No.63150

バイオハザード~3. 出動 ~

暴犬さん

PS版「バイオハザード」をベースにした小説です。

2009-03-13 22:45:01 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1324   閲覧ユーザー数:1266

「――ブラヴォーチーム応答せよ! こちら、ヴィッカーズ! 応答せよ、ブラヴォーチーム!」

 

 場所はラクーン市警察署二階にある『S.T.A.R.S.』アルファチーム・オフィス。

 

 痩せた三十路半ばほどの男の声が響いていた。

 

 オフィスにいるのは四人――無線のマイクに向かって叫んでいる男、サングラスをかけた壮年、痩せた頬の青年、明るい金髪の青年だけだった。

 

 居残って書類仕事をしていたオフィスに響き渡った、ブラヴォーチームの補助パイロットからの無線。遭難者の捜索に向かったブラヴォーチームのヘリコプターを襲った突然の事故。無線は途絶え、スピーカーからは耳障りなノイズだけが流れている。ヘリコプターの位置を示す信号もモニターから消失していた。滅多なことで作動が止まることのない送信機が、である。そいつがシャットダウンするとすれば、その滅多なことが起こったということだ。全ての機能が停止するような重大な損傷を受けた場合――そう例えば、墜落のような。

 

 事故のすぐ後、コンソールのスイッチを入れたため、無線からの音は全員に聞こえている。

 

 居合わせた者たちの顔には困惑と焦燥の影が落とされていた。

 

 無線に叫んでいた男は振り返り、サングラスの男に告げた。

 

「駄目です。信号も途絶えました。最後に確認が取れたのはアークレイの南D‐5末端。おそらく――」

 

「最後まで言うな、ヴィッカーズ」

 

 サングラスの男は内心はどうあれ、落ち着いた声音でヴィッカーズの言葉を遮った。

 

 数瞬、逡巡したような間を置き、サングラスの男は矢継ぎ早に指示を飛ばした。

 

 まず、ヴィッカーズと呼ばれた男と金髪の男に向けて、

 

「ヴィッカーズ、フロスト。君達はヘリをいつでも出せるように点検し、温めておけ」

 

 ヴィッカーズとフロストが駆け足で廊下のタイルの上を行く音が遠ざかっていく。

 

 それと重なるように痩せた頬の青年に指示が送られた。

 

「ボイド、非番の連中に招集をかけろ。終わったら装備をヘリに積み込む作業に移れ。私は署長に出動許可を得てくる。急げ」

 

 

 ジル・ヴァレンタインは愛車のアクセルを目一杯踏み込んだ。

 

 自宅に響いた緊急招集の連絡。

 

 仲間を乗せたヘリコプターが消失。最悪の事態も考えられるということ。

 

 人通りが少ないことも手伝って、ジルは猛スピードで警察署を目指した。夜も更けているということもあるだろうが、何よりも街を襲った連続殺人が夜における人の出入りを少なくしていた。

 

 被害者は十名を越えている。その中にはジルの顔見知りもいた。近所に住む女子高校生で、しばしば一緒に遊ぶ仲であった。この街に着て間もない彼女にとって数少ない友人の一人だ。彼女は友人と行ったキャンプ場で行方不明になり、無残な姿で発見された。

 

 彼女の死を知った時の虚無感は胸に残り続けている。たとえ事件が解決したとしても、生涯消えないだろう。

 

 事件に私情を挟むことは危険であることは知っていても、そうそう実行できるものではない。

 

 警察署の駐車場に入った。勢いを完全に殺せず、隣に駐車してあった車に接触して止まった。

 

 ジルは髪を纏めていたバレッタを外しながら署に駆け込んだ。

 

 長い黒髪がひんやりとした夜風に靡いていくのを感じる。

 

 正面ドアをくぐると階段に走っていく男の背中が見えた。

 

「クリス!」

 

 ジルの呼び声に男は立ち止まり、肩越しに振り向いた。

 

 同僚のクリス・レッドフィールドだ。頭をクルーカットにした青年である。彼は空軍に所属していたそうだが、何の因果か、今はこの小さな街の警察官だ。

 

 ジルとクリスは階段を駆け上がり、『S.T.A.R.S.』オフィスのある二階へと出た。

 

「よう」

 

 エレベーターの前で同僚の中年の男が出迎えた。

 

 バリー・バートン――元々この街の警官で、かつてジルの教官でもあった。

 

 髪の毛の量とは対照的に口髭と顎鬚をたっぷりと蓄えている。

 

「バリー、あんたまで呼ばれたのか?」

 

「まあ、いろいろあってな」

 

 クリスにバリーは肩をすくめて答える。

 

「話は後だ。クリス、俺と保管庫から武器をヘリに運ぶのを手伝ってくれ。ジル、ジョセフとジェームズがロッカールームから全員の装備を運んでいる。手伝ってやれ」

 

 開いたエレベーターにクリスとバリーは入り込んだのを見て、ジルはロッカールームへと向かった。

 

 

 バリーとクリスは武器と救命用具を抱え、エレベーターに戻った。

 

「ジョーとフランクが……駄目でなあ」

 

「は?」

 

 バリーの、単なる呟きとも取れる言葉にクリスは間の抜けた返事をした。

 

「俺がここにいる理由さ。ジョーとフランクに連絡が取れないんだそうだ。奴等、警官っつー自覚があるのかね?」

 

 嘆息が聞こえる。バリーは『S.T.A.R.S.』ではあるが、現在はアルファ、ブラヴォーのどのチームにも属していない。最近行った隊の再編成の際にバリーとブラッド・ヴィッカーズは新人養成の専任教官となることを申し出た。

 

 二人とも『S.T.A.R.S.』発足前にR.P.D.に存在した部隊『S.R.U.(特別対応班)』のメンバーである。だが、三年前に部隊は解散している。詳しいことはバリーを始めとした現職の元『S.R.U.』メンバーの口が重いために知らないが、救出任務で大量の死者を出したことが原因らしい。

 

 エレベーターが屋上へと着いたと、間の抜けた電子音で告げた。

 

バリーは広い肩を縮めて狭い扉をくぐり、続いてクリスも銃器の入ったバックを持ち直し、屋上へと出た。

 

 屋上ではヘリコプターの主翼が巻き起こす風がコンクリートの上を吹き荒れていた。巻き起こる土ぼこりに、クリスは目を細めた。

 

 隊長のウェスカーは既に搭乗しており、クリスとバリーを見ると軽く頷いた。

 

 クリスとバリーは小走りにヘリコプターへと向かった。

 

「ブラッド、ヘリの調子はどうだ?」

 

 武器の入ったケースを動かないようにベルトで固定しながらクリスは聞いた。救助に向かう自分たちまでも事故に遭ったら笑い話にもならない。

 

「問題ない。だが――」

 

 ブラッドの声は、自らの不安を抑えきれない響きがあった。

 

「操縦そのものが久々だからな。クリス、悪いが副操縦士に入ってくれ」

 

「了解」

 

 アルファチームでヘリコプターの操縦資格を持っているのはクリスとジョーだけだ。ブラッドは一線から退いてから二月ほどで、そう腕や勝手が狂っているはずはない。しかし、本人はそうは思っていないようだった。

 

 ブラッドの実力自体はバリーやエンリコといった熟練連中にこそ劣るものの、一流の腕前だ。勿論パイロットとしても優秀である。クリスが入隊した時にそれは何度も感じた。だが、彼は不測の事態に陥った時、綻びが目立ち始める傾向があった。自己判断での対処に迷いが生じるのだ。一刻一秒を争う場合、それは致命的だ。自分の判断に対して自信を失っているらしい。恐慌状態にも陥りやすいため、精神安定剤を服用していることも本人から聞いた。

 

 お陰で口の悪いジョセフに「臆病ブラッド(チキンハート)」という不名誉なあだ名すらつけられていた。

 

 もっとも今回はパイロットだ。超級の巨大竜巻が発生でもしない限り、不測の事態というやつに遭遇しないだろう。

 

 クリスは操縦席に座りながら、そう納得させた。そして、残りのメンバーの到着を待った。

 

 

 ジルがロッカールームに入ると、ジョセフがロッカーの扉と悪戦苦闘していた。悪態を吐きながら。その横でジルに気付いたジェームズが目礼した。

 

 どうやら鍵が開かないらしい。

 

 ロッカーはクリスのものだった。

 

「ジョセフ、代わるからどいて」

 

 わき目も振らず扉に集中していたジョセフは少し驚いた顔をした。

 

 ジルは細い金属棒を二本取り出すと、それらを鍵穴に入れ、動かした。乾いた音と共に開錠される。

 

「毎回思うんだが……本当に、漏れなく鎖でつながった腕輪のアクセサリーが貰える様なことしたことないんだろうな?」

 

 こんな時でもジョセフは十八番の軽口を叩いた。が、どこか元気がない。

 

 それに笑みだけ返して、ジルは扉を開けた。

 

 ロッカーの中はゴミ箱のような印象だった。

 

 そこから、クリスのアーマーベストなどを取り出した。

 

 次にジルは女性用のロッカールームから自分の装備を取り出して、ジョセフらの元に戻った。

 

 装備のチェックをしている傍ら、ジルは横目でジョセフの顔に焦りと不安が滲み出ているのを見て取った。

 

 ブラヴォーチームが出動の際、彼等が使うヘリコプターを点検したのはジョセフとブラッドのはずだ。

 

 自分たちが万全と太鼓判を押して送り出した機体にトラブルが起きたのだ。最悪の事態も考えられることも考慮に入れれば、気が気でないのは容易に想像できる。今、ジョセフの頭の中では凄まじい速さで今日の点検のひとつひとつの記憶が何度も繰り返されているのかもしれない。

 

 ジョセフは精神的にムラが強く回復するのにも時間がかかる。そして今のコンディションは非常に良くない。

 

「レベッカが心配?」

 

 だから、ジルは敢えて、外れたことを言った。

 

「……? そりゃあな。いや、ブラヴォーの連中全員だが」

 

「惚けなくていいわよ。あんたがあの娘にバンダナがあげている所、見てたから」

 

「……どこに目があるか分かったもんじゃねえな。そういう、おまえさんはどうなんだ?」

 

 ジョセフの表情に小さな笑みが浮んだ。ジルは笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。

 

「先輩もレベッカに目つけてたんですか!?」

 

 点検し終わった装備を抱えようとしたジェームズが素っ頓狂な声を上げる。

 

「『も』って他にもいるのか?」

 

 ジョセフの言葉に、ジェームズが詰まった表情を見せる。

 

 その様子を見て、意地の悪い笑みがジョセフの口元に刻まれる。彼はジェームズの首に軽く腕を回し、

 

「俺ぁただ、うざったい前髪抑えろってやっただけだよ。俺にはアマンダが居るしなあ。なあに、今回おまえが彼女の白馬の騎士やってやりゃあ、好印象間違いなし。恋路の邪魔はしねえ。むしろ応援してやる」

 

 そうまくしたて、最後にジェームズの肩をバシバシと叩いた。

 

 多少、彼の気を散らすことが出来たらしい。

 

 慌てた調子でジェームズが弁解する。

 

「違いますよ! なんでそんなに嬉しそうなんスか!?」

 

「はいはいストップそこまでよ。皆が待ってる。急ぐわよ」

 

 装備をそれぞれ抱え、屋上へと向かう。

 

 下りてきたエレベーターに乗り込み、ジルは階層の表示が屋上へと近づいていくのを苛々と見つめる。

 

 屋上に着くと、既にヘリコプターにはジルら三人を除く全員が乗り込んでいた。

 

 装備を積み込み、三人が乗り込んだとき、ウェスカーから制止の声がかかった。

 

「ボイド。君は署に残れ。二人への連絡をどうにかしてつけろ。それと……ロイ・ホウナーを呼び出せ。我々が出払っている間は彼の指示に従え」

 

 ジェームズの顔に不満の色が覗いたが、了解しヘリコプターから降りた。

 

 敬礼して見送るジェームズを残し、ヘリは離陸した。

 

 ジルとジョセフで、それぞれに装備を渡していく。受け取った仲間達は黙々と装備を身に付けていった。

 

 身支度を整えた時、景色は都市部から深い森に変わっていた。

 

 重苦しい空気が機内を支配する。

 

 ジョセフはバンダナを頭に巻きつけ、膝の上を忙しなく指で叩いている。バリーはブーツの紐を何度も縛り直していた。

 

 ウェスカーは腕を組み、外を眺めている。

 

 ジルはベストの上にショルダーパッドを固定し、ベレー帽に長い髪を押し込んで被った。

 

 ヘリコプターのローター音だけが機内に響いている。

 

「ブラヴォーチームはどこで消息を絶ったんです?」

 

 重苦しい空気に耐えられず、ジルは口火を切った。室内灯が仄かに照らす機内に、声は思いのほか反響した。

 

「アークレイの南側だそうだ。信号の途絶えた位置も大体分かっている」

 

 ジルの問いは隊長のウェスカーに向けたものだったが、応えたのは副操縦士席に座っているクリスだった。

 

「そう」

 

 その後にどう続けていいか分からず、ジルは黙った。

 

 ――彼等のヘリはどうなったのか?

 

一番知りたい疑問は口に出そうにも出せなかった。それに今議論しても仕様の無いことだ。

 

 また静寂が戻った。

 

 しばらくして、ブラッドが告げた。

 

「隊長、そろそろポイントです」

 

 機体の高度が下がり、ライトが森の木々を照らし出す。

 

 黒々とした森がどこまでも広がっている。

 

 キャビンから外を見ながら、ジルは最悪の事態を考えた。

 

 もし墜落していたら、全員の命は絶望的ではないか。いや、高度はどうだったのか。だが、たとえ低くても墜落の仕方によれば……

 

 どうしても悪い方悪い方へと思考が傾いてしまう。

 

 ジルは、不安から来る恐ろしい妄想を振り払い、窓の外の如何なる変化も見逃すまいと意識を集中させた。

 

 木々が眼下を通り過ぎ、その隙間の闇に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

 

 この森で全てが起こっているのだ。この森が、あの娘の命を奪った殺人鬼を徘徊させ、今、自分の仲間たちまでも呑み込もうしている。

 

 広がる夜の緞帳。その中に、異なる色が目に映る。

 

 あれは……

 

「隊長!」

 

 ジルは思わず叫んでいた。

 

 仲間達が同じものを見、そして絶望的な呻き声を上げた。

 

 それは延々と立ち昇る煙だった。どす黒い河が、夜の帳を舐めている。

 

 ヘリコプターが墜落し、漏れた油が炎上しているとしか考えられなかった。

 

 狼煙のつもりなら照明弾を使えば良い。それに、木はあのような煙は出さない。

 

 ブラッドも見定めたのか、煙の昇る方向へと機首を向けた。

 

「ヴィッカーズ。着陸できるスペースを見つけ次第、我々を下ろせ。そのまま君は待機していろ」

 

 ブラッドに指示をしたウェスカーは次にジルたちの方を向いた。

 

「全員、窓から目を放せ。例の殺人鬼と遭遇する可能性も有る。全員武装し、陣形を組んで行動しろ。レッドフィールド、君が先頭に立て」

 

 多少の間――操縦席でクリスが了承したらしかった。

 

「質問はあるか?」

 

 誰も口を開かなかった。

 

 ジルの意識は既に黒煙を挙げている光景に注がれていた。

 

「武装は最低限だ。残りの装備は、後で取りに戻る。ヴァレンタイン、君は応急処置が出来るだけの医療用具は持っていけ」

 

ヘリはゆっくりと降下していく。風圧により、丈の高い草が放射状に波立つ。

 

ヘリコプターは着陸した。クリスは即座に操縦席からキャビンへと移動し、手早くアーマーベスト等の装備を身につけていた。

 

 一方、バリーは武器の入ったケースを開け、四人分の拳銃を取り出した。

 

 イタリア・ベレッタ社の拳銃M92Fだ。九ミリパラベラム弾が十五発装填できるセミオートマチック式拳銃である。八十年代後半に陸軍で公式採用されている品であり、『S.T.A.R.S.』でも支給されていた。

 

 バリーは、それに三本のマガジンを添えて渡していく。ジルはそれを受け取りながら、少々の不安を覚えた。念に念を推すならば二丁下げて行きたい所だが、今は事故の状況把握が優先だ。そう、自分を納得させる。マガジンには、弾頭が窪んだジャケッテッド・ホローポイント弾が充填されている。威力に心許ないベレッタを多少なりとも補完する意味を持った、貫通力よりもマンストッピング・パワーに優れた銃弾である。しかし、やはり威力不足は否めず、ベレッタに変わる新たな公式拳銃が検討されていた。『S.T.A.R.S.』の任務では、ファイア・パワーよりもマンストッピング・パワーの方が重要視されるからだ。

 

「旦那、連中の始末書の手伝いを考えると憂鬱だな」

 

 遊底を引き、初弾を薬室に込めながらジョセフがバリーに言った。

 

「ああ、そうだな」

 

 バリーが笑ったのが見えた。ジョセフの言葉は全員が生きていることを示唆する言葉だ。最も理想的な状況だと、ジルは思った。

 

 バリーはベレッタではなく、年季の入ったコルト・パイソンをホルスターに仕舞った。三五七マグナム弾の方が、威力が上だからだ。それにバリーはリボルバーに執着していた。映画の刑事よろしく44マグナムを愛用するほど奇妙なものではないが、彼がベテランであることを考えれば妙な拘りだ。前に一度、その理由をジルは聞いたことがあった。だが、バリーは言葉を濁すだけで答えてはくれなかった。

 

 クリスとジョセフは拳銃の他に、ショットガンを携えた。『S.T.A.R.S.』で公式採用したベネリ社のM4S90である。セミオートマチック式の銃で、ウィーバーマウントレールにライトを二人は装着した。

 

 ジルはバックパックに医療品を詰めた。

 

 ウェスカーは全員の準備が完了したのを確認し、表に出ることを指示した。

 

 外に降りた途端、草の臭いが鼻腔に広がった。

 

 ヘリを残し、ジル達はクリスを中心とし、扇状に広がって進んだ。クリスの両脇にジョセフとバリー。そして、それぞれの横にウェスカーとジルが並んだ。

 

 辺りには、青臭い匂いに混じって油の燃える異臭が微かに漂ってきた。上空から見た煙の様子から見ると、炎上自体はそれほど酷くはないはずだ。

 

 左手に持ったライトで辺りを照らしながら、ジルは違和感を覚えた。だが、その違和感の正体を突き止める前に、クリスの声が思考を遮った。

 

「こっちだ!」

 

 クリスの声に全員が続いた。

 

 ジルは早まる呼吸を抑えながら、クリスのライトを追った。

 

 そこは、少々開けた場所だった。丁度木々が途絶えた場所にブラヴォーチームのヘリコプターはあった。

 

 主回転翼ハブから上がる煙を除けば、機体はほぼ無傷といえた。近寄っていくと油と混じって、草木とは違う生臭い匂いが鼻腔をくすぐるように感じた。

 

「レッドフィールド、フロスト、調べろ」

 

 破損した後部ローターをジョセフが点検し始めたのを、ジルはどこか、惚けたように眺めた。キャビンは原形を保っており、うまく不時着できたことを物語っていた。最悪の事態は免れたわけだ。しかし――、

 

「連中はどこに行っちまったんだ?」

 

 バリーが呆然とした声音が横で聞こえた。

 

 キャビンに入っていたクリスが出てきて首を捻っているのが見えた。

 

 ジルの視線に気付いたのか、クリスは彼女に向かって頭を振った。

 

「どうだ?」

 

「装備はほとんど持ち出されています。しかし、中には派手な血痕もありませんでしたし、重傷を負った者はいないように思えます。ただ、通信機器は駄目ですね。修理しようとした痕跡はありましたが」

 

 クリスのウェスカーへの報告を聞きながらジルは引っ掛かりを感じた。

 

 ――修理しようとした?つまり、不時着時、ここから迅速に離れねばならない状況ではなかったということだ。しかも、救出される絶好の機会となるこの場に現在いないというのは何故?

 

 横を見ると、バリーも眉を顰めながら、忙しなく顎鬚を撫でていた。

 

「おい、こっちに来てくれ!」

 

 ヘリの裏手からジョセフの上ずった声が聞こえた。クリスがすぐさま反応し、ジョセフの元へと駆けていった。

 

 ジルも後を追う形でジョセフの元へ向かうと、そこには先ほど感じた生臭い臭いが強くなっていた。

 

 ジョセフは何を見つけたのか。

 

 不安が鼓動を激しくさせる。

 

 ジョセフのライトが照らし出していたのは、ヘリコプターの胴体部分だった。胴体部分が赤く染まっている。血痕だった。それも大量の。

 

 足元の方もクリスのライトが照らし、同様に血と赤黒い塊が散らばっていた。それが人体の一部だと気付き、ジルは吐き気を覚えた。

 

 あの生臭さの正体は血臭だったのだ。

 

 胴体には、血で染まった手形があった。苦痛から逃れようと、鉄の塊にまで救いを求めたのか、五指の跡までもがはっきり残っている。

 

 バリーが屈みこみ、血で濡れた草の中から何かを拾い上げた。

 

 それは血に塗れた銀製のロケットだった。

 

 バリーがロケットを開いた。覗くと、そこには幸せそうに笑った女性と赤ん坊の写真があった。

 

 悲痛なうめきが聞こえた。バリーからだ。

 

「ケビンのカミさんと、息子だ」

 

 搾り出すようなバリーの声音。

 

 ――ではこの血はケビン・ドゥーリーのものなのか。この肉片も……

 

バリーは手で血を拭うと、それを大切に懐へ仕舞った。

 

「今、悲しみに暮れる場合ではない。私はヘリをもう少し調べてみる。各々、ここ周辺を調べてくれ。薬莢など、戦闘の痕跡らしきものに注意しろ」

 

「一旦、ヘリに戻った方がいいのでは?」

 

「いや、時間がない。ドゥーリーとて死んだとは言い切れない。他のメンバーも、こちらに出て来られないだけかもしれない。重傷で、な。もう十五分ほど探索し、それから戻る」

 

「了解」

 

 ウェスカーの指示に、クリスとバリーは東側、ジルとジョセフは西側の探索を始めた。

 

 草木を分け、ライトで照らし、仲間の名を呼びながらジルは自問していた。

 

 ――一体どういうこと?

 

 ケビンは何に襲われ、命を落としたというのか。

 

 幾つもの疑問が胸に浮かんで来る。

 

 彼は墜落による死亡ではない。確実に何者かに襲われたのだ。死体は、この場で解体されたか……いや、この場で解体するメリットはない。大体、解体なんて死体の身元を撹乱させるためのものでしかない。

 

 まず、状況整理だ。ケビンを襲ったのは何者か。例の喰人鬼か。

 

 ――ありえない。

 

 そう自答する。大体、殺人鬼と言われる連中は自分よりも弱者に当たるものしか襲わない。また、絶対的有利が約束された場合以外でその凶暴性も発揮されない。言うなれば馬上で兎狩りを楽しむような感覚なのだろう。自分が狩られる立場になることを考えない臆病者だ。

 

 そんな奴に、ケビンが負けるだろうか。ケビンは古株で、実戦経験も豊富な人物だった。湖のキャンプ場を徘徊する不死身の化け物やチェーン・ソーを振り回すような殺人鬼なら不覚を取ることもあるかもしれないが、現実にそんな奴はいない。

 

 仮に不意打ちだったとしよう。だが、周りにはチームの仲間がいたはずだ。食人鬼が複数だったとして、全員がやられてしまうなんてことはありえない。偶々、ケビンの傍にいなかったとして、ヘリコプターからそう遠くへ離れたりはしないだろう。銃声や声で駆けつけるはずだ。

 

 結論は、彼らが対応できない何かに襲われたということだ。

 

「ジル。足、止まってるぞ。どうした?」

 

 声に驚いて顔を上げると、ジョセフが心配そうにジルを見ていた。

 

「……なんでもない」

 

 そう答えたが、伝わったかどうか。酷く口が渇いていた。苦労して、唾液で舌を湿らせる。

 

「ならいいけどよ」

 

 ジョセフは探索に戻っていったが、突然彼は立ち止まった。

 

「この辺ってコヨーテとかいたかな?」

 

「……聞いたことないけど。第一、彼らは草原が住処でしょう。どうして?」

 

「いや、遠吠えが聞こえたような気がしたからさ」

 

「わたしは聞こえなかったけど。たぶん迷い犬じゃない?」

 

 ジルは耳を済ませてみたが、聞こえるのは木の葉が掠れあう音、そして仲間達の声だけだった。

 

 そして、ようやく先ほどからの違和感の正体に気付いた。

 

 静か過ぎるのだ。夏だというのに、虫の声一つしない。森に生命の息吹を感じられないのだ。

 

 死の森。

 

 そんな単語が頭をよぎる。

 

 遠くで幾つもの遠吠えが聞こえた。

 

「ほらな」

 

 耳良いだろ?とでも言うように、ジョセフが自分の耳たぶを引っ張った。

 

「コヨーテじゃないわよ。彼らは群れないから」

 

 ジルはそうとだけ答えた。鼓動が今までよりも早い。言い知れぬ闇が背後まで迫っているように感じられる。

 

 ジルは探索を開始したジョセフの背中を見送った。

 

 鼓舞させるように深く息を吸った。

 

 ふと気配を感じ、ライトで周囲を照らした。

 

 目に付くような変化はない。

 

 方向を変えると、数人の人間が踏みつけた跡が草の上に残っていた。新しいものだ。

 

 ジョセフを呼ぼうとした時、逆にジョセフが声を上げた。

 

「ジル!」

 

 走っていくと、ジョセフが沈痛な面差しで何かを拾い上げていた。

 

 それは拳銃だった。『S.T.A.R.S.』で使用しているベレッタM92F―― 銃を凝視したジルは目を見開いた。

 

 ジョセフが拾い上げたのは拳銃だけではなかったのだ。

 

まだ温もりすら残っていそうな、銃把を握り締めたまま切断された血塗れの手首。

 

「酷え傷口だ。食い千切られたってとこかな」

 

 ジョセフは顔を顰めた。

 

 また、遠吠えが聞こえた。さっきよりも近いようだった。

 

「誰だか…分かる?」

 

 ジルは自分の声が恐々としているのを恥じた。

 

「さあな。だが、デカイ白人の手だ。多分、マリーニ隊長かエドだろう。ブラヴォーの誰かならな」

 

「……ヘリに戻るよう、隊長に進言してくる。絶対に装備を整えたほうが良い」

 

 ジルの言葉にジョセフは強く頷いた。

 

「まかせた。俺はこの周辺を探索しておく」

 

 ジョセフは、手早く銃を手首ごと布で包むとバックパックに仕舞った。

 

「了解。異変を感じたらすぐに来なさいよ」

 

「シュア、マム」

 

 おどけた口調でジョセフが返した。気遣われていることを感じ、情けない顔を隠すようにジルはジョセフに背を向けた。

 

 だが、直感がジルにヘリに戻った方が良いと警笛を鳴らせていた。それも一刻も早く。

 

 逸る気持ちを抑え、ウェスカーの元へ足を運ぼうとした。その時、何かが草を掻き分けてくるような気配を感じた。それも複数。

 

 後ろを振り向け!

 

 内部から突き上げる声のままに、ジルは振り返った。

 

 ジョセフが仲間の名を呼びながら捜索している所からさらに奥――木立の向こうから黒い物体が飛び出してくるが見えた。ジョセフに向かって――

 

「ジョセフ!」

 

 叫ぶのがやっとだった。

 

 黒い物体はジョセフに体当たりを喰らわせた。

 

 ジョセフは苦鳴を挙げ、ショットガンを取り落とした。

 

 間髪置かず、ジョセフの悲鳴が響いた。

 

 体当たりを喰らわせた奴がジョセフの太腿に喰らい付いているのだ。黒い塊が動くたびに悲鳴と、黒い体液が飛び散る。

 

 噛み付いている奴は犬に見えた。だが、全体的に赤黒いし、表面がぬめりとした気持ち悪い光沢を放っている。

 

 ジルはすぐさま、その犬に向かって発砲した。二回引き金を引き、犬に全発命中した。犬はか細く泣き、ジョセフから弾かれる様にして離れた。

 

 それで終わったはずだった。

 

 だが――

 

 死んだはずの犬は飛び起きると、立ち上がろうとしたジョセフに再度襲い掛かった。

 

 しかも、暗闇から同様の姿をした犬が次々とジョセフに襲い掛かっていく。肉を食い千切られる嫌な音。荒い息遣い。

 

 ジョセフが絶叫した。だが、血が喉に詰まったのか、声は不明瞭なものに変わっていた。

 

 その絶叫と重なり、何発もの銃声が響いた。

 

 ジルは悪寒が身体を駆け抜けていくのを感じた。

 

 ジョセフの悲鳴はもう聞こえなくなっていた。

 

 カチッカチッと乾いた音が手元から聞こえる。

 

 全弾撃ち尽くした拳銃からだ。

 

 そうだ。全弾撃ち尽くしたのだ。

 

 ホローポイント弾は殺傷を目的とした銃弾だ。一発でもくらえば、犬など即死だ。

 

 ――なのに……なんでこいつらは死なないの?

 

 マガジンを交換しなければ。

 

 そう、頭の中で叫ぶ。

 

 だが、身体が動かない。ただ弾の出ない拳銃の引き金を、阿呆のように引き続けるだけ。

 

 犬達が唸り声を上げながらジルの方へ鼻面を向けた。

 

 もっと餌が欲しいらしい。奴等が餌の動向を凝視しているのを感じる。

 

 逃げなくてはならないのに、足が地に吸い付いたように離れない。

 

 既に犬達は駆け出していた。ジルの方へ。

 

 先頭の一頭が飛び上がり、ジルの顔面で顎を大きく開いたのが見えた。

 

 

 ――断末魔もあげず、犬は散弾をくらって吹き飛んだ。

 

 クリスはもう一発、犬の群れに放った。

 

 放射状に広がる弾丸を受け、犬たちが体勢を崩す。

 

「走れ! 死にたいのか!?」

 

 クリスの声に弾かれるようにしてジルはヘリコプターが墜落した方に走り出した。

 

 クリスの目に無残に食荒らされたジョセフの姿が見えた。

 

 怒りが全身を覆う。目の前が赤く染まったような錯覚を覚えた。

 

 クリスはショットガンの引き金を引いた。犬の悲鳴が幾つも重なる。

 

 だが、動きを止めたものはいない。

 

 その状況に困惑したが、考えている暇はない。

 

 クリスはジルの跡を追って駆け出した。

 

 犬の荒い息が背後に迫ってくるのが分かる。

 

 クリスは振り返り、引き金を引いた。

 

 だが、一頭撃ち損じた。

 

 そいつはクリスに向かって跳び上がっていたのだ。

 

 クリスに出来たのは、急所を左腕で覆い隠すことだけだった。

 

 衝撃と激痛を覚悟し、歯を食いしばった。

 

 だが、犬がクリスの腕に噛み付くことはなかった。

 

 銃声と苦鳴は同時。

 

「レッドフィールド、行け!」

 

 ウェスカーが拳銃を構え叫んだ。

 

 ウェスカーはさらに二三度発砲し、駆けた。

 

 間隙をバリーの銃声が埋める。

 

 ウェスカーが射線から外れるのを待って、クリスも引き金を引いた。攻撃範囲の広い武器を持つ自分が殿(しんがり)を務めるべきだ。

 

「ヘリに退却! ヴィッカーズ! 緊急事態だ!」

 

 ウェスカーが通信機に叫ぶ。

 

 クリスはもう一度引き金を引いた。

 

 散弾が犬たちをなぎ倒す。

 

 クリスは舌打ちした。

 

 さっきよりも数が増えている。

 

 その一方でようやく動かなくなったものもいる。

 

 だが、ショットガンは弾切れだ。

 

 弾を詰め替える間バリーが援護射撃に回るが、走りながらの再装填はとんでもなく難航な代物だった。

 

 クリスは毒づき、ショットガンを抱え、ホルスターから拳銃を抜いた。

 

 立て続けに発砲。

 

 銃声の数だけ、犬が倒れる。

 

 動悸が激しく心も乱れているが、銃の腕には影響していない。

 

 先頭を走っていたジルが振り返り、発砲。

 

 その間にクリスとバリーは全力で走った。

 

 そのときだ。上空からヘリコプターのけたたましいハム音が響いた。

 

 ブラッドが助けに来てくれたのか。

 

 クリスは上空を見上げた。機体は狂ったように蛇行し、機体を振り回していた。何かを振り落とそうとしているかのように。

 

 

 と、上空から降ってきた黒い塊が地面に激突した。見なくても判った。あの犬だ。ブラッドも襲われたのだ。

 

 ヘリコプターはまだ狂ったような軌道を描きながら遠ざかっていった。おそらくブラッドは恐慌状態に陥っているに違いない。ブラッドの立場であれば、自分はそうならなかったとは否定できない。だが、これでここから脱出する手立てを失ってしまった。

 

 クリスは絶望感に打ちひがれたが、足を止めることは出来なかった。

 

「こっちだ!」

 

 ウェスカーが叫び、左手側を指差した。

 

 ここではぐれたら最期だ。

 

 クリスはウェスカーの指差す方へ足を走らせた。

 

 森の地面は走るのに適したものではない。木の根が顔を見せ、柔らかい腐葉土が踏み場を惑わす。

 

 ――だが、転びでもしたら……

 

 クリスの脳裏にジョセフの姿が焼き付いていた。

 

 ウェスカーの銃声が途絶える。弾が切れたのだ。

 

 クリスはウェスカーがマガジンを交換し終わるまで援護に回った。

 

 クリスのマガジンが空になった時、ウェスカーが発砲を開始していた。

 

 そして、走る。

 

 犬の足に人間は敵わない。だが、勝たなくてはならない。

 

 前方の枝葉の間から、大きな建造物が見えた。

 

 古びた洋館だ。黒い木々の間から表れた巨大な姿は心臓を鷲掴みにするような威圧感を放っていた。

 

 生き延びるには、あそこに一旦入るしかない。

 

 入り口が見えた。

 

 鍵がかかっていれば万事休すだ。

 

 最初に辿り着いたジルが扉を身体ごと押した。そこにバリーも加わる。扉は来訪者を迎える大口をゆっくりと開けた。

 

 先に入ったジルが犬達に発砲して牽制している間にクリスらは屋敷に転がり込んだ。そして屋敷の重々しい戸を、バリーとクリスは力いっぱい押す。

 

 犬の一頭が飛び込む寸前、扉は鈍い音と共に口を閉じた。

 

 扉の外から怒りの咆え声とカリカリと扉を引っかく音がする。犬達が扉の前で無駄な努力をしているらしい。

 

 大人二人でやっと閉まった扉だ。犬の体当たりで開けられることはないだろう。

 

 念のためクリスは扉にあった錠前を横にずらした。

 

 クリスは扉に寄りかかり、へたり込んだ。

 

 銅鑼の様に収縮を繰り返す心臓が痛い。肺が酸素を求めて軋み、喘いだ。

 

 とにかく、自分たちは最悪の事態から逃げ果せることが出来たのだ。

 


 
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