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真恋姫無双二次創作 ~盲目の御遣い~ 廿捌話『椿事』前編

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真恋姫無双二次創作オリ主呉ルート最新話です。
オリジナルの主人公及び恋姫、作者独自の解釈によるキャラの変化、etc、そういったものに嫌悪感などを覚える方はブラウザバック推奨です。

前回の大まかなあらすじ

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2013-11-26 02:35:15 投稿 / 全15ページ    総閲覧数:9793   閲覧ユーザー数:7919

「昼間は、見苦しい所を見せたわね……忘れて頂戴」

「うんにゃ、全然えぇよ~」

 

所在なさげに居住まいを正そうとする曹操を見ながら、霞はにんまりと笑みを深めた。それは猫科の目つきを彷彿させる意地の悪そうな笑顔で、ともすればその両頬や頭の上にそれぞれ三対の細長くしなやかな髭であったり、ピンと突っ立った正三角形の耳が錯覚として見えてしまいそうな、それは愉快そうなものだった。

すっかりと日も暮れ、辺りはとっぷりと宵闇も耽ろうと言う頃。張文遠こと霞は、すっかり曹孟徳という人物を気に入っていた。彼女は、噂に聞く鬼才ぶりとは余りにかけ離れた年端もいかぬ少女であり、しかしそれと同時に”あぁ成程”と、そう納得させるだけの魅力をも持ち合わせている、確かな”傑物”だと、素直にそう思ったからである。

 

『私にはもう、貴女の右腕となる資格も、貴女の前に立つ資格も、最早ありませぬ』

 

夏候惇は無事に意識を取り戻すや否や、そう言い張り続けていた。何よりの誇りである”自分自身(第一の剣)”に傷を負わせてしまったが故に。巻かれた包帯の上から手で蓋をして、まるで失くした左目から溢れ返る幻の涙を漏らさぬように。そして、それを見守る楽進や李典たちが、実の妹たる夏候淵までもが何一つかける言葉を見つけられずに居た堪れなく沈黙する中、ただ一人彼女は凛と声を引き締めて、こう告げた。

 

『その程度の傷で、私が貴女を手放すとでも思っていたのかしら?』

 

謙虚は美徳でこそあるが、過ぎたる卑下は却って不快感を与えてしまう。何より、自らの為に負った傷を喜び、愛しみ、誉れにこそすれ、どうして汚点に出来ようか。血相を変えて駆け寄ってきた筈の”少女”をあっという間に潜ませて、曹操は慈しむように夏候惇を抱き締め、対する夏候惇もまた、自らよりも遥かに小さな胸の中で許しを請いながら幼子のように涙を溢していた。そしてその姿を、その在り様を、霞は非常に好ましく思った。

弱みというものは、ましてや”涙”なんてものは、他人においそれと見せられるものではない。将であれば尚更である。相手が”上”であろうと”下”であろうと、この戦乱の世で自らの弱点をひけらかす真似は命取りに他ならない。心ない者に知れたならば、付け込まれて寝首をかかれたり、見限られて突き放されるのが世の常である。

でありながら夏候惇は憚ることなく皆に”涙”を見せ、曹操は躊躇うことなく”涙”を受け入れていた。これが意味するのは、

 

(この娘ら、形はちょっち歪やけど、ちゃんとした”信頼”で成り立っとるんやね)

 

退廃した大陸の中枢に身を置いていたが故か、血生臭かったり薄汚れた話ばかりが鼓膜に纏わりついて離れず、胸糞悪さをぶつける先もなく、ひたすらに鬱憤を貯め込み続けていた彼女にとって、董卓軍の皆は唯一の拠り所であった。それはきっと、他の皆も同じであった筈だと思う。特に(呂布)なんかはそうだっただろう。あの娘は、他人の感情に特に敏感だから。そして何故か、全く違う筈の曹操軍(彼女達)に、董卓軍(自分達)と同じ”何か”を感じている自分がいるのだ。

手放しに信じることは出来ない。だが、ほんの少しならば、警戒心を緩和させてもいいかもしれないと、そうも思えている。

 

「で、話って何? 暫くは食客っちゅう扱いで様子見するっちゅうんは昼間に聞いてるけど」

「そうね、さっさと本題に入りましょう―――貴女を射ようとしたという兵士の話よ」

 

途端、周囲の気温が数度下がったかのように感じる。血の気が引き、急激に冷めていくような感覚。頭は冴えていても、心の底ではぐらぐらと煮え滾っている憤怒が、再び湧き上がって来る。

 

「……解ったんか? 誰の指示なんか」

「正確に”誰から”かは解っていないわ。でも、凡その見当はついた、という所ね」

 

思い出すのは数刻前の襲い来る横槍ならぬ横”矢”を放ってきた無粋にして下種な雑兵。夏候惇によって断末魔を上げる暇もなく絶命させられていたので、調べがつくのか少々疑問ではあったのだが。

 

「まず最初に言っておくけれど、あの件に私達、曹操軍は一切関わっていないわ」

「……どういう意味や?」

「そのままの意味よ。私は勿論、私の部下にもそんな指示を出した者は一人としていない、ということよ」

「……そんなら、一体誰がやらせたっちゅうねん」

 

当然の疑問に、霞は眉を顰める。象る表情は正に”苛立ち””不機嫌”その類。

武人同士の正々堂々たる一騎打ちに水を刺されたのだ、彼女は怒って然るべきである。

 

「冷静でいられないのは解るけれど、順を追って説明するから、まずは落ち着いて頂戴」

「…………」

「宜しい……そうね、まずは結論から言わせて貰うけれど」

 

沈黙で了承を示す霞を見て微かな逡巡を示した後、曹操は胡乱げな溜息を一つ吐くと同時に、こう告げた。

 

 

 

 

 

―――――あの兵士は、曹操軍(私の部下)ではないわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………………………

 

……………………

 

…………

 

 

 

 

 

 

この音色を一体、何に例えればいいのだろう。

元よりさしたる学のない身だが、そんな私でもこの音色が他に類を見ない、欠け替えのないものであることくらいは、想像に難くなかった。細く儚い旋律にどこか危うさを覚え、しかしその中に揺るがない”芯”を感じる。それはきっと、彼の決意の現れなのだろうと、そう思う。

 

「…………」

 

孫策軍が陣地の外れで、物悲しい旋律が大気へ染み込むように響き渡り、溶けてゆく。その二胡に似た弦楽器は”ばいおりん”と言うそうで、私の知る如何なる楽器とも似ていない、なんとも不思議な音を鳴らしている。

北条白夜。こいつは、本物の”馬鹿”だ。別に貶そうとしている訳ではなく、素直にそう思ってしまう。むしろ驚嘆と感心すら覚えている。

人の命は、軽くて重い。戦場ではいとも容易く十把一絡げに舞い散る癖に、時にそれは楔のように心臓に深く突き刺さり、食い込んで、決して抜けなくなってしまう。自分はただ、それを理解した積りでいただけだったのだと、思い知らされた。私は、理解したのではなく、ましてや納得したのでもなく、放棄しただけなのだ、と。

『誰かの為』それは簡単なようで、存外難しい。生物とは元来、自己中心的に生きているからだ。情けは人の為ならず、とあるように、何をするにしても、それは回り回って自分の為であるはずなのだ。

しかし時折、まるでそうは見えない者がいる。この身は、この命は、誰が為にあらんと、身を焦がして、身を粉にして、自分のことなど後回しの二の次にして、他人の為に生きる道を選ぶ”お人好し”。言葉を交わしただけで、出会っただけで、更に言うなら、何らかの関わりを持った時点で”救う対象”になってしまう、そんな愛すべき”呆気者(うつけもの)”。夢幻と笑い飛ばす者もいるだろう。偽善と謗り貶す者もいるだろう。だが、私は声を大にして言う。”何が悪い”と。

平和な世とは、得てして平和な思想の上に成り立つ。他人を信じずして、どうやって手を取り合うというのか。握り拳を向けられて、どのように歩み寄るというのか。理想論なのは解っている。身に染みて知っている。本当に正しい者が報われるのならば、これほど施政が悪化しているはずがないし、そもそも黄巾党なんて連中が現れ、これほどのさばれるはずもないのだから。

結局の所、弱肉強食。割を食うのはいつだって弱者であり、その真偽が暴かれ認められるのは大抵の場合、後世である。生きている間に大多数の賛同を得られるのは非常に稀だ。現世で正義を謳うには、どうしたって何かしらの”力”が必要であり、力とは何かを押さえ付ける為に存在する。武力をもって捩じ伏せ、権力をもって黙らせ、財力をもって縛り付け、魅力をもって取り込む。そうやって、更なる力を蓄える。

だが、一概に踏みつけられる者を弱者と掃いて捨てるのは、明らかにおかしい。誰もが好き好んで弱者という立場に甘んじている訳が無いのだから。”無理だ””出来ない””仕方がない”とこじつけ、自身を正当化して諦めるのは簡単だ。”生きたい”だけなら、それでもいいのかもしれない。見たくないものを見ず、聞きたくないことを聞かず、互いの傷を舐め合い縮こまっていればいい。だがもし、”活きたい”のならば、見たくないものを見なければならない。聞きたくないことを聞かなければならない。今以上に深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。”戦う”というのはそういうことだ。愚痴ならすべてが終わった後で、墓場の中で幾らでも言えばいい。

そう、そういうものなのだということを、私は忘れてしまっていたのかもしれない。

いつからだろうか。順序が逆になって、理由を見失って、ただただ闇雲に力を振るうようになったのは。自分の”力”にいつしか飲み込まれて、勝つことだけが、負かすことだけが全ての、薄っぺらい”誇り”になってしまったのは。それでは、野獣も同然だというのに。

無知と知って、無力と知って、無益と知って、無謀と知って、それでも尚、この男は歩みを止めなかったのだ。私がいつの間にか手を放し、目を背け、諦めきってしまっていた”それ”を、この男は、ずっと。

 

(何たることか……)

 

私が無為に”生きただけ”の月日は、ただただ息をして、腕を振り回して、駄々を捏ねていただけの年月は、一体どれほどなのだろうか。

悔しい。口惜しい。彼の倍は生きているはずの私よりも、彼の方が何倍も”活きている”じゃないか。

『貴様に、守りたいものはあるか?』『確かに貴様は強い。だが、それだけだ』

『貴女は、どうして強くなったんですか?』『私は、皆の笑顔が好きなんです』

あの言葉に心穿たれ、あの言葉に心打たれた自分の”真意”に、ようやく気づくことが出来た。

そうだ、私は、

 

「私は、”活きたかった”んだ……」

「―――華雄さん? 泣いて、いるんですか?」

 

自然と溢れ出たそれに、不思議と嫌悪や恥辱は覚えなかった。普段ならすぐにでも拭うなり隠すなりしただろうに。

そんな私を、いつの間にか演奏を終えていた北条が心配そうに首を傾げて、こちらを向いていた。不安げな表情。恐る恐る伸ばしてくる手は、触れるか触れないかという距離で、虚空を彷徨っていた。

 

(こいつは、本当に優しすぎる……)

「―――えっ? ……あ、あぁ」

 

気づいているのだろうか。そのようにしている自分こそ、酷く涙を流していることに。目尻から溢れ、頬を伝い、顎から落ちてゆく軌跡は遠目にも明らかで、私が手を伸ばして拭って初めてそれに気づいたらしく、照れ臭そうに伸ばしていた手で残りを拭い、頭を軽く掻いていた。

 

「す、済みません」

「いいや、構わんさ」

 

そんなお前だからこそ”預けよう”と、そう思えたのだから。ただ恩義があるからでなく、純粋に”この人の剣になりたい”と、そう思えたのだから。

知っているのは、この世にたった四人。私と、父と、母と、主。そして、

 

「お前で、五人目か」

「五人目?」

「いや、こちらの話だ。―――北条」

 

私も涙を拭い、真っ向より彼を見据える。声色の変化だけで雰囲気を悟ったのだろう、北条も少し、表情を引き締めた。

 

「本題、ですね」

「あぁ」

「解りました、窺います」

 

見れば見るほど、不思議な男だと、改めて思う。見たことのない衣服。見たことのない楽器。見たことのない思考。見たことのない度胸。そして、見たことのない笑顔。

一体、この笑顔の裏側にどれほどの悲哀や苦汁が詰め込まれているのだろう。子供のような純真無垢のようでいて、実は決してそうではない。これは”白紙の白”ではなく、”塗り潰した白”だ。幾度となく他の色に染められても、その度に受け止めて、受け入れて、飲み込んで、飲み干して、それでも尚、そうあり続けた”白”だ。

そんな”白”に、私もなれるだろうか。そんな微かな望みを込めて、私はゆっくりと、唇を開こうとして、

 

 

 

 

 

 

―――――静かに。

 

 

 

 

 

 

それは我が目を疑うほどに、あまりに唐突だった。

北条白夜が、著しく変化した。穏やかな物腰はなりを潜め一転、どこか冷徹さすら覚える空気を纏い、言葉にはまるで抑揚が感じられない。警戒を通り越して、ともすれば威嚇のような鋭さをちらつかせるそれは恐らく呑まれたが最期、蟻地獄の流砂のように侵食されてしまうほどの脅威なのだろうと、素直にそう思う。

そう、それはまるで、

 

(蜘蛛の、巣……)

 

その糸に触れてしまったなら、逃れる術はない。足掻くば足掻くほど自由を奪われ、気づけば”(まないた)の上の鯉”。そんな、狡猾な狩人の牙を垣間見てしまったような、”見に覚えのない罪悪感”に、華雄は一瞬、力無い羽虫と化してしまったかのような、確かな”恐怖”を感じていた。明らかに自分よりも格下であり、実際に拳を交えたなら、それこそ赤子の手を捻るどころか、未だ手足すらも生えていない蝌蚪(おたまじゃくし)を摘まみ上げるように呆気なく勝ててしまえるであろう、目の前の痩身の青年に。

そして、

 

「出て来い」

 

彼が粗暴に放り投げた一言に、華雄は直ぐ様腰を落として拳を握り締め、ぐるりと首を巡らせて辺りを見回しながら理解した。”誰かいる”。好意的なものか否か判断はつかないが、確かに第三者の視線ないし気配を感じるのだ。金剛爆斧が手元にないのが少々心許ないが、贅沢を言える状況下でも環境下でもないし、そもそもそんじょそこらの輩に遅れをとるほど柔な鍛え方はしていない。

彼を守り抜くと固く誓い、宵闇が仄暗く染め上げる物陰を片っ端から睨めつけていく。すると、同じく彼の”巣”に呑まれていたのか、一ヶ所、木陰の草叢からがさりと音を立てて、歩み出てくる人影があった。密偵にしては随分と潔い。それとも、余程腕に覚えがあるのだろうか。邪推しつつも、ゆっくりと攻撃の体勢を整えようとして、

 

「―――ま、待って、待って下さい! 私、私です!」

 

余りに拍子抜けな、まるで緊張感のない”素人”の声色。わたわたと忙しなく両手を振り回しながら誤解を訴えかけてくるその人影は、徐々に月光と松明の灯火の範囲に踏み込んでくるに連れて色彩と輪郭を帯びていき、やがてその全身が晒されて初めて、華雄はその顔に見覚えがあるということに気がついた。

 

「貴様は、確か」

「劉備、玄徳です。初めまして、華雄さん」

 

 

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

これほど居た堪れない沈黙もいつぶりだろうか、と藍里は心中で独り言ちた。

疲労も頂点に達しているだろうに弔問に行くと言って聞かない主と、そんな主に二人きりでしたい大事な話があるという元捕虜現降将を送り出した直後、何の前触れもなく陣地を訪れた諸葛亮(実妹)を”立ち話もなんだから”という有り体な常套句で自分に割り当てられている天幕へと連れて来て取り敢えず腰を落ち着けたまでは、まぁ良かった。次に会えた時に話したいこと、言いたいことは幾つもあったし、幾度となく頭の中で思い描いたりして準備していたはずなのに、ものの見事に口が開かない。上下の唇を縫い止められ、喉の奥に栓をされてしまったかのように、まるで言葉を紡ぐことが出来ない。

何故だろうと必死に考えてみて、思い当たることが二つ、あった。

 

「…………」

「…………あの、お姉、ちゃん?」

 

一つは、先日の”説教”。劉備陣営内にて立場も忘れて、胸の内を思い切りぶちまけてしまった、あの夜の一件。冷静になって思い返せば、本当に差し出がましく、恐れ多い真似をしたと、今でも心底思う。一文官として”説教(あれ)”に対する後悔はさほど無い。彼女たちにとって、いずれは必ず突き当たったであろう”壁”。それを取り払う初手を、よもや他所の自分が担う羽目になるとは。

だが、それと同時に、言い過ぎて嫌われてしまったのではないか、と不安がる”姉”としての自分もいるのだ。この子を叱ったことは、ほぼ皆無と言っていい。幼い頃から頭が良く聞き分けのいい優等生だったというのもあるが、私自身が”沸点”が高い人種である、という自覚もあるからだ。

どんなに温厚な人物にも必ず喜怒哀楽の感情があるし、苛立ちや憤りを覚えれば怒ったりもする。そんな中で憤怒の条件の難易は人それぞれであり、自分は中でも難しい方に該当しているはず、と思っている。そして、そういった滅多に怒らない人物が怒りの感情を顕にした時、その怖さがどれほどのものかということをつい最近、幾度か目の当たりにして、身に染みて思い知った。

白夜様(あの人)ほどではないだろうけど、少なからず怖がられたのは間違いない。この子が流していた涙の意味は”後悔”だけではなかったはずだ。私自身、他人に対してあんなに声を荒げさせた記憶は皆無に等しい。”沸点”が高ければ高いほど、やけどの可能性は高いのだから、ある意味で当然と言えるだろう。

そして二つ目。多分、これが最有力候補。自己分析は得意ではないけれど、まずこれで間違いないと思う。”嫉妬”だ。

 

「…………」

「……お姉、ちゃん?」

 

私はずっと、この子に嫉妬してきた。この子の若さと、それに不釣り合いな才能に。

何度も、何度も、この子と比べられて、その度に酷い劣等感に苛まれて、”あの子さえいなくなってしまえば”なんて考えたこともあって、そんな醜悪な自分が、何よりも嫌いだった。だから、真っ黒で粘着質な性根に、自己嫌悪という名の面の皮を幾重にも被せて、体裁を整えて、偽物の笑顔を創り上げた。

周囲の目を恐れて、只管に”泥”を隠して、一線を引いて、深い関わりをずっと避けてきた。深く関わらなければ、奥を見られないから。こんなに汚い”泥”を見られたら、きっと誰もが私を軽蔑する。”気持ち悪い””近寄るな”そんな矢尻で、私を針の筵にする。きっと、そうに決まっている。

でも、それと同時に、純粋にこの子を”心配”している自分の存在も、確かに感じてしまっている。

 

「…………」

「お姉ちゃん、どうしたの?」

 

私の顔を覗き込んで、問いかけて来る小さな瞳。真っ赤で綺麗で、何度も小兎を想像しては、癒されていた。

髪を切ったり、毎朝梳いてあげたりもした。同じ長さにしたいと伸ばしていた時期もあったけれど、結局邪魔くさいと駄々を捏ねた。

好き嫌いも酷くて、矯正するのは大変だった。放っておくと甘いものばかり食べるものだから、虫歯にならないように歯を磨く習慣は徹底して覚えさせた。

この子が生まれた時のこと、今でもはっきりと覚えている。ぷっくりとふくらんだ小さな可愛い掌で、私の指をきゅっと掴んで微笑んでくれたその瞬間を。

 

 

そうだ、あの時私は、幼心に決心したじゃないか。

 

 

―――――”この子を、守らなくちゃ”って。

 

 

「お、お姉ちゃん!?」

「っ、っ……」

 

やっとの思いで栓を抜き取れた喉の奥から、嗚咽ばかりが溢れ出す。涙腺の決壊した目尻からは途切れることなく雫が流れ落ち、視界を滲ませる。

あぁ、どうして忘れてしまっていたのだろう。近すぎる距離というものは、時に毒にしかならないようだ。だって、私はこんなにもこの子を愛おしく想うのだから。

 

「わぷっ、お、お姉ちゃ」

「ごめん、ごめんね……」

 

抱き締める。すっぽりと腕の中に収まりきってしまう、こんな小さな身体一つで、将達と軍全体との板挟みで、一体どれほどの重責を背負っていたのか。

考えてみれば、直ぐに解ることのなのに。心優しくて気の小さいこの子が、自分たちを守るために他人を蹴落とさせる、なんてことを他人にさせられるような真似が、そう簡単にできるはずがない、と。

優しさは、常に尊ばれるわけではない。時に自らを縛る鎖として、自らを蝕む毒として、心を押しつぶしてしまう。そして、気づいた時には砂粒ほどにも満たないほどに縮まらせて、他人の要望や意見を全て無条件に肯定する”仮面”を創り出してしまう。

 

「お、お姉ちゃん……?」

「ごめんね……ごめんね……」

 

この子の弱さを見られなかった、私の弱さ。

この子の脆さに気付けなかった、私の脆さ。

どうして、手を離してしまったのか。傍を離れてしまったのか。

後悔と共に漏れ出る嗚咽と謝罪の言葉に戸惑いながら、それでも心配するようにこっちを見上げるこの子を抱き締める腕を、藍里をそっと強めるのだった。

 

 

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

 

―――ごめんなさい。

 

挨拶するや否や、深々と頭を下げる劉備に、華雄は目を白黒させた。

突然の来訪だけでも驚愕に値するというのに、つい先程まで敵対していた陣営の、それも大将が何の躊躇いもなく頭を下げる。これで驚くなという方が無理というものだ。

 

「何の、積もりだ?」

「全部、北条さんたちから聞きました。私たちは、皆さんの平和を滅茶滅茶にしてしまったから」

「……で?」

 

根も葉もない噂に踊らされ、仕立て上げられた悪役をばか正直に攻撃し、挙げ句の果てに”誇り”までも穢した愚行。到底、知らなかったで済まされるようなものではない。

眉間に皺を寄せ、華雄は劉備を睨みつける。その態度に、少なからず苛立ったからだ。謝られた自分には、許す許さないの判断を下すことが出来る。だが、貴様らに殺された何十、何百という自分の部下たちは、貴様らに誇りを穢され、踏み躙られ、挙げ句の果てには命を奪われたのだ。それを、この女は言葉一つで済ませる積もりなのか。一度そう思ってしまうと、湧き上がる衝動を抑え込むのに必死にならざるを得なかった。

 

「だから、何だというのだ? 私に、許しを乞うているのか?」

 

追い立てて、追い散らして、間違ってたから”ごめんなさい”? 我々を舐めているのか、この小娘は?

金剛爆斧を持っていなくて良かった。今、手に馴染む得物があったなら、一刀のもとに切り捨ててしまっていたかもしれない。薄氷の上に立っているかのような、そんな限界ぎりぎりの状態で保てているのは、背後の北条の存在が大きい。

この男は、周囲の”負”を緩和させてしまうような、不思議な雰囲気を身に纏っている。この男の前では悪知恵や醜悪さなど、一考するのも憚られてしまうような、そんな気がする。

と、

 

「いいえ、違います」

「……何?」

 

顔を上げて劉備は首を左右に振った。そして、その瞳を見て、華雄は妙な違和感を覚えた。

そこには、確かな”火種”が点っていた。熱を帯び、力強さの溢れる視線は、単なる謝罪を繰り返す愚者の姿には、まるで見えなかった。

そして、

 

「華雄さん、お願いします。私たちを、許さないで下さい」

「……何だと?」

 

真逆の申し出に、眉間に皺を寄せながら自ずと続きを促した。

 

「私たちは、間違いを犯してしまった。私たちは絶対に、それを忘れてはいけないんです。そして、それを知っているのは当事者である、董卓軍の皆さんだけなんです」

「…………」

「私たちは、もう二度と間違っちゃいけない。皆さんのような人たちを、二度と生み出しちゃ駄目なんです。だからこそ、今回のことは深く刻み込んでおかなくちゃならない」

「……それで?」

「これは、”けじめ”なんです。私が、私たちが、この先に進むために、理想を実現させるために、必要不可欠なことなんです」

「…………それで?」

「だから、もし私たちが再び間違ったその時は、」

 

そう言って、劉備はゆっくりと歩み寄ってきた。手を伸ばせば用意に届く、その気になれば首を絞めてしまえる、それほどまでの至近距離。そして、その眼差しを逸らさず、揺らがせることもなく、彼女はこう告げた。

 

 

 

 

 

 

―――――皆さんが、私たちを倒して下さい。

 

 

 

 

 

 

「皆さんが、証人になって下さい。私たちがもう、愚かな真似を繰り返さない、そう誓ったという、証人に」

「……本気、なのだな」

「本気、です」

「それが、自己満足であることも、解っているのだな?」

「はい」

「それが我々にとって、どれほど酷い仕打ちかということも解っていて、そう言っているのだな?」

「……はい」

 

先程からずっと、華雄は劉備を真正面から睨み続けていた。恐らく、凡夫であったなら容易に失禁なり気絶なりしてしまうであろう程の、最早”予告”に近い殺意すら籠めて。

しかし、彼女は微動だにしない。腕に覚えのない上、周囲に守ってくれる味方の一人もいないのにも関わらず、自ら破滅に追い込んだ相手に対して、全く怯むことなく。

 

「……実に腹立たしい女だな」

 

ずいと踏み出して、額がぶつからん距離まで詰め寄る。殴られる覚悟も決めてきているのだろう、それでも彼女は動かない。視線も、姿勢も、何一つとして。

そして、

 

「そうまで言われてしまっては、今この場で貴様を殴ることも出来なくなってしまうだろうが……ずるい奴め」

 

そう吐き捨てて、ぐるりと大きく踵を返すと、腕を組んだまま明後日の方向を向いてしまう。もう、交わす言葉はない。そう、物語っているようだった。

ありがとう、咄嗟にそう言いそうになるのを飲み込んで、劉備は再び、深く頭を下げた。ここで感謝の言葉など、嫌味以外の何物でもない。これ以上、無為に神経を逆撫でする必要もない。

 

「これで、良かったんですか?」

「……はい」

 

白夜の問いかけに、劉備は小さく微笑んでそう返す。その言葉を聞いて、白夜は緩やかに笑みを深めた。

彼女はきっと、この誓いに背くような真似はしない。おそらく生涯を賭して、馬鹿の一つ覚えと言わんばかりに守り続けるだろう。そう、確信できたからこその、笑みだった。

 

「ありがとうございました、北条さん。貴方がいてくれなかったら、私たちはきっと今でも、間違えたままでした」

「……いいえ。私は、私のやりたいようにしただけです」

「そう、なんですよね……あはは、悔しいな」

「? 悔しい、ですか?」

「はい。私、今、とっても悔しいです」

 

どこか爽やかさすら感じさせる笑顔を浮かべて、劉備は白夜の顔を真っ直ぐに見据えた。

 

「”皆の幸せのために”って仲間を集めて、”平原の相”なんて肩書きも貰って、舞い上がっちゃってたのかもしれません……きっと、私たちは正しくあれているんだ、って」

「…………」

「でも、実際は嘘に踊らされて、何の罪もない人たちを苦しめて、仲間にも気を遣わせて、嘘まで吐いて貰ってて……情けないですよね」

 

自嘲的な言葉であるにも関わらず、表情に落ちる影は、あまり見られない。完全に吹っ切れてこそいないものの、自分の中でそれなりの決着がついている、ということなのだろう。

 

「私、貴方が羨ましいです、北条さん」

「……私が?」

「はい。頭もよくて、皆から信頼されてて……きっと、今の私に足りないものを、沢山持ってるから」

 

そう言って、劉備は白夜に近づいて、その顔を見上げる。身長差が如実に解る位置。頭一つくらい見上げなければならないその表情は、今も穏やかなままこちらに向けられていて、そんな彼に、彼女にしては珍しい、愉快とも不敵ともとれる笑顔を浮かべて告げた。

そして、それをしっかりと受け止めるように、彼もまた、居住まいを軽く正して、返した。

 

「だから、北条さん」

「はい」

「私―――」

 

 

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃんは、どうして女学院を出て行ったの……?」

 

初まりはそんな、妹の遠慮がちな質問からだったと思う。

包み隠さず、全てを打ち明けた。

苦しかったこと。悲しかったこと。悔しかったこと。辛かったこと。

傍にいたかった自分と、いたくなかった自分。

手を離したくなかった自分と、振り払いたかった自分。

醜い真っ黒な”泥”の塊を、軽蔑や失望されるのを覚悟の上で、全て。

すると、返って来たのは、意外な言葉だった。

 

「そっか……お姉ちゃんも、そうだったんだ」

 

妹の口から語られたのは、自分の想像と悉く正反対の事実だった。

ずっと自分のようになるのが憧れだったということ。

背中を追いかけ続けるのに必死だったということ。

なのに、その先々で自分に置いていかれる度に、堪らなく寂しかったということ。

 

「私たち、思いっきり擦れ違っちゃってたのね……」

 

なんと滑稽な話だろうか。

互いに互いを羨んで、妬んで、距離を詰めては突き放して。

主がいつも身につけている、時計という機械を思い出す。

長い針と短い針が、丸い盤の上で擦れ違いながら、移ろう時を示す絡繰。

まるで、私たちのようじゃないか。

 

「ごめんね、朱里」

「ううん。私も、ごめんなさい」

 

この空気が、懐かしくて、嬉しくて、大好きだった。

楽しさは持ち寄って二倍になって、悲しさは分けあって半分になる。

 

「お姉ちゃん、男の人は怖くなくなったの?」

「前よりは、ね。今でも、白夜様以外の男の人は、まだ少し怖いもの」

 

何の変哲のない他愛のない話に、大袈裟なくらい一喜一憂できてしまう。

何の代わり映えのない日々が、大仰なくらい色彩を帯びてしまう。

 

「そう。雛里ちゃんと一緒に、劉備さんに会いに行ったのね」

「うん。桃華様、初対面の私たちに、全部任せるって、そう言ってくれたの」

 

変わっていくものも、変わってしまったことも、きっと沢山あるんだろう。

でも、変わっていないものも、変わるはずのないことも、同じくらいあるはずなんだ。

 

「これからは、敵同士、だね」

「そうね……でも、手加減なんてしないわよ?」

「当たり前だよ。そんなこと、して欲しくもないよ」

 

だから、声に出して言おう。笑顔ではっきりと伝えよう。

これからは。この先は。

 

「だって、私はあの人の軍師だもの。今はまだ未熟だけど、私はあの人の目になって、手になって、力になってあげたいの」

「だって、私はあの人の軍師だから。今はまた未熟だけど、私はあの人の剣になって、盾になって、鎧になってあげたいから」

 

『だから―――』

 

 

 

 

 

 

『―――私、絶対に負けない/負けませんからね』

 

その宣告は真っ直ぐで、力強くて、それでいてとても心優しいものだった。

 

 

 

 

(続)

 

後書きです、ハイ。

 

おはこんばんちは。ニコ○コならそろそろ『うp主失踪』タグがつけられるんでないかと恐々しているゴリラ男子です。

芳しくない状態が続く体調とハードな実験スケジュールでオデノカラダハボドボドダァ!!”な日々に追われております。ここに更に就活加わるってんだから、マジど~なんだべ……あヤベ、リアルに吐き気が(ry

 

 

はてさて、いよいよ次回で長かった”反董卓連合”編、本当に終わります。

その後は怒涛の拠点シーンバーゲンセールのお時間です。今の構成だと、何人分書かねばならんのだろう……楽しみでもあり、恐ろしくもあり(笑)

本当は今回の更新で終える予定だったのですが、如何せん時間がかかりすぎるので……遅くてもなんとか今月中にはうpしよう、と思っていましたもので。

次回、いよいよあの人の○○が明らかに。

29話『椿事』後編、お楽しみに。

 

それでは、次回の更新でお会いしましょう。

でわでわノシ

 

 

 

 

 

……………………MH4、XY、GE2。金が、金が足りぬ(切実)


 
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