No.572502

【TOX2】コーリング・2【アルエリ】

スパコミ委託先:5/4 う50a「アリオト」様 展開違いの同人誌版:http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/10/77/040030107773.html

2013-05-03 20:01:02 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1943   閲覧ユーザー数:1929

 

二人の通話時間は飛躍的に伸びた。飛躍的といって差し支えないほど、みるみるうちに増えた。

仲間の好奇の目にさらされないということ、そして直接顔を合わせていないせいであろう。普段、面と向かって言えないようなことも、GHSを介してなら不思議と伝えることができる。何気ない会話の重要性に気付いたアルヴィンとエリーゼは、折につけ、GHSを通して聞こえてくる相手の声を求めた。

勿論、居場所が遠く離れ、時差がある場合は互いに遠慮をするのだが、そういう時は代わりにメールの往来が増えた。メールは相手の事情をあれこれ考えなくても良いという利点がある。しかし、彼らは利便性より会話を重視したのだった。

「アルヴィン、ごめんなさい」

その日のエリーゼは、ひどく思い詰めていた。

会話を仲間に聞かれないよう、宿の外にでも出ているのか。唐突に謝罪してきた彼女の後ろでは、虫の声がしている。

「エレンピオスへ来ること、知らせなくて」

エリーゼは後悔の嘆息を漏らした。

「自由時間は元々設けられていないし、スケジュールは詰まっていたし、それに職員の方がつきっきりだと言われて・・・これじゃ、会えないと思って・・・。会えないくらいなら、いっそのこと黙っていようと思って、それで・・・」

「そうだったのか」

長らくアルヴィンが引きずっていた疑問は、こうして春の雪のように解け消えた。

カラハ・シャール親善団の話が持ち上がった時、彼女はまだGHSでの遣り取りに不慣れだった。だから、その対応は彼女なりの気配りであり、処世術だったのだとアルヴィンは解釈したのである。ただ、少なくともエリーゼが、彼に不審を抱いたが故の行動ではないことは確かだったのであるから、それを知れただけでも大収穫であった。

「本当に、ごめんなさい」

少女の声は暗く、落ち込んでいた。電話口で金の頭を下げている様が、目に浮かぶようである。

男は気にしていない、とエリーゼを心から慰めた。

「次、もし来ることがあったら教えてくれよな?」

「はい。・・・ああでも、アルヴィンが許してくれて良かった」

何かほっとしちゃいました、と言うエリーゼは、明らかに胸を撫で下ろしていた。

一方のアルヴィンは首を傾げる。

「許す・・・?」

「だって、その・・・怒ってましたよね?」

「は?」

男の目は点になる。

「みんなに言われたんです。どうしてアルヴィンに連絡しなかったんだって」

みんなって誰だよ、と吼えそうになるのを、アルヴィンは慌てて飲み込んだ。

(・・・ってあいつらか。あいつらしかいねーわなジュードとかレイアとかローエンとかプラスでバランとか)

あのお節介野郎どもめが。帰ったら只じゃおかねえ。

男は反撃の意志を新たにする一方、努めて平静を装い通話を続けていた。

「・・・別に俺は怒ってねーよ。ただ・・・」

「ただ?」

「ただちょっと・・・凹んだだけだ」

「凹む?」

アルヴィンは軽く宙を見上げた。

「・・・信じてもらえてないのかって」

「それだけはないです」

エリーゼは間髪入れず即答する。それから、少し笑いを含んだ声で続けた。

「一年前に言ったでしょう? 信頼してるって。もう忘れちゃったんですか?」

「忘れるわけないだろ! 忘れたことなんか一日たりともねーけどよ。やっぱこういうことあると不安になるんだよ・・・」

こういうことをされると。

折角自分の祖国への訪問が決まったのに、すぐ近くまで来ていたのに、そのまま何も言わず誰にも告げず、帰国するような真似されると。

音には、今までの実績がある。裏切りと嘘と保身に塗り固められているという嫌な実績は、そのまま心の弱さとなって現れる。

信じて欲しい人に、信じてもらえていないのではないか。一度そう疑い始めると、後はもう、きりがなかった。

「アルヴィン」

電話口の向こうで、彼女が男に呼び掛ける。

「わたしは信じています。いつだって心の底から、アルヴィンのことを」

もしかしたら、とエリーゼは気付いたように続けた。

「信じていたから、連絡しなかったのかもしれないです」

「・・・そっか」

アルヴィンは答えた。それだけ言うのが精一杯だった。

エリーゼは、信じていたから訪問を告げなかったのかもしれない、といった。それは彼女の過信である。エリーゼが何も言わなかったのは自分を信じてくれているからだと思えるほど、男は強くない。

それでも、今日のお陰で少しだけ強くなれた気がした。彼女に信じていると言って貰えたから。何のてらいも迷いもなかった。微塵の周知さえ、断言した声には含まれていなかった。

誰かから信じていると言われた時、それまでの男なら即座に雲隠れを考えた。信頼という言葉ほど、裏腹な代物はないからだった。信頼と言う言葉を吐く口には、生命の危機を伴う、危険な臭いが漂っていた。

けれどエリーゼは違った。彼女の言葉は真実だと思った。頭から信じられた。あれだけ信用と信頼を寄せられることを恐れていた彼が、初めて得たいと思った。それだけに、告げられた時の感動は一塩だった。

アルヴィンは、寄せられる信頼を嬉しいと思える自分で良かったと、心の底から思った。

 

ここのところ、商人はやけに機嫌が良い。

「ルドガー昼飯まだなのか。だったら一緒に喰おうぜ」

連れて行かれた店は、俗に言うジャンクフードを出す店だった。胡麻を振ったパンの間に牛挽き肉と野菜、チーズ等を挟んだものを提供する、質より量と早さを競う類の飲食店である。

といっても、男二人が陣取った店舗は、その手の店にしては少しばかり雰囲気が違っていた。掃き清められた板張りの床に、そここに置かれた観葉植物の鉢、机上のガラスの器には雛菊の花が三つ浮かんでいる。窓の向こうはちょっとした庭と化しており、晴れた日にはこうして店の外で食事をすることも可能となっていた。

小洒落た、という形容詞がしっくりくるこの店は、他のチェーン店とは明らかに一線を画していた。店内の設えだけの話ではない。出される食事も店員の質も非常に洗練されており、料理にうるさいルドガーも、これには舌鼓を打った。

「あ、うまい」

てんこもりになった芋の素揚げをつまみ上げた新米エージェントは、思わず感想を零した。

氷が並々入ったグラスに炭酸を注ぎながら、商人が片目を瞑る。

「だろ? お前料理好きなのに、一度も来たことないって言ってたからさ。味付けとかの研究とか熱心そうなのに」

「評判の店だっていうのは知ってたんだけど、どっちかっていうと女の人向きなんだと思ってたから。お洒落な雰囲気とか、野菜多めのメニューとか。あと・・・結構いい値段するだろ?」

申し訳なさそうにルドガーが言うのには訳がある。彼の注文した料理は、アルヴィンのおごりだからだ。

飲食店の性質として、店の質を良くしようとすれば、必要経費は料理の単価に跳ね返る。この店も例外ではなく、普通にセットを頼むとレストランで摂るのと変わらない値段を要求されてしまう。会社勤めとはいえ、新人が気軽に昼食を楽しめるような店ではないのだ。

「でもその分、客質は格段にいいからな。駅から近いし、簡単な打ち合わせなんかにも使える。中々使い勝手がいいんだぜ?」

折角のおごりなんだから気持ち良く食え、と豪快に笑われて、ルドガーは改めて咀嚼を開始した。

「アルヴィンは、ここの常連なんだな。なんかそんな感じがした」

注文をいう時の慣れた口調。席を選ぶ足取りにも迷いがなく、配置を覚えているのだと知れたのだ。

「常連ってほどは来てないけどな。ただまあ、ここだといつでも食事が取れるから、そういう意味で、ありがたく使わせて貰ってるよ」

「じゃあ、私も通わせて頂こうかしら」

突然降って沸いた声に男二人の動きが止まる。硬直するルドガーの肩口に、蝶のように舞い降りたのはミュゼだ。精霊ミュゼは、二人の視線など物ともせずに、皿から料理を摘み上げた。

「あら。本当に美味しいわね」

「ミュゼ! 人の料理を勝手に食うなっ!」

俺はお前におごると言った覚えはないぞ、とアルヴィンがまくしたてると、ミュゼはわざとらしく目を見張った。

「まあ怖い。そんなに心が狭くちゃ、エリーゼに嫌われてしまうわよ?」

「な・・・っ!?」

金魚のように口をぱくぱくさせる商人に、同情の視線を送りながらルドガーは精霊を窘める。

「ミュゼ。許可なく、他の人の食料や食事を奪ったら駄目なんだぞ。精霊界ではどうなっているか知らないけど、少なくとも人間の世界では、食べ物を得るには対価が必要だ」

「対価?」

「手っ取り早いのは通貨。昔は、物々交換という手段も用いられていたようだけど」

「でも私、今までそんなもの払った覚えがないわ」

小首を傾げるミュゼに、ルドガーは溜息を落とす。

「だから今、君の代わりに支払っているんだろ? ガイアスが、労働という対価で」

渋面を晴らそうともせず、ルドガーは背後を示す。そこにはゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる、リーゼ・マクシア統一国家国王の姿があった。

肩で風切る風格は普段どおりであるものの、全身から滲み出る疲労の色は隠れようもない。商人は国王のために、椅子を引いてやった。

「今日のノルマ終わったのか。全く、お疲れ様だぜ王様」

「おお、すまぬ」

席に着きながら珍しく心から謝辞を言い、国王は空いているグラスに注がれた炭酸を煽ろうとした。

「ガイアスも大変ねえ」

実も蓋もなくミュゼが、ほう、と溜息を零す。零しても決して、口元を動かすのを止めない精霊を見るなり、国王は血相を変えた。

「ミュゼ、またお前はつまみ食いを――っ!?」

激昂しかかった国王を、ルドガーは制する。

「大丈夫だガイアス。彼女が食べたのは、これは僕らの食事だ」

「全然大丈夫じゃないけどな」

ぶすっと商人が空になりつつある皿に目を落とす。彼の食事は、いつの間にか食欲魔神の精霊に食い散らかされていた。

だがルドガーの言い分を聞いて、国王は胸を撫で下ろした。

「被害者が身内で良かった。これならば何とかなる。そうだろう? アルヴィン」

「個人的にはこういうの、うやむやにされたくねえんだけどなあ。食事の恨みは怖いぞー?」

「だが貸し借りをツケにすることはできよう。いずれ返す。――ミュゼ、聞いているのか?」

「ふぁい?」

顔を上げたミュゼは、付け合せの温野菜を頬張っている真っ最中だった。三人は特大の溜息をつく。

「俺に借りを返すのはあんただってことだよ。大精霊様」

気分は借金取りだ、と商人が内心呟いた時、ルドガーのGHSが鳴った。三人はそれとなく聞き耳を立てる。

「ヴェルから。――仕事だ」

GHSを切るなり、クランスピア社のエージェントは仲間に言い放った。

招集をかけるまでもなく、頭数は揃っていた。ミュゼは他の仲間への伝言と物資の調達をすべく飛び立った。大精霊が戻ってきたら出発だ。その前に、ルドガーとアルヴィン、そして追加注文をしたガイアスは腹ごしらえを済ませる。

「本来なら、もっと時間を掛けて味わいたい料理なのだがな」

実に勿体無い、と至極残念そうに言いながらも、国王は食べ物を口へ運ぶ速度を緩めようとしない。隣でもアルヴィンが同様に料理を掻き込んでいる。彼の料理はミュゼに殆ど食べられていて、不憫に思ったルドガーから、自分の料理を分け与えられたのだ。

「けど、料理屋探す手間省けて良かったじゃねえか。良いタイミングだったと思うぜ、俺は」

確かにアルヴィンの言う通りだ。この時間帯で大の男の腹を満たす料理が出てくる店を探すのは、中々に困難を極める。仕事の電話が、たまたま遅めの昼食にありついている最中に掛かってきたのは、ささやかな幸運と言うべきだろう。

ただ国王の言い分も尤もだったので、ルドガーは肩を竦めた。

「ゆっくり堪能できないのは、本当に残念だけどな」

空の皿を前にした三人の前に、ミュゼが荷物を手に舞い降りる。それを皮切りに席を立った一行は、分史世界へと突入した。

辿り着いた場所は、星の輝く荒野だった。夜空一面、満天の綺羅星である。加えて月も出ているが、それにしては妙に明るい。最たる原因は、大地を覆う雪だった。

「うー寒いっ! この寒暖差は、中々に堪えるぜ」

言うなり、商人は盛大なくしゃみをした。さっきまでエレンピオスの片田舎で穏やかな午後の日差しを浴びていた身体に、極寒の北風はきついものがある。平然としているのは雪国出身の国王と大精霊だけだ。

「悪い。潜入先言ってなかった」

「モン高原か。吹雪いてないのは、幸いだったな」

流石に土地勘のある国王には、辿り着いた場所がどこなのか、すぐに分かっていたようだ。モン高原は開けた土地で積雪により視界は明るいものの、夜は魔物の領域だ。地元の人間ですら、夜間に高原を突っ切らないという。

「つーか俺ら、ルドガーが時歪の因子、破壊するまで正史世界には戻れないんだよな。だったら今日はもう諦めて、宿取ろうぜ」

商人の提案はぼやきに近い。国王もまた、腕組みをしてこれに同意を示した。

「闇夜では、因子を見つけるよりも見落とす可能性の方が高い。探索は、明日以降にすべきだろう」

丁度良く、偵察に出ていたミュゼが舞い戻った。

「向こうに灯りが見えたわ。街――シャン・ドゥは、どうもあっちみたい」

闘技大会の開催の有無に関わらず日中は人でごったがえすシャン・ドゥの表通りも、夜は実に閑散としていた。遠くから野犬の遠吠えが聞こえる中、叩いた宿は、幸いにして空き室が残っていた。

「ごめんなさいね。私一人、部屋を使わせて貰っちゃって」

ミュゼは鍵を、申し訳なさそうに受け取った。そんな精霊に、ルドガーは笑う。

「いいんだよ、気にしなくて。俺達と同室に泊まって、他の宿泊客や宿の主人に、変に勘ぐられたら嫌だろう?」

「私は構わないけれど。でもルドガーが疑われるのは嫌だし、有り難く休ませて貰うわね。大精霊の威厳と尊厳を集めるために見目麗しい女型にしたのだけれど、実際問題、こういう時不便ねえ」

国王が前金を支払っている横で、商人が何かに注目していた。ルドガーはそっと視線を辿る。どうやら宿の一角に設えられている酒場が気になるらしい。

アルヴィンの注意を引き付けたものの正体は、すぐに知れた。客の多くが出来上がりつつある酒場の隅で、四人の男が一つの卓を囲んでいる。その身なりや人相からして、あまり育ちが良さそうには見えない。

「いかにもって感じの連中だな」

荷物を抱え直す振りをしつつ、ルドガーはそっと耳打ちをする。アルヴィンは、一つ肩を竦めて部屋の方へ歩き出した。あまりじろじろ見て、因縁をつけられでもしたら面倒である。

だがミュゼは好奇心をくすぐられたようだ。

「あら、でも面白そうじゃない。少しくらい、盗み聞きしたって――ガイアス、どうかしたの?」

国王の足が止まっている。その顔からは、一切の感情が消えていた。彼は既に酒場に背を向けつつあったが、注意は未だ、卓の男達に注がれていた。

「ジャオだ」

「なんですって」

ミュゼは真顔になった。言われてアルヴィンは、背中越しに改めて男達を盗み見る。糸のような目の、中肉中背の男。確かに国王の言うように、ジャオの面影があった。

「ジャオって?」

部屋で旅装を解いた四人は、早速顔を突き合わせて車座になった。その場でルドガーは、先ほど階下で見た横顔を思い浮かべつつ、口火を切る。

エージェントの疑問に答えたのは商人だった。

「四刃象の一人だ。ガイアスの部下だよ。いや、だったと言うべきかな」

部屋に辿り着いてから無言のままの国王を憚るような答えに、ルドガーは手を振った。

「それは知ってるんだ。この間、分史世界で見たから。ただ、その時と比べると何だか雰囲気が違ってて、とても同一人物には思えなくてさ」

「そういやそうだなあ」

指摘されて、アルヴィンは改めて垣間見たジャオの風貌を思い返す。確かに彼の記憶の中のジャオとは、似ても似付かぬ格好だった。国王に指摘されて初めて気付いたくらいなのだ。多分、ジャオがキタル族の民族衣装を纏っていなかったこと、そして痩せていて、ぱっと見、大男という感じがしなかったから、分からなかったのだろう。

そこまで考えて、アルヴィンははたと気付く。ジャオが肥える前ということは、つまりここは、過去の世界だということだ。

そんな商人に、国王は部屋に置かれていた新聞を見せた。

「見ろ」

アルヴィンの横から同じく覗き込んでいたミュゼが、小首を傾げる。

「あら、日付が変ね」

「変じゃなくて、昔なんだろ。過去の分史世界なんだよ。寧ろ、変なのは俺達の方だ」

言いながら、アルヴィンは自らの言葉に薄ら寒いものを覚えた。異質なのは自分達――分史世界においては、正史世界の自分達こそが忌むべきもの、時歪の因子のような代物なのだ。事実を改めて突きつけられて、アルヴィンは自分が否定された気持ちを抱いた。無意識のうちに、手が胸元のGHSに伸びる。

「この年月日と時事から察するに、十年ほど前といったところか」

新聞にざっと目を通していた国王は、そう結論付けて新聞を折り畳んだ。ルドガーは問い掛ける。

「どうするんだ? ガイアス」

「どうする、とは」

「あなたの未来の部下が、悪事に手を染めているみたいだけれど、見過ごすのか、ということをルドガーは聞いているのよ」

「是非もない。止めるまでだ」

力強く国王は断言した。

「けど、ジャオはまだ、あんたの部下じゃないんだぜ。何の責務もないんだから、放って置いてもいいんじゃないか? 俺達の目的は時歪の因子を破壊することなんだから」

優先順位を変えてまで対応すべき事柄ではないはずだ、と商人は冷静に指摘する。だがそんな言葉で揺らぐような決意を、この国王がするわけもなかった。

「確かにこの世界のジャオは俺の部下ではない。だが、それ以前に、ここは俺の祖国だ。我が国内で狼藉を働く者を、断じて許すわけにはいかん」

決まりね、とミュゼは面白そうに笑うと、窓の外へ身を躍らせた。

ミュゼの動きは早かった。現在の一行における、己の担当は明確だった。彼女には飛行能力がある。空間を自由に飛びまわり、地上の様子をつぶさに観察、報告する。ミュゼにとっては何でもないことだが、戦略を立てる上でこれ以上有益な情報はない。上空からの偵察は、地面に足をつけるしかないルドガー達の優位に直結する。

室内で手早く打ち合わせる三人を尻目に、大精霊は窓から躍り出た。再び雪の舞い始めた宵闇の中、水色の複雑な曲線を描く羽根をはためかせ屋根まで飛び上がり、風見鶏の上にそっと立つ。

ジャオを含めた例の四人組が、今宵行動を起こす確証はない。もしかしたら骨折り損のくたびれ儲けで終わるかもしれない。だが、見張りが空振りに終わってもいいのだ。自分の行動が誰かの役に立てているなら、それは決して無駄ではないのだから。

扉の開閉音がした。下を見ると、宿屋の正面玄関から光が洩れている。そこから人影が転がり出てきた。

ミュゼは美しい弓を描く眉を顰める。予想していたより早い。ルドガー達が酒場に降りていってから半刻も過ぎていないのに、もう動きがあるとは想定外である。

ジャオ達とは無関係の、例えば宿屋の従業員なのかもしれない。だがそれにしたって、時刻が時刻だ。こんな夜更けに宿を出るなど、怪しい者ですと自己紹介しているようなものである。それに、ガイアスも言っていた。地元の人間でも、夜の外出は極力控えるのだと。

ミュゼは無言で滞空する。まるで逃げるように飛び出してきた人影は二つ。一人がもう一人を抱かかえるように支えながら、雪の積もった表通りを足早に駆けていく。外套を羽織っているから人相までは分からないものの、これはあの男達ではないとミュゼは思った。

他にも悪事を働こうとしている人間が、宿泊客として泊まっていたということか。ミュゼは迷ったが追尾すべしと判断し、粉雪と共に眼下の影を追った。

小雪の舞う中、影は街を北上する。気温の低いア・ジュールの夜だ。路面はたちまちのうちに白く染まった。そこに残る足跡は、驚いたことに三つあった。積もったばかりの雪を踏む、小さな足跡。二人は子供を連れているのだった。

彼らが大橋に差し掛かったところで、影の前方に、もう一つの影がのっそりと現れた。

影はぎょっとしたように止まった。雪を踏み、大柄な影が近づくにつれ、じりじりと後退していたが、突然また駆け出した。さらに北へと向かうようだが、その方角にはモン高原への地下道と船着場しかない。

シャン・ドゥでは夜間、街道へ抜ける全ての門が閉ざされる。魔物の侵入を防ぐためだ。夜が明けるまで、ここは陸の孤島と化す。だから内部から外へ向かうことも、勿論できない。

それを知っているのか、逃げる影は船着場へ駆け下りていった。夜間ゆえ、船着場は無人だった。船頭もいなければ船もない。どうやら船で川へ漕ぎ出すことを思いついたようだが、宛ての外れた今、その作戦は完全に裏目に出ていた。

袋小路に追い込まれて、影は観念したように、川に背を向けて立った。覆いが外れた青年の端正な顔に、雪は容赦なく降りかかる。

追いついた影の手には武器がある。大槌だ。大人の身長ほどは優にある、巨大な金鎚である。

「全く、勘の良い奴だ。俺達がこの街に来ていると、良く分かったな」

上空でミュゼは目を細めた。間違いない。これはジャオの声だ。

軽蔑を含んだ笑いを浮かべるジャオに、青年が怒鳴る。

「何度来ても無駄だ。ゴーレムの設計図は渡さない! これはリーゼ・マクシアの未来を変えてしまう兵器だ!」

「そうさ。だから知っている者は少ない方がいい。普通はそう考える。そしてお前さんのように、敵国に逃げ出したような奴は、真っ先に消される決まりなのさ」

一瞬の間が空いた。図星を指され、青年が言葉に詰まったためだ。

「・・・僕が殺されるのは構わない。だが妻と子供は無関係だ」

「無関係? そいつはどうかな。お前さんが、うっかり話しちまってるとも限らないんでね」

「僕は技術者だ。機密情報の取り扱いについては熟知している。漏洩などありえない」

「口先では何とでも言えるさ。・・・さて、と」

とんとんと肩を叩いていた大槌を、ジャオは片手で振り下ろした。風圧に負けた雪が、紙吹雪のように夜を舞う。

威嚇に負けじと仁王立ちになる夫の後ろで、妻らしい女性が懐を探り、子供に手渡すのが見えた。

「宿の鍵よ。これを持って、先に戻ってて」

有無を言わさぬ声音で彼女は言い、しゃがみ込むと我が子の肩を包み込んだ。

「一人でも、戻れるわね?」

母親に押し出され、子供がたたらを踏む。振り返ろうとする我が子を、母親が鋭く制止する。

「振り返らないで! 走りなさい、早く!」

雪すら掻き消す絶叫が川面を打つ。びくりと怯えた小さな影が、やがて走り出す。だがそれを大人しく見逃してくれるようなジャオではない。残忍な笑みを浮かべて、大槌を振りかぶった。

「穿て旋風! ウィンドランス!」

ミュゼの唱えた精霊術がジャオに一直線に迫る。彼はその巨躯に似合わぬ素早さで横へ飛び退いた。

「ちっ・・・てめえら傭兵雇いやがったのかっ」

「別に雇われた訳じゃないわ」

歯軋りをするジャオに、ミュゼはおっとりと答えてやる。宙を漂う姿に少しでも畏怖してくれることを期待して、大精霊はジャオと夫婦の間に降り立った。

「悪事を見過ごせないお人よしの王様が、仲間にいただけのことよ」

「はっ。王様が仲間ときたか。こいつは傑作だ。そんな奇特な王様が、このリーゼ・マクシアにいるもんかっ。いるなら毎日でも拝み倒してやるぜ」

「実際、あなたはそうするわ。心の底から畏敬と親愛を持って、王に仕えることでしょう」

余裕を持って受け答えしているものの、ミュゼは内心焦っていた。ジャオはかつて、四人で戦って互角だった相手だ。大精霊の力を持ってしても、一人で対処するのは不可能である。しかも他人を庇いながらの戦闘だ。

ミュゼには、あまりにも荷が重すぎる状況だった。

 

室内に残った男三人は、ものの数分で計画を纏め上げていた。

先ほど垣間見たところでは、四人はあまり酒が入っているようには見えなかった。時間潰しのために呑んでいるのなら、これから仕事という状況なのかもしれない。その可能性は大いに有り得る。

とりあえず酒場の様子を見ないことには始まらない、と国王と新米エージェントは脱いだ上着を肩に乗せ、ネクタイを緩めつつ階段を下っていった。

二人に倣い襟元を緩めたアルヴィンは、階段の踊り場で足を止める。前を開けた上着に手を突っ込み、GHSを取り出して履歴の中の見慣れた番号へ電話を掛けた。

呼び出し音が鳴る中、やや乱暴に引き抜いたネクタイを上着に押し込む。襟のボタンを二、三個外しながら、壁に凭れることしばし。

(・・・出ねえな)

分史世界では夜だが、エリーゼのいる正史世界はまだ陽も沈んでいないはずだ。特に予定もないはずなのに、これだけ鳴らしても出ないとは珍しいと思ったが、応答がないのはどうしようもない。

商人は、呼び出し音しか聞かせてくれない電話を切った。

階下から皿の割れる音がした。続いて罵声。酔客の悲鳴と物の割れる音が断続的に続く。

だがそれらは、商人が溜息をつきながらGHSを仕舞うと、ほぼ同時に収まった。

「なにやってんだお前ら」

階段を踏み締めながら、酒場の惨状にアルヴィンは呆れた。その態度には驚きより、度し難い連中、という思いが全面に出ていた。

「売られた喧嘩を買っただけだ」

ごきごきと首を鳴らしながらの国王の言葉に、隣のルドガーが頷く。

既に片付けを始めようとしている彼の足元には、男が数人転がっている。確認するまでもない。彼らが目をつけていたジャオの一味だ。

アルヴィンには話を聞かなくても、顛末が手に取るように分かった。大方、ルドガーが酒場の主人とマスターに金を掴ませている間に、ガイアスが一味の神経を逆撫でするようなことを言ったのだ。逆上した彼らは、酒のせいもあって相手の実力が測れなかった。結果、こてんぱんにのされたのである。

「あのなあ・・・。ったく、喧嘩早くて血の気の多いとこまで、誰かさんにそっくりだぜ」

「何か言ったか」

「ミラとそっくりだなんて、誰も言ってねえよ。――すまねえな、騒がしくしちゃってよ」

アルヴィンはへらりと笑い、金貨の入った袋をカウンターの上に置いた。黒服の男は箒とちりとりを手にしながら、苦笑した。

「そのお客様、毎日のように一杯で粘っていましたからね。そろそろお引取り願おうかと思っていた所だったんですよ」

「毎日・・・?」

怪訝に思った彼を、ルドガーが呼んだ。

「今度は何だ」

「アルヴィン。一人足りない」

「何」

ネクタイで縛り上げられた男達を数える。項垂れているのは、確かに三人だけだ。

尋問していたガイアスが厳しい顔で告げる。

「既に仕事を始めていたようだ。どうも、この宿に止まった夫婦に目をつけていたらしい」

「夫婦を監視して、動きがあったら知らせる。そのために三人は酒場に残っていたんだ」

アルヴィンは腕を組む。

「つまり、夫婦に動きがあったんだな?」

人手のあった彼らは、仲間を二分した。宿で夫婦を監視する係と、待ち伏せする部隊とに分かれたのだ。

「半刻ほど前に、宿から出て行ったらしい。まだ戻ってないって」

ルドガーの言葉は、夫婦も待ち伏せ部隊も、という意味である。ならばまだ凶行に至っていない可能性も残ってはいるが、ごく僅かだ。

国王は顎を引く。手には既に長刀が握られている。

「この街は日没と共に門が封鎖され、翌日の日の出まで開かない。夫婦もジャオも、街のどこかにいるはずだ。探すぞ」

玄関から飛び出した国王の黒衣が、一瞬白に染まった。雪である。思わず足を止めたアルヴィンの背後から、帰ってきたらまた手伝いますから、とルドガーが律儀に告げている声がする。

見上げた空は、さっきまでの星空が嘘のように厚い雲で覆われていた。これは積もりそうだ、とアルヴィンは一つ身震いをしてから道へ出る。

先行しているはずの国王の姿は既に見えない。吹雪のせいか、あるいはその暗すぎる服装のせいか。みるみるうちに覆われてゆく足跡を頼りに、アルヴィンは走った。

船着場へと下りる階段が見えたとき、駆け上がってきた小さな塊とぶつかった。

「おっと」

「あ・・・っ」

外套が落ち、中から髪がはらりと零れた。美しい金の髪。見上げてきた緑の瞳に、アルヴィンは我が目を疑った。

突然身を硬くした彼をルドガーが怪訝そう見やったが、そのまま掛け去る。

「・・・・・・」

商人は武器を納めた。雪道にも関わらずその場に膝をつき、目線を等しくする。眼前の少女は、寒さと恐怖で歯を鳴らしていた。

「怪我、ないか?」

少女の全身から、ほんの少しだけ緊張の色が消える。顔はまだ強張っていたが、確かに一つ頷いた。その拍子に、頭に積もった雪が落ちる。

「おかあさんが、宿に逃げろって。振り返っちゃだめって」

「そっか。じゃあ、まずお父さんとお母さんのとこに戻ろうか」

「でも、おかあさんが・・・」

「大丈夫。言うこと聞かなかった悪い子だなんて、叱られたりしないさ。もし叱られそうになったら、俺がやりましたって言ってやるよ」

自分の上着を着せ掛けてやりながら商人は優しい声でそう言い、少女を片腕で抱えあげた。流石に少女は身を硬くしたが、喚くでもなく、男の肩でおとなしくしていた。

船着場ではミュゼが大地に手をついていた。肩で大きく息をしている。満身創痍なのは、傍目にも明らかだった。

他に見えるのは仲間二人の姿と、肩を寄せ合っている一組の男女のみ。

「ジャオは?」

刀を納め、国王が短く告げる。

「逃げた。獣を呼んでな」

エージェントから応急処置を受けながら、ミュゼが訊ねている。

「ねえ、ルドガー。あなた見た? あれってジャオが・・・?」

「間違いない。時歪の因子だ」

 

 
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