかもを置き去りにして、ヘスクイサは岩戸を殴った。

「何故、他人に頼る……どうして諦める! お前は、俺達は、自分でやるんだろう! 自分で探すって……自分で確かめるって!! 俺達は、そう決めたんだろう!?」

 何かががばりと外れ落ち、ごりごりと音を立てた。

 ぼこぼことくぐもった音が、そこかしこから溢れて響く。

 巨大な建材同士が支え合う密着面に、空気が吸い込まれていく音だ。

 本格的な崩壊が、全てを抱き獲り、押し潰そうと暴れだした。

 砂は最早、驟雨の勢いで降り注ぎ、視界を白く覆っていく。

 跳ねるように逃げたアズハのいた場所に、身の丈程もある岩盤が落ちてきた。

 黒翼の岩戸にすがりながら、ヘスクイサがうずくまる。

 それを目端にとらえたアズハは、よろめきながらもその腕を取り、引っ張った。

“バルハラへの道”と刻まれた石板に亀裂が奔る。

 渾身の力を込めて、ヘスクイサを引きずりながら、アズハは枝道へと続く穴に飛び込んだ。

 撓弾、轟音が炸裂し、たった今までいた空間の全てに、岩と砂とがなだれ込んだ。

 ヘスクイサを引っ張ったアズハは、そのままどっと倒れ込む。

 その事を確かめたように、最後の地鳴りが道を揺らし、背後から砂神楽が噴きつけた。

 冷たい石の感触に、惚けていた意識が、少しずつ甦る。

 潮退くように消えた地鳴りに代わり、水の流れる音と匂いが、細々と聞こえ始めた。

 小さな水溜まりが、見える。

 息を吸い込み、手足を動かし、アズハはそこへ這い寄った。

 顔を突っ込むと、瞬時、体のどこもかしこもが、捩じ切れたように感じる。

 砂漠の熱砂に濾過されているせいだろう、思う存分に飲み下して初めて、水の透度に驚いた。

 冷たい砂地に体を投げ出し、息を整える。

 その目端に、ヘスクイサの姿が見えた。

 壊れた両手を、ぼんやりと見つめている。

 慌てて空の水筒を取り出したアズハは、水を満たすと、ヘスクイサの側に駆け寄り、頭からそれを浴びせた。

 正しく、呼び水。

 虚ろなまま、それでもずるずると這いずりだしたヘスクイサは、アズハと同じ様に、澄み切った水溜まりに顔を突っ込んだ。

 それを見届け、アズハは回廊に続く穴の方を振り向いた。

 が、もう、確かめる間もない。

 岩と砂とでみっしり埋め尽くされた穴に触れた瞬間、アズハの口から悲鳴じみた嗚咽が漏れた。

 気づけなかった。

 思い出せなかった。

 この脳裏に、確かに刻んでいた筈なのに。

 目の前に幾つも、“逃げ道”が用意されていたのに。

 もう少し早く、気がついていれば。

 静まり返った枝道に、嗚咽はこだましていく。

 やがて澄んだ水音と共に、ヘスクイサが立ち上がった。

 袖で涙を拭ったアズハは、歯を喰い縛って振り向いた。

「ヘスクイサ……」

 嗚咽に引っかかりながら、呟く。

 光量不足の影が落ち、その顔色は判らない。

 が、ゆらりと大きく傾いだヘスクイサは、危うく踏ん張ると、一つぽつりと呟いた。

「……行くぞ」

 撓弾、跳ねるように立ったアズハの右手が、ヘスクイサの頬を撃った。

「馬鹿野郎っ! お前もあいつも、命を何だと思ってる!!」

「アズハ」

 ふらりと揺れた、影が呟く。

「お前はどうして、学者になった?」

 再びアズハは、ヘスクイサの頬を撃った。

「それがお前の知りたい事か! 今っ、たった今……私の……お前の仲間が、生き埋めになっちゃったんだぞ!? もっと他に言う事が……やる事があるだろう!!」

 影が、首を横に振る。

 迷いも無く、決然と。

 それが更に、アズハを駆り立てた。

 ヘスクイサの胸を、力一杯突き飛ばす。

 どん、と鈍い音を立てて、ヘスクイサの長身が、壁に叩き付けられた。

 そのまま、ずるずると座り込む。

「そんなに知りたきゃ、教えてやる! 少なくとも私は……私はこんな思いをする為に、学者になった訳じゃない!! 私は……わた、し、は……」

 涙が噴き出す。

 くっ、と息を詰めたアズハは、無言のままのヘスクイサを置き、光がぼんやりたゆたう方へと歩き出した。

 全てが信じられなかった。

 命を供して得たものが、何を成すというのか。

 命以上に大事なものなど、ある筈が無い。

 背後に淀む、仄暗い闇溜まりから、沈鬱な声が響く。

「……お前は学者には、向いてない」

 最後の力を掻き集め、アズハは光目掛けて、走り出した。

 空の端が、暁色を見せ始める少し前。

 冷えきったケメカ砂漠の真中に、初老の男が、一人立っていた。

 その両手には、分厚い書類が握られている。

 国立総合学術院の承認印が入った表紙には、『ケメカ砂漠の中央地下施設について』とあった。

 男は、空を見上げた。

 もう直ぐ、あの白いソルが、姿を現す。

 あれから随分と時が過ぎたが、ソルだけは、少しも変わっていないと聞いた。

 男は冷たい砂地にしゃがみ込むと、傍らに書類を置き、両手で砂を掻き分け始めた。

 昔、この砂の下に造られた施設の中で、一人のSv.が死んだ。

 その現場から戻った男は、再び図書室に籠り、ケメカ砂漠の中央地下施設を調べ始めた。

 頼りはあの時、平行調律の糸を通じて頭になだれ込んできた、あの不思議な象形模様。

 眼球が用を成さなくなる最後の一瞬まで、Sv.は、それだけを見つめていた。

 あの施設は、一体、何だったのだろう?

 同行した新米Sv.が看破した通りの施設なら、何故あんなに多数の“逃げ道”が、設えられていたのだろうか?

 やがてあの新米Sv.が、“称号”を学術院に返上、野に下った事を知り、さらに長い時を経て。

 別個の書棚に見つけた三種の本が、記憶の象形模様について、一つの事象を言い当てている事を確認した時。

 男は筆を取り上げた。

 結局、あの新米Sv.の言った通り、あれは“供犠の祭壇”だったのだ。

 無垢の優しさと狂爛の嗜虐癖、極端な二面性を併せ持った黒翼の神王イズサミ。

 それを強く信奉する一派が、庇護の対価として、あの施設で贄を捧げた。

 贄として選ばれた候補者は、あの時の自分達の様に、黒翼の岩戸まで歩いていく。

 しかし中には、歩く内に昂揚が醒め、気を変えてしまう者もいた。

 通常はそんな事が無いように、薬品で候補者の意志をなくしたり、場合に寄っては力尽くで、贄を捧げる儀式を執り行う。

 が、イズサミの優しさが、それを好まぬと判断した設計者は、気を変えた贄が、裏口からそっと逃げられる様、幾つもの逃げ道を設えた。

 ただ、中にはそんな逃げ道を全て振り切り、あの岩戸まで、辿り着く者もいる。

 そして自ら、祭壇に登る。

 ただ一途、どんな誘惑も苦痛も超えて、信じる貴方に全てを捧げる為に。

“バルハラへの道”――死ねばバルハラに逝かねばならない現世に逃げ戻る事を、最後まで拒絶しきり、純粋な意志で自らを供した候補者は、ソルエイサのイミナの元、採光施設で集約された陽光に灼き獲られ、神王の側に、永遠に侍るのだ。

 砂はどれだけ掻き分けても、その倍量が流れるように、戻り溜まっていく。

 それでも僅かに窪んだ穴底に、男は書類ただ一つを置くと、丁寧に砂を埋め戻した。

 これでお互い、少しは楽になれるかな。

 男はぽそりと呟いた。

 が、同時に悟っていた。

 楽になど、なれる筈が無い。

 腰嚢から取り出した紙巻きに火を着けた男は、一筋の紫煙をくゆらせ、目を閉じた。

 あの時、この砂の下で、象形模様の記憶と共に受け取ったものが、もう一つある。

 魔術の糸を伝い通し、目の最奥の、さらに一段底の部分に流し込まれた、膨大な記憶。

 それは男の意志の一部と溶け合い、僅かでも気を緩めると、答えを求めて脳裏に鋭い爪を立て、掻き乱し、急き立てた。

 何処だ、判らない、何故だ、どうやって、どうして――そうやって、あれから常時、責め立てられている。

 時折疲れて、何もかも投げ出したくなる。

 しかしそうやって逃げた足の向く先で、図書館に籠り、あちこちの現場に足を運んでいる。

 この矛盾した行動も、ある種の“供犠”と言えるかもしれない。

 捧げる対象は、勿論、学術。

 だとしたら、その見返りは?

 ――駱駝が突然いなないて、男は目を見開いた。

 目の前の砂地は滑らかに広がって、さっき埋め戻した位置すら、もう判らない。

 紙巻きを捩り潰し、腰嚢の小瓶に収めた男は、側に立ち尽くす駱駝にまたがった。

 ここに来る前に寄った、ヤスナの神話図書館で、ある本を見つけた。

 飛翔一族の一人が書き残した、死の概念を論じた本だ。

 基本は死に対する蘇生魔術の在り方に関する考察だったが、墓標に関する記述が三項目もある。

 ひょっとしたらその中に、聖骸の眠る場所につながる手掛かりが、書き残されているかもしれない。

 男は舌先で、唇を舐めた。

 早く戻って、確かめないと――空を仰いだ男は、暁光に掠れだした惑星オルタを頼りに、手綱を捌く。

 振り返る事は、二度と無かった。

 

 

 

 おしまい。

 

 
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