No.613209

魏エンドアフター~蒼キ牙、白キ刃~

かにぱんさん

大変更新が滞っておりました、申し訳ありません。

2013-08-27 23:07:11 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:13197   閲覧ユーザー数:8055

短く、端的な名乗り。

しかしその場にいた誰もが彼女の姿に恐れを抱き、慄き、そして惹かれた。

両の腕に蒼炎を纏い、鋭い視線で刺すように睨みを効かせ、将軍各以外の兵が下手な動きを見せぬように牽制する。

桜炎から伝った”炎”は、既に桃香や愛紗の姿を遮り、凪の後ろには”蒼い壁”があるだけになった。

自分一人と、仲間達を隔てる蒼炎。

それはまるで彼女が言葉にした、凪と一刀”二人だけ”の反乱というものを如実に表しているように思えた。

そしてそれは言葉にせずとも、自分一人でお前たちを蹴散らしてやるぞという獅子の闘争を感じさせた。

この状況で、劉備軍が深く関わっているこの戦況で、今更己と主だけの反乱などという言い分は只の戯言にすぎない。

ましてやそれで、暗に劉備軍には手を出すなという意思も見える。

こんな子供の理屈はない。

だというのに。

眼の前に居る彼女を見ていると、そんな馬鹿げた理屈でさえ、無視出来ない程に深く受け止めてしまう。

そしてこのまま、目の前に居る者と戦闘を始めれば自軍がどうなってしまうのかという事が容易に思い浮かぶ。

自軍だけで済めばまだいいほうだ。

この場にいる孫策、そして後方にいる袁紹、袁術。

彼女をここで仕留める事ができたとしても、再起不能なまでに、連合軍は間違いなく壊滅に追いやられるだろう。

こんな非現実的な事を考えてしまう自分を、曹操は己の胸の中で笑い飛ばした。

連合軍を一人で相手にして、そんな事がありえるはずがないと思うのに、

彼女を見ていると、”そうなってしまう”未来しか想像が出来ないのだから。

 

想定外であり、こんな馬鹿げた状況というものがまさか自分に降りかかるとは思っていなかった曹操と孫策は少なからず混乱した。

常識で考えれば、このまま突撃を掛ければ呆気無く事は終わり、”董卓の頸”という、この戦の目的を達成出来るだろう。

しかし目の前にあるのは間違いなく”非”常識だ。

むしろ、このまま引けば手は出さぬという、こちらが相手に譲歩されている状況にさえ思える。

 

「……私が相手をしよう」

 

何をどうすればいいかという考えを巡らせていると、目の前の獅子に挑む声が上がった。

 

「この夏侯元譲、目の前の脅威に挑まずして背を向けるなど、我が誇りを捨てるも同じ」

 

「……春蘭、やめなさい。命令よ」

 

「……華琳様、申し訳ありません。

 私は、生まれて初めて、貴方の命令に背きます」

 

「春蘭!!」

 

蒼炎を纏う獅子の前に進み、得物を抜き、

 

「私の武がどこまで通用するか、試させてもらう」

 

魏武の大剣はそういったのだ。

その彼女らしからぬ言動に、曹操達は大いに狼狽えた。

たとえ一対千だったとしても、必ず勝って帰ってくるという意気込みを忘れぬ夏侯惇が、

一対一というこの状況で、勝利というものを微塵も考えずに、まるで、最初から負けることが前提にされているような言葉を口にしたのだから。

夏侯惇本人も、無意識のうちに出た言葉なのかもしれない。

生身の人間が何の武器も持たずに猛獣を相手にするような感覚を覚えた。

 

一度敵の前に出てしまえば、そこからすごすごと自陣に逃げ帰ることなど出来ない。

それが解っている曹操は、苦渋の表情を浮かべ、夏侯淵は弓と矢を手に取りいつでも姉を援護する体制を整えている。

その様子をじっと見ている孫策陣営。

名乗りを上げた夏侯惇に対し、敬意を払うと同時にその無鉄砲さを心の中で非難した。

相手の力量が解らぬ程莫迦ではあるまいし、己の誇りのためとは言えこれでは犬死にも同然だ。

しかし、その気持ちが理解出来ない訳ではない。

純粋に、強い者と戦ってみたいという気持ちは大いに理解できる。

しかしそれが出来ないのは、彼女の”王”という立場と孫呉の再興というものが彼女自身を縛り付けているからと言えるだろう。

 

対峙した二人を囲み、誰もがこれから先に広がる光景を息を呑んで待つ。

 

「───カァッ!!」

 

先に動いたのは夏侯惇だった。

己を鼓舞するかのように短い雄叫びを上げ突進する。

夏侯惇は長物、凪は無手という得物の相性から、間合いは夏侯惇のほうが格段に広い。

一直線に突進し、夏侯惇が己の間合いに入り得物を横薙ぎにしようと振りかぶった瞬間、

 

 

ズドンッ!!

 

 

「ッ!?」

 

突然、目の前に視界を覆う程の砂煙と、無数の、人の頭程もある”岩”が飛び出してきた。

何が起きたのかは解らないが、このままこの場に留まっていてはまずいという全身から伝わってくる警告に従い、全力で後ろへ飛び跳ねる。

夏侯惇が後ろへ跳躍した0コンマ1秒と経たないくらいの直後、夏侯惇の居た場所を蒼い牙が空を切った。

 

「くッ──」

 

避けた。

確かに避けた。

自分の身体に何かしらが触れた感触もなかったし、実際には突然の事にほんの一瞬だけ、行動が遅れただけ、なのに。

 

身体を生ぬるい液体が伝う感触が解る。

見ずとも解る。

身に纏っていた鎧を、僅かあれだけの接触で”貫通”し、夏侯惇の身体へ獅子の牙が到達したのだ。

 

「姉者ッ!!」

 

夏侯惇が受けた傷は決して深くはないが浅くもない。

もし、ほんの僅かだけでも回避が遅れていれば、間違いなく自分は真っ二つになり、獅子の足元に崩れ落ちていただろうという事が容易に想像できた。

そして、凪の足元の地面が大きく抉れているのが見えた。

夏侯惇が突進し、得物を振りかぶった瞬間、凪が地面を蹴り抜き地中で氣を爆発させ、その衝撃で地面に埋まっていた無数の岩が飛び出して来たのだ。

その”煙幕”によって一瞬混乱したところを、凪は狩り取ろうとしたのだ。

地面を叩き、その衝撃で”石”が浮き上がるなどということは簡単に出来る。

しかし、”岩”を浮き上がらせる事など果たして出来るだろうか。

よしんば出来たとしても、それを無数に浮き上がらせることなど到底不可能だ。

その不可能を目の前の獅子は事も無げにやってのけた。

 

「……全く、なんという馬鹿げた力だ」

 

踏みしめる足は大地を揺るがし、薙ぎ払う”牙”は全てを引き裂く。

改めて、凪の存在が自分たちに取って敵などという安っぽいものではなく、畏怖の存在であるという事を理解した。

こうして間合いを取り、距離を離しても追いかけてこないという事が、既に自分との力量の差を見せつけられているようだった。

いつでもお前を殺せるぞ、と、言われているような気がしてならなかった。

 

「もう、一騎打ちなんて言ってられないんじゃないかしら」

 

「……孫策か」

 

「ワシも出よう」

 

「私も出るぞ姉者」

 

「…………」

 

多勢に無勢。

まるで自分たちが今まで幾度と無く駆除してきた盗賊達のようで、将軍という立場を受け持っている者達は心中穏やかではない。

だが、そうでもしなければ勝てないのだ。

今の二人の一瞬の接触を見ただけで誰もがそう理解した。

なりふり構ってはいられない。

卑怯と言われても──いや、この状態でも尚、卑怯などという状況へ持っていく事すら出来ない。

肌で感じる重圧が尋常では無い。

対峙しているだけで体力と気力を根こそぎ奪われていくような錯覚すら覚える。

蛇に睨まれた蛙の気持ちというものを鮮明に理解することが出来た。

”怖い”のだ。

たとえ無謀な戦いに出た愚か者だとしても、この状況で一歩を踏み出した夏侯惇を、孫策達は心の底から称賛した。

 

「……ひとつ、いいかしら」

 

得物を構え、4人が凪の出方を伺っていると孫策が夏侯惇に声をかけた。

 

「なんだ」

 

「どう見積もっても、あの娘の足元でバラバラになっている光景しか浮かんでこないのだけど」

 

「…………」

 

「冗談でも今は耳にしたくない話だな。

 ……まぁ、姉者でさえこうなるのだ。

 不用意に近づけばそれが現実になることは容易に想像できるが」

 

「あの氣炎には触れんほうがいい。

 ワシも多少なりとも氣を扱うが、あれは別物じゃ。

 破壊のみを目的に極めたような氣じゃのぅ。

 あれほどの力を持ちながら己を見失わずに誰が為にその力を振るう。

 武神という言葉がこれほど合う者を初めて見たわ」

 

「どう攻める?」

 

「ううむ……攻撃は最大の防御、とはこの事じゃのう。

 全く隙がない上に近寄れば細切れにされる。

 正直、勝つ方法など皆目検討もつかん」

 

「四人掛かりでもか」

 

「何人居ようが同じじゃ。

 ワシの弓とて何の役にも──」

 

そこで気づいた。

いや、何故目を離していないのに気づかなかったのか。

何故、脅威を目の当たりにしながらこうして悠長に話をしていたのか。

仁王立ちをしていた獅子が、先ほどの場所から動いてはいないものの、狙いを定めているのか左手を前に突き出し、

右腕を目一杯に引いている。

これだけ距離が開いているというのに、そこから何が出来るというのかはわからない。

しかし、獅子は明らかに”攻撃体制”に入っていた。

 

「いかん!」

 

黄蓋が叫び、それと同時に四人は二方向へ別れ、瞬時に身体を転がした。

その瞬間、すぐ横を掠めていく巨大な蒼炎。

それと共に地面が抉り取られ、大蛇が這ったかのような跡を残す。

 

「夏侯惇!!」

 

「わかっている!!」

 

近接戦闘を得意とする二人が息を合わせ、凪に向かっていく。

即興とは思えない程の連携を見せ、その攻撃の波はぴったりと、まるで長年の戦友のように呼吸が合い、

目を見張る程の動きを見せた。

その攻撃の全てを受け止め、流し、避け、ほんの僅かな隙すらを逃さず鋭く突いてくる凪。

後衛の二人も隙あらばと弓を射るが尽く叩き落されている。

獅子の牙を受け止める度に全身の筋肉が悲鳴を上げ、自慢の武器はミシミシと軋む音を立て、

下手な受け方をすればすぐに折られてしまうという確信がある。

これだけの力を見せつけられる孫策達だが、それでも違和感があった。

果たして、何十何百、下手をすれば何万という敵を一人で殲滅出来るような、それも容易に遂行するであろう者が、

自分たちたった四人を相手にこうも手こずるだろうか、と。

確かに己の武に自信を持つ強者達だが、目の前のそれと比べれば足元にも及ばない事は明白だ。

ならば、この状況はなんだというのか。

しかし、そんな違和感を気にしている余裕は一瞬で無くなった。

突然、今戦っていた筈の相手が視界から消えたのだ。

こんな莫迦な事があるかと思うも、視界に凪の姿が無い。

 

「ぐああッ!?」

 

突然の事態に混乱していると、後方から苦悶の声が上がった。

振り返ると、後衛として援護をしていた二人が両側へ弾き飛ばされていた。

特注の鋼の弓で防御を試みたものの弓は呆気無く破壊され、その衝撃で両者共々弾き飛ばされたようだった。

 

「なッ!?」

 

そしてすぐさま孫策達のもとへ戻り、夏侯惇を吹き飛ばした。

咄嗟に南海覇王を振り払い、牽制して距離を離そうとするが、その一撃を難なく受け止められ武器を握られてしまう。

 

「ちぃッ!」

 

母、孫堅から受け継いだ王の資格とも言える南海覇王を折られる訳にはいかない。

しかし、手を離してしまえば自分は丸腰になり、絶望感は更に増す。

八方塞がりとはこのことかと、どこか他人事のように考えていた。

握られた南海覇王がミシミシと軋み始めた途端、孫策の視界がぐるりと反転した。

 

「え──」

 

視界から消えたように見えたのは”縮地”を連続していたからか、と理解した頃には既に、背中に強い衝撃を受け、雨雲によって覆い尽くされた空が孫策の視界に広がっていた。

そして、首を掴まれ、仰向けに押さえつけられていることを理解した。

腕は足で踏みつけるように抑えられ、目の前には腕を振りかぶり、今にも自分の命を食い散らそうとしている獅子が居た。

 

「う……くッ!策殿!!」

 

黄蓋は、自分が弾き飛ばされてから数秒と経たないうちに起こった出来事にひどく狼狽えた。

自分の主が、今まさに殺されようとしている光景が目に飛び込んできたのだから。

しかし、一番混乱しているのは、現に押さえつけられ、今にも殺されそうになっている孫策だった。

何が何だかわからないうちに殺されそうになっているという現状にももちろん混乱はしていた。

しかし、それ以上に彼女を混乱させたのは、今まさに自分を殺そうとしている相手だった。

ぽたぽたと顔に雫が落ちてくる。

雨が降っているのだから、仰向けに押さえつけられれば当たり前の事だが、この雫は雨だけでは無かった。

 

 

 

 

たとえ、何があっても。

たとえ、何を犠牲にしても。

大切なものを守ると誓った。

目の前の華琳様も、春蘭様も、秋蘭様も、

雪蓮様も、祭様も、

世界が違うというだけで、偽物でも何でもない、紛れも無い本人達をこの手に掛けたとしても。

自分の大切な人たちをこの手で殺めてしまうとしても。

守ると誓ったのだ。

元の世界に戻れば、また皆と一緒に笑いながら過ごせる日々が待ってる。

隊長と一緒に、笑って過ごせる日々が待ってる。

悪い夢でも見ていたんだと思える。

もう、思い出の中の貴方に浸るだけの日々は耐えられない。

貴方に触れていたい。

貴方に触れられていたい。

だから……。

だから、自分の手で傷つけ、傷ついていく目の前の彼女達を見て、

胸を根こそぎ抉り取られるようなこの痛みも、

目の端から勝手に零れていく雫も、

降り注ぐ雨で綺麗に流れ落ちていくと信じてる。

全部、全部──

 

 

 

 

 

腕を振りかぶりながら、必死に何かを堪えるように歯を食いしばり、

 

「──ッうあ”あ”あああああ!!!」

 

悲痛な叫びと共に、腕に揺らめく蒼炎を振り下ろした──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそ!向こうはどうなっている!?」

 

「愛紗!その炎に触れるな!」

 

「だがこのままでは収まるどころか勢いを増すばかりだぞ!」

 

凪の氣によって完全に隔たれてしまった事に皆が狼狽えた。

周りを包囲された形にはなっているが、一箇所だけ、ぽっかりと空いている場所があった。

その道の先がどうなっているかを考えていると、月と詠が反応を見せた。

 

「──ッ!この先は、もしもの時の為に作られた隠し通路がある道です。

 ここを道なりに進めば街の外に出られるようになっています……!」

 

月の言う事が本当ならば、凪はこの道を知っていたか、あるいは見つけたのか。

それは解らないが、ひとつだけ明らかな事がある。

 

「おいおい……あいつ連合軍を一人で相手にするつもりかよ……!」

 

馬超を含め、ここにいる全員が同じ答えに行き着いた。

自分達をこの場から逃し、後は己の身ひとつで二つの国とぶつかるつもりなのだと。

 

「ここまで……!我らはここまで無力だというのか……!」

 

その答えに行き着き、愛紗は己の無力にうちひしがれた。

自分の主を、仲間を守るために、凪は一人で矢面に立ち戦っている。

だというのに、自分達はそれを助けることも出来ずに、只逃げるという選択しか出来ないというのか。

 

「はわ!?お待ちくださいご主人様!」

 

「あわわ、まだ動いてはダメです…!」

 

後方から聞こえたやり取りに振り返ると、先ほどまで気を失っていた一刀が起き上がり何かを探している。

 

「ご主人様!」

 

思わず駆け寄り身体を支えるが、それでも一心不乱に辺りを見回し何かを探している。

そして一通り周囲に目を配り、自分の探しているものが無いとわかると、一刀を治療していた家屋へと歩き出した。

愛紗はそれに着き、一緒に家屋へ入る。

すると、一刀は何かに吸い寄せられるように、一直線に己の武器である刀を手に取り外へ出た。

まさかまだ戦うつもりでは、という愛紗の心配を余所に、鞘から刀身を抜き、凪の放った氣に向かい立った。

まだ意識が混濁しているのかとも思ったが、しっかりと目には光を宿し、それどころか力強さすら感じた。

 

「ご主人様、一体何を──」

 

「凪が、泣いてんだ」

 

一刀のしようとしている事が理解出来ずに問おうとした瞬間、そう答えた。

それと同時に一刀は柄を両手で持ち、下から掬い上げるように、天へ向かって摩天楼を振りぬいた。

すると行く手を阻んでいた蒼炎に、小さな、しかし確実な”穴”が空いた。

そのまま間髪入れずに天へ振りぬいた刀を切り返し、地面へ叩きつけるように振り下ろし、上下からの高速の連撃を繰り出した。

その軌道を一瞬遅れて、淡い、白い光がなぞる。

蒼炎に空いた小さな穴は、振り下ろされた刀によってそのまま上下へ裂けるように広がっていき、やがてひと一人が通れるくらいの穴が空いたのだ。

その事にひどく驚いたが、それ以上に驚いたのは、一刀がその穴へ向かって何の躊躇も無く飛び込んだ事だった。

 

「ご、ご主人様!?」

 

一刀が飛び込むと、空いていた穴はゆっくりと小さくなり、やがて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「策殿ッ!!」

 

孫策は黄蓋の声を聞き、これ以上無いくらいに自分が命の危機に瀕しているという事を理解した。

目の前の凪の動きがやたらとゆっくりに見える。

こんなもの避けられるのでは無いかとも思うが、自分の身体もそれと同じく動きが遅いのだ。

ああ、自分はここで死ぬのだと理解した。

戦に身を投じているのだから、いつでも死ぬ覚悟は出来ていた。

しかし、自分を殺そうとしている相手の表情が何故こんなにも悲しみに歪んでいるのだろう。

何故、こんなにも涙を流しているのだろうと、死ぬ間際だというのに、そんな疑問が浮かんだ。

 

「策殿おおおおーーーーーーーッ!!!」

 

視界が蒼炎で埋まり、孫策はそっと目を閉じた。

1秒にも満たないこの時間で思う事は、孫呉の未来を自らの手で切り開くことの出来なかった無念、

今は離れ離れになっている大切な仲間達を残していく無念、

そして──自分が愛した人を残し、独りで泣かせてしまうであろうという無念だった。

そんな想いを抱き、しかしどうすることも出来ない現状を受け入れようとした、しかし、

 

 

 

 

 

 

ギシャァアアアアアアア!!

 

 

 

 

 

耳に飛び込んできたのは、とてつもなく重い鉄同士を擦り、お互いが溶けるかという程の摩擦を起こしているような耳を劈く騒音だった。

何が起きているのかと目を開くと、そこには自分に向かって拳を振り下ろしている凪と、その拳を受け止めている細長い何か。

無事を確認した孫策はすかさず起き上がり、少しでも間合いを出ようと全力でその場を飛び退いた。

改めて事を確認すれば、呂布を救ったあの男が、獅子の牙を受け止めていた。

その男は全身の至る所が真っ赤に染まっており、それが出血をしているからだという事はすぐに理解出来た。

巻かれた包帯は無茶な動きをしたせいか解れ、ゆるりとだらしなく垂れ下がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ……はっ……」

 

「──ぎりぎり、だな」

 

「…………ッ」

 

受け止められた拳を引き、間合いを抜けていった孫策へ向かい歩を進めようとするが、両肩を掴まれ、動きを止められる。

 

「凪」

 

「これは必要な事です。

 やらなければならない事なんです」

 

「凪」

 

「自分は託されたのです!守れと……!必ず貴方を守れと託された!

 わ、私も……!私も貴方を守る為だけに……!

 貴方を守──」

 

ぐっと、凪は身体を引かれ、そのまま一刀の腕の中へすっぽりとおさまった。

決して大柄ではない彼の腕の中にすっぽりとおさまってしまう程の小さな身体で、大きすぎる想いを叶えようと必死に、

只失いたくない、離れたくない、傍に居たいという、

何も出来ずに、何も知らずに居たあの時とは違うと、彼を守るという強すぎる想いの重さで、自分の心を殺そうとしている。

世界が違うからと、自分を知らないからと、関係のない世界だからと割り切れる程に、彼女の心は強くない。

凪はこの世界にいる曹操や夏侯惇、夏侯淵、孫策、黄蓋に対して、温かい想いを持ってしまっている。

そんな優しい彼女が、そんな優しすぎる彼女がその相手を殺して、無傷でいられるはずがない。

心を傷めないはずがない。

その証拠に、彼女は連合軍が相手になり、そして目の前に自分の大切な人間が立ちはだかり、歯を食いしばり涙を流し、

しかし一刀を守る為と地面に足を踏ん張り、ぎりぎりの淵に居たのだ。

そんな彼女の心が、無傷でいられるはずがない。

それでも──

 

「わ、わたし、私は……ッ!やらなければ……!守るんです!

 もう……独りで消えることもない!独りで泣くこともない!!

 だ、だから!

 守らなければ!貴方はまた……ッ!」

 

もはや彼女自身、何を言っているのかもわかっていないのだろう。

只ひとつ、一刀の為に、という想いだけが先行して、言葉を繋げないのだろう。

ぼろぼろと涙を流し、繋がらない言葉を必死に伝えようとしているその姿は、まるで小さな少女のようにか弱く、

今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その光景を見た者達は、何を思っただろうか。

茶番だと、笑い飛ばしただろうか。

……そうではなかった。

今まで己の最大の脅威と恐れていた獅子が、崩れ落ちそうな心と身体を必死に、”想い”だけで繋ぎ止めていたのだ。

 

独りで消えていく中、彼はどんな想いを抱いて消えていったのだろう。

独りで消えてしまったあと、彼は誰に支えてもらえたのだろう。

詳しいことは知らない。

だけど、彼が目覚めた時、その世界では数日も経っていなかったという。

ここでの日々を知っている者が一人もいない中で、自分だけが覚えている記憶。

それは、凪達に劣らない程の絶望や喪失感を伴ったのではないだろうか。

全てを無かったことにされてしまうような錯覚を覚えたのではないだろうか。

そう考えた凪は、彼が帰ってきた時、もう二度と、彼にそんな思いはさせないと誓った。

 

自分達を喰らい尽くす獅子の、強すぎる想いによって獅子へと成らざるを得なかった彼女の心の叫びを見たのだ。

そんな光景を目の当たりにしていると、曹操の元へ自軍から連れてきた一人の兵がやってきた。

 

「好機です。今仕掛ければこの戦い──」

 

最後まで言葉を言い切る前に兵の言葉が止まった。

その言葉に耳を貸していた曹操の、兵を見る目が恐ろしい程に冷えていた。

まずい、と思ったのもつかの間、兵はその場で曹操に切り捨てられた。

 

「我が目指すは覇道、我は部下を駒とし道具とし覇道を歩む。

 さりとて誇りを持たぬ獣と覇道を歩むつもりなど毛頭ない。

 人の心を理解せぬ者に用はない、この愚か者と同じ考えを持つ者は前へ出ろ」

 

今までも己に、他人に厳しくしてきた曹操だが、これほど底冷えするような声を発しているのをその場にいる人間は誰も聞いたことがなかった。

兵を切り捨てた絶を振り、返り血を落とし、決して大声では無いにも関わらず、その言葉はその場に居る曹魏の兵達にはっきりと伝わった。

 

「夏侯惇、夏侯淵、お前達も例外ではない。

 この者と同じ考えを持っているのであれば、今すぐ我の前に跪き、その頸を差し出せ」

 

その言葉に、無言で見つめ返す二人。

言葉は発しない、しかし目も逸らさない。

 

「そう、安心したわ」

 

口調を崩し二人にそう告げると、目の前にある光景へ目を戻す。

その光景を見て、この覇王を目指す少女は何を思うのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう。

 でもそれで凪が泣いてもいい道理なんか無い。

 凪だけが苦しい思いをする必要なんか無いんだ」

 

「ま、まって……!」

 

一刀の言葉は、凪にとって、また彼が一人で無茶をするつもりなのだと解釈された。

また独りで、また自分達を置いていくのだと、あの時刷り込まれた絶望がまた蘇ろうとしていた。

 

「だから、ごめん。

 ──俺と一緒に、死んでくれ」

 

しかし、続いた一刀の言葉は凪の予想とは違うものだった。

”一緒に死んでくれ”

それは、凪にとって、これ以上ないくらいに嬉しく、そして名誉な言葉だった。

今彼の口にした一緒に死んでくれという言葉は、決してここで散ろうなどという意味ではない。

一緒に戦い、互いに支えあい、最後まで生き抜いて、最後は笑顔で生涯を終えようという決意。

凪の誓に対する、一刀の答えだった。

その言葉を聞いて、凪は取り乱していた心を落ちつけた。

 

そうだ。

自分がしっかりしなければ。

ここに来る時、皆になんと言われた?

泣いている場合ではない。

何より、最愛の人が、自分と共にどこまでも来てくれと言ってくれたのだ。

独りでは死ぬほどに心が痛くても、二人ならば支えあえる。

共に戦って、共に皆のもとへ帰るのだ。

 

「──はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……良いのか?策殿」

 

「良いも何も、私は武器を取られて成すすべ無く負けてしまったのよ。これ以上何をしろっていうのよ」

 

「ほっほ……また袁術に何か言われますぞ」

 

「構わないわ。いつかそう遠くないうちに殺すから」

 

「迂闊な事を言うものではありませんぞ。

 いかに選りすぐりの精鋭とて、間諜が紛れ込んでおらぬとも限らぬ」

 

「どうでもいいわよ」

 

「そう不貞腐れるでない。

 ……気持ちは解らなくはないがの」

 

「ふん」

 

例えあの二人の間に何があったのかを知らなくとも、目の前にある光景を見るだけで

互いに身を粉にして、己の全てを捧げられるなのだという事が解る。

だから、自分を良いように使っている愚鈍で傲慢な袁術に対する憎しみが、孫策の中でより一層際立ってしまったのだ。

 

「ま、どうせ何かを言われるとしてもそれは袁術であってあたしではないしねー。

 あたしは言いつけ通り精一杯やりましたよっと」

 

「この戦いで犠牲になった者が~の件はいいのですか」

 

「だってあたしの部隊は無傷だもの。

 袁術が自分の兵に無茶な事言って無茶な動きして勝手に死んでいっただけよ。

 あたしには関係ないわ」

 

「まったく、最初からそう言ってやればいいものを。

 天邪鬼じゃのう」

 

「もちろん軽い気持ちでこんな事をしているのなら迷わず切り捨てるつもりだったわよ」

 

そう言うと、孫策は片手を上げ、それを合図に呉の分隊は撤退していった。

 

「曹操……あの子はどんな判断をするのかしらね」

 

「ふむ、評判では自他共に厳しく律する人間のようじゃからのう」

 

「ま、仮にこの場でまた戦闘になったところでこちらが全滅するのは目に見えてるんだけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀と凪は、それぞれ正面へ向き直った。

両の腕から蒼炎を揺らめかせる凪と、抜いた刀から白く淡い光を漂わせる一刀。

兀突骨との戦闘の時、一刀が一度だけ見せたあの白い花吹雪。

それを極限まで縮小し刀に纏わせることで、己の身体に掛かる負荷を大幅に減らした。

未だ氣を張ると身体は軋む。

しかしこの白光の氣は、理由は解らないがその苦痛をほぼ感じる事なく使用することができている。

凪が地面に突き刺した桜炎を抜き、二本の刀を腰に据え構える。

まだ腕の傷は痛むものの、緩んでいた包帯をきつく縛り止血し、無理矢理に動かす。

 

一刀の正面に位置する、覇道を歩む少女を見る。

その視線は一刀達を捉え、何を考えているのか、何を感じているのか。

ここで曹操が引けば事は簡単に終わる。

しかしそうはならない事を一刀と凪は確信していた。

己の主の事を、わからないはずがない。

あの覇王を目指す者が、情けをかけるはずはないのだ。

 

「貴方……北郷一刀と言ったかしら。

 貴方がこの、反董卓連合に反乱を起こした張本人だと考えてもいいのかしら」

 

「そうだ」

 

「そして、貴方とその楽師以外は、貴方が巻き込み、劉備達はその被害者だということね」

 

「ああ」

 

「そう……」

 

曹操はしばらく思案するような仕草を見せ、やがて

 

「たとえこちらが壊滅することになったとしても、この戦の顛末はいずれ人の耳に届く。

 このまま貴方達を世間的に追い込んでもいいのだけど、それでは私も貴方も面白く無いわ。

 だからこうしましょう。

 北郷一刀──夏侯惇と一騎打ちしなさい」

 

曹操の提案に、その場に居た誰もが驚きを見せる。

一騎打ちに選ばれた春蘭も、驚きの表情で曹操を見ている。

 

「その怪我では満足には動けない、ましてや貴方の様子を見る限り、疲労困憊と言った様子ね。

 そんな状態で我が軍随一の武を誇る夏侯惇に勝てる見込みは無に等しいわ。

 でも──」

 

「それでも、その状態で貴方が目の前に立ちはだかる障害を打ち破ったのなら、

 それは貴方の信念が本物だと言うこと。

 そうなったのなら、私は貴方を我が好敵と成るに足りうると見なし、この場を引きましょう」

 

「…………」

 

「貴方が負けた場合は言わなくても解るでしょうけど、この場で貴方達を畳み掛けるわ。

 たとえその者が圧倒的な武を持っているとしても、反乱という事実は消えない」

 

「……わかった」

 

曹操は、この一騎打ちで一刀を討ち取れば、自軍が凪に壊滅させられるであろう事は百も承知だった。

しかし、それよりも試してみたくなったのだ。

目の前の傷だらけの男。

何故自分でもこんなことを考えてしまうのかは解らない。

だが、彼が”負ける”という光景が想像出来ないのだ。

何より、あの蒼炎を突破した事は紛れも無い事実。

そして誰もが受け止めることすらも危うい獅子の一撃を、あんなにも細い刀一本で止めてみせた。

それは果たして彼の実力なのか、武器のおかげなのか。

今この短時間の間だけでも、曹操の彼に対する興味は尽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、ずいぶんと」

 

「ん?なんじゃ?」

 

「いいえ、あの子にしてはずいぶんと寛大な措置だなーと思って」

 

「そうかのう、あの傷で夏侯惇に勝利せよというのは無茶が過ぎると思うがのう」

 

「んー、まぁ見てればわかるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隊長」

 

「うん、行ってくる」

 

「……貴方の命が危機と見なした場合、私はすぐに行きます」

 

「はは、それじゃあ負けられないな。

 俺もたまにはいいとこ見せないと」

 

凪と軽口のようなものを交わし一刀は前へ出る。

それと同じように、夏侯惇も前へ進み、両者が向かい合い、周りは魏軍、呉軍の部隊で囲まれ、たちどころに一騎打ちの場が出来上がった。

自分が負ければ凪の心も、桃香や愛紗達の志も潰えてしまう。

自分のした勝手に皆が巻き込まれ、その想いが潰えてしまう。

もう、迷ってなどいられない。

この先俺がどうなるかなんて今はどうでもいい。

今は、この一騎打ちで勝つことだけを考えろ。

これに勝てば、桃香達は歴史通りに進んでいくだろう。

俺のせいでと嘆くよりも、だったら俺がなんとかしようと考えろ。

それがケジメってことになるのだから。

 

「フゥー……」

 

呼吸を落ち着け、目の前の夏侯惇を見据える。

凪に一撃貰っているとはいえ、自分のほうが遥かに傷を負っていることは明白だ。

そして何よりも、地力ですでに自分が負けていると考えた方がいい。

ならどうするか。

この世界の常識では無い、相手の意表をつくしか勝つ道はない。

だから、全ては一瞬だ。

集中しろ。

あの時、白装束の壁を突破した”あれ”を。

爺ちゃんの一番得意だったあの技を。

 

静寂が辺りを包み、見ている皆が息を呑む。

開始の合図など決めていない。

でも、お互いに、お互いの呼吸を読み取り、自分の一撃が届くと思った時、この決闘は始まるだろう。

数分か、数秒か、本人達にとってはそれよりも遥かに長く感じるであろう時間が──

 

 

 

 

 

 

動いた。

 

 

 

 

 

 

「せあああああああーーーーーーーーッ!!」

 

僅かに先に動いたのは夏侯惇。

そのすぐ後に一刀が動き、両者がお互いに突進していく。

己の誇りを掛けたこの一騎打ちで負けるわけにはいかないと、全力をかけて突進していく。

そして、夏侯惇の間合いに一刀が入る直前、

 

「──はあああッ!!!」

 

「ッ!?」

 

自分へ向かって突進してきていた一刀の姿が一瞬、ぶれた。

まるで彼の時間だけが早送りされたかのような一瞬の加速。

それと同時に刀を突き出し、一直線に、瞬間的に”死”を予感させる程の、体全体を使った渾身の”突き”を繰り出した。

得物を振ろうとしていた夏侯惇は、その見たこともない動きに意表をつかれ、咄嗟に防御の体制を取ってしまった。

 

合わさる得物が激しい音を立てる──事はなかった。

 

一刀の、全力で、己のありったけの氣を総動員し、瞬間的な加速と共に繰り出した白き刃は、

何の抵抗もなく、夏侯惇の七星餓狼を貫通し、その刃を折った。

 

その場にあるのは、得物を折られ止まっている夏侯惇。

そして、夏侯惇の首元に刃を突きつけている一刀だった。

 

「──ふふ」

 

思わず笑みをこぼしたのは、何故か曹操だった。

自分の予想通りだったのか、予想以上のことだったのか。

とにかく彼女の心にあるのは、悔しさという負の感情ではなく、期待感や高揚感といった正の感情だった。

 

「はぁ…!はぁ…!はぁ………っ!」

 

勝者だというのに、敗者である夏侯惇よりも遥かに辛そうに、地面に膝をつき、呼吸を乱している。

それでも、そんな敗者にしか見えない姿の彼が、紛れも無く、目の前に立ちはだかる困難を打ち破ってみせたのだ。

 

「……約束通り、我らはこの場で見たことの一切を忘れましょう。

 董卓のことは貴方達の好きになさい」

 

そっけなくそう言い残し、曹操は撤退を合図を送った。

 

「……俺の勝ち、か?」

 

「紛れも無く、ね。

 春蘭、行くわよ」

 

「……申し訳ありません、華琳様」

 

「……ふふふ、あはは。

 春蘭、わくわくしないかしら?」

 

「……は」

 

まるで子供のような表情を見せる曹操に、夏侯惇は戸惑いを見せた。

 

「こんなにも明白に、こんなにも堂々と、己の信念を貫き、最大の危機を乗り切った者達がいる。

 こんなに愉快なことはないわ」

 

「はぁ」

 

「何の誇りも持たず、薄汚い私欲を満たすためだけに武器を取るクズのような者達ばかりでいい加減うんざりしていたけど、

 やはり世界は広いわね」

 

曹操のその姿に、夏侯惇は負けた悔しさを感じる間もなく呆気に取られた。

 

「私はこの先に待っている覇道が楽しみで仕方がないわ。

 春蘭、貴方は?

 貴方の武は私も評価している。

 その貴方を、あんな無様な姿の男が打ち負かしたのよ」

 

「──ッ!

 絶対に!次は負けません!必ず勝ってみせます!」

 

「ふふ、それでこそ春蘭よ。

 私も、この借りを返さないままにはしないわ。

 そして──」

 

まるで心底嬉しそうに、そして本当にわくわくしているという様子で、

 

「北郷一刀……あの男を必ず私のものにする」

 

「えっ」

 

覇道を歩まんとする少女は、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う”!?」

 

何だ?何かわからないけどものすごい寒気が──

 

「隊長!!」

 

謎の悪寒に襲われていると、凪がこちらに走り寄ってきた。

 

「ご無事ですか!?無茶な氣の使用はしませんでしたか!?」

 

「お、おお。うん、勝ててよかったよ。

 もし春蘭が俺の剣術を知ってたら勝てなかっただろうけどね」

 

「はぁ……それでも勝利は勝利です。

 貴方は自分の力で、己の掲げた信念を貫き通したのです」

 

「そうかな。

 皆に助けられたよ。

 凪には感謝してもしきれないくらいだ」

 

凪の気が緩んだのか、愛紗達の行く手を阻んでいた蒼炎が徐々に小さくなり、やがて消えた。

それと同時に雪崩れ込むように一刀へ駆け寄ってくる。

 

「ご主人様!!」

 

「お兄ちゃん!!」

 

「一刀!!」

 

一瞬とはいえ全力で氣を使い、己の肉体の限界を超えた動きをした一刀の体は、傷口の至るところから出血し、

その姿を見た愛紗達は思わず一刀が死ぬかもしれないという早とちりから、何を言っているのか聞き取れないくらいに狼狽えていた。

 

「ううぅぅぅぅぅ、へぅぅぅぅぅ……」

 

そしてこの戦いの中心であったとも言える月といえば、

一刀の腕を抱え、抱きつくようにして大号泣していた。

 

「泣きすぎだから!?大丈夫だから!!」

 

「一刀さん、じなないでぇ……!へうぅぅぅぅ……!」

 

「死なないから!」

 

「……とてもそうは見えない」

 

「全くやで」

 

「ご主人様、本当になんともないの……?」

 

全身血まみれの男に大丈夫と言われても説得力は皆無であろうことは百も承知だけど、

 

「うん、大丈夫」

 

心配の声をかけてくれる桃香に、俺はいつも通りにそう答える。

 

「はぁぁぁ…………」

 

大きな溜息にも聞こえる安堵の声を発しながら、愛紗にしては珍しく、額を俺の肩に押し付けるようにしている。

 

「本当に……ご無事で……ッ」

 

顔は確認出来ないが、その声がわずかにしゃくりあげているのがわかる。

それほどまでに、自分勝手な行動を取った自分を、それでも心配してくれていたのだと痛感する。

 

「えっと……あー……」

 

こんな彼女達に対して、俺はなんて言えばいいのだろうか。

自分を信じてくれた彼女達を裏切るような行為をした俺に、何かを言う資格があるのだろうか。

皆が心配してくれているのはわかる。

だけどそれは、彼女達に、俺がしたことをはっきりと伝えてはいないからだと思う。

最後は自分の手でケジメをつけることが出来たとは言え、彼女達の掲げた志を潰しかねないようなことをしでかしたのだ。

 

「その……皆、ごめん」

 

俺はその場で地面に頭をつけ、皆に謝罪した。

 

「ご主人様……?」

 

俺のその行動に対して、皆が困惑しているのがわかる。

 

「い、いきなりどうしたというのです!?お顔を上げてください!」

 

愛紗はそう言ってくれるけど、俺はそのまま顔を上げずに言葉を続ける。

 

「俺は皆を裏切った。

 皆の志を知っていた筈なのに、それを潰してしまうような自分勝手な行動を起こした。

 そして事実、俺のせいで桃香達が築き上げてきたものを全て壊してしまうような状況を作った。

 本当に、申し訳ありませんでした」

 

「そ、そんなことありません!実際こうして我々は無事なわけで──」

 

「それは結果論だ。

 俺は今回、こんな大事(おおごと)にしておきながら、これから先、二度と同じ事を繰り返さないという確信が無い。

 皆の信用を得るに値する資格がない。

 だから……だから俺は──」

 

だから、俺はここで蜀軍を抜ける。

そう言葉を続けようとした、しかし

 

「──見くびるなッ!!」

 

その突然の大声に、俺はもちろんのこと、桃香や愛紗、皆が驚いた。

皆が視線を向けた先に居たのは──星だった。

 

「私達を裏切った?信用を得る資格が無いだと?

 …………ッ!!」

 

いつも余裕綽々といった表情を崩さない彼女が、本当に怒り心頭と言った様子で、怒りを隠そうともせずに、

 

「貴方の言葉を聞いて……!貴方の想いを聞いて!!

 我々が本当に何も感じなかったとお思いか!!」

 

ぎゅっと拳を握りしめ、悔しそうに唇を噛みながら、星は声を荒らげた。

 

「私は……!私は貴方を一瞬とは言え疑った!!

 我らを捨てるつもりなのかと疑った!!

 私は……!私はそんな未熟でどうしようもなく馬鹿な自分が心底憎い!!

 純粋に、ただ純粋に目の前にある命に必死に手を差し伸べていた貴方を私は……!」

 

目の端に涙を浮かべながら、それでも訴え続ける彼女の言葉を遮ることが出来ず、

 

「目の前の命を我武者羅に救おうと必死になっている……そんな貴方を……!

 信用を得る資格が無いと言うのであれば……!

 我らの志をその身を持って体現した貴方を信用出来なかった私がそうだ!!」

 

その怒声は、一刀に向けられてはいるが、全て自分に向けられた言葉だった。

 

「だから……だから私はこれから貴方に信用して貰えるように、身を粉にして貴方に仕える。

 貴方がもとの世界に帰るその日まで、貴方のそばで戦っていきたいと思う。

 だから……どうか、その先の言葉は言わないで頂きたい」

 

「……星ちゃんの言うとおりだよ、ご主人様」

 

そういうと、俺の手を取りながら、桃香は

 

「だから、かえろ?

 貴方は、本当の本当に、私達のご主人様だよ」

 

そう言ってくれた。

 

「……俺は、少しでも……ほんの少しでも、守れたのかな」

 

「ここに居る董卓や呂布達は、紛れも無く貴方が必死に伸ばした手の届いた証です」

 

俺の問いに、星はそう答えてくれたのだった。

 

「そっか……そっか……!」

 

結局、俺の行動が正しかったのかは解らない。

それでも、それでも俺は守ることが出来たのだろうか。

俺は、ほんの少しでも強くなることが出来たのだろうか。

そんなふうに自問を繰り返しても、心を覆っている感情は、

 

「本当に、良かった……!」

 

そんな、子供のようなものだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そんな大きな出来事からはや数日。

それまでに起きたことは追々に。

 

一刀と凪は二人で、風の吹き抜ける庭で過ごしていた。

 

「凪」

 

「はい、なんでしょうか隊長」

 

「あの時は名前で呼んでくれたのに、もう呼んでくれないのか?」

 

冗談交じりに、彼女に言う。

 

「え!?あ、あああれはですね、その、

 その場の雰囲気と言いますか勢いと言いますか……」

 

「俺は嬉しかったけどなー、もっと凪と近づけた気がして」

 

「いえ、あの、ですからその……」

 

もじもじと身体の前で指をすり合わせ、俯いてしまう。

 

「…………」

 

困っている彼女の手を取り、あの時彼女がしてくれたように、

今度は彼女の手に自分の額を当てる。

 

「あの……隊長?」

 

突然の行動に驚いたのか、理解が出来ないのか、困ったような、照れたような表情を見せる。

 

「ありがとう」

 

彼女の暖かい温もりを感じながら、あの時のお礼を言う。

 

「えっと……?」

 

まだ理解が追いついていないのか、きょとんとした表情で首をかしげる。

 

「凪が居てくれたから、俺はこうして立っていられる。

 凪が居てくれたから、信念を曲げずに済んだ。

 本当に、ありがとう」

 

「……礼など必要ありません」

 

「言わせてくれ。

 言葉なんてものじゃ表しきれないけど、本当に──」

 

「当然の事ですよ」

 

彼の言葉を遮るように、彼女が言葉をかぶせる。

 

彼の額に当てられていた温もりが、ゆっくりと頬に添えられ

 

 

 

 

「愛する貴方の為ですから」

 

 

 

 

彼の頬を撫で、凪は優しく微笑んだ。


 
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