No.669409

真・恋姫†無双 想伝 ~魏†残想~ 其ノ二十六


ちょっとだけ、気持ち急ぎで更新。
今後もプライベートと言う名の仕事が忙しくなりそうだ。ふう……。

ま、頑張ります!!

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2014-03-09 19:56:42 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:8359   閲覧ユーザー数:5862

 

 

 

【 夏侯淵という少女 】

 

 

 

 

 

 

暗い闇の中。朧に浮かぶ断片的な場面。

 

――様の元、姉者と共に武官として仕えた日々。

 

――様と姉者。その二人と同等に愛するようになった、少年との日々。

 

――そして、その少年との別れ。

 

幾つもの断片が降り注ぐ。私にはそれが何なのか分からない。ただ一筋、頬に涙が流れるのを感じた。

 

昔から時々見る、幻のような夢。夢のような幻。その最後はいつも同じだ。

 

敬愛する姉者が、紫色の髪をした一角の武将と戦っている。

 

熾烈を極める戦い。愉しそうな姉者。こういう時の姉者は負けない。

 

しかし、その戦いを汚すように、水を差すように。一本の矢が、姉者に向かって飛んでいく。

 

叫んでも間に合わない。手を伸ばしても届かない。矢は無情にも姉者の左眼に――

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉者っ!!」

 

 

叫んで、起き上がった。

身体に掛かっていた布団を跳ね除けたような状態で、上体を起こした。

 

長距離を走ったかのように息が上がっている。呼吸が浅くなっている。あの夢を見た時は、いつもこうだ。覚醒してしまったが最後、その内容をほとんど覚えていない夢。覚えているのはぼんやりと、敬愛する姉者に向かって一本の矢が飛んでいくということだけ。

 

深呼吸をして、意識的に心を落ち着かせる。掌で汗を拭う。寝起きだというのに、気持ちが悪かった。

 

冷静さを取り戻し、室内を見渡す。明らかに自室ではない場所。

 

そう、ここは魏興郡。太守、北郷一刀殿が治める魏興の街の最奥に位置する城に、私はいた。

 

 

 

 

 

 

ぼんやりとした面持ちで廊下を歩く。

 

昨日、私が将軍では無いと知り、驚いた北郷殿と吉利殿。他の方々も同じように驚いていたが、二人の比では無かった。

 

援兵を求めに来た使者が将軍格では無いと知り、軍師である荀攸殿は渋い顔をしたがそれも当たり前だろう。私のような立場のはっきりしていない若輩が使者なのだから。

 

しかし北郷殿達の見解は違った。冷静さを取り戻した北郷殿と吉利殿は言った。

 

“それこそ王肱殿の考えが浅い”

“そもそもの話、適当に援兵を求めて来いと言ったこともそう。故に、責任はそれを命じた主にこそある”

 

私は再び反論できなかった。

そしてその後、使者が将軍格でないことも相まって、援兵の件は即座に断られると踏んだ私の予想は覆される。

 

 

――急な話だから考える時間を貰いたい――

 

 

そんな、一見すると先延ばしな言葉さえ初めて聞いた。

他の郡では、取り付く島もなく門前払いだったというのに。

 

私は一も二も無く、その言葉に頷いた。それ以外の選択肢など私には無かった。

 

そしていま私は、ここにいる。

吉利殿の提案で一晩を過ごし、この魏興の城にいる。

 

承諾か、拒絶か。

どちらかの答えを得るまで、ここにいることになった。

 

三日か、五日か、十日か。あるいはそれ以上。

答えを得るまで私はここに居なければならない。いや、居るしかない、か。

 

ふと、足を止める。

弓の弦の音。矢が風を切る音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

「あら、夏侯淵ちゃん。おはよう。よく眠れたかしら?」

 

「はい。私にはもったないくらいの部屋と寝具でした。それより、黄忠殿」

 

 

挨拶もそこそこに、夏侯淵の視線は紫苑の手にしている弓に注がれていた。

意匠の美しい弓、颶鵬。一度戦場に出れば恐ろしい凶器となる弓は陽光に反射し、煌めいていた。

 

紫苑は夏侯淵の視線に気づき、自分の手の中にある颶鵬を見る。一拍の間を置き

 

 

「確か華琳の話では……ええ、そうだったわね」

 

 

何かに納得したように頷いた。

 

その呟きに夏侯淵は首を傾げる。

紫苑が何に納得したのか彼女には分からなかった。キョトン顔の夏侯淵を見て、紫苑は微笑む。

 

 

「夏侯淵ちゃん。貴女、得物は?」

 

「弓です」

 

 

夏侯淵は即答する。

自分が得手としている武器が弓だからこそ、弓の弦の音が気になった。矢の風切り音が気になった。

 

自分以外に弓を主な武器としている人を見るのは、初めてだったから。

 

 

「そう。それじゃあ私と同じなのね」

 

 

紫苑は嬉しそうに頬に手を当てる。

洗練された女性の仕草。夏侯淵はそれにほんの少しだけ見惚れながらも、弓への感心は消さなかった。

 

 

「朝から修練、ですか」

 

「ええ、日課のようなものよ。良かったら夏侯淵ちゃんもどうかしら」

 

「私がですか? ……お邪魔では?」

 

「人が一人二人増えたところで問題ないわ。それとも私がその程度のことで集中力を乱す弓将だとでも?」

 

「い、いえそんな――」

 

 

狼狽する夏侯淵を見て、やはり紫苑は微笑んだ。

 

 

「冗談よ。夏侯淵ちゃん真面目だから、少しからかってみただけ」

 

「……黄忠殿」

 

 

悪戯っぽい表情を浮かべた紫苑に、夏侯淵は渋い表情を作る。

 

 

「さあ、それじゃあ修練を再開しましょう。夏侯淵ちゃんの実力も見てみたいわ」

 

「我流なので拙いですが、少なくとも一般の弓兵以上の力量はあるかと思います」

 

 

庭に面している壁に立て掛けられた手作り感満載の的。

それに刺さっている数本の矢を抜くために反転した紫苑の後ろ姿。その背は大きかった。

 

 

「持ってみる?」

 

「え?」

 

 

唐突に問い掛けられ、一拍遅れてそれが何を指しているかを理解する夏侯淵。

 

紫苑は、手にしている颶鵬を軽く持ち上げ、示していた。意図が分からず、戸惑いつつも夏侯淵は頷く。

 

そして、紫苑から颶鵬を手渡された。

 

 

「――っ!?」

 

 

まず感じたのは、重さ。

細長い形状に反し、重量があった。ズシリ、とそれが手にのしかかる。

 

 

「重い?」

 

「はい、少し」

 

 

痩せ我慢だ、と夏侯淵は理解していた。それは条件反射のように口から零れ出た意地。

 

重さはなんとかなるとしても、問題はそれを携えての安定。

少なくとも今の自分では、この弓を携えて戦場を動き、戦うことなど出来はしない。

 

 

「ありがとうございました、黄忠殿」

 

「お礼を言われるようなことはしていないわ。……でも、効果はあったみたいね」

 

「え?」

 

「なんでもないわ、独り言。それより夏侯淵ちゃん。修練に付き合ってくれるなら、貴女も自分の得物を持ってこないと。昨日、部屋に運んだ荷の中にあるんでしょう?」

 

「あ……そ、そうですね。持って来ます」

 

 

言って、夏侯淵は踵を返し走り出した。

紫苑がその背を微笑ましく眺めていることには気付かずに。

 

誰にも教えられず、誰からも教わらず。

自分の使う武器は弓だと、本能的に感じ取り今日まで生きてきた。つまりそれは、我流。

 

珍しく、夏侯淵の心は躍っていた。

正式な武官。弓将と共に修練を行えることに。

 

待つしかない今、何もすることがないわけでは無い。

少しでも、尊敬する姉の武に近付くために。武の種類は違くとも、力になれるはず。

 

夏候家の当主である姉の力に少しでもなろうと、少女は学ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

――と、紫苑がいる庭からそれなりに離れた城壁の上に影が三つ。

 

一刀とその部下二人が今までの一部始終を遠巻きに眺めていた。

 

 

「……なあ」

 

 

徐に口を開いた一刀。投げ掛けるような台詞に部下二人は『どっちが呼ばれたんだ?』と顔を見合わせる。

 

 

「へ、へい。なんですかい、兄貴」

 

「取り敢えず喋り方な。そろそろ本格的に直さないと吉利が黙ってないぞー」

 

「は、はい。気を付けます、大将」

 

「ま、喋り方はともかくとして呼び方は別に直さなくてもいいけどな」

 

「分かりました、兄貴!」

 

「声デカい」

 

 

無駄に気合の入った部下に苦笑いをしながらも、一刀の視線は紫苑に注がれている。いや、正確には紫苑と夏侯淵の二人。今の拙い会話の間に、夏侯淵は庭に戻ってきていた。

 

まあ、それはそれとして。

 

 

「今からちょっと失礼なこと聞くけど、いいか?」

 

 

一刀は後ろに控える部下の一人――元山賊の頭に再度話し掛けた。

 

 

「あんまり失礼なことは聞かないで下さいよ? その……女性経験とか」

 

「え、無いのか?」

 

「ありますよ!」

 

 

再び大きな声。これは俺が悪いな、と思いつつも一刀は顔を顰めた。これじゃあいつになっても話が進まない。原因は自分だが。

 

 

「はいはい。取り敢えず聞くぞ?」

 

「は、はい」

 

 

改まったような前振りに、元山賊の頭はグッと構えた。そして一刀は口にする。

 

 

「お前の名前って、なんだっけ」

 

 

確かに失礼な一言を。

 

しかし逆に、元山賊の頭にとってそれは失礼でも何でもないことだったらしい。だがそれはそれで複雑に思うところがあったらしく、表情を情けなく歪める。

 

 

「勘弁してくださいよ、兄貴。前にも言ったじゃないですか」

 

「悪い悪い。凄い美味しそうな名前だったてのは覚えてるんだけど」

 

「美味しそう? ……あー、まあ確かに字はそうみたいですけどね」

 

「で、お前の名前は?」

 

「まったく。ちゃんと覚えてて下さいよ? 俺の名前は――張牛角っす」

 

 

元山賊の頭――張牛角は特に気負うことも無く、己の名を口にした。

 

 

「え? 超牛角?」

 

「なんか間違ってる気がするのは気のせいですかね、兄貴」

 

「俺もなんか変な感じしましたよ、兄貴」

 

 

張牛角、そして彼の隣に控えるもう一人の部下も表情を歪めて首を傾げた。

それをチラリと横目で盗み見て、一刀はまた苦笑いを浮かべた。どうやら多少の悪意は伝わるらしかった。

 

というか今のは単純にニュアンスの問題か。“張”は語尾を下げて、“超”の方は語尾を上げたからな。

 

その答えが示すところの意味を考え、一刀の顔から苦笑いが消える。残ったのは何かを思案する真面目な表情。

 

 

「ちなみにお前の名前は――」

 

「ちょ、張燕っす!」

 

 

台詞終わりを待たず、もう一人の部下が一刀の問いに答えた。少し気負い気味に。

 

 

「張牛角に張燕か。……ったく、滅茶苦茶だな」

 

「え、兄貴! 俺達の名前が滅茶苦茶ってことですか!?」

 

「ああ、違う違う。そういうんじゃないんだ」

 

 

それだけはハッキリと否定し、一刀はまた思案に耽る。

 

 

張牛角。そして張燕。それは――『黒山賊』という賊に由縁のある人物の名前だった。

 

最初に黒山賊を率いていたのが張牛角。

やがて張牛角の死後、大将の座を引き継いだのが張燕。

 

由縁のある――どころか、黒山賊という組織に深く関わった者達の名だった。

 

そしてその二人が何故か今、自分の元で部下をしている。これは一体どういうことなのだろう。

 

現に今、黒山賊という名の賊が兗州……というより陳留を騒がせている真っ最中だというのに。

 

だが幾つかの予想、もとい想像は出来ていた。

単純な話、夏侯淵の話を全面的に信じるとするならば、黒山賊の規模は数百人とのこと。

 

しかし歴史上、黒山賊の規模は十万だとか百万だとか言われている。

この数字も流石に誇張されているとは思うのだが、それでも黒山賊の数が数百と聞くと首を捻らずにはいられない。

 

なら、前置きをしたように。単純にこう考えればいい。

 

“この外史の黒山賊は、率いているのが張牛角や張燕ではないから規模が大きくない”と。

 

 

「とは言えこれも仮説段階だよなあ」

 

 

そんな、ブツブツと呟きながら考えを纏めようとする一刀を、少し離れた位置から見守る張牛角と張燕。

 

 

「……兄貴って、結構独り言多いっすよね」

 

「馬鹿。ああいう時は大体、俺らには途方も付かない大きな事を考えてんだよ」

 

「でも黄忠様とあの使者の娘のこと見ながらっすよ?」

 

「だから何だ?」

 

「いやほら、揺れてるのとか見てるんじゃねえかなって」

 

「まったくお前は馬鹿だな。そんなもん兄貴はこっそり見なくてもいつでも見れるだろうが」

 

「いやーいやいや。寝る時に見るのとはまた別の話っすよ。胸に限らず、脚とかも。見えそうで見えなかったりするのが良いんじゃないっすか」

 

「……まあ、分からくもねえな。黄忠様はもちろん、目の保養になるがよ。あの使者の娘も中々良い感じに――」

 

 

シャキン!

 

 

鋭い音が張牛角と張燕の会話を遮った。音と、音の出所に驚いて身を引く二人。二人の間に抜身の刀が割って入っていた。

 

もちろん、抜いたのは一刀。

 

 

「小さい声で話してても聞こえるっつーの。そういうのはせめて俺のいないところでやってくれ。でないと、お前らの上着、着たままでノースリーブにすんぞ」

 

 

“ノースリーブ”という単語の意味は分からなかったが、身の危険を本能的に察知した張牛角と張燕は両手を挙げ、全力で首を横に振り、抵抗の意思がないことと一刀の言葉に了解した意を示す。

 

ノースリーブの件に関しては本気では無かったので、一刀はすぐに刀を鞘に納めた。

 

そのまま、視線を元に戻す。紫苑と夏侯淵が修練を今まさに行っている庭へと。

 

 

「……」

 

 

その眼は、的に向けて射った矢を大きく外した夏侯淵が眼に見えて落胆している姿を捉えていた。

 

 

「……滅茶苦茶だな。本当に、色々と」

 

 

まだしばらく見ていたかったけれど、仕方がない。

夏侯淵が持ってきた案件も含めてだが、仕事はそれなりにあるのだ。

 

 

「行くぞ」

 

「「へいっ!」」

 

「だから……まあいいか。俺が怒られるんじゃないし」

 

 

仕方がない、と頭を掻いて嘆息する。

華琳特製の上着。天の衣(聖フランチェスカ学院高等部制服ver.ホワイト)の裾を翻し、一刀は二人の部下と共に城壁の上を後にした。

 

 

 

様々な“違い”に思いを馳せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんまり現実的じゃないと思うけどねー、私は」

 

 

所変わって華琳の私室。

筆を鼻と唇の間に挟み、後ろ手を組んで椅子を揺らしながら、楓は自分の意見を口にした。

 

それを聞くのは部屋の主である華琳。そして星。

どちらも特に何も口にはせず、楓の意見を黙って聞いていた。

 

楓の口にした意見は間違っていない。間違っていないどころか正しい。

縁も所縁も無い郡への援兵。普通ならば一蹴してもいい筈の案件。だが

 

 

 

――急な話だから考える時間を貰いたい――

 

 

 

 

太守である一刀がそう言った以上、軍師の一言では簡単に蹴ることが出来ないのも確かだった。

 

 

「ふむ、考え方としては間違っていないとは思うがな」

 

「ありゃ、星ちゃんはこの話に乗り気なの?」

 

「個人的にはな。『義を見てせざるは勇無きなり』と言うだろう」

 

「でもそれは――」

 

「分かっている。だから言っただろう。“個人的には”と」

 

「そ、私も個人的には助けてあげたいけどね。それが勢力間の話になるとまたちょっと違うんだよ」

 

「我らの陣営とて、兵数がそう多いわけではないからな」

 

 

援兵の件に対して反対する態度を匂わせている楓。

しかし今のところ、はっきりとした言葉で否定をしてはいなかった。

 

星も武官ながら、政治寄りな話を冷静に分析していた。

唯一、黙っているのは華琳。両腕を組み、何かを考えているような表情で窓の外に目を向けていた。

 

 

「華琳。キミの意見は?」

 

 

心ここにあらずというか、この話し合い自体に関心を持っていないように感じられたが、楓は一応尋ねる。

 

最悪、反応しないだろうと踏んでいた楓の予想は良い方向に裏切られる。体勢はそのままに、華琳は視線を楓に向けた。

 

 

「意見も何も無いわ」

 

 

冷静な声で華琳はそう口にした。

 

 

「どういうこと?」

 

「分かりきっていることを聞くのは時間の無駄よ、楓」

 

 

華琳の鋭い視線が楓を射抜く。

一拍の間があり、その後に楓は舌をペロリと出した。

 

 

「軍師としては、分かりきっていることでも疑って掛かりたくなるものでしょ。何より、私は華琳ほど北郷君のことを知らないしね」

 

「ふむ。主はこの話を受ける、と二人は言いたいのか?」

 

 

明確な単語を敢えて使っていないかのような二人の不明瞭な会話に、星が割って入り疑問を投げる。

 

楓は少し考えて。華琳は迷うことなく。星の問いに頷いた。

 

 

「一刀がこの話を受けることを前提として、一体どういう受け方をするのか。それを考えていたのよ」

 

「華琳の英才教育を受けてる北郷君だからね。多分、華琳の予想通りになるんじゃないかな。私はどういう受け方をするのかさっぱり想像がつかないや。無条件で引き受けるのか。それともとんでもない条件を叩きつけるのか。いやー、ちょっと楽しみだねえ」

 

 

にはは、と朗らかに笑う楓。それに苦笑する星。

その反面、華琳の表情は決して明るいとは言えなかった。

 

 

一刀がこの件に対してどう考え、どう動くか。それも確かに気になっていたこと。だが今、念頭にあるのは別の事だった。即ちそれは別の外史で、昔から自分のことを支え続けてくれていた少女のこと。

 

明らかに違う存在とはいえ、その真名を呼べないのは正直辛いものがあった。

 

 

(……とか、一刀も考えているんでしょうね)

 

 

色々なことを考えすぎて、心には暗雲が立ち込めている。けれど一刀のことを考えてクスッと笑った。

 

厳密には違うのかもしれない。

でもこの世界――外史で、同じ境遇なのは一刀だけ。

 

同じような感情を持て余している人は、自分が愛する大切な人。

それは後ろ向きなのか、前向きなのか。どちらかなんて分からない。それでも、たったそれだけのことで安心する自分がいる。

 

一刀が傍に居ると、改めて自覚するだけで。

 

 

「華琳」

 

 

楓に声を掛けられた。何の気なしに楓のことを見る。ニヤニヤ、と意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

 

「なに?」

 

 

多少、嫌な予感を感じつつも尋ねる。

 

 

「顔、にやけてるよ」

 

 

……余計なお世話だった。そんなこと、分かっている。当たり前のことだ。好きな人のことを、考えているんだから。

 

 

「とにかく、一刀が援軍の要請を受ける前提で事を進めるわよ」

 

「はいはーい」

 

「そうだな。取り敢えず、まずは今我らが有している戦力から――」

 

 

こうして、事は進んでいく。流れるように。止まることなく。

信頼、信用といった観点から予想した一刀が下すであろう決定に沿って。

 

援軍の条件や詳細はともかく、すぐに動けるだけの準備はしておかなければいけないのだから。

 

 

 

 

 

 

時は過ぎ、夕刻。

ある程度の仕事を終えた一刀は一人、廊下を自室に向かって歩いていた。

 

ふと、何かに気付いたように足を止めて耳を澄ます。

街の喧騒に混じって、小さな風切り音が聞こえた。

 

 

「ん……」

 

 

ちょうど足を止めたのは廊下の分かれ道。左に行けば自室。音は右から聞こえていた。

 

 

暫し考え、一刀は右の道を選び、進む。

それほど歩かない内に、音の正体を見つけた一刀は立ち止まる。

 

鋭い風切り音。

矢が的に突き立つ音。

 

黄昏色に染まる庭で、夏侯淵が弓を弾いていた。

 

どうやら一刀の接近には気付いていないらしく、しかめっ面で弓を弾く。上手く的の中心を捉えられずに落胆し、溜息を吐く。その繰り返し。

 

しばらくその様子を無言で見続けていた一刀は徐に廊下から庭へと降りた。

 

 

「熱心だな」

 

「!?」

 

 

突然の声にビクッと肩を震わせ、勢いよく夏侯淵は振り向いた。

声の主が一刀だと分かると何故かわたわたと慌て始める。どうやら援軍の決定を待っている使者としては、この状況でその決定権を持っている太守に唐突に声を掛けられるのは非常に心臓に悪いものだったらしい。

 

 

もっとも

 

 

「らしくない」

 

 

一刀としては、自分の知っている“夏侯淵”という少女らしからぬ行動に苦笑してしまったが。

 

 

「え?」

 

 

自分の台詞によってキョトン顔になった夏侯淵を見て、一刀は内心舌打ちをする。もちろん、自分に。

 

 

「悪い。今のは失言だった」

 

「北郷殿? 言っている意味がよく……」

 

「それより、こんな時間まで弓の練習か?」

 

 

無理矢理に話を変える自分の行動の可笑しさ。しかし夏侯淵としては話題がそちらに移った方が気が休まるようで、幾分か緊張の解けた表情で頷いた。

 

 

「はい。まだまだ私は未熟ですから」

 

「未熟……そんなことは無いと思うけどな」

 

「気休めですか?」

 

 

夏侯淵の目つきが鋭くなる。

一刀としては気休めでは無く本心から言った言葉。でも、そう受け取る側の気持ちは分からないでもなかった。

 

 

「ちょっといいか?」

 

「……どうぞ」

 

 

夏侯淵の問いには答えず、台詞と共に手を差し出した一刀。

その視線は夏侯淵の持つ弓に注がれ、その手もまた同じく弓に向けられている。

 

意図は分からない。しかし訝しがりながらも夏侯淵は一刀に弓を渡した。

 

受け取った弓に視線を落とす一刀。

簡素な造りの、年季の入った木弓。使っている木材の材質は詳しく分からないが、そこそこ良いものを使っているように感じた。

 

 

「この弓は昔から?」

 

「はい。弾けるように、射れるようになったのはある程度の歳からでしたが」

 

「古いけどちゃんと手入れもされてる。大切にしてるんだな」

 

「姉者に……」

 

「うん?」

 

「昔、姉者に貰ったものです。だから、大切にしています」

 

 

固い表情だった夏侯淵。しかし、そう口にした瞬間は極々自然な笑顔を浮かべた。

 

 

「そっか……いいお姉さんなんだな」

 

「はい。自慢の姉です」

 

 

何か心が暖かくなるような感じがして、ふと呟いた一刀の台詞に即答する夏侯淵。

その声からも、浮かべている表情からも。心底、姉を敬愛しているのだろうと分かった。

 

 

「あ……それより北郷殿。私の弓で何を?」

 

「いや、ちょっとな」

 

 

言いながら弓弦を引いて弓の調子を確かめる一刀。

しばらくそれを続け、一度頷いたかと思うと置いてあった矢を徐に、一本手に取った。

 

 

「北郷殿?」

 

「……」

 

 

夏侯淵の呼び掛けに応えること無く、一刀は構えを取る。――射法八節。その一連の動作をこなし

 

 

『ヒュッ――!』

 

 

射った。

 

 

『ストッ!』

 

 

小気味の良い音。矢は的の中心からほんの少し外れたところに刺さった。

 

夏侯淵は眼を見開く。弓を射ることを一応は生業としている自分が悉く外していたからこその驚きだった。

 

 

「ほ、北郷殿は弓を使うのですか?」

 

「いいや。俺の得手は刀剣だよ。弓はあっちで祖父ちゃんにやらされてただけ。それに実戦弓術じゃなくて、あくまでも弓道だしな。少なくとも夏侯淵の手本にはならないよ。あ、弓ありがとな」

 

 

残心を終え、夏侯淵に弓を返しながら肩を竦める一刀。

夏侯淵は手に戻ってきた弓を見ながら呆然とする。やはり、自分に弓は向いていないのではないか。そう思いさえした。

 

一刀の行った射法八節と、夏侯淵や紫苑の用いる射法は元々目的から違うということに気付かぬまま。

 

 

「なあ、夏侯淵」

 

「……?」

 

 

名を呼ばれ、呆然としたままで一刀を見やる夏侯淵。一刀の表情は真剣だった。

 

 

「ちょっと構えてみてくれないか?」

 

 

唐突な要請。言われるがまま、夏侯淵は弓に矢を番え、弾き、構える。スッと一刀の眼が細まった。

 

 

「重心を少し前へ」

 

「え?」

 

「重心を、少し、前に」

 

「は、はい」

 

 

一刀の真剣な声と表情に気圧され、言われた通りにする夏侯淵。

 

 

「顎はもう少し下げ気味に。的は明確に捉えるな。意識の中にあればそれでいい。それと――」

 

 

自分の中にある感覚を言葉にしていく一刀。その感覚を無意識下で捉えはじめる夏侯淵。

 

その締めとして

 

 

「――中てようと思うな。もう中ってると確信して射て」

 

 

一刀は、そう口にした。

瞬間、その言葉に後押しされるような形で夏侯淵の指が矢を離した。

 

 

鋭い風切り音と、矢が突き立った音。矢は、的の中心に突き立った。

 

 

何回目になるだろう。夏侯淵は有り得なかった光景に眼を見開いた。

 

その後ろでは一刀が人知れず安堵の息を吐いていた。

偉そうな指示を出した手前、中りは愚か掠りもしなかったら目も当てられない。

 

 

「夏侯淵は多分、射る時に気負いすぎなんだよ。色々と」

 

「気負い……ですか?」

 

「それと真顔や真剣な表情ならともかく、仏頂面とかしかめっ面は上手くない。もちろん、笑顔で射ろとは言わないけどな」

 

 

言い辛そうに、一刀は口にする。

弓の上級者でも第一人者でも無い人間が何を偉そうなことを――と内心で思いながら、夏侯淵の様子を窺う。

 

 

夏侯淵はただ何も言わず、じっと弓を見ているだけだった。

しかし先刻よりも影のようなものが払われた気がしないでもない。少なくとも一刀にはそう見えた。

 

 

「北郷殿」

 

「ん?」

 

「なんと言ったらいいのか……ありがとうございます」

 

「――」

 

 

不意打ちを食らった。

夏侯淵という少女から、敬語での礼。しかもそれは少女然とした、はにかみながらの言葉だった。

 

自分の打たれ弱さに辟易しながら、一刀は所在無さげに頬を掻くことしか出来なかった。

 

 

「礼を言われるようなことじゃない。むしろ素人が口を挟んですまなかった」

 

「そ、そんなことは!」

 

「この話は終わりだ、夏侯淵。というか無理矢理止めなくてもそろそろ――」

 

『ご飯ですよーっ!!!!!!!!』

 

「――な? 夕飯の時間だ」

 

『ご飯ですよーっ!!!!!!!』

 

 

元気よく聞こえてきた幼女の声。

声が近付いたり遠ざかったりして聞こえるのは、城内を走りながら触れ回っているからだろう。

 

 

「行くぞー夏侯淵」

 

「私もですか?」

 

「何言ってんだ。客人なんだし、当たり前だろ」

 

 

客人じゃなくても当たり前だろ、という言葉を飲み込んで一刀は夏侯淵を誘う。

返答を待たず歩き出した一刀の後ろを慌てて夏侯淵は着いていく。一刀としてなんだか不思議な、むず痒い様な立ち位置だった。

 

 

黄昏色の廊下を歩きつつ、一刀は思い立つ。

思い立つというよりも、ある程度の話を聞いた時点でそうしようとは思っていた。

 

本来ならば有り得ない選択かもしれない。ある意味では馬鹿殿レベルの選択。

だが、知ってしまって、気になってしまって、その問題への対応が出来てしまうのなら。

 

それ以外の選択肢は無かった。夕餉の食卓で皆に話す前に先んじて、夏侯淵には告げておこう。

 

 

「夏侯淵」

 

「なんですか、北郷殿」

 

 

まったく構えていない様子の夏侯淵に内心、苦笑した。それを求めに来た本人とはいえ、驚くだろうな。

 

 

「援軍の要請、受けることにしたから」

 

 

こんな大切な、重大なことを、サラッと口にされるんだから。

 

 

「――」

 

 

絶句。一刀の台詞を耳にした夏侯淵に相応しい言葉はこれしかないだろう。

 

 

不謹慎とは思いながらも、一刀は軽く笑った。

 

こういう夏侯淵も悪くは無い。一瞬だけ、そう思うことが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

【 あとがきてきななにかのようなあとがきてきななにry 】

 

 

 

キャラが多いと書き辛いです、やっぱり。桔梗と焔耶、本当にゴメン。多分、次は出す。

 

さて、今回は夏侯淵が魏の外史ほどの実力を有していないことが判明した回でした。他にも幾つか無視できないレベルの事実も判明しました。

 

『え? これ夏侯淵弱すぎじゃね?』

 

と、思う方もいらっしゃるとは思いますが少なくとも弱くは無いです。強くも無いけど。魏の外史の夏侯淵よりは数段落ちますが。今後の彼女に期待ということで。

 

三日会わざれば~は男子に限ったことでは無いですからね。その内、魏の外史の夏侯淵をも超える日が来ることでしょう(多分)

 

一刀が何故(問うまでもないかもしれないけど)に援軍を承諾したかの話とかは次回。ちゃんと援軍を出すにあたっての対応も考えていると思います。流石に考え無しに『援軍? いいよいいよ! 出す出す!』とかは無いでしょうからね。

 

それと、一刀が夏侯淵に向けて言っていたこと。弓を射る時のやつですね。

あれはあくまでも一刀の感覚です。一般的な弓術や弓道の射法や心構えとは関係ないのであしからず。

 

 

それでは次の更新、いつになるかは分かりませんが。お楽しみくださいませ。

 

 

<PS>

 

 

ちょっとアンケート的なものにご協力ください。今後の演出方法にも関わってきますので。

 

TINAMIでの小説の読み方についてです。

 

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