No.598712

フェイタルルーラー 第十四話・ブラム奪回戦

創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。死体表現・流血・残酷描写あり。17447字。

あらすじ・一本の流れ矢により隊列が崩れ、作戦自体が崩壊に追い込まれた四王国同盟軍。
無表情で前方を見るアレリア大公に、ユーグレオル将軍は微かな疑念を抱いた。

2013-07-17 20:52:15 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:403   閲覧ユーザー数:403

一 ・ ブラム奪回戦

 

 東の空に太陽が現れると同時に作戦は始まった。

 王都ブラムへ到着すると、重装歩兵を先頭に大通りを進み、王城へと向かう。騎兵の半数を市街の南門に置き、残りは市街と王城を結ぶ城門に待機となった。

 

「重装歩兵は前へ! 軽装歩兵は二列になり弩と小剣を持て。分隊はそれぞれ所定の通路を確保し、王城内部へ突入。内部での指揮はダルダン王が執られる。敵影を確認次第、伝令班を本隊へ帰投させよ。長弓兵は外壁にて待機。作戦開始!」

 

 セトラ将軍の号令と共に、作戦分隊がブラム王城へ突入を開始した。

 陽もすでに昇っているというのに城内は薄暗く、人影すら無い。真夏にも関わらず石壁はひんやりとした冷気を放ち、兵士たちをおぞけ立たせた。

 荒れ果てた室内が不気味さを一層醸し出し、風に揺れるカーテンや鎧戸にすら反応する者が多数いた。

 

 ダルダン王ギゲルは陣頭で指揮を執りながら、王城の変わり果てた姿を嘆いた。それと同時に怯える兵たちの士気を案じる。

 百戦錬磨の勇士であったとしても、敵の姿を捉えられないのは、かなりの緊張を伴う。しかも相手は人間だとは限らないのだ。

 

 重装歩兵を先頭として、慎重に隊列は進んだ。

 武具の擦れる音だけが廊下に木霊する中、視界にはぼんやりとした暗がりが広がる。長い緊張状態のせいで汗が滝のように流れ落ち、ぬめる不快感が鬱屈に拍車を掛けた。

 このままでは敵との交戦まで保たないだろうとギゲルは感じた。精神的な磨耗が激しい今、不意打ちでも食らえば混乱しかねない。だが敵影も見えない状態では進むしかなかった。

 

 その時、外から激しい怒号と武具の鳴る音が聞こえて来た。

 張り詰めた緊張が破られ、誰もがその音に耳を向けた。最も近い窓から外を見やると、そこには混乱をきたした歩兵と弓兵がいる。

 敵の奇襲があったのかと思い、ギゲルは伝令班を本隊へ向かわせた。しばらくの後に戻ってきた伝令は驚くべき言葉を口にした。

 

「申し上げます。本隊において総指揮官セトラ将軍が……戦死された模様です」

「何だと! ……確かなのかそれは」

 

 ギゲルの剣幕に伝令たちはたじろぎ、互いに顔を見合わせた。

 

「確かな情報です。現在本隊がひどく混乱している状況ですが間違いありません」

「敵はどこから来た? 城門は騎兵で固めてあったはずだが」

「それが……その」

 

 伝令の一人は歯切れ悪く口ごもった。

 

「敵は王城中庭の奥から現れた模様です。敵兵に対しての一斉射撃で、将軍に流れ矢が命中したとの事。長弓隊の誤射によるものと推測されますが、射手の特定が出来ておりません」

「……何という事だ」

 

 伝令の言葉にギゲルは歯噛みした。

 中庭の奥はちょうど彼らとは正反対の侵入口で、そちらは選りすぐりの分隊長が率いていたはずだ。このまま進めばその侵入口に到達出来るのを思い出し、ギゲルは隊に通達した。

 

「我が隊はこのまま中庭廊下まで進む。何が起こったか確認し、その後本隊に合流する」

 

 ギゲルの声に兵士たちは息を呑み、静かに復唱した。

 

 

 

 辺り一面の血の海に、ローゼルは混乱していた。

 彼女には、一瞬何が起こったのか理解出来なかった。ただ淡々と瞳に映るその様は、地獄絵図と評して差し支えない。

 

 突入した分隊と入れ替わるように現れた獣人たちは、一斉に本隊へと押し寄せた。手に手に血塗られた鈍器を振りかざし、辺りを固めていた重装歩兵に襲い掛かる。

 突如姿を現した敵の姿にも一糸乱れず、本隊は冷静に対処した。

 それでも獣人の波は収まらなかった。どれだけ押し返そうとも、槍に掛かり射抜かれようとも、その数が減る事は無い。

 

「長弓兵! 後続を狙え!」

 

 セトラ将軍の号令に長弓隊は敵の後続を狙った。

 二列に分かれた弓兵たちは弦を引き絞り、一斉に矢を放つ。

 

 次の瞬間、一本だけ逸れた矢が馬上の指揮官たちへ向かったのが見えた。シェイローエの横にいたセトラ将軍が一歩進み出た刹那、予期せず将軍の陰に彼女が隠れる形となった。

 矢は将軍の喉を貫くと、白い矢羽根を赤く染めて石壁に突き刺さった。将軍の体はぐらりと揺れ、鎧のまま落馬してどさりと床に横たわる。

 一瞬の出来事に誰もが目を奪われ、その隙に獣人が黒い濁流のように押し寄せた。

 

 重装歩兵は鈍器で鎧や盾を割られ、或いは兜ごと首をへし折られた。

 中央の一点を突破すると、黒い洪水は瞬く間に兵士たちを飲み込んでいった。

 

 シェイローエは左翼と右翼の兵士たちを用い、敵の側面と背後から仕掛けようとしたが間に合わず、崩れた陣形では対処が困難になった。

 ユーグレオル将軍と騎兵隊は城門の市街側におり、今から伝令を走らせても間に合わない。

 

 歩兵は混乱をきたし、騎馬はいななき興奮した。

 馬上のシェイローエが声を張り上げても、彼女に耳を貸す者は誰もいない。

 

「危ない!」

 

 咄嗟に馬上のシェイローエを引きずり降ろす者がいた。

 矢が彼女の頬をかすめ、騎馬の首に突き刺さる。馬は一声いななき駆けだすと、あらぬ方向へ走り出し石壁に激突して事切れた。

 

「シェイローエ様、こちらへ。あなたを狙っている奴がいるわ」

 

 そう言うと、声の主はシェイローエを引っ張り駆け出した。

 隊列から離れ二人は王城にほど近い石塀の陰へ身を隠した。シェイローエが顔を上げると、そこには長い黒髪を編み上げた一人の娘がいる。

 美しいスミレ色の瞳は遠い空の下にいる、彼女の王を思わせた。

 

「ローゼル様……。どうしてこちらに」

「父に呼ばれて、本日付で急遽配属されたのです。城壁で妙な動きをしている弓兵がいたものだから、気になって来てみたら……」

 

 ローゼルの目線の先には、従者に介抱されるセトラ将軍の姿がある。

 混乱を避けてはいるが、従者たちの表情を見ると、そこには絶望の色だけが強く滲み出ていた。

 

「この戦に何か運命を感じていたのね。お父様……」

 

 目を赤く腫らし泣き出しそうなのを堪えながら、ローゼルはシェイローエに振り向いた。

 

「ここから離れましょう。ユーグレオル将軍の率いる騎馬隊まで後退出来れば、立て直せるはずです」

「待って下さい、ローゼル様。まだダルダン王ギゲル様のお姿がありません。ギゲル様の安否を確認しないと」

 

 シェイローエの言葉にローゼルは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに頷き王城の侵入口に立った。

 

「分かりました。私が危険だと判断したら、すぐに王城から離れます。いいですね」

 

 ローゼルは彼女を庇うように剣を抜いた。素早くシェイローエを通路へ引き入れ、誰もいないのを確認すると身を翻して扉を閉める。

 二人は静まり返る廊下を見やり、音も無く歩き始めた。

二 ・ 術中

 

 城門外で待機しているユーグレオル将軍が異変に気付いたのは、獣人たちが溢れ出してからまもなくだった。

 整然とした号令が怒号に変わり、やがて激しい喧騒になるまでにそう時間は掛からなかった。

 彼の隣で轡を並べているアレリア大公レナルドの落ち着き払った様子に違和感を覚えながら、ユーグレオル将軍は伝令兵を呼んだ。

 

「申し上げます! 王城中庭より敵影あり。現在交戦中との事です」

「戦力を一点に絞って来たか。面倒な。すぐに南門の騎馬隊をこちらに向かわせろ。セトラ将軍が後退し終えるまで、市街まで誘い出して敵の隊列を乱す」

「それが……。セトラ将軍は戦死された由にございます」

「……何だと?」

 

 予想だにしない伝令の言葉に、将軍は思わず聞き返した。

 

「味方の流れ矢が当たり、手当ての甲斐も無く息を引き取られた模様です。ダルダン王ギゲル様も城内から戻られず、参謀シェイローエ殿が捜索に向かわれています」

「流れ矢、か」

 

 横で無表情なままの大公をちらりと見やり、将軍は伝令に伝えた。

 

「残存の重装歩兵と軽装歩兵で分隊を構成し、城内を捜索。弓兵は一度下がらせ、南門の騎兵隊が到着次第、敵を掃討する。それまで我が隊は、敵兵を引き付けながら市街へ誘い出す。行け!」

 

 将軍の命を受け、伝令たちは急ぎ走り出した。

 場の空気にも大公は動じず、ただ押し黙り王城を見やるだけだった。

 

「どうかなさいましたか、大公殿下」

「……別に、何も」

 

 まるで興味が無いといったようにうそぶく大公に、将軍は小さな疑念を抱いた。

 それを悟られぬよう取り繕いながら、彼は言葉を続けた。

 

「セトラ将軍を失ったとあれば、我々には大きな損失です。……時に、弓兵隊は殿下の肝煎りでございましたな」

 

 将軍の言葉にも大公は無反応だった。

 その様子に将軍の疑念は確信へと変わる。だがその場では何も口にせず、あえて平静を装い部隊に号令を下した。

 

「捜索隊は急げ! 弓兵が下がったら騎馬隊は前進し、敵を充分に引き付けてから後退しろ!」

 

 それから従者に何かを命じると、将軍は大公を伴い後退した。

 大公の視線が長弓部隊に向いているのを横目で確認しながら、将軍は小さく息をついた。彼の心中は暗澹とし、しばらく晴れる事が無かった。

 

 

 

 ブラム王城の内部は薄暗く、不気味なまでに静まり返っていた。

 慎重に進むシェイローエとローゼルの足音だけが石床を打ち、冷え切った壁はねっとりとした湿気を帯びている。

 荒れ果てた城内はそこかしこに闇を孕み、吹きすさぶ突風がちらちらと陰影を揺らす。

 

「ギゲル様はどこにおいでなのかしら……。誰かがいる気配すらないわ」

 

 ローゼルの言葉にシェイローエも静かに頷いた。

 

「静か過ぎて不気味ですね。兵士や獣人の死体どころか、部隊がいた形跡すら無い」

 

 その時シェイローエの目に入ったのは、上階へ続く階段だった。一階はあらかた探し終わり、残すのは上階だ。石造りの階段は冷たく澱んだ瘴気を発し、上階に何者かがいる事実を告げている。

 階段前で足を止めたシェイローエに、ローゼルも階段を見やった。

 

「上はまだ捜索していませんね。私が上階の様子を見て来ます」

 

 独りで階段を上がるローゼルに不安を感じ、シェイローエも遅れて階段を昇り始めた。

 何かがいる。どろりとした重い空気が辺りに充満し、肺が圧迫されるような息苦しさを感じた。

 肌が粟立つこの感覚をシェイローエは覚えていた。これは子供の頃、両親に黙って地下室へ降りた時と同じだ。地下室にいたのは伸びきった黒髪を振り乱し、黒い肌から赤い目を覗かせた少年。彼女が初めて会った双子の弟、シェイルードだった。

 

 まさか、と思う気持ちをシェイローエは抑えた。

 ここにいる訳がない。恐怖心を否定し、彼女は階段を昇り切る。取り巻く瘴気は一層濃くなり、蛇のように二人の足元へと絡みついた。見ればローゼルはふらふらと歩きながら、更に上層の階へ昇ろうとしていた。

 

「だめよ! そっちへ行っては!」

 

 シェイローエはようやく異常に気付き始めた。

 ローゼルの編み上げた黒髪がぱさりと解け、艶やかに肩から滑り落ちる。操り人形のようにふらつきながら階段を昇る彼女を引き止めようと、シェイローエも急いで階段を昇った。

 昇り切った先は石造りの物見台になっており、遥か遠く市街まで眺望出来るよう造られていた。城門を見ると、本隊は騎兵隊を合流させて撤退を始めている。

 指揮をしているのがユーグレオル将軍だと知り、シェイローエは安堵した。将軍の傍には救出されたのか、ダルダン王ギゲルの姿もある。

 

「よかった。ギゲル様は無事だった」

 

 ギゲルの安否を確認したのも束の間、彼女は崩れ落ちるローゼルと近付く人影を感じて顔を上げた。

 シェイローエの目に入ったのは、意識を失ったローゼルを抱える黒い影だった。影はシェイローエへ顔を向けると、ぞっとする冷たい笑みを浮かべて呟いた。

 

「姉上。ようやくあなたを手に入れる日が来た」

 

 ローゼルを抱えたまま近付く双子の弟に、シェイローエは身を硬くした。密かに懐の短剣を握り締め、相手の出方を窺う。

 

「その娘は関係無い。放せ。お前はわたしが望みなのだろう。ならばわたしがいれば事足りるはずだ」

「……姉上がそう望むのなら仕方ない。この娘は新規の実験に使いたかったが、別の女で代用する事にしよう」

 

 シェイルードはそう笑い、ローゼルから手を放し床に落とした。

 二階に上がった時にはすでに術中だったのか、昏睡する彼女の表情は憔悴しきっている。

 

 屈み込んでローゼルの無事を確認すると、シェイローエはゆっくりと立ち上がった。

 短剣を抜き放つと彼女はシェイルードと対峙した。新緑を思わせるシェイローエの瞳は、今や覚悟の色に染まっている。姉の手に光る短剣を見て、シェイルードは冷たく微笑んだ。

 

「姉上。あなたの覚悟や脅しなど、何の役にも立たない。今からそれを御覧に入れよう」

 

 そう言うと彼は姉に歩み寄り、その白い手を取った。そのまま短剣を持った姉の両手を握り込むと、刃を自らの胸に突き立てる。

 短剣が肉に食い込む手応えにシェイローエは怯んだ。深く抉るように刃が沈み込むにも関わらず、彼の胸からは一滴の血液すら流れ落ちる事は無かった。

 

「代行者となったその時から、私の肉体は死んでいるも同然だ。血は凍てつき、痛みも感じない。望むものが無ければ、執着する事が出来なければ、私にはもう存在する理由など無い」

 

 短剣を握ったまま震える姉を掻き抱き、シェイルードは呟いた。

 

「だから共に行こう、姉上。あなたが来れば、この戦も終わる。あなた次第で、これ以上誰も傷つく事は無いのだ」

 

 シェイルードの囁きは心地よく、ひどく甘く耳に届いた。

 これも術のひとつなのかも知れない。閉じた瞼の裏に、優しく微笑むフラスニエルの姿がよぎる。彼女の目からは涙が伝い落ち、静かにその瞼を開いた。

 

 寂しげな微笑を見せた王にその心を捧げ、彼女はここまで来たのだ。全ては大陸を混乱に陥れた双子の弟と決別するために。

 身をよじって刃を引き抜き弟の腕から逃れると、シェイローエは短剣を構えながら後退した。意識の無いローゼルを庇うように屈むと、静かに口を開いた。

 

「お前は実の両親を殺害し、今は罪も無い人々を煽り虐殺して、大陸全土を混乱に陥れている。わたしはカイエ家の罪を贖うためにここまで来た。お前を止める事がわたしの望みだ」

 

 術を破り刃を向ける姉に、シェイルードはもう笑わなかった。

 静かに右手を挙げ、伸びる黒い影から巨大な鎌を引きずり出すと、それを手に大きく横へ薙ぎ構えた。

 

「……仕方ない。ならばあなたの死体を持って城へ戻るとしよう。物言わぬ死体であれば、私を拒絶はしまい」

 

 赤黒く輝く弟の瞳に、シェイローエの震えは止まらなかった。

三 ・ 浄罪の炎

 

 崩れた瓦礫と残骸の中でソウは目覚めた。

 一体何が起こったのだろうか。辺りは破壊し尽くされ、人影はひとつも無い。神殿の祭壇や中央の巨木はその姿を保っているものの、柱は倒れ床は砕けている。

 

 意識が消し飛ぶ直前の記憶を取り戻し、ソウは立ち上がった。

 鈍く伝わる確かな手応えに、クルゴスを『眠り』につかせたのは理解出来た。だが荒れ果てた神殿遺跡内にクルゴスの姿は無く、どこかに落ちているはずの銀盤を彼は探した。

 クルゴスが持つ銀盤は、使い方によっては恐ろしい威力を発揮する。人知を超えた器物が敵の手中にあるのは危険極まりない。

 

「銀盤さえ見つかれば……」

 

 ソウの願いも虚しく、銀盤はどこにも無かった。

 山となった白骨はうずたかく、彼は諦めて太刀を拾い上げた。

 耳をすませば、遥か西から人間たちの発するざわめきが聞こえて来る。そしてそこには、誰だか分からない代行者の気配があった。代行者は四人いるという。ならばそれが最後の一人なのかも知れない。

 

「クルゴスが目を覚ます前に、決着をつけるべきだな」

 

 白み始めた空を見上げ、彼は呟いた。

 

 

 

 大鎌を手に、シェイルードは姉ににじり寄った。

 それはどうやって絶命させればより美しいか、より迅速かを決めあぐねているように見える。

 シェイローエの持つ短剣では、到底大鎌に勝てる見込みは無い。術を使おうにもローゼルが背後にいる以上、巻き込まずにいられる訳がない。

 

「あなたが初めて地下へ降りて来た日の事は、今でも鮮明に覚えている」

 

 大鎌を引きずりながらシェイルードはぽつりと呟いた。

 

「カンテラの暖かい灯火に照らされたあなたは、私にとって太陽そのものだった。あの日、私は心に決めたのだ。……必ず太陽を手に入れると」

 

 シェイルードは大鎌を持ち上げると、大きく横に薙いだ。

 姉の美貌を損なわないよう、鎌の切っ先は喉下を狙っている。血を流し尽くし、冷たい石の柩にでも収めれば、数年後には美しい死蝋の人形が出来上がるだろう。

 

「他とは見た目の異なる子供を『異形種』などと呼び、地下牢に封じ込めた事で、私は本当の意味で『異形種』となった。だから私は、最期の時まで世界に相容れない者として存在し続けよう」

 

 ローゼルを庇い、シェイローエはその場から動かなかった。ただ目を閉じ喉を差し出す様は、全てを諦めたようにも見える。

 振り上げられた大鎌の切っ先が、突如鋭い金属音を立てた。ぎりぎりと競り合いをする鈍い音が響き、シェイローエはゆっくりと目を開けた。

 目の前には黒い軍服を纏った一人の男がいる。編まれた黒髪は静かに揺れ、手にした両手剣で大鎌の刃を受け止めていた。

 

「マルファス……?」

 

 大鎌を受け止める影に、シェイローエはそう声を掛けた。

 向こう側に見えるシェイルードの表情はみるみるうちに険しくなり、その目にはいつしか憎悪の炎が宿っていた。

 

「貴様……。ここに来てからずっと感じていたが、貴様の気配だったか『罪』。私の邪魔をするなら、誰であろうと倒す」 

 

 一度大鎌を退き、シェイルードは後ずさった。

 対するマルファスは黒曜石の両手剣を構えながら、言葉だけを背後のシェイローエに向けた。

 

「シェイローエ。キミは僕が現れるのを見越して無茶をしていたね? 代行者を手玉に取るとは、大したものだ」

「あなたはわたしを切り札だと言った。ならばあなたが思い描く筋道の駒がわたしである以上、必ずここへ来てくれると信じていました」

 

 その言葉にマルファスは一瞬押し黙った。だがすぐに口を開き、静かに呟きをもらす。

 

「……自らを駒だと理解しながら、目的を果たすためにその身を投げ打つのか。覚悟を決め、ひたすら道を進もうとするキミを、僕も信じない訳にはいかないな」

 

 そう言い、マルファスは振り返る事もなくシェイルードへ進み出した。

 

「悪いがここで彼女を死なせる訳にはいかない。お前が僕を倒すというなら、そうすればいいさ」

 

 マルファスの言葉が終わらないうちに、大鎌の鋭い切っ先が彼へと迫った。

 振り下ろされる重厚な刃をするりと躱し、マルファスは両手剣を右手だけで握った。

 

「ふん、バカめ。こんな狭い屋上で何をする気だ? 術でも使おうものなら、女たちが巻き添えになるぞ」

 

 古代語を呟き、空いた左手で術印を結ぶと、マルファスはそれをシェイローエとローゼルへ向けた。

 二人とマルファスの間には、まばゆい光の障壁が現れる。透明な壁はちりちりと耳障りな音を上げ、二人を完全に覆い込み保護した。

 

「女たちを護るか。殊勝な事だ。だが背後に気を取られて、足元をすくわれないようにするのだな」

「……護る? お前は代行者が誰かを護れると本気で思っているのか? 人を護るのはいつでも人だ。……痛みを感じない死人に護れるものなど、何も無い」

 

 シェイルードの大鎌をいなし、マルファスは皮肉めいた微笑みを見せる。

 

「代行者同士の戦闘など、何百年ぶりだろう。胸が躍るよ。さあ始めよう。……どちらかが、永い眠りにつくまで」

 

 身の丈ほどもある波打った刃をマルファスは軽々と振るった。

 黒曜石で作られた刀身は陽光を反射し、黒いガラスのようにきらきらときらめく。鎌の峰で剣の横薙ぎを払いながら、シェイルードは何かを口にした。

 

 次の瞬間、灼熱の炎が大地から噴き上がり、滝のようにマルファスの頭上へ襲い掛かった。

 火山の噴火さながらに溢れ出る炎を見て、シェイローエは体をこわばらせた。流れ寄る炎の波も障壁を破れず、彼女はローゼルを抱いたまま、その場で代行者たちの戦いを見つめた。

 炎の滝が発する水蒸気はシェイルードの姿を完全に覆い隠し、マルファスは微笑むと、剣を下ろし左手を挙げた。

 

「……子供騙しだね」

 

 煮えたぎる溶岩の濁流にも動じず、マルファスは何かを呟いた。触れただけで焼け焦げ蒸発しそうな熱風すら、輝く壁に阻まれて彼の身には届いていない。

 

「この程度なのか、お前の実力は。もっと僕を楽しませてくれると思っていたのに……期待はずれだ」

 

 溢れる炎の滝を斬り裂く大鎌も、まるで意に介せず彼は剣の刃先であしらった。

 押し返され後ずさるシェイルードに、マルファスは不敵な笑みを見せる。

 

「ちょうどいい。本物の炎を見せてあげよう。地獄の業火、亡者を灼く浄罪の炎だ」

 

 マルファスの周囲には、いつの間にかぼんやりと灯る無数の炎が渦巻いていた。青白い灯火はひとつ、またひとつと上昇しながら絡み合い、次第に巨大な塊となって天を打った。

 その振動は衝撃波を生み出し、四方八方へ轟いた。雷鳴を思わせる轟音に誰もが驚き、遥か頭上に浮かぶ巨大な火球に目を見張る。

 

「美しい炎だろう? もっと間近で見てみるといい」

 

 その言葉が終わるや否や、巨大な炎の塊は急速に降下を始めた。ぐんぐんと迫る火球を睨み付け、シェイルードは自身に保護障壁を張る。

 狭い物見台では逃げ場は無い。だが影の中に潜んでやり過ごすのは、彼の矜持が許さなかった。

 

 純粋な力と力のせめぎ合い。どちらがより強く上位に相応しいかを、この一撃が明白にした。

 

 めりめりと音を立てて火球が障壁を侵食する。

 膨大な熱量を内包した力場は、ともすれば力の反発によって吹き飛びかねない。だがこの場合は違った。マルファスの生み出した火球の威力は凄まじく、一方的に障壁を蹂躙し続けている。

 

「さらばだシェイルード。この程度で眠りにつくなら、所詮お前は僕の敵ではなかったという事だ」

 

 端正なおもてに凄絶な笑みを浮かべて彼は呟いた。

 シェイルードが押されている様に、マルファスの術力に、シェイローエはただ目を奪われた。

 

 人には、練り込める術力の限界というものがある。

 有限の命を持つ者は誰しも、持って生まれた器以上の術を行使する事は叶わない。体内に取り込んだ術力を増幅し補助するために、人は術符という触媒を使用するが、彼ら代行者はそれすら必要としていない。

 

 先達に師事して術を学ぶ者は、その器をいくらか引き伸ばす事も可能だ。それでも生きている肉体には限界がある。成長する肉体を持つ以上、細胞に掛かる負荷が大きい符術は老化を早め、場合によってはその命すら簡単に奪い取る。

 際限なく術力を練り上げ行使する者。それは肉体を破壊されても厭わない、死人だけに許された行為だ。

 

「代行者とは……死人、なのか」

 

 痛みを感じないと言っていた弟の言葉を思い出し、シェイローエはそう呟いた。

 破壊されても再生する肉体。痛覚すらなく、成長する事も老いる事も、そして死ぬ事すら出来ない。それが神の代行者だというのなら、それは神の遺した呪いにも等しい。

 

「わたしの血を分けた弟は死んだ……。もう死んだんだ。あれはもう、弟じゃない」

 

 代行者たちの戦いを見ながら、シェイローエは涙した。

 それは双子の弟に対してではなく、血の繋がらないたった一人の弟に対しての贖罪の涙だった。

 

「エレナス……」

 

 障壁を割り破った火球は勢いを増し、シェイルードを飲み込み押し潰した。シェイローエの呟きは崩れ落ちる石床と共に、掻き消えていった。

四 ・ 護りたいもの

 

 瓦解してゆく王城を見上げて、ダルダン王ギゲルはうめいた。

 

 何事もなく王城を抜け出られたものの、とてつもない轟音に見上げれば、城の一部が破壊され石壁が砕け散っている。

 奪回作戦では火薬や砲弾を使用し、城壁を損壊する可能性もあったが、その目で王城の崩壊を見るのはいたたまれなかった。

 

「どうなっているのだ、この戦は」

 

 ギゲルが王城を抜けた時には、ユーグレオル将軍が指揮を執り、市街で騎馬を用いての掃討戦を繰り広げていた。後方に弓兵隊も控えているのに戦列に加えず、全て待機させているのを訝しんだが、名だたる名将の采配に間違いはないだろうとあえて何も口を挟まなかった。

 折しもギゲルの部隊が敵の背後を強襲する形になった上に、彼らを捜索していた歩兵部隊が加わって、挟撃に成功したのも勝利の要因だった。

 

 王城が崩れ始めた事で、城内の掃討戦をどのように進めるか、彼らは思案せざるを得なくなった。

 伝令がもたらした戦況確認ではセトラ将軍が戦死し、その参謀が城内で行方不明になっているという。果たしてこの状況下で生存しているのか、不安は尽きなかった。

 

 轟音を立てる王城の崩壊は、とどまるところを知らない。

 獣人たちの死体を乗り越えながら、ギゲルは相談のために将軍の傍まで歩いていった。

 

 

 

 ローゼルを抱き締めながら、シェイローエは半ば気を失っていた。

 マルファスの保護障壁のおかげで二人には傷ひとつ無い。半壊した物見台の端にいたのが幸いし、彼女たちは落下せずにいた。

 身を起こしながらシェイルードの姿を探すと、火球が直撃した辺りにうずくまっている黒い影があった。崩壊しかかった石床の端にいるそれは、紛れもなくシェイルードだ。

 ふらつきながらも立ち上がろうとしている様は、怨念に支配された幽鬼のようにすら見える。

 

「何だ、やはりこの程度では眠らないか。まだ百年足らずしか生きていないというのに、なかなかのものだね。……だがそれでは僕には勝てない」

 

 言葉を発したのは、崩れていない城壁に立つマルファスだった。

 目に宿る冷たい侮蔑の色を見ると、彼が人ではない代行者だという事実をつぶさに思い知らされる。それでもシェイローエは彼を恐ろしいとすら思わなかった。目的が一致しているうちは強大な軍にも引けをとらず、そして心強い味方であるからだ。

 

 不意にシェイローエの手許が少しだけ軽くなった。

 見れば気を失っていたローゼルが目を開け、身を起こそうとしている。

 

「あ……。シェイローエ様。私……」

「大丈夫よ。まだ動いてはだめ」

 

 意識のはっきりとしていないローゼルに彼女は微笑んだ。

 

「あなたに術を掛けた男の力が弱まったんだわ。今は本人の意識を保つのが精一杯で、他に回す余力が無いはず。今のうちに下へ降りたいところだけど、足場を壊されてしまった」

 

 彼女たちの目の前にはぽっかりと大穴が開き、身じろぎをしただけで崩れて落下しかねない。

 この場を切り抜けられさえすれば、二人とも生きて帰る事が出来る。

 

 代行者たちの隙を探そうと窺うシェイローエの目に、彼らが同時に振り返る姿が映った。

 彼らが見ているのは東の空だ。そちらに何かあるというのだろうか。

 

「この気配は……クルゴスではないな」

 

 シェイルードは歯噛みしながら苦々しげに吐き捨てた。

 クルゴスではない代行者の気配。それは彼の支配下にはない『狂』のものだと理解したからだ。

 

「そのようだ。僕の友人の方が少々うわてだったようだね。生まれたての代行者同士なら、勝負も五分五分といったところだろう」

 

 ようやく立ち上がったシェイルードに、マルファスは笑いながら告げる。

 

「さあどうする? その状態で二対一はきついだろう。去るなら今のうちだ。……リザルに『あれ』を植え付けた件は、見逃しておいてやる」

「……何でもお見通しか。不気味な奴だ。次は私が貴様を眠りにつかせてやる。貴様にとっても懐かしい、あの城で待っているぞ」

 

 捨て台詞を残すと、シェイルードはたちまち影の中へと沈んでいった。

 その様子を、マルファスは感情の無い顔でただ見つめ続けた。

 

 

 

 ソウが王都ブラムへ着いたのは、神殿遺跡を発った翌日の夕方だった。

 人間の足では数日掛かるところを、彼はたった一日で踏破した。マルファスは力の使い方を何も教えてくれなかったものの、激しく吹きすさぶ風に溶け込むように走ると、驚くほど速く進めた。

 代行者とはやはり神に近い存在なのかも知れない。試してみれば意外に可能な事も多く、そのたびにソウは子供のように驚いた。

 風を操り、人よりも高く跳躍する。或いは漂うように宙を舞う。人であった頃は考えられなかった現象が、今現実となっている。

 

 丸一日走り通し、ソウはブラムの王城へ入った。

 走り続けるうちに、代行者の気配が二つになった事に彼は気付いた。後から増えたのは恐らくマルファスだろう。

 敵対する代行者同士が顔を合わせて無事で済む訳がない。たとえマルファスが千年近く刻を重ねる代行者であっても、必ず勝利出来るとは限らないのだ。

 

 ソウが辿り着いたのはブラムの北側で、門は堅く閉じられていた。

 近くに人影は無く、彼は風を操ってふわりと城壁を昇った。高く上るにつれ、城の様子がつぶさに見えて彼は驚きを隠せなかった。

 

 城外や市街に転がる獣人たちのおびただしい死体。破壊し尽くされた王城の物見台。そしてそこにはマルファスの姿が見える。

 崩壊を免れた城壁に降り立つと、ソウに気付いたマルファスは笑顔を向けた。

 

「やあ。思ったより早かったね。もっと掛かると思っていたよ」

「力の使い方すら分からないまま放り出されて、随分手間取ったさ。多少教えてくれてもいいだろう」

「口であれこれ説明するより、実践してみた方が理解しやすいからね。僕も師には随分ぞんざいに扱われたもんだ」

 

 世間話をするように笑うマルファスに、ソウは呆れて閉口した。

 

「それで、クルゴスはどうなった? 恐らく眠りについたと思うけど、銀盤は無かったのかい」

「最後に意識を無くしてしまって、何が起こったか判らない。手応えはあったが、目が覚めたらどちらも見当たらなかった」

「そうか。眠りについても、代行者はいずれ目を覚ます。早ければ数日、長ければ何百年も目覚めない事もある。こればかりは神のみぞ知る、というところだ」

 

 皮肉めいた言葉を口にしながら、マルファスは視線を移した。

 同じようにソウもそちらへ目をやると、そこには二人の女が見えた。そのどちらも息を呑むほど美しく、彼は目を向けたまま固まった。

 

「悪いけど、あの二人を地上に降ろしておいてくれないか。僕は行くところがある。……それと、もうひとつ」

「……注文が多いな」

「リザルとセレスをそれとなく監視してくれないか。気に掛かる事があるんだ」

 

 それだけ言うとマルファスは大カラスの背に乗り、南の空へ消えて行った。

 勝手なものだとソウは思ったが、女たちをそのままにしておく訳にもいかず、彼は石床を崩さないよう慎重に近付いた。

 近寄る影に気付いた女が顔を上げた。蜂蜜色の髪に新緑の瞳。尖った耳は彼女が精霊人である事を物語っている。女は黒髪の娘を抱き締めながら、ソウを見上げた。

 

「あなたは……? このような場所にいるのだから、常人ではないとお見受けしますが」

「私の名はソウ。東大陸の民ですが、故あって代行者『狂』となった者。お二人とも私に掴まって下さい。地上までお送りします」

 

 シェイローエと名乗った女は黒髪の娘を連れ、ソウの蒼い裾を握り締めた。

 彼女の美貌もさることながら、凛とした佇まいにソウは見惚れた。里にも年頃の美しい娘は何人もいたが、彼はいずれ親が決めた相手と所帯を持つのだろうと、あまり深く関わる事は無かった。

 

 たった独り、仲間も何もない独りだけの白狐族となって、ようやく彼は気付いた。これからは自分で生き方を決めなければならない。自分で愛する人を選び、仲間を築いていかねばならないのだ。

 すでに人外の身と成り果てながら、ソウは自らの心に誓った。愛する人を、仲間を護る。内に秘めた誰にも気付かれない想いを、彼は密かに抱いた。

 

 シェイローエとローゼルを地上に降ろすと、ソウは再び地を蹴って空高く舞い上がった。

 風に乗り、遥か南の王都ガレリオンを目指す。

 護りたいものが増えるというのは、仲間が増えたという事なのだろうか。そう思いながら、彼は夕闇とひとつとなり、夜風に溶け込んだ。

五 ・ 葬送

 

 シェイローエとローゼルが隊に復帰する頃には、すでに敵影は跡形も無かった。

 ユーグレオル将軍の指揮がなければ、今頃敗走していた可能性もあり、シェイローエは深く反省した。

 

 王城は半ば破壊されてはいたが、将軍は王都全体の掃討作戦を実行する命を下した。

 同時に糧食や兵装、備蓄の確認、近隣の偵察も行い、駐留兵団を置いて本隊は一度王都ガレリオンに戻す事に決定した。

 

 ユーグレオル将軍には、なるべく早くセトラ将軍を弔いたいという気持ちが強かった。乾燥した土地柄とはいえ、真夏の気温は容赦なく遺体を蹂躙する。

 誉れ高い武人を、在りし日のまま故国に送り届ける使命を最優先にしたのだ。

 

 将軍自身が選び抜いた精鋭を残し、本隊は一路ガレリオンへ向かった。

 遺体は酒などでわずかばかりの防腐処理を施されたが、気温による腐敗の進行はとどまるところを知らなかった。

 

 行軍を速めガレリオンに到着したのは、ブラムを発って三日後の早朝だった。

 先んじて訃報の伝令を受けていたフラスニエルは、到着と同時に王城を飛び出した。城門で棺を待ち、すでに涙も涸れたローゼルを見ると王自身も沈痛な面持ちで出迎える。

 

「ただ今戻りましてございます」

 

 フラスニエルに気付くと、ユーグレオル将軍が馬を降り跪いた。

 

「将軍。どうか顔を上げて下さい。あなたがいなければ、同盟軍は壊滅に追い込まれていたでしょう。あなたは恩人とも言うべき方です」

「いいえ。私がいながら、セトラ将軍の戦死を回避出来ませんでした。どのようなお咎めでも受ける所存にございます」

「ひとまず今後の方針についても、全て葬儀の後にしましょう。どうかお立ち下さい」

 

 ユーグレオル将軍を立たせ、兵たちには兵舎を開放し休ませた。将軍はフラスニエルに一礼すると、自らの主の許へと戻っていった。

 フラスニエルはその後姿を見送りながら、国葬と軍議の準備を侍従に命じた。

 

 

 

 レニレウス王カミオの仮邸宅となっている迎賓館のひとつに、ユーグレオル将軍は足を運んだ。

 周囲に誰もいないのを充分に確かめ、彼は主の待つ執務室へ入る。そこには幾分機嫌の良いカミオがいた。いつも不機嫌そうな主を考えると、不思議な事もあるものだと将軍は思ったが、言葉には出さず静かに敬礼をする。

 

「ご苦労だったな、リオネル。お前の報告してきた件は調べておいたぞ」

「ありがとうございます。して、いかがでしたか」

「お前の思った通りだった。黒も黒。真っ黒だ」

 

 カミオが執務卓にばさりと落とした書類に、将軍は目を落とした。

 その中にある陣図が描かれた一枚を手に取り、彼はしげしげと眺める。

 

「やはりあの流れ矢は仕組まれたもの……。あの位置から誤ってセトラ将軍の方向へ射るなどありえない」

「そうだな。お前の従者は相当優秀と見える。乱戦の中、かなりの情報を集め送って寄越した。セトラ将軍に流れた矢の他にもう一矢、おかしな位置で射られたものがある」

「まさか……」

「そのまさかだ。どうやら元からセトラ将軍を狙ったのではなく、あの女参謀を標的にしていたようだな」

 

 恐ろしい事態になったと将軍は頭を抱えた。

 暗殺を狙い、しかも別人に当たり死亡するなど、問題にならない訳がない。

 

「アレリア大公レナルドも調べておいた。恨みに思う部分があるとしたら、アレリア女王エリエルが病に倒れ、婚姻が破談になったところを女参謀に取って替わられた、といったところか。あまりに下らない話だが、恨みなど下らないところから始まるものだ」

 

 混沌とした宮殿で二十年以上も過ごして来たカミオの言葉には、胸が詰まるほどの重みがあるとリオネルは感じた。

 レニレウス王として即位した十二年前からは更に風当たりは強く、二十五歳の若き王を陥落させようと、反体制派はあの手この手を講じてきた。

 誰も信じようとせず、ただ独り暗闇の中に座し続ける。そんな孤独な闘争を続けて来た主君に、命すら捧げても良いとリオネルは思った。

 

「そうだ、リオネル。お前には言っておいた方がいいかも知れんな。……近々、ノアを解任しようかと思っている」

「ノア様を、ですか?」

「そんなに驚く話でもないだろう。あれを任せても良いと思える奴が現れた。それだけの事だ」

 

 驚く話ではないとカミオは言うが、リオネルにはアレリア大公の策謀よりも驚愕する内容だった。

 ノアがカミオの異母妹である事は誰も知らない秘匿事項だ。唯一の弱点にして、ただ一人の肉親。それを手放すと言うのだから、驚かない訳がない。

 

「あなた様が選んだ方なら、間違いはありますまい。……あとは我が君が王妃を迎えて下されば、私から申し上げる事は何も無いのですが」

「うるさいな。その話は国に帰ってからにしろ。とにかくあの大公から目を離すべきではない。真実が明らかになるまではな」

 

 自身の話になると途端に冷静さを欠く主に、リオネルは苦笑しながら静かに礼をして退出した。

 明日の葬儀に備えて休もうと廊下を急ぐ彼の耳に、窓から揺れる真夏の緑はさらさらと心地よい旋律を奏でていた。

 

 

 

 王都ガレリオンに本隊が戻った翌日、国を挙げてのセトラ将軍の葬儀が始まった。

 黒檀の大きな棺は鮮やかな草色の国旗と軍旗で覆われ、葬列は静かに王城を出て市街に入る。最前列と最後列には騎馬が、棺には徒が付き添い、人々は半ば伝説となった猛将に、涙ながらに別れを告げた。

 

 南門をくぐった葬列はやがて小高い丘へ登り、王家の墓所に到着した。

 おごそかな儀式の後に棺は埋葬され、滞りなく葬儀が終わると、警備兵だけを残し葬列は王城へ戻った。国葬で喪に服するのは三日間で、この間は軍議も行わず誰もが悲しみに暮れた。

 

 喪が明けたその日の午後、王や将軍たちを集めて軍議が開かれた。

 主な議題は今後の方針と指揮系統についてだった。奪回から服喪までの十日ほどで、ブラムや神殿遺跡周辺の偵察は終了し、彼らは教団の脅威が去ったと結論付けた。

 

「各主要都市や王都には、まだ教団員が潜んでいる可能性もある。その場合には確保を最優先とし、必ず届け出るという形で良いでしょう」

「神殿遺跡の件はどのようになっていますか?」

「首を掻かれた焼死体が一体、木に吊るされた遺体が一体。それ以外は獣人たちと巨大な獣の死体があったとの事。そちらにも調査団を送る予定です」

 

 様々な報告や遣り取りを聞きながら、フラスニエルは卓に着く面々を見回した。

 沈痛な面持ちのダルダン王ギゲルにユーグレオル将軍、無表情なレニレウス王カミオとアレリア大公レナルド。そして青ざめ俯く参謀シェイローエだ。

 

 この軍議の場に、フラスニエルはリザルの席を設けようとしたが、本人からの強い要望でそれを取りやめた。それは軍規違反のみならず、ヤドリギによる体調不良があったからだ。

 フラスニエルに対し、リザルは包み隠さず全てを語った。ヤドリギの事、クルゴスの事。神降ろしの儀式によって、リザルの内に邪神が顕現しつつあるなどという話はにわかに信じがたかったが、戯れでそのような冗談を言う男ではないと、フラスニエル自身がよく理解していた。

 

「……今後の同盟軍総指揮官にユーグレオル将軍を推挙したいのですが、よろしいでしょうか」

 

 それまでの沈黙を破り、フラスニエルは口を開いた。

 

「お言葉ですが、フラスニエル殿はいかなる理由の許に、その判断を下されたのですか。差し支えなければお聞かせ願いたい」

 

 冷静に言葉を挟むカミオに、フラスニエルは答えた。

 

「現時点では、完全に脅威が去ったとは言いがたい。ブラムの攻城戦では、人外の者たちが戦いを繰り広げていたとの報告もあります。教団が潰えたかどうかの判断にはまだ早い。人の手に大陸を取り戻すまでの暫定的な推挙とご理解下さい」

「なるほど。分かりました。だが当方のユーグレオル将軍だけでは、いささか荷が勝っている。もう一人、ネリアからも副指揮官を出して頂かねば」

「では故セトラ将軍の長女、セトラ中尉を指名致します。これで異存はありませんか」

 

 場には微かなざわめきが起きた。王族で将軍の子とはいえ、成人したばかりの娘を将軍職に着けるなど前代未聞だからだ。

 

「故人には二十七になる嫡子がおられたはず。そちらの方が角が立ちますまい」

「いえ。現在加療中にて戦線から離脱しております故、復帰の見込みがありません。中尉には参謀を伴わせますので、判断を誤るような事はないでしょう」

 

 淡々と語るフラスニエルに、カミオは訝しげな顔をした。

 

「では最後にひとつだけ。……フラスニエル殿は、何か隠してはおられませんか」

 

 その言葉にも表情を変える事もなく、フラスニエルは微笑みを浮かべながら答えた。

 

「……いいえ、何もありません」

 

 頑ななフラスニエルを見て、カミオはそれ以上突っ込む真似はしなかった。守りに入った者をつついても、得られるものは何も無いからだ。

 その後調査団と共に本隊をブラムに駐留させる決議がされ、軍議は閉会した。出席者たちはそれぞれの仮邸宅へと戻るために、一人、また一人と席を立った。

 誰もいなくなった会議室の廊下で、カミオは窓から外を見下ろした。夜の市街にはすでに送り火の松明は無く、日常の静けさが戻りつつある。

 

「味方にすら明かせぬ秘密に、人外の者たち……代行者か。面倒な話になってきたな」

 

 不意に空を見上げ、カミオは呟いた。

 

「ならばこちらも、好き勝手にやらせてもらうとしよう」

 

 含みのある言葉を残し、カミオは廊下を後にした。

 絨毯の敷かれた廊下は柔らかく足音を受け止め、その影を闇に飲み込ませていった。


 
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