大学の時、野球部に入っていた。中学も高校も野球一筋で、熱い青春を送っていた、のかもしれない。あの頃は楽しかったっけ、高層ビルが立ち並ぶ景色を帰りの電車の中から眺めている。終電が近いため、それほど混んでいない。この中のどれくらいの人が、「俺の学生時代は最高だった」と誇らしく言えるだろう。そんなことを考えながら、大学時代を思い出す。ケンゴは今――俺のことをどう思ってるんだろうか。
「たかゆき、おせーぞ」視界がぼやけている。目をこすって時計を確認すると、もうお昼をすぎていた。いっけね、寝坊だ。
「おい、たかゆき」
「わり、やったわ」ケンゴのモーニングコールで目が覚める。モーニングといっていいのかは分からないけど、とりあえずこれで部活には間に合う。寝間着のまま、部活道具を持って自転車にまたがる。大学は自転車で十分くらいの場所だ。グランドも併設されている。大学の授業はさほど好きじゃない。けど、ケンゴと野球する時はとても楽しかった。自転車で風を切る音が、徐々に大きくなっていった。
「おせーよ、たかゆき」
ケンゴは念入りにストレッチをしていた。一限から学校に行き、部活もさぼった所を見たことがない。真面目で、素直なやつだ。
「すまんすまん」いつも通りおどけてみせると、「しっかりしろよ」と厳しく、優しく注意してくれる。俺はそんなケンゴを仲の良い友人として、頼れる親友として尊敬していた。
「なあ」とケンゴらしくない、まるで赤点を隠している子供みたいに、呼び止められた。
「すごい儲け話があるんだけど、どうだ、やらないか?」
「はあ?」俺は耳を疑った。もう一回聞いてみると、やはり質問は一緒だった。
「だから、儲け話だよ。お前もどうかって」
「熱でもあるのか?」
「ねーよ」そんなことは知っている。けど、俺は動揺を隠せなかった。せめてもの、冗談だった。ギャンブルも風俗も行かないお前が、どうして――。
「俺は、普通が嫌なんだ」
「それは前聞いたよ」
「どこかで、特別になりたいんだ」
そんなの、俺もそうだ。口には出さず、スパイクのひもを結んだ。
「ただいまー」
息子の博孝は寝てる時間だ。けど、ユキは出張の時以外は、いつも起きて待っていてくれる。我ながらいい奥さんをとっ捕まえたと思う。
「おかえりなさい」
帰り遅いって言ったんだから、先寝てていいよ。と毎回メールするが、毎回起きている。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「今日は疲れてるね」
「ちょっと、大学の時を思い出しちゃってさ」別に、女関係じゃないぞ、と付け足しておく。
「はなし、時間ある時にでも聞かせてよ」
「うん」ありがとな。
ベットに入ると、安らぐはずなのに、今日はどうしても心のつっかえがとれなかった。
「ラーメン行こうぜ」
「おう。いいぜ」練習終わりに、ケンゴに誘われて近くのラーメン屋へ行くことになった。ケンゴがラーメンに誘う時は、大事な話をするときだ。儲け話が頭をよぎり、練習後の心地よさが連れ去られた。
ケンゴはチャーシュー麺。俺はラーメンライスセット。定番だ。
ずるずると麺をすするだけで、会話が弾まない。けど、ケンゴが切りだしてくるとしたら、チャーシューを全部食べ終えてからだ。横目で丼ぶりを覗くと、「なあ」とタイミング良く話しかけてきた。チャーシューは、全部あまっていた――。
「俺は、この話に乗ろうと思う」
「やめとけ」嫌な沈黙が包む。詳しい話を聞いたが、明らかに騙されている。全力で否定したいが、言葉が続かない。
「お前が、世界を知らないだけだよ」ケンゴはチャーシューを一枚、食べた。
思わずイラっとして「へー、すごいねー」といつものおどけた感じで答えた。
全力で、全身全霊、否定したい。言い返せないくらいに論破してやりたかった。自信もあった。けど、口に出せない。
「俺は、勝ち組みになるんだ。お前だって、勝ち組みになりたいだろ」ケンゴは熱く語っている。
しかし、あまりに抽象的すぎて、分からなかった。スープを一口。
「人生、勝ち負けじゃねーよ」
そう言って、後悔した。放り投げた言葉は、するするとケンゴに呑みこまれて、帰ってこない。
「じゃあ、びんぼーでもいいのか?」
いいはずが、ない。
「野球で、戦う前から勝ち負けじゃないって、練習中言うか?」
言わない。勝気で、練習してるのは自分だった。どんどん、追い詰められていく。ケンゴ、そーじゃないんだ。そーじゃなくて。
「リスクもあるけど、俺は賭けるぜ」
「……変わったな、ケンゴ」苦し紛れに出た言葉が、これだった。
「人は変わるよ」
「まるで日本の季節みたいだな」上手い事いってんじゃねーよ、とケンゴはチャーシューにかぶりついた。
お会計を済ませ、ケンゴの後に続いて店を出た。チャーシュー麺の丼ぶりには、チャーシューがまだ、残っていた。
今日も、残業で遅くなった。酔っ払いからイチャイチャしたカップルまで、日本は平和だなー、と訳も分からず車窓を眺める。ビルが所せましに立ちならぶ。今日一日を振り返ろうとすると、なぜか大学まで遡ってしまう。
ケンゴとは卒業してから会ってない。あれから、元気にしてるのだろうか。俺の尊敬していたケンゴは、存在してるのだろうか。心配するときりがない。
近くのカップルが、今日食べたラーメンの話をしていた。――ケンゴは、チャーシュー麺、まだ食ってんのかな。
無残にも残された、チャーシューを思い出す。今までだったら残すなんてありえなかったのに、ケンゴは変わってしまった。季節みたいな変わりようじゃない。春がきて、夏をうきうきと待ち侘び、クリスマスを誰と過ごすか考え、桜が咲く。こんな素敵な変化じゃない。ケンゴのはもっとこう、突然現れた雷雨のような、感じだ。雷が恐怖をもたらし、突風が行く手を阻む。そしたら、どうしていいか分からなくて……。
俺はきっと、置いて行かれた気がしたんだと思う。いつまでもへらへらしてる俺と対照的に、ケンゴは、将来を見据えた。手を伸ばしても、歩みは止まらなかった。けど、それと同時に助けたい気持ちもあった。明らかに、騙されていると思った。友達に相談しても「それはおかしい」という答えがほとんどだった。あの時、もっと反対してればよかったのかもしれない。騙されるな。そう一言直球で、ケンゴに投げてやればよかった。
「また、考え事?」
ユキがコーヒーを淹れてくれた。やっぱり、家は落ち着く。
「ケンゴって、覚えてるだろ?」ユキとは大学の同級生で、学内恋愛を経て結婚した。ケンゴは、用事があって行けないと連絡があった。やっぱり、悲しかった。
「覚えてるよ。仲よかったもんね」
うん。仲よかったんだ。けど、途中からどこかぎこちなくなってしまった。俺のせいなんだろうか。いくら思い返しても、答えは出ない。
「ケンゴ君が、どうしたの?」
「いや、な」
詳細を全部話した。ユキは「そんなことあったなんて初耳だよ。相談してくれればよかったのに」とふくれっ面になってしまった。大学の時と、お前は変わらないんだな。
「それで、ちゃんと止めておけばよかったって思ってるんだ」
「うん。俺は、臆病だったんだよ」
「どうして?」少しだけ、ユキは真剣になる。こっちも身構えてしまった。
「たぶん、ケンゴと衝突したくなかったんだよ。ほら、あるだろ、詐欺とかに引っ掛かると友達なくすって」そんなつまらないことを気にして、俺はケンゴに対して一歩引いたんだ。自分で言って、自分で理解した。衝突したことなら、いくらでもあった。けど、今回のケンゴと衝突したら、ぐちゃぐちゃになって修復不可能になってしまう。当時の俺は無意識にそうやって思ったんだと思う。臆病だ。
「なに暗い顔してんの。ケンゴ君なら大丈夫よ」
「だな」
ケンゴは、真面目で、素直だ。だから大丈夫。自分に言い聞かせた。
「まだ暗い顔してる」
たぶん、これだけじゃない。ケンゴとは楽しい思いでの方が多いはずなのに、こういう時だけ、苦みがじわじわと溢れてきた。
最近、ケンゴは部活に来ない。あんなに真面目だったのに、「賭け」をはじめて以来、学校もさぼり始めた。さぼるのは俺だけでいいのに。へそを曲げていると、携帯が鳴った。ディスプレイには、ケンゴと映っている。一呼吸置いて、電話に出た。
「今日、学校来なかったな」俺はわざと低い声で、威圧するように言った。
「ごめん、実は、病院行ってて」
初耳だった。
「なんの?」
「整形外科」
少し、嫌な感じがした。
「肘、おかしくして、手術しないと野球できないらしい」
喉の奥が、きゅっと締まる気がした。不思議と、言葉が出てこない。
「お前だったら、どうする? 来年は就活だし、微妙な時期だよな」
ケンゴらしくなかった。あまり人を頼らないお前が、「どうする?」だなんて。すこしの間考えて、言葉を放り投げた。それはど真ん中のストレートじゃなくて、変化球だった。
「まだ、あるんだ」自分から相談するのって、なんか恥ずかしい。
「悩みの種?」
「うん」
口の中が乾燥して気持ち悪かったから、コーヒーを一口、味わうように飲んだ。
「ケンゴが、手術しないと野球出来ないって電話してきて、お前ならどうするって相談されたんだ」
「深刻な相談だね」
そうなんだ。あいつの大好きな野球人生がかかってる。けど俺は……。
「なんて答えたの」
思い出すと、卑怯だなーって思う。
「分からない」
「自分で言ったこと、分からないの?」
「違う。分からない、って答えたんだ」ユキは目を細めた。
「それって、卑怯だよ」
だよな。誰が聞いたって、卑怯だ、と罵り蔑む。
「他になんていったの?」
「うーん。俺だったら、手術しない、とかかな」
「それ、本気でいったの?」
たぶん、本気じゃない。あの時の俺は、ケンゴとわざと距離を置いてた気がする。変わってしまい、騙されたケンゴ。そう思っていたけど、歩みを進めたケンゴを俺は僻んで、羨んでいたんだと思う。だから、適当に答えた。本気じゃない。
「手術は成功したの?」
心のそこに刺さったとげを、いじくられた気がして、ずきっと痛む。
「手術は、しなかったんだ。あいつ、俺の言う通りにしたんだ」
声が震える。あいつの野球人生を奪ったのは、俺だ。
「ケンゴ君も素直だねー」
素直って言葉が、俺を苦しめる。あいつは、素直なんだ。変わってなんかいない。ましてや、俺の手の届かない所にも進んでなんかいない。「賭け」に手を出したのも、馬鹿正直に話を鵜呑みにしたせいだ。野球人生がかかった手術も、俺の言う通りにした。
「ケンゴ君が、そんな大事な手術のことを相談するんだから、あなたは信頼されてたのね」
コーヒーに映る自分を睨む。
「あいつは、変わってなんかいなかったんだ」
「そうね」
「最低なこと、しちゃったよ」へへ、とおどけてみせる。「変わらないわね、そういうところ」
ユキは、「久しぶりに、電話でもしたら」そう言って寝室へ戻って行った。
電話帳を開く。ケンゴへ、発信、した。
深呼吸する間もなくケンゴは電話にでた。
「おう。久しぶりだな」
ケンゴはいつものケンゴだった。頼りがいがあって、素直なケンゴが戻ってくる。
「少し、話があってさ」
「会社で、上手くいってないのか?」
「いや、俺、手術のこと謝りたくて」
口が乾燥する。コーヒーを飲んで、うるおす。もう少ししかない。
「お前、謝るようなことしたか?」
「本当はおれ、お前ともっと野球したかったんだ。けど、手術しないなんて適当なこといって、ごめん」
ゆるしてくれ。俺は、卑怯者で、情けない男だ。大事な友達すらも見失ってしまうような男なんだ。
「変わってねーなお前」
そう聞いた時、何も言い返せなかった。頼りになって、真面目で素直なケンゴの前では、言葉が出ない。
「気にし過ぎなんだよ。だいたい、あの時お前が適当に答えたのなんて、お見通しだ。それでも俺は、自分の選択で、手術しなかったんだよ」
ははは、と気が抜けて声がこぼれる。流石だよ、ケンゴ。お前は変わってなんかいない。ラーメンのときも、今も。
「また、ずるずるとラーメン啜りに行こうぜ」
「おまえがラーメンに誘う時、たいてい大事な話しする時だよな」
ばればれか、とケンゴは小さく笑う。
ラーメンの約束をして、電話を切った。今日は、気持ちよく寝れそうだ。
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ずるずると引きずってしまった、一人の男の物語。