No.665799

黄金の翼と銀の空 二章

今生康宏さん

書くことがないので、クイズでも
問1:俺氏の書く小説におけるヒロインの巨乳率と、その理由を書け(10点+30点 部分点あり)
模範解答:限りなく百に近い(例外は初期二作ぐらい……と思う)。おっぱい好きだから

2014-02-24 18:53:12 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:357   閲覧ユーザー数:357

二章 海の白虎、陸の黒狼

 

 

 

「フレド、速達来てるよー。なんかね、軍人さんからっぽい」

「速達?今更、軍からか……」

 アイリとの夜のデートがあった日から、数週間。季節は初夏へと移り変わり、いよいよ汗ばむ気候になって来た。飛竜達はともかく、羽毛に覆われたレッグは少し体調が悪そうに見える。そんなある日、アイリが軍からの郵便物を届けてくれた。

 まさか感謝を述べる類のものでもあるまい。それなら、数年前に感謝状を受け取ることになっていただろう。一つ心当たりがあるとすれば、物資輸送の救援要請だろうか。既に終戦からは三年が経ち、復興も次々と始まって来ている。その物資や人員の輸送は海と空とを中心に行われており、生き残った飛竜乗りの大半が今では輸送任務を行っている。

 僕はあくまで補給部隊であったため、自由に軍を抜けて暮らすことが出来たが、もしも招請があるならば嫌がらずに応じるつもりでいた。少しずつ活気が戻って来た今にこそ、人や物の輸送は重要なはずだ。

 封筒を開け、手紙を開いた僕は、しかし、そんな明るい希望を感じさせる速達ではなかったことを理解した。

「そう、か……。アイリ、ありがとう」

「う、うん。大丈夫?なんか顔色悪いけど」

「いや、大丈夫。僕は、大丈夫だから」

 追い払うようにして彼女に飛び去ってもらい、僕はもう一度手紙を頭から読み返した。そう長い文面ではない。淡々と事実のみが書かれている。送り主は顔見知りの海軍軍人で、速達だけあって二日前に書かれたものだった。相当飛竜を飛ばしてくれたのだろう。

 内容は、僕がよく知る海軍大佐、クリフォード氏が戦死されたというものだ。

 この時代に戦死。物資の輸送を長年付き添った船で行っていた大佐は、航海中に海賊の襲撃に遭い、健闘虚しく海中に散ったという話だ。軍艦に乗っていたとはいえ、乗組員の多くは武装していない元兵隊か、完全な作業員で、砲撃の後、船に乗り込んで来た海賊を撃退出来る人間は、数えるほどしかいなかったのだろうと書かれている。そして、大佐と乗組員達。そして、もちろん物資はことごとく奪われてしまった。

 ここで言う海賊とは、つまりは火事場泥棒のような連中で、かなり遠方の国から来ているはずである。戦後の痛手を乗り越えようとするこの国の復興物資を狙い、私腹を肥やそうという魂胆だ。疲弊しきった今では、我が国が満足な反撃を出来るはずもない。楽をして儲かるボロい商売といった調子なのだろう。

 そして、クリフォード大佐が亡くなったということは、艦に同乗したであろうご令嬢の、リンジーさんも助かってはいないことだろう。確か今年で十八歳、僕よりも若い彼女が亡くなられたことは残念でならない。

 アイリがいなくなってしばらくしてから、僕は昔を思い出したように部屋の奥へと引っ込み、クローゼットから薄緑色の帽子を取り出して、深く被った。補給要員として働いていた頃の制帽だ。どうしてこれを持って来ていたのかはわからないが、今日一日ぐらいはこのまま喪に服すことを決めた。さすがに制服はもう残っていないが、出来るだけ地味な服を選び、今日の営業も行わないことに決めた。

 それから僕は、彼等が沈んだ海の方向を向いて、しばらくの黙祷の後、敬礼をして、かつてのことを思い出し始めた。

 あれは戦争も末期の頃。今から五年前のことだった。主に海軍への補給を行っていた僕は、以前から様々な海軍の人々と交流を持っていたが、中でもよくしてくださったのがクリフォード大佐だった。

 僕の所属する十七輸送部隊は、六頭の赤飛竜を擁し、隊員数は十二名。つまり、実際に竜を駆って輸送をする者が六名、その補欠が六名という編成で、全員がほぼ均等に輸送任務を行っていた。

 隊員は誰もが志願者だったけど、僕はその中でも特に若く(当時十六歳、ぶっちぎりの最年少だった)、周囲の反対を受けたが、僕は危険な任務に従事することの怖さよりも、大空を飛んでみたいという欲望によって突き動かされ、半年の訓練の末、空を飛ぶこととなった。

 輸送部隊は正式には兵士ではないが、場合によっては最前線まで飛び、陸海軍に主として物資を受け渡す。代わりに重傷者を乗せて病院まで飛ぶようなことも少なくはなかった。それ等は確かに危険な任務だが、多くの場合は本土の倉庫と倉庫の間を飛び回ることを任務としていて、敵軍の攻撃に見舞われたことは本当に少ない。そういう意味で、銃後に限りなく近い役回りだと言われたものだ。

 また、輸送する物資は多くがそこまで重量がなく、嵩もそれなりの食料品と医薬品が多かった。理由はもちろん、いかに力強い飛竜といえども金属製の装備品を満載して飛ぶことは出来ないし、燃料類についても同様だ。そういう訳だから、不真面目な隊員(とはいうものの、恐らくはほぼ全員)は途中で物資の口を開き、つまみ食いをしていた。僕は遂にそうすることはなかったけど、誰に報告することも、注意することもなかったから、ほとんど同罪と言って良い。

 給与が不十分だったということはなく、むしろかなり安全な任務をしているのに兵隊並の金額がもらえたので、逆に気が引けてしまったほどだ。それを目当てで志願者も多かったけど、飛竜を乗りこなせる者はそう多くはなく、輸送部隊の数は二十までで補欠者も十分にいたので、末期に募集がかかることはなかった。

 大佐のことで鮮明に記憶していることといえば、あれは十月の秋の空を飛び、停泊中の軍艦に物資を届ける任務の時のことだった。僕はすっかり仲良くなった仲間と共に、まもなく出航するという船の食料を運んでいた。僕の「クソが付くほど」と言われる真面目さは、他部隊の人にはウケがよくなく、それとなくいじめられるようなこともあったけど、同じ隊の仲間は温かく、そんないじめから守ってくれることも多かった。ただ、僕が物資のつまみ食いをしなかったことだけには、ノリが悪いと批判した。

 だけど僕は、皆がしているから、と自分までするようなことはしたくなかったし、給与は十分なんだから、前線で懸命に戦ってくれている兵隊のものを盗むのは嫌だった。今でもあれは決して間違った行動ではなかったと思っている。

 ともかく、僕達は指定された港に辿り着き、飛竜の速度がかなり落ちてしまうほどに積み込まれた荷物を船へと下ろした。その搬入先こそ、クリフォード・フィッシャー大佐の艦長を務める軍艦だったという訳だ。

 僕は以前からこの大佐と顔見知りになっていて、少しだけだが言葉を交わすこともあった。僕とそう変わらない年齢の娘さんがいるということで、僕にその影を重ね合わせていたらしい。そしてこの日は現地で泊まり、明朝に飛び立つことになっていたため、僕達は艦に招かれ、そこで夜を明かすことになった。

 仲間達は、歳の近い水兵達と談笑を始めて、僕もそれに交じろうとしたけど、後ろからぬぅっ、とやって来た大佐に艦長室まで招かれてしまった。いや、しまったという表現は正しくないのだけど、当時十六歳の僕は、既に五十歳を越えていた巨漢の大佐が恐ろしくて、実は少し苦手としていたので、鬼に引っ張られていく気分だった。海軍は陸軍よりも訓練が厳しいというし、部外者の僕にまでそのノリを持ち出されたりしたらどうしよう、とひたすらにビクついていた記憶がある。

「あ、あの、大佐」

「うむ、座りたまえ。君はフレド君、だったか」

 艦長室に備え付けられているだけあり、かなりしっかりとした椅子だった。それに座らせられ、僕と大佐は一対一で向き合うことになってしまった。大佐はその精神、肉体の若さに反して見た目は年齢相応よりも老けておられて、既に白髪頭に真っ白なヒゲを雲のように生やしていた。それがまた恐ろしかった。

「今日も補給の任務をありがとう。飛竜を使った輸送はかなり揺れると聞くが、大丈夫だったかね」

「は、はい。今日は風も穏やかで気温も安定していて、すごく飛びやすい日でした」

「そうか。この天気が明日まで持ってくれれば、我が艦も最高の船出が出来るというものだ。今はただ、海の神に祈ることとしよう」

 大佐は士官学校を出たエリートだったが、故郷は海のある漁師の村で、お父様も漁師だったという話だ。それだけに、漁師らしい信仰の持ち主で、出航の前日には故郷に伝わる方法で海の神に航海の無事を祈るという。今思えば、それが終戦までかの古豪が生き残られた由縁だったのだろうか。

「以前、私に娘がいるとは話したね。今は十三歳の子だ」

「はい。絵姿も拝見しました」

「そうだったか。先日も手紙が来て、早く帰るようにせがまれてしまったよ。その手紙とは、これなんだが……」

 娘さん、リンジー嬢からの手紙は机の引き出しに鍵までかけてしまわれていて、彼のお守り代わりだそうだ。その筆跡を見せていただくと、十三歳の幼さながら、僕よりずっと美しく整った字を書かれている。もう一つ特徴があるとすれば、かなり強い筆圧で書かれており、筆跡も男性のもののようだだということだ。なんとなくこのお父様を持っていればそういうものかな、と納得しながら、以前見た肖像画(顔だけのものは、大佐のロケットペンダントに収まり、常に彼の胸で輝いている)を思い出してみると、少し意外に思えた。

 リンジーさんは、当時の時点でもう立派な淑女と呼べるほど大人びていて、身長もすごく高い美人だった。瞳の色は大佐の奥様と同じというヒスイのような緑で、髪の色は、白髪になる前の大佐と同じブロンド。王族かと思われるほどの美貌を持っていたが、長身は既に訓練を受けて引き締まっており、軍人然とした凛とした強さがあった。女性ながら、大佐と同じ勇猛な軍人となるであろうということは、絵姿の時点ではっきりとわかる。

「まあ、それは良いのだが、フレド君」

「は、はいぃ」

 大きな丸い目で見つめられ、自分の名前を呼ばれると、尋常ではない威圧感を覚える。自然と声は裏返り、震え、大いにどもった。

「娘の婿になってくれる気はないかね。いや、君とはそう何度もきちんと会話をした訳ではないが、好青年っぷりは言葉や行動の端々から伝わって来る。それに、君の搬入する荷物には一切の不足がないことから、実直さも証明済みだ。軍人ではないことが残念ではあるが、それ同然の危険な作業に従事していることから、勇猛さもわかる。我が娘を預けるのに、全く遜色のない人物と見たのだが」

 当然ながら僕は驚き、半分は泣きそうになった。自分がとんでもない相談を受けているのはよくわかったが、どうすれば良いのかがわからない。もしも断れば冗談ではなく首が飛びそうだが、そう易々と首を縦に振れる話でもない。言うまでもないが、ただの市民の子である僕にとって、有力な軍人のご令嬢と結ばれるという大役は、あまりに荷が勝ち過ぎている。しかも、きちんとした恋愛を経た訳ではなく、互いに顔を合わす前から婚約をするということだ。……そこまで大佐が僕を評価してくれているのは素直に嬉しかったが、どう返せば良いのかがわからない。

「ははは、驚いてしまったか。無理もない。しかし、私は明日どうなるかも知れぬ身だ、早く娘の相手は見つけておきたくてね。そして、こう言うと変な話かもしれないが、同じ船に乗っている者より、たまに顔を合わす程度の君をえらく気に入ってしまったんだ。どうだろう、私の息子となってくれるのは」

「そ、それは……」

 あえて結婚や婿という言葉ではなく、息子という言葉を持ち出されると、なんとも魅力的な話に思えた。僕が幼くして両親を失い、叔母さんに育てられていたということも関係しているだろう。もしも大佐のような父親が出来れば、それはどんなに素敵なことなのだろうか。

「なに、決断を急かすつもりはないよ。ただ、そういう話を私がした、ということだけは覚えていてくれ。また今度、ゆっくりと話すこととしよう」

「は、はいっ」

「そうだ、フレド君」

「な、なんでしょうか」

「これを持って行きたまえ。つまみ食いは出来なくても、私から与えられた特別報酬だと思えば、後ろめたさもないだろう?」

 そう言って大佐は、部屋の隅に置かれていた荷物。恐らくは大佐達のような上士官の食料の箱から、その一番上にある缶を抜き取り、それを僕に握らせてくれた。後から開けてみたところ、キャンディーのたっぷりと詰まった缶だとわかった。

 海上では特に甘味が重要なものとされていて、この手のお菓子類は多かったのだけど、食べ盛りの少年にキャンディーを渡すというチョイスは、一般的な感覚でいえば少しズレているように思えるかもしれない。だけど、僕は当時から甘いお菓子が大好きで、大佐には一度も話したことはなかったはずだけど、それを見抜かれ、その上でこれをもらえたのだと思うと、たまらなく嬉しくなった。

 今になって冷静に考えれば、無造作に缶を取り出した辺りからして、特に中身を選んだ訳ではなく、偶然手に取ったのがキャンディーだったのだろう。それでも当時の僕は大喜びし、仲間の前では決して食べず、夜な夜な少しずつ舐めて、虫歯を量産したものだ。

 あれからも幾度となく大佐とはお会いしたが、結婚の話は不思議なほど出て来なくて、僕は勝手に別な相手が見つかったのだと楽観視していた。だけど、終戦が近くなってから、僕はリンジーさんと引き合わされた。今から三年前なので、僕が十八歳、リンジーさんが十五歳で、既に海軍少尉となっていた時のことだ。

 リンジーさんは、肖像画で見た時よりも更に美しく大人になっていて、僕とほどんと背丈は変わらないほど長身だった。だけど、その仕草の一つ一つには女性らしい気品が見え隠れし、僕はお父様だけではなく、そのご令嬢にまで強烈な思慕の念を抱くようになり、これが初恋なのだろうと思った。それでも、遂に婚約を取り決めることは出来ず、もう少し時間をいただくという形になり、僕は逃げるように飛び去ってしまった。今思えば、二人のどちらにも大変な非礼だったと思う。

 ……だけど、その親子が海中に没した。

 この暗い知らせは、僕の未来から一切の希望の光を奪い去ってしまったかのように感じられた。

 きっと、この事件を機に、輸送船の武装は強化され、乗組員にも兵士が増えることだろう。戦争が終わったのに人間同士が武器を向け合うのは辛いことだけど、大佐。いや、もう少将なのか。彼が他の海を行く仲間を守るための教訓を残してくれたことには感動を禁じえない。あの方は最期まで、偉大な海の男であられた。そして、その血を分けた大尉もまた……。

 昼まで僕は何をするでもなく、二人の死を悼んで過ごし、それからふと、彼等に殉死するならば今日しかないのだろう、と思った。

 本気で死んでしまうことも考えたけど、絶対にあの方達はそんなことを望まない。そう思い直すと、今度は絶対に死なず、生き抜けるところまで生きてやろう、という気持ちが湧いて来たのだった。

『フレド、いる?』

 一杯の水を飲み、気分を落ち着かせるのと同時に、新たな誓いを立てた直後、ドアを叩く音と、聞き慣れた声がした。

「うん。いるよ、アイリ。どうしたの」

 すぐに彼女は入って来た。急いで竜を飛ばせて来たのか、頬には汗が流れている。

「いきなりごめんね。……けど、なんか今朝のフレド、普通じゃなかったから。大丈夫?」

「ああ……大丈夫、心配をかけてごめん」

 アイリはいつもの制服ではなく、お気に入りの青染めのワンピースを着ていた。彼女と初めてのデートの時にも着ていて、僕が絶賛したものだ。それ以来、彼女はデートの時や、何か大切な話をする時は、ワンピースかスカートをはいて来ていた。いつもは私服を含めてズボンが多いのに、彼女にとってスカートをはくというのは大きな意味を持つ行為なのだろう。

 ……そう、僕はこの街に来てからアイリと出会い、自然と彼女に惹かれて行った。初恋は間違いなくリンジーさんだったけど、結婚まで視野に入れたお付き合いをしようと思ったのは、他ならぬアイリで、正しい意味での初恋、初交際の相手は彼女なのだと思う。

 もちろん、正式に婚約をしていないとはいえ、二股をかけるようなことになってはいけない。そこで一念発起して、これ以降の縁を切られるのを覚悟で、大佐に向けて婚約のお断りの手紙を書かせてもらった。ただし、戦後の混乱の中に送ることとなってしまったし、大佐自身も忙しくしておられたので、はたして無事に手紙が届いたのはわからない。もしも二人が亡くなられる直前まで、僕のことを考えていたら……それは本当に悲しいことだ。

 もう一つ、その手紙の内容は伏せたままアイリに持って行ってもらったので、婚約者になりそうだった女性へのお断りの手紙を、今の彼女に途中までとはいえ運ばせることになってしまった。それが郵便屋の仕事とはいえ、申し訳なくなってしまう。……その相手がいなくなってしまった今、その思い出は別な形となって胸に寂寥感を残すこととなってしまったが。

「やっぱりフレド、大丈夫じゃなさそうだよ。手紙、そんなに悪いことが書いてあったの?」

「ちょっと、ね。僕を可愛がってくださっていた海軍の方が、亡くなられたんだ」

「そう、なんだ……」

 純粋な彼女は、一瞬の内にその表情を曇らせてしまった。いつもは胸に光を当ててくれる笑顔を見せてくれるその顔が、暗い色に染まっている。それには違和感のようなものがあって、やはり彼女に打ち明けるべきではなかったのかもしれない、と後悔した。僕は本当に、失敗と後悔を繰り返してばかりだと痛感する。

「でも、もう大丈夫。ふっ切れたから」

「本当?」

「本当。嘆いても、既に起きたことはどうにもならない。だから」

 ほとんど自分に言い聞かせるつもりで、それからも一言、二言、僕は決意なのか言い訳なのか、自分自身でもよくわからないことを並べ立てて、僕とアイリをとりあえずは納得させることに成功した。

「…………ねぇ、フレド」

「うん」

「結婚……しない?」

 それでも、僕はよほど弱っているように見えたのだろうか。アイリは僕の右手を両手で包み込み、顔をぐっと近付けてそう言った。瞳に涙の代わりに心配の色をたたえた、その顔を見ていると……ここで決めても良いのかもしれない、と思えた。

 だから僕は彼女の両手の上に、更に自分の左手を重ねて、すぐ傍にある彼女の頬に唇を当てた。

「そう、しようか」

 アイリは少しだけ微笑むと、僕の手を包む力を強めて、そのまま腕を引き、自分の胸の上にまでそれを持って来た。それから、豊かな膨らみと柔らかさのあるそれに、手を押し付ける。高鳴る彼女の鼓動が全身に感じるようで、僕自身がその律動に突き動かされ、心臓をいつもより倍以上の速さで動かしているようだ。

「フレド。今日は、夕方の仕事、お休みもらったの。だから、このままフレドが好きなだけ、こうしてていいよ」

「そっか。……ありがとう、アイリ」

 彼女の胸の振動と体温はあまりに心地良く、気を抜くとそのまま眠ってしまいそうだった。だけど、きっと僕は今夜、眠ることが出来ないだろう。受け止めきることの出来ない悲しみと、アイリの愛を一度に与えられてしまった。哀しく、同時に喜ばしく、とても眠れそうにはない。

 大佐は僕を祝福してくれるだろうか。それとも、酷い男だ、見損なったと、失望してしまうだろうか。もしも後者のように思われたら寂しい。だけど、きっとあの方と、リンジーさんならば許してくださるとも思った。優しく気品があるのと同時に、少しだけプライドの高いリンジーさんは、どうしてこんな田舎娘が良いんですか、と少し頬を膨らませてしまいそうに思えたが。

 一週間が過ぎた。あの日を僕と過ごしたアイリは、明け方にようやく眠れた僕を起こすことなく、いつものように早朝の配達の仕事に戻り、僕は夕方になって彼女に一通の手紙を預けた。言うまでもなく、大佐とリンジーさんのことについてのお悔やみの手紙で、きちんとお葬式をするならば、ご招待いただきたい、という旨も記した。それから、もう一度だけ、今自分には心に決めた人がいて、近く式を挙げるかもしれない、と告白し、先の手紙が届いていなかった場合の、海の底に眠る二人への懺悔とした。

 やはり速達にしたが、もしも返信があるならば、それは四日後よりも後になるだろうし、今度は速達にはならないかもしれない。気長に待つことにしたものの、それでも毎朝、アイリと顔を合わせる度に手紙はないか、と聞いている僕がいた。

 そんなことが続いていた中、昼間から来客があった。竜観光のお客さんとも思ったが、その顔を見た時、ああ、今日は店を閉めないとな、と確信した。

 突然訪問して来た男性を一目見た時、まずは否応なしにその男子として恵まれ過ぎた体格が目に入る。身長は僕よりずっと高く、二メートルに近い。両腕、両足。胸に腹。その全てに彫刻のような筋肉が備わっていて、左目は戦傷によって視力を失い、黒い眼帯によって隠されているのだが、これもまたその恐ろしさを演出している。炭のように黒い髪は長く、オールバックにされたそれはマントのごとく背中に垂れ下がっている。……以上のことからして、どう見てもカタギの人間には見えず、事実として彼はかつて陸軍の兵士として勇猛果敢に戦い、最終的には上級軍曹となった。

 本来ならばより早く、より重要なポストに収まっていたことだろうが、終戦間際になってようやくその戦果が認められることとなったその理由は、ひとえにその性格上の問題にある。その人格面については後ほど触れるとして、彼の名前はロイス・ビートン。僕が戦時中に作った友人の一人で、親友と呼んでも差し支えはなかった。

「よう、フレド。久し振りだなぁ」

「ロイ。健在だとは聞いていたけど、こうしてまた会えるとは思ってなかったよ。今までは、戦後の復興に?」

「そんなとこだ。特に南の辺りは酷くやられちまってたからな。親父の作った街をもう一度興すなんて嫌だったけど、人の住む場所は必要だからな。それに、あいつももういねぇ」

「お父さんは、亡くなったんだ……」

「持病を悪くして、終戦のちょっと後にな。あいつらしい、つまんねー最期だったよ」

 三年が経ち、お父さんとの確執が少しは……とも思っていたけど、そうは上手くいかなかったらしい。見た目に反して(失礼だ)お金持ちの家の生まれのロイは、父親をずっと恨んでいた。彼に何かをされたという訳ではなかったけど、親は不正な手段で富みを築き、貧乏人を苦しめていると信じていたからだ。

 それが真実だったのかどうかはわからないが、最後までロイが父親と不仲だったということは残念でならない。

「今日はまたどうしてこっちに?立ち話も難だから、上がっていってよ」

「ああ、そうさせてもらうぜ。何分、お前みたいに飛竜に乗るような器用なことは出来ないからな。駅馬でかっ飛ばして来たんだが、この辺りはあんまり駅がないんだな。最後の駅から相当歩いたぜ」

「海も近いし、港から来るのが普通だからね……。ロイは船嫌いだから駄目だけど」

「一瞬で酔っちまうからな。酒ならいくら飲んでも平気なんだが」

 別れた時から何一つとして変わらない友人に安心しながら、彼を家へと案内する。長身のロイにはこの家の戸口が小さ過ぎるかもしれないけど、我慢して姿勢を低くしてもらおう。ロイは陸軍の所属で良かったな、とふと思った。ここまで恵まれた体格で海軍なら、勤務出来る場所はかなり限られてしまいそうだ。

「へぇ、外からだとボロっちく見えたけど、中々だな」

「元々は廃屋同然の空き家だったけどね。死ぬほど掃除してなんとか住めるようにはしたよ。それに、僕一人が住むならこれぐらいで十分だ」

 では、二人暮らしになればどうするのか。それはまた、追々に考えるべきことだ。僕も彼女も決して裕福ではなく、おいそれと新しい家を買ったり、この家を改築したりは出来ない。その辺りをどうにかする意味でも、まだまだ時間は欲しかったのだけど……もう、約束をしてしまった。

「椅子、座って良いか?……なんか、俺が乗ったら一瞬でぶっ壊れそうなんだが」

「だ、大丈夫だと思うよ。もし壊れたら、責任を持って新しいのを作ってくれないとだけど」

「……ジジイの手を握るみたいに、すげぇ優しく座るよ」

 ロイの口から、お爺さんだとか、優しく、だとかいう言葉が出て来るとは。復興の中で、お年寄りの方とも接する機会は多かったのだろうか。なんだか微笑ましい。

 彼の気遣いもあってか、少し軋んだものの椅子はなんとか持ちこたえた。僕が淹れたお茶で少し口を湿らせてから、改めて再会の喜びを口にし合う。

「本当に元気そうだね。今も風邪は一度もひいてないの?」

「そりゃあな。まあ、俺が健康優良児なのは今に始まったことじゃないが、お前も中々に調子良さそうだな。意外に体は衰えてないみたいだが、竜観光ってのは力仕事なのか?」

「うーん、少しは腕力も必要になるよ。お客さんを引き上げないといけないからね。でも、半分は趣味で体は鍛えているかな。これ以上筋肉を付けるつもりはないけど、現状維持ぐらいはしようかな、と」

「良いことじゃねぇか。鍛えると病気をしないし、体力も付くぞ。食費はかさむかもしれないけどな」

「それはロイが大食らいだから……。でも、力仕事をずっとしているような生活なんでしょ?なら仕方がないよ」

 今でも彼は軍服を着ているが、深緑色のそれはとっくによれよれになっていて、復興の時にそうなったのか、そこらじゅうに破れた所がある。いちいち補修しない辺りがいかにも彼らしい。あまりに酷い部分が繕われているのは、彼のお世話をしている人がやったのだろう。

「自分達がやったことだからな。元に戻すのも自分でやらねぇと。てめぇのケツはてめぇで拭け、ってやつだ。もう拭くケツも、拭く手もない奴は大勢いるけどな」

「……そうだね」

 思い出されるのはやはり、大佐のことだった。ロイは戦争の中で失った多くの戦友を思い浮かべたんだろうけど、もしかすると壊された建物の撤去などをしている最中にも、多くの元軍人の命は失われたのだろうか。そうだとしたら、改めて戦争とはその最中にも、終わった後にも多大な被害を生む、何者よりも恐ろしい怪物だと認識せざるを得ない。

「それで、お前に会いに来た理由なんだけどよ」

「うん。前から手紙は送ってたけど、返事はくれなかったよね。ちゃんと届いてたの?」

「色々とあって、中々返事を寄越せなくてな。それは本当にすまない。でもまあ、こうして直接会いに来たんだから良いだろ?」

「はは、そうだね。でもよく来れたね。そんなに長い休みを取れたのが驚きだよ」

「前の街の復興がおおよそ終わって、より北に行くことになったんだ。んで、更に足を伸ばしてここに来た訳だが、予想より日を食っちまったな。じっくりとお前の住んでる街を見物してやりたかったんだが、明日には発つつもりだ。ああ、寝床と夕飯は宿を取ったから心配してくれなくて良いぞ」

「まだ泊めようかとは言ってないよ……。けど、それなら話が終わった街に出ようか。せっかくここまで来て、手土産もなしじゃ寂しいしさ」

「そいつは助かる。……それで、これからが本題なんだが」

 急にロイは普段大きな声を潜め、まるで秘匿とされている作戦を伝える上官のように、机の上へと身を乗り出した。僕もそれに従う。

「お前の竜観光だが、後半年ぐらいでいい、休業にしておけ。飛竜は絶対に出さないようにしろ。特に、よその土地から来た奴にはな」

「……理由は?」

「竜騎兵のその後を知っているか」

 どうしていきなりその話になったのか、僕にはいささか意味がわからなかったけど、ロイはそこまで頭が良くはなくても、支離滅裂な会話をするような人じゃない。何か意味があるのだろう。

「僕達のように、普通に解隊されて、輸送業なんかをするようになったと聞いてる」

「じゃあ、もう一つ。先の戦争で一番の成果を挙げた兵科は?」

「一概には言えないけど、竜騎兵だとは思う。対陸、対海ともに、空からの一撃離脱戦法は強力だったから」

「つまり、敵さんにとっては一番憎い奴ってことだ。……最近、西の海からゴロツキ共がやって来ているが、奴等の半分は兵隊くずれの奴だよ。そいつ等は飛竜狩りと称して、もう既に五頭ほど竜をやっちまってる。当然、乗っていた奴も身ぐるみ剥がれてめった打ちだ。実は俺がこっちの方面に来たのも、復興員ってよりは、そいつ等と戦うためなんだ。北は不凍港も少ないし、空運は重宝されるだろ。だから元竜騎兵の連中も多くて、そいつ等を狙って北上するのは目に見えてやがる」

「西の海から、か……。そうか」

 この国が戦争を繰り広げていた相手国は、ここから南西に位置する。西には大きな海があるので、てっきりその向こうから海賊は来ているのだろう、とこの辺りでは考えられていたけど、敗戦国の民が、戦勝国に一矢報いようと。あるいは、少しは豊富な物資を奪おうと襲来するのは、考えられはする話だ。

 ……では、大佐達はその一員に。正に、戦争の時の敵と同じ相手に仇討ちのようにして沈められてしまったというのか。……もう戦争は終わり、和平は結ばれ、この国も、あの国に対して大きな損害賠償や領土は求めず、戦火はそのまま消し止められようとしていたというのに。

「郵便屋も、従来の陸運に戻っていくそうだ。これからは、手紙のやりとりがより不自由になるな。ま、俺は元から手紙を送れなかったし、そう遠くない街にいるから、手紙が遅れることはなさそうだが」

 アイリも、元の馬を駆る生活に戻る訳か。ペガサスに乗ることに憧れていた彼女が飛竜に乗るようになって、大いに喜んでいた頃のことが思い起こされる。思えば、飛竜が僕と彼女を引き合わせてくれたんだった。

「ロイ。忠告、ありがとう。そうしたら、しばらく僕は失業者になっちゃうな。そっちの復興活動に協力させてもらおうか。バイトでも謝礼は出るよね」

「鶏のフンみたいなもんだけどな」

「食べて行けたら十分だよ。割と真剣に考えてみよう」

 今からでもなんとか衣装を揃え、式を挙げるだけの貯蓄はあるけど、それ等の多くは戦時中に稼いだものだし、アイリだけの給料で、僕が働かずに生きて行くのは難しい。本当になんとかして働き口を見つけないとな。

「どうしても伝えたかったのはそれだけだ。精々用心しろよ。もうしばらくして国の混乱が収まれば、この手の連中も駆逐されるだろうからな」

「うん、目立たずに生活するのには慣れているから大丈夫」

 資金面、情勢面でも結婚式は先送りだ。彼女にはもう少しやきもきさせてしまうけど、僕はどんな関係であったとしても、アイリが傍にいてくれるだけで十分だった。

「ところで、フレド。お前、彼女とか出来たか?」

「えっ?」

「いや、そろそろ俺等も結婚しておかしくない年頃だろ?俺はともかく、お前はこの街で誰か見つけていてもおかしくないと思ってな。もし違うなら、なんかすまん」

 前々からロイは勘が鋭いところがあったけど、それは戦争が終わった今でも健在らしい。まあ、彼になら話しても良いか。

「一応、結婚まで考えてる人はいるよ。だから、もう少しして落ち着いたら、そうなるかな。その時もロイが近くにいたら、きちんと手紙で招待させてもらうから」

「おっ、マジか。お前、女に好かれる感じだもんな。そして、年上と見た」

「残念、一個下だよ。郵便屋さんなんだけど、顔を合わせる内に親しくなって、いつしか交際をさせてもらうようになってた」

「おいおい、遠距離交際ってやつかよ、妬けるねぇ。俺もそういうのやってみてぇなぁ」

「ロイだって、モテそうな感じはするよ。久し振りに見たからかもしれないけど、前に比べて表情が優しくなったと思うし。案外、良縁は近場に転がっているのかも」

「世辞でも、彼女持ちに言われるとなんか嬉しいな。ま、そうなることを願っておこう」

 

 あまり彼女自慢をするのもいやみっぽいし、男同士の恋愛話なんてそう盛り上がるものでもないので少しして切り上げ、僕はロイに街を案内することになった。

「落ち着いたら、こういうところに住むのも良いかもな」

 ざっくりと一巡りし終えたところで、ロイが呟いた。

「そしたら歓迎するよ。この街は全く平和だったし、戦争の後に住むのには丁度良いと思う」

「……けど、俺はやっぱり戦争で壊しちまった側だからな。ちょっとぐらい、傷跡の残った場所の方が良いんだろう。生きている限り、戦争のことは忘れないだろうけどな」

 軽はずみなことを言ってしまった。彼の言葉を受けて恥ずかしくなる一方で、彼が戦後の復興活動を行う理由は、陸軍の方針というだけではないのだろう、と思えた。

 無骨で細かいことを考えず、感覚だけで生きているように見える彼だが、それだけに言葉にはならなくても、鋭敏な感覚で多くのことを感じ取っている。また、彼自身が優しく、情け深い性格をしているというのもあるのだろう。

「って、なんか暗い雰囲気になっちまったな。別に、お前のことをどうこう言おうとか、そういうんじゃなかったんだ。むしろ、お前は俺達が酷使しちまった側なんだ。しかも、戦後もこんなことが起きちまって、またその生活を脅かすことになってる。俺一人が謝るなんて傲慢だろうが、申し訳なく思ってる」

「そんなの。僕だって、あの仕事をするのがどういうことなのかは理解していたよ。……でも、そうだな」

 大佐の訃報を聞いた日、僕は僕なりに喪に服したつもりだったけど、僕の、僕達の喪中とは、これからいつまでも続くものなのかもしれない。あの時代を、前線で生きた人間として、戦争は今も過去のものでもなく、ましてや他人事でもないようだった。

「どうしたんだよ?途中で言うのやめちまって」

「ううん。ありがとう、ロイ」

「お、おお。なんか知らんが、感謝してもらえんのならありがてぇ」

 そのままロイとは彼の宿の前で別れて、翌朝、出立前に挨拶を済ませて完全に別れることとなった。

 不思議なことに、もう陽が出て結構な時間が立っているのに、とうとうロイを見送る段になるまでアイリが街に来なくて少し心配だったけど、もうまもなくして彼女は馬に乗ってやって来た。

「ふぃー、久し振りに馬で来たけど、やっぱり大変だねー。倍も時間がかかっちゃったよ」

「アイリ、おはよう。そうか、今日から馬で仕事をすることになったんだ」

「あっ、もう知ってたんだ。さすが耳が早いね。最近、物騒な話ばっかりで嫌だね。……はぁ、結婚も先延ばしかぁ」

「さすがにね。僕も仕事を休まないといけないし」

「あっ、そっか!……じゃあさ、あたしと一緒に働かない?今まで飛竜でしていたことを馬でやらなくちゃならなくなったから、人手不足になっちゃったの。あたしは女ってことで、少しは負担を減らしてもらえたんだけど、男手が増えるとすっごい助かるよ」

「アイリと……?」

 思ってもみない素晴らしい話だったが、そう簡単には頷けない理由がある。

「……ダメ?」

「僕、飛竜には乗れるけど、馬には全然乗ったことないんだ。小さい頃、面白半分に乗って落馬して、大変な怪我をしたことがあるし、練習もあんまりしたくはないかな……」

「あー……前に言ってたね。だから、今でもちょっと足が痛むんだっけ」

「骨格がちょっとおかしくなっちゃったみたいで。全力で走ったりする時だけだけどね」

 普段の生活には全く支障が出ないので、自分から口に出さなければ人に気付かれることはないのだけど、そういえばロイは少し、左足を引きずるようにして歩いていたのが思い出される。

 あれも本人の口から語られることはなかったので、わざわざ騒ぎ立てることもしなかったけど、ことによれば彼は戦争か、その後の活動で左足が不自由になってしまったのかもしれない。彼ならばきっと大丈夫、そういう気持ちもあるけど、やはり心配はある。

「そういう訳だから、一緒には働けないけど、適当なお店にお願いさせてもらうよ。少しずつでもお金を貯めていかないとね」

「うん!あたしね、あたしね、やっぱり結婚式は盛大にやりたいの。その後はもう、フレドと一緒ならどんな貧乏生活でも良いんだけど、お父さんもお母さんも呼んで、一生ものの式にするのが昔っからの夢でねー」

「は、はは……。そ、そっか。これは、もう一年は貯金をしないといけないかな」

 元から急ぐつもりのないことだったけど、情勢の変化もあって、早く彼女と同じ家で暮らしたいという気持ちもある。こうなった以上は善を急ぎたいところだけど、現実のしがらみはあまりにも多い。どれか一つでも解消されてくれば良いのに、と願うのは勝手なことだろうか。

 

 

 

「報告、ご苦労さまでした。……もう、下がっていただいて結構ですよ」

 中尉は気丈に。あくまで毅然とした態度を保って報告を受け、僕を退出させる時も平静そのもののように見えました。

 しかし、薄い船室の扉越しに僕は、彼女の大きな溜め息を聞いてしまいました。……それからもなお、盗み聞きするのは中尉と、大佐への不義に値すると感じて、すぐに走り去った次第です。

 クリフォード・フィッシャー大佐が戦死された船には、当初の予定では中尉――リンジー・フィッシャー中尉も乗るはずでしたが、お体の調子があまり芳しくはなく、自分一人で十分だ、という大佐のお言葉もあって、彼女が乗り込み、戦没することは避けられた訳です。

 中尉や大佐と共に戦い、今日まで生き残った我ら海軍にしてみれば、海軍の中でも特別優れた勇将であった大佐を失った悲しみは深いものの、その唯一の令嬢であり、やはり有望な士官である中尉が生存されたことは喜ばしいことでした。ですが、中尉ご本人はどうかといえば、今僕が見て、聞いた通りです。

 僕がきちんと報告をする前から、風の噂には聞いていたのでしょう。――病気で寝込んでいたとはいえ、一日中眠っている訳ではないですし、病室にやって来る者も海軍関係者な訳ですから、何かしらの情報を掴んでいたと考えた方が自然です。――中尉は覚悟をしていたようで、実に穏やかそうでしたが、その悲しみは察するに余りあります。

 僕は中尉の従兵のような身分で、中尉に仕事以外で口を聞くなんて、あまりにも恐れ多いのですが、今日ばかりは何かしら、そのお心を慰めて差し上げたい。そう考えて、たっぷりと二時間の冷却期間を開け、中尉の部屋の扉をノックしました。

『どうぞ、お入りください』

 涼やかで、ずっと目下の相手に対しても丁寧な口調で話す声は、報告中や直後に比べれば、少しの動揺もないように感じられました。見事な金色の髪と、それに縁どられたヒスイのような瞳はあまりにも美しく、軍人であるという事実を忘れさせますが、やはりそのお顔には、大佐と似たものがあります。間違いなく、中尉は大佐の血を引いた海軍軍人なのです。

「どうされましたか。何か続報でも?」

 やはり、中尉のお言葉は一介の兵士に向けるにしては不釣合いな、優しげで丁寧なものです。

 口の悪い心ない兵士達には、中尉の態度を威厳がない、貴族の令嬢のそれだと揶揄して、親の七光りの中尉殿だ、などと罵る者もいますが、僕は全くそのようなことは思いません。むしろ、中尉ほど軍人として相応の振る舞いをされる方は、海軍に後何人いることだろうか、と思うほどです。

「いえ。ただ、中尉のことが……恐れ多いながら、心配になってしまいました」

 いくら普段の態度が柔和とはいえ、中尉は直属の上官であり、声を荒げないながらも、他の兵をたしなめる姿は見たことがあります。暴力や暴言に慣れている兵士にしてみれば、そういった言葉の方が効くものだ、と説教を受けた兵士は語っていました。僕も出来るならばお叱りは受けたくありませんから、可能な限りの配慮をして、どうかそのお心を更に乱してしまわないように努めます。

「ありがとうございます。実を言うと、少し誰かとお話をしたいところでした。面白みのない話になってしまうと思いますが、話し相手になっていただけますか?」

「はい、もちろん。喜んで」

 中尉の年齢は十八歳。戦時中であれば、兵学校は十八で上がりでしたから、士官と兵の年齢が同じ、という現象が起きたのですが、戦争が終わってからの国防のための兵学校は、二十二歳で卒業になります。そのため、新任の兵士の方がずっと年上ということもあり、それが中尉の不当な評判の種となっているのでしょう。ですが、僕のような古い兵士――とはいえ、僕の就役は終戦間際であったため、僕もまた十八歳です――は大佐の勇名と共に、そのご令嬢がいかに軍事的、人格的に優れたお父上の才覚を引き継がれているかを、生の現場での作戦指揮の手腕から知っています。

 普通、士官学校を出たばかりの尉官というものは、ただ威張り散らすだけで仕事が出来なかったり、頭でっかちで兵士のことを知らな過ぎたりして、現場の兵士の評価は低いものです。しかし、中尉は参謀を通さなくても見事な戦況分析をされ、更にそれから導き出される冷静な指示をお出しになり、戦いの経験を積めば、さぞ立派な提督になられるだろう、と兵達は思ったものです。

 しかしながら、皮肉なことに大佐達の尽力で戦争が終わり、平和になった世の中では、中尉の能力は評価されづらいのでした。そして、そのためなのかはわかりませんが、たまに中尉は十八歳の女性の素顔を、僕達古参兵にだけお見せになることがあるのです。

 今も父親の死を受けて、思い出を共有出来る僕と話そうとされている。それは軍人の考えではなく、少女の繊細な心が求める、当然の行動に思えました。

「あなたは、軍人としての父を、どう思われましたか」

「世間の評判の通りだと思います。勇猛で、果敢で、一言一言が兵達を鼓舞する名将であると同時に、戦の外では気さくで穏やかで、しかし不義には厳しい、正に兵達の父親のような方であったと」

 “クリフォード大佐賛歌”は、一度でもその元で戦った海兵であれば、誰もが同じように語ることが出来るものです。もちろん、完全無欠な無敗の将などいませんが、たとえ負け戦であっても、その戦いぶりと、部下を想う心――つまり、無残に兵士を死なせるのではなく、たとえ臆病者の汚名を着せられようと、勇気を持って撤退することを選ぶことが出来た人だ、と古い兵士が語ったのを覚えています。

「不思議ですね。私の知る父も、全く同じです。海軍服を着ている時はもちろんですが、それを脱いで家庭にいる時でも、父は兵の方々に接する時と同じように私と接していました。幼少の頃の私は世間知らずで狭量で、ほんの少しのことで腹を立てていましたから、叱られたことも数多くあり、今でも記憶に残っています」

 今の中尉は狭量どころか、年齢に不相応なほどの懐の深さをお持ちで、だからこそ恐れられない、というところがあるのですが、ご本人が語る幼少の頃はそれとは間逆で、だからこそお父上の影響の強さが感じられます。

「そうだったのですか」

「ですが、今思うと父は、いわゆるところの子煩悩であったように感じられます。叱り付ける言葉にも深い愛情が感じられましたし、家に帰る度、何かしらのお土産をくださいました。一人娘で、他に男兄弟もいませんでしたが、本当に大切に育てていただきました」

「――僕も。我々も、本当に大佐にはよくしていただいて、あの方こそ海軍の父だったのでは、と感じられるほどです」

「父。そうですね。我が父は、私の父親であると同時に、戦を戦い抜いた兵達の父でもあったのかもしれません。だからこそ、今になって亡くなられたのでしょうか」

「それは……?」

 中尉は表情を大きくは変えられません。ですが、その声には小さな震えがあるようでした。あまり説明を求めるのは望ましくないことですが、僕は大佐の海軍での評価と、その死を結び付けることが出来ず、中尉のお言葉がなければ、その真意に触れることが出来ません。

「戦は終わりました。ならば、後は戦う人間を教え、導く父は必要ありません。クリフォードの喪失は、この国が真の“戦後”に漕ぎ出すための、通過儀礼なのかもしれない、と思うのです」

「ですが、それでは僕達はどう戦後を生きれば良いのでしょうか。大佐を襲った海賊や、他国の賊など、未だにこの国から驚異は消え去りません。国防のための兵は、誰が導いてくだされば……」

「軍団を作り、旗を掲げて侵略をする戦争はもうありません。ならば、導き手も不要でしょう。国を守るために必要なのは、私達一人一人が勇気を持ち、行動する意志の力だと、私は父から教わったつもりです。――勇気は伝播します。既に父と共に戦われた人の心には、その勇気が宿っているのではないでしょうか。そして、その勇気は更に新しい兵にも伝わり、循環していくものであるはずです」

 呆気に取られるように聞いていた僕は、ふと光栄なような、どうしようもなく申し訳がないような気持ちになりました。

 中尉のお言葉は、決意表明であり、立派な演説であるように思えたからです。そして、それを聞くのは僕一人。ただ一人のためだけに、中尉に演説をしていただけるなんて。光栄を通り越して、ただ恐れ多いばかりです。ですが、そのお言葉は浅学な僕の心にも響きました。

「中尉。どうかそのお言葉を皆にも伝えていただけませんでしょうか」

「それが出来るのは、父の葬儀の席でのみだけですね。……ですが、父の遺志を伝え残すことが出来るならば、それこそ娘の本懐とするところでしょう。今はまだ、クリフォードの娘、リンジーとしてですが、願わくは父の威を借りるのは、今度限りにしたいと思います。私も、皆も、故人の霊ばかりを見ていては、何事も成し遂げることは出来ないと思いますから」

「……はい!」

 中尉は、やはり大佐ではないし、大佐には成り得ない。それは失礼ながら、僕でもわかりました。

 才覚や性別の問題ではなく、既に時代が変わり、大佐的な人物は求められなくなりつつあります。いえ、きっと求められる時代とは戦乱の時代であり、そうでない方がずっと良いのです。

 だからこそ、中尉は大佐から離れ、別な未来を目指そうとしているのでしょう。僕にはその姿が輝かしく見えて、一度は暗雲に包まれた空が、再び晴れ渡っていくように感じられました。

「それから、戦時中の古い話なのですが、私には一人、婚約者がいました。これもまた父が決めてしまった方なのですが、どうかその方にも父の訃報を知らせ、葬儀の日程が決まった暁には、その手紙も出してもらえませんでしょうか。直接会って、お話ししたいことがあります。後から名前と現住所を書き出しておきますので、連絡をされる方に渡しておいてくれますか」

「わかりました。忘れずに必ず」

 なぜだか婚約者、という言葉に顔をしかめてしまいましたが、大佐が婚約者に、と決められた方ならば、僕とは比べ物にならない立派な方なのでしょう。嫉妬のような心の動きは軍服のポケットへとしまい込み、僕は船室を出ることを決めました。

 大佐の葬儀は十日の後に決まり、あれよあれよという間にその当日となりました。

 件の婚約者の方が現れないのは気がかりでしたが、一人のためだけに遅らせる訳にもいきません。予定通りに式は執り行われ、いつしか僕は涙を流していて、そのまま情けなく崩れ落ちてしまいそうになりました。

 大佐は、他の海兵の葬儀がそうであるように、棺の中には形見の品と親族、友人達の手紙だけを入れて、陸ではなく大佐の愛した東の海へと埋葬されました。始終、中尉は毅然とされていましたが、棺桶が海へと投じられる、その時だけは涙を見せられていたのではないか、と僕には感じられました。

 婚約者――フレドさんが現れないのは恐らく、郵便事故の類のせいではないか、と考えられました。なぜなら、大佐の訃報を告げる速達は確かに届き、丁寧な返書まで来たというのに、葬儀の日程の速達に返事はなくそれきりだったためです。ついでにいうならば、この訃報の手紙が曲者で、中尉は自分が健在であるという旨を文面に加えて欲しい、と希望されたのですが、余計な情報を付け加えることはまかりならないと断られてしまいました。そしてその結果、多くの方が中尉まで死亡されたものであると誤解されることになってしまったのです。

 その日ばかりは中尉も少し機嫌を悪くされて、しかも葬儀の前日。陸海軍、また民間から多くの方々が集まったのですが、その多くが中尉の顔を見て、幽霊に出会ったように驚いたものですから、苦笑されっぱなしでした。それから、もしかするとフレドさんも誤解されているのかもしれない。改めて手紙を送らなければ。と溜め息がちに言われました。

 郵便事故の正体とは、後の調べでわかったことなのですが、飛竜の襲撃事件が多発しているらしく、その主犯者こそがかつての敵対国の人間と断定されました。時間が経つ中で、敵対国は復讐心を積もり上がらせ、これ等の凶行に及んだのでしょう。その気持ちがわからない、と言えばそれは嘘になります。僕も敵軍に同胞の命を奪われ、幾度となく呪いました。ですが、戦後となった今、民間人を襲うということには我慢ならず、陸海軍共に、これ等の賊の討伐にあたるということで、僕もこれに志願しました。志願者はかなりの数がいるということで、くじ運のない僕は外れてしまいそうですが、どうにかして力になりたいところです。

 長くなってしまいました。この手紙が届く頃には、夏も盛りですね。体調を崩されないよう、お祈りさせていただきます。


 
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